周磨 要の 映画三昧日記 2007


●周磨 要プロフィル

物心ついてからの東映チャンバラに夢中になったのを皮切りに、当年とって59歳の今日まで、映画に夢中になり続けた映画好き。映画好きが嵩じてとうとう活動弁士の真似事まで始めてしまいました。
 2007年、私にとり人生の転換期がやってくる。マスコミも賑わせているが、団塊の世代第一弾の大量定年退職の年である。私も再就職先の選択定年の年を迎える。高齢者雇用の法制化で何年かは希望すれば定年は先送りできるのであるが、私はスッパリやめるつもりでいた。いたのだが…。
 この1年で情勢は大きく変化した。これまでは、早期選択定年を希望したものは、退職条件が優遇された。早い話が人件費の高い年寄りは、さっさと辞めてくれればいいリストラになるということだ。ところが、わずか1年で、定年後も何らかの形で企業に残る者には、退職条件を優遇するとの180度大転換になったのだ。
 これもマスコミを賑わせているが、大量定年退職による技術継承の問題もあるのだろう。また、高齢者雇用法制化という時の流れもある。私も、何らかの形で残ることにした。
 とはいえ、会社員でなくなることはまちがいない。月に8〜10日の時給契約を考えているから、今後の職業は<パートタイマー>か、まあよくいけば<会社嘱託>である。後は<年金生活者>。いずれにしても、入社以来会社員としての「らしい」肩書きがなくなる生活に入るわけだ。としたら、それ以後の肩書きは何だろう。ちょっと考えてみた。まず、私がもっとも充実を感じさせられるおつきあいが3つがある。<「映画友の会」会員><話術研究会「蛙の会」会員><社会人芸能集団「あっち亭こっち一座」座員>といったところか。
 市販の雑誌に投稿原稿が掲載されたのは100篇余、依頼原稿で3年間連載も持ったのだから、<映画評論家>を自称してもいいだろう。活弁の舞台も分け読みの2篇を加えれば7回の経験があるので<活動弁士>も自称できそうだ。活弁コントのステージ経験も7回を重ねているから<社会人コント演者>もいいだろう。<「蛙の会」機関紙「話芸あれこれ」編集責任者>ってのもあるぞ。2007年に限ってではあるが<日本アカデミー賞協会会員>でもある。一方で<ピンク映画大賞・投票者>でもある。<映画検定2級>(1級の合格通知待ち?)もある。
 いやー、結構出てきたなあ。あらためて並べて見る。
<「映画友の会」会員><映画評論家><日本アカデミー賞協会会員>
<ピンク映画大賞・投票者><映画検定2級><話術研究会「蛙の会」会員><活動弁士>
<「蛙の会」機関紙「話芸あれこれ」編集責任者>
<社会人芸能集団「あっち亭こっち一座」座員><社会人コント演者>

サラリーマンでなくなり、社会的には<年金生活者>でも、暇つぶしのネタはこれだけあるということだ。てなことで、こういう男が今年も「映画三昧日記」を繰り広げます。よろしくおつきあいの程、お願い申しあげます。
「周磨 要のピンク映画カタログ」
周磨 要の映画三昧日記 2005
周磨 要の映画三昧日記 2006
周磨要の掲示板 
「周磨 要の湯布院日記」
「周磨 要のピンク日記」
「おたべちゃんのシネマシネマ」
映画三昧日記2007年ー15

●今年も終わる
日本アカデミー賞30回を記念して、本来映画関係者に限定されていた協会会員が、映画情報誌「ぴあ」を通じて一般人に解放され、栄えある会員に選んでいただいた2007年が終わる。メジャー主要映画館無料招待の権利を有効活用し、今年は走るだけ走った。いや、大晦日まで走り続けたいと思う。多分、招待鑑賞作品は200本を超えるだろう。(それでも、ミニシアター作品やピンク映画など、有料でも数十本見ているのだから、映画界にとっては上客といえるでしょう)
 だから、去年の年末は、ほとんどメジャーの正月映画を観なかった。年明けになれば無料招待になるのだから、当然だろう。日本アカデミー賞選考対象作品は、12月1日公開作品までなので、さすがに「武士の一分」は年内に有料で観たが、「007/カジノ・ロワイヤル」あたりは、どう考えても個人選定3本の外国映画枠に入るほどとは思えず、年明けにパスしてしまった。今年は逆である。権利のある年内にメジャー正月映画のほとんどをさらってしまおうというのである。正に忙しい年末である。
 来年は、今年の疾走に一拍置いて、メジャー作品は少々精選して観ていこうと思う。その代わりに、ミニシアター作品や見逃しているクラシック(私にして、これがまだまだあるのだ!)をこまめに拾っていこうと思っている。

今年もいろいろあった。日本アカデミー賞協会会員としてスタートし、1月には「映画検定」1級合格、2月にキング関口台スタジオの「北国浪漫」カラオケ大会で活弁部門・優秀活弁賞受賞。4月には、「釣りバカ日誌18」のエキストラ体験をし、完成作品で2〜3カットは出演を確認できる成果(?)であった。7月には第二の人生の再就職先でも定年退職を迎え、月に10日勤務の嘱託となって、本格的な映画三昧の日々をスタートさせる。
 8月の「湯布院映画祭」で衝撃作!「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」に出会い、「湯布院映画祭日記」で思いがけず我が人生を「総括」することになった。10月には、社会人劇団「マイストーリー」に参加し、北とぴあ演劇祭の「アロハ・オエ」で小学校の学芸会以来の芝居の舞台に立ち、とうとう役者の真似事までしてしまった。
 そして、年内も後10日足らず、メジャー正月作品を追いに追って、多忙なままにこの1年を終わることになる。

てなことで、年内最後に出会った素敵なエピソードを紹介して、今年の「映画三昧日記」の締めとしたいと思います。

●平成19年12月19日(水)カツキチ忘年会
今年も、恒例の無声映画鑑賞会の「カツキチ忘年会」が、浅草の「豚八(とんぱち)」で、活動弁士の澤登翠さん、落語家の三遊亭金馬・三遊亭円歌の両師匠、脚本家の石森史郎さん、映画評論家の佐藤忠男さんなどのゲストを交え、トンカツなどのご馳走に舌つづみを打ちながら、盛大に開催された。その楽しさは語りつくせないが、話題はその帰りのことである。
 閉会後も名残惜しく、「蛙の会」会員の坂元洋さんと、しばし喫茶店で歓談する。そこへ何と、澤登翠さんが入って来たのである。『お声が聞こえたんで、いらっしゃってるのかなと思いました。お邪魔はいたしませんから』と近くの席にお座りになる。こちらこそ、一人静かにコーヒーを楽しまれようとしたのに、邪魔になったかなと、やや恐縮する。
 とは、言ってもお互い「カツキチ」同志、いつしか映画談義になってしまう。恐れ多くも、私は勝手に活弁について薀蓄を傾ける。『「活弁」をリアルタイムで知っていて懐かしいと感じる方は、高齢化し減少していますから、そこだけに頼っているとジリ貧になってしまいますよね。懐かしさで愛してくださる方はそれとして、若い人には歴史的背景と共に、ライブとして観せるユニークな映画上映スタイルで、現代でも通じる新しいものとして紹介したらどうでしょう。来年の「蛙の会」の進行に、そんな視点も盛り込みたいと思ってます』なんて、天下の澤登さんを前にして、エライ気炎を上げちゃったなあ。
 9月の無声映画鑑賞会の澤登さんが語った溝口健二作品「折鶴お千」は素晴らしかった。終演後に私は感動のあまり『トリュフォーの「アデルの恋の物語」に匹敵するこんな壮絶な女のドラマが、昭和10年にすでにあったんですね』と感想を述べさせていただいた。それにつなげてこの日も、『29日の澤登さんのリサイタルで語られる第1回アカデミー作品賞「つばさ」なんて、2年ほど前に賞レースを賑わした「アビエイター」に匹敵する航空アクション大作と言えますよね。トーキーですけど、フランク・キャプラの「素晴らしき哉、人生」は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ですし、スピルバーグもルーカスもクラシックを勉強し踏まえて映画を創ってますから、古い映画は実は新しいんですよね』と、熱く語ってしまった。
 そして『そうですね。いいお話をうかがいました。私も、もっともっと新しい映画を勉強して、前説などにも活かしていきたいと思います』と、光栄にも澤登さんに言われてしまった。
 澤登翠さんは有名人(と言うよりは、かなり顔も知られているスターに近い)にも関わらず、本当に腰の低い謙虚な方である。無声映画鑑賞会の会場に上がるエレベーターでも、お客さまと遭遇すると「どうぞ、どうぞ」と決して先に乗ろうとはしない。そんな澤登さんと素敵な時間を持てた年末であった。

これから、30周年記念の年の一般人アカデミー賞協会会員権利活用のラストスパートとして、年内に後6〜7本は稼ごうと思っています。いよいよ多忙な年末、ということで、今年の「映画三昧日記」はこれを持って終わりにしたいと思います。皆様、よいお年をお迎え下さい。新年もよろしくお願いいたします。
映画三昧日記2007年ー14

●平成19年11月4日(日)「蛙の会」発表会 余話

「蛙の会」発表会に寄せられた不愉快なアンケート
もう旧聞に属するが、「蛙の会」発表会が11月4日(日)、今年も盛況に終了した。何人かの方にアンケートもいただいた。
 私は「話芸あれこれ」なるものを編集している。「蛙の会」のニュースの他、話芸全般の話題を取り上げ、無声映画鑑賞会での配布を中心に発行しているものである。A4サイズ4頁程度のささやかなものだが、平成17年3月に第1号を発行し、現在35号までに至っている。
 編集者としては、いただいたアンケートは、ご本人の意向に問題なければ、原文のままアイウエオ順に、すべて掲載させていただいている。その中のひとつ、50代・女性の井蘭踊子さんの一文に、滅茶苦茶に腹が立った。人が何をどう感じようが自由だが、これだけの短文の中に、品性・鑑賞眼・知識のレベルに多くの疑問を感じさせる文章は稀である。
 アンケートは手書きだから、電子化の作業は私が行うのだが、これ程キーボートを叩いていてイラついたことはなかった。ただ、編集者としては「原文のまま・アイウエオ順・すべて掲載」の公正・中立は守るべきだと思ったので、コメントはいっさい差し控えた。
 でも、このイラつきは、どうにもならない。そこで、マイ・ルームであるこの「映画三昧日記」で皆さまに紹介し、私のイラつきが不当なのかどうか、問いたいと思う。

まず、全文を紹介します。
良かったもの、「切られお富」(田家左和子)、「お父さんの歌時計」(坂元洋)、「少女椿」(湯川博士)。あとのプログラムはお情け。
 最後に「伊豆の踊子」超ガッカリ!あんな低俗な「伊豆の踊子」には、さぞ川端先生も驚かれたことでしょう。入場に二人の踊り、気恥ずかしくてみていられません。絶対にやめて下さい。
 田中絹代のどこが美人?おかめじゃありません?しかも下品!!とは初めて田中絹代版「伊豆の踊子」を見た感想です。でも観れて良かったです。ありがとうございました。世間の評なんてアテにならないもんですね。時代的なものもあるし…。でも、でもが続きますが残っているから現在で観られる。とてもありがたかったです。

ペンネームなどに観られる品性レベル
本文に入る前に、まず井蘭踊子なるペンネーム(本名とはどうしても思えない。もし本名だったらゴメンナサイ)だ。皮肉の皮算用で使ったんだろうが、嫌味っぽいだけでユーモアにも何にもなっていない。
 良かったものを3演目あげて、『あとのプログラムはお情け』とはねェ。いや、何を良いと思うかは自由である。でも、残りは「お情け」という嫌味っぽい表現は、ここでもこの人の品性レベルを疑いたい。

疑いたくなる鑑賞眼レベル
でも、この人が良かった3演目以外を「お情け」という極端な表現を用いたのだから、3演目とその他の演目との間に大いなる落差を認めたということでしょう。はっきり言って、この人はプロ級の話芸と、小手先のテクニックでプロ級に見せかける話芸との区別がつかない鑑賞眼レベルとしか、私には思えない。
 私の演目「旗本退屈男」が「お情け」の中に入れられたから言っているのではない。いや、綺麗ごとはよしましょう。私だって人間だ。それに対しても腹が立っているのは事実だ。
 私も、一応は話芸を勉強している身だ。自分の至らなさも、何人かの会員の方の話芸を一軍とするならば、私は二軍だなとの謙虚な気持も持っている。また、それなりの鑑賞眼もあるつもりだし、それを身に付けなければまともな勉強もできまい。だから、レベルが上の適切な何演目かを挙げて、「お情け」に位置づけられたならば納得する。こんな玉石混交・支離滅裂な演目選定した上で、残りを「お情け」グループと決めつけられたのでは、腹が立って当然ではないか。

映画史への無知、個人的感性の押し付け
『「伊豆の踊子」超ガッカリ!あんな低俗な「伊豆の踊子」には、さぞ川端先生も驚かれたことでしょう』
 川端康成が、この五所平之助の歴史的名作に「驚かれた」という歴史的事実を、私は不勉強ながら知らない。映画検定1級の私が知らないんだから、そんなことは無かったと思う。それとも、私が無知なだけなのか。
『入場に二人の踊り、気恥ずかしくてみていられません』
 早乙女宏美さんを核にした活弁前の踊りの試みについては、これまでもいろいろな意見をいただいている。

 平成18年には
『活弁の前に出てきた踊りはちょっとビックリしました。いきなり大衆芝居小屋のような雰囲気になり、それまでの素人芸の品のよさとは違い、私の周りのお客は驚いていました。変わった世界を覗かせていただいたというおもしろさはありますが、「蛙の会」の雰囲気とは明らかに異質なものでした。私は、踊りなしで活弁だけのほうがいいと思います』
 との声が寄せられ「話芸あれこれ」に紹介した。

 平成17年には
『「逆流」という映画の冒頭で、早乙女宏美さんが客席の後方から現れて踊り出す瞬間、彼女の横顔をすぐ近くで見ました。その横顔からはドラマチックなオーラが発光していて、感動しました。これだけで、今日きてよかったと思いました』
 という声も寄せられ、これも「話芸あれこれ」に紹介した。

活弁に先立って、弁士が踊りを舞うという大胆な試みであるから、意見はいろいろ出て当然だと思う。人の意見は様々だから、どう感じようとそれは個人の自由だ。私が井欄さんの品性を疑いたくなるのは、『絶対にやめて下さい』という自分の感性の傲岸不遜な一方的押し付けである。こういう自己チューなものの言い方である。

さらに無知は続く
『田中絹代のどこが美人?おかめじゃありません?しかも下品!!』
 映画の中で田中絹代を「美人」と紹介はしていないから、これは前説の飯田豊一先生へのクレームだろう。「おかめ」って、ある意味での美人の形容じゃないの?「下品!!」って、旅芸人の踊子が上品なわけないでしょう。この人は、完全に「伊豆の踊子」の見方を間違えている。

過去の映画化作品からくる一般的誤解
鰐淵晴子・吉永小百合・内藤洋子・小田茜といった清純派女優(熟女以前の鰐淵も清純派であった)が、これまで映画(小田茜はTVだが)で踊子の薫を演じてきた。だから、「薫=上品で清楚」という一般的な誤解が、定着してしまった。だが、幼い頃から背伸びして大人世界の中で生き、年齢以上の大人っぽさを要求される旅芸人の踊子ほど、上品や清楚と縁遠いものはない。むしろ、地を這うようなしたたかな生活感が、「伊豆の踊子」の薫である。
 その意味で、踊子と類似の境遇の中で奮闘してきた美空ひばりや山口百恵の薫の方にこそ、私はリアリティを感じている。そこには、変に年齢以上に大人びた色気を売るある種の「下品」な魅惑が輝いている。その頂点に立つのが、名匠・五所平之助の手による田中絹代・主演の「伊豆の踊子」である。だから、昭和8年「キネマ旬報」ベストテンの第9位にランクされている。(唯一ベストテン入りした「伊豆の踊子」である)『世間の評なんてアテにならないもんですね』アテにならないのは、あなたの鑑賞眼の方でしょう!

皆さん、どう思いますか?
アンケートの短文に対して、10倍以上のボリュームで批判してしまった。あまり他者に対して貶すようなことをしない私としては、極めて珍しい事態だ。それだけ、この短文に、品性・鑑賞眼・知識のレベルに嫌な感じ受け、つっこみどころが満載だったということである。
 でも、皆さんはどう思っただろう。「周磨要よ、そんなにカッカするほどのものじゃないよ」「井欄踊子さんの言ってることのが、妥当じゃないの」となるんだろうか。「そうだ、そうだ、周磨の言うとおり」なんだろうか。感じるところがあれば、掲示板などに書き込んでいただければ幸いです。

●平成19年11月27日(火) 新作オルタナティブ「財布−夏の思い出−」
乃木坂のシアター&カンパニー「COREDO」で、夢月亭清麿師匠の新作落語「財布−夏の思い出」を聞く。雑誌編集長にして脚本家にして落語プロデューサーの河本晃さんの落語台本作家デビュー作品である。(清麿師匠の新作落語創作の積極的サポートをしたことはあるようだが、はっきりと作者名を明記したのは初めてだ)これは何としても行かずばなるまいと思い、出かけた。いろいろ感じさせるところが多かった。映画とは直接関係するところは少ないが、台本と演者の関係について、興味深いものがあったので、ここで述べてみたい。

とてつもない斬新さへの期待
最初のチラシにはこんな記載がある。「古典落語に対してのオルタナティブではありません。新作落語に対してのオルタナティブ(のつもり)です」とある。「オルタナティブ」って何だか解らない。解らないけれど、とにかく斬新な試みをするんだなとの雰囲気を感じる。

当日のチラシには「オルタナティブ」の解説があった。
 a.どちらか一方の、二つ(以上)のうちの一つを選ぶべき;他にとるべき
 b.二者択一;どちらか一方;選択肢;他の手段、掛け替え
と、なっている。さらに難しくなってよく解らないが、とにかく空前の斬新な落語を期待させた。

目を剥いたスタート!
まくらが始まる。まくらというよりは、古典落語と新作落語のあり方の教養講座の趣きである。そして、新作落語とは、タブーのない自由なものだとの清麿師匠の落語観が提示される。
 そんな師匠のところに、河本晃さんから落語台本が持ち込まれる。いくら自由でタブーなしといっても、師匠は師匠なりのあるべき落語のセオリーというものは有している。その観点から意見を出したら、河本さんから「ご意見はいろいろあるでしょうが、とにかく一回この台本どおりにやってもらえませんか」と言われたそうだ。その試みに乗ってしまうところも、いかにも清麿師匠らしい。さあ、鬼が出るか蛇が出るかとの期待が高まる。
 まくらが終わる。いきなり医学生が愛人へ向けるバイオレンスである。殴る蹴るの凄まじさで、ついに死に至らしめてしまう。これは、ちょっと凄いよなあ。いきなり生理的不快感で押してくる。これって落語なのかなあ、とある意味で先行き不透明な期待が高まる。

でも、意外と古典的だった
医学生は富と権力で、その場に居合わせた友人を脅しつけて、死体の始末を命じる。実は、この愛人は生きていて…なんてミステリー風の展開になるかなと思っていたら、後は三遊亭円朝を彷彿させる古典的怪談話の展開になった。
 友人も交通事故で不慮の死を遂げ、二人の幽霊にとりつかれた医学生は、錯乱して次の愛人も殺害してしまう。完全に「東海道四谷怪談」の展開である。
 幽霊を前にして、医学生は、医者を目指して生きていく以外の選択肢がなかった家のしがらみ、だから殺人犯になるわけにいかなかったということを、綿々と語っていく。社会の重圧に押し潰されていく悪党の悲哀、これは「首が飛んでも動いてみせるわ!」と大見得を切る民谷伊右衛門の切なさにも通じる。悪ではあるが、そこに一つのシンパシーを感じさせる古典的ピカレスクの魅力である。
 そうなると、冒頭のバイオレンスの不快感も違って感じられてきた。古典怪談話の「東海道四谷怪談」でも、真っ白な炊き立てのご飯の上に、天井からボタボタボタッと真っ赤な鮮血が…という生理的不快感を刺激する描写がないでもない。その延長と思えば、このバイオレンスもありかな…と思えてきたのである。

台本と演者の興味深い関係
打ち上げで作者の河本晃さんと話す。医学生の幽霊を前にした独白は、あくまでも彼の身勝手な理屈で、シンパシーを感じさせようとは狙っていなかったそうだ。「そうなったのは、清麿師匠のやさしさだと思います。それはそれでいいですけど…」とのことだった。
 全く台本どおりに語っても、演者の持ち味は確実に反映されるということだ。ここでもまた、私は表現の深淵に触れた思いだった。
映画三昧日記2007年ー13

延々と「湯布院映画祭日記」で我が人生を「総括」していたので、「映画三昧日記」は大きくご無沙汰となってしまった。時間はだいぶ遡るが、10月に社会人劇団「マイストーリー」の一員として、北とぴあ演劇祭の「アロハ・オエ」の舞台に立って感じたことを記してみたい。映画とは直接関係するところは少ないが、演出というものに感じるところがいろいろあったからである。

平成19年10月6日(土) 「マイストーリー」の舞台に立って感じたこと
●演し物「アロハ・オエ」の概要
社会人劇団「マイストーリー」は、台本も団員の社会人の手による。私は昨年観客として見たが、テーマが共通した何篇かのショート演劇(作者はそれぞれ異なる)で構成されるオムニバス形式である。
 今年の「アロハ・オエ」のテーマは「別れ」、ハワイ王朝がアメリカの州に併合される歴史的な悲劇の大いなる「別れ」をメインストーリーで中心に据え、そこに別れをテーマにした5編のショート演劇が差し挟まれる構成である。
 私のメインはSF風の「ロボ」の父親役、後はカメオ出演的(?)に「雨があがれば」の駅員役と「リンゴあめ」の露天商のリンゴあめ売りといったチョイ役である。この「雨があがれば」のカメオ出演の方が、意外なご好評をたまわってしまった。いや、別に私のせいではない。すべては演出の力である。演出ってすごいもんだなあと舌を巻いた。演出は劇団「マイストーリー」代表者の津田ますひろさんだ。

●「ロボ」とはこんな芝居
時は近未来(多分)、地上ディジタル放送の次は、各家庭にロボット1台が支給されることになる。年頃の娘一人の3人家族の川口一家にも、宅急便で子ども型のロボットが届けられる。ロボは働き者で、家族の一員のように皆から愛される。
 この芝居では女優の吉原杏さんが裏方で精力的に活躍していたが、私はまったく気が付かなかった。映画では和服で髪をアップしたりしているが、ここでは活動的な普段着と髪型で、眼鏡をかけていて、「わかりませんか?」と眼鏡を外した顔を見せられるまで、本当に解らなかった。(メイクまでしてもらったのに)失礼いたしました。でも、女性って本当にいくつものイメージを持てるもんなんですね。
「ロボ」に話をもどす。時は流れ、3人プラス1台の生活も、序々に様変わりしていく。一人娘は外国に嫁に行き、夫婦は次第に衰弱し、最後はロボに看取られ、二人は時を同じくしてあの世に旅立っていく。
 「ウム、私は台本をこう読みました。男の人生の重さと哀愁が出れば勝ちですね」 いい気なもんで名優気取りだが
 「そんなもん簡単に素人が出せるわけないよ」 と、活弁を指導していただき「マイストーリー」参加への声もかけていただいた飯田豊一先生に、一笑に付されてしまった。でも、感想集で約1名の人が「年老いていく夫婦の様子がリアルでした」と書いてくれたから良しとしよう。

●「雨があがれば」カメオ出演(?)までのいきさつ
私が駅員を演じた「雨があがれば」なるショート演劇は、若い男女の二人芝居を中心に据えたシリアス篇である。仲良しの幼馴染の二人の話だ。親の都合で女の子が引越しをすることになり、お互いに寂しさを感じつつ別れる。大人になった二人が、大雨のため電車が運転を見合わせている待合室で再会する。女は、初恋の男の子が忘れられず婚約破棄をして、今でもここに住んでいる祖父母に報告に来たのだった。その時、成長した男の手には結婚指輪が光っていた。
 台本における駅員は、冒頭で「お客様にお知らせします。本線は大雨のため、現在、運転を見合わせております。お急ぎのところ、ご迷惑を−」とあり、終盤では台詞指定もなくト書きで「電車が動き出したことを告げるアナウンス」としかない。声だけの登場で、舞台に上がる必要すらない役であった。
 「誰にやってもらいますか」「東電OBの周磨さん、こういうの馴れてないですか」なんて調子で、私も「湯布院映画祭日記」で記したように電力指令屋だから、事故復旧アナウンスよろしく、真面目に台本を読んだ。「うむ、いい感じですね。周磨さんで行きましょう」と演出の津田さん。ここまでは、単に真面目にアナウンスして、リアリティを出せばよいだけだと思っていた。

●「駅員も舞台に出ることにしましょう!」てなことに発展
「駅員の人も舞台に出ることにしましょう!」と、津田さんから話が出る。駅舎のミニチュアを舞台に出しておいて、雷と暴風雨の音と照明効果、そこで駅員が如雨露を持参し、ミニチュアに水をかけながらアナウンス。「これ、いいですねえ」なんて話になる。リアルなアナウンスだけしていればいいなんて話ではなくなってくる。とんでもないトポロジー空間のファンタジーワールドだ。
 それに「雨があがれば」は、このオムニバス演劇「アロハ・オエ」のトップに位置している。幕開けの最初の登場人物なんて、これって重責である。「勘弁してよ」と言っても追いつかない。エラいことになってきた。
 リアルの中のユーモア。台本ではさりげなかった駅員が、シリアスな芝居の前後に、「お呼びでない」感じで闖入するアクセント的存在に、変貌してきたのである。こうなると、こっちも開きなおる。雨が上がったアナウンスの芝居では、如雨露で水をかけながら「雨があがりましたので、(ところが、如雨露から水がなかなか全部出きらない)あれ?畜生!あがらねェな」なんてボヤくアドリブなども考えつく、津田さんはニコニコして何も言わないのでOKのようだ。だんだん、こっちも乗せられてくる。
 とうとう、電車運行再開のアナウンスでは、目覚まし時計を発車ベル代わりに、高々とかざしての「お呼びでない」芝居にまで、悪乗りすることになった。

●3日前にさらに大胆な提案が…。
公演3日前になって津田さんから、さりげなく大胆な提案が出る。
 「周磨さん、出場の時に鼻歌でも歌いましょう。何かいいのないですか」
 「そうですねえ。『汽車ぽっぽ』とか『鉄道唱歌』とか…」
 「いや、あんまり鉄道にはこだわらないで…カラオケの持ち歌とかないですか」
 「でも…『唐獅子牡丹』じゃあねえ…あ、『男はつらいよ』はどうでしょう」
 「いいですねェ。それ行きましょう」
とうとう開幕と同時に「俺がいたんじゃ〜、お嫁にゃ〜いけぬ」と如雨露を片手に高らかに歌うというトンでもなく「お呼びでない」展開になってきた。
 これには、私もちょっとビビった。シリアスなドラマに、こんな「お呼びでない」のが出てきたら、ブーイング、いや石礫が飛んでくるんじゃなかろうか。でも、演出ではイケイケを煽られる。
 活弁の指導をいただいている飯田先生は、さらに公演直前に煽りを耳打ちする。「なんで端っこでコソコソ芝居をするの。真ん中に出ていけばいいじゃない」
 「いや、水をかける駅舎のミニチュアが舞台端に置いてありますから」
 「そんなの、歌いながら中央まで出て、戻ればいいんだよ。舞台なんてやったもん勝ちだよ」
浅草の軽演劇にも造詣の深い先生らしい言である。私も悪乗りして図々しく、そのとおりにやってしまった。

●意外な好評にビックリ
この駅員が、感想集で結構な話題を集めた。
 「周磨さんのテンションが何とも言えず懐かしさのある良い雰囲気でした」
 「駅員のおじさんのかんじがよかった」
 「しゃしょうさん、すてき、あんな空気かもしだしたいです」 といった具合である。中には
 「駅員さん→リアルにいそうですねー」 なんてものまであった。リアリティをどんどん外してった結果が、リアリティを増したということだ。いずれにしても、私の力ではない。すべて演出の力である。
 DVD録画をしてくれた方がいて、後日に上映会が開催されたが、それを見ると飯田先生のアドバイスも的確なことが確認できた。お客さまの目線で見ると、コソコソと舞台の端で芝居して退場したら、それこそ失礼で不快に映りそうだ。これも演出の力の一部ということだろう。

●映画演出に置きかえれば…
映画監督の演出のタイプにはいろいろあるというが、私は、それ程に撮影現場は見ていないので想像するしかない。
 マキノ雅弘監督は、女形の経験もあるだけに、すべての芝居を自分が手本を示すという。女以上の色気に女優がビビったなんてエピソードも聞く。加藤泰監督の「花と龍」の撮影現場を見る機会があったが、泰監督は、渡哲也や香山美子に、具体的な動きではなく、その時の役の心を丁寧に丁寧に説明していた。
 成瀬巳喜男監督や野村芳太郎監督は、何もしないという話も耳にした。私は「戦争と人間」の撮影を見た時、山本薩夫監督にそんな印象を受けた。「ナミイと唄えば」の本橋成一監督にも同様の印象を受けた。いずれも、現場の設定をさりげなく指示するだけの現場監督の風情だった。もっとも完成作品を見れば、しっかりと監督の色に染められているのだから、何もしていないということはありえない。
このあたりの秘密の一端を、津田ますひろさんの演出に見たような気がした。断片だけ見れば、津田さんは何もしていないように見える。でも、簡単な一言で役者を乗せ、その時間の積み重ねで、確かに「アロハ・オエ」全体が津田ワールドになっているのである。てなことで私の駅員の好評(?)もすべて演出の力でございます。
 余談だが、映画ではないが木馬亭公演「ナミイの三線放浪記」の飯田豊一先生の演出を見た時に、マキノ雅弘タイプを感じた。進行役の玉川美穂子さん(当時の高座名、現在は奈々福を襲名)に口移しに近い形で台本の読み方を指導していた。

●フラダンスの話題
忘れていた。もうひとつ、大きな出演シーンがあった。女王を囲むハワイの原住民の役である。これは、出演者全員が出て、女王の語りが終わったあと、フラダンスを踊るのである。フィナーレのカーテンコールの締めでも、またフラダンスを踊る。プロのエイミ・カウイレイ富永先生(出演者の一員でもある)が来てのレッスンである。とんでもないことになった。
 私は、運動神経の鈍さには絶対の自信がある(笑)。昔から体を動かすものはスポーツに限らず、すべてダメである。不器用の典型だ。口の悪い奴は「運動神経が口の方に全部回ったんだろう」と言う。(爆)しかも、この年である。還暦である。体なんて動くわけもない。
「あのー。フラダンスは女性陣だけで、いいんじゃないんですか。その方が華やかだし…」
「いえ、みんなで踊るところに意義があるんです」 ニコニコしながら、恐ろしいことを言う演出の津田さんである。
 予想どおり、女性陣の飲み込みのよいリズム感に比べて、圧倒的に男性陣には進歩が見られない。着々と公演が近づいて来る。
「手遅れはどうにもなりませんから、とにかく元気にやりましょう」 津田さん、ニコニコとさりげなくキツいことおっしゃる。
「あの、フラの技術はともかく、楽しそうな顔してください」 とカウイレイ富永先生。フラ特訓が続く。
「男性陣、顔がひきつってますよ。楽しそうに!笑顔で!笑顔のない人は前に出て改めて一人で踊ってもらいますよ」
 ホントにとんでもないこっちゃ。私は開き直る。フラの振りのカッコよさなんて、もうどうでもいいや、動きが合ってりゃいい。(でも、それじゃダンスというよりラジオ体操だ)楽しそうな笑顔か、それなら誰にも負けないぞ!もう、神経は楽しそうな笑顔に集中させる。
 後日のDVD上映会で見たら、私のフラは楽しそうに踊っていたのは事実で、見ていた出演者一堂(何せ、演者は当日舞台を見られないんだから)、私の楽しさいっぱいの顔に、微笑ましくも笑い転げてくれたのでありました。

●明るさのオーラ(?)…演出の奥深さ
飯田先生から、過分なお世辞を言われる。
「周磨さんは、とにかく場を明るくさせるんだよね。ある意味でオーラがあるんだよ」
 確かに、宴会の写真なんて見ると、我ながら一人で徹底的に楽しそうなんである。本人はそれ程に楽しかった記憶なんてないのに、我ながら呆れるほど楽しそうだ。「一人でハシャいでるんじゃないの」と亡妻にもよく言われた。
 DVDで見ると、確かに駅員の登場が場を明るくしている。シリアスな幼馴染の不幸な再会ドラマの前後をサンドイッチする「お呼びでない存在」として効果的だ。
 ただ、これはすべて津田ますひろ演出の力である。私のキャラを見抜いて、活かしてくれたわけだ。演出というものの奥深さを、私に痛感させてくれた「マイストーリー」公演への参加であった。
映画三昧日記2007年ー12

●多忙な日々のあれこれ
7月から、月10日勤務の嘱託生活に入った。自分の時間はタップリできたはずなのに、なぜか多忙感が消えない。一つの変化は、通勤定期がなくなったことだ。月10日勤務だから定期の支給は無い。通勤交通費は実費精算だ。こうなると都心に出る交通費は、案外ばかにならない。(仮に定期支給があっても、勤務は地元の多摩地区だから、そちらには貢献しないのだが…)だから、一度都心に出たら効率的に映画3本くらいをハシゴする。幸いに今年はメジャー系劇場は日本アカデミー賞協会会員による無料招待で、その他の劇場も6月12日(火)で還暦を迎えたのでシニア料金だ。今年に入って無料招待鑑賞は120本を超えたが、有料鑑賞も20本以上に至るのだから、まあ映画業界にとって上客と言えるのではないか。理想的な映画三昧を繰り返しているわけだが、「映画三昧」をしていると、「映画三昧日記」を書いている暇がないという事態に気がついた。

8月22日(水)〜27日(月)は、毎年恒例の湯布院映画祭参加だ。この期間は体が二つ欲しい多忙感に追われている。26日(日)は8月の「蛙の会」例会だが欠席せざるをえない。今年の発表会は10月7日(日)に決定したので、私の参加できる例会は、9月のあと1回しかないではないか。

湯布院行き前の8月21日(火)までには、「蛙の会」機関誌の「話芸あれこれ」31号を完成して、8月例会に配布できるように、会長に渡してお願いしなければならない。それに発表会のプログラムを兼ねる10月発行の33号にも、ボチボチ手をつけねばなるまい。そもそも発表会の月に発行する「話芸あれこれ」をプログラムも兼ねることにしたのは、「演者のプロフィールが解らない」とのお客さまからの声に対するフォローだった。昨年の19号は、その観点でかなり不完全だった。演し物の解説を私が書き、演者については当人から一言ずつ執筆してもらうスタイルを取った。結果として、各自のトーンがバラバラで、それを合わせる時間もなく、プロフィール紹介としては物足りない演目もあった。今年は、私が同じトーンで「演し物」「演者」紹介の原案を書き、(個人情報に関連することでもあるので)各自に目を通してもらって修正を重ねることにした。(「あっち亭こっち一座興行」などのあっち亭師匠作成のチラシが手本である)とするならば、これも8月例会に配布して、9月下旬の例会に意見集約、10月7日(日)までに完成と行きたいところである。

ただでさえ多忙になっているのに、さらにもう一つ加わった。「蛙の会」の飯田豊一先生と高橋晴美さんは、以前から社会人劇団「マイストーリー」に参加していて、「北とぴあ演劇祭」で公演しているのだが、飯田先生から「顔を出してみない」との誘いを受けたところ、初回にして早くも役がついてしまった。まあ、いちおう話芸を学んでいる身だから当然かと自惚れたりもしたが、この手の劇団は老若を問わず女性が圧倒的に多いので、貴重な男性参加という物理的理由でしかあるまい。飯田先生の誘いの言葉が、冗談交じりの「周磨さんの好きな酒好きの女性が沢山いるよ」だった。そんなことはどうでもいいのだが、想像を超えて飲む女性が多かった。「映画友の会」も酒席につきあう女性は多い方だと思うが、でもその種の席は男性主導だ。「マイストーリー」は飲み会のメンバーからして、男はせいぜい3,4人に対し女性は数名以上、女性主導でビールの大ジヨッキがグイグイ空けられていく。今年の公演は10月6日(土)、「蛙の会」発表会の前日である!何だかだんだんエラいことになってきたようだが、新しい空間に出会えるのはいいことだ。

そんな時にキネマ旬報社から、映画検定1級合格者を対象に、和歌山の「田辺・弁慶映画祭」審査員募集が来た。審査員に選定されると交通費・宿泊費などがかなり優遇されるおいしい話である。ところが映画祭開催期間は10月4日(木)〜6日(土)、とてもとても無理である。応募は断念をせざるをえない。

「蛙の会」「湯布院映画祭参加」「話芸あれこれ発行」「北とぴあ演劇祭」「映画祭審査員募集」、本当に体がいくつも欲しい!てなことで、何を言いたいかというと、しばらくご無沙汰だった「映画三昧日記」だが、毎年恒例の「湯布院映画祭日記」終了まで、今回を最後にして更新できそうもありません。しばらくのお別れになりますが、よろしくお願いいたします。(と大見得を切るほど読者もいないかもしれませんが…)「ピンク映画カタログ」の方は、湯布院行き前に1回くらい更新したいと思います。

●年金生活者からの一言(「映画三昧日記」と関係ありませんが)
年金問題が世間を賑わしている。今は納付記録洩れが話題の中心だが、退職して受給者の一人になってみると、私が不勉強だったといえばそれまでだが、あまり人のことを配慮していない制度であると感じる。

私は6月末に退職した。すると離職したのは7月ということになる。年金の給付は離職の次の月だから8月からとなり、2ヶ月分をまとめて翌月に支給される。早い話が7月に離職したのに、8・9月分がやっと10月になって、最初の支給が開始されるということだ。まあ、私は小金を貯めといた(?)し、些少ながら会社嘱託の給与も入るから何とかなるが、サラリーマンは一般に離職したら無収入だ。7月に離職して10月まで支給が無いって、これって絶対に人間的とは言えないよなあ。

企業年金の方は多少マシで、離職した月の7月から支給されるが、それでも2ヶ月まとめて翌月支給というのは同じなので、最初の支給は9月だ。公的年金に準じてるということだろうが、民間ぐらいもっと自由に人間的な制度を考えたらいかがなものだろう。

団塊の世代の大量退職で、年金振込口座の獲得が金融機関のターゲットになっているようだ。私は昔からの長いつきあいでメインバンク(?)の地元の信用金庫に決めていたが、至れり尽くせりのサービスだった。面倒な受給手続は、すべて信金の人が処理してくれた。折りしも納付記録洩れ騒動の真っ盛りの時なので、20人以上待ちの状態だったそうだ。信金さまさまである。でも、記録洩れ確認よりも、目先の受給を控えている者の方が切羽詰ってると思うんだけど、窓口を分けるとかできないものなのか。年金に関しては、何から何まで人間的側面を考えてないみたいである。

そして、給料天引きだった住民税の支払い請求は、離職したとたんにドンと来るのもたまらない。国民健康保険の支払いも待ったなしだ。以上、いずれは誰もがいつかなる年金生活者への、映画と無関係の参考情報でした。
映画三昧日記2007年ー11

●平成19年7月1日(日) 会社員でなくなる日
6月30日(土)をもって、60歳で再就職先も定年退職になった。公益事業に37年、関連会社に再就職して5年、42年にわたって書いてきた「職業・会社員」に別れを告げることになった。団塊の世代定年に伴う技術継承の必要性がマスコミを賑わしているが、その例にもれず私も定年後は嘱託として残ることになったが、勤務はフルタイムでなく月10日出社の道を選択した。映画三昧に浸る暇はタップリできたわけである。「職業・会社嘱託」人生の始まりだ。
 「会社嘱託」となって約半月が過ぎた。意外と暇があるとは感じない。何たって今年は日本アカデミー賞協会会員の年である。無料招待となると、このさい時間があれば何でも観ちゃろうと貪欲になる。ついに「ラストラブ」なんてもの(田村正和ファンには失礼!)まで観てしまった。6月までの半年で、日本アカデミー賞協会会員特権の無料招待鑑賞作品は100本を超えた。下半期はどうなることだろう。これに加えて6月12日(火)の誕生日以降は、無料招待対象外のミニシアター作品も、シニア料金をよいことに無差別爆撃の状態で見始めた。何だか多忙感は増してるような気がする。いつか息切れするだろうが、とにかく今年は走るだけ走ってやろうと思う。

●話題は遡りまして… 平成19年6月27日(水)「玉川福太郎 お別れの会」
6月27日(水)、ホテル メトロポリタン 桜の間の「玉川福太郎 お別れの会」に出席する。私はこの手のものには、一ファンとしては出席しない。先方も私を認知してくれている双方向の知人に限って、出席することにしている。だから「お別れの会」としては、「映画友の会」の縁の淀川長治さんに次いで2度目の出席である。
 当然ながら淀川さんの「お別れの会」とは出席者の顔ぶれも雰囲気も全く違う。私は、いつか「思えば遠くへきたもんだなあ」との感慨に耽っていた。単なる映画好きが、いつしか玉川福太郎師匠と知己を得るようになっていた。そして、単なる映画好きならば、こういう場に双方向の知人は一人もいないはずが、大勢の顔見知りと顔を合わせていた。社会人落語家のあっち亭こっちさん、日立寄席の重鎮の酔水亭珍太さん、社会人似顔絵コント演者の東京モンキーズのバトルロイヤル風間さんとMISAKOさん(というよりは、風間さんは漫画家、MISAKOさんは若手美人浪曲師の玉川奈々福後援会長としての飯田美佐子さんの方が著名か)、当然、福太郎師匠の愛弟子の奈々福さんもいるし、曲師の澤村豊子師匠もいる。飯田豊一先生も列席しているし、芸能作家の稲田和浩さんの顔も見える。単なる映画好きが、いつの間にかこんなにフィールドを広げていたのだ。
 映画がとにかく好きだった。より深く関わりたいと思っていた。だから、無声映画鑑賞会の会員にもなった。そこで「蛙の会」の存在を知った。活弁の勉強を始めた。同じ話芸を学ぶ身として社会人芸能集団「あっち亭こっち一座」の皆さんとのおつきあいが始まった。寄席の会にも顔を出すようになった。
 玉川福太郎師匠とは、「あっち亭こっち一座興行」や「町屋ぶらちら寄席」などの打ち上げで親しくお話をさせていただいた。単なる映画好きだけで、古典芸能には全く無知な私である。「浪曲の楽しさが分かりました。ミュージカルなんですね。ストーリーを語るけれども、山場になるとそれを中断してダンスナンバーで情感を盛り上げる。それが浪曲のうなりに相当すると思います。ただ、そうなると、若い人に浸透させるのは厳しいものがありますね。今の若い映画ファンはミュージカルに違和感を感じる人が多いんです。何で急に歌いだすの?ってですね。そこまで理屈っぽく考えることもないと思うんですけど、そうなんです」ずいぶん乱暴なコジツケみたいだが「いいこと言うねェ」と福太郎師匠はニコニコして聞いてくれた。
 平成17年の「蛙の会」発表会で、私は「国定忠次」の活弁を演った。私もいくつかの予習をした。その中の一つが、玉川福太郎師匠の浪曲「忠治山形屋」だった。もちろん浪曲の長時間に渡る「忠治山形屋」に対し、私の活弁の「国定忠次」の「山形屋」は映画の一部に過ぎず、山場の掛け合いは超ダイジェストで、ポイントとなるのは三言しかない。それでも、福太郎師匠の絶妙な、忠治と山形屋藤造の丁々発止のやり取りを、上手く活用できたかどうかはさておいて、何とか活弁の中に籠めつくそうとのチャレンジの、大きな参考になったのはまちがいない。
 福太郎師匠の事故死をマスコミを通じて知った時、私の反応は奇妙な流れを示した。「玉川福太郎、あ、浪曲師が一人事故死したのか。…福太郎…えっ福太郎?…えーっ!あの福太郎師匠!」そんな感じだった。訃報と私の知る福太郎師匠の顔が、とっさに結びつかなかったのである。
 その後、あっち亭さんに「浪曲界のダメージは大変なものですね。3割の戦力ダウンじゃないですか」と言ったら、「5割以上ですよ」との答えが返ってきた。例えば落語界ならば、かなり著名な真打の方が亡くなっても、これ程全体にダメージを与える人は思い浮かばない。それだけ浪曲界は一人の重みが違うということだろう。
 でも、福太郎師匠との縁は、私にとっては愛弟子の玉川奈々福さんとを通じてのところが大きい。今をときめく若手美人浪曲師の奈々福さんと始めて出会ったのは、「蛙の会」だった。当時は筑摩書房の若手敏腕編集者で(今も浪曲師として大活躍のかたわら、そちらでも腕をふるっているらしいが)、長嶋美穂子の本名だったが、すでに玉川美穂子の高座名で福太郎師匠の曲師をされていたそうだ。福太郎師匠に、浪曲もやったら…と促され、語りを勉強するなら「蛙の会」が一番と、飯田豊一先生に呼びかけられて参加したそうだ。美穂子さんは、平成14年「蛙の会」発表会の開口一番で昔話紙芝居「子そだてゆうれい」を、艶やかな和服姿で華やかに語った。その時の私は活弁初舞台で「剣聖 荒木又右衛門」だった。今をときめく若手美人浪曲師の玉川奈々福さんと、同じ舞台に立てたということは、本当に夢のような話である。今「玉川福太郎 お別れの会」の場に立ち,単なる映画好きに過ぎなかった私が、改めて「思えば遠くへきたもんだ」と思う。

●小ネタの話題二つ その1
「玉川福太郎 お別れの会」で、あっち亭こっちさんが美人と連れ添って闊歩している。声をかける。「どこかでお会いしてますね」「ええ、お会いしてます」お会いしてるなんてもんじゃない。自宅にお招きいただき手料理までご馳走していただいた奥さんじゃないか。でも、一瞬判らなかった。黒っぽいスーツで、かなり印象がちがったせいだろう。
 いやー、それにしてもあっち亭さんに、「何デレデレしてるんですか。奥さんに言いつけますよ」なんて言わなくてよかった。そんなこと言っちゃったら、それこそ落語の粗忽者以下ですよね。
 でも、女性というのはいでたちでガラッと印象が変わるのは間違いない。先日も東劇で「周磨さん」と声を掛けられたら、凄い美人が立っている。こんな綺麗な人に知り合いはいないよなあと思ったら、私同様に「ぴあ」推薦の日本アカデミー賞協会会員の一人で、授賞式に同席した片岡由貴子さんだった。「ぴあ」3月1日号239頁の和服美人の方です。(今でも3月1日号をお持ちになってる方はそうはいないでしょうが)あの時は髪をアップした和服、今度はロングヘアーのシックなスーツ姿、一瞬戸惑って当然ですよね。本当に女性は髪形・着るものでガラリと印象が変わります。

●小ネタの話題二つ その2
会社嘱託となって、大きく変わったのが健康保険。会社員でないから健保組合とは無縁になる。市役所に国民健康保険の手続きに行く。途中に国分寺市の恋ヶ窪図書館がある。ここのところご無沙汰だったので入ってみる。この図書館の関係者はプロレス者が多いらしい。プロレス本がぞろぞろ増えている。「大木金太郎」「船木誠勝」「三沢光晴」「フレッド・ブラッシー」「アブドラ・ザ・ブッチャー」「ハルク・ホーガン」の自伝本は、以前来た時には無かった。逐一借用して読んでいくことにしよう。
でも、自伝が主流を占めるということは、もうプロレスは過去のものになったということだろうか。それでもいい。私の人生は、パイオニア力道山が確立し、全盛期を迎え、そして今冬の時代になり消えていく(?)という日本プロレス全史に、リアルタイムで立ち会えたということであろうから…。それで良しとしよう。
 一般の世間の人の寿命から考えても、シャキッとできるのは後せいぜい20年程度、人生の先は見えた。そんなことばかりに思いが至る今日この頃である。
映画三昧日記2007年ー10

●プログラムピクチャーの楽しさ
TVで何となく「県庁の星」をつけていたら、いつの間にか引き込まれて、ついつい暫し見続けてしまった。この映画、こんなに面白い映画だったっけ?
 県庁プロジェクトの目玉の民活のために、冴えないスーパーに派遣され、そこの実績を元に、華々しいポジションへの返り咲きしか考えないエリート織田裕二。16歳(つまり中卒です)の時から、そのスーパーのパートを勤め、店長よりもすべてを知り尽くし裏店長と呼ばれる20代半ばの柴咲コウが、指導員になる。ありそうでありえないフィクションで、深みはないがそれなりに現代をキャッチしている巧みな設定でもある。
 閑職の売り場をまかされた織田は「マニュアルを教えてください」。「そんなものありません」と柴崎。「では組織図を教えてください」「ありません」「それでよく仕事ができますね」「そんなものなくても動いていきますから。民間は!」結構、このやり取りは痛快だ。
 でも、柴咲コウがブラウン管から消えたら、ブラウン管から眼が離れていった。結局、柴咲コウというスターの力だった気もしてきた。
 織田裕二と柴咲コウのスター映画として、2本立の1本あたりで、ボケーッと見ているぶんには、結構楽しい映画だったのではないか。それを、1本1800円ロードショー、2大スター競演の超話題作なんて売りをするから、不満感が残ったのではないか。
 「海猿 LIMIT OF LOVE」を、地上波放映でこちらは初見した。ひどい、ひどいと聞いていたが、私はそれ程に思わなかった。洋画パニックのコピーではあるが、一応それなりのスケールで頑張っており、伊藤英明・加藤あいのスター映画としてもまずまずだろう。オリジナリティがゼロとか、パニックの最中の愛の告白というダサさとリアリティの無さとか、突っ込みどころはいくらでもあるが、大衆映画として一応客を集められるものになってるんじゃなかろうか。ただ、「県庁の星」のように劇場に足を運んで木戸銭払って観ていたら、私がそう感じたか否かは定かでない。
 この手の映画は、映画通の集まりでは虐待される。どちらかというと辛口ファンが少なく、できるだけ映画を楽しもうという雰囲気の「映画友の会」ですら例外ではない。司会の実行委員が「『県庁の星』(あるいは『海猿』)を見た人」と呼びかけると、約30人の中で数人以下の手しか上がらない。続いて司会者が「だいぶ世間とちがいますね。世間の映画ファンの集まりなら、ほとんどの人が見てる映画ですけどね。それでは良かった人」手の上がるのはゼロである。「何か一言ある人」…シーン…「それでは次の話題に移ります」まあ、こんなところだ。
 プログラムピクチャー2本立が壊滅し、私も含めて映画の楽しみ方が変ってしまったような気がする。昔は、「今週のはちょっといいな」「今回はかなり凄いぞ」「今日のはちょっとひどいな」と言いつつ、傑作も駄作もすべて楽しんじゃった気がする。映画を作品単位の点ではなく、線・面・群としての魅力で楽しんでいたのだ。
 今でこそ大傑作の位置に固定している「総長賭博」だが、公開当時「凄い」とは思ってもベストテン作品とかには思わなかった。何本も繰り返される「博奕打ち」シリーズの一本に過ぎず、「総長賭博」単独の魅力ではなく、膨大な任侠映画群の頂点グループの一本として楽しんでいたのだ。だから、駄作の任侠映画も併せて、もちろんそれなりに楽しんでいた。
「県庁の星」も「海猿 LIMIT OF LOVE」も、話題作・大作ロードショーでなく、そんなプログラムピクチャー群の中の一本として存在してれば、案外それなりに楽しめたのかもしれない。TV放映を見て感じた雑感である。
 監督・脚本・出演者が、続々と新作を送り出し、玉石混交取り混ざったピンク映画が、案外コンスタントに楽しめるのは、最後のプログラムピクチャーの匂いを残しているからではないだろうか。

●成海璃子の話題
「あしたの私のつくり方」の成海璃子に舌を巻いた。まだ14歳だそうだ。その彼女が小学校6年生の12歳から、高校1年生の16歳まで、思春期の女の子の微妙な心の襞を、見事なまでに演じきった。この出会いのインパクトは、「20世紀ノスタルジア」の当時ローティーンだった広末涼子に匹敵する。
「20世紀ノスタルジア」の広末涼子の存在感の輝きは鮮烈だった。暗い世紀末だった。でも、これを何年かたって振り返った時、きっといい時代だったとノスタルジアを感じるはずだ。そんな内容の映画だった。それが信じられた。こんな魅力的な少女が生きていた世紀末、素晴らしい時代だったに決まっている!そう納得させられた広末涼子だった。
 当時、私はこれをベストワンに推し、「映画友の会」でハシゃぎまくった。ただし、誤解を招くといけないので「断っておきますが、断じて私はロリコンではありません」と、必ず最後に付け加えた。これがまずかった。「周磨要ロリコン説」が、しばらく定着してしまった。今回も成海璃子をハシャぎ過ぎたので、この噂が再燃するかもしれない。
 15歳前後で、物凄い映画的存在感を見せる女優は珍しくない。これまで、前記の広末涼子以外でも、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の奥菜恵、「花とアリス」の鈴木杏・蒼井優といったあたりがそうだ。でも、彼女達は、そう作品を連打するわけでなく、知らないうちにいつしか大人の女優に成長していた。成海璃子はちがう。「あしたの私のつくり方」の他に「神童」「きみにしか聞こえない」と、短期間に3作も連打して、いずれも圧倒的な存在感だ。これはそうそう前例がない。
「あしたの私のつくり方」のプレミアム試写で、生の成海璃子の舞台挨拶を見た。映画の中と同様の大人っぽさに圧倒された。例えば「花とアリス」の鈴木杏は、スクリーン内ではあれだけ女の情感を迸らせたのに、舞台挨拶では蒼井優とキャーキャーはしゃいでいて、ほとんど子どもだった。女っぽさは岩井俊二の演出の力ということだろう。成海璃子は素顔の存在そのものが大人の女優だった。恐るべき14歳だ。新人賞は確実だろう。いや、一気に主演女優賞もありえよう。(私個人としては柴崎コウを押しのけてまでの気はないが…)
 それにしても、某週刊誌のグラビアが、成海璃子の水着や入浴姿を売り物にしていたのには呆れた。14歳の子どもの裸に興味もってどうする。しずかちゃんじゃないんだから…。私がロリコン的興味で見ていないことが、このことでも解っていただけると思う。(強調するあたり、ますます危ないと邪推されそうであるが)

●平成19年6月12日(火) ついに黄金の映画三昧の季節がきた!
 この日は誕生日、ついに60歳の還暦になりました!早速休暇をとってミニシアターめぐりだ。渋谷に出向きシネマライズ「恋愛睡眠のすすめ」、アミューズ「ボラット」とハシゴをする。「シニア!」と宣言するだけで木戸銭1000円!何と素晴らしいことか!
 これからは右手に「日本アカデミー賞協会会員証」、左手に「運転免許証」にて、メジャーは無料招待、インディーはシニア料金1000円での映画三昧の季節である。(もっとも、渋谷の2館では窓口で年令証明の書類提示を求められることはなかった。かつて白井佳夫さんが「自己申告制ですから顔に自信のある方はどうぞ」と阿佐ヶ谷映画村で言っていたから、そんなところかもしれない。だったら、昨日とそんなに顔が変わったわけでもないのだから、考えればおかしなものである)

速報!
「蛙の会」平成19年発表会が、10月7日(日)に決定しました。
今年もよろしくご支援をお願いします。情報は逐一紹介していきたいと思います。
映画三昧日記2007年ー9

「映芸マンスリー」スタート
平成19年5月14日(日)、月曜COREDOシアター「映芸マンスリー」がスタートした。主催はシアター&カンパニー「COREDO」と「映画芸術」、制作は「映画芸術」という布陣で、『季刊「映画芸術」誌がゲストを招いて開催する定期上映イベント』とのふれこみだ。会場のシアター&カンパニー「COREDO」は、地下鉄・千代田線「乃木坂」駅2番出口からすぐのところで、30人程度で満杯になるバー・スタイルの空間である。

第1回上映作品は、昨年9月に松竹が配給した「ホワイトルーム」、上映に先立ち、「映画芸術」武田俊彦編集長の進行で、映画評論家の野村正昭さんのトークショーがある。上映後は、斉藤久志監督、脚本の西田直子さん、劇中AV担当のカンパニー松尾監督、主演のともさと衣さんと川瀬陽太さんの関係者がズラリと並び、今度はポジションを変えて野村正昭さんが進行役である。「映画芸術」発行者で日本を代表する脚本家の一人にして映画監督の荒井晴彦さんが、「ホワイトルーム」脚本監修者でもあり「映芸マンスリー」第1回ということもあって、客席側に陣取っているという超豪華版のイベントだった。

私は、湯布院映画祭で荒井晴彦さんと野村正昭さんと顔馴染みで、期せずして湯布院同窓会というムードを楽しんだ。豪華ゲストで、製作意図やら撮影の裏話やらで進んでいくが、そのうち野村正昭さんが「会場の方の声も聞きましょう。といっても、なかなか出にくいような気もするので、顔見知りの方になって恐縮ですが、指名させていただきます」と、いやな雰囲気になってきた。まあ、それ自体は悪いことではないのだが、実は私はこの映画に乗れなかったのだ。喋ると辛口にならざるをえない。主要関係者を前にして、ちょっと気が重い。なんて思ってたら、来た来た、ご指名がきちゃったのである。

厳しい母親の呪縛から逃れるために奔放なAV出演を決意する娘がいる。しばらく後に、そのAVの撮影場所に住んだ若夫婦がいる。二つのお話が一つの部屋「ホワイトルーム」で連環し、AV部分の監督は実際のAV監督のカンパニー松尾にゆだねるというアイデアは面白い。

でも、主演カップルのともさと衣・川瀬陽太の、観念的というか、幼いというか、子どもっぽいというか、そんな所に停滞しているだけのドラマにかなりイライラした。これって夫婦以前だろ。ともさと衣は潔癖症で性器に触れることに異常なまでに拒否反応を示す。川瀬陽太は、時に口で処理してもらいたいこともあるのに、そんなことが適うわけもなく、意地になったり落ち込んだりする。結局それは、ともさと衣の子どもの頃のトラウマで、AVもどきに夫が妻の痴態を激写することで解消しましたなんて、描かれてもねェ。何とも言いようがない。

独身時代は風俗通いに励んだ川瀬陽太の友人の、夫婦の描き方はちょっと味がある。川瀬陽太は結婚を期に風俗通いを絶っているが、友人はまた通いだしたという。妊娠中の妻が口で処理をしてくれるのが、鬱陶しいという。悶々としていた川瀬陽太は、思い余って友人の妻に聞く。「なんで、口でできるの」「好きだから…」妻はポツリと答える。

「好きだから…」って台詞は、ちょっと安易で陳腐にしても、ワキのこのカップルは、夫婦というものをよく描いていたと思う。男と女が一緒に暮らしだすと、最初のうちは遠慮や気取りがある。でも、そんな他人行儀をいつまでも続けていたら持たない。次第に、相手の食べかけや食べ残しを平気で食べるようになり、相手の分泌物に対して免疫ができてくる。日常生活がそうなるだけでなく、夜の生活にもそれは反映されてくる。夫婦の夜というのが、何でもありになるのはそういうことである。結構なことかというと、そうとも言えない。お互いが馴れてきて、相手に神秘性を感じず、ときめきが希薄になってくる。それが夫婦というものなのである。そのあたりが、サブの部分ながら、よく描けていたような気がする。いや、メインがあまりにも夫婦以前の子どもっぽさで、退屈極まりなかったんで読みすぎただけだろうか。

野村正昭さんからご指名がきちゃったんで、メインのところはあまり関係者の前で辛口になり過ぎないように、モゴモゴ歯切れ悪く語り、サブの部分に良さを感じたとヨイショするしかなかった。ところが、その後の荒井晴彦さんが端的な指摘で凄いフォローをしてくれた。「だいたい、フェラしてくれなかった女房がフェラしてくれて嬉しかった、なんてそれだけのドラマしかない脚本なんだからさ」そのとおりであるが、さすが私はそこまでハッキリ言えなかった。

トークショー終了後、荒井晴彦さんと少々話をする。「サブの夫婦の話について、私は読みすぎですかね」「うん、あれは主人公夫婦に対する説明の役割だよな。でも、好きだから…と言った後の奥さんの微妙な表情は良かったな」やっぱり、私の好意的読み過ぎというところだろうか。脚本の西田直子さんは、相変わらず知的で控えめでチャーミングな方だったが、(既婚者かどうかは知らないが)やっぱり夫婦の深淵を描くのにはちょっとちがうんじゃないかな、との感じもした。

この日、「映芸マンスリー」の前に、私は「ドレスデン、運命の日」を見てきた。「つまらないね。第一、英国兵があんなに活躍しちゃ駄目だよ」荒井晴彦さんは否定的だった。私は「トンネル」に続いて、ローランド・ズゾ・リヒターの骨太な実録メロドラマとして結構楽しんだ。明日は大虐殺があることを知らずに生きていた者たちという点では、「明日」と類似の部分がある。ただ、すでに戦後を射程において内戦前夜の混沌としたドレスデンに対して、淡々と全市民が同じ方向を向いて生活していた長崎は、あまりにも違いすぎる。「それは、陸続きと島国との違いもあるな」と荒井晴彦さんは言う。「日本は内戦がなかったのはよくないと言われ続けましたが、実は良かったと最近感じるんですが…」と私。「だから日本人は駄目なんだよ。戦争を人ごとのように、今だに天災みたいに思ってるんだから」と荒井晴彦さん。そんな談論風発、「それではまた湯布院でよろしく」とこの日も楽しく終わったのであった。

「映芸マンスリー」、今後の企画に大いに期待していきたい。

●「ミーム・シネマサロン」もスタートする
平成19年5月16日(水)、奇しくも「映芸マンスリー」スタートの同月に、「ミーム・シネマサロン」がスタートした。こちらの主催は(株)デジタル・ミームで協力が(株)マツダ映画社、場所は無声映画鑑賞会の常設会場の門前仲町の門仲天井ホールだ。

(株)デジタル・ミームは、クラシック映画をテジタル化して保存・販売していこうという会社である。ミームは遺伝子のことで、クラシック映画の遺伝子を現代に継承していこうとの意味があるとのことだ。特別ゲストのトークショーとクラシック映画の上映で構成される。第1回は映画評論家の大御所の佐藤忠男さんの東映全盛時代を語るトークショーと、「独眼竜正宗」の上映。上映作品の選定は毎月の無声映画鑑賞会のテーマと連動させるそうだ。「独眼竜正宗」は4月の無声映画鑑賞会「時代劇にみる豪快人物伝」と連動している。6月は「巴里の屋根の下」、5月の無声映画鑑賞会「無声映画に観るパリの情景!」に連動しているのである。

この日も第1回であるだけに華やかで、澤登翠さんも来場していた。日本を代表する活動弁士にもかかわらず、本当に腰の低い方である。無声映画鑑賞会でお客さんと同じエレベーターになると、「どうぞ、どうぞ、お先に」と、乗り終わるまで自分は決して乗ろうとしない。この日も私ごときに「いつもありがとうございます。お世話になっています」と丁重にご挨拶されて、恐縮してしまった。

イベント的上映会は、これまでは月一の無声映画鑑賞会だけだったのだが、いっきょに3つに増えてしまった。6月末に再就職先の第二の定年を控えて、老後の楽しみが増えるのは結構なことである。

●再度「夫婦」というものを考える
ゴールデンウィークに中学の同級生の3番目の初恋の人(?何だそりゃ)と、帝釈天の門前町から矢切の渡し、野菊の小道を散策し、いろいろな話をした。彼女はバツイチで、私は「湯布院日記」でも記したように、娘と二人暮らしの小津映画状態である。彼女は言う。「別れた夫とは楽しかった思い出もあったはずなのに、いやなことしか憶えていないのね。別れがいやだったから、全部を早く忘れたいと思って、結局は楽しかったことも忘れてしまうのかしら。生別と死別のちがいよ」確かに子どもも二人いるわけだし、仲良く楽しい時代はあったはずだ。人の心とはそんなものなのだろうか。
 死別の相手に対しては、良かったことしか憶えていないのは確かだ。時間が経つとともにイメージは美化され増幅し、「あんないい女はいなかった。生きててほしかった」と想うようになる。死の悲しみを忘れるために、美しい思い出を時間とともに拡げていくということなのだろう。連れ合いに限らず、人は死ぬと仏になるとはそういうことなのかもしれない。

私の娘はけっこういける口で、最近よくいっしょに居酒屋に飲みにいく。たまに、こっちの方が二日酔いになる。「娘と飲んでると思って油断しちゃいけないんだな。飲兵衛の友達と飲んでると思わにゃいけないんだ」確かに飲兵衛同士だと相乗効果で酒が進み、二日酔いになるケースが多い。「そうだよ。私、いくら飲んでもケロリとしてるから、人を二日酔いにさせちゃう名人だよ」エラい娘を持ったものだ。
 妻(娘にとっては母)の思い出話も、時に出る。当然「生きててくれればよかったのにね」ということになる。ある時「黄泉がえり」(映画・原作を含めて)の話題になった。「でも、ホントに黄泉がえったら困るよね」「ウン、困るよね」てなことになった。生きてれば、多分私はこんな映画三昧に狂ってはいられまい。亡き妻は、明治生まれの母に育てられた女で踊りの名取でもあったから、古風で躾は無茶苦茶厳しかった。父娘で居酒屋に行くなんて「とんでもない!」てなことになったかもしれない。結構、夫婦喧嘩・母娘喧嘩をしたりしてるだろう。人は美点ばかりではない。嫌な側面も必ず持っている。全てを浄化し美だけに修練させてしまう「死」とは不思議なものだ。

還暦を間近に控えたせいか、同期生やそう年の離れていない友人の中で、ポツポツと妻を亡くす者を散見するようになった。私は「生臭いことを期待してガツガツしなければ、ガールフレンドは出来やすくなるよ」と慰めることにしている。40歳前後以上の女性で、キャリアウーマンやらバツイチやら、今はシングル志向の者がかなりいる。彼女たちによると、やはり妻帯者の友人はつきあいづらいそうだ。深い意味のない電話連絡でも、奥さんが出てくると、その後で「誰?今の誰なのよ!」とそんな雰囲気になってるのを感じるそうなのだ。いくつになろうと、夫婦とはそういうものだ。

「夫婦」のテーマについては、最近見た「あしたの私のつくり方」のサブエピソードでも、ちょっと感じることがあった。機会があれば「映画三昧日記」で紹介していきたい。
映画三昧日記2007年ー8

●「釣りバカ日誌18」エキストラ体験記
平成19年4月29日(日)、「釣りバカ日誌18」のエキストラを体験した。想像以上に楽しい一時を過ごすことができた。

ことの始まりは4月3日(火)に、東劇で「アルゼンチンババア」を観に行った時だった。ロビーに「映画『釣りバカ日誌18』エキストラ募集」のチラシが置いてあった。撮影日は「4月28日(土)または29日(日)のいずれか一日」、場所は「東京都港区 JR田町駅周辺」、設定は「鈴木一之助(三國連太郎)が、浜崎伝助(西田敏行)たち鈴木建設の社員を前にホールで講演をするシーン。今回募集するのは鈴木建設の社員役です(600名)」。ちょっと面白そうである。対象は「会社員に見える方(男女問わず。20〜60代)」とのことで、これはもろ私はサラリーマンなんだから絶対の自信がある。

「締め切りは4月5日(木)まで」とのことで、帰宅して早速予定のない29日(日)の申し込みメールを入れる。「アルゼンチンババア」は、前の映画三昧日記になぞらえれば、私にとって「ちょっと気になっており観ようか観まいか迷っている作品」に属し、日本アカデミー賞協会会員の無料招待特権がなければ、あるいは観なかったかもしれない1本である。締め切りの2日前に東劇に入場したのも奇しき縁で、ともあれこうした偶然の累積で、楽しく興味深い1日に出会うことができた。

撮影場所は戸板女子短気大学内の戸板ホール、指定されたスーツ(ネクタイ必須)の服装で現場入りする。鈴木建設の社旗が舞台奥に掲げられ、講演台が設置されて両脇には豪華な花が飾られている。当日の案内で「今作ではスーさん(三國連太郎)がついに会長に就任することになり、新社長に抜擢されたのはなんとあの堀田常務(鶴田忍)。鈴建社員を集めた大事な就任式で挨拶の内容をすっかり忘れてしまったスーさん、冷や汗だらだら。そのピンチを救うのは我らが浜ちゃん(西田敏行)の大演説!皆様には、立ち尽くすスーさんにハラハラしたり、浜ちゃんの演説に拍手喝采したりと、鈴建社員になりきっていただきます!」と設定が紹介される。とういうことで三國連太郎・西田敏行・鶴田忍はじめ、お馴染み谷啓や、加藤武・村野武範ほかの重役陣など、錚錚たるメンバーに混じっての撮影参加となった。

会場の着席場所に案内される。前の方のブロックだ。鈴木建設の社員バッジを襟につけるように指示される。これがチャチなシールなんだが、何となく「らしく」見えてしまうところが映画マジックだ。「このブロックは部長級以上の方々です。エリートの方、叩き上げの方、いろいろいらっしゃるでしょうが、それぞれなり切ってください」と助監督の人に説明される。この一角は、私と同年輩の方が多かった。実際に大企業の役職者(あるいは役職経験者)といった感じである。(かくいう私も東電の叩き上げ下級管理職で定年退職した身である)申し込みの年齢から、座るブロックを割り振ったようだ

助監督が全体の進行役を司っていたが、素人が退屈しないようにユーモラスに進めてくれたようだ。映画の撮影は順撮りというわけにはいかない。時間が常に前後してワープする。「わかりにくくてすみませんねえ。何故か、映画って順番どおりに撮らないんですよねえ」とボヤく。遠方から「そんなことわかんなくて、助監督やってたのか!」と、監督の冗談混じりの怒声が飛ぶ。「わかってます。わかってます。一つの段取りが終ったところで、まとめて撮るからですよね」漫才調の名コンビぶりだ。

映画撮影はとにかく待ち時間が多い。特にカメラのセッティングと照明に最も時間がかかる。私が最近かじり出した活弁や・素人寄席芸は、本番舞台上の15分なりの張り詰めた時間を走りぬくための稽古である。映画撮影は長時間の緊張の持続が必要だ。これは大変である。いや、人間はそんな長時間の緊張の持続は不可能だ。(この日の予定は9時〜20時)テスト・本番の集中と、待ち時間の弛緩。これをどうバランスを取って持続できるかだろう。それでも、講演台の前に立ったシーンの撮影に臨む三國連太郎さんは、待ち時間でも講演台の前に立ち続けている。集中と弛緩の心のバランスもさることながら、単純にこれは体力戦でもある。御高齢でもあり、その激務に応じているエネルギーには舌を巻いた。

でも、こうして集中と弛緩を繰り返しながら緊張を持続し、皆で創りあげていく映画は、ハマった人にはこたえられない魅力なのだろう。カメラ・照明・演技・被写体・音、すべてがそろわなければOKは出せない。何度かのテスト・本番の後、監督がやっとOKを出したら「監督、駄目です!監督がアングルの中に映っちゃいました」とカメラマン、こんな爆笑ものの一幕もあった。OKカットでも後日の確認で、編集でどれだけ捨てられる(最悪、完成作品には全く映ってない)かわからないエキストラ参加でも、苦労に苦労を重ねたカットにOKが出ると、ドッと喜びが沸く。これが人の心を映画製作に惹きつける魅力だろう。もっとも私としては、たまに経験するのはいいけれど、やっぱり映画ってのは見て楽しむもので、創る側に回るもんじゃないなとの実感だった。

現場の熱気に、私の姿勢も前向きになってくる。待ち時間はただ弛緩しているだけじゃなく、自分の役柄をシュミレーションする。黒澤明だったかと思うが、通行人に対しても、突然そこに現れたわけではなくあなたにもそれまでの人生があったように演じなさいとアドバイスしたそうだ。今村昌平はどんな端役に対しても、その人のそれまでの履歴を創り上げてノートにまとめて、出演者に示したという。私が鈴木建設社員としての半生をシュミレートしたところで、それが映るわけではないが、場の雰囲気つくりには役立つだろう。いや、そう思いたい。そんな風に感じさせる現場の熱気だった。

私は育ちがよくないから、エリート役職者ってわけにはいかないし、そう見えないな。まあ、叩き上げの部長といったところかな。(私自身も、東京電力の叩き上げ下級管理職で定年になったんだから、これはリアリティがあるだろう)でも、電気屋だから技術系で勤まったんで、土建屋の技術系のたくましさは私にはないな。事務屋の叩き上げ部長といったところだな。そんなつもりになって表情を創り列席することにした。そこまで凝ったところで、別にそれが画面に映るわけじゃないけれど、場の雰囲気創りには少しは貢献するんじゃなかろうか。映画の現場とは、人をそこまでのめり込ませる熱気というものがある。

会長就任講演でスーさんは絶句してしまう。「私はどこにいるんだ。これは何の集まりなんだ」と呆けてしまったかの呟きを口にする。「会長どうしちゃったんだろう」とのザワザワ演技がエキストラに要求される。突然、浜ちゃんが「スーさん。何も言わなくていい!」と会場の後ろから大声を上げる。そして、スーさんの戦後からこれまでの苦労を涙混じりに語り「言葉なんて…言葉なんてあるわけないよ」と泣き崩れる。さすが熱演である。隣席の谷啓さんの次長が「ありがとうございました」と呼応する。一瞬の静寂の後、散発的な拍手が徐々に広がり、絶句したにも関わらずスーさんへ拍手の嵐が爆発していく。

事務屋の叩き上げ部長の過去を、私はこんな形でシュミレートした。重役が、後輩のエリートを部長昇進させる人事案をスーさんに稟申したら、スーさんが「学歴や序列にこだわるのはよしなさい。実力から見て彼が適任でしょう」と言って、部長昇進ができたのである。もちろん直接社長のスーさんからその言葉を聞いたわけではない。伝聞でそのことを耳にして、今はスーさんに感謝と尊敬の念を抱いている。そんなつもりでスーさんの絶句に心配し、半分涙目で拍手した。映るわけもないのにご苦労な話である。でも、「映画の良さは、その映画に注いだ人のエネルギーの総和で決まる」と、かつて白井佳夫さんが言った。私のささやかなエネルギーも、映画の出来に貢献したと信じたいところである。

時間は開会前のシーンに巻き戻される。列席者が三々五々会場入りする雑然とした雰囲気の撮影である。通路側の席だった私は、席に向かって着席する何人かのうちの一人の役割が振られる。「部長さん以上の方々ですから、昔馴染みに出会ったりとか、そんな感じをお願いします」と助監督から指示がある。そこで何人かの人に挨拶しながら「遅くなりました。皆さんお早いですね。おっ、久し振り、なつかしいですねえ。私が本社を出て、支社勤務になった時以来ですねぇ。なつかしいなあ」とかやる。受ける人も見事なもので「今晩は東京泊ですか。久し振りに一杯どうですか。最近いいところをみつけたんですよ」と調子を合わせる。「このへんも変りましたねえ」「そうだ、この次は機会があったらススキノを案内して下さいよ」何だかわからないうちに私は鈴木建設札幌支社勤務になってしまった。後ろの人が肩を叩き「札幌支社は業績あげてますねえ」と声をかけてくる。ついに鈴木建設札幌支社営業部長ということになった。事務屋の叩き上げ部長という私のシュミレーションと狂ってないので、結構な話である。

お互いに身分を明かしたわけではないが、私のブロックにいた人は、多分サラリーマンの管理職(か経験者)と見た。そして、エキストラのようなものに興味があり、芝居っ気もある人たちと感じた。ザワザワ撮りはテスト・本番と繰り返し、カメラアングルを変えてさらに繰り返される。だんだんと会話のネタが豊富になり芝居も乗ってくる。「単身赴任でススキノで遊びまくってることへのやっかみもあるでしょうね」「では、懐かしさの中にやっかみの表情もいれますか」こういうアイデアがポンポン出るのは、サラリーマン管理職(か経験者)同士ならではだろう。単なるザワザワ撮りなのに乗りに乗ってよくやるよ、といった感じだ。これはプロの役者では出ない味だと思う。今回のエキストラ公募は、成功と私は見た。

昔、宇津井健の主演のこんなドラマを見た。サラリーマンの役職者が定年になり、ボーッとしてしまった宇津井健が、気晴らし混じりにエキストラに応募する。撮影で名優役の三木のり平が監督に怒られている。「大企業の管理職はそんな歩き方をしない!」そしてタイプを見て「あなた、ちょっとここ歩いてもらえます。ホラ、こういう風に歩くんだよ」宇津井健は普通に歩いただけだが、過去のキャリアは演技を越えるということだ。その後、タイプに合ったエキストラの口がどんどん舞い込み、エキストラ道に目覚め、定年呆けを克服していく。そんなドラマみたいなことがあったら面白いなとの妄想も一瞬描いていたが、もちろんそんなことはあるわきゃない。でも、そのことを思い出させてくれた楽しい一日であった。

カメラは演台の後ろから会場全景を捉えるアングルをまとめ撮りした後、会場後方からのアングルをまとめ撮りする。最後に会場内をブロック毎に撮るアングルに移る。最初に一番前の部長級以上役職者ブロックをまとめ撮りする。次はその後ろのブロック撮りへと順次移動する。だから、次のブロック撮影の時、我々のブロックの位置はカメラ設置場所になる。「役職者ブロックの方、すべて撮影は終了です。ありがとうございました」我々は一番最初に解放されたわけだ。予定の20時よりはるか前の16時前であった。「早かったですねえ」「撮影はアクシデントも想定してるから、余裕時間を見たんでしょうね」「高齢者ばかりだから、血圧でも上がってひっくり返る人が出る前に解放したんじゃないですか」そんな他愛もない会話を交わしながら、出口で御礼の「ここでしかもらえない記念品(非売品)」(「釣りバカ18」のロゴ入りバッグ、それ以外は昼食弁当支給のみでギャラはない)を受け取り、それぞれ帰宅の道についたのであった。
映画三昧日記2007年ー7

●「北国浪漫」落穂ひろい
「北国浪漫」活弁入りカラオケ大会で、私が本番の記憶がないくらい緊張したことを紹介したが、他の参加者も緊張している人は結構多かった。
 講評で審査委員長が紹介したが、「愛しているのに 一緒になれぬ」の歌詞を「愛しているのに 一緒になれた」と歌った人がいた。「一緒になれたら、何も問題ないですね」と委員長、これには場内が大爆笑だった。


●平成19年4月14日(土)〜15日(日) ピンク映画大賞の話題あれこれ
ピンク映画大賞の授賞式出席から、徹夜の打ち上げへのエピソードの数々をご紹介します。

・「蛙の会」の飯田豊一先生と中原路津さんが来場していた。中原路津さんは、昨年の発表会冒頭ご挨拶にて、私とのコンビで「蛙の会」「活弁」「街頭紙芝居」を紹介した妙齢の若い女性である。「蛙の会」会員は、いろいろなところで見聞を広めていることを痛感した。確かに女性がピンク映画を見ようと思ったら、こういう場所しかないだろう。

・今年の徹夜の打ち上げも何とか体力が持った。還暦を間近に控えている身で、来年以降はどうなるんだろうか。そろそろこちらの方も定年を考えるかな。何ったって「PG」投票者の最高齢である。冗談めかして「定年ってあるんですかね?」と林田義行編集長に水を向けたら、「そういうことは全く考えてません」って、まあ当然だろうな。

・来年の参加が危惧されることが、もう一つある。投票資格は封切作品25本以上鑑賞ということだが、4月も半ばになるのに私はまだ4本しか観ていない。でも、毎年打ち上げに参加するたびに、やっぱり次回も参加したいとの思いが強くなる。これから馬力をかけるとしよう。

・鑑賞作品が増えない理由は他にもある。昨年のピンク映画の新作は79本で、ついに80本を割り込んだ。新作の減少のためか、3本立のうち2本が新作ということは殆どなくなった。1回足を運んで稼げるのは1本なのである。
林田編集長に「この際、本数も減っていることだし、投票資格を見直しませんか?」とカマをかける。「でもねえ、ベストテン選出するのに、20本にしちゃったらねェ…。いっそ50本に上げますか」「ちょちょっと、見直すならば年の始めに言ってください」うろたえる私でありました。

・常連投票者の「ぢーこ」さんと1年ぶりの旧交を暖める。ぢーこさんは岐阜から毎年参加している熱心な方であるが、衝撃的なニュースを耳にする。地元の専門館が閉館になりそうなのである。そうすると、名古屋まで足を伸ばすしかなく、金銭的にも時間的にも、投票資格をゲットするだけの鑑賞本数は無理だとのことだ。「一般客として参加しても、おなじみのぢーこさんなんだから、打ち上げに加わるのは林田さんも反対しないんじゃないですか」と私。「でも、本数をあまり観ていないで打ち上げに参加しても、それもつまらないですね」とぢーこさん。永遠というものは無い、世の中は移ろっていくんだな、と何か寂しい思いが吹き抜ける。湯布院映画祭のお馴染みおたべちゃんが「由布院レポート」で、涙まじりに「来年も、会えるよね?」とアップしていた心境が頭をかすめた。

・ピンク映画大賞は、今年で19回を重ねる。このくらい長丁場になると「来年はどうなるかわからない」と弱気の発言が出てくるものだ。歴史と伝統を誇る湯布院映画祭ですら「30回で有終の美の打ち止めにするか」なんて声があった。林田編集長にそのあたりを話題にしたら、「やりますよ。ずっと。やめるなんて思ってません」との心強い返事だった。「来年は20回ですね。記念の企画なんてありますか」との問いにも、淡々として「何もありません。自然体でやってきます」と、最も頼もしい答がかえってきた。

・昨年の特別賞は目玉が乏しかったと思う。書籍「女優 林由美香」(柳下毅一郎・著)は悪くはないだろうが、2年連続で由美香さんがらみというのもどうかと思う。それ自体が目玉がなかったことの証左ではあるのだが…。逆に昨年は急逝した林由美香さんが圧倒的な支持(私なんか1票投じない奴は「非国民」とまで言ってしまった)を集めたため、割を食ったのがいくつもあった。「PG」発刊100号なんて例年だったら授賞確実だったんじゃなかろうか。ピンク映画史を総括したドキュメンタリー「ピンクリボン」という力作もあった。今年は確かにその手のやつがない。

・昨年の私の特別賞は、思い切って私的思い入れで河本晃とした。三遊亭円朝の「牡丹燈篭」を原作とした「熟母・娘 乱交」の脚本によるものである。河本晃は落語通で、昨年9月から今年の2月にかけて7回にわたって「夢月亭清麿ひとり」というユニークな独演会を企画制作した。その持ち味がフルに発揮された好脚本で、期せずして「夢月亭清麿ひとり」の年に映画化されたことも含めての推薦である。今年に入って中田秀夫監督の同じ三遊亭円朝・原作の「怪談」の映画化が話題になっているが、その先取りでもあった。

・今年の特別賞は目玉がいろいろありそうだ。まず筆頭はピンク映画大賞20回だろう。これは大変な偉業だ。「PG」発刊100号が受賞タイミングを逸したのだから、是非この機会の授賞を願いたい。ただ、池島ゆたか監督が授賞あいさつで、今年で監督作品が百本に到達するとのことを語った。これも十分に特別賞候補だろうが、やはりここはピンク映画大賞20回を推さざるをえない。

・池島監督へ、この話題で口火を切る。「監督作品100本は十分特別賞に値しますけど、やはりピンク映画大賞20回ですよね。でも監督、私は早くも男優賞・池島ゆたかで決定と思ってます。『ふしだら慕情 白肌を舐める舌』の初老男の哀愁の素晴らしさ!特別賞の代わりといっては何ですが、私は一押しです」と、「ピンク映画カタログ」で記した内容を中心に絶賛した。俳優・池島ゆたかとしては、この後も意欲作の隠し玉が控えているようで、男優賞についても意欲満々と見えた。

・監督賞授賞挨拶で、「役者から監督になったら、体力を使わないのに何でこんなに疲れるんだろうと思ったら、監督は頭を使うからなんですね」と語っていた。だから、役者として参加した「ふしだら慕情」では、ノビノビさせてもらったとのことだった。私の俳優・池島ゆたか絶賛に対して、「全部が監督の力ですよ。荒木太郎監督に聞かせたいなあ」とのことだった。
  役者の良さということに関しては、池島監督から興味深い話を伺った。「ホスト狂い 渇かない蜜汁」で「たんぽぽおさむ」の好演が話題になっているが、撮影はスムーズでなく苦労が多かったそうだ。黒澤明の「うまくいかなくて苦労した役者さんを、評論家はほめるんだよね」との言を私がひきあいに出し、しばし監督=俳優論議に暮れたのであった。

・「映画監督って何だ」という映画があったが、本当に監督とは演出とは何なんだろう。黒澤明とか木下惠介とか、言語化し易い個性・特長のある演出はいいとして、例えば根岸吉太郎みたいに、どうってことないみたいなのに溜息が出るほど「うまいなあ」と思わせる秘密は何なんだろう。今回ベストワン作品に輝いた竹洞哲也監督もそのタイプに属する。
  竹洞監督は授賞式挨拶で、「僕は何もしてません。みんながやってくれるんです」とサラリとスピーチしていた。以前、いまおかしんじ監督に「映画芸術」の忘年会で、「どうということない映像に思えるのに、物凄くパワーがあるのは何故ですか」と聞いたことがある。いまおか監督も同様に、自分は何もせず回りがやってくれるとの意味のことを語っていた。どうもこの種の監督は、そろって似たようなことを言う。演出の秘密というのが、なかなか解らない。
打ち上げの席で、そのあたりの秘密をさらに竹洞監督に迫る。「さあねえ、脚本がいいんじゃないですか」と相変わらずの調子だ。そこでベストワン作品の「悩殺若女将 色っぽい腰つき」のヒロイン吉沢明歩が背負っている蛙のぬいぐるみと「ケロケロ」の呟きは、脚本にあったんですかと聞いたら、現場の処理だという。そういうディティールの積み重ねが、一見平凡なピンクパターンの筋立てを、味わい深いものにしていくということになりそうである。

・ぢーこさんが、新人女優賞の春咲いつか評に原稿を寄せている。あえて私の「ピンク映画カタログ」に異を称えたとのことだ。「昭和エロ浪漫 生娘の恥じらい」に関してである。私も、低予算の中でよく昭和の雰囲気を出した良い映画だと思う。唯一の瑕疵は女優である。「恥じらい」とか「傷もの」とかいう言葉が存在した昭和の娘の顔を、全員がしていないのである。平成の奔放な娘の表情でしかない。ただ、ぢーこさんも含めて、一般的には女優陣がよく演ったと概ね好評なようで、それは同作出演の日高ゆりあも新人女優賞を授賞している結果にも現れている。

・この件に関して、池島ゆたか監督にお話を伺う。池島監督は私の一歳下で同世代である。率直に私の感想を述べて、「監督は女優さんの演技に満足しましたか」と聞いてみた。結果はノーであった。でも、予算と時間が無尽蔵にあればともかく、あのへんで手を打つしかなかったとのことである。「だけど、あの映画の最も瑕疵と思うところが好評で、女優さんが授賞してるのが納得できないですね」と、私はボヤいた。

・気が付いたら、当事者の1人の春咲いつかさんが反対隣にいて耳を傾けている。バツが悪くなり「あっ爺いのタワ言と聞き流してください。票を集めて授賞したということは、みんなの評価はそういうことだということで…」とフォローする。「いえ、参考になります」と謙虚である。池島監督が「授賞したんだから、よく演ったことはまちがいないけど、当時を知っている人にはやはり物足りなくみえたんだから、それは受け止めなければいけない」とアドバイスする。「はい」と最後まで謙虚だった春咲いつかさんでした。

・こういうのは実は悩ましい問題だ。私は「春の雪」を評価するものだが、主演の竹内結子に関する世評は、洋装はともかく和服の着こなしは見るに耐えないと、辛口であった。私も、当初三島文学の永遠のヒロイン綾蔵聡子を竹内結子が演じるとはいかがなものかと思っていた。ただ、映画自体は、行定勲の演出が、大型画面を活かした私好みだったので、概ね甘くなった。酷評を浴びた和服の着こなしも、私は「まあ、今の娘が演るんだから、あんなもんじゃないの」といった感想だった。期待してなかった反動といったところである。そう考えると、私は「昭和エロ浪漫」の女優陣には、辛口だったかもしれない。

・リアルタイムに時代を知っているのは、感覚のうえでどうにもならないものがありそうだ。昨年の衆目の一致する邦画代表は、どうやら「フラガール」に落ち着いたようであるが、「湯布院映画祭」でも「映画友の会」でもみんなそろって弾けてるのに、私だけが憮然としている気まずい空気をこの映画で味わった。(「映画友の会」では「嫌われ松子の一生」と共に同点一位に輝いた。ちなみにベストワン2本というのは「映画友の会」史上初である)でも、幼いとはいえリアルタイムで(といってもマスコミを通じてだが)炭鉱閉鎖の悲劇の空気を感じた者にとっては、前半のリアルな描写がどうしても重く引っ掛かってしまうのだ。これは理屈じゃない。
  時代劇にやたら口うるさくなったのも「爺いになったなあ」と、我ながら思う。これも理屈じゃないのだ。私は歴史に詳しいわけじゃないし、和服の作法を知っているわけでもない。ただ、子どもの頃から東映を中心にした時代劇を沢山見ている刷り込みから、感覚的に「あっ、これちがうな」となってしまうのである。

・ピンク男優の顔ともいえる「なかみつせいじ」さんと、今回初めて親しく歓談させていただいた。でも、いつもスクリーンで見慣れている人と顔つき合せて話すのは、何とも奇妙な感じである。あまりにも多作な方なので、作品の話題が出そうで出てこない。ご本人も作品が終わったら、次に向かうのみで後は振り返らないとのことだった。それでも、私の「ピンク映画カタログ」のプリントアウトしたものをながめながら、何とか出演作品の話題をみつけていった。話しの流れで、私が活弁の勉強をしていることを紹介した。「どうりで言葉の始めと語尾がきちんとされていて、滑舌がいいですね」ワーッ!プロに誉められてしまった!! 言葉の始めと語尾が流れる素人特有の弱点が克服課題だと、かねてから思っていたが、少しは勉強の成果があがってきたのだろうか。

・話題はもどって、授賞式会場にワープする。例によって現代映像研究会の松島政一会長のリードにより、今年は池島ゆたか監督と日高ゆりあさんのトリオで進行した。段取りいっさい無しと言い訳していたが、今年は記録的なしどろもどろぶりだった。声をかけても予定者がいつまでも登壇してこない。技術賞のカメラマン創優和氏が来場してるつもりで呼びかけたら、結局来てなかったとか、途中まで授賞式での楯の授与を失念してたとか、笑いに笑えぬチグハグぶりとなった。
 飯田豊一先生が「他山の石として『蛙の会』発表会の今年の進行はしっかりやろうな」と仰った。松島政一会長、引き合いに出しちゃってスミマセン。
 でも、これはこれで松島会長の、時間つなぎの悪戦苦闘の巧まざる面白さがあった。時間つないでください、と片っ端から近場の人に振りまくり、いつもは口数が多すぎて松島会長から発言をさえぎられてる池島ゆたか監督が、この時とばかり長広舌をふるったり(監督作品100本達成間近かの話題もこの時に出た)、突然お鉢が回って日高ゆりあさんがオロオロしたりと、まあいろいろ見せてはくれました。

・ベストテン作品関係者一同が登壇したら、「映画友の会」の古い友人で日活出身の編集者・鵜飼邦彦さんの姿が見えた。挨拶の時に大仰に拍手をした。続いて脚本家・監督の常連の樫原辰郎さん改め樫原新辰郎さんの時も大仰に拍手した。樫原さんは私に気が付いたようで、チラリと私に視線を走らせ、軽く指差した。これで、今日の打ち上げはますます楽しくなるぞと思ったが、お二方は吉行由美さんのグループと別行動をしたとのことで残念であった。

・でも、それは残念だったにせよ、今年も夜を徹して様々な人と様々な話しができた。気が付けば午前5時を回りお開きの時間となった。会場の外に出ると、白々と空は明けきっていた。こうして、それぞれの人がそれぞれの思いを胸いっぱいに、夜明けの池袋の街を散会していったのである。
映画三昧日記2007年ー6

いろいろありまして、永らくご無沙汰してしまいました。
今年に入って私の快調ぶりにはちょっと空恐ろしいものがある。

●日本アカデミー賞協会会員としての2007年
1月5日から日本アカデミー賞協会会員として、年が明けた。主要劇場無料招待の権利というのは、本当に素晴らしいものがある。

これまで私が映画を見る時、「1.絶対に観たい作品」「2.時間の都合など機会があれば観たい作品」「3.ちょっと気になっており観ようか観まいか迷っている作品」の3種があった。3については、信頼するプロパーの批評が良かったり、信頼に足る友人の勧めがあったりの、「いわゆる背中押しポン」によって見る作品を選んでいた。ところが、今は無料招待、必死に時間をひねり出して、悩むことなく1から3まで全部しらみつぶしに観まくっている。

例えばアニメなどは、「ワンピース」「ドラえもん」「クレしん」「コナン」「ピカチュー」を総なめにするつもりだ。(例年は必ず見るのは「コナン」くらい。後はTV放映録画でお茶をにごすことが多い)さすがに「ムシキングテリー」「アンパンマン」「ケロロ」なんかはパスするかなと思うが、いやいや「ムシキングテリー」はプロレス・キャラにもなってるし、プロレス者としては、これも見ずばなるまいと、見るべき映画は無尽蔵に増えてしまうのだ。ということで、3月末現在で権利活用鑑賞は56本!

余談だがリングでのムシキングテリーの正体は鈴木鼓太郎、ムシキングジョーカーはリッキー・マルビンと私は推察しているが、正しいんでしょうか。どなたか、私以上のプロレス者の方、ご教授ください。

話を映画にもどして、てなことで土曜日は日本アカデミー賞協会会員権利活用の日(前にも述べたが、原則的に協会会員は映画製作関係者ということから、お客さま本位という業界の健全な精神を貫き、初日・日曜・祭日などは活用できない)として、日曜をミニシアターやピンク映画の日にしているのだが、これで滅茶苦茶に忙しくなってしまった。

ピンク映画鑑賞はやたらとサボる結果になり、3月末なのに今年度封切鑑賞作品はたった2本というていたらく、来年は投票権をゲットできるかどうか、怪しくなってきた昨今だ。それで「ピンク映画カタログ」も長期休業、「映画三昧日記」を書く暇もロクロクなく、後述するがその他にもいろいろあって、永のご無沙汰となった次第である。6月末には定年退職となり、時間は取れるようになるので、そこで一気に走っての挽回を目論んでいる。

●映画検定1級合格!
年明け早々の1月12日(金)、昨年の12月3日(日)に受検した映画検定1級の合格通知がきた。これにからんで、意外や新たな地平が広がりそうな話が、続々舞い込んできた。

2月21日(水)、1級の合格者を対象に「映画検定HPプロジェクト」への参加の呼びかけがあった。面白そうなので手を上げたところ、3月23日(金)に84名の参加があったことの連絡と、コンテンツ・運営方法の紹介および第1回原稿募集要項の通知があった。締切4月20日(金)、目下は原稿草案を構想中である。今後の展開によっては原稿料も期待できるとかで(まあ、あんまりアテにしないが)、何か面白くなりそうな予感がある。

2月28日(水)には、同じく1級の合格者を対象に「スター・チャンネル」の企画で、「シネマ予備校」の問題と解説の募集がきた。「ウエスト・サイド物語」「大脱走」「明日に向かって撃て!」「羊たちの沈黙」「ダイ・ハード」の5月20日(土)一挙放送に連動して、関連する問題も放送するとのことである。この締切が3月15日(木)だった。

問題を作るには、ちょっとしたひっかけが必要で工夫のいるところだが、400字の「解説」というのは結構な重労働で、面白そうな解説も念頭に置き、問題作成せねばならぬということだ。意外と手間暇のかかる作業であった。でも、楽しい作業でもあった。

映画検定1級でキネマ旬報「読者の映画評」の堂々たる大関の友人須田総一郎さんも応募したそうで、「映画友の会」で会った時に話題とした。そこで、私の問題の致命的なミスを発見された。「サイコ」を4択解答の一つに上げたのだが、ヒッチコック版(ガス・ヴァン・サント版もありますね)と明記しないと、問題として成立しないのだ。須田さんとは、公式テキストブックや問題集の間違い探しをしたりして、「参考図書の間違いを指摘せよ、ってのも問題になるね」なんて笑ったりしていた。「読者の映画評」の大関から幕下に転落した私は、嫉妬混じりに大関から横綱(すなわちプロデビュー)に昇格した参考図書執筆者の一人の中西愛子さんに、キネ旬通信欄で「責任をとりなさい!」なんて嫌味を書いてしまった。ミスは誰にもあること、人のことはうっかり批難してはいけませんね。

ということで、金にはならないが、暇はタップリつぶせる話が、年明けに連続して飛び込んでくる昨今である。(この前には2月25日(木)締切のPGベストテンの投票を済ませ、その後「PG」から3月20日(火)締切の原稿依頼もあった。おお、忙し!)


●「北国浪漫」活弁入りカラオケ大会にて「優秀活弁賞」授賞!
2月25日(日)「北国浪漫」活弁入りカラオケ大会にて「優秀活弁賞」を授賞したのは、前に紹介した。これについても「蛙の会」会長から、4月発行の「無声映画鑑賞会」会報の原稿を頼まれた。前項の映画検定がらみも含めて、次々とめまぐるしき限りである。それやこれやで「映画三昧日記」の時間が取れず、証文の出し遅れみたいに、今頃この件を取り上げることをご容赦ください。

「北国浪漫」は活弁入り演歌である。故松田春翠師の活弁に、あい&もも香という新人歌手のデュエットをコラボレートしたリバイバルソングだ。発売を記念して世界初(そりゃ活弁は日本しかないんだから当然だ)の活弁入りカラオケ大会の開催となった。

昨年秋の「無声映画鑑賞会」で、私はこの催しを知った。CD(カセット)宣伝も兼ねてあい&もも香が2回ほど来場し、華やかに歌って見せた。予告なしだったので、こういう飛び入りライブに出会うと、ずいぶん得した気分になるものだ。そこで「活弁入りカラオケ大会」開催の紹介もあった。

エントリー部門はソロ歌唱、デュエット歌唱、活弁(江戸弁の他方言可)、グループ(デュエット+活弁)とあり、予選はテープ審査で、締切は大晦日の12月31日(日)必着だった。エントリーのためには、応募用紙に歌詞カードNoを貼りつけねばならず、カラオケテープはあい&もも香のCD(カセット)に併せて収録されているのだから、早い話が購入せねば予選にエントリーできないわけだ。実も蓋もない言い方をすれば、販売活動の一環ということになってしまうが、まあ、何でも挑戦、勇躍と私はエントリーを決断した。

ここで「北国浪漫」の歌詞・活弁・台詞を紹介しておこう。

<活弁>雪が降る降る 雪が降る ここさいはての街に雪が降る
    親に反対され 世間にそむかれ 一筋の愛に生きて
    北国の吹雪のなかに散った 男と女の 女と男の
    それはあまりにもはかない 青春であった

<歌> 愛しているのに 一緒になれぬ 運命(さだめ)がにくい 人の世の
    どうにもならぬと 言いながら 吹雪のなかを 吹雪のなかを 消えた人

<台詞>幸せってなんなの 白い雪と共に消えてしまうものなの それとも夢なの…
    私はいや いや だからどんなにつらくとも 生きていきたい

<歌> 流れる涙が からだの骨に 冷たくしみる 雪野原
    生まれて来なけりゃ よかったと 幸せうすい 幸せうすい 北の果て

<台詞>死んで二人が天国で結ばれるなんて そんなの嘘よ 嘘なのよ…

<活弁>舞う粉雪に まぼろしの 恋しい人の面影を いつか映して また消える

<歌> あなたの面影 抱きしめながら さまよい歩く 雪の中
    はかない女の 恋一度 名のみの春よ 名のみの春よ なぜ遠い

<活弁>雪が降る降る 雪が降る ここさいはての街に雪が降る
    いつまでも語りつがれる 男と女の 女と男の 悲恋物語
    はたして二人の運命やいかに 北国浪漫 全編の終わり

活弁入り演歌の勝負どころは、例えばプロローグなら、最後の「…それはあまりにもはかない青春であった」と語り終わったタイミングで、前奏曲がグッ高まり、心地よく歌につなげられるか否かだ。その意味では、話術・話芸もさることながら、映像のリズムにピッタリと乗せる実際の活弁に近いものがある。

エントリーを決断したが、謙遜でなく予選通過も難しいだろうというのが、私の本音だった。私の声質は「北国浪漫」のような甘い題材に、全く向いていない。私の活弁の演目の選定は、多くを飯田豊一先生に頼っているが、「血煙荒神山」「雪の渡り鳥」「国定忠次」「月形半平太」「旗本退屈男」と並べてみても、骨っぽく男っぽい世界が合っていることが伺える。どうみたって「北国浪漫」という声も顔もしていない。(顔で声出すわけじゃないけど)入賞に至ったのは、私の力というよりは、御指導などさまざまな形で支援していただいた多くの方のおかげである。

年末に「将棋寄席」があった。当然それに先立ち、名にしおう厳しさの「あっち亭こっち」師匠主催の「稽古会」がある。そこにあつかましくも、私の活弁も相乗りし、皆様の御指導をいただくことを目論んだ。ところが、私もロケハン協力で端くれに関わった新作落語「千住詣り」お披露目の「夢月亭清麿ひとり」12月19日(火)と、見事にバッティングしてしまって、残念ながらとのことに相成った。

ところが嬉しくもあっち亭の師匠は後日の21日(木)に「稽古会」をセッティングしてくれるという。「将棋寄席」の関係者と「夢月亭清麿ひとり」の常連客がかなりダブっているので、集客に影響を与えたことを気にかけてくださったみたいだ。気配りの人である。(ちなみに「稽古会」が19日(火)なったのは将棋連盟顧問弁護士の木村家べんご志先生のご都合とのこと。そんな大物の方の都合じゃいたしかたない)かくして、21日(木)に私のためだけの「稽古会」が実現した。集まってくれたあっち亭師匠、飯田先生、東京モンキーズのMISAKOさん(玉川奈々福後援会長でもある)、「蛙の会」会員の中原路津さんには、感謝、感謝だ。

「稽古会」に臨むにあたって、私は3バージョンを準備した。一つめは、朗々と謳いあげる松田春翠師に準拠したバージョンだ。二つめは佐々木亜希子さんの限りなく朗読に近い活弁バージョンである。(ちなみに「伊豆の踊子」「結婚哲学」と最近相次いで聞いた佐々木亜希子さんの口演で、佐々木さんは朗読調を個性にした新たな活弁の世界を確立しつつあると感じた)三つめは二者の中間バージョンである。自己評価では中間バージョンが最良だと思っていた。

飯田先生以下の評としては、限りなく佐々木亜希子さんに近い朗読バージョンが最適とのことだった。元々私は声質が重いので、春翠師のごとく朗々とうたいあげて、尚且つ軽やかさを出すことはできない。逆に限りなく佐々木さんのような朗読調に近づけても、声質から自然と活弁調が出るとのことであった。本当に「稽古会」をしていただいて良かった。こういうことは、第三者に言われないとわからないものである。

テープ録音にあたっては、図々しくも「蛙の会」例会の後で会長に甘えて、会場のマツダ映画社試写室の設備のお世話になった。会長も乗ってくれて、例会の中の演習教材としても採用し活用して、テープ作成にあたっては、録音状態を良くするべくいろいろマイクを準備していただいた。

それやこれや多くの方の多大なご支援を得て年明けの1月に、予選通過・決勝大会実施の案内が来た!(場所は江戸川橋のキング関口台スタジオ)

キング関口台スタジオに入る早々に、表彰状とメダルが渡される。400名近い応募があり76名が決勝進出とのことだった。関口台スタジオは東洋一とのことで、まあキングレコードの人がいうのだから話半分としても、立派なスタジオであることはまちがいない。キングレコードの主要な収録はほとんどここだそうだ。司会の人が「仮に入賞しなくても、ここで歌ったことを思い出にして下さい。あ、いや、皆様すでに表彰状とメダルをもらいましたように、ここに来たこと自体が入賞です」と、場を盛り上げる。

カラオケ大会なるものには、こんな活弁入りという企画がなければ、私はまず一生参加しなかったろう。貴重な体験だった。ブームと言われていたが、カラオケの盛んぶりを実感した。サークルからの参加も少なくないようで、あちらこちらで顔見知りの交友の輪が広がっていたようだ。

とりわけ凄いのはおばさんパワー!、あ、今はおばさんはセクハラ用語ですね。言い直します。熟年の女性パワー!衣装もオリジナルのあい&もも香の袴姿はもちろん、艶やかな和服あり、煌びやかなドレスあり、中にはセーラー服コンビもいた。これをグロテスクと見るか無邪気と見るかは意見の分かれるところだが、私は微笑ましい光景と見た。

セーラー服コンビの熟年女性は、コスチューム賞をゲットした。受賞者インタビューの「衣装はどこでもとめられましたか」に対し「娘のを借りました」と答えていた。帰宅して我が娘にそのことを話したら、「でも、娘のセーラー服が入るなんて、それはそれで凄いことだよ」と言っていた。なるほど、女ならではの視点ってあるもんだ。そういえば御二方ともスリムではありました。

主催者の方の言では、今回はカラオケ大会の中でも、とりわけ衣装が華やかだったそうだ。活弁入りというユニークな企画が、功を奏したということなのかもしれない。(女性の台詞入りというのも相乗効果があったろう)活弁の男どもも結構乗っていて、燕尾服はもちろん付け髭・付け鼻の人までいた。私は「蛙の会」の舞台姿の黒い礼服に蝶ネクタイで臨んだ。蝶ネクタイは、オーソドックスな黒でいくか、社会人寄席芸用の真っ赤でド派手なでかいやつにするか悩んだが、飯田先生のアドバイスでド派手で決めたが、正解であった。

エントリーは三十数組の多数であり、ギャラリーもいるので、広いスタジオとはいえとても入りきらない。そこで至近の十組程度単位にギャラリーも含めて入室し、残りは外で待機となる。スタジオ内の音声は廊下やロビーにも流される。そこで、練習がてらにスタジオ外で唱和する人も少なくない。スタジオ外での「北国浪漫」大合唱という何とも熱気に溢れた光景が展開された。大会は、時間の関係もあり2コーラス歌唱のみで、活弁の「舞う粉雪に まぼろしの 恋しい人の面影を いつか映して また消える」が終わったところで、伴奏がフェイドアウトしていく形で進められた。

エントリーは三十数組だが、活弁は二十人程度だった。グループでのエントリー以外は適当にチームを組まされ、活弁の足らない分は春翠師のテープを流す形で進められた。私は、あい&もも香の袴の衣装とほとんど寸分違わぬ熟年コンビのデュエットと組むことになった。(わざわざ専門店であい&もも香と同じものを調達したそうだ)歌につなぎやすいように活弁を語らねばならない。私が足を引っ張ったんじゃ申し訳ない。「春翠先生の名調子に合せて歌えないことになりすみません」と挨拶する。終わった後「上手な方と組ませていただいて良かったです」と、ヨイショされる。でも、結果として私は入賞したのだから、率直な実感だったのかもしれない。我が事のように授賞を喜んでくれた。

審査員には予想どおり澤登翠さんが参加していた。(活弁審査に関しては、この人しかいないのはまちがいない)優秀活弁賞で澤登さんから賞状を読み上げ授与されるという光栄に賜った。澤登さんは、時に重々しく、途中は軽妙に、おどけた調子も交え、七色の声で表彰の場もエンタテインメントにしてくれた。もっともこの日は、ここでしか澤登さんの話芸の聞かせどころはないのだから、当然かもしれない。

最優秀歌唱賞の関口博子さんは若い女性のソロであった。カラオケの世界では有名人みたいで、「あの人が出場したんじゃ、決まりよね」といった声も耳にした。カラオケも同好の士のネットワークができているみたいである。

私の自己評価としては、良かったか悪かったかは分からない。本番の記憶があまりないのだ。やっぱり緊張していたんだろう。最優秀活弁賞は東北弁バージョンの根本正雄さんに持ってかれた。妥当なところだろう。正統派で押す限りは、オリジナルの松田春翠師を超えられるわけもなく、結局引き立て役に過ぎないのである。今澤雅一さんという方の活弁は素晴らしかった。逆立ちしても私は適わないと思った。これで俺は駄目だなと思ったが、その人はグループエントリーだったので、ベストグループ賞で授賞した。救われた。今澤さんは教師だそうである。「蛙の会」会員も教師が多いが、講義は話芸に通ずということだろうか。優秀活弁賞は平田桂さんと私の二人で、実施報告で私の名前の方が下でアイウエオ順を無視しているから、私はかろうじて引っ掛かったということであろう。入賞盾はものすごく立派だった。大きくて自宅に飾る場所がない。床の間もいっしょにちょうだいよと言いたくなった。かろうじての入賞だと思うが、私の声質から鑑みれば、皆様の協力をいただいてよくやったともいえる。この際、誰かの言ではないが自分で自分をほめてあげたい。

日本アカデミー賞協会会員として年が明け、映画検定1級合格、「北国浪漫」カラオケ大会の優秀活弁賞と乗りまくっている。とりわけ日本アカデミー賞協会会員特権は「映画友の会」ではニコやかな祝福の陰の「嫉妬の嵐」(?)を受けている。「これで今年の運はすべて使いつくしましたね。これからロクなことないですよ」と、冗談混じりに言う「わたりじゅん」さん。「ちょっと、会員証ってどんなのか見せて」「おーい、そんなのシュレッダーにかけちゃえ」といった按配である。いや、私自身が「ビューティフル・マインド」じやないかと思っている。正気にもどったらセラピストが前にいて、「全部あなたの妄想ですよ」なんてことになったりしていて…。

次回の「映画三昧日記」は多分ピンク大賞レポートでお会いすることになると思います。その前に「ピンク映画カタログ」を何回か更新できればと思っていますが、どうなりますでしょうか。
映画三昧日記2007年ー5

●平成19年2月16日(金)
「2006年度日本アカデミー賞、最優秀作品賞は…『フラガール』です!」高井英幸日本アカデミー賞協会会長の発表の瞬間、広い会場の新高輪ブリンスホテル国際館パミール「崑崙の間」に静かなどよめきが起こった。30年を重ねた日本アカデミー賞の大いなる歴史的転換であった。(多分!)

日本アカデミー賞30年の節目に、賛助会員「ぴあ」誌を通じて、日本アカデミー賞協会会員資格が1年限定で一般読者に開放された。会員の原則は「劇映画の仕事に最低3年以上従事」の者であるから、異例中の異例の企画である。1000名余の応募の書類選考で、最終の5人に私も残ることができた。授賞式参列の状況は「ぴあ」3月1日号239頁のとおりである。そして、おもいがけず日本アカデミー賞の大いなる転換点に立ち会うことができた。

日本アカデミー賞授賞式に出席することは、それほど稀有でもむずかしくもない。チケットぴあや、劇場でのCFにあるように、4万円の参加費を払えば誰でも参加できる。ここは「会員として」参加したということが重要なのだ。一般参加者は、授賞式前恒例のスターやスタッフが赤いカーペットを歩んで入場する時には立ち会えない。許されるのはマスコミや会員などの関係者だけである。今回は同席の「ぴあ」副編集長が我々のナビゲーターも務めてくれて、舞台裏の様々まで見ることができた。感謝、感謝である。

劇的クライマックスの前に予兆はあった。最優秀監督賞のプレゼンターで、前年同賞授賞の山崎貴監督が、李相日監督の名前を発表した時、すでにかすかなどよめきは起こっていた。それに続く最優秀作品賞だ。メジャー作品以外が最優秀を授賞するのは、1996年「午後の遺言状」以来の11年ぶりだそうだが、意味合いはかなりちがう。「午後の遺言状」は、何といってもメジャーもミニシアターも超越した新藤兼人作品である。「フラガール」の授賞は、正に歴史が大きく動いた感がある。

「取れるとは思っていませんでした」プロデューサーの李鳳宇さんは、本当に嬉しそうだった。2年前の湯布院映画祭のプロデューサーシンポの後の民芸村パーティーで親しく歓談させていただいたこともあり、私も我がことのように嬉しくなった。

「誰も知らない」「パッチギ!」そして「フラガール」と、キネマ旬報賞を始めとして、シネカノンは過去3年、主要映画賞を総ナメにしてきた。ただ、昨年までは日本アカデミー賞だけが蚊帳の外だった。今年ついに「フラガール」が風穴を開けて牙城を崩した。でも4000人前後の会員投票で決するのだから、仕組んでできるものではない。翌日「映画友の会」で会った映画ライターのわたりじゅんさんが「日本アカデミー賞協会会員の意識が変わってきたということでしょうね」と言っていたが、そのとおりなのだと、私も思う。(無党派層が増えた?)

日本アカデミー賞は常々メジャー志向のように言われているが、TV中継録画のダイジェストでなく全体を通じて立ち会って見ると、地味な技術賞も含めて、昨年の邦画代表作がほぼ網羅されていると感じる。優秀賞を授賞した全作品を羅列すると次のとおりとなる。(アイウエオ順)

「明日の記憶」「あらしのよるに」「男たちの大和/YAMATO」「かもめ食堂」
「嫌われ松子の一生」「ゲド戦記」「THE 有頂天ホテル」「タイヨウのうた」
「デスノート 前篇」「時をかける少女」「涙そうそう」「博士の愛した数式」
「花田少年史 幽霊と秘密のトンネル」「武士の一分」「フラガール」「ブレイブストーリー」
「間宮兄弟」「名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌」「地下鉄に乗って」「ゆれる」「ラフ」

なんで「雪に願うこと」や「紙屋悦子の青春」が無いの?という意見もあろうが、まあほぼ昨年の邦画代表作は網羅しているといっていいだろう。これらの関係者が、作品単位グループに赤カーペットの上を進んで次々と授賞式会場に入っていくのを見るのは、やはり壮観である。俳優だけでも列記すると以下のとおりだ。

蒼井優 大沢たかお オダギリジョー 香川照之 笹野高史 佐藤浩市 須賀健太 檀れい
塚地武雅 妻夫木聡 寺尾聰 長澤まさみ 中谷美紀 速水もこみち 樋口可南子 富司純子
松山ケンイチ 松雪泰子 もたいまさこ 桃井かおり 役所広司 山崎静代 YUI 渡辺謙

さらに優秀賞の佐藤純彌・中島哲也・三谷幸喜・山田洋次・李相日と花形監督5人、富田勲・久石譲などの著名作曲家etc…。俳優以外も豪華著名人が勢ぞろいだ。加えて前年の各賞の最優勝賞受賞者がプレゼンターとして列席、司会で前年最優秀主演女優賞の吉永小百合、もう1人の司会の関口宏、特別ゲストの三国連太郎・宝田明・司葉子・星由里子etc…と目も眩む顔ぶれ、日本映画人の総合パワーは、決してあなどれるものではないと痛感する。

キネマ旬報賞のように、都合により授賞者が欠席というのがないことも、素晴らしい。まあ、こちらの方は、授賞式に出られない者は優秀賞に選ばれないとの裏の噂もあるので、何とも言えぬところではあるのだが…。

いずれにしても、これら錚々たるメンバーが、作品単位にグループとなって、次々と赤カーペットを進んでくるのは壮観である。前に述べたが、ここに立ち会えたのは「ぴあ」副編集長のナビゲーターによるご好意で、基本的にはマスコミが中心で、一般には公開されない。本当に素敵な瞬間に立ち会えた。西川美和監督・オダギリジョー・香川照之の「ゆれる」トリオなんて、ゴージャスの限りだ。

余談だが、キネマ旬報脚本賞でもお目にかかったが、西川美和監督の女優と見まがうばかりの美貌は、ますます輝いてきた。授賞式でオダギリジョーがインタビューで「きれいな方ですからね。皆が何とかしようと、一生懸命になるんですよ」と答えていたが、むべなるかなである。

ただ、赤カーペット入場公開版のハリウッドとちがって、日本アカデミー賞の方は公開を意識していないから、到着したグループからの順次入場にかなりのタイムラグがあり断続的だ。TV中継録画では巧みに編集されているが、仕事上のマスコミはともかくつきあわざるをえないとして、一般参加者の立場ではやや退屈で間延びの感はぬぐえまい。

今年の優秀作品賞は、私が優秀賞に投票した3本「やわらかい生活」「雪に願うこと」「嫌われ松子の一生」は、すべて選もれとなった。残ったのは「明日の記憶」「男たちの大和/YAMATO」「THE 有頂天ホテル」「武士の一分」「フラガール」である。やっぱりメジャー志向なんだなと、ちょっとガッカリした。これでは私は「武士の一分」を選ぶしかないではないか。「男たちの大和/YAMATO」か「武士の一分」が各最優秀賞を総ナメにするのかなと、この時点では何かいやな予感がしていた。

「北辰の間」の優秀賞授賞式に続き、場所を「崑崙の間」に移動して、最優秀賞の授賞式が始まる。トップを切った脚本賞は「フラガール」であった。「明日の記憶」「武士の一分」といったメジャー作を制してのこの結果に、一瞬ムッ?と思う。(感動的なフィナーレの予兆は、ここですでにあったのだ)

ただ、続く技術関係の最優秀賞は、撮影・照明が「武士の一分」、美術・録音が「男たちの大和」と分けあい、いやな予感は継続した。編集と音楽の2部門で「嫌われ松子の一生」が健闘したのが、やや期待を持たせた。

優秀外国作品賞もメジャー志向が強い。私の投票した「白バラの祈り」「カーズ」「美しき運命の傷跡」の3本は全滅。優秀賞は「クラッシュ」「ダ・ヴィンチ・コード」(何でこれが?)「父親たちの星条旗」「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」「ホテル・ルワンダ」これじゃ私は「父親たちの星条旗」に入れるしかない。

主要最優秀賞に移る。まず助演女優。蒼井優は「男たちの大和」「フラガール」にてダブル優秀賞授賞。以下「フラガール」の富司純子、「かもめ食堂」のもたいまさこ、「武士の一分」の桃井かおりと、大変なメンバーが勢ぞろいする。そして、何と!最優秀は「フラガール」の蒼井優。呆然として「驚きました。何と言っていいかわかりません。嬉しいのかどうかも今は解りません」と立ちつくすのみの蒼井優の姿が初々しかった。

この時の他の優秀賞授賞者の表情が、場内のプロジェクタにクローズアップ映写された。3ベテランはニコニコと「良かったね、優ちゃん」といった祝福の気持を表し、微笑ましい限りだった。日本アカデミー賞ならではの光景である。本場ハリウッドならこうはいくまい。「こんな小娘が!」と全員表情が険しくなるだろう。もっとも本場はあくまでも「ノミネート」、授賞しなければタダの人だ。こちらは全員が「優秀賞」なのだから、このあたりも極めて日本的といえる。

続いては助演男優、大沢たかお「地下鉄に乗って」、香川照之「ゆれる」、笹野高史「武士の一分」、佐藤浩市「THE 有頂天ホテル」、松山ケンイチ「デスノート 前篇」の5人。ここは順調に笹野高史であった。こればかりはメジャー志向の「武士の一分」がどうのとかいうよりは、衆目の一致する順当な結果だろう。私も優秀賞の一人に笹野高史を入れた。もっとも、私は「寝ずの番」の方で入れたのではあるが…。

フィナーレの山場が、着々と近づいてくる。主演女優賞だ。檀れい「武士の一分」、長澤まさみ「涙そうそう」、中谷美紀「嫌われ松子の一生」、樋口可南子「明日の記憶」、松雪泰子「フラガール」。一般的には、他の賞の結果に鑑みても、中谷美紀が順当だが、日本アカデミー賞は油断がならない。メジャー志向で樋口可南子の線はありそうだし、94年では「月はどっちに出ている」のルビー・モレノを差し置いて、「虹の橋」の和久井映見が授賞したこともあったから、檀れいか長澤まさみの可能性だって大いにあるのだ。結果は…世間的には本命の中谷美紀だった。この当りも劇的なフィナーレの芽は吹いていたのだ。

主演男優賞、オダギリジョー「ゆれる」、妻夫木聡「涙そうそう」、寺尾聰「博士の愛した数式」、役所広司「THE 有頂天ホテル」、渡辺謙「明日の記憶」で、最優秀は渡辺謙。順調といえば順調だが、ここにきて雪崩を打って「明日の記憶」ってことになっちゃうのかな、と私のイヤな感じがまた頭をもたげてきた。ちなみに、私が推したのは寺尾聰。父の宇野重吉を越えつつあるのではないかと思える程、ここ数年で充実してきた。

今年から新設されたアニメーション作品賞、「あらしのよるに」「ゲド戦記」「時をかける少女」「ブレイブストーリー」「名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌」、アニメ王国の日本らしい見事な布陣だ。私は「ブレイブストーリー」に入れたし、ほぼこれで決まりだろうと思っていた。心の隅には、今までの「名探偵コナン」に比べて傑出しているわけではないが、十周年のご祝儀で「探偵たちの鎮魂歌」に、心情的に最優秀を授賞させたい思いもあった。ところが、「ぴあ」推薦会員の5人の中で最も若いと思われる人が、「『時をかける少女』以外、考えられないんじゃないですか」と言った。そしてそのとおりになった。この人は「フラガール」の支持者で「今年はいけるでしょう」と言っていたが、これもそのとおりになった。若い感性、恐るべしだ。

「ぴあ」副編集長から聞いたところによると、5人の推薦者選定にあたっては、老若男女のバラエティも意識したそうだ。男性3人に女性2人で、年代も20代、30前後、40前後、50前後、60前後といった感じだ。(もちろん最後の60前後代表が私)

この後、監督賞から作品賞へと「フラガール」が雪崩現象を起こすのは、すでに前に述べたとおりである。

ここで、私の「フラガール」評価について簡単に述べる。「湯布院日記」ですでに記しているので細かくは繰り返さないが、非常にバランスの悪い映画だと思う。この映画は客を弾けさせられなかったら失敗だ。ところが炭鉱閉山というシリアスな問題をシリアスに描きすぎて、弾けるに弾けきれない。でも、「湯布院映画祭」でも「映画友の会」でも、そんなことをみんな気にせず、楽しげに弾けており、私一人が憮然としていたのだから、私の感性の方がズレてると思うしかない。

これは、「Shall we ダンス?」が世間を席巻した時の感じと同じだった。周防正行は青春の乗りは描けても、中年の空虚を描ける大人の作家ではない。(もちろん「それでもボクはやってない」の現在はちがう)「Shall we ダンス?」は中年の空虚を青春の乗りで描いてしまった。だから奥さんの原日出子の描写が中途半端で、極めて後味の悪いものになった。(ハリウッド版は名優スーザン・サランドンが奥さんを演じたこともあるが、そのあたりはスッキリしていた)でも、この時もそんなことを気にする人はいなかった。みんな「乗り乗り」で、乗れない私がただ1人憮然としていた。こんなことはあるものだ。

監督賞の李相日というのは、どうなんだろうか。監督自身が、キネマ旬報賞授賞式で語っていたように、「ダンスがうまくいきましたからね。あれが駄目なら演出としては14、5位あたりでしょう」というところだろう。李監督としても、これを代表作としたら、本人も不本意だろう。湯布院映画祭のパーティーで荒井晴彦さんの私見を聞いたが、これは「企画の勝利」というのが正解ではないだろうか。

「フラガール」の個人的好悪はさておいて、やはりメジャー・インディーに関係なく、日本アカデミー賞も収まるべき所に収まるべき賞がもたらされるようになった今年は、大いなる転換点になるような気がする。こんな歴種的瞬間に立ち会えたすばらしい経験をくれた「ぴあ」に、心からありがとうと御礼を言いたい。日本アカデミー賞の投票、授賞式への出席、二つの権利はこれで行使済となった。残るは「本会が発行する会員証による映画劇場・特別無料入場」のみである。私にとってのすばらしい退職金としてフル活用します!ちなみに3月8日(木)現在、無料招待鑑賞41本!

最後に「ぴあ」3月1日号誌上239頁の私のコメントを再掲します。

投票は悩みに悩みました。日本アカデミー賞というとメジャー作品志向が強いなんて言われますが、実際は照明賞や録音賞など、いろんな方にスポットを当てる細やかな賞なんだと思いました。

写真もあります。ネット上のおつきあいだけで私の顔を知らない人は、眺めてやってください。(大した顔じゃないし眺めたところでいたしかたないかもしれませんが…)
映画三昧日記2007年ー4

●「不都合な真実」に大感動!
年頭に気の早い話であるが、私の今年度外国映画ベストワン作品「不都合な真実」に出会った。もちろん、これからもっと良い作品に出会えるのに越したことはないが、これがベストフィルムになっても不満はないとまで思わせる一篇であった。
 「不都合な真実」は、アル・ゴア氏の地球環境問題に関するスライド・ショー講演会のドキュメントである。CO2排出量増加に伴う地球温暖化への危機が語られる。講演の内容は、これまでもさまざまな場所で紹介されているもので、特に目新しいものはない。
 アル・ゴア氏は元米副大統領である。いや、むしろ2000年大統領選挙における幻の大統領だったことで著名である。選挙は接戦にもつれ込み、フロリダ州の開票をめぐり最後は司法判断で、一度は敗北のはずであった対立候補ブッシュの逆転勝利が確定する。これは、そんなゴア氏の人間ドキュメントでもある。
 この天国から地獄への転落の精神的ダメージは、政治家として想像を絶するものだろう。ゴア氏は、その時目覚める。地球環境問題をハーヴァード大在籍中に意識し、国会議員になってから一貫して取り組んできた。そうだ!私が人生を賭けるものはそこにあるではないか!そして今日までの活動に至る。人間というものは、自分の核になるものを持っている限り、どんな試練も乗り越えられるということである。
 ここに私はいたく感動した。ゴア氏とは比べものにならないだろうが、人はそれぞれの人生の中で、必ず挫折を味わう。私事で恐縮だが、私も40歳前後のサラリーマンとして大事な時期に、人事的に決定的に遅れをとったと感じた経験がある。(今、冷静に考えてみるとそれ程に大仰なものではなかったのだが…)ひどく落ち込んだ。貧すれば鈍するとはよく言ったもので、仕事に対し無気力になり、それが悪循環を生んだ。
 ある時、フッと思った。そうだ、俺には映画があるじゃないか。20歳代半ばで、好きな映画で生きる夢を捨て、サラリーマンの王道を歩もうと封印していた映画について書くことを再開し、キネマ旬報「読者の映画評」への投稿も再開した。(幸いにも、サラリーマンの王道を歩みつつも、映画ファンではあり続けていた)20年弱のブランクにも関わらず、一気に「読者の映画評」の常連に返り咲いた。別に金になるわけでもないが、この一事は私を精神的に生き返らせた。仕事も活き活きとできるようになった。結果として、まあまあのポジションで定年となり、サラリーマンを卒業できた。人間とはそんなものである。この時、生への活力を与えてくれたキネマ旬報さんには今でも感謝している。
 「不都合な真実」終映後のロビーで、カップルの会話が耳に入った。「ゴアが大統領になっていれば良かったのにね」「いや、大統領になっていたら、しがらみが出て多分あそこまで活動できないよ」真実は神のみぞ知るだ。でも、人間は自分の核になるものを持っている限り、どんな試練も素晴らしい人生に逆転できるとの感動は、紛れもない真実である。
 ゴア氏のご子息は小さい頃に生死の境をさまよった。その時に彼は地球環境問題に決定的に目覚めたという。生き延びた命の未来のために、美しい地球を残そうと決心したという。この身近な実感からのスタートラインにも深い感銘を受けた。
 感動的なフィナーレが訪れる。ゴア氏は力を込めて語りかける。今できる小さなことを集積していけば、CO2排出量を1970年代のレベルまで落とせることを数値で示す。そして、人類にはそれができる!と自信を持って断言する。人間はどんなに素晴らしく進歩してきたのか。奴隷解放制度を創った。女性に参政権を拡大した。ファシズムを打倒した。ガンジーやキング牧師の非暴力抵抗主義が成果を上げるようになった。アパルトヘイトを根絶した。ベルリンの壁を崩壊して全体主義を終焉させた。人類を月に送り、オゾンホールを修復した。その熱い語りの背景に青く美しい地球の映像が輝く。そうだ。人間はもっと誇りをもっていい。人間は地球の丸い姿を衛星写真に納められるまでに進化したのだ。今ここに、人間は人類としての枠組みに目覚めつつあるのだ。地球環境を守ることができないわけはない。断じてできないわけはないのだ。
 こうして、人類への信頼を高く掲げた後のエンドクレジット。そこに、「いまあなたができること」のメッセージが、何十となく延々と重なる。その中の一つ「グリーン電力基金に参加しましょう」にまず心揺さぶられた。グリーン電力基金とはクリーンエネルギー発電開発のために、心ある人は申し出て電気料金に上乗せし集められているものである。(500円、ほとんどの人がそれほどの負担を感じない額だ)エネルギー産業のはしくれに関わっていた私は、クリーンエネルギー開発の重要性も、それには膨大な資金が必要なことも知っているので参加している。CO2を出さないということでは原子力発電が安価であるが、リスクもある技術なので、クリーンエネルギー開発も併行して必要だと思うからだ。
 本来なら原発反対派(ちなみにあえて汚い語感を強調する反対派の造語「原発」という言葉を私は好まない。「原子力発電」とキチンと言うべきだが、マスコミも「原発」を乱発しており偏向とまでは言わないが、嘆かわしい限りだ)の方達こそ、まっ先にグリーン基金に参加すべきだが、参加運動などトンと耳にしない。ドイツあたりでは反対派が率先して参加するそうだから、これは無責任な批判はするが金は出さないという日本の体質なのだろう。「リスクある技術」と考えている私ですら、必要性を感じ基金を出しているのだ。(そもそも私が参加してこそ反対派に呼び掛けられる)「使い物にならない技術」と称する反対派の方々こそ参加すべきであると思う。私は、兵器であった核技術を平和利用できるまでに開発した人類は、事故時や放射性廃棄物の現時点のリスクとしての課題も、いずれ解決するだろうと信じている。それが人類の知恵である。
 「リサイクル活動に積極的に取り組もう」とのメッセージもあった。ゴミの分別収集はそれにつながる。居住地の国分寺市が特に細分収集していることもあるが、私はゴミの分別には大いに気を使っている。町会の役員だった時に、日の出町にある国分寺のゴミ処理場のピンチ状況を見学したことも、そんな気持にさせた一要因である。
 「自動車の利用を控え、公共交通機関を利用しよう」というのもあった。自宅は駅に近く、生活は自転車でこと足りるので、私はマイカーを持っていない。楽しみで運転しようなどとも微塵も思わない。万歩計をつけて、できるだけ歩くことも心掛けている。まあこれらは、環境問題への意識とは別に、ライフスタイルの趣味の範疇に過ぎないのではあるが…。
 エネルギー産業に携わってきたのは、飯のタネの仕事に過ぎず、別に好きだったわけでもない。でもその社会経験は、他の人よりも地球環境問題への関心を深めたかもしれない。そのように人は自らの社会経験を活かし、社会へ少しでも還元・貢献していく。それが人間ではないだろうか。映画の最後に何十と掲げられた「あなたにできること」、社会経験を積んだ観客それぞれにとって、私と異なった項目で、誰にでも必ず3つや4つ、できることはあるはずだ。人は傍観者でなく、何らかの形で実践に関われるのだ。
 これまでの社会派映画は、「言ってることはわかるけど、どうしようもない。今の俺の立場では何もできない」と、結局は総論賛成・各論反対となって、無力感・諦観に終わってしまうものがほとんどだった。最近の社会派映画の秀作「それでもボクはやってない」にしても、「やっぱり大きなものには逆らわず、長いものには巻かれた方がいいんだな」と感じた人は少なくないだろう。
「不都合な真実」は、これまでの社会派映画の限界を超えた。人類の未来に対し信頼と希望を与えてくれる。自分にもできることがあると、人生に誇りを持たせてくれる。私は胸いっぱいにして叫びたい。サンキュー!ミスター・ゴア!

●自己満足と感動の狭間
 「不都合な真実」に妙に真面目に感動してしまった。その感動は、自分の「人生に誇り」というところに深く関わってもいる。でも、それも自己満足に過ぎない気もする。以下、もう少し真面目くさいお話にお付き合いください。
 「ワーク・ライフバランス」ということが言われるようになった。「仕事と生活の調和」という意味である。こういうことが堂々とうたい上げられる時代になったのは、我々団塊の世代にとって感無量の思いがある。我々が働き盛りの時は、「仕事と生活の調和」なんてありえない。酒席もほとんど会社の中の者同士、遊びも会社の中の者同士でゴルフ・麻雀といった具合で、サラリーマンにはその他のレジャーは不要。いや、それ以外のライフスタイルは変人に見られたものだ。
 かくいう私も働き盛りの時は、映画はかろうじてベストテン級を何とか押さえるのみで、映画について書くことも、映画好きと語り合うことも、いっさい封印するしかなかった。そんな暇はない。ただ、意外なのだが、私は周囲から、そんなサラリーマンライフを満喫して楽しんでいるように見られていたことである。私は、仕事は飯の種以上と思ったことはなく、一度だって面白いと思ったことはない。ただ、どうせやらなきゃならないなら、面白がってやった方がいいと思っていただけだ。「泣いて暮らしても一生、笑ろうて暮らしても一生」というわけだ。どうせなら「笑ろうて暮ら」そうということである。
 でも、エネルギー産業のはしくれに、無理して面白がってつきあった結果、好きな映画の見方を広げてくれる知識や体験を与えてくれたのもまちがいない。映画三昧の半生だったら、もっと底の浅いものになっていたろう。私は、すでに「ワーク・ライフバランス」を見事に実践していたということだ。その結果が「不都合な真実」へのユニークな感動に到達できたのだ。とはいっても、このユニークさを誰も認めてくれないのだから、これは自己満足に過ぎないのではあるが…。

●さらに、自己満足の素晴らしさについて
会社で最近「人権啓発研修」を受けた。「仕事と家庭とどっちが大事だと思ってるんだ!」私の若い頃はよく上司から言われたものだし、下級管理職になった時は、私も何度か部下に言ったような気がする。この言葉は今はタブーだそうだ。「パワーハラスメント」、いわゆる「パワハラ」に該当するそうなのである。理由は、仕事と家庭は両立させるもので、比較対照すべきものではないからだそうだ。この時代の変遷は、本当に感無量だ。
 娘のおしめが取れていない幼児の頃、母娘ともに風邪でダウンしてしまった時があった。私が休暇をとって面倒を見るしかないが、つくづく幼児を抱えている時期の家事は大変だと思った。朝食の支度、おしめの洗濯、掃除、すぐ昼食準備だ。そして、買い物、洗濯とりこみと整理なんてしてると、もう夕食の支度である。その合間に娘のおしめにも気を配って取り替えねばならない。たった1日でヘロヘロになった。幸いにも1日で家内は何とか動けるようになったが、若干、私も風邪をうつされたようで、半分フラフラで会社に行ったら、「自分の足腰が立たないならともかく、奥さんの風邪で休むなんてもっての他だ。おまえも風邪気味だと。鍛え方がたりないんじゃないか」と心無い言葉を浴びせられた。そういうのに限って、そんな場合はあてにできる母親がいるのである。こちらは、末っ子どうしの夫婦なので、双方の母親とも手伝いがアテにできるどころか、こっちが面倒みなきゃいけないご老体だ。家庭の事情はいろいろなのである。身勝手で無神経な奴は、どこの世間にいるものだ。
 「ワーク・ライフバランス」として、仕事だけでなく映画にも力点を置いていたことは前項で述べた。それとは別に、私は家庭生活も大事にした方だと思う。年に1度の自己申告書で単身赴任に関する設問があるが、私は「できればしたくない」の項に○を付け続けた。サラリーマンだからといって「絶対にしたくない」の項に○をつける程には言い切れないが、「できればしたくない」は自然の心情ではないだろうか。家族が分かれて暮らすのは、本来は不自然だと思う。でもほとんどの人が「どこに赴任しても構わない」の項に○をつけていた。「そうしないと損するよ」と、ご親切に耳打ちする上司もいた。でも、そんなにまで自分の心情を偽って、仕事に相対するべきだとは、私は思わない。定年までの会社生活37年、私はついに単身赴任を経験せずに終えた。仕事・趣味(映画)・家庭、私の「ワーク・ライフバランス」は適切だったと思う。
 現在は、再就職先の定年も目前に控える身である。50代にして妻を喪うことになり、一人娘との小津世界の暮らしである。でも、「ワーク・ライフバランス」の1極の比重を家庭にかけていたためか、世間の父娘よりは近しい関係だと思う。よく居酒屋にいっしょに飲みにもいく。娘は両親の血をひいたか、結構いける口である。
 そんな世界も終わりそうだ。そろそろ「秋刀魚の味」状態になっている。でも、「秋刀魚の味」のラストの笠智衆の背中が見せた「絶対的孤独」には程遠いだろう。もう一つの極「映画三昧」の比重が高まるだけのことだ。思い返せば素敵な「ワーク・ライフバランス」の半生だったと思う。妻を早々に亡くして「素敵」もないもので、もちろんこれは「自己満足」である。でも「自己満足」でもいいではないか。「自己満足」すらできず、不満不平をブツブツグチグチ言いつつ生きている人間は少なくないのだから。

●近況ニュース
2月16日(金)日本アカデミー賞授賞式に日本アカデミー賞協会会員として出席!
                  「ぴあ」3月1日号に写真とコメントが載ってます。
2月25日(日)「北国浪漫」カラオケ大会(於 キング関口台スタジオ)活弁部門
優秀活弁賞受賞!
この顛末と詳報は近々に!

●「夢月亭清麿ひとり」のこと
知人の脚本家でもある河本晃さんが、落語通の持ち味を発揮して「夢月亭清麿ひとり」なる独演会を、昨年5月を皮切りに、9月から2月までの毎月、6回にわたり企画制作し、2月22日(木)に最終回を迎えた。12月の演目の新作落語「千住詣り」には、千住生まれの私がロケハンに協力したこともあり、愛着のあるシリーズだった。「歴史に残る快挙」と絶賛したら、河本さんは照れるのみだったが、この7回シリーズの実験に、一つとして同じものがないチャレンジの繰り返しだったことは、紛れもない事実である。夢月亭清麿師匠も1月の黒門亭の高座で、こんなに短期間に新作ネタ下ろしを連続したことはなかったと、心情吐露していた。
 河本晃さんは別名で著名映画雑誌編集長でもあり、プロレス者でもある。共通の知人として、「夢月亭清麿ひとり」のスタッフで、漫画家で社会人コント演者で、「あっち亭こっち一座」の座員で、プロレス者であるバトルロイヤル風間さんがいる。私は河本さんから[企画制作者として清麿師匠の意志を尊重します。「ハッスル」をする気はありません。「レッスル・ランド」の精神です]と聞いた。私は風間さんに[でも「ロックアップ」に近くありません?]と言った。風間さんはニコニコして聞いていた。こういうプロレス者だけにしか成立しない会話は、何とも楽しい。

4月にはピンク映画大賞も待ってます。書くネタは果てしなくあれど、「映画三昧日記」はどう迷走していくのでしょうか!
映画三昧日記2007年ー3

●「忠臣蔵」伝説と大衆の共同幻想
私は「忠臣蔵」大好き人間で、今年の正月2日にテレビ東京で放映された新春ワイド時代劇「忠臣蔵 瑤泉院の陰謀」も、我ながらご苦労にも10時間をビデオ録画して、ジックリと観賞した。
「忠臣蔵」伝説は、大衆の共同幻想の中で、最もスケールの大きいものだと感じられるので、私は大好きなのである。もう一つの大衆共同幻想を象徴するものに「義経伝説」がある。
 源義経の真の姿は、容貌魁偉な大男で、野蛮な戦争屋であったとの説がある。一方の兄の頼朝は、知将であり優れた政治家であったとも言われる。戦乱が治まった時には、義経はやっかいな排除すべき存在になったことは、十分想像できる。
 しかし、大衆の共同幻想としては、それではちっとも面白くない。かくして、義経は美貌の若武者となり、文武両道に優れた武将であり、嫉妬心の強く謀略家の兄に闇討ちに近い状態で葬られてしまったことになる。そのように伝説化した方が、断じて断じて大衆にとっては面白いのである。尾ひれはどんどんついて、若き日の美少年の牛若丸を誕生させ、忠実な大男の家臣の弁慶の誕生にも連なっていくのだ。さらには、義経は生き延びてモンゴルに渡りジンギス汗になったなんて、とてつもない伝説に至るのである。

●戦前から戦後へ 「忠臣蔵」伝説の変遷
「忠臣蔵」ではっきりしている事実は、勅使供応役の浅野内匠頭が指南役の吉良上野介に刃傷に及んだこと、将軍の裁定で内匠頭は即日切腹となったこと、お家断絶で浪人となった家来が討ち入りをして上野介の首を取ったこと、それだけであろう。
 しかし、それだけでは大衆の共同幻想にならない。そこで、華美な汚職や賄賂体質の吉良上野助、清貧潔白で武士道の鑑の浅野内匠頭、との対立図式が出来上がる。家来の討ち入りは忠義の象徴として祭り上げられる。
 戦前は忠君愛国と結びつき、映画でも「忠臣蔵」はヒット商品であった。ただ、この「忠臣蔵」伝説は、戦後民主主義でもしぶとく生き残る。それには大佛次郎の存在があずかって大きい。
 大佛次郎の「赤穂浪士」は、単なる忠義物語を現代の目で見事に再生してみせた。家をとりつぶされ世をすねた浪人者の堀田隼人、吉良方の女間者となって討ち入りまでのすべてを目にするお仙、世の中を達観している怪盗の蜘蛛の陣十郎。この架空の人物の3者を媒介にして、「忠臣蔵」は単なる忠義物語を越えて、理不尽な御政道に対するレジスタンス物語になったのである。これがあるから、戦後民主主義の時代にも生き残った。戦後「忠臣蔵」で最も評価が高いのが、東映昭和31年作品「赤穂浪士 天の巻 地の巻」(脚本・新藤兼人 監督・松田定次)であるのも、大佛次郎の原作の精神に忠実だからであろう。大映の昭和33年作品「忠臣蔵」は原作は大佛次郎ではないが、京マチ子がお仙を彷彿させる女間者を演じているし、その他の戦後「忠臣蔵」は大なり小なり大佛次郎の影響が垣間見える。(私としては、昭和29年版は、大衆映画としての華やかさに欠けており、あまり評価していない。むしろ昭和36年東映の「赤穂浪士」の、片岡千恵蔵=大石内蔵助と市川右太ェ門=千坂兵部、大川橋蔵=浅野内匠頭と中村錦之助=脇坂淡淡路守を、共に親友同士とした重層性、友でありつつ敵対せざるをえない内蔵助と兵部の苦悩などに、大衆映画としての厚みと華やかさを感じた)

●新しい「忠臣蔵」への模索
 戦前の「忠義」にせよ、戦後の「レジスタンス」にせよ、「討ち入り伝説」は絶対的な善であった。しかし、高度経済成長の果ての多様化の時代には、そぐわないものになってくる。新しい「忠臣蔵」への試行が開始されてくる。
昭和37年の東宝35周年記念作品の「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」で、大石主税が外国人を目にし「彼らは我々のすることをどう思うでしょうか」と、父の内蔵助に疑義を呈するシーンが鏑矢であった。
昭和53年の「赤穂城断絶」で深作欣二は「不確実性」の時代の「忠臣蔵」を送り出す。中村錦之助の大熱演で浪士の討ち入りの正当性を描くと共に、脱盟していった者にもそれなりの正当性があることを併置するのである。
これは、松本幸四郎が内蔵助を演じた平成元年のテレビ東京の新春12時間ドラマ「大忠臣蔵」6部作に引き継がれる。潤沢な時間を活用して、ここでは、心ならずも脱盟していった者達の幻の討ち入りという第5部「命雪に散る」の一篇が構成されるのである。
「討ち入り」は絶対的な善ではないという試みは、静かに継続されていったのだ。

●新たな地平を誕生させた池宮彰一郎
 平成6年、「忠臣蔵」伝説に新たな地平が誕生する。市川崑作品「四十七人の刺客」である。いや、この表現は正確ではない。正確には新たな地平を開いたのは、原作者の池宮彰一郎である。(ちなみに、同年の深作欣二作品「忠臣蔵外伝 四谷怪談」は四十七士を亡霊と位置づけ焼け跡闇市派の心情とダブらせた珍作で、こういう時代劇崩しを、私は全く評価できない)
 池宮彰一郎の脚本家時代のペンネームは池上金男、東映時代劇を集団時代劇に革命的に変換させた「十三人の刺客」の作者だ。「四十七人の刺客」の大胆さは、その延長にある。まず、刃傷の原因は一切不明と位置づける。これは史実にも近いと思う。大石内蔵助は、討ち入りの正当性を担保するために、華美な汚職で賄賂体質の吉良上野助、清貧潔白で武士道の鑑の浅野内匠頭との図式を、噂を流すことにより大衆の間に定着させる。「忠臣蔵」は情報戦争だったということである。「忠臣蔵」伝説の新たな捉えかたである。
 映画の方はベテラン市川崑をもってしても映像化が難しい情報戦争の面白さは表現できず、残念な凡作になった。

●発展的ユニークな視点だが… 「忠臣蔵 瑤泉院の陰謀」
 今年の年頭の「忠臣蔵 瑤泉院の陰謀」は、池宮彰一郎以降のユニークな視点を有している。
 まず、刃傷の原因は、浅野内匠頭の躁鬱症にありとしたことである。この説は、陰の声としては、結構ささやかれているもので、3月の木の芽時に爆発したとのことだ。そうなると、吉良上野介にとっては災難以外の何物でもない。さらに、逆恨みの家来に首を取られたんでは、二重の災難である。真相はそんなところかもしれないが、それでは面白くもおかしくもなく、大衆の共同幻想にも伝説にもなりえない。だから、この説は陰でささやかれる程度で、汚職で賄賂体質の悪党上野助が何百年も定着するのである。それを初めて覆してみせた。
 そこから「瑤泉院の陰謀」が始まる。といっても、根にあるのは大したことではない。女らしく、亡き殿に対する愛から欲したものに過ぎない。愛する夫を乱心とされ庭先で即日切腹となった汚名を、何とか回復させたい。そこで現在伝説となっているような、内匠頭が汚職で賄賂体質の上野助を受け入れず、いじめや嫌がらせにあって刃傷に及んだとの噂を巷に流すのである。「四十七人の刺客」の延長上にある視点だ。
 この視点をさらに大胆に発展させる。時の御側用人の柳沢吉保は、片落ちの裁定という庶民の想像以上に高まった批判的ムードの鎮静化に手を焼いていた。これを納めるのは、悪党・上野介の定着化、場合によっては人身御供にしてもよいとの、非情な政治決断を下す。
 これは面白い視点だ。女の単純な亡き夫への愛と、御政道トップのクールな政治決断が、奇妙に共闘して「討ち入り伝説」を完成させる。その大胆な出だしに、グッと引き込まれかけた。しかし、その後の詰めが、全くゆるくて甘いのはいただけない。(脚本はジェームス三木)

●「忠臣蔵 瑤泉院の陰謀」の構成の詰めの甘さ
 柳沢吉保の捜査は、噂の基点が瑤泉院にあることをつきとめる。それを御政道に有利に取り込もうと考える。そこまではいい。それをどう展開させていくかが、構成の難しいところだ。
 ところが、何と!吉保が仕掛け、瑤泉院との対面が簡単に実現し、そこで両者の論争までに至る。いくら何でもこれはないよね。幕閣の重臣と、大名の元妻ではあっても夫は仕置きを受けた罪人で今は仏門に入った女とが、そんなに簡単に対面に至るわけがない。対面に至らせるのは、そうとうに説得力を持った仕掛けが必要だろうし、むしろ、安易な対面をさせないで、二つのドラマをどう連動させていくかが、脚本の努力のしどころだろう。(余談だが仏門に入り髪を下ろして瑤泉院を名乗っているのに、あんまり髪が短くないのは何でだろう。この瑤泉院の髪型はどの「忠臣蔵」でも同じなので「お約束」と思うしかないのだが、毎度奇妙に思っている)
 上野介の人身御供やむなしとの吉保の非情な政治判断と、御政道への抗議として「討ち入り」を画策する内蔵助。価値観は真逆で、終着点は同じという奇妙な二人の関係も面白いところだが、これも二人が対面して意見をたたかわすという極めて安易な構成に終わる。吉保は幕府のトップ層で、内蔵助は大名に仕えるたかが筆頭家老、まして今は浪人である。これもないよなあ。
 終盤で大奥に潜入した瑤泉院が将軍の徳川綱吉に斬りつける場面が出てギョッとした。さすがにこれは夢落ちだった。でも夢落ちにしても、ありえないこんな夢を瑤泉院が見る安易な設定が出てくるあたりに、すでに問題がありそうだ。
 黒澤明が「隠し砦の三悪人」で大物ライターを集め逃走の危機を突破するところを共同執筆した時、危機を設定する者と、突破方法を考える者とに分かれて、試行錯誤を繰り返しながら、論争して練り上げたそうだ。吉保と瑤泉院あるいは内蔵助を会わせないでどうドラマが回転していくか、あるいはどう会わせれば不自然でないか、そういうことを周知を集めてくみ上げなければいけないのではないか。
 黒澤明に限らず、撮影所システムの時は、撮影所幹部がちょっとでも一般大衆から見ておかしい部分は指摘して、ハードルを与えたのではないだろうか。せっかく「四十七人の刺客」を越える芽を有していた「瑤泉院の陰謀」だったのに、残念な限りである。

最近の安易な時代劇に想う 「徳川綱吉 イヌと呼ばれた男」
「忠臣蔵」つながりで、やや前になるが平成16年に放映された「徳川綱吉 イヌと呼ばれた男」を取り上げたい。これも「忠臣蔵」伝説をユニークな視点で捉えていた。
 徳川綱吉を演じるのは人の良さそうな個性の草g剛。当然、悪い人物に描くはずがない。暗君やら暴君やらと言われている綱吉を、善良な人物として再評価する斬新な企画であった。
 戦乱も治まって久しく、「武」が形骸化して、文化の時代へと変質しつつあった元禄。いや、文化の時代へと変質させねばならぬという志を持っていたのが、徳川綱吉という人物であったという筋立てである。
「生類憐れみの令」は、その志の具現化というのが真意であった。しかし、将軍の一言も幕閣組織を介すると、単純にはいかない。「武」から「文」の時代へ移行させようという綱吉の意志は、悉く歪んだ形で施行されてしまう。幕閣組織不振に陥った綱吉は、信頼の置ける柳沢吉保だけを意志伝達の窓口とする。「お側用人」の誕生である。これが、また裏目になって悪政の温床となる。大組織のもたらす悪と、権力者の孤独という興味深い視点で展開される。
「武」の精神を復権させようとする浅野家=大石内蔵助は、綱吉の志に竿を刺す対極の勢力だ。ただ、内蔵助を演じるのは堤真一であるから、これも悪い人間に描くわけがない。かくして、この二つの「武」と「文」の対決は、どちらも一理あるものとして深みのあるドラマを構成する。
 と、ここまでは良い。問題は具体化する脚本の構成だ。この二つの対立の表現にあたって、綱吉と内蔵助が体面して論争を戦わすという安易なことをやってしまうのである。かたや武家の頭領の将軍、こなた浪人となった一大名の元筆頭家老、対面なんて逆立ちしたってありっこない。ありえるとしたら、それだけのハードルを納得させるだけの説得力ある仕掛けが必要だろう。いや、体面なんて安易な手を使わずに、交差しようもない二人のドラマを、どう交差させるかのハードルを越えるのが先ではないだろうか。ここでもユニークな視点を具現化するにあたっての詰めの甘さが目立つ。(脚本は福田靖)

●再び最近の安易な時代劇に想う 城戸賞入賞作
 第32回城戸賞受賞作「三日月夜話」(キネマ旬報1月下旬号掲載)には唖然とした。何でこれが受賞作なの?と疑問に感じた。作者自身が述べているように「人材派遣、女の自立、ひきこもり、過食症やダイエット。現代の社会現象を江戸時代にタイムスリップさせたら、どうなるだろう?」との着想は面白いし正しい。忍者を抱えきれない財政難の藩が、派遣専門の忍者村から忍者を雇うというお話も楽しい。ただ、「派遣しのび」「基礎演習」「平和主義」「先端恐怖症」とか、使う語彙があまりにも安易に過ぎないか。この安易さを審査員がすんなりと許容してしまうのもどうかと思う。
かつて「子連れ狼」なるものがあった。荒唐無稽な筋立てなのだが、「公儀介錯人」とか「裏柳生」とか「渡り太刀」とか、なるほど嘘でも当時あったかもしれないなと思わせる「らしさ」があった。まあ、これは映画人だけの問題ではなく元のコミック(作・小池一夫 画・小島剛夕)がしっかりしていたということもあるだろう。現代風な味付けを時代劇に導入するのは悪くないが、それを「らしく」見せるというハードルに対して、あまりにも最近は無神経なのである。
ただ、こんなことも考えた。現代語がマシンガントークで乱れ飛ぶ沢島忠の「一心太助」シリーズなどの一連の時代劇、それらも脚本だけ読んだら、「三日月夜話」のような違和感があったかもしれない。ということは、演出次第では「三日月夜話」も白けない時代劇として完成する可能性があるということだろうか。そのように映画化を期待させるだけの脚本ではあるのかもしれない。

正月らしく「忠臣蔵」を基点に薀蓄を傾けていたら、思いの他長くなり2月になってしまった。ご退屈だったでしょうか。それではまた。
映画三昧日記2007年ー2

日本アカデミー賞協会会員の権利活用のその後
日本アカデミー賞協会会員の権利を、その後もフルに有効活用させていただいている。色々な雰囲気が読めてきた。

平成19年1月10日(水)
 退社後にみゆき座「プラダを着た悪魔」の19時15分の回に行く。15分程前に着く。昨年からの大ロングランだが、なかなかの人気であり指定席制なのでかなりの行列になっている。「お席は前の方になります」との声も聞こえる。会員証を準備して並ぶ。列を整理している劇場の人に声をかけられる。「もうしわけありません。ご覧のような混雑なのでアカデミー会員の方はご遠慮いただけませんか」確かに有効映画館リストに「満員の際は入場をお断わりすることがあります」と明記されているが、招待券などに記載している決まり文句程度に思っていた。案外シビアなことを認識した。
 シャンテ シネ「敬愛なるベートーヴェン」19時の回に目標を変える。こちらも指定席制で大人気の行列である。恐る恐る窓口で会員証を出す。「少々お待ちください」と電話をする受付嬢。責任者と話しているようだ。「もうしわけありません。ご覧のような混雑なのでアカデミー会員の方はご遠慮いただけませんか」みゆき座と同様の回答であった。
 ただ、これは当然の対応とも思う。日本アカデミー賞協会は、「ぴあ」誌上の「緊急告知!」記事によれば「本来、協会会員は(中略)劇映画の仕事に最低3年以上従事(中略)をはじめ、運営委員の推薦(中略)の会社社員や個人に限定されたもの」ということで、業界内の人間ということである。ならば、お客さまを優先するのは、基本的に正しい。駄目な業界ほど、お客さまをないがしろにして、身内の人間を優遇するものだ。映画業界は健全な感覚ということである。
 さあ、どうするか。時間は19時5分前、丸の内TOEI@「大奥」18時45分の回がある。うまくすれば、本編には間に合うかもしれない。急いでかけつける。本編は19時開映なので、ギリギリのセーフとなった。
 丸の内TOEI@は、入口で会員証を提示してのフリーパスで、6日(土)の新宿の各劇場と同様だったが、「御招待」とスタンプされた半券を渡された。招待客の人数もカウントしているようだ。所変われば品変わるということである。
 場内に駆け込む。ちょうどメインタイトルがスタートしている。即、座席につこうと思ったら、ほとんどフルシートの状況だ。暗闇に眼が慣れないせいもあり、5分程度空席を求めてウロウロしてしまう。その間は、映画をロクに見てないに等しい。今日は帰るかなとも思ったが、いや、このまま少し見て、最初からキチンと見た方が良さそうな映画だったら日を改めよう。そうでなければ折角入ったんだから、冒頭だけ日を改めて見直しに来てもいいなと考える。いつも無料招待だと、そういう融通が効く。便利なものだ。
 「大奥」について感じたことは、次項に譲るが、いずれにしても私にとっては大した作品ではなさそうなので、その日はそのまま最後まで見続けた。

平成19年1月13日(土)
 日本アカデミー賞協会会員の権利フル活用の日をスタートさせる。シャンテ3「人生は奇跡の詩(うた)」→丸の内TOEI@「大奥」冒頭10分→丸の内TOEIA「鉄コン筋クリート」→シャンテ1「敬愛なるベートーヴェン」(それにしても妙な題名だなあ。まともな日本語なら「敬愛する」か「親愛なる」じゃなかろうか)とハシゴをする。
 指定席予約制のシャンテの券には「入場時に会員証提示」を明記したスタンプが押捺してある。よく考えたら当然だろう。そうでなければ会員証(写真入)で購入したチケットを横流しできることになってしまう。入口で「ご提示ありがとうございます」と言われる。提示しない人もいるということだろうか。不正利用したらペナルティがあるだろうから、「俺を信用できないのか!」と求められなければ提示しない人もいるのだろうか。どうでもいいことだが、とにかく何から何まで新鮮な体験で、ハイになりっぱなしである。
 5日(金)の権利発効から13日(土)の9日間で、鑑賞作品8本。映画三昧男には天国のような世界を満喫している。

この日映画検定1級合格通知を受領!

●「大奥」を見て「話芸」について想うこと
 「大奥」の「映像」はいい。東映時代劇の伝統を踏まえた雄大で堂々たるセット、絢爛豪華な衣装、贅を極めたエキストラの多さ。それを捉えるにあたっての演出も、ロングからアップへの移行、ゆったりとしたカッティングで、被写体のスケールをジックリと「映像」に納めている。アップの乱打と早いカッティングの最近の映画の真逆であり、久々に古典的な東映時代劇のスタイルを堪能した。いや、堪能できるはずなのだが…。
 何故か違和感がある。「映像」はクラシカルなのに、現代映画風の慌しさを感じる。原因は「音響」だった。冒頭からガンガン早いテンポの音楽が流し続けられる。機関銃のようなナレーションと台詞のやりとりがうるさい。「映像」は古典的でも、音の方は「間」の魅力を無視した騒々しさなのだ。
 監督はTVシリーズを手掛けた林徹。TVは、ちょっとでも退屈させるとチャンネルを変えられてしまうから慌しい演出になり、映画でもそれを引っ張ったということなのだろうか。私の娘も含めて「大奥」ものが若い女性に大人気のようだが(先日のほぼフルシート状況も、観客の大半が若い女性であった)、この現代的テンポも人気の基ということなのだろうか。
 ただ「うるさい」などと批判したが、ひとごとではない。私は活弁と素人寄席芸の活弁コントに首をつっこんだが、「うるさい」のを克服するのは、実は大変なことなのである。お客さまの退屈な空気を感じたくない。そう意識すると、ついつい活弁でも大声を張り上げっぱなしになってしまう。静かな声の「間」が怖いのである。結果的に「語り」のメリハリ効果を半減させてしまうのだが、そこでトーンを抑えられる平静さに至るには、そうとうな研鑽を重ねなければならぬということだ。
 お笑いの活弁コントにしても然りで、笑いを取るには「間」が必要だ。ただ「間」を取るには、もしその「間」に笑いが起こらなかったらとの恐怖を克服しなければならない。それができないから、矢継ぎ早に「語り」を連続させてしまう。結果的にそれが起こりかけた笑いを封殺してしまうのである。「大奥」を「うるさい」と批判するのはたやすい。静寂の「間」の魅力をモノするのは、そうとうな才能を要するということだ。
 とんだ「話芸」談義になったが、「話芸」に少し首をつっこんだおかげで、映画鑑賞の新たな地平が見えたような気がする。
映画三昧日記2007年ー1

あけましておめでとうございます。まず新年のグウタラぶりから幕を明けます。

●酒びたりの新年の3日
元旦
 除夜の鐘を聞いて、地元の国分寺に初詣を済ませて人眠り。タップリ寝坊して、目が覚めたらおせち料理で朝酒を一杯。少々ゴロゴロして昼風呂で酔いを抜く。湯上りにビールを傾けながら、ビデオを楽しむ。この日は大晦日の「k−1ダイナマイト!」の録画、6時間もあるからボリュームタップリ。格闘技・プロレス者として、ジックリ見直す楽しさに浸る。しかし、おせち料理とはいいもんだ、お重を引っ張り出せば、いつでもつまみに不自由をしない。そのうちに日も暮れ晩酌時になる。チビチビやりながら、結局この日「ダイナマイト!」を全部再見してしまう。

2日
 この日のパターンも前日と変わらず。いや、昼風呂のところだけがちがう。朝酒の後に「映画初め」にでかける。といっても、5日からは日本アカデミー賞協会会員として、主要映画館は無料招待になる。この期に及んで金を払いメジャー作品を観に行くことはない。ミニシアターに的を絞る。
 ル・テアトル銀座「早咲きの花」を選択する。「映画友の会」実行委員の渡辺正純(映画ライターのペンネーム「わたりじゅん」)さんがプロデュースに関わっている一篇だ。1月8日(月)までの特別上映、支援すべく年内に前売りを購入していた。
 ル・テアトル銀座は通常は演劇の常設館、落ち着いた上品なたたずまいが、映画常設館と一味ちがう。客層も正月気分漂う品の良さ。広くくつろげるロビー、早めに着いたこともあり、ビールを傾けてしまう。
 映画の方は、渡辺さんの手前もあり言いにくいんだけど、いや悪いっていうわけじゃない、むしろ悪く言えない創りがどうも…。難病ものと終戦間近の豊橋への空襲の悲劇を二つも掛け合わせて、あまりにもベタに過ぎないですか。(共催は豊橋市・とよはし100祭実行委員会)いや、けなす気はありません。けなせません。その有無を言わさないあたりがどうも…。
 そういえば、以前にも御当地映画の「HAZAN」なる映画があった。これも芸術家の清貧と純粋な魂に奥さんは良妻賢母と、けなすことが憚られるようなベタさだった。「御当地映画」とは、こうなってしまうのだろうか?
 帰宅すれば晩酌の時間、この日はテレビ東京の10時間の新春ワイド時代劇「忠臣蔵〜瑤泉院の陰謀」が放映中。私は「忠臣蔵」大好き人間。チビチビやりながら、前半4時間録画済の2時間を見てしまう。

3日
 元旦と生活パターンは全く同じ。(さすがにゴロゴロも限界で、天気も穏やかなことから、昼風呂前の腹ごなしに国分寺近辺を少々散策したが)ただし録画ビデオが「k−1ダイナマイト!」から「忠臣蔵〜瑤泉院の陰謀」に変わっただけ。年末年始に何となく楽しめる長時間番組を放映してくれるのは、誠にありがたい。でも10時間はボリュームがありすぎる。明日は仕事始めだし、半分ほど残して床についたのであった。

年末落穂拾い
その1
 12月27日(水)、日立寄席の重鎮の社会人落語家の酔水亭珍太さんが席亭の年忘れ木馬亭名人会に行く。村井しげるさんの演奏のバックにベノン川嶋さん他がつく。私の活弁コントのデビュー戦が、珍太さん席亭で村井さんのワンコインコンサートだったことは、去年の映画三昧日記に紹介した。その時、音響担当をしてくれたのがベノン川嶋さん。大変な大物が裏方をつとめてくれたものだ。ちなみに「ベノン」なんて重々しい芸名だが「飲んべ」をひっくりかえしただけだとか。ついでに紹介すると、ワンコインコンサートでギター漫談を演じた社会人漫談家ラッセル矢沢さんの由来は、減量に成功したので「減らっせる」からきたそうだ。珍太さんを核とする人達にも楽しい人が多い。
 打ち上げで私の前に座ったIさんが「いやー同じマンションの住人だからベノンさんに誘われたけれど、飲める席まであると思わなかった」あまりこの手の催しには馴染みがなさそうだ。「打ち上げは恒例ですよ」と私。「活弁コント」の話題から活弁へと進んでいく。「私の同級生にも活動弁士がいます」何とよく聞いたら佐々木亜希子さんだった。「すろ〜しねま」に行ったこともあるという。私と同席していたようだ。残念、その時に知ってれば楽しく飲めたのに、と「飲んべ」は本当にしょうがないことばかり考える。でも、こうして思いがけない人の輪がどんどん拡がるのは素晴らしいことだ。

その2
 12月29日(金)、「映画芸術」忘年会、「あなたはいつまでキネ旬の読者評にこだわっているんですか。投稿掲載実績を積み重ねてプロデビューに至るなんて、もうそんな時代じゃないですよ」と、プロのライターの方に言われる。そうだろうな、そうだよな。何でやってるんだろう。横綱(プロデビュー)になりそこなった大関が、十両・幕下に陥落してるのに何やってるんだろうな。このテーマ、来年は整理して考えてみよう。

1月5日(木)より2007年度日本アカデミー賞協会会員の権利が発効する。さっそく6日(土)にハシゴをする。新宿スカラ3「犬神家の一族」、新宿ミラノ2「007 カジノ・ロワイヤル」、新宿プラザ「エラゴン 遺志を継ぐ者」、新宿スカラ2「NANA2」。まだ、わずか1日の経験だが、会員証を見せるだけでフリーに入場できるなんて、映画ファンにとっては夢のプラチナ・カードだ。2007年の映画三昧の開始である。

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