周磨 要の 映画三昧日記 2008

●周磨 要プロフィル
映画ファン歴40数年になる映画好き。昨年は還暦を迎え、世間で話題の団塊世代大量退職の一員として、6月に定年退職となりました。現在は、月10日間だけ勤務の会社嘱託で、映画三昧の日々にますます拍車がかかっています。
 映画好きが嵩じて始めた活弁修行は、2002年の「剣聖 荒木又右衛門」の初舞台から6年のキャリアとなりました。また、2003年を皮切りに、ピンク映画大賞への投票は4度を重ねました。キャッチフレーズは「無声映画からピンク映画まで古今東西邦洋を問わず、すべての映画を愛する男」でございます。今年もよろしくお願いいたします。
「周磨 要のピンク映画カタログ」
周磨 要の映画三昧日記 2005
周磨 要の映画三昧日記 2006
周磨 要の映画三昧日記 2007
周磨要の掲示板 
「周磨 要の湯布院日記」
「周磨 要のピンク日記」
「おたべちゃんのシネマシネマ」
映画三昧日記2008年−24

今年も押し詰まってきた。一般的には歳をとると、月日の立つのが早いという。そんな気もするし、そうでもないような気もする。年末を迎える中で思うことを綴り、今年の「映画三昧日記」の締めとしたい。

●時間の流れの早さについて
子供の頃や青春期は、時間がユッタリ流れていたと感じる人は多い。毎日が発見だからそうなるという人もいる。次々と新たなものを見て、新たな体験を重ねて成長していく。時間の密度が凝縮されている。だから、時を長く感じるとのことだ。
 年を重ねるにつれて、新たなものに出会うことが少なくなってくる。好奇心もなくなり、生きることがマンネリ化し、同じことの繰り返しのようになる。その時間密度の薄さが、月日の立つのを早く感じさせるということのようだ。

●中学・高校の6年間
中学・高校世代の各3年の6年間、確かに時は長かった。大人になった時は、もうそんなにたったのかとしか思えない程度のたった6年の時間(湯布院行きの10年も過ぎてみればアッという間だった)だが、思い返してもその何倍にも感じられた。
 ひとつは節目のメリハリがついているということもあるだろう。中学・高校とも各3年だが、1年毎の意味合いが全くちがう。新入生としての1年生、進級した2年生、卒業を控えた3年生。取り巻く環境は大きく変わり、体の方も成長し1年毎に変化する。

●「桜の園」の魅惑の原点(その1)
中原俊が、18年ぶりに自らの代表作「桜の園」をリメークした。「今さらもういいよ」とも思うし、「やっぱり同じだな」とも思うし、「でも、同じだけれど何度やってもいいんじゃないの」とも思う。そこに、我々を魅惑する原点のようなものがあるからだろう。
 一つは、男にとってファンタスティックな想像を働かせられる「女の園」の魅惑である。そこに少女だけの華やかな甘酸っぱい世界があり、子供以上・女未満の少女が繰り広げるレズビアンの美しさに似たロマンチシズムがある。
 もっとも、現実の女子高卒業生の女性の言によると、男の視線がない女集団の実態は、とてもあんなものではなく、あれはあくまでも男視線の憧れの世界でしかないとのことだ。まあ、中原俊もリアリズムはやる気はなく、男視線による理想空間を狙った確信犯であろうとは思う。

●「桜の園」の魅惑の原点(その2)
もう一つの「桜の園」の魅惑の原点は、「かけがえのない今という瞬間」ということだろうか。たかだか芝居が上演できるかできないかというお話が、なぜにこれだけの切なさと緊迫感を持つのか。それは、彼女達が卒業を間近に控えた高校3年生ということである。
 この瞬間は2度とは訪れない。やりなおしはきかない。その張り詰めた時間が、「桜の園」の魅惑の原点なのだ。そして、実は2度と訪れない瞬間を生きているのは彼女達だけではないことに、ふと気付かせられる。マンネリのように毎日を過ごしている我々大人の時間だって、今日という日は過ぎてしまえば2度と訪れることはないし、過ぎ去った年は永遠に去り、次に来る年は同じではないのだ。そのような生きていることの重みに気付かせられるのが、「桜の園」のもう一つの魅惑である。
 「桜の園」リメーク版を観て、前述したように「今さらもういいよ」「やっぱり同じだな」「でも、同じだけれど何度やってもいいんじゃないの」と、さまざまな思いが交錯したのも、そういうことなのだ。無論のこと比較をすれば、繰り返しである2008年作品よりも、ファーストコンタクトであった1990年版に軍配をあげるのは、いたしかたのないところである。

●3年という節目
「新入生の1年生」「進級した2年生」「卒業控えた3年生」、中学や高校の時間が濃密なのは、3年間のすべてに節目があるからだ。節目が時間を濃密にさせる元の一つであるのは確かだ。そして、昨年の2007年から、来年の2009年までの3年間は、私にも節目ある期間になった。
 2007年6月、私は定年退職した。職業・会社員でなくなり、フルタイムで働くことがなくなり、名刺も通勤定期券もない男になり、翌7月からは月10日勤務の嘱託になった。(嘱託の仕事は外回りと無縁のものなので名刺は不要だし、月10日勤務だと交通費は実費支給で、当然ながら通勤定期券はない)嘱託の満了期間は2年である。(ただ、契約は1年単位なので、無理して満了まで勤める必要はなく、別に厚生年金と企業年金あわせれば経済的にそれほど困っているわけでもないので、希望すれば1年で契約解除の選択肢もあったが、職場に急な病死者も出て、まあ心情的にそういうわけにもいかなくなった)
 かくして昨年2007年は前半フルタイムの会社員、後半は月10日勤務の会社嘱託として過ごし、今年2008年は、1年間を通して嘱託として過ごした。来る2009年は6月で嘱託期間満了となるので、前半が嘱託、後半は完全に悠々自適となる。いよいよ私が憧れていた湯布院を始めとした映画祭巡り歩きの名物男、浜松のT要さんと同じ境地に至るのである。このように、ここ3年間は毎年の局面が違う。やはり、こういう期間は時間はダラダラと流れない。

●いろいろあった初年度の2007年
その3年間の初年度2007年は、実にいろいろあった。日本アカデミー賞の30周年を記念しての、日本アカデミー賞協会会員一般人への開放5人枠の1人に、「ぴあ」を通じて推薦され、1年間主要劇場無料招待の恩恵にもあずかった。
 栄えある映画検定初代1級合格者になったのもこの年だった。「活弁入りカラオケ大会」で、優秀活弁賞を受賞したのもこの年だった。「映画友の会」の名司会者の渡辺正純さんから「もうツキは使い尽くしたようですから、これからはロクなことないですよ」なんて、ヘンな冷やかされ方もした。(その渡辺正純さんであるが、今年は「シルク」「コントロール」と外国映画の製作スタッフとしてクレジットされ、今や絶好調である。当然、彼の方は正規の資格を有する日本アカデミー賞協会会員です)
 さらにこの年、「湯布院映画祭日記」に度々記したように、「日常に降臨した湯布院」であったはずが、私にとって10年に1本の衝撃作「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」に出合い、「映画祭日記」で我が人生を総括するまでに、ここでも高揚するに至ったのである。

●それに引き替えイマイチの今年2008年
昨年の2007年は出来すぎであったが、案の定、今年は私にとって大したトピックもない。
 最大のトピックは「プロレス検定(プロレス知識力認定試験)」2級合格というあたりだろうか。これについては、来たる2009年開催(と多分思う)の初代1級合格を、「映画検定」同様に目指すことにしたい。心配なのは、「映画検定」が合格者対象に、さまざまなイベントを仕掛けてくるのに対し、「プロレス検定」は全く音無しの構えであることだ。主催元の「プロレス王委員会」はちゃんと存在して機能しているんだろうか、2級合格者を対象とした1級検定は開催されるんだろうか、「プロレス冬の時代」だけに気になるところである。(来年3月で、ついに日本テレビがノアのプロレス中継を打ち切るというニュースは、ショツクの極みだった)
 そうだ!もう一つのトピックを忘れていた。「御贔屓里見瑤子嬢」と「おともだち」になれたことである。そのへんの詳細は「映画三昧日記」の5月18日(日)と、「ピンク映画カタログ」の10月3日(金)の番外をご参照下さい。
 まあ「おともだち」といったって、先方が私の顔と名前を認識してくれるようになっただけなのであるが、でも、スター女優と一ファンという関係を越えて、先方もこちらを認識してくれるというのは大変なことである。ピンク映画とは別に、自主映画・芝居を通じての瑤子嬢サポーターの存在も知り、mixiのコミュ「里見瑤子〜泥の中に蓮一輪」とも縁ができた。単なるスクリーンの向こうの憧れの存在に過ぎなかった昔を思えばこの進展は、今でも夢ではないかと思っている。

●平成20年12月17日(水) 新文芸座からシネマボカンへ
12月17日(水)は「御贔屓里見瑤子嬢」出演のお芝居「どん底2008」を予約した。例によって、折角都区内に出るのだから、交通費の有効活用ということで、池袋で新文芸座の特集「野上照代が選んだ映画たち」の中の「限りなき前進」を見てから、井の頭線・池の上のシネマボカンの「どん底2008」に回るスケジュールを立てる。

新文芸座の特集は、野上照代さんに加えて「おすぎ」が相手役を努めるトークショーもある豪華版である。映画の方もトークショーもなかなか面白かったのだが、細かく記しているとキリがなく、年末で気分的に慌しいので割愛し、この後に出会った一つのエピソードを紹介することだけに止めたい。

トークショーも終わり、シネマボカンに向かうべく退場しかかったところで、後方の客席にいた浜松のT要さんと遭遇する。相変わらず元気で、こまめに上京しては細かく都内各種の映画イベントをつぶしているようである。前に「来年は浜松のT要さんと同じ境地に至るのである」と記したが、ここでお会いするとは、本当に奇遇である。私は、後の予定が押しているので立ち話程度で、来年の湯布院での再会を約してお別れしたが、何だか奇しき縁を感じた。

そしてシネマボカンにおけるナマ「御贔屓里見瑤子嬢」との再会になるのだが、ここが、瑤子嬢との再会以外にもさまざまなサプライズ続出の場となった。そのへんの顛末は「ピンク映画カタログ」番外篇の方に記してますので、そちらに寄り道していただけると幸いです。

平成20年12月18日(木) 第50回カツキチ忘年会
この日は、無声映画鑑賞会会員のカツキチ忘年会である。何と50回目だそうだ。例年どおり浅草の羽子板市の宵に合せ、「とんかつ 豚八」で開催された。会費はちょっと割高で8000円、ゲスト(特別会員)の分が入ってるから高いんだ、なんて言ってる人もいるが(本当に特別会員が会費なしの招待かどうかは私は知らない)、映画評論家の佐藤忠男先生、三遊亭円歌師匠に三遊亭金馬師匠、脚本家の石森史郎先生、そして日本を代表する澤登翠活動弁士という錚々たる方々が、挨拶とはいえミニトークショーに近いものを展開するのだから、私はそんなに高いと思わない。

「とんかつ 豚八」が会場なのは、活弁(カツベン)=とんかつ弁当(カツベン)にひっかけてのことだそうである。また、この店の売りの一つ「冷めてもおいしいとんかつ」は、なかなかの美味だ。鍋・刺身・酢の物など他のメニューも充実しており、会場では食べきれない人も少なくないが、とんかつはそのまま詰めて持ち帰りのおみやげにもなるという気の利いた配慮もしている。

ここ何年かは、散会後「蛙の会」ベテラン会員で、田辺一鶴講談大学にも参加している坂元洋さんと喫茶店で歓談するのが、私の恒例となっている。昨年は、その喫茶店に澤登翠さんが入ってきて、思わぬ歓談の輪が拡がった。今年も偶然なのか、やはり澤登さんが喫茶店(昨年と別の店だったが)にお見えになり、またまた楽しい歓談の場となった。

恐れ多くも、現代の活弁のあり方について、「坂本龍馬」活弁体験を通じて感じたことや、先月の無声映画鑑賞会「タイアップ&プロパガンダ映画の夕べ」の雑感など、前に「映画三昧日記」で記した内容を中心に、日本を代表する活動弁士の澤登翠さんの前で、酔った勢いもあり堂々と一席ブってしまった。汗顔の限りである。

坂元洋さんは、今年の「蛙の会」発表会で、巨匠・内田吐夢の社会派の傑作「生命の冠」を語っているが、澤登翠さんも最近の「無声映画鑑賞会」で「生命の冠」を語っている。澤登さんは「せいめい」の冠と語った。坂元さんの方は「いのち」の冠である。澤登さんは、山本有三の原作に倣ったそうだ。坂元さんの方は、原作のことは知っていたが、原点となる聖書では「いのち」となっているので、あえてそちらに倣ったということである。

私の活弁は、飯田豊一先生からいただいた台本を、基本的には直さずに(一箇所くらい遊びを入れますよ、とお断りをして演ったこともあったが)、語り方だけで、自分の読み込んだ内容を表現しようとしている。まあ、演技者に徹しているわけだが、自分で台本を書く場合は、相当いろいろ調べなければならないということだ。澤登翠さんと坂元洋さんのお話を聞いていて、あらためてそのことを痛感した。

昨日17日(水)は三大女優に囲まれ(何っ、それって何だ、と興味をお持ちの方は「ピンク映画カタログ」番外篇に寄ってください)、そして今日は、日本を代表する活動弁士の澤登翠さんと間近で活弁談義をし、何だか夢としか思えない空間が連続しつつ、今年も暮れていくのであった。

さあ、来たる2009年は、7月から24時間映画三昧です。私が長い間、遠くから憧れていた浜松のT要さんの地点に、ついに辿りつきます。来年は何をしよう、どこにいこう、どんな出会いがあるだろう。

今年の「映画三昧日記」はこれをもって締めといたします。皆さま、よいお年をお迎え下さい。
映画三昧日記2008年-23

11月26日(水)の「無声映画鑑賞会」に始まり、「ザ★失投パレード」「新宿Exit!お笑いバトル」を経て、12月5日(土)「物語・落語現代史」まで、連鎖するエピソードがあるのでまとめて紹介したいと思います。まあ、小ネタの羅列みたいなものですが、おつきあい下さい。

●平成20年11月26日(水) 無声映画鑑賞会
この日は、実に悩みに悩んだ。「映芸マンスリー」の発展形の「映芸シネマテーク」と「無声映画鑑賞会」がバッティングしたのである。「映芸シネマテーク」の方の上映作品は「喪服の未亡人 ほしいの…」で、ゲストは渡辺護監督と脚本・井川耕一郎氏である。「無声映画鑑賞会」のテーマは「タイアップ&プロバガンダ映画の夕べ」、何となく今回見逃したらちょっと拝見できない珍品ぞろいの予感がする。
 昨年の5月にスタートした「映芸マンスリー」に、初回から私は皆勤している。その連続参加記録が欠損するのは痛い。「無声映画鑑賞会」は「映画友の会」とバッティングした時は行かなかったり、ここ2、3年は年末の「将棋寄席」とバッティングするのでメインである澤登翠さんのリサイタルも失礼したりと、皆勤というわけではない。
 ただ、「映芸シネマテーク」の方の上映作品「喪服の未亡人 ほしいの…」は、私はすでに観ている。「無声映画鑑賞会」の戦前の「タイアップ映画」「プロバガンダ映画」は、ここで逃すと多分観られる機会は皆無だろう。結局、「無声映画鑑賞会」を選択することにした。まあ、今回の新生「映芸シネマテーク」に参加しなくても、その前身の「映芸マンスリー」皆勤の「記録」は消えるものではない。それでよしとしよう。(「記録」、「記録」と私だけで騒いでいるが、他の人にとっては何でもない話ではあるが…)
 「映芸シネマテーク」は、「映画芸術」誌のスタッフ大幅変更に伴っての「映芸マンスリー」リニューアル版ということである。毎月の「マンスリー」ではなく、開催は季刊の「映画芸術」誌に合わせて3ヶ月に一回とのことだ。月1でなくなったのは残念なのに加えて、栄えある初回は不参加となったが、出来る限り参加しようとの気持は「映芸マンスリー」の頃と少しも変わりません。素敵な企画をお願いいたします。

意外や不入りの「無声映画鑑賞会」
私の期待とは裏腹に、11月「無声映画鑑賞会」の客入りは極めてよくなかった。「タイアップ&プロバガンダ映画の夕べ」のテーマに、私のような興味を示す者は少なかったということだろうか。常連のミニコミ誌編集長のFさんの顔もない。心なしかお堅い雰囲気の人が、観客席の主流を占めているような気もする。配布されているチラシの中に「エイゼンシュテインとロシア映画100年」の「戦艦ポチョムキン」上映会のものもある。まあ、偶然だろうし考え過ぎだろうが、何となくいつもの「活狂」(カツキチ)に溢れた場内の雰囲気とは若干異なるややさみしい観客数で始まった。でも、客層の固さは左翼風で、ガチ右翼の戦前「タイアップ&プロバガンダ映画の夕べ」と馴染まないのに何故だろう。ま、全部が私の考え過ぎかもしれない。

正に珍品揃いの楽しさ(?)ばかり
上映が始まる。いや、聞きしに勝る珍品揃いだった。面白かった。でも、これを面白いと思うのは多くの王道の無声映画を観続けたからこそ珍品ぶりが楽しいので、そうでない者にとってはあきれかえって失笑するだけのしろものかもしれない。前回「映画三昧日記」で述べた「数を観ることの楽しさ」に通じるものであろう。

最初の昭和4年作品「親」は、父娘もののホームドラマで、簡易保険局の委嘱映画。貧しさに追い詰められた父娘が、亡き母がかけていた簡易保険に救われるというお話、これをギャグでなく大真面目にやるのである。

次の昭和14年作品「五作ぢいさん」は、納税奨励の宣伝映画。村の貧しい五作ぢいさんは、皆に愛される善良な人で働き者だ。高齢でもあることから、役場では、五作ぢいさんの納税をおめこぼしする。すると五作ぢいさんは、役場に行って訴える。「わしは貧しいが困ってはいない。税金は皆のためにある。私も皆の役に立ちたい。税金を納めさせてくだせえ」。そして「納税はみんなのためです。皆さん税金を納めましょう」との意味のナレーション、というかスポークンタイトルで締め括られる。皆さん、笑っちゃいけません。

続く昭和11年作品「建国の母」は、関東局・靖国神社・拓務省・愛国婦人会・本派本願寺・満鉄など、後援者の面々からして凄まじいプロバガンダ映画だ。
 主人公の母は、内地にあってはハイキングで川に落ちた少女を身を挺して救出し、満州に渡っては残虐な(!)抗日ゲリラ(八路軍?)に虐待されている貧しい満州人に、暖かい慈愛を注ぐ。ここで描かれる八路軍は、まるで昔の西部劇の獰猛なインディアンもどきだし、救出に来る日本の警官隊は騎兵隊のごとしである。建国の母は、警官隊の救出間に合わず、銃後を支えて最後はゲリラの犠牲になって果てるが、その国に身を捧げた一生は、美しき母の鏡として讃えられる。
 不思議なもので、八路軍が極悪集団に見えてきて、日本の警官隊の登場では拍手したくなり、建国の母の死に涙をそそられるのだから、映画というのはそれなりの力があるということだ。歴史的名画の中にもKKKをヒーローにした「国民の創生」があるのだから、別に驚くことでもないのかもしれない。

ここまでが第一部で坂本頼光弁士、お仲入り後に澤登翠弁士の後半となる。

後半の昭和5年作品「岐路に立ちて」は郵便年金貯金の宣伝映画である。村の青年が大志を抱き、婚約者を郷里に残して都会の大学に入学するが、優秀な成績にも関わらず折からの不況で志半ばにして、尾羽打ち枯らし郷里に悄然と引き上げてくる。すべて絶望的な状況の中で、救世主となったのは、納め続けていた郵便年金貯金であった。って、これもジョークじゃなく大真面目なんですよ。

もう一本は昭和6年作品「美しき愛」で、農林省畜産局のタイアップ映画だ。実の父のように養父を慕う娘の話である。平和に暮らしていたが養父が病に倒れ、間の悪いことに飼育していた牛まで死んでしまう。養父の治療費のために、娘は都会に出て踊り子に身を落とすことを決意するが、牛にかけていた保険で救われメデタシメデタシとなる。これもギャグでもジョークでもありません。大真面目にやってます。

笑ったが、でも、決して嘲笑・失笑ではない
以上5本、かなり笑わせてくれた。歴史に残る名作・傑作でもないし、全ての人に必見なんて薦められはしない。ただ、映画を愛する者に限れば、歴史の記録として、やはりそれなりの面白さを感じられると思う。「数を観ることの楽しさ」とはそういうことなのだ。
 そして笑ったと言ったが、断っておくが決して嘲笑・失笑の類いではない。平成の目でみればナンセンスな部分もある。ただ、映画に携わった人の真摯な姿勢は、確実に底に流れており、ある種の微笑ましさを感じた笑いであることはまちがいない。
 製作者は、現代のシラケムードのように、斜めに構えてはいない。保険も税金も、根底にあるのは「助け合い」が原点のはずなのだ。その原点を信じる、いや、信じたいという熱い姿勢を感じる。受けて立った映画人も、映画という新しい表現媒体を通じて、世に広く訴えようという誠実な姿勢が感じとれるのだ。嘲笑・失笑に堕ちない理由はそこにあると思う。

坂本頼光・澤登翠、両弁士の良さ
坂本頼光・澤登翠、両弁士の活弁も、的確であったと思う。決して揶揄・嘲笑からは程遠く、真摯・誠実に昭和初期の純で熱い心にのっとって語りつくしたと思う。
 以前の「映画三昧日記」で、飯田豊一先生の「現在と比べて、無声映画の稚拙さその他を、冷笑するような口ぶりでカツベンをやっている人を見たことがあります。私はモーレツに腹を立て、客席からその弁士をにらみつけました」という一文を紹介した。今回の「無声映画鑑賞会」の良さもそこに関係していると思う。再び飯田先生の一文を引用すれば「映画の創成期の作品に対し、すこしでも、一言半句でもせせら笑うような言葉を発するのは、お客さまに対して、これほど失礼なことはないでしょう」ということだ。一面の時代錯誤にゲラゲラ笑いながらも、何故か微笑ましい感動に通じてくるのは、そういうことなのだろう。平成の我々は、昭和初期の原点にのっとった誠実さといかに離れ、歪んでいるのだろうか。

「ザ★失投パレード」PR
「無声映画鑑賞会」で配布している私が編集の「話芸あれこれ」であるが、この月の特集は『発表会だけじゃない…「蛙の会」会員、大忙し』だった。「発表会」を終えいくつかの紙芝居イベントを経て年末の「将棋寄席」主催へ向かう湯川博士さん。「発表会」1週間前に「北とぴあ演劇祭」に参加した飯田豊一先生と高橋晴美さん。そして「発表会」翌月に「失投パレード」の出番がある私。以上の4人の近況レポートを特集の形で取り上げた。
 特集の後には、バトルロイヤル風間さんの「蛙の会」の発表会見物記を、ご好意でブログから転載させていただいた。この見物記の終盤で「ザ★失投パレードでは、前のめりに失投していただきたい」と、私へのエールがあった。この際だから悪乗りしちゃえとばかり、「ザ★失投パレード」のチラシも「無声映画鑑賞会」配布チラシの中に入れてくれることを、「蛙の会」会長・マツダ映画社の松戸誠専務にお願いし、快諾をいただいた。
 お仲入りの時、坂本頼光さんに挨拶がてら「ザ★失投パレード」のチラシを手渡しする。「ザ★失投パレード」出演の新作落語のヂェームス槇さんは、これは高座名で、本名は吉川悟史さん、若手お笑い芸人の会を積極的にプロデュースしている。頼光さんもユニークなアニメ活弁で、何回かそれらの会に参加している。12月3日(水)の吉川さん主催の「新宿Exit!お笑いバトル」にも出演者に名を連ねている。「吉川さんも出演しますので、お時間がありましたら…」と、私はプッシュする。「夜は公演が入っていますが、昼は空いてるので行きたいと思います」と、うれしいご返事だった。
 私の演目「活弁コント」の中で、今年10月の東京国際映画祭提携企画、神宮会館のフルオーケストラ・英語字幕付・坂本頼光弁士の「雄呂血」を紹介するつもりなので、「実は頼光弁士、客席にお出でです」とやったら、これは盛り上がるだろうななんて、想像は膨らむばかりである。
 私も、『12月3日(水)の「新宿Exit!お笑いバトル」は行くつもりです。アニメ活弁、楽しみにしています』と、頼光さんとエールを交換したのであった。

●平成20年11月30日(日) ザ★失投パレード
いよいよ「ザ★失投パレード」本番の日だ。顔を合わせる早々、主催者のバトルロイヤル風間さんに、私から「坂本頼光さんが来るかもしれれません」と告げる。「えっ、頼光さん、今日は公演が入ってましたよ」とヂェームス槇さん。「いや、昼は空いてるので来てくれるようなことを言っていました」と私。「そんな状況で来るわけないよ。社交辞令の挨拶だよ」と酔水亭珍太さん。
 結果としては、頼光さんは来るつもりだったが所要が入り来られなかった。だが、後日に頼光さんの律儀で誠実な心に触れ、ちょっと感銘を受けるのであるが、それはまた先の話である。

「ザ★失投パレード」の客入りは、当初の立ち上がりが悪く危惧したのだが、開演時には空席が数脚程度で、プロレス会場流に言うならば満員マークが出る盛況だった。実はこの日、いつもならお客さまとして当然来場するあっち亭こっち師匠が、鎌ヶ谷で「にぎ愛寄席」を主催しており、お客さまとして期待できる「蛙の会」会員、坂元洋さん・湯川博士さん・恵子さんご夫妻の3人を、演者として拉致(?)してしまったのである。「バッティングしなければ超満員マーク(これもプロレス流の言い方)が出ましたね」と、プロレス者の風間さんに言ったのであった。

平成20年12月3日(水) 新宿Exit!お笑いバトル
「新宿Exit!お笑いバトル」の会場は、最近の吉川悟史さん主催イベントの常設会場として定着しつつある「BAR非常口」である。他の人から、ものすごく分かり難い場所だと聞いていた。確かに地図を見ても、極めて分かり難い。前「映画芸術」編集長の武田俊彦さんから、「映画芸術」の忘年会場「bura」の裏あたりとの、アドバイスを受ける。
 アドバイスを受けておいて、本当によかった。これでは、他の人も着くのに難航したのはよくわかる。とにかく入口からして「非常口」の表示なんだから。BARの入口とはとても思えない。

チラシによると、open 19:00、close 23:00とある。入場するなり「マジですか?」と吉川さんに聞く。「ええ、休憩も入るからそんなところじゃないんですか」と、吉川さんは淡々としたものである。こりゃ体力戦じゃわい、と覚悟を決める。プログラムは2人(組)の若手お笑い芸人がお座敷を終えた後、赤青いずれかの札を観客が掲げて勝負を判定する「お笑いバトル」だ。5分・7分・10分が取り混ぜられた一本勝負で、全8試合である。坂本頼光さんは、ゲストとしてアニメ活弁を語る。

全8試合で、私の判定と場内の判定が一致したのは三つ、3勝5敗(?)の負け越しだった。「湯布院映画祭」の「memo」の項でも述べたが、私は「10人中3人に届けばいい」との佐藤二朗監督の笑いの狙いで、栄えある3人となったのだから、負け越しもセンス・オブ・ワンダーの証明として良しとしよう。

坂本頼光さんは、アニメ活弁で自作の新作「ザザエさん」(ご注意を!「サザエさん」ではありません)を、熱演・怪演・珍演する。
 絵の基本は「サザエさん」のパロディである。ただし波平はなぜか殿山泰次の似顔で、アナゴくんは田中邦衛、タマに至っては猫の着ぐるみのピーター・フォークだ。活弁にあたっては、これらのキャラは声帯模写で演じられる。(ピーター・フォークはコロンボだから、小池朝雄の真似になるが)頼光さん、声帯模写だけで食べてけるんじゃないかと思わせる達者さだ。
 ストーリーは、ヒロポン中毒の波平が起こす大騒ぎであり、破天荒の限りである。場内は報復絶倒・大爆笑の渦であった。

私の出番はこの時とばかり客席から、頼光さん登壇時には「待ってました!」、全巻の終わりになったら「日本一!」と、大声で掛け声をかける。司会者から、「頼光さんの独演会みたいですね」と冷やかされる。

フィナーレの時に、驚くべきことが起こる。舞台から私の前に坂本頼光さんが降りてきて、「先日は行けなくてすみませんでした」と、何と菓子折りを出したのである。挨拶をしにくるだけでも驚きなのに、菓子折りまでもらっちゃって、頼光さんの律儀さと誠実さには、ただただ痛み入るのみである。
 この日の客席の顔見知りは、バトルロイヤル風間さんと、「ザ★失投パレード」を中心に様々なイベントの常連客となっているO嬢。風間さんは「客席から舞台への差し入れはよくあるけど、その逆はなかなかないよね」と感嘆していた。
 吉川さんの予想どおり、終演はほとんど23時、いつもなら顔見知りこぞって飲みにいくのだが、さすがに遅すぎる。二日後の「物語・落語現代史」での再会を約し、別れたのであった。

話は変わるが、10月27日(月)「おたべちゃん東下りの会」で急な豪雨に襲われ、折りたたみ傘で難を逃れた。そして、開いたまま持ち歩いて2次会は「映画芸術」忘年会場である「bura」に行ったのだが、見事に傘を忘れてきてしまった。でも、新宿にはよく出るが、「bura」開店中の遅い時間までいる機会は少なく、なかなか取りに行けなかった。折角の機会だから「bura」に立ち寄り、無事に傘は回収できました。荒井晴彦さんは例によって鎮座してたけど、携帯で一生懸命に話し込んでいたので、時間も遅いことから挨拶もそこそこに引き上げました。

平成20年12月5日(金) 「物語・落語現代史」
夢月亭清麿師匠企画の連続講座、客演・今岡謙太郎教授、制作・河本晃さんの「物語・落語現代史」は、この日に第8回を迎え、絶好調である。ただし、落語について詳しくない私は、ただただ感心して聴き入るばかりで、ここであまりコメントできるものはない。
 ここのお客さまや関係者が、「ザ★失投パレード」のお客さまや関係者と、かなりカブっているのである。そこで打ち上げの席で、坂本頼光さんから菓子折りをいただいたいきさつを紹介して、菓子折りのクッキーをみんなでありがたくいただきました。みんな、頼光さんの律儀さ誠実さに感嘆したようである。坂本頼光さんの応援団は、かなり拡がったのではないだろうか。

以上、小ネタの羅列の、11月26日(水)の「無声映画鑑賞会」から、「ザ★失投パレード」「新宿Exit!お笑いバトル」を経て、12月5日(金)「物語・落語現代史」までの、「映画三昧日記でした。
映画三昧日記2008年−22

●量を観ることの楽しさについて 「ソウ」シリーズを振り返る

快調!「物語・落語現代史」
夢月亭清麿師匠の企画による「物語・落語現代史」が快調である。客演参加が今岡謙太郎教授で、制作が河本晃氏、チラシのイラストはバトルロイヤル風間氏、12回シリーズの長丁場だ。5月にスタートし毎月1回のペースで、11月で7回を数え折り返し点に達している。

第6回「古典落語の王様 文楽と志ん生」で、色川武大「寄席放浪記」の次の一節が紹介された。やや長いが以下に記す。

“それは寄席の味と似ている。たくさん出演者が出てきても、本当にいい高座は一夜に一つあるかなしかで、大部分は辛抱して聴かなければならない。退屈な寄席というものは、相当に苦痛で、居ても立ってもいられない。なぜ自分は貴重な時間をこんなところで過ごしているか、と思う。ところがそこに中毒してくると、まさにその退屈を味わいにきているので、そこが贅沢な遊びだということになるのだ。”

これを受けて
「寄席に限らず、映画もプロレスも同じです。ひとつひとつはつまらなくても、量を観ることによってしか、醸し出されない楽しみというものがあります」 と、映画評論・プロレス評論まで多彩にこなす清麿師匠らしいコメントがあった。これに私は全面的に共感した。

愚作も楽しく観られるのが、本当に好きな証
あらゆるジャンルにおいて、作品の質は玉石混交である。そして、石の方が圧倒的に多い。その玉だけ楽しむだけの人を、そのジャンルを真に好きな人と言えるのだろうか。玉の作品は、ジャンルの好き嫌いに関わらず楽しめるレベルにある。そんなものを楽しめるのは当たり前だ。むしろ、石をも含めて楽しむことができる人こそ、真にそのジャンルを愛する人と言えるのではないか。
 今年の1月5日(土)の「映画三昧日記」で私は、「エイリアン」1〜5、「プレデター」1〜2に関して、戯れ楽しんだ。こんな楽しみも全作観ている人間の特権である。『「エイリアン」?スコットとキャメロンだけで十分だよ。「プレデター」はマクティアナンの第一作だけでいいでしょ』と言って済ませているだけの映画好きには、到達しえない境地なのだ。

プロレス前座試合の楽しさ
私は「プロレス者」を自称しているが、実は「TVプロレス者」「活字プロレス者」と言った方が近い。会場には、それほど頻繁に足を運んでいるわけではない。
 一般的には前座試合はつまらないという。メインエベントは面白いという。メインエベントでもビッグマッチのそれの方が、より面白いという。当然である。誰でも面白さを感じさせる域に達しているからこそ、メインでありビッグなのだ。そんな者はプロレス者でなくても、楽しめるのである。
 たまの観戦ではあっても、私は前座の試合を大いに楽しんでいた。TVには登場しないレスラーでも、「活字プロレス」の中では、注目株としていろいろ紹介される。それを生で観る面白さは、試合レベル云々を越えた面白さである。
 FMW前座の江崎英治は、なかなかのものだと思って観ていた。それが後のハヤブサとなってブレークした時、他人事ながらひどく嬉しくなったものだ。もちろん前座時代の江崎英治の良さは、あくまでも「前座としては」というカッコ付きのものである。「プロレス者」でない人間までも楽しませることができているかと言われたら、?を付けざるをえない。でも、それを楽しめるのか否かが、「プロレス者」か否かの差だと思う。

「ソウ」と私の接点
さて、前置きが長くなったが、今回のメインテーマの「ソウ」シリーズである。ついに今年の秋で5作目を数えるに至った。振り返ったら、私は、結果的に第3作を除く4作品を観ていた。
 別に意識的に観続けたわけではなかった。まあ、第一作の衝撃とインパクトは強烈、これは必見ということで映画好きなら誰でも喰い付いただろう。でも、2作目以降をこまめに追っかけようという奇特な者は、そう多くないはずだ。かくいう私も奇特でない方の部類だった。
 「ソウ2」を観たのは試写状をたまたま入手したからに過ぎない。だから「ソウ3」は未見のまま過ぎた。「ソウ4」は、日本アカデミー賞30周年記念の一環で、「ぴあ」推薦により一般人からの特例会員に入れていただいた年に公開されたので、無料招待の特権で観た。そして「ソウ5」も、試写状が手に入ったので観にいったに過ぎない。しかし、偶然とはいえ、これが「量を観る楽しさ」に通底していたのだ。

ここから先は、ネタバレのオンパレードです。ご承知おき下さい。

歴史に残る第一作「ソウ」
第一作「ソウ」は、ジグソウなるたぐいまれな変質者を世に送り出しただけでも、やはり歴史に残る一本だろう。密室で強要される殺しあいの仕掛けの謎、先の読めない展開、主人公ジグソウ登場による意表をついた結末。この殺人淫楽症、いや「ソウ5」で「私は殺人鬼ではない。努力した者は生き残れるようにしている」と言明しているように、人を生死の境でのたうつ場に追い込み、観察して楽しむという特異なキャラクターの造形は、ユニークな映画空間を造形した。
 ただし、私としては、生理的痛覚をじかに刺激し、陰々滅々たるどうしようもない暗い世界は全く趣味でなく、パート2ができようとも食指は動かされないだろうと思った。

「ソウ2」「ソウ4」の意外な展開
そんな気持だったから、積極的な意志もなく、でも試写会とアカデミー会員無料招待があったので、意地汚く「ソウ2」「ソウ4」と、飛び飛びに観た。
 「ソウ2」は、第一作を踏襲しながら、ジグソウが不治の病という新たな設定が加えられた故に、瀕死のジグソウが最後の大仕事とばかりに、被害者人数も仕掛けの規模もスケールアップさせて、いかにもパート2らしいパターンに終始した。
 そして、「ソウ3」をパスしての「ソウ4」との遭遇となる。「ソウ2」で不治の病だったジグソウは、冒頭から死体で登場する。これで、どう話が展開するのかいな、と思っていたら、死体に仕込まれたダイイングメッセージに操られた男が、ジグソウの仕掛ける猟奇世界を再現していくのである。ずいぶん苦肉の策になったものだと思った。

そして「ソウ5」へ
ここまできたらもう第5作のネタも尽きたろうと思いつつ、無料の試写会だから、全く期待しないで「ソウ5」に出掛けていった。
 ジグソウ亡き後、何故かジグソウが仕掛けたかのごとき、被害者が自我剥き出しの殺し合いに近くなる地獄絵図が、またまた仕掛けられて展開する。そして、並行してジグソウの過去のエピソードが描かれる。時制的には「ソウ1」と「ソウ2」の間の頃か。ジグソウは不治の病を自覚しているが、「ソウ2」の時ほど瀕死ではない。死を自覚したジグソウは、自らの遺伝子を残すかのごとく、後継者を「教育」していたのだ。
 この二つのエピソードが結びついて、「ソウ5」の密室地獄絵図再現の謎が、最後に解ける。「教育」されたニュー・ジグソウは、ジグソウのごとき単なる淫楽症ではなく、社会正義により悪徳者を処刑としていくとの、大義名分の意志要素が加わる新時代の変質者に変貌し、より複雑な時代の空気を反映していく。

かくして「ソウ」は無限に続く
「ソウ4」で、ダイイング・メッセージに操られた第一のジグソウのコピーが登場し、「ソウ5」では、「教育」され社会正義の大義名分まで背負った第二のジグソウのコピーが登場する。不治の病を自覚したジグソウは、これ以外に何人のコピーを「教育」していたのかは、見当もつかない。ジグソウ後継者「教育」シリーズ、ジグソウのコピーの暗躍シリーズ。この調子で行けば、「ソウ」シリーズは客を集める限り、無限に続けられるネタを確保したようだ。「ハロウィン」のブギーマン、「13日の金曜日」のジェイソン、「エルム街の悪夢」のフレディに継いで、また新たなキャラが映画の世界に誕生した。
 「それってありかよ、もういいよ」という人もいるだろう。ただ、量を観ることにより発生する映画の楽しさの一つは、そういうものでもあるのだ。「エイリアン3」で死んだリプリーが、クローンで復活したごとき破天荒な楽しい世界は、ここにもあったのだ。映画を愛する心の中には、そういうものもあって然るべきだと私は思う。私は今、「ジグソウ死す」の「ソウ3」を見逃したことをひどく後悔している。
映画三昧日記2008年−21

●「ザ☆失投パレード」近づく
「湯布院映画祭日記」の最後の方にちょっと記したが、「ザ☆失投パレード No.7」11月30日(日)の高座が近づいてきた。そろそろ本格的な準備が必要である。
 「湯布院日記」の時点では、「何をするか。全く未定である」と記した。でも、私の似顔絵イラスト入りで「たいへんな芸」と紹介されたチラシは、もう出回っている。演し物の案については、「ボードを使いながら、活弁のサワリを聞かせ、ミニ映画史講座みたいなものをからませて漫談調で語るという『鎌ヶ谷にぎ愛寄席』などで演じたものの、バージョンアップということにはなるだろう」と、これも「湯布院日記」で記した。
 とにかくこれまで「活弁コント」「活弁紹介講座」「活弁漫談」と、タイトルも紆余曲折しながら今日に至っている演し物を、どうバージョンアップしていくかだ。ボードをかかげながら、活弁のサワリを聞かせ、簡単な映画史ミニ講座をコラボレートしていく基本は変えようがない。

●素人寄席ピン芸に手を出した頃の思い出
思い返せば、社会人寄席のピン芸に手を出す破目になったのは、平成18年だった。言い出しっぺは、社会人落語家のあっち亭こっち師匠だ。「活弁を生かして、何かできますね」「いや、スクリーンがあるからできるんで、ピン芸は無理ですよ」「いや、周磨さんなら必ずできますよ。できます!必ずできますっ!!」嘘も百回言うと真実になるというが、あっち亭師匠の勢いに押されて、ホントに何かできる気にならされてくるから恐ろしい。あれよあれよという間に、5月7日「鎌ヶ谷お楽しみ劇場」での初舞台が決まってしまった。
 ところが、さらに凄まじいことになる。デビュー2日前の5月5日に、日立寄席の重鎮・社会人落語家の酔水亭珍太さんが主催する「村井しげるの常泉寺ワンコインコンサート」に客で行くつもりが、「練習がてらに前座の一人として、出演を願います」となった。バトルロイヤル風間さんからは、ブログで「急にデビューなんて、巡業中に急にデビューするプロレスラーのようではないか」と、いかにもプロレス者らしい激励(?)を受けた。
 ちなみに、この珍太さんとは「ザ☆失投パレード No.7」で同じ舞台を努めることと相成った。奇しき因縁である。
 その後、舞台度胸をつけさせようとの御好意か、あっち亭の師匠からは鎌ヶ谷で数回程度の場を提供された。それとは別に、定年後に介護の仕事についているかつての会社の同僚から依頼されて、老人ホームのサンビュー城東でも、2回ほどの経験を積まさせていただいた。
 今回はこれまでの経験の反省から、意識的に笑いを取りにいくような無理は、避けたいと思う。素直に活弁と映画への愛を語り、その中で自然に笑いも出れば、それで良しとしたい。
 今まで、意識的に笑いを狙った時は、ほとんどスベッてばかりいたことが多いような気がする。笑いに限らず、人様に見せる芸は、自分がいいと思って乗ったものが、必ずしもお客さまにとってはよくない、いや、自分だけが乗ってるぶんスベることが多いみたいなのである。それは、私の芸の至らなさかもしれない。どうも、私は演出家が必要な人間のような気がする。そのへんのあたりを、もう少々ふりかえってみたい。

●今年の「蛙の会」のフィナーレ
私は、「蛙の会」の全体進行を担当している。今年のコンセプトは「懐かしさより新しさ」とすることで考えた。活弁も街頭紙芝居も、リアルタイムで知る人はもはや高齢で少ない。むしろ、活弁は現代映画の原点であり、街頭紙芝居は劇画・コミック・ジャパニメーションやジャパニーズホラーの原点である。そこに潜む斬新な感覚を、全面に出そうと思った。
 全体進行を考えるのに、まず必要なのはプログラムの演目順だが、これは「蛙の会」会長でマツダ映画社の松戸誠専務が作成してくれ、毎年感嘆させられる。お客さまを飽きさせない見事な(休憩・お中入りのタイミングも含めて)配列なのである。プログラムの編成は、それだけで演出であることを痛感する。
 湯布院から帰って、さっそく会長に「そろそろプログラムの編成を…」とお願いした。何日も待たずにメール返信が入った。今年も見事な編成だ!ただ一点を除いては…。何と!私の「坂本龍馬」がトリになっているのである!これは、会長の最大の過ちであろう。会長に再確認したら「作品的に一番まとまってますし…」とサラリとかわされた。
 そりゃ映画はよくまとまった名画だけどねえ…。だけど、暗くて重い歴史劇で、最後は主人公が暗殺されちゃうなんて…。これトリにしたら、お客さんにとってどんなもんなんだろう。私は「黄金バット」あたりをトリとして、全体進行を考えていた。自分の演目の前説・後説も構想を練っていたが、トリという想定は全くなかった。でも、これは会長の「そろそろトリをやってみなさい」という檄でもあろう。構想の練り直しを検討する。

●私の「坂本龍馬」後説の再検討
私の後説は、坂本龍馬の無血革命平和主義を、現代に通ずる要素として
 「いかがでございましたでしょうか。いつの時代にも威勢よく戦争を始めたがる人間はいるものでございます。アフガン・イラク、二十一世紀になっても戦火の絶えることはありません。こんな時代だからこそ、坂本龍馬の平和主義!あらためて噛みしめてみる必要があるのではないでしょうか」と締めるつもりでいた。
 トリでなく中盤ならば、この真面目な固さも、適度なアクセントになると思ったのだ。しかし、トリとはねえ…といっても、すぐ対案が思いつく訳でもない。この際、逆転の発想に出ることにした。
 後説の堅苦しい真面目さの基本は変えない。ただ、後説の最後に、ガラッと相好を崩して、「ちょっと真面目になってしまいました。本日は長時間ありがとうございました」と転換を図れば、トリとして何とかなるのではないかと考えたのである。リハーサルで、そのとおり語り、まあいいんじゃないの、との他の会員の感触だった。

●反省会(飲み会?)で新たな提案
リハーサル終了後の有志の私的反省会(早い話が飲み会なのだが)で、ある人から意見が出た。飲み会とは言え、過去にもここで貴重な意見が数々出ており、決して侮れない。「平和主義とか、必要とか、あまり固い言葉は、お客さんに押しつけがましくてよくないかもしれないよ」「だから、その後にガラっと相好を崩してアクセントをつけるわけですから」「まじめにサラっと語って終わりにしたらどう?周磨さんには自然に醸し出すユーモアがあるから、それでも十分だとおもうけど…」
 私は、以前にもあっち亭の師匠から、天然のフラがあると言われた。笑いを取ろうと思わずに真面目にやると、どこかおかしいユーモアが出るとのことなのである。これは、今年の2月に「MISAKOまつり」の司会で、演出された時にも思い知ったことである。(「MISAKOまつり」については項を改めます)
自分のことは自分が一番わからないものだ。

結局、後説は
「いかがでございましたでしょうか。いつの時代にも威勢よく戦争を始めたがる人間はいるものでございます。アフガン・イラクに戦火の絶えない今、坂本龍馬を見なおしてみるのも、いいんではないでしょうか。本日は長時間ありがとうございました」と、淡々とサラリと流してみた。直接お客さんから伺ったわけではないが、感触は悪くなかったと感じている。

●笑いを取る難しさ
「活弁コント」(あるいは「活弁漫談」)は、前述したように、あっち亭こっち師匠企画の「鎌ヶ谷にぎ愛寄席」などで、何度か高座の機会を与えていただいた。当然、「あっち亭こっち一座」の末席に連なったからには、名にしおう厳しい稽古会からは逃げられない。そこでの駄目出しによる試行錯誤は、ずいぶんためになった。
 昨年の「映画三昧日記」で、「北国浪漫」の活弁入りりカラオケ大会で、優秀活弁賞をいただいたことを紹介した。演し物に、そのネタを取り込もうとチャレンジしたこともあった。「北国浪漫」の活弁のサワリを盛り込みながら、カラオケ大会風景として、おばさん(失礼!熟年女性)パワーをユーモラスに紹介して、笑いを取ろうとした。
 これが、見事に稽古会でスベッて受けない。「そこの部分、全部いらないですね」と、あっち亭師匠から決定的駄目出しが出る。「いや、じゃカラオケ風景はサラリと流し、活弁のサワリだけ残して…」と未練がましくモゴモゴ言うのに対し、「いろいろ考えられたんでしょうけど、全部いりません!」とキッパリ宣告される。最後に「その前後に、往年の名画の活弁のサワリを紹介するんでしょう。『北国浪漫』が大ヒットしたならともかく、そんな歌、誰も知りませんよ。そんなものを入れたら、活弁全体が安っぽく見られますよ」なるほど道理である。活弁愛から鑑みて、活弁が安っぽく観られたらヤバイ。私も全面カットに同意せざるをえなかった。
 逆に、そんなに意識してないのに笑いを取れたこともある。徳川夢声のエピソードで、酔って演台にあがり寝込んでしまって一言もしゃべらなかったチョンボに対し、客が「なるほど、これが無声か」と帰ったというのがある。同じ弁士出身の牧野周一がよく使ったネタである。私はそのネタを、さりげなく恐る恐る盛り込んだ。あっち亭の師匠は、人様のネタをオリジナルのような顔をして使う演者には厳しい。落語のまくらなんかでそんなのがあると、怒り心頭に発している。これはヤバいかなと、半ば思っていたら「いいですねえ。それ、ぜひ入れましょう」と言われた。「でも、これ有名な牧野周一ネタですよ」「いいんですよ。もう、そんなの知ってる人、全くいませんよ」そんなものかなあと半信半疑で演ったら、確かにお客さまに受けて。笑いが取れた。
 笑いが取れるかどうかは、本当に自分ではよくわからない。

●私にとって、演出家は大切な存在(その1) 「MISAKOまつり」
今年の2月に「MISAKOまつり」の司会は、笑いも取れて好評だった。バトルロイヤル風間さんからも、ブログで「周磨さんの演技がちょうどよくおかしい」と、お褒めをいただいた。ただ、これはすべて総合演出の河本晃さんの功績だと、私は思っている。
 「MISAKOまつり」の司会を受けるにあたって、演出の河本さんに「蛙の会の全体進行役の延長みたい感じでいいですか」と伺ったら、「まあ、そんなとこです」とのことだった。ところが台本が上がってきたら、オープニングにMISAKOさんとコント風のやりとりがある。これが、MISAKOさんからビンタは食らうわ、蹴りは入れられるは、大変なものである。
 こりゃ精力的に笑いを取らにゃあなるまいと、視線はMISAKOさんと客席を大仰に往復させるオーバーアクトで見得を切る感じで、まずは始めた。河本演出家から疑義が出る。「客席に視線を向けるのは意識的ですか」「そうですが…それがお客さんへの気配りと思いまして…」「必要ないです。それでなくても、周磨さんは存在感が強いからMISAKOさんが消されちゃいます。あの…『MISAKOまつり』ですから…」
 結局、大袈裟に客席に視線を向けて見得を切るのは、「はい!私は嘘と学生運動は大嫌いであります!!」と宣言する一回限りとした。これが風間さんいうところの「演技がちょうどよくおかしい」というところに通底したようだ。これは受けた。どちかといえば「キネマ旬報」と「映画芸術」をまたいで展開された私と荒井晴彦さんとのやりとりの、楽屋落ち的ギャグのはずが、「学生運動」という突拍子もないフレーズの響きで笑いにつながったのだ。なるほど、演出というのはこういうものか。風間さんがブログで言う「周磨さんの演技を控え目にさせた河本演出の的確」、確かに的確な評である。
 余談だが、ビンタとか蹴りとかは、派手な音がして痛そうな時はぜんぜん痛くないことを発見した。MISAKOさんに「大丈夫ですか?」なんて心配された時は、ノーダメージである。逆に、さりげなく尻を蹴られたくらいにしか見えない時に、股間近くに当たり、ウッとなったりする。プロレスの大技の応酬でよく怪我をしないもんだと感心するが、ホントに怪我した時は、アレッという感じで崩れ落ちるのが、何となく理解できた気がする。

●私にとって、演出家は大切な存在(その2) 「北とぴあ演劇祭」
昨年、私はひょんなことから「北とぴあ演劇祭」に参加し、カメオ出演(?)的な駅員役が意外や好評を受けた。この顛末は昨年の10月6日の「映画三味日記」に記したので、ここでは細かく繰り返さない。しかし、この時も演出家の津田ますひろさんのさりげないリードに舌を巻いた。
 大雨による運行停止の、リアルな駅の構内放送のはずが、やがて駅員さんも舞台に立ちましょう、となった。そして、ミニチュアの駅に如雨露で水をかけるトポーロジー空間的舞台となり、鼻歌での「男はつらいよ」による登場となった。浮世離れのユーモラスが好評を博すと共に、「あんな駅員さん、いそう」との感想もあり、ある意味でのリアルさも獲得したのだ。すべて演出の力だ。ホントに、私は自分のことはあまりわからず、演出家が必要だと痛感した。

●さて、自作自演の30日(日) どうなることやら
バトルロイヤル風間さんは、前述したブログの「MISAKOまつり」評で、オープニングについて「これを発展させてコントできるね」と記していた。だから、今回のオファーも、MISAKOさんとのコンビで、河本晃さんの立派な台本と演出に、大船乗った気でいりゃいいのかな、と勝手に思っていた。
 ところが風間さんは、これまでピン芸で演じていた「似顔絵王子」を、MISAKOさんとのコンビの「東京モンキーズ」でバージョンアップしていきたいとということになった。かくして、東モンにMISAKOさんを拉致されたので、私は自作自演しかなくなった。さてさて、どうなることやらといったところである。
 いずれにしても、11月30日(日)、「ザ★失投パレード No.7」の概要を紹介いたします。木戸銭500円のうち、私の芸は1円、残りの方が449円ということで、なにはかくあれ賑々しく御来場いただければと思います。

●「ザ☆失投パレード No.7」
 11月30日(日)  午後2時半開場 午後3時開演 4時半終演予定
  ムーブ町屋・ハイビジョンルーム(地下鉄 千代田線 町屋下車 駅ビル4F)
                        木戸銭500円(豆大福付)
   コント「ニガオエ王子」
           東京モンキーズ(バトルロイヤル風間 MISAKA)
  「爆走新作落語」 ヂェームス槇
  「スイスイトーク」酔水亭珍太
  「たいへんな芸」 周磨要
映画三昧日記2008年−20

2ヶ月以上ご無沙汰の「映画三昧日記」の再開です。「湯布院映画祭日記」から、またこちらのコーナーに帰って参りました。とは言いましても「湯布院日記」で記したように「湯布院」は日常に降臨し、その延長の感じで「映画三昧日記」も続いていきます。

この間「映画三昧日記」の話題の延長としては、10月3日(金)に「御贔屓里見瑤子嬢」との「お友だち感覚」の進展があったのですが、「湯布院映画祭日記」アップ途中ということもあり、「ピンク映画カタログ」10月3日(金)版に番外篇としてアップいたしました。気になる方(そんな人はいないか)は、そちらも覗いてください。


●平成20年10月19日(火) 「蛙の会」発表会の話題あれこれ

もう死んでもいいと思った充実感
「蛙の会」発表会が終わった。今年は、リハーサルが諸般の都合で前日でなく、1週間前の10月12日(日)だった。この頃が実は一番嫌な時期である。当日をイメージすると、嫌なことばかりが脳裏を掠める。オープニングの挨拶で絶句したらどうしよう…活弁で声を張った時に唾が喉にからんでむせこんだらどうしよう…etc。やなイメージばかりが浮かぶ。アドレナリン全開になって、逃げ出したくなる。何で、こんなことを始めちゃったんだろうと後悔する。二度とこんなことをするもんかと、決意する。でもかなりの、ベテランのプロでも公演の直前はナーバスになると聞くから、ド素人の身ならば当然なのかもしれない。
 だが終演になると、また演りたくなるから不思議なものである。芸人・役者に引退はないし、プロレスラーが何度も引退・復帰を繰り返すのは、お客さまの前に立つ魔力というべき魅惑があるからだろう。それに通じているのではないか。朝の会場準備から開演までの、気の遠くなるような緊張感、終わった時の安堵感。打ち上げの開放感。この気分は最高だ。

「蛙の会」の打ち上げは、オフィシャルなものではなく、完全に有志参加のプライベートなものだが、いつもこの場を自発的に仕切ってくれるのが、社会人落語家のあっち亭こっち師匠である。30人になんなんとする宴会を場所探しから進行まで、すべて面倒を見てくれる。あまりにも申し訳ないので、今年は、どうせ例年どおり演者・お客さま合わせて30人規模の宴会になるのが解っていることでもあり、ギッシリ詰めて40人程度の部屋だけは抑えておいた。その部屋がほぼ埋まるほどの盛況な打ち上げになったのも嬉しかった。
 ただグダグダ飲むのではなく、あっち亭師匠からメリハリのある進行が提案され、第1部は私の司会で「演者の弁」の部、第2部はあっち亭師匠の進行でお客さまから悪口雑言罵詈讒謗(?)の厳しいご意見を伺う2部構成で、有意義にして大いに盛り上がったのであった。

完全にハイになった私は、もうどうにも止まらず、散会後も、もう一軒、もう一軒と有志を誘ってハシゴを繰り返し、終電車まで飲み続けたのであったが、恐れ多くも真打のプロ夢月亭清麿師匠にまで最後までつきあっていただき、恐縮・感謝・感激の嵐であった。
 帰宅して寝床についた時、私はホントにもう死んでもいい、明日このまま目が覚めなくてもいいや、とまで思っていた。もっとも、本当に死神が来て「お前は今日で死ぬ。明日の目覚めはない」なんて告げられたら、大いにジタバタするでしょうけどね。

自信につながった大チョンボ
今回の活弁も大チョンボがあった。
 手元を照らす演台上のスタンドが、照明はLEDのように柔らかく、形は軽やかにスマートになっていた。これがいけなかった。
 スマートなのはいいけれど、とにかく軽過ぎる。台本を少々勢いよくめくったら、紙が触れたか単なる風のためかはしれないが、演台の下にスタンドがスッ飛んでしまったのだ。台本は全く見えなくなる。その状態で語り続けながら、床に落ちたスタンドを手探りで探し、元位置にもどすという苦行をする破目となった。これが、チャンバラのシーンで弁士が語りを休むパーツのところならよかったのだが、残念ながら最も台詞が激しく飛び交う聞かせどころのパーツだったから、大変なことになった。
 何とか乗り切ってスタンドは定位置に戻し、活弁を続けたが、後の打ち上げなどで、何人かのお客さまから「かなりあせってましたね」「いや、あれは語りの山場だから、演出の一つでしょ」「でも語りが淀みなく続いたのは大したものですよ」と、冷やかされたりヨイショされたり、まあ冷や汗ものであった。
 「だいたい、映画を見せるのがメインなんだから、弁士の方なんて見てんなよなあ」とも思ったが、意外とお客さまの視線は弁士にも向くものだと認識したのである。
 ただ、台本が一定時間に全く見えなかったのに関わらず、淀みなく語り続けられたのは事実である。まあ、活弁は台本を読んでいるといっても、ほとんどは頭に入っているまでに仕上げており、本番は映像のリズムを掴むためスクリーンに視線を向けているのが7〜8割なのも事実だ。飯田豊一先生がよく「稽古百回」と言われるが、その成果が発揮されたということでもあろう。チョンボではあったが、ある意味で自信につながったのもまちがいない。

活弁の三つの時制
私は、まだ基本的に自分で台本を書かない。それほど偉くないと思っている。飯田豊一先生からいただいた台本に(一箇所くらい私なりの遊びを入れることもあるが)忠実に語ることを心掛けている。ただし、鵜呑みの丸読みをしているつもりはない。台本の主旨を読み解き、さらに自分の解釈を反映して語ることを、心掛けている。シナリオを基に演技する映画の出演者に近い立場にあると言えようか。

今年に語った「坂本龍馬」であるが、例年どおり稽古の段階で、さまざまなディスカッションがあった。龍馬が今わの際に「皇居は!皇居は!」と絶叫するところが話題になった。慶応3年のこの時代には、「皇居」という言い方はない。あえて言うならば「宮城」であろう。だが、スポークンタイトルでは、確かに「皇居」となっている。

活弁における語りとスポークンタイトルの関係については、基本的に変えるべきではないというのが飯田先生のお考えで、私も同意していた。このあたりのことが、平成17年4月発行「話芸あれこれ」4号の連載「カツベンの快楽」第2回で、次のように先生が書かかれている。やや長いが引用したい。
 「あくまでも原文に沿ってなおさなければいけないということである。いくら語りやすいようにといっても、原文とあまりにも離れてしまっては、お客の心を混乱させる。カツベンを聞きながら、お客の目は字幕をも見ているのである」
 しかし今回、字幕尊重には、さらに深い意味があることに気が付いたのだ。平成20年7月発行「話芸あれこれ」43号『演劇博物館主催のD・W・グリフィス「世界の心」上映会に寄せて』で、飯田先生がこういうことを書かれているのも目にしたからである。これもやや長いが引用する。
「澤登(翠)さんはいつ拝見しても、真摯で、純粋で、狎れも汚れもない。
 それはやはり、無声映画に対して、心からの愛情があるからだと思います。
 むかしむかしの、私たちと同じ映画を愛する血を持つ仲間の手によって作られた、音も色もない映画に、全幅の信頼を寄せ、高度な視点から、あの時代の作品に愛をそそいでいるからだと思います。
 現在とくらべて、無声映画の稚拙さその他を、冷笑するような口ぶりでカツベンをやっている人を見たことがあります。私はモーレツに腹を立て、客席からその弁士をにらみつけました。
 映画の創成期の作品に対し、すこしでも、一言半句でもせせら笑うような言葉を発するのは、お客さまに対して、これほど失礼なことはないでしょう」

「無声映画に対して、心からの愛情」そのとおりだ。これを「坂本龍馬」に当てはめてみよう。この映画は「慶応3年」を扱っている。だが、製作されたのは「昭和3年」なのだ。「皇居」という言い方は「昭和3年」なのである。その時代から鑑がみて、映画全体はかなり皇国史観が強い。だが、その時代も含めて「心からの愛情」や「全幅の信頼」を想い、「冷笑するような口ぶり」「せせら笑うような言葉」は断じて避けるべきだろう。スポークンタイトルに忠実ということは、そういう意味もあると思う。そして、さらに「坂本龍馬」を平成20年に語る私がいて、ご覧になるお客さまがいる。
 飯田先生の台本には、平成の感覚も盛り込まれていると思う。「しまった、岩倉卿の策謀が、朝廷を動かしたな」との龍馬の台詞がある。これはスポークンタイトルにはない。当然だろう。戦後以降だからこそ、岩倉具視は博打好きのヤクザ公家で陰謀家だったとカミングアウトされているが、「昭和3年」の岩倉具視は、後に肖像画が御札にまでなるほどの偉人として尊敬されていた。
 また、龍馬の『あとう限り血を見ずしてこの「革命」を成就いたしたきは、拙者日々の念願でござる』との台本上の台詞だが、スポークンタイトルには「革命」の文字はない。維新革命という言い方が定着するのは戦後であり、「昭和3年」ではむしろ「革命」なる言葉は、「反社会的」「アカ」の代名詞であったろう。ここにも、飯田豊一先生の現代性の反映がある。

 私はこの台本を、威勢よく戦争をしたがる人間か巻き起こす悲しさの象徴劇として読み込み、その思いを込めて語った。後説で「イラク、アフガン、戦火の絶えない今、坂本龍馬を見なおすのもよいのではないでしょうか」と締めくくったのは、そんな思いがあったのですが、はたしてお客さまに届いたでしょうか。

 いずれにしても活弁には、「映画で描かれている時代」「映画が製作された時代」「活弁をお客さまにご披露する今」、その三つの時制をどう融合させていくかが、課題があるということに気が付いたのである。
映画三昧日記2008年-19

平成20年8月19日(火) 「幸せの1ページ」ジャパンプレミア
この日、「ぴあ」に応募していた新宿ピカデリー1「幸せの1ページ」のジャパンプレミアが当たった。ジョディ・フォスター舞台挨拶付きの豪華版だ。
 話題の新生新宿ピカデリーは、まだ行ったことがない。メジャー作品上映が多く、私には大体が地元の立川でこと足りてしまう映画ばかりだ。今後ともわざわざ交通費を使ってまでして、まず行くことはないだろうと感じていた。これはよい機会である。
 さて、新宿まで足を延ばすのなら交通費の有効活用で、この日ハシゴできそうな映画を詮索する。新宿国際名画座で佐藤吏の新作上映中を発見する。それにしても俺も物好きだよな。ジョディ・フォスター嬢のご尊顔を拝見する前に、何もピンク映画を観ることはないよなあ、と思いつつ新宿国際名画座→新宿ピカデリーのハシゴをする。(なお新宿国際名画座での作品評については「ピンク映画カタログ」をのぞいて下さい)
 新宿ピカデリーは、噂にたがわずチケットカウンターも劇場内もゴージャスだった。うらぶれて淀んだ空気のピンク専門館の新宿国際名画座とは、好対照である。でも、これも映画館ならあれも映画館、映画というものの幅の広さに感じ入った次第である。
 「幸せの1ページ」は、どちらかと言えばアビゲイル・ブレスリンが主演の、コンパクトな90分強の少女秘境冒険譚、どんなにピンチになってもハッピーエンドが約束され安心して観られる一編。こういうのは往年の家族向け実写ディズニー映画によくあった。私は楽しんだが、同行の女性の友人は物足りなかったようだ。二十一世紀的にはそうなってしまうのか。さて、世間一般の評価はどう出るでしょうか。

●周磨要の内宇宙(インナースペース)?
「星新一の内宇宙(インナースペース)」(作・豊田有恒)というショートショートがある。SF作家が集まって星新一をサカナにする。そして「出来過ぎてないか?」との話になる。星新一はショートショートの大家として磐石のポジションにいる。人間関係も良好で、彼を悪くいう人はいない。
 星新一は作家になる前に、星製薬の創業者の父親のツケの倒産処理で、自殺したい程の苦境に立たされたという。本当は彼は今もその真っ只中におり、逃避するために空想の世界に逃げ込んでいるのではないか、と一人が言う。すると、無人の会議室でただ一人で頭を抱えている星新一の像が明確になってくる。反比例してSF作家達の存在が希薄になってくる。「やめてくれ!妄想を続けてくれ!」全員が絶叫する。そして、頭を抱えた星新一の姿は消え、現状のSF界が蘇ってくる。

依頼者と寄稿者の縁で、「映画芸術」編集部員(当時、後の編集長)の武田俊彦さんと出会ったのは2000年の秋だった。現在は武田さんは「映画芸術」を退社しているが、今でも映画に限らず話芸・プロレスの縁も含めて、親しくおつきあいをさせていただいている。お会いした時は編集部経験が長い人だろうと思っていたが、後でうかがったら入社は私と出会う若干前とのことだった。

8月7日(木)に、今年もピンク映画関係者の納涼会に出席した。旧知の「ぢーこ」さんの他に、鎌田一利さん、中村勝則さん、二人のピンク映画大賞投票者の方と親しく話をさせていただいた。お三方とも、ピンク鑑賞歴は大先輩だと思っていたが、私が初投票した2003年前後からの投票開始であった。

私が「映画友の会」「蛙の会」の友人とともに、最も楽しいおつきあいをさせていただいているのが社会人芸能集団「あっち亭こっち一座」の方々である。年1度の「あっち亭こっち一座」公演は、今年で8回目である。ということは、結成は私が活弁の勉強を始めた時期に、ちょうど符合しているということだ。あっち亭の師匠は、それ以前も「月刊浪曲」に連載を書いたりはしていたが、本格的な社会人芸能活動のスタートはそういうことなのである。

何だか出来過ぎていないだろうか。ひょっとしたら、これは私の内宇宙(インナースペース)に過ぎないんじゃないだろうか。現実の私はとてつもない地獄の苦しみにのたうっており、都合のよい自己逃避の妄想をしてるだけなんじゃないだろうか。ふと、気が付いたら、現在親しくつきあってる方々は消失してしまい、想像を絶する過酷な現実に直面している私がいるのではないだろうか。その時は、これをアップしていただいている13号倉庫さんの世界も、影も形もなく塵と化して……。

最後は、ちょっと怪談めいた真夏の夜の瞑想となりました。以上、小ネタの2題をもって「映画三昧日記」はしばらくお休みとなります。これが湯布院映画祭行きを前にしての最後の日記です。帰京後のしばらくの力点は「湯布院映画祭日記」となるでしょう。それでは、今年も晩夏(というよりは初秋か)の湯布院に旅立ちます。行ってまいります。
映画三昧日記2008年−18

10年目の湯布院映画祭(最終回)
今年で10年目の参加となるので、サラリと回顧しようと思って始めた「10年目の湯布院映画祭」でしたが、意外と長丁場になってしまいました。これで最終回です。

●2005年 第30回
2005年の「湯布院映画祭」は第30回で、30周年を迎えたわけである。ただ、30周年特別企画として「プロデューサーシンポ」があっただけで、ほとんど普段着に近い自然体であった。いや、変に大上段に構えなかったということは、自然体で恒久的に続けていく意思表示だろうと、私はそう捉えた。

この年の映画祭概要
全体テーマ     笑う湯布院映画祭
トーク       森崎東監督
30周年特別企画  プロデューサーシンポ
日本映画職人講座  スクリプター 白鳥あかね
新作特別試写    「転がれ!たま子」「スクラップヘヴン」
           「やわらかい生活」「ヨコハマメリー」
           「ルート225」「寝ずの番」
私のベストムービー  新作「やわらかい生活」  旧作「殺人狂時代」

日常に降臨した湯布院
前年の2004年「湯布院映画祭日記」は、私に密接な多くのフィールドにワープし、自分探しの旅も延々と続けた。ただ、あまりにも私の日常と密接になってしまったことと、昂揚し過ぎた反動なのだろうか。湯布院も日常の一角に降臨してしまったのである。2005年「湯布院映画祭日記」で、その心境を当時はこんな形で述懐しているので、引用してみよう。

出発前の、これから祭りが始まるというワクワク感も希薄で、閉会した後の祭りの終わりの何ともいえぬ寂しさもあまりなかった。言ってみれば月1回の「映画友の会」で馴染みの人に再会して、語り合い酒を酌み交わし、次回の再会を約して別れるという感覚と類似になってしまった。「湯布院映画祭」は月1でなく年1回という違いはあるが、感覚的には大同小異となってしまったようだ。

ベストムービー「やわらかい生活」
この年の新作特別試写は、私にとって粒揃いだった。ABCでランクづけすると、例年は1本や2本はCランクがあるのだが、この年はすべてBランク以上で、ベストテン級のAランクも「やわらかい生活」「寝ずの番」と2本あった。
 また、「ヨコハマメリー」というドキュメンタリーが上映されたのもトピックだろう。本来なら「ゆふいん文化・記録映画祭」のエリアであり、実際にそこでも上映されたそうだが、好評につき劇映画主体の「湯布院映画祭」にも登場したそうだ。
 私のベストムービーは「やわらかい生活」で、最終的にこの年の私のベストワン作品となった。2003年に私が不快を感じワーストに挙げた「ヴァイブレータ」の、監督・廣木隆一=脚本・荒井晴彦=主演・寺島しのぶトリオ作品なので、我ながら意外であった。
 私はこれを「時間という名の魔術師」(元「週刊ファイト」編集長の故井上義啓氏の名言、何度も言ってますがこの人のプロレス論は哲学です)を描ききった映画だと思った。
 もっとも、脚本の荒井さんは「そんなもの描いてないな」と素っ気なかった。「観客の誤解する権利は認めるけど、あんたの場合は作家側に何の触発も与えないし、ピント外れなだけだよ」と、散々だった。やっぱり、こいつは映画が分かってないなって、顔をされた。まあ、荒井さんが私に対してそう感じているのは、今に始まったことではない。

観光も日常に降臨
前年に続きサイクリングを楽しんだが、これも日常に降臨してしまったようだ。その時の心境を2005年「湯布院映画祭日記」でこんな風に綴っているので引用する。

今年はサイクリングの方も旅先でのワクワク感は消えていた。7年目となると勝手知ったる湯布院の町、ミュージアム巡りをしていても遠く九州の地という実感もなく、何か自宅近くの武蔵野の遊歩道や名所巡りの延長のような気分であった。

プロデューサーシンポ
「プロデューサーシンポ」で李鳳宇さんから、興味深い発言があった。「映画界は、何かを募集する場合、○○歳以下といって若い才能を求めるが、本当にそれでいいのか」とのことである。そして、2007年団塊の世代の大量退職の問題に触れた。60歳以上のその人達は、人生経験もあるし、時間の余裕も出てくる。才能のある人もいると思う。60歳以上募集ということも考えていいのではないか、ということである。
 映画祭巡りで名物男になっている浜松のT要さん、2年目にして湯布院の風物詩に定着した郵便局OB「失礼します!」の滋賀のOさん。私設「映画祭総括」名司会者でNHKのOB(違うとも耳にしてるが…)の名古屋のIさん。いずれの人も悠々自適中だ。映画界でうまく使えば活きる才能があるかもしれない。そして、2年後には私も定年退職して同じ立場になる。ちょっとワクワクした。
 もっとも、自分が実際に定年となり24時間映画三昧に耽る権利を留保したら、面白そうなものならともかく、積極的に映画に「仕事」として関わりたいとは思わなくなった。人というのは当事者にならねば、自分のことすら見えないものだ。

特別上映「仕上人」
この年から、映画祭の映者技師の方が変わった。ベテラン飯山庄之輔さんが、惜しくも逝去されたのである。「プロジェクトY ゆふいんafter X」の楢本皓監督が飯山さんのドキュメンタリー「仕上人」を製作していたので、それが特別上映された。
 映画祭パーティーで、何度かお話ししたことはあったが、飯山さんは極めて温厚な方だった。だが、映画の中に観る飯山さんは、「映画は映写されなければただのフィルムという無機物で、そこに命を与えるのが映写技師だ」との信念の下に、自分にも他人にも厳しい「仕事の鬼」という感じであった。
 この年「プーサン」で映写ミスによる上映中断が発生した。映画中でも映画館で上映中断のシーンがあったので、このアクシデントも笑いのネタになったが、天国の飯山さんは苦笑いされていたのではないか。

シンポジウム発言をめぐって(その1)
前に、私にとってのシンポジウム発言は、話術・話芸の修行を兼ねると述べた。「自分が心地よいこと」「聞き手が心地よいこと」「ゲストから貴重な発言を引き出すこと」の3原則だ。
 だから、私はあまり辛口の発言はしない。私は性格的に人を批判すると心地よい気持になれないし、自分が心地よくなければ聞き手も心地よくすることはできまい。
 森崎東監督トークショーを前に、「失礼します!」Oさんと森崎作品について語り合った。私は、森崎映画に批判的なのだが、Oさんは「周磨はん、あなた、森崎監督の前で、それハッキリ言わにゃあきまへん」と言った。私は辛口発言は好まないが、Oさんがかなり強く言うので、一応は発言の案を組み立てた。
 結果的には発言しなかった。私は森崎監督の発言を聞けば聞くほど、その頑な(あくまでも私がそう思うだけです、為念)作家性が見えてきて、言っても無駄だと思ったからだ。

シンポジウム発言をめぐって(その2)
「転がれ!たま子」のシンポジウムで、私は好意的な発言をして、最後に「こういう映画、今あってもいいと思います」と締めくくった。前述したように、この映画は私にとってトップランクのAではない。Bランクに過ぎない。ある人から「ずいぶん、皮肉っぽい言い方しましたね」と言われた。
 確かに、本当にAランクの映画なら「今あって<も>いい」なんて言い方はしない。「今あった<方が>いい」であり「今こそあるべきだ」であろう。でも、私は皮肉でも何でもなく、できるだけ好意的な発言をしたいのでこうなった。

シンポジウム発言をめぐって(その3)
「寝ずの番」のように、私にとってAランクの作品となると、絶賛の嵐は止まるところがない。真っ先に発言して、「フィナーレで祭りの終わりを寂しく迎える時に、それを凌いでハイにさせてくれました。ありがとうございました」とやっちゃったんである。その後も好意的な発言が延々と続く。唯一の辛口は倉敷のツタヤ店長のOさんのみだった。
 このOさんに対し、マキノ雅彦監督は、くどいほど反論した。私は、一人くらいは辛口発言があってもいいし、ムキになる雅彦監督も新人監督らしく初々しく微笑ましいと思っていた。
 最終日パーティー終了後の私設「映画祭総括」でその印象は一変した。「寝ずの番」は、最も賛否が割れた映画で、マキノ監督のグチグチした弁明は不快だったという人も少なくなかった。それなのに、シンポジウムでは絶賛の嵐になってしまったのは、最初の私の発言が場のムードを醸成したとのことで、私はA級戦犯になってしまったのだ。
 でも、今後とも私はAランクなら大絶賛、Bランクならできるだけ好意的に、Cランクなら発言を控えるというスタンスは変えないだろう。(昨2007年のシンポジウムでは、何回か私にとってのCランク作品で発言してしまい、悲喜こもごもに至ったのは昨年の「湯布院映画祭日記」に記したとおりではあるが…)

●2006年 第31回
「湯布院映画祭」参加8年目にして、完全にこの地は「映画友の会」同様の日常の場所に降臨してしまった。祭とはちがう雰囲気の場所になった。私としてはこの31回は、作品にあまり恵まれない年でもあった。新作特別試写のAランク作品は1本しかなかった。それもダントツのAではなくAダッシュ程度のランクである。旧作に至っては、すでに見ているのでサイクリングを楽しんでいた時間に上映されていた「女は二度生まれる」を、ベストムービーにせねばならぬ程の私にとって実り少ない年だった。
 でも、馴染みの人と再会して、映画談義に明け暮れて、酒を酌み交わして、祭りとは程遠くなったが、やっぱり毎年必ず参加したいと思う。完全に「映画友の会」状態なのだ。

この年の映画祭概要
全体テーマ  いま、甦る銀幕の名宝(フィルム)たち
        おしゃべりカフェ
湯布院からの新しい風  上映作品「脱皮ワイフ」
新作特別試写  「悲しき天使」「長い散歩」「幸福のスイッチ」
         「フラガール」

「おしゃべりカフェ」の話題
この年の新企画は「いま、甦る銀幕の名宝(フィルム)たち」のテーマに連動した「おしゃべりカフェ」である。
 「いま、甦る銀幕の名宝(フィルム)たち」の旧作選定の趣旨は、「折り紙付きの名作ではなく、隠れた傑作を見つけだして心ゆくまで楽しみたい」ということである。映画上映後に、参加者がロビーに集まり「映画ファン同士、参加者も実行委員も”映画を話す”楽しさを満喫する場」が「おしゃべりカフェ」だ。新作を語り合う場はシンポジウムがあるが、旧作ではそういう場があまりないので、これは有意義な試みである。
 常連ゲストの脚本家・映画監督の荒井晴彦さん、映画評論家の渡辺武信さんや、他にゲストとして「映画芸術」の小林俊道さん、ミュージシャン・小説家として著名で映画ライターとしても活躍している中原昌也さんも参加するが、主役はあくまでも一般参加者である。これって、完全に「映画友の会」の雰囲気である。私にとってこの年の「湯布院映画祭」が、完全に日常に降りた一つの要因である。
 サイクリングの雑感では、この年は川沿いの遊歩道を下ってみたのだが「武蔵野の野川の遊歩道をサイクリングしている気分の延長」と記している。ここでも湯布院は、完全に日常に降臨してしまった。
 実行委員の作品選定基準が「折り紙付きの名作ではなく、隠れた傑作」なのだが、そんな作品がそうそう映画史の中に埋もれているわけもなく、概ね一般参加者からは不評な映画が多かった。好評だったのは「藤十郎の恋」くらいだったろうか。「何でこんな作品を選定したのか」と詰問する一般参加者VS歴史的価値と選定の意味を一生懸命に弁明する実行委員の構図が定着し、あたかも査問委員会の様相を呈した「おしゃべりカフェ」であった。
 私としては、隠れた大傑作なんてそうそうあるものではないと、かねてから思っていたから、いろいろな異色作・珍品を取り揃えてもらった価値はあったと感じた。
 「おしゃべりカフェ」は2007年の映画祭でも、何回か開催された。映画祭の催しとして定着したかに思われたが、今年2008年には計画されていない。

ポイントにひっかかる瑕疵
オールマイティの映画はない。どんな映画にも「あれっ?」と引っかかる瑕疵がある。瑕疵と感じる部分も、その人の過去の経験・現在の生活・感性などで、百人百様である。そして、その瑕疵が作品に関わるポイントに密接に関わっていると、その人にとって良い映画と思えなくなる。
 この年の新作特別試写作品4本中で3本の瑕疵が、不幸にも私にとってポイントに引っ掛かった。ご丁寧にも「湯布院からの新しい風」の上映作品「脱皮ワイフ」の瑕疵までポイントに引っ掛かった。唯一「幸福のスイッチ」の瑕疵だけがポイント部分ではなく、監督に確認したらしっかりしたリサーチに基づいたもので、結果的に瑕疵でも何でもないことが判明したので、これがベストムービーとなった。それにしても映画祭を終わってみたら、このほんわかホノボノ軽やか映画がベストムービーになるなんて、思いもしなかった。私にとってこの年の映画祭作品群が不作だった所以である。

湯布院からの新しい風
「湯布院からの新しい風」の企画の趣旨は「数多く製作される昨今の日本映画の中から、映画ファンの満足する作品や知られざる傑作、才能溢れる新人の紹介・発掘のために、今年から日曜日午前中に上映枠を設定しました」ということである。その主旨で上映された「脱皮ワイフ」は、優れたピンク映画に近いAV風のDVD作品だったが、好評につき劇場公開もされたものだ。それだけの水準の作品ではあり(ただこの手の映画にはSF的オチが必要と思うのだが、それが無かったのが私にとっての瑕疵だ)、全般的には好評だった。この企画も定着させてもらいたいものだが、昨年、今年と「湯布院からの新しい風」の企画はない。

映画祭初のDVD上映
「脱皮ワイフ」はオリジナルがDVDなので、当然DVD上映となった。類似の例では、1999年の「はみだし上映会」におけるビデオ作品「グループ魂のでんきまむし」の、ビデオ上映がある。
 しかし、この年初めて、フィルム作品の何本かも、DVD上映された。上映したい映画のフィルムが無かったり、あるいは時間的に間に合わなかったりした状況で、上映をあきらめるべきか、やはり見てもらいたい作品をDVDでも上映すべきか、その結果の苦渋の決断のDVD上映だったそうだ。映画祭冒頭で伊藤雄委員長からその経過説明がなされた。
 DVD上映でもあまり気にならなかった映画もあったが、「簪」の中の陽光眩しい温泉地の森のハイキーのシーンあたりは、全体が白っちゃけてしまい、DVD上映の限界を感じさせたものもあった。
 電子映像も進歩しているので、私は何が何でも光学的なフィルムにこだわるものではないが、今後の映画祭の検討課題とは言えるだろう。

「争議あり 荒井晴彦 全映画論集」完売!
この年、荒井晴彦さんの著作「争議あり 荒井晴彦 全映画論集」が、ロビーの売店に5冊置かれて完売した。たった5冊と言うなかれ、評論集であるから内容は「固い」。また定価は3800円と「高い」。値段だけのことはある大冊で、旅先から持ち帰るには「重い」。この三重苦のうえに、湯布院参加者でこの書籍に興味を持つ人はほとんど購入済であろう。この悪条件での5冊完売は大変なことである。
 全評論集であるから、私の「皆月」評をこっぴどく批判した荒井さんの一文も収録されている。私は補完資料として、キネマ旬報の私の「皆月」評と、荒井さんに対する釈明文をセットでコピーしたものを、30部用意してロビーに置かせてもらった。途中でなくなったので、近くのファミリーマートのコピーで5部追加して、それもなくなった頃に本も完売になった。「チラシはどんどんなくなるのに、なかなか売れませんね」「お前のチラシが足を引っ張ってるんだよ」と、荒井さんと私の掛け合い漫才調のやりとりもあった。

大森一樹監督と映画検定2級の者同志でエール交換
大森一樹監督は、若き日に私と並んでキネマ旬報「読者の映画評」常連だった。そのことを話したら、「周磨要」の名は記憶にあったそうだ。「いやー、あなたが周磨(関西の人らしく最初は「すま」と言った)さんですか。湯布院は初めてだけど、周磨さんに会えただけで、その価値があった」天下の大監督にとんだヨイショをされてしまった。
 話はちょっと飛んで、今年の7月28日(月)の国分寺市のもとまち公民館の「もとまちシネマサロン」の話題である。国分寺在住の映画史研究家・牧野守さんが中核となっている会で、かねてから面白そうだとは思っていたのだが、いかんせん開催は平日の昼間だ。だが、今は月10日勤務の嘱託になったので、仕事と重ならなければできるだけ参加するようにしている。この日、牧野さんから「失礼ですが、キネ旬の投稿欄によく書かれていた周磨さんでよろしいんですか」と聞かれたので、「はい、本人です」とお答えした。
 ある人から「下手なプロよりも周磨さんの方が有名ですよ」と言われたことがある。確かに「周磨要」というちょっと変わった名前ということもあるが、著作の一冊も出していないような程度の映画評論家よりは知名度はあるかもしれない。「でも、原稿料を一文も稼げねえんじゃしょうがネェよ」とこれまでは斜めに構えてみたが、現在のように年金生活でつつましいながら安定して24時間映画三昧の権利を留保すると、確かに原稿料なんてどうでもいい話で、私のことを記憶に止めていただいた方が、遙かに価値がある。
 話を大森一樹監督にもどします。大森監督は映画検定2級(この時点での最高位)だった。これだけの著名人は普通なかなか受検しないものだ。合格して当然であり、落ちたらみっともないだけで、メリットはなくリスクだけがある。それでもチャレンジするあたり、永遠の映画青年・大森一樹の面目躍如である。
 きたるべき初開催の1級検定に向けて頑張りましょう、とエールを交換する。かつての「読者の映画評」常連同士も、今や「花形監督」と「ただの人」と大変な差だが、映画検定2級合格者としては同格である。
 その後に発表された1級合格者の中に、大森監督の名はなかった。受検の時間が取れなかったのだろうか。今年2008年の映画祭で大森監督は、「The ショートフィルムズ」を引っさげてゲスト参加するので、再会がてらそのへんを話題にしてみたい。(いずれにしても映画検定に関しては1級のオレが上だ。ワーイ!)

出会いと別れ
前年の2005年も参加した常連の八王子のTさんが、この年の映画祭を待たずして急逝した。今年の湯布院の地にTさんの姿はない。私より年配ではあったが、亡くなるようなお年ではなかった。早過ぎた。「失礼します!」Oさんが東京国際映画祭で上京してきた折に、東京近郊の常連参加者で「湯布院同窓会」を開いた時の一員であっただけに、その訃報にはひときわ驚いた。湯布院は、多くの出会いの場だったが、こんな身近な人の別れの場に遭遇したのは初めてだった。
 この年、常連参加者のYさんが「プロレス者」であることを、初めて知った。私は今年プロレス王検定2級(現時点最高位 別名「プロレス知識力認定試験」で、別にリングに上がるわけではありません)に合格した。この認定証も湯布院のフィールドと無縁でなくなった。Yさんは受検したのだろうか。首尾はどうだったんだろうか。(ちなみにYさんも映画検定は1級である)いずれにしても、この認定証も2008年の湯布院に持参し、映画検定1級の合格証を大森監督に見せびらかすのに併せ、Yさんに見せびらかすとしよう。
 常連Sさんが「SF者」であることを知ったのもこの年だった。私は「SFマガジン」600号記念オールタイム・ベストSFアンケートに一票を投じたのだが、誌上には全投票者の名前が掲載された。(「全投票者を乗せるくらいちっぽけなものになったのか。SFも終わりだね」なんて嫌味を言う奴もいた)それを見て「実は私もSFが好きで…」と挨拶されたのである。
 このように「湯布院映画祭」には多くの出会いがある。そして別れも…。そんなことを感じた2006年であった。

●2007年から2008年へ、そしてさらにその先へ
2005年から2006年へ、「湯布院映画祭」は日常へ降臨し、トーンダウンした2年間だった。しかし昨年の2007年、第二の人生も定年退職となり月10日勤務の会社嘱託となったその年に、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」という私にとって10年に1本の衝撃作に出会い、熱っぽく我が人生を「総括」してしまった。このほとぼりは1年経っても冷めておらず、ここではあえてそれは繰り返さない。熱気が残っている昨年の「湯布院映画祭日記」に目を通してほしい。そして、今年も湯布院の夏、8月がやって来た。

今年の特集は「何だって面白くしてやる!舛田利雄監督のあくなき仕事」である。前にも紹介したが、私はビデオでしか観ていない「わが命の唄 艶歌」が、私も含めた参加者の支援によりニュープリントで観られる。リアルタイムで見逃し、ずっと気になっていた「狼の王子」も見ることができる。その他、「赤い波止場」「完全な遊戯」「嵐来り去る」「赤いハンカチ」「地獄の破門状」「青春を吹き鳴らせ」「剣と花」「二百三高地」と壮観なラインナップだ。私としては、さらに2時間半余のオールスター大作「昭和のいのち」を入れて欲しかったところだ。時代背景を大きく取り込んだ異色ヤクザ映画で、セオリーを崩した大胆な幕切れには、多分初見の人は仰天するのではないだろうか。
 新作特別試写作品では、何といっても御歳96歳の最高齢監督・新藤兼人の「花は散れども」が最注目作であろう。三原光尋監督「しあわせのかおり」、大森一樹(オムニバス)監督「The ショートフィルムズ」は、二人の監督との再会も含めて楽しみだ。その他「memo」(佐藤二朗)、「秋深き」(池田敏春)、そしてトリはマキノ雅彦監督の「次郎長三国志」だ。
 ただ、2005年に「寝ずの番」でいわくつきの雅彦監督がフィナーレってどんなもんだろう。まして、今回は先代・マキノ雅弘の不動の名作がある「次郎長三国志」だ。うまく盛り上がるんだろうか。奇しくも前夜祭は雅弘監督の「九ちゃん刀を抜いて」である。そっちの方が楽しかったなんてことになったら、洒落にならないよなあ。いずれにしても、今年もホットな映画祭体験を過ごせそうだ。

年頭の「映画三昧日記」で私は、今年は新作を追い続けるのと併行し、見逃していたクラシック・旧作の落穂ひろいをすると宣言した。だから、最近はラピュタ阿佐ヶ谷とか神保町シアターやフィルムセンターに足を運ぶことも少なくない。そこで、悠々自適で全国の映画祭巡りをしている名物男の浜松のT要さんと、よく遭遇する。東京にも度々泊り込みで滞在し、都内でしか観られない作品漁りをしているようなのだ。かつてはこの悠々自適ぶりを羨んだものだが、私もそろそろ着々とその域に接近しているのは間違いない。
 「今年の湯布院の情報は入ってるかね」とT要さんが問う。「舛田利雄特集だそうです」と私S要が答える。「今度は舛田利雄を殺す気かね」とT要さんがブラックジョークを飛ばす。昨年のゲスト参加された田中徳三監督は、その直後に亡くなられた。湯布院のゲストにそんな例が多いそうである。「新藤兼人監督は健在ですよ」「ありゃ例外だよ」そんなやり取りが続く。

2009年以後は、この状況を少々考えてみる必要はないだろうか。旧作特集と新作特別試写の二本柱がここ10年程の「湯布院映画祭」の特徴である。ただし、旧作といっても撮影所システム健在の70年代までだ。(例外は2001年の「日本映画の新しい風」くらいである)いきおいゲストは年を追って高齢化することになり、ゲストも参加直後に亡くなられるというケースが頻繁になるわけだ。

旧作といっても80年代、90年代、二十一世紀になってからも一昔と言われる約10年がある。いつまでも70年代で止まっているのもいかがなものだろう。

80年代以降といえば、特筆すべきは1976年に「犬神家の一族」を皮切りに、映画界を席巻した角川映画であろう。我々の年代は角川映画というと見下す傾向がある。1994年「五日市(現・あきる野)映画祭」10回記念の秋川渓谷1泊キャンプの、同じバンガローの者同士の映画談義で、私と同年代の者が集まり「角川が日本映画を駄目にした」と気炎を上げていた。同室の一世代ほど下の人が、オズオズと遠慮がちに「角川映画は僕の青春でした」と述べた。そういう世代は確実にいるのである。今、ラインナップを振り返ってみると、角川映画は「犬神家の一族」はじめ「蒲田行進曲」「Wの悲劇」「麻雀放浪記」「早春物語」と、何本もキネ旬ベステン作品も生み、決して侮れないものを感じる。角川映画特集も価値ある企画ではないだろうか。

現在、第一線で活躍している監督のほとんどは、PFFを中心とした撮影所システム出身以外の者である。そして、その処女作のほとんどが80年代以降だ。それらを大特集してみても面白いかもしれない。
 もう一つ80年代以降といえばアニメだろう。今やジャパニメーションの名の下に、ある意味で世界の映画界をリードしているといってまちがいない。新作特別試写も含めて全面アニメ特集というのも、今の時代なら十分成立する。もっとも、こちらの方は、アニメは絶対上映しないとのポリシーの伊藤雄委員長がいる限り難しいだろう。
 ただ、どっちにしても、こういう大胆な企画を進めるのは、世代が下の若い実行委員のパワーが必要である。出でよ!若い力!と期待するしかない。

 その伊藤委員長から、フィンランドのアキ・カウリスマキ監督が「湯布院映画祭」に興味を示しており、好条件で招請可能との情報を耳にした。今年2月の映芸マンスリーで、秋田・十文字映画祭帰りに立ち寄った伊藤雄委員長にお会いする機会があり、その後の首尾を聞いた。意外にも実行委員会の反応は芳しいものではなかったそうだ。すべて日本の劇映画を上映する(過去に若干の例外はあるにせよ)というポリシーは、実行委員会の中にかなり深く根付いているようだ。

「湯布院映画祭」参加歴10年、同一パターンの味わいを私は楽しんできたが、そろそろ節目として斬新な企画の導入が必要なのではないだろうか。

とにもかくにも、湯布院の夏が来た。映画祭の8月が来た。今年はどんな出会いがあるのだろう。期待を大きく胸に抱き、それでは、行ってきます!
映画三昧日記2008年−17

●10年目の湯布院映画祭(その3)
2004年の「湯布院映画祭日記」は、私にとって一つのピークだったと思う。翌2005年〜6年にかけての日記はややトーンダウンして、ボリュームも少なくなる。もう、この日記も後は毎年淡々と過ぎてゆくのかなと思っていたが、昨年の2007年、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」という私にとって10年に1本の大傑作に出会い、我が人生を「総括」するくらい力が入ってしまった。

●2004年 第29回
前年から、湯布院映画祭を基点に、さまざまなフィールドにワープしつつ、自分探しの旅を進めるという日記の形態になったが、ある意味でこの年は、その最初のピークを迎えた。

まずは映画祭の概要を紹介しよう。

特集         シナリオ作家 新藤兼人の世界
日本映画職人講座   助監督編
新作特別試写     「ラマン」「透光の樹」「るにん」「樹の海」
            「愛してよ」「サヨナラCOLOR」
私のベストムービー   新作「樹の海」  旧作「軍旗はためく下に」

「台風クラブ」あるいは「皆殺しの天使」
この年の最も大きな話題は、映画祭最終日の深夜から、台風が湯布院を直撃したことだ。映画祭最終日、刻々と台風の湯布院接近情報が入ってくる。はたしてすべての企画が滞りなく消化できるのか。ヒタヒタと緊張に包まれる。ゲストは竹中直人さん以下、全員来た。何とか最後のシンポジウムも予定どおり終了し、パーティーも大事をとって半屋外の健康温泉館を、完全屋内の麦酒館に変更したのみで、0時過ぎの散会時も風がやや強い程度で雨もなく、全員無事に宿に戻れたのであった。
 しかし、深夜から大暴風雨となる。翌朝に目覚めたら、台風は湯布院を直撃していた。鉄道・空港・道路のすべてが運休・欠航・閉鎖で、一歩も外に出られない。とりあえず、その日の宿は全員確保したが、それが終わるとできることは全くなくなる。
 だが、そこは映画好きばかりの集まり、10名以上の有志がこぞって一つの部屋に集合し、映画談義の輪が拡がる。酒・つまみ・食事は、川向こうのスーパーに何回か買出し決死隊を組織する。こうお膳立てが揃えば、映画好きにとって台風など何のその、「今年の映画祭の新作ベストムービー」「おなじく旧作ベストムービー」「映画祭の運営に対する意見」、はたまた「生涯のベストムービー」から「最も好きな映画音楽」etc…次々とテーマが提案され、輪番で意見表明し、それをキックに果てしなくディスカッションが拡がっていく。あっという間に午前中から深夜近くまで、全く退屈することなく時が過ぎたのであった。
 素晴らしい「台風クラブ」の1日だった。もっとも「お馴染みおたべちゃん」は、これをブニュエルの「皆殺しの天使」状態と形容した。センスの良い人はちがうものである。

「台風クラブ」は翌年から恒例の有志による「映画祭総括」の場に発展
「台風クラブ」の時に、名古屋のIさんの存在がクローズアップされる。適切な発言で、ディスカッションの場を混乱させないのである。必然的に名進行役としてのポジションに定着する。(NHKのOBの人だとも、それは違うとも耳にしたが…いずれにしてもさすがである)
 今やシンポジウムで「失礼します!」に始まる関西弁の発言が、映画祭の風物詩となった鋭い論客の、滋賀の郵便局OBのOさんが初参加されたのも、この年からだった。Oさんから、「台風に関係なく、今後もこういう場を持ちましょうよ」との提言があり、翌年から最終日のパーティー散会後に、有志10名前後が一室に集まり、Iさんの名進行で「映画祭総括」の集いが定着した。2007年には映画祭会計監査員の岡本英二さんの口利きで、実行委員が派遣されてくるまでに発展した。(「失礼します!」Oさんの話題はこの後も出てきます)

新藤兼人の世界
番外の「台風クラブ」は別にして、映画祭での最も大きな話題は92歳(当時)の現役監督、新藤兼人さんのゲスト来場であろう。ご高齢でお酒も召し上がらない方だから、シンポジウムのみでパーティーに参加されなかったのが我々としてはやや残念だった。(それが長命現役の秘訣だろう。飲ん兵衛はやや反省)
 この年から私は、シンポジウム発言を話術・話芸の修行の場としても心掛けようと思った。シンポジウム発言の心得としては、まず話してる自分が心地よいこと、第二に他の人が聞いていて心地よくなること、最後にゲストから有意義な話を引き出すこと、の三点であろう。
 私の新藤監督への質問は、脚本家として「座頭市」のような依頼仕事と、近代映画協会作品のような作家性の強いものを書く時と、違いはあるのかないのか、あるとすればどこがちがうのか、というものだった。私としては、知りたいことを率直に聞けて心地よいし、他の人もそこをこそ知りたい(多分)と思っていたろうから、聞いていて心地よいし、新藤監督のお話も興味深い内容だった。(中身についてはここでは繰り返しません。2004年の日記を覗いてください)私の話術・話芸修行の目的は、ほぼ達したと思う。
 この私の発言を始めにして、限られた時間の中で、全部で4人の発言があったが、いずれも粒ぞろいだったと思う。二番手は滋賀の初参加にして名物男になった郵便局OB「失礼します!」Oさんである。シナリオの共作についての質問だった。私はこの質問もしたかったが、時間の関係もあるので一人一点に自粛したので、よくぞ聞いてくれましたといった思いである。三番目は常連キューブリックさんで、いつもの調子で新藤作品最高作と信じている「悲しみは女だけに」の賛辞を、例によってのマイペースで延々と語る。ただ、新藤監督としては、あまり評判にならなかったが愛着の深い映画だったようで、嬉しそうに耳を傾けていて心地よさそうだった。最後は実行委員会の重鎮の横田茂美さんで、「けんかえれじい」にからめての鈴木清順監督に関する質問だった。新藤監督の清順監督観って、誰しも聞きたいですよね。これも名発言だった。
 かくして、この歴史的シンポジウムは(自分も発言者の一人なのでこう言うのも何だが)大成功裡に終了したと思う。

話術・話芸修行編(その1) 「透光の樹」シンポジウム
2003年から乙丸地区公民館で、実行委員会と映画祭参加者の懇親会が開催されることになったことは前に紹介したが、以降はこの場が私の「蛙の会」発表会のPR場所になった。そしてシンポジウムは話術・話芸の修行の場である。こうして映画祭は「蛙の会」のフィールドとも密接に関わってくるのである。
 私は社会人芸能集団「あっち亭こっち一座」の末席にも名を連ねている。活弁を折り込んだ漫談めいたもので、何回か高座を努めた。座長のあっち亭こっち師匠の話術・話芸には、何度も感嘆したことがあった。例えば、打ち上げの酒席でちょっと長い発言をする時である。あっち亭の師匠は、「長いぞ!」と野次が飛ぶギリギリの限界で「あ、もう少しで終わります」と、注釈を入れるのである。そして言いたいことを言い切ってしまう。もっとも、それも高度なテクニックで、「あ、もう少しで終わります」以後が、「もう少し」でなかったら洒落にならない。話の組み立てにかなり工夫がいるところだ。
 「透光の樹」シンポジウムを、このテクニックの実験場にすることにした。こうして映画祭のフィールドは「あっち亭こっち一座」のフィールドにもワープするのだ。
 過去の秋吉久美子さん、永島敏行さんの思い出を延々と語り、そろそろ会場内に「ちょっと長いなあ」とのムードが漂いだしたところで、「あ、もう少しで終わります」と入れて、コンパクトにまとまるように話を組み立てた。そのつもりだったが「あ、もう少しで終わります」の直前に、司会の映画祭重鎮の横田茂美さんから「あの、思い出話をしてると尽きないんで、そのへんで」と注意されてしまった。
 後で、パーティーで横田さんと話したら、長々と発言する人を牽制するには、私のところで一回やっといた方がいいかなと思い、ちょっと早目だが一言かけたそうだ。そこまでは読めなかった。完敗である。

話術・話芸修行編(その2)  日本映画職人講座 助監督編
あっち亭こっち師匠の話術・話芸で感心するのがもう一つある。話のテーマに関係ない自分の言いたいことを、無理無理こじつけて押し込み、聞いてる人達に「関係ないんじゃネェの」って雰囲気が漂いだしたら、「それはどうでもいいことですが」と外して、本筋にもどるテクニックである。
 この年、私は「映画芸術」編集部の人の紹介で、9月にピンク映画のエキストラをすることになっていた。だから、助監督の目から見た理想のエキストラとは?との観点から、質問と発言を組み立てた。映画祭は「映画芸術」のフィールドからピンク映画撮影現場のフィールドにまで連動していくのである。
 その発言のドサクサにからめて、「映画芸術」と私の連載「サラリーマンピンク体験記」をPRしちゃおうという目論見である。結構長くPRしちゃってから「それはどうでもいいことですが」と逃げようと思った直前に、「発言止めますよ!」と、この時も横田さんから強烈な突きが入った。
 「いや、さすがシンポジウム進行のべテランの横田さん、2戦2敗の完敗でした」とパーティーで話したら、「困るなあ、ヘンなところで勝負しないでくださいよ」と苦笑していた横田茂美さんだった。

「失礼します!」Oさんの天然話術の素晴らしさ
この年から参加した滋賀の郵便局OB「失礼します!」Oさんの話術は素晴らしい。関西弁がいいアクセントになっている。シンポジウムでかなり舌鋒鋭く切り込んで、反論に対しても「あんた、そう言わはりましてもな」と返されると、全く角が立たない。こうなると、小手先の話術・話芸のテクニックなんて空しいものだ。この天然の話術は比類がない。
 もっとも地元では、ミニコミ誌に寄稿したり、映画についての講演をしたりという名士のようだ。映画を論じるにあたっての、それなりのキャリアも有しているということだろう。スキンヘッドと鋭い眼光、初日の乙丸地区公民館の懇親会でも、荒井晴彦さんと堂々と渡り合っているのを見て、映画評論家の山根貞男さんと勘違いした人がいたくらいの貫禄であった。

私とは関係ないが…荒井晴彦さん、友成純一さん、父親のフィールド
この年、友成純一さんは、10歳の娘さんを連れてきていた。19歳になる荒井晴彦さんの娘さんが、よく面倒を見ていたそうだ。最終日のパーティーで友成さんの娘さんは、オークションの進行役でステージに上がっていた。荒井さんの娘さんがよくサポートしていた。それを見つめるお二方のハラハラしつつもニコニコしている顔は、完全に父親の顔だった。「男と女の関係をジックリ追う」荒井晴彦さんと、「ホラー・スプラッタ・SF」の友成純一さん、酒好きという以外に何の共通項もなさそうな2人が、父親という同じフィールドを有しているのは、興味深い風景であった。

「映画芸術」のフィールド 再雇用運動 その他
この年の「映画芸術」春号をもって、私の「サラリーマンピンク体験記」が、明確な理由を示されないまま、突然連載打切りを通告された。そこで、この年の映画祭で「再雇用運動の周磨です!」をキャッチフレーズに荒井晴彦さんを追回し、今になって考えればみっともないことをし続けた。再雇用運動の成果は空しく、その後2〜3年は「映画芸術」から小文の原稿依頼が散発的にきたが、いつしかフェイドアウトに至った。
 この頃、私はキネマ旬報「読者の映画評」の常連からも何故かアッという間に滑り落ち、かなり焦りの心境であった。当初の目論見は「映画芸術」の連載を継続して、ひょっとしたらそれが単行本化され、その看板と共に「読者の映画評」常連をキープし続け、ついにはキネ旬からもプロデビューの口がかかるとの、幻想を描いていた。そんな夢がアッという間に瓦解した。ささくれだった心境をそのままぶつけ、この年の「湯布院映画祭日記」ではキネ旬編集部へもフィールドが拡がり、かなり悪態(「読者の映画評」の常連転落についても、ある人に対する邪推がある)をついていた。(「映画芸術」への邪推は、次項を参照下さい)

載打切りは「パーフェクト・ストレンジャー」か?
突然の連載打切りの理由は、今もって不明である。当時の窓口の「編集部Tさんからは、荒井さんの意向ではないということは聞いた。それ以上は「私を追い込むことになる」との意味の発言もあったので、深く追求しなかった。
 荒井さんは、以前も冗談半分に「編集部内で、お前の連載を問題にしてる奴がいる」「寺脇がヘソ曲げてる」なんて牽制球は投げていた。でも、荒井さんが問題にしてるんじゃなければ、「映画芸術」内部の実力者ではKさんくらいしかいないよな。また、たしかに古くからピンク映画に着目してた寺脇さんにしてみれば、こんな新参者は面白くないよな。でも、そんなことで連載打切りの圧力をかける程、寺脇さんは次元の低い人じゃないよな。やっぱり、Kさんなんだろうかな。私は勝手に邪推して逆恨みのような感情を心の内に秘めていたのは事実だ。
 つい最近、私はひょんなことから真犯人(?)に気がついた。そうだ!これって「パーフェクト・ストレンジャー」なんだ。私の推理をあるプロのライターの人に話したら、「ウム、それはありかもしれない」と言っていた。
 ということで、じゃ真犯人はだーれ、てなことになるけど、それを言うと「パーフェクト・ストレンジャー」のネタバレもすることになっちゃう。ミステリーとしてこの映画がいかに大反則とは言え、やっぱり映画ファンとしてそれはやっちゃあいけないよな。(「エンゼル・ハート」どまりなら反則とは言えないんだけど…いかん、いかん、これ以上言うと映画のネタバレと真犯人の存在と、共に見えてきちゃう)
 まあ、2008年現在の私としては、そんなことはもはやどうでもいいことで…。てなことで次の項に移ります。

●スコーンと消えたプロへの執着(その2)
昨年の「湯布院映画祭日記」で、私は「スコーンと消えたプロへの執着」と書いた。私はなんでプロになりたかったか。24時間、映画に使いたかっただけの理由からだ。2004年時点の私は60歳まであと3年の57歳だ。俺ってホントに馬鹿だったよな。3年後には年金受給者となって黙ってたって24時間を映画に使える日が来るのである。私は生活がつつましいので、厚生年金+企業年金で十分に生活していける。それを60歳前にプロになって定年前に退職して、その分の企業年金を減らしてどうするんだということである。人間って、いかに自分のことは冷静に見られない愚かな存在なんだろう。いや、先をキチンと読めない愚か者は俺だけか。
 私は、現在は月10日勤務の会社嘱託だが、別に給与はあてにせずともよく、生活のためではない。そして、1年契約だから今年の6月末に契約満了となったが、もう1年の再契約を依頼された。
 昨年、私の契約時と前後して、私より2歳下の社員が病に倒れ、あれよあれよという間に衰弱し、年明け早々に亡くなってしまったのだ。人というものはあっけないものだと思った。最近も3歳年下で、アフター5では水泳などを楽しんでいる元気印の男が、プールで心筋梗塞であっけなく逝ってしまった。このくらいの年になると、明日のことはホントに分からない。
 話を戻すが、今の職場は地元の多摩センターという小規模事業所だから、私が再契約に応じなければ、仕事がどうなるかは明々白々である。どっかから仕事のできる電力会社OBを引っ張ってくればいいのだが、そんな当てもない。かくして、あと1年、24時間映画に使える権利は留保しつつも、月10日はお仕事にいそしむこととなった。それが、人間の社会性ということだろう。

●再びフィールドの神秘
1999年、ひょんなことから参加した「湯布院映画祭」の存在は、私のかけがえのない多くのフィールドと密接に連鎖し、もはや私には切っても切れない存在になった。そんなことを痛感した2004年「湯布院映画祭」であり、そんな思いのたけを吐露した2004年「湯布院映画祭日記」であった。

「10年目の湯布院映画祭」はあと1回で2005〜6年の2年をサラリと流し、昨年の2007年は改めて回顧する程に時もたってないので、そこはむしろ今年のあるいは今後の「湯布院映画祭」への期待に、思いを込めてまとめたいと思います。
映画三昧日記2008年−16

●10年目の湯布院映画祭(その2)
2002年の湯布院映画祭からは、「湯布院映画祭日記」を13号倉庫さんがアップしてくれることとなった。そこで2002年〜2007年までについては、トピック的なものに絞って簡単に回顧することとしたい。その中で面白そうだと思われたネタがあったら、過去の「湯布院映画祭日記」なども、覗いてみてください。


●2002年 第27回 
超ミニコミのスタート
私が構想していた「超ミニコミ」は、当初と形はちがったが、結局この「湯布院映画祭日記」と、もうひとつのコーナー「ピンク日記」がスタートとなったようだ。当初、私が考えていた「超ミニコミ」は、ワープロ原稿とコピーの併用で、身近な人に配布し、口コミで配布数を拡げていく、というものだった。
 この構想を、ミニコミ誌を通じて知り合ったある人に告げたら、寺脇研さんがかつて自主的に発行していた冊子みたいなものですか?と聞かれた。寺脇さんの発行していたものがどんなものかは知らないが、今や紙ベースよりもネットというものの方が力があると痛感したのは、この「湯布院映画祭日記」だった。投稿の掲載原稿だろうと、ミニコミ誌掲載原稿だろうと、この頃はほとんど反響の手応えがなくなってきたのに、ネット上だと読んだ人の反応が結構返ってくる。そして、13号倉庫さんのご好意で、現在は「湯布院映画祭日記」「映画三昧日記」「ピンク映画カタログ」、さらに「掲示板」へと拡大発展している。
 2007年「湯布院映画祭日記」の「スコーンと消えたプロへの執着」の項で、大高宏雄さんから「竹中労は、書くメディアがなくなってもガリ版刷りで書き続けると喝破した。今はガリ版の代わりにインターネットがある。表現方法はいくらでも考えられるのではないか」と私が励まされた2002年のキネ旬誌上の「ファイト・シネクラブ」の一文を紹介したが、本当にそのとおりになったと思う。
 ただ、残念ながら活字派の頃からの私の知人からの反応は薄い。読んでくれてないようだ。プリントアウトして渡すと、読んでくれる。活字人間とネット人間の間では、同じ映画好きでもまだまだ壁があるようだ。

「蛙の会」発表会とバッティング フル参加ならず
この年で残念だったのは、8月25日(日)が「蛙の会」発表会で、21(水)〜25日(日)の映画祭と完全にバッティングしたことである。発表会前日の24日(土)は、当然リハーサルとなる。映画祭参加は、頑張っても21日(水)の前夜祭から二日目の23日(金)のパーティーまでで、3日目の土曜日早朝には湯布院を発ち、それでも遅刻を詫びながらリハーサルに合流するというハードスケジュールしかなかったのである。
 前年の「蛙の会」初舞台で私は紙芝居を努めた。だから、2年目ではあるが、この年は活弁デビューなのである。どんなに後ろ髪を引かれても、映画祭フル参加というわけにはいかない。その気持がもろに出た「中途半端なエビローグ」の「湯布院映画祭日記」だった。その心情を察してくれた13号倉庫さんが、「活弁デビュー体験記」発表の場を与えてくれた。改めて二つを通して読み返すと、中味の濃い五日間を過ごしたものだと再認識した。

岡本英二さんに感謝
現在は映画祭の会計監査員で大分市役所職員の岡本英二さんからは、この頃からお世話になりっぱなしである。地元の利を生かして、常連を同じ部屋にする気配りをしてくれる。そして、その部屋には酒・つまみを絶やさない。代金を払おうとしても「いや、みなさんは交通費使って遠くから来てくれてるんですから…」と決して受け取らない。恐縮・恐縮、感謝・感謝で今だにお世話になりっぱなしである。この場でも改めて感謝の意を表します。

「お馴染みおたべちゃん」との張り合いのスタート
この年あたりから、常連「おたべちゃん」と、かなりお馴染みになる。今年は前半で帰ると告げると、「それじゃ今年の後半は静かになるね」と突っ込みを入れられる。あ、張り合いと言っても殴り合ったわけじゃありません。HPのリンクが張り合うことになったのも、この年からだということです。「男ありて」を巡ってのネット上の意見交換などもございました。

定年退職と名刺のこと
この年は東京電力を6月に定年退職したので、関連会社に再就職後の最初の映画祭参加であった。早速、名刺を配り直した。今、思い返すとショムないことしたもんだと思う。
 プライベートな友人・知人に会社の名刺を渡すなんて、一般的にはほとんど意味ないことだと、そんなあたりまえのことに2、3年後に気が付いた。例えば、私のように東京電力とか、E.T.さんのようにNTT西日本とかなら、どんな人か分かるが、普通は会社の名前なんか聞いても、仕事以外の知人にはほとんど意味がない。(常連のIさんのように名刺で一目でシステムエンジニアと分かるケースもあるが)現在は私も、話術研究会「蛙の会」 機関紙「話芸あれこれ」編集責任者と記した私設名刺を交換している。

映画を観てると教養が上がる(?)
この年の前夜祭の野外上映は昭和28年作品「天晴れ一番手柄 青春銭形平次」だった。市川崑作品としては、一部の通で話題になってはいたが、決定的代表作という程のものではなく、やや注目作といったポジションの映画だ。だから、当時は東映時代劇に夢中の小学生の私が、当然リアルタイムで見てるわけもないし、その後の映画好きの若者になってからのクラシック漁りにも、引っ掛かってくることはなかった。湯布院映画祭実行委員の選定がなければ、積極的に出会うこともなかったろう。
 今年の7月13日(日)に新宿のシアターアプルで「浪曲乙女組」を鑑賞した。若手女流浪曲師の玉川奈々福、菊地まどか、春野恵子の3人の公演である。客席も賑やかな限りで、玉川奈々福後援会長の飯田美佐子さん、副会長の黒岩洋介さんを始めとして、漫画家のバトルロイヤル風間さん、私の活弁指南をしてくださっている飯田豊一先生、社会人落語家にして「クロワッサン」副編集長のあっち亭こっちさん、同じく社会人落語家で「日立寄席」重鎮の酔水亭珍太さんと、錚々たるメンバーのそろい踏みだ。当然、終演後はこぞっての酒席となる。
 古典芸能に造詣の深い面々だが、当然チラリと映画の話題も出たりする。最近逝去した市川崑の話題も出る。飯田先生から『いくら周磨さんでも「青春銭形平次」って楽しい映画があったんだけど見てないでしょう』と言われる。でも、湯布院映画祭のおかげで、しっかり見てたんですよねえ。「見てますよ。火打石とライターが神棚に置いてあったり、ユニークな映画だったですよね」と返して、さすが!と感心されるに至った。
 春野恵子さんの演目は「袈裟と盛遠」を題材としたものだった。門覚上人が悟りを開く前の、煩悩多き若き日のご存じエピソードである。それは、聞き始めですぐ分かったのだが、「あれ?誰の若き日のエピソードだったっけ?」と、肝心の門覚上人の固有名詞が頭に浮かんでこない。中盤でやっと名が浮かび、俺も年取ったかなあという思いをした。
 このご存じエピソードを、古参社会人落語家の珍太さんが知らなかったことが、冷やかしのネタになった。いや、私だって映画ファンで長谷川一夫と京マチ子が主演の、日本では単なるご存じ映画だけど、カンヌでグランプリ、アメリカでアカデミーと、やたら高く評価されたという衣笠貞之助作品「地獄門」を観ていたから、記憶に深いだけである。春野恵子さんは、前説で「地獄門」にも触れていた。
 「その映画なら見たけどねェー、そうだったかなー」と照れ隠しに珍太さんが語り出したのは「羅生門」の話、同じく京マチ子が出演しているので、ゴッチャになったみたいで、ますます笑いを誘った。いえ、誰だって何もかも知ってるわけじゃありません。でも、映画について多少知ってると物知りのように思われるのは結構なことで、映画検定1級バンザイ!湯布院映画祭の作品選定眼バンザイ!である。

寄り道 英語字幕映画の巧まざるおかしさ
余談である。「地獄門」は私が20代の頃、フィルムセンターで観た。英語字幕だった。盛遠が袈裟に言い寄るシーンで、袈裟は心の乱れを吹っ切るように琴を弾じ続ける「やめられい!」と迫る盛遠。ところが、この時の英語字幕は「ストップ!ストップ、ストップ!!」なんである。別におかしいシーンではないのに、場内は失笑に包まれた。
 もっとひどい例は、同じくフィルムセンターの英語字幕版「雨月物語」だった。京マチ子の妖怪の姫君が「まあ、何をおっしゃいます」とあでやかに微笑むと、この時の字幕が「おー、ナンセンス」。おりしも全共斗が「ナンセンス!」の連呼で分別ある大人を徹底的に封じた時代である。これには場内が大爆笑に至ってしまった。

初めて辻馬車に乗る
これまでも、私は他のほとんどの参加者のように映画漬けオンリーではなく、すでに見た旧作の時間は映画観賞からリタイアし、湯布院観光をしていたが、この年は鑑賞済作品が連続しまとまった時間が空いたので、初めて辻馬車を予約した。以前からポコポコとのんびり湯布院の町を歩く辻馬車は、気になっていたのである。これが実によかった。辻馬車の進行とともに、湯布院の全体像を案内してくれるのである。その中から、今後は自分好みの観光スポットを深めれはいいわけだ。これまでの3年間は、行き当たりばったりに湯布院の町をウロついていたが、最初の年にまずこの辻場所に乗るべきであった。

伊藤雄委員長の人間の大きさ
この年、活弁デビューで映画祭は途中リタイアすることの挨拶がてらに、何人かの人に「蛙の会」発表会のチラシを渡した。伊藤雄映画祭実行委員長は、「チラシをロビーに置きましょう」と言ってくれた。「でも、映画祭の最終日とバッティングしているんですよ。商売敵じゃないですか」と言った私に対し、「商売敵とかそんな話じゃないでしょう。東京でこういう催しをやっているという貴重な情報です」「でもチラシは挨拶程度の部数しか持ってきてませんが…」「それではロビーに掲示することにしましょう」と、シンポジウム会場の視聴覚教室に上がる階段横という目立つ場所に貼り出してくれた。委員長の人間の器の大きさに感じ入った。

湯布院に喧嘩を売りに来た(?)女流監督の風間志織
この年、「火星のカノン」を引っ提げて、風間志織監督がシンポジウムに参加した。後で「湯布院に喧嘩を売りに来た」と形容された程の、徹底的な強気の人だった。辛口の発言に対しては、徹底的に反発する。「じゃあ、君はどう思ったの!」と、逆質問が飛ばされる。私は、男社会の映画界で監督として生きていくには、このくらいの押しが必要なのかな、と感じた。直接に話したことはないのだが、トークショーなどで拝見した今をときめくカンヌ映画祭グランプリ監督の河瀬直美にも、情の強い人との印象を持っていた。
 昨年のピンク映画関係者の納涼大会で、的場ちせ監督との酒席で、こんなことがあった。私は、的場映画の持ち味は、物欲しいエロチシズムを乗り越えて、アナーキーなスペクタクルに至るあたりが、女流ならではのパワーだと思っていた。だから、たまにチラリと見え隠れする「殿方はこの程度やりゃ満足でしょ」との手つきが見えると気になった。そんな感想を率直に述べたら、「具体的に示しなさい!」と烈火の如く怒られた。慌てて私も自分のメモを繰ったが、膨大な本数のピンク映画のこととて、該当のところがすぐ見つかるわけもなく、しどろもどろになってしまった。私の発言も不用意だったけど、やっぱり情の強い人だなあと感じた。
 もっとも、男社会の映画界だから、女流監督は情が強くなると決めつけるのは、性別にこだわり過ぎるそれこそセクハラ的な物の見方かもしれない。

赤松陽構造 映画のタイトルデザイン展
この年の特集に「赤松陽構造 映画のタイトルデザイン展」があった。その一環で、連日「タイトル作品集」の上映が、第2会場の視聴覚教室であった。私は2日目に観にいったが、観客はたった2人だった。映画のメイン・タイトルとクレジット・タイトルだけを1時間も見せられるだけなのだから、大勢が集まるわけはないにしても、映画通の集団の映画祭の場でたった二人はないんじゃないの。
 昨年の「大映京都撮影所特集」の「大映京都を語る」上映会の観客がたった4人の惨状だったことを紹介したが、実行委員の皆さん!こういう陰の魅力ある企画はもっとPRしましょうよ!、参加者の皆さん!自分がすでに観ている映画の上映の時も少なくないでしょう。そういう時は、こういう貴重な裏企画にもっとアンテナを伸ばしましょうよ!と私は言いたいのである。

この年の映画祭概要
特集 あんな家族こんな家族 丸根賛太郎(こちらは私は不参加)
    日本映画職人講座 映画音楽 川崎真弘(私は不参加)
    新作特別試写「火星のカノン」「美しい夏 キリシマ」
                            この2本のみ鑑賞
                  ベストムービー「美しい夏 キリシマ」

以上、フル参加でもない2002年の第27回「湯布院映画祭」の回顧でしたが、意外と蘊蓄を傾けてしまいました。

●2003年 第28回
「湯布院映画祭」参加5年目の年である。この年以降、昨年までフル参加を続けている。いろいろな意味で節目の年だった。
 前年の2001年から初めて「湯布院映画祭日記」を13号倉庫さんにアップしていただいたが、リアクションが結構あった。1999年「第24回湯布院映画祭 シンポジウム採録」の中の「映画祭日記」掲載とは格段の差である。時代は活字でなくネットになったことを痛感する。
 「映画友の会」の新規参加者も、チラシとか雑誌とかを見て来る人は皆無だ。ほとんどの人の情報源はネットである。ただ前の「映画三昧日記」で記したように、東京新聞効果はかなりあった。活字文化でも、新聞はまだまだ影響力があるということだろうか。もっとも、その新規参加者が、これも前に述べたように熟年の男女なのだから、活字文化は熟年に限って影響力があると見たほうがいいのかもしれない。
 この年から、映画祭日記は時系列の記述をやめた。テーマごとに記していって、話題が尽きた時が日記のエンドマークという形が定着した。
 映画祭を基点に、さまざまなフィールドに思いを馳せる拡張を始めたのも、この年からである。翌6年目の2004年は、完全に「フィールド」の連鎖をテーマに長文の日記を展開することになった。
 昨年2007年の日記では、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を中心に、我が人生を回顧することになったが、映画祭を通じて自分探しの旅を始めるようになった原点も、この2003年であろう。

この年の映画祭概要
特集 東映京都撮影所 「東映京都・岡田茂氏大いに語る」
            「東映京都シンポジウム」
日本映画職人講座   「編集マン 富田功の人と仕事」
新作特別試写     「ジャンプ」「ヴァイブレータ」「昭和歌謡大全集」
              「福耳」「油断大敵」
私のベストムービー  新作「油断大敵」  旧作「緋牡丹博徒」

野外上映「鳳城の花嫁」
この年の前夜祭の由布院駅前広場での野外上映は東映スコープ第1作「鳳城の花嫁」だった。残念なのは35ミリのプリントにきれいなものがなく16ミリ上映になったことである。
 野外上映時間中は駅舎は照明を必要最小限に落とし、近くの土産物屋は閉店してシャッターを閉めていることに気がついたのも、この年だった。駅舎はともかく、土産物屋は売上にも影響してくるだろう。地元あげての支援ぶりを、この時に感じた。

実行委員会と映画祭参加者との懇親会の話題
この年から、野外上映終了後に近くの乙丸地区公民館で、引き続き実行委員会と映画祭参加者の懇親会が開催されることになった。私の「蛙の会」発表会のPRの場がここになったのもこの年からである。

ちょっと脇道 活弁の前説
この年の私は、発表会の活弁の前説に力を入れていた。前年のお客さまの声で「今の人は活弁の何たるかも知らなければ、荒木又右衛門も知らない。上映前にそれなりの前説が必要ではないか」というのがあった。ごもっともな話で、私はこの年の演目「血煙り荒神山」にのっとり、大河内傳次郎の(あまり似てない)声帯模写も交えた3分ほどの原稿を作った。気分は日曜洋画劇場の淀川長治さんである。映画祭で同室の人に練習がてらご披露した。実験台になった人は落語の「寝床」の心境だったかもしれない。ご迷惑をおかけしました。失礼いたしました。ご協力ありがとうございました。
 残念だったのは1日目のパーティーで「PRがあればどうぞ」との呼びかけがあり、「周磨さんやったら」と寺脇研さんも後押ししてくれたのに、一瞬の躊躇でタイミングを失ったことだ。芸人というのは、出たがりが過ぎても過ぎることはないはずである。私もまだまだ修行が足りなかった。
 この年の映画祭後に、「町屋ぶらちら寄席」(ぶらっと来てチラっと寄席を楽しむ会で、女性の下着とは無関係との席亭の言)に行った。その時の打ち上げでは、練習がてらにこの前説をご披露させていただいた。一昨年に急逝された浪曲界の重鎮の玉川福太郎師匠もいたのだから、よく考えれば怖いもの知らずである。
 後日「蛙の会」の会員の人から「前説というのは本芸とちがって、ハプニング性を生かしてあまりガチガチに固めない方がいいよ」とアドバイスを受けた。現在はそうしている。最も口下手で5分喋るのに1時間考えなければ言葉が出ない私(嘘吐け!の声が飛びそう)だけに、今でも前説を内々では煉りに練り込んでいるのはまちがいない。

「緋牡丹博徒」に浮かれる
東映京都撮影所特集の一環で上映された「緋牡丹博徒」に、浜松のT要さんが年甲斐もなく(失礼!)乗った。「イヨー!」と掛け声をかけて拍手する。私もすぐ呼応した。藤純子、高倉健のクレジットに拍手である。気分は70年代前後のオールナイトの映画館だ。ダブル要で盛り上がった。でも、さらに呼応したのは、大分市役所の岡本英二さんなど少数だった。でも、最後は拍手が爆発したんだから、みんな心の中では乗ってたんだろう。

サイクリングの定着
この年から湯布院観光を、サイクリングで回ることを始めた。倉敷ツタヤ店長Oさんが自転車で走って来たのに遭遇したのがきっかけだった。「あれ、どうしたんですか」「レンタサイクルですよ」そうか、湯布院は盆地でアップダウンは少なく、それほど広い地域でないのだから、自転車で巡るのは正解である。
 この年のサイクリングは、最終日の「緋牡丹博徒」上映後、すでに見た「股旅 三人やくざ」の時間とすることにした。でも、連夜の宿での2時過ぎまでの懇親で疲労困憊であり、熱射病でひっくり返ったら洒落にならないなとも思ったが、「緋牡丹博徒」に元気をもらい決行したのであった。

ニュープリントの話題
この年の東映京都撮影所特集の一環で上映された「十一人の侍」は、参加者に基金を募ってニュープリント上映された。
 映画会社の貸出プリントにきれいなものが無い時に、25万円ほど出せば、ニュープリントを焼いて貸し出してくれる。ただし、あくまでも貸し出すだけで、プリントは映画会社所有になるのだから、虫のいい話である。
 今年2008年「湯布院映画祭」の舛田利雄特集で「わが命の唄 艶歌」でも、同様の基金が呼びかけられている。映画会社の虫のいい制度ではあるが、きれいなプリントで見たいとの映画ファンの心情は銭金ではない。1口3000円なりの基金に今年も私は乗りました。
 川島雄三のファンの集い「川島クラブ」が、この制度を通じて川島監督作品のニュープリントを整備していることを、以前に耳にした。ファンというものはありがたいものである。

湯布院の天候と着るものの話題
湯布院は盆地だから気候は暑い。ただ、湿度が低いので夜は避暑地ならではの爽やかさだ。ただ、年によって、それもかなり変化が大きいことも、この年に知った。
 前年の2002年は、台風通過後の冷気が入り、避暑を通り過ぎて寒いくらいであった。例年のつもりで長袖ブラウスなども持参せず、ブルブル震えながら野外上映を見た。
 この年2003年のこの時期は、東京は梅雨がもどったような低温の雨続きであった。湯布院は暑くて、避暑どころか北海道から東京へもどったような感じだった。
 以来、衣類もいろいろな場合を想定して、様々な種類を持参するとともに、映画がらみのTシャツで闊歩するなど、着るものにもちょっと遊び心を出すようにしたのであった。

「ゆふいんの夜」上映と五日市映画祭のこと
この年、1998年の湯布院映画祭実行委員会製作「ゆふいんの夜」が再映された。4分30秒の記念撮影風アトラクション調の軽いものだが、監督・舛田利雄、助監督・荒井晴彦・原田芳雄という豪華版である。
 この年の「湯布院映画祭日記」では、これをキックにして映画を製作する映画祭の「五日市(現・あきる野)映画祭」の話題にワープしている。「風の見える街」が製作され、もう一つの映画を製作する映画祭の「伊丹映画祭」の三原光尋監督が「真夏のビタミン」を引っ提げて参加し、五日市の小林仁監督とエールを交換していた。
 三原光尋監督は、今年2008年の「湯布院映画祭」に「しあわせのかおり」を引っ提げてゲスト参加する。五日市の思い出話などをしたいものである。

「昭和歌謡大全集」と龍平クン・フィーバー
この年のある意味での最大の話題は「昭和歌謡大全集」のゲスト松田龍平だろう。このフィーバー(というのともちょっとニュアンスが違うが)は思い出深い話が多い。私の9年間の湯布院参加歴で、若い娘に熱狂的に支持される唯一のゲストだろう。これについては、回顧するとキリがないので、関心のある方は「湯布院映画祭日記 2003」を覗いてみて下さい。

自分探しの旅(その1) 私のサラリーマン根性
冒頭に、映画祭日記を通じて自分探しをする原点が、この年からだと述べた。3点に絞ってこれに関して回顧してみたい。
 荒井晴彦さんには、結構いろいろ言われた。それも当然で、この当時の私は「映画芸術」の連載「サラリーマン ピンク体験記」執筆者で、荒井さんは編集長だったのである。
 荒井さん執筆の(A)氏編集後記は常に話題である。言いにくい本音がバンバン飛び交う。私は荒井晴彦と(A)を使い分けてるんでしょうと指摘したら、「(A)は俺だってみんな知ってるよ。俺はいつも本音だよ。そういう風に考えるのか。お前ってホントにサラリーマンだよな」と、強烈な突っ込みを入れられた。
 「岡田茂氏大いに語る」は楽しい企画だったが、最近は体調からアルコールを控えているせいか、バーティーに参加せずに帰られたことだ。ジックリ意見交換ができず残念だった。ただ、パーティーで私が言いたいことが言えたかどうかは疑問だ。経営者タイプの人にはサラリーマンの性で、威圧感を感じてしまうのである。日本を代表する脚本家にして映画監督の荒井晴彦さんには、フリーランサーの気安いムードから軽口を叩いてしまうのに、ホントに俺は全身サラリーマンだと思った。
 フィナーレの「油断大敵」の時も、交代勤務経験のある私としては、渡辺敦プロデューサーと、映画の中の交代勤務の嘘と実について、結構話し込んでしまった。ああ、情けない、俺ってやっぱり全身サラリーマンか、と自己嫌悪に陥った。
 でも昨年の「湯布院映画祭日記」で延々と述べた如く、今はサラリーマンとしてではあれ、首都圏の電力安定供給の末端に携わったた者として、誇りを持っているのである。

自分探しの旅(その2) ファン感覚の限界?
この年の春、「御贔屓里見瑤子嬢」に初めて会い、サインもらって握手もしてもらった。よせばいいのに喜々として、荒井晴彦さんにサインを見せたりしてはしゃいでたら、私の連載記事中の「美人保健婦 覗かれた医務室」の記述で、鋭く批判された。脚本は荒井さんの弟子であり、アドバイスもしたらしい。「シナリオを取り出して関係を論じてるはずなのに、どっかファン感覚で、結局映画は監督のものだって曖昧にしてるだろ。それじゃ駄目だよ」ということである。
 ファン感覚ということでは、この年の新作特別試写「ヴァイブレータ」に関する思いがある。私の新作特別試写ベストワンが「油断大敵」なら、あまりこういう言い方は好きでないがワーストワンが「ヴァイブレータ」なのである。
 なぜワーストワンかは、次の項でもう少し詳述するが、基本的に私は嫌いな映画を語る気がしないのである。以前に荒井さんに「不快な映画だと言うんなら、なぜ不快かをつきつめるのが批評だろ」と言われたが、私はどうしてもそういう気になれない。これもファン感覚のなせる限界なのだろうか。

自分探しの旅(その3) 淡白な気質
私は淡白である。(そう言うと笑う人が多い)例えばこの年に第一作が上映された「緋牡丹博徒」シリーズで言えば、世間的に好評な女の情念がムンムンし、体臭まで漂うような「お竜参上」に代表される加藤泰監督作品よりも、第一作に代表される緋牡丹お竜は花で女の色香を超越した植物的存在として描く山下耕作監督作品が好きなのである。
 「ヴァイブレータ」が不快なのは、廣木隆一=荒井晴彦コンビ特有のヌラッとした感じである。30も過ぎたいい歳の女が、性に骨がらみになってジタバタしてるのを見ると殴りたくなる。もちろん映画としてはよくできている。寺島しのぶは主演女優賞の大本命だろうと私は予言したが、現実にそのとおりになった。しかし、淡白な私にとってはイラつくだけの映画である。
 この体質が「油断大敵」を私のベストムービーに押し上げたのだが、他の参加者との間で、感覚にかなり隔意があった。男やもめの役所広司と小学生の娘とのエピソードである。娘は、父を奪われる恐怖から再婚相手の夏川結衣を徹底的に拒否する。役所広司は結局は娘のために土下座してまでして、彼女と決別する。荒井さん以下、ほとんどの私と話した参加者が「あんなことないよね」「ドラマの詰めが甘いよ」「別れても、娘に内緒でラブホテルで会ってるよ」なんて調子だった。
 そんなことはないと私は思う。まして、娘に内緒でラブホテルで会うなんて論外だ。それが分かった時に、娘は人格崩壊しかねない。そこまでリスクを追ってまで、性を貪らなければいけないなんて、私にはどうしても思えないのだ。だから、私は性に骨がらみの女の「ヴァイブレータ」なんて不快としか思えないのである。これが「淡白」な私の実感です。
 2000年の映画祭パーティーで荒井晴彦さんと「女渡世人 おたの申します」の話題となった。二人挙って大絶賛の意見一致はした。ところが荒井さんから「男は追いつめられると国家かイデオロギーになるけど、女はオ××コを誰に与えるかって映画だよな」と、私の想像を絶する言葉がでてきた。しかたがないから私は「さあ、私、淡白だからそういう見方はわからない」と返すしかなかった。「娘がいて淡白なわけがないだろう」「それは関係ないでしょうが」最後は掛合漫才の様相となった。
 これは、昨年の「湯布院映画祭日記」の「人が人を愛することのどうしようもなさ」に関連しての「エロスは百人百様」のテーマに連動してくるのである。

回顧にのめり込み過ぎてるようです。まだ2004年〜2007年と4年分も残ってます。最も昨年は回顧する必要もないので、あと3年分、今年の湯布院出発前までに、できるだけ簡単に手短かに走りぬけたいと思います。
映画三昧日記2008年−15

●10年目の湯布院映画祭
今年も湯布院映画祭の8月が来る。よくよく数えたら今年の参加(予定)で、1999年の初参加以来10年目を迎えることになる。
 10年前、ひょんなことから湯布院映画祭に初参加した。あれから10年、湯布院を基点にしたネットワークは、私にとってとてつもなく大きな比重を占めている。荒井晴彦さんとの縁から「映画芸術」前編集長の武田俊彦さんとの縁へと連なり、連載をきっかけにしたピンク映画関係者との縁から、13号倉庫さんとのHPとの縁も、これがなければ存在しなかったし、そこから「PG」林田義行編集長、「ぢーこ」さんへと輪が拡がった。そして今年に入り、「御贔屓里見瑤子嬢」応援団の方々たちとの縁へとつながっている。また、武田さんを通じての落語家・夢月亭清麿師匠との縁から、もう一つ演芸関係の方々の縁へも拡がりをみせている。
 もちろん、これは間接的な縁だ。直接、映画祭で知己を得た方々との縁は、さらにさらに大きい。今年も、その人たちと、湯布院の地に立つだろう。湯布院行きを前にして、この10年を回顧してみようと思う。

●1999年 第24回
この年に初参加して、映画祭とは映画好きにとってこんな素晴らしい空間なのかということを、骨の髄まで知らされた。私にとって、それまでは月1回の「映画友の会」が黄金の日だった。
 淀川長治さんが創設した映画ファンの集いで、午後2時から5時まで、映画談義に明け暮れる。メンバーには、アニメ研究家の「おかだえみこ」さんや、進行役の映画プロデューサー渡辺正純(映画ライターわたりじゅん)さんが常連だが、思いがけないゲストも訪れたりする。
 当然、午後2時までの間に、私は映画を1本観て参加する。例会の後は、コーヒーを飲みながらの2次会、酒席の三次会、同好の志を募っての4次会と、終電車まで映画漬けの1日は続く。
 映画鑑賞・映画好きとの語らい・酒(これは飲ん兵衛だけの一方的な理屈だが)、この三つが揃えば映画好きには天国である。「湯布院映画祭」に初参加して、こんな天国がさらに5泊6日で、温泉付き・豪華ゲスト付きで堪能できる超天国があることを発見したのだ。連日連夜、映画を観まくり、シンポジウムで激論し、パーティーに浮かれるのである。

この頃、私はキネマ旬報「読者の映画評」の常連だった。社交辞令だとおもうが、伊藤雄映画祭実行委員長・横田茂美事務局長(当時)が、「参加をお待ちしてました」と暖かく迎えてくれた。長崎キネ旬友の会のE.T.さんや「お馴染みおたべちゃん」、もう一人の「要ちゃん」こと浜松のT要さんなど常連の方々とも、ここで初めてお会いした。誌上でしかお名前を知らなかったフリーライター磯田勉さんとも、この年の縁で、その後に親しくお付き合いさせていただけることになった。
 30年前の「読者の映画評」常連座談会(結局私は会社都合で欠席した)で、お会いするはずだった寺脇研さんとも、ここで初めてお会いしてご挨拶した。作品や批評や世評を通じては、気難しそうであまりいい感じを持っていなかった荒井晴彦さんと、二言三言の言葉を交わし、同年代で楽しく飲めそうな人だなと、逆の印象を持ったのもこの年だった。

感動と充実の5泊6日は終った。ひょんなことから参加しただけに、この高揚は大きかった。私は長文の私的日記としてまとめ、実行委員会にも感謝の意味も含めて送らせていただいた。ところが、極端なプライベート部分を除いたほぼ7割が、「第24回 湯布院映画祭 シンポジウム採録」に特別寄稿として掲載されたのである。
 「ひょんなことから」の湯布院初参加の経緯などは、2004年「湯布院映画祭日記」に、前記拙文のかなりの部分を引用いたしましたので、ここでは繰り返しません。そちらを覗いていただければと思います。
 こうして、私の湯布院映画祭の旅はスタートした。

1999年 特集「変身、変身、また変身」
日本映画職人講座 メイク篇
新作特別試写「はつ恋」「ナビィの恋」「皆月」「あつもの」
「M/OTHER」「千年旅人」
「金融腐蝕列島 呪縛」

私のベストムービー  新作「「ナビィの恋」 旧作「悶絶!!どんでん返し」

2000年 第25回
満を持して参加を目論んでいた翌年だったが、この頃はまだ東京電力の現役で叩き上げの下級管理職であり、そうそう自由も利くはずもなく、仕事の都合で初日木曜日の夜のパーティーからの参加で、月曜日も仕事のため、最終日の行事はほとんどパス、日曜早々には帰京するハードスケジュールとなった。

この年は、荒井晴彦さんとの本格的なおつきあい(?)が始まった年でもある。前年の映画祭で観た「皆月」評で、荒井晴彦脚本に結構辛口なことを書いちゃったら、これがキネマ旬報「読者の映画評」に採用されてしまい、それに対して「映画芸術」誌上で荒井さんがこっぴどく批判し、私がキネ旬誌上に何とかお願いして釈明文掲載をしていただくというテンヤワンヤの果ての、映画祭での再会である。「映画友の会」の脚本家志望のBさんあたりからは、荒井さん相手にするなら相当に腹をくくった方がいいよなんて、脅かされる始末であった。
 案ずるよりは産むが易しで、荒井晴彦さんは繊細な神経の人で、それなりの気配りも感じ、同年代で楽しく飲める人という昨年の私の第一印象どうりで、楽しい酒席を過ごせたのであった。

この年、SF作家にして映画評論家の友成純一さんと、初めて親しく話す機会を得た。SF好きの私が、「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」から「新世紀エヴァンゲリオン」へのSFアニメの変遷を熱っぽく語りかけたら、中間点として「機動戦士ガンダム」がありますねと、鋭く指摘された。
 だけど、荒井さんと学生運動の話をした次の日に、今度は友成さんとSFアニメ談義に耽られるなんて、「湯布院映画祭」ってホントにスケールの大きいフィールドだなあと、痛感する。
 この年から、倉敷のツタヤ店長で常連のOさんとお近付きになる。Oさんは荒井晴彦さんシンパで、私を天敵と思ったらしく敵意を持った視線で迎えられたのだが、私が荒井さんと楽しく談笑しているので誤解が解け、その後は映画祭で楽しくお付き合いさせていただいている。

こうして楽しい湯布院2年目は終わり、これも私的メモとしてまとめた。これを面白いという人がいて、輪が広がり20名程度の人にコピーして渡しただろうか。その1部が当時の「映画芸術」編集部員の武田俊彦さん経由で13号倉庫さんへと渡り、2002年以降のHP上の「湯布院映画祭日記」へと発展していくのである。

2000年 特集「その映画に女ありて」「鈴木英夫監督」
日本映画職人講座 衣装篇(私は不参加)
新作特別試写「独立少年合唱団」「スリ」の2本のみ鑑賞


●2001年 第26回
この年の映画祭については、私的メモを含めて私の記録は全くない。(13号倉庫さんのHPにアップしていただけるようになったのは翌年2002年からである)そこで、この年は、思い出しながら少々細かく記してみたい。

とは言っても、この年に日記を記す機会があったとしても、熱っぽく書くことがあったろうか。これまでの映画祭で、最も印象が薄かった年のような気がする。一番記憶に残っているのが、「映画友の会」の友人で、私もまだ定年前だったから同じ東京電力社員で、キネマ旬報「読者の映画評」常連の論客・須田総一郎さんが初参加したことなのだから、いかに印象が薄かったかということだ。
 須田さんは、家族サービスの夏休み旅行も兼ねての参加であり、映画祭オンリーというわけにはいかず、かなり忙しそうだった。それでも1日だけ「ゆふいん麦酒館」のパーティーにも参加し、その後「牧場の家」の懇親会まで雪崩れ込んで楽しく過ごした。
 須田さんの参加は、目下のところこれが最初で最後である。まあ、私なんかとちがって今も現役であり、公務員風の表現を借りるならばキャリアの上級管理職なのだから、映画祭を堪能する余裕が出るにはまだ時間が必要だと思う。

いずれにしても、この年の映画祭の全貌を紹介しておこう。

特集 日本映画の新しい風(上映の旧作はテーマ別に以下のとおり)
   ・大胆不敵 「岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説 EPISOODE1」
         「蛇の道」「極道戦国志 不動」「カオス」
   ・愛の行方 「OLの愛汁 ラブ・ジュース」「フレンチドレッシング」
         「アベックモンマリ」
   ・青春乱反射「青〜chong〜」「RUSH!」

日本映画職人講座 技斗師 高瀬将嗣の世界(上映の旧作は以下のとおり)
  「錆びたナイフ」「野獣を消せ」「ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎行進曲」

韓国映画とプロデューサーシンポジウム  上映作品「リメンバー・ミー」

新作特別試写
 「少女」「笑う蛙」「光の雨」「竜二Forever」「まぶだち」

ふり返ってみると、結構話題豊富な企画である。
 日本映画以外は上映をしないとの禁を、現在のところ破った最初で最後の例として、韓国映画「リメンバー・ミー」が、日韓プロデューサーシンポジウムの一環で上映されている。
 「日本映画の新しい風」では、ピンク映画「OLの愛汁 ラブ・ジュース」が上映されている。ゲストで田尻裕司監督がシンポジウムに参加もしている。改めてみるとユニークな企画の数々があるのだが、私の感性からは、みごとに全部滑ってしまった。

日韓プロデューサーシンポジウム
日本映画オンリーの禁を破った日韓プロデューサーシンポジウムは、開始前には参加者の間でかなり盛り上がっていた。「北との問題に関する質問はタブーかもね」「在日問題で喧嘩腰みたいになったら困るね」「質問・意見の発言には気を使わなくちゃね」とヒソヒソやっていた。
 蓋を開けたら拍子抜けだった。日韓プロデューサーの意見交換は、前日の当事者同士の湯平温泉の懇談で十分成果をあげ完了したようで、シンポジウムは完全にセレモニーに過ぎなかった。そして通訳が入るから、1時間40分の時間は、実質半分の50分のボリュームしかない。当然、一般参加者との質問・意見交換の時間も取れるわけもなかった。
 このシンポジウムに参加するには、同時刻に上映中の「フレンチドレッシング」をパスするしかなかったのだが、こんなことなら映画の方を観てたほうがよかったなと思った程度の内容であった。

成功しなかった「日本映画の新しい風」のテーマ
「日本映画の新しい風」というテーマも成功しなかったと思う。当然ながら上映作品は旧作といっても、90年代以降の撮影所システム崩壊後の作品群だ。これまでの湯布院映画祭は、新作特別試写と、70年代までの撮影所システム作品群の旧作が、実にいいバランスを持っていた。新作も旧作も、撮影所システム崩壊後の作品が連続するのは、ちょっとシンどいことを証明してしまったようだ。
 かろうじて「高瀬将嗣の世界」で、撮影所システム作品が3本上映されたが、そのうちの1本「ビー・バップ・ハイスクール」は87年作品で、撮影所システム崩壊寸前の映画だ。だから本格的撮影所システム作品は2本のみで、私は寂しさを感じた。

「野獣を消せ」と日活ニューアクションの思い出
では、この年の旧作ベストムービーを考えてみよう。やはり、撮影所システム作品から選出したいところだが、今さら「錆びたナイフ」はないだろう。では「野獣を消せ」か。確かに長谷部安春のシャープなアクションである。でも、日活ニューアクションである。心情的に私はベストにしたくないのだ。
 60年代末期に東映任侠映画が陰りを見せ始めたころ、当時の若者はいっせいに日活ニューアクションへの傾倒を開始した。断固として東映を支持し続けたのは私くらい(私もその頃は若者の一人だったのです)だった。しかし、東映もその頃に、深作欣二・中島貞夫などを中心に「現代やくざ」「まむしの兄弟」「人斬り与太」と大きな流れの胎動が始まっていたのだ。私はこれを「東映ネオ任侠」と名付け、当時のキネマ旬報「読者の映画評」・「キネ旬ニュー・ウェーブ」に投稿しまくり、孤立無援で熱っぽく支持表明し続けた。しかし、ついに「東映ネオ任侠」と記した原稿は掲載されることなく、「東映ネオ任侠」の言葉は活字化されることもなかった。しかし、誰もが知るように、この胎動は「仁義なき戦い」で大ブレークし、怒涛の潮流となるのである。名付けて「東映実録路線」!こうして私の造語「東映ネオ任侠」は闇の彼方に消えていった。日活ニューアクションは、一部映画通の支持も空しく、興行的に成功せずに、日活はロマンポルノへの転進を余儀なくされ、私の東映断固支持が正しかったことが証明されるのである。そんな屈折した思い出があるから、私は未だに日活ニューアクションに諸手を挙げて熱狂できないのだ。

「OLの愛汁 ラブ・ジュース」だけが代表ピンクじゃない
でも、撮影所システムにこだわらなければ、90年代以降の旧作の中に、ベストムービー候補はないことはない。湯布院に招待された貴重なピンク映画「OLの愛汁 ラブ・ジュース」なんて、ベストに挙げる人は少なくないだろう。「映画芸術」ベストテン入選作品で、私が「映画芸術」誌の「サラリーマンピンク体験記」連載開始にあたって、最初に参考作品としてビデオ貸与された映画でもある。
 ただ、私としては、よく出来てるけどねェー、低予算で頑張ってるねェー、という印象以上ではなかったのである。たぶん、この手の作品だけなら私はここまでピンクにハマらなかった。以前にも記したが、私がハマったのは、監督・深町章=脚本・川崎りぼん=主演・「御贔屓里見瑤子嬢」トリオと、監督・国沢実=脚本・樫原辰郎コンビの、奔放な作品群があったからである。
 どうせ湯布院に招待するなら前期黄金トリオ初作品「痴漢家政婦 すけべなエプロン」(脚本タイトル「平成人魚伝説」)あたりを、思い切って上映したらどうだったろうか。2006年の湯布院でAV調のブッ飛びVシネ「脱皮ワイフ」が結構受けたんだから、案外いけたような気がする。
 話は今年の6月にワープしまして、「ザ★失投パレード」打ち上げで、自作落語を演じた武田浩介さんとピンク映画の話題になり、『ピンクなら奔放にやってもらいたいよねえ。「OLの愛汁」みたいに、ピンクでゲージュツやってどうすんの?』と毒舌を吐いた後、いけね!この脚本は武田浩介さんだったと首をすくめたのでありました。

期待に外れた「アベックモンマリ」
「アベックモンマリ」は、私が期待していた1本だった。三十数年の歴史と伝統のある横浜のミニコミ誌のベストワンに輝いているが、私は見逃していたのだ。でも、失望した。若い夫婦の心理の綾はよく描けている。でも、そこには「子供」という視点が入ってこない。子供を直接画面に出す必要はない。でも、夫婦をつきつめて描くならその視点(子供を造らないとの選択肢、あるいは子供が欲しくてもできないという状況なども含めて)は、絶対に必要なのだ。
 淀川長治さんは「映画友の会」で、こんな意味のことを言った。「男も女も、どんなに愛し合っても他人です。でも、子供があったら他人とは言えないんです。そこに自分の血を引いた、そして相手の血を引いた人間が、いるんです。子供はどちらにとっても他人ではないんです」男と女の関係は「子供」という媒介で大きく揺れる。そこが単なる愛人関係と「夫婦」との差異である。だから私は、「子供」の視点に乏しい「アベックモンマリ」は、所詮「夫婦ごっこ」の映画にしか見えなかったのである。

ミル・マスカラス出演(?)で旧作ベストムービーは「RUSH!」
結局、私の旧作ベストムービーは「RUSH!」に落ち着くことになった。別にそんな大仰な映画ではない。瀬々敬久監督らしいタッチで、「パルプフィクション」を思わせる時制を錯綜した語りで見せるエンタテインメントである。
 楽しかったのはミル・マスカラスが出演(?)していたことだ。いや、単なる外人タレントなんだろう。でもマスカラスの素顔は誰も知らないんだから、本人がマスカラスだと言えばそうなのだ。その遊び心が何とも愉快だ。
 でもこんな次元で旧作ベストムービーが決まっちゃうんだから、やっぱり私にとっては、印象薄い映画祭の年だったことになるのだろう。

粒揃いの新作特別試写作品
新作特別試写作品は粒揃いだったと思う。特に「光の雨」は私のベストワン作品だ。
 また「笑う蛙」も素晴らしい人間喜劇で、私は椅子から落っこちるんじゃないかと思うくらい笑い転げた。たまたま、私の前に荒井晴彦さんが座っていた。「お前だろう、俺の後ろで大きな声で馬鹿笑いしてたのは、アホか」と、パーティーの時に言われてしまった。

フィナーレの物足りなさ
それでも、この年の湯布院は、私にとって印象が薄い。多分、それはフィナーレの物足りなさだろう。
 フィナーレ作品は「まぶだち」で、これも後にキネ旬ベストテン入りした秀作である。ただ、フィナーレの華やかさには程遠い映画だ。加えて、私は「まぶだち」をそんなにいい作品だとは思えなかったのである。(ベストテン入選を知って、え?と感じた程である)
 とはいえ、この年はフィナーレにふさわしい新作特別試写作品がない。どんなに傑作でも「光の雨」では暗〜くなっちゃうだろうし、「笑う蛙」もいいけどやや軽い。案外、主演の高橋克典が「皆さん、今晩は、金子正次です」と挨拶して乗りまくっていた「竜二Forever」あたりにした方が、湯布院に縁の深い「竜二」関連の映画だけに、盛り上がったかもしれない。
 もうひとつガッカリしたのは、最終日に期待していた金鱗湖畔の亀の井別荘・湯の岳庵での、徹夜の実行委員慰労会を兼ねた参加者との懇親会が、この年から無くなったことである。諸般の都合で金鱗湖畔のパーティーは初日となり、最終日のパーティー会場はゆふいん健康温泉館で、前日までと同様に午前0時で散会となったのであった。
 1999年の初参加で、焼酎の樽に氷がブチこまれ、果てしなく水割りが出てくる楽しさが忘れられず、でも2000年は前述したように仕事の都合で最終日のパーティーに参加できず、今年こそはと意気込んでいただけにガックリである。結局、この年の湯布院の印象が薄い一番の理由はここかもしれない。飲ん兵衛というのは、いたしかたないものである。
 これをきっかけに、2003年からは、実行委員と参加者の懇親会は、初日の野外上映会の後に乙丸地区公民館で開催されることになり、前夜祭の大きな楽しみの一つに発展する。
 また、2004年の台風で終了後に湯布院に封じ込められた事件から、私の周辺では2005年以降に、最終日のパーティー閉会後に有志が集って映画祭の「総括」をすることが始められる。昨年の2007年には、そこに実行委員の何人かも派遣されてくる盛会に至っているのである。


こうして、2002年以降の「湯布院日記」は、13号倉庫さんのHPにアッブしていただけることになった。2002年から2007年についてはすでに詳細にレポートしているので、ここでは多くを繰り返しません。ただ、次回以降の「映画三昧日記」で、今年の「湯布院映画祭」参加前までに、ザッと回顧はしてみようと思っております。
映画三昧日記2008年−14

ご無沙汰いたしました「映画三昧日記」です。「映画三昧」の日々は相変わらずですが、今回は力を入れないで、6月の小ネタの羅列といったところで、ユルユル行きたいと思います。

●平成20年6月8日(日) 「ザ★失投パレード」 ムーブ町屋
漫画家バトルロイヤル風間さん主催の、社会人芸能大会「ザ★失投パレード」No.6に行く、この日も楽しい演者がそろっている。

まずは風間さんの似顔絵コント2題、オープニングとトリである。
 続いて映画脚本家として高名で、最近は演芸作家に進出している武田浩介さんが新作落語を自演する。懐かしの映画が題材の「光と影」で、映画館がタイムスリップの場所になる洒落た感覚がいい。何よりも、若いにもかかわらず昭和30年代の映画館の雰囲気をよくリサーチしている。
 浪曲界のニューウェーブ玉川奈々福後援会長にして、社会人コント演者であるMISAKOさんもコントで登場する。以前に、落語家・夢月亭清麿師匠の作により「MISAKOまつり」で披露した演目の再演である。MISAKOさんは「蛙の会」に体験参加したこともあり、私にも縁がある。
 新作落語でお目見えするヂェームス槇さんは、吉河悟史の本名で若手お笑い芸人の「新作無法地帯」などのプロデュースもしている精力的な人である。いつも明るい芸風が楽しい。
 製作スタッフには、「映画芸術」前編集長の武田俊彦さんも、名を連ねている。この人も河本晃の名で、脚本家・演芸作家・落語プロデュースなどでも活躍している多彩な人である。
 客席の方も賑やかで、MISAKOさんのコント作者でもある夢月亭清麿師匠、演芸作家の稲田和浩さん、「蛙の会」の岡松三三さん。いつもの常連の社会人落語家のあっち亭こっち、仏家シャベルの両師匠がいないが、これは、千葉の方で別の社会人寄席の高座に上がってるとのことで、皆さん、ご多用の限りである。(ちなみにあっち亭師匠の裏の顔はマガジンハウス「クロワッサン」副編集長で、シャベル師匠は将棋ライターである。いや、むしろこっちを表というべきか)
 こんな異種格闘技戦みたいなメンバーが一同に会するのだから、打ち上げの盛り上がりは半端ではない。毎回、「ザ★失投パレード」に顔を出すのは、この打ち上げが楽しみだからといって過言ではない。(演者に「芸の方はどうなの!」と怒られそう、スミマセン)

折角、国分寺という都下の市部から町屋という都区内に出張るのだから、交通費は有効活用せねばならない。「ザ★失投パレード」の開演は午後3時なので、その前に銀座テアトルシネマに寄って「アウェイ・フロム・ハー 君を想う」を観る。
 銀座テアトルシネマのようなミニシアターは、チラシの宝庫である。早速チラシを物色し、その中で2種の「ザ★失投パレード」で会う人に縁のありそうなものを、数枚ずつ持ち出す。
 1枚は「ばけもの模様」のチラシだ。池袋シネマ・ロサのレイトショーで、連日トークイベントがある。6月13日(金)のゲストは、石井裕也監督と武田俊彦「映画芸術」前編集長だ。
 もう1枚は「縛師」で、廣木隆一監督のドキュメンタリーだ。「蛙の会」会員の飯田豊一先生(ここでは濡木痴夢男)と早乙女宏美さんが、被写体としてクレジットされている。
 打ち上げの席で、酒席の話題を兼ね、チラシを配って情報提供する。シャイな武田さんは、予想どおり引く。「いやだなあ。やめてくださいよ。私は、監督から話を聞きだすだけの役割で大したことないんですよ。他のイベントは監督がゲストの話を聞くのがほとんどなので、1日だけ監督がメインの日の、聞き役に出るだけですから」武田さんは、ホントにシャイで控えめな方である。過去にも何人かの人に「映画芸術」編集長として紹介しようとしたら、「いいですから」と引かれてしまったことがある。
 でも、何でもいいから客寄せに貢献するならいいんじゃないかなあ。それが石井裕也監督のためでもあると思う。私なんか、「蛙の会」発表会の集客で、陰では「こんなのは百人に網張って、一人引っ掛かりゃいいもんだよ」なんて暴言を吐いたりしてるが、とにかく利用するものは、何でも利用しようというさもしい根性である。少しは、シャイで控えめな武田さんを見習った方がいいのかもしれない。
 こういう打ち上げの場は、情報交換の坩堝になるのも楽しき限りだ。ジェームス槇こと吉河悟史さんから『明日の「女だらけの無法地帯」(若手お笑い芸人イベント)をよろしく』と、お誘いを受ける。残念!明日6月9日(月)は「映芸マンスリー」とバッティングしている。上映映画は「メイキング 実録・連合赤軍」だ。それよりも何よりもゲストが若松孝二監督である。これはちょっと外せない。「残念ですが…」と吉川さんにご挨拶する。
 ということで、日記は翌日の9日(月)に移ります。この日の2種のチラシの配布効果の程は、それぞれ当日の日記に記していくことにします。

平成20年6月9日(月) 「映芸マンスリー」 シアター&カンパニー「COREDO」
上映映画「メイキング 実録・連合赤軍」は、まあまあであった。というよりか、私は基本的にメイキングが嫌いなのである。映画とは完成作品に表れたものがすべてで、その過程にどんな苦労や裏話があろうが、関係ないと思っている。そこに、映画の神秘性があり、想像力が羽ばたくのではないだろうか。
 この映画でも、若松孝二監督の別荘を「あさま山荘」に見立てたロケシーンがドキュメントされている。「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」の「あさま山荘」の描写が優れていたのは、視点を山荘内部に固定し、外景をいっさい映さなかったことである。でも、このドキュメントでは、外景からのショットも出てくる。当然、若松監督の別荘は、建物の外形も建っている土地や場所の状況も、「あさま山荘」とは似ても似つかない。本編の見事な映画マジックを、卑小化してしまったものとしか私には見えなかった。
 まあ、メイキング嫌いの私としては、映画に期待していたわけではないから、これは予想どおりといったところだ。お目当ては若松孝二監督のトークショーだ。これが大迫力で面白いの何の、圧倒された。
 トークショーから懇親会へ、若松監督のボルテージは上がりっぱなしだ。映画状況から政治状況へ、メッタ斬りである。強引過ぎて反論したくなる部分もないではないが、存在感と人間力で有無を言わせぬ説得力がある。かなり禁句のオンパレードなので、ここでは内容の紹介は控えておく。とにかく、酔っ払いが気炎を上げてるだけなのが、立派な話芸・話術になってるのに感服した。あの荒井晴彦さんもタジタジとなっていたド迫力だった、とだけ言っておこう。
 かなり昔の文芸座の勝新太郎トークショーを思い出した。司会の白井佳夫さん、ゲストの朝丘雪路さんをさんざん待たして登場したカツシンは、完全にベロベロである。酔っ払いがクダを撒いているだけなのだが、それが完全に話芸になっている。時々は支離滅裂なんだけど、トータルすると話術として筋が通っているのだ。話芸・話術とは、結局は人間力なのだろう。奥深いものである。
 終電車の関係もあるので、私は午後11時半過ぎに退席したが、若松監督の快気炎は、何時まで続いたのだろうか。全うして聞いておきたかったところだ。

●平成20年6月12日(木)
この日は映画と関係ない。私の誕生日である。61歳になってしまった。この日は私は勤務日で、娘は休日だった。出先からの帰宅なので早めに着いた。誕生祝ということで、二人で駅前の「庄や」にでかけ、午後5時半頃から飲み始めた。談論風発、気がついたら9時に近くなっていた。
 61歳の父親と20代の娘が、いくら娘がいけるクチとはいっても、居酒屋で3時間も越えて飲んでたなんて、親子断絶がよく言われる今の時代で、ちょっと感激である。それを娘に話したら「お父さんもそうとう変わってるけど、私もそうとう変わってるから。だからじゃないの」と言われてしまった。
 そうとう変わってるかはともかく、「蛙の会」発表会打上げや「映画友の会」にチラリと顔を出したことがある我が娘に対して、お世辞もあるにせよ「明るくて元気なお嬢さん」という好評をいただいている。まあ、楽しい人間であるのはいいことだと思う。ということで、この日は親馬鹿でしめくくっておきます。

●平成20年6月13日(金)
さて、武田俊彦「映画芸術」前編集長のトークショーの日である。例によって旅費の有効活用で、朝からレイトショーまで、ビッシリとスケジュールを組む。この日は、ちょっと細かくレポートしてみましょうか。

「ギャング同盟」 ラピュタ阿佐ヶ谷
ラピュタ阿佐ヶ谷のモーニングショーから、この日は幕を開ける。映画は深作欣二の初期の隠れた傑作との世評が高い昭和38年作品「ギャング同盟」である。
 期待はあまりしていなかった。歴史の確認程度の興味であった。以前の「映画三昧日記」でも述べたが、ギャング映画とは意外と古びてしまうジャンルのようだからだ。「暗黒街の対決」「顔役暁に死す」「花と嵐とギャング」いずれも今の目で見ると、当時はそれなりにスマートだったんだろうな、程度の感想しかない。「ギャング同盟」もその類だろうと思っていた。
 しかし、深作映画はちがった。冒頭のタイトルバックが、「仁義なき戦い」を彷彿させる闇市の抗争である。そして、タイトルが終り出所してくる内田良平からスタートする。時代は高度経済成長期、すべては組織化され、もう奔放な男達の入り込む余地はない。これも、ギャング映画に名を借りた深作一流の焼け跡闇市願望映画であった。こういう思想性がガッチリしているものは、決して古びない。
 キャスティングが凄い。映画の骨子は「七人の侍」だ。確立された組織に、闇市の残党の暴れん坊七人が再結集し、組織のトップを誘拐して身代金を要求することで、一泡吹かせようというのである。内田良平・佐藤慶・戸浦六宏・アイ・ジョージ・曽根晴美・山本麟一・楠侑子がその七人だ。何とすごいキャスティングか。これが、当時としては決して大作ではなく、モノクロ2本立の繋ぎ番組の1本(もう1本は千葉真一の「浅草の侠客」)に過ぎなかったのだから、この頃の日本映画の俳優陣は本当に厚かったのだ。
 さらに、組織のドンに扮するのが薄田研二、ドンを奪回にくるリーダーが平幹二朗とくるのだから、そのボリュームには眼も眩むばかりだ。そして、ドンの娘を演じるは三田佳子(「ギャング同盟」は「昭和の銀幕に輝くヒロイン 三田佳子」の一環での上映である)で、華やかな部分を請け負う。
 この頃の三田佳子は、佐久間良子のはるか後塵を拝しており、いい意味でも悪い意味でもまだ「チンピラ女優」だったのが効果的だった。贅沢に倦み、すべてに投げ遣りになったハスッパ娘の倦怠を、巧みに造形した。大女優の佐久間良子でも、その後の大女優になった三田佳子自身でも、こうはいかない。だから、ただ一人生き残った内田良平に意気投合し、二人で組織に牙を剥くことを決意するラストが、爽快なのである。
 懲りずに組織に牙を剥き続けたショーケンが、銀行ギャングを続けるぞ!とラストで宣言するのが平成2年の「いつかギラギラする日」だったが、ホントに深作欣二って懲りないオッサンだなと思う。いや、その強靭な作家性が、映画を古びさせないのだろう。岡本喜八や石井輝男のギャング映画は、スタイル重視であり、だから当時は斬新に感じても、時代を経ると古びてしまうということだろうか。

「マダムと女房」 神保町シアター
続いては、「本の街・神保町 文芸映画特集 五所平之助と稲垣浩」の「マダムと女房」を観るべく、神保町シアターに向かう。日本映画のトーキー第一作にして、昭和6年キネマ旬報ベストワンのこの映画を、不明にも私は未見であった。この機会に押さえておこうということである。
 さすがに面白い。物語の骨子は、作家が仕事をしようとすると、さまざまな騒音が飛び込んで仕事が進まないというそれだけの話なのだが、その騒音にいろいろとバリエーションを持たせ飽きさせない。映画に音が入ったということの嬉しさが全編に溢れ、音というものを大切に使っている。
 「隠し砦の三悪人」で、黒澤明が初めてワイドスクリーンを採用した時も、画面が大きいのが楽しくて楽しくて仕方がないという活力に溢れていた。ワイドスクリーンの教科書のような映画であった。(近年でこのワイドスクリーンの教科書に忠実なのは、「インディ・ジョーンズ」シリーズを始めとするスティーヴン・スピルバーグだと私は思っている)音にしろワイドスクリーンにしろ、現在の映画はその価値に対して無頓着の者が少なくない。初心に還ることは必要だろう。

「シークレット・サンシャイン」 池袋シネマ・ロサ
池袋シネマ・ロサに到着する。レイトショー「ばけもの模様」の開始にはかなり時間があるが、とりあえずのお目当てはその前に上映中の「シークレット・サンシャイン」である。カンヌでチョン・ドヨンが主演女優賞に輝いたのを始めとして、多数の受賞歴のある話題作だ。
 これが、私には駄目だった。チョン・ドヨンは予想どおり名演だし、名優ソン・ガンホはいつもながらの控えめな好サポートだ。でも、何でこんな気が滅入る映画を創るんだろう。夫と死別し、静かに暮らそうとソウルから夫の故郷に移って来たら、一人息子が誘拐されて殺される。廃人同然になる寸前で教会の信仰に救われ、やっと心の平穏を取り戻したと思ったら、再び絶望のどん底に突き落とされることが起こる。
 「映画友の会」でおかだえみこさんが、「私は生きる元気をもらうために映画を観るんです。こんな映画は観たくありません」とおっしゃったが、その限りでは私も全く同感である。最近のカンヌの受賞作って、気の滅入る映画ばかりを持ち上げすぎてる気がして仕方がない。「4ヶ月、3週と2日」「ある子供」「ロゼッタ」、私はそれ程に感じなかったが「ピアニスト」「息子の部屋」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」も同類だろう。優れた映画表現で気の滅入る世界をキッチリ描く、こんなのが今後もカンヌの傾向としたら、あまり受賞作に過大な期待をしないこととしよう。

ばけもの模様」と石井裕也監督&武田俊彦「映画芸術」前編集長トークショー 池袋シネマ・ロサ
本日のメインエベント!「ばけもの模様」&トークショーにやっとたどりつきました。当然ながら、まず石井裕也監督シンパの13号倉庫さんの顔を発見する。
 チラシ配布効果は見事にありました!落語家・夢月亭清麿師匠、漫画家・バトルロイヤル風間さん、社会人落語家・あっち亭こっちさんと、続々と登場する。
 「ばけもの模様」は、ますます今後の石井裕也映画に期待を持たせる一篇だった。石井監督は、「ガール・スパークス」で父と娘、「剥き出しにっぽん」で父と息子・祖父と孫と、独特の人間観察を展開し続けてきた。母というのがないな、と思っていたら、「ばけもの模様」は母と息子・父と息子の映画であった。
 残念ながらレイトショーのため、トークショーが終わったのは11時を大きく廻っており、それぞれが家路までは長く、立ち話程度で散会せざるをえなかったことだ。打ち上げなんかがジックリあったとしたら、石井裕也監督、武田俊彦前編集長、13号倉庫さん、夢月亭清麿師匠、バトルロイヤル風間さん、あっち亭こっちさんと、これは完全な異種格闘技戦になったと思うのである。
 千葉県在住のあっち亭さんは、映画鑑賞後、トークショー前に引き上げたようだった。私は風間さんと清麿師匠と、「少しやりますか」「でも30分もないよね」と、未練がましい会話をしながら、池袋駅まで雑談しながら家路についたのであった。

●平成20年6月14日(土) 「四畳半革命 白夜に死す」 シネマアートン下北沢
「四畳半革命 白夜に死す」の初日である。「御贔屓里見瑤子嬢」のトークショーの日である。ところが、6月8日(日)「ザ★失投パレード」の日の帰り際に、武田俊彦さんからイヤなニュースを聞いてしまった。シネマアートン下北沢が閉館になるというのである。「四畳半革命 白夜に死す」はどうなるの?(私はシニア料金なので、前売りは買ってないけど)いや、瑤子嬢に会える機会はなくなっちゃうの?かなり動揺する。
 しかし、こちらには先日の「ザ・グリソムギャング」で縁ができたcさんの、コミュ「里見瑤子〜泥の中に蓮一輪〜」がある。早速チェックをする。ありました。ありました。何と、14日(土)と15日(日)に限っては、製作者側主催で予定どおりシネマアートン下北沢の上映は決行されるとのことである。

例によっての交通費有効活用で、折角下北沢のレイトショーに行くなら渋谷まで足を伸ばすことにして、シネマライズ「ぐるりのこと。」、シネ・アミューズ「世界で一番美しい夜」と、地元の立川では見られないミニシアター作品を、一気に片付けることにする。
 「ぐるりのこと。」は、前日の「ばけもの模様」のトークショーで武田俊彦さんが、『同時期に「あの空をおぼえてる」「ぐるりのこと。」と、子供を喪った夫婦の話を偶然にも続けて観たのですが、「ばけもの模様」が一番いいと思いました』と、語っていたが、私も全く同感だった。
 「あの空をおぼえてる」は、(演出の問題なのだろうが)久々の映画出演が話題の竹野内豊がなってない。あれでは単なるダメ親父である。「少年」「誰も知らない」に観られるように、大人の心の地獄をキチンと描かなければ、少年の地獄も浮き彫りにならないということを、期せずして証明してしまった。
 「ぐるりのこと。」はかなり期待していた。前作「ハッシュ!」で秋野暢子を通して、平凡な母親の凄みを強烈に表現していたからだ。偏見のつもりはないが、性感覚が異なる人の観る眼の鋭さとは、こういうものかと思った。
 だが、「ぐるりのこと。」は失望した。この人は、夫婦というものを結局のところ解ってないな、と感じた。少なくとも私の思う夫婦というものとは、微妙なズレを感じた。

「世界で一番美しい夜」は、この機会に見ておいて本当によかった。2時間40分という長尺から、ちょっと引いていたのだ。この天願大介の人間描写のボリューム感は、今だに引き合いに出されるのは迷惑だろうが、父君の今村昌平の遺伝子を、もっともいい形で継いでいると思った。全体の流れは今村最高傑作の「神々の深き欲望」である。天願大介が脚本を書いた今村の遺作「セプテンバー”11”」日本篇の姉妹作でもある。少なくとも遺伝子としては、宮崎吾朗よりはるかにマシである。
 豊かになるには、欲望の水準を下げること、まぐあうこと、というメッセージは、現代日本に必要なことかもしれない。男も女も欲望が肥大化して、相手に高望みして、結局シングルが溢れかえり、少子化で国の活力が低下していく。「割れ鍋に閉じ蓋」という発想を、シングルの人に取り戻してもらいたいものだ。だから、この映画の肉林は「パフューム」の快楽主義とは、似て非なるものである。

さあ本日のフィナーレ「四畳半革命 白夜に死す」だ。念のため、受付で聞く。「里見瑤子さん、来ますよね」「本日、里見さんは見えません」エーッ!である。「予定では来ることになってましたよね」「なってはいましたけど…」まあ、これはしょうがない。でも主要スタッフ・キャストがほぼ勢揃いしてたのに瑤子嬢だけ欠けたのは、私としては寂しい限りだった。まあ、永六輔の名言で「またいつか観られると思うところに映画との恋愛関係がある」とあるように、またいつかどこかで「御贔屓里見瑤子嬢」には会えるでしょう。cさんのコミュ「里見瑤子〜泥の中に蓮一輪〜」という情報源もあることだし…。
 さて、映画の感想は…そんなものはどうでもいいよ!…って八つ当たりしちゃいけません。いや、でも私としては全共斗の内ゲバ話なんて本当にどうでもいい。里見瑤子嬢のバーのマダムが「そんな、殺し合いやって、私たちみたいな者まで幸せになれる社会が、本当に来るの!」とキリッと告げるのだけが、何とも凛々しくて素敵だった。視線の力の強さは、ここでも輝いていた。

●平成20年6月17日(火) 「縛師」 ユーロスペース
新文芸座「日本映画のヒロイン 香川京子」で「人間の壁」「赤い陣羽織」を観た後、上野オークラ劇場でピンク映画3本立を観たのは「ピンク映画カタログ」で記したとおりである。そして、ユーロスペースのレイトショー「縛師」に向かう。寄り道は切りがないので、この日は一気に本題のみについて記します。
 「ばけもの模様」のトークショーがらみと違って、これは日にち限定ではないから、チラシ配布効果は確認できないと思ったが、偶然にもこの日にMISAKOさんとあっち亭こっちさんが来ていた。ただし、レイトということもあって、私も含めていずれも帰路の遠い人ばかりで、13日(金)と同様に、駅までの道すがらで雑談しながら別れるだけだったのは残念だった。いずれにしても、このようにネットワークががジワジワと拡がるってくるのは楽しい。

変なものといっしょにするなと怒られそうだが、「縛師」は「靖国」に通じると思った。「靖国」について詳述すると長くなるので控えるが、御神体の日本刀に対する思いというのが、極めて日本的だと思った。日本人は武器である刀に、人殺しの機能以上の精神性を求めるのである。
 「縛師」も同様だ。「縛り」とは「拘束」である。だから、外国では機能重視の「拘束具」ができる。誰でも均一に拘束できる。ところが縛りは人による個性が出る。体と体が接近することで、人間的関わりが生じる。そこに被虐美を見て、精神性を感じる。極めて日本的な世界だ。
 圧巻は20年余の空白を経ての、飯田豊一(ここでは濡木痴夢男)=早乙女宏美コンビの再現だろう。パフォーマンス終了後の早乙女さんは、笑顔の中に涙を浮かべる何とも言えぬ美しい表情になってインタビューに答えた。「終わった時に、やっと解放されるとホッとしました。でも、いやなことから解放されるというのともちがうんです」
 何かわかるような気がする。「ピンク映画カタログ」で、新作激減の折からついに20年以上前の早乙女宏美さんの主演作が、ここのところ連続して新版改題で再映されていることを紹介したが、その頃の過激なパフォーマンスを、今に再現するのである。40代の劇団の幹部女優が挑戦するのだ。(早乙女さんは著書で1963年生と明記している)体力的にも可能かどうかの不安もあっただろう。確かに20年以上前に比べて体形も肌の色艶も遜色ないが、それでも最近に連続して映画を観並べているので、それなりの歳月も感じる。(全く変わらなかったら、それこそ化け物だ)それやこれや含めて、この映画の早乙女宏美さんの微妙な表情を美しく感じた。映画のキャッチコピーがいい。「縛ることは、抱きしめること。」
 飯田豊一(濡木痴夢男)先生はハッキリ言っていた。「被虐美というのは、分かる人は分かるし、分からない人には絶対に分からない」そのとうりだろう。そして、少なくとも私は、絶対に分からない方の側にはいないようだ。

こうして、私の「映画三昧」の旅は、果てしなく続いていきます。最後は、私には毎月恒例の「映画友の会」の話題で締めたいと思います。

●平成20年6月21日(土) 「映画友の会」 東京機械製作所・会議室
毎月第3土曜日の淀川長治さん創設「映画友の会」が、現在の臨時会場の田町「東京機械製作所・会議室」から、7月よりビルの耐震対策工事が終わったので、1年10ヶ月ぶりに本来の東京タワー傍「機械振興会館・会議室」にもどることになった。
 「映画友の会」は「東京新聞効果」もあって、新規参加者が増え、それも定着する人が多い。6月の参加者は38名だが、現在の会議室は椅子が30脚しかない。何人かは壁際に寄せた机に掛けての参加となる。会場が戻ることで、この悩みは解消されそうだ。
 新規参加者が多いといったが、これのほとんどが熟年の男女なのである。昔の「映画友の会」は20代の若者の会だった。昨年の「湯布院映画祭日記」で参加者の高齢化について述べたが、こちらも似たような状況だ。すべてのものに誕生から老いまであるとするならば、「映画」というのは「青春」を過ぎてしまったジャンルなのかもしれない。
 今月のテーマの最後は「最高の人生のみつけ方」だった。熟年の男の新規参加者が「ある作家の、私が神ならば人生の最後に青春が来るように人を創る、との言葉が印象に残ってます。今、ここに来ている私は青春です」と言った。
 淀川長治さんは、マスコミを通じて見せる温厚な顔と全く異なり、物凄く厳しい方だった。大勢の若者を前にして、マナーを教え人生を語った。映画を超えて、当時の若者であった我々にとって、「映画友の会」は大きな人生勉強の場だった。今、熟年に溢れた「映画友の会」を天国の淀川さんは、どのように御覧になっているだろうか。
 いずれにしても、今月の「映画友の会」二次回の酒席は、最後の田町の夜ということで盛り上がったのであった。

映画三昧日記2008年−13

前回の「映画三昧日記」で、東京新聞効果により「映画友の会」のビギナーが増えていることを紹介したが、「蛙の会」の方は残念ながら東京新聞効果は出てきていない。まあ、「映画友の会」は、話したくなければ話す必要はないザックバランな場所であり、「自分以外の映画好きの話でも聞きにいくか」との軽い気持で覗きにいけるが、「蛙の会」の方は発表会の公演に向けての演習がメインなのだから、それなりに腹を括ってくることが必要で、いきなり新聞記事の効果が出るものでもないだろう。

それから、誤解を招きそうな表現だったので、ここで明記します。「シネマバー ザ・グリソムギャング」は、正確には「読売ランド前駅・下車徒歩6分」で読売ランド内にあるわけではありません。

平成20年5月18日(日)  シネマバー ザ・グリソムギャング
御贔屓里見瑤子嬢とほとんどお友達感覚!の酒席(パート2)
前回、5月18日(日)「森山茂雄映画祭」の懇親会が、ゲストも含めて8名のアットホームな規模で、御贔屓里見瑤子嬢とはほとんどお友達感覚で酒席を楽しんだことを報告した。とにかく瑤子嬢にモツ煮込みまでよそっていただいて、「ワッ、これで他のファンの奴に自慢のタネができた」なんて、ハシャいだくらいである。ということで「御贔屓里見瑤子嬢とほとんどお友達感覚!の酒席」レポートのパート2です。

御贔屓里見瑤子嬢に出会わなければ、ピンク映画にハマらなかった
多分、私がピンク映画にハマったのは、御贔屓里見瑤子嬢に出会ったからだろう。正確には監督・深町章、脚本・川崎りぼん、主演・里見瑤子嬢の、私にとっての黄金トリオとの出会いである。
 2000年の10月に、「映画芸術」の「サラリーマン ピンク体験記」連載開始に先立って、編集部の人がまず薦めたのは「OLの愛汁 ラブジュース」だった。私はそれほど感動しなかった。「悪くないけどねえ、ピンクで文芸やゲージュツやってもねえ」といった感じだった。
 そんな時に出会ったのが、前述した黄金トリオのデビュー作「痴漢家政婦 すけべなエプロン」(脚本タイトル「平成人魚伝説」)だった。これ以後、この黄金トリオ作品が連打され、その面白さにグイグイとピンクにハマっていった。

『里見さんに出会わなければ、ピンク映画を観続けることはなかったです』
『そう言ってくれる方がいると嬉しいわ』そんなやりとりでスタートした。

嘘でない証拠に、具体的な例をあげて熱く語りかけた。「平成人魚伝説」でヘアヌードまで神秘な存在にしてしまった金魚の妖精の輝き。黄金トリオ第2作「淫ら姉妹 生肌いじり」(脚本タイトル「精霊夜曲」)の戦前の薄幸の美少女の亡霊、3作目の「いんらん旅館 女将の濡れ姿」では、何とニューハーフ役。これらの素晴らしさは比類がなかった。

『「平成人魚伝説」は、好きだという人が多いんですよね。ニューハーフはおかしかったですね。シルエットだけど股間に男根をそそり立てたりして…』と明るく瑤子嬢は笑い転げる。

以下、「不倫妻 ねっとり乱れる」の連合赤軍兵士(臨月の身を総括リンチ殺人された月田てる子がモデルの役)の全共斗スタイル。「変態未亡人 喪服を乱して」のホトパワー(それ何?)を撒き散らす全編の巫女姿。「桃色ガードマン カラダ張ります!」で危なくなるとチラリと胸のバラの刺青を見せて逃走する怪盗ベルサイユの黒バラ、イク時は「パリは燃えている〜」と絶叫。自由奔放の役の変遷は里見瑤子嬢も、十分に楽しんで演じていたそうで、しばし楽しく笑いながら思い出の映画巡りをした(ただし、女優さんはシナリオタイトルしか頭にないので、題名よりも、全共斗スタイルのとか、ホトパワーの映画とか、そういう表現で懇談は進行した)。

処女の幽霊は御贔屓里見瑤子嬢も愛着があった
御贔屓里見瑤子嬢主演作で、私の愛着の深い1本が「いんらんアパート 毎晩いかせて!」だ。病弱で女の悦びを知らぬまま死んでしまった少女が、アパートの隣人のプレイボーイに、天国に旅立つ前に一度抱いてほしいと現れる。美少女だけど死人だという気持悪さもあり、イヤイヤ抱いてあげると、四十九日の間迫りつづけられて男は閉口するというお話である。

『あ、私、あの映画、好きなんです』

里見瑤子嬢の眼が輝く。そして、ディティールを私以外の者にも語りはじめる。今回知ったのだが、瑤子嬢ファンは、小劇団の舞台やミニシアター映画を追っかける人が中心で、ピンク映画を通じての瑤子嬢ファンは、私一人だった。そういうピンクの瑤子嬢を知らないファンに、彼女の方から熱っぽく紹介していたから『あの映画、好き』と言ったのは、私に調子を合わせた社交辞令でなかったことだけはまちがいない。
『でも、すごいですよね。ピンク映画で処女に見える女優さんは里見さんくらいですよね。ここで、ホントに処女です、と言われるとこまっちゃうんですけど』ドサクサに紛れて、私も際どいことを言う。

『えーっ、処女に見えました〜』 微笑んで軽くイナされてしまった。

役創りに熱心な御贔屓里見瑤子嬢
「いんらんアパート 毎晩いかせて!」の少女は、最初はしおらしくプレイボーイの前に現れる。ところが女の悦びに目覚めた2日目からは、ガラリと変わる。「ジャン!」とか言って爽やかで無邪気な笑顔を見せて現れるのが楽しい。これについては、ある人から変わり方が極端だと評されたそうだ。

『私は、あることをきっかけに、女ってこういう風にガラっと極端に変わると思ったんですけど…』御贔屓里見瑤子嬢は語っていた。

里見瑤子嬢といえば、視線の力強さがチャームポイントの一つだ。『目力は柴咲コウさんと双璧ですね』と言うと、

『柴咲コウさんだなんて…、それに視線が強いので別の良いところが消されるって評されたこともあるんで(多分、キネ旬の切通理作さんの評だろう)、意識的に目を際立たさないメークにしてるんですよ。最近の女優は、よく目力ってことが言われるので、目を強調するメークの人が多いんですけどね』

それでも目力が魅力になるのだから、これは天性のものなのだろう。
 前回紹介した「old friend」の役創りの工夫も含めて、人の意見をよく聞いて、熱心に研究する女優さんだと思った。

最近の地味め御贔屓里見瑤子嬢はちょっと寂しい
最近の御贔屓里見瑤子嬢に、ブッ飛んでハジけた役柄が少なくなったのはちょっと寂しい。私の記憶では2004年の怪盗ベルサイユの黒バラが最後である。『最近、里見さんは落ち着いた役ばかりなのが残念ですね。ベテラン佐々木ユメカさん堂々と渡り合なきゃいけない役(2005年「人妻 あふれる蜜ツボ」)なんて厳しいものがあるし、4大女優競演の深町章監督の新作(2007年「やりたがる女4人」)でも、平沢里菜子さん、藍山みなみさん、華沢レモンさんの3人は、水を得た魚の役柄で活き活きしてるのに、里見さんは正妻役で貫禄で勝負しなければならなかったですよね。里見さん、よく演ってたと思いましたが、こんな役なら葉月蛍さんあたりと代替可能で、里見さんならではってものが乏しいのが、ちょっと残念です』

『佐々木ユメカさんとの競演は大変でした。佐々木さんの役の方が、まだ奔放な女の役でやりどころがありましたし。最近作の方では、とにかく深町監督に、落ち着け、落ち着いて演れ、と言われ続けました。そろそろ落ち着いたものをできるようになれ、ということなんでしょうね』

そんなこともあって、最近のスクリーンの中の里見瑤子嬢は、ちょっと老け込んだように感じていた。でも、こうして目の前にしていると、2002年の「PG」特集号の頃と少しも変わらない若さと美貌だった。
 「PG」の瑤子嬢特集号は、写真集の趣きでも編集されていた。撮り下ろしのヌードは一切ないという「PG」としては粋な編集である。衣装や写真の選定などに、大いに瑤子嬢からも意見を出して、本創りを楽しんだようだ。

「うずく人妻たち 連続不倫」の目立たぬ名サポートの御贔屓里見瑤子嬢
私の昨年のピンク映画ベストワンは、ダントツに「うずく人妻たち 連続不倫」である。女優賞授賞の佐々木麻由子さんにばかり注目が集まっているが、御贔屓里見瑤子嬢も出演している。ここでも地味な役回りだが、夫の岡田智宏さんを冷却期間をおこうと旅行に送り出す重要なポイントで好サポートを見せた。

『あの映画ですね。最初に私の顔が全然映ってなくて、誰だかわからなくてビックリしました』と瑤子嬢。

『でも、脇として見事にポイント抑えた名サポートだと思いましたよ。「映芸マンスリー」の福原彰監督のトークショーでも、里見さんがよく演ってくれたって言ってました』

『え、そんな所で上映してくれてたんですか。知らなかった。私、行ってもよかったのに』「映芸マンスリー」さん、里見瑤子嬢、意欲十分ですよ。今後ゲスト招待を考えてください。

御贔屓里見瑤子嬢の今後の作品群
5月30日公開の御贔屓里見瑤子嬢新作、深町章監督作品「濡れ続けた女 吸いつく下半身」は、久々にブっ飛んだ役だそうだ。脚本が後藤大輔、自らの監督作「妻たちの絶頂 いきまくり」(脚本タイトル「野川」)や、池島ゆたか監督作品100本記念映画パート2「超いんらん やればやるほどいいきもち」の、映画の虚実皮膜の世界を自在に飛翔する後藤脚本の作品群を観れば、ブッ飛びぶりは十分に期待できる。
 シネマアートン下北沢で6月14日(土)〜7月4日(金)にレイトショーされる里見瑤子嬢出演作「四畳半革命 白夜に死す」も、ぜひ観に来てくださいと瑤子嬢に進められる。舞台挨拶もあるという。帰ったら、さっそくネットでチェックしてみよう。
 と思っていたら、翌日に酒席を共にしていたcさんから、mixiを通じて「私は、里見瑤子さんを自主映画から知った人なので、過去のピンク映画は、あまり見ていないので、とても楽しかったです。(中略)もしよかったら、ピンク以外の里見さんもよろしくです。とりあえずご挨拶まで」とメッセージが入った。コミュ「里見瑤子〜泥の中に蓮一輪〜」の管理人もしているそうである。
 さっそく、「四畳半革命 白夜に死す」の舞台挨拶もチェックできた。今後、このコミュでピンク映画以外の御贔屓里見瑤子嬢の活躍がチェックできる。楽しみが一つ増えた。人の輪が拡がるのは素晴らしいことである。
 昨年の「湯布院映画祭日記」で「人が人を愛することのどうしようもなさ」の阿知波孝プロデューサーも、瑤子嬢と友人であるにも関わらず、ピンク映画女優としての活動をほとんど知らなかったことを書いた。小劇場の舞台やミニシアター映画やライブを通じての瑤子嬢ファンは、少なくないようだ。

御贔屓里見瑤子嬢との宴の終り
至福の時間は永遠には続かない。飲み放題2時間の懇親会は、あっという間に終る。ちなみにこの日の木戸銭は2000円で、懇親会は3000円、割安とはいえないが、つまみもタッブリ(御贔屓里見瑤子嬢給仕付!)飲み放題だから、断じて高くない。
 いよいよお別れの時間である。『話術研究会「蛙の会」』と記載した名刺を差し出す。活弁と紙芝居の勉強会で年1回の公演をしていること、早乙女宏美さんも共に活弁の勉強をしていることを紹介し『大先輩になりますけど、早乙女宏美さんご存知ですか』と聞く。

『お会いしたことないですけど、お名前だけは伺ってます。公演の時、教えてくださいね』

これは、100%社交辞令だと思うが、さすがに早乙女宏美さんの名前の大きさに感じ入った次第である。でも、ホントに御贔屓里見瑤子嬢が門仲天井ホールの客席に来たら、これは事件だよねえ。
 最後に『ネットなんかで里見さんのこと、よく書いてます。ただし、里見さんとか里見瑤子さんとか書きません。必ず連続7文字で御贔屓里見瑤子嬢と書いてます』と言ってお別れしたのだった。
 コミュ「里見瑤子〜泥の中に蓮一輪〜」でチェックしたら、シネマアートン下北沢「四畳半革命 白夜に死す」で里見瑤子嬢は、6月14日(土)15日(日)21日(土)22日(日)28(土)29日(日)7月4日(金)にトークイベントを開くという。この日のどこかに足を運ぼう。瑤子嬢との再会が楽しみである。
 
翌19日(月)、「おたべちゃん東下りの会」、おたべちゃんや13号倉庫さんの前で『昨日、御贔屓里見瑤子嬢とお友達感覚の乗りで飲んで、ハイになってま〜す』とハシャいで顰蹙を買う。「あ、そう」、おたべちゃん素っ気無い。いや、御贔屓里見瑤子嬢に続いて、湯布院の花でマドンナのおたべちゃんと、こんな豪華な連夜の酒席、生きていて良かったと思いました。

映画三昧日記2008年−12

●相変わらず予定ビッシリ
平成20年5月16日(金)〜19日(月)の4連休
月10日勤務の嘱託は、大連休の連続である。でも、この生活でそろそろ1年がたったが、全く暇をもてあますことがない。先日は、3月19日(金)〜30日(日)の大型12連休もアッと言う間の予定消化で終ってしまったことを、紹介した。
 その後のGW怒涛の12連休も、前半の4月29日(火)までの5日間のうち、4日間は予定が入っていることを、その時に報告した。結果的にはGW12連休に予定なしで家でノンビリしたのは、2日に過ぎなかった。
 5月16日(金)〜19日(月)は、勤務日の都合で4連休になる。しかし、まず早々と2日は予定が決まってしまった。17日(土)は第三土曜日で、月例の「映画友の会」だ。そして、19日(月)は、湯布院映画祭の花ともマドンナとも形容したい「お馴染みおたべちゃん」が京都から「東下り」してくるので、東京在住ゆかりの者が集まって一献やろうということになっていた。
 ところが、それからいくらもしないうちに16日(金)には「僕の彼女はサイボーグ」の試写状が舞い込んだ。これで4連休の3日は予定が入ってしまった。
 15日(木)にその日発売の「ぴあ」を見る。4月26日(土)〜27日(日)のピンク大賞打ち上げで、森山茂雄監督に情報提供された「シネマバー ザ・グリソムギャング」の番組をオフシアタースケジュールでチェックする。「森山茂雄映画祭」とある。
「5/18(日)トークショーあり。森山茂雄監督/里見瑤子 懇親会あり」
となっている。な、な、何だって〜〜!うわ〜御贔屓里見瑤子嬢に会える〜!2003年4月3日(木)のロフトプラスワン「ピンク大賞前夜祭」で、樫原辰郎さんの口利きで、サインいただいて握手してもらった時以来である。これは行く!死んでも行く!!かくして、4連休は、すべて予定が埋まった。

平成20年5月17日(土) 東京新聞効果絶大「映画友の会」
今年の7月から「映画友の会」会場は、従来どおりの東京タワー下の機械振興会館に戻る。ビルの耐震対策工事が完了したからである。現在の臨時会場の田町の東京機械製作所会議室は、椅子が30脚しかないのがつらいところだった。常連が出揃うと、ほぼ満席という状況であった。
 ところが、今年の2月29日(金)に東京新聞で「映画友の会」が大きく紹介された。東京新聞効果は大きかった。それ以前は新規参加者が何ヶ月かに1〜2名という状況だったのが、毎回数名のビギナーが来場することになった。古参の会員は壁際に寄せた机に腰掛けねばならぬ事態に至ったのである。
 もっと嬉しいのは、新規参加者で定着してくれる人が多いことだ。ディズニーランドのリピーターではないが、そういう人がいなければ会は盛況にならない。誠に良い状態で本来の機械振興会館に戻れそうである。
 3月の会で私は、あまり「映画友の会」向けの話題ではないのを承知の上で、今年のベストワン、というよりは10年に1本の作品と評価する「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を、熱っぽく推薦した。
 「連合赤軍の映画です。3時間以上あります。決して面白おかしい映画ではありません。でも、60年安保から解き起こし、3部構成になっていて、意外と見易い映画になっています。心ある人は、つらいでしょうけど見つめて下さい。そして、日本の戦後史を考えて下さい」と語った。「観ない人は、心ない人ってこと?」と混ぜっ返すユーモアが出るのも、「映画友の会」ならではの和やかムードだ。
 うれしいのは、4〜5月の二次会の酒席で、少なからずの人が「連合赤軍、観ました。良かったです」と声をかけてくれたことだ。特に、女性が多かったのも嬉しい誤算だった。「映画友の会」は、本当に素晴らしい会である。

●東京新聞の記事について
前記した東京新聞の記事は毎週金曜「プレ シニア記者がゆく これからの入門ガイド」の中の「映画をもっと深く」である。2月29日(金)をスタートに上中下の3回シリーズであった。上が「映画友の会」、下が「無声映画鑑賞会」と「蛙の会」と、私に縁の深い会が、連続して取り上げられている。種を明かせば何ていうことはない。「映画友の会」取材の席上で、朽木直史記者に「蛙の会」を紹介したのは、私なのである。
 上の「映画友の会」会場風景の写真では、私が参加者席のほぼ中央に鎮座している。下の「蛙の会」の写真は私の「坂本龍馬」演習風景だ。図々しくもこの顔が3週間のうちに2回も紙上を飾ったのである。

平成20年5月18日(日)新たに素敵な空間発見  シネマバー ザ・グリソムギャング
翌日曜日、御贔屓里見瑤子嬢との再会に胸をワクワクさせながら、読売ランドの「シネマバー ザ・グリソムギャング」に向かう。自宅の西国分寺からは、乗換えは2回あるにせよ、実に近い。交通費有効活用のため、経過地の立川のシネマシティで「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」を観てから回る。
 バーに併設されて超ミニミニシアターがあるという造りだ。椅子はこじんまりと21席、終るとバーで酒席となる。バーの広さも客席数に応じてるといったところで、主催者はあまり欲がなく、まあ半数も入ればおんのじといった感じだ。バーの売り上げも併せれば、それで十分というところなのだろうか。この日の入りも半数程度、だから、懇親会の参加者はゲストも含めて8名、御贔屓里見瑤子嬢とはほとんどお友達感覚!で酒席を楽しむことができた!!
 5月31日(土)〜6月1日(日)は「殺しの烙印」上映で、宍戸錠と真理アンヌが来る。2大スターとこの空間で飲めるのは楽しいだろうが、何せ定員21名、大変な騒ぎにならないだろうか。

●御贔屓里見瑤子嬢への切り札 「PG」92号 里見瑤子特集「Natural?」
この日、私は切り札を持参した。2002年10月1日発行「PG」92号、里見瑤子特集「Natural?」の号である。
 『覚えてないかもしれませんが、前のロフトプラスワンの「ピンク大賞前夜祭」で、サインもらった者です。この本、懐かしいでしょう』と、サインの頁を差し出す。予想どおり、ただでさえキラキラしている御贔屓里見瑤子嬢の瞳がさらに輝き『わー、懐かしい』『でも、サインというより、これ署名だね』主催者のスタッフが冷やかす。
 『いいんですよ。サインお願いしたら、「あの〜サインって、楷書で名前書くくらいしかできませんけど…」って、すっごく初々しくてよかったんですから』と私。早くも話が弾む。
 瑤子嬢は、早速他のファンからもサインを求められる。相変わらず、丁寧な楷書の署名である。事務所に所属していると、サインの図柄などを専門家が考えてくれるが、完全フリーなので今でもサインの字体などは持っていませんとの、瑤子嬢の言でありました。
 瑤子嬢はこの号を持っていないそうだ。林田義行編集長から30部ほど預かったら完売してしまった。改めてもう1冊とお願いしたら、すでに売り切れた後だという。
 『十万円あれば復刻できるそうなんです。復刻しようかしら』と瑤子嬢
 『復刻すれば結構売れるんじゃないですか。里見さん以外の掲載者にも売ってもらえばいいですよ』と私。 『でも、半分近く私の記事だから、他の人に嫉妬されたりして…』とユーモラスに語る瑤子嬢。
 『そうだわ、これまでのPGの私の記事と併せて新版を創るのもいいわねえ』
 夢は膨らんでいく。
 『林田さんなら協力してくれるでしょう。いい人だから。でもインタビューにかこつけてディズニーランドに行って里見さんとツーショットなんて、ちょっと殴りたいよね』
 『ディズニーランドじゃないですよ。USJ、そうそう私、絵まで描かされちゃったんですよ』と、「里見瑤子USJの1日」の図解の頁を開いて指差す。こうして和気藹々と懇親の場は進んでいくのである。
 「PG」92号はもはや貴重品のようで、もう一人のファンの人はネットオークションでも探しているが入手できないそうだ。瑤子嬢サイン入りの私の92号を見て、1万円でも買います!って、売らネェーっちゅうの。
 『後で特集のところを全部コピーしてお渡しします』と私は申し出る。後日13号倉庫さんにこのことを話したら、『あなたがコピーを持って、本は贈呈しちゃったら』って、それじゃ私にとって御贔屓里見瑤子嬢のサインの価値がその程度なの?となって、かえって失礼じゃないのかなあ。

●「森山茂雄映画祭」の全容
さて、この日は「森山茂雄映画祭」である。御贔屓里見瑤子嬢だけに浮かれてはいけない。全容を紹介する。
 上映作品は、長編「素敵な片想い」、短編「unbush 待ち伏せ」「old friend」の、森山茂雄監督作品3本である。長編はゲイポルノ、短編は「おかしな監督映画祭」、通称「OKACINEMA」で公開されたものである。この後、森山監督と「old friend」主演女優の里見瑤子嬢のトークショー、そして場所をバーに移動しての懇親会となる。こじんまりとした上映会なので、トークショーもそこそこに、懇親会に雪崩れ込む。
 「素敵な片想い」は、私はビデオ鑑賞済で再見だが、改めて主演の佐野和宏の、「メゾン・ド・ヒミコ」の田中泯に引けを取らない初老のゲイの哀愁を堪能した。何といってもゲイポルノ映画館の落ち着かない雰囲気でないところで、ジックリ鑑賞できるのがよい。でも、延々と続く男同士の濡れ場だけは、やっぱり辟易する。「その手の人ばかり集まったらどうしようと思っていたんですけど…」と主催者も危惧していたようだ。まずは、そんなことにならなくて結構でした。
 「なかなかこういう映画観る機会ってないから、面白かったです」と、里見瑤子嬢にとっても貴重な体験だったようだ。
 「unbush 待ち伏せ」は、殺し屋相互が裏をかきあうアクションドラマ、森山監督がアクション志向ということをこの日に知った。私はまあまあの出来と思ったが、トークショーで司会の主催者に「失敗作」と断じられ、監督本人も反省点ばかりと納得していた。森山茂雄監督の快心のアクション映画を、是非観てみたいものだ。
 里見瑤子嬢主演の「old friend」は項を改めてジックリ行きます。

●ラストシーンの御贔屓里見瑤子嬢号泣の名演「old friend」
「old friend」は、御贔屓里見瑤子嬢好演の好短編映画である。
 町を仏頂面で歩いている里見瑤子嬢で幕を開ける。自転車を転がしている男が声をかけてくる。二人は同窓生で、男は毛虫と仇名されたいじめられっ子だった。女はバツイチとなって育った町に戻ってきて、することもなく所在なげにブラついていた。
 いつまでも、ついてくる男に、歩道橋の上で瑤子嬢はキレる。「あんた、あたしが好きだったんだろ。抱かせてやろうか」と、唐突に迫る。男はオドオドするしかない。そんな態度にバツイチ女の心はさらにイラつく。「抱けないのか!癒してくれって言ってんだよ!それができなきゃ、こっから飛び降りて死ね!それであたしを癒せよ!」昔のいじめっ子に戻って、女は男に蹴りを入れる。突きを繰り出す。無抵抗の男にウンザリして、男を無視して去る瑤子嬢。一服しようとして箱が空なのに気付く。煙草の箱を投げ捨てる。
 自動販売機がある。だけどお気に入りの銘柄はない。その時、突然、男からその銘柄の煙草が差し出される。「あまり売ってない銘柄だから、探してきた」オズオズと再び話しかけてくる男。煙草の箱の投げ捨てが、微妙な伏線になっていたのだ。何とも言えぬ表情に顔がゆがみ、そして号泣する里見瑤子嬢。余韻の残る見事な幕切れだった。
 懇親の席で瑤子嬢、私はあれでいいと思うんですけど泣かないほうがいいという人もいたんですよ、と言っていた。私も号泣でいいと思った。もっとも私は、別の展開を予想していた。自動販売機の前で自転車が通り過ぎた時、そちらの方向に向かう人が次第に多くなり、後をついていったら男が歩道橋から飛び降りていて、呆然とする里見瑤子嬢のアップとなる幕切れだ。いずれにしても、いろいろとイメージを拡げさせる好短編だった。

御贔屓里見瑤子嬢の格闘技経験は?
懇親会で御贔屓里見瑤子嬢にショムない質問もしてしまった。
 『「old friend」で男に蹴り入れたり、突きを出したりしましたよね。前に国沢監督の作品だったか、格闘技女も演りましたよね。それから深町監督の映画でしたか「イナバウアー!」とか言って、見事なブリッジも見せましたよね。里見さん、格闘技経験があるんですか』
 『見事なブリッジなんて…そんなもんじゃないですよ。あの映画の少し前にお芝居でブリッジするところがあって、監督がそれならここでもやってみろって…。「old friend」の蹴りと突きは、あまりプロ格闘家みたいではおかしいし、でも昔は突っ張っていて男をいじめたくらいだから、それなりの慣れた動きじゃなくちゃいけないし…そこは考えましたね』 とのことだった。

延々と続いてますが、これは序の口です。私と御贔屓里見瑤子嬢とのお友達感覚の酒席の話題、まだまだあります!とりあえず今回はパート1として、パート2以降にご期待下さい。

映画三昧日記2008年-11

●これがあるからやめられない 「映芸マンスリー」のあれこれ
前回の「映画三昧日記」で、5月の「映芸マンスリー」の石井裕也監督との出会いを記し、「これがあるからマンスリーはやめられない」と述べたが、ホントにここは素晴らしい空間なのだ。
 スタートは昨年の5月、会場は地下鉄・千代田線の乃木坂駅2番出口すぐ右隣のビル地下1階「シアター&カンパニー COREDO」、開催日は特に決まってはいないが、月始めの休み明けを中心として月曜日が多い。奥にドリンク・つまみを提供するカウンターがあり、飲食しながら寛げる定員40名の空間である。メニューはすべてが500円均一という解り易さだ。
 上映作品は、長編映画1本、時に短編が何本か併映されたり、短編特集の時もあったりと、工夫を凝らし多彩で、開映は19時、上映時間は2時間弱である。終映後は、かならず関係者ゲストのトークショーがあり、終わるとそのまま各自が適宜ドリンクやつまみを調達して懇親会に移行する。番組の詳細は「映画芸術」誌と、ウェブサイト「映画芸術DIARY」に告知される。1500円の入場料(予約・1300円、他に「映画芸術」最新号持参でも1300円という特典がある)で、ドリンク券が1枚つくから、これはもう格安だ。
 そんなことで、昨年5月以来、私は「映芸マンスリー」に皆勤している。残念なのは、観客はその時の上映作品の関係者・サポーター・ファンなどが中心で、毎回顔ぶれがガラリと入れ替わってしまうことだ。コンスタントな常連は私くらいだろう。常連参加者が定着すれば、「映画友の会」やかつての「阿佐ヶ谷映画村」のような、月1回の映画好きの出会いの場になる可能性もあると思うので、そこが残念なところだ。
 ここが素晴らしいことの一つは、上映の機会が少ないため見逃してしまったが、いつまでも気にかかって仕方がない映画を、選定して上映してくれることだ。最近では2月に「国道20号線」、4月に「一万年後・・・・。」が上映された。それとは別に、あまり世評に上らなかったが、思わぬ隠れた佳作に出会うという喜びもある。このあたりは、企画者の作品選定眼の高さに感心するところだ。
 それでは、最近の「映芸マンスリー」上映作品について述べていきたい。

平成20年2月12日(火) 「国道20号線」
「国道20号線」は、2007年「映画芸術」ベストテンの第9位に選出され、俄然注目が高まった。それ以前にも「映画芸術」発行人にして日本を代表する脚本家の荒井晴彦さんが「俺には書けないシナリオ」とコメントして評価し、誌上で大きく扱われていた。それは承知していたが、公開がUPLINK Xという超ミニシアターだったせいもあり、私は見逃していた。「映芸マンスリー」で取り上げてくれたのは、正に千載一隅のチャンスだった。
 一億総金融社会化した二十一世紀、人は分相応の幸福という価値観を失い、欲望だけが肥大化していく。そんな中でいい大人になってもシンナー遊びをやめられない主人公カップル。確かに「国道20号線」は、時代の空気をキャッチしているとは言えるだろう。
 ただ、女の方の意外な価値観の古めかしさには、ちょっとガッカリした。ファミレスで楽しそうに団欒する家族連れに羨望の眼差しを向け、男には執拗に入籍を迫る。シンナーに狂うブッ飛び感覚の中にあるのが旧態依然のままでは、何も二十一世紀を描いたことにならないのではないか。いや、そこにこそ何か深い意味があるのかなあ。
 トークショー終了後の懇親の場で、荒井晴彦さんにそのことを聞いてみた。「フーン」と全く無反応だった。いや、言外に「やっぱりこいつは映画のわからない奴だな」という雰囲気を感じさせた反応だった。もう一人の知人にもこの意見を言ったが、「今の若い女ってあんなもんじゃないですか」と、「そんなこと問題なの?」って感じのリアクションだった。私はそこが問題とおもったんだけど、そこに何も意味が無くそれだけのことなら、この映画はそれ程には大したものを描いているとは思えない。
 残念なのは、この日の富田克也監督が、懇親の席上で結構いろいろな人と熱心に話しこんでいて、時間切れになり私が話をする機会を失ったことである。

平成20年3月10日(月)「ざくろ屋敷」
3月10日(月)の「映芸マンスリー」で上映された「ざくろ屋敷」は、ため息の出るような美しい作品だった。こんな素晴らしい映画を、誰も絶賛する人が出なかったのが不思議である。この機会がなければ、私も出会うことはなかったろう。「これがあるからマンスリーはやめられない」と強く感じた一夜だった。
 若干26歳の深田晃司監督が、画家・深澤研の70枚のオリジナル絵画を用いて、バルザックの「ざくろ屋敷」を映画化したものである。
 映画的テクニックを駆使して絵画を映像に納め、劇映画に近い凝った音響を付することによって、静止画にパワーを与える。手法の基本は、白土三平の劇画を、映画技法の生命力でパワーアップさせた大島渚の「忍者武芸帖」であろう。
 しかし、「ざくろ屋敷」は何という静謐な美しい世界なのだろう。川や森、木漏れ日、部屋を飾った生け花、窓から射す太陽の光。これらの美しい絵画が、アップ・パン・ズーム・オーバーラップなどの映画技法で、活き活きと動いて見えてくる。いや、ある瞬間、本当に動いたのではないか、という驚異のファンタスティックの世界が展開する。クリス・マルケル「ラ・ジュテ」の魅惑を思い浮かべる。懇親の席上で監督に聞いたら、本当に微かにワンカットだけアニメの手法を使ったそうだ。
 映画は、時にアレクサンドル・ペトロフの映像詩を彷彿させ、ラスト近くの大海原のいつ果てるとも知れぬ長い横移動には、アンゲロプロスの映像の奥行きに通じる映画的快楽がある。こんな私の稚拙な言葉をいくら連ねても意味はない。ズバリ、淀川長治さん言うところの「映画は眼で見せる」真髄なのだ。年頭の「雪の女王」評で「品が良い」ことの素晴らしさを力説したが、この映画も品格が高い。映画は品格である。
 こういう映画こそ、もっと「映画芸術」あたりで大々的に取り上げてもらいたいものである。「国道20号線」あたりにハシャいでる暇があったらね…、とまあこれは私の趣味の一方的な押し付けかもしれない。でも、そう言いたくなるほど、私にとって「ざくろ屋敷」は素晴らしい映画だった。

「これがあるからマンスリーはやめられない」

平成20年4月14日(月)「一万年後・・・・。」
「一万年後・・・・。」も気になっていた映画である。私の好きな「ニュー・ジャック&ヴェティ」の沖島勲監督の久々の新作であり、題名から推察するに私好みのSFのようである。(「ニュー・ジャック&ヴェティ」もリアルな世界が、後半アレヨアレヨとSF的異次元空間に転換している面白さがあった)阿藤快・初主演作とのキャッチフレーズも楽しそうだ。ところが、この映画の公開もポレポレ東中野のレイトショー、何となく見逃してしまう破目になった。それをマンスリーで取り上げてくれた。

「これがあるからマンスリーはやめられない」

率直な感想としては、やや期待に外れた。SF入門篇の域に止まり、それ以上のものはなかった。SFの優れたところは、人間中心の私小説的なチマチマした人間観を大きく超えて、人類を単なる動物種の一つとして捕らえるところである。アーサー・C・クラークの「幼年期の終り」もそうなら、三島由紀夫の「美しい星」もそうだ。そして「一万年後・・・・。」もそうなのである。一般映画としてならその視点は斬新だが、SF者としてはそこから先を期待する。でも「視点」以上の斬新さは、とりたてて無かった。「入門篇」と称した所以である。
 懇親の場で沖島勲監督に、SFについてどう思うかお聞きした。意外だが、SFはあまり読んでいないし、特に関心もないとのことだった。ただ、日常的な感覚を大きく超えるものを志向しているということである。そこで「ニュー・ジャック&ヴェティ」や「一万年後・・・・。」のSF空間の造形の謎が解けた。
 私の偏見では、芸術とは「感覚の解放」だと思っている。「感覚を解放」すれば必然的に「SF空間」に通底する。故にすべての優れた芸術はSFであるとの独断に到達する。このあたりの私のSF観は、今年の1月14日(月)の「映画三昧日記」に詳述したので繰り返さないが、沖島勲監督のお話を伺って、ますます私の独断と偏見が裏付けられたと思った。

「これがあるからマンスリーはやめられない」

●温故知新の旅
年頭の「映画三昧日記」で、今年はクラシック映画(広義の意味で至近年の旧作も含む)鑑賞にも力点を置きたいと述べた。現在進行形であるが、本当に過去の作品群というのは、無限の宝庫だ。新作に「何たる新しさ!」などと感嘆していると、旧作の宝の中から、続々とその芽を発見するのである。
 2003年の「湯布院映画祭日記」で記したが、キネ旬「読者の映画評」で、「僕らはみんな生きている」を「これだけの大作を、荘重なスペクタクルにせず、喜劇仕立てにしたのだから、日本映画のセンスも進歩したものである」なんてヌケヌケと書き、前夜祭でそれよりはるか昔の東映スコープ第一作の明朗時代劇コメディ「鳳城の花嫁」と出会い、赤面ものになった。
 あるミニコミ誌で「たそがれ清兵衛」を「映画百年余、こんな手もまだあったのだ」と評して、やはり湯布院映画祭で「疵千両」の壮絶な殺陣に出会い、「うっかりしたことは言うものではない」と反省したのも、昨年の「湯布院映画祭日記」に記したとおりである。
 人間、うっかり口をすべらせてはいけない。と、言ってるそばから前回の「映画三昧日記」で石井裕也監督を「類例の無い個性」なんて言ってしまった。石井監督の優れた個性を認めるのにはやぶさかではないが、あまり「類例の無い」なんて表現は避けた方がいいだろう。
 以下、最近旧作を見ての温故知新の思いを語ることにしたい。

平成20年4月23日(水) 「黒の報告書」 新文芸座
私は増村保造の「黒」シリーズを、すべて見逃している。増村映画の主力は女を描いたものであると思っていたので、何となく縁遠かったのだ。今でも、とりわけ積極的に観たいとは思っていなかった。ところが新文芸座「日本推理サスペンス映画大全」で、「黒の試走車」「黒の報告書」の二本立てがあった。これはお得である。この際に観ておこうと足を向けた。
「黒の報告書」は特に観てよかった。最近「それでもボクはやってない」が、全く新しい裁判映画としてもてはやされているが、それに近い観点の裁判劇は、すでにあったのだ。
 「それでもボクはやってない」の優れたところは、全ての人が善意も悪意もなく、淡々と仕事を処理しているだけだということであり、その集積が結果として恐るべき社会悪を生んでしまうということである。
 昭和38年の「黒の報告書」は、すでに同様の視点で裁判を捉えていた。裁判は、正義を貫く場でも真実を明らかにする場でもないとうそぶく小沢栄太郎の悪徳弁護士は、偽証者をデッチ上げて、「仕事」に忠実に無罪を勝ち取る。対決する検事の宇津井健にしても、一見正義感ぶってるが、栄転間近の花道に有罪にし易いシムプルな殺人事件を上部からあてがわれ、立証不十分で起訴した間隙を、小沢栄太郎の弁護士につかれる。
 宇津井健は左遷になる。真実追求のために控訴を強く求めるが、恥の上塗りを恐れてなかなか上部は動こうとはしない。検察も判事も弁護士も、淡々と「仕事」としてこなした集積の結果の社会悪が、見事に浮き彫りにされていた。
 ふと私は、昭和40年の徳島ラジオ商殺し冤罪事件を取り上げた山本薩夫作品「証人の椅子」の新田昌玄検事を思い出した。そこでは、彼は単なる悪役ではなく、大胆な推理で次々と真相解明してきた切れ者検事が、「犯人は外部でなく身内にあり」との発想の転換に酔い、陥穽に陥っていく悲劇が見事に描かれていた。メインではないにせよ、山本薩夫はサブエピソードでここまで踏み込んでいたのだ。
 温故知新。現代映画の新しさは、必ず過去の宝の山の功績の上に築かれているのである。

平成20年5月5日(月) 「死闘の伝説」 神保町シアター
神保町シアター「没後十年 木下惠介の世界」で「死闘の伝説」を観る。特に伝説の名画と評判になっている映画でもなければ、木下映画の代表作とされているわけでもない。だから、リアルタイムの時点では、結局見過ごした。ただ、木下映画らしからぬ激しい題材のアクションとのことで、ちょっと気にはかかっていた。その気がかりは、時間を経るとともに、私の中で大きくなっていった。気がかりはこの際解消しておこう。そう思い、今回の機会に観ることにした。
 終戦間際の北海道の開拓村に、都会から疎開家族が来る。地元の有力者の間に、ちょっとした齟齬が発生する。だが、その齟齬は有力者の一家に対する嫌がらせに止まらなくなってくる。荒らされる畑の連鎖による疑心暗鬼、敗戦間近の絶望的時局が、村の中の雰囲気をますます陰鬱にしていく。息子を戦場で失った家族は、そうでない家族への憎悪が高まる。そして、事故に近い一人の男の死が、言いようのない狂気を増幅させ、猟銃が乱射される地獄絵図へと発展していく。
 これは「密室の狂気」の恐ろしさである。そう、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」に通じる世界なのだ。昭和38年、ここでも、すぐれた日本人論・日本社会論が展開されていた。

この日、神保町シアターで、「湯布院映画祭」の知人で全国映画祭巡り名物男の浜松のT要さんとバッタリ出会い、思わぬダブル要の誕生となる。かつては悠々自適で映画三昧のT要さんをうらやんだものだが、月10日勤務の嘱託となった今、私も着々とその世界に近付いているようだ。T要さんは、映画祭巡りだけでなく、ミニシアターが多く特集上映も盛んな東京に、折を見ては上京し、まとめて映画を観ていくそうだ。今回も一週間くらいの滞在だそうである。
 この日、私は神保町シアターの前に、ラピュタ阿佐ヶ谷の「愛と官能のプログラム・ピクチュア 日活ロマンポルノ名作群」で「濡れた欲情・特出し21人」を見てきた。一部の人から、前作でキネ旬ベストテン作品「一条さゆり 濡れた欲情」よりもこちらの方がはるかに上と聞いていたからだ。ただ、どっちにしても、観る人が観れば傑作なんだろうが、やっぱり私は神代辰巳と肌が合わないことを再確認しただけだった。でも、片桐夕子・絵沢萌子・芹明香の女優陣の溌剌とした活力は、堪能した。
 もっとも、T要さんによると「昔のホンマもんのストリップ知ってる者には、見ちゃいられないね」とのことだった。そうか、T要さん、そんな方にも造詣が深かったのか。そういえば、以前の「湯布院映画祭」の「OLの愛汁 ラブジュース」のシンポジウムで、濡れ場に際どい薀蓄をかたむけた発言をして、場内の若者から「発言、止めて下さい!」と悲鳴に近い声が上がったこともあったっけ。

ここで密室劇「死闘の伝説」にもどって、洋画の密室劇の最新作の話題につなげたい。
 つい最近まで、私の洋画ベストワンは「ラスト・コーション」か「王妃の紋章」かで迷っていた。韓流ならぬ漢流づくしである。迷うことないよな。それ以上に凄い映画に出会えればいいんだから、と思っていた。そうしたら早々とそんな作品に出会えた。それが「ミスト」である。
 「ミスト」も優れた密室劇であった。そして、この密室の人間狂気は、外部の異常現象を発生させてしまった社会狂気に通底していた。かなり後味が悪い映画であるが、やはりこの現実はシッカリとみつめなければなるまい。
 「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」「マジェスティック」と、私にとってのフランク・ダラボンは、これですべて「当たり」となったのである。

映画三昧日記2008年−10

●平成20年5月12日(月)映芸マンスリー 石井裕也監督との出会い
5月の映芸マンスリーで上映される石井裕也監督作品を、13号倉庫さんからmixiの日記で推薦された。「見にいかれるんじゃないかな?(中略)感想が楽しみな所」と記されていた。
 観に行くなんてもんではない。昨年の5月に映芸マンスリーがスタートしてから、私は皆勤である。作品やトシークショーのゲストが素晴らしく、多くの出会いがあった。「これがあるからマンスリーはやめられない」と何度思わされたことか。(このへんは後で詳述します)まして、13号倉庫さんの推薦状付きとあっては、行かいでか!いつも以上に張り切って、期待に胸ふくらませ会場に向かった。

上映作品は長編「ガール・スパークス」と短編「グレートブリテン」の2本である。まず長編の「ガール・スパークス」が上映される。
 高校3年生の女の子が主人公だ。理由ははっきりしないが、周りの全てにムカつき、イラついている。空にロケットが飛ぶ幻影を見る。自分とかけ離れたところで、何か大きなことが起こっているらしい。でも、あたしと関係ない、どうでもいいや。そう思うと、それがまたムカつくタネになる。
 このつかみから、まずOK。現代っ子のムカつきが、象徴的に端的に鮮やかにキャッチされている。高度情報化社会では、物心つくやつかずのうちから、ニュースを中心にした情報の洪水にさらされる。受け入れる準備のない成長途上の時点から、大人でも背負いきれない事件報道の嵐に襲われる。それに、どう関わっていくのかを考え過ぎれば、「なんだかわからないけどムカつく」ということにしかならないだろう。
 映画はこの後リアリズムとは大きくかけ離れ、ユーモラスにデフォルメされた描写が連続していく。ここでは、主人公と父親との関係にしぼって、まず紹介したい。
 彼女の父は男やもめである。小さなネジ製作の町工場を経営している。ある日、口紅を塗って家事をはじめる。「母さんらしいことを、おまえにしてやろうと思って…」と語りかけてくる。グロテスクの極みだ。
 そうかと思うと、引き取り手のいない密入国外国人労働者を住み込ませ、面倒を見る。それ以外にも、どんどん住み込みの工員を増やしていく。人助けかもしれないが、高校生の一人娘がいることを考えれば、これも無神経の極みだ。
娘は、そのすべてがムカつく。ただ、この荒唐無稽のカリカチュアされたデフォルメの向こうに、人間の心の真実が見えてくるあたりが凄い。
 私も男やもめで、娘が高校生の頃、境遇としてはこの映画に近い経験をした。最近、二十代半ばの大人の女性になった彼女から、高校生の頃に私の何気ない一言に、娘が深く傷ついたとのことを聞いた。プライベートなことなので、具体的に記すのは控えるが、父と娘の愛憎半ばする関係を痛感した。そんな私の心情に、この映画の描写は見事なまでに迫るのである。
 たぶん、この監督の人間観察力・洞察力はものすごく深いのだろう。それをベースに置いてのデフォルメやカリカチュアだからこそ、ナンセンスに滑らない。いや、映像が逆の意味でリアリティを持ってくるのである。
 東京へ飛び出す娘と、行かせまいとしてもみあう父の、息の長いショット。東京に出た娘に、食べ物と金だけを黙々と送り続ける父。その結果、5kg太って、AVのスカウトに3度引っ掛かり、東京にもムカつきを納める何物もないことを悟りウンザリして、父の元に戻る娘。そして、高校を卒業したら父の工場で働き、ネジ造りにささやかな喜びを見出す。この一見とりとめのないカリカチュアの向こうに、何と深い人間洞察が輝いていることだろう。

父と娘の関係の部分だけに絞って述べてきたが、このデフォルメのタッチは全編に及んでいる。生徒を可愛いと思いながら、それを越えて教え子を女としても見てしまう教師。思春期の男らしく、子分たちをパシリに使って不器用にしか恋心を伝えられない娘のボーイフレンド。みじめにパシリにされながら、何故かそこに居心地の良さも感じている二人の男子生徒。リアリズムとは程遠いデフォルメが、ナンセンスを越えて新たなリアルさを獲得しているのである。映画中「現代っ子は大変だ」とのありきたりのセリフがあるが、それを見事に映像的説得力で納得させるのである。

ボーイフレンドは、高校を卒業して彼女のネジ工場の住み込みになる。その頃、彼女はネジ造りに喜びを感じ出していた。幻想のロケットを指して「あのロケットもここのネジが支えてるんだよな」と論理的に生の価値を、初めて感じる男。ネジ造りに喜びを感じても、そういう論理性には全く理解不能といった感じの娘。男と女の世界認識のズレが、ここでも鮮やかに浮き彫りにされていた。

石井裕也監督は20代だと聞いている。その年で、これだけの深い人間観察力・洞察力を持っているなんて、どんな人なんだろう。トークショーを楽しみに待つことになった。若い頃の太宰治みたいに、いつ自殺してもおかしくないような深刻な若者が出てくるんじゃなかろうか、とも思った。
 ところが、登場したのは明るい好青年だった。ただ、明るいけれども話を聞いてくるうちに、微妙にブレを感じた。「高校生の頃、大人はホントのものを何も見せてないと思った」「痴女に逢えると思って、夜中の2時によく散歩に出た」「好きな監督は今村昌平と黒澤明です。女をあまり描かない黒澤監督と体質が近いので、意識的にエロッぽい要素を入れてます」(というほど映画にエロっぽい要素があるとも思えないのだが…)明るさの中に、一筋縄ではいかない奇妙さを感じさせるのである。
 ここで、私は気がついた。そうか。この人は、常に自分の周囲とか社会に距離感を感じているのじゃないだろうか。その距離感が、冷静な、ある意味で深い人間観察力・洞察力を生むのではないだろうか。意識的な人間観察でなく、天然のところが凄さなのかもしれない。トークショー後の打ち上げで、このことを監督に申し上げたら、監督も同意された。そして、今村昌平が好きなのは、対象に密着して距離感ゼロにまで迫っていく自分に一番無いものを持っているからだと、語っていた。

もうひとつ、石井裕也監督の凄いところは、個性的な語り口を確立していることである。トークショーの途中で上映された10分間の短編「グレートブリテン」を見てそのことを再確認した。
 「グレートブリテン」は、見ようによってはそうとうエグイ内容である。ある映画祭では上映を拒否されたそうだ。なかなか上映の機会に恵まれず、この際だからと「映芸マンスリー」に押し込んだそうだ。

これは池袋シネマロサ「CO2inTOKYO」の中で5月19日(月)に1回だけ上映される。短編なのでチラシの紹介記事がすべてを表している。短い一文なので、全文をここに引用する。
「死にそうな父親を見捨てて、彼女と野外セックスをしに行ってしまう馬鹿息子の青春を描いた短編映画」
 文字通り、それだけの映画である。ただし、石井裕也流デフォルメはここでも健在だ。女子高生の彼女は男優が演じる。股をすぐ開く軽薄さだが、コンドームをキッチリつけろと男にキッバリ言うあたりは、かなりしっかりしている。「持ってない」とオロオロする男、「このへんでヤルのは沢山いるから、そこらから拾いなさい」とうながす女、使い捨てられたコンドームから精液を捨てて使う男、ことを終えた後「どうせまた使うんだから、中を捨ててとっときなさい」とスゴいこと言う女。ウーム、確かにエグい。引く人が出ても当然だろうが、私はやはりベースに深い人間観察力が伺えたから、引くことはなかった。女子高生を男優に演じさせたのが、変なイヤらしさを消し去り、センスの良さも感じた。

ところが、トークショーで裏話があった。男優が女子高生を演ずる構想は、当初は無かったそうである。女優をキャスティングして、撮影を始めたそうだ。演技指導は「できるだけ下司になれ!」、ところが女優の方が「下司になれない!」とゴテた。そこで下ろした。罰として、男優が演じる下司な演技を、しっかり見るように命じた。と、監督は明るく語っていた。
 昨年の「湯布院映画祭日記」で、市川崑の「雪之丞変化」の時にも述べたが、内幕を知らない人は「何と大胆な企画!」と思ったものが、撮影中の現場の都合でそうならざるをえなかっただけということが、結構あるようである。映画とは面白いものだ。

「グレートブリテン」に話をもどす。映画はモノクロで描かれたこの野外セックスをサンドイッチする形で、その前後にカラーで瀕死の父親の枕元に座る息子の場面がある。野外セックス前は、息子の方は気もそぞろなのに、父はグレートブリテンをいつか元気になったらいっしょに旅行しようと熱っぽく語りかける。そして、野外セックスの後、再び枕元にもどった息子は父の気持を慮り、涙にくれて共に抱き合う。ただし、父の頬には忍者ハットリくんのような渦巻き模様があり、単純な愁嘆場には収斂させない。どこまでも、深い人間洞察に根ざした石井裕也流デフォルメ感覚は見事なのである。

さらに、ここが一番大切なところだろう。淀川長治さんは生前におっしゃった。「映画は眼で見せる」。私も、それに全面的に共感する。石井裕也映画は、とにかく「眼で見せる」のである。

いずれにしても、「人のセックス笑うな」の井口奈巳に続き、またしても類例のない個性が、日本映画に誕生したのはまちがいない。この後、池袋シネマロサで5月31日(土)〜6月6日(金)「剥き出しにっぽん」、6月7日(土)〜20日(金)「ばけもの模様」と、石井裕也映画が連続上映される。日本映画を観る楽しみがまた一つ増えた。

この後、「映芸マンスリー」の回顧などもしようと思ったのですが、思いの他に石井裕也作品について長くなったので、続きは次の機会にいたしたいと思います。

映画三昧日記2008年−9

●第20回ピンク大賞  平成20年4月26日(土)〜27日(日)
第20回ピンク大賞に投票者として参加し、徹夜の関係者打ち上げで、一夜を過ごした。ただ、湯布院映画祭とちがって、あまり書くネタはないような気がする。映画祭というと、一応シンポジウムとかで何かを発見しようとの「お勉強」の雰囲気があるのだが、こちらの方は純然たる懇親会、楽しく飲んでたら一晩が明けていたという感じなのだ。てなことで、小ネタの羅列にしかなりそうもないが、ユルユルとレポートしていきたい。

樫原辰郎さんとのこと
前日25日(金)、プロレス王検定(プロレス知識力認定試験)2級の認定証を受領したので、持参していった。といっても、大賞会場でこれに関心を持ってくれるのはプロレス者でもある脚本家・監督の樫原辰郎さん一人のみであるのだが…。(この検定の話題については、項を改めて詳述します)
 開会前のロビーで樫原さんと遭遇し、挨拶がてらに認定証をご披露する。これの価値を認め喜んでくれるのは、プロレス者だけである。
 続いて、年頭1月早々に封切られた一般映画の監督作品「ペルソナ」を観たことを告げる。「ありがとうございました。どうですか」とのことなので、人のすべての情報をデータ化した後のメモリ媒体は、結局は他の人の脳でしかなかったとのアイデアはグーだが、ラストにひとひねりした決着が欲しかったと、率直に感想を述べた。ラストを曖昧にしたのは、あえてやった確信犯だとのことをSF論を絡めて回答があった。相変わらずボキュブラリー豊富である。
 残念だったのは、この日の樫原さんは映画鑑賞に集中し、打ち上げには顔を出さなかったので、出会いはこれのみに終わったことである。

「ぢーこ」さんとのこと
昨年夏にお誘いいただいたピンク映画関係者の納涼会以来の出会いとなる投票者常連の「ぢーこ」さんにロビーで挨拶する。懐かしい!「映画友の会」を中心に、映画を熱く語るファンの友人には事欠かないが、さすがにピンク映画だけはそうはいかない。だから、この時とばかり熱っぽく語りかけた。私に悪気は全然ないのだが、これが失礼になってしまった。「ぢーこ」さんのピンク大賞日記が早々とアップされている。やや、長いがそこを引用いたします。

ロビーに上がりいろいろな顔なじみの人とご挨拶、一言二言声を交わすだけだが周磨氏だけは違った。顔をみるなりいきなり作品論議、これが延々と続いて開場されたのに気がつかない程だった。おかげで入場が大幅に遅れ例年なら2列目の席に座っているはずがなんと最後部から3列目に座るハメになってしまった」

「ぢーこ」さん、ホントに自己チューですみませんでした。反省、反省、大反省である。以前、他の人にも、私が映画愛が嵩じて自己チューになることを指摘されたが、ホントに自己抑制力を身につけなくちゃなあ…。
 その「ぢーこ」さんの日記のmixi限定版の方で、細かいことは控えるがピンク映画同好の志の間でも、いろいろあることを知った。人の関係というのはどうしようもないものがあり、私も「映画友の会」や「湯布院映画祭」の常連の苦手な人のことを、かつて書いたことがある。趣味を同じくする者同士、すべて仲良くできればいいのだが、人間って悲しい者だと思う。
 「ぢーこ」さん、今回のことに懲りず、今後ともよろしくお願いいたします。

池島ゆたか監督とのこと(その1)
開会前のロビーで池島ゆたか監督にご挨拶する。先にも記したピンク映画関係者の納涼会、そして「映芸マンスリー」でもお会いしており、その度に男優賞は確実、私も1票入れます!と言い続けてきた。結果はそのとおりになった。意を強くして、私から祝福のエールを送る。
 池島ゆたか監督は、監督100本記念でも話題の人である。以前お会いした時には、「監督の功績は認めるのにやぶさかではありませんが、申し訳ありません、2008年はピンク大賞20年の林田義行さんに、特別賞の1票を投じるしかありません」と申し上げた。ところが、結果として100本記念作品「半熟売春 糸引く愛汁」は年明けの2月公開となった。「監督、2009年の特別賞は決定ですね!」とさらにエールを送る。
 101本目「超いんらん やればやるほどいい気持ち」は、監督100本記念パート2として公開された。100本目は直球勝負の王道作品だったが(監督もこれには合意してくれた)、今回は定番の五代暁子脚本をあえて封印し、映画の虚実皮膜を知り尽くした後藤大輔監督を起用した。
 芸能関係の名披露目興行では、1年間「名披露目」の名目で公演をするので、今年の池島監督は100本記念パートXとして、1年間走り続けるのかと思いきや、「いや、100本記念がたまたまオーピー作品で、新東宝がうちでも記念作品をとの声もありパート2となったわけで、そんな自由なことはさせてもらえませんよ」とのことだった。ファンの勝手な思い込みと、現実とはちがうということだが、この後も徹夜の打ち上げで、そうしたことを痛感させられた。「湯布院映画祭」でも痛感することだが、まあ、ここのところは鶴見俊輔が言うところの鑑賞者の「誤解する権利」としての楽しさということだろうか。

佐々木麻由子さんとのこと
表彰式が始まる。受賞者の女優陣が壇上に並ぶ。さすがにベテラン佐々木麻由子さんは、20代の女優さんに比べて貫禄が違う。黒のノースリーブのロングドレスの艶やかさが醸しだすオーラに圧倒される。
 表彰式が終わって、関係者はこぞって打ち上げ会場に向かう。佐々木麻由子さんは私の近くにいる。ロングドレスの上にゴージャスなコートを羽織り、完全に近寄りがたい輝きがある。
 でも、そんな調子で打ち上げ会場入りしたので、何となく席は近場に座ることになった。そこで、オズオズと話し出したら、意外と気さくな方だった。だんだんと、こちらも大胆になる。
 『佐々木麻由子さん、去年から勝負を賭けて来たように感じてるんですが、どうなんでしょう。それ以前は脇役に引いていたみたいなのが、「うずく人妻たち 連続不倫」では37歳にして8歳の娘の母として登場し、第2部の12年後では49歳ですよね。「不倫同窓会 しざかり熟女」では、乳房を持ち上げて「昔の私」、手を離して「今の私」、なかなかこんなことって堂々とできませんよね。今年に入っての「半熟売春 糸ひく愛汁」では、いくら早い子持ちだとしても、日高ゆりあさんの母親役!でも、あの鬼母ぶり、すごかったですね。失礼ながらもう、熟女かくさず、年増かくさず、開き直った鬼気迫るものすら感じるんですが…』とまで言ってしまった。
 麻由子さんは、あっけらかんとしたものだった。「そうですか。別に、ここに来てそういう役が重なっただけで、その前は脇役的なものが何となく多かっただけで、それだけですね」とのことだった。「勝負を賭けてきた」とか何とか、ここでも所詮はファン側の一方的思い入れだけだったようだ。
 折角だからと「PG」17頁の女優賞のところに佐々木麻由子さんのサインをいただく。本当にありがとうございました。
 「今、ピンク大賞を投票するならば、女優賞は佐々木麻由子さんの鬼母へ一票です」最後はそうエールを送ったのである。

加藤義一監督とのこと
加藤義一作品の持ち味は、かねてからブッ飛び感覚にあると思っていた。ところが「妹のおっぱい ぷるり揉みまくり」とか「痴漢電車 びんかん指先案内人」とかの、応援に竹洞哲也監督の名があると、しっとりと男女の情感を描いた作品になる。久々に加藤流ブッ飛び感覚が魅力の「愛欲輪廻 吸いつく絶頂」では、竹洞哲也のポジションは照明助手だった。「応援」というポジションは何なのだろう。そのへんを加藤義一監督に聞いてみた。
 この回答もあっけらかんとしたものだった。「応援っていうのは、現場に来てもらって何かを手伝ってもらっただけで、演出に影響を与えるものはありませんね。影響を与えるとしたら、助監督の存在でしょう」前項の佐々木麻由子さんとのやりとりもそうだが、どうもファンの方は一方的に製作側のドラマを造り上げてしまうようである。まあここも「誤解する権利」ということで楽しませてもらうしかない。

「現代映像研究会」松島政一会長と、森山茂雄監督とのこと
松島政一会長の「現代映像研究会」が、最近開店休業状態だ。「映芸マンスリー」が頑張っていい空間を創ってますよ、こっちも頼みますよ、と再開するように発破をかける。
 森山茂雄監督が近くに座っていた。監督が関わっている「シネマバー ザ・グリソムギャング」が、そんな楽しい空間を構築しているようだ。場所を聞いたら、読売ランドだという。ちょっと遠いなあ、という感じを持つ。
 ところがよく考えたら、自宅の西国分寺からは決して遠くない。西国分寺から府中本町まで武蔵野線で5分、南武線で登戸まで14分、小田急線で読売ランドまで6分、〆て25分。乗換えの多さを別にして乗車時間からみれば、都心に行くよりはるかに近いではないか。機会があったら覗いてみることにしよう。
 森山監督と新作の「ワイセツ和尚 女体筆いじり」を話題にして、「監督の映画はシリアスなんだか真面目なんだか、判然としないのが魅力ですね」と訳の判らないことを言って、「シリアスと真面目っておなじことですよね」と突っ込まれてしまった。私の言いたかったのは、「シリアスなんだか悪ふざけなんだか」ということだったが、相当酔ってたみたいだなあ。
 そういえば、前項の加藤義一監督とのやりとりでも、加藤作品の新作と竹洞作品の新作の題名と内容を、グチャグチャに混同して混乱し、大恥をかいたのであった。

池島ゆたか監督とのこと(その2)
4月26日(土)の「ピンク映画カタログ」で、「新作激減の折から、ますます新版改題再映が増えそうで、そのためか引っ張り出される旧作の製作年度も、どんどん昔になっていくようだ」と書いた。そこで、監督デビュー前の役者としての池島ゆたか監督を拝見することが多くなった。
 「監督!昔はすごい二枚目だったんですね」と冷やかす。「おーい!みんな聞け!」近くの女優さん達に呼び掛けて、池島監督、ご機嫌である。
 そんなこともあって、早乙女宏美さん22歳の姿を観る機会に恵まれたのも、4月9日(水)の「ピンク映画カタログ」に記したとおりである。『「奴隷」の平沢里菜子さんは女優賞にふさわしいとは思いますが、併映で早乙女宏美さんを観ちゃったらかすみましたよね』「平沢だって、もう20代半ばだろ。やっぱり昔の人は凄いよ」と池島監督。
 私は2003年の湯布院映画祭の「ヴァイブレータ」で寺島しのぶが来た年を話題に出した。この年は「東映京都撮影所」の特集があり、「明治侠客伝 三代目襲名」と「緋牡丹博徒」が上映された。悪いけど母親の方が百倍凄いと思った。
 「三代目襲名」の藤純子、当時20歳!「緋牡丹博徒」の時、23歳!寺島しのぶはこの時31歳である。「昔の人は、若くして貫禄と重みがあったよね」と池島監督。かくして「昔はよかった」式の年寄り談義(池島監督は私よりひとつ下の59歳)に終始した。

こうして他愛の無い談論風発の果てに、池袋の夜は明けたのであった。

プロレス王検定(プロレス知識力認定試験)2級合格のこと
話題はさかのぼりまして、25日(金)に認定証を受領したプロレス王検定(プロレス知識力認定試験)2級合格についてである。映画とあまり関係ないが、まあ、おつきあい下さい。

ハッキリ言って映画検定1級合格よりも嬉しかった。映画検定2級合格の時は、合格ラインが不明だったので、90点なら微妙、80点なら当確との自己評価だった。後日ラインが70点と判明し、それならば楽勝だと思った。70点ということは、全問60問中18問を間違えてもいいということだ。楽勝と言わなくてなんと言えばいいのか。
 「プロレス王検定」は現在に至るも、合格ラインは不明である。試験終了直後のTV報道では、「3級でも70点以上は取らなければならないようです」とレポーターが語っていた。それでは2級のラインは80点か。映画検定同様の70点ならともかくそうなるとしんどいな、というのが自己評価だった。
 とにかく「女子プロ」と「ドラゲー(ドラゴン・ゲート)」に関する問題が全く判らず、ほとんど当てずっぽうにマーク(問題は4択のマークシート方式)したのだ。勉強不足である。反省の限りであった。
 そもそも「映画検定」もそうだが、この手のものは人間が古い方が絶対強い。リアルタイムで体感している時間が長いのだから、勉強による知識でなく、体に染み付いている知識なのだ。それに頼りすぎた。
 「女子プロ」に弱いのは、力道山をリアルタイムで知り、その頃からのファンだからだ。力道山は、プロレスをエンタテインメントではなくシリアスな真剣勝負として輸入した。だから、ストリップまがいの要素もあるエンタテインメントの女子プロを、徹底的に無視し否定した。私もプロレスファンのビギナー時、それが完全に刷り込まれた。
 私が「女子プロ」をまがりなりにも認めるようになったのは1992年の横浜スタジアムのFMW3周年記念興行で北斗晶を見た時だった。
 この時のメインエベントは大仁田厚VSタイガー・ジェット・シンのノーロープ有刺鉄線電流地雷爆破デスマッチだった。もう一つの目玉が、全女(全日本女子プロレス)とFMW女子部との開戦だった。噛み付いたのはFMW女子の若手だったが、格のちがいは明白だった。何せFMWのトップは工藤めぐみとコンバット豊田である。それにも関わらず全女は、ブル中野、北斗晶というトップ級を送り込んできた。完全な叩き潰しである。
 この時の北斗のコメントが強烈だった。「あたしの相手は工藤や豊田じゃないよ。大仁田さんだ!大仁田さん喰ってやるからね!!」そして予言どおり、リング上でもマイクパフォーマンスでも、FMW女子勢を圧倒したのは当然、見事にメインの大仁田の試合をも喰って見せた。この日のメインは仕掛けの大きさが空転するのみで、一番フィーバーしたのは大仁田の入場シーンだったという凡戦であった。
 以後、北斗晶を中心としてのみ、女子プロに関心を持った。こんなことでは知識不足も当然だ。

「ドラゲー(ドラゴン・ゲート)」に弱いのも、私の偏見のなせる業だ。私は栃内良氏同様の「馬場派」である。これが災いした。
 ジャイアント馬場は、晩年の「馬場さん」としてしか知らない人が多くなった。「悪役商会」VS「ファミリー軍団」のお笑いプロレスの選手という印象だろう。無敵の「ジャイアント馬場」を知る人は、本当に少なくなった。
 力道山の急死にも関わらずプロレスが存続したのは、私はジャイアント馬場の功績だと思う。小さい日本人(実際は力道山は半島の人だったのだが)が大きいアメリカ人を叩きのめすという魅力をガラリと一変させ、デカい日本人が小さな外国人を蹴り飛ばすという魅惑に大転換させたのである。折りしも、日本は世界を席捲する高度経済成長に突入していた。
 巨漢ゴリラ・モンスーンがジャイアント馬場と肉弾戦を繰り広げ、おたがい一歩も引かない場面にはゾクゾクした。新しいプロレスの時代が到来したと痛感した。この時代の馬場は、本当に凄かった。今でこそ巨体レスラーが跳んだり撥ねたりするのは珍しくないが、この頃の馬場の2m9cmが宙を飛ぶ32文ドロップキックやフライングボディプレスは、掛け値なしに強烈だった。
 そして、もうひとつ大切なのは、ジャイアント馬場は、プロレスは力道山のいうような真剣勝負一辺倒ではなく、エンタテインメントの要素もあるものだと軌道修正したことだった。
 アントニオ猪木が引き継いでプロレス人気を継続させたのは、ジャイアント馬場あってこそだと思う。猪木は、プロレスラーとして中肉中背で、普通ならば標準的一流レスラーにとどまる存在である。そんな肉体条件で馬場に対抗するのは、とにかく破天荒なことをやり続けるしかない。アントニオ猪木のスキャンダリズムをここで紹介していたらキリが無いので割愛するが、最後は馬場流エンタテインメントを否定し、その結果が総合格闘技全盛の現代を呼び寄せ、プロレス冬の時代を到来させるのである。
 ジャイアント馬場の存在は、それだけ大きかったのだ。

話が少々脱線した。だから、ジャイアント馬場の主宰する「全日本プロレス」は、体の大きさを要求した。大きい男の肉弾戦がプロレスの魅力の原点とした。馬場派の私も、それに従ってプロレスファンであり続けた。
 その結果、「ドラゴン・ゲート」への視線は乏しくなった。「ドラゲー」はウルティモ・ドラゴン率いるメキシコのルチャ・リブレを中心にする「闘龍門」を原点としたレスラーの団体である。従って、選手は小柄だ。一般人と大して変わらないか、あるいはそれ以下の背丈である。大人気を博するようになっていたのは知っていても、「デカい者同士の肉弾戦がプロレスの魅力」との偏見がある私には、どうにも食指がそそられなかった。従って、マスコミの記事なども、あまり関心を持って読まなかった。それが、完全に知識の欠落となった。

次回「プロレス王検定」は、2級合格者対象に1級受験が開催されるであろう。その節は、本気になって「女子プロ史」「ドラゲー史」を勉強しなければならぬと思う昨今である。

映画三昧日記2008年−8

●林由美香さんの追憶
今年もピンク大賞表彰式の季節となってきた。今年は第20回、4月26日(土)、恒例の新文芸座にての開催だ。2004年から参加している私は、5回目の参加となる。知らず知らずのうちに1/4に参加していたわけだ。
 何といっても楽しみは表彰式の後の徹夜の打ち上げだ。そして思い出すのは、2004年と2005年の打ち上げで、そう多くはなかったが、今は亡き林由美香さんと話をしたことである。2007年ピンク大賞表彰式が近付いてきた今、由美香さんの私なりの追憶を記したいと思う。

初参加の2004年4月17日(土)、実は最悪の状態であった。前日から東電学園の同期会の一泊旅行、翌日の解散直前まで、昼食をとりながら延々と飲み続け、午後は「映画友の会」に参加して、醒めかかった午後8時頃には3次会の時間になり、さらに飲み続けての表彰式参加であった。
 打ち上げの席で、午前2時頃であろうか、ついに意識しないまま眠りこけてしまった。1時間くらいたったと思うが、阿佐ヶ谷の現代映像研究会で知己を得た脚本家・映画監督の樫原辰郎さんに、「元気出してください」と起こされた。寝ぼけ眼を開けたら、私の目の前に林由美香さんが座っていた。
 これには目を見張った。実はある人のご好意で2月に「熟女・発情 タマしゃぶり」の初号試写を見せていただいており、その印象が強烈だったのである。その由美香さんが、目覚めたら目の前にいる。『「お弁当」、素晴らしかったです。今年の女優賞はもう決定です!』興奮して話しかけた。
 「たまもの」の題で一般映画として公開されたこの映画の最初の題は、「お弁当」だった。この題がいかに適切かは、作品を観ていただければわかるだろう。私は、今でも「たまもの」なんて判じ物みたいなタイトルより「お弁当」の方がいいと思っている。
  シナリオタイトルで話を切り出したのには訳がある。前年2003年4月のピンク大賞前夜祭で、前述した樫原さんの口利きで、御贔屓里見瑤子嬢と話す素晴らしい機会を得たのだが、その時、女優さんには公開題名を言ってもピンとこないようだったからだ。「平成人魚伝説」というようにシナリオタイトルか、「ニューハーフの女将の映画」といった内容で話さないと、あまり通じないのだ。そりゃそうだろう。公開題名は最終段階で、興行側が頭をヒネりにヒネってエッチな言葉を羅列して付けるが、女優さんの方は多分その時点では、次の作品に軸足が移っているだろうからだ。
 私の語りかけに林由美香さんは「あ〜そうですか〜ありがとうございます」と言葉とは裏腹に、煙草を燻らせながらけだるく応えたのが印象的だった。いや、それも本当かどうか、定かではない。私の頭がけだるかった故の印象なのか、時間も昨夜から飲み続けての午前3時頃、全員がけだるい空間を構成していたのか、煙草を燻らしていたとのことも、私が後から勝手に付け加えたイメージなのかもしれない。今となっては霧の中の追憶である。
 「たまもの」の言葉を発しない主人公を、知恵遅れとか、失語症とか、聾唖者とかの、心身の障害者と見る人が多かった。私は、極めて個性的な普通の女性に過ぎないとの見方だった。由美香さんも「私も、障害者でなく普通の一女性として、演じたつもりです」と言ってくれて、うれしかった。

翌年、私の予想どおり、女優賞授賞者として、林由美香さんは表彰式の舞台に立っていた。もっとも、彼女は授賞の有無に関係なく、進行役のレギュラーとしても毎年参加している。この年は授賞者との二役ということだ。前年は客席でほとんど酔いつぶれていたので、私が授賞式をジックリ見たのは、この時が初めてといった方がいい。由美香さんの華やかな晴れ姿を堪能した。
 打ち上げで「覚えてないかもしれませんが、昨年の打ち上げで、女優賞確実と声をかけさせてもらった者です」と、話しかけた。由美香さんはにこやかで嬉しそうだった。ただ、この日は女優賞ダブル授賞の佐々木ユメカさんといつもいっしょにいて、さすがにその前で由美香さんの名演だけをハシャぐのは憚られたので、あまりお話しはしなかった。進行役として毎年のレギュラーなんだから、またの機会はいくらでもあるとも思った。しかし…またの機会はなかった…。

今年も新文芸座で授賞式が開催される。天国で林由美香さんも見ていることだろう。

映画三昧日記2008年−7

昨年7月から月10日間勤務の嘱託になって約10ヶ月が過ぎた。仕事の都合で、勤務日が月の前半ないし後半に集中し、かつての正月やGW以上の大連休となることもしばしばである。
 観たい映画やビデオも、読みたい本も無尽蔵だし、「話芸あれこれ」の編集やら、映画関係の原稿を書くのも意外と少なくない。金儲けにはならなくても、暇をつぶすネタには事は欠かない。
 ただ、そんなだけの日が3日も続くと、何となく物足りなくなってくる気がする。(幸いにも、昨年7月以降、それほど無予定の日は続かなくて、かえって忙しいくらいだ。全く空白の日が3日くらい欲しいなあなんて、思うくらいではある)
 これは何なんだろうと考えてみた。やはり、人間どんなに好きなものに対して、観たり読んだり書いたりしていても、人と会わない個的な作業は継続できないということかもしれない。 
 好きでもない仕事でも会社でもあったが、それでも行けばイイ奴ともヤナ奴とも、必然的に出会う。どんな人間とも会うということが、人にはやっぱり必要なのかなという気がしてきた。
 3月の仕事は月の前半に集中し、18日(金)までで9日間働いてしまった。残る1日の出勤は、月末データ処理の31日(月)のみである。だから、19日(金)〜30日(日)の12日間の大連休になった。
 ところが、予定を確認したら、全く無予定なのは22日(土)、26日(水)、30日(土)の3日間のみだ。もちろん、大半の予定は映画に関連するものである。てなことで、この大12連休の「映画三昧日記」といってみたい。

平成20年3月19日(水)
まずは墓参り
この日の夜は、よみうりホール「フィクサー」の試写状がある。折角、都内に出るのだから、「定期券の無い男」の交通費有効活用で、いっしょに墓参りを済ますことにする。いや、このように予定が立て込んでいては、うかうかしてると彼岸明けまでに行きそびれそうだ。逆に、この日に行かずばなるまい。
 私の父母、義父、亡妻と3件のハシゴだ。雑司ヶ谷→江戸川橋→墨田区の八広というコースだ。ハードスケジュールなので、家を9時前に出る。最後の亡妻の墓参りを追えて、住職さんの家族とお茶を飲みながら、少々歓談する。お彼岸と命日の年3回程度のことだが、何となく心がなごむ時間である。
 出足が早かったから、正午ちょっと過ぎには墓参りを終えてしまった。夜の試写にはまだ時間がタップリある。さて、どうするか。

上野に足を向ける
上野オークラ劇場で竹洞哲也監督の新作をやっていることを思い出す。そこで上野に足を向ける。俺も不謹慎だよなあ。墓参り終えてピンク映画はないよなあ。なんて思いながら、上映時間を確認すると、1時間くらいゆっくりしてから観始めても、夜の試写会には余裕で間に合う。そこで、ビールでも飲みながら、ゆっくりランチを取ろうと画策する。お清め、お清め、供養、供養、勝手な理屈をつける。
 上野山下の有名なレストラン寿楽が、近々閉店するとのチラシが目に入る。そこで、昼食は寿楽にする。平日の昼間だから、ビールなど飲むのははばかられるかなと危惧したが、さすが上野という土地柄、旅行や出張の列車時間待ちと見受けられる人たちが、盛大にジヨッキを傾けておりました。

この日の上野オークラ劇場の映画については、「ピンク映画カタログ」をご参照ください。

ついでに「フィクサー」についても一言
「フィクサー」は良い評判を耳にしていた。確かに力作だった。でも、この手のアメリカのガチンコ訴訟社会ものって、私は食傷気味だ。自動車部品が題材のズバリ「訴訟」に始まって、生命保険「レインメーカー」、銃器社会「ニューオーリンズ・トライアル」と過去にも少なからずあり、今度は薬害。またかいなって感じである。でも、「ニューオーリンズ・トライアル」で、ジーン・ハックマン演じる陪審員の選定工作員という存在にも驚いたが、今度のジョージ・クルーニーは、法廷に立たない有能弁護士のモミ消し屋で、ホントにアメリカって何でもありのガチンコ社会だ。

平成20年3月20日(木)
この日の夜は、話芸の同好の士が集まり、新宿の劇場バイタスで劇団玉の湯の芝居「恋と魔心眼」を観て鑑賞後、酒席で懇親した。その詳細は、後で記述します。

渡辺正純さん大活躍中
さて、交通費の有効活用、折角新宿まで出るのだから、ついでに何をしようかと考え、渋谷のシネマライズで「コントロール」を観ることにする。
 シニア料金の私としては珍しく、「コントロール」は特別鑑賞券を購入した。この作品は、映画ライター「わたりじゅん」さんこと、「映画友の会」名司会の渡辺正純さんがクレジットされている。「映画友の会」席上で1000円の特別割引で、協力が呼び掛けられた。シニア料金と同じなら、購入する必要もないなんて白けたことを言わず、もちろん協力する。
 渡辺正純さんは「シルク」でもクレジットされていた。タイトルの意味はどちらも複雑過ぎて、役割はよく解らないが、渡辺さんはアメリカに長くいたこともあり、英語が達者で、日本と外国の映画人をコーディネートするポジションで活躍しているようである。今後のますますの活躍に期待したい。

「コントロール」、ビョーキと狂気のこと
「シルク」は、私には全くいただけない映画だった。好意的に評価しても、惜しい映画といったところか。だって、シルクロードで結ぶ広大な空間の雄大な題材の中心になるのが、人妻キーラ・ナイトレイの狂言でしたなんて、これでは持たない。客を馬鹿にするなと怒りたくなる。
 渡辺正純さんはいい人だから、あんまり辛口なことは言いたくない。だが、「コントロール」もつかみは悪かった。また苦言を呈することになったらやだなあと思いつつ観続けた。
 何たって私の苦手なロック歌手の話である。自慢じゃないが、私は音楽センスがゼロの男である。ロックも駄目なら、ファンの多いジャズの良さもさっぱり解らない。せいぜいド演歌に親しむ程度だ。
 それに加えて、主人公の人生に対する甘えっぷり!子供までできたのに妻をほったらかし愛人に溺れ、大仰に悩んだ果てに自殺する。私のもっとも嫌いなタイプのビョーキ男だ。そのはずだった。
 ところが、いつしか私は「コントロール」の世界に引き込まれていた。どうしようもない男ではあるが、安定した生活があるのに破滅に向かってしまう内なる狂気は、私にも内在していると思った。
 私は「ビョーキ映画」は嫌いである。「少しはシャキッとしろ!ビョーキは克服しろ!!」と怒鳴りたくなる。でも、それが誰の心の底にもある「狂気」に通低している時、打ち震えるような感動に襲われる。
 最近観た「接吻」にも、同様な感動を受けた。一見すれば、人間関係をうまく構築できない女の逆恨み「ビョーキ映画」である。「もっとうまくやれよ。馬鹿!」と、怒鳴りたくなるヒロインである。ところが、ここにも自分の深部に宿る狂気と通低するものを感じたのだ。
 小池栄子は、今年の主演女優賞の本命に早くも踊り出た。(キネ旬3月下旬号「カラダが目当て」で秋本鉄次も似たようなことを言っている)少なくとも小池栄子は、単なる坂田の女房でもなければ、ザ・エスペランサーから小池の旦那の窮地を救うエンジェルさんだけでもないということだ(てなことを言っても、「ハッスル」を見ているプロレス者以外には何が何だかさっぱり判らないでしょうが…)。
 こんな風に書いていても、「あなたにとって何がビョーキで、何が狂気かさっぱり解らない」と思われるだけだろう。確かに人間の感覚とは不可解なものである。ついでに例を挙げれば、私にとって「ピアニスト」は狂気だが、「インティマシー/親密」はビョーキである。前回のパルム・ドール映画を引き合いに出せば、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は狂気だけど、「ある子供」はビョーキである。なぜ、そう感じるのか、当人もよくわからない。ただ、鑑賞後に感動したかしなかったかの違いは、明白な事実である。

芝居「恋と魔心眼」のこと
「恋と魔心眼」は、映画脚本化としても佳作を生んでいる武田浩介さん作の、落語が原作である。落語プロデュース河本晃さん(この人は他にも雑誌編集長・映画脚本家・演芸作家・イベント演出と多彩な活動をしている)が、企画制作した「夢月亭清麿ひとり」の中の新作落語の一つとして書き下ろされたものだ。落語の演劇化ってどうなるんだろう。同好の士と合流し、興味津々で劇場に入った。
 この日のメンバーは、原作者の武田さんと、前述した河本さん、夢月亭清麿師匠、若手美人浪曲師・玉川奈々福の後援会長・飯田美佐子さん(この人はMISAKOの高座名で漫画家・バトルロイヤル風間さんとのコンビで似顔絵コント・東京モンキーズを結成している他、最近は社会人演者としてピン芸にも挑戦している)、「蛙の会」会員の岡松三三さん(最近MISAKOさんと組み、武田浩介さんの漫才台本を得て、MMシスターズを結成した)、「新作無法地帯」など若手お笑い芸人イベントをプロデュース(自らも社会人落語家・コント演者としてヂェームス槇の高座名を有す)吉河悟史さん、演芸作家の稲田和浩さん(この人も講談に挑戦し高座に上がった)、何と多彩なメンバーが集まったものだ。
 武田浩介さんは、前述の「夢月亭清麿ひとり」で、二つの新作落語を書き下ろしている。この「恋と魔心眼」と「誘拐家族」である。
 正直言って、私は「恋と魔心眼」は否定的だった。落語は何でもありという清麿師匠の精神を受けての大胆な試みで、私は「愛欲落語」と名づけたが、映画ならともかくやっぱり落語にドロドロした男女の「愛欲」は似つかわしくない。もう一つの「誘拐家族」は大胆な話のようで、おしゃまな子供が大人を振り回す「堀の内」「桃太郎」という落語の伝統をキチンと引いている。斬新さもこの程度に留めるべきというのが、私の感想だった。
 さて、芝居の方だが、舞台の両脇の椅子に男女優が掛けて、対話をする形で続けられる。なるほど、落語の上下(かみしも)を演劇化するとこうなるわけか。若い頃に新宿文化劇場で観た仲谷昇と高橋昌也が競演の前衛演劇「動物園物語」を思い出した。(私は、この後の飲み会で、この芝居の作者を「ガラスの動物園」と混濁し、テネシー・ウィリアムスなんて言って大恥をかいた)落語が前衛演劇風になるのなら、前衛演劇も落語化できるということだ。確かに清麿師匠がおっしゃるように、落語は何でもありかもしれない。
 ところが、後半に入ると、そのスタイルも不徹底になり、普通の芝居のスタイルに近くなる。私は素人考えながら、ラストは改変するだろうなと予想していた。女主人公が目までつぶすという「清作の妻」もかくやの愛欲ドロドロぶりは、話芸の落ちならば許容できるが、芝居でやったらちょっとグロテスクで後味が悪いと思う。案の定、後半は原作を大きく変えた。目などつぶすこともなく、アレヨアレヨと純情ものみたいに変貌してきた。この木に竹を接いだような改変は何だろう。武田浩介さん、納得したのかな。「原作は変えると言ってましたし、渡したものですから…」と淡々としていたが何だか不満そうでもある。
 芝居がはねて、同好の士との酒席になる。何ったって前記した錚々たる面子だから、話は大いにはずむ。何と、原作者・武田浩介さんは関係者の打ち上げには「後から合流します」と、こっちの席に加わってしまった。私の改変についての率直な感想を述べて、「木に竹を接いだような芝居と酷評してきて下さいよ」と煽ったら、「周磨さん、いっしょに来て言ってください」そんなこと言えるわけないよね。この後、武田さんは関係者打ち上げに合流したようだが、どんな顛末になりましたやら…。

平成20年3月21日(金)
国分寺市の公民館は、よく映画に関する講演会を開催している。かねてから興味はあったのだが、なんせ平日の昼間、おいそれとは参加できなかった。ところが、今は月10日勤務だ。出社日がかちあわない限り、申し込んで参加することを心がけている。市民税を払ってるんだから、ささやかでも元を取らねば損である。3月下旬にはそれが二つあった。本日はその第一弾、恋ヶ窪公民館のシネマ講演会「映画と旅−ロケ地の楽しい話−」、講師は映画評論家のきさらぎ尚さんだ。
 内容は「ローマの休日」のストーリーを追いながら、ロケ地の話題を織り込んで午後2時から4時までのタップリ2時間、なるほど、こういうアングルで映画を語る手があるのか。なかなかに面白かった。
 出席者は、さすが平日昼なので、男は会社勤めを定年になり「毎日が夏休み」となった高齢者が多い。女性もやはり高齢者が中心だ。きさらぎさんが、「みなさん映画館にはどのくらいいらっしゃってますか?」と聞いたら、あまり行ってる人はいないみたいで、ちょっとガッカリした感じであった。終盤でアジア映画の話題になった時『「SAYURI」を観た方は?』との問いかけにも、手を挙げたのは私一人だった。まあ、かつての映画ファンで、今はリタイアしているといった層が、参加者の中心のようだ。
 この件については24日(月)の第2弾の講演会でも触れてみたい。

平成20年3月22日(土)
大12連休の中で、全く予定のない3日間のうちの1日である。貴重な1日である。この貴重な日は、立川シネマシティで新作めぐりをしなきゃいけない。おお!忙し!
 立川シネマシティで「マイ・ブルーベリー・ナイツ」と「ダージリン急行」のはしごをする。この日の出費は、交通費300円、チケット代1000円×2=2000円、昼はサービスサンドで安くあげ180円、2480円でタップリ1日楽しんだ。シニア料金万歳である。
 ウォン・カーウァイ、ウェス・アンダーソンと、2本とも語り口に個性のある映画作家なので、ハマる人にはたまらないだろう。しかし、そうでもない私にはイマイチだった。
 特にウォン・カーウァイが苦手な私は、相変わらずのタッチに辟易した。「欲望の翼」「恋する惑星」「天使の涙」なんて、何でこんなにキザでスカすんだろうと思う。「花様年華」なんて、観る人が観ればたまらないんだろうが、私にはあのキザっぷりは、背筋のあたりがムズムズしてくる。
 「恋する惑星」だったか「天使の涙」だったか、ナンパに失敗した男が「後、5分だけここにいさせてくれ。君と僕とは5分の時間を共にした」とか何とか言ったり、「マイ・ブルーベリー・ナイツ」でも再会したノラ・ジョーンズとジュード・ロウが「売れ残るのにまだブルーベリー造ってるの」「君がまた来て注文するかと思った」って、ホント、キザだよなあ。「2046」でキムタクを起用したのは、キザ世界にはまりそうな彼のタイプだけが必要だったんではないか。
 だから、世評に反して私がカーウァイ映画でで好きなのは「楽園の瑕」、これはチャンバラで時代劇ですからね。こういう世界ならばどんなにカッコつけてキザでも構わない。後は「ブエノスアイレス」、ゲイの話だから、これはキザだけでは押し切れない。濃密な人間描写でありました。

平成20年3月23日(日)
この日は話術研究会「蛙の会」の3月例会、私の今年の予定演目は阪東妻三郎「坂本龍馬」。貴重な街頭紙芝居発見の報告とご披露もあり、他の人の演目も着々と決まってきつつある。
 終了後は綾瀬の「養老の滝」で反省会。今月も盛大に反省してしまいました。

平成20年3月24日(月)
国分寺市の映画講演会の第2弾の日である。この日はもとまち公民館「シネマサロン」、講師は映画史研究家の牧野守さんだ。
 この日の趣向もなかなか面白かった。でクラシック映画がよくカラオケビデオのバック映像に使われているが、それらをまとめてプロジェクタ映写して、映画解説を進めていく。「青い山脈」「長崎の鐘」「悲しき口笛」「愛染かつら」「純情二重奏」etc…。なかには大河内傳次郎主演・戦前の日活超大作「尊王攘夷」が「侍ニッポン」のカラオケのバック映像に使われている貴重品もある。映画に関する講演会の切り口も、実にいろいろあるものだ。
 ここでも参加者層は、男女とも高齢で、昔の映画ファンの集いといった感じ。共通して「今の映画はつまらない。だから、あまり観ない」といった方々だ(観ないで何でそんなことが言えるのか不思議なのだが…)。
その中で、「今の映画は思い出に残るようなのはない」との声があった。私は、決してそんなことはないと思う。
 『1939年「風と共に去りぬ」、1959年「ベン・ハー」、1962年「アラビアのロレンス」、今それと並ぶ超大作が誕生した』。「タイタニック」のコピーである。
 観る前は、「いくら何でもそれは言い過ぎだよなあ」と思った。しかし、実際に作品に接し、ジェイムズ・キャメロンのラブ・ロマンと沈没スペクタクルの2本立で、これでもか、これでもか、これてもか、と押しまくる押しの強さ、場内ですすり泣く女子高校生達を見た時、彼女たちが大人になり妻となり母となった時、きっと思い出の映画になると思った。
 その女子高生の一人でレオ様ファンだった我が娘(なぜか彼女はレオ様でなくプリオの愛称で呼ぶ)は、大人になった今でも、自宅で女友達といっしょにDVDの「タイタニック」を観て盛り上がったりしている。繰り返しTV放映されている時も、楽しんでいる。
 そんな娘に「ベン・ハー」の戦車競争のところだけでも見てみろと、ビデオで促したことがあった。だが、戦車競争の始まる前の延々たる入場式で、もうカッタるいと目をそらした。「風と共に去りぬ」のアトランタ炎上を「凄いだろう」と見せても、「フーン」といった程度だった。ブラウン管ということもあり、二次利用を配慮していない昔風の映画演出ということもあるとは思うのだが…。
 昨年の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」では、以前の中学生のファン層が、そのまま成長した姿で、大劇場の新宿ミラノ1を満席で埋め尽くしていた。我が娘もその一人だった。昔の人間だけが思い出の映画を有しているわけでもないし、今の映画にそういうものがないわけではない。自分の青春だけを特権視して、「今の映画はロクなものがない」なんて言い出したら老化現象の始まりと思っていいだろう。
 二つの講演会の意見交換の雰囲気から、よっぽどそういうことを言ってやろうと思ったが、喧嘩を売るみたいなものなので差し控えた。
 こういう人達は、全然映画に興味のない人よりも、半可通で映画の話題を仕掛けてくるだけに始末が悪い。親類が集まっての旅行会でも、類似の話題になって気まずい思いをしたことがあった。

この日は夜に、さらに予定が入っていた。一ツ橋ホール「悲しみが乾くまで」の試写会である。映画1本のために1000円前後の交通費を使うのは効率が悪いのだが、昼に地元で予定が入っていたのだからいたしかたない。まあ、シニア料金とトントンで、公開前の新作が観られるのだから良しとしよう。
 「悲しみが乾くまで」の主演はハル・ベリーとベニチオ・デル・トロ、アカデミー受賞者の競演は、さすがに見応えがある。ラブロマンスでない屈折した男女の心の交歓も味わい深い。アカデミーはヤク中・アル中に甘いので、トロさん、今度もアカデミーいけるかもしれない。
 最近の試写会状は2名招待が多い。相方は「映画友の会」の女性の友人Fさん。アルコールもいける人である。水道橋のなじみの300円均一(飲み物もつまみも一律で、質・量ともに悪くない)の店で、鑑賞後しばし最近の映画談義に耽ったのであった。

平成20年3月25日(火)
この日は映画とは関係ない。グリーン電力基金事業推進室・主催の「千葉市新宿公民館太陽光発電設備」の見学会である。グリーン電力基金の参加者を対象にしている。この種の催しも平日の昼間が多いが、かねてから関心があったので、最近はできるだけ申し込んでいる。

ここでグリーン電力基金というのを説明する。風力・太陽光などのクリーンな発電を開発・促進するための基金である。一口が月500円で、電力会社に申し出れば電気料金と併せて徴収される。地球環境問題に貢献する話である。心ある人は協力すべきだと私は思う。「不都合な真実」に感動だけしてればいいというものではない。べらぼうな金額ならともかく、月500円が大きな負担にならないような人は、挙って加入すべきだ。原子力発電に反対してる者は、それこそ真っ先に加入すべきだろう。ドイツなんかはそのような実態と聞く(ドイツの方式はグリーン電力料金として、電気料金に組み込む形だそうであるが)。
 日本の原子力発電反対派は、文句を言うだけで1円も出そうとしない。日本は電力会社の社員を中心に、半強制的な雰囲気でやっとこさグリーン電力基金加入者を確保してる状況とも聞く。民度の低い国である。だから、定年になると脱退する人も少なくない。やな話である。会社人間集団の国である。私も、グリーン電力基金を知ったのは会社の関係だが、意義を感じているので例え会社を離れても、月500円が負担になるほど困窮しない限り、一生やめようとは思わない。

見学会の質疑応答の時間が、何ともおかしかった。参加者は、平日昼間開催なので、定年退職をした高齢者(グリーン電力基金に参加するだけあって、意識の高い元役職者風が多い)が中心である。奥さんと二人連れという人も何人かいる。「それではご質問がありましたら…。ご意見でも結構です」の司会の人を受けて、最初の人がグリーン電力基金の意義を感じ世の中に役立ちたいとの自分の意見を延々と演説する。「他にございますか」次の人は、各種クリーン発電の利害得失について、またまた延々と演説をぶつ。「まだ、ございますか」3人目の人は怒気まじりに「見学会の時間が押してるんですよ。いい加減にして下さい」これでチョンとなった。元役職者は定年になって、人前で一席ぶつ機会がなくて、寂しいんだろうな。それでこうなるのか。日本は本当に会社人間世界である。そんなに人前で喋りたいなら「蛙の会」にいらっしゃいって、ま、冗談ですけどね。
 午前中で見学会は終わる。千葉からの帰還だから、帰りの経路を少し迂回すれば、都心の映画館めぐりもできるが、特にお目当てのものも見当たらなかったので、この日は交通費の有効活用はしないで、素直に帰宅した。

平成20年3月26日(水)大12連休のうちの予定なしの2日目が訪れた。ノンビリ朝風呂に入る。温泉気分になり、発泡酒の缶500mlを空けてしまう。
 近所を散策する。武蔵国分寺尼寺跡の黒鐘公園は、この近辺の住人の花見の名所である。桜はよく咲いている。6〜7分といったところか。陽気はポカポカだ。帰宅して、この日は休みだった娘を花見に誘う。ワンカップ・ビール・弁当・つまみをファミリーマートで調達し、昼飯を兼ねてでかける。折からの好天気、午前中に比べても咲きは1分程度増している。かくして、この日は晩酌も含めて、正月なみの酒量で暮れたのであった。ああ、疲れた。

平成20年3月27日(木)
この日の夜の予定は、吉河悟史さんプロデュース、なかの芸能小劇場での若手お笑い芸人のイベント「女だらけの無法地帯5」。今日も同好の士が集まる予定である。
 さて、交通費の有効活用だ。以前、フリーライターのIさんから新文芸座の招待券をプレゼントされた。3月は「気になる日本映画達<アイツラ>2007」を日替わりプログラムで開催中である。この日は廣木隆一監督の2本立「M」「恋する日曜日 私。恋した」だ。幸いにも2本とも私が見逃していた作品である。自宅最寄駅の西国分寺→池袋→中野のスケジュールを組む。 

好悪混在の廣木映画
私は廣木隆一作品は苦手である。あのヌラッとした描写がどうにも馴染めない。「M」は観る人が観ればハマるんだろう。主演の美元もチャーミングだ。でも私はこのタッチは生理的に受け付けない。
 「恋する日曜日 私。恋した」は、拾い物だった。昨今の日本映画は難病物の氾濫でウンザリしていたが、こんな爽やかな手がまだあったのだ。堀北真希が好演である。廣木作品としては「機関車先生」の系列だ。私としては、こういう味のものだけ撮っていてもらいたいと勝手に思う。

30日(日)にも予定が入る!
「女だらけの無法地帯5」には、20日(木)の「恋と魔心眼」に集まったメンバーが、稲田和浩さん、岡松三三さんを除いて集まり、さらに漫画家のバトルロイヤル風間さんが加わった。(主催者の吉河さんは芸人さん対応で別行動)例によって酒席で盛り上がる中で、風間さんから案内がある。30日(日)に門前仲町の石島橋周辺の「さくら祭り」で、東京似顔絵同好会のイベントがあるという。みなさま是非「さくら」で来てくださいとのこと。かくして、大12連休も残すところ3日、すべての日に予定が詰まることとなった。

平成20年3月28日(金)
この日の夜は3月の無声映画鑑賞会だ。澤登翠さん語る「愚なる妻」がメインである。さて、例によって交通費の有効活用を考える。シネマヴェーラ渋谷が日替わり番組で「若松孝二大レトロスペクティブ」を開催中。この日は私が未見の「鉛の墓標」「赤軍−PFLP世界戦争宣言」の二本立てだ。自宅→渋谷→門前仲町のルートで出掛けることにする。

昼食を兼ねての花見
タイムスケジュール的に見て、昼食を摂ってから出掛けて十分である。渋谷に行くには、吉祥寺で井の頭線に乗換える。ケチくさい話であるが、西国分寺→吉祥寺は160円、国分寺→吉祥寺は210円だ。国分寺まで1.5km程度歩けば片道50円の節約になる。天気もいいし、歩きついでに武蔵国分寺公園(鉄道学園跡地)の桜でも見ながら食事するか。冷蔵庫から発泡酒缶を取り出し弁当を調達して、花見としゃれ込んだのであった。こういうことには、すぐ頭が回る。時間の余裕がさらにあったので、武蔵国分寺跡の桜(これもほぼ満開だった)を迂回して見て、お鷹の道を散策し、国分寺駅に着いたのであった。

若松映画旧作2本の雑感
「鉛の墓標」にはちょっと驚いた。今観ると、全くピンク映画じゃないのだ。ピンク映画初期の昭和40年前後は、バストトップの露出も駄目だったようだ。せいぜいスカートが捲くれ上がる程度、これでは濡れ場で長々と引っ張れない。いきおいドラマ性が重視される。時間も今のピンクの1.5倍弱の86分。お色気不足をカバーするためか、当時はバイオレンスのどぎつさが一部良識派の顰蹙を買ったとかも耳にしたが、今の眼でみればそれもほどほどで按配よく、意外なハードボイルド映画の佳作だった。若き日の野上正義の美青年ぶりに、ちょっとビックリする。

「赤軍−PFLP世界戦争宣言」は、1970年時点でパレスチナゲリラの拠点の内部にカメラを持ち込んだ貴重さであろう。でも、淡々とした生活描写が中心で、そんなに激しいものはない。新年早々に私が初見した「戦ふ兵隊」を連想した。侵略軍だろうと抵抗軍であろうと、戦場と戦士の大半は、静かな日常生活なのだということを痛感した。

「無声映画鑑賞会」で澤登翠さんにご挨拶
「話芸あれこれ」2月発行号の私の拙文「映像をくるむ活弁」で、ある人から「若手弁士に対する尊敬の念がない」と、メールで指摘された。私にはそんなつもりは毛頭ないのだが、人の感じ方は様々だからいたし方ない。ただ、澤登翠さんもそう思われていたと言われては、穏やかではない。後日、澤登さんと電話でも話して、それほどではないと感じたが、3月の編集後記で「いずれにしてもそう感じた人がいたのは私の不徳のいたすところ」と記し、終映後に澤登さんにご挨拶するとともに、「話芸あれこれ」をお渡したのであった。

平成20年3月29日(土)
この日の午後は「映画検定合格者による懇親会」、「映画検定」を韓国に拡大するプレス発表も兼ねているので場所は麻布の韓国文化院である。
 例によっての交通費有効活用、新宿で池島ゆたか監督の新作を上映中なので、旧作と合せて2本を鑑賞後に向かうこととし、自宅→新宿→麻布十番と回る。

映画の詳細は「ピンク映画カタログ」をご参照ください。

映画ファンは意外と寂しい?
映画検定合格者で私の知人は、「映画友の会」会員で1級のSさんと2級のUさんの二人しかいない。本日の参加者はSさんのみ。キネマ旬報「読者の映画評」の常連で、現役電力会社社員、元・愛・地球博・電力館・副館長の論客である。他の人とは全て初対面だ。参加者相互も知人はほとんどいないみたいである。でも、映画好きどうし、アッと言う間に話がはずんでいく。
 私は「映画友の会」や「映画芸術」誌などを通じて、映画を熱く語れる友人・知人には事欠かないが、他の合格者は、意外とそういう人に飢えているみたいに感じた。散会後、出口のロビイに私とSさんが降りて来たら、何人かが集まっていて、これから飲みにいきませんかと誘われた。私とSさんは、次の予定があったので、丁重にお断りするしかなかった。

渋谷のTクラブでS夫人と「グイン・サーガ」談義
Sさんと私は、共に酒好きなので、いつも会えばすぐ別れることはない。Sさんは落語好きでもあり、「あっち亭こっち一座興行」や「将棋寄席」の打ち上げでも同席するのだが、その後も二人で必ず二次会となる。今日は会社の厚生施設のTクラブを予約してくれたそうである。
 ただ、よくよく聞いたら、奥さんと息子さんもいっしょというので、「いや、家族水入らずの場所にはちょっと…」と辞退したのだが、「いや、家内もグイン・サーガの話したがってますから」と引っ張られていった。
 「グイン・サーガ」とは、文庫本で119巻、4半世紀続いており、現在も継続中の栗本薫の、未完の大河ヒロイックファンタジーだ。10年、20年とこの世界にハマっている「グイン者」は少なくはない。
 「映画友の会」の気の合った者数名で、Sさんに面倒を見てもらって不定期でTクラブで会合を持っているが、そこに奥さんも参加したことがあって、そこでグイン者であることを知ったのである。その会には我が娘も参加しているが、これもグイン者。3人で盛大に盛り上がってしまった。何せ10年を越えてハマってる者同志だから、盛り上がり方も尋常ではない。
 この日も、二人で盛り上がるだけ盛り上がり、ご主人は話に入れずにキョトンとするばかり。そりゃそうだ、119巻もある大河小説に、簡単に第三者が入り込めるわけもない。まあ、一段落したあとで、Sさんとは例によって映画談義にも暮れたのだが、それにしてもワインをちょっとやり過ぎたかなあ。

平成20年3月30日(日)
大12連休最終日、明日は久々の出社日だ。ワインの飲みすぎなのか、頭が重い。疲労が蓄積したのか何となくダルさも感じる。
 気象情報を見たら、午後から雨。バトルロイヤル風間さんのイベントは、雨ならば中止ないし中断だ。それもあって、家でノンビリしたい心情に傾く。案の定、3時過ぎには雨が降ってきた。
 MISAKOさんから電話が入る。門前仲町の方も雨で、イベントは中断になったそうだ。時間に遅れてきて合流しそこなうことを心配しての連絡である。(当然、終了後は飲み会になるのである)MISAKOさん、気配りを恐縮です。風間さん、「さくら」に行けなくてスミマセンでした。

こうして大12連休は、アッという間に終わった。何だか昨年の「湯布院映画祭日記」なみの暴走「大12連休日記」になってしまいました。
 4月末から5月にかけてはGWがある。私の4月の最後の出社日は24日(木)、5月の最初の出社日は7日(水)、またまた大12連休の開幕である。
 とはいえ、前半はもうすでにかなり予定が入っている。25日(金)は会社のOB会、26日(土)〜27日(日)はピンク大賞表彰式イベント参加と多分徹夜の打ち上げ、朝に帰宅して一眠りしたら、27日(日)の夜は武道館でプロレスリング・ノア観戦、昔の「映画友の会」会員としては珍しい映画者とプロレス者の両刀使いの人と久々に会う。(現在の「映画友の会」では、両刀使いは珍しくない)1日空けて29日(火)は4月「蛙の会」例会である。

GWは陽気もよくなってきたことだし、地元の多摩地区の遊歩道などの散策三昧にゆっくりふけりたいとも思っている。年金手続きでお世話になった多摩信用金庫の人から多摩ライフ倶楽部入会を勧められ、定期的に多摩の情報誌「多摩ら・び」が送られてくる。いろいろ良いところを紹介してくれている。また、1〜2日はボケーッのんびりする日も欲しいのだが、さてさてどうなりますことか。

映画三昧日記2008年-6 

●マキノ正博生誕百年
 今年は、名匠・マキノ正博監督の生誕百年である。暫し、それにちなんだ話題といきたい。

平成20年2月28日(金) 無声映画鑑賞会
この日のテーマは「マキノ正博生誕100年記念」。上映は、まずマキノ省三最後の監督作品「雷電」(若き日のマキノ正博が役者として出演)と、正博監督作品「崇禅寺馬場」、弁士は坂本頼光。そして、トリは弁士・澤登翠の「浪人街」の第一話「美しき獲物」・第二話「楽屋風呂」連続上映。マキノ正博の代表作だが、完全には残っておらず、特に傑作と呼び声高い第一話は、10分程度の断片なのが、残念なところだ。
 この日は、思わぬゲストが登場した。俳優の小倉一郎である。以前TVドラマで若き日のマキノ正博を演じたそうである。その時の思い出話を中心のトークショーが展開された。
 こういう予期せぬ飛び入りがあると、ひどく特をしたような気がする。以前にも活弁入り演歌「北国浪漫」宣伝のために「あい&もも香」がデュエットを披露した時もそうだった。無声映画鑑賞会の良いところである。

マキノ正博エピソード その1
小倉一郎から、いくつかの楽しいエピソードが紹介された。女優が男に迫る時、いったん引いてから身を乗り出せと演技指導したこと。女形経験もあるマキノは、実際に自分で演じてみて、それがひどく色っぽいのだそうだ。 
 かつて藤純子が、体をすべて「の」の字を書くように動かせと、指導されたと耳にしたことがある。なるほど、若き日の藤純子の妖艶の秘密はそのへんにあるのかもしれない。
 もっとも楽しかったのは、「次郎長三国志」森の石松の森繁久弥のフリにつけたエピソードだ。刀をサッと抜いてゆっくり回れ、回りきったら素早くパチンと納めろ、と指示する。それをすべて撮影しておいて、編集では真ん中のゆっくり回ったところはハサミを入れてしまう。サッと抜き、パッと刀が納まる見事な所作が、こうして完成する。

マキノ正博エピソード その2
 以前、阿佐ヶ谷映画村で、白井佳夫さんからこんなエピソードを聞いた。Aに「おいお前、刀振り回してガムシャラに走ってこい」と指示、それを撮影する。次にBに反対方向から「同じようにガムシャラに走ってこい」、それも撮影する。その後、やおら監督は日本の刀を両手にして、カメラの前でカチン!「これでいい」、スタッフ・役者はあっけに取られるのみだった。ところが完成品を見たら、ワーッと叫んで突っ込んでくるA、反対方向から同様に突っ込んでくるB、ガッとぶつかる白刃と白刃、物凄い迫力だったそうだ。
 股旅物で、縞の合羽に三度笠で松並木の側を延々と颯爽と歩かせたかった。ところが松並木が短い。そうしたら、松並木の右側を歩かせてカット、次に左側を歩かせてカット。繋いだら立派に延々長い松並木の感じが出ていたなんてエピソードも耳にしたことがある。

マキノ正博エピソード その3
読売新聞1面下のコラム「編集手帳」では、生誕百年を記念してこんなエピソードが紹介されていた。
 「次郎長三国志」を精力的に撮影中のロケ地に、一通の東宝首脳部からの電報が舞い込んだ。「ブタマツコロセ」。ブタ松を演じているのは加東大介。要は「七人の侍」で黒澤明が加東大介を長期に拘束したいので、「次郎長三国志」のレギュラーから外せということなのである。
 スタッフは完全にいきり立ったそうだ。天下の黒澤か知らんが大先輩のマキノを何と思っているのか!となった、だが、当人のマキノは泰然自若と「まあ、いいやないか。頼りにされてるんや。協力したれ」と、ブタ松をアッサリ殺した。
 「次郎長三国志」は、今でも名作と言われている。どんな要望に応じても映画は面白くできるとの、マキノの自信の現れであろう。また、自分をバカにして!なんて小さい精神でなく、俺の才能を首脳部は信じてるんだなと思う大人ぶりも素晴らしい。若い黒澤を育ててやろうじゃないかとの度量の深さも伺える。

マキノ正博は、映画を知り尽くした本当に偉大な映画作家だったと思う。

閑話休題 平成20年3月1日(土) 「顔役暁に死す」
 ここで、ややマキノ正博から離れます。今年のテーマの一つは見逃したクラシック・旧作の落穂ひろいと、念頭に語った。この日は、その一環でシネマアートン下北沢16時20分からの「顔役暁に死す」を観にでかける。まあ、監督の岡本喜八はマキノの助監督を努めたこともあり、気分屋のマキノが乗らない時は、「次郎長三国志」の一部メガホンを取ったとの伝説もあるので、あながち全く無関係ではないが…。
 「顔役暁に死す」を見逃して気になっていたのは、当時の批評が賛否両論だったことだ。岡本喜八のダイナミックなアクションを絶賛する声もあったが、その荒唐無稽ぶりに難色を示す声もあった。ひょっとしたら、私がブッ飛び感覚を評価する井上梅次「暗黒街最後の日」みたいな面白さを期待したのだ。
 観た後の感想としては、まあそこそこ洒落て面白かった程度でした。ギャング映画というものは、意外と早く古びてしまうジャンルのような気がする。岡本喜八の「暗黒街の弾痕」をリアルタイムで見た時は、そのスマートさに唸ったものだ。その何倍も凄いとの「暗黒街の対決」を私は見逃していた。ただ、最近観たが、これもまあそこそこ面白い程度の感想だった。同じく公開当時に一部若手評論家の間で大傑作と言われた石井輝男の「花と嵐とギャング」も、私は後年に今は無き中野武蔵野ホールで見たのだがそれ程には思わなかったのである。

銀座テアトルシネマでマキノ雅彦監督と遭遇
昨年7月からフルタイムでない会社嘱託になり、通勤定期券のない男になった。当然ながら、下北沢まで出張ってそのまま帰る気はない。交通費の有効活用である。「顔役暁に死す」が18時終映なので、銀座テアトルシネマ「4ヶ月、3週と2日」18時50分の回に向かう。
 ただし、この日は月の始めの1日である。一律1000円のファン感謝デーである。しかも土曜日である。さらに初日である。いかがなものかと思ったが、十分程度前についたら案の定チケットは完売だった。仕方がないので次の21時10分のチケットを確保する。時間はタップリある。とりあえず近くの串八珍で一杯やりながら、時間を潰すことにする。
 上映近くの時間になったのでロビーに入る。何と!津川雅彦さん、というよりはマキノ雅彦監督がいるではないか。本人としては目立ちたくないのだろう。帽子を目深にかぶって隅に控えめに佇んでいる。そうだよな。プライベートを邪魔されたくないよな。私も察して、普通なら声などかけなかったろうが、ちょっと一杯入ってたので軽薄になった。
 「マキノ雅彦監督ですね。湯布院映画祭で『寝ずの番』、絶賛させていただきました。新作の『次郎長三国志』、楽しみにしてます」「あ、ありがとうございます」「やっぱり、今度も名優を一同にワンカットで納めて、マキノ映画の再来を見せてくれるんでしょうか」「いや、それ程のもんじゃないですよ」「今日いらっしゃったのはパルム・ドール作品だからということですか」「ま、そんなところで…」
 やはり、周囲から「あ、津川雅彦が来てる!」なんてなることを気にされてるようだ。そこで私も「失礼しました。いや、それで津川雅彦さんなんて言わないで、マキノ雅彦監督と声をかけさせていただいたんですが…」てなことで引き下がった。俺も飲んでたから余計なこと言ったなあ。津川雅彦さんが来てるって、回りに吹聴してるようなもんじゃないか。幸いにも周囲に気付いた人もなく、とりあえずは事なきを得たのであった。

●カンヌ映画祭 パルム・ドール作品 雑感
昨年カンヌ映画祭の最高賞パルム・ドール授賞の「4ヶ月、3週と2日」は、私には駄目だった。良くできている。良くできているが、そうであればある程、何でこんなに気が滅入って生きてるのがつらくなるような描写を延々とやるんだろうと思えてしまう。私は、嘘でもいいから映画から元気をもらいたい、生きる活力をもらいたいのだ。(このあたりは「映画友の会」で、おかだえみこさんがおっしゃっていたことと意見が合う)
 「ある子供」「ロゼッタ」と、この手の映画をパルム・ドールに推すカンヌの傾向があるようだ。もっとも、一般的にはそれらの映画以上に気が滅入ると言われている同じくパルム・ドール作品「息子の部屋」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」からは、私は生きる活力をもらえたのだから、人間の感性とは、人それぞれということかもしれない。

●映画評論家と自転車 さらに運動神経について そして関係ない話まで
前に友成純一さんが湯布院映画祭実行委員会機関紙で、「映画評論家には自転車に乗れない人が多いようだ」と書いていることを紹介した。
 よく考えると、自転車に乗る感覚とは、独自なものがあるかもしれない。自転車は遠心力で立ってるのだから、止まってしまえば倒れてしまう。いや、走っていてもバランスが崩れれば倒れてしまう。だから、走っていて、右に倒れそうになればハンドルをやや左に向ける。左に倒れそうになればハンドルを右に向ける。理屈ではそうだが、乗っている時は、そんなことを意識しているわけではない。それが運動神経というやつだ。
 私がそうだが、いったん頭脳に落とさないと動けない人間が、運動神経が鈍い奴ということになるのだろう。とすると、映像に反応し、それを言語化する評論家、少なくとも評論化的映画好きにとっては、運動神経は鑑賞力の妨げになるのかもしれない。だから、自転車は映画評論と相容れない存在になるのかもしれないる。これってかなりこじつけめいてきますけどね。

いったん、頭に落とさないと動けない私の体質
私は小学校低学年まではひ弱な子供だった。昔は、母親の多くが専業主婦だったこともあり、入学しばらくは別に授業参観日でもないのについてくる親は少なくなかった。甘えん坊の末っ子だったこともあり、私の母も例外でなかった。時が立つとともに、付き添いは減っていく。ついに付き添いは私の母と、お婆ちゃん子の祖母二人のみという事態に至るほど、私は親にとって一人で放り出すのが不安な子だったのだろう。
 こんなことがあった。体育で一種のお遊戯の時間である。先生が「蝶々、蝶々」とか「チイチイパッパ」とか歌いながら、手を振ったりするのである。私はそれができず、ベソをかいて母親の懐に駆け込んだ。だって、こんなの誰も教えてくれないじゃない。いきなり、できるわけないじゃない。今、考えれば先生の真似をして動けばいいだけのことなのだが、当時は教えてもらってないのに、みんなは何でできるんだろうと、私は立ちすくんだのだ。一度頭脳に落とさないと動けないという典型的な現象である。
 再び、自転車の話に戻る。だから、自転車に乗るという行為は頭脳に落としてやってるのではないから、乗れる人が乗れない演技をするのは極めて難しい。本能的に倒れない方にハンドルを動かしてしまうのだ。「怪盗ルビイ」での真田広之の自転車に乗れない演技が絶賛されたのはそのへんだろう。逆に、そうとうな運動神経がなければできない行為であり、だから見ていてそれが無茶苦茶におかしい。
 そう、運動神経の鈍い人間の動きはお笑いになるのである。だから、笑われるのがいやで運動嫌いになる。たまに運動するとますます笑われる。悪循環なのだ。そういえば、前に自転車の遠出に無理矢理私を引っ張り出した友人は、私のヨタヨタぶりを決して笑うことなく根気よくつきあってくれた。それがあって、今は私は普通に自転車を乗りこなせる。思えば素晴らしい友人だったのだ。

●変な子供だった私

その1 字を読めるけど書けない
 私は運動神経が鈍い。いや、運動神経なんてレベルを大きく越えて、体を動かすことがいっさい駄目なような気がする。例えば工作なんてのも全く駄目である。不器用の典型というやつだ。もっといえば、字が滅茶苦茶に下手である。体を動かすことの駄目さ加減は、そこにまで至っているのだ。
 幼児の頃の信じられないエピソードがある。私は字が読めるようになるのは極端に早かった。小学校に上がるかなり前からカナの振ってある本ならばスラスラ読んで、近所の人を感心させていた。ところが、字はひとつも書けない。そんな馬鹿な、と思うだろうが本当なのだ。読めるけど書けない漢字というのは、誰でも枚挙にいとまがないが、それと似たようなことなのだろう。
 小学校の入学前に親子面談がある。名前を書ける子は、調査票にひらがなで名前を自分で書き込む。私は、数少ない親に名を書いてもらった子であった。
 近くの友達で、やや知恵遅れ気味の子がいた。その子も自分の名前くらいは、自分で書き込んだ。私は、さすがにショックを受けた。母と兄貴たちも本気になり、字を書く特訓が開始された。当然、体がよく動かずカナ釘流だ。その名残が現在の悪筆なのである。ホントに変な子だったと思う。

その2 極端な無口
子供の頃の私は極端な無口だった。と言うと、現在の私を知る人は「嘘つけ」と大声で笑う。でも、本当なのだ。ひ弱で無口、母親が心配して小学校入学後もいつまでもつきそってきたのも、ムベなるかなと思う。そんな私が、ある時、先生の質問に、みんなといっしょに積極的に手を上げた。内容は忘れたが、たぶん答にそれなりの自信があったのだろう。先生も頼もしくなったと思ったのか、私を指名した。
 起立して、勢い込んで答を口にしかけたら、さえぎるように「お返事は?」と先生に言われた。とたんに頭が真っ白になった。「お返事って?そんな質問あったっけ?」。「ハイッ」て元気よく言ってから答えればいいだけのことなのに、その瞬間に顔は真っ赤になりうつむいて、何も言えなくなった。
 前述のお遊戯の頓挫といい、私はとにかく見当違いに何でも頭の中に落とし込み、それで立ち往生する変な子だったようだ。
 小学校高学年から中学を経て、言葉も序々に出るようになり、現在の私にだんだんと近付いてきた。亡き母の当時の言では、大きく変わったのは全寮制の東電学園入学以後だったそうだ。それまでは、兄二人の下に隠れほとんど無口で従っていたのが、その頃から楯突いて激しい口論もするようになった。当時ATGの映画研究会に顔を出してもいたので、母には「悪い人とつきあってるんじゃないの」と心配もされた。
 何だかとりとめのない話になってきたが、要は、自転車の話題に関連して、私はやはり外部からの刺激に対して、いったん頭に落とすという性癖があるみたいなこと、映画好きというのは、そういう頭の構造に関係するか否かということ、そして、人というのは、多くの友人・知人によって形造られていくということである。

●嘱託生活その後
昨年6月末の定年退職後は、スッパリ毎日が夏休みの生活に入るつもりだったのだが、公私ともどもの理由で月10日勤務の嘱託として残ることになった。「その方がいいよ。やりたいことがいくらあっても、完全フリーになると、案外できないよ」と言う人もいた。
 半分は当たっていた。やりたいことは(金になるわけではないが)山積していても、暇がタップリあると、案外ダラダラ過ごしてしまう。気力がもう一つ湧いてこない。初老性鬱なのかいな?と、ちょっと気になったりした。
 ところが、出社日が立て込んだりする期間では、余暇も精力的にバリバリこなしていく気になるのである。それに月10日だけは、スーツを着てネクタイを締めて、電力指令所の現場に入ると、やっぱりシャキッとしてくる。やだなあ。やっぱり、俺って全身サラリーマンのかなあと、軽い自己嫌悪にも陥る。
 ただ、これだけはハッキリ言える。精力的に映画を観て、書物を読破し、映画評を書きまくり、活弁の勉強をし、「話芸あれこれ」の編集をし、社会人演芸や社会人劇団の舞台に上がる。これらについては、金にならなくても、いやそれが素晴らしいフィールドであるなら、金を払っても参加をしたいと思う。しかし、仕事の方は……いくらシャキッとするとか言っても、タダだったら絶対にやらないだろう。そこに大きな違いがあるということだ。

映画三昧日記2008年ー5

●新垣結衣の魅力の秘密
ガッキーこと新垣結衣のポッキーのCFは、ホントにチャーミングで可愛い。その秘密の一端にふと気が付いた。
 昔から、子役と動物には勝てないとよく言う。無邪気な表情としぐさが巧まずして出るからだ。ガッキーの強みは、巧まずして子供のような無邪気な表情としぐさができることだ。
 田中裕子という女優の魅力がそれである。「北斎漫画」で北斎の娘を演じた時、ヌードになりながらも子供のような無邪気さを感じさせる。「火火」「いつか読書する日」と、中年女を演じる今でも、どこかに子役顔負けの女の無邪気さが、表現されているのである。
 無邪気さの表現、それを体得して初めて子役と動物に拮抗できる。名優の一つの条件ということだと思う。

●社会主義の功罪 その後
「母べえ」は、私には山田洋次の頑なさが前面に出た映画としか見えず、あまり評価できない。日本映画も、戦前の反戦主義者を、聖なる殉教者として高潔に描いているだけではいけないと思う。

頑なな人間は高潔なのか?
私は山田洋次の「たそがれ清兵衛」を、武士の日常を丹念に描くことを通じ、命のやり取りの斬り合いの壮絶さを際立たせて、時代劇に新たな地平を開いたものと、高く評価する者である。ただ、一点だけ、山田洋次の頑なな悪さが出て、気になった部分があった。
「たそがれ清兵衛」のあだ名の由来は、たそがれ時のお城を下がる時間になると、同僚との酒席などにいっさいつきあわず、家に直行するからである。男やもめで子を抱え、貧しいという理由はあるにはある。けれど、私は思う。それを高潔な存在として、全面肯定するのはいかがなものだろうか。私としては、5回に1回、いやせめて10回に1回くらいはつきあえよ!と言いたくなるのだ。

私が最も嫌いなのは頑なな人間だ
公益事業の組織人として、最後は下級管理職で定年まで勤めあげた私にとって、頑なな人間こそ、部下として始末に悪いものはなかった。仕事ができようが、技術的に優れたものを有していようが、現代の高度技術社会では、最終的に効果を発揮するのは組織力である。頑なな人間は、その組織力を大幅に削いでしまうのだ。清兵衛は、一匹狼の文化人ではない。お城勤めの立派な組織人なのである。

ただし、社会主義の功罪については仕切り直しします
当初は、私の「頑な人間」嫌いを基点として、社会主義を考えなおそうと思っていた。ただ、このテーマは、もう少し慎重に考えて、軽々しく発言すべきではないような気がしてきた。前回の1月26日(土)の「映画三昧日記」の直後、掲示板にスタローンさんから意見が寄せられたこともあり、これは時間を置いてジックリ考え直そうと思った。この後、2月の「映画友の会」の風景を紹介して、一旦このテーマは幕引きし、先送りしたいと思います。

平成20年2月16日(土)「映画友の会」の風景
「母べえ」を評価できないとの意見を胸に、2月の「映画友の会」に出席した。これは、かなり度胸のいることだと思っていた。多分、一部の山田洋次嫌いの人を除いて、この映画は絶賛の嵐に包まれるだろう。私は、ほとんどの会員を敵に回すことを想定していた。
 意外な結果が出た。評価は賛否両論が拮抗し、否の方が若干上回る結果になったのである。その中で、かつて阿佐ヶ谷映画村の実行委員で、「映画友の会」古参会員のB氏から、『「ペルセポリス」「ぜんぶ、フィデルのせい」なども併せて、今年は社会主義を考える年になるのではないか』と、ほとんど私と同種の意見が出たのである。大きく違うのは、彼は「母べえ」指示派だということだ。これは、一筋縄ではいかない。ジックリ考え直すテーマだと思ったのはそのこともある。
 この後、アフガンの悲劇を取り上げた「君のためなら千回でも」やアレクサンドル・ソクーロフの「牡牛座 レーニンの肖像」も公開された。私は未見だが昨年末には、「君の涙ドナウに流れ ハンガリー1956」がハンガリーから発信されている。ベトナム戦争とか、チリのアジェンデ政権崩壊とか、アメリカが敵役になるような事件は、日本でも盛んに報道されたが、それ以外の事件で我々に届いていないものが、あまりにも多かったような気がする。21世紀になって、やっとその偏りが是正されてきたのではないか。
「社会主義の功罪」のテーマは短兵急でなく、ジックリとロングランで考えてみたい。

●市川崑の素晴らしさ
2月13日(水)、市川崑が逝去した。
 今年のテーマの一つは、見逃したクラシックを追うことであることを以前述べた。その一環として、神保町シアターの「中村登と市川崑」で市川崑作品「満員電車」と「処刑の部屋」を見て、改めて市川崑の大きさに感嘆した直後だっただけに、感慨もひとしおであった。

平成20年2月12日(火) 都市社会の狂気「満員電車」
「満員電車」は、優れた社会風刺劇として、公開当時に評価された。この手の映画は、時間が経過し時代が変化すると、色褪せる場合が多い。しかし「満員電車」は違っていた。これは、皮相な社会風刺なんてものを、大きく超えていた。
 映画の集団の狂騒の背景にあるのは昭和32年、朝鮮戦争特需景気が終焉した不況化である。職業安定所に失業者がひしめき合っているデフォルメは、そこをよく現している。皮相な風刺劇ならば、この後に日本は東京オリンピックを起点に、一気に高度経済成長の好景気に突入するのであり、そうなると一般的にはこうした映画のイメージは力を失う。
 ところが、この映画は、高度成長から、行き過ぎたバブル、そしてバブル崩壊による平成万年不況を見てきた我々に対しても、十分な力を持つ。それは、これが技術文明の進展により、人を都市に集中させ、効率化に向かってひた走る人間の集団の狂気の根幹に触れているからだろう。
 市川崑は、これを社会学者的に論理的に分析して到達している訳ではないところが凄い。市川崑を「テクニシャンの思想」と的確に表現したのは、確か「映画評論」誌上の長部日出雄だったと思うが、正にそのとおりなのだ。ワンポイント外した映像描写、そのテクニックが、人を撃ち時代を撃ち、映画的思想を創造していくのである。映画ならではの映像表現に到達しているのだ。

平成20年2月13日(水) 石原慎太郎を大きく超えた!「処刑の部屋」
昭和31年作品「処刑の部屋」を、私が見たいと思ったのは、作品的完成度を期待したからではない。睡眠薬を飲ませてのレイプシーンが問題となり、映倫の改組にまで発展して、「キネマ旬報」誌上で市川崑監督と映画評論家の井沢淳との大論争に至ったいわく付きの映画だったからだ。
 作品的には、石原慎太郎原作ということで、全く期待していなかった。私は、二十歳前後の頃、石原慎太郎を精力的に読んだ。昭和四十年前後の頃だから、慎太郎文学としてはリアルタイムでない。
 この時代の若者の傾向として、二十歳前後には狂ったように文学を読み漁る者が多く、私も例外ではなかった。谷崎潤一郎・夏目漱石・三島由紀夫・トルストイ・ドストエフスキー・ヘミングウェイなどを濫読した。石原慎太郎もその一人であった。
 はっきり言って、リアルタイムでない慎太郎文学に、私は全くインパクトを感じなかった。これって、ビックリ箱のハッタリだけじゃないのと感じた。確かに当時としては強烈な性描写は衝撃だったろう。でも、それまで日本人のつつしみとたしなみで露骨な表現を控えていたのを、「それをやっちゃあおしまいよ」といった感じで赤裸々に描いちゃっただけのことである。結果として、性表現の拡大の鏑矢となった怪我の功名はあるかもしれない。でも、それだけのことだから、後にもっと激しい性表現が出てくれば、内容空疎な慎太郎文学は何も残らないということになろう。そんな小説の映画化に、期待しろという方が無理だ。
 ところが!市川崑の映画は、それを大きく越えた。川口浩の若者の理由なきもっていきどころの無い大人への苛立ちが、例によってワンポイント外した映像表現が醸しだす独特の肌触りで、鮮烈に定着されているのである。「処刑の部屋」の私刑で血だらけとなった川口が、盛り場の裏通りにころがり出た時、何も気がつかない通行人が、画面の奥から歩み寄ってくる視点の転換の大団円まで、市川崑の「テクニシャンの思想」の面目躍如であった。
 余談だが、石原慎太郎と同様に「右」と見られている三島由紀夫文学には、私は大きな感銘を受けた。作家精神を突き詰めてついに割腹に至った三島。「政治」というゴリゴリの現実に踏み込んで大成功を納めた慎太郎。作家的資質がよく伺える帰結であった。

市川崑×井沢淳の論争再読
昭和31年8月下旬号の「キネマ旬報」市川崑×井沢淳の論争を、「現代日本映画論体系」に採録されたもので再読した。
 今読むと井沢淳の発言は、むちゃくちゃおかしい。「監督協会の一員でもあるのだから、一応社会人としての責任があるわけだ。そうすると、今度のきみの作品が動機となって、僕らが一番恐れている映倫破壊という先鞭になったらどうする」と井沢淳は言い、市川崑に「倫理の先生のような気がする」と切り返される。問題の性描写が、現在見ると全く刺激的でも何でもないのだから、ますます滑稽さが際立つ。
 そして市川崑は「自己の探求ということだ。これは人のためにやっているのではないと僕はおもう。(中略)だから人のために作らないわけです」とキッパリ述べている。この作家精神の強靭さ、市川崑の偉大さを、ここにも見る思いだった。

平成20年2月13日(水) 4度目のチャレンジ、やっと観ました「人のセックスを笑うな」
前に、「人のセックスを笑うな」が大人気で、よほど腹をくくらないとチケットをゲットできそうもないと紹介したが、正にそのとおりの事態となった。
 2度目のチャレンジは11日(月)、建国記念の日の祝日だが、公開も4週目に入っていることだし、9日(土)から新宿武蔵野館他に拡大されたことだし、もうそれほどでもないだろうと思って、シネセゾン渋谷に行ったが甘かった。夜には予定が入っていたので、その前に観てから向かおうと、ねらい目の13時の回に合せて1時間前に着いたが売り切れであった。その次の会では、夜の予定に間に合わない。断念せざるを得なかった。
 翌12日(火)、夜は映芸マンスリーの日だ。その前に神保町シアターで16時30分開映の前述した市川崑作品「満員電車」を観る予定を組んだ。さらにその前に「人のセックスを笑うな」を消化しようとやはり13時の回を狙い、平日だから1時間半前でいいかなと、シネセゾン渋谷に着いたがやはり売り切れだった。「満員電車」の上映は限られているので、その次の15時50分の回で観るわけにもいかない。かくして、この日も断念した。
 次の日の13日(水)、4度目のチャレンジだ。この日は神保町シアター12時開映「処刑の部屋」を観る予定だ。その後で「人のセックスを笑うな」消化を目論見る。標的を新宿武蔵野館に変える。神保町へは都営新宿線で行くので、乗換えのため新宿でJRを下車する。狙い目は15時40分の回、4時間以上前の11時20分頃、武蔵野館に着く。さすがに今度は買えた。かくして、その後で神保町で「処刑の部屋」を観て帰路の途中の新宿で、やっと「人のセックスを笑うな」を観ることができた。

一見の価値は十分にあり 「人のセックスを笑うな」
「人のセックスを笑うな」は、なかなか興味深い映画であった。日本にも、アンゲロプロスやキアロスタミやカウリスマキに匹敵するユニークな映画作家が、ついに誕生したと思った。
 ストーリーは何てことはない。松山ケンイチの若者が、20歳も年上の永作博美に夢中になり、彼のガールフレンドの蒼井優は松山ケンイチを想っているので、ヤキモキする。その蒼井優のボーイフレンドの忍成修吾は、彼女に想いを寄せている。それだけの話で2時間17分、いったい持つんかいなと危惧した。
 確かに、最初はしばらくカッタルい。ロングの長回しが、延々と続いていく。ところが、そのリズムにはまってくると、心地よい映画空間となってくるのだ。主要人物4人の、地の魅力とも演技ともつかない淡々としたやりとりが、惹きつけて止まない魅惑となってくる。ちょっと日本映画に前例が見当たらない。ただ、ハマらない人は、全く受け付けないだろうという気もする。
 一部、荻上直子や諏訪敦彦を連想させないでもないが、それともちがう。かつて私は森田芳光の「それから」を、「市川崑が小津安二郎している映画」と形容したが、そういう言い方を許してもらえるならば「溝口健二がゴダールしている映画」と呼べそうだ。観ていない方には、どんな映画か見当もつかないでしょうね。
 いずれにしても、井口奈己監督、大変な才能が日本に誕生したものだ。

「人のセックスを笑うな」が観られなかったことの、思わぬ副次効果
前に「人のセックスを笑うな」が観られなかったので、ペラペラと「ぴあ」をめくって「ペルセポリス」に行ったことを記した。チケットショップとも毎月1日のファンサービスデーとも無縁に、行き当たりばったりが可能となったシニア料金ならではである。11日(月)〜12日(火)もそれを踏襲した。
 11日(月)は時間がうまくあったので「KIDS」を観た。12日(火)はちょっと空き時間が出るけれど「ピューと吹くジャガー THE MOVIE」を観ることにした。半分ヤケで空き時間はラーメンとギョーザでビール一本を平らげて、時間調整した。どちらも、こんなことがなければ、多分見なかった映画だろう。
 小池徹平と玉木宏が主演の「KIDS」の渋谷TOEI@内は、イケメンハンターの若い女の子ばかりで、還暦の親父は完全に浮いていた。アミューズCQNで『14時50分の回「ピューと吹くジャガー THE MOVIE」、シニア1枚』と言ったら、一瞬窓口の女性が怪訝な表情をしたような気がした。そりゃそうかもね。ちなみに16日(土)「映画友の会」で、この映画を観ていたのは私一人だった。
 まあ、「人のセックスを笑うな」がなかなか観られなかったおかげで、一味変わった体験をいろいろさせていただいた。しかし、休日1日、平日2日の連続3日使って、やっと1本の映画をゲットしたなんて、月10日勤務の会社嘱託ならではの贅沢である。
映画三昧日記2008年ー4

●映画評論家と自転車の関係

友成純一さんの面白い記事
湯布院映画祭実行委員会が発行している「THE MAYIM PRESS」2008年1月号に、作家・映画評論家の友成純一さんが「びっくり王国大作戦 アジア編」の中で面白いことを書いている。
 友成さんは現在、バリ島でスキューバダイビングのインストラクター&ガイドで生活をしている。公共交通機関が整備されておらず、仕事上バイクが必需品だそうだ。ところが、友成さんは自転車に乗れない。そこでバイク購入の前段として、自転車の練習に悪戦苦闘しているとのことである。そんな苦闘談の後、『ちなみに、映画評論家には、自転車に乗れない人が多いようである。かの淀川長治さんが自伝で、自分は自転車に乗れないとか何とか、書いていた。湯布院では誰もが知っている野村正昭君も、自転車に乗れない一人である。後、誰だったか忘れたが、評論家数人で集まっていて、ふと自転車の話になり、「私も乗れないんです」と言っていたのが、二人、三人、いたと記憶している。なぜ、映画評論家には、自転車に乗れない人間が少なくないのか……これは一考に値するテーマかもしれない。』と記している。
 淀川さんが自転車に乗れないことは、私も昔「映画友の会」でご本人の口からお聞きしている。かくいう私も自転車奥手だった昨年の「映画三昧日記」のマイストーリー舞台出演顛末記で、私が運動神経ゼロな事を告白したが、当然、自転車に乗れるようになったのは、かなり後だった。信じてもらえないかもしれないが、ちゃんと乗れたのは中学生の時である。
 一般には、小学生になる前に自転車に乗れてしまう者が、ほとんどだ。私は、小学校に入ってから、やっとヨタヨタと乗れるようになった。でも、怖いからそこから先は、自転車から遠ざかっていた。だけど、いつまでもこのままじゃ駄目だよな。小学校高学年になった時、意を決して早朝の交通の少ない時に、自転車で町に繰り出した。
 そこで、とんでもない事態に遭遇する。多分、今で言えば認知症のお年寄りなのだろう。早朝にも関わらず「婆さんがいなくなった」と、ヨタヨタと探しに出て歩いてる老人に出会ったのだ。今考えれば、十分な広さの道だったと思うが、こっちの自転車もヨタヨタである。見事に衝突してしまった。相手はご老体である。ウーンと唸って、しばし起きない。通りがかりの正義感ぶった青年に、「こんな広いところで、お前は馬鹿か!」と罵倒された。頭が真っ白になって、何とか介抱し、家まで送っていった。「あなた、どこに行ったんですか」探していた「婆さん」は、確かにちゃんと在宅していた。このトラウマで再び、自転車から遠ざかった。
 中学時代に親しかった友人がいた。彼に自転車で出かけようと誘われた。当然、私は尻込みした。「ぜんぜん乗れないってわけじゃないんだろ」と、半ば強引に引きずり出された。手際の悪い私の乗りっぷりだが、その友人は辛抱強く同行につきあってくれた。気が付いたら、北千住から上野まで来ていた。この小旅行(?)で俄然自信がついた。後は、スイスイと乗りこなせるようになった。
 自転車に乗れない人間は怖がりでもある。度胸のある者は、サドルに乗ってしまうと足なんか地に届かないくらいの小さい頃から、チャレンジする。いや、ペダルにすら足が届かなくても、「となりのトトロ」で見るような三角乗り(懐かしい!)にチャレンジする。私なんかは、まずは地に足がつく「身長」になってから練習を始めようてな具合で「慎重」である。(駄洒落ではありません)スタートの意気込みからして、ちがうのである。
 だから私は、ペダルに片足を乗せて地を蹴って勢いをつけ、サッとサドルにまたがる乗り方は今でもできない。最初からサドルにまたがってペダルを踏み込んで発進することしかできないのだ。
 でも、こうして自転車に乗れるようになっちゃったから、映画評論家になれなかったのかもしれない。とすると、中学の親切な友人は、余計なお世話をしたことになる。ま、そんなわきゃないか。

映画評論家と水泳の関係
淀川さんが「映画友の会」で自転車に乗れないと話された時は、「私は体を動かすことは全部だめなんですね」と、私と似たようなことを言った。「スキーなんて行きましたけどね。景色はキレイキレイなんですけど、もう、オットット、ツルリ、なんて大変なんです」と身振り手振りで大爆笑を誘った。ただ、最後に「でも、海の近くで育ったから、泳ぎだけは達者ですよ。見事に抜き手を切りますよ」ともおっしゃった。
 そういえば友成さんもスキューバダイビングの達人なんだから、泳ぎはきっと達者なんだろう。かくいう私は、体を動かすことはすべて駄目だから、泳ぎも「とっくり」(ちよっと浮いてすぐブクブク、「かなづち」よりマシな程度)である。水泳が達者でなければ映画評論家になれないとしたら、完全に私は失格だ。
 野村正昭さんは、水泳が達者なんだろうか。今度、「映芸マンスリー」でお会いしたら聞いてみよう。「これは一考に値するテーマかもしれない」

平成20年1月22日(火) 「人のセックスを笑うな」大盛況 その1
「ピンク映画カタログ」で記したように、この日は上野オークラ劇場で2本のピンク映画を鑑賞した。実は当初予定は、その前にシネセゾン渋谷で「人のセックスを笑うな」10時10分の初回を見てから、上野に回ろうと思っていたのだ。30分前には渋谷についた。ところが、セゾンに上がるエレベーター前の掲示に仰天した。この日は21時過ぎのレイトショー以外のチケットが、完売なのである。
 これは、どうしたことだろう。火曜日だから、平日であるし、レディース・デーとかの特別なこともなさそうだ。松山ケンイチ人気って、そんなに凄いんだろうか。蒼井優がいくら旬だっていったって、他の映画にも結構出てるし、この映画にだけ爆発力を持つわけもないよな。永作博美も、今ブレーク中なのは確かだけど、それにしてもこの異常人気は何だろう。3人の相乗効果ということだろうか。
 帰って娘にその話題を出したら、「他人に変な興味を持つ奴が多いってことなんじゃないの」と笑っていた。確かに題名にもインパクトあるけど、何でもない平日に30分以上前に行ったら、前日までにレイト以外が完売だったなんてねェ〜。いずれにしても、この映画をゲットするには、それなりの心構えが必要みたいだ。こんな気分になったのは、30年程前の岩波ホールでのヴィスコンティ映画以来である。(「家族の肖像」なんて3回空振りして、4度目のチャレンジでやっと入場できた)
 シネセゾン渋谷の単館のみ上映というのも、混雑に拍車をかけているのではないだろうか。ここは、拡大が期待できるところだ。立川シネマシティに来れば最高なのであるが…。

●平成20年1月26日(土) 「人のセックスを笑うな」大盛況 その2
この日を「人のセックスを笑うな」再チャレンジの時に設定する。土曜日というのが気になるが、まあ、前回の平日レイト以外完売は、ファンクラブあたりの団体大量買占めだったとでも考えよう。
 この日は、山田洋次の話題作「母べえ」の初日である。渋谷シネパレスで9時の回がある。終映は11時半前、「人のセックスを笑うな」2回目は13時である。1時間半前ならば何とかなるだろう。早起きをして、まず渋谷シネパレスに向かう。
 これが甘かった。「母べえ」鑑賞後に直行したが、3回目の15時50分以降でなければチケットは無い。そこまで待つのも何なので、「ぴあ」を繰って方向転換先を探す。シニア料金の手軽さは、こういうことができるのが素敵だ。
 シネマライズの「ペルセポリス」が時間がうまく合った。最終日は2月1日(金)、終映間近なので、もう今回は鑑賞をパスするつもりだったが、この機会に観ることにした。これは、本当にこの日に観て良かったと思った。偶然の映画との出会いの素晴らしさとは、こういうことだろう。この件は、項を改めて後述します。

●平成20年1月29日(月) 立川シネマシティの1日
この日、立川シネマシティで「28週後…」「陰日向に咲く」「マリア・カラス 最後の恋」と、3本のハシゴをする。映画料金1000円×3=3000円、交通費が西国分寺〜立川の往復で150円×2=300円、昼食は松屋の牛丼350円、締めて3650円也。これだけで10時15分から17時40分までギッシリ・タップリ楽しめるのだから、シニア料金とは本当に素晴らしい。もっとも、映画好きという前提が必要で、誰でもタップリ楽しめるというわけではない。ちなみに感想は「マリア・カラス 最後の恋」が、私にとってベストテン級のAクラス。後の2本はまあまあ。

再び 平成20年1月26日(土) 社会主義の功罪(序)
「母べえ」は、私にはいただけなかった。山田洋次の最もよくない頑なな生硬さが、前面に出てしまった映画であった。ワキの浅野忠信・笑福亭鶴瓶・鈴木瑞穂などの描写に柔軟な良さが見えるが、メインの吉永小百合・坂東三津五郎がいただけない。こんな風に戦前の社会主義者を、聖なる殉教者としてしか描くだけでいいのだろうか。吉永小百合主演だと、必然的にこう高潔になってしまうのも仕方がないような気もするのだが…。
 この日に「人のセックスを笑うな」にあぶれ、たまたま見たイランのアニメ「ペルセポリス」の柔軟な歴史の捉え方と対照的であった。市井の差別の中でたくましく生きる少女を描きつつ、社会主義革命・イスラム革命の意味が、きっちりと捉えられていた。
 最近公開された「ぜんぶ、フィデルのせい」も含めて、世界映画は社会主義というものを自由に柔軟に捉えつつある。20世紀を席巻し、世紀末に崩壊していったソビエト連邦を核にした社会主義の功罪とは何なのか?日本も、いつまでも「母べえ」みたいな調子では違うのではないか?と思える。このテーマは日を改めて、ジックリ考えてみたい。
映画三昧日記2008ー3

平成20年1月14日(月) シネセゾン渋谷

●今年のクラシック巡り その後
今年の柱は、クラシック映画の落ち穂拾いとすることを、前に宣言した。そのつもりで、いろいろチラシ漁りをしている。そこで、見逃し作品の「戦ふ兵隊」を発見した。シネセゾン渋谷の「進化する、映画×リアリティ。」の中での上映である。1月14日(月)、渋谷に足を伸ばす。
 せっかく渋谷まで出るのだから、それ1本で帰っては交通費がもったいない。ル・シネマ「やわらかい手」、渋谷シネパレス「ジェシー・ジェームズの暗殺」と、続けて3本ハシゴをする。シニア料金でいつでも千円というのは、本当に素晴らしい。チケットショップ巡りをして、あらかじめ観たい作品の特別鑑賞券をゲットしておく必要もなく、行き当たりバッタリで行けるのである。
 2月はアテネ・フランセ文化センターの「特集 溝口健二と成瀬巳喜男」の「お遊さま」と、神保町シアターの「文芸映画特集 中村登と市川崑」で、崑作品の「処刑の部屋」「満員電車」鑑賞を予定している。3月にはシネマアートン下北沢の「特集上映 原作・大藪晴彦」があり、岡本喜八の「顔役暁に死す」観賞の予定だ。当然、交通費の有効活用のために、ついでに近場の映画館で新作も鑑賞するつもりである。こんな調子で、今年も楽しく過ごせそうだ。

●気になるクラシックの数々 その1 「お遊さま」
「お遊さま」は、溝口健二の代表作とは言えないだろうが、私には気になっていた映画である。原作が谷崎潤一郎の「蘆刈」で、これを興味深く読んだからだ。
 主人公が蘆の生い茂る場で、一人の美しい女の逸話を聞かされ、これから会いに行くという。聞き惚れた後、ふと、それではその女は生きているはずもない大変な高齢ではないかということに気づく。聞き返そうとしたら、語り手はいつしか姿を消し、茫々とした蘆の茂みのみがあったという印象的な幕切れだ。素晴らしいSFである。これを幽玄溝口がどのように映像化しているのか。興味は果てしなくつきない。
 文豪の大谷崎作品を「SF」なんてのたまわったら、偏見の多い純文学ファンから石つぶてが飛んできそうだ。しかし、私のSF観はもっと広義である。誤解を恐れずに言えば、すべての優れた文学はSFだと断言したい。夏目漱石の「吾輩は猫である」も芥川龍之助の「蜘蛛の糸」も三島由紀夫の「豊饒の海」もSFである。猫が人格を有し、極楽と地獄が実在し、人は輪廻転生する。要するにSFとは「感覚の解放」ということだ。感覚の解放がない文学(芸術)なんて、何の意味があるのか。私が「すべての優れた文学はSF」というのは、そういうことである。もっとも、読売文学賞を取った安部公房の「第四間氷期」を、断じてSFとは呼ばせないとツッぱる純文ファンには、分かってもらえるはずもない。
 とにかく幽玄溝口の世界が楽しみだ。

●気になるクラシックの数々 その2
 「処刑の部屋」「満員電車」「顔役暁に死す」
「処刑の部屋」は市川崑作品としては、あまり出来はよくないと聞いている。ただ、公開当時、過激な性遊戯の描写が不道徳だと大変な話題になり、市川崑と井沢淳の大論争で著名な作品である。今の眼から見れば、児戯に等しい性描写のような気もするが、これも押さえておきたい。
 「満員電車」は無茶苦茶に面白いらしい。崑作品の代表作の1本にあげる人も少なくはない。不幸にも私は未見だった。湯布院映画祭で、若かりし頃の崑作品「天晴れ一番手柄 青春銭形平次」「愛人」を初めて見たが、全く古びないセンスに感心した。「満員電車」、大いに楽しみである。
 岡本喜八の「顔役暁に死す」も、公開当時は好評だったわけではない。アメリカのギャング映画みたいな破天荒さが、公序良俗派の顰蹙を買ったりしていた。そこに私は食指を動かしたのだが、残念ながら見逃した。同様に公序良俗派から顰蹙を買いまくった井上梅次の「暗黒街最後の日」を、私は殺しのスペクタクルとして、タップリ堪能したから、それと同種の魅惑を期待したのだ。
 ただし、岡本喜八作品には、ちょっと危惧がある。私は、最近「暗黒街の対決」をビデオで見たが、当時の評判ほどには感じなかったからだ。リアルタイムで私は「暗黒街の弾痕」は見ていたが、「対決」は見逃した。「弾痕」の日本映画離れしたモダンなセンスを、私は驚き楽しんだ。だから、その上を行くとの世評の「対決」に大きく期待したのだが、今見るとまあまあ面白い程度のセンスだった。石井輝男の「花と嵐とギャング」を見たのも最近だが、これも当時の世評ほどには面白いと感じなかった。ギャング映画というのは、案外早く古びるものなのかもしれない。
 いずれにしても、クラシックを通じて、改めて映画を逆照射する試みも、嵌って癖になりそうである。

●ということで「戦ふ兵隊」です
「戦ふ兵隊」は昭和14年の戦時中のドキュメンタリーである。「これでは戦ふ兵隊ではない。疲れた兵隊だ」と、亀井文夫監督は反戦思想の持ち主として軍部の怒りを買い、映画が公開禁止になるとともに、唯一、映画人として治安維持法で検挙された人でもある。フィルムは当然ジャンクされたと思われていたが、戦後発見され、こうして今我々も見ることができるわけだ。
 この映画の象徴として語られるのは、病気の軍馬が中国大陸の荒野にうち捨てられ、崩れるように倒れる悲哀に満ちたイメージである。しかし、私の印象では、それは大したインパクトではなかった。後日、これは馬に薬を投与しての「やらせ」だったとかのウラが暴露されたりもしたが、私がインパクトを感じなかったのは、そんなことが理由ではない。戦後、「戦ふ兵隊」と亀井文夫が、このシーンに象徴されるように、センセーショナルな反戦映画・反戦の闘志と神格化されたのが、ちよっと違うのではないかと思ったからである。
 映画が描くのは、「戦場」とは「戦闘」でないということである。「戦闘」は、「戦場」のほんの一部で、その時間のほとんどは、作戦命令に従いながら移動しつつ、衣・食・住を済ませていくことである。炊事の情景、日常用具の手入れ、野営の準備などの「生活」が、淡々と描かれ続けていく。
 それは、その土地の人間の「生活」に影響を与える。軍が近くにいれば、戦闘に巻き込まれる恐れは大きい。だから、住民は移動して「生活」の場を別に移す。そこで難民も発生する。この中国人の難民描写も丹念に映し出す。軍が去れば、住民はまた回帰して、元の生活を再開させたりする場合もある。戦争とは、関係者すべてがほとんどの時間を、「戦闘」ではなく「生活」の確保に費やされているということだ。それが、従軍映画人としての亀井文夫監督の実感だったのだろう。
 そのような生活は疲れる。軍部が「これでは疲れた兵隊だ」と言ったのは、全く正しい。亀井文夫が観たものを忠実に表現すれば、こうなるのは自明の理だ。上映後のトークショーで映画評論家の北小路隆志さんが、亀井文夫が最後まで自分は反戦思想の持ち主ではないと言い続けたエピソードを紹介していたが、あながち特高からの追求逃れではないと思う。ドキュメンタリー作家の精神に忠実に表現したら、こうなったとの帰結であろう。
 だから、この映画はよくないというのではない。むしろ「戦場」のほとんどは、実は「生活」であったとの表現は、今見ても目から鱗が落ちる発見であった。最近の例で言えばサム・メンデスの「ジャーヘッド」が、それに近い優れた視点を有していた程度である。
 一億総動員の世相の中で映画を武器に体制と戦った亀井文夫、病に倒れる軍馬に象徴されるセンセーショナルな反戦映画と、私は世評から勝手に映画のイメージを作り上げていた。実際に見てみなければ分からないものだ。クラシック映画の再検証の旅は面白い。今後どんな発見に出会えるだろうか。

平成20年1月5日(土) 再び立川シネマシティの映画初め

●立川の街に想う
映画初め1本目の「雪の女王」鑑賞の後は、「AVP2 エイリアンズVSプレデター」だが、1時間近くの空き時間がある。さて、どこで食事をするかな、気分はまだ正月、ビールの1本くらいは飲みたいな。昼だけど土曜日だし、でも飲んでて違和感のない店がいいな、駅ビルのルミネのレストラン街が無難かな、なんてとりとめのないことを考えているうちに、ある感慨に浸ることになった。
 立川シネマシティは、1年ほど親しんだ時期がある。公益事業を55歳で定年になり、関連会社に再就職した時は、勤務先が現在の嘱託でも勤めている八王子であった。第二の人生の定年まで後5年、もう大企業でないんだから、転勤することもなく、職住接近でノンビリ過ごす、これが第二の人生というものか、などとシミジミ感じ入っていた。
 これからの映画鑑賞は立川シネマシティがメインだと思った。レイトショーは1200円だった。私は大いに利用した。残業などないから、八王子から帰路の途中に立川で下車して、ゆっくりアルコール付きの食事をして映画を楽しむ。終映は11時を超えることもあるが、7分程度電車に乗れば国分寺の自宅に着くのだから苦にならない。第二の人生は定年まで、こんな感じでユッタリ過ぎていくものと思っていた。
 ところが1年ちょっとのうちに、東京支社に転勤になった。その後は波乱万丈で、技術本部から本社勤務、最後の本社勤務では親会社との関係からの大幅な組織改編なんて事態につきあわされた。第二の人生の5年程度の間で、こんなに慌しく振り回されるとは思わなかった。
 昨年の「湯布院映画祭日記」で、「私は仕事を面白いと思ったことは一度もない。仕方がないから面白がろうと思っただけだ」との意味のことを書いた。どうも遠因はそこにありそうだ。「張り切ってるね」「楽しそうじゃない」とか言われたりもした。お節介な奴が「あいつは多摩の地元で静かに引き篭もってるタマじゃない。可愛そうだ」と気を使った節も感じられる。余計なお世話だ。まあ、これも「身から出た錆」ということか。(これだけでは舌足らずに感じられた方は、昨年の「湯布院映画祭日記」の延々たる半生記に目を通してください)
 そして、立川に帰ってきた。やっと帰ってきた。「ある感慨」とはそういうことなのだ。

その頃、よく利用した定食屋が頭に浮かんだ。夜は居酒屋になるよくあるタイプの店である。当時の私は、夜にも関わらず定食メニューを利用した。どの定食にも生卵がついているのが特色だ。だから、一品料理を一つくらい加えて、おかずは全部つまみにしてしまう。ご飯は生卵で食べられる。そうだ、久々にその店に行ってみよう。ただ、昼からビールを飲める雰囲気じゃないかな、なんて危惧しながら、その定食屋に入った。
 ところが、中は昼から完全な居酒屋モードなのである。土曜日ということもあるが、浅草の店の雰囲気に近い。席についた途端に「お飲みものは?」なんて聞かれる。そういえば立川競輪の地元だ。浅草の場外馬券売場の近くに雰囲気が似ているのも当然である。立川シネマシティの空き時間のよいつぶし場所を発見した。今後も大いに利用するとしよう。

「エイリアン」のあれこれ

映画初め、「AVP2」に至るまで
今年の映画鑑賞のポイントは前にも記した。まず、昨年のアカデミー賞協会会員の無料招待特権を貪った新作メジャー志向から脱却し、クラシックを力点に置くこと。次に、定期券の無い男になったことから、地元の立川を拠点にしつつ、交通費を有効活用することである。かくして、皮切りは立川シネマシティでの「雪の女王」、交通費有効活用から、もう1本新作をハシゴ、ということになった。
 実は「AVP2」は、年内にアカデミー賞協会会員の無料招待特権で見るつもりでいた。有楽座の初日は12月29(土)だった。初日は会員無料招待の御遠慮日であるから行けない。翌日曜日も御遠慮日だ。ということは、大晦日の31日(月)に観るしかない。それも慌しいなあ、でも、最後の特権活用の締めでもあるし、やっぱり捨てがたいなあ、なんて悩んでいた。
 結論は案外簡単に出た。自宅の西国分寺から有楽町まで、往復1080円かかる。シニア料金の1000円を超えるではないか。あまりメリットのないことに気が付いた。そうか、年明けにのんびりシニア料金で見るか、って何だかケチ臭い話になってゴメンナサイ。まあ、映画ファンはいかに安く効率的に映画を観たいかとの、これも愛情の現れとして御容赦ください。

「AVP2」 題名の洒落っ気
といって、「AVP2」にそんな大きな期待をしていたわけではない。ただ、題名に洒落っ気を感じたので観る気になったのだ。正式タイトルは「AVP2 エイリアンズVSプレデター」で、「エイリアンVSプレデター2」ではないのである。エイリアンファンならば、ここはニヤリとするところだ。
 リドリー・スコット監督の代表作の1本であり、いまや歴史上の名作として位置づけられている「エイリアン」第1作は、つまるところ「ゴジラ」第1作であった。エイリアン本体をなかなか見せないで、周辺描写の積み重ねで、出るぞ〜出るぞ〜出るぞ〜と期待感を煽るのである。
 この手の出るぞ〜が魅力の映画は、あまり「2」は効かない。どう頑張ったって、初見の「1」を超えられるはずはないのである。ところが、「エイリアン」シリーズは、「VSプレデター」も加えると、6本を数える長期シリーズになったのだ。これは「エイリアン2」のジェイムズ・キャメロンの功績が大きい。
 「エイリアン2」は原題ではない。原題は「エイリアンズ」だ。エイリアンは一作目で全貌を見せてしまったのだから、今度は気を持たせたって仕方が無い。そこで2作目では早々に全体像をバーンと映し出すと共に、一匹だけでは飽き足らないのでウジャウジャと多数登場させ、人類の軍隊との乱射乱撃の戦闘で埋め尽くしたのである。キャメロン流の「これでもか、これでもか、これでもか」の押しの強い演出と相まって、リドリー・スコットの初作と全く別種の魅力を構成した。人によっては2作目の方が上だと言わしめるまでになったのである。
 初公開時のコピーが、また気が効いていた。「エイリアン」は「宇宙ではあなたの悲鳴は誰にも聞こえない」、「エイリアン2」は「今度は戦争だ!」である。
 ここまで言えば「AVP2 エイリアンズVSプレデター」のタイトルが、いかにファンをニヤリとさせるものかということがわかるだろう。

「エイリアン3」回顧
「エイリアン3」は、滅茶苦茶に悪評だった。私の周囲で評価したのは私一人くらいではないだろうか。無理もないとも言える。数十年宇宙を漂流したヒロイン(ヒーロー?)のシガニー・ウィーバー扮するリプリーが、囚人惑星に回収され、男ばかりの環境で悪戦苦闘、ついにはエイリアンに寄生され、自らを滅ぼすことによりエイリアンを抹殺するという、これ以上陰鬱な映画はないくらいド暗い一編だった。ストーリーもネタ尽きのでっち上げで、これはもうエイリアンもリプリーも抹殺して、エンドマークを打つしかないだろうというしろものだった。
 しかし、私はこの映画のダークで奥行きの深い画面造形に感嘆した。このシリーズは、宇宙の漆黒に包まれ閉塞感に満ちた暗い船内とか、たまに惑星に着陸しても常に曇天みたいな舞台ばかりなのだが、「エイリアン3」の囚人惑星はそれが顕著だ。こういうのは大型スクリーンに最も馴染みにくい舞台なのである。
 「エイリアン」は「3」まで、すべて70mmの大スクリーンで公開されている。だが、70mmにそぐわない題材は、このような暗い背景のものとか、海底ものである。画面の奥行きが出しにくく、効果が生きないのだ。ところが「エイリアン3」はちがった。70ミリを効果的に使った奥行きのある画面造形なのだ。それは名作といわれた1〜2を凌いでいた。
 監督はディヴィッド・フィンチャー、後に「セブン」「ファイト・クラブ」「ゾディアック」などで大ブレークするが、この時点では海のものとも山のものともつかない新人だった。ディヴィッド・フィンチャーとは、ダークなシーンで画面造形にスケールの大きい奥行感を出せる本当に稀有な映画作家だ。(ただ、最近好評の「ゾディアック」はその持ち味にやや乏しく、私は買わない。しかし、音響の多重性の奥行きが凄い!と評した人がいたから、新たな魅惑を醸成しつつあるのかもしれない)
 後の好評を耳にするたびに、「エイリアン3」の時点でフィンチャーに着目していた先見の明の私としては、「何をいまさら、酷評した奴らめ、ざまあ見ろ」と自己満足に浸ったのであった。

●閑話休題 70mmについて
「70mmの大スクリーン」と聞いて、なんで7cmが大スクリーンなの?と思った人がいるかもしれない。そういえば70mmってもはや死語である。厳密に言えば、70mmプリントを用いた大型スクリーン上映方式とでもいうのだろうか。
 一般に劇場用フィルムの映画プリントは35mmである。ただ1950年代末期から90年頃までは、70mm映画は大作映画のシンボルだった。(ちなみに最後の70mm映画は93年公開の「クリフハンガー」。その後は「ファンタジア2000」などのアイマックスシアターで70ミリプリントが使用されている程度である)プリントが2倍だから、解像度も2倍であり、大型スクリーンに鮮明な画像を結ぶ。さすがに、スクリーン上では2倍にならないが、それでも旧有楽座の大スクリーンではスタンダードサイズのキッカリ2倍になった。幕が広がり画面がスルスルと2倍になる開放感・爽快感を大いに楽しんだものだ。
 テアトル東京・旧有楽座などの大鑑巨砲主義の大劇場がなくなった今、この解放感はもはや存在しない。オールドファンとしては、最近の劇場は音響はよくなったが、画面に対して無頓着のように感じる。今や気にもならなくなったが、恵比寿ガーデンシネマで、スタンダードサイズの縦が縮小して!「ワイド」スクリーンになったのを初めて見た時は仰天したものである。

●そして「エイリアン4」
刀折れ矢尽きた果てに、青息吐息で完結させたかに見えた「エイリアン3」だったが、性懲りもなく「4」が現れた。リプリーもエイリアンも滅亡したのにどうするの?ってとこだが、リプリーが残した細胞から、彼女はクローンでエイリアンとのハーフとして甦った。これってもう何でもありのハチャメチャだ。ところが、これが結構面白い。監督として異才ジャン・ピエール・ジュネを起用したのが成功だった。
 人類との混血エイリアンに見るジュネのグロテスク美学、新たに加わったヒロインのウィノナ・ライダーの、エーッ〜と仰天させられる正体。そして、青い地球と燦々たる太陽の光で完結する。
 陰鬱な宇宙で続いてきた4作の、ラストのこの明るさは鮮烈だった。しかも、宇宙でのエイリアンと人間とのこれまでの乱射乱撃の舞台が、ついに我が地球の地上に移されるのである。これはどうなるか。やってくれ、やってくれ、ここまできたら「5」でも「6」でもやってくれ、そんな気にさせた「4」の幕切れだった。

●「エイリアンVSプレデター」はどちらの続編でもあらず
そして「エイリアン」登場の5作目、「プレデター」登場の3作目の「エイリアンVSプレデター」となる。しかし、これは「エイリアン5」でも「プレデター3」でもなかった。
 太古の昔から南極にプレデターのピラミッド形の戦闘訓練基地があり、エイリアンはその訓練用に育成された凶暴な生物であるとの設定である。何だかガックリした。延々リプリーと共に、無限の宇宙空間を何光年も放浪し、ついに地球に来てしまった!との「エイリアン4」のラストの味わいはどうなるのか。太古の昔から来ていて、プレデターの戦闘訓練用に飼育された動物なんて、エイリアンのイメージを一気に矮小化してしまったのは否めない。

●そして、「エイリアン5」への夢までつぶした「AVP2」
それでもまあ「AVP」は、別物のパラレルワールドとして許容しよう。地球上とはいっても、舞台は人間社会から隔絶された南極のプレデターの秘密基地だ。「エイリアン5」は「5」として別に製作され、リプリーを交えた地球上での人類対エイリアンの乱射乱撃を、新たに楽しませてくれるだろうとの期待は留保されている。リドリー・スコット、ジェイムズ・キャメロン、ディヴィッド・フィンチャー、ジャン・ピエール・ジュネに続いて、どんな鬼才・異才が引き継いでくれるだろうか。夢はやはり膨らむ。
 と思っていたら「AVP2」は、無残にもそんなささやかな期待の芽も摘んでしまった。人類社会でのエイリアンと人類の乱射乱撃を、リプリー抜きで見せてしまったのである。それでも出来が良ければ許せる。ところが、これは何の工夫もなく人類が殺され殺され殺されまくるだけの、全く芸の無い展開の映画なのだ。ラストの米軍の事件処理の仕方など、気を利かせたつもりだろうが、平々凡々過ぎて、オチにもなっていない。続編への期待も繋いだつもりなのだろうが、物欲しく見えるだけである。

でも、こんな風にぼやいていながら、また「エイリアン」にお目にかかれると思うと、多分いそいそと映画館に出かけていっちゃうんだろうな。最初の出会い1979年からの「エイリアン」体験は30年近くなる。映画を観続けるのは楽しいことである。
映画三昧日記2008ー2

●平成20年1月5日(土) 立川シネマシティの映画初め

「雪の女王」公開の背景への感慨
旧ソ連の1957年作品「雪の女王」は、世評どおりの秀作であった。だが、改めて調べてみたら、日本初公開は意外にも遅く1993年だった。若き日の宮崎駿が、このアニメに接し、東映動画退職を思いとどまったとの伝説があるが、正式公開ではなく労働組合ルートの上映会らしい。
 この種の公開形態は、左翼運動華やかなりし頃のソ連とのパイプの強さからよくある話のようだ。1925年の歴史的名画「戦艦ポチョムキン」にしても、戦後の日本民主化直後、すぐ公開されたような印象があるのだが、これも正式公開は1966年のATGだ。左翼・労働組合ルートで広く観られていたから、もっと早く公開された印象が強いということだろう。左翼勢力がある程度の力を有していた時代の趨勢を感じる。
 ちなみに、66年のキネマ旬報ベストテンでは、「戦艦ポチョムキン」は入選しなかった。この年は、歴史的名作「市民ケーン」が、やっと初公開された年でもある。NHKあたりでかなり前にTV放映されていたそうだが、このATGの手によるものが劇場初公開だ。
 この映画史上のベストワンに何度も輝いている1941年作品の「市民ケーン」が、1966年のキネ旬ベストテンの第2位って、それはないよね。ちなみにベストワンが1955年作品「大地のうた」。この年を代表する外国映画としてベストワンにふさわしいのは、アニェス・ヴァルダの「幸福」(これは至近の1年前、1965年製作)だと思うのだが、これが第3位だった。ずいぶん変なベストテンの年であった。
 今でこそ東京は渋谷を中心にミニシアターの花盛りで、世界各国の新作が、次々と見られる状況だが、少々前までは、公開されるべき映画が興行的ネックでなかなか公開されず、採算度外視のATGのみに頼るという状況だったのだ。今はそうとうカルトな映画も、そこそこ採算が取れる。観客の水準もそれなりに上がったということだろう。映画ファンとしては、恵まれた時代になったものだ。(日本全国でなく、東京限定というのが切ないが、これは映画だけではなく、小泉改革のなれの果ての地域格差の一つの表れでもある)

シンプル・イズ・ベスト「雪の女王」
前置きが長くなった。さて、「雪の女王」である。言えることは一つ、「シンプル・イズ・ベスト!」クラシック映画の良さはこれにつきる。変にひねり過ぎる最近の映画作家は、このことを少し肝に命じた方がよい。今回は作品誕生50周年記念《新訳版》とのキャッチフレーズで、信頼おける「三鷹の森ジブリ美術館」配給ということもあり、字幕翻訳も映像の綺麗さも初公開時よりも格段によくなっていると、「映画友の会」でアニメ研究家おかだえみこさんから、強いお薦めがあったが、本当に観てよかったと思った。
 少年カイの傲慢な心が、「雪の女王」を呼び寄せ囚われてしまう。救うのは少女ゲルダのひたむきで無償の愛だ。それが多くの人々の支援を生み、頑なな山賊の少女に友情の大切さを目覚めさせ、「雪の女王」の心を溶かす。「雪の女王」の消失が春の花畑に変貌していくビジュアルが放つ圧倒的感動!人を感動させるのに複雑な理屈はいらない。
 ゲルダ・カイ・雪の女王・山賊の少女、そのキャラクターが抜群に素晴らしい。その他の人物、そして背景になる町並み・自然、これ以外考えられないほどに練りに練った洗練を感じる。

映画は美術品
故淀川長治さんは「映画友の会」などで、ヴィスコンティ映画を絶賛する時に、「映画は美術品なんです」とよくおっしゃっていたが、「雪の女王」のような秀れたアニメを観ると、本当にそのことを実感する。アニメこそ美術そのものだ。
 好きな絵画に理屈はいらない。いや、その良さは理屈ではない。ジッと見つめてその世界に浸りこんで感動するのみだ。「雪の女王」のこれ以外考えられぬ洗練された絵を見るに付け、そのことを痛感する。
 もう一つ言えることは、何とこのアニメは品が良いのだろうということだ。最近、やたら下品なアニメを見せられているので、いっそう「雪の女王」が際立って見えた。

アニメの品格
下品なアニメが氾濫するのは、ドリームワークス「シュレック」がピクサー「モンスターズ・インク」を退けて2002年にアカデミー賞の第一回長編アニメ賞を取った影響が大きい。そして翌年、最近では稀な品の良いアニメを製作しているピクサー作品の中で、唯一下品な「ファインディング・ニモ」がアニメ賞を取ったのがそれに輪をかけたようだ。(そのリベンジで気が済んだのか、その後のピクサー作品は下品に落ちていないのが救いであるが…)
 もっとも、下品なアニメの源流は日本のコミックにありそうなので、あまりアメリカのアニメのことを言えるものではない。一時期から、大人が眉をひそめるような下品なコミックが、日本に登場した。「こまわりくん」とか「アラレちゃん」とかである。まあ、それはそれである種の革新ではあった。その映画での成功例が「クレヨンしんちゃん」である。「シュレック」の売り物の下品さは、案外ジャパニメーションの影響ではないかと思っている。
 私自身は「クレしん」は嫌いだが、それはそれで一つの個性として認めざるをえない。ただ、下品の競い合いがアニメの主流みたいになってくると、やっぱり違うんじゃない?と言いたくなるのである。

結局、アニメはキャラである
私も「クレしん」の、下品をエンタメ化したユニークさを認めないわけではない。ただ、生理的にキャラが嫌いなのだ。あのガキが「やれヴぁ〜」なんてのたまわってると、殴りたくなるのだ。
 つまるところ、アニメはキャラである。キャラが好きか嫌いかだけである。だから、アニメは美術品なのだ。美的観賞眼の個性の問題である。良い悪いではない。私は「雪の女王」の気品のあるキャラに美しさを感じるというだけのことである。
 世界的に好評な大友克洋作品は、私は駄目である。あの陰鬱なキャラの趣味が受け付けないのだ。「スチーム・ボーイ」なんて、蒸気機関がすべてを動かす世界が、ビジュアル的に最高なんだけど、ヒロインのスカーレットのキャラには、まったく心が動かないのだ。
 「新世紀エヴァンゲリオン」は、某映画雑誌誌上の対談で、無理解者のおっさん連中から酷評の嵐を浴びているが、私は解る解らない以前に、キャラでこの世界に引き込まれた。綾波レイと惣流アスカ・ラングレーという対照的な美少女二人に惹きつけるものがあった。サブキャラのエリート女性自衛官・葛木ミサトの、キリリとしていながら、私生活の一部ではだらしがないというキャラにも惹きつけられた。何の意味も持たないにもかかわらず、同居のペットのペンペンの楽しさも目を引いた。使徒の多彩なデザインも、目を楽しませる。すべては頭による理解以前に、その世界に入れるか入れないかの問題である。入れない人には、まずどうもなるまい。

いつも、固く映画を味わっているわけではないよということで、私なりに今回はアニメに薀蓄を傾けてみました。次回は「エイリアン」に薀蓄を傾けます。
映画三昧日記2008ー1

松の内は過ぎましたが、まずは、あけましておめでとうございます。
今年も「映画三昧日記」をよろしくお願いいたします。


●今年の重点は、クラシックとミニシアター
昨年は、日本アカデミー賞協会30年の節目に、本来は映画関係者に限定されている日本アカデミー賞協会会員が一般に開放され、「ぴあ」の推薦により会員となる栄誉に賜った。メジャー主要映画館は無料招待という特権がある。タダとなると意地汚いもので、1月6日の新宿スカラ3「犬神家の一族」をスタートに、12月26日の恵比寿ガーデンシネマ「再会の街で」まで、観るも観たり、その数204本に達した。7月以降に、フルタイムの会社員から月10日勤務の嘱託になったのだが、増えた余暇はほとんどそれで食いつぶした感じである。
 その結果、ミニシアター系の作品鑑賞がおろそかになったのは否めない。ピンク映画についても足が遠くなり、年末ギリギリに「ピンク映画大賞」参加資格の、対象作品25本以上鑑賞を、青息吐息でやっとゲットしたのは「ピンク映画カタログ」で記したとおりである。
 今年は、メジャー作品鑑賞は、厳選しようと思う。その分、ミニシアター作品をこまめにチェックしたい。また、見逃しているクラシックも、増えた余暇を活用して拾っていこうと思う。

●クラシック映画への思い
これまでは、新作映画の話題に追い回されて、ついついクラシックの落穂拾いがおろそかになっていた。定年退職したら、本格的に観ようと思っていたが、昨年はアカデミー会員無料招待を意地汚く貪った。今年から本格的なスタートである。
 私にして、気になるクラシック作品で、未見のものがまだまだある。日本映画ならば、亀井文夫の「戦ふ兵隊」、今井正の「ひめゆりの塔」(昭和28年作品)を観ていないし、外国映画でも「東京物語」の原型と言われる「明日は来たらず」とか、ローレンス・オリビエの「ヘンリー五世」とか、気になる未見のクラシックは枚挙に暇がない。

●さらに、私にとりクラシックとは、もっと広義である
クラシックといっても、お堅い旧作ばかりではない。私の言うクラシックは、もっと広義である。
 例えば、本数が膨大なせいもあるが、石井輝男作品なんて押さえきれてないものが多い。「恐怖奇形人間」「猟奇女犯罪史」「直撃!地獄拳 大逆転」なんて、大いに気になってるし、「徳川いれずみ師 責め地獄」も、公開当時に亀戸の二番館3本立の夜の部に間に合わず、途中から後半を見ただけでそれきりになっている。
 比較的に押さえているつもりの深作欣二作品にしても「白昼の無頼漢」「ギャング同盟」「脅迫」と、気になったままにしているのが、少なくない。そういえば増村保造の「黒の報告書」「盲獣」あたりも見ていない。
 とにかくプログラムピクチャー全盛時代は、年に100本以上観ていても、落ちこぼれがゾロゾロあるのだ。至近の映画でも、見逃しは案外ある。今をときめく周防正行の修行時代のピンク「変態家族 兄貴の嫁さん」、山下敦弘・西川美和の処女作「リアリズムの宿」「蛇イチゴ」も未見だ。新作潰しに追われてばかりいると、映画史的に観て押さえておくべき作品は、時がしばらく立ってからでないと見えてこないのだ。
 こうした私にとっての広義のクラシックを、今年はできるだけスクリーンで観られる機会を捉えて、追ってみようと思っている。無料のTV録画放映は別にして、DVDなどによるブラウン管観賞は、できるだけ無しで行きたいと思っている。

●通勤定期券の無い男の今年の映画鑑賞パターン
昨年7月に、会社員から会社嘱託になったことで、最も大きく変わったのは、「通勤定期券の無い男」になったことだ。(月10日勤務の嘱託は、通勤交通費は実費精算である)もう一つ、「名刺の無い男」(現在の仕事は内向きのデータ処理で渉外的なものはいっさいなく、名刺も不要なので会社も発行しない)になったことだ。別にどうということはないが、サラリーマン生活を40年以上も続けていると、何となく一時は寂しさを感じるのは、第二の性(さが)ということだろう。
 ただし、通勤定期券が無いのは、なんとなく寂しいでは済まない。7月以降のSuicaの残高が、あっという間に減ること減ること、いくらチャージしても追いつかない感じだ。とにかく国分寺から都心に出ると、往復千円前後が消えるのだ。(もっとも通勤定期券支給があっても、現在の勤務地は地元の八王子だから、都心の映画鑑賞には貢献しないのだが…)
 アカデミー無料招待があった昨年は、それでも一度都心に出たら2〜4本をハシゴできるからまずまずなのだが、今年からはそうはいかない。そこでメジャー新作は、地元の立川シネマシティを活用することとした。都心に出る時は、クラシック上映会・ミニシアター・ピンクを中心に、まとめて消化する。今年の鑑賞パターンはこれで決まった!

●平成20年1月5日(土) 映画初めは立川で!
ということで、今年の映画初めは立川シネマシティに決めて、早速「ぴあ」をチェックする。ありました。ありました。今年の私にピッタリなのがありました。「三鷹の森ジブリ美術館」がアニメの名画配給を開始したが、その一本としてクラシック「雪の女王」が上映中である。立川は「CINEMA・TWO」が増えてから、結構この手のミニシアター的番組にも手を染めている。
 てなことで、今年の映画初めは「雪の女王」だが、交通費の安い近場とはいえ、折角シネマシティまで出かけるのだからと、もう一本くらいと物色し「AVP2 エイリアンズVS.プレデター」とハシゴをすることになった。

新年の「映画三昧日記」は、この2本の鑑賞記でサラリと流すつもりでいたが、「雪の女王」は世評どおりのなかなかの秀作で、アニメ全般についても思うところ多く、また結構嫌いじゃない「エイリアン」についても長薀蓄を傾けたくなったので、続きは次回としたいと思います。

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