周磨 要の 映画三昧日記 2009

●周磨 要プロフィル

映画ファン歴は約50年弱になる映画好き。今年は、還暦で定年後の、月10日勤務の会社嘱託期間の2年間が過ぎ、6月で満了となります。映画三昧24時間の日々の開幕であります。
 映画好きが嵩じて始めた活弁修行は、2002年の「剣聖 荒木又右衛門」の初舞台から7年のキャリアとなりました。今年は、これまでの時代劇からガラリと変わり、抱腹絶倒洋画大活劇「ドタバタ撮影所」にチャレンジいたします。また、2003年を皮切りに、ピンク映画大賞への投票は5度を重ねました。キャッチフレーズは「無声映画からピンク映画まで古今東西邦洋を問わず、すべての映画を愛する男」でございます。今年もよろしくお願いいたします。
「周磨 要のピンク映画カタログ」
周磨 要の映画三昧日記 2005
周磨 要の映画三昧日記 2006
周磨 要の映画三昧日記 2007
周磨 要の映画三昧日記 2008
周磨要の掲示板 
「周磨 要の湯布院日記」
「周磨 要のピンク日記」
「おたべちゃんのシネマシネマ」
映画三昧日記2009年−22

●新東宝映画「奴隷船」にエキストラ参加
新東宝の一般映画「奴隷船」エキストラ出演について、福原彰プロデューサーから(映画評関連で縁あった知人の前雑誌編集長経由で)打診があった。11月16日(月)午後から夜いっぱい、撮影場所は隅田川から湾岸に移動して浮かぶ屋形船内、鬼の面をかぶるので顔は出ないとのことであった。面白そうである。早速、手を上げる。

●映画「奴隷船」とはこんな映画
題名から推察できるように、原作は団鬼六だ。監督は金田敬。女をMに調教し、屋形船内の会場で、裸に剥いて緊縛し競りにかける「鬼面の会」の話である。それって諸にピンクなんじゃないのと思うかも知れないが、一般映画なのである。ロードショーは来年3月の銀座シネパトス。そもそも屋形船を借り切るなんて、ピンクの枠ではできないだろう。観光バスでも一日借り切れば数十万円と聞く。屋形船なんていくらになることやら。大きな触れ込みの一つは、「愛染恭子引退記念映画」である。大ベテランの愛染さん、さすがにもう引退といったところだ。もっとも、あくまでも女優としての引退で、監督などの映画人としての活動は継続するそうである。ロードショー後はピンク専門館にも流れるであろうが、これは今年の年頭にロードショーされた「Mの呪縛」などと同様の、年に1〜2本程度製作する新東宝エロス大作の一般映画といったところだ。

エキストラの数名は「鬼面の会」のメンバーに扮する。そこで、女を競りにかけるような年輩で金のあるスケベ爺の役が、必要になったということだ。別に面をかぶっているんだから爺でなくて誰でもいいようなものだが、やはり年輩者の佇まいとか体の動きとかは、微妙に異なってくるとの監督のこだわりだろう。エキストラの中には外人さんも混じり国際色も豊かだ。これも面をかぶってしまうのだから、後姿の髪の色程度でしか差は出ないが、「鬼面の会」の国際的拡がりを表すための、これも監督のこだわりのようである。ピンク映画を中心とした新東宝の関係者は、年齢層が若い。そこで福原彰プロデューサーとしては、年配者確保に腐心したらしく、「他にも知り合いでいたら、参加してもらえますか」との呼びかけがあった。まあ、年輩の知人は大勢いるけどねえ。やっぱりみんなお堅いサラリーマンだから、私みたいな個性人(変人?)以外は、団鬼六の「奴隷船」って題名聞いただけで引くよねえ。でも、実際に撮影に参加したら、ホントに面かぶりっぱなしで顔出ないんだから、それ知ったら声かけられて乗ってくる好色漢の友人も、あるいはいたかもしれない。

●馴染みの顔ゾロゾロ
何人かのメンバーが、東京モノレール「天王洲アイル」駅に集合し、福原彰プロデューサーの案内で、撮影場所の屋形船に向かう。映画ライターでピンク映画大賞投票者でもある顔馴染みの中村勝則さんも、エキストラ参加することが、この時わかる。福原プロデューサーにしても、私はピンク映画関係の雑誌連載の時に少々取材させていただいたし、ピンク大賞打ち上げなどでも酒席を共にしているから、知らない仲ではない。だんだん気分はリラックスしてくる。

撮影現場に乗船したら俳優の「なかみつせいじ」さんがいる。この人ともピンク大賞打ち上げやシネキャビン納涼会でお馴染みだ。そして助監督は佐藤吏さん。監督としてもかなりの本数をこなしている中堅である。佐藤監督とも雑誌連載の関係で監督作品の初号試写を観せていただいて、打ち上げの酒席で歓談したこともある縁だ。そういう人が「助」監督を務めているあたり、ここにも大作感が出ている。「なかみつせいじ」さんはキャスティングされたわけではなく、1日だけのカメオ出演ということだそうだ。「まあ、面かぶっていて顔は出ないから気楽ですよ」とリラックスしていた。(実際はそれで済まなかったのだが、それは先の話である)

●撮影するのはこんなシーン(その1)
ここで撮影シーンのシチュエーションを簡単に紹介しよう。シーンは真咲南朋さんを中心にした前半と、愛染恭子さんを中心にした後半に分かれる。まずここでは、前半戦を紹介しておこう。

暗幕を締め切った屋形船の中、灯かりは車座になった「鬼面の会」メンバーの前の料理盆に点された蝋燭のみ、そんな妖しいムードの中央に真咲さんが引き出され、裸に剥かれ縄をかけられ競り落とされるというシーンである。縛師は奈加あきらさんだ。

●優しくなければ縛師でない

車座の「鬼面の会」の中央に、奈加あきらさんが真咲南朋さんを引き摺り出してくる。抵抗空しく裸に剥かれ、身を縮めて男の視線を避けようとするが、髪をつかまれ胸を反りかえらされて、隠微な視線を浴びる乳房にヒシヒシと縄がからみついていく。テスト・本番と、何度もそうした光景が繰り返されるが、その都度、裸に縄掛けされたのを、縄をほどいて服を着て、再び裸に剥かれて縄を打たれる繰り返しだ。こりゃ、演る方は楽じゃないようなあと感嘆する。

しかし、本当に大変だと思ったのは、この後だった。ついに真咲南朋さんは中央の台の上に全裸開脚縛りで仰向けに固定され、競りにかけられ、落札した男から、鞭打たれ、蝋燭責めにかけられる。この長時間の撮影の間、待ち時間も含めて、当然縄をほどくわけにはいかない。撮影は約4時間ほどだが、3時間程度は全裸開脚緊縛状態なのである。これが、緊縛映画の大変なところということだ。

ここで、印象に残ったのは縛師の奈加あきらさんの、きめ細かい優しさだった。緊縛状態で待機する真咲南朋さんに、「痛いところは?」「痺れてきたところは無いか?」と声をかけ、楽に待つ姿勢をアドバイスしたり、痺れてきたら指をこんな風に動かしなさいとか、文字通り痒いところに手の届くような指示を与えていた。演技の時の荒々しい激しさとは真逆に、「優しくなければ縛師でない」と痛感させられた光景だった。

女性スタッフのスピーディーな気配りも印象に残った。テストや撮影が一段落して待ち時間になっても真咲南朋さんはすべてのスケジュールが終わるまでは、全裸開脚縛りからは解放されない。当然、自分でガウンを羽織るようなこともできないわけで、待ちになるとすかさず女性スタッフがガウンを被せていた。これが同性であることも、多分女優さんもホっとするところだろう。撮影しているものはSMだが、それだからこそということか、撮影現場は一層の優しさと気配りに満ちていたような気がした。

●想像以上の「鬼面」効果

エキストラの「鬼面の会」の役割は、競りの声をかけることと、責め場では、「オオッ!」とか叫んで乳房や股間にズリよって、いやらしく眼の保養に耽ることである。

あの、ここで断っておきますが、といって真咲南朋さんの大事な秘所が拝観できるわけではございません。AVとちがってピンクも含めて映画の場合は、前貼りを着けております。まあ、我々としては、前貼りを凝視していたわけですね。ということで、前貼りなるものをしげしげと眺めるわけに至ったわけですが、ギリギリ布地を節約した肌色のハイレグのバタフライの紐の無いやつと思ってもらえば結構です。20年以上前ですが、リチャード・アッテンボローの「コーラスライン」で、かなりのダンサーがこれ以上小さくできないくらいのハイレグのバタフライで踊っていましたね。まあ、あんな程度です。

とはいえ、鬼の面をつけてそのような芝居をしていると、何だか妖しい気分が催してくるのも事実だ。面越しに見るというのは、完全に覗き見の気分なのである。顔が見えないということは、意外と大胆に動けるということもある。顔を晒していたら、前貼りがあるとはいえ、股間に顔を近づけて「オオ!」「ウヒヒ」なんて、やっぱり照れてなかなかできないですよね。プロレスラーが覆面を着けることによって人格が変わるというのもうなずけるような気がしたと、ふと全然関係ないことも頭をかすめたのであった。

待ち時間に「なかみつせいじ」さんと、そんな話をした。「なかみつ」さんにしても、この面の効果というのは、想像以上に感じたと言っていた。「仮面舞踏会で、大胆・奔放になるのも、解る気がしますね」とのことだった。「相手にとっては、視線が見えないということで、それもかなり不気味に感じるでしょうね」とも言っていた。確かに演技ではあるだろうが、鬼の面に囲まれた女優さんの方も、演技を越えたおぞましさを感じているようにも見受けられた。

●私の声は出ます!
冒頭に、私の顔は面をかぶっているので出ないと言いましたが、声の方は出ます。11月29日(日)スタジオ・シネキャビンでアフレコに参加して参りました。(この日の詳細は後述します)青い鬼(というよりも般若に近いですが)の面の男で、真咲南朋さんに「40万!」(1か月囲い値40万円ということ)と値をつけます。最終的には「なかみつせいじ」さんが51万円で落札し、「アーァ」とガッカリするわけです。休憩中にスタッフが、「真咲さん、私の値段がたった51万なの!と怒っていいよ」と、リラックスするギャグを飛ばしておりました。

落札した「なかみつせいじ」さんが、真咲南朋さんを鞭打ち・蝋燭責めにかけ、落札できなかった我々は、羨ましげにそれを眺めるということになる。ここで、監督から「そこからは、なかみつさん、面を取りましょう」となる。確かに、折角カメオ出演したのだから、顔を見せないということは勿体ない。ここから、なかみつさんの、さすがプロならの迫力ある責め場となる。

鞭打ちや蝋燭責めであるが、これがどういう仕掛けか、それ程は痛くも熱くもないらしいのだ。特に鞭は激しく音をたてて当てた方が、痛くないらしい。「なかみつさん、感じつかんだ方がいいですよ」と縛師の奈加あきらさんが、激しく音を立ててなかみつさんの背に鞭をとばす。「なるほど、そんな痛くない」と、なかみつさんも感心していた。蝋燭は大量に垂らすとさすがに熱いようで、タラリタラリと断続的だが、股間にだけは一気に大量連続に垂らし続ける。これは実際は前貼りの上に垂れているわけで、肌を焼くことはない。画面上は過激に、撮影現場の雰囲気は優しく、それがSM映画だということを、ここでも実感した。

Mの快楽に目覚めた真咲南朋さんが、ウットリと涎を流して恍惚となるアップで終わる。スタッフが水などを用意したが、真咲さんは「大丈夫です」と言い、口中に唾をためて見事に恍惚の表情と共にタラーッと涎を流して魅せたところに、彼女の女優魂が見えた。

●撮影は後半戦へ
ここまでで、真咲南朋さんは「お疲れさま」となり、撮影は愛染恭子さんを中心にした後半戦に入る。それに先立ち、風景などの撮影のために、屋形船は隅田川畔から出港する。我々は川縁で一時待機する。日が落ちてビルの明かりが華やかに目に映える頃、屋形舟がもどる。関係者を乗せて再び出港だ。

●撮影するのはこんなシーン(その2)
愛染恭子さんは、肌襦袢1枚で緊縛され、屋形舟舳先の甲板に吊るされる。屋形船の室内から「鬼面の会」の面々が、その光景を堪能するというわけである。愛染さんのバックを、ゴールデンゲート・ブリッジの夜景がきらびやかに飾るという趣向だ。

愛染さんは肌襦袢を身につけてはいるが、片足を吊りあげられた縛りなので、裾ははだけて股間は丸見えである。ただし、股間には何重にも股縄が食い込んでいるのでヘアーは見えない。尿意の限界に追い込まれているとの設定だ。股縄の股間への刺激はさらに尿意を高め、片足を吊りあげられているので、股をピッタリ閉じて尿意を耐えることも許されない。屋外の寒風はさらに尿意を高め、喘ぎ悶え苦しむ。

「お、お願い…です。厠へ、厠へ…」、愛染さんは、切なく喘いで責め手の吉岡睦雄さんに哀願する。しかし吉岡さんは、底意地悪く「我慢することないだろ、皆様にとくと見ていただくんだろ」と、当然ながら厠に行くことを許すわけもない。そして、股間の力がゆるんでさらに尿意を耐える苦痛を増すように、襦袢の前をはだけ乳房を晒しものにして、激しく愛撫のように責めたてる。さらに一方の手を股縄にかけ上下に激しくしごいて刺激する。そして、鞭の柄を下腹にあてグリグリと圧迫を加える。何で耐えきれようか。ついに愛染さんは衆人環視の中での放尿という羞恥地獄に墜ちていく。ドッと股間に殺到する「鬼面の会」の面々、「見ないで、見ないでぇ」と、イヤイヤをするように首を振り羞恥に耐える愛染さん、といったシーンである。前半の真咲南朋さんでは鞭打ち・蝋燭責め、後半の愛染恭子さんは強制放尿の羞恥責めと、まあ、男の加虐的興奮をそそる団鬼六ワールド満開といったところだ。

長時間撮影のここでもきめ細かい気配り
愛染恭子さんは、約3時間、片足を上げもう片方はつま先立ちに近い吊り縛りで、前半戦の真咲南朋さんに比べて、さらに過酷な状況である。しかも、夜風が冷たくなってきた屋外という条件がそれに輪をかける。

許可済みなのかゲリラ撮影かは知らないが、いずれにしても他の船舶の通航の邪魔になってはいけないから、ゴールデンゲート・ブリッジの近くに長時間係留しているわけにもいかない。何たって舳先に半裸の美熟女が吊るされているんだから、外からはそれなりに見えないような配慮はされているはずだが、「何やってんですか」と湾岸署の青島刑事が来たりしたら問題だ、というのは冗談としても、撮影を終えたら他の船舶の航路の邪魔にならないように屋形船を移動し、準備ができたらまたゴールデンゲート・ブリッジの近くに船をつける。折角準備がいいと思ったら、他の船舶を通すために中断して屋形船をまた移動することになったり、ほとんどスタンバイOKの段階で撮影開始寸前に、近くを通った船舶の波で大きく屋形船が揺れ中断になったりと、とにかく前半戦よりは手順よく進まず、当然待ち時間は長くなる。

だから、撮影中断の待ち時間の気配りは、さらにきめ細かくなる。テストや本番が終わると、さっと愛染さんの吊りあげられた足の下に台があてがわれる。女性スタッフを中心に、速やかにキルティングで愛染恭子さんをくるむ。スタッフもその状態で寒風にさらされ立って待つのだから、そっちはそっちでまた大変である。

●熱気溢れる金田敬監督の演出と愛染恭子さんの熱演
このシーンはアフレコである。そこで、愛染恭子さんの放尿シーンのアップの演技を煽るように、金田敬監督の指示が大声で飛ぶ。「ハイ!そこで耐える!ああっ!チョロ、チョロ!恥じらって!もう駄目だわ!あきらめて!チョロチョロチョロ、グッタリして」といった具合だ。それに呼応して愛染さんも、尿意を耐えに耐えた果てに、ついに衆人環視の中で羞恥地獄を晒してしまい、恥辱に耐えながらも最後は諦めて生理的欲求の解放にウットリと身をゆだねるという表情を、見事に演じ切ってみせ、「見ないで、見ないでぇ」と恥じらう最後まで走り抜けた。

●男優にも役得なんてないようだ
責め役の吉岡睦雄さんは、尿意の限界に達している愛染恭子さんの、胸をいたぶり股縄を絞りあげ、下腹部を鞭の柄でグリグリと圧迫する非情極まりない役どころである。監督から「吉岡くん!遠慮しているのが見え見えだよ」と、厳しい指示が飛ぶ。そりゃそうだろう。吉岡さんにとっては愛染さんは大先輩である。そんなに遠慮会釈なく動けるわけがない。ただ、監督の叱咤も受けて、吉岡さんの動きも荒々しくなってくる。「そうそう、その調子、ただし胸の手は乳首だけは見えるように動かして!」とさらに指示が飛ぶ。確かに、見せるものだから、ただ激しく揉みしだけばいいというわけじゃない。先輩に対する心を押し殺し、しかも指先には見せるという神経を集中し、こりゃ頭真っ白で、とても役得なんていってる余裕はないよなあと、感じ入った。人を娯しませるということは、大変なことなのである。

●スタッフのきめ細かい動きの数々
愛染恭子さんの股間には、恥毛が見えないくらいに何重にも股縄がかけられている。ただ、その下には、当然前貼りも付けている。演技の激しい動きの中で股縄が次第にズレてきて、前貼りがはみ出してくる。これはまずい。縛師の奈加あきらさんが中心になって、股縄の縛りを調整したり、はみ出た前貼りの布地を鋏で切り落としたり、長い時間をかける。本当に人を娯しませるということは、大変なことだ。

最後は愛染恭子さんの放尿の股間のアップである。もちろん、愛染さんが本当に放尿するわけじゃない。股縄の後ろから仕掛けが施され、放水が展開される。これがなかなかにリアルである。杉本彩の「花と蛇」で噴水のような派手な放尿シーンがあり(デフォルメの意図もあったのだろうが)、ありゃないよと思ったものだが、それに比してかなりリアルな放尿シーンであった。これは見物ですよ。

以上のようなSMシーンが、ゴールデンゲート・ブリッジの夜景を背景に展開されたわけだ。ただし、我々「鬼面の会」の面々は、料理膳を前に座った姿勢で、愛染恭子さんを見上げる形になるので、実際は画面上にどんな効果で映されているのか、全くわからない。これが、想像以上のいい効果だったと解るのは、後日のアフレコの時のことである。

●11月29日(日)シネキャビンのアフレコ風景
11月29日(日)、今度はアフレコのため、「鬼面の会」のエキストラの面々が、スタジオ・シネキャビンに参集する。まずは、真咲南朋さんが競りをする鬼面集団の中央に引き出された時の恐怖の絶叫から、ヒシヒシと縄をかけられていく喘ぎの録音である。我々エキストラ連は「いい女じゃねえか」「たまんねえな」とかの背後でザワザワと囁き声を出す。いわゆる「ガヤ」というヤツである。「それでは、ガラが悪くてチンピラです。皆さん金持ちの旦那衆なんですからそのつもりで…」と、監督から指示が出る。我々は面をつけている想定なので、口を手のひらで覆ってくぐもった声を出す。「皆さんの声、聞こえません。もう少し手のひらを口から離して…」こんな感じでテスト・本番と繰り返されていく。

競りは20万円から始まって、50万円でこれまでかと沈黙が支配するが、最後に「51万!」と声を出した男が競り落とす。「40万!」と値をつける青い鬼の面(繰り返すが鬼というより般若に近いです)の男が私です。真咲南朋さんの体越しに、一瞬アップに近いカットもあります。上着の中が青いカラーの柄シャツ、赤い女物の襦袢を羽織っております。

続いて、競り落とした男の、真咲さんへの鞭・蝋燭での責め場である。責め手の怒声の背後で「ガヤ」を出すのが、我々エキストラの役回りだ。私は「ウーム、いい女だった。やっぱり、わしはもう少し奮発すべきだった」などとボヤく。録音テープが再生される。新東宝の福原彰プロデューサーに「熱演ですね」と冷やかされる。でも、監督から「後ろの声が入り過ぎです。もっと低くおさえて。責め手の人の声、全然入ってません。声を大きく」ということで、再チャレンジとなる。確かに「ガヤ」としては私の声は通り過ぎていた。これも活弁を中心とした話芸修行の成果か。しかし、この場では喜んでいいのやら悪いのやらである。

責め手の声の人をマイクの近くに寄せるなど、立ち位置の調整を施してもう一度本番、今度はOKだった。私は口に添えている手も、少し覆い気味にして、今回は参加した。冒頭で、面の効果を出すために手で口を覆い過ぎて、声がよく入らなかったエピソードを紹介したが、その後の修正で、私は他の人に比べて覆いの外し方が大きかったのかもしれない。活弁修行の成果なんてものではなかったかもしれないと、その時に思い至った。

真咲南朋さんのアフレコは、ここで「お疲れさま」になり、愛染恭子さんがスタジオ・インする。後から友田真希さんもインしてくる。友田さんのアフレコも本日だそうだ。私にとっては想定外だったので、何となくお得な気分になる。

エキストラ連も場数を踏んで慣れてきたせいか、愛染恭子さんのパートはトントンと順調に終わる。ここで初めて見られたゴールデンゲート・ブリッジの夜景をバックにした愛染さんの半裸開脚吊り縛りが、壮観な見せ場であることを確認する。録音スタジオのモニター風小スクリーンでなく、銀座シネパトスのスクリーンで観たらかなりの迫力だろう。

●期待高まる映画「奴隷船」
こうして我々エキストラ連のアフレコも「お疲れさん」と終わる。福原彰プロデューサーのご厚意で、愛染恭子さんと友田真希さんのアフレコのサワリだけ見学させていただく。ご両人の緊縛ヌードがカットバックされる幻想的なシーンに、お二人の喘ぎの饗宴がかぶさる。友田さんの開脚逆さ吊り縛りは、これまで見た中では過激さで一番だった。

「愛染恭子引退記念映画」という大々的触れ込みもあろうが、愛染恭子さん・真咲南朋さん・友田真希さん、近来稀にみるヴァラエティに富んだ女優緊縛ヌードの華やかな競演で、大作感のボリュームがタップリだ。愛染さんのゴールデンゲート・ブリッジの夜景をバックにした緊縛セミヌードは、かつて杉本彩の「花と蛇」の体当たり熱演が東スポ一面を飾ったように、こちらの方も十分そこまでイッてもおかしくない程のものがある。そんな煽りが効けば、予想を越えたヒットも期待できそうだ。とりあえず、私は関係者として、年末の初号試写は見させていただけることになった。暮れも押し詰まっているので、この報告は年明けになるでしょう。

過激なSM映画の現場は、それと真逆の優しさと気配りに溢れていること、そして緊縛ヌードも面越しに見ると覗き感覚でかなり妖しい気分にさせられること、そんな二つのことを感じた二日間であった。特に後者の経験は、いまでも妖しく私の体内に燻り続けている。いずれにしても、2010年陽春3月、銀座シネパトスでロードショーの「奴隷船」、その手の世界に全く興味の無い人は別にして、来年の期待の1本となることは、間違いない。

●栗本薫の死、「グイン・サーガ」未完の完結
今年の私にとって最も衝撃だったのは、映画とは直接関係ないが、作家・栗本薫の逝去だった。というよりも、大長編大河ヒロイック・ファンタジー「グイン・サーガ」が、130巻を最後に未完のまま完結になってしまったことである。

栗本薫(評論家としては中島梓)は1953年生まれ、今年2009年没、享年56歳、あまりにも早逝であった。「グイン・サーガ」は1979年ハヤカワ文庫JAにて、第1巻「豹頭の仮面」が刊行(それに先だっての「SFマガジン」4回連載の集約文庫化である)、スタート時点では全100巻400字4万枚を、25年かけて完結するという壮大な構想であった。

●「グイン・サーガ」とはこんな大河小説です
「グイン・サーガ」は、剣と魔法の世界を描くヒロイック・ファンタジーである。ここは地球の遠い太古か、あるいは遥かなる未来か、はたまた宇宙の果ての星の異世界か。とにかく剣と魔法の世界に、記憶を失った豹頭人身の偉丈夫が、忽然と姿を現す。自分の名がグインということと、何だか分からないがアウラという言葉が記憶にある。彼を中心に多彩な人間が多様な国々の中で、あたかも「三国志」をおもわせる栄枯盛衰の人間ドラマ・歴史劇を展開する。第100巻の最終巻タイトルは「豹頭王の花嫁」であると、作者の栗本薫自身が宣言した。

そして、一介の謎の男に過ぎないにも関わらず「サイロンの豹頭将軍」になるのが、1989年発刊の第30巻、「豹頭王の誕生」に至るのが2000年発刊の70巻、完結予定のスタートから25年後の2004年末時点では、98巻「蜃気楼の旅人」が刊行されている。ほぼ構想どおりの進捗というところだ。しかし、そこから先がちがってきた。100巻完結は無い!と栗本薫が宣言する。200巻になるのか、もっと先になるのか、作者も見当がつかなくなったというのだ。第100巻の発刊が2005年4月、タイトルは「豹頭王の試練」、とてもとても完結の最終巻「豹頭王の花嫁」とは程遠い感じである。何といっても、小説の方が30年・130巻を数えても、小説の中における時間はたったの8年しか流れていないのだ。

そして2008年10月刊行123巻のタイトルが「風雲への序章」、今年6月刊行の127巻タイトルが「遠いうねり」。完結近しどころか、この先どこまで壮大な世界が展開されるのか、見当もつかない。さすがに作者自ら、123巻の「あとがき」で、『「百二十三巻」までやってきて「序章」がある、ってのがすごい、ですよねー(笑)(笑)』と書いていた。

決して多くないとは言え、私の周囲に30年にわたり「グイン・サーガ」を愛読し続けた「グイン者」はいないわけではない。私より年配の愛読者は「俺は完結まで生きてないな」と呟いていた。かくいう私も栗本薫より6歳年長なのだから、私だって完結に立ち会えるかどうか、怪しいものだと思っていた。しかし、栗本薫が50代半ばで、亡くなってしまうとは思わなかった。ここ1年程は「あとがき」で癌の手術後の容体が芳しくないことを漏らしてはいたが、早い、あまりにも早過ぎた。結局、完結は栗本薫が墓の中に持って行ってしまったわけである。

私の周囲に「グイン者」はいないわけではないと記したが、途中でリタイアした「半グイン者」となると、さらに多い。主に男性ファンは、1984年の18巻「サイロンの悪霊」から1985年の20巻「サリアの娘」にかけて、妖艶に展開された美男同志の愛情模様に辟易して、リタイアしたのが結構いる。(実際は男の片方は女の男装であることが判明し、栗本薫の男装の麗人・宝塚世界への憧れを反映した筋立てではあったのだが)

また2004年刊行の第94巻「永遠(とわ)への飛翔」では、完全なハードSF的展開になるのだが、逆にここで引いてしまった女性ファンが少なくないことも小耳にはさんだ。

●親子2代の「グイン者」
「グイン・サーガ」刊行早々から、私と今は亡き家内は、夫婦そろっての「グイン者」であった。中学生になって娘がその輪に加わり、親子2代の「グイン者」一家となった。

この頃の面白いエピソードを紹介したい。今の子の例にもれず中学生の頃の我が娘はコミック好きで読み耽っており、少しは勉強しなさいと、母親にガミガミ言われていた。高校受験を控えて、娘はある日、受験が終わるまでコミックを封印すると宣言し、コミックをすべて段ボールに詰め込んで、押入れの奥深くに収納してしまう。それは結構なことだが、結局私の書棚から「グイン・サーガ」を引っ張り出して読み耽っているのである。「それじゃ同じでしょ!」と母親から怒られていたのも、微笑ましい思い出である。

娘が「グイン・サーガ」に完全に嵌ったのは、前述の男性「グイン者」がドン引きした宝塚調の18巻「サイロンの悪霊」から20巻「サリアの娘」あたりである。そう言えば母娘とも宝塚が好きだった。というか、娘の方は母親の影響であろう。私が大行列してチケットをゲットし、親子3人で「ヴェルサイユのばら」を観劇したのも、今は懐かしき思い出である。ちなみに、私は顔に似合わず、宝塚とかディズニー・リゾートとか、ショートケーキ風のスィートな世界が、嫌いじゃないのである。

●ネバー・エンディング・ストーリー
130巻にわたる「グイン・サーガ」(ちなみにこれは正編の巻数で、さらに外伝が21巻ある)であるから、本当に多様多彩な人間がひしめいている。当然ながら、贔屓のキャラというのも出てくる。

私の贔屓キャラにアストリアス子爵というのがいる。ただし、1982年の第10巻「死の婚礼」で消えてしまうキャラである。皇女アムネリスに忠誠と愛を捧げ、アルド・ナリス伯爵との政略結婚に怒り、伯爵の暗殺を企てて地下牢にブチ込まれてしまうという愛すべき一本気な単純暴走男である。

贔屓キャラについて、よく娘と話題にするが、「アストリアスはどうなったろうね」と水を向けると、「あんなアホ、もう獄死してるよ」と娘は素っ気ない。ところが、ところがである。それから23年の時を経た2005年刊行の第105巻「風の騎士」で、突如タイトル・ロールとして復活するのである。私は狂喜したが、この一つをとってみても、「グイン・サーガ」が如何に壮大なフィクション世界かが想像できると思う。

今でも多彩多様な「グイン・サーガ」世界の住人について、娘と、あの男はこれから何をしでかすのだろう、あの女はこれからどう生きていくのだろうと、談論風発をする。しかし最後に、130巻目を残して、作者の栗本薫は天国に旅立ってしまったことに、思いは至るのである。すべては彼女が墓の中に持って行ってしまったのだ。後は残った我々の想像力で補完するしかない。でも、これが「グイン・サーガ」にふさわしい完結なのかもしれない。「終わりのない物語」「ネバー・エンディング・ストーリー」全てはご冥福を祈るのみだ。合掌!

●「見知らぬ明日」
「グイン・サーガ」は、12月にシリーズ絶筆の130巻が刊行され、未完の完結をして終わる。最終巻のタイトルが「見知らぬ明日」、栗本薫は何という意味深なタイトルを付して逝ってしまったのだろう。そして、これは小松左京の初期の傑作SF小説と、同タイトルでもあるのだ。

小松左京の「見知らぬ明日」の骨子は、H・G・ウェルズの古典SF「宇宙戦争」に端を発したシンプルなエイリアン侵略物である。ただし、ウェルズ版のように、エイリアンがいきなり兇暴な攻撃を仕掛けてくるわけではない。当時は米ソ冷戦時代で、中ソ対立の時代でもあった。エイリアンは中ソ国境付近に基地建設を開始する。人間の側にはエイリアンという概念など浮かぶわけはないから、各国が疑心暗鬼になり、世界秩序は微妙に混乱し、やがて崩壊して各地で紛争が多発する。エイリアンは、そのような際どい地域に、次々と基地を建設していくのである。日本においては、何と!富士山の頂上に基地建設を開始する。このような状況に置かれた人類は、この先どうなるのか。少なくとも新しい国際政治の力学が動きだしたことを暗示し、小説は結論の無いまま終わる。

幕切れが素晴しい言葉で締めくくられる。こんな意味のことだ。「人は昨日の続きに今日があり、今日の続きとして同じような明日が来ると思っている。しかし明日というものは、今日の続きではない。見知らぬ明日なのだ」

私にとって、「グイン・サーガ」が、今年こんな形で完結することは「見知らぬ明日」だった。確かに人は今日の続きとして、勝手に明日を思い浮かべている。来年も私は、春に「ピンク映画大賞」、夏に「湯布院映画祭」、秋には「蛙の会」発表会、そして年末にはこんな形でまた、「映画三昧日記」を締めくくっているだろうと、勝手に思っている。しかし、すべては「見知らぬ明日」なのだ。

「見知らぬ明日」の2010年がやってくる。私の、そして皆さんの2010年が、どんなものになるのかは、あくまでも「見知らぬ明日」である。とりあえず2009年の「映画三昧日記」はこんなことでお開きにしたいと思います。おつきあい下さいました皆さま、ありがとうございました。2010年の「見知らぬ明日」も、もしそれが今日の続きになっているならば、引き続きよろしくお願いいたします。よいお年をお迎え下さい。
映画三昧日記2009年−21

●平成21年11月7日(土) ライフスタイルに感じることあった1日
平成21年11月7日(土)、この日はかねて予約し、楽しみにしていた三鷹の武蔵野芸能劇場「高畑勲アニメ作品に挑む講談&浪曲の会」がある。13時開演なので、その前に新宿バルト9「わたし、出すわ」第1回を観てから廻ることにする。この2作品鑑賞の中に、私がライフスタイルについて以前から感じていたことと通底する部分があったので、そのあたりを今回は記してみたい。

●「わたし、出すわ」の小雪の存在感
「わたし、出すわ」は、大学卒業後に東京に出た小雪が、故郷の函館に帰って来るところから始まる。そして、高校時代の5人の友人を次々に訪れ、彼や彼女の夢や願望に対し、無条件にお金を「わたし、出すわ」と申し出る。理由は不明、何故そんな大金を有しているかも不明。長身の美貌を地味なコートに包み、化粧っ気も少なく、必要最小限の家具しかない部屋に住む小雪の存在感が、ミステリアスで圧倒的だ。大金をもらった男女は、ある者は労なくして金を受け取る空しさを感じ、ある者は浪費の退廃に溺れていく。

ミステリーではないから、小雪の謎が完全に解き明かされる訳ではない。だから真相は我々の想像力で補完するしかない。とにかく小雪にはマネービルに関して、常人とは桁違いな才能があるしい。そして、一時期はマネーを増やし続けることに、大いなる生き甲斐を感じていたのではないだろうか。ある時、その空しさに気付く。金をいくら得ても意味はない。自分のためにどのように使うかが問題なのだ。しかしマネーゲームにしか興味がなかった自分には、使うべき目的もない。化粧っ気の無い地味なファツションと質素な住まいが、そんな小雪の空しい過去を表現していると思う。

●私が欲しいのはライフスタイルである
「私は金は欲しくない」と言うと、ほとんどの人に「嘘吐け!」と言われる。しかし、本当なのだ。「私は金は欲しくない」私の欲しいのはライフスタイルである。そのために必要な金だけがあればいいのだ。

人間社会というのは、突き詰めて言えば「みんなで造ってみんなで分ける」ということに尽きる。人はすべての物は造れない。また、一つの物だって一人の人間の手では造れない。一つの物の1パーツしか造ることしか出来ないのだ。そのパーツを造る「仕事」を果たした後で、「みんなで造った物」の中から私の欲しい物を「分けて」もらうのである。その媒介となるのが「金」である。繰り返すが私は「金」は欲しくない。私のライフスタイルに必要な物を分けてもらえれば良い。その範囲内の「金」があれば良いということなのである。

私の欲しいのは、沢山の映画とその映画に関する書籍などの諸々である。それさえ「分けて」もらえば十分だ。(勿論、生きることに最低限必要な衣食住は確保されなければ困るが…)欲しいのは24時間映画三昧に使えるライフスタイルである。金ではない。そのライフスタイルに必要な金が欲しいだけなのである。できれば、「みんなで造ってみんなで分ける」中の私が造る1パーツも、映画に関するものでありたかった。だから、プロの映画評論家になりたかった。そうすれば24時間映画三昧のライフスタイルを得られた。しかし、そちらの方は儚い夢に終った。

●金を得ることの意味
創作物の世界では、「売れる」という価値観を軽蔑する風潮がある。しかし、それは基本的に間違っている。「売れない」ということは、その人が造った「パーツ」は、世の中にある他の人が造った「物」を、「分けて」やるに値しないと回答されたということでもある。だから「金」にならないとも言えるのだ。

最近、湯布院の知人の滋賀の郵便局OB「失礼します!Oさん」が、私の「湯布院映画祭日記」「映画三昧日記」を目にして、「あなたを話術のひとと思い込んでおりましたが、文章家としての周磨要、こちらの方が数段上ですね」「これはもう完全にプロの仕事です。誰が何と言おうと」と、過分なお褒めの言葉(まあ、お世辞だと思っていますが)をいただいたが、これは違うと思う。私のこれまで書いた映画評は(賞金や現物支給は別にして)一銭のお「金」もいただけなかった。私の「造った」映画評という物のパーツは、他の人の造った物を分けてやるに値しないと社会から宣言されているということなのである。

それに引き換え、私が社員・嘱託として働いた東京電力グループは、長期に亘って私のライフスタイルに必要な物の一部を分けてもらえるだけの「金」を与えてくれた。つまり、私の造った電力のパーツは、他の人の造った物を分けてやるに値すると社会から宣言されたということなのだ。そして、現在は企業年金という形で、私のライフスタイルを支えてくれている。

●年金について考える
私は現在、年金生活者である。それは、「みんなで造ってみんなで分ける」という私の社会観から見てどういうことになるのだろうか。少なくとも今の私は、何も造っていない。

そこは私はこう考える。私は、みんなで造るという社会組織の中で1パーツを造り、その見返りとして他の人の造った物を「金」という媒介を通じて分けてもらってきた。しかし、これまでにすべては分けてもらわなかった。その差分が今受給されている年金である。回りくどい言い方をしたが、要は貯金で喰っているということですね。

それは当然と言えば当然な話である。現在、年金を支える若年層の負担が社会問題になっているが、本質がちがっている。年金とは納めた金を老後にもらうものなのである。社会保険庁がその金を不当に使ってしまったから、こんな事態に至っただけで、若年層の負担は本来関係のないものである。

企業年金にしても同様で、本来は給与として払う金の一部を企業が積み立て、個人の積立と合算した金が、今支給されているということだ。だが、OB仲間にもヘンな人がいる。「企業年金なんて世間に言えないね」と、まるで悪いことをしているみたいに声を潜めるのである。確かに「厚生年金」だけでなく「企業年金」が加わるから、生活に多少余裕が出るのは事実だが、それは積み立てていたものを今もらっているに過ぎない。後ろ暗いことは何もない。

ただ、これまで、私が述べてきたのは原則論である。やはり現実は見る必要はあるだろう。最近話題になっている日本航空の経営難である。税金を投入してまで企業年金支給額を維持する必要はないとの世評である。確かにこれは微妙な問題だ。(最近、日本航空がモデルの国民航空の歴史を描いた日本映画の超大作大河映画「沈まぬ太陽」が話題を集めている。それについては最後に触れたい)

もし、東京電力がこのような事態になったらどうか…私は原則論に固執せず現実論として減額はやむを得ないと思う。それは現代日本の貧困化層増加に思うところがあるからだ。「みんなで造ってみんなで分ける」との社会原則から考えるならば、造っていない年金生活者の年収は、当然底辺に近い部分であるはずだ。ところが現代日本は、年収200万円以下のワーキングプアがかなりの数に上り、さらに増加し続けているという。「みんなで造ってみんなで分ける」はずが、「造って」る人よりも「造ってない」人がより多く分け」られている「現実」は、あるべき姿ではない。本来にもどすべきだと考えるのが人間の社会性というものだろう。もっとも、こんな持論をOB仲間に話すと「そんな馬鹿なことあるか!現在の支給額は権利だ!」と血相が変わる。人はなかなかエゴから自由になれないし、社会的存在になりきれないものだ。

●「戦争と平和」の歴史哲学
以上述べてき私の社会観は、若い頃に読んだトルストイの「戦争と平和」中の、歴史哲学に大きな影響を受けている。「歴史に必然も理由もない。一人一人の人間がその時そう思いそう行動した結果の総和が歴史に過ぎない」との主旨のヤツである。これは若き日の多感だった私にとって、目から鱗が落ちる理論だった。この哲学を起点にして、様々なことに思いをめぐらし、前述したような私の社会観に到達したのである。

セルゲイ・ボンダルチュクのソ連映画「戦争と平和」は、私にとってそんなトルストイの歴史哲学を鮮やかに映像化した大傑作だ。(オードリー・ヘップバーンのハリウッド版は、大型メロドラマに過ぎない)前回の「映画三昧日記」で、私が東京国際映画祭にあまり積極的な参加者でなかったにも関わらず、2002年の「戦争と平和」4部作一挙上映に足を運んだのも、そうしたことからである。

白眉だったのはボロジノ大会戦のシーンだ。ただし、人によってはあんなに眠かったシーンは無いと酷評している。いや、それが一般的世評かもしれない。日曜映画劇場の解説では当たり障りのないことを言われていた淀川長治さんも、本音の「映画友の会」では、「凄いですネェ、軍隊がどんどんどんどん進軍して来ますネェ、いつまでもいつまでも、あまり単調なのでウトウトッとしますネェ、眼が覚めてもまだ同じ場面ですネェ」と、呆れ口調でユーモラスに語られていた。

しかし私は、これこそトルストイの歴史哲学の映像化であると思った。現実の戦闘は、例えば「史上最大の作戦」で、オマハ海岸・黄金海岸・オックス岬などの拠点が鳥瞰図的に把握され、ノルマンディー上陸作戦成功の要因が明確に示されるようなものではないはすだ。兵士がドンドンパチパチやっているうちに、何となく要塞が突破されたというのが本当のところだろう。その意味では、「戦争と平和」の単調で眠気すら誘うドンパチは、トルストイが何十ページも使った膨大な歴史哲学を、映像一発で表現してしまった映画史上の名シーンだと思う。モスクワ炎上・冬将軍到来・ナポレオン敗走も、それに次ぐ名シーンだ。そこに説得力を与えた大物量、当時絶頂期にあったソ連の国力・映画力もそれを支えた重要要素であろう。

ただし、何でもダラダラ単調にやれば良いわけでないのは、言うまでもない。「戦争と平和」成功の勢いをかって、ソ連がさらにハリウッドに戦いを挑んだ「ヨーロッパの解放」のクルスク大戦車戦はひどかった。文字通り単調に脈絡なくダラダラと、地平線まで埋め尽くした戦車軍団が、延々とドカンドカンとやるだけなのである。これは睡眠薬以外の何物でもない。この映画の監督ユーリー・オーゼロフとボンダルチュクの演出力の差に感じ入った次第である。

●テクニシャンの思想 森田芳光
再び「わたし、出すわ」の森田芳光の話題にもどる。小雪の存在は私の社会観にフィツトし、私は共感した。でも、映画中の小雪に関しては、私と異なる社会観の人をも共感させるだろう。それは「テクニシャンの思想」とでも形容したい森田芳光の演出力にある。

映画において、テクニックは思想である。代表的なのは市川崑だ。崑タッチは、どんなにダイナミックやエキセントリックな題材においても、ワンポイント外して演出する。それはもう単なるテクニックではない。物の見方の批評であり、現実に対しての思想に昇華するのである。そして、テクニシャンの映画思想家として、森田芳光もその域に近づきつつあると思う。

森田芳光演出のキーワードは「ペラペラ」である。(「海猫」にだけは例外を感じるが…)森田映画では、すべての事物が「ペラペラ」なものとして捉えられる。だから、そこにゾクリとする人の深淵が塗りこめられると、鮮烈な印象を残す。「(ハル)」がそうだった。「39 刑法第39条」がそうだった。(だから一歩まちがうと「メイン・テーマ」「失楽園」「黒い家」のように、本当に単なるペラペラ映画を作ってしまう危険もある) 「わたし、出すわ」は、小雪の有する心の闇を、大上段にふりかぶることなく、森田流「ペラペラ」タッチで描いたからこそ、ミステリアスな小雪の存在を、共感できる人物として描きえたのだと思う。

「高畑勲アニメ作品に挑む講談&浪曲の会」
新宿バルト9で「わたし、出すわ」鑑賞後、三鷹の武蔵野芸能劇場「高畑勲アニメ作品に挑む講談&浪曲の会」に向かう。これは、高畑勲監督作品の「平成狸合戦ぽんぽこ」を玉川奈々福が浪曲に、「母をたずねて三千里」を神田陽司が講談にして、その後で三人のトークショーが展開されるというユニークなイベントである。

玉川奈々福さんは、かつては「蛙の会」会員で、長嶋美穂子の本名で紙芝居の舞台を努めたこともある。当時は曲師・玉川美穂子であったが、その後に浪曲師としてもデビュー、現在は玉川奈々福の高座名で、若手美人浪曲師として売出し中だ。「シンデレラ」を浪曲化したり、本来は浪曲の裏方である三味線を前面に出し三人の曲師で「しゃみしゃみいず」を結成してエンタテインメント化するなど、浪曲の可能性を拡大する活動を展開している。この日もその活動の一環と言えよう。

この日の「平成狸合戦ぽんぽこ」は良かった。アニメが見事に浪曲になっていた。私はすべての芸術は、最終的に「イメージ」だと思っている。だから、最近練り上げられてきたとのことで好評な、浪曲「シンデレラ」にどうしても乗れないのだ。袴・三味線の語り芸の浪曲からは、どんな名調子でも西洋童話の世界の「イメージ」は浮かんでこないのである。その意味で「ぽんぽこ」は題材的にピッタリだった。浪曲ならではの「うなり」場もタップリの効果的なネタであった。「母をたずねて三千里」の方は、意外と講談調になっていたのは、一人語りという浪曲とのジャンルの差なのかもしれない。

●トークショーの風景
トークショーの質疑応答コーナーで、微笑ましくも興味深い風景があった。高校生から高畑勲監督へ、「私は今、進路指導を受けていますが、高畑監督は最初からアニメ作家になるとの目標を持たれていたのでしょうか」と質問があったのである。高畑監督の答は、「東映に就職したから現在の私になったんでしょうね。あの時代は目標というより、とにかく就職できて良かったという時代でした」とのサラリとしたものだった。

続いてその高校生から、「僕は鈴木伸一さん(スタジオジブリのプロデューサー)みたいになりたいんです」と発言がある。「無理ですね」、間髪を入れない高畑監督の素っ気ない言葉に、場内に笑いが拡がる。でもそれに続く監督の言葉は暖かいものだった。「僕もそうですが、鈴木さんだって今みたいになりたいと目標を持ってやってきたわけではありません。あの人も、最初は出版社に入っていろいろな仕事をして、現在があるわけです。大切なのは、どんな仕事でもこれは自分の目標でないからといっていい加減にやらないことです。どんな仕事も一生懸命することです。それは、必ず自分の目標にとって役に立ちます」

この一言は、私のこれまでのライフスタイルについても、感慨深いものであった。これについては、次項以降の「沈まぬ太陽」について触れる中で述べていきたい。

●「沈まぬ太陽」雑感
「沈まぬ太陽」は、3時間半弱で途中休憩入り、久々の日本映画の社会派超大作である。成功因は、複雑なテーマを、理想主義者で融通がきかぬ人情家で生き方下手の渡辺謙と、現実主義者で非情な上昇志向で出世亡者の三浦友和という典型的な2人の男に、象徴化し単純化したことだろう。

私はこの2人の男のようにエリートではないが、航空産業と類似のエネルギー産業という公益事業に定年まで勤め上げた。そんな立場から見ると、思うところがいろいろある。私も、若い頃は労働組合の執行委員を務めた。その後、主任・副長などの中間管理職として本店中枢で、仕事や権力の動き方を目の当たりにしてきた。定年前は支店現業機関の管理職として、組合対応もした。そんな体験をしてきた私から見れば、この映画は突っ込みどころ満載である。ただ、渡辺謙と三浦友和という典型に象徴化し単純化したことで、骨太のエンタテインメントとして成功しており、あまり突っ込む気になれないのも確かだ。はっきり言って、現実の大組織の公益事業に、渡辺謙のような奴も三浦友和のような奴もいない。誰しもが二人の男の中間のどこかに位置しているというところだ。

いずれにしても、私が公益事業を定年まで勤め上げた身であることで、この映画をより楽しめたことは間違いない。自ら理想とした24時間映画三昧を生きてきたら、多分この楽しさは無かったろう。2007年の「湯布院映画祭日記」で、会社では私は仕事を楽しんでやっているかの如く「誤解」を受けてきたことを記した。映画と全く無縁な仕事が、私にとって楽しいわけは無い。ただ、どうせ飯のタネにやらなきゃならない仕事なら、楽しんでやろうと心掛けたのも事実である。ここで私は、11月7日(土)武蔵野芸能劇場の「どんな仕事でもこれは自分の目標でないからといっていい加減にやらないことです。どんな仕事も一生懸命することです。それは、必ず自分の目標にとって役に立ちます」との意味の、高畑勲監督の言葉が蘇ってきたのである。

●大作のセオリーが乏しくなった寂しさ
「沈まぬ太陽」は、近年稀に見る金のかかった画面が連続した大作である。でも、最近の大作映画は昔ながらの大作のセオリーを外すものが多い。この映画もその例外ではなかった。

往年の大作は、まずその映画の背景となる核の光景を、バーンとロングショットで捉え、それから細部の人物へと寄っていく。その過程を経ると、後は例え画面はクローズアップでも、画面外に膨大な物量感が感じられ、スケール感が出るのだ。「沈まぬ太陽」も渡辺謙のアフリカの象狩りから始まるのはよい。しかしファーストカットは、猟銃を構えた渡辺謙のアップなのである。なぜアフリカの大原野のロングショットから入らないのかと、オールドファンは寂しく思うのである。

「沈まぬ太陽」は、最近珍しいインターミッション入りの映画である。しかし、インターミッションはまるでTVドラマのCMタイムみたいに、唐突に入ってしまった。昔の大作映画のインターミッション直前は、後半への期待を煽りに煽ったものであった。

例えば「ベン・ハー」。ローマ帝国のために家は没落し、廃墟と化したかつての豪邸に帰還したベン・ハーが、恋人から母と娘の死を伝えられる。悲しみと怒りに燃えたベン・ハーは復讐を胸に廃墟を後にする。カメラはグングン後退して廃墟の壮大な光景を捉える。ベン・ハーの怒りの爆発を思わせるミクロス・ローザの大交響曲が高まる。後半のベン・ハーの報復劇への期待を高めるだけ高めて、インターミッションのタイトルになるのである。

例えば「アラモ」、メキシコ・サンタ・アナ軍の先遣隊2000人がアラモ砦を包囲し、降伏勧告の使者が来る。砦の指揮官でローレンス・ハーヴェイ演ずるトラヴィス大佐は、無言で葉巻きの火を大砲の火縄に押しつける。号砲一発!宣戦布告だ。リチャード・ウィドマーク扮するジム・ボウイは、作戦をめぐってトラヴィス大佐と反目している。何とか和解を目論むジョン・ウェインのデービー・クロケットは、「どうだい」とボウイに声をかける。ボウイは答える。「奴のやることなすこと気に入らないが、戦争の始め方だけは知ってるようだぜ」そうしている間にもサンタ・アナ軍の包囲網は着々と固められていく。アラモ砦はサンタ・アナ軍の攻撃にどこまで持ちこたえられるか?トラヴィスとボウイの協力体制は確立できるのか?後半への期待を引っ張るだけ引っ張ってのインターミッションとなる。

以上述べてきた往年の大作映画のセオリーについて、「沈まぬ太陽」は最近の大作映画の例にもれず、全く無頓着だったのは残念だった。最後はオールドファンの愚痴めいたことで締めくくることになったみたいだが、やはり感じたことは感じたこととして書いておこうと思う。
映画三昧日記2009年−20

これまでの私と「東京国際映画祭」
灯台下暗しと言うが、私と「東京国際映画祭」の関係が、正にそうだった。全国から映画ファンが集まる湯布院雀には、かなりの話題を撒いているのに、これまでの私はあまり関心もなければ、ほとんど参加したことはなかった。

映画祭初期に、渋谷・電力館内TEPCOホールが会場の一部として使われていたことがあったが、そこにはよく参加した。何といっても無料というのが魅力だった。番組はクラシック映画が中心で、「路上の霊魂」「十字路」、小津安二郎が六代目菊五郎を記録したドキュメンタリー「鏡獅子」、溝口健二が声楽家の藤原義江を主演に起用した「ふるさと」なんて貴重品もここで観た。「十字路」なんて海外からの逆輸入品で、スポークンタイトルが英語の日本語字幕なしという一編だった。一部の好事家のみが集まる会場という感じで、PRも少なかったせいか、無料にも関わらず閑散としていた。まあ、公益事業ならではの電力会社の社会還元といったところだろう。(今は、世知辛い世の中だから、そんな暇あるなら電気料金安くしろとの、大ブーイングになるのだろうが…)

とりわけ1992年の企画は素晴らしかった。ドナルド・リチー議長の下、国際映画シンポジウムが開催されたのだ。登川直樹・高野悦子など国内だけでなく、フランスからマルセル・マルタンなど、著名な映画評論家・有識者が一堂に会して、ディスカッションが展開されたのだ。同時通訳のイヤホーンを耳にあて、無料で国際映画祭の雰囲気にタップリ浸ることができたのであった。

さらに、この年は予告無しのビッグサプライズがあった。映画祭に先だって、喪失したと思われていた「忠次旅日記」のかなりのフィルムが発見されたことがニュースになっていたが、復元16mmテストフィルムの10分程度が、国内で初めて公開されたのだ。これについての私のレポートが、この年の「キネマ旬報」11月下旬号の「キネ旬ロビイ」の頁で掲載されたが、何せ昔のことでもあるので、ここに再録して紹介したい。

『第5回東京国際映画祭レポート 映画祭での幸運「忠次旅日記」』
東京国際映画祭に意外な穴場がある。東京国立近代美術館フィルムセンター・主催で、電力館内TEPCOホールが会場の国際映画シンポジウムだ。世界の一流の映画評論家、研究者のディスカッション。入場は無料。固い内容で派手なPRも無いせいか、整理券や行列の苦労も不要。フラリと出掛けて確実に入場できる。私も時間が取れればできるだけ入場している。中味の充実度はかなりのもの、キネ旬で採録を掲載してもらいたい程だ。今年度は十月二日と三日、「世界は日本映画をどう見てきたか−新しい視点を求めて」のテーマで、ドナルド・リチー議長にて諸外国の日本映画研究家による講演と討論が行われた。

しかし、ここで述べたいのはシンポジウムの内容ではない。エピローグとなった映画上映の時、司会者から最近発見された幻の名作で復元作業中の「忠次旅日記」の16mmテストフィルムを、十日からの公開に先立ち特別に上映することが告げられたことである。私は、一瞬場内に声なきどよめきが起こったような気がした。さらに司会者から『16mmテストフィルムなのでプリント状態は決して良くありません。最終的には35mmのもっと良い状態になります。第一印象を良く持ちたい方は、次の「鏡獅子」上映までロビイでお待ちになって下さい。』と洒落たコメントが付け加えられる。(この「鏡獅子」も六代目菊五郎のドキュメントで監督が小津安二郎という逸品)

10分程度でお世辞にも鮮明とは言えぬ映像と、字幕も読み取り難いテストフィルムではあったが、その迫力には圧倒された。病に倒れた忠次が、子分達に戸板にかつがれての逃避行。病で思うにまかせぬ情けなさ、子分の忠義への感謝とすまなく思う気持、捕縛が間近に迫る悔しさ。そして衰えぬ反権力の情熱、それらすべてを眼光にたたきこんだ大河内傳次郎の熱演。病床の忠次と板戸一枚を挟み、子分達が捕方と乱闘する。板戸がかすかに開き、子分達の抵抗でまた閉じる。その間隙にかいま見える殺陣の凄絶さ!このテストフィルムだけで、まだまだ果てしなく語りつくせそうだ。

司会者からこんなコメントもあった。「いちばん気の毒なのは、映画祭が終了して十日の上映の時には帰国されているパネラーの方々だと思います。」

しかし、このテストフィルムだけでも、日本にエイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」や、グリフィスの「散り行く花」に決して劣らぬ映画があったことを記憶に止めたのではないか。ちなみに、私がフィルムセンターで、澤登翠さんの活弁と生演奏付で35mm版を観たのは、これから何年か後だった。

この他では、2002年の「東京国際映画祭 第15回記念大会 特別上映作品」の『「戦争と平和」7時間を越える4部作完全版 ただ1日限りの一挙上映』を、オーチャードホールに観に行ったのが、私の乏しい「東京国際映画祭」体験である。会場が六本木に移ってからは、2006年の公開未定作品特集か何かの招待状をいただいて、「アメリカン・ドリーム」を観させていただいた程度で、本当に私は「東京国際映画祭」と縁が薄いのだ。

●今年の私と「東京国際映画祭」
今年の私の「東京国際映画祭」への唯一の興味は、コンペティション部門の「ACACIA」だった。アントニオ猪木主演作品であり、プロレス者としては是非一見したいところである。ただ、あまり評判がよくないとか、公開されないかもしれないとかの噂を耳にした。監督は辻仁成、私は小説家とかミャージシャンとしての辻仁成はよく知らないが、映画監督としてはあまり期待できないという印象を持っていた。評判が良くないのも必然かなという感じで、それならオクラにならないうちに是非とも今回の映画祭で観ておこうとなった。そこで早速「チケットぴあ」で10月22日(木)の上映をネット予約した。(結果的に「ACACIA」は、来年の公開が決定したようである)

 しばらくたって、映画祭事務局の知人から、若干の招待券がありますが、とのご好意があった。そこで、パンフレットを睨み直し日本映画・ある視点部門の「ジャングルハウス3ガス 林家三平」に目をつけた。故三平師匠のドキュメンタリーで、活弁という話芸修行中の身であり、年明け早々の「小三治」も興味深く観た私としては、注目作である。そこで23日(金)の会をお願いするとともに、甘えついでに、この日は「東京国際映画祭」漬けになってやろうかと、上映スケジュールをチェックして、同日上映のコンペティション部門「NYスタテンアイランド物語」と、アジアの風部門・東アジア「よく知りもしないくせに」を図々しくもお願いしたら、ありがたくもこれもOKをいただけた。

10月17日(土)に「映画友の会」に行ったら、映画プロデュースの仕事をしている方から、間接的に関わった日本映画・ある視点部門の「真幸くあらば」19日(月)上映の会を観ませんかとのお誘いがあり、ありがたく頂戴した。こうして、当初は22日(木)だけの予定が、あれよあれよといううちに19日(月),22日(木),23日(金)の東京国際映画祭漬けの週になることに至ったのである。さらに「映画友の会」でB女史から、22日(木)「風が強く吹いている」の試写状までプレゼントされ、完全な映画三昧ウィークとなったのであった。

●私の東京国際映画祭 第1日 2009年10月19日(月)
2009年10月19日(月)、「TOHOシネマズ 六本木ヒルズ」に、「真幸くあらば」を観に向かう。Screenは5だ。英語字幕入りというのが、いかにもの国際映画祭ムードを醸成する。特に、この映画の題名は何と読むかわからないので、英語字幕で「まさきくあらば」ということを確認する。万葉集の和歌から取ったそうである。監督も御徒町凧という新人の方で、これまた読めない人である。英語字幕で「おかちまちてい」という人(だったかな?ちょっと記憶はアヤフヤ)と確認できた。

映画は、それなりに幸せだった新婚の平凡な主婦と死刑囚との、塀の壁を乗り越えての純愛から、異常性愛(塀の壁があるのに異常性愛って成立するの?って疑問については、観てのお楽しみ)に至るとの、新人監督らしい力作で意欲作だった。人の精神の力の強さを表現したという見方をすればいいのだろうか。

公開は、来年の1月9日(土)新宿バトル9他ということで決定している。ところで、前項の内容紹介について、ややボカした書き方をしたのには、訳がある。9月25日(金)の「ピンク映画カタログ−22」においての、私がエキストラ、というか最終的にクレジットされたんだから堂々と出演者と名乗っていいか!、で参加した来年公開予定の「人妻教師 レイプ揉みしだく」についての記述で、同じ出演者仲間から「私見だが、公開前の映画について書き過ぎだと思う」との意味の指摘を受けたからだ。私は、特にミステリーではないのだから、ここまで書いてもいいかなと思ったのだが、でも「厳秘」の内容をネット上でダラダラ垂れ流して問題になることがよくあるし、こういうことは慎重であらねばならないようだ。ということで、今回の「映画三昧日記」は、「東京国際映画祭」鑑賞作品はすべて公開前なので、ボカした表現になることをここで断っておきたい。

「真幸くあらば」は、題材からみて万田邦敏の傑作「接吻」と比較されてしまうのは、止むを得ないところだ。そうなると、ちょっと分が悪くなる。例えば、死刑囚を愛してしまうという特殊な状況に陥るにあたって、「接吻」の小池栄子はコミニュケーション不全症的な資質からそこに至ったとの存在感を示し、説得力があった。しかし、「真幸くあらば」の小野真千子は、それなりにもっと具体的に死刑囚に関心を示す背景はあるのだが、力不足かどうか説得力に乏しく、私にはちょっとついて行きかねた。また死刑囚の久保田将至は、トップモデルの映画初出演というのが売りだそうだが、「接吻」の豊川悦司ことトヨエツに、大きく水を開けられた感がある。総体的には新人監督らしい力作だが、もう一息といったところか。

●「アニエスの浜辺」雑感

交通費有効活用の観点から、この後は神保町に出て、岩波ホールで「アニエスの浜辺」を観る。シニア料金でなく、チケットショップ購入の特別鑑賞券だ。岩波ホールのシニア料金は、1000円ではなく特別鑑賞券と同額の1500円なのだ。(他ではユーロスペースのシニア料金が1200円である)だから20円〜50円程度、特別鑑賞券を値引きしているチケットショップの方が割安になる。それにしても、客層年齢が高い岩波ホールで、シニア料金を高くするという足下を見るような阿漕な商法は、あまり感心できない。と、映画の友人にボヤいてみても、みんな日頃からいろいろなサービスデーなどを駆使していかに安く観るか苦心惨憺しており、そんなファンからはシニア料金は妬まれていて、全く共感を得られることはない。

「アニエスの浜辺」は、81歳になったアニエス・ヴァルダ監督が、自身を題材にしたドキュメンタリーだ。自分の過去作品、プライベート・フィルム、そして現在の家族やこれまでの仕事仲間との風景もドキュメントされ、編集されていく。ヴァルダといえば、故ジャック・ドゥミー監督の妻としても有名である。当然ながら、ドゥミー映画の断片も出てくるし、想い出も語られる。ヌーヴェルバーグ、ベトナム反戦、フラワーチルドレン、ウーマンリヴ、時代の荒波を駆け抜けてきたこれまでの人生が、映像で記す自伝のように綴られていく。一般に自伝というと文字であり書物だが、映画作家には、こんな自伝の綴り方がもっとあっても良いかもしれないと思った。そこに溢れるのは、多くの人達と知り合い、共に過ごしてきた人生讃歌でもある。そう、やはり人と人が触れ合って生きていくことは、素晴らしいことなのだ。

私は年に1度、秋に「蛙の会」で活弁の舞台に立つ。今年も11月1日(日)にあいつとめた。私のゆかりの方も多く客席に足を運んでくれる。こちらには、会社で苦楽を共にした仲間がいれば、あちらには「映画友の会」を核とした映画の友人たちがいる。活弁修行の縁で知己を得た社会人芸能集団の方もいれば、親類縁者もいる。我が人生の縮図が、この空間にある。そんな空間に年に一度身を置いていると、多分、この映画のヴァルダは、その何倍も感無量の想いであったろうことが想像できる。人生とは、やっぱり良いものなのである。

●私の東京国際映画祭 第2日 2009年10月22日(木)
この日は「チケぴ」で予約した「ACACIA」(TOHOシネマズ六本木ヒルズのScreen7)を観た後、ヤクルトホールの試写会「風が強く吹いている」に回る。「ACACIA」の開演は14時5分なので、交通費有効活用の観点から、その前にもう1本くらい稼げそうである。そこで番組をあれこれ物色し、ラピュタ阿佐ヶ谷に目をつける。モーニングショーの「昭和の銀幕に輝くヒロイン[第49弾 雪村いづみ]」において、18日(日)〜24日(土)「結婚のすべて」が上映中だ。岡本喜八のデビュー作である。昭和33年作品で私は11歳の小学生だから東映のチャンバラに夢中になっていた頃で、当然こんな大人の映画をリアルタイムに観ているわけはない。かくしてこの日は、阿佐ヶ谷→六本木→新橋の映画三昧コースが決まった。

喜八タッチの「平手打ちのモンタージュ」! 「結婚のすべて」
「結婚のすべて」は面白かった。後に「平手打ちのモンタージュ」と形容された岡本喜八のスピーディーなタッチが、このデビュー作において、すでに完成されていたことに舌を巻いた。今でも全く古びていない。リアルタイムでこれに接した人は驚嘆したのではないか。この頃、増村保造・沢島忠・中平康などの、斬新な語り口の作家が続々とデビューしているが、リアルタイムでこの時間に立ち会えた人は、本当に幸福な出会いをしたような気がする。

溌剌と弾けまくる雪村いづみの現代っ娘ぶりに目を瞠る。素晴らしい。だから、姉役の新珠三千代のしっとりとした若妻ぶりが、より引き立つ。緩急自在の喜八演出である。ただし、恋愛か見合いかの結婚観、婚前交渉に関する貞操観念、そして男も女も結局は適齢期前後に結婚していくとの社会通念、ここらあたりは相当に古めかしい。ただ、これは岡本喜八(脚本は白坂依志夫)の古めかしさというよりは、世間全体がそうであったということだ。その意味でこれは、昭和33年を描いた「時代劇」と観るべきだろう。

辻仁成のこれまでの私の印象
これまでに観た辻仁成監督作品は、「千年旅人」一本のみである。1999年の第24回湯布院映画祭で観た。この年の「湯布院映画祭 シンポジウム再録」誌の中の「特別寄稿 周磨要超ミニコミ宣言」から、「千年旅人」に関する記述を以下に採録する。(ただし、元原稿からの再録なので、掲載にあたっての長さ調整で割愛した部分も、ここでは復刻している)

「千年旅人」は最悪、私にとり本映画祭ワーストだ。「M/OTHER」(注・「千年旅人」の前に上映された)の正反対、眠気がブリ返した。芥川賞作家のひとりよがり映画といったところか。
 画面から何かを発見しようとのめり込ませるものは皆無、自分の思い入れだけしかない絵葉書的映像が、延々と積み上げられる。それなりに美しいが、作家の意図を越えていくダイナミックな映像の力がないので、カットの長さは退屈を助長するだけだ。
 新人女優のyumaは、実に情感に膨らみのあるいい娘なのに、作者の乏しい思い込みの中に封じ込められてしまっている。豊川悦司の超臭い芝居は噴飯ものである。もっとも、芸達者豊悦は、忠実に監督の意図を果たしただけだから罪はない。
 そして辻仁成監督、映画の表現力のコントロールもまるでできないようだ。良いシーンもある。yumaが袋の中の金魚を切なげに見つめるシーン、ところがよせばいいのに「私みたい」なんて台詞を言わせてしまう。充分yumaの心情を滲み出させた良い映像なのに、言わずもがなの台詞で白けさせてしまうのである。また、最後にyumaが金魚を海に放つ。アッと思わせて実は瓶の栓は取らないまま投げ込んでいた。この微妙な心の襞の表現も良い。ああ、それなのに「お前も広い所に行きたいよね」ここでも余計なことを言ってくれる。ようするに、どうでもいいところでくどくて、大事なところで舌足らずなのである。

書きたい放題書いてしまったが、それならお前が撮ってみろと言われそうだ。勿論、私が撮ったらもっとお粗末だろう。ただ、言えるのは、こちらは長年月に多くの作品を見てきた自負がある。漢字は書けないけど読めるということがあるだろう。傑作が撮れなくても、駄作か否かは分かる!と、負け惜しみは言いたいと思う。

15時54分上映終了、16時10分シンポジウム開始。ゲストは辻仁成監督・主演のyumaさん、河井真也プロデューサー。
 発言したら酷評しか出そうもないので、私は沈黙を決め込む。美しいとか絶賛する人もいて、そんなものかなあと思う。ただ辻監督が、説明不足にならないか、くどくならないか、どこまで表現するのが適当なのか悩んだと、自信なさげにポツリと話した率直さが印象的だった。

この後、金鱗湖畔の亀の井別荘・湯の岳庵で、今は開催しなくなった実行委員と参加者の徹夜パーティーに、辻監督も実直につきあい、そこで私は言葉を少々交わした。私は「特別寄稿 周磨要超ミニコミ宣言」で、こんな風に記している。

飲み会は延々と続き、さすが九州、焼酎のウーロン割りは果てしなく出てくる。勢いにまかせて、辻仁成監督をつかまえてしまう。前述した私が明らかに蛇足と感じた二つの台詞について、監督はどこまで表現するのが適当なのか悩んだと言っていたので、そこの所も該当したか、率直に聞いてみた。答はイエスだった。映画は評価しないが、天才を鼻にかけず演出の迷いを率直に表明する奢りのない姿勢は好感がもてた。

映画監督としての才能には?がつくが、人間としては謙虚な素晴らしい人。これが、私の辻仁成の第一印象であった。が、後日それがくつがえる話を耳にする。実行委員か参加者の誰かからか、辻仁成は「話はいろいろ聞いてきたけど、湯布院も大したことないね」と、捨て台詞を残して去ったということを聞いたのである。それでは、我々の前で見せた謙虚さは、全部ポーズだったということか、としたら奢り高ぶった大変な偽善者である。

ただ、今回の「東京国際映画祭」のトークショーとティーチインを通じても、天才でありながらそれを鼻にかけない謙虚な人との、私の第一印象は変わらなかった。辻仁成という人は、誤解を招きやすい人なのではないだろうか。そのへんのことを中心に「東京国際映画祭」の「ACACIA」と辻仁成について語っていきたい。

●シミジミとした佳作「ACACIA」
「ACACIA」はシミジミとした味わいの、良い映画であった。主人公は引退した初老の元プロレスラーだ。ただし、演じたアントニオ猪木のような、スターレスラーのベビーフェースではない。覆面のヒールレスラーだった。離婚して、老人ばかりのアパートで一人暮らしをしている。初老のレスラーというのは、どうしてこう哀愁があるのだろう。アントニオ猪木は好演である。世界中で男優賞を総ナメにした「レスラー」のミッキー・ロークと比較しても、存在感の上で遜色がない。猪木も本映画祭の最優秀男優賞の候補の一人とも見えたが、残念ながら受賞には至らなかった。(名演に至った裏側は、上映後のトークショーとティーチインで明かされる)

猪木は、かつて石田えりと結婚して、男の子も一人いたが亡くなった。そのことで夫婦仲がギクシャクして離婚に至ったのである。ある日、アパートの近くのいじめられっ子を救い、それが縁でその子にプロレスを教えることになる。喪った我が子への免罪を果たしているようにも見える。男の子は、いじめを跳ね返すだけの強さを身につけていく。

その子の母親は離婚していた。そして、子供が猪木になついているのを見ると、押しつけて男と逃げてしまう。実は男の父親は、老人ばかりのアパートに時折訪問に訪れる北村一輝のヘルパーだった。彼は腹話術の特技を活かして、ヘルパーを効果的に勤めている。我が子が置き去りにされたのを知るが、再婚して今は妻子があり幸福な家庭を持つ身なので、現在に波風を立てたくなくて、父親であることを隠し続け名乗り出ない。

猪木は、男の子を鍛え上げることによって、免罪を果たしたかに思えてくる。そこに別れた妻が訪ねてくる。そして、息子の死の真相を知る。悪役レスラーであったこと、巡業で長く家庭を空けることが多かったこと、子供を強くあれと鍛えたこと、結果的にそれらがもたらした息子の死。男の子を鍛え上げたことは、免罪と真逆だったことが分かる。深夜、一人佇んだアントニオ猪木が滂沱と流す溢れる涙は鮮烈だ。そしてアカシアの木の下での、感動のクライマックスが訪れる。

「真幸くあらば」の時にも述べたが、ここでも公開前の作品ということで、判じ物みたいな表現しかできないのがもどかしいが、お赦しいただきたい。しかし、このネタバレに対する神経質な昨今の風潮は、何とかならないものだろうか。確かにモラル抜きで、ネットでやたらタブーをスッパ抜く者が多いのも事実だ。しかし、ミステリーでもないものまで、何でもかんでもネタバレ厳禁みたいなのは釈然としない。仕方がないので、私はよく「映画友の会」でも、ミステリーでもないのに、「ここから先の結末は言いませんが、衝撃の展開が…」なんてボカした表現をすることが多くなった。それでも「周磨さん、それって衝撃の展開があることをバラしちゃってるんだから、よくないですよ」と言われたことがあった。これじゃ、その映画を未見の人にはなにも言えなくなりますよね。

●相変わらず謙虚だった辻仁成監督
「ACACIA」上映後、トークショーとティーチインが始まる。会場周辺で配布されている第22回東京国際映画祭の新聞「TIFF Times」で、ゲストは辻仁成とアントニオ猪木が予定されていたが、猪木は腰の手術後の経過が思わしくなく、メッセージのみの参加となった。結果的にこれがティーチインである意味でよい方向が出たりするのだが、これは後の話である。

トークショーの冒頭で辻仁成監督は、国内の映画祭参加は、湯布院に続いて2度目だと言った。そして、国内の映画祭は怖いですね、緊張します、とのことだった。海外の映画祭だと、通訳の人が適当にフォローしたりしてくれるけど、国内では自分の発言がストレートに伝わってしまうからだそうだ。

確かに、辻仁成は天才を鼻にかけない謙虚な人だが、誤解を招きやすい表現をする人なのかもしれない。前項の発言でも、私は「怖い、緊張」という言葉に「謙虚」を感じたが、人によっては「生意気」を感じるかもしれない。この後のティーチインでも、聞きようにより人によっては反発を感じるだろうなと思える部分があった。

「湯布院も大したことないな」との発言も、また聞きなので何とも言えないが、実はうるさ型の参加者が多い湯布院ということで、かなり緊張して1999年に参加したのではないだろうか。もっとも、この頃の湯布院お喋り雀は、結構みんな紳士で大人になっていたようだから、あまり激烈な発言もなかった。そんなこんなで、ホッとして漏らした一言で、照れ隠しだったのかもしれない。少なくとも、今回の東京国際映画祭においても、「天才を鼻にかけない謙虚な人」という私の印象は、変わらなかった。また聞きの発言だけで、私は変な誤解をしてきたように思ったのである。

●謙虚さがもたらした「ACACIA」の良さ その1
ティーチインが始まる。最初の質問者から、北村一輝の腹話術に関する質問が出る。彼の屈折した心情を出すのに、非常に効果的で良かった。あれは、北村一輝が自分で演じたのか?アフレコの吹替か?という質問であった。

よくぞ作品の本質に関わることを聞いてくれました、と辻仁成監督は嬉しそうだった。その前の公式記者会見では、プライベートのスキャンダル的なことばかり聞かれて、作品の本質に関わる部分はほとんど無かったそうである。ワイドショー的な日本のジャーナリストは、国際映画祭の場でも次元が低いことを、ここでも証明したようで、辻仁成監督こそ、よくぞ言ってくれましたと私などは思うが、これもある種のジャーナリストにとっては「生意気」となるのかもしれない。

北村一輝の腹話術が特技である設定は、最初はなかったそうだ。ただ、脚本を読んだ北村一輝から、この脚本では複雑な父親の心情は出せません、との申し入れがあったそうだ。辻監督(脚本も)としては、「何を!」とも思ったが、それなら要求すれば相当なことをやってくれるなとの期待を込めて、腹話術の人形を介して本音の心情を吐露するとの、設定を思いついたそうだ。

ただ、クランクインまでには何週もない。しかも、撮影スケジュールから鑑みて腹話術シーンから入らざるをえない。これは、人形の声はアフレコあるいは専門の腹話術師の吹替しかないかなと思ったそうだが、北村一輝は、自身の強い希望で、自分の声でやり遂げたそうだ。さすがに、同時録音の一部で声を拾いきれない所もあったが、その部分のアフレコも、北村一輝がこなしたそうだ。腹話術師のプロによると、北村一輝は、3年かかるところを何週間かでやり遂げ、感心されたとのことだ。すべては北村さんの力ですと、ここでも辻仁成監督は謙虚だった。

●謙虚さがもたらした「ACACIA」の良さ その2
二人目の質問は、「アントニオ猪木さんが、たまたま欠席なのであえて聞きますが…」との前置きで始まった。知る人ぞ知るが、実はアントニオ猪木は、倍賞美津子とは初婚ではない。それ以前に米国人女性と遠征中に結婚している。娘を亡くし、また巡業で家を空けることも多く、結局破局しているのだ。「辻監督も、家庭的にはいろいろありますが、役作りの上でそんなことを猪木さんと、話し合われたりしましたか?」との質問だった。なるほど、一部プロレス者以外知られていないエピソードであり、やはりこれは猪木さんがいたら聞きづらいよな。猪木さん欠席による怪我の功名の好質問であった。

辻監督の答は、「そういうことは特に話しあってません」とのことだった。ただ、脚本を読んだ猪木さんから「俺の昔のこと知ってるの?」と聞かれ、「ええ、少し…」と答えた程度のやりとりだったそうだ。猪木さんに対しては、演技指導というよりも、気持を入れてもらうということが、ポイントだったようだ。

アントニオ猪木が亡き息子に思いを馳せ、滂沱の涙にくれるシーンの撮影の日は、猪木さんはロケセットの体育館の隅で、何かに集中するようにジッと朝から入魂・瞑想していたそうだ。監督としての辻仁成は全スタッフに、とにかく猪木さんをそっとしておこう、そして、このシーンはかならず一発で撮ろう!、そこに全精力を注ごう!と、檄を飛ばしたそうだ。結果は一発勝負の5分長回しでOKとなり、映画に採用したのはその中の凝縮された部分の1分だそうだ。ここでも、猪木さんとスタッフのおかげですと、辻監督は謙虚だった。

●謙虚さがもたらした「ACACIA」の良さ その3
辻仁成監督は、美術スタッフに関しても感謝の意を表していた。アントニオ猪木の住むアパートの庭にある花壇はロケである。ただ、アパートの室内は、ロケ地の近くにある体育館内に組んだセットだそうだ。そこで、屋外ロケが終わり、室内からのショットになった時、美術スタッフはロケ地のアパートの庭から、寸分たがわぬ形で速やかにセットの窓の外に花壇を移設したそうである。「映画は一人でできません。皆さんの協力のもとにできるのです」と、ここでも辻監督は謙虚だった。

「監督がやろうが、脚本にあろうが、そんなことはどうだっていいんです。良い映画ができればいいんですよ」と語った野上龍雄さんのことが思い出された。映画とはそうしたものだろう。辻仁成監督は、「千年旅人」に比べて、今回はアントニオ猪木・北村一輝など、優れた協力者に恵まれたということだと思う。

なお、タイトル「ACACIA」の由来は、アカシアとは世界中どこでも咲く強い木ということからの、思いを込めてつけたと、辻監督から解明があった。それから、英語字幕によると監督は「ジンセイ・ツジ」だが、脚本は「ヒトナリ・ツジ」だった。作家としては「つじ・ひとなり」ということらしい。

●侮れない傑作「風が強く吹いている」
六本木を後に、「風が強く吹いている」の試写会場、新橋のヤクルトホールへ向かう。プレゼントしてくれた「映画友の会」のB女史はすでに鑑賞済で、「侮れませんよ」と言っていた。侮れないどころではなかった。これはベストテン級の秀作である。日本を代表する脚本家の一人になった大森寿美男の初監督作品だが、脚本の構成の素晴らしさは勿論、箱根駅伝というスケールの大きい題材を、的確に映像に具象化見せた演出力は半端ではない。お礼がてら、B女史に感想のメールを入れたら、「私もベストテンに入れるつもりです」との返信があった。

パッとしないランナー10人が箱根駅伝を目指す。高いハードルだが、映画の着地点は見えている。必ず出場を果たし、それなりの実績を残すだろう。でも、どうやって、そこまで説得力を持って描いて到達させるか。そこが勝負のすべてだ。映画の創りとしては極めて古典的だが、私はこういうキッチリした構成の映画が好きだ。

箱根駅伝出場に至るまでの、映画的説得力は見事だった。何よりも小出恵介・林遣都以下、ランナー10人全員のキャラが立っているのがいい。走るポーズも鍛え上げられ、完成している。キッチリ、映画的に「眼で見せて」いる。そして、優勝なんて出来過ぎなラストでなく、ありえてもおかしくない成果で決着するのも、映画的説得力を高めている。でも、ここで「優勝しない」って言っちゃうのも、ネタバレの禁句なんだろうか。箱根駅伝は歴代の多くの補欠を擁した名門チームが、めじろ押しなのである。控えのいない10人だけのポっと出の大学陸上部が優勝するなんてことは、いくら映画でも荒唐無稽過ぎるのは、誰にも明白だろう。ラストを「それなりの成果」とボカしたことで、十分にネタバレ暴露ルールは守ったと私は思うが、どうだろう。

ただし、途中で気になりだしたことがあった。この映画は2時間10分を越えている。しかし、このクラシカルな構成の映画は、どう考えたって90分に納める話だ。しかし、それは杞憂に終わった。クライマックスの箱根駅伝では、これまでの10人のランナーの過去と連動して、全員に見せ場が与えられていくのである。これなら2時間以上かかる。いや、2時間以上必要である。箱根駅伝のダイナミックな映像は、「映画は眼で見せる」王道でもあり、1区から10区まで、10人全員の順に延々と見せ場が連続していくあたりも、箱根駅伝コースの地形の変化のアクセントと相まって、飽かせることなくグイグイと観客を引っ張って行く。昔の、基本的に90分前後に納めろとの要請がある撮影所システムの中では、多分不可能な映画だったとも言える。そういう意味では、立派に21世紀の日本映画でもあった。

●「風が強く吹いている」と対照的な愚作「ROOKIES−卒業−」
「風が強く吹いている」を観ると、同じスポーツものということで、最近大ヒットした「ROOKIES−卒業−」を思い出す。こちらも2時間10分を越える長尺であるが、全くの愚作であった。甲子園のシーンが終わったのに、まだ30分も残っている。どうするのかと思ったら、佐藤隆太の教師に、卒業するナインが順番に感謝の言葉を捧げ涙を流し、抱き合ったりするのである。似たような場面が延々と続けられる。確かに、こんなことをしていれば2時間は越えるだろうが、そこには何の意味もない。映画の構成とはどういうものか。映画の時間とはどう使うものか。それを明確に示したのが、傑作「風が強く吹いている」と、愚作「ROOKIES−卒業−」の対比であった。

ただ、今の若い人で「風が強く吹いている」を観るのは、多分「ROOKIES−卒業−」の10分の1にも達しないであろうと、私は危惧する。寂しい話である。淀川長治さんは言われた。「若い頃には良いものを観て、感覚を磨きなさい、眼を鍛えなさい。そうしないと感覚が荒れます。眼が腐りますよ」これからはどうも、映画を観る眼が腐った人が増えていきそうである。と、何だか最近は年寄りの愚痴みたいなことばかり言っている昨今だなあ。

でも、私にとって「ROOKIES−卒業−」は、愚作ではあるが憎めない映画であることも確かである。私は、満員の立川シネマシティで観た。場内は若者の熱気に溢れ、オッサンの私は浮いていた。終映後は、感動と興奮を口にしながら退場する若者に囲まれて、帰路についた。連続TVドラマを観ていない私にとっては、観ている者だけに解ればいいとの映画話法はかなり不親切に見えたし、最後の教師とナインの延々たる別れのシーンなんて、退屈で鼻白むだけだった。けれども、場内で感動している若者は、きっと長時間・長期間に愛着を持って観続けてきたTVドラマの記憶の累積と相乗されて、胸がいっぱいだったのだろう。いずれにしても映画館が、映画愛に満たされた空間と化していることは、悪い心地にはならない。憎めない映画と言ったのは、そういうことである。いや、こういう形の映画は、私にとっては映画とは別物という気もしないでもない。しかし、これも映画であることは紛れもない事実であり、映画とはこういう観られ方もありなのだと、納得もさせられたのである。

映画の良し悪しは、観られ方の問題も関係してくる。例えばピンク映画大賞では全く評価されない新田栄作品が典型的だ。濡れ場の方便だけのストーリー展開と一本調子のアヘアヘ濡れ場は、1時間の映画の最初から最後まで観て面白さを感じる者にとっては最悪だが、上野の出張の時間待ちサラリーマン、新橋の外勤サボリのセールスマンにとっては、どこから観てどこから帰っても同じの金太郎飴みたいなピンク映画の方がいいのである。

●私の東京国際映画祭 第3日 2009年10月23日(金)
私の東京国際映画祭の3日目は、私の図々しいおねだりに応じてくれた事務局の方のご厚意で、朝から晩まで3本連チャンの映画祭漬けである。Screen7で、アメリカ出品のコンペティション作品「NYスタテンアイランド物語」、アジアの風部門の東アジアからの出品作で韓流「よく知りもしないくせに」、と続けて鑑賞した後、Screen2の日本映画ある視点部門「ジャングルハウス3ガス 林家三平」に回る。いかにも国際色豊かな連チャンとなり、東京国際映画の匂いを、タップリ嗅がせていただいた。

●亜流タラ映画?「NYスタテンアイランド物語」
「NYスタテンアイランド物語」は、一応は面白く見られた。舞台となった土地が面白い。スタテンアイランドとは、ニューヨーク市の南西部に位置する島である。ニューヨーク市はいくつかの島で構成され、マンハッタンとかブルックリンとか世界的に著名な島が数ある中で、スタテンアイランドは超マイナーである。ニューヨーク市の予算でスタテンアイランドの分だけ忘れられたとかの、ホントかいなと思えるようなことまであったそうだ。そのマイナーな島内で展開するマフィアの抗争劇だが、何せ場所が場所だけに侘びしくセコいのが、何とも味わいがある。ラスト近く、意外な人間が物語の中心に躍り出る意外性も悪くない。「ジャック」「交渉人」「アサルト13要塞警察」などの脚本を書いたジェームズ・デモナコの初監督作品である。

ただ、私にとってはイマイチの映画だったのも事実だ。ストーリーはいくつかのモザイクにバラされ、時制は錯綜し、そのピースがラストに向かってピタリと嵌って行く。タランティーノの「レザボアドッグス」「パルプ・フィクション」のタッチである。実は、私はこの手のドラマ構成に食傷気味なのだ。最近では、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥとの名コンビ脚本家ギジェルモ・アリアガの監督進出作「あの日、欲望の大地で」がそうだった。そして、過去のイニャリトゥ作品の東京国際映画祭グランプリ「アモーレス・ペロス」、「21グラム」「バベル」と、全部そうなのである。もういいよ、ちゃんと時制順に素直にドラマ展開してみたら、と言いたくなってくるのだ。(もっともこの手の映画は、時制順に整理したら大したドラマじゃなかったというのも、少なくない)

日本では、橋本忍がこの陥穽に一時期嵌っていたみたいだ。「切腹」は、井伊家の庭先で切腹を所望する仲代達矢が斬り死にするまでの、実時間では短いドラマだが、仲代の身の上話で2時間半の映画全体を引っ張っていく。この映画に関しては効果的だったが、その後の「上意討ち−拝領妻始末−」でも、同じ手を使った。荒れ野で三船敏郎と仲代達也が決闘に臨むべく対峙するシーンに始まり、延々とそこに至る経過を回想した果てに、決闘で決着するのである。こんな回りくどいことをしないで、時制の順にドラマを展開したら良いのにと、感じたものであった。

 でも、これを逆説的に活かせて魅せた映画もあった。石原裕次郎の「夜霧のブルース」である。裕次郎が暴力団事務所を訪れるところから始まる。延々と身の上話を始める。恋人浅丘ルリ子との出会いから、恋に至る道、イチャイチャするシーン、客はいつしか裕次郎の身の上話の映像化だったことを忘れかけている。そのイチャイチャのピークで、暴力団組長の山茶花究が「いい加減にしろ!」と怒鳴り、一気に現実に引き戻されるあたりは、大爆笑ものであった。

上映終了後のトークショー・ティーチインが始まる。ゲストはジェームズ・デモナコ監督だ。開始に先立ち、少々の空席があったので司会者から、皆さんよろしかったら前に詰めて下さい、とのサゼッションがある。私も前の席に移動する。前の方が挙手した場合、司会者の指名を受けやすい。湯布院だけでなく、東京国際映画祭で発言するのも、悪くないかなとも思ったのである。しかし、作品が悪い。「亜流タラ(タランティーノ)映画ですか?」なんて、とても失礼ながら聞けない。参加者の発言は肯定的なものが続く。「絶対に日本公開を!」とエールも飛ぶ。確かに、変に映画ズレしていなければ、それなりの面白さはある。例えば、ラストの脇と見えた人物が、メインに躍り出てくるあたりは面白いところだが、映画ズレ人種は、あ、これ「ユージュアル・サスペクツ」だよなと思ってしまうのが、切ないところなのだ。私は結局、沈黙で終わった。

●いかにも韓流「よく知りもしないくせに」
続いては同じScreen7で引き続き、アジアの風部門・東アジア出品作の韓流「よく知りもしないくせに」だ。この日の鑑賞作品では、「NYスタテンアイランド物語」97分、「ジャングルハウス3ガス 林家三平」73分に比して、これは126分とやや長尺だ。

いかにも韓流らしいコメディだった。主人公は、それなりに名の通ったインディーズ系のアートフィルム監督。女に対して不器用な男のオロオロ感が笑わせる。ある映画祭の審査員に招待される。その審査員には、俗物売れっ子プレーボーイ監督もいる。女優などを引きこんで宿舎でのパーティーとなる。女に対して不器用な主人公の、場にうまく合わせられない挙措が笑わせる。しかし、これでは2時間持つ話じゃないよなと思えてきたが、ちゃん仕掛けがあった。

猥雑な雰囲気に、主人公は耐えられず逃げだす。翌朝、プレイボーイ監督とレイプまがいに関係させられた女性がいたことを、審査委員会の女性が主人公に告げる。あなたが中座したのが悪いと、非難される。女に不器用で、全部悪者にされてしまう男の悲哀が漂う。ここまでが1時間、話は後半に転調する。2部構成なのだ。これなら2時間は必要な映画である。

後半は、帰郷した主人公のインディーズ系監督の話になる。彼が尊敬して育った郷里の恩師の画家に会う。その妻が火遊びのネタに彼を誘惑する。結局は不倫がバレてしまうが、そのすべても彼のせいにされてしまう。女に不器用な男と元気な女、振り回される男の悲哀、「猟奇的な彼女」に通じる、女が元気で男が情けない韓流伝統コメディであった。

一時期に、韓流ともてはやされた韓国映画であるが、私に言わせれば、撮影所システム全盛時代の日本映画のコピーじゃないかとの印象だった。しかし、「猟奇的な彼女」のチョン・ジヒョンだけはちがった。こういうタイプのヒロインだけは、撮影所システム全盛時代時代の日本映画にはいなかった。そこが韓流の韓流たる所以といったところか。

●「映画友の会」N女史のパワーに脱帽
「よく知りもしないくせに」の会場で、「東京映画友の会」のN女史に会う。N女史の今日の本命は、オールナイトの「映画人、松田優作の世界〜没後20周年特別企画〜」だそうだ。N女史は「映画友の会」では、「イケメンハンター」の通称で罷り通っている。現在のトップワンは松田龍平だそうだ。なるほど、それでは父親の優作のイベントは外せないだろう。

それ以前のトップワンはオダギリジョーだったが、香椎由宇との結婚で、ベステン圏外に転落したそうだ。香椎由宇という女性は、ホントに同性の反感を買う女優のようである。松田龍平の結婚ニュースが流れた時、一部「映画友の会」のお喋り雀は戦々恐々としたものだが、こちらの方はN女史は「あ、息子の結婚を祝福するようなものですから…」とケロケロしたものだった。風の便りに聞くと、最近は「オダギリジョーも許す」と言っていたとか言わないとか。そう言えばよく見たら第22回東京国際映画祭新聞「TIFF Times」の、優作イベント予定ゲストにオダギリジョーの名前もありました。

「よく知りもしないくせに」の終映は15時過ぎ、N女史はこれからギンレイホールに行って寝て、オールナイトの体力温存に備えるという。(多分、ギンレイホールの年間パスポート保有者なのだろう)それならば、最初から家でゆっくり寝て、オールナイトから参加すればよいだろうにと思うが、折角「東京国際映画祭」に参加するなら、もう一本くらいついでに観ておこうとの映画ファン心理は、私にもよく解る。しかし、N女史のパワーには、私ならずとも感嘆・脱帽の限りであろう。


●東京国際映画祭とは一味ちがうムード「ジャングルハウス3ガス 林家三平」
日本映画ある視点部門「ジャングルハウス3ガス 林家三平」の会場はScreen2、TOHOシネマズ六本木ヒルズの中では中位の定員の会場といったところだろうか。「映画友の会」の「真幸くあらば」に関わった映画プロデュースの人の言によると「ジャングルハウス3ガス 林家三平」はチケットの伸びが鈍いとのことだった。年明け早々に話題を集めたドキュメンタリー「小三治」は落語ブームに乗って、神保町シアターやポレポレ東中野といったミニシアターとはいえ、入場できなかったとの声を多々耳にしていたのに、「東京国際映画祭」でそんな状況だとしたら、世間のムードというのも浮つき過ぎで、あてにならないなとも感じた。でも、結果として当日の「ジャングルハウス3ガス 林家三平」は、ほぼ満席の盛況ではあった。

私は、この映画に関して、予備知識が全くなかったので、映画のタイトルの意味も知らなかった。ジャングルハウスという会場での、三平師匠のライブドキュメントかなとか思っていた。映画を観て思い出した。これは三平師匠の高名なギャグだった。
「もう〜大変なんですから、落語家は日本でしか仕事できませんから〜、英語でやったりしたら私なんてジャングルハウス3ガスだったりして〜」
 というやつである。林家三平の最後の「平」をおならに引っ掛けて、それをまたひねって「ガス」とするあたりが、三平師匠ならではの面目躍如のユーモアだ。

客席の雰囲気は、他の「東京国際映画祭」の会場ムードと、かなり異なった感じだった。落語家で、「映画芸術」を中心に評論活動をしたり、プロレス評論までリーチを伸ばし新作落語中心の活動をしている夢月亭清麿師匠の顔が見える。芸術祭賞受賞者の演芸作家・稲田和浩さんの顔も見える。挨拶を交わしている方々の雰囲気を見ると、寄席芸関係者の方が、多くを占めているような気がする。

ゲストは豪華だった。水谷俊之監督を筆頭に、故林家三平師匠夫人の海老名香葉子さん、二女の泰葉さん、長男の林家正蔵師匠、次男の三平師匠(当然二代目である)という布陣である。

国際映画祭とはやや異なる雰囲気を司会者も感じたせいか、「外国の方がいらっしゃらないようですが、通訳が必要な方、いらっしゃいますか」との呼び掛けがある。その後、外国人の存在に気付き「あ、失礼しました」とフォローしたが、当の外国の方から流暢な日本語で「通訳は必要ありません」と言明される。まあ、外国の人でも、そんな感じの人でなければ三平師匠のドキュメンタリーを観にこないではあろう。「では、通訳の方、お疲れさまでした」と即時退場に至り、会場内に和やかな笑いが溢れる。こうして、国際映画祭らしからぬ異例の幕開けとなる。ただ、日本人参加者の勝手な言い分として、これは良かった。これまでのトークショー・ティーチインでは、通訳が入るとはっきり言ってもどかしいし、時間が半分しか使えないという感じになるのである。

監督が水谷俊之というのには、私はちょっと危惧があった。「ひき逃げファミリー」はまずまずとしても、「ISOLA 多重人格少女」の監督である。この映画には、私はとんでもない思い出がある。これは、90年代末に恒例となった春のホラー2本立ての末期の一本で、併映は「リング0〜バースデイ」だった。私は特別鑑賞券を購入済だった。ある日、そうだ明日はこれを観に行くかと思い、鑑賞券を探した。ところが、これが見つからないのである。はて?と思案した結果、すでに観終わっていたことを思い出した。俺、ボケが始まったんじゃないだろうか。これは「リング」以上のホラーだった。その位、観たことを忘れてしまうほど印象薄い映画だったということだ。

トークショーで、水谷俊之監督起用の理由が判明した。水谷俊之は、TVドラマで風間杜夫主演の林家三平自伝ドラマの、監督だったのである。海老名一家に残されている断片的な林家三平師匠のビデオ・DVDがあるのだが、家族としてそれを纏めたいと思い、ドラマの縁で海老名一家がプライベートに依頼したのがスタートだそうだ。いっそのこと、本格的に映画化したらとの監督の提案で、結局映画化という話に発展したのである。

トークショーによると、映像の抽出は結構大変だったようだ。元来、記録映像として考えたものではなく、ホームビデオとして録画したものも多く、高座のいいところまで来たと思ったら、「西部警察」に切り替わっていたりしていたようだ。そんな制約の中で、声とスチールをコラボレートしたりして、実によく編集されていたと思う。

後日、夢月亭清麿師匠に伺ったお話では、この映画は二つの点で三平師匠のタブー、といって大袈裟ならば、今まで描かれなかった面を出していたのがユニークだったとのことだった。

一つは、若い頃に三木のり平などが参加するコミックバンドの場に顔を出していたことだ。これまでは三平師匠は、一見軽佻浮薄に見えて、若い頃は落語一筋たったとの伝説があったのだ。ただこうした体験が、後に落語家の枠を越え「昭和の爆笑王」としてブレークした原点でもあるのだろう。

二つめは、三平師匠はよき家庭人であったとのことだったが、それは間違いないにしても、妾宅に入り浸りになったこともある艶福家でもあったということだ。このあたりは映画の中で海老名香葉子夫人が、詳細に語っている。この香葉子夫人のインタビュー風景は、73分の映画中のほんの一部だが、実際には半生を振り返って6時間に及んだそうだ。そんなことからトークショーでの香葉子夫人も熱が入り、「お母さん、キリがないから」と娘の泰葉さんからブレーキがかかる微笑ましい一幕もあった。

改めて見返すと、林家三平師匠は現代お笑いブームを、完全に先取りしていたような気がする。今の若手お笑い芸人の弾けに比しても、遜色がないのである。それだけに、俗悪番組として賛否両論あった大人気番組の「踊って踊って歌合戦」の大ブレークの司会っぷりが、スチール写真でしか登場しなかったのは残念だった。ここが海老名一家のホーム映像コレクションが題材である映画故の限界といったところだろう。TV局の記録なども総ざらいしての、本格的な林家三平ドキュメントも欲しいところである。

最近の招待は2名様が定番で、事務局の方のご厚意の招待券もそうであった。しかし、私のような定年退職者はいざ知らず、皆様お忙しい方ばかりで、平日夜の試写会の相方探しにも苦労する昨今であるから、もう1名の招待枠は失礼するしかないかなと思っていた。そこでふと、「映画友の会」の旧友で宇部興産の定年退職者Uさんの顔が浮かんだ。声をかけたら喜んでかけつけて来て、二人で「東京国際映画祭」を堪能した。そして、「ジャングルハウス3ガス 林家三平」のエンドクレジットで、「オーッ」と声を上げた。何と!編集が鵜飼邦彦さんなのである。鵜飼さんは、やはり「映画友の会」の旧友で、日活出身。長谷部安春作品の編集にも携わっていたようだ。最近では、吉行由美作品をよく担当しているようである。思いがけない旧友とのクレジットの再会に、声を上げてしまったわけだが、もちろんそんなことで感激するのは、我々「映画友の会」の二人だけである。でも、フィナーレとしての感慨としては、画龍点睛であった。水谷俊之監督もピンクに関わっているから、そのあたりの縁つながりなのだろうか。

さて、前に述べた私の「東京国際映画祭」の発言デビューは、残念ながら今回は果たせなかった。「NYスタテンアイランド物語」で発言を控えたのは、前述のとおりである。「よく知りもしないくせに」にはゲストの来日はなかった。「ジャングルハウス3ガス 林家三平」の上映会場は、前に述べたが寄席芸に造詣の深い人に埋め尽くされている感じなので、ちょっと私がティーチインで発言するのは場違いに思え自粛した。

ティーチインの最後は泰葉さんが締めくくった。日本映画ある視点部門でグランプリを獲ると、100万円の賞金が出る。(過去の受賞作に相米慎二の「台風クラブ」もある)「もし、グランプリを獲ったら、監督は何に使われるつもりですか」との質問だった。監督は「プリント代に当てようかと思っていましたが、林家三平賞創設の基金にしたいと思っています」と答えた。林家三平賞創設は、グリーンカーペット上で、泰葉さんが監督にアイデアとして話したことだそうだ。こうして、ティーチインは泰葉さんの感激の図で締めくくられた。結果的に「ジャングルハウス3ガス 林家三平」は、グランプリを逸したのは皆様ご存じのとおりである。

●2009年10月29日(木)演劇「ろうろう」の話題
10月29日(木)、SATOMIこと里見瑤子さん出演のお芝居「ろうろう」を下北沢・本多劇場に観に行く。最近の私は、ほとんど里見さんの追っかけと化している。

太古の時代、紀元前、紀元後、昭和、そして未来と、時空間を横断した壮大なドラマである。里見瑤子さんは、戦前の終戦間際、夫がスパイ容疑で処刑され、非国民との周囲の眼差しの中で、娘を生み落とす。そしてそんな出生の故か、オドオドと生きているその娘との、二役である。昭和の女の顔になっていたのが見事だった。30名弱の出演者が出る群像劇で、半数が女優だが、昭和の女の顔が出せたのは里見瑤子さん一人だった。かつての年齢不詳・性別不詳の宇宙人、キャピキャピの平成ギャルが、今や昭和の女の顔を出せるようになったのには、感慨深いものがある。
映画三昧日記2009年−19

●毎日が映画祭状況は続く
東京というのは、本当に毎日が映画祭の状況だ。渋谷のシネマヴェーラで「追悼、長谷部安春」開催中ならば、阿佐ヶ谷のラピュタでは「CINEMA忍法帳」を開催中だ。

10月6日(火)のシネマヴェーラ渋谷の「縄張はもらった」「みな殺しの拳銃」の2本立の12時35分からの回に入ると、ラピュタ阿佐ヶ谷の17時10分からの「隠密剣士」2部作連続上映とうまく繋げることができる。早速、それにのっとって1日映画三昧のスケジュールを組む。

完全フリー24時間映画三昧の年金生活者になり、新作だけでなく旧作の見逃していた気になる数々の映画鑑賞にまでリーチを拡げたら、本当に果てしがなくなった。私の一生かけても映画100年余の先人の財産は、貪り尽くせないことが分かってきた。生きている限り貪ろうと腹をくくった。

日活ニューアクションの代表的名作と言われる「縄張はもらった」を、私は見逃している。60年代の私は、ガチガチの東映任侠派だったから、日活にとってはあまり良い客ではなかった。後年、友人から「縄張はもらった」は凄いと聞かされて、『そう、同じ長谷部の「広域暴力 流血の縄張」は見たけど…』と答えると、「あんなもの! 桁がちがうよ」と返されて、歯ぎしりしたものだ。映画ファンってこういう状況に陥ると、本当に悔しい。

「縄張はもらった」の上映は2回、6日(火)と9日(金)だ。併映は6日(火)が「みな殺しの拳銃」、9日(金)は「野良猫ロック セックスハンター」だ。「セックスハンター」はすでに観ている。日活ニューアクションのベストワンと言っていい作品だし、この年1970年の日本映画を代表する1本だろう。しかし、私は「みな殺しの拳銃」の方を取った。なぜならば、こちらは未見だったからだ。宍戸錠のハードボイルド映画の隠れた佳作と言われているこの作品も未見だったということは、いかにこの時期の私は、日活にとってよい客でなかったかの証であろう。

その後に「隠密剣士」2部作を、なんで阿佐ヶ谷まで回って御苦労にも観にいくの?と思う人もいそうだ。確かに、公開当時に酷評にさらされた映画だった。TV映画で一世を風靡した「隠密剣士」の船床定男監督を、東映が映画に引っ張り出したということで、製作当初は大いに話題になった。そして、完成してみんな唖然とした。こんなにスカスカな画面しか造れない人だったのか、と呆然とされた。当然、その世評を聞いて、リアルタイムでは私は観に行く気が起きなかった。ただ、TV映画「隠密剣士」のスピーディーな迫力は、今も私の記憶に残っている。悪趣味かもしれないが、その「スカスカ」ぶりを我が目で確認したくなったのである。こんなところまでリーチを伸ばし出しては、観ても観ても観きれなくなるのは当然ですね。

●噂にたがわぬ大傑作!「縄張はもらった」
「縄張はもらった」は噂にたがわぬ大傑作だった。農地を買収し工場建設に動いている地方の新興都市に、昔気質の地元のヤクザと、新興暴力団がしのぎを削っている。そこに主人公の小林旭が不動産屋として乗り込み、両者の衝突を巧みに利用しながら勢力を固めていく。

この非情な集団抗争劇が凄い。長谷部安春のスピーディーな映画演出は、後年の「仁義なき戦い」を彷彿させる。「仁義なき戦い」は1973年、「縄張はもらった」は遡ること5年の1968年、素晴らしいばかりの先取りである。いや、その彼方には黒澤明の傑作「用心棒」の遺伝子すら垣間見えるのである。

新興都市に乗り込むのは、小林旭を含めて7人、残る6人は岡崎二朗・川地民夫・藤竜矢・郷^治・大浜詩郎・二谷英明、目も眩むようなキャスティングである。そして、この全員が見事にキャラが立っている。深作欣二「ギャング同盟」で大組織に牙を?く七人衆に匹敵する魅惑である。もちろん遠くは「七人の侍」がルーツであろう。

これに、小林旭を弟の仇としてつけ狙う宍戸錠がからむという厚みである。この二人の愛憎半ばする顛末は、もちろん「渡り鳥」シリーズの流れの末であり、懐かしき日活「味噌汁」ウエスタンの味も、しっかり調味料としているのだ。

日本が近代化していく中での、農業の衰退から工業化に至る新興都市の流れ。その中で組織暴力も変容していく。これは深作欣二「解散式」のテーマにも通底している。それやこれやのボリュームある内容を盛り込んでの上映時間は95分、でもたっぷり満腹感がある。現代で意味もなく2時間を平気で越える映画を濫作している映画作家は、少し勉強し直した方がよいのではないか。

ただし、収束はやはりこの時代らしい限界を感じる。非情に見えた小林旭も、抗争で勝利を納めると、農地を手放した農民の受け入れ先として、堅気になって建設会社を立ち上げる。そこで新たな抗争が勃発し、流れ弾で清らかな娘の太田雅子(後の梶芽衣子)が犠牲になる。後はヤクザに戻った旭の殴り込みというルーティンの展開になる。ここで、宍戸錠が「惚れっぽいのが俺の悪い癖だ。でも野郎に惚れたのは初めてだ」と粋な台詞を口にして、殴り込みに同行するのは、ルーティンながら、楽しい見ものであった。

この映画には、他でも多くの長谷部安春の名演出が観られるが、すでに渡辺武信さんの名著「日活アクションの華麗な世界」に詳述されているので、ここで屋上屋を重ねるのは控えたい。

●いろいろ思うところあった「隠密剣士」

渋谷から阿佐ヶ谷に向かい、1964年作品「隠密剣士」「続・隠密剣士」の2部作を連続して観る。確かに当時の世評のとおり「スカスカ」な映像だった。いや、TVから進出した船床定男監督は、ワイドスクリーンを得て、それなりに頑張っているのは確かだ。第1作で、譜代大名の行列を、海岸添いの街道で忍者集団が襲うプロローグは、激しいスタント、炸裂する火薬と、なかなかTVにできないスケールのものをやろうと、工夫している。しかし、この時代の東映プログラムピクチャー時代劇で鍛え上げた数々の職人監督が創り続けてきた画面と比べると、明らかに「スカスカ」なのだ。東映職人監督の腕の確かさを改めて確認するとともに、TV映画で魅せた「隠密剣士」のスピーディーな迫力は、何だったんだろうと思わせられた。

一つは、TVというのはキャラクターが全面に出るということであろう。キャラクターに関しては大瀬康一=秋草新太郎、牧冬吉=霧の遁兵衛、天津敏=風摩小太郎(第1作では同工異曲の別の役だったが)と、十分魅力的である。特に天津敏の悪玉の凄みは出色ものである。これがあるから、ヒーローはより引き立つのである。また、「くノ一」でデビュー間もない藤純子が、初々しい魅力を発散する。この時代の藤純子代表作と言ってもよいだろう。キャラを立てるということでは、船床定男監督は大いなる才能があったのではないか。

TV映画の場合、キャラさえ創り込めてしまえば、画面をそんなに創り込まなくても、何とかなる。いや、変に画面創りに凝っても、小さなブラウン管では、よく見えないだけである。だから、キャラのアップと、フォトジェニーよりもスピーディーなカッティングのモンタージュが、効果的になるのではないか。TVは所詮只だからとの、視聴者の安易な感覚もあると思う。

●TVと映画 「月光仮面」のことなど
「隠密剣士」は宣弘社製作で、船床定男=大瀬康一の監督・主演が名コンビであった。「隠密剣士」に先立つ「月光仮面」が、出世作であった。この「月光仮面」も「隠密剣士同様に、東映で映画化された。ただし「隠密剣士」と異なり、完全に映画版リニューアルであった。監督は「警視庁物語」や松本清張ミステリーで演出力を発揮した小林恒夫、主演の月光仮面=祝十郎は売り出し中の長身の二枚目・大村文武だった。

これは、成功したと私は思う。小林恒夫は、昔懐かし活動大寫真のタッチで、鮮やかに「月光仮面」を映画の中でリニューアルさせた。1958年当時、小学校高学年だった私は、さすがは映画だ!と思い、やはりTVはチャチなんだな、と痛感した。「隠密剣士」を映画として成功させるには、やはりこうした映画的リニューアルを試行すべきだったような気がする。

だが、私の友達の反応は、全然ちがった。映画はつまらない、第一、祝十郎の顔がちがう、との感想だった。ここに、この頃のTVというメディアの勢いを感じた。当時のTVに抱く子供たちのロマンはそれほど大きかったのだ。私の育った千住の下町では、まだTVは一般の家庭に普及していなかった。大きな家のお金持ち(お大尽という言い方もあった)のみにある家電だった。「月光仮面」や「スーパーマン」などの時間帯になると、そんな広い家の広いお茶の間に、近所の子供が「TV、見せてぇー」と、続々とつめかける。その頃の下町の「お大尽」は鷹揚なもので、ニコニコして「はいどうぞ」と迎え、お菓子まで配ってくれたものだ。

こうして、TVの魅力は当時の子供たちに深く浸透していった。画面はチャチだろうが、やはり月光仮面=祝十郎は、馴染み親しんだ大瀬康一でなくてはならないのである。そして、子供たちは親に「TV買って」とおねだりする。時代は高度経済成長時代、人々は若干の余裕が出れば、次々とTVを購入した。そして、TVがあるからもう映画館は行かないよ!と親に念を押され(確かに無理してTVを購入すれば、ほとんどの庶民はもう家計に余裕はない)、映画は一気に斜陽のドン底へと転落していく。「映画の方が、桁違いに迫力があるのに」と思った異端の子供の私は、時代から落ちこぼれていくのである。

●60年代の映画とTVの力関係
1960年代は、日本映画の黄金時代だったとの、まちがった伝説が流布している。リアルタイムで生きた私の認識は、全くちがう。映画は、完全に大衆に無視されつくし、TVがどんどん興隆していった時代だったのだ。そういう風に思われていないのは、現在も映画について語る層が、当時は数少なかった高学歴者の映画青年(この言葉と文学少女は、いまや死後ですね)や業界人種だからだろう。60年代、一般大衆にとって、映画の存在感は皆無に近かったのだ。

「映画検定 公式テキストブック」によれば、映画人口のピークは1957年の11億2745万2千人である。そして、1973年には1億8532万4千人のピーク時の約16%まで減少の一途をたどるのだ。16年間で9億4212万8千人、毎年平均5888万3千人の減である。この数字が端的に示している。ちなみに、映画人口は現在に至るまで、このドン底のラインを上下しているに過ぎない。

だから、一部のインテリ層・業界人以外では、この時期のマスコミとしての映画は、存在しないに等しかった。特に私のような男中心の技術系会社では、映画を観続けているなんて、変人扱いだった。「映画?まだあるの」「時代はTVだよ」「あんただけだよ、関心もってるの。誰も問題になんかしてないよ」「よくいつまでも、あんなもの観てるね」さんざんなものだった。ただ、映画人口の激減状況から見て、世間はそんなものだったと思う。60年代が映画黄金時代だというのは、今でも映画を表に出て語る一部のインテリ層・業界人の錯覚に過ぎない。

60年代半ばに「忍者ブーム」なるものが発生した。今の映画ファンは、山本薩夫=市川雷蔵の1962年作品「忍びの者」が起点だと勝手に思い込んでいるだろう。でも、世間では「隠密剣士」の存在の方が、圧倒的に大きかったのだ。『「忍びの者」、何?それ』「そんな映画もあったみたいだねえ」程度だったのだ。

1967年、岩下志痲が「智恵子抄」を大ヒットさせた時の、こんなエピソードを覚えている。この年、岩下志痲は「花いちもんめ」でTVドラマに初出演した。『映画であれだけ話題になってる「智恵子抄」なんですけど、道で会う人は「花いちもんめ」の話題ばかり、「智恵子抄」は知らないんですね。少し寂しいです』というようなことを語っていた。60年代の映画の存在感なんて、そんな程度だったのだ。

●TVと映画の映像の縦断「若者たち」

それでも何となく、映画「隠密剣士」の映像はスカスカで、映画作家の映像には、TVでは到底太刀打ちできない映像の重みがあるとの神話は、ある時期まではあったと思う。その垣根を破ってしまったのが、良い意味でも悪い意味でも、1967年の「若者たち」だ。

「若者たち」は、両親のいない田中邦衛・橋本功・山本圭・松山省二・佐藤オリエの五人兄弟妹が、世間の荒波にもまれ、様々な社会的問題に対し立ち向かっていくフジTVのディスカッションドラマである。一家の苗字は佐藤という日本の典型で、名前の方は太郎・二郎・三郎・末吉とこれも典型で、末娘がオリエ、佐藤オリエはこの役名が芸名となる。その熱い議論は、ほとんどがクローズアップの切り返しで描写され、それがTVならではの迫力を持って、当時の我々若者を熱くさせたのであった。

ところが、この番組は唐突に打ち切りになる。内容が過激に走り過ぎたとか、どこかから圧力がかかったとかの世評もあったが、固い番組はTVに馴染まないとの一般的理由で、お茶を濁される顛末となる。そこで、映画化によるリベンジが模索される。監督はTVと同様の森川時久だ。

映画は完成した。しかし、この時代の配給系統は松竹・東宝・大映・東映・日活の大手五社の独占状態にある。当然ながらTV局同様に、固い映画に客は入らないとの理由で、配給会社は手を出さない。そこで、よみうりホールでのロードショーという異例の配給に出たら、これが大ヒットした。(現金なもので1969年の「若者はゆく −続・若者たち−」は松竹が配給に名乗りを上げた)

「若者たち」を観て、私は仰天した。クローズアップの激しい切り返しが連続するディスカッション、そこにあるのはTVドラマと寸分変わらない森川時久の演出があったのである。では、つまらなかったか。そんなことはない。単純にTVのタッチが、大スクリーンに投影されるだけで、熱気は倍加し、私を感動させた。そうか、映画ならではの特権的な映像なんてないんだ、映画って何でもありなんだ、と思えてきた。

「若者たち」に限っては、成功作だと私は思う。しかし、その罪も大きかったのではないか。ここらあたりから、撮影所システムで鍛え上げられていないガサツな映像でも、金を払って見せる映画として許されてしまう風潮の萌芽があったのではないだろうか。それは、現代のTVドラマみたいな映画の映像の氾濫に、繋がっていると思う。

●映画表現の「粋」と「野暮」について
当時の「映画友の会」で、淀川長治さんは半ば怒りを露わにして、「若者たち」を酷評した。「あんなものだけを観ていてはいけません」といった意味のことを言っていた。「粋」な表現を尊ぶ淀川さんの眼からは、「若者たち」は「野暮」の骨頂に見えたことだろう。

9月21日の私の掲示板に、「黒い手袋」さんから、以下の書き込みがあった。
『淀川長治先生は、「映画は眼で見せる」とよくおっしゃっていたと書かれていますが、私が晩年の淀川先生の講演を、幸い何度か聴く機会があった際のお話では、むしろ「見せずに描く」といった作品をほめていたような気がします。

一例を挙げさせていただくと、よくマルグリット・デュラス脚本、アンリ・コルピ監督の「かくも長き不在」をほめておられましたが、そういう時には「この映画には、ドンパチの場面は一つもありません。でも、戦争が、人の体だけではなく、心にまで、どれほど消えない傷を一生のこすのかが、脚本や演出の力できちんと描かれてます。立派ですねえ。血や内臓をこれでもかこれでもかと飛び散らさなくては、戦争の悲惨さを描けないと思ってる、オリバー・ストーンやスピルバーグのようなバカ監督の映画とは、段違いだ。」というようなことおっしゃっていました。

晩年になって、色々と心境の変化があったのでしょうか?周磨様は、どう思われますか?もしよろしければお聞かせ下さい。(オリバー・ストーンやスピルバーグを、バカ監督とまでいったことも本当です。)』

返信として、私は以下のように書き込んだ。

『淀川長治さんは、「粋に眼で見せる」映画を絶賛しました。「野暮に見せる」映画は嫌悪しました。何が粋か、何が野暮かは各自の感性であることは確かです。淀川さんは感性の鋭敏な方でしたが、小林正樹や一部の大島渚作品は、酷評しておりました。それはそれで、良いのではないでしょうか。』これについて、もう少し考えてみたい。

淀川長治さんの「粋」な映画表現とは、映画の肉付けのことだと思う。だから映画の骨を、そのままディスカッションという形でクローズアップの連続で叩きつける「若者たち」に、当然嫌悪の情を催されたと思う。

その意味では、小林正樹監督作品に辛口だったのはよくわかる。代表作「人間の条件」「切腹」に典型的に見られるように、小林作品の特長は、作品の骨を剥きだしにして、さらにその先を尖らせるだけ尖らせて突き刺してくるような作風だからだ。同じリアリズム時代劇で、淀川さんが敬愛する黒澤明の三十郎シリーズ二部作と「切腹」を比較すると明白である。前者は、殺伐とした世界にユーモアの肉付けを施しているが、後者はひたすらギラギラと糞真面目である。

大島渚は、確信犯的に骨剥き出しの「野暮」な表現をする。「絞死刑」がその典型である。でも、「少年」や「儀式」のように、豊かな肉付け描写も見せてくれる。「きちんとしたものが撮れるのに、何で変なものばかり造るんですかね」といった意味のことを淀川さんは言われていた。その心境もよく分かるのである。

でも、そんな大島渚だからこそ、政治理論のみが飛び交う「野暮」なディスカッションドラマを、上質な舞台劇を思わせるシンプルな美術の「粋」でくるんだ傑作「日本の夜と霧」のような映画が創れたのだろう。後年、市川崑が「雪之丞変化」で同じ手法を採用するが、時代劇ならともかく政治劇にこの手法を取り入れる大島渚の才能は、やっぱり半端じゃない。そういえば、当時の若者の人気を大島渚と二分していた今村昌平作品は、常に淀川さんは絶賛されていた。確かに今村映画は、どんなに野暮な世界も肉付け豊かに「粋」に描いていたと思う。

●「粋」と「野暮」について、もう少し考える。

「粋」な人間は、「粋」なものの良さがよく分かる。そして、衣食住、会話・動作、そうしたライフワークもすべて「粋」である。多分、豊かな環境で育ち、高学歴の人だろうと思う。それほど豊かでなくとも、精神的情操が豊かさを有していたという環境に育つ場合もあるが、例外だろう。

一方、貧しい人間は「野暮」になってしまう。私なんかはその典型である。父親と小学生の時に死別し、生活保護母子家庭世帯に育ち、義務教育を終えたら自立を迫られる(私は企業内学園の道を選んだが)ような貧しかった者は、「粋」なんていっている精神的余裕はないのである。

最近、私が投稿欄などでそれなりの実績を残しながら、ついに映画評論家として本格的プロデビューができなかったのは、結局は私の「野暮」がなせる技のような気がしてきた。黙々と努力すればいつか機会があると「野暮」な努力をし続け、そんな空しい努力の空転の果てに、あるプロパーの人から「もっと売り込みなさい!」と発破をかけられ、結果としてその後は「野暮」な売り込みを乱発して、自滅したような気がする。「映画評論」なんて高学歴のインテリ世界で、「粋」な人ばかりなのだから、私のような「野暮」が入り込む余地は、もともとなかったのだろう。まあ、結果としてつつましく暮らしていけば、24時間映画三昧できる年金生活者の境遇をゲットしたのだから、この生き方も間違っていなかったわけではあるが、そもそもこんなボヤきめいたことを言っていること自体が、「野暮」の骨頂というものだ。

でも、「野暮」によいところもある。「野暮」な人間は「粋」なライフワークはこなせないが、「粋」な作品の良さを観て理解はできる。漢字は書けなくても読むことはできるということと、似たようなものだろう。ただ、淀川長治さんに代表されるように、「粋」な人というのは、「野暮」の作品の良さというのは、決して理解できないのだ。少なくとも作品鑑賞という次元においては、「野暮」な人間の方がリーチが長いということだ。と、ここは我田引水の理屈で、締めくくっておこう。

いずれにしても、見逃していた旧作をキックにして、ここまで話題がエスカレートするとは、いや〜映画史って奥が深いですね。温厚知新、結構なことではあります。
映画三昧日記2009年−18

平成21年8月22日(土)以来の「映画三昧日記」です。「湯布院映画祭日記」を終えて、帰還してまいりました。引き続き、よろしくお願いいたします。

●まずは「湯布院映画祭」の落ち穂拾いから,そして「カナザワ映画祭」への道程
「湯布院映画祭日記」で、会場近くのファミリーマートが移転し、参加者が軽食調達に苦労した話題を出した。軽食については、何年か前に映画祭会場の湯布院公民館ロビーで、コーヒーなどの飲み物に加え、調理パンなども販売したことがあったが、いつしかなくなった。やはり食物販売は、いろいろと問題があるのだろうか。

今年は、参加者に「ぶらり由布院駅周辺がってんなお店花の木通り」のチラシに、実行委員会の書き込みを加えたものが配布された。これはなかなかの好評だったようだ。花の木通りは、観光客目当てというよりも、魚屋や八百屋も軒を連ねており、通常の生活者が利用する飲食店が主体である。こういうのを紹介してもらった方が、値段・ボリューム共に映画祭参加者にとっても適度でよろしい。

「湯布院映画祭日記」でも紹介した替玉サービス2個まで無料の、私の愛用する長浜ラーメンも紹介されている。ただし、地元の人対応で観光客を意識していないせいか、昼食時間帯が終わるといったん店を閉めてしまうようだ。映画祭参加者の夕食時間5時から6時頃は閉まっているみたいで、今年も何人かの人は空振りに終わった。

「お馴染みおたべちゃん」の小ネタも入れときましょう。昨年の雨に濡れた路上での転倒手首骨折のような大ネタはないけれど、前夜祭の実行委員会との懇親会散会後、会場の乙丸地区公民館に見事にライターを忘れてきてしまったそうだ。宿にもどっての懇親で、盛んに他の人に火をねだるが、残念ながらそこに参集するお喋り雀には、喫煙者が一人もいない。ついに一服を我慢せざるをえない羽目になる。そして、自分の部屋に戻る時、懇親部屋に今度は煙草を忘れていってしまった。朝の一服もできなくなってしまったということだろう。

10年ぶりの参加を、連日お召し変えして艶やかな和服姿で闊歩したM女史のことは、すでに「湯布院映画祭日記」で紹介した。「荷物が大変でしょう。宅配便ですか?」と聞いたら、意外や手荷物だそうだ。帯はちょっとガサ張るが、意外と着物の方が小さく納められるそうだ。女性の衣服は意外とそんなものかもしれない。言われてみれば和服は案外コンパクトに収まりそうだ。

「湯布院映画祭日記」の特別試写「黄金花〜秘すれば花、死すれば蝶」のシンポジウムのところで、私は「宇宙意志」という言葉を使った。実は、そこで口に出さなかったが、山田正紀のSF小説「イリュミナシオン 君よ、非情の河を下れ」が、頭の片隅にあったのである。

山田正紀は、1975年に若冠23歳で「神狩り」を引っ提げてデビューし、驚異の新人として迎えられた作家だ。「神」という概念を、宗教的観点ではなく「SF的理論」で解析しようとした意欲作だった。「イリュミナシオン 君よ、非情の河を下れ」も、足掛け5年「SFマガジン」に連載され、本年7月号で完結した意欲作だ。私は、映画祭参加前にまとめて読み返している途中だったが、映画祭から帰って改めて最後まで読みとおし、やはり「黄金花」と共通する「宇宙意志」の思想を感じた。

「イリュミナシオン」という小説を簡単に要約するのは難しい。とりあえず私なりに要約してみるが、人によっては全然ちがうだろうと言われるかもしれない。私は解りやすく言えば、エイリアンとの戦争ものだと思う。政情不安定なアフリカの内戦に、「反復者」なる存在が介入しているらしい。それに対峙する国連領事・伊綾剛(いあやつよし、「オセロ」のイアーゴの意味も込められている)の話から幕を開ける。

「反復者」とは何か?それは、人類と全く世界の認識が異なる生物(?)らしい。人間が、個人の時間と空間内で認識したことを、「情報」として要約するのとは真逆に、時間・空間の総体を情報としてしか認識しえないのが「反復者」のようなのである。そのことを認識し、両者の仲介になりえたのが、詩人アルチュール・ランボーであったのだ。

人類と「反復者」の闘争は、一定方向にしか時間の流れを認識できない人類世界にも微妙な歪みを与える。伊綾剛(いあやつよし、イアーゴ)の下に、時空を超えてパウロ、阿修羅、ヴェルレーヌ、エミリー・ブロンテが集結し、「反復者」と抗争する。時間も空間も混沌とした中で、人が時系列に認識した空間が、この世界のすべてであるという概念が、大きく揺らいでくる。

人の意識は独立した特別のものというのは、間違いなのかもしれない。すべては、遺伝子の継続意志がすべてであり、あらゆる生命の一生は、その遺伝子に利用される一部に過ぎないのではないか。遺伝子から見た意識が、万物の正解かもしれぬとの見方も成立するのだ。私はそんなことも考える。

「湯布院映画祭」の冒頭で、私は「人間革命」2部作を観に、「カナザワ映画祭」に行くと記した。詳しくは次項以降に譲るが、これは驚異の映画であった。創価学会がエンタテインメントになるとは思わなかった。非学会員の舛田利雄=橋本忍の監督・脚本コンビ(主演はこれも非学会員の丹波哲郎)は、日蓮正宗=法華経に名を借り、エンタテインメントに名を借りて、とんでもない私言うところの「宇宙意志」に到達してしまったような気がする。製作元の創価学会も、このままではどこまで暴走するか分からないと感じ、第3部は無くなったのではないか。(原作者の池田大作が全面に出るのは、第3部以降なのである)ということで、以下はカナザワ映画祭への旅に繋がっていきます。

●「カナザワ映画祭」へ行ってみよう!
きっかけは、「ピンク映画大賞」投票者の鎌田一利さんの、mixiの日記だった。9月19日(土)〜23日(水)、シルバーウィーク復活と言われている秋の大型連休に開催される「カナザワ映画祭」で、「人間革命」「続・人間革命」が連続上映されるとの情報が、書き込んであるのだ。

一般的には、創価学会のプロパガンダ映画と認識され、一部映画ファンの間ではカルト的な注目を浴びているこの2部作だが、私は未見だった。また封切後、上映の機会もほとんどないのが実態である。

第1作「人間革命」は1973年作品、私が結婚早々の年であり、まだ仕事・子育て・家庭サービスに追われる直前で、十分鑑賞できる余裕はあったのだが見逃した。その頃の私は2番館・3番館専門だった。気長に2番館以降の上映を待っていた。ところが、大ヒットしたのにも関わらず、2番館以降に全く下りてこないのだ。よく考えれば、これは特殊な客層の映画で、学会員を中心とした観に来るべき人が封切館につめかければ、2番館以降に来る人はほとんどいないだろうから、下りるはずも無かったということだ。と、後日にそんな私の不明に気が付いたが後の祭りであった。

「続・人間革命」封切は、その3年後の1976年、この頃は仕事・家庭サービス期間の真っ盛りで、さすがにこんなカルト映画にまでは手が回らなかった。第1部・2時間40分、第2部・2時間39分、合わせて5時間を越える超大作である。これが、一気に観られるというのは、かなりおいしい番組である。

「人間革命」については、DVD発売されており、「映画友の会」のB氏が貸してくれるという話もあった。信濃町のどこぞに「決死の覚悟」で買いにいったとのことだが、それは構え過ぎでしょう。ただこの映画は、日蓮のいた鎌倉時代も再現する時代劇スペクタクルでもあり、天変地異を含んだ特撮スペクタクルであり、壮大なアニメシーンも含み、これは大画面で観るべき映画ではないかと思えてきた。音楽は伊福部昭で、ここもぜひ大音響の劇場上映での鑑賞と行きたいところである。(後述するが、結果として金沢まで足を延ばしての鑑賞は、正解であった)

カルト的支持者によれば、真に凄いのは第2部の「続・人間革命」の方だとも、漏れ聞いている。そうなると、最初の「人間革命」もさることながら、この際に金沢で一気に二部作を鑑賞できるのは、本当においしいと言える。「人間革命」以上に劇場上映機会がないのが、「続・人間革命」である。かくして、私はカナザワ映画祭参加を決意した。

●「カナザワ映画祭」の概要
早速ネットで、「カナザワ映画祭」情報を収集する。開催期間9月19日(土)〜23日(水)で、これが企画としてはかなり面白い。メインタイトルは「カナザワ映画祭2009 フィルマゲドン」、サブタイトルとして「新世界秩序サバイバルガイド」となっている。(後日、主催者「かなざわ映画の会」から、パンフレットを郵送してもらったが、これが岩波文庫を模した洒落たものだった。そういえば「湯布院映画祭」会場のロビーにも置いてありました)

上映作品は「未来世界」「カリスマ」「宗教」「新世界秩序」のテーマで選定されている。各テーマ毎の上映映画は次のとおりである。

 ・未来世界
  「2001年 宇宙の旅」「AKIRA」「半分人間」「アジアの逆襲」
  「THE MASTER OF SHATSU」
 ・カリスマ
  「フィツカラルド」「地獄の黙示録 特別完全版」「アレキサンダー」
 ・宗教
  「釈迦」「エッセネ派」「ノストラダムス 戦慄の啓示」「人間革命」
  「続・人間革命」
 ・新世界秩序
  「宇宙戦争」「ツァイトガイスト」「ツァイトガイスト:アデンタム」
  「天安門」「恐怖女子高校 女暴力教室」「日本暗殺秘録」「ラザロ」
  「FRAG」

この他には、まず初日に特別企画として金沢の中央公園で、入場無料「夜空を見上げるたびに思い出せ!」のキャッチフレーズによる覆面野外上映がある。(残念ながら私は初日には行っていないので、何が上映されたかは知らない)「上映後には先着順で素敵な金沢土産を進呈」という売りもあったようだ。もっとも「湯布院映画祭」でも、2002年の前夜祭で「天晴れ一番手柄 青春銭形平次」野外上映に先立ち、「菓子撒き平次」のふれこみで伊藤雄委員長以下何人かの方が、鬘をつけて菓子を撒き、子供達の人気を集めていたから、映画祭盛り上げの定番と言えなくもない。

後は「メトロポリス」伴奏付上映、「ライムスター宇多丸×高橋ヨシキ トークショー」が特別企画である。

会場は「金沢21世紀美術館シアター21」と地元映画館「シネモンド」の2箇所、上映作品の一部を除いて、2箇所の会場で時間をズラして2度上映される。特色は「金沢21世紀美術館シアター21」における爆音上映「サウンド・フィルマゲドンTM」である。吉祥寺バウスシアターで爆音上映を主催しているチームが、そのシステムを金沢に直輸入したのだ。

この中で私の鑑賞済作品は、「2001年 宇宙の旅」「AKIRA」「フィツカラルド」「地獄の黙示録 特別完全版」「アレキサンダー」「釈迦」「宇宙戦争」「恐怖女子高校 女暴力教室」「日本暗殺秘録」といったところだが、これだけから類推しても、凄いプログラムと思いません?このところ上映作品の魅力が乏しくなっている「湯布院映画祭」だが、もしこのカナザワ映画祭の番組を前にして、湯布院のお喋り雀が集まったら、蜂の巣をつついたような大騒ぎになるのではないだろうか。ただし、残念ながら主催の「かなざわ映画の会」に問い合わせたところ、ゲストを招いてのシンポジウムや、参加者が参集してのパーティーなどは、全く無いとのことであった。

●参加スケジュールの検討
さて、参加スケジュールの検討だ。シネモンドでの上映は「人間革命」が19日(土)19時45分開映、「続・人間革命」は21日(月)19時40分開映だ。19日(土)は第三土曜日で、恒例の「映画友の会」の日である。そこで、こちらの上映はパスすることにする。

 金沢21世紀美術館シアター21の方は、「人間革命」が22日(火)の18時50分開映、「続・人間革命」は23日(水)18時40分開映だ。そこで、ここを鑑賞日として、22日(火)〜24日(木)の二泊三日のスケジュールということにする。結果として、金沢21世紀美術館シアター21の爆音上映を選択して正解だった。超大作「人間革命」2部作にふさわしい上映形態であった。金沢まで足を伸ばした価値は、十分にあったのである。

さて「人間革命」2部作を核にして、他の鑑賞スケジュールを検討する。
ところが、22日(火)の上映作品は「AKIRA」など、私の鑑賞済作品がほとんどで、翌23日(水)の上映作品も「釈迦」などで状況は同じである。早い話が「人間革命」2部作観るためだけに金沢に行きますか?ということである。でも、ここはエイ!行っちゃいましょう!と決断した。映画ファン以外なら(いや映画ファンでも人によっては)、「馬鹿じゃないの」と思われそうではある。

それならば、金沢観光旅行も兼ねるかなということになる。ただ、残念ながら金沢で有名な日本三大庭園の一つ「兼六園」は、東京電力社員時代の北陸電力出張の機会に観てしまった。まあ、結果としては、終わってみれば観光旅行としてもまずまずだったのだが、それは項を改めて詳述する。

●超破格に安いホテル 結局それなりでしかなかったが…
主催者「かなざわ映画の会」の紹介で、会場に近いホテルエコノ金沢片町を予約することにする。問い合わせたら一泊朝食付きで4410円だという。これは安い!金沢市内でシングル部屋なんだから、かなりの高額を覚悟していたのだ。「湯布院映画祭」の特別料金でも、大部屋で一泊朝食付き5800円だ。(まあ、湯布院は高級温泉地ではあるが)「映画祭期間中のサービス料金ですか?」と聞いたら、「いえ、いつも同じですよ」とのことだった。

でも、実際に泊ってみて、値段相応でしかないことを確認した。「男はつらいよ」で寅さんが交番で宿の紹介を頼み、「ビジネスでよろしいな」と言われると、「駄目、ビジネスは駄目、小さいベッド、狭い風呂、腰かけウンチ、俺ああいう所に行くと、独房みたいな気持になっちゃうよ」というのがあった。腰かけウンチはともかく、ベッドも部屋もとにかく狭い。バスなんかは、自宅の浴槽より小さく、足も全く伸ばせないんだから、折角の旅行気分も半減である。ビジネスホテルというのはこんな程度だろうとは思うのだが…。

加えてバイキング方式の朝食も、質素なものであった。和食・洋食取り揃えていますとのことだが、おかずは煮物が二品、お新香が二種類、昆布の佃煮、それに野菜サラダ、後は味噌汁、ミルク、ジュース、コーヒーなどで、御飯とパンが添えてあるといった程度である。(御飯は炊き込みもあり、パンも3種類そろえていたのは良かったが)また、午後3時からのコーヒー無料サービスも悪くない。でも、必ずおかわりしたくなる温泉卵も付いた豊富なおかずと、広々とした露天風呂と、大勢の映画の友がいる湯布院との落差を、宿に関しては感ぜざるをえなかった。

●出発!
ホテルの話題だけ先行してしまったが、まずは出発の22日(火)に時計を戻したい。スケジュール的には、18時50分開映の「人間革命」に間に合えばよいのだから、ノンビリとしたものである。そこで指定キップも手配せず、行きあたりばったりに出掛けることにする。観光場所なども、特に図書館などで下調べしなかった。「湯布院映画祭」に先立っての由布岳もそうだったが、こういうのは東京でいくら調べても、現地の観光案内所の方が、資料は充実しているものである。由布岳の登山マップも、現地に良いものが置いてあった。だから、今回も金沢についてから考える気楽旅と洒落こむことにした。

ノンビリとはいえ、午前中には家を出た。在来のJR武蔵野線で西国分寺から武蔵浦和で乗り換え、埼京線で大宮に出る。大宮から上越新幹線で約50分で越後湯沢、越後湯沢から金沢までは特急「はくたか」で約2時間半の旅だ。昼食時間は「はくたか」で迎えることになる。そこで、越後湯沢の駅で、「いくら弁当」とロング缶ビールを調達し、車内での食事となる。名産の「いくら」を味わいながら、ビールがホロ酔いを呼んでくる。これが旅情というものか。やはり悪くはない。

●「カナザワ映画祭」のロビーにて
午後3時過ぎに金沢駅に到着する。まずはネットで予約したチケットの引き取りである。前売1300円(当日は1500円)2枚を購入している。市内循環バスで、会場の金沢21世紀美術館シアター21に向かう。

金沢21世紀美術館はすぐ分かった。地下のシアター21受付にてチケットを受領する。開場は上映10分前だそうだ。『今晩の「人間革命」は、早目に並ばないと入れないようなことはありますか』と確認する。『開場時間に来れば、入れないことはないと思います。「AKIRA」が一番人気があるみたいですが、それでも開場時間に来れば入れますから』とのことだった。

映画祭ロビーでの、映画ファンならではの隠れた楽しみは、チラシ漁りである。情報収集としても思わぬ価値があったりする。早速、カナザワ映画祭のロビーのチラシ漁りを開始する。情報源としては、収穫はなかった。しかし、地元映画館シネモンド公開作品の宣伝として置いてあった「3時10分、決断の時」のチラシを、ゲットできたのはラッキーだった。チラシというのは、今や雑多なものが映画館ロビーに溢れかえっているが、「3時10分、決断の時」は、東京では新宿ピカデリー単館公開に近いような形だったせいか、私はチラシを入手していなかった。金沢でゲットできたのは収穫であった。

前項で述べたように、現在はチラシが溢れかえっている時代であり、収集しだすとキリがない。私は整理の関係もあり、B5版のものに限定している。ある程度収集しておき、1年毎に未見の映画のものは資源ゴミに出している。しかし、意外なチラシが手に入らないことがある。「ハリー・ポッターと謎のプリンス」のB5版のチラシが、何故かどこにも置いてなかった。小冊子風のものは沢山出回っているのにも関わらずである。「映画友の会」の友人に聞いたら、確かにあまり見かけないそうだ。そんなことを話題にした翌月、K女史が見つかったと言って、私の分まで持ってきてくれた。「映画友の会」の友人というのは、ありがたいものである。

金沢散策
とりあえずは宿に落ち着き、手荷物を整理してシャワーを浴び、再び金沢の街に繰り出す。まず、21世紀美術館内を散策する。かなり広い美術館で、細かくいろいろなコーナーがあり、そこで市民主催の様々な展示が開催されている。全体的に賑やかで、「カナザワ映画祭」も沢山あるその中の催しの一つに過ぎないという感じである。

全国から顔馴染みが参集する「湯布院映画祭」と異なり、「カナザワ映画祭」は地元ではなかなか見られない映画を上映する地元の人を主体にした映画祭のようだ。「AKIRA」が目玉の一つらしいのは、それをよく表している。「AKIRA」爆音上映なんて、東京ではそれ程注目する企画ではないが、やはり金沢のような地方都市では、大画面・大音響の「AKIRA」は、貴重な存在なのであろう。「メトロポリス」伴奏付上映も特別企画とのことだから、やはり売り物の一つなのであろう。東京ならばフィルムセンターや、無声映画鑑賞会の澤登翠さん活弁付などで、頻繁に触れられる機会はあるが、やはり地方都市の金沢では、これも貴重品であろう。

とりあえず21世紀美術館は16時過ぎまでに観尽くした。中央公園の方に向かうと近代文学館がある。無料ゾーンが石川四高記念館、有料ゾーンが石川近代文学館である。無料ゾーンだけをざっと眺める。以前は観光地に行くと何でも覗いたものだが、最近はあまり食指をそそられない有料のものについては、行かないようになった。文学館というのは、何にせよ私は興味が無い。文学は文章化されたものがすべてで、ゆかりの品々をいくら並べて展示されても、私の興味は、全く引かないのである。

さて、本日の18時50分までの「人間革命」開映まではまだかなりの時間がある。明日も18時40分の「続・人間革命」開映までフリーだ。そこで美術館隣にある市役所の観光マップで、明日の観光場所を物色する。21世紀美術館は兼六園に隣接しており、やはり金沢の観光スポットは兼六園周辺が中心のようだ。兼六園に隣接して金沢城公園がある。地図で見る限りかなり広大である。明日は「続・人間革命」鑑賞に先立って、そこを中心にジックリ観光することに決める。

全然関係のない話題ではあるが、プロレス者の必需品東京スポーツ(金沢では中京スポーツ)は、金沢では1日遅れの発売であった。東スポ(中スポ)はメインの日付と共に発行日も併記されており、発行日は1日前なのである。金沢では、メイン日付に忠実に発売されているということだ。そんなことで22日(火)に金沢駅で、21日(月)発行の東スポ(日付は22日)を買いそうになったが、一面の見出しで気が付いて、二重買いは何とか避けられた。24日(木)は、金沢で24日(木)付けの中スポを買い、帰路の大宮で25日(金)付けの東スポを買うというややこしいことになったのであった。

●海鮮居酒屋で晩酌
さて、明日の予定も固まった。17時も近くなり日も暮れてきた。開映の18時50分までを晩酌でつぶすことにする。北陸と言えば魚が美味い。海鮮居酒屋に入る。近江直送がふれこみの「かじきまぐろ」や秋刀魚の刺身を中心につまみを取り、舌鼓を打った。

「人間革命」の中で、初代牧口創価学会会長と2代目戸田城聖会長は、日本海の荒海を見て育った共通項があり、それが二人を急接近させたとなっている。なるほど、「カナザワ映画祭」で取り上げたのは、そんなところも関係したのかもしれない。映画の中では日蓮も佐渡に流され、日本海の荒海を見ていたとの繋がりも出るが、さすがにそこまで行くとこじつけというものだろう。

●鑑賞前のロビーでの小ネタ
「人間革命」開映を前にして、ロビーに人が集まってくる。伝説のカルト名画をこの眼で確かめたいといった感じの若者が多い。東京で橋本忍の怪作「幻の湖」につめかける客層に近いといったら、想像できるだろうか。熱心な創価学会員だから来たという感じの人はほとんどいない。

ロビーでそんな数少ない学会員らしい人が、携帯で我田引水の会話をしているのがちょっと面白かった。日蓮を開祖とする宗派は、現在は富士を本山とする日蓮正宗と、身延を本山とする日蓮宗の二つがある。分裂したのは、いかにも戦闘的・攻撃的な日蓮らしい顛末である。創価学会は、日蓮正宗の檀家の学習会としてスタートしている。その人は、「日蓮正宗の映画に出た人間は、丹波哲郎や仲代達矢(日蓮を演じる)みたいに、みんな長生きだよ。日蓮宗の映画に出た中村錦之助(こちらも日蓮を演じた)は早死にだったね」と、まるで仏罰が当たったようなことを言っていた。

確かに中村錦之助は64歳の早逝だった。丹波哲郎は84歳の大往生だし、仲代達矢は76歳にして未だ第一線である。日蓮宗の熱烈な信者の大映社長・永田雅一が社運を賭けた超大作「日蓮と蒙古大襲来」で日蓮を演じた長谷川一夫は、早逝とは言えないにしても76歳で亡くなっている。仏罰かね、クワバラクワバラ。

●壮大なエンタテインメント「人間革命」
「人間革命」は、想像以上の作品だった。これは壮大なエンタテインメントであった。まさか、創価学会がエンタテインメントになるとは思わなかった。成功要因は、まず製作側を学会員で固めることにこだわらなかったことだろう。非学会員の脚本・橋本忍、監督・舛田利雄という練達の映画作家に委ねたことが大きい。もうひとつの成功因は、原作者の現池田大作学会長を、あえて前面に出さなかったことである。そこでプロバガンダ性は控えめになり、エンタテインメント性が大きくなった。

戦前の暗い時代から敗戦後の復興へ、この激動の昭和初期に、一つの思想を抱き信念を持って生き抜き、時代に光を与えていく。これは、創価学会の映画である以上に、エンタテインメントの王道を行く大河ドラマなのである。また、芦田伸介演じる初代牧口会長から、丹波哲郎演じる2代目戸田城聖会長、そして3代の池田大作会長(映画ではこれに相当する人物をなぜか山本伸一にしている)へと、師弟の絆を通じ人が大きく成長していく遠大なビルドゥンクス・ロマンでもあるのだ。

2年前に「湯布院映画祭」で舛田利雄監督とお話ししたが、この映画を見た後で、是非熱くお話しをしたかった。もっとも、気負いの無い練達の職人作家舛田監督のことだから「そうかね。面白かったかね。よかったね。アッハッハッハッハ」で終わってしまう気はするのではあるが…。

●激動の暗い時代に翻弄される戦前 そして戦後の躍進へ
創価学会は、日蓮正宗の檀家で学者である牧口会長(芦田伸介)が、法華経や仏法を学習する会としてスタートする。戦前の昭和初期の暗い世相の中で、これに心酔してしまうのが2代目会長となる戸田城聖(丹波哲郎)だ。出版社の経営者で、やや俗物であるが、愛すべき人間といったところで、戦後はヤクザの組長や憲兵上がりの鬼検事にまで愛されてしまうという人間的魅力を有する。

初代牧口会長の教義学習会という学者的肌合いの会に、戸田城聖が加わることによって、経営者的感覚の組織発展拡大という要素が加わってくる。また、彼の人間的魅力は、学会組織を順調に伸ばしていく。

そして、一億総動員の戦時下の強権政治により、試練が訪れる。戦勝祈願の伊勢神宮のお札が、各寺に下賜される。法華経の理念から言って、それは祭るべきではないと、創価学会は主張する。押しの強いのは、学者肌の芦田伸介演ずる会長ではなく、丹波哲郎演じるナンバー2の戸田城聖の方なのも、興味深いところだ。当然僧侶達は強大な国家権力を前にしてビビる。

舛田利雄=橋本忍は、何というスゴいことを1973年の時点でやってしまったのだろう。映画完成の何年か後、日蓮正宗が創価学会を破門するという大きな社会的ニユースが世間を賑わすが、この時点ですでにそのことを予見しているではないか!

当然ながら戦時体制の中で、創価学会は危険思想団体となり、会員は治安維持法で検挙拘束される。しかし、牧口会長も戸田城聖も、頑として転向しない。この時の取り調べの憲兵が青木義朗である。一見、敵対している存在に見えるのだが、実は戸田城聖に人間的魅力を感じているのだ。それは「続・人間革命」で明かされることになる。

戦後になってからの話だが、戸田城聖が出版に必要な用紙を調達しようとして、闇屋で勢力を広げている暴力団組織の渡哲也と対立する。彼は、何度か創価学会の講義にも顔を出すが、「世の中、そんな綺麗ごとじゃねぇ!」と吐き捨てて去っていく。この男も実は戸田城聖に人間的魅力を感じているのだが、それが判明するのは、やはり「続・人間革命」でのことである。この壮大な伏線の張り方も、見事な限りだ。

戸田城聖が転向しないのは、教義とか信念よりも、牧口会長に対する心酔である。だから、憲兵の青木義朗に対し、「会長が転向しない限り、私も転向しない!」と断言する。しかし、ある日、牧口会長の獄中死が告げられる。独房で戸田城聖は、法華経の教義を繰り返し暗唱しながら煩悶する。長い長い時間の経過…鉄格子の嵌った窓の向こうに、朝日が姿を現す。逆光の中で「解った!解ったぞ!」と叫ぶ戸田城聖で、創価学会の戦前は終わる。

戦後は、戸田城聖の指揮の下、着々と拡大し躍進する創価学会が描かれる。学者肌の牧口会長を受けてのさらなる転進である。仏法に関する延々たる戸田城聖の講義が描写の中核を占める。神がかった丹波哲郎の演技が絶品である。人が説法をするということが、映画的スペクタクルに昇華することを、見事に実現した。特撮・アニメ・日蓮のいた鎌倉時代などの壮大な映像が挿入され、そのスペクタクル性は、さらに増幅される。

講義の中心は十界についてである。人は十の界を有している。一の地獄界に始まり、餓鬼・修羅のような醜い界から、人の界を経て、聴聞・宿縁・菩薩などのより高みの界、しかし、人の心は移ろいやすく、菩薩界にいたと思うと、アッというまに地獄界にもどったりする。しかし、最上界の仏界に至った時、人は初めて究極の界に到達する。

究極の仏界とは何か!ここで獄中での朝日を背にしての「解ったぞ!」のシーンが、フィードバックされる。「仏界とは生きることだ!生命だ!」ここぞとばかりの丹波節が高らかに鳴り響く。何だか禅問答みたいな話(日蓮正宗の映画で禅問答という言い方はないが)ではあるが、丹波哲郎の存在感は、それだけで映画的説得力を有する。いや、私はこの抽象的な結論の彼方に、私が最近感じ出した「宇宙意志」への到達を感じたのだ。そして、驚いたことに「続・人間革命」は、より具体的に私の思いを裏付けるのであるが、このことは先の項に譲りたい。

映画にエンドマークは出ない。大きく「人間革命」と出て終わる。

●破門について

一般的には寺と檀家の関係は、葬式や法事などの、不謹慎に言えば葬祭産業的関係につきる。日常生活では、あまり寺のことは意識しないし、それで困ることは何もない。しかし、破門されたら大いに困る。葬式にお経をあげてくれる人が来なくなるし、法事でもお経を上げ菩提を弔うお坊さんがいなくなってしまうのである。しかし、日蓮正宗と創価学会の関係は少々ちがったようだ。

私の親類で、学会員がいた。破門されている状況の中で葬儀が出た。我々だったら、これってかなり困る事態だよねえ。ところが、全然困らなかったのである。○○地区導師なる人が現れて朗々とお経をあげてくれるのである。いや、導師だけではない。参列者の中の会員も朝晩の勤行でお経を唱えているのだから、節目節目で見事な唱和をするのである。これは、下手な坊さんが来てお経をあげるよりは、はるかに迫力がある。エコーがかかって、恐怖を感じたと我が娘はのたまわっていた。

創価学会は大きな霊園も有している。私は、群馬の霊園に法事の時に参列したが、大きな講堂にお参りする人が参集し、当日の法事に該当する人、納骨の人などが紹介された後、やはりそれなりに著名な地区の導師がリードを取って、朗々と読経が続くのである。参列者も学会員がほとんどなので、節目で見事な唱和を見せる。このような催事は、毎日行われており、その時に亡妻が「でも、故人をシンミリと偲べないわね」なんて呟いていたが、確かにここでも法事にあたって僧侶はいなくても、ビクともしない体制が確立しているのである。

さらに創価学会は、その他の面でも互助会的な側面の機能を発揮しているようだ。でも、本来的に考えれば、宗教と生活がそのような形で密着していることは、健全なことなのかもしれない。一般的な我々のように、宗教は葬祭産業的に檀家として関わるが、後は日常生活で無関心というのは、正しいあり方とは言えないのかもしれないとも思った。

いずれにしても、日蓮正宗が創価学会を破門するというある意味で異常な状況が、恒常的に継続することを、1973年の時点で、組織力学から見て遠視していた舛田利雄=橋本忍には、ただただ驚嘆するのみである。

●金沢は新宿の延長であった
「人間革命」が終映になった午後9時半過ぎ、「金沢21世紀美術館」の各種行事は、まだまだ宴たけなわだ。華やかにライトアップされた広場のここかしこで、音響高らかにコンサートが饗宴している。市街を抜けてホテルへの帰路を歩む。新宿あたりとそう変わらないチェーン居酒屋の前で、散会直後の若者の集団が気炎をあげている。地方都市だから規模は小さいにせよ、新宿あたりの光景と、そう大きな差はない。

晩酌から3時間も経過して、小腹も空いてきた。ラーメン屋の看板も林立している。ビール片手にラーメンをすすっていると、新宿あたりと全く雰囲気が変わらない。コンビニの点在も、都内と比べて遜色がない。安物の柿ピーの袋を買って、ホテルに戻る。シャワーを浴びて、再び廊下の自販機でビールを購入し、独房(?)のような狭い部屋で、様々な瞑想にふけりながら、柿ピーをつまみにビールを飲みほして、狭いベッドで眠りについたのであった。

●有意義だった金沢観光
金沢の一夜が明けた。質素なバイキング朝食を済ませたのは、前に記したとおりである。朝シャワーも浴び朝風呂にも浸かったが、自宅の浴槽より小さいバスでもあり、食堂も缶ビールなど持ち込む雰囲気に遠く、副食もささやか、とても湯布院のように朝から一杯の気分は出てこない。

9時過ぎに、まず金沢城公園方向に足を運ぶ。すると兼六園に隣接する「玉泉園」の案内板があった。私は日本庭園が好きなので、立ち寄っていくことにする。西田家庭園で加賀藩高級武家庭園ということである。さして広くはないが、苔を巧みにあしらった渋い庭園である。敷石の上以外は歩行禁止で苔を大切に保護しているのが、年輪を感じさせる。

私が日本庭園が好きなのは、自然の景観を残しながら、そこに人工の細工が加わっていく調和の美だからだ。西洋庭園の方は、「去年マリエンバートで」の硬質な庭に象徴されるように、いったん更地にしてコンクリートで固めてしまい、後から植樹で補完していく感じで、どうも馴染めない。

私は植物の中に身を置くと、なぜかホッとくつろぐ。森林浴という言葉もあるが、山歩きが好きなのもそこに関連があるだろう。草食系男子ならぬ植物系人間だからということだろうか。(あなたが草食系男子?植物系?と疑義を呈しそうな人もいそうであるが…)

兼六園の向かいにある石浦神社を眺めてから、金沢城公園に向かう。広大な公園であるが、時間はたっぷりある。石垣めぐりコースを全部踏破し、隅から隅まで城跡を堪能した。公園内では五十軒長屋が有料である。兼六園とのセット券だと割安になるという。時間もかなり残りそうなので、セット券を購入する。

金沢城公園から兼六園に向かう。兼六園添いに、お食事処や土産物屋が軒を連ねている道を散策する。昼食時である。じぶ鍋定食なるものを発見する。やはり観光に来たら地元名物料理にかぎるだろう。ビール片手にじぶ鍋定食を食す。煮過ぎた煮物という感じのじぶ鍋は、あまり私の好みではなかった。

兼六園に入場する。すでに二度目のところなので、特に所在なげにブラつくが、前回見逃していた観光スポットを発見する。兼六園内にある有料施設「成巽閣(せいそんかく)」である。加賀前田家奥方御殿だ。時代色に溢れた各室は、なかなかの味わいがある。そして部屋の数々に加えて、廊下越しに見えるそう広くはないが風情のあるいくつかの庭園が、特に私の目を楽しませてくれた。

それなりに有意義な金沢観光であった。

●映画鑑賞前の一息
午後3時過ぎに、いったんホテルにもどる。ロビーでコーヒーの無料サービスを楽しんで、部屋に再び戻ってから、ゆっくりシャワーを浴びる。5時少し前に、再度ホテルを出る。

兼六園沿いのお食事処の店で、ミニ海鮮丼付きそば定食というのがあった。これは、私にとってかなりおいしいメニューだ。新鮮な海の幸とともに、そばも楽しめるのである。熱燗でうまいそばをつまみにするというのが、私の好物なのだ。ただ、おすすめの地酒は冷の方がよいとの女将のお勧めで、今回はビールと冷酒を嗜む。ほろ酔いで「金沢21世紀美術館シアター21」に向かう。

大型連休最終日ということだろうか。金沢21世紀美術館は、ほとんどの催しは店じまいで、館内は閑散となり、ガランとしている。「カナザワ映画祭」開場の「シアター21」のロビーたけが、ポツンと明るくなっているという感じである。開映を待つ観客も多くはない。前日が7〜8割の入りなら、この日は5割程度といったところだ。

●さらなる驚異の展開「続・人間革命」
「人間革命」第2部の「続・人間革命」は、さらに驚異の展開を見せる。前作「人間革命」の神がかり的演技でブレークした丹波哲郎は、翌1974年正月映画(封切は1973年の年末)「日本沈没」の総理大臣役、同年7月封切のお盆夏休み映画「ノストラダムスの大予言」の人類の未来を憂う学者役で、完全に神がかり演技を手中のものにする。それらの作品を通過した1976年封切「続・人間革命」のポスト丹波哲郎は、もはや手のつけられない怪物に成長していた。

終戦により、戸田城聖(丹波哲郎)は獄中から解放される。しかし、心酔する初代牧口会長(芦田伸介)は、半国家分子として獄中死に追い込まれており、いまや亡い。戸田城聖は出版社社長として、大車輪で稼ぎまくるとともに、2代目創価学会会長として、会の発展拡大に尽力する。信用組合の金融機関を立ち上げるが、これは会の拡大発展のためであり、金儲けは考慮に入れていない。学者肌の初代会長に率いられた創価学会からの、微妙な変質である。

しかし、戦後の大企業の組織化により、戸田城聖の中小出版社は経営危機に追い込まれる。金は出版で稼ぎ、学会活動は採算度外視で進めるとの戦略が、行き詰ってくる。しかも、信用組合の活動自体が、金融がらみで司直の捜索を受けることになる。この時に登場するのが、戦前に憲兵として戸田城聖を弾圧し、戦後は鬼検事として復権した青木義朗である。意外にも彼は戸田城聖に好意的であった。「あなたのことはよく知っている。少なくとも、金儲けのために人をないがしろにする人間ではないと、言っておいたよ」と、戸田城聖に告げるのである。

学者肌の初代会長に比して、2代目戸田城聖は、ある意味で俗物であるが、それなりの人間的魅力を有しているということである。経営で苦境に立たされた彼の前に、かつて闇物資の印刷用紙で争い、今は大組長に出世している渡哲也からにも好意を抱かれ、援助の手が差し伸べられる。「汚い金はいらん!」とはねつける戸田城聖に、「金にきれいも汚いもねぇよ!」と言う渡哲也、しかし、結局両者は物別れに終わる。この底知れない人間的魅力を有する戸田城聖を、神がかり丹波哲郎は説得力を持って具現化する。

●これは大型ヤクザ映画か!お前は「人斬り五郎」か!
戸田城聖は、ついに出版業を断念する。創価学会の活動に全霊をかけることを決意する。時代は移り、渡哲也の組にも逆風が吹いてくる。「俺は修羅になる」と渡哲也は、丹波哲郎の戸田城聖に電話を入れる。

ここから先は、大型ヤクザ映画の世界に転調する。渡哲也の組に敵対する組の告別式が、壮大な庭のある寺内で盛大に開催されている。参列者を装った渡哲也一派のドスが鞘走る。阿鼻叫喚の大殺陣に至る。ヤクザ映画のスペクタクル化である。お前は「人斬り五郎」特別編か!と言いたくなる壮絶さである。

戸田城聖がかけつけた時、渡哲也は瀕死であった。「俺は南無妙法蓮華経は言わねえよ」と吐き捨てて死を迎える。戸田城聖の側近が、「結局、彼は最後まで理解することは無かったですね」と言うと、突如、丹波哲郎=戸田城聖は、「いや、彼は心の中で法華経を唱えていた!」と、神がかり的に絶叫をする。おい、おい、マジかよ、と言いたくなってくる展開である。

●戦後史の中の創価学会
実は、私は戦後の創価学会に対する独断と偏見として、ある評価を与えていたのだが、ちょっと怖くて大きな声では言えなかった。ところが、舛田利雄=橋本忍は、私が心の底に秘めていたことを、サラリとあっさりと1976年の時点で表現してしまっていたのだ。

戦後60年余、すなわち私の生きてきた時代の日本は、世界の中で奇跡だった。60年余、軍隊のない国、戦争をしなかった国だった。先進国やそれに準ずる国で、こんな平和国家は他にありえない。私は、この歴史に感謝せざるをえない。それは、社会主義勢力による赤化の影響を、日本は最小限に食い止めたからだと思う。

血のメーデー事件で、創価学会員からも逮捕者が出る。引き取りに来た丹波哲郎=戸田会長は、「貴様ら!赤旗ふって、世の中よくなると思っているのか!」と一喝する。何と、映画的シンプルさで、戦後日本をブッた斬ってくれたものだ。

戦後世界は、世界の貧しい者がほとんど共産党に傾倒した。しかし、日本は違った。貧しい層は、共産党と創価学会に分裂したのである。創価学会というのは正しくないのかもしれない。共産党と新興宗教に分裂したというべきなのだろう。そのあたりは、今村昌平が「にっぽん昆虫記」で的確に把握している。その新興宗教を代表する形で貧しい者を結集させたのが、創価学会だ。いや、この言い方も正しくない。創価学会は新興宗教ではない。戦前からの伝統と由緒ある日蓮正宗の檀家の会として、スタートしているのだ。ただし、世間的なイメージとして、新興宗教のような感じを持たれているだけである。

スターリンはヒトラー以上の大虐殺者であったこと、文化大革命は権力亡者の毛沢東の大弾圧であったこと、ベトナムのボートピープル難民の悲劇、ソ連の崩壊、北朝鮮の国際的孤立、中国の国内外に抱えた分裂的危機、二十世紀の希望として世界を席巻した社会主義のマイナス面が、着々とカミングアウトされている。本当に、日本が貧乏人に対する共産主義の影響を、必要最小限に済ましたことはよかったと思う。そして、一方の雄、公明党=創価学会は、10年余に亘って自公連立政権の与党にまで登りつめるのだが、その話題はまた先のこととしたい。

考えてもみてください。戦後政治で公明党と共産党を合わせた数の議席が、共産党に与えられたらどうなりましたか。いや、そうなったら、加速度効果で、もっともっと赤化勢力が進出したでしょう。社会党というのがあったんじゃなかったっけ、と言う人もいるでしょう。でも、社会党の支持者は貧乏人ではありません。官公労を中心として労働貴族も含んだ層です。最近は恵まれた公務員の待遇が問題になってますね。そんなカラクリがあったから、自社連立政権なんてものが矛盾なく成立し、マルキシストの総理が日本に誕生した!と、一度は世界に衝撃が走ったものの、このマルキシスト、孫の手を引き神社に初詣するお爺ちゃんでありました。

●私が言うところの「宇宙意志」に到達する「続・人間革命」の説法
「続・人間革命」のクライマックスも、丹波哲郎=戸田城聖の、仏法・法華経の講義・説法である。丹波哲郎の神がかり演技は、前作の何倍も進化している。圧倒され尽くされる。

生命の十界の話は、前作で語り尽くされているので、今回の説法は最終の仏界に焦点が絞られる。

講義・説法に挿入されるのが、地球の生命の誕生・進化をスペクタキュラーに見せるアニメである。そこで語られるのは、生命は連綿と続いていく総体であり、地球環境も含めての一体のものであるとする理念である。仏界というのは、すべての生命の連鎖、それを維持する環境、そのすべての中の一部として自己を認識することなのである。第一部「人間革命」における獄中の丹波哲郎の、朝日の逆光の中で悟りに到達するシーンが、何度もリフレーンされる。

第一部「人間革命」では「仏界とは生きることだ」との禅問答的説明で終わっていた。(繰り返すが日蓮正宗の映画で「禅問答」と表現するのは不適切なのだが、語彙の貧弱な私としては、よい言葉がみつからない)後は丹波哲郎の神がかり的演技で、強引に映画的に納得させてしまった。しかし、今度はちがう。私の生まれる前に存在した無限の時間、私の死んだ後に続く無限の時間、そして私の生きている時間内でも一部しか認識できない無限の空間。その存在に思いを馳せれば、限られた時間・空間に限定された生命の一生における認識が、本来の万物の在り方のすべてと考えること自体が、かなり不自然であることがわかる。むしろ、生命の中で認識する世界とは、万物の在り方の中で、特殊な状況なのかもしれない。

「人間革命」で到達した仏界は、何と!私の思い浮かべる「宇宙意志」と通底してくるではないか!人は「宇宙意志」の中にいて、ほんの一瞬だけ生命として万物を特殊な形で認識し、再び「宇宙意志」に回帰していくものではないのだろうか。(前述したが、この意志が「遺伝子継続」であり、生命は遺伝子に利用されているだけの存在に過ぎぬとの観点から捉えることも、ありだろう)

●さらに驚くべき反核論理への展開
丹波哲郎=戸田城聖の講義・説法は、さらに核兵器にまで言が及んでいく。人は核兵器を有した。しかし、それを使うことはできない。核兵器は、相手を滅ぼすと同時に地球環境を破壊し、結局自分達も滅ぼすからだ。しかし、エネルギーの源泉は、水素がヘリウムに変換される太陽だ。これは、地球環境を汚染しない。人間の文明は、いつかこのエネルギーも手に入れる。そうなると、これを情け容赦なく使うだろう。これって、本当に仏法・法華経にある理念なんだろうか。もはや私にはSF的論理展開としか思えない。丹波哲郎は創価学会第2代会長戸田城聖ならず、「ノストラダムスの大予言」の人類と地球の破滅を憂うる科学者にしか見えてこない。

人が太陽エネルギーを自在に手中にした時、人類はそれを人類に対する攻撃手段として用い、自滅の道を辿る。しかし、唯一の救いの道はある!人の心が仏界に至った時のみ、それを避けうることができるのである。だから、法華経が人類を救う!法華経を世界に広めよう!って、オイオイ、何でそうなるの。そうか、創価学会の積極的な折伏の方針は、人類存亡がかかっているということか。

創価学会に特徴的なのは折伏である。文字通り「折り伏せる」ことで、法華経の理念に反する相手を折り伏せて、布教を拡大していくのである。これが、創価学会の急激な組織拡大に繋がったと共に、その押しの強さが学会嫌いを生むことにもなるのである。

この戸田城聖の説法に目を輝かせて聞き入っているのが、後の3代目会長となる若き日の池田大作(映画の原作者でもあり「あおい輝彦」が演じている。ただし繰り返すが、映画中の名前はなぜか山本伸一になっている)戸田城聖は言う。人類のために学会員を現在の7万5千世帯から75万世帯へ、さらにその10倍へ!と。そして、戸田城聖を心酔した3代目は、見事に折伏を前面に押し出し、それを実現する。現在、創価学会は600万世帯とも800万世帯とも言われている。正確な数は私も知る由もないが、とにかく政権与党の一角を創価学会=公明党が、10年間務める勢力を占めたことは確かである。

学者肌の初代会長からスタートし、俗物だが人間的魅力のある2代目が勢力拡大の礎を築き、そこに心服した3代目が巨大組織を完成させる。本当に壮大なビルドゥンクス・ロマンであった。

第2部にもやはりエンドマークは出ない。「人間革命」のタイトルが大きく出て終わる。

しかし、これって原作に全部あるんだろうか。仏法・法華経って、こんな壮大なSF的思想を有しているんだろうか。私は池田大作の原作を読みたくなってきた。ついでに、「人間革命」の第3部以降が製作されなかったのも残念だ。池田大作に相当するキャラクターを、当時のスター「あおい輝彦」を起用していることから見ても、第3部以降も十分製作の射程にあったと思う。あるいは、この第2部で製作側が舛田利雄=橋本忍=丹波哲郎の暴走に恐れをなしたのだろうか。映画に造詣が深くて評論も書くある落語家の師匠によると、70年代半ばの東宝は製作方針が混迷を極めており、そのカオスの中で誕生した作品なので、そのあたりを関係者に集中的に聞き取るのも面白いかもしれないね、とのことであった。

でも、映画好きの本音からいって、第3部以降も、続ける限り続けてほしかったと思う。そして自公連立政権とその敗北まで「総括」するまでに至ったら、これは大変な大河映画となったであろう。

●閑散とした金沢
上映会場から退場する。三々五々去っていくあまり多くない観客に加えて、金沢21世紀美術館で明かりがついているのはこの映画祭会場のみで、その明かりもすぐ消える。もうすべては暗闇の中だ。主催者「かなざわ映画の会」の関係者の方々は、内々で打ち上げなどはやるかもしれないが、「湯布院映画祭」のようなフィナーレの華やかさは何もないのが対照的だ。美術館の外に出ても、前日のアップライトされた広場で華やかに開催されていた数々のコンサートは今日はもう一つもない。市街に出てもまだ10時前なのに、昨日のように居酒屋前にたむろしている若者集団もいなければ、開店している店自体がほとんどない。連休最後の地方都市の風景などというものは、こんなものなのだろうか。

昨日に寄ったラーメン屋は開店していた。ミニ海鮮丼そば定食で、夕食は十分摂ったはずであるが、食べたのは5時頃であったせいか小腹が空いてきた。店をよりどりみどりする状況にないし、昨日その店から割引券ももらっていたので、意地汚く割引を利用し、ラーメンをすすりながらまたビールを傾けてしまう。宿に帰ってシャワー、昨日の柿ピーも余っていることから、また自販機缶ビールを購入し、風呂上りの寝酒として空けてしまう。私は、旅に出ると、ついついリラックスしてよく飲んでしまう。あまり体にゃよくないんだろうけど、これも旅情の一環というものである。

●さらば金沢、ありがとう「カナザワ映画祭」
9月24日(木)、帰宅の日である。昨日物色しておいたた最後の観光地をザッと巡って帰路につくことにする。平日の地方都市の朝は、本当に閑散としている。これが普段の風景ということなのだろう。

金沢城公園の大手堀添いの遊歩道を進むと、黒門緑地がある。豪姫が住んだこともあるお屋敷である。さらにその先を行くと尾崎神社がある。日光・東照宮と同じに徳川家康を祭っている神社だ。徳川家と加賀藩の微妙な関係が偲ばれる。

JR金沢行きのバス停留所へは、昨日じっくり散策した金沢城公園を突っ切って行くことにする。平日で朝10時前ということもあるが、本当に観光客がいない。芝や庭園の整備が盛んに行われているが、整備している人の人数の方がはるかに多い。チラリと見える観光客は、定年になって毎日が日曜日となった老年夫婦がほとんだ。意外と少なくないのは、カメラを下げた写真が趣味らしい若者だ。こういう閑散期の方が、いい写真が撮れるということかもしれない。こういう風景は、働き盛りの頃は、あまり目にできない。これが年金生活者の味わいか。シミジミと、完全リタイアし24時間自由に使える我が身のポジションを感じる。

兼六園添いの土産物屋を物色し、金沢名物の「あんころ餅」を購入する。帰宅して味わったら上品な餡の甘味とやわらかい餅で、なかなかの美味であった。これには後日談がある。何個かを残して冷蔵庫に保管したが、これが忘れられた存在となり、1週間後に発見した。恐る恐る口に入れたが、これが餡の風味も餅のやわらかさも、少しも変わらないのである。餡は砂糖が入っているので、保存料的な要素もあるが、餅が固くならないのは信じ難い。私の地元の国分寺にやわらかさで名高い名物「輪島のだんご」があるが、それだって3日も経てば固くなる。娘は感動したり、「人の食するものか?」と気味悪がったりであった。

JR金沢で、越後湯沢までの特急「はくたか」と、大宮までの上越新幹線の指定席を確保する。昼食時間は「はくたか」車内になるので、駅弁「加賀百万石弁当」と缶ビールを調達して乗車する。

車中で、治部煮などの加賀名物をおかずにあしらった「加賀百万石弁当」をつまみに、缶ビールを飲み干す。映画は「人間革命」2部作を観ただけ、映画の友と会話することもなく、一人で史跡を散策し歴史に思いを馳せ、手酌酒で、映画に、戦前戦後史に、万物の在り方に、思いを馳せた二泊三日だった。そんなこんなが帰りの車中で、ビールの酔いとともに走馬灯のように巡ってくる。「湯布院映画祭」と全く対照的な「カナザワ映画祭」だったが、やはり素敵な企画をありがとうと言いたい。こんな瞑想にだけ耽る一人旅、「湯布院映画祭」のパーティーでハシャぎまくっている私を知る人には信じられないかもしれないが、私は決して嫌いではないのである。

さあ、11月1日(日)は「蛙の会」発表会だ。自分の演目の磨き上げはもちろん、全体進行台本作成、プログラムを兼ねた「話芸あれこれ」の編集、チケット販売活動。忙しいぞ!
映画三昧日記−17

●平成21年8月10日(月) えも言われぬスケジュールの一日
毎年恒例の「シネキャビン納涼会」が8月10日(月)開催と、「ぢーこ」さんから情報提供された。「シネキャビン納涼会」は、スタジオのシネキャビンにピンク映画関係者を中心にファンなども集まるアットホームな会である。会費はお気持ち程度の額で、その変わり各自が何かの差し入れを持参して参加する。有名銘柄の酒とか焼酎などが並び、市販のおつまみから手造り惣菜まで、多彩なメニューが持ち込まれて場を盛り上げる。私は毎年、芸のないワンパターンだが、ロング缶ビール1ダースを持ち込んでいる。

この日の私は、まずシアターN渋谷のモーニングショーで「意志の勝利」を観た後、恵比寿ガーデンシネマに廻って「縞模様のパジャマの少年」に行くスケジュールを組んでいた。ナチス研究日といった趣きである。その後にシネキャビンに立ち寄ることにする。しかし、お固いナチス研究の後は、超やわらかピンク映画がらみとは…何ともえも言われぬスケジュールの一日となった。

●「シネキャビン納涼会」の風景を二つほど
「シネキャビン納涼会」で男優の野村貴浩さんと初対面となる。私は、この人と吉岡睦雄さんと区別がつかずゴッチャになる。二枚目の優男という似たイメージのキャラクターが被るからだろうか。話していても野村さん出演作のつもりで話していたら、吉岡さんの出演作だったり、何とも頓珍漢なやりとりになってしまった。「吉岡睦雄さんと似てるって言われないですか」「そうですか、第一、吉岡さんと同じ映画に出たことないし」「そりゃそうでしょう、優男の二枚目は一本の映画に二人は必要ないですから」そんなチグハグな会話に終始したのであった。
 これはいかん。私はこの日、今年の「ピンク映画カタログ」の控えのプリントを持参していたので、これからはそこでデータ性をチェックしてから話そうと心掛けた。

女優の淡島小毬さんが脚本家・三上紗恵子さんと同一人物なのを、今回初めて知った。可愛い顔なのに、なかなかの才女でもあったのだ。(失礼)脚本家の三上さんの成果としては、荒木太郎監督作品で印象的なものが少なくない記憶があるが、咄嗟に映画題名は浮かんでこない。早速今年の「ピンク映画カタログ」を繰ってみる。でも、今年の三上さんの脚本作品で、私が観ているのは「いんび変態若妻の悶え」一本のみだった。荒木太郎監督で主演も淡島小毬さん、「太宰治生誕100年記念!!」の振れ込みの一篇だ。私としては、あまり好みでない太宰風世界に邪魔され、いつもの荒木映画の抒情性が薄らいだ失敗作のようにしか見えなかったので、辛口のことしか言えなかったのは、残念だった。たまたま近くにいた池島ゆたか監督が、「俺、まだ観てないんだけど、太宰は好きだから、そういう映画なら観ようかな」と言われたのが救いとなった。

●池島ゆたか監督と大打ち上げ
池島ゆたか監督が府中市の住人ということを、帰りの電車で初めて知った。私が住んでいる国分寺市の隣である。池島監督の最寄駅は国分寺とのことだ。私の最寄駅は西国分寺、立川在住の女性でハンドルネーム「お竜さん」と共に、JR中央線の帰路がいっしょになる。

「お竜さん」なる女性もユニークな方で、ネームの謂われは、もちろん藤純子「緋牡丹博徒」の大ファンでそこから取ったとのことだった。ビンク映画との関わりだが、mixiの縁である人から池島監督作品をDVDで紹介され、その魅力にハマってしまったそうである。でも、女性だからピンク映画館に行くわけにも行かず、mixi仲間からDVDを回してもらって、鑑賞を続けているそうだ。また、活動弁士の斉藤裕子さんのシンパでもあることを知り、世の中はいろいろ繋がるものだと感慨深かった。

ノりまくっていた池島監督は「立川の終電までは、まだ1時間くらいあるようだね。国分寺で30分くらい飲んでいこう!」と気炎を上げる。「私、遅いから帰ります。お二方でどうぞ」と「お竜さん」、「いや、俺は男だけとは飲まない!」と、池島監督のメーターは上がりっぱなしだ。結局、国分寺で下車して3人での酒席になったが、これがいけなかった。だいたい飲ん兵衛が30分なんて言ったら3倍の1時間半、1時間といったら3時間だ。案の定、談論風発、終電車時刻はアッという間に過ぎ、閉店時間の午前2時まで飲み続ける破目になった。

「俺が誘ったんだから、勘定は俺が持つ」と、池島監督の気炎は上がりっぱなしだ。「そういうわけにはいかないでしょう」と私、「じゃ端数だけ出してもらえればいいや」てな展開で、100円そこそこ位で全面的に御馳走になってしまった。さらに、タクシーを呼び終電がなくなった「お竜さん」をエスコートして去っていった。この「映画三昧日記」に足を延ばすことはないでしょうが、池島ゆたか監督、大変な出費でごちそうさまでしたと、この場を借りても御礼申し上げます。

●「ぢーこ」さん、結果オーライではありましたね
このように楽しく暮れた今年の「シネキャビン納涼会」だが、情報提供してくれた「ぢーこ」さんは、台風9号の影響で帰宅時の交通機関が心配なため、無念の不参加となった。私としては「ピンク映画大賞」以来の再会が果たせず、残念なことになった。

ただ、11日(水)未明に静岡沖地震が発生し、交通機関はズタズタになったので、「ぢーこ」さんの決断は結果オーライとして、大正解だったことになる。とりあえずはよかったですねと、申し上げたいと思います。

私の方は2時半頃帰宅して、グッスリ。当然ながら未明の地震は全く認識せず、我が娘に呆れかえられたのであった。

映画史上の大傑作「意志の勝利」
誤解を恐れずにあえて言うが、「意志の勝利」は映画史上に残る大傑作だ。レニ・リーフェンシュタール監督による1934年国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)全国党大会のドキュメンタリーで、戦後は本国ドイツや日本をはじめとして、ほとんどの国で封印されている。

リーフェンシュタールのダイナミックで流麗な映像美は圧倒的だ。華やかに行進する突撃隊に親衛隊、余暇に半裸ではしゃぎまわるヒトラー・ユーゲントの若者たちの健康な艶めかしい色気。圧倒的な迫力のナチ幹部の演説の数々、トリに登場するアドルフ・ヒトラーには「待ってました!」と大向こうから声をかけたくなる。私は完全に「持っていかれそう」になった。

●「戦艦ポチョムキン」とどこがちがうのか?
「戦艦ポチョムキン」は、映画史上の大傑作と言われており、もちろん封印しろなんて話は毛の先ほどもない。ただ、私は「意志の勝利」と同工異曲の映画ではないかと、感じるのである。

「戦艦ポチョムキン」の映像迫力も凄い。徹底的に高揚させられる。セルゲイ・M・エイゼンシュテインのモンタージュ理論の白眉である。ただ、映画の内容にはかなり問題ありだ。一人の水夫が兵士に虐殺される。たった一片のパンのために殺されたと、そこに無限のシンパシーが注がれる。そして反乱が起こる。水夫たちは、多くの兵士を海に突き落として殺しまくる。そこに「ウジ虫どもは海に消えた」というタイトルが被さる。この落差のひどさはどうか。革命のためならば大虐殺を肯定するスターリンの粛清・毛沢東の文化大革命の萌芽が、すでにここにあるではないか。ちなみにヒトラー・スターリン・毛沢東を、私は20世紀の3大虐殺者だと思っている。

21世紀の視点から見れば、ソ連は崩壊、崩壊寸前かに見える中国、かつてのファシスト国家のように世界から孤立する北朝鮮と、歴史的に悪とされたナチと同様に社会主義の過ちが明確になりつつある。「意志の勝利」が、素晴らしい映画としての完成度をさしおいて、ナチのプロバガンダ映画だからよくないということならば、社会主義のプロバガンダ映画「戦艦ポチョムキン」も同様ではないのだろうか。

私は若く多感な頃に「戦艦ポチョムキン」に触れた。しかし、今回の「意志の勝利」のように、「持っていかれそう」になることはなかった。15歳で東電学園に入学し、公益事業としての社会的責任を擦り込まれたからかもしれない。ダイナミックなモンタージユに痺れることはあっても、左翼の秩序破壊・無責任の臭いには共鳴できなかったのだ。それでは「意志の勝利」に「持っていかれそう」になるお前は右翼かとなるが、そんな単純なものではあるまい。第一ナチは正式に言えば国家社会主義ドイツ労働者党である。「社会主義」であり、社会主義者の大好きな「労働者」という一語も入っているのである。

●「意志の勝利」の正当性
1934年ナチ党大会以後の、ナチの暴走があるからこそ、この映画は否定されたり封印されたりしているが、この時点においては極めて正当な映画であると思う。少なくとも「戦艦ポチョムキン」のように、革命のために大虐殺を肯定するような危険な萌芽はない。

第一次世界大戦で、戦争後遺症による荒廃と戦勝国の賠償金の重圧から、ドイツ経済は疲弊し民族的誇りも失う。それを経済的に復興することで、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ)はのし上がってきた。ナチはあくまでも、当初は「民主的」に国民に選択されたのである。なぜ、経済復興に成功したのか。国民が我が身を惜しまず国に奉仕することで一丸となったからだ。その裏付けになったのはドイツ民族の誇りへの訴えである。民族の誇りに基づく骨身を惜しまぬ国民の努力が、経済を復興させる。経済が復興すればするほど民族の誇りが強固になり、ますます経済を復興させていく。牽引するナチ・ヒトラーは、ますます絶大な支持基盤を強固にする。ここには正当性しかない。何の悪もない。ただ、その基盤の延長で、ホロコースト=ユダヤ民族絶滅政策へと暴走していくのだが、そのあたりは「縞模様のパジャマの少年」を語る時に、考えてみたい。
 繰り返すが「意志の勝利」の時点では、映画の中でも現実でも、ホロコースト=ユダヤ民族絶滅政策は存在しておらず、正当性しかないのである。

「意志の勝利」の今回の上映に際して、「反面教師」であるとか、「繰り返してはならない警鐘」が目的だとか、ちょっとクドクドと言い訳がうるさい。自然体で提示すればいいと思う。一番怖いのは、ナチと自分とは無縁で、彼等は単なる悪魔と切って捨て、見過ごすことである。私が「持っていかれそう」になったように、そういう自分の中の内なるナチズムを凝視することこそが大切である。そんな視点に乏しい人こそ、知らず知らずのうちに「持っていかれる」だろう。21世紀日本は高度成長後のバブル崩壊で経済的に疲弊、この時代のドイツと似た条件は醸成されつつあるのだ。

●戦後日本の復興との類似と乖離
戦争後遺症による荒廃、民族的誇りの喪失という点では、第二次世界大戦後の日本は、第一次世界大戦後のドイツと共通したところがある。そして、国民は我が身を省みず過労死も厭わぬエコノミックアニマルと化し、高度経済成長により経済大国となった。しかし、そこに民族の誇りの復活もなければ、ヒトラーのようなカリスマ指導者も存在しなかった。これはどういうことなのだろうか。

多分、民族の誇りは、潜在的に無意識に保たれたからだと思う。それが天皇陛下の存在だ。マッカーサー占領軍司令官が、君臨すれども統治せずとの天皇の政治的象徴性を認めたためか、単に国民の暴動を恐れた治安的配慮からかどうかはいざしらず、昭和天皇は戦犯にならなかった。また天皇ご自身もガラリとイメージ・チェンジを図り、戦前の現人神から、戦後は人間天皇宣言をし、その気さくなお人柄が戦前と別の意味で敬愛されるようになった。かくして、陛下は悪くない。東条英樹以下、君側の奸の軍閥が悪いとの見方が庶民に定着したのである。

この後、現今上天皇の皇太子殿下と現皇后陛下の美智子さまの、皇室と一般人とのご成婚があり、皇室は女性週刊誌を中心とて、ある意味でのトップアイドル的存在となり、敬愛感はさらに拡大していく。だから、無意識ではあるが潜在的に民族の誇りは保たれて、別にヒトラーのようなカリスマ指導者がいなくても、献身的な人々で経済成長が可能になったと思う。ただし、天皇は善、軍閥は悪という図式が、愛される皇室、愚鈍な政治家という図式となってその後も定着してしまった。

世界の中で、日本くらいトップの首相が馬鹿にされコケにされ、これほど親しまれていない国は、ないのではないだろうか。これは、あまり良い社会風土とは思えないのだが、少なくともヒトラーのようなカリスマ指導者が不要のまま、戦後経済復興を可能にした日本は、結果オーライであったと思う。ただし、前項で記したように、バブル崩壊後の経済疲弊は、ヒトラー的カリスマを存在させる地盤は孕んでいないでもない。トップの首相が馬鹿にされるような風土で、実はいいのかもしれない。

●中央に遠く現場に近いほど真実が見える 「縞模様のパジャマの少年」
ドイツ国民としての誇りの確立・献身的な経済成長への参加、この相乗効果でナチスは盤石の基盤を有する。ここから暴走が始まる。経済成長を阻害しているのはユダヤ民族の排金主義である、ユダヤ人はドイツ民族の純潔を汚す、との論理に飛躍し、ついにはホロコースト=ユダヤ民族絶滅政策へと暴走する。しかし、ドイツ国民としての誇りの確立・献身的な経済成長への参加に酔ったドイツ国民の多くは、この暴走のおかしさにも感覚が麻痺してしまったのだ。

でも、「意志の勝利」鑑賞直後に「縞模様のパジャマの少年」を観たのは、本当に適切だった。私は他人事ではなく、内なるナチズムを考えることができた。経済復興の阻害になるのはユダヤの拝金主義だ、民族の誇りと純潔を汚すユダヤ民族は許せない、思想の自由というものがあるのだから、そこまではよしとしよう。しかし、だから組織的・計画的にユダヤ民族絶滅を推進するホロコーストは許されるものではない。でも、その経済復興・民族の誇りの延長線上で、ドイツは暴走してしまった。

戦後60年を越え21世紀に入り、「ヒトラー〜最期の12日間〜」「白バラの祈り−ゾフィー・ショル、最期の日々」などで、ドイツ人自身がやっとその心の底にあるものを語り始めた。ヒトラー=ナチを悪魔と断罪して済む問題ではなく、ドイツ人一人一人の問題としての考察を深めたのである。「縞模様のパジャマの少年」も、その一環だと思う。(原作は別にすると製作・監督は米・英系列ではあるが)ここで描かれたのは、経済復興・民族の誇りが原点にあるにせよ、そこまで暴走したらやり過ぎだろうということである。そしてその暴走は、中央の意思決定から限りなく遠い所から、おかしいなということに気付くことである。そして、もっと言うならばおかしいと最初に感じる地点の人間(一般的には現場の人間だ)は、最も中央権力に遠い人間ということだ。だから、暴走は止められない。「縞模様のパジャマの少年」は、その社会的悲劇を見事に描き切った。

主人公の8歳の少年は、パパは尊敬できる軍人であり、立派なドイツ人であると思っている。だから、強制収容所の所長に栄転し、ベルリンから、友達もいないし学校も無いし家庭教師によって勉強するしかない田舎に転地しても、素直に従う。そこで、収容所の同じ8歳のユダヤ人少年と、鉄条網越しに「友だち」になる。父は「ユダヤ人は悪い奴だ。良いユダヤ人がいたら教えてもらいたい」と強弁する。しかし、少年にとって「友だち」は悪くないし、その「友だち」が慕う彼の父親がユダヤ人であろうと、悪い人とは思えない。「おかしい」と思う。中央から遠い人間こそ「おかしい」ことに気付くのである。

映画の中で最も中央に近いのは父親であろう。しかし、彼も本当に「経済復興」「民族の誇り」に、「ユダヤ民族絶滅」が結びつくことについては懐疑的なようである。だが、軍人としては、そう思い込んでやらざるをえない苦渋を感じさせる。彼の妻は、夫より中央に遠い分、「おかしさ」に気付くのは早い。でもそれは、収容所が自宅から目に入らない約束のはずが、そうでなかったことで気付くという次元である。

収容所長の父母は、共に「経済復興」「民族の誇り」が、「ユダヤ民族絶滅」は暴走に過ぎないと認識している。しかし、父は体制に調子を合わせるしかない。きっぱり拒絶して息子の赴任先を訪れることを拒否するのは、母親の方である。ここでも、中央に遠い人間が早く「おかしさ」に気づき、でも中央から遠く権力からも遠いことから、暴走を止める力にはなりえないことが、端的に示唆される。

「おかしさ」に気付きながらも、尚且目をつぶろうという意識的人間もいる。収容所の副官がそうであった。彼の父は、早くに「おかしさ」を感じスイスに亡命したらしい。その負い目からか、彼はそのことを上官に隠し通し、より理想的なナチとして行動する。そして、結果的に虚偽報告で前線に左遷されてしまう。

「おかしさ」に気づかず、「おかしい世界」にのめり込んでいく者の恐ろしさも描かれる。12歳になる少年の姉がそうだ。彼女は大人になりかかっており、背伸びしたがる年代である。8歳の弟に、あなたとはちがうのよと、優位を示したい。だから、国粋主義者の家庭教師の洗脳に、どんどんハマっていく。私は「意志の勝利」での輝くようなヒトラー・ユーゲントの若者が、ダブって見えた。「意志の勝利」→「縞模様のパジャマの少年」の連続鑑賞は、本当に価値ある体験だった。

「仕事」という金科玉条の建前で、「おかしい」と思いながら見過ごしたことは、本当に一つも無いですか?真面目に生きてきた人にこそ、私は本当にそう問いたい。もちろん、私にも無いわけではない。ナチは悪魔でも何でもない。自分の内なるファシズムの自覚がない限り、誰でも「持っていかれる」ことを肝に銘じるべきなのである。

「経済復興」「民族の誇り」=「ユダヤ民族絶滅」のおかしさに最も気付かなかったのは、中央のヒトラーと側近達であったろう。多分、中央に近かったレニ・リーフェンシュタールも同じだろう。でもそれを言うならば、映画史的には革命の名の基に虐殺を肯定したエイゼンシュテインも同罪だと、私は思う。
●「バーダー・マインホフ 理想の果てに」
「意志の勝利」「縞模様のパジャマの少年」に先立って、6日(木)に「バーダー・マインホフ 理想の果てに」を観た。ドイツ赤軍をドキュメンタリー調に描いた劇映画で、2009年アカデミー賞外国語映画賞で日本の「おくりびと」と覇を競った作品である。これも、日本の連合赤軍事件と対比して、興味深く観た。

過激さという点では、ドイツ赤軍の若者は凄まじい。裁判の判決を不当と断定すれば、司法の高官をバリバリ暗殺する。銀行強盗・爆破・誘拐・ハイジャック、その過激さは眼を覆うばかりだ。興味深かったのは、裁判の傍聴人などの風景を見ると、国民全体に少なからぬシンパがいるようなことだ。これは多分、反体制を弾圧することは、ヒトラーを再臨させるのではないかとの、ドイツ国民の風土であるような気がした。

日本の連合赤軍は、1972年のあさま山荘事件で息の根を止められたが、ドイツ赤軍は70年代後半まで暴れまくったようだ。やはり、ファシズムの再来に恐怖するドイツ国民の風土が大きかったと思う。もう一つ思ったのは、島国日本との違いである。ドイツ赤軍は、イタリアにベルギーにと、国境を越えて連帯し神出鬼没だ。日本ではそうはいかない。ある者は「よど号」をハイジャックして国外逃亡をするしかなく、ある者は大衆から孤立して群馬の山奥に押し込められるしかなかったのだ。その対比も極めて興味深かった。

そして「湯布院映画祭」への道程
こんなことを語っていると、一昨年の2007年「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」が中心となった熱い「湯布院映画祭」を思い出す。今年も湯布院映画祭への道程が近づいてきた。今年の特集は「日本映画 脚本家列伝」である。常連に荒井晴彦さんがいることから、ずいぶん安易な企画にも見えるが、逆に脚本原理主義者の荒井さんが中核になれば、それなりのレベルは保証されるともいえる。「なんてつまんない企画だと思いますが(笑)、それを周磨さんがひっかきまわして面白くしてください」と発破をかける友人もいれば、「この機会に脚本をきっちり考えるのも悪くないんじゃないですか」と言うプロのライターの知人もいる。いずれにしても、2007年のように熱い映画祭を過ごしたいものだ。

「湯布院映画祭」行き前の「映画三昧日記」はこれで最後になり、しばらくご無沙汰になります。「湯布院映画祭日記」の方でお会いいたしましょう!「湯布院映画祭」参加者の方々、今年も楽しく盛り上がりましょう!
映画三昧日記−16

●「湯布院映画祭」実行委員会からのアンケート
8月26日(水)の前夜祭からスタートする「湯布院映画祭」が近づいてきた。今年の特集は「日本映画 脚本家列伝」である。映画祭に先立って、実行委員会から、脚本家120名へのアンケートと並行して、受け手の立場からという趣旨で、参加者へもアンケート依頼が送付されてきた。まずは、私の回答内容を以下に記します。

一、脚本・シナリオ・映画台本を読んだ事がありますか?一、二作題名をお挙げ下さい。

ある  「砂の器」(雑誌「シナリオ」誌上で、映画化未定の時に読みました)
    「なめくじにきいてみろ」(映画化題名「殺人狂時代」)
    「ぱるたい Happy★Revolution」
     (第34回城戸賞入選 城戸賞入選作は、毎年「キネマ旬報」誌上で読んでいます)

二、脚本家という視点で観たい映画を決めることがありますか?あればその脚本家のお名前を何人かお挙げ下さい。

ある  脚本家の具体的名前というよりも、脚本家と監督のコラボレーションが興味を惹いたので見るのを決めることがあります。
       昨年の一例 「カメレオン」の丸山昇一=阪本順治。

三、今年の映画祭には、8名以上の脚本家の方々が参加されます、お聞きになりたい、話がしたい事がありますか?あれば教えてください。

沢山ありすぎて、ここでは一言で申せません。映画祭参加に先立って、私なりに著作物としての映画脚本について、考えをまとめて行きたいと思っています。場合によっては、追伸を出すかもしりません。

ということで、映画祭参加に先立って、この「映画三昧日記」でも著作物としての映画脚本について、私なりの考えをまとめておこうと思い至ったのである。


●著作物としての映画脚本
著作物としての映画脚本の位置付けは、演劇の戯曲に近いのではないだろうか。どちらも原作者が別人の場合があり、またどちらも映画化や上演の有無に関係なく、著作物として独立しているということである。

ただし、映画の脚本が戯曲と大きく違うのは、繰り返し利用されることがないことである。戯曲の場合は、例えばシェークスピアなんて、世界中で何百年にわたって気の遠くなるような回数が上演されているだろう。映画の場合は、そうした例は極めて稀である。「椿三十郎」や「山のあなた 徳市の恋」のような例が無いでもないが、ほとんどのリメークの場合は、新たに脚本家を立てて書きなおしているのが実態だ。

1999年の「毎日映画コンクール」で、諏訪敦彦・三浦友和・渡辺真紀子が、『「M/OTER」のダイアローグに対して』とのコメントを付きだが、脚本賞を受賞した。この映画には、通常言うところの脚本は存在しなかったらしい。諏訪敦彦監督がシノプシス的なものを三浦友和・渡辺真紀子の両主演者に渡し、3人でディスカッションしながらダイアローグを固めて、撮影を進めていったそうだ。これをもって脚本賞とするのが妥当かどうか。極めて興味深い問題である。

「映画芸術」誌2000年秋号で、この問題は大々的に取り上げられた。本来はこうした問題は、映画界の中立・中庸の大権威であるべき「キネマ旬報」で特集すべきであろう。白井佳夫が編集長ならば、絶対にそうしたはずだ。脚本家の荒井晴彦が編集長の「映画芸術」では、皮肉な眼で見る人が出かねないのは必然である。しかし、キネ旬は記事としてすら取り上げなかった。最近のキネ旬に期待しても無理ということだろうか。

その「映画芸術」誌の特集は、興味深いものが多かった。(ここでお断りしておくが、これを書いている時点で当該の「映画芸術」誌が見つからない。これ以後は私の記憶に辿って書くことをお許しいただきたい)最も興味深かったのは、「毎日映画コンクール」審査員へのアンケート回答だった。ほとんどの審査員が、脚本賞選考にあたって、脚本を読んでいないということだった。読むべきではあろうが、諸般の事情でなかなかそこまで出来ないと回答した人はまだいいとして、脚本なんぞ読まなくっても映画を観ればその良し悪しは分かると、開き直ったようにうそぶいている人がいたのには、呆れかえった。それが映画評で飯を食っているプロの言葉だろうか。職業人としての姿勢そのものに疑いを持たざるをえない。
 百歩譲って、映画から逆算して脚本の良し悪しを判断できる批評眼があるからこそ、プロであると認めるとしよう。ただしその脚本は、あくまでも原本の著作物としての脚本ではなく、「再録脚本」ということだろう。「M/OTER」なんて、はっきりと再録脚本賞とでもいうべきものである。映画賞の脚本賞とは、再録脚本賞ということでいいのだろうか。

私の知人で、キネマ旬報個人賞の選考委員をされている方がいる。その人にこの問題を尋ねてみた。「全部の脚本を読むことは不可能です。ただ選考にあたって私が注目する作品については、できるだけ読むようにしています。でも、原本の脚本を出すのを製作側が渋ることも、少なくないんですよね。その場合は読みたくても読めません」とのことだった。製作側が渋るのは、舞台裏や途中経過を外部の人に見せたくないというのが、理由のようなのだ。舞台裏や途中経過なんてことになったら、著作物としての脚本の自立性というのが、かなり危うくなってくるが、戯曲と違って映画が完成すれば、オリジナル脚本での再映画化というのは皆無なので、それもいたしかたないという感じにもなってくる。

最近では「アマルフィ 女神の報酬」の脚本が、ノンクレジットだったという仰天すべき例がある。これだけの事件でもキネ旬はノーマークだった。本当にどうしようもない。以後の私の記述は各種映画ジャーナリズムの報道をつぎはぎにした類推である。原作は真保裕一で、映画用のオリジナルだそうだ。脚本も真保裕一が書いたものがあったらしい。しかし、現地に入ったら当初の想定より状況がかなり異なり、西谷弘監督が大幅に手を入れたそうだ。真保裕一からは、脚本のクレジットから名前を外してほしいとの申し入れがあり、そうなるとクレジットは西谷弘になるが、私が全部書いたわけじゃないと、西谷弘も拒否したそうだ。

「アマルフィ 女神の報酬」の脚本は、まさに途中経過・楽屋裏といった存在だろう。強いて脚本の存在を独立させるならば、採録脚本がそれに相当するということだ。では、それは誰の著作物なのか?再録者の著作物なのか?そんな馬鹿なことは、あるわけはない。

最近では「やわらかい生活」の裁判問題がある。ただし、私は伝聞でしか知らず、その件を報道した新聞は確認し損なった。例によって最も真っ先に扱うべき「キネマ旬報」でもノータッチだ。だから、私がこれから記すのは、「映画芸術」2007年秋号(A)の編集後記に基づくものである。

「やわらかい生活」は、映画も公開されたしDVDも発売されている。原作者は気にいらないそうであるが、それを許容しているのはそれなりの報酬を得たからであろう。ただし、脚本を出版することは許可しないそうだ。ずいぶん変な話であるが、法律的には脚本家は原作の利用者に過ぎないそうだから、許可の権利は原作者にあるそうだ。原作のある戯曲の場合では、この問題はどうなるのだろう。また、もし脚本というものは、一部製作会社の言うとおり途中経過・楽屋裏に過ぎないとしたら、原作者は、完成品は許容するが、途中経過・楽屋裏の公表は許容しない権利があるということだ。これも変な話である。

集団で物事を完成した時の個人の権利とは、何なのであろう。一般の企業社会では、それは組織トップの文書発行者が全部である。決済書類の控えに、担当者→主任→副長→課長などの上り判で関係者名が残る程度だ。最近では組織のスリム化でマネージャー制が日本でも浸透しているが、そうなるとマネージャー以外はメンバー一人の関係者の名しか控えにも存在しない。もっともトップの名前が公式文書で残るのは、文書が私印で済む極めて軽易なものに限られる。重要な完成物はすべて公印であるから、そうなると組織名しか存在せず、個人の名前はいっさい無いのである。

それに比して、映画はパーツ・パーツのそれぞれが、堂々と名を連ね権利を主張でき、脚本家も含めて世間的にはかなり恵まれていると言えぬことはない。著作物と企業活動などは質がちがうとはいえ、一般の企業を中心とした集団活動との落差があり過ぎるのではないか。いや、だからといって映画人の権利主張に掉さすつもりはない。むしろこの件は、企業活動のどんな成果も組織の中に吸収され個人の権利がいっさい無い現状を、今後は個人の権利拡大に結びつけていくよう努力するのが正しいのかもしれない。

●ついでに「アマルフィ 女神の報酬」の雑感
「アマルフィ 女神の報酬」を最初に観た時、ずいぶん穴だらけのミステリーだなと思った。原作はもっとしっかりしているんだろうな。シナリオ化する時のダイジェストで穴だらけになったのかな、と思っていたが、脚本ノンクレジットのいきさつを知って得心した。

とにかく、犯人は何でここまでややこしい事をやらなければいけないのかと思わせるし、犯行計画はちょっと何かが狂ってもガタガタになりそうだし、謎解きのための謎解き、ミステリーのためのミステリーとしか思えないのだ。脚本クレジット不在という芯の通らなさは、ここでも如実に現れてしまつた。

私は優れた「映画的ミステリー」の傑作、「赤いハンカチ」を思い出していた。「赤いハンカチ」も、実はミステリーとしては相当無理がある。あまりにも犯行計画が緻密すぎて、そんな上手くいくのかいと感じさせないでもない。しかし、冒頭とクライマックスに2度登場する警察署内の広場の造形の視覚効果で、「映画的説得力」を持たせてしまったのである。残念ながら「アマルフィ 女神の報酬」には、そうした映像的工夫も全く無かった。

竹中直人最新作に失望
私は、監督・竹中直人に、大いに期待している一人である。そして、最新監督作「山形スクリーム」は、いかにも俳優・竹中直人らしい映画だった。だから、私はガックリ失望した。

俳優・竹中直人は「うるさい」人である。だから、他の監督はうるさく目立つ特異な人間のキャスティングに困ると、必ず竹中直人に振る。竹中直人は、怪演で見事に素直に答えてしまう。そこでますます困った時の竹中直人頼みになる。安易に起用する周りも、全くよろしくない。

ところが、監督・竹中直人となると、静謐な映画ばかりなのである。デビュー作「無能の人」は題名どおりの駄目な中年男、続く「119」は何年間も火事のない町の消防署の話、「東京日和」は難病の妻ミポリンこと中山美穂を誠実に看病する男の話(だから一瞬切れかかり、いつもの「うるさい」竹中直人の片鱗がのぞくところが鮮烈だった)、「連弾」はピアノを通じて絆を深める妻と娘の間に割り込めない控え目な夫、「さよならCOLOR」は難病のかつてのクラスメートの女性を陰から支えるこれも難病にかかった医師の話。こう見ると竹中直人監督作品は、「うるさい」俳優・竹中直人に背をむけるような、信じられないほど静謐な作品ばかりなのである。

ところが最新作「山形スクリーム」は、絵に書いたように俳優・竹中直人に相応しい騒々しい映画だった。監督・竹中直人の下で、こんな風な俳優・竹中直人は見たくなかった。こうした「うるさい」ことは、他の監督作品に出た時にやってくれとの思いが、どうしても消えなかったのである。
映画三昧日記−15

●「デカローグ」の素晴らしさ
前回の「映画三昧日記」で「デカローグ」について、「巨大さは、一言で語り尽くせない。日を改めてジックリ語りたい誘惑に駆られている」と記したが、今回ジックリ語ってみたい。

それにしても24時間映画三昧というのは、本当にいいものだ。こんなことがなければ、「デカローグ」10部作の10時間を、一挙に観てしまおうなんて思いには至らないし、この大感動にも出会えなかったわけだ。

なお、記述はすべて私の記憶に頼っている。チラシには、残念ながら総論と各話のタイトルしか記されていない。記憶違いや取り違えがあったら、ご容赦ください。

第1話 ある運命に関する物語
少年の父親は科学の信奉者だった。神の存在に関しては、あまり重きを置いていなかった。少年はスケートに行く。父親の計算では、池の氷は十分の厚さと強度を有しているので許可した。しかし、氷の亀裂事故は発生し、少年は命を失う。理論と現実、科学と神について、深く考えさせられる寓話である。

第2話 ある選択に関する物語
不治の病の癌について、まだ本人や家族に告知する習慣がなかった時代の話である。夫を不治の癌に犯された妻がいる。彼女は主治医に、真実を告げてほしいと懇願する。主治医は逡巡する。
 妻から驚くべきことが、主治医に告げられる。妻は不倫の子を妊娠中だった。夫が助からないなら中絶せず、夫を看取った後、不倫相手と再婚し、子供を生んで育てるという。夫が助かるなら、子供は中絶して、今までどおりの夫婦関係を続けるつもりである。しかも、彼女は年齢的に子供を産める最後の機会なのである。
 医師は悩む。そして、彼女に告知する。ご主人が存命できる確率は、ほとんどゼロに近いと。彼女は子を産むことを決意する。しかし、奇跡が起きる。夫は回復し、完治してしまう。この夫婦は、夫の知ることなく、不倫の子を育てていくことになるであろう。運命のいたずら?神の意志?主治医と妻の選択が、ここでも1話と呼応する形で、「神」というものを深く感じさせられる。

第3話 あるクリスマス・イヴに関する物語
 クリスマス・イヴの夜、平和なホームパーティーを開いている父親のところに、昔の別れた女が訪れる。もう一人の友人の男と三角関係の果てに、彼は身を引いて、今は別の女性を妻にして幸せに暮らしていたのである。
 昔の女は、かつての三角関係の男が、失踪してしまった、いっしょに探してほしいと哀願する。昔の友人のことが心配になり、男は渋々と頼みを聞きいれ、イヴの夜通しをかけて、二人で街を捜索する。白々と夜が明ける。女は、すでに男と別れており、男の失踪を告げたのは狂言だったと、男に告げる。
 女は告白する。クリスマス・イヴの一夜だけは、一人で過ごすのが嫌だった。あなたと一緒にいたかった。女の切ないロマンチシズムが胸を打つ。

第4話 ある父と娘に関する物語
 死んだ母の遺品から、父の死後に開けるように記された封書が残される。父娘、は共に、娘は実は他の男の子供であることが記されているのでは?と、疑心暗鬼に囚われる。微妙に変質する父と娘の関係、父娘の愛情が、男女の愛へ変質していく際どい人間心理の深淵に迫る。娘は、ついに開封して、実の親子でないことを確認したとともに、男として父を愛していることを告白する。しかし、後日、それは嘘で実は開封していなかったことを、改めて父に告げる。父の眼前で未開封の手紙を燃やす娘。真実は、永遠の謎となる。この後の父娘の愛はどうなるのか?血縁とは何か?親子の愛の真実とは?近親相姦の心理の深淵に迫った恐ろしい一篇である。

第5話 ある殺人に関する物語
死刑廃止論者の法学生の、自らの信念の独白が、延々と続く。罪は憎んでも、人は憎むべきではないとの主旨だ。
 並行して、妹の事故死に自分の責任を感じ、それがトラウマとなって精神不安定の若者が、街で無差別に迷惑行為を重ねる光景が、ドキュメンタリータッチで描かれる。ついに、連続タクシー強盗殺人へと、行為はエスカレートする。臨場感に溢れた映像が素晴らしい。
 弁護士となった法学生が、この若者の弁護を担当する。若者の心の深層を知り、死刑にすべきではないと訴える。しかし、犯行の残虐性から、死刑の判決が出る。弁護士は、検事と判事を「人」として憎み、糞ったれと汚い言葉を投げつける。人間心理の矛盾が浮き彫りになる。

第6話 ある愛に関する物語
19歳の郵便局の若者が、向いのアパートの大人の女性をストーカーする話である。毎夜、双眼鏡で部屋を覗く。彼女の私信を配達しないで着服し、貪り読む。小切手の控えを隠し、彼女が振り出しにくると、そんなものは受け付けていないと、支払いをしない。郵便局には、彼女の方が小切手偽造者でないかと、疑われてしまう。
 若者は、ある時、すべてを彼女に告白し、愛を告げる。翌日から、女は覗かれていることを承知で、これ見よがしのポーズで窓際に立つ。男と女の異常な愛の誕生が鮮烈だ。

第7話 ある告白に関する物語
母と娘の確執の話である。母は校長を務めており、当然ながら気位が高い。しかし、それほど愛してもいなかった部下の教師と、出来心で関係してしまい娘を生んだ。相手の男も気に入らなければ、そんな形で生まれてきた娘も不本意だ。だが、この出産で、もう子供を生めない体になってしまった。
 当然、そんな形で得た娘は愛せない。そして、その娘は16歳で妊娠してしまう。母は孫に理想の育児をしようと思う。お前になんか育てられないと、娘から孫を奪おうとする。母と娘の子供の奪い合い、肉親故にこそ現出する目をそむけたくなる強烈な罵り合い。イングマル・ベルイマンの「秋のソナタ」「サラバンド」を彷彿させる肉親の心の奥に潜む地獄を描き切った。

第8話 ある過去に関する物語

アメリカに亡命してホロコーストから逃れることができたユダヤ人の女性翻訳家が、戦後仕事でポーランドに戻ってくる。翻訳する学術書の著者は初老の女教授だ。かつてレジスタンス活動で、ユダヤ人の匿い先を斡旋していた。翻訳家も少女の頃に、教授から匿い先の斡旋を受けた。しかし、少女がキリスト教の割礼を受ける条件を、彼女が人権を主張して土壇場で拒否したために、少女は危険な眼に合うことになる。
 戦後になった今、改めて教授にその真意を問いただす。教授は匿い先がナチスのシンパの疑いがあると、直前に分かったので、割礼を口実に断ったのだと告げる。ただ、ナチスのシンパというのは、後に誤報と判ったと語る。
 二人で、かつての匿い先だった男を訪れ、挨拶を交わす。立ち去っていく二人に意味ありげな視線を注ぐその男。やっぱり、かつてのシンパであり、それを隠して戦後生き延びたのだろうか。「影」「灰とダイヤモンド」を思い出させるポーランドの闇を描いた社会派の一篇だ。
 教授のアパートは、第2話のアパートと同じであり、すれ違い的に2話の登場人物がチラッと登場する。

第9話 ある孤独に関する物語

不能になった夫、でも妻の愛は変わらない。しかし、肉欲の疼きはどうにもならない。若い愛人を作ってしまう。夫もやむをえないと許容する。だが、嫉妬心はどうにもならない。お互いの愛を疑った後、また和解するということを繰り返したりするが、ついには苦しんだ夫の自殺未遂に至り、再び和解する。愛と肉欲の狭間というところは、ラース・フォン・トリアーの「奇跡の海」と同様である。「デカローグ」10話中、強いていえば唯一の平凡作と言えようか。

第10話 ある希望に関する物語
第8話のアパートで、切手収集しか興味のない風変わりな老人がチラリと出てくるが、その老人の死から、最終話は始まる。二人の息子がいるが、変わり者の父とは、生前ほとんど行き来はなかった。残されたのは切手ばかりだ。しかし、鑑定の結果、これが大変な財産であることが判明する。
 今までつつましく暮らしてきた庶民の息子二人だが、大財産だと判ると、欲の皮が突っ張って、それを守るために汲々としてくるのが、人間喜劇としておかしい。
 そこに、悪徳切手商がつけ込む。切手のうち、最大の財産は、3枚組シリーズ切手の2枚だという。もう1枚揃えば、桁違いの値打ちになるという。その1枚は切手商が有しており、譲ってもいいが金では駄目だという。息子が不治の腎臓の病で、代金は移植する腎臓だという。結局、血液型の合う兄が腎臓提供者となる。
 シリーズ切手の残る1枚は手に入った。しかし、兄の手術に弟が立ち合って、家を留守にした時に、空き巣に根こそぎ切手は奪い去られてしまう。
 兄弟はお互いを疑いだす。一人占めするために、誰かに依頼して盗み出し、本当は隠し持っているのだろうというわけだ。激しく言い争って、喧嘩別れとなる。欲の皮が突っ張ると、人間ここまで愚かに疑心暗鬼となるのかと、ここも見事な人間喜劇である。
 兄弟は、所在なげにそれぞれ郵便局に立ち寄り、同じ新発売の記念切手3枚組を何となく買ってしまう。そして、顔を合わせた時、その偶然を知り、おかしくなって「俺たちのシリーズ切手だな」と笑いあって和解し、最後はほのぼのムードで幕を閉じる。
 シドニー・ルメットの「その土曜日、7時58分」ほど、サスペンスフルなアクションではないが、人間の欲がエスカレートした結果の、見事な人間喜劇(悲劇?)であった。

7月の文字通りの「映画三昧日記」
前回の「映画三昧日記」で、7月1日(水)から完全フリーとなったが、5日(日)までの5日間で家にいたのは、前月末6月30日(火)の送別の宴の後遺症(早い話が二日酔)で潰れていた1日(水)のみだったことを紹介した。6日(月)以降も怒涛のスケジュールで、退屈することは全くない。以下、7月の映画三昧状況を箇条書きで紹介するが、東京というのは小まめにチェックすれば、本当に「毎日が映画祭」状況になる恵まれた映画環境であることを再認識した。また、映画愛からの縁で始めた活弁、活弁の縁でできた話芸全般、それらを本当に極めれば極めるほどに、キリの無いことを感じている。

7日(火)・「路上のソリスト」 TOHOシネマズ シャンテ
      ・特集 ロシア・ソビエト映画史縦断 1908−1939
              「チャパーエフ」アテネ・フランセ文化センター
8日(火)・立川シネマシティ巡り
            「トランスフォーマー リベンジ」「いけちゃんとぼく」
10日(金)・神代辰巳レトロスペクティブ
      「赤線玉の井 ぬけられます」「アフリカの光」シネマヴェーラ渋谷
      ・あんにょん由美香公開記念 林由美香×松江哲明 特集上映
           「YUMIKA 1989-1990 REMX」「童貞。をプロデュース」
             トークショー 松江哲明     ポレポレ東中野
11日(土)・「日本映画レトロスペクティブPART1」
           〜上を向いて歩こう!昭和がくれる元気の源!〜
                   「君も出世ができる」銀座シネパトス
      ・早稲田松竹 喪失の果てに 「そして、私たちは愛に帰る」「懺悔」
12日(日)・浅草世界館 ピンク映画3本立
       「三匹の奴隷」「痴女・高校教師 童貞責め」「痴漢電車 下着検札」
      ・OKACINEMA おかしな監督映画祭Z 2009'夏の陣
       SATAMI,ほたる,水原香菜恵,天正彩,渡会久美子
                        ×3本=15監督作品
                          調布グリーン小ホール
13日(日)・本当に面白かった日本映画たち「黄色い風土」新文芸座
      ・キネ旬試写会「セントアンナの奇跡」なかのZEROホール
15日(水)・立川シネマシティ巡り
     「サンシャイン・クリーニング」「ハリー・ポッターと謎のプリンス」
17日(金)・昭和警察物語 銀幕に吠えろ「点と線」ラピュタ阿佐ヶ谷
18日(土)・無声映画鑑賞会創立50周年記念事業〜弁士付無声映画上映会〜
        活弁大獅子吼大会〜朝から晩まで活動写真!〜
          「猛進ロイド」(弁士/斎藤裕子)古石場文化センター大研修室
      ・淀川長治創設 東京映画友の会  機械振興会館
20日(月)・話術研究会「蛙の会」例会  マツダ映画社 試写室
21日(火)・ぴあフィルムフェスティバルの軌跡vol.2「鬼畜大宴会」
              東京国立近代美術館フィルムセンター 小ホール
      ・上野オークラ劇場「いんび 変態若妻の悶え」
      ・ポレポレ東中野「あんにょん由美香」
             トークショー  松江哲明・監督 横浜聡子・監督
23日(火)・吉祥寺バウスシアター「モンスターVSエイリアン」
      ・ヤギタケル企画[E・1〜エンターテイメントコロシアム〜]
          (「蛙の会」会員の高橋晴美さんも参加した朗読ライブ)
        耳無し芳一(ヤギタケル)
        ふたりの女 と もひとりのをんな(高橋晴美)
        路上(清水静太郎)  母子像(佐竹海莉)
                             吉祥寺 曼荼羅
25日(土)・玉川福太郎一門会−師の三回忌の御魂に誓う
        寛永三馬術(玉川太福)
        青龍刀権次=バクレツお玉(玉川ぶん福)
        甚五郎旅日記−掛川宿(玉川奈々福)
        別れ涙の花舞台(玉川こう福)
        浪花節爺さん(玉川お福)
        天保水滸伝=鹿島の棒祭り(玉川福助)
         曲師  玉川みね子 沢村豊子   司会進行 東家一太郎
                               浅草木馬亭
26日(日)・活動弁士体験講座 発表会
       「チビッコギャング ドッグ・デイズ」「血煙高田の馬場」
       「チーズトースト狂の夢」「不如帰」     講評・澤登翠
                   三鷹市芸術文化センター 星のホール
27日(月)・立川シネマシティ巡り
      「アマルフィ 女神の報酬」
      「ウォレスとグルミット」(新作「ベーカリー街の悪夢」他、旧作「チ
       ーズ・ホリデー」「ペンギンに気をつけろ!」「危機一髪!」)
      「ウィッチマウンテン−地図から消された山−」
28日(火)・ギンレイホール
         「英国王 給仕人に乾杯!」「ホルテンさんのはじめての冒険」
      ・キネ旬試写会「ポー川のひかり」サイエンスホール
29日(水)・上野オークラ劇場
         「コンビニ無法地帯 人妻を狩れ」「奴隷性愛 私のおもちゃ」
      ・無声映画鑑賞会 B級映画会社のA級時代劇!
         「柘榴一角」(前后篇)」(オール・トーキー)
         「仇姿浮名之横櫛 切られお富」(弁士/片岡一郎)
                             門仲天井ホール
30日(木)・東劇「シネマ歌舞伎 怪談 牡丹燈籠」
      ・無声映画鑑賞会創立50周年記念事業〜落語会〜
                  “話芸の極”圓歌・金馬 二人会
        三遊亭金馬「試し酒」
        三遊亭圓歌「中澤家の人々」 共に無声映画鑑賞会理事
          ゲスト:澤登翠(「瞼の母」山場の第三篇の活弁)
        三遊亭金馬・三遊亭圓歌・澤登翠 三人トークショー
                           司会・伊達春風
                          亀戸・カメリアホール

こうして、無職・年金生活者となった最初の一か月は、慌ただしく終わった。働いていなくても、観たいものをこまめに観てまわろうとすると、こんなにも忙しいのかと、信じられない思いである。

ではこの際だから、目下のところの8月の予定を洗い出してみることにしたい。

●8月の目下の予定
3日(月)・立川シネマシティ巡り  「サマー・ウォーズ」「山形スクリーム」
*この後、予定が立て込んでいるので、この日を立川シネマシティ巡りの日にあてることにする。基本的には、日が限定されない一般の映画館は、混雑していない平日に行くことにしている。「シニア料金の奴は、休日やレディースデイみたいな日は、家でおとなしくしてろ!」と、冗談混じりにひどいことを言う奴もいるくらいだ。
 立川シネマシティはスクリーン数も多く多彩な番組なので、週一で「巡り」日を取らないと、注目新作を消化しきれない。

4日(火)・上野オークラ劇場
        「人妻探偵 尻軽セツクス事件簿」「美尻誘惑 公衆便所のいたずら」
      ・映画史上の名作2「ラヴ・パレイド」「マルクスの二挺拳銃」
                           シネマヴェーラ渋谷
*この日のお目当てのメインは「ラヴ・パレイド」。「マルクスの二挺拳銃」もビデオ鑑賞済だが、スクリーンでは初めてである。せっかく都区内まで出るので、竹洞哲也の新作も押さえることにする。

5日(水)・TOHOシネマズ日劇「ボルト」
      ・銀座テアトルシネマ「湖のほとりで」
      ・無声映画鑑賞会の50周年を祝う会
              リーガルロイヤルホテル東京 ロイヤルホールU
*この日は執念の日程である。何が執念かというと「湖のほとりで」である。実は先月23日(火)、「モンスターVSエイリアン」、30日(木)の「シネマ歌舞伎 怪談 牡丹燈籠」は、いずれも「湖のほとりで」が満席でチケットが入手できなかったので、時間の穴埋めに観たものなのだ。23日は40分前、30日に至っては1時間半前に行っても満席だった。平日でもレディースデイでもないのに、何たる狂騒曲か。「夏時間の庭」でも平日(レディースデイではあったが)初回に40分前に行って、最後の1枚でセーフとなるというヒヤヒヤ体験をしたが、銀座テアトルシネマは今や新たなブランドになっているのかもしれない。
 そこでこの日は、まず午前中に行って15時15分の回をゲットし、それまでの時間を「ボルト」で繋ぐスケジュールとした。「ボルト」は立川でも上映しているが、ピクサーのジョン・ラセターがディズニーアニメの責任者も兼任になっての第1作で、ディズニー=ピクサー融合効果が極めて評判が良く、ここは是非とも日劇の3Dで鑑賞したいと思い、こういうスケジュールになった。
 30日(木)の穴埋めに「シネマ歌舞伎 怪談 牡丹燈籠」を観るのには、ちょっと躊躇した。シニアやレディースデイなどの一切の特典がない2000円一律料金なのである。よっぽど日比谷公園のベンチで読書でもして時間を潰すかとも思ったが、暑い日だったので、やっぱりビールでも飲んで時間を潰すかとなったら、かえって高くつくし、1000円増しくらいケチケチすることないか!と、東劇に足を運んだ。結果的には、この後の「圓歌・金馬 二人会」と古典芸能繋がりとなり、ちょっとリッチな気分になれて良かったと思う。

6日(木)・シネマライズ「バーダーマインホフ 理想の果てに」
      ・鵺的 第1回公演 「暗黒地帯」  下北沢「劇」劇場
*鵺的は私の知人の武田俊彦さんが知り合いの脚本家の方が立ち上げた演劇ユニットとのことで、公演情報があり出掛けることにした。下北沢なら渋谷が近い。ドイツ赤軍のドキュメンタリー「バーダーマインホフ 理想の果てに」を押さえることにする。日本の連合赤軍と対比してどうなのか?私の注目作の一本だ。

8日(土)・玉川奈々福のおはようライブ  浅草・木馬亭
*常連の「あっち亭こっち一座」「蛙の会」の面々がどこまで集まるか。ランチタイムが楽しみである。

14日(金)・東映時代劇まつり「怪談 お岩の亡霊」T・ジョイ大泉
      ・新文芸座「レッドクリフPart1」
            「レッドクリフPart2−未来への最終決戦−」
                               一挙上映
*私の現時点での洋画ベストワン「レッドクリフPart2−未来への最終決戦−」、もちろん昨年公開の「レッドクリフPart1」と併せてのことである。再見に今からワクワクしている。

15日(土)・淀川長治 映画の祭典  ゲートシティ大崎 ゲートシティホール
      ・淀川長治創設 東京映画友の会  機械振興会館

20日(木)・映画を通して 見る、知る、学ぶ
           世界/戦争/歴史そして追悼の八月
              「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」 新文芸座
      ・特集・逝ける映画人を偲んで 2007−2008
            「ルポルタージュ 炎」「ガラスの中の少女」
                国立近代美術館フィルムセンター 大ホール
*この日の一番のお目当ては黒木和雄監督作品「ルポルタージュ 炎」、横須賀火力発電所の建設記録の連作で、第1作は東電学園高等部生徒時代に観ている。約40数年余を経て続編に出会うということになるが、映画ってこのような感無量の心境を与えてくれるものなのだ。
 「ガラスの中の少女」は、吉永小百合・浜田光夫(当時は光曠)の初共演作。若き十代の日に「キューポラのある街」に大感動した私としては、この際に押さえておくのも悪くなかろう。

22日(土)・ドキュメンタリー作家 土本典昭
         「医学としての水俣病 第一部 資料・証言篇」
         「医学としての水俣病 第二部 病理・病像篇」
                国立近代美術館フィルムセンター 小ホール

23日(日)・ドキュメンタリー作家 土本典昭
         「医学としての水俣病 第三部 臨床・疫学篇」
                国立近代美術館フィルムセンター 小ホール
      ・映画史上の名作2「無防備都市」「新学期・操行ゼロ」
                           シネマヴェーラ渋谷
*「デカローグ」大感動体験もあったので、勢いを駆ってさらに悪乗りし、この機会に「医学としての水俣病」4時間半の一挙制覇を決意した。
 「無防備都市」、このロッセリーニの代表作を、私は未だに未見なのである。何故かこれまで縁がなかったのだ。やっと観られる!今、最も胸踊らせて待ち望んでいる一本である。「新学期・操行ゼロ」もビデオ鑑賞済だが、スクリーンでは初めてだ。
 てなことやっているうちに、もう湯布院の季節が来ちゃいますねえ。この予定に加えて、多分上映作品が多彩な立川シネマシティ巡りの新作追っかけに、週一で出掛けるでしょうし、暇つぶしのネタはつきません。

25日(日)・由布岳 踏破
 *これは映画とは関係ないが、毎年せっかく湯布院に来ているのだから、山歩き好きの私としては、いつか由布岳に登りたいと思っていた。しかし、月10日勤務の嘱託とはいえ、これまではそこまでまとまった連休は確保し難かった。しかし、ついに完全フリーの時が来た!宿も映画祭1日前倒しでゲットした。後は、当日の好天を祈るのみである。(いくらなんでもこの時になって梅雨明けしてないなんてこたあないでしょう)

26日(水)〜31日(月)・湯布院映画祭(帰宅日も含む)
*それでは皆さん、今年も「湯布院映画祭日記」でお会いしましょう!

●そして9月へ
9月早々には、「あっち亭こっち一座」座員としての高座がある。6日(日)「鎌ヶ谷にぎ愛寄席」における「活弁トーク」だ。飯田豊一先生と中原路津さんも、紙芝居で参戦、何だか「蛙の会」が乗っ取ってしまったような「にぎ愛寄席」である。その前に、恒例のマガジハウス会議室における稽古会の予定が入るだろう。

9月1日(火)には映芸シネマテークが開催される。私は行くつもりである。4日(金)は映画とは関係ないが、グリーン電力基金会員の一員として、山梨県の国際交流研修・太陽光発電設備見学がある。9月は6日(日)までの間、すでに四日間が予定が埋まっているということだ。完全フリーの最初の月の7月は、多用に慌ただしく終わった。8月も似たりよったりだろう。9月も、早くも初旬はハードスケジュールである。

ただ、仕事とは違うのは、くたびれたなと思ったら、消化しない自由があるということだ。そして、消化しようがしまいが、金にならないということは、どちらも同じである。思いつきで「映画三昧日記」と名付け4年前にスタートしたこのコーナーだが、文字通りの「三昧日記」になるとは予想もしていなかったことだ。

●働くことについてのいろいろ
年上の映画繋がりの知人(私にはあまりウマが合わない方だが)から、「働けるだけ働いた方がいいよ。することがないと呆けるよ」と、半ば親切ごかしに言われたことがある。「そんなことないよ。今だって働いてなければ、やりたいことはいっぱいあるよ」と答えたら、「みんな、そう思うんだよ。でも、実際に働かなくなったら、何もできないんだよ」と説教めいて返された。しかし今ならば私は、そんなことは断じて無いと、自信を持って答え返せる。

私が電力会社を定年後に転籍した関連会社は、選択すれば65歳までは働ける。(というか今は労働基準法で、希望者に65歳まで働く場を与えるのは、企業としての義務である)その後も希望と交渉次第では、パートタイマーでかなり働けるし、そういう人も少なくはない。会社の私の先輩で、「せっかくOBに条件のいい仕事が与えられているのに、早々と辞めるのは阿呆だ!」と怒りまじりに語る人もいた。確かにその人は失礼ながら、仕事をしてなければパチンコくらいしか暇つぶしはないのかなといった感じである。
 麻生総理が「高齢者は働くしか才能が無い」と、最近放言して物議を醸したが、サラリーマンでそういう人は、決していない訳ではないのも事実である。人生いろいろということであろう。
映画三昧日記−14

●平成21年7月1日(水) 24時間映画三昧の日々が始まった!
前回の日記で、7月1日(水)から完全フリー、年金生活者となったと紹介したが、気分的には今だに落ち着かない。喰うためや金のために行きたくないところに、行く必要はないと言われているわけである。これからは、行きたいところだけ、行けばいいというわけなのだ。

私の若い頃のイメージでは、年金生活者とは、もうヨレヨレにくたびれて働くことなど到底無理で、年金暮らしをするしかない老人であった。ところが、今こうなってみると、そんな実感は全く湧かない。体力的にも、55歳で東京電力を定年になった頃に比べて、そうは遜色がないと感じている。

こんな具合で年金生活者になっていいのだろうか。おりしもワイドショーなどを眺めていると、世は不況の真っ盛り、年収200万円程度のワーキングプアが溢れているという。厚生年金と企業年金の合算にせよ、働いてない人間が、それ以上の年収を得ていていいのだろうか。何か、世の中まちがっている気もする。

ただし、首都圏の電力安定供給に携わって37年、人の生活リズムに完全に背を向けた3交替勤務も10年弱、経験している。これは激務か否か、仕事を真面目にやるか否かに関係なく、完全に寿命を縮めていると思う。まして、首都圏の電力系統を夜間少数のチームで守る中央指令所の当直長は、まちがいなく命を削っていると言われるポストだ。(私は幸か不幸か副長しか経験していない)

交替勤務に限らず、電力・ガス・鉄道・通信などの、休みなきライフラインに携わる者は、大事故なんてそうそうあるものではないにしても、心理的プレッシャーは小さくはない。よく「辞めました、死にました」と言われるが、そんな蓄積疲労があるのかもしれない。私の同年前後の者が、あっさり死んだり倒れたりしているのを見ても、定年の頃より体力的に遜色がないなんて、言っておれないかもしれない。明日は我が身だ。
 と、いうことならば、この長年の御褒美とし、ありがたく年金はいただいて、生きている限りの24時間映画三昧を、恥じなくてもいいのかもしれない。

●見切れぬ程の先人の映画遺産に感謝
ゴチャゴチャと年金生活者になったことを、いつまでも言っているのは、結局行くところがなくなって、身をもてあましている結果だろうと、思う方もいるかもしれない。しかし、7月1日(水)以降、5日(日)まで予定はビッシリなのだ。

2008年の「映画三昧日記」冒頭で、今後は新作を追うのはもちろん、見逃しているクラシック・旧作拾いにも精力を注ぐことを表明した。そのことに意識的になると、映画環境に恵まれている東京ということもあるが、本当に観ても観ても観切れないということに気が付いた。そして、この手の映画を上映する特集上映などは、日替わりメニューがほとんどで、その日に観逃すと観られなくなるケースが多い。だからスケジュールを組んでいくと、全くハードになってくるのである。いずれにしても、改めて映画誕生後100年余に先人達が残した映画遺産の豊富さに、眼も眩むばかりである。とにかく、私の残りの人生で観切れないことは分かった。だから私は、一生退屈することもないわけだ。

●7月1日(水)〜5日(日)の鑑賞の足跡
6月23日(火)〜7月11日(土)、アテネ・フランセ文化センターで「ロシア・ソビエト映画史縦断 1908−1939」が開催されている。日替り番組で、その日を逃すともう観られない。「何でもない人」になった初日の7月1日(水)は、見逃していたエイゼンシュテインの「全線 古きものと新しきもの」鑑賞を予定した。結果は、前日の送別の宴でしこたま飲み過ぎ、グッタリしてパスしたのは、前回の日記に記したとおりである。

2日(木)のアテネ・フランセ文化センターは、ドヴジェンコの歴史的名作「大地」(併映はエイゼンシュテインのトーキー実験短編「センチメンタル・ロマンス」)である。一方、下高井戸シネマでは、レイト・アフタヌーン・ショーで「白夜映画祭V コメディ&メロドラマ 恋と革命」が6月8日(月)〜8月7日(金)で開催中だ。この日のレイトは「鶴は翔んでゆく」である。礼によっての交通費有効活用で、二箇所をハシゴする。

新文芸座では、これも日替りで『映画デビュー65年「グランプリ女優」と呼ばれた大映映画の大輪 京マチ子のすべて』が、6月21日(日)〜7月4日(土)で開催されている。3日(金)の番組は「妖婆」と「黒蜥蜴」、一本一本は、史上に残る傑作とは言い難いが、2本まとめて見られるという点では、おいしい番組である。例によっての交通費有効活用で、恵比寿ガーデンシネマ「扉をたたく人」とのハシゴで1日を過ごした。

場所は変わって渋谷、ユーロスペースにおいては、「クシシュトフ・キェシロフスキ監督特集上映 キェシロフスキ・ブリズム」が6月20日(土)〜7月17日(金)で、一作品につき何回か繰り返し上映はあるにせよ、やはり日替りメニューで開催中だ。この機会に「デカローグ」第1話から第10話、全10部作の10時間を踏破することを決意する。4日(土)が1話〜6話、5日(日)が8話〜10話だ。「デカローグ」は1988年製作だが、興行的に難点が多く日本公開はグっと遅れて1996年だ。(まあ、この10時間のアートフィルムを、日本公開にこぎつけただけでも大したものだが)私は、仕事専念・子育て・家庭サービス期間から、そろそろ脱却しつつあった時期だが、さすがにリアルタイムでは、全10時間の「デカローグ」まで手が回らなかった。

4日の日は、交通費有効活用で何とハシゴをするか検討する。すると上野オークラ劇場で、渡邊元嗣監督の新作「愛液ドールズ 悩殺いかせ上手」が上映中だ。上野→渋谷のコースに決める。それにしても、ピンクとキェシロフスキとは、すごいミスマッチだ。でも、「デカローグ」は1話1時間弱の中編映画の連作で、言ってみればピンク映画も1時間前後の中編だ。中編の9本立というのも悪くないかもしれないと、変な納得をしてハシゴをしたのであった。(この日の上野オークラ上映作品については「ピンク映画カタログ」に寄り道してください)

5日は「デカローグ」8話〜10話、さすがにここまでくると「ぴあ」やら何やらひっくり返しても、帯に短したすきに長しで、適当なハシゴ番組が見つからず、「デカローグ」だけでお茶を濁すことにする。といっても、デカローグは2話単位で1番組として入れ替え制なので、これでも十分にハシゴなんですけどね。

「何でもない人」になっての最初の5日間、二日酔いで潰れていた初日はさておいて、4日連続の映画三昧、「いや〜疲れたでしょう。もう、映画はいいやと思ったんじゃないですか。中には失望した作品もあって、グッタリしたでしょう」と人は言うかもしれない。ところが、いずれもそれなりに面白くて面白くて、観にいったことを後悔したものは一つもなかった。

 改めて、東京の映画環境は素晴らしいと思った。小まめに上映作品を洗っていけば、「毎日が映画祭」ということが現出するのである。24時間映画三昧の身になったら、浜松のT要さんの後を追って全国映画祭巡りを目論んでいたが、都内の未見のクラシック・旧作上映を追っているだけで、1年が終わってしまいそうだ。改めて、東京の映画環境と、先達の残した膨大な映画遺産に、感謝するのみだ。

●7月2日(木)〜5日(日)鑑賞作品の雑感
それでは、前項で「いずれもそれなりに面白くて面白くて、観にいったことを後悔したものは一つもなかった」と記した各作品の雑感を簡単に記してみたい。

アレクサンドル・ドヴジェンコの「大地」は、歴史的名作の世評にたがわぬ傑作であった。コルホーズ(集団農場)建設の若者達と、それを妨害する富農たちとの激しい対立。クローズアップされる農民の顔の力強さ、大群衆を捉えたロングショットのパワー、それらをダイナミックに連携するモンタージュの迫力。エイゼンシュテインの一連の作品と共通する革命初期のソビエトの力強さをひしひしと感じる。
 とりわけ仰天したのは、コルホーズ建設の若者を殺されて、嘆き悲しむ婚約者の描写である。女優がフルヌードで悶え狂い、心の苦しさを激しくスクリーンに叩きつけるのである。当然リアリズムではない。1930年に、こんな強烈なデフォルメ表現が存在していたのだ。

「鶴は翔んでゆく」は、ソ連ヌーベルバーグと言われたミハイル・カラトーゾフの1957年作品。最近「戦場のレクイエム」で、国共内戦を「聖戦なんてありはしない」との観点で描き、中国映画も変わってきたと感じたが、ソ連はこの時代にすでに大祖国戦争に疑義を呈していたのだ。
 庶民には聖戦の意義なんてどうでもいい。大切なのは、愛する人と引き裂かれて残された女の悲しみだ。社会的立場をうまく使って徴兵逃れをし、その彼女を横取りする奴も現れる。ソ連の誇る大祖国戦争すら、奇麗事では描かれない。
 移動撮影を駆使したカラトーゾフの流麗な演出は、今観ても溜息が出るほど見事だ。その中でキラキラ輝くタチアーナ・サモイロワは、見とれてしまうくらい美しい。その美しさは、この時代の往年のハリウッド女優と一味ちがう素朴さとたくましさをたたえているのも新鮮だった。
 体の関係ができたら、結婚せざるをえない。兵役を終えて帰郷した男は、愛する女が他の男の人妻となってしまったことを知り、仲を引き裂かれる。このあたりは、傷ものにされたら結婚するしかなく、安易な離婚も許されなかった半世紀前の貞操観念に、深い感慨を覚える。ちなみに「鶴は翔んでゆく」の公開時の題名は、「戦争と貞操」だった。おカタい左翼系の方が、扇情的だとか何とか言って、再公開時に変えちゃったんだが、私は元の題の方が良かったと思う。原題直訳だそうだが、「鶴は翔んでゆく」じゃこれから観る人には、どんな映画か全く分かりませんよね。

「妖婆」と「黒蜥蜴」は、2本立効果で観にいったと、前に記した。「妖婆」は、監督・今井正、原作・芥川龍之助、脚本・水木洋子、主演・京マチ子。1976年、大映倒産後にプロダクションを設立し製作した前社長・永田雅一ならではの、錚々たる顔触れが揃った。しかし、公開後は失敗作との世評で、私も観そびれた。でも、何となく興味は湧く。しかも併映は「黒蜥蜴」、監督は井上梅次でドンピシャの京マチ子スター映画だ。多くは期待しないが、手堅く楽しませてくれるのは、まちがいないだろう。

6月27日(土)にこの京マチ子特集で、溝口健二の「楊貴妃」を観にいった。大映と中国のショウ・ブラザースとの合作で、海外で数多く受賞した第二の「地獄門」を狙った大作である。これも、悪戦苦闘の失敗作との世評だった。確かに溝口に外国との合作や国内以外の題材は、無理のような気がする。しかし、私にとってひどく気になる映画でもあった。
 結果的には、腐っても鯛は鯛というのが、私の感想だった。男社会の中で翻弄され、歴史の荒波の中で悲劇の死を迎える女、こういうのをやらせたら、やっぱり溝口は抜群に上手い。似たような題材の最近の洋画「ブーリン家の姉妹」なんかより、遙かに上をいく。観てよかったと思った。そんなこともあって「妖婆」にも食指が動いたのである。

「妖婆」も、やはり腐っても鯛は鯛であった。興行の狙いとしては、この当時のオカルトブームに便乗したものだろうが、さすがに今井正はそれだけに終わらせない。妖婆をこの世に引き込んだのは、京マチ子と稲野和子の従姉同士の女の嫉妬と葛藤である心理ドラマとして、コクのある描写を見せる。もっとも、全盛期の今井作品と比べたらかなりユルい。京マチ子がバストトップを晒して(!)までの熱演に値した映画かどうかは疑問である。

でも「黒蜥蜴」があったので、この日は良かった。「黒蜥蜴」と言えば、美輪(当時・丸山)明宏主演、深作欣二監督作品も有名だが、京マチ子版の方が数段よかった。深作版は、明智小五郎を舞台のスター要素が強い天知茂から、演技派の木村功に変えたせいもあり、虚構の華やかさに欠け、カーチェイスのシーンだけ深作リアリズムが際立つなど、変にチグハグな映画であった。
 京マチ子版の明智役は大木実、当時としては華やかな二枚目である。井上梅次演出は、ミュージカルタッチを全体のベースにしているので、舞台的な虚構の世界が見事に生きている。犯罪を美学とする耽美の三島由紀夫世界、彼ならではの「夜が息をひそめている」「追っているつもりが追われているのか、追われているつもりが追っているのか」などの華麗なダイアローグも、映画の中に鮮やかに溶け込んでいた。スター京マチ子の輝きはいうまでもない。

4日(土)〜5日(日)で全10話・10時間弱を観た「デカローグ」、これは大傑作だった。もともと私は「ふたりのベロニカ」「トリコロール」3部作で、クシシュトフ・キェシロフスキ信者であった。「純粋映像言語の天才」と崇めていた。もっとも、そのくらい個性的だから、キェシロフスキ嫌いというのも、少なからず存在する。ある人から、私が「トリコロール」全3部を観たことに対して、「そんなの観たのかい。御苦労さまだね」と、観てもいない人に冷笑されて、不愉快な思いをしたこともあった。

 ただ「デカローグ」に関しては、私は意外な感想を持った。「純粋映像言語の天才」よりも、鮮やかなストーリーテラーなのである。だから想像していたようなアートフィルムではない。十分、通俗的にも楽しめる10本の中編なのである。その10通りの題材の変化には、眼を瞠った。この10本に、映画のすべての要素が揃っていると言っても、過言ではない。モーゼの十戒というモチーフがあるにせよ、よくぞこれだけ多彩な10本を創ったものだ。「デカローグ」の巨大さは、一言で語り尽くせない。日を改めてジックリ語りたい誘惑に駆られている。

最後に、この4日間で観た唯一(「ピンク映画カタログ」で詳述するピンク3本は別にして)の新作「扉をたたく人」にも、簡単に触れておこう。妻と死別し孤独の世界に閉じこもった大学教授と、シリアからの難民青年との、打楽器ジャンベを通じての交流、 次第に心を開いていくオスカー候補に輝いたリチャード・ジェンキンスが名演だ。9・11以降の、イスラム系人種への政策変更の悲劇が影を落とす。ラストシーン、やさしく叩けと教えられたジャンベを、ジェンキンスが激しく乱打するのは、現代アメリカへの怒りであろう。味わい深い一篇であった。

●『キネマ旬報「読者の映画評」卒業宣言』その後
『キネマ旬報「読者の映画評」卒業宣言』を、13号倉庫さんに「映画三昧日記」の中で、6月27日(土)にアップしていただいた。並行して何人かの方にメール送信して、二、三の方から返信をいただいた。正直言ってこの宣言が、こんなに私をリラックスさせるとは思わなかった。

1970年「読者の映画評」開設以来(仕事専念・子育て・家庭サービス期間のある時期を除き)、私がキネ旬最新号を手にして真っ先に開くのは、「読者の映画評」のページだった。そこに自分の名の有無を確認して一喜一憂した。掲載常連のうちは、それでよかった。しかし、いつしか常連から転落し、それからは一憂一憂となった。これは、物凄い精神的ストレスだった。キネ旬審査者の評価がすべてではなかろうが、とにかく月に二回「お前は才能がないよ」「お前は才能がないよ」と、繰り返し念を押されているようなものなのである。

特にここ3年ほどの、一次審査通過の常連止りの時のストレスはひどかった。全く没ならば、「いいさ、キネ旬の審査者なんかに、俺のことはわからないんだ」と開き直る手もあった。ところが、一次審査だけは頻繁に通過する。何だか馬の鼻先に人参をぶら下げて、「ホラホラ、あと一息だよ、頑張りな、頑張りな」と、おちょくられてるような気分である。ああ、今号も駄目か、でもひょっとしたら次号は…、人間、中途半端に期待を与えられてつき放されることくらい、シンドいものはない。

映画ファンたる者が、愛読雑誌の新刊を手にして、今号はどんな面白い記事があるだろうと期待しつつページを開く時は、至福の時である。しかし、その至福のはずの時が、私にとっては「お前は才能がないよ」と念を押される大いなるストレスの時であったのだ。しばらく落ち込み、そのストレスから立ち直り、改めて気を取り直しファンとしての至福の時に切り替えていくのが、通過儀礼になってしまっていた。今はいきなり、本当に至福の時を素直に至福の時として味わい、リラックスしワクワクしながら、新刊のページを開いている。これが、こんなに素晴らしいものだとは、思わなかった。

こうしたリラックスした気分になれるのも、「映画三昧日記」という場を与えてくれ、『キネマ旬報「読者の映画評」卒業宣言』をアップしていただいた13号倉庫さんのおかげです。本当にありがとうございました。
映画三昧日記−13

●平成21年7月1日(水) 24時間映画三昧の日々が始まった!
平成21年6月30日(火)、嘱託契約期間が満了になった。この日の夜、仲間が送別の宴を、八王子で開催してくれた。かなりしこたま痛飲したようだ。仕上げにラーメンを食おう!とビールを飲みながら啜っていた記憶が微かにあり、次に意識が戻ったのが、激しく乗り越しての中野駅での目覚めだから、あきれた話である。

7月1日(水)からは、完全に「何でもない人」になった。職業は「無職」であり、社会的ポジションとしては「年金生活者」だ。昨日に比べて何が変わったわけでもないのに、二日酔いの頭を抱えつつ、気分的に何となく落ち着かない。これもサラリーマンの性というものだろうか。でも、個人的には「24時間映画三昧」に浸れる者になったわけだ。

それでは、これまではどうかというと、15歳の時以降、東京電力グループに所属し、24時間の大半をそこに費やしていたことになる。15歳の東電学園高等部入学(厳密にはその時点の名称は東京電力社員養成所で、2年生の時に組織改定で名称変更になった)をスタートに、18歳で社員になり、55歳の定年まで37年間を勤め上げた。定年後は関連会社に転籍して再就職、60歳で第二の人生の定年を迎える。〆て45年間の人生の時間の大半は、東電グループに費やしたのである。

定年後は月10日勤務の嘱託として2年間契約したので、このあたりから東電グループと映画三昧は、時間的にまあ半々というところか。そして62歳を迎え、7月から、ついに24時間映画三昧が訪れたのである。

しかし、それやこれやで東電グループの一員だった期間は、何と47年!まあ、これからもOB会の一員であり、在職中の「持株会」の縁でささやかながら株主という関係で、グループとは無縁でないにせよ、一応のお別れではある。ただ、お別れの感慨としては、55歳の最初の定年時が最も深く、第二の人生の定年はサラサラと終わったので、ましてや今度はフルタイムではない嘱託の満了であり、もっとサラリと終わりを迎えると思っていたが、思いがけずドップリ感慨に更けることの多い最後の一ヶ月の6月であった。

まあ、ここは「映画三昧日記」なので、あまり映画に関係ない話題が延々と続くのも何なので、退職前後の心境の整理については、一拍置き次回以降ということにして、純然たる映画の話題に転換したい。とりあえず今回は、遅まきながらピンク映画大賞の参加記を簡単に紹介します。

●平成21年6月20日(土)〜21日(日) ピンク映画大賞打ち上げ
今年もやっとやってきました。ピンク映画大賞の授賞式とその後に続く徹夜の関係者打ち上げ。会場が恒例の新文芸座からテアトル新宿に場所が移動した関係もあるのか、開催決定が遅くなりやきもきしたが、まずは慶賀の限りだ。しかし、「PG」の「FROM EDITER」蘭に記載されているが、今回の新文芸座の豹変は、どうにも釈然としない。

待ちに待った打ち上げではあったが、あまりここで特筆するような話題は思い浮かばないのも事実だ。楽しく飲み明かしたのは間違いないが、ただそれだけといった感じなのだ。映画祭ではなく打ち上げの懇親なのだから、それで当然といえば当然だが、ちょっと寂しい感もある。この打ち上げ参加も6回目を迎え、私にとっては「湯布院映画祭」と同様に、ここも日常の場に降臨してしまったのだろうか。

予想通りと言っては失礼だが、完成した「PG」を開いたら、私が女優賞に推した御贔屓里見瑤子嬢は、たったの2票しか集めていなかった。ただ、もう1票を投じたのが林田義行編集長だから、2票でも重さが違う!と気張ってみたところでいたし方ないか。

打ち上げで、かなり投票歴が長いと思われる人と歓談した。その人に「どうしてピンク大賞では深町章映画の評価が低いんでしょうね。あの、練達の職人技は見事だと思うのですが…」とコボしてみた。その方の回答で、ある部分は釈然とした。全盛時代の深町作品の素晴らしさは、こんなものではなかったそうなのである。それに比べれば、今の深町作品は手馴れた小手先でチャッチャッと処理している感じで、とても大きな評価は与えられないそうだ。成程、それで深町作品の評価が低いのか。

深町章監督は、以前は稲尾実を名乗っていた。現在第一線で活躍している若手監督に話を聞くと、大概の人から「稲尾さんに教えてもらった」「稲尾さんに世話になった」などの言葉が頻発する。確かに昔は今より遥かに凄い映画を産み続けていたのかもしれない。

私が里見瑤子嬢のファンであることをその人に告げたら、「里見さんは深町映画を中心に出演している限り、賞は無理でしょうね」との厳しい言葉が返ってきた。また、何と!瑤子嬢は○○年生れのはずです、と教えてくれたのだ。エーーッ!!私の推定より少々違う。じゃ、私が8年位前に引き込まれた金魚の妖精や戦前の薄幸な美少女の亡霊や、セーラー服が一番似合ってピンク女優で唯一処女に見えた御贔屓里見瑤子嬢は、あの時○○歳なの〜〜。結構ショックで仰天したが、ま、実年齢なんてどうでもいい、女優はどう見えてるかが問題だよね、と気を取り直したのである。ただ、それならば最近は熟女的妖艶さに転身するのは必然だし、私もそろそろ「嬢」付けは返上の時期かもしれない。

まあ、ファン同士、そんな他愛もない酒席の会話で一夜が明けたのでした。
映画三昧日記−12

キネマ旬報「読者の映画評」卒業宣言      周磨 要

1970年10月「キネマ旬報」秋の特別号、第1回「読者の映画評」にての「赤頭巾ちゃん気をつけて」評の掲載から、2009年6月上旬号「ポチの告白」評の第一次審査通過まで、長い間「読者の映画評」への投稿を続けて参りましたが(途中に働き盛り・子育て・家族サービス期間の1976年〜1987年という中断はあります)、2009年6月上旬号「ポチの告白」第一次審査通過をもって、私は私自身に「読者の映画評」卒業宣言を発したいと思います。

何が「卒業」だ。聞いた風なことを言うな。結局、掲載作に長く採用されず、野垂れ死にの「引退」じゃないか、とおっしゃる方もいるでしょう。確かにかつての掲載常連の私も、最後に掲載されたのは2005年9月上旬号の「サマリア」評で、その後は、やっとこ第一次審査通過の常連にしか過ぎないのは間違いありません。しかし、あえて私は私自身に「卒業宣言」を発しさせていただきます。

こうなるのは、ある時から分かっておりました。私の評が久しく掲載されなくなった頃、何気なくふと編集部の名前を眼にしたら、ほとんどが女性ではありませんか。最新号を見ても、男性の名前は2人しかいません。私は、今の編集部の光景を想像してみました。明智惠子編集長のお歳は知りませんが、多分私よりはかなりお若いでしょう。その下にいらっしゃる女性編集部員は、さらに若いはずです。私より若い女性が大半を占める華やかな編集部、そんなところで還暦を過ぎた爺さんのカビ臭い映画評などが、相手にされるわけはありません。

そんなことが分かっているのなら、さっさと投稿をやめればいいとお思いでしょう。しかし、私は投稿を続けました。何故ならば、私はプロになりたかったからです。私は公益事業の技術系のサラリーマンでしたが、別に好きな仕事でも何でもありません。しかし、喰うためには働くしかありません。大半の時間は、映画以外のことに費やされていきます。ただし、プロの映画評論家になれば、24時間を映画に使えます。だからこそ、私はプロになりたかった。プロになりたいそれ以外の理由はありません。

しかし、企業内学園出身で学歴もコネ(実はこの二つは一体であることは、長い社会生活の中でわかりました)もない私には、「読者の映画評」で実績を積み重ね、プロデビューのオファーがかかることを待つしかなかったのです。

そんな私の願いも空しく、私よりはるかに「読者の映画評」掲載実績が少ない人が、何故か次々とオファーがかかりプロデビューしていきました。でも、私は僻んだり妬んだりはしませんでした。いや、そう言ったら嘘になります。僻みました。妬みました。「読者の映画評」出身のプロの故石原郁子さん(本当に惜しい方を亡くしました)と、ひょんなことから何通かの手紙のやりとりをする機会があったのはそんな時でした。「継続は力なり」と励ましていただきました。

私は気を取り直しました。「継続は力なり」そのとおりです。私よりも掲載実績が少ない人にでもプロデビューのオファーがかかるということは、私はすでにプロデビューの実績を留保しているということなのです。僻みも妬みも捨て、「読者の映画評」投稿を続けました。

私は、大いなる勘違いをしておりました。「読者の映画評」掲載常連というのは、相撲の番付でいえば大関にしか過ぎません。プロデビューした人は、堂々たる横綱です。そして、大関というのはいくらでも番付が下がるということなのです。私も、いつしかアっという間に第一次審査通過常連の幕下に転落してしまいました。

それでも、私は「読者の映画評」投稿を「継続」いたしました。学歴もコネもない私がプロデビューするには、それしか道が無かったからです。気がつけば、私は60歳の還暦で、会社を定年になる歳を迎えておりました。

定年の後は年金生活者になります。厚生年金の支給額については世間で言われているように不十分ですが、私にはそれに加えて企業年金があります。つつましく暮らしていけば、両方合わせてまずまずの金額になります。何のことはない。別にプロの映画評論家にならなくても、私に24時間映画に使える環境が、自動的に転がり込んできたのです。

私は団塊の世代ですので、世間で話題になっている大量同時定年退職の問題もあり、技術継承的な意味合いで、定年後も月10日勤務の嘱託で会社に残ることになりました。しかし、その2年間の嘱託契約期間も、2009年6月末で満了となります。私は完全に24時間を映画に使える環境を手に入れるのです。プロを目指す必然性は消えました。私の評が認めてもらえない場の「読者の映画評」に、空しい投稿を繰り返す理由もなくなったわけです。それが、冒頭で「卒業宣言」を発した所以です。

もちろん、「読者の映画評」投稿を「卒業」したからといって、映画評論活動をやめるわけではありません。キネマ旬報さんに身近なところでは、映画検定1級合格者の一員として、「映画検定HPプロジェクト」には積極的に寄稿いたします。また、「ぼくら新聞+13号倉庫のHP」では「映画三昧日記」(その特別編的位置づけの「湯布院映画祭日記」)「ピンク映画カタログ」の二つのコーナーをまかされておりますが、そこにも精力的に映画評を寄稿していきます。「ピンク映画大賞」投票者の一員としては「PG」誌にベストテンコメントを寄せますし、依頼に応じて受賞者・受賞作へのコメントも書いて行きます。私が編集しているミニコミ紙の「蛙の会」(私の活弁勉強の場です)機関紙「話芸あれこれ」に、私自身が映画評を書くこともあるでしょう。その他今でも関係があるミニコミ誌にも書き続けていきますし、もちろん(ありえないでしょうが)キネ旬さんはじめ、市販誌からのオファーがあれば、喜んで書きたいと思います。

今では、こういう経過を通って24時間映画に使える環境を得たことは、最良であったと思っています。もし、中途半端に認められプロデビューしたとしたら、学歴もコネもない私は行き詰っていたかもしれません。中途退職のため企業年金は一時金としてもらったはいいが、生活費の中のどこに消えたかわからなくなり、厚生年金から国民年金に切り替えても、ちゃんと払い続けられたかどうか。それこそ、野垂れ死にになりかねません。

前に、好きでも何でもない公益事業の技術的な仕事といった意味のことを書きました。しかし、それも定年まで勤め上げた今、決して悪くなかったと思っています。少なくともそういう「実業」の世界に身を置いたことは、「虚」の世界しか知らない映画プロパーよりは、深い評を書くことができるとも思います。(誤解のないように言っておきますが、私は「虚」の世界の価値を認めないわけではありません。キネマ旬報元編集長白井佳夫さんも「映画は虚に過ぎないが、素晴らしい虚だ。この虚は、時に実よりも正確に実を映しだし、時に実を動かす力を持つ」と言った意味のことを、言われておりました)

私が、鋭い批評眼を有していると思う映画ライターの一人に、大高宏雄さんがいます。その大高さんが、2002年9月下旬号「大高宏雄のファイト・シネクラブ 蘇るキネ旬“読者の映画評”」で、『脚本家の荒井晴彦からは、「投稿おじさんと」冷やかされる』私のことを取り上げました。一文の中で『今、プロの映画評論家というものは、魅力的に映っているのだろうかとも思った。(中略)映画評論家は“食える”職種でさえないのである。そのあたりの過酷な現実というものを、周磨さんは認識されていない』と書いておりました。今、読み返すと実に鋭いと思いました。この記事から7年経ち、公益事業を定年まで勤め上げ年金生活者となり、期せずして24時間を映画に使える環境が転がり込んできた今の私にして、やっとその真意がわかりました。今頃そんなことが分かったの?と、私の愚かさを証明しているだけかもしれませんが…。

余談ですが、この一文に対して「プロが一読者に対して、あんな言い方を誌上でしていいのか!」と、疑義を呈した友人もいました。私は、別に問題のある内容とも思わなかったし、その後も大高さんに誠実に対応されたのでどうということはなかったのですが、他にもそのように感じた人は二、三いたようです。でも、今になってみれば、大高さんの現実を見る鋭さに気がつくはずでしょう。

同文で大高さんは、こんなことも述べられています。「かつて竹中労は、書くメディアがなくなってもガリ版刷りで書き続けると喝破した。今はガリ版の代わりに、インターネットがある。表現方法は、いくらでも考えられるのではないか」これも今の私の眼から見ると、誠に的を得ています。前述いたしました「ぼくら新聞+13号倉庫のHP」でまかされている「映画三昧日記」「ピンク映画カタログ」の二つのコーナー、ここには締切もなければ字数制限もない。書きたい時に書きたいだけのことを、自由に発信でき、ある意味で私の映画評活動の中核になっているのです。

この卒業宣言につきましては、「キネマ旬報」編集部に郵送すると共に、「映画三昧日記」にアップをお願いします。また、何人かのゆかりのある方には、郵送・メール・手渡しなどでお伝えいたしたいと思います

1970年10月秋の特別号「赤頭巾ちゃん気をつけて」から、2005年9月上旬号「サマリア」まで(冒頭に記した1976年〜1987年の空白期間を除き)、掲載された映画評は67編、第一次審査通過は数えておりませんが、多分その倍以上はあるでしょう。もう十分に「卒業宣言」をさせていただいて良いのではないでしょうか。 2009年6月
映画三昧日記−11

●私にとっての今年度洋画ベストワン「レッドクリフ」
「レッドクリフ PartU−未来への最終決戦」を観た。私にとっての大傑作だ。多分、確実に今年の洋画ベストワン確定だろう。もちろん、「PartT」とのセットで一本ということでのベストワンだ。「PartT」を観た時からその予感はあった。

「PartT」で、ジョン・ウー極めつけの白鳩が飛ぶ。延々とスローモーションで飛び続ける。その眼下に果てしなく続く魏の曹操軍80万の大船団。いよいよ、クライマックスの赤壁の戦いが始まる。でも、まさか、いくらPartTだって、ここで終わらないよね、終わらないよね、と念じていたら、あっさりとエンドマークが出てしまった。エンドクレジットの後に「PartU」の名場面を紹介するとの告知が出るが、何だか長大な予告編を観せられただけで、馬鹿にされたような気分にもなった。ベストワン作品の予感はあったにせよ、これでは、評価は「PartU」を観終わるまで、保留せざるをえない。そして、保留は理想的な結果で、決着した。「レッドクリフ」は、期待どおりのベストワン作品だった。

もう一本、完結まで評価を保留しているのが、日本映画にある。「本格科学冒険映画 20世紀少年」だ。まあ、こちらの方は全部観終わったら、あきれかえるようなワーストワンになりそうなのだが、とにかくこれも全部観るまでは、評価を保留せざるをえない内容ではある。

映画の大東亜共栄圏「レッドクリフ」
「レッドクリフ」の素晴らしさは、ハリウッドでここのところ見られなかった久々の英雄譚スペクタクルということだ。主要人物全員が凛として、トニー・レオンの周瑜、金城武の諸葛孔明、フー・ジュンの曹操、チャン・チェンの孫権、映画初出演の美貌リン・チーリンの小喬、日本から参戦の中村獅童の甘興、ヴィッキー・チャオの尚香、いずれも皆、鮮やかにキャラが立っているのだ。

「PartT」では金城武の弱さが、ちょっと気になった。何てったって蜀の伝説の名軍師、諸葛孔明を演じるのである。ところがこの映画では、呉の周瑜もそれ劣らぬ武将にして軍師に仕立てあげられていた。周瑜を演ずるはトニー・レオン、これは金城武にとって、極めて分が悪い。キャリアといい貫禄といい、桁が違い過ぎる。以前の「傷だらけの男たち」でも、金城はレオンに、完全に押されまくられっぱなしだった。これでは伝説の孔明が、矮小化されてしまう危惧も感じた。しかし、「PartU」に至って、金城武は溜めたパワーを大放出したのだろうか、堂々とトニー・レオンに一歩も引けを取らず対峙した。金城武は、本当にいい役者になってきた。

素晴らしいのは、この往年のハリウッド英雄譚スペクタクルと比べても全く遜色のない超大作を、ハリウッド抜きの、中国・台湾・日本・韓国の連合軍で、完成させたことである。これは、映画が実現した大東亜共栄圏だ。

戦前に日本が唱えた大東亜共栄圏の最大の弱点は、アジアの大国の中国を敵に回してしまったことだ。その意味で、中国が核となった「レッドクリフ」は、いい意味での映画の大東亜共栄圏と言えるのだ。しかも、この大東亜共栄圏は、戦前のそれと違って、鬼畜米英として白人文化を排除するものではない。むしろ、ハリウッドで修行し、白人文化までも大きく取り込んだジョン・ウーの、平和的大東亜共栄圏なのだ。私はそんな側面にも、ひどく感動させられた。
 そして、ラストシーンの累々たる死体の山の前に、トニー・レオンの周瑜が語る。「戦いに勝者はいない」。これは黒澤明の「七人の侍」「乱」に連なる東洋精神の諦観をも鮮やかに表現していた。

●「お約束」の大切さ「レッドクリフ」
「レッドクリフ」を、私は今年のダントツのベストワン候補と絶賛した。ただし、万人に推奨することに対しては、やや躊躇する。

映画には「お約束」というものがある。「レッドクリフ」を楽しむには、リアリズムとは無縁の、「お約束」を許容する精神が必要だ。ところが、私より1.5〜2世代くらい下からだろうか。映画の「お約束」を許容しないファンが多くなったのだ。

「レッドクリフ」は大合戦の中で、多くの兵士が実にバタバタとあっけなく死んでいく。ところが、前述した主要キャストのリーダーの武将は、先陣をきって切り込むが、見事なまでに死なない。矢なんてすべて、矢の方からよけていくようだ。そんなのありかよ、と思う人はその時点でこの映画を楽しめなくなるだろう。

これが「お約束」なのだ。例えば「史上最大の作戦」でも、多くの人間がノルマンディー上陸作戦で、次々と銃弾に倒れるが、前面で指揮を取るロバート・ミッチャムやヘンリー・フォンダやジョン・ウェインには、全く銃弾が届くことはない。でも、それを言ったらおしまいなのだ。
 ただし、最近の「プライベート・ライアン」になると、もたもたしていたらトム・ハンクスだって吹っ飛ばされかねない大激戦になる。最近の若い人は、「お約束」抜きのそのような映画しか、許容しないみたいなのである。

「レッドクリフ」でも、主要キャラの中村獅童は死ぬ。その時は、その他大勢の兵士がコロコロ死ぬのに対し、彼だけは大仰に壮烈に、大見得をきって死んでみせる。昔の東映時代劇で、悪党の三下は血も流さずにあっけなく倒れるのに、ヒーローが死ぬ時は唇から血を滴らせ、悲愴に果てていくのと同じである。こうした「お約束」を認め難い人には、「レッドクリフ」は楽しめないのではないかと思う。

ヴィッキー・チャオ演じるお転婆娘の尚香が、男装して敵陣に間諜に出て、敵兵士との友情が生まれ、最後まで女と分からず、男の「デブ助」だと思ってその兵士は死んでいくなんて、それこそヴィッキー・チャオの可愛らしさから言えば、ありうる話ではない。この「お約束」を認めない人も「レッドクリフ」は駄目だろう。

周瑜の妻で傾国の美女、美貌リン・チーリン演じる小喬が、捨て身で敵陣に乗り込み、曹操の前に身を投げ出すが、曹操は茶の一服をふるまわれただけで、小喬に一指も触れることなく、作戦を誤り敗退するあたり、「お約束」を認めない人には噴飯ものかもしれない。
 ただ、この件に関しては、「曹操を完全な極悪非道の存在にせず、このような愚かさを持った人間にしたから、この映画は後味が良い」との意味のことを、「映画友の会」で語ったおかだえみこさんの意見に、私は賛同するものである。


●二枚目は女を抱かない「お約束」
昔の二枚目は、濡れ場はご法度だった。女を抱かないのが「お約束」なのである。この「お約束」はいつ頃からなくなったのだろう。

6月3日(水)に新文芸座の特集「孤高のスタア高倉健」で、見逃していた石井輝男監督とのコンビ代表作の一本「ならず者」を見た。少なくとも、この当時の1964年では、ヒーローが女を抱かない「お約束」はあったみたいである。

三原葉子が下心をもって、ホテルの一室で建さんを誘惑する。何たって健さんの役は題名どおりの「ならず者」である。今の映画なら、とりあえず据え膳を喰うのだろうが、この時の健さんは「俺は昼からベッドに入ってる女見るとジンマシンが出るんだよ」と、アッサリとかわす。
 また、その後、ヤク中の娼婦の南田洋子の部屋に逃げ込む。女は衰弱した体で、喰うために仕事に出ようとする。憐れを感じた健さんは、彼女を一晩買い切るが、当然手を出さない。同情や施しや借りは受けたくないと言う南田洋子に対し建さんは、「俺は一晩かくまってもらうんだ。借りも貸しもネェよ」と、あっさりつっぱねる。ワー!かっこいい!こういう「お約束」の楽しさは、いつからなくなったんだろう。

ただ、健さんみたいに、そういうことに説得力を持たせる二枚目がいなくなったのも事実だ。最近の「レイン・フォール/雨の牙」で、椎名桔平とハセキョーこと長谷川京子が、和風旅館で布団を並べて身の上話だけで終わると、「そんな馬鹿な!」と言いたくなってしまうのも間違いない。

一時期、寅さんがマドンナと寝ないことが、やたらと問題になった。荒井晴彦さんあたりは、その批判の急先鋒だった気がする。「男はつらいよ」の第一作は、1969年だから、「お約束」が許容されない世知辛い時代になったのは、70年代あたりということだろうか。(ちなみに荒井さんの脚本家デビューは77年)
 私は「男はつらいよ」の虚構の世界にあって、寅の性欲処理などどうでもいいことのように思う。それこそ寅さん流に言えば「人間、飯食ってる時に、糞してること考えるか」であり、「それを言っちゃあおしまいよ」である。

でも、本当に虚構の世界の「お約束」を無視して、つまらないことを気にする奴っているもんだ。「名探偵コナン」シリーズでは、コナンは小学生に変身させられてしまった高校生だが、以前のガールフレンド蘭に対しての性欲はどうなるんだろう、オナニーもできないし…そこが釈然としないからあのシリーズは認め難いと、のたまわっている輩もいた。そこまで考えるか、アホか、としか私には言えない。

●ジョニー・トー 何するものぞ
新文芸座の高倉健特集は、「ならず者」と「東京ギャング対香港ギャング」の2本立だった。「ならず者」は噂にたがわぬ香港ロケを活かしたシャープな切れ味の傑作だった。

意外だったのは、特に世評にも上らなかった「東京ギャング対香港ギャング」である。前半を健さんを中心にした香港のエピソード、後半は横浜・香港・マカオを縦断する鶴田浩二を中心とするエピソード、石井輝男のシャープな演出が冴えに冴えわたる。クライマックスは「暗黒街最後の日」に代表されるこの頃の東映ギャング映画の持ち味、乱射乱撃の殺しのスペクタクルが、壮大に展開される。
 これは1964年正月映画「宮本武蔵 一乗寺の決闘」の併映作品で、特に話題にはならなかったが、リアルタイムで見た人は、この2本立のボリュームに圧倒されたのではないだろうか。

前に「エグザイル/絆」について、須田総一郎さんの「昔の撮影所システム全盛の日本映画に、もっと上手いのがあったのではないか」、おかだえみこさんの「昔の日本映画をよく知らないで、持ち上げ過ぎです」との意味の評を紹介した。「ならず者」と「東京ギャング対香港ギャング」を観て、改めてその意を強くした。ジョニー・トー何するものぞ!石井輝男のシャープさを見よ!だ。第一、高倉健・鶴田浩二・丹波哲郎・大木実・待田京介と、面子に馴染みがあるだけでも日本映画の方が親しめる。

●「映画芸術」2009年春号 編集後記に感じたこと
 荒井晴彦の寅さん感を前述した。荒井晴彦は、多分「お約束」をあまり認めない人らしいと思えるのだが、「映画芸術」2009年春号(A)名義の編集後記で、ますますその感を強くした。

この(A)の編集後記は、柳下毅一郎のブログなどに対する反論に、かなりのスペースを割いている。これが、なかなか面白い。私の見解では両者1勝1敗という感じである。

柳下毅一郎はブログでこう批判する。
「荒井晴彦が嫉妬と僻み根性だけでできあがった人間なのはみなさんご存知だろうが(中略)ちなみにぼくは今年のベスト邦画は『実録・連合赤軍』であり、これを一位にするのが「映画芸術」の義務だろうと思っていた」。これは、フライング発言だと思う。「嫉妬と僻み根性だけ」も言い過ぎだ。

「なんで義務なんだろうか、俺と若松孝二が「仲間」だからだろうか。(中略)仲間じゃない人たちが誉め、仲間が批判する、これ、健全だと思うけど、柳下にはこれが嫉妬にしか思えないらしい」
 との(A)の反論に正当性を感じる。ただ、(A)こと荒井晴彦は、滝田洋二郎監督「おくりびと」アカデミー受賞の件に関しても、嫉妬はいっさいないと強調していたが、志が低い私の邪推と言われればそれまでにしても、嫉妬心の微塵も無い人間はいない。柳下毅一郎のように「だけ」とは言わないが、若干の嫉妬心はなくはないと言った方が人間的なような気もするのだが…。

そして(A)は、柳下毅一郎の「ドラゴン・キングダム」評に反論する。
 柳下は
「映画ファンなら誰でも一度は子供のような夢を抱いたことがある。ゴジラとガメラはどっちが強いのだろう?ジョン・ウェインと三船敏郎が戦ったらどうなるのか?ブルース・リーとジャッキー・チェンはどちらが強いのだろう?」
 と書いた。
(A)はそれに対して
「本当かよと驚いた(中略)俺はそんな夢を見たこと無い。役が強いんで役者が強いわけじゃないことぐらい子供だって分かってるでしょ。強い弱い、勝ち負けはプロデューサーが決めてる。だから『座頭市と用心棒』は引き分け」
 と反論している。ああ、正に「これを言っちゃあおしまいよ」である。いや、そんな風に映画を観て、何が面白いんだろう。(A)こと荒井晴彦は、前にプロレス者嫌いだと耳にしたことがあるが、むべなるかなだ。多分、柳下毅一郎や私が抱く映画ロマンは、毛ほども有していないし、当然プロレスロマンも理解できない方でしょう。

かねてから、荒井晴彦と水と油の映画観としか思えなかった寺脇研なのに、何故か二人のウマが合っているみたいで疑問だったが、今回釈然とした。寺脇研の最近始めたアメリカ映画評やスピルバーグに対する言及を見ると、この人も映画ロマンとはとことん無縁だなと、思えてきたからだからだ。もっとも、映画ロマンがある人がよくて、無い人が悪いということではない。ただ、私は子供っぽいかもしれないが、映画ロマンに浸れた方が、人生は楽しいと思うだけの話である。

●20周年記念 映画芸術評論賞 公募
「映画芸術」誌が小川徹から荒井晴彦へ編集・発行を継承されてから、20年目の節目を迎えたそうだ。それを記念して「映画評論」を公募するという。原稿は400字30枚から60枚(30枚以上厳守)、内容は映画に関わる論文であること以外一切自由、締め切りは8月31日、入選賞金30万円ということだ。

6月末に私の嘱託契約は満了になり、7月1日(水)からは完全に24時間映画三昧の日がはじまる。これは暇つぶしには絶好のネタである。私は石原裕次郎をテーマにすることを考えている。戦後の映画黄金時代のスーパースター、彼の軌跡を追うことは、撮影所システム全盛時代を語り、そして映画スター裕次郎の没落を検証することで、映画ロマンの崩壊を見据えることになると思う。

ただし、選考委員に映画ロマンに好意的でなさそうな荒井晴彦・寺脇研の両氏が名を連ねている。これでは、最初から負け戦みたいなものだ。とはいっても、別に賞金を当てにしているわけではないからどうでもいい。厚生年金・企業年金を合わせれば、つつましく暮らすのには十分だ。金のためにしたくないことをするのは、もうサラリーマン社会卒業と同時に、卒業としたい。よって、当初のテーマを変更する気もない。十分な暇つぶしになれば、それでOKだ。ただ、最初から負け戦と決まっているのは、やや気合いが入らないのも事実である。

●映画の虚構性とお約束
 映画は所詮虚構に過ぎない。その虚構の中の「お約束」を、どこまで許容するかどうかで、楽しめるかどうかが決まる。だから、映画の良し悪しは、その人の感性の幅によって、かなり大きく左右される。

電力マンとして定年まで勤め上げた私にとって、最も身近な題材の映画に「黒部の太陽」がある。冒頭で、滝沢修の社長が、人命安全に不安を感じて建設所次長の辞令を固辞する三船敏郎に、日本のエネルギー問題を解説して説得する。こんな馬鹿なことはありえない。辞令を固辞することも不可能だし、次長風情(あえて言う)の説得に社長自らが乗り出すことはないし、プロがプロに対してエネルギー問題の解説をするなんて、噴飯物である。(「ま、こんなことは君にとっては釈迦に説法だが」と社長に最後に言わせてはいるが…)

この瞬間、人によっては「黒部の太陽」はペケになる映画だろう。しかし、私は許容した。戦後の高度経済成長を支えるエネルギー問題は、この映画のテーマの核である。それを観客にどう知らしめるか。文化映画的解説をしてしまったら、ドッチラケである。リアリティをあえて無視して、こうした形で台詞の中に組み込んだのは、井手雅人=熊井啓・共同脚本の、苦心のウルトラCだと思う。これが映画の虚構の「お約束」なのだ。もちろん「お約束」を認めない人も当然いるだろう。私は認める。

昔、故田山力哉氏が、「釣りバカ日誌」シリーズを酷評していた。「私もサラリーマンの経験があるが、全くリアリティがなくサラリーマンにも馬鹿にされるだけだろう」との意味のことを書いていた。新入社員後の数年程度の経験で、サラリーマンが分かった気になるのは、ちよっと思いあがりだと私は感じた。言いたいのは、私も含めサラリーマンはこの映画を馬鹿にしていないことである。職場旅行や親睦旅行の観光バスの中で「釣りバカ日誌」シリーズは、圧倒的好評でサラリーマンを楽しませているのである。もちろん、同じサラリーマンが見ているのだから、かなりのリアリティの欠如は感じているはずだ。でも、映画の虚構の「お約束」として楽しんでいるのである。

映画は虚構である。「お約束」をとことん否定していいったら、最後には映画の楽しさなんて、全く存在しなくなるのではないだろうか。
映画三昧日記2009年−10

●小さな窓から世界が見える 傑作!「子供の情景」
イラン映画「子供の情景」は大傑作だ。「小さな窓から世界が見える」6歳の少女の小さな可愛らしくもいじらしい冒険行が、理不尽な抑圧が横行するアフガンの現在を、強烈に抉り出してみせる。

監督は何と!19歳の女性監督ハナ・マフマルバフ。巨匠モフセン・マフマルバフの末娘である。父親がかなり応援したんだろうとか、巨匠の娘だから恵まれてるよなとか、やっかみ半分の声もあろうが、我が国だって古くは「浪人街」を創った時のマキノ正博は、若冠21歳、場所さえ与えられば才能は年齢に関係なく花開くということだ。いや、若い方が才能が開きやすいのかもしれない。

主人公の少女は、隣の男の子のように、ある日学校へ行きたいと思う。女に教育を与えないタリバン政権の政策など、無論知るよしもない。ノートと鉛筆を持って学校に行けば教室に入れると思っている姿が、可愛らしくもいじらしい。

母親からお金をもらおうと思うが、母親はすでに外出してしまった。文房具屋に行くと、卵4個の値段でノートと鉛筆が買えると教えられる。自分の家の鶏小屋から卵を持ち出してくるが、お金でなくては駄目だと言われ、市場に卵を売りに行く。

途中2個の卵を落としてしまい、ある家からはパンなら買うと門前払いされ、別の家で卵とパンを物々交換して、やっとパンをお金に変えて、悪戦苦闘の末に再び文房具屋に辿りつく。しかし、これではノートしか買えない。

困り果てた少女は、母親の留守をいいことに、口紅を持ち出して鉛筆変わりにしようとする。ここまでの少女の学校に行きたい一心の、知恵を駆使した冒険行は、これも可愛らしくもいじらしい。しかし、この口紅が、何度も「災難」を引き寄せる破目になる。

学校に行く途中で、「タリバンごっこ」に興じている悪餓鬼集団に遭遇する。物入れの中の口紅を発見され、「処刑ごっこ」の標的になってしまう。女性にベールを被せて顔を隠させ、化粧を反社会的とするタリバンの圧政が、子供の中にまで浸透しているのは、本当に恐ろしい。

何とか悪餓鬼の手から逃れ学校につくが、そこにいるのは男ばかり、さらに遠くの女学校の場所を教えられる。その女学校は、男のそれに比べて、はるかに規模も小さく粗末なことで、ここでもタリバン政権の現在が浮き彫りにされる。

学校についたからといって、当然その少女の席があるわけもない。割り込もうとしては追い出され、やっと親切な女の子が二人掛けを許してくれる。その子は鉛筆変わりの口紅を珍しがる。6歳の少女は、隣の男の子と同じように学校に行きたいというのがきっかけで、まだ意識的な強い向学心が芽生えているわけではない。だからいつしか、仲良くなった合い席の女の子と、顔や頬に口紅を塗りたくるお遊びを始めてしまう。お遊びはやがて教室中に伝播し、ついに室内の異常に気付いた教師に、少女はつまみ出されてしまう。

トボトボと帰る少女に、隣の男の子が迎えにくる。そこにまた「タリバンごっこ」の悪餓鬼集団が立ちはだかる。今度は二人がアメリカのスパイに見たてられてしまう。木の枝を銃に模した悪餓鬼は、プシュッ!プシュッ!と口で銃声を唱える。

タリバンごっこにもルールがある。昔の我々の頃にも、いじめにルールがあったようにである。昔のいじめは泣いた時が終わりだった。「お母ちゃ〜ん」と泣いて逃げ帰ったら、それを「やーい、子供の喧嘩に親が出る〜」と囃して終わりだった。私がいじめる側になった時も、「こら、泣け、泣けよ」と言って、いたぶったものだ。いじめられる側が泣かないように我慢するのとの、根比べである。「タリバンごっこ」の場合は、口で唱える銃声を受けて「死んで」みせれば終わりとなる。隣の男の子は、あっさり「死んで」解放される。

ところが女の子は必死に逃げる。でも、ついには包囲されて、プシュッ!プシュッ!と「銃弾の乱射」を受ける。「死ね!死ねば自由になるんだ!」隣の男の子が一生懸命呼びかけるが、少女は「戦争ごっこ、いや。戦争ごっこ、嫌い」とベソをかくだけである。近くに農作業をしている大人もいるが、「邪魔だ、あっちへ行って遊べ」と言うだけだ。いじめとは思わない程に「タリバンごっこ」が定着しているということだろう。恐ろしいことである。

結局、最後に少女は壮絶に「死んで」みせて「自由」になる。子供の頃からのこの強烈な刷り込み、リアルにアフガンの大人の現状を描くよりも、遥かに恐ろしい理不尽な現状が浮き彫りになる。映画の前後に、全世界から非難されたバーミヤンの仏像破壊のフィルムが映される。この暴挙の背景を、鮮烈に理解させてくれるのだ。

もちろん、この映画にも限界はある。タリバン政権の圧政を悪しきものとするのはたやすい。では、何でそんな理不尽なものが許容されているのか。アフガンではタリバンが勢力を盛り返しているという。冷戦時代は反ソ勢力としてタリバンを支援したアメリカだが、結局テロの温床を造ってしまい、今は手の平を返して軍事力を向けている。そんなアメリカへの反発もあろう。だが、それ以上に国民の半分を占める男にとっては、むしろこうした女性抑圧社会の方が住みよいのかもしれない。理不尽とみえる社会が存在し継続するのは、結局一人一人の自覚と意識の問題にもなるのだ。ただ、それは「子供の情景」とは別の映画で、改めてテーマにすべきものだろう。

理不尽な社会というのは、別にアフガンやタリバンの専売特許ではない。例えば、現代日本の自殺にまで追い込むルールなき日本のいじめは、「タリバンごっこ」より遥かに悪質である。そして、ちょっと前の日本でもタリバンを他人事なんて言えない理不尽なことが、沢山あったのだ。ということで「お遊さま」「阿部一族」の話題に繋ぎます。


●平成21年5月9日(土) 神保町シアターのはしご
前回の「映画三昧日記」で、『5月9日(土)神保町シアターでずっと見逃してきた溝口健二の「お遊さま」がやっと見られる。この日は「阿部一族」も上映されるので、共に押さえておきたい。(「お遊さま」終映の12時33分から、「阿部一族」開映の5時45分までをどう潰すかが課題ではあるが…)』と記したが、これは予定どおり消化した。空き時間は、新宿に出て武蔵野館で「デュプリシティ/スパイはスパイに嘘をつく」で潰した。

ただし、「デュプリシティ」終映後から、「阿部一族」開映までにも2時間弱の空白がある。安いコーヒー店で、読書時間に当てるかなと思っていたら、武蔵野館ロビーの売店で、思いがけないサービスを発見した。生ビール500円、ポップコーン250円のところ、セットで買うと600円なのである。武蔵野館のロビーは広々としている。ポップコーンをつまみにビールをのんびりと楽しんで時間を潰したのであった。この手は今後も活用できそうだ。

●最近の巨悪映画雑感
「デュプリシティ/スパイはスパイに嘘をつく」に絡めて、最近多い巨悪映画に、簡単に触れておこう。「ザ・バンク 堕ちた巨像」は巨大国際金融機関、「レイン・フォール/雨の牙」はCIAと高級官僚汚職、そして「デュプリシティ」はビッグ企業ビジネスの産業スパイ、といったあたりが並んでいる。いずれも、そこそこまとまっているけど、何かもう一つインパクトが欲しいなという仕上がりだった。こういうのは、山本薩夫は実に上手かったことを、今さらながら痛感した。

この手の奴では、最近観たアメリカ政界の闇に迫った「消されたヘッドライン」が、最も面白かった。途中まで観て、ひどい邦題だな、題名だけでネタバレじゃないかと思っていたらさにあらず。終盤に鮮やかなドンデン返しがあり、そうなっても、ウムこの邦題見事だ!と改めて思い直した次第である。ちょっとこの結末は予測つかないよなあ。ベン・アフレックだもん。ラッセル・クロウとキャスティングが逆なら見当もついたけれど…これ以上言うとネタバレになりかねないのでこの辺にします。

●溝口健二の名編「お遊さま」
「お遊さま」の原作は谷崎潤一郎の「芦刈」、待ちに待ったこの映画に、やっと出会うことができた。私は原作のタイムスリップとも思える幻想的な幕切れが好きだった。それを「雨月物語」などで幽玄の美学を確立した溝口健二がどう料理するか。興味はそこにあった。

残念ながら、茫々と生い茂る芦の光景の幕切れは同じだが、原作のようなSF的処理はなかった。でも、これはいかにも大谷崎と溝口のコラボにふさわしい男と女の狂おしいまでの愛欲絵図だった。

香川京子との見合いの席で、堀雄二は付添いに来た姉の田中絹代に強く惹かれてしまう。しかし、彼女は未亡人で跡取り息子の母であり、婚家を出るわけにはいかない。二人の仲を察知した妹の香川京子は、慕っている姉のために犠牲になることを覚悟する。自分が堀雄二の形だけの嫁となることで、二人の関係をつなぎ止めようというのである。濡れ場も裸もないのに、この3人の男女の異常な愛欲が、ムンムンと観るものを圧倒する。谷崎世界であるが、それに血肉を与え映像化する溝口は本当に凄い!

愛し合っているのに、跡取り息子の母というだけで、婚家を出ることが出来ず、一生飼い殺しにされる田中絹代。そして、堀雄二との逢い引きの留守中に、子供が流行り病で死んでしまうと、用なしで人非人のように罵られ、里帰りさせられる。アフガンだタリバンだと他人事ではない。百年足らず前の日本で、頻繁に起こっていた非人間的な抑圧である。

●「阿部一族」の理不尽さ
「阿部一族」も骨太の力作であった。主君への殉死を巡って、思いがけない藩内の批難を浴び、事態はエスカレートして、家名の誇りのために一族全員が上意討ちで果てる壮大な悲劇である。家中には同情を寄せるものはいるが、最終的には「情は情、義は義」という武士の本分の前で、この悲劇は食い止めることができない。

主君が死んだら後追い自殺を強要(自らの意志だということにして)する慣習が、日本の歴史の中にあり、家名の名誉という抽象的なものに、全生命を賭けるということが、現実にあったのである。タリバン政権の理不尽さは、決して他人事ではないのだ。

●草食系男子の話題
最近、非婚化・晩婚化・少子化の話題に合わせて、草食系男子なるものが話題を集めている。ただ、私は、昔も今も日本人は草食系男子が圧倒的に多かったのではないかと思っている。

「お遊さま」「阿部一族」の理不尽な悲劇は、すべての価値は「家」を守るという大前提により、強要されている。だから、家のしがらみがなくなれば、そうした悲劇は消滅する。そして、戦後は家族制度は崩壊した。しかし、一面で家族制度の価値はやはりあったのだ。その崩壊が遠因となって、国家の存亡にも関わる非婚化・晩婚化・少子化を招いてしまったのだ。

戦後、家族制度はなくなった。しかし、その残滓は残った。結婚し子を為すことにより人は一人前になるという慣習である。だから、戦後の一時期には、男の大晦日、女のクリスマスイヴなることが、よく言われた。すなわち、男は31歳、女は24歳になったら、結婚適齢期のギリギリの限界だという慣習である。その歳になると、親族・企業・地域の総掛りで本人の意思などおかまいなく、結婚させようとしたものだ。未婚だと、どこか体でも悪いんじやないのかと、謂われなき後ろ指を指され、そんな程度ならいいが、企業では身を固めてない奴は役職者につけられないと、さしずめ今なら人権侵害だが、そんな理不尽なことが、つい最近まであったのだ。

しかし、家族制度が崩壊してみれば、そんな慣習は何の意味もないことに、誰もが気付いたのだろう。還暦を越えた私より1.5〜2世代下あたりから、結婚適齢期は死語になった。むしろ、独身であることをとやかく言えば、プライバシーや人権の侵害、女性ならセクハラということにもなりかねない。だが、このように社会的枷が無くなってくると、大半が草食系の日本人は、結婚する者が少なくなって当然だ。

さらに、こうなってくると、ガツガツ結婚するのは肉食系男子ばかりになってくる。これがさらに非婚化に拍車をかけているのではないだろうか。「女房の尻に敷かれる」という言葉がある。「山の神」とか「おっ家内」なんて言葉もあるように、妻となり母となると、女はどんどん強くなり、家の主導権を奪ってしまうのが日本だった。草食系男子は、だいたいそのように尻に敷かれてしまうのである。だから、女の方も結婚しても、最後は主導権が取れるのだし、結婚もそれ程は悪くないと思えるのだ。

肉食系男子の結婚ばかり増えるとどうなるか。女にとって結婚生活は惨憺たるものに見えるようになる。DVとよく言われる。昔は夫婦喧嘩は犬も食わないといって、誰も止めに入る者はいなかった。ところが、今は放っておくと殺してしまうのだから穏やかではない。腕力からいったら基本的に男の方が上である。それなのに何で「犬も食わない」と放っておけたのか。草食系男子の場合は、夫の方が最後は白旗を掲げるからだ。今のように肉食系男子との結婚ばかりを見させられば、女性が結婚を忌避したくなるのも当然だろう。

いずれにしても、私の友人・知人の30〜40代は、圧倒的にシングルばかりである。

何だか、一昨年の「湯布院映画祭」日記に続いて、映画と関係ない方向に果てしなく脱線しそうな予感がする。まあ、最後は「ピンク映画カタログ」も担当している私らしい映画の話題に着地するつもりです。よろしかったらおつきあい下さい。

●私も草食系だった
こんな風に考えるのも、私が淡白で草食系だからだろう。と言うと、必ずほとんどの人が絶対笑う。しかし、私はそうだと思う。私がいわゆる結婚適齢期20代半ばの頃、社会情勢が現在のようだったら、多分私は結婚していなかったような気がする。映画三昧の日々で、趣味に没頭して結婚しない現代の草食系男子と、同じ道を歩んでいたはずだ。

戦後、家族制度が崩壊して、見合いという慣習は序々になくなっていった。現在は死語に近いだろう。戦後生まれの団塊の世代が20代半ばの適齢期の頃も、慣習としてあるにはあったが、恋愛結婚に比して、カッコ悪いというイメージだった。そうして見合い結婚は死語になっていくのである。

かくいう私は見合い結婚である。私が26歳の時に、近所の知り合いを通じて話がきた。「そんな、カッコ悪いものできるか」と言う同世代の者は多かった。でも、私は快諾した。一つは、世間から何だか自分が一人前に見られてきたように思えて嬉しかったのである。二つ目は、何でも経験するのは悪いことじゃないとの好奇心だ。戦後民主主義の時代であるから、昔の見合いのように何の枷があるわけでもない。気に入らなければ断るのは自由だ。

肝心の見合いなるものは、簡単に終わった。親と仲人口(それがいずれも女性ばかり)立会いで、いっしょにお茶を飲んで、後はどこかに寄りながら家まで送りなさいと、放り出されたのである。この時代、見合いとう格式ばったものではないが、結婚を対象として友人が知り合いを紹介することもよくあった。何だかそれと同じだな。紹介者が同世代の友人なのか、親の世代の婆さん(失礼!)なのかの違いだけだななんてことを思っていた。(実際は少々ちがうのにこの後気付くのだが)

私の時の見合いの慣習は(一般的だったかどうかは知らない)、男が気に入ったら次のデートに誘い、女が応じたらおつきあいが継続するというものだった。最初だけは女からは誘わないという昔風の慣習も、まだ残っていた。気に入ったので、私は誘った。彼女も応じた。こうしてデートを繰り返していった。

デートを重ねていくが、草食系の私としては、このままどうしていいか分からない。弱ったな、なんて思っていたら、親を通じて仲人口から「おつきあいが順調に進んでいるようですが、結納の日取を決めさせていただいて、よろしいでしょうか」との話がきた。私の方は一も二もない。大歓迎だ。

正直言って草食系の私としては、途方に暮れていたのだ。「愛してます」「結婚して下さい」なんて、いつどんな顔して言えばいいんだろう。ところが見合いとなると、仲人口が勝手にドンドン進めてくれるのである。イヤー見合いっていいなーとはしゃいでいた。(後日、これはとんでもないしっぺ返しに合う)

さて結納が決まって以降の初デートの日に、彼女の方から「結納は○月○日ですね」と切り出してくれたので、ホッとしてややぶっきらぼうに「そうですね」と答えた。結婚して何年か立って、「あの時は、この人、何て人なんだろうと思ったわよ!」とかなり厳しく言われてしまった。相当に遺恨(?)が残っているらしく、娘にもある程度大きくなった時に、そのことだけはボヤいていたそうだ。

以上、絵に書いたような草食系男子の行状記でした。私が草食系で、今の時代だったら多分結婚していなかったのじゃないかとの思いは、お分かりいただけたでしょうか。

●非婚者に対するささやかな疑問
ということで、私は草食系宣言をしたわけだが、それでも今の30〜40代の草食系シングルの人達には、ささやかな疑問がある。20代、30代、40代早々まで、いくら草食系といっても、コンスタントなSEXパートナーがいないということはどういうことになるんだろうか。勿論、今のご時世だから売春防止法で赤線はないにしても、風俗でその手の処理機関は掃いて捨てるほどある。でも、もちろん只ではない。というか、それなりの出費は覚悟せねばならんだろう。

何人かのその世代のシングル人間に、酒席の勢いもあって、そのあたりをぶつけてみた。「そうですねえ。言われてみれば○年半SEXはしてないですね。でも、わざわざ風俗まで行ってヤろうとは思いませんけどね」との返事が返ってきた。そんなものなのかなあ。その時点では、私は釈然としなかった。でも、時を置いたら、だんだんと私なりに理解できる面も出てきた。

●草食系男子のSEX
「風俗まで言ってヤろうとは思いませんけどね」、確かに私なりには理解できる。私も草食系だとはいえ、時効だから言ってもいいだろうが、数えるほどとはいえ風俗の経験がないではない。(そんなことを仰々しく今さら言うあたり、やっぱりあいつは駄目だなと言われそうだが)そう、草食系人種としては、風俗まで行ってヤッても、あまり楽しくもないのだ。

何の人間的繋がりのない女との間での行為、何かそれは「作業」というか、「お仕事」というか、索漠たるものしか感じられないのである。もちろん、そこには未知の女体に対するドキドキしたときめきは無いでもないが、落ち着けない。

生前の母から、父の死後に私がかなり大人になってから聞いたエピソードだが、父は超朴念仁だったそうだ。友達と酔った勢いで(当然、戦前の話だが)吉原に繰り込むことになったが、途中の手前で一人だけ帰ってきてしまったそうである。そして「あんなもの共同便所だよ」と言ったそうだ。俺はその血を引いているんだなあと、妙に理解できた。

個人的繋がりのない女とのSEXとは真逆に、夫婦のSEXとは、新鮮なときめきは無いが、回を重ねるだけ重ね、全てお互いの体の感覚を知りに知りつくした関係である。まして、我々団塊の世代の夫婦は、「HOW TO SEX」とか「女の四畳半」(これ、ホントに主婦が著者なのかな?と思わせるところもあったが)とか、夫婦の性が男女ともオープンになった時代である。要は、夫婦の夜に関する限り、遠慮なく何でもありの世界なのである。

SMとか変態とか、そういうバリエーションも含めて、夫婦間では何でもありだが、お互い知りつくした仲だから、余計な小道具なんかはいらない。例えば、手を後に組んで、それを緊縛と約束すれば、それで成立してしまう関係なのである。
 男は結婚していても、淫夢を見て夢精することはある。妻とは似ても似つかないグラマラスの黒人とベッドインしたが、女からの体のまさぐりは、自分の感覚を知りつくした妻そのものであった。何なんだ!お前!その瞬間に目が覚めたなんてこともあるようだ。

と、いろいろ聞いた風なことを言ってきたが、実は私はそれほどリサーチをしたわけではない。どこまでそのとおりで、どこまで私の実体験から来たものかはノーコメントとする。「週刊ファイト」元編集長の井上義啓氏の「プロレスは底の丸見えの底なし沼」の名言を借りれば、各自にとって、SEXも「底の丸見えの底なし沼」なのである。

肉食系人間は今も昔も、未知の女体を求めて殺到するのだろうが、かつての草食系人間は、未知のときめきは無いが、知りつくした妻との行為で、矛を納めていたのではないだろうか。そして、それはたまたま身近にあっただけで、無きゃ無いでどうでもよかった程度のものかもしれない。昔よく言われた「家のカカすりゃ只でいい」という言葉に、そんなニュアンスを感じる。

ということで、現代の30〜40代草食系シングルにコンスタントなSEXパートナーがいないことは、どうってことないんだな、という感じで私としては理解できたような気がするのである。この、夫婦の淡々とした日常的SEX描写については、吉行由美監督が上手い。溜息が出るほど上手い。なぜ、吉行演出がそうなのかの理由は私は知らない。だだし、だから、その手の吉行作品の濡れ場は、完璧にエロくない。そりゃそうだ。日常の濡れ場は、エロく見せようとヤッてるわけじゃない。エロく見せるには、すべて映画的デフォルメがあるからなのだ。このあたり、2003年春号「映画芸術」の「サラリーマンピンク体験記 第7回」でも詳述しているので、バックナンバーでも繰っていただけると幸いである。

フーッ、何とか映画の話題に繋ぐことにこぎつけた〜。

●平成21年5月10日(日) サンデープロジェクトの渡辺淳一
官能作家の渡辺淳一が、5月10日(日)のサンデープロジェクトで、草食系人間に檄を飛ばし、快気炎を挙げていた。「二兎を追う者、一兎を得る」(一兎を得ず、ではありませんよ)男は女を追うんだ。何匹でも追うんだ。だから、やっと一匹を得られるんだ、ということだそうである。そういえば、創作や評論で寝たか寝ないかだけをひたすら問題にする荒井晴彦にしても、還暦を越えた今でも何兎も追い回している典型的肉食系のパターンだと漏れ聞いている。

渡辺淳一は、最近奥様と死別したキャスター田原総一郎に対しても、女がいないと早死にしますよ!と発破をかけていた。肉食系とはそういうものだろう。でも、次々と新しい肉を喰らいたがる肉食系と異なり、草食系の男の安らぎは、長時間をかけて醸成したパートナーにしかないのではないだろうか。そうでなければ、無理してのSEXは不要というのが草食系男子だろう。(田原総一郎が肉食系か草食系は知らない)

言えることは、肉食系の男ばかりが結婚すると、結婚後もやたら二兎も三兎も追いかけることが頻発するということだ。そんなものばかり見せられれば、女性の結婚願望は、ますます薄まるばかりだろう。草食系人種の日本人のまさに存亡の危機だ。

今さら家族制度の復活はさておいても、結婚しなければならぬとの社会的枷は存在させていくべきではないだろうか。草食系男子主体の日本が生き残る道はそれしかない。「家族の情景」→「お遊さま」「阿部一族」に関連させて、何だか映画と無関係な方向に暴走してしまったが、最後に映画人の荒井晴彦さんもマナ板に乗せたし、まあ一応「映画三昧日記」ということで勘弁してやっておくんなはい。
映画三昧日記2009年−9

●GWの予定がない!GW明けは詰まっているのに…。
今年のGW、4月29日(水)〜5月6日(水)は、何故か全く予定がない。昨年の日記によれば、GWで家でノンビリ過ごしたのは2日だけとのことだ。いったい今年はどうなってしまったことか。しかも、GW明けには、16日(土)まで予定がビッシリなのにである。

5月 7日(木)出社日、事故復旧訓練のトレーナー
5月 8日(金)上野会
5月 9日(土)神保町シアターでずっと見逃してきた溝口健二の「お遊さま」がやっと見られる。この日は「阿部一族」も上映されるので、共に押さえておきたい。(「お遊さま」終映の12時33分から、「阿部一族」開映の5時45分までをどう潰すかが課題ではあるが…)

5月10日(日)お寺のお施餓鬼
5月11日(月)出社日、前月データ処理
5月12日(火)出社日、事故復旧訓練のトレーナー
5月13日(水)この日は、立川シネマシティ巡りとするか
5月14日(木)今のところ、予定なし
5月15日(金)出社日、事故復旧訓練のトレーナー
5月16日(土)映画友の会

そろそろ「話芸あれこれ」の編集にも手をつけなければいけないし、何か忙しいなあ。

●「合う場所」があることの幸福
私の最も「合う場所」として、「映画友の会」「蛙の会」「あっち亭こっち一座」をかねてから挙げているが(年1回だが「湯布院映画祭」もある)、本当に「合う場所」があるのは幸福なことだと思う。

映画とは関係ないが(次項で少し関係する)、5月8日(金)の「上野会」について、少し語りたい。別に会なんて大仰なものではなく、東電OBの気の合った者が不定期に飲み会をやっているだけである。年齢は半世代程度の開きがあり、職種も過去の職場も様々である。

ある日、その中の3人程が上野で飲んでいて、仕事の関係で知り合った気の合う奴だけで飲んだら楽しいねとなったそうだ。そして、あいついれよう、こいつもいれようなんて、リストアップされて飲み会が重ねられ、今では10人程に至っている。光栄にも私にも白羽の矢が立ったわけだ。「上野会」なんて仰々しい名前はついているが、会則もなければ、会員資格も無い。でも、気の合う者と認知されれば、不定期の上野の飲み会にお声がかかる。だから、開催にあたっての段取りに、一肌脱ぐ幹事だけは存在する。mixiの飲ん兵衛版みたいなものだろうか。こういう私にとって「合う場所」は、実に心地がよい。

●「合う場所」を持てない不幸
私の掲示板に時々書き込む「風の谷の三子」さんという人がいる。10年程前に「映画友の会」と「合わなく」て去った人のようだ。誰にでも、「合う場」と「合わない場」がある。その人が悪いわけでも「映画友の会」が悪いわけでもない。単に「合わなかった」だけである。

私にも、過去に「合わない場」があった。そういう場からは、黙って去っていった。そして、その場に対して私はとやかく言う気はない。しかし、「風の谷の三子」さんはちがう。私の掲示板に、自ら去った「映画友の会」に対して、誹謗中傷めいたことを書き込み、あまつさえ私に説教じみたことを垂れるのである。最近も書き込みがあった。まあ、「合わなくて」去った場所の過去のことを、いつまでもグジグジ言っている粘液質的な人とでも、思うしかない。

ところが驚いたことに、「映画友の会」と何の関係もない「宅急便ドライバー」さんという人が、最近「乱入」してきた。「周磨要の掲示板」に、「周磨」は信じない、「合わなくて」去った人の言うことは信じる、ということで、誹謗中傷めいたことを受け売りで書き込み、やはり、私に説教めいたことを垂れるのである。まあ、「合わなかった」人から相当な毒ガスのような情報を吹き込まれたのかもしれないが、それにしても真に受けて、私のことは信じないが、その人のことを信じると、私の掲示板に書き込むのもどうかと思う。何だ、これは?って感じだ。私は茫然として呆れ返った。

でも、驚くことじゃないのかもしれない。この掲示板開設を13号倉庫さんから提案され、私がよろしくとお願いした時に、私に13号倉庫さんを紹介してくれた雑誌編集者の当時のネーム104さんから、「腹の立つことを書き込まれるのは覚悟した方がいいですよ。まして本名をハッキリと出してるんですから」と、アドバイスを受けた。それにしては「荒らし」もないし(稀に、何を勘違いしたんだかエッチな書き込みはあるが、管理者の13号倉庫さんが速やかに処理してくれている。ありがとうございます)、品はいいなとは思っていた。人はいろいろだから、この程度の不快な書き込みはしょうがないのだろう。これも表現の自由だから、管理者の13号倉庫さんに削除をお願いする気もない。

ところで、「風の谷の三子」さんって、私の旧知の方なんですか。そうなら、ハンドルネームの陰に隠れてないで名乗りなさいよ。ネットの慣習上でみんなハンドルネームを名乗っておりますが、私の知人ならば、ハンドルネームでも、お互いに誰であるか認識しています。ここは、そういう場です。

上野会のことを書いていて思ったのだが、「合わなくて」去ったのに過去のその場のことをグチグチ言う人は、「合う場所」を見つけられない人ではないかと思えてきた。だって、「合う場所」を見つけたら、前の「合わない場所」がどうなろうと、どうでもいいでしょ。どこの会にも合わなくて、転々としている人を、私も何人か知っています。考えれば、過去の去った場のことをいつまでもグチグチ言っている人は、ご同情もうしあげねばならない人なのかもしれません。でも同情しても、おつきあいする気にはなりませんわな。仕事ならいざ知らず、趣味の世界で不快な思いをする人とつきあう必要はありません。まあ、今回の掲示板の書き込みも、十分に不快ですけどね。

●予定なき予定のGW
さて、予定なしのGWだが、5月1日(金)〜6(水)まで、上野オークラ劇場で「OP映画祭り 2009」が開催される。2日(土)〜4日(月)には連日、池島ゆたか・竹洞哲也・加藤義一の三監督が、女優陣を引き連れての舞台挨拶がある。三監督の新作上映もある。最近は、新作減少の影響で、通常興行の3本立でも、一回ピンク映画館に足を運んで押さえられる新作は1本だ。ならば、この機会に3本押さえるのも悪くない。かくして、三連チャンの皆勤をすることに決めた。

予定がないなら、1日は立川シネマシティ巡りでメジャーの新作を押さえる日にしたい。陽気もよくなったし、かねてからしたかったウォーキングにも1日あてたい。ということで、予定のないGW8日間のうち、5日間はすることができた。(予定がないって、それが予定じゃないの、と言われそうだが…)

●平成21年4月30日(木) ウォーキング
天気もいい。陽気もいい。立川シネマシティのロビーにあった「たちかわ散策ウォーキングマップ」の「花緑散策コース」を踏破することにした。玉川上水駅から昭和記念公園までの7.9kmのコースだ。ただし、私は自宅から玉川上水に出て、散策路を上流に遡って玉川上水駅まで歩くことにした。そうなると全長は十数キロのコースになるだろうか。

玉川上水→川越道緑地→古民家園→馬頭観世音→阿豆佐味天神社→昭和記念公園と歩を進めていく。春のウォーキングは本当に気持がいい。しかもこの日の交通費は帰りの立川→西国分寺までのたったの150円、本当に安い楽しみである。もちろん昭和記念公園の湖畔のレストランの昼食では、ビールジョッキを傾けたが、それは自分で飲み喰いしたのだから、金がかかってもいたしかたない。最近できた昭和天皇記念館(昭和記念公園の入園料とは別料金だが)にも入館し、昭和の歴史の重さにも浸ったのである。13号倉庫さん流に言うならば、この日の万歩計は28635歩也。

ウォーキングは、本当にいい。「たちかわ散策ウォーキングマップ」のもう一つの西国立駅→昭和記念公園の「水辺散策コース」も、GW中に踏破したかったのだが、5日(火)〜6日(水)と肌寒い雨模様の天気で、無念の涙を飲んだ。

●平成21年5月1日(金) 何もないこんな日…もっと欲しいなあ
この日は予定がない。まずは、締切が近づいてきた映画検定1級合格者を対象にしたキネマ旬報の「映画検定 HPプロジェクト」の「名探偵コナン 漆黒の追跡者<チェイサー>」評の原稿をまとめ、メールの添付ファイルで、映画検定事務局に送信する。ついでに、締切はやや先だが、ミニコミ誌一件の原稿をまとめてしまう。

どちらも長いものではないので、そんなに時間はかからず朝のうちに仕上がった。陽が昇ってきてポカポカ陽気のようだ。手提げ袋に読みたいが溜まっていた本や雑誌を積め込んで、散歩に出ることにする。

自宅の近所は、武蔵台公園・武蔵国分寺跡・国分寺公園が隣接してあり、散策路には事欠かない。ゆっくりそれらを回って、最後に国分寺公園の木陰のベンチで読書に耽る。勤務は月10日の嘱託になり、職住接近で通勤時間が短くなったので、読書時間を兼ねていた通勤電車時間も大幅に減り、フルタイム長距離通勤の現役の頃に比べると、とにかく読みたいものがどんどん溜まってしまう。こんなノンビリした1日が、もっと欲しいなあと思う。まあ、6月末に嘱託契約期間が満了になれば、7月以降はこういう日はもっと取れるでしょう。

●平成21年5月2日(土)〜4日(月) 「OP映画祭り 2009」 上野オークラ劇場
鑑賞作品評については「ピンク映画カタログ」をご参照ください。ここでは、作品評以外の小ネタの羅列となります。

初日5月2日(土)のゲスト 池島ゆたか監督、真咲南朋、浅井舞香、山口真理日高ゆりあ、上原優、若葉薫子
上映作品 「不倫ファミリー 昼から生飲み」 「超いんらん やればやるほどいい気持ち」 「未亡人下宿 美熟乳しっぽり」

二日目5月3日(日)のゲスト 竹洞哲也監督、赤西涼、かすみ果穂、侯田李梨AYA
上映作品 「いとこ白書 うずく淫乱熱」 「桃肌女将のねばり味」 「乱姦調教 牝犬たちの肉宴」

最終日5月4日(月)のゲスト 加藤義一監督、小鳥遊恋、藍山みなみ、酒井あずさ、しのざきさとみ
上映作品 「禁断の記憶 人妻が萌えるとき」 「半熟先生 淫らな課外授業」 「女子大生セックス占い」

司会は上野オークラ劇場の支配人で、ポイントを掴んだ名進行だった。

今年のピンク大賞を池島ゆたかイヤーに染めた池島監督は、上機嫌だった。例によって時間を大幅にオーバーした。6月20日(土)ピンク大賞表彰式の進行では、現代映像研究会の松島政一会長の手綱捌きが見ものになってきた。トークショー終了後、ロビーで私からも池島監督に祝辞とエールを送りました。

新作「不倫ファミリー 昼から生飲み」は、不倫の子が家族を再生する「子はかすがい」のホノボノ編。池島版「8 1/2」とも言えるアート調のピンク大賞作品「超いんらん やればやるほどいい気持ち」は、監督が何としても是非上映したかった一本。でも、オーソドックスなピンクもできますよ、というところも見せたいので、最後の1本は「未亡人下宿 美熟乳しっぽり」を入れたそうだ。私は、昨年の「ピンク映画カタログ」で、男女優各3人が、順列組み合わせだけでからむためのストーリーの凡ピンク、まさか新田栄のパロディ=オマージュじゃあるまいね、と言った意味のことを書いて酷評した一篇だが、なるほど監督自身の自作の位置付けとしては、そういうことだったのか。

初日のチラシ以外の飛び入りゲストは3人だった。侯田李梨さんに吉岡睦雄さんに牧村耕次さん。牧村耕次さんは盛装で、結婚式の帰りにチョイと顔を出したら、舞台に上げられてしまったと苦笑していた。侯田李梨さんは、明日のゲスト予定で、明日の監督は今日とちがって何も喋らないので、私は明日喋りますと、ほとんど話さなかった。これが、池島監督の饒舌さをさらに際立たせた。

次の日の竹洞哲也監督は、本当に何も話さない人だった。司会者が「新作について、何か一言」と水を向けられると、「エーッと、女のいとこの話です」って、それって題名言ってるだけじゃん。「今回の三本の作品選定は、どういう経過で決めましたか?」についても、「ホン書いた人に相談して決めてもらいました」と素っけない。司会者泣かせ極まれりの光景であった。

竹洞哲也監督とは、ピンク大賞の打ち上げで、私も少々話したことがある。「あの情感あふれる描写の秘密は何でしょう」「さあねえ、僕が何もしないと、みんなが勝手にやってくれるんですよ」といった具合である。そういえば「いまおかしんじ」監督に「監督の持つ映像パワーの秘密は?」と聞いた時も、似たような返事がきた。もっとも、監督の聞こえない場所でスタッフ・キャストは、「何もしないって嘘だよ。あんな厳しい人いないよ」との評も聞いた。「駄目」以外何も言わなかった溝口健二タイプのお二人なのかもしれない。

最終日の加藤義一監督は、作品選定について、僕の映画を3本も見てもつまらないでしょう、とユーモラスに答えて、自分の好きな小川和久作品の旧作のを一本を選定したことを説明した。なかなか観る機会の少ないゲストの「しのざきさとみ」さんの、若い頃の姿も観てもらいたかったそうだ。このあたりは「ピンク映画カタログ」とWるので、そちらをご参照ください。

初日の舞台挨拶で、司会者から「一般的に、芸能界では女優さんどうしは仲がよくないって聞きますけど、みなさんは仲がいいですね」と向けられたら、間髪入れず日高ゆりあさんが「ええ!裸のつきあいですから!」さらに間髪を入れず池島ゆたか監督が「ゆりあ!いつから、そんな気の効いたこと言えるようになったんだ!」これには、場内大爆笑だった。

二日目の飛び入りゲストは、岡田智宏さん、女優陣には、とにかく無口な人で最初は怖かったとの評が続く。「僕、人が悪いんです。話すと、それがすぐバレますから」と大真面目に言っているのがおかしかった。

初日のロビーで、ピンク大賞投票者の鎌田一利さん・中村勝則さんと会い、挨拶と簡単に言葉を交わす。鎌田さんは二日目にも来場していたが、最終日はパスするそうだ。中村さんが最終日には来るとのことだった。(結局確認できなかったが)いずれにしても三日間フル参加は(他にもいただろうが)、知る限りでは私くらいだったようだ。

いずれにしても、三日ともいい作品選定だったと思う。初日の池島作品は監督自身が、詳細に解説済だ。
 二日目の竹洞作品も新境地の新作・青春明朗艶笑コメディ「いとこ白書 うずく淫乱熱」に加えて、しっとりした竹洞タッチ全開の「桃肌女将のねばり味」、さらに数は多くないが竹洞映画のもう一つの味のホラー「乱姦調教 牝犬たちの肉宴」を加えて、実にいいバランスになっている。
 最終日の加藤作品は、時に竹洞調顔負けのシットリした映画を創る時があり、新作「禁断の記憶 人妻が萌えるとき」はそんなタッチの作品だった。そして、もう一本の「半熟先生 淫らな課外授業」は、「ウォーターボーイズ」顔負けの、男のチア・ガール(ボーイ?)という加藤義一一流のブっ飛び映画である。さらに「半熟先生」出演の「しのざきさとみ」さん繋がりで、84年の旧作「女子大生セックス占い」と、この3本のバランスもいい。

今回の4月の上野オークラ劇場のチラシの「OP映画祭り」予告で良かったのは、いずれの作品にも公開年度が明記されていたことだ。ところが、2006年作品となっていた「半熟先生 淫らな課外授業」を観てビックリ、この映画、私は観ているではないか。正確には、この映画は2003年公開「教育実習生 透けたブラウス」だった。2006年とは、新版改題公開年度である。まあ、そこまでチラシへの明記を求めるのは、興行上の都合もあり無理かもしれない。

いずれにしても、雑然とした三本立を通常興行で漫然と観るのと異なり、このようなテーマ性のある番組だと一味違う。三日間皆勤して、良かったと思う。

最後に客層についても触れておこう。ピンク映画大賞の表彰式のように、映画青年風の者や女性がある程度いるかと思ったら、そうでもなかった。特に初日の池島日は、普段の上野オークラの常連の私のような初老男が中心で、それがいつもより増えて満席になっている感じである。
 二日目以降の竹洞日・加藤日については、若干映画青年風の者も混じったが、ピンク映画大賞の時のような女性の姿は皆無であった。

●ピンク+ミニシアター1 気分は映画祭
上野に三日間通い詰めるのならば、例によっての交通費の有効活用で、ついでに都区内上映のミニシアター作品を何本か潰しておきたいと思い「ぴあ」を繰る。すると、渋谷に手頃なのが3本あった。上野⇔渋谷なら、地下鉄銀座線で一本であり、地理的に好都合だ。2日(土)シアター・イメージフォーラム「キング・コーン/世界を作る魔法の一粒」、3日(日)ル・シネマ「レイチェルの結婚」、4日(月)ユーロスペース「四川のうた」のスケジュールを組む。気分は、連日「ピンク映画+ミニシアター1」なる映画祭に参加している心持ちだ。

「レイチェルの結婚」はアン・ハサウェイがアカデミーにノミネートされた一篇、予想したとおり薬物依存症の女を熱演している。ノミネートも当然であろう。アル中とか障害者とか、この手の役はアカデミー向きなので、ちょっと狙いすぎた臭みも感じるが、一見に値する芝居なのは間違いない。彼女をが姉や両親と、心の地獄を晒け出してぶつかり合うあたりは圧巻だ。イングマール・ベルイマンの「秋のソナタ」「サラバンド」に迫る強烈さだ。ただし、ベルイマンは、薬物依存症とかのエキセントリックな素材を使わないで、心の地獄に迫るから凄い。小津安二郎が淡々とした日常を描いているのに、SEXすら感じさせる凄味も同様である。やはり、歴史的名匠の境地は孤高なのだ。

「キング・コーン」はアメリカの農業政策と食の安全を、「四川のうた」は中国の計画経済から自由主義経済への移行がもたらした歪みを、それぞれ描いたドキュメンタリーだ。(「四川のうた」は、ドキュメント調にスターが再現を図るという手の込み方だが)必ずしも、映画のみを通じてそれらを知る必要はないが、やはりどこかで我々が見詰めておかねばならぬテーマであろう。
「四川のうた」では、経済政策の変化で、工場街が住宅街に変化していき、その中で置き去られていく人々の悲劇が、クローズアップされる。日本では、終身雇用からアメリカ型の雇用者使い捨てに変化し、企業研修というものは完全に崩壊した。閉鎖された我が母校の東電学園や、自宅近くの今や国分寺公園と化した中央鉄道学園を、「四川のうた」のジャ・ジャンクー監督のように検証する人は、日本にいないのだろうか。

●平成21年5月5日(水) 立川シネマシティ巡り
立川シネマシティの番組をチェックする。私には「是非観てておきたい映画」と「時間が合えば観ておこうと思う映画」の2種がある。まあ今日は「GOEMON」と「レイン・フォール/雨の牙」を時間が合うから観ておくか、となった。しかし、この前にもう一本くらい観る時間はある。ふと見ると、ディズニーの実写新作「ビバリー・ヒルズ・チワワ」の初回が時間的に合う。早速、3本のハシゴで計画を立てる。

「是非観てておきたい映画」と「時間が合えば観ておこうと思う映画」に加えて、最近は「初回だから観ちゃおう映画」というのが加わった。立川シネマシティはポイントカードがある。1回の入場で100ポイントつく。900ポイントで一本招待となる。シニア料金1000円から換算すれば、1000÷9=111円の金券がフィードバックされていることになる。言いかえれば889円の入場料だということだ。ところが初回の場合は200ポイントつく。言ってみるならば、1000−111×2=778円で観られることと同じである。これは、かなりおいしい。こうして観た「ビバリー・ヒルズ・チワワ」は、懐かしのディズニータッチをCGでブローアップした一見の価値ある映画であった。

ただし、この初回は純然たる意味での初回ではない。あるスクリーンで初回だけの上映(子供向けアニメにこれが少なくない)が終わって、次から別の作品に変わった場合、それは変わった作品の初回ではあっても、初回の対象にはならない。「厳密にいったらおかしいよな」とボヤいたら、「シニアで1000円で観ていて、それ以上は図々しいってもんだよ」と、娘に言われてしまった。

「初回だから観ちゃおう映画」で、案外拾い物だったのは結構ある。まずは「おっぱいバレー」。あまりにも下らないネタなので、初回上映でなければ、まず観なかったろう。これが、案外悪くない。伏線が適度に効いており、綾瀬はるかの新米先生の成長物語として爽やかだ。「おっぱい」はどうでもいいから、シリーズでこの先生の成長物語を観たくなった程に綾瀬はるかは魅力的だった。ただやはり、お話はあまりにも他愛なさ過ぎますけどね。

もう一本、これは本当に観て良かったのは「ヤッターマン」である。私は「タイムボカン」は甥っ子が好きだった程度で、娘が小さい頃も、このシリーズにはあまり興味を示さず、よって私も全く関心が無い。「映画友の会」で絶賛する者でもいたら、観ようかなと思っていた程度である。しかし4月「友の会」で大ハシャギする者もおらず、わずかにクレしんファンのI女史が、「深キョンのドロンジョさまは素敵だけど…」と言った程度だった。

大ヒットの「ヤッターマン」も、公開日を重ね、今や立川では初回一回のみの上映に縮小されている。時間が合うのでここで観ておくかと4月28日(火)に観たが、いやー、観てよかった!これは傑作だ!アニメやゲームで、日本のCGのビジュアルは世界に冠たるものだが、これまでの実写映画は、それに内容が追い付いてこなかった。今回は凄い!破天荒な内容とビジュアルが、見事にマッチしている。こういう映画は、日本だと変に湿っぽくなるのが難点だが、そこは三池崇史の下品さが適度に効いて、見事に乾いたタッチが貫かれた。勿論、深キョンのドロンジョ最高!4月の「映画友の会」に私が観ていれば大ハシャギしたろうなあ。残念!

●平成21年5月6日(木)
こうして無予定だったはずのGWは、慌ただしく終わろうとしている。今日は一日雨で、ウォーキングにも行けず、「映画三昧日記」と「ピンク映画カタログ」をまとめていたら、日は暮れていった。
 さあ、スケジュールが立て込んでいるGW明けが始まるぞ!
映画三昧日記2009年−8

●社会派の力作「ポチの告白」
「ポチの告白」は、日常をチマチマ描く作品が氾濫する最近の日本映画界にあって、久々の堂々3時間15分、骨太の社会派大作だ。警察権力の腐敗という題材は、決して目新しいものではない。ただ、ここで優れているのは、警察の悪を個人の問題ではなく、「構造」として捉えたことである。

菅田俊の主人公は、交番勤務の巡査としてスタートする。市民のためという使命感に燃え、良きお巡りさんとしてつくす。しかし、一家の主としては、生活を豊かにするためには、上昇していかなければならない。上層部のおぼえもめでたくならねばならない。すると、市民のために汗をかくなんて、単純な誠実さでは納まらなくなってくる。警察いう行政機構は、検察という司法機構と密接な関係がある。一部、癒着も必要悪であり。その関係を保つ前には、正義も公平も関係ない。囮捜査も闇組織との裏取引きも必要悪だ。その背後には、国会議員という立法権力の陰謀の蠢きも、透けてみえる。そんな権力の多重構造の中では、個人の正義感や使命感は、簡単に抹殺されていく。いや、自発的に抹殺しなければ、生きてはいけない。

「ポチの告白」の優れたところは、悪い奴が悪徳警察官僚になっていくということではないことだ。どんなに善良な人間でも、権力構造の中で悪と化していってしまうという恐ろしさを描いたことなのだ。

●「悪い奴ほどよく眠る」のこと
黒澤明が「悪い奴ほどよく眠る」を撮った時、「本当の悪は個人じゃない。構造なんだ。でも、構造を描こうとしたら、会社は撮らしてくれない」との意味のことを、語っていた。確かにこの映画は、「悪い奴」森雅之が悪いことをして、その背後には、もっと大きな「悪い奴」がいるという映画だった。でも、あいつが悪いといって済ませてしまえば、時代劇の悪代官をバッサリやるのと同じで、真に社会悪を描いたことにはならない。
 「ポチの告白」を観て、そんな昔のことを思い出した。そして、21世紀になって、社会派映画も確実に前進しているのだと感じた。

●構造の社会悪を描いた傑作「それでもボクはやってない」
社会派映画の進化・深化を感じさせた映画のもう一本に、一昨年の映画賞を総なめにした「それでもボクはやってない」がある。

「それでもボクはやってない」にも、「悪い奴」は出てこない。それぞれの人が、それぞれの「仕事」を淡々とこなした結果、社会の「構造」が予期せぬ社会悪、いや社会的悲劇を生んでしまう恐ろしい映画である。

刑事が、「痴漢をやってない」との被疑者の言い分を信じないのは、「仕事」として当然である。ほとんどの被疑者が、やっているのに関わらず、まずやってないと言い張るのは常道だからだ。主人公の前の被疑者も、「濡れ衣だ、人権侵害だ」とわめいて否認しながら、手の繊維付着検査をされそうになると、急に「スミマセン!」と謝ってしまう。こんな厚顔の連中を、連日相手にしているのだから、刑事さんの「仕事」も楽じゃない。

主人公は、否認し続けた結果、留置され、当番弁護士が訪ねてくるが、弁護士も「裁判しても時間かかるし、認めちゃった方がいいよ」といった調子である。弁護士にしてみれば、主人公の無実を確信する根拠もないのだから、行政・司法のあり方の知識を授けてことを納めようとするのだが、これも「仕事」の処理として順当なところなのだろう。

さて、裁判になる。日本では起訴されたら、100%近く有罪になるそうだ。逆に確実に無罪とみなされるのは、不起訴が条件ということである。この検察と裁判所の信頼関係(慣習?馴れ合い?癒着?)で、日本の司法の多くは動いているそうである。としたら、裁判官が「仕事」を順調に処理するとしたら、起訴された者は有罪にするのが穏当だろう。

最近、この映画のモデルになった被告の人が、最高裁で無罪を勝ち取った。良いことである。この時、マスコミは、警察の初動捜査のミスと、いっせいに警察叩きに出ていた。せっかく社会悪の「構造」を描いた秀作「それでもボクはやってない」があるのに、それを矮小化するような方向に、もし世論がなびいてしまうとしたら、残念なことである。

もう一度、映画の方にもどってみよう。確かに被告に対して、繊維付着検査を怠ったのは、完全なるミスである。ただ、この刑事は夜勤明け直前だった。その前にも否認する厚顔男を何とか落としてホッとしていた時の、続けての事件である。「また、痴漢かよ!」とウンザリした気持はよくわかる。

私は技術屋として交代勤務を経験している。交代時間間際になると、ホっとした気分になってくる。そこでトラブルが発生すると、ドっと疲れが出る。判断力も集中力も鈍る。だからといってミスは許されるものではない。でも、私はこの時の刑事の、基本的な検査を落としてしまった状態は理解ができる。それでもミスなく処理するのが「仕事」だろう!という人もいるでしょう。そのとおりです。でも、あなた自身に振り返って、それほど自分の仕事を誠実に処理していますか?

言いたいのは、警察が悪いといって済ませていないのが、「それでもボクはやってない」の優れた表現なのだ。断じて誰かを悪者にして済ませるような安易な世論の方向に、流れてはならないと思う。

●戦後の社会派映画の傾向、左翼志向への傾斜
戦後の社会派映画には、一つの傾向があると思う。保守・反動を推進する権力者・右翼が悪で、虐げられる庶民・労働者が善という図式である。「悪い奴」がいて、「良い奴」を苛めているとの、時代劇の悪代官と農民の図式である。これでは、本当の社会悪は描けない。

戦前の弾圧政治に懲りたせいだろうが、その反動で熱ものに懲りてナマスを吹いている感もある。こうした左傾化の傾向は、戦後の社会派映画をずいぶん狭いものにしてしまったような気がする。21世紀になって、社会派映画もやっと「構造」に迫る映画が出つつあり、バランスが取れてきたようだ。

このインテリを中心とした左傾化の傾向は、映画評論にも影を落とし、映画の評価にも影響を与えていると思う。「日本は先の大戦をキチンと描いた映画がない」「日本は内戦がなかったから人間が甘い」などとよく言われたりするが、最近私は2本の旧作に、先人の優れた業績を見た。もちろん、リアルタイムではあまり評価されていない。その2本について語ることにしたい。

●特撮スペクタクルの彼岸に見せた歴史考察

「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐」

平成17年のキネマ旬報ベストテンに「男たちの大和 YAMATO」が入選したことに、私は仰天した。戦争は悲惨だ。でも、死んでいった若者は美しい。こんな視点は、戦後半世紀で打ち止めにすべきである。古くは昭和56年「連合艦隊」があり、もっと前には昭和42年「あゝ同期の桜」(中島貞夫監督作品、「その瞬間まで彼らは生きていた」のラストのタイトルが鮮烈!)がある。新世紀・平成に亡霊のように出てくる内容ではない。いまだにこんな映画を生んでいては、それこそアジア各国が、日本をどう見るかである。この手の映画なら昭和38年に「太平洋の翼」という極めつけの傑作があるではないか。「男たちの大和 YAMATO」を選んだプロの方々は、これらの映画を知っているのだろうか。

こんな疑問を、ある時プロの映画ライターIさんに話した。その時にIさんは、東宝戦争映画なら「太平洋の嵐」が決定版でしょう、と言った。ウーム、不覚にも私は見ていない。映画ファンたるもの、見ていない限りは何も言えない。しかも、こういう時の忸怩たる悔しさも、映画ファンならではである。

今年、浅草名画座でこの昭和35年作品「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐」(監督・松林宗恵 最近、湯布院映画祭実行委員会機関紙「THE MAYIM PRESS」で実行委員の小原直樹さんが、再評価を呼びかけている)を、やっと観ることができた。世評としては、円谷英二特撮の決定版ということで定着している。確かに凄い。真珠湾攻撃とミッドウェイ海戦の2部構成の趣きで、そのシーンは「激動の昭和史 軍閥」「ミッドウェイ」の日米超大作でも使い廻しされ、70ミリ大画面でもビクともしなかった成果は圧巻である。そちらは期待どおりというか、期待以上の素晴らしさであった。

ただし、私は、ドラマ部分にはほとんど期待していなかった。どうせ、特撮の見せ場のつなぎに、三船敏郎やら藤田進やらが、海軍大臣や連合艦隊司令長官に扮して、大芝居を見せるだけだろうと、タカをくくっていた。
 だが、主演は若手将校の夏木陽介だった。彼の視点で、下士官として参加した大勝利の真珠湾と、大惨敗のミッドウェイが見つめられ、その後の二つの帰郷が描かれる。(昭和58年、笠原和夫・脚本、舛田利雄・監督、「日本海大海戦 海ゆかば」が、大勝利の日露戦争の海戦を、あたかも負け戦のように血みどろになった兵士の視点で描き、そのユニークさに驚いたものだが、「太平洋の嵐」を観るにつけ、不勉強を棚に挙げて、うっかり史上空前!とか前代未聞!とかハシャぐなかれと反省させられる)

夏木陽介は真珠湾攻撃から帰還し、故郷は日の丸と万歳の大歓迎になる。そして、ミッドウェイからの帰還…これも同様の大歓迎で迎えられる。ラジオからは大本営発表で、ミッドウェイ大勝利が報じられている。もちろん軍人・夏木は、真実に対して沈黙を守るしかない。そして帰郷休暇もそこそこに、即時、確実に死の待つ南方戦線に送り出される。大勝利と大惨敗、この対称的な二つの戦闘を、変化をつけて見せきった円谷特撮の素晴らしさ、その二つを串刺しにして、若い軍人の夏木陽介の悲劇、情報管制がもたらしていくその後の日本の悲劇が描かれ、三船敏郎や藤田進の指揮官は海底の亡霊となって、作戦の過ちと多くの若者の死を悲しむ。
 「映画は眼で見せる」二つの戦闘を対比的に見せながら、歴史の悲劇を端的にえぐり出す。淀川長治さんの言葉を地でいった映画の王道である。ラストシーンに私は震えがきた。

リアルタイムの世評では、こういう作品を想像していなかった。円谷特撮の成果は誰もが認めていたが、見世物映画といった感じの評判だった。内容的には「好戦映画」なんて評もあったような気がする。多分、白波を蹴立てて進撃する連合艦隊に軍艦マーチが華々しく被ったのが、よくなかったのだろう。この頃、左翼傾向の人には軍艦マーチはタブーだった。ただ、この映画に限っていえば、それが大勝利と大惨敗の見事な対比として効果的で、真珠湾の威勢の良さが、その勢いでミッドウェイの大本営発表の大嘘につながり、海底で亡霊と化した司令官達の悔いに至るのだから、この軍艦マーチは、絶対に必要だったのだ。脚本は橋本忍と国弘威雄の共同、単純な好戦映画など書くわけがないのである。

●天皇制の彼岸に見せた革命 「叛乱」
昭和29年作品「叛乱」は、十数年前から気になっていた映画である。当時、阿佐ヶ谷映画村に通いつめていた頃、白井佳夫さんが評価する一本として、この「叛乱」のダイジェストを、ビデオプロジェクタで紹介した。監督は佐分利信だが、諸般の事情により、実質はほとんどが阿部豊の手によるものだそうだ。
 先日、阿部豊の「細雪」を観て、そのユッタリとした移動を多用したスケールの大きい演出に感嘆したものだが、「叛乱」のダイジェストでも、その特徴は顕著だった。このタッチで2・26事件が描かれるとは、大いに気になったものだが、その後に機会がなく、十数年後の今年に、やっとシネマート六本木「60周年記念 新東宝大全集」で観ることができた。

「叛乱」の奥の深さには瞑目した。これは、日本では珍しい内戦・革命・天皇制を考察した優れた映画であった。もちろんスケールの大きい演出の効果大だったことは言うまでもない。

2・26事件を「革命」と呼ぶのに抵抗のある人は多いと思う。あれはクーデターでしょ、というわけである。でも、革命には軍事力の存在が裏腹だ。フィリピンでマルコスが打倒されアキノ政権が樹立されたのも、決定的だったのは軍部がアキノ側についたからだ。中国革命は、すでに組織化されていた八路軍と国民党軍の内戦である。朝鮮半島にしても、二分された軍隊に、中国軍と国連軍(米軍?)がそれぞれ後押ししただけである。ベトナムにしても、南ベトナム民族解放戦線という軍事組織があり、北ベトナム軍の後押しを受けて、体制側の軍隊と援助する米軍の連合と戦ったのだ。革命を過度に神聖視すると、アジアにあるいくつかの国みたいになりかねないですよ。

ということで、「叛乱」では2・26事件が「昭和維新革命」という視点で捉えられる。自らも貧農の出身の皇道派の将校たちが、軍事力を用いて革命を起こし、貧しき者を救おうというのである。ただし、他国の革命と異なるのは、後に続く民衆の蜂起を期待するものではないということだ。蜂起などは不要で、天皇陛下はこのことを理解してくれる、ということである。天皇制を「心情」として捉える一派なのだ。

これに対して、統制派の軍人は天皇制を「構造」として捉えている。政治家・財閥と結託し「構造」を巧みに駆使し、皇道派を排除して、下層階級を支配し続けようというのである。2・26事件の首謀者の悲劇はここにあった。最後に彼らが頼りになるのは陛下の「心情」だったのである。しかし、そのあたりを操ることにかけては、天皇制を「構造」として捉える統制派の方が巧みである。いったんは勝利を納めたかに見えた皇道派は、ジワジワと「構造」の罠にからみつかれ、ついに逆賊にされてしまうのである。当初は「諸君の国を憂うる心情は無駄にせん!」と意気込んでいた山下奉文が、少しずつ統制派の包囲網にあって軟化していく描写は、特にあまりにも見事であった。

すべては挫折に終わり、刑場に向かう北一輝が西田税に「天皇陛下万歳と唱えますか」と問う。西田はキッパリと「いや、唱えません!」と宣言する。このラストシーンの意味する奥深さに、私は鳥肌が立った。脚本は菊島隆三、当然の成果だったと言えよう。

この映画も、リアルタイムの映画評で評価されたことをトンと聞かない。キネマ旬報ベストテンでは清水晶ひとりが7位にランクして「二・二六事件に対する私のかねての歴史的、社会的研究心があの映画を通じてかなり満足させられたからだが、あの映画を無批判で見るときの危険は私も敢えて否定しない」とコメントしている。この神経質な表現を見ても、この時代の左翼傾向の強い映画評論界のムードが類推できる。多分、左翼傾向の時代にあっては、軍人が主役というだけでアレルギーが起きてペケになったのだろう。

このように見てくると、左翼傾向が強かった時代の映画評の犠牲の中で、埋もれていった先人の素晴らしい成果は、まだまだ少なからずあるような気がする。今後も気になる旧作は、こまめに追い続けるようにしていきたい。
映画三昧日記2009年−7

●平成21年4月10日(金) 東京ディズニーランドの一日
前回の「映画三昧日記」で、ディズニーランドの4月10日(金)ニューアトラクション「モンスターズ・インク“ライド&ゴーシーク!”」プレビュー招待に応募したことを記した。そして、激戦であろうが、「取らぬ狸の皮算用ですが、当選を期待して一応この日は空けときます」とも「映画三昧日記」に記した。
 これが、見事に当選し、平日だったが何とか老若男女のバラエティに富んだ4人も集まり、1枚のチケットもロスすることなく、1日みっちり童心に還って楽しんだ。このことは、4月11日(土)の「ピンク映画カタログ」の前段で簡単に触れているが、これ以上「映画三昧日記」に記すつもりはない。何で「ピンク映画カタログ」の前段で、何で「簡単に」なのかは、「ピンク映画カタログ」に寄って下さい。いえ、大した理由があるわけじゃありません。これをネタに少しでも「ピンク映画カタログ」も覗いてもらいたいさもしい根性です。ハイ。
(4月16日朝のワイドショーで、ニューアトラクションがオープンした15日は、5時間半待ちだったと報じていた。ホントにこれがプラチナチケットであったことを痛感した)

●平成21年4月11日(土) 奇妙な体験
この日、新宿国際劇場で御贔屓里見瑤子嬢の新作を観た後、阿佐ヶ谷に回って瑤子嬢のお芝居を観たことは、「ピンク映画カタログ」で記したとおりだが、その途中で何とも奇妙な体験をした。

新宿国際劇場を出て、瑤子嬢のお芝居開演までは1時間半強あるので、まずは日高屋でモリモリサービス券を活用し、大盛中華そばでものんびり食べるかなと、紀伊国屋書店方向に歩き出した途中のことである。「やあ、久しぶり」と声をかけられる。とっさに誰だか思い出せない。「わからない、鈴木だよ」と、先方はひどく馴れ馴れしい。

私の悪い癖で、こういう時にすぐ「誰だっけ」とは聞かない。私の在職時は本店勤務が長く、東電学園では管理者研修の教務運営をやっていた。こういうポジションは、むこうはこっちをよく知っているつもりらしいが、こっちはとんと馴染みがないというケースが少なくない。
 本店にいると一担当者であっても、支店の役職者から担当者まで、かなりの眼に晒される。こっちは、とても覚えきれない。まして、私は人の顔と名前を覚えるのは不得手の部類に属する。研修の教務運営でも、オリエンテーションに立ったり(災害防止のトレーナー資格もあるので講師も多少したし、管理者研修の補佐なども努めた)していると、受講した方はこっちのことをよく知っているつもりになりがちなのである。ところがこっちの方は、次々と現れては去っていく研修生を覚えていられるものではない。

だから、私はこういう場に遭遇すると、「ああ…」とか曖昧にうなずいて、話をしているうちに「そうか、あの時のあの人か」と判別するのである。少なくとも、いきなり「どなたで、どこでお会いしましたっけ」なんて言うよりは、感じが悪くないのではないかと思っている。

「その男」はひどく馴れ馴れしかった。
「もう、仕事はやめて年金かい」
「年金はもらってるけど、月10日勤務の嘱託で働いてもいるけどね」
「俺は、定年でやめたよ。体を壊しちゃってさ。こんなに痩せちゃって、ずいぶん変わったろう」
 この顔が太った感じか、ウーム、どこの誰だったかなあ。何せ鈴木なんて言われても、そんな知り合いは無数にいるしなあ。「男」はさらに続ける。
「ギャンブル好きだったよね」
「いや、俺はギャンブルは全くやらないよ。ほら、昔から映画ばかりだったじゃない。今も映画観て、この後知り合いの女優(御贔屓里見瑤子嬢のことで〜す)の芝居観にいくところだよ」

ここに来ても、まだ私は奇妙だとは思わなかった。私は、映画一筋で、麻雀やゴルフや競馬といったサラリーマンの汎用レジャーに関しては、全くつきあいの悪い男だった。そんな暇はないということだ。ただサラリーマンは、つきあいの悪い奴との印象を持たれたらロクなことはないので、酒席(嫌いじゃないし)だけは比較的こまめにつきあった。
 人間の印象なんていい加減なものである。つきあいの深い人間はさておき、それ以外の人とOB会で会ったりすると、「え!ホントに麻雀もゴルフもやらなかった?」ってビックリされることがある。要はつきあいのいい人間という印象さえ残せば、サラリーマンの汎用レジャーにもひととおりつきあっていたと思わせられたということだ。

「その男」もそうした一人だと思った。だから、そんなに親しかったわけじゃないよな。だけど、誰だったろうな。答えは出ない。
 「そうか、ギャンブルやらなかったっけ。俺は競馬やるんだけどね。競馬も当たるとすごいよ。最近も当てたんだけどね」
 ここでグッと体を摺り寄せてきて、ポケットの中を示した。何と!5cmを越える一万円札の束である。ここで、私は異様な危険を感じた。どこにでもある「鈴木」という名前、よく考えたら「その男」は私を一度も「周磨」と呼んでいない。新手の詐欺まがいの行為に引っ張り込まれるんじゃないかと直感し、「芝居の開演時間が近いので、それじゃ」と言ってサッと別れた。(今日も気分は映画祭で、当然、日高屋大盛ラーメンをビール片手に、のんびりゆっくり時間をかけて楽しもうと思っていたのだから、あながち嘘を言っているわけではない)

この後、さらに「その男」とつきあっていたら、どういう展開になったかは分からない。ただ振り込め詐欺の話を聞いて、よくそんな風に引っ掛かるなと思っていたが、他人事ではなく思えてきた。曖昧なまま「その男」を旧知の者だと思い込み、札束に目が眩み、私がギャンブル好きだったら、とんでもない詐欺に引っ掛かったかもしれない。いずれにしても、私は、小金のありそうな年金生活者に見えたということなのだろうか。

●「映画友の会」復活参加の頃の思い出
しかし、路上でごくごく偶然に、天文学的確率で旧知の人に出会い、それが世界を広げてくれたという素晴らしい体験も、決して少なくはない。

現在、私が最も楽しいのは、「蛙の会」「映画友の会」そして社会人芸能集団「あっち亭こっち一座」(私も一応末席の座員です)を中心とした方々とのおつきあいである。この中で「映画友の会」は、全く偶然の旧知のOさんとの路上の出会いから始まった。

「映画友の会」は、淀川長治さんがご存命だった頃、私が10代末から20代半ばの、70年代前半まで参加した。その後、結婚したり仕事が忙しくなったりして足が遠のいた。まあ、昔の若者はほとんどがそんなパターンだった。

そして20年後の90年代前半、新橋の本店勤務で昼休みに銀座をブラついていたら、前述のOさんに「久しぶりです。覚えていますか」と声をかけられた。一瞬とまどって、しばらく会話を交わした後、あ、あのお嬢さんみたいに品がよかったHさんと結婚したR書房のOさんか、と気が付いた。女性を基点にして思い出すのだから、男たるものホンにショムないものである。

この頃は、私も50にも近くなり、先も見えてきたし、子供もだんだん育ってきたので、猛烈サラリーマンもそろそろ返上し、もう少し趣味の映画に力点を置いて、原点回帰してもいいかなと、目論んでいたのである。阿佐ヶ谷映画村に足を運び出したのも、この頃であったと思う。

毎月第三土曜日に、横浜の「映画友の会」(この時点ではもうは無かったが)の有志を中心にして、東京のメンバーも加わり、有楽町のスパゲッティ店で会合をしていたのは知っていた。横浜「映画友の会」の男性と東京のそれの女性が、国境を越えた愛(?)により結婚し(私は式の司会を務めた)、そのゆかりの者達が中心だったと思う。私は、自身も結婚し趣味の映画から一歩引き、そこからは遠ざかっていたのだが、その会合が今でも延々と続いていることを、その時Oさんに教えられたのである。

それ以後、そこに積極的に顔を出すようにしたのだが、もう一つ乗れないところが出てきた。何といっても20年余続いてきた会合である。映画の話題はブランクなど無しに旧知の気のおけない仲にすぐ復帰するが、それぞれの家族の話題やら何やらとなると、このブランクは埋めようもない。そして、このような時を重ねた会合となると、そっちの方の話題が主力になったりするのである。また、自分が五十路に近いのを棚にあげるが、どうしても同年代の映画観は古めかしい。昔は良かった式の回顧に陥りがちである。

この当時参加していた阿佐ヶ谷映画村(これも今は閉村した)の参加者は若かった。刺激を受けることが多かった。そして、現在の「映画友の会」の参加者とカブっている者が少なくなかったのである。淀川長治さんが引退されても、まだ盛大に続いていることも、彼等を通じて耳にした。老骨に鞭打って、恥ずかしながら参加してみようと思い立ち、オズオズと足を運んだのが「映画友の会」復活参加の始まりである。

それから十数年、「映画友の会」は私に欠かせない場になった。その頃の、二十代の若者、三十代半ば前後の若者(当時の私にとっては十分に若者である)は、今は四十路・五十路である。そして、若い層は増えていない。むしろ新規参加者は、私と同年代の定年退職者の映画回帰の方々が主力のようだ。(湯布院映画祭に至っては、私の初参加の10年前にすでに年齢層が低くはなかったので、今や老人会だ)映画というジャンルは、本当に青春ではなくなってしまったのだろうか。

路上でバッタリ旧知の人に声をかけられて、思わぬ世界が拡がった例の一つを紹介していたら、意外な長丁場になってしまった。ま、これだから、一見見覚えの無い人に旧知の者と声をかけられても、無碍にすると損をしそうだということです。変な詐欺まがいにひっかからない範囲で、今後もやっぱり若干は愛想よくすることにいたしましょう。

何だか長々とくだらない蘊蓄を傾けてしまいました。実は、この二、三の小ネタを枕に、最近観た力作「ポチの告白」キックにして、21世紀に変貌しつつある社会派映画のあり方、それと連動して、ソ連崩壊に伴い右翼保守反動だけがすべて悪という硬直した視点を脱却しての、戦後映画の再検証を考えていたのですが、これも構想が壮大にふくらみましたので、次回に送ることとして、今回はここまでにいたしたいと思います。
映画三昧日記2009年−6

前回の「映画三昧日記」では、予定ビッシリの3月1週の4日(水)までを紹介し、次回は後半の5日(木)〜6日(金)を紹介すると述べたが、7日(日)以降も怒涛のスケジュールには変わりなく、ひとつひとつを詳述してもキリがないので方針転換をする。3月から4月以降の予定も含めて、一口コメント式に、文字通り「映画三昧日記」というスタイルで進めてみたい。

5日(木)
この日の予定のメインは、アテネフランセ文化センターの特集「小川紳介と小川プロダクション」で、「青年の海−四人の通信教育生たち」を観ることである。上映はこの特集の中で2回しかなく、この日が最後の上映で、ここで逃すと今度はいつ観られるかわからない。
 通信教育制度改定反対闘争の中で、学ぶこと、働くことを、改めて問い直す通教生のディスカッションが中心になる。私が若い頃、学ぶとは?社会とは?人生とは?と考えに考え尽くした頃を思い出し、書き出すとキリがなくなりそうなので、ここではそういう風に私をタイムスリップさせるだけのインパクトがあったことだけを記しておく。

交通費の有効活用の観点で、「青年の海」鑑賞前に新宿に出て、武蔵野館で「エレジー」を観る。ベン・キングスレーのいい歳こいても肉欲主義者の荒井晴彦さん好み(失礼!)の初老男の映画で、私の趣味じゃないなと思っていたが、最後のペネロペ・クルスとの再会で、肉体性と精神性の狭間に踏み込んでいくのがいい。乳癌を扱っても「秋 深き」のような無神経さもなかった。

6日(金)
夢月亭清麿師匠企画の連続講座「物語・落語現代史」の日である。昨年5月からスタートした12回シリーズの11回目だ。制作は河本晃さんで、武蔵野美術大学教授の今岡謙太郎先生が、後半にトークショーで参加する。第1回「昭和4〜10年 落語家大同団結 古典からエログロナンセンスへ」で、昭和初期から落語の現代史をスタートさせ、この日第11回「落語ブームの実態 落語家数からの考察」で、現代の落語界状況まで到達した。4月最終第12回「技法論/マンガ比較論 表現ジャンルとしての落語の可能性」は、いよいよ総括の章となる。

落語界という特殊な世界の歴史ではあるが、意外と、映画界の歴史、サラリーマン意識の変遷などとダブっている部分もあるのが興味深い。やはり、すべての世界は時代を反映するということなのだろうか。全12回が完了した後で、私なりの総括も考えているが、壮大過ぎるので構想倒れに終わる危惧もある。

「物語・落語現代史」の会場は「なかのZERO視聴覚ホール」、中野まで折角足を伸ばすのだから、交通費の有効活用で、都区内の上映作品を何本か観ておこうと思うのだが、さすがにもうお目当ての映画は無い。(この日は金曜日だから、明日になれば初日の注目作が大挙して公開になるのだが)ふと、髪が伸びていることに気がついた。私の行きつけの理髪店は武蔵小金井で、シニア料金1500円と格安であり、何はさておいても理髪師の数が多いので、待ち時間が短いのが魅力である。散髪を済ませてから中野に向かうことにする。いつもは万歩計歩数稼ぎのために歩くのだが、この日は残念ながら雨だった。雨中を歩くのにはちょっとしんどい距離なので、途中下車で対応することにした。
 それにしても、髪は薄くなっても、耳の周りだけは鬱陶しく延びるので、理髪回数が減らないというのは、どうも面白くないが、まあ、そうでなければ理髪店も商売上がったりになっちゃうので、丁度いいところなのかもしれない。

7日(土)
この日の予定はなし。いや、こういう時こそ地元の立川シネマシティの上映作品を、押さえておかなければならない。ネットでチェックして「オーストラリア」と「パッセンジャーズ」をハシゴする。

「オーストラリア」は2時間45分の長尺で、ハリウッド大作としてのネタは盛り沢山に揃ってるんだけど、ひとつひとつの要素のツメが甘い。貴婦人のニコール・キッドマンはアッサリと逞しい牛追いに成長してしまうし、命を懸けた砂漠横断もスリルもサスペンスもなく克服してしまう。到着地における、船への牛の積み込み競争にしても、どういう経過でキッドマンとヒュー・ジャックマンのコンビが勝利を納めたのかが、サッパリ解らない。
「アラビアのロレンス」の砂漠横断は凄かった、と21日(土)の「映画友の会」で発言したら、古参実行委員のYさんが、「草野球とメジャーリーグを一緒にするな」と不機嫌になった。

「パッセンジャーズ」の結末は、ちょっと驚く。反則ギリギリだと思うが、私には許せる範囲だ。「○○○○○○○」のような大反則映画とは一線を画している。歯切れが悪い判じ物の言い方だが、これ以上言ったら完全にネタバレになるので、止むを得ない。

8日(日)
やっと1日、自宅で落ち着ける日が来た。たまっていた読みたいもの、プロレス格闘技や映画の録画ビデオなどを、ジックリ消化するのはこんな日である。各種原稿書きや「話芸あれこれ」編集も、こんな日に集中的に処理する。

9日(月)
前回の「映画三昧日記」で記したが、キネ旬試写会「マダガスカル2」が当選した。九段会館でこの日の19時開映。試写状は2名入れるのだが、いつも相方に苦労する。私みたいな定年退職者はいざ知らず、普通の勤め人は、平日の夜のこんな早い時間に試写会場には来られない。でも、折角もう一人入れるのに無駄にすると、映画好きとしては、ものすごく空しい思いにさせられる。
 この日は「映画友の会」の友人で、最近「お馴染みおたべちゃん」とも盟友(?)になったF女史の都合がついてホッとする。

「マダガスカル」は、前作は未見である。後日TV放映録画でチェックした。私は、どうもドリームワークスのアニメにセンスの良さを感じない。(私の感覚にピッタリ来たのは「カンフー・パンダ」くらいか)下品な下ネタやディズニーに対する嫌みったらしい敵意は陰を潜めていたが、それでもマアマアといった以上の感想は持てなかった。

交通費の有効活用のため、試写会の前に新宿に回りK’sシネマで「愛のむきだし」を押さえておくことにする。何せ237分の大長編で、ここらで押さえておかないと見損なう恐れがある。ベルリン国際映画祭で授賞もしており、やはり必見だろう。ただ、シニア料金でもしっかり1800円取られてしまった。一般は2500円、2本分と思うべきなのだろう。さすがにこの長さだと、最近の映画には珍しく途中にインターミッションが入った。
 寂しかったのは、映画の途中という感じで唐突に休憩になってしまったことだ。昔の「風と共に去りぬ」や「ベン・ハー」は、休憩前はここぞとばかり盛り上げ、後半への期待を十分に高ぶらせて、インターミッションに入ったものである。

「愛のむきだし」は、オウム真理教あるいは統一教会を連想させるカルト教団が、既成宗教にからむストーリーを骨子に、スカート内盗撮やらレズやらの現代風俗が混然とからみ合い、軽薄と純愛が混濁しつつ、21世紀ならではの大ロマンを構築しているといったところか。確かに過去に類例がないと思わせ、4時間弱も納得せざるをえない。やはり、今年を代表する1本の意欲作・力作だろう。

10日(火)
出社日である。夜は社内イベントがらみのパーティーに参加。

11日(水)
[シアター]イメージフォーラムの「WE ARE THE PINK SCHOOL! 日本性愛映画史 1965−2008」が開催中だ。この日に行くと、私のお目当て「地獄のローパー 緊縛・SM・18歳」と「(秘)湯の町 夜のひとで」が入った番組が16時15分からの回から19時15分からの回へと、連続して観られるので、足を運ぶことにする。詳細は「ピンク映画カタログ」3月11日(水)版をどうぞ。

どうせ渋谷まで足を伸ばすのならと、もう1本くらいイメージフォーラムの前に観る映画をと「ぴあ」で物色し、時間的に合う渋谷パレスの「7つの贈り物」を観た。ウィル・スミスらしからぬ陰々滅々たる映画で、キリスト教的価値観なのかどうか、日本人の私にはテーマもピンとこない。第一、贈り物はどう考えても7つない。頑張っても私には5つだった。無理にこじつけて6つ、もっと無理すれば何とか7つになるのかいな、といった感じである。
 私の頭が悪いのかどうか、21日(土)の「映画友の会」で他の人に聞いてみたら、そんなことを気にしている人はいなかった。まあ、その程度の映画である。ただ、贈り物の数をチェックしだすと、観てない人にとってはネタバレになるので要注意である。故にこの映画の話題はこのへんにする。

12日(木)〜13日(金)
二日連続の出社日、12日(木)の夜は、自宅でビールグラスをかたむけながら、TV中継で長谷川穂積のKO劇を楽しんだ。粟生のタイトル奪取と合わせ、ボクシング・ファンとしては慶賀の限り。堅気(?)の生活の二日間だった。
 13日(金)までに業務処理が順調だったので、16日(月)は休暇を取ることにする。月10日勤務の嘱託でも、休暇は年間10日あるのだ。でも、とても取りきれない。この際、取れる時に取っておこう。

14日(土)
予定の無い日は、地元立川シネマシティの上映作品を、押さえる日である。「罪とか罰とか」「プラスティックシティ」をハシゴする。
 「罪とか罰とか」は、一日警察署長のよくあるノウハウものかと思っていたら、さにあらず。ケラリーノ・サンドラヴィッチの徹底したナンセンス世界だった。「少年メリケンサック」のクドカンよりは下品でなく、私は結構楽しんだ。成海璃子はなかなか面白い女優に成長してきた。
 「プラスティックシティ」は、アンソニー・ウォンとオダギリジョーの日中共演、ブラジルロケの話題作。映画の語りが稚拙なのか、ドラマの展開が、何だかさっぱりわからない。ムードだけで引っ張る感じだ。そのムードは悪くない。もっとも、それが悪かったら見るに耐えない映画になってしまっただろう。

15日(日)
神保町シアターの特集「浪花の映画の物語」で「女殺し油地獄」(監督・堀川弘通)を上映する日だ。また、昨年の私の注目株「人のセックスを笑うな」の井口奈己のデビュー作「犬猫」(8ミリ版)もシネマヴェーラ渋谷の「シャブロル三部作発売記念 紀伊国屋書店レーベルを讃える」の枠のなかで、この日上映されている。チャンスは逃すな!神保町→渋谷へとハシゴをする。

「女殺し油地獄」は、昨年の湯布院映画祭で五社英雄版上映の時に、話題になった。堀川版を観ていないのは話にならないようなことを、ある人から言われた。こういうのは、映画ファンとして忸怩たる思いになる。やっと観られる嬉しさよ!やっぱり凄い!五社版とはケタがちがう。撮影所システム全盛期の、時代劇のそして日本映画の、パワーを感じた。

「犬猫」(8ミリ版)、やはり作家のすべては処女作にあり、とは名言だ。私が言うところの「ゴダールが溝口健二している」ような類のない個性は、この処女作にして顕著だった。

16日(月)
本来は出社日だったが、休暇取得で思わぬノンビリできる時間ができた。データ整理をしたり、掃除を少々丁寧にしたりして、ゆったりと過ごせた。

17日(火)
この日も[シアター]イメージフォーラムの「WE ARE THE PINK SCHOOL! 日本性愛映画史 1965−2008」のハシゴだ。お目当て「変態家族 兄貴の嫁さん」と「行く行くマイトガイ 青春の悶々」の番組が1日で観られる。詳細は「ピンク映画カタログ」3月17日(水)版をどうぞ。

ただし、11日(水)の時とはちがって、番組は連続していない。「兄貴の嫁さん」の番組は13時45分からの回で、一番組おいて19時15分からが「行く行くマイトガイ」の番組である。その空白を渋谷のどこで埋めるか「ぴあ」をチェックする。渋谷HUMAXシネマの「カフーを待ちわびて」が時間的にうまく納まるのでそこに決める。(それにしても、最近の映画館名変更には本当にとまどう。シネ・アミューズがヒューマントラストになったり、今度のHUMAXもどこにあるのかと思ったら、昔のシネマGAGA!だった)

「兄貴の嫁さん」を見終わり、HUMAXに向かう。何と!「カフー」は朝一回しか上映していない。不入りのせいなのだろう。ヒット作「マンマ・ミーア!」に差し替えられているのだ。
 隔週発行になって、本当に「ぴあ」は役に立たなくなった。週刊だった頃もシネコンの場合は終映時間が記載されてないので、ネットに頼るしかなかったが、最近は、それ以外の劇場についても「直接劇場へ」の記載がやたらと多くなった。その記載がなくても、今回の事態のように変更になったりするのだから、まったくアテにできない。加えて作品の索引がなくなったのも、致命的に使い勝手が悪くなった。確かに索引作成は大変な手間ひまだろうが、だからこそ価値があるのだ。

さあ、困った。もう一度「ぴあ」を繰り直す。幸いにも私が見落としていた注目作があった。ル・シネマで「ダウト−あるカトリック学校で−」がすでに上映開始されていたのだ。(こういうのも索引さえあれば見落とさないのだ)ちょうど時間が合うので、急遽方針変更してル・シネマに向かう。

結果してこのアクシデントによる予定変更は、怪我の功名になった。「ダウト」は大傑作である。メリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマンの丁々発止の演技合戦を、ジックリ魅せる映画だ。出番は少ないがヴィオラ・デイヴィスも深い印象を残す。格落ちと思わせる若いシスターを演じたエイミー・アダムス(「魔法にかけられて」のお姫さまです)も、ストリープとホフマンの貫禄に挟まれてオドオドしている感じが、虚実皮膜でシスターの未成熟を表現していた。4人全員がアカデミーにノミネートされたのも当然だろう。厳格かならずしも正義ならず、ルーズが必ずしも悪ならず、内容も深い。

18日(水)
この日は夢のような一夜になった。
 スタートは「蛙の会」で共に活弁の勉強をしている早乙女宏美さんから、「ピンク×緊縛〜緊縛写真家=田中欣一とエロスの巨匠たちの夕べ」のイベント情報が来たことに始まる。ゲストパネラーとして、渡辺護・池島ゆたか両監督と並んで早乙女さんも登場する。会場は新宿のロフトプラスワン、これは是非行かねばならぬと予約する。

さらに前日に、驚くべき情報を入手する。mixiの日記「泥の中に蓮一輪 いつも心に里見瑤子」で、池島ゆたか監督が追加ゲストで女優を同行することが記されてあった。幸田季梨・山口真里・里見瑤子、ええ〜!なんだってえ〜!!「御贔屓里見瑤子嬢」がゲストだってえ〜!何と早乙女宏美さんと瑤子嬢の2ショットが拝めるということなのである。

会場に着く。ピンク映画投票者の鎌田一利さんがいて、しばし歓談する。ゲストは舞台上手に近い座敷席に集まり歓談している。早乙女宏美さんに手を振る。やっと目が合って、私の存在に気付き手を振り返してくれる。御贔屓里見瑤子嬢とも目が合う。手を振り合う。最高の瞬間である。

イベントが終わる。瑤子嬢が側に来てくれて、しばし歓談していると、さらに早乙女さんが寄って来てくれる。両手に花である。
 早乙女宏美さんに「蛙の会」で初めてお会いした時は、不明ながらそんなビッグネームとは知らなかった。物静かで控えめな人で、時折に浮かべるお嬢さんのような微笑みが印象的な、きれいな人だなと思った。御贔屓里見瑤子嬢は、「平成人魚伝説」の強烈な存在感に圧倒された雲の上のスターだった。今、その二人に挟まれて、お二人の仲を私が取り持って歓談しているなんて、信じられない話である。イベント終了後から閉店までの短い時間ではあったが、夢のようなひと時だった。

この日も交通費有効活用で、まず新橋文化に出て「ゾンビ・ストリッパーズ」鑑賞後に、新宿に回り武蔵野館の「ゼラチン・シルバーLOVE」を観て、ロフトプラスワンへのコースを取った。

「ゾンビ・ストリッパーズ」は、キネ旬「読者の映画評」常連で、「映画友の会」の友人のFさんの推薦作だ。Fさんはフランス映画を愛し、ムッシューとあだ名される品のいい紳士なのだが、突然意外な作品を絶賛する。2007年では1位が「長江哀歌」で2位「デス・プルーフinグラインドハウス」というとんでもない選定をした。昨年の私の邦画ベスト3、1位「実録・連合赤軍」2位「崖の上のポニョ」3位「人のセックスを笑うな」を紹介し、「どんな感覚の奴だ」って言われるでしょうねと話したら、「正当じゃないんですか」と返ってきた。いずれも、映画ならではの良さを有した作品という共通点があると、指摘もする頼もしい人である。

「ゾンビ・ストリッパーズ」はB級ゲテ物活力に溢れた傑作だった。低予算の密室劇で、スケール大きく現代アメリカの地獄を描き切って見せた。同様に密室劇で人類存亡の危機にまで迫った「吸血鬼ゴケミドロ」を、思い出した。

「ゼラチンシルバーLOVE」は、巨匠カメラマンの初映画監督作かどうか知らないが、何てことない話を思わせぶりタップリで語るだけの映画である。でも宮沢りえの、繰り返し出てくるゆで玉子やアイスクリームを頬張る口元のアップで、不潔感を漂わせなかったのは見事だ。一応飽きずに観られたので、同種の思わせぶり映画の辻仁成「千年旅人」よりはマシということか。ただ、アップの多い宮沢りえは、もう美貌の盛りは過ぎたなと思わせた。モスクワ国際映画祭で最優秀女優賞を取った「華の愛 遊園驚夢」あたりがピークだったろうか。この頃は、溜息の出るような美人薄命ぶりだった。

19日(木)
この日は出社日、真面目に勤労して堅気の暮らしをいたしました。

20日(金)
お彼岸のお中日、彼岸明けまで予定がいろいろあり、済ませそこなうといけないので、墓参りの日にあてる。墓参りといっても、私の場合は先祖代々の墓→義父母の墓→亡妻の墓と三つのハシゴで、雑司ヶ谷→小石川→墨田区と、結構大変で1日がかりである。家内も亡くなり、義父母の墓参りまでは律儀に行く必要ないよ、と言う人もいるが、逆に亡妻が行けないからこそ、私が変わって線香を上げ続けるべきだと思っている。

墓参りは意外と順調に終わったので、交通費の有効活用で、一本程度、映画を消化することにし、シネスイッチ銀座「ダイアナの選択」を選択する。ロビーで、「映画友の会」のミステリーファンのB女史とバッタリ出会う。鑑賞後、B女史は「パッセンジャーズ」をハシゴするという。それまでの空き時間のコーヒータイムにつきあい、映画談義にふける。

「ダイアナの選択」は、予告編では面白そうな映画である。ところが、本編は分かったような分からないような怪作だった。B女史も同意見だった。「愛のためいき」「スライディング・ドア」「ことの終わり」みたいな仕掛けを期待していたのだが、何とも肩透かしだった。

「パッセンジャーズ」も予告編で見る限り面白そうな映画だ。私の感想は7日(土)の日記に記した。意表をついた結末だが、ミステリーファンのB女史はどう思うだろう。怒りだすんじゃないだろうか。「ラストはちょっと驚きます。でも、何を言ってもネタバレになりそうなんで、何も言いません」とだけ告げる。帰ったら、B女史からメールが入っていて、確かに結末には驚いたが、それもありかなとのことで、腹は立たなかったそうである。

21日(土)
恒例の第三土曜日「映画友の会」の日だ。交通費の有効活用で、新宿武蔵野館で「いのちの戦場−アルジェリア1959」観た後、「友の会」に参加する。

「いのちの戦場」は、「プラトーン」「プライベート・ライアン」「ブラザー・フッド」「戦場のレクイエム」同様に、戦場の狂気を描いており、特に目新しさはない。しかし、フランスが1999年に初めてアルジェリア<戦争>として公式に認めたという背景で、誕生した映画の意義は大きい。(66年のイタリア映画「アルジェの戦い」ヴェネチア映画祭グランプリ受賞時には、フランス人関係者は全員席を立ったと聞く)フランス人もアルジェリア人も、開戦の少し前まではナチ・ドイツに対するレジスタンスの同志だったとの特殊性も興味深かった。

「映画友の会」は午後2時から5時までの本会、喫茶の二次会、酒席の三次会、有志の四次会と、この日も堪能しました。

22日(日)
飲みすぎ二日酔い気味の頭を抱えての「蛙の会」参加。終了後は有志のアルコール付き反省会、タップリ反省してしまいました。帰宅したら、娘が食事中、何故か話しがはずんで酒盛りになり、またまた飲み過ぎてしまいました。

23日(月)
久々の予定のない日、となれば立川シネマシティの新作フォローだ。
 21日(土)「映画友の会」でB女史から「ベッドタイム・ストーリー」の特別鑑賞券をいただいた。プレゼント当選で2枚入手したが、弟さんが行かないので1枚余っただけだからお気遣いないよう、とのことである。まずは、それの消化をして、引き続き「ワルキューレ」をハシゴする。

「ベッドタイム・ストーリー」懐かしのディズニー実写ファンタジーのムード横溢。寝る前の子供たちの作り話が、翌日現実世界に反映される楽しさ。ただし、仕掛けに囚われすぎて、人生にはハッピーエンドが必要との、テーマ性はやや散漫になった。洒落っ気は昨年の「魔法にかけられて」の方が上だろう。

「ワルキューレ」ヒトラー暗殺未遂映画だが、それ以上に面白かったのは、これは2・26を彷彿させるクーデター挫折映画であったことだ。確かに暗殺自体よりは、暗殺以後が大切で大変なのだろう。明智光秀の、織田信長は不意をつけばアッサリ殺せるが、それ以後の構想がなければどうしようもないということと同様である。

24日(火)
出社日、夜は期末打ち上げと、定期異動者の送別会、久々に典型的サラリーマンらしい一日をすごしました。

25日(水)
この日も出社日、業務処理順調につき、午後は半休。この「映画三昧日記」をまとめています。ということで、以後の記載は予定となります。


26日(木)
16日(月)に「あっち亭こっち一座」から「活弁トーク」のオファーがあった。28日(土)で会場は町田市の「森のさろん」、自主映画「いい爺ぃライダー」上映会とセットの「森の寄席」で、落語・講談などに交じって10分間の高座を務める。楽しそうな催しである。いやいや、演者はお客さまを楽しませるのがお役目で、自分が楽しむ気になってちゃいけません。
 芸道に厳しい「あっち亭こっち一座」、当然ながら稽古会が開催される。それがこの日である。場所は東銀座の「マガジンハウス」会議室で18時50分集合。交通費有効活用で、新宿ピカデリー「花の生涯〜梅蘭芳〜」から、シネマート六本木「新東宝大全集」で「地平線がぎらぎらっ」をハシゴしてから参加する予定を立てる。

27日(金)
TEPCOさんも期末異動の季節、仕事場の多摩地区指令所の送別会にお声がかかる。場所は八王子の厚生施設。交通費有効活用で、立川シネマシティで1本くらい消化してから出席することにするか。

28日(土)
「あっち亭こっち一座」公演の本番である。頑張らなくっちゃ!

29日(日)
予定なし。28日に封切作が大挙出るので、立川シネマシティ巡りの日になるでしょう。

30日(月)
無声映画鑑賞会。交通費有効活用でその前にシネマート六本木「新東宝大全集」で「叛乱」を押さえるつもり。(白井佳夫さん絶賛の映画で、かねてから気になっていた)

31日(火)
出社日。月末・期末データに処理に励む。

ということで、怒涛のスケジュールで3月は終わりそうだ。ついでに現時点での4月の予定をまとめてみよう。

4月 1日(水)出社日、月始めのデータ処理
   3日(金)夢月亭清麿師匠企画の連続講座「物語・落語現代史」最終回
   4日(土)玉川奈々福さんのおはようライブ
   7日(火)出社日、事故復旧訓練のトレーナー
   8日(水)私が度々観る機会を失していた「ジャーマン+雨」が新文芸座「気になる日本映画達2008」で上映される。横浜聡子監督トークショー付き。これは必見だ。
   9日(木)出社日、事故復旧訓練のトレーナー
  10日(金)前回「映画三昧日記」で記したディズニーランド・ニューアトラクション「モンスターズ・インク“ライド&ゴ―シーク!”」プレビュー招待応募の日。取らぬ狸の皮算用ですが、当選を期待して一応この日は空けときます。
  11日(土)御贔屓里見瑤子嬢出演のお芝居、桃色軍手「人類ドピュー」を予約観劇予定
  12日(日)「蛙の会」会員の高橋晴美さん主催・社会人劇団「はなムスび」公演の[腹腹ボレロ]予約済 観劇予定 この土日はお芝居づいてます。
  13日(月)出社日、事故復旧訓練のトレーナー
  15日(水)出社日、事故復旧訓練のトレーナー
  18日(土)「映画友の会」
  21日(火)出社日、事故復旧訓練のトレーナー
  23日(木)無声映画鑑賞会
  24日(金)TEPCOのOB会
  26日(日)「蛙の会」
  27日(月)出社日、月末データ処理

何だか4月も、もう17日間は予定が入っている。後3日は出社しなくてはいけないので、予定はすでに20日間は埋まってるということだ。下高井戸シネマの特集「見よ、この人を!」の中の「小三治」も、銀座シネパトスの特集「完全学級崩壊!我が青春のトンデモ学園生活!」の中の「ハレンチ学園」も、この際に押さえておきたいし、とすると、22〜23日間は早くも予定ありということだ。この間隙を縫って、新作映画をさらわにゃいけない。特にイメージフォーラムの特集もあったせいか、3月末でピンクの新作は4本しか消化していない。来年の投票に向け、かなり危うい状況になっている。それに「話芸あれこれ」の編集もある。気候はよくなるが、私の好きなウォーキングを計画する暇も、ロクに無さそうだ。ということで、3〜4月を検証した結果、6月に嘱託期間を満了し、毎日が日曜日になっても、全く暇をもてあますことはないとの、結論になったのでした。
映画三昧日記2009年−5

●サラリーマンの悲しい性(さが)
今年6月末の嘱託契約期間満了の日が、ヒタヒタと迫ってくる。それから先は24時間映画三昧の日だ。ただ、私の周辺では「何もすることがなくてボーッとして、最後はボケるよ」なんて、脅かす奴は少なくない。現在、月10日の出社日が邪魔になるくらい、映画三昧で多忙だが、そんなことを言われると、長年のサラリーマンの性(さが)で、どことなく不安になってくるから妙だ。確かにイベントなどの予定は後から後から押し寄せて、どんどんスケジュールは埋まっていくが、ある時バタッとなくなったら、全然行くところがなくなりどうするんだろうなんてことが、頭をかすめる。別に好きで行ってる会社でも仕事でもないのに、こんなことを思うなんて、本当にサラリーマンの悲しい性(さが)だ。

●予定ビッシリ3月1週
昨年の「映画三昧日記」で、3月の12連休とGWの12連休を、怒涛のスケジュールで多忙に終わったことを記した。今年の3月1週の出社は2日の月曜日1日だけである。この週は暇をもて余すかと思いきや、週明けの日曜日も含めて、金曜日まですべて予定が埋まっていた。いや、逆に言うと予定から逆算して、この週の出社日は月曜日のみにするしかなかったのである。(夜のイベントは退社後の参加も可能だが、以前記したように交通費の有効活用を鑑みて、原則的にその手はとらない)

●そして多忙スケジュールは続く
やっと予定がなくなる7日(土)は、久々に立川シネマシティでメジャー注目作品をさらわなければいけない。そうこうしているうちに、9日(月)「マダガスカル2」のキネ旬試写会当選通知が来た。久々の出社の10日(火)の夜は、社内イベントがらみのパーティーがある。
 2月28日(土)から「ピンク映画カタログ」でも紹介したが、[シアター]イメージフォーラムの「日本性愛映画史 1965−2008」が始まっている。42本が上映され、ピンク映画史を総括する3月20日(金)までの壮大な企画だ。渡辺護の大傑作と呼び声高い「(秘)湯の町 夜のひとで」と、早乙女宏美さんの代表作の1本「地獄のローパー 緊縛・SM・18歳」のハシゴが、11日(水)にはできるので、この日は行かずばなるまい。
 このようにアレヨアレヨと予定が埋まっていくので、毎日が夏休みになっても、行くところがなくなってボーッとしてボケることなんてないよね、絶対にないよねと、我と我が身に言い聞かせ続けてるなんて、ホントにホントにサラリーマンの悲しい性(さが)だ。


●平成20年3月1日(日)

OKA CINEMA おかしな監督映画祭
3月第一週1日(日)の幕開けは、「OKA CINEMA おかしな監督映画祭」だ。御贔屓里見瑤子嬢が、製作の一員で中核にいるイベントである。
 話に聞いたところでは、そもそものこの企画は、里見瑤子嬢という素材の魅力を、さまざまな形で引き出そうと、森山茂雄監督の発案で始まったそうだ。それが今回は、瑤子嬢の他に天正彩・渡会久美子・水原香菜恵・ほたると、女優は5人に膨れ上がり、監督は15人の多きを数えるに至った。「1作品10分以内!主演女優を使えるのは、たったの3日!」という厳しい縛りの中で、各女優とも3作品に出演、すなわち女優5人×3作品=監督15人という15本立の企画である。会場は調布グリーン小ホール13時/18時の2回、私は夜の18時に行くことにする。

この日のスケジュール
さて、例によって交通費の有効活用からこの日のスケジュールを組む。シネマート六本木では「60周年記念 新東宝大全集」が開催中だ。この日は14時〜16時25分で「細雪」が上映される。「OKA CINEMA」の前に観るのに丁度いい時間だ。

阿部豊監督の新東宝作品「細雪」は、オールドファンの義兄が絶賛する作品で、市川崑の「細雪」なんて、あんなのは「細雪」じゃないと酷評だった。確かに崑作品は、原作を大胆にアレンジしており、そのスマートなコンパクトさが魅力だと私は思うのだが、かんじんの阿倍豊版を見ていないのだから、何ともものの言いようがない。ただ、昭和25年のキネ旬9位にランクされているのだから、物は良いのだろう。この機会に是非見ておくことにした。
 ちなみに、昨年よく調べもしないで神保町シアターで「細雪」をやっているので飛び込んだら、これは島耕二の大映版だった。カラーの大映マークで映写が始まったので誤認に気づいたが後の祭りだった。こちらの方はよくできた通俗作以上のものではなかった。

さて、14時前に、もう一本消化できぬものかと「ぴあ」を繰る。すると新宿トーアの「三国志」が時間的にいい。「レッドクリフ PartU」の公開も控えていることだし、「映画友の会」のテーマにもなっていることだしと、これに決める。かくして新宿→六本木→調布とこの日のスケジュールは決まった。

印象に残った「OKA CINEMA」 その1「てるてるブルース」
「OKA CINEMA」は、観客投票によりグランプリを選出するシステムだ。最も良いと思った1作品に◎をつける。あとは良いと思った作品に対し、何作品でもよいから○をつける。◎は2点、○は1点と加算され、最高点作品がグランプリとなる。この「てるてるブルース」は、私の◎作品だ。

監督は麿、主演は水原香菜恵である。都会を嫌い、辺鄙な田舎町を訪れた青年が、てるてる坊主の着ぐるみの人間と遭遇する。ひょんなことで行動を共にすることになり、奇妙なロードムービーの雰囲気が漂う。ユーモラスなてるてる坊主との彷徨という絵柄が実にいい。笑わせる。海岸に着き、てるてる坊主は花束を捧げる。着ぐるみを取ると、水原香菜恵だった。恋人と死に別れた場所だった。再びそこを訪れようと思った時、その日は何としても晴れさせたかった。そんな想いのてるてる坊主の着ぐるみだったのだ。
 ナンセンスな絵柄で笑わせ、最後は女の切ない心情で締める。15本中の私のベストムービーだった。

印象に残った「OKA CINEMA」 その2「315号室」
監督は金田浩樹、主演は渡会久美子と六平直政。ある病室では、骨折した男が妻に付き添われ、退院も近い。退院を控えて楽しそうな会話が弾む。隣の病室では、昏睡状態の妻に付き添う男が、医師に妻の命が長くないことを告げられている。
 これを渡会久美子と六平直政が、ダブルキャストで演じる。幸と不幸の夫婦の対比だけに止まらず、ダブルキャストにより、私は、幸福な夫婦の像が、実は昏睡状態の妻の願望と幻想のようにも見えてきた。味わい深い作品である。

印象に残った「OKA CINEMA」 その3「殴り女」
監督は「ひらがかんいち」。主演は御贔屓里見瑤子嬢!主婦が一人、所在なげに午後のひと時を過ごしているところに、痴漢が乱入し、パンティーを脱いで渡せと強要する。パンティーを渡す隙を狙って、主婦は股間に蹴りを入れ、馬乗りになって男をボコボコにする。女は瑤子嬢、男は田尻ひろゆきが演じる。男をボコボコにする瑤子嬢の、久々のブッ跳びぶりが楽しい。(ちなみにこの日の大場一魅監督作品「動物園」では、俳優池島ゆたかと共演して、獏の妖精を演じ、ここでも跳んでいた)

実は、これは新手の出張SMプレーで、実はここは男の部屋で、瑤子嬢はM男を対象にした出張ホステスだったのだ。(確かに所帯を構えている主婦の部屋としては殺風景で、製作費をケチったかなと思ったが、このオチで納得できた)「いやあ、勃った、勃った。もう一発くらったら、本当にイッちゃったよ」と男、それならと目に兇暴な輝きを見せコブシを振り上げる瑤子嬢。「勘弁してよ」と引く男。瑤子嬢の目力の強さが効果的だ。

そして、エンドクレジットとなり、後はそれにかぶさる二人の声のみ。「勃っちゃってどうにもならないよ。やらせてよ」「うちはそういうのやってないんです。あっ何するの。キャーッ」その後またボコボコの打撃音が響き、男の悶絶する声がしたところで、クレジットも終了し、場内爆笑に包まれて、エンドマークとなる。

この「殴り女」(「なぐりめ」と読みます)が、見事グランブリに輝いた。たしか240点余といっており、観客は200名以上いたと思うので、ほぼ満票で◎の人も多かったのではないか。私も○をつけました。

御贔屓里見瑤子嬢とのささやかな再会
調布グリーン小ホールは、小といえども200名以上のキャパの会場である。女優さん5人、監督15人には、舞台挨拶を兼ねたトークショーがあるが、こんな場所では、今回は御贔屓里見瑤子嬢とお話できる機会はないなと思っていた。
 ところが、入場した途端に、売店の方に向かってきた瑤子嬢とバッタリ出会った。「いらっしゃい」とにこやかに笑いかけられる。製作スタッフの一員としては、売り子もやるようなのである。

それがいけなかった。「あ、DVD買ってください。過去のグランプリ作品入ってるし、今日は特別に1000円引きですよ」。早速商売熱心に進められる。私はいまだ古い人間で、家にあるのはVHSで、DVDを見るには娘のパソコンくらいしかない。お話もそこそこに、ほうほうの態で遁走した。
 その後、製作の一員の「かわさきひろゆき」さんとも、ロビーで立ち話程度のあいさつを交わすことができた。

終映後、里見瑤子嬢は、あいさつも兼ねて売店の近くに立っていた。ただ、芝居仲間らしい女性に囲まれたりしていたので、「『殴り女』、グランプリおめでとうございます。楽しかったですね。今回は獏の妖精を演ったり、久々に里見さんらしかったですね」「そう今回はそんな役ばかり。『殴り女』楽しかったですか。よかったです」そんな一言二言でお別れしたが、多分瑤子嬢も「殴り女」は楽しく演じたみたいであった。

ついでにこの日に観た「三国志」「細雪」の雑感を
「細雪」は予想どおり堂々たる風格の作品だった。冒頭の蒔岡家の広大な屋敷のセットを、ゆっくりと横移動で捉えていくあたりは圧巻である。オールドファン向けの映画ではあるが、スマートでコンパクトな市川崑版「細雪」を、あんなのは「細雪」じゃない、軽い、と感じる気持も解らないではない。
 ただ、阿部豊版は四女の高峰秀子に焦点を絞っており、市川崑版は三女の吉永小百合に焦点があるのだから、一概に比較はできない面もあった。

「三国史」は、蜀の武将の趙雲(アンディ・ラウ演)にポイントを絞った一代記で、赤壁の戦いはアッという間に通り過ぎ、晩年までを描いている。サモ・ハンキンポー、マギーQといったスターが、原作にないオリジナル役で活躍する。
 サモ・ハンキンポーは、趙雲と義兄弟の契りを兄として交わした男で、これが趙雲に思わぬ運命を引きよせるという役だが、ネタバレになるので、これ以上は記さない。マギーQは、魏の曹操の孫娘で、曹操没後に魏の大軍を率いて、趙雲と宿命の対決を果たす。
 赤壁の戦い直前に、趙雲が曹操の本陣に突入し、あと一歩まで迫るあたりは、まるで「風林火山」か「真田幸村の謀略」かといったところか。「三国志」に名を借りて、典型的英雄伝説をモノした一篇と言えよう。もちろん、こういうやつは、私は大好きである。


平成20年3月2日(月) たまには仕事も面白ろおかしく語ってみますか
この日は、この週の唯一の出社日である。というか、この日だけは休めない日なのである。団塊の世代の技術継承の意味も含めて、2年間嘱託として残ったことを過去に述べたが、その主たる仕事の一つは、事故復旧訓練である。何といっても電力事業は、団塊世代を中心として、現在とは比べものにはならない劣悪な設備の中で、無停電・安定供給を目指し、綱渡りして高度経済成長の修羅場をくぐってきた面々なのである。

私は、電力系統指令屋のOBとして、現役の後輩のトレーナーを務める。訓練トレーナーのイメージは、映画にからめて言えば、最近では「ハッピー・フライト」を思い浮かべてもらうと幸いだ。冒頭、田辺誠一が操縦室で難局に直面し、悪戦苦闘の末ついに海面に墜落する。その瞬間、パッと照明が点灯し、「駄目だ!これじゃ!」との背後のトレーナーの声。操縦室はシミュレータの一部であり、これはパイロット操縦訓練だったのだ。

電力指令者のトレーナーを、今私はやっている。4人がチームを組んで、地元の多摩地区の電力系統指令のトレーナーを行う。「この日だけは休めない」といった事情は、そういうことなのだ。イメージ的には、ほぼ「ハッピー・フライト」に近い。ただ、訓練者がいるのは操縦室のシミュレーションではなく、電力系統状況をCRT表示する指令室のそれである。
 電力系統指令のトレーナーは、パイロットのトレーナーに比べると分かりにくいが、少し、面白ろおかしく分かりやすい例を紹介してみよう。

例えば、地中送電線路の洞道内で火災が起こったとする。消防は送電線を停電させない限り、安全上から消火活動に入れない。しかし、電力マンの立場からすれば、停電は避けたい。できるだけ切替をした後に、送電線を止めたいと思う。しかし、火勢はそんな人の思惑と関係なく広がる。うかうかしていると、送電線は燃やされて、次々と自動遮断していく。切り替えてから止めるか、停電させても消火活動を優先させるか、電力指令屋としては、大変な決断力がいる。トレーナーとしては、決断力が遅れたとみたら、情け容赦なく送電線を自動遮断するしかない。そのシュミレーションは、実務と同様のシステムCRTに反映される。「ハッピー・フライト」の冒頭の訓練が、最初は本当の操縦室に見えたのと同様である。

もっと具体的な例がある。たまにある話だが、精神を病んだ人が鉄塔に登ったりすることがある。火災以上に大変だ。人命がかかっている。この時も切り替えによる停電回避か、人命を優先して停電させてしまうかの間で、電力指令屋の決断力が試される。トレーナーは「駄目だな、停止するのにこんなモタモタしてたら」「もう殺しましょう!」てなことを話ながら、「○○時○○分、鉄塔に登った者は、感電死亡!送電線停止は不要になりました」と指令所に(仮想)現場からの電話を入れる。当然ながら、訓練者は「ハッピーフライト」の田辺誠一同様に、ガックリ頭を垂れる。

もちろん、火災だとか心神喪失者の鉄塔昇塔なんて、滅多に、いやほとんどあるものではない。でも、可能性としてありうることは、訓練して非常時に備えなくてはならない。戦後60年余、一度も戦争をしたことのない自衛隊の仕事は演習であるが、そこに若干の共感を覚える所以である。実際の電力指令は、もっと専門的な技術的内容が多いのだが、映画「ハッピー・フライト」にからめて、一般解りする例を紹介してみました。

2008年度の訓練は、この日をもって最終となる。そこでトレーナー4人が揃っての打ち上げを計画した。酒席では、過去の自分の実務経験も踏まえて、今年度の訓練のさまざまな話題に花が咲いた。
 「映画三昧日記」とは直接関係ないが、より良きトレーナーの仕事には、臨場感を出す演技力も必要で、ある意味で話術・話芸でもある。ということで、これも「映画三昧日記」の一環となる一日であるといえないことはない。


●平成20年3月3日(火) 映芸シネマテーク
この日は予約を入れていた「映芸シネマテーク」の日である。「映芸マンスリー」の発展形の第2回だが、記念すべき第1回は、「無声映画鑑賞会」とバッティングし、悩みに悩んだ末に欠席に至った顛末は、昨年の「映画三昧日記」11月26日(水)に記したとおりである。

上映映画は「PASSION」、「映画芸術」ベストテン第5位作品だ。濱口竜介監督の映画学校卒業製作作品で、先生は黒沢清監督とのことだ。ユーロスペースで披露上映会は開催したが、一般公開は未だという映画である。上映後のゲストトークは、濱口竜介監督、脚本家にして「映画芸術」編集長の荒井晴彦さん、詩人で「映画芸術」編集協力の稲川方人さんといった布陣だ。

29歳の大学同級生数人が、久々に集まった夜から始まる群像劇である。平凡に職に付き、平凡な結婚をして、出産も控えているカップル。婚約をしたものの男の生活力が問題のカップル。その女とかつて愛し合い、微妙な心のすれ違いで別れた男がいる。その女の姉がいて、実は前述の結婚している男は、密かに彼女に思いを寄せている。まあ、こんな三角関係だか四角関係だか分からないややこしい男女関係が綴られていく。

この心理の綾が、たくみに語り分けられていた。最初の10分で全員が描き分けられて印象づけられる。最近の映画には珍しいキチンとした映画話法だ。終盤に、最も平凡な人生を送るだろうと思った妻帯の男が、突如愛がなくても抱けると、一人の女に挑みかかるあたりの急転は鮮烈だった。福原彰監督が「映芸マンスリー」で、デビュー作「うずく人妻たち 連続不倫」中で好助演の中村方隆について、「平凡に生きていた男の、心の底にある凄味を出そうと思った」と語っていたが、そこに通じるものを感じた。

トークショーが始まる。稲川方人さんが「荒井さん、この映画を褒めていましたよね。そのへんからまず一言」と口火を切る。荒井晴彦さんは例によってシニカルな笑いを浮かべながら、「まあ、いいんじゃないの」とポツリ。「それだけですか。荒井さん、あなたは貶すボキャブラリーは豊富だけど、そろそろ歳を考えて、褒めるボキャブラリーを増やした方がいいですよ」と突っ込む。「俺の性分だからなあ。女にも言われるよ。少しは褒めてくれればその気になるのにってね」このやりとりには、爆笑した。いや、実際に馬鹿笑いしてたのは、私一人だったかもしれないが…。

こうして、荒井晴彦さんの辛口批評が始まる。「女教師が自殺したクラスで、延々とディスカッションしてるの、あれ何なの?『ブタがいた教室』よりもマシだけど(と辛口は関係ない映画にまで飛び火する)、意味ないよ、あんなに長々といらないよ。それから、男が女の部屋に夜おしかけたのは、勝負かけたんだろ。それを『寒いけど、外で歩きながら話さない?』ってあれ何だよ。女が部屋に入れたくないから、そう言い出すならわかるよ。男は無理押してでもあがりこまなきゃ駄目だよ」もうメッタ斬りである。

濱口竜介監督は、ほとんど反論も弁明もしない。「教室のディスカッションは転調のつもりだったんですけど…」とモゴモゴ言ったりもしたが、ほとんどはハイハイと素直に聞くばかりで、トークショーとしては盛り上がらず、荒井晴彦ワンマンショーの趣きを呈する。まあ、映画では黒沢清監督の師事を受けたとのことだから、その観点からみれば、荒井さんも先生のような存在なのだろう。議論白熱にならないのは、必然かもしれない。

しかし、こんな光景を見ていると、私が成り代わって反論したくなった。教室のディスカッションは確かに尺が長過ぎるが、これは、自殺者を出した荒れたクラスの議論から、女教師が仕事に嫌気がさすというキックであり、それが、その直後の婚約者の経済力の無さをあぶり出し、彼女の葛藤につながるのだから、監督の言うように、転調の意味は大きいと思う。もう少し効果的に刈り込める気もするが、その結果が115分という尺に関係しているのだろう。昔の映画なら、この内容ならば90分前後にピシャリと納めたはずだ。

「勝負かけたら強引に女の部屋にあがりこめ」なる講評は、ああ、やっぱり荒井さんって男をそうとしか見られない人なんだなと、改めて認識した。男にもいろいろあって誰でも彼でもサカリのついた牡犬みたいな奴ばかりではない。こういう淡白な行動にしか出られない奴もいるのである。そして、その淡白な優柔不断さが、この映画の男女関係を複雑にしているのだから、十分効果的だし、映画的存在感もあったと思う。

打ち上げの飲み会で、濱口竜介監督と荒井晴彦さんにこの話をした。監督は「そう言ってもらえるとありがたいです」とのことだが、荒井さんは百歩ゆずってあんな男がいたとしても、このドラマなら強引に上がり込むべきだと譲らない。でも、荒井さんの気持はよくわかる。荒井さんは作家であり、その人間観察の個性が、多くの優れた作品を過去に生んでいるのだ。でも、映画評の観点からは、荒井さんの言うように直していたら、みんな荒井晴彦映画になってしまうだろう。

山田洋次が、「息子」を見た黒澤明監督に、僕ならこうすると、もっとドラマチックな構想を話されて、さすがだと感心した。しかし、山田組のスタッフは「それでは黒澤映画になってしまいます。山田監督はちがいます」と言ったそうである。

私は「PASSION」の映画話法は上手いと思った。引き合いに出しては悪いが、昨年10月「映芸マンスリー」の上映作品、斎藤久志監督がNBUゼミナールの生徒を出演者に起用した「最初の七日間」は、映画話法が混乱していて、ストーリーが何が何だかさっぱり判らない。打ち上げで監督の解説を聞いているうちに、だんだん判ってきて、瀬々敬久監督が、「ヘェー、そういう話なんだ。面白いじゃない」と変な感心の仕方をしていた。一般公開を目指しているとの斎藤監督の言には、「やめろ、やめろ、みっともない。恥かくだけだ」と荒井さんには散々だった。

話題は映画話法に移った。「『最初の七日間』に比べれば、『PASSION』の一般公開は十分にいけるんじゃないでしょうか」と私が言うと、「あんなのは論外だよ。でも、誰にでも解るような語りは必要ない。『おくりびと』の客なんて考えて語る必要ないよ」と、荒井さんは相変わらず手厳しい。「でも、荒井さんもすべての人に届くような語りは上手いですよ。例えば『絆』なんて、あんな複雑なストーリーを混乱させないで語るなんて見事です」と言った後、前回「映画三昧日記」で記した内容をかいつまんで「神聖喜劇」の脚本の見事さも話した。荒井さんは「絆」の題を耳にしたらムッとして「俺のフィルモグラフィーから抹殺したいのを出しやがって。第一、あんなものイロハだろ」と、サラリとかわされ全く乗ってこなかった。
 荒井晴彦さんは、おそらく撮影所システムの職人技を継承した最後の世代だから、こういうことをサラリと言ってのけられるのだろう。

夜も更けて、宴もたけなわになってくる。女優さんだそうだが、若い女性が荒井晴彦さんに物申しに近づいてくる。「荒井さん、何であんなこと言うんですか。『寒いけど、外で歩きながら話さない?』っていいセリフじゃないですか。私、ジンときましたよ」。待ってましたと私も「いや、ああいう男っていると思うと、今、私も話してたところなんですよ」と呼応する。「いや、俺の言いたいのはね…」と、相手が女性だと荒井さんもモゴモゴと歯切れが悪くなる。こりゃ面白くなってきたわいと思いつつ、時間は私の終電車が気になる11時30分を回ってしまった。そこから先の顛末を見届けることなく、私は会場を後にしたのだった。

ついでにこの日観た「ハルフウェイ」の話題も
3日(火)も、交通費有効活用ということで「映芸シネマテーク」の前に1本消化することにして、ヒューマントラストシネマ渋谷の「ハルフウェイ」15時10分の回に入場する。これは完全に浮きましたねえ。平日の15時過ぎ、お客さんはほとんどが女子高校生、場違いな小父さんは小さくなって観てました。以前も立川シネマシティで平日15時頃の会で「ハイスクール・ミュージカル/ザ・ムービー」で同じ思いをしたが、小父さん、懲りないものである。

「ハルフウェイ」は好きあった北乃きいと岡田将生が、彼の東京進学を巡っての心のすれ違いを描き、話としては他愛ないが、その瑞々しい描写力が、男と女が愛し合う原点に迫る映画になっていた。男と女が愛し合うということは、結局一面で自分を殺し、お互いを殺しあっていくということなのである。

最近は、この手の映画が多いようだ。「レボリューショナリーロード 燃え尽きるまで」なんてその典型だし、流行りの難病+純愛映画と思って観た「余命」も、夫婦とはお互いを縛りあい、お互いの可能性の芽を摘んでいるのではないかと葛藤するお話であった。

でも、シングル志向・晩婚化・少子化の今の時代に、こんな映画がはびこるのは、どんなものだろう。失うものを言うよりも、むしろ、愛し合った二人が共に長年月を過ごすことによって生まれるものの素晴らしさを描いた木下惠介の、「喜びと悲しみも幾年月」「二人で歩いた幾春秋」のような映画こそ、現代に必要なのではないだろうか。

●平成20年3月4日(水) 我が娘との東京ディズニーランドの1日
この日は、我が娘と東京ディズニーランドで1日を過ごすことになっていた。荒井晴彦さんがゲストの「映芸マンスリー」の次の日に、荒井晴彦さんがもっとも忌み嫌う(というようなことを「争議あり 荒井晴彦 全映画論集」に書いている)ディズニーランドに出掛けるとは、皮肉の限りである。
 かくいう私は、ディズニー好きで、ディズニーリゾートフリークだ。娘もその上を行くフリークである。と言うか、親の影響をもろに受けたということかもしれない。荒井さんに言わせれば何ともショムない父娘ということになるだろう。

会社の生協は、ディズニーリゾートのマジックキングダムクラブに一括加入しており、入会金不要で個人が加入できる。ディズニーランドおよびディズニーシーの入園料割引をはじめ、いくつかの特典があるので、積極的に加入した。
 生協ニュースのマジックキングダムクラブ・インフォメーションに、耳寄りな情報が記載されていた。今年の4月15日(水)ディズニーランドに、ニューアトラクション「モンスターズ・インク“ライド&ゴーシーク!”」がオープンする。そして、マジックキングダムクラブ・マジカルチャンスで、オープンに先立ち10日(金)に250組1000名をプレビュー招待するというのである。
 応募用紙はネットで入手し、簡単なクイズとアンケートに答えればよい。ただ、3月8日(日)までに園内へのポスト投函という条件があるのだ。要するに8日(日)までにディズニーリゾートに足を運ばねばならないのだ。娘は応募に乗り気になった。かくして、二人の都合を調整したら、4日(水)しかなかったということなのである。

「モンスターズ・インク」は、私の大好きな映画で、当時2002年ベストテンの2位にランクした。(ちなみにワンはチャン・イーモウの「活きる」)これは、「映画友の会」ではベストワンに輝いた。こういうところは「映画友の会」ならではで、他にこんな粋な選出をしたところはない。(ちなみに本家のアカデミーの長編アニメ賞は、趣味の悪い下品な「シュレック」だった)ただ、最後まで「少林サッカー」との接戦で、集計している実行委員はヒヤヒヤしたそうだが、これも「映画友の会」ならではの楽しい光景だ。「少林サッカー」がワンなんてことになったら、天国から淀川長治さんが、「あなたたち、何バカやってるんですか」と化けて出てくるんじゃないかと思ったそうだ。もっとも「映画友の会」を自ら「愚者の楽園」=「フーリッシュ・パラダイス」と呼んでいた心の広い淀川さんだったから、そうなってもニコニコ見守るだけかもしれない。

アトラクションは全部踏破しつくしたものばかりで、目新しいことはないが、何度来てもディズニーランドの雰囲気はいい。園内の人間がキャストも含めて、本当に穏やかないい顔をしている。ここに来ると、人はトケトゲしい雰囲気がいっさいなくなるのだ。
 とは言い切れない一面もある。例えば、荒井晴彦さんみたいに「ビールもない」なんて渋面を作っている人は、二度と来ないだろう。つまり、この空間が心地よいと感じる人々だけが、リピーターとなって何度も来園しているからこそできるこの雰囲気なのだと思う。

私が、デイズニーランドの隠れた風景として微笑ましく思っているのは、デブ雀である。ここに出没する雀は、これで飛べるんだろうかと見える程、コロコロ太っている。ポップコーン、ピザ、サンドイッチ、チュロスの片が地面に落ち、それをついばんでいる結果だろう。そして、みんな穏やかな心境だから、追い払ったりしない。ベンチで食べてる時などは、ひざに落ちた片を目指して、図々しく上がってくるのだから恐れ入る。それでも追い払う者もいないから、ゆっくりのんびりついばんでいる結果が、このデブ雀の誕生なのだろう。

同好を一にしている人々が集まる空間というのは、何とも言えぬ雰囲気があって私は好きだ。例えばプロレス会場、プロレス者にしかわからないちょっとしたアクションに、どっとドヨメキが起きる。「蛙の会」の湯川博士さんこと社会人落語家・仏家シャベルさん主催の、今や年末恒例となった将棋寄席もそうだ。私は将棋に詳しくないのでわからないのだが、ちょっとした将棋ネタのギャグに、共感を持った笑いが盛り上がる。この時ばかりは、私が将棋者でないことを悔いることになるのだが、この暖かい雰囲気は好きだ。

今回の私のディズニーランド初体験は、昼食をブルーバイユー・レストランで摂ったことだ。アトラクション「カリブの海賊」(「パイレーツ・オブ・カリビアン」の原典、最近映画がアトラクションに逆輸入されジョニ・デのジャック・スパロウ人形が追加された)のスタート地点の夜の河口に、併置されているレストランだ。娘の言によると、通常は予約してやっと入れるそうだが、ダメモトで行ったらうまく入れたのである。ここは、常に夜という想定で、ウェイトレスはいつでも「今晩は」と挨拶するのが洒落ている。席に付いて少したったら、川辺の席が空いたとのことで、再案内してくれる気配りもある。

夜の河口、蛍が飛び交い、アトラクションのボートが静かに通りすぎていく。こういう雰囲気だと娘との話もはずむ。ディズニーランドはノンアルコール世界だが、酒抜きで小一時間も歓談してしまった。ムードに酔ったということだろう。
 飲ん兵衛の私にしても、ディズニーリゾートだけは、酒を飲みたいとは思わない。そんな時間はもったいない。そんな暇があるなら、アトラクション巡りなどをして、もっと雰囲気に浸りたい。ディズニーシーの方は、アルコール販売があるが、そこでも私はビールもワインもそこそこに、アトラクション巡りにいつも精を出しているのである。

それにしても、プラチナペーパーの「モンスターズ・インク“ライド&ゴーシーク!”」プレビュー招待に当選したら、素晴らしいだろうなあ。期待しないで待つことにしよう。

予定ビッシリ3月1週は、まだ5日(木)と6日(金)の二日を残している。5日(木)はアテネフランセ文化センターの特集「小川紳介と小川プロダクション」でこの日を逃すと観られそうもない「青年の海−四人の通信教育生たち」鑑賞。6日(金)は月1でついに11回を数える夢月亭清麿師匠企画の連続講座「物語・落語現代史」。制作は脚本家の河本晃さんで、スタッフとして「OLの愛汁 ラブジュース」の脚本家・武田浩介さんも参加している。清麿師匠自身も映画好きで、映画評論活動もしており、これも映画とは無関係ではないイベントだ。
 「青年の海」は、私の若き頃に深く思いを至らせ、書き出すと長丁場になりそうだ。そんなことで後2日を残すのみなのだが、ここで次回へと項を改めることとしたい。
映画三昧日記2009年−4

前回からの繋がりで、松本俊夫を起点にして、話題を拡げてみたい。


●「主体の客体化と客体の主体化」私なりの松本俊夫理解
前回の「映画三昧日記」で、若かりし頃の私が、「主体の客体化と客体の主体化」なんて舌を噛みそうな松本俊夫の一文に、これぞ映画の本質!と、狂喜乱舞したことを記した。どこまで理解していたかは怪しいものだが、ここで私なりの解釈を述べておきたい。

「主体」というのは、人間が必ずしっかり持っていなければならぬものだ。「主体」は表現行為の核であり生命線である。しかし、この「主体」なるものは両刃の剣でもある。主体!主体!とお題目のように唱えていると、それはひとりよがりの独善に落ちる陥穽が、常に待ち受けているのだ。
 そこで、よりよき主体を確立するためには、自己を「客体化」する視点が必要となる。これが「主体の客体化」だと私は思う。

映画というものは(アニメは別として)、現実の人・物・自然すなわち「客体」を素材にして表現するものである。これは、ドキュメンタリーに限らない。劇映画といえども、フィクションの空間を創ろうとしている人(そして人が創り上げた物)を、すなわち「客体」を記録しているに過ぎない。では、客体ならだれが撮っても同じなのか。そうはならない。その客体は映画作家により主体化されることで、映像表現へと昇華するのである。これが「客体の主体化」だ。

あらゆる表現の原点は、「主体」すなわち作者の頭の中にある。それを、さまざまな媒体を用いて具現化するのが芸術であるが、映画の場合はその素材はすべて客体(繰り返すがアニメを除く。ただし人形アニメは客体かもしれない)なのだ。ということで、映画こそ最も作家の単なる妄想のみに陥らないで、最高で究極の芸術となるのではないか。「主体の客体化と客体の主体化」何と!映画こそ芸術の神髄であることを表す言葉なのか!なんて、二十歳前後の若い頃は、アートシアター新宿文化のサークルあたりで、気炎を上げ悦にいっていたものだ。

そう言えば最近、一面青臭いこんな映画論・映像論を、口角泡を飛ばして論じている映画好きな若者の風景を、私の周辺ではトンとお目にかからなくなった。いや、よく考えたら私の周辺の映画好きに、そもそも若者がほとんどいない。湯布院映画祭は、年々老人会の様相を呈しているし、「映画友の会」の中核も40代からそろそろ50代に持ちあがりそうな気配である。やっぱり、映画は青春期を越えてしまったのだろうか。

●70年万博と松本俊夫
松本俊夫は1970年大阪万博に、せんい館のパビリオン演出で参加している。大阪万博は、ほとんどのパビリオンが映像主体で、まさに映像アトラクション全盛時代の鏑矢となったのである。

ただ、映画作家の反応は、意外と冷ややかだった。というよりは、大島渚などの革新系と言われる人達を中心に、アンチ万博ムードが強かった。今ふりかえると左翼小児病にも見えるような「万博に参加することは、資本の走狗になることだ!」ってな調子である。

松本俊夫は、どちらかといえば革新派と思われていた映像作家である。そこで同陣営の革新派からは、轟々たる非難の嵐にさらされた。松本俊夫は、「表現の場に差はない。ピカソの『ゲルニカ』も万博出展作だ!」と反論した。

せんい館のパビリオンは、確かにユニークだった。まずパビリオンの外観が、「人類の進歩と調和」なるバラ色の未来をうたった総合テーマに背をむけるような、陰鬱・陰惨な創りなのだ。一部が鉄骨むき出しの中途工事現場みたいな状況を呈しており、作業員の人形も点在している。羽だけがパタパタ動く巨大カラスも鉄骨にとまっており、怪奇ムードだ。

パビリオン内も同様で、カラスが不気味に参集し、時折「何だ!何だ!何だ!」とうろたえた群衆の声が、何度となく流される。そんな中で抽象的な光の洪水のダークな映像ショーが展開される。私は、変わっているなとは思ったが何がいいのかはよく解らなかった。アンチ万博派からは「あれでゲルニカかよ!」と揶揄された。ただ、少なくとも「資本の走狗」からはほど遠い表現だったことは確かだ。

●70年万博の映像パビリオンの数々
著名映画監督の参加としては、東京オリンピックつながりか、日本館は市川崑が担当した。他には電力館が恩地日出夫といったところか。

残念ながら、人気パビリオン日本館は、観ていない。70年万博の人気は大変なもので、人気パビリオンは大行列であり、半日つぶすのは覚悟しなければならない。ちなみに、この時の一番人気はアメリカ館の月の石であった。私は会社の友人と一泊二日の行程だったので、半日つぶす大物パビリオンはせいぜい一つだな、とのことになった。市川崑だからといって、私の趣味だけを押しつけるわけにも行かず、大物は万博美術館で手を打つことにした。

ある人は、東西の選りすぐった美術品が一同に会した万博美術館は圧巻と評していたが、私も同感だった。概ね美術館というのはテーマで統一された展示がほとんどである。その意味で、私も一見の価値があったと堪能した。ただし、館内は押すな押すなの大混雑。通常は美術鑑賞といえば、物静かな館内で、気に行った展示のところでは足を止め、ジックリ鑑賞するのが定番だが、万博美術館の場合は、ひたすら行列に押し流されるのみである。日頃美術館なんて行ったこともないくせに、何でここに限ってつめかけるんだよ、と不満に思ったが、ま、私も美術館なんかめったに行ったことのない一員なのだから致し方ない。

映像パビリオンでは、一般的にはあまり評判にならなかったが富士通パビリオンが鮮烈だった。外見は空気で膨らませた幌馬車スタイルで、入場すると巨大円板の端に立つことになり、それが一回転して元の位置までくると退場というスタイルだ。その間に壁面のマルチスクリーンに映写される古今東西の世界各国の戦争や平和の混然たるあらゆる風景を見続けていくことになる。
 「人類の進歩と調和」などというバラ色未来の能天気さは微塵もなく、まさに現在の世界をまるごと提示され、考えさせられる圧倒的な迫力があった。日本のサリドマイド児の映像はとりわけ強烈だった。
 立ち見だからスペースに対して入場者数のキャパは大きく、鑑賞時間は10分程度とコンパクト、円板上の移動という乗り物アトラクションに近い方式であり、それほど行列もできず、待たずに入れるのも良い。同行の友人2人で興奮し、2度も入館してしまったのであった。筑波万博以降、富士通は人気パビリオンとして定着するが、その萌芽はこの頃にあったようだ。

●70年万博と電力館
職業上の興味もあって、恩地日出夫の電力館も観たが、これが実につまらなかった。シネマスコープを縦6面を組み合わせたマルチスクリーンで、何の芸もなくエネルギーの未来が楽観的に綴られる。この当時、映画の方は東映・日活が若者の支持を集め、東宝はぬるいよな、というムードだったが、それを絵に書いたようなパビリオンだった。

これまで述べてきたことからもわかるように、70年万博の映像アトラクションはマルチスクリーンの花盛りであった。あまりにも芸が無さ過ぎるので、小松左京だったか、星新一だったか、「ついでに、女の子たくさん集めて、おかーささーん!って叫ばせろ。お味噌なーらハナマルチってね」と突っ込んでいた。もっとも、この駄洒落を今わかる人は少ないかもしれない。

ただ、電力館で、1点だけすぐれたものがあった。待ち行列の通路にいくつも円筒が立っている。顔を近づけると涼風が上がってくる。とにかく70年万博の夏は暑かった。正に一服の清涼剤だった。そして、筒を覗き込むと、電気をテーマにした久里洋二の短編アニメが映っているのである。筒毎に違うアニメだ。これがいずれも報復絶倒の大傑作なのである。でも、ほとんどの人が気か付かないので、果たして入館者の何人が観ただろうか。もったいないと言えばもったいないが、その奥床しさが、傑作度を高めたような気もする。

●電力会社と万博電力館の変遷
電力館がぬるい東宝系になるのは、小林一三のラインから見ても必然だろうが、この頃の電力会社の体質も大きく関係している。この頃の経営者は「電気は空気のようであらねばならぬ」との方針だった。経済成長と共に増大する電力需要に対し、無停電で黙々と追随して供給する、会社の存在そのものさえ感じさせないのが理想、ということであった。こういう出たがり体質と真反対の精神では、パビリオンが楽しいものになるわけがない。

その後の筑波万博の電力館でも、乗り物形式を取り入れたりしたが、ディズニーランドのあかぬけないコピーといった感じでパッとしなかった。バブルの時代になるとその影響か、東京電力でもCI(コーポレート・アイデンティティ)が始まり、会社のマークも刷新し、でんこちゃんなるアニメキャラも大きく売りだしたりするようになる。(空気のような会社であれ、と言われた昔とは180度の転換だ)他の電力会社の流れも似たりよったりになる。

21世紀の名古屋における愛・地球博の電力館は、入館者数最高の人気パビリオンとなり、確かに出来栄えもそれを裏付けるスマートなものだった。表現というものは、バックボーンによって進化することを感じさせられた万博・電力館の変遷であった。ちなみに愛・地球博の電力館・副館長はキネ旬「読者の映画評」常連で、私の「映画友の会」の友人の東京電力の須田総一郎さんである。(残念ながら館長は地元の中部電力に譲らざるをえない)

●「神聖喜劇」シナリオ化に思う 荒井晴彦さんも秀才か
話がかなり脱線してきた。もう少し映画的な話題にもどそう。
 前回の「映画三昧日記」で、夢野久作の難解な大長編奇書「ドグラ・マグラ」を映画化した松本俊夫について、「原作を深く読み込み、神髄を理解しなければできない見事な映画的再構成だった。松本俊夫は、本当に頭のいい秀才である」と記した。同様な仕事を、荒井晴彦さんも残している。大西巨人「神聖喜劇」のシナリオ化である。荒井さんも大変な秀才なのかもしれない。

「神聖喜劇」も読みにくい大長編だ。軍人勅諭だとか、いろいろな古典の引用だとか、「ドグラ・マグラ」同様に、枝葉が枝葉の域を越えてどんどん増殖し、幹の位置を見失わせるからだ。でも、よく考えると、たった三ヶ月の新兵教育期間の内務班の話なのだから、実はそんなに壮大複雑な内容ではないのだ。
 小説「神聖喜劇」を、「シナリオを読んでから読むか、読んでからシナリオを読むか」と、私は直に荒井晴彦さんに伺ったことがある。「一般の人はシナリオを先に読んだほうが、小説は読みやすいだろうな。でも、シナリオを勉強する者は、やはり小説から読むべきだろう」とのことだった。

一応私は、小説→シナリオの通常の流れで読んだ。そして、やはり荒井さんのおっしゃるように、シナリオが先の方が小説が読みやすかっただろうと痛感した。小説はかなりウンウン唸って読みとおしたが、途中何度も挫折しそうになった。そう思えるほど、荒井さんのシナリオは整理が行き届いていて、且、ダイジェストに陥らずに神髄を貫いていた。荒井晴彦さんを、秀才と感じ入った次第である。

●秀才について考える
秀才というのは、詰まるところ優れた要約力ということではないだろうか。どんなに膨大複雑なものも、「言ってみればこうだ」と一言でポイントをつかめるということだ。

考えると、私の電力会社における後半生は、現場出身の叩き上げ下級管理職として、現場に疎い上級管理職に対して、複雑怪奇な現場の実態を、「言ってみればこうだ」と要約して伝えることしかやってなかった気がする。制御技術課という技術系職場にいた時に、同僚が「うちは制御技術課じゃなく、文書技術課だからね」とユーモラスに語っていた。
 いい上級管理職は、その要約のつかみが正確でスピーディーな人である。そして、優れた技術屋イコール要約力に優れた人かというと、そうでもないところが面白いところだ。むしろ、優れた技術屋であればあるほど、細部に拘泥し、木を見て森を見ない陥穽に陥りがちなのである。

技術系の東京電力という会社でありながら、なぜか経営トップは東大法学部出身者が大半を占める。(最近は流れが変わっているが)東大法学部というのは秀才の宝庫である。秀才とは優れた要約力のことだとすれば、一面では経営を東大法学部が司るのは必然なのかもしれない。
 話がまたまた脱線したが、松本俊夫・荒井晴彦の両氏は、私なんか逆立ちしても近づけない秀才であると感じさせられた「ドグラ・マグラ」「神聖喜劇」であった。

●平成21年2月7日(土) 大傑作になり損ねた「悲夢」
2月7日(土)に、韓流の鬼才キム・ギドク「悲夢」の初日に、新宿武蔵野館に行く。前半は大傑作を予感させ、私は激しく鳥肌を立たせられた。
 オダギリジョーが夢を見ると、全く他人のイ・ヨナンが夢遊病でその行為をなぞる。オダギリは、別れた恋人を未練にも追い回す夢を見るのだが、夢遊病で無意識の中でイ・ヨナンが追うのは、イヤでイヤで別れた元彼というのだから、話は神秘的で混迷を深める。

映像・音楽などのビジュアルは、キム・ギドクの才気が冴えに冴えわたる。驚いたのは、オダギリジョーだけが日本語を話し、それが何の違和感もなく、同じ言語で話し合っているように演出されていることだ。これが、ますます神秘感とクラクラする混迷感を深める。

しかし、これはコロンブスの卵ですねえ。俳優が外国映画に出演する、あるいは、監督が外国の俳優を起用する、これは、まず言語の問題をどうクリアするかに突き当たる。さすが、キム・ギドク、すごい手を考えるものだ。これならオダギリが韓国語を勉強する必要もなく、のびのびといつものペースで演技もできるのである。

女性の留守宅に入り込んで、悪事をするでもなく、むしろ陰でつくす青年を描いた「うつせみ」、援助交際の果てに自殺した親友の軌跡を逆に辿り、援交相手に売春代を返却していく女子高生を描いた「サマリア」、顔が飽きられて愛を失うのを恐れて男の元を去り、整形し別人となって再び愛を得ようとする女を描いた「絶対の愛」。これだけユニークな発想を連発するキム・ギドクの頭の中は、いったいどうなっているのだろうと思う。

ただ、後半は腰砕けになる。夢を見ることでイ・ヨナンを不幸にすることが解ったオダギリジョーは、彼女のために眠らないことを決意する。そんなことは続けられるわけもなく、それでも彼女への愛が目覚めた彼は、永遠に夢を見ないこと、すなわち死を選択する。イ・ヨナンはオダギリの思いに応えるべく、やはり死を選び天国で二人は結ばれる。(象徴的な映像表現をとっているのだが、私はそう解釈した)何と凡庸な結末のつけ方をしたのだろう。

初日なので「ぴあ」の出口調査隊に遭遇した。しかし、これでは喜々として盛り上がれない。淡々と、これまで感じたことの感想を述べて終わった。こんな白けムードでは掲載されるわけはないよな、と思っていたが「ぴあ」3/5号に写真入りで掲載されていた。当日初日の映画の中では決して評価は高い方ではなく、7位で平均79.9点(私の評価は80点)だったから掲載に至ったのか。でも、白けムードを廃してコメントは上手くまとめられていた。さすがプロの仕事である。

出口調査隊には、これまで3〜4度遭遇しており、もっと盛り上がれた映画もあったのに、今回の白けムードが「ぴあ」初登場になったとは、面白いものである。
 過去に「キングダム・オブ・ヘブン」でリドリー・スコットのダイナミックな映像に大興奮して劇場を出た時に、出口調査隊に声をかけられたことがあった。残念ながら次に見る「花と蛇2」の上映時間が迫っているので、丁重にお断りした。リドリー・スコットの次に杉本彩を見にいくなんて、調査隊の女性にどんな親父かと思われただろう。

「悲夢」で、「ドグラ・マグラ」を連想させるところがあった。カウンセラーが、人はすべての生物の記憶を遺伝子内に有しており、夢の中ではそれが顕現すると言うのである。行ったことのない場所を見たり、自分の経験にない感覚を感じることなどが、夢の中ではあるが、そういうものかもしれないと、何となく納得した。

●映画「禅 ZEN」、遺伝子の記憶、宇宙意志、そして宗教
新年早々に「禅 ZEN」を観た。「どう?」と聞かれた場合、私は「ウム、禅問答のような映画だよ」と答えることにしている。
 一般に仏教では、極楽浄土は彼岸にあるとされているが、それは心の中にあるのだと唱えた道元禅師の映画である。それを座禅を通じて見出していくとのことである。
 色っぽい内田有紀に迫られても動じず、「浄土なんてない」と喰ってかかる彼女に、キッとした眼で「それはあるのだ!」と一喝する道元演じる中村勘太郎に、圧倒的存在感があるから素晴らしい。何となく納得させられる。
 でも「寝なきゃダメ」論者の荒井晴彦さんには、絶対創れない映画だよなあ。ピンク映画出身の高橋伴明監督に、こんな深い宗教心があることにやや驚いた。

人(いや生物すべて)は、結局遺伝子の奴隷に過ぎないとの論を目にしたことがある。すべては遺伝子が生き残るために、あらゆる生物を媒介にしていくということである。とすると一つの生命というのは、遺伝子総体が継続するための一要素に過ぎず、一生命の生死は、再び遺伝子総体に回帰していくことに過ぎない。これが、SFなどで言われる宇宙意志かもしれないし、宗教のいう彼岸なのかもしれない。

再び「禅 ZEN」に戻れば、それならば極楽浄土は遺伝子が組み込まれている体内にもあるし、他の宗派が言うところの彼岸にもあるということになろう。私は宗教的なことは解らないが、いろいろ考えさせる「禅 ZEN」であった。

●健康、そして死
2月19日(木)シネマート六本木「60周年記念 新東宝大全集」の「地獄」を見に行く。そこで、湯布院を始めとした映画祭名物男、浜松のT要さんとまたまた出あう。「湯布院東京友の会が盛大のようだね」と、声をかけられる。湯布院映画祭機関紙「THE MAYIM PRESS」の「内田眞の新映画芸術的日常」を読んでのことらしい。「いや、おたべちゃんが東下りした時に、近場の人間が集まってるだけですよ」と説明する。
「いよいよ、私も6月末で嘱託期間が満了になります。Tさんのように、映画祭巡りを始めたいと思います」と私、「そう言う人はいるけど、なかなかそうできるもんじゃないよ」とT要さん。私は、でもそのつもりである。ただ、都内は多様な作品に触れる機会が豊富なので、T要さんほどには各映画祭には出張らないかもしれない。

いずれにしても、健康あっての話である。旅をしつつ、いい映画を見て、痛飲しながら映画の友と語りあう。健康がなければ、どれも不可能だ。後10年もそんなことができるのだろうか。私は、自分ではなぜか、あまり長生きできないような気がしている。遺伝子だとか何だとか、宗教がらみ風のことを考えているのも、そんなことからではないか。70そこそこで終わりかな、と思っている。
 そんなことを娘に言ったら、「そんなことないよ。憎まれっ子は世にはばかるでしょ」「そうか、お父さんは、はばかるかね」「はばかる、はばかる、大いにはばかる」と励まされた(?)。

今、特に持病があるわけではない。「映画芸術」2009年冬号の編集後記で、荒井晴彦編集長が財布を失くしての大パニックを記しているが、失せ物の中に「診察券3枚」というのがあった。そうか、荒井さんも結構病院通いをしているんだ。2007年春号で、市の無料健康診断があるので行ったら、血圧と尿潜血で再検査になったとのことが、編集後記に書かれているが、その延長ということかだろうか。(いずれにしても、こういうことをアケスケに書くのが、荒井晴彦さんの楽しいところだ)

私は東電病院の診察券1枚しか持っていないし、これも3年ほど前の大腸癌の検査入院時に使ったものだ(結果は全く異常なく、別にいなくてもいいですよと、その日のうちに帰された)。他の診察時にもそのまま継続して使えるとのことで持っているだけである。
 私みたいな大企業の人間となると、健康診断漬けである。成人病の年を越えると、年2回会社持ちでジックリタップリやる。これが当然と思っていたら、荒井さんのように体調が悪く市が負担して無料だから行くか、というのが世間では少なくないようだ。夢月亭清麿師匠なんかも、地域で無料でも健診なんか行ったことがないそうだ。
 まあ、人間は電気回路みたいなもので、危うくなれば体調悪化という警報が出るのだから、お二方の方が正解かもしれない。自覚症状が出てからでは手遅れの病もあるが、それは運が悪いとあきらめるしかない。大腸癌の検査入院でのストレスでは、そっちの方で病気になっちゃうかと思ったくらいである。それで、いっさい何でもない、よかったらその日に帰ってください、なんてサラリと言われたら殴りたくなるよね。

ただ、健康診断をタップリしていただいたおかげで、私の体のデータは10年以上保管してある。私の体質は2か所に弱点がある。治療の必要はないが、成人病予備軍の境界域で要経過観察というやつである。まあ、これは誰でも1か所や2か所はあるはずで、私の同年代では、そんなのが何にも無い人が、案外ポックリ逝ったりしている。多少何かあるくらいの方が、暴飲暴食を自粛する効果があるので、いいかもしれない。(全然自粛してないよ、と言われそうですが、でも、あんまり自粛すると、今度はストレスの悪影響もありますね)いずれにしても、健康、そして死ということに射程を置く歳になってまいりました。

「ドグラ・マグラ」をきっかけに、ずいぶん遠くまで来てしまいましたが、今回はこのへんで幕を引きたいと思います。
映画三昧日記2009年−3

●我が「映画三昧」の拠点、立川
一昨年の7月から、月10日勤務の嘱託になった。月10日勤務だと、通勤交通費は実費支給だ。通勤定期券のない男になったわけである。そうなってみたら、いかに交通費というものが高額なのかを、痛感させられた。国分寺の自宅から都区内に出ると、アッという間に1000円前後が消えていく。Suica残高が、アレヨアレヨと減ること減ること、驚くばかりである。

こうなったら、地元の立川を有効活用するしかない。ここならば、交通費は往復でも300円だ。映画の方はシニア料金だから1本1000円である。3本まとめて観ても3000円、昼食を「NEW DAYS」の180円のサービスサンド、もっと安い120円の焼きそばロールで済ませれば、4000円以下で朝から晩まで楽しめるのである。日高屋の390円也の中華そばも愛用している。ここは、レジで約二ヶ月有効のモリモリサービス券をくれる。麺類大盛分(60円)が無料サービスなのである。これなら、満腹感も十分だが、どっちにしたって1日の支出は4000円以下である。

さらに立川シネマシティには、お得なポイントカードがある。入会金はたったの100円で、1回の入場で100ポイントつく。初回に入場すると200ポイントだ。900ポイントで、招待1回である。ということは、1本の単価は、実質900円弱ということだ。こちらの方のポイントはSuicaとは逆にたまること、たまること、アッという間に無料招待に至る。故水野晴郎氏ではないが「いやー、映画って本当にいいもんですよね。(シニア料金って本当にいいもんですよね)」と言いたい心境だ。立川のシネマシティは6スクリーン、CINEMA・TWOが5スクリーンだ。合わせて11スクリーン、メジャー作品のほとんどは、ここでフォローできるのである。

立川シネマシティは、大手系列のシネコンではない。独立系の平屋の映画館だった3館ほどをビルに改築し、6スクリーンを収納したものである。何年か後に、CINEMA・TWOの5スクリーンが別棟で追加された。番組編成もかなり自由のようで、メジャー以外の単館系の映画も、結構ここで観ることができる。特に地元の多摩地区ということもあろうが、三鷹の森ジブリ美術館配給の、都内でも渋谷のミニシアターあたりでしか上映していない「雪の女王」や「動物農場」もかけてくれるのは、嬉しき限りである。

ただ、CINEMA・TWOはシネコンのスタイルだが、シネマシティ(一般にはシネマシティ1と呼ばれている)の方は、厳密に言えばシネコンではない。チケット売り場こそ1階にまとめているが、ロビーは各館別々である。シネコンというよりは、今やあまり見られなくなったム−ビルに近い。

CINEMA・TWOは、シネマシティ開館から何年か時間を置いてオープンしている。立川は多摩モノレールが開通してから、大変な盛り場になった。これまで都区内に流れていた中央大学・明星大学などの学生の足が立川に向いたのをはじめとして、乗降客数がおなじ中央沿線の吉祥寺や八王子を越えたそうなのである。その勢いに乗ってシネマシティも盛況を極めた。是非シネマシティの拡大をとの地元の要望で、CINEMA・TWOのオープンとなったようだ。立川の映画観客は吉祥寺あたりに比べて年齢層が高く、映画に来た人が、食事やショッピングで平均一人2000〜3000円の金を落としていくそうなのである。それなら地元もスクリーン増を求めて当然だ。(ちなみに多摩モノレールの効果はかなりのものだと痛感したのは、高幡不動である。私が近くの東電学園教務課に勤務していた頃は、京王線の駅のみで、ほとんど参詣客が対象といった感じの田舎の駅だったのに、モノレールが交差した今、駅前の繁華街ぶりは、大変なものになっている)

いずれにしても、立川が映画の街として栄えるのは、嬉しく楽しき限りだ。

●気分は毎日、映画祭
立川でフォローしきれない映画を都区内に出張って見る場合は、交通費もかかることから、できるだけまとめ観することを心掛けている。
 まず、核になる映画と行く日を決める。日時が決まっている試写会、日替わりのように目まぐるしく番組が変わる特集上映、上映期間が短く見逃すと次の機会が少ないピンク映画などが、核を構成する。核が決まったら、後は立川でひろいきれない上映中の単館系映画を、「ぴあ」でチェックし1日のスケジュールを組み立てていく。

しかし、必ずしもタイムスケジュールがうまく組めるとは限らない。1時間前後の空白が生ずる場合もある。その場合はド・トールなどの安いコーヒーショップで、読書にあてることにしている。
 一昨年に定年になり、月10日勤務の嘱託になったら、読みたいものがどんどんたまるようになった。定年までは、往復2時間強の通勤時間を、私は読書時間に充てていた。定年後、勤務先が都心から地元の八王子になって通勤時間も大幅に短縮し、勤務日数も半減したのだから、読書時間が減り、読みたいものがたまるのも必然である。長距離通勤というのにも、怪我の功名があったのだ。その意味では、読書時間がとれるタイムスケジュールの空白も悪くはないということだ。
 立川でも同様の空白が生じる時もあるが、こちらの場合はCINEMA・TWOのロビーが広々としているので、コーヒーなどの無駄な出費もせず、読書時間をゆっくりと楽しむことができる。

ただし、スケジュール空白は、読書だけに使うわけではない。空白が昼食時の場合は、ビールを一杯傾けながらランチをゆったりと楽しむ時もある。湯布院映画祭で、すでに見た映画の上映の時はパスして、ビール片手にランチを楽しむこともあるのは、度々「湯布院映画祭日記」で記したが、その延長の気分といったところか。こうなると私としては「気分は毎日、映画祭」である。

しかし、平日の場合、場外馬券がある浅草とか、昨年1月5日(土)「立川の街に想う」の項で紹介した立川競輪客がたむろしている定食屋兼居酒屋とか、出張サラリーマンや旅行客が列車待ちでビールジョッキを傾けている光景が多い上野のレストランとかはともかく、場所によってはサラリーマンの昼食ラッシュの中に巻き込まれたりすると、「おねえちゃん、ビール1本、あ、堅気の衆が額に汗して働いてるのに、昼から飲んでちゃまずいか」なんて寅さんの心境になって、自粛したりもしてしまうのである。そこは、観光地の湯布院のようなわけにはいかない。

湯布院映画祭の大先輩、浜松のT要さんとよく都区内の特集上映で出会うことを、これまで「映画三昧日記」で記してきたが、T要さんが上京するときは、こんな調子で映画館巡りをしているのだろう。(昼ビールは別としても)T要さんはこれに加えて全国映画祭巡りもしている。私は、さすがに月に10日の嘱託勤務とはいえ、映画祭巡りをする程のまとまった時間はなかなかとれない。でも、今年の6月末には嘱託も満了となる。T要さんの境地に至れるのは、あと一歩である。

平成21年2月13日(金)ほろ酔い気分のピンク鑑賞
2月13日(金)、この日は都区内にでかけてみようかと思う。昨年年末公開で、ピンク大賞は今年度対象作品の、私が注目する一人の吉行由美監督作品「裸身の裏側 ふしだらな愛」が、新宿国際劇場で上映中である。併映の旧作は、「変態催眠 恥辱いじめ」と「どスケベ坊主 美姉妹いただきます」だ。「変態催眠」は、私はすでに見ている。

まずは「変態催眠」以外の2本をクリアすることで、この日のスケジュールを組むことにする。そこで、「変態催眠」の開始時間を電話で問い合わせる。11時と14時10分とのことだ。問い合わせたのは12日(木)、上映期間は11日(水)〜20日(金)、念のために「上映期間中は時間は変わりませんね」と念を押す。

さて、ということは「変態催眠」終映の12時頃(ピンクはほぼ1時間と決まっているので)から14時10分まででピンク2本を観終わり、さてその後はと目ぼしい映画を「ぴあ」でチェックするが、これがうまい時間帯なのがない。どれもこれもお目当ては16時前後の開映ばかりである。じゃあ、しょうがない。27日(金)まで上映してはいるが、この際に[シアター]イメージフォーラム「幻視の美学・松本俊夫回顧展」の、見逃していた「ドグラ・マグラ」の16時20分の会を押さえることにしよう。空き時間はコーヒーショップで読書時間と決めた。

「変態催眠」は、故林由美香さんと御贔屓里見瑤子嬢が、客演ではあるが出演している。時間つぶしに多少覗いてみるのも悪くはないかと、若干早めに家を出て、11時30分頃に劇場前につく。あれ?「どスケベ坊主」上映中じゃない。次が「変態催眠」?オイオイ、どうなってんの?と相成った。

救いは、これまでには無かったチラシが、劇場前に置いてあったことだ。それで、土曜日はオールナイトがあるので、金・土は上映時間が変わることを確認した。電話でそんなこと言わなかったじゃない。まあ、「ぢーこ」さんが遭遇した山場のラストをカットして終映したほどにひどくはないにせよ、ピンクの客なんてものは、こんな風にいい加減にあしらわれるものかなあ、ということを感じ入った。

でも、この初見参のチラシはよかった。これまでは、上野オークラ劇場のチラシがデータ性がしっかりしていて良かったのだが、唯一の弱点は公開年度が記されてない(当然、新版改題再映であることも記してない)ことだった。興行的見地からは、旧作を全面に出したらマイナスなので、致し方ないと思わぬでもない。でも、新宿国際劇場のチラシは、公開年もはっきり明記していた。今後、チラシを継続発行するのかどうかは定かでないが、是非この線で(さらに新版改題再映の時はそれも明記して)続けてほしいと思う。

さあ、困った。これから3本見ると終映は15時10分、いや、それでも渋谷のイメージフォーラム16時20分「ドグラ・マグラ」に十分まにあうじゃないか。待て待て、「変態催眠」の上映は12時5分〜13時5分だろ。その終映までに入場すればいいとして、今は11時30分過ぎか。よし、ゆっくりランチとビールで、「気分は映画祭」パターンだ!と意を強くする。

でも、冷静になったら、ここは場外馬券の浅草でも、列車待ちの上野でも、競輪の立川でもない。これから新宿は堅気の人間のランチタイムだよなあ。ビールなんて飲んでちゃ気が引けるよなあ。じゃ大盛無料サービス券のある日高屋での390円中華そばで、おとなしく昼を済ませることにするか。でも、歌舞伎町の日高屋なら、ビール飲める雰囲気もあるかな。それとも食事だけして、早目に「変態催眠」の由美香さんと瑤子嬢の客演を楽しむのも悪くはないか。悩みに悩んだ末(大した悩みじゃないが)、結局は近場のメインストリートにある日高屋に入店した。

とりあえずサービス券で大盛中華そばを注文してふと見たら、近場のカウンターでビールジョッキを傾けてる人がいる。ウム、さすが新宿、平日でもこうなんだ。急きょ私も、つまみになりやすい「つけ麺」に注文変更し、ビールを頼む。この後、昼食時でお客さんが増えて来たが、ビールを注文している人が少なくなかった。新宿の土地柄なのか、こういうものは結局のところ、私が飲んでるのを目にしての相乗効果なのか。本当のところはよくわからない。

かくして、13日(金)のピンクは、ほろ酔い気分で眺める林由美香さんと御贔屓里見瑤子嬢の鑑賞からスタートしたのである。この先は「ピンク映画カタログ」に足を延ばしてもらえれば幸いです、って早い話がさもしい「ピンク映画カタログ」のPRでした。

●平成21年2月13日(金)「ドグラ・マグラ」に思うこと
「ドクラ・マグラ」は、夢野久作による大長編の奇書である。難解とも読み難いとも、一般的には思われている。
 作品中の、古典伝承やら、精神病理学の研究論文やら、登場人物が書いた小説中小説やら、果てはチャカポコチャカポコが繰り返される阿呆陀羅経のとりとめもない文句など、枝葉の部分に果てしなく脱線していき、読者をクラクラ眩暈させる混沌の世界に投げ込んでしまう。これは、とても映画にまとめあげられる代物ではない。

私は「ドグラ・マグラ」を、壮大なSFとして楽しく読んだ。1988年「SFマガジン・オール・タイム・ベストSF アンケート」で、1位「脱走と追跡のサンバ」(筒井康隆)、2位「果しなき流れの果に」(小松左京)に次いで、「ドグラ・マグラ」を3位に投票した程である。残念ながら「ドグラ・マグラ」をSFと見る人はあまりいないようで(そんなジャンルの範疇を越えた壮大な奇書という位置付けなのだろう)、集計結果では50位圏外であった。

この奇書を、秀才といわれ卓抜した映像理論家でもある松本俊夫が、映画化したのだ。若き20代の頃の私にとって松本俊夫は、大島渚と並んで神様のような存在だった。「主体の客体化と客体の主体化」なんて舌を噛みそうな一文に、これぞ映画の本質!と、狂喜乱舞したものだった。その松本俊夫が、私が大評価する「ドグラ・マグラ」を映画化するのだから、必見の作品であったはずだ。しかし、公開当時1988年の私はこの時41歳、会社では働き(働かされ)盛りで、家庭(家族サービス・育児)的にも多忙であり、とてもここまでの自主映画作品に手が回らなかったのだ。21世紀になって、やっと出会うことができたのである。

松本俊夫は、どちらかといえば前衛的映像作家である。その松本俊夫が夢野久作の大長編奇書を映画化するのだ。どんな難解な映画ができるのだろうかと想像した。ところが、当時の世評は「極めてわかり易い」とのことだった。これは意外だったが、今回初めてそれを我が目で確認できた。

「ドグラ・マグラ」は、枝葉に果てしなく埋没していくので、そこに幻惑され振り回されてしまい、読み難く思うのかもしれない。松本俊夫は、そんな構成に引き摺られることなく、見事に流れを整理して映画化してみせた。なるほど、こう観ると、「ドグラ・マグラ」のストーリーは、そんなに複雑でも難解でもない。

だが、まちがってはいけない。これは単なる小説のダイジェストではない。夢野久作の精神を確実に捉まえており、しかも抜けもないのである。映画になりにくいと思われた「チャカポコチャカポコ」の阿呆陀羅経ですら、巧みに映画に組み込んであるのだ。これは、原作を深く読み込み、神髄を理解しなければできない見事な映画的再構成だった。松本俊夫は、本当に頭のいい秀才であることを痛感した。

ただ「胎児の夢」の部分は、いたしかたないが映像化しきれなかった。人は生まれる前の胎児の時に、単細胞生物から人類までの進化を、胎内で経験する。(実際に生物学的進化の過程を羊水の中で体現するそうだ)すべての生物史の記憶を夢見るのである。いや、「ドグラ・マグラ」の世界そのものが胎児の夢の中のことなのかもしれない。この壮大な入れ子構造の夢魔世界構築までには、至らなかった。いや、これは文字から発する無限の抽象的スケールの小説世界のもので、どんな天才・秀才でも映像化は不可能であろう。

松本俊夫を基点にして、いろいろなところに話題を展開したくなってきたが、かなり長尺になりそうなので、続きは次回としたい。
映画三昧日記2009年−2

ご無沙汰してしまいました
ずいぶんご無沙汰の「映画三昧日記」になってしまった。「ピンク映画カタログ」の方もかなりご無沙汰したが、こちらは新作激減の波及という物理的理由である。変な話ではあるが、その影響で「映画三昧日記」もご無沙汰になってしまったのだ。

触発してくれた「黒い手袋」さんに感謝
「ピンク映画カタログ」と「映画三昧日記」には、何の関係もなさそうだが、そうでもないことを認識した。物を書く営為というのは連動効果があるようだ。ピンク映画について書いているうちに、何となく一般映画のネタが頭をかすめ、「映画三昧日記」をまとめる気になってくるのである。
 そんな中で私の掲示版に「黒い手袋」さんから、映画ベストテンに関する書き込みがあった。これを機会に、私なりのベストテン感を基点にして、いろいろなことをまとめてみたくなってきた。触発をしてくれた「黒い手袋」さんには、大いに感謝である。

ベストテン投票者に必要な自覚と見識
私は、オフィシャルなベストテンや映画賞の投票者には、「映画史」の一頁を造るとの自覚と見識が必要だと思う。我々ファンの人気投票とは訳がちがうのだ。ましてや、ベストテンといえばほとんどオフィシャル記録として紹介されることの多いキネマ旬報ベストテンの選考委員は、特に自覚してほしい。正にその結果は「映画史」になっているのである。最近の選考委員のベストテン選評に、ド素人の放言に近いものが少なくないのは、誠に残念だ。

必要な見識とは何か?
映画の良し悪しは、しょせん各自の感性の問題である。最終的には好き・嫌いの次元に収斂するのはいたしかたない。素人のファンなら、それ止まりでいいだろう。しかし、プロはそうであってはいけない。だから、プロなのだ。
 プロは、各々がそれぞれの映画観を有するべきである。その映画観に基づいて独自の映画史観を構築するべきだ。1本の映画を鑑賞するということは、その作品そのものを自分なりの映画観をもって堪能するのは当然だが、さらに自分なりの映画史観の中での作品の位置づけも、併せて吟味するべきであろう。
 自分なりの映画観・映画史観といっても、一朝一夕に確立するものではない。多くの作品を観続けることによって、ジックリと醸成されていくものだ。そして、それは不変ではない。1本の映画を自分なりの映画史観の中で位置づけることによって、その映画史観そのものも変質・進化していく。そのようにして映画観・映画史観を深めていく。その繰り返しによるダイナミックなフィードバックがあればこそ、プロとしての見識が出てくるのであろう。ド素人の私だって、拙い頭でそういう営為を続けている。ましてプロならば当然だろう。そうでなければ映画評論家とは言えまい。映画評判家に過ぎない。(各自の映画観は、さらにその人の社会観・人生観・歴史観にも密接に結びついてくる。当然、そちらの方も深める努力が必要だ)
 私が、新作と併せて、見逃したクラシックの歴史的名作や気になる旧作をこまめに追い続けるのは、私なりの欠落したパーツを埋め、より私の映画史観を深化(進化)させていく作業でもあるのだ。

見識に必要な最低知識
映画観といい映画史観というが、それを確立するためには映画知識が必要である。「映画検定」がすべてとは言わないが、いやしくもプロの映画評論家を名乗るなら、1級合格相当の知識は、最低限持つべきだと思う。
 昨年の12月17日(水)の「映画三昧日記」で、新文芸座「野上照代が選んだ映画たち」の中の「限りなき前進」を観たことを記した。内田吐夢監督の主旨を捻じ曲げた改悪再編集版を、監督の意思を反映した字幕挿入で補完した不完全プリントである。
 終映後、野上照代さんと「おすぎ」のトークショーがあった。「おすぎ」の「公開当時の評価はどうだったんですか」との問いに対して、野上さんは「高かかったんじゃないですか。キネ旬のベストワンだったんですから」と答えたら、「へー!そうですか」と「おすぎ」はビックリしていた。
 オイオイ、プロならばそのくらい知っとけよという感じである。前年に226など発生している暗澹たる社会の中で、この救いのない社会派映画が、昭和12年に圧倒的な評価を得た意味を、プロの映画評論家ならば映画史の中で考察しておいて然るべきである。考察どころか、そのベース知識も欠落しているのだから、何をか言わんやだ。
 その後に「おすぎ」は「大変なもんだったんですね。昔のキネ旬ですからね。(その程度の権威の違いの知識はあるらしい)今のキネ旬はね、私はほとんど世話になっていないし」と歴史的無知に対して、弁解にもならない弁解をしていたが、語るにおちた感じである。
 「おすぎ」をたまたま槍玉に挙げてしまったが、何たってその彼が日本を代表する映画評論家の一人なのだから、同工異曲のプロはまだまだ沢山いそうな気がする。これでは、オームの法則を知らない奴が、電力事業に携わっているようなものだ。プロの技術屋の世界では、そんな危なっかしいことは許されないし、認められるものではない。こう例えれば、現在の映画評論界がどんなに歪んでいるか、お解かりいただけるでしょう。

「エグザイル/絆」のベストテン入りに思うこと
キネ旬「読者の映画評」の常連で、「映画友の会」の私の友人の須田総一郎さんは、最近では珍しく、新作だけでなくクラシック・旧作をこまめに観て勉強している人である。私より7〜8歳下の世代だが、もはや歴史的名作の鑑賞本数では、私を凌ぐ域に迫っている。(映画ファンの集まりの「映画友の会」でも、最近は本当にクラシック・旧作を観る人は少ない)
 須田さんと「エグザイル/絆」の話題になった。彼は「題名はすぐ浮かばないんですが、昔の撮影所システム全盛の日本のギャング映画の方が、こういうのはもっと上手かったんじゃないですか」との意見だった。その時点で私は未見だったので、その程度ならわざわざ観る程のことはないな、と思った。ところが、その直後にネットでキネ旬ベストテン入りを知った。(その後に、私の掲示板上で「映画秘宝」ベストテン入りも「黒い手袋」さんに教えられた)
 これでは観ずばなるまいと、早速観に行った。須田さんの意見は正解だった。早い話が東映の「暗黒街最後の日」か、日活の「斬り込み」か、といったところである。むしろ、鶴田浩二・大木実・丹波哲郎とか、渡哲也・藤竜也とか出演者に馴染みがある分、そちらの方に親しみを感じる。
 「映画友の会」でアニメ研究家の「おかだえみこ」さんにその事を話したら、同意してくれた。「そうですよ。そういう昔の映画の楽しさを知らないで、あんなものを持ちあげるんですよ。しかも、そういう昔の映画は、観た後でああ楽しかったって帰りますが、ベストテンなんて言わないですよね。そういうもんですよ」
 最近隆盛の韓国映画や中国系映画は、日本の撮影所システム(当時は諸悪の根源のように言う人もいた)全盛時代の叩き上げた日本映画の素晴らしさの影響を、かなり大きく受け、教科書にもなっていると思う。そういう映画史観的な見方も、必要なのではないか。

2008年「映画芸術」ベストテン選考方法について
「黒い手袋」さんが、2008年「映画芸術」ベストテン選考の変更について話題にしている。この変更理由は単純な話なんですね。編集長が変わったから、変わっただけの話です。
 前編集長の武田俊彦さんは、ベストはベスト、ワーストはワーストと区分けして考えるべき、との方針の人でした。ただ、そのまた前の元編集長の荒井晴彦さんは発行人のポジションに残っているわけですから、荒井さんは難色を示し、それを説得した結果が、昨年の選考方法だそうです。
 その後、武田編集長は退社し、荒井晴彦さんが編集長に返り咲いたのですから、荒井さんのポリシーに戻っても、不思議でも何でもありません。むしろ必然でしょう。

ベストテンが「映画史」であることに、ある意味自覚的な荒井晴彦編集長
冒頭で私は、ベストテンは「映画史」の一頁だと述べた。そういう意味では荒井晴彦さんはそのことに対し、悪達者に自覚的だと言える。
 たぶん荒井晴彦さんは、自らが発行・編集する「映画芸術」ベストテン史において、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」にも「トウキョウソナタ」にも、断じてベストワンという記録を残したくなかったのではないか。両作品に自らマイナス10点を投じ、さらに「ノン子36歳(家事手伝い)」にはプラス10点をブチ込んで、見事に「ノン子」をベストワンへと祭り上げた。
 「連赤」については、私は湯布院映画祭で「内面が何も描かれていない。あれじゃアクションドラマだ」との批評を、荒井さんから直接聞いているし、「状況」誌の「緊急特集:『実録・連合赤軍』をめぐって」の中でも、かなり辛口発言を荒井さんはしている。「映画芸術」2008年秋号の編集後記でも「『実録・連合赤軍』批判を小林俊道に却下された」との記述もある。まあ、荒井さんの心情はわからないでもない。
 でもねえ、私の湯布院映画祭の知人であり、荒井さんシンパを自任している一般人の岡本安正さんを突然今年になって引っ張り出してまでして「連赤」引きずり下ろしに走るなんて、ちょっと子供っぽい気もしないでもない。結果としてこうなったのならともかく、途中経過を把握できる編集長が、結果を徹底的に左右する票を投じたり画策するなんて、どんなもんだろう。まあ、ある意味でこんな稚気満々なところが、荒井晴彦さんの魅力なのかもしれない。
 このあたりの詳細な分析については、「黒い手袋」さんが私の掲示板上でリンクを張ってくれた柳下毅一郎氏の2月3日付のブログがある。「黒い手袋」さん、楽しく読ませていただきました。ありがとうございました。

この稚気は、シナリオライター・荒井晴彦に通じる(?)
前述した私の映画史観のパーツを埋める一環として、昨年12月23日(火)に荒井晴彦さんの脚本デビュー作「新宿乱れ街 いくまで待って」を、やっと観た。70年代後半以降の日活ロマンポルノは、私の働き盛り・子育て期間にかぶっており、あまり多くを観ていないのだ。
 この処女作を観て、荒井さんは私とは全く違うものの見方の人だな、と痛感した。その後の作風の典型が、すでにここに出ている。ここまで女との性と愛に骨がらみになるという感覚は、全く私に無縁である。
 「にっぽん脚本家クロニカル」で荒井晴彦さんは面白い発言をしている。「僕の年代で抹籍っていうと多分学生運動で処分されたんじゃないかと思われてて…(笑)。女にフラれて授業料を全部飲んだというだけですよ(笑)。(中略)ありがたい誤解の上に依拠して、俺も今まで生きてきたけど。今日は正直に話すとね。」
 そこまで、女にのめり込み、性と愛に骨がらみになるなんて、私には到底理解の外の世界だ。私は、ここにある意味での稚気を感じるのである。
 愛とか性とかは、遺伝子を残したい生物的本能に基づくもので、私はそれ以外の部分には全く拘泥しない。本来は、交わることのない二つの性が、子供を育てるという媒介を通じ、反発しながらも価値観を共有しあい、お互いに影響しあっていく。それが異性との最も楽しい関係であり、だから私は、最も映画を観られなかったにも関わらず、30代後半から40代の子育て期間に、今でもある種の充実を感じる。
 もちろん、人間には二つの性があり、そこに人生の潤いがあるのも事実だ。私も女性の知人とのおつきあいは、同性と異なった楽しい部分を感じる。でも、子供や子育てという共通の価値観がない限り、やはりかなり感性のちがう生き物同士だから、ある程度の距離を置くあたりに止めたい。深い関係を求めて口説こうなんて、全く思わない。おまえがモテないからそう言うんだろうと言われそうだが、それも確かであるが、口説くことに情熱を持たない男は、それだけでモテない一要素を有しているとも言える。男と女の深い関係なんて、子供の媒介がない限りかなり鬱陶しいもので、「摩擦」が目的ならば、ビジネス的関係の方がよっぽど気が楽である。
 こんなことを言うと、今でも男と女の関係に骨がらみの情熱を注ぐ荒井さんから見れば、ひどい朴念仁としか思うまい。そんな荒井さんに、私はある種の稚気を感じる。確かに荒井さんと私とは、全然ものの見方がちがうようだ。アレレ、荒井さんのこと喋ってるはずが、いつの間にか俺のこと喋っちゃってたな。

キネマ旬報賞の光と影
人間、好きな映画だけを愛でていればいいと思うのだが、嫌いな映画の足をどうしても引っ張りたいという姑息で陰険な精神から、どうも自由ではいられないようだ。1987年のキネマ旬報ベストテンでは、保守派を中心にした「ゆきゆきて、神軍」嫌いの選考委員が中心となって、「マルサの女」に票を集中させ、ベストワンを阻止したなんて噂がたった。
 翌1988年のベストワンは「となりのトトロ」だったが、何故か前年までのベストワン作品監督が自動的に監督賞受賞になるルールが変更され、別枠投票になった。(読者選出監督賞は、今だにベストワン作品の監督が受賞するルールが継続している)結果として、第2位の「TOMORROW/明日」の黒木和雄監督が受賞した。意地でもアニメーション監督に賞を取らせたくない偏見からではないかと、アニメファンを憤慨させた一件だった。

1973年キネマ旬報ベストテンの「仁義なき戦い」潰し
もっと露骨であからさまだったのは、1973年の「仁義なき戦い」潰しである。何故か、年末に1回だけ「有料」試写会を開催しただけの根拠で、「津軽じょんがら節」を、同年の選考対象に加えたのである。「仁義なき戦い」は年頭の正月映画で印象が希薄になり、年末の「津軽じょんがら節」のインパクトが強かったせいか、「仁義なき戦い」に拒否反応を示す保守派選考委員が大挙して「津軽じょんがら節」に集中投票したせいか、とにかく「仁義なき戦い」は2位に甘んじて、「津軽じょんがら節」がベストワンとなった。
 後にキネ旬誌上のコラムで、保守派重鎮の選考委員・南部圭之助が「血生臭いヤクザ映画がトップをとらなくて、本当によかった」との意味のことを書いていたので、確かに「仁義」潰しはあったような気がする。
 キネ旬以外では「津軽じょんがら節」は1974年扱いになり(いや、キネ旬でも読者投票は翌年扱いになるというヘンな話だった)、1年経って印象が薄れたせいがあるかもしれないが、それなりの評価はされても、とてもとてもベストワンを争うなんてレベルではなかった。現在、映画史的に振り返っても1973年を代表する映画は、「仁義なき戦い」というのが妥当だろう。

意図的に仕掛けられた日活ロマンポルノ評価
「映画芸術」荒井晴彦編集長のような稚気のようなものでなく、編集長が意図的にベストテンに仕掛けを行った例がある。1972年における「キネマ旬報」の白井佳夫編集長だ。71年末に産声をあげた日活ロマンポルノは、翌年のこの年に注目作を連発させた。だが、一部の心ある選考委員を除いて、ほとんどは黙殺に近かった。そこで、年末に選考委員を対象に、大々的に代表作何本かの試写会を、キネ旬で開催したのである。
 この仕掛けは正しい。映画は観てなんぼである。観なくて何が言えるのか。結果として、年末でインパクトが強かったせいもあったろうが、「一条さゆり 濡れた欲情」「白い指の戯れ」の2本が、堂々とベストテン入りを果たすのである。
 1972年は映画史的に見て、ロマンポルノ台頭は無視できない流れだ。適切な映画史を残すことになった白井佳夫編集長の仕掛けは正しいと思う。

伊佐山ひろ子主演女優賞の功罪
ただしこの仕掛けは、もう一つの鬼っ子を誕生させてしまった。主演女優賞の大本命と思われていた「忍ぶ川」の栗原小巻を押しのけて、ロマンポルノの伊佐山ひろ子が受賞してしまったのである。
 これが、新たな波紋を呼ぶ。保守派の選考委員の代表格の津村秀夫が、「ポルノ女優が受賞するような賞には参加できない」と、次の年から選考委員を辞退したのである。
 多数決の民主主義なんだからしょうがないし、子供っぽいと、当時は津村秀夫に好意的な人は少なかったような気がする。若かった頃の私もそう思ったし、ポルノ云々の偏見は、度し難いと思った。
 しかし、歳を重ねた今に振り返ってみると、妥当性も感じないではない。栗原小巻と伊佐山ひろ子のその後の女優としての軌跡を見るにつけ、まして「忍ぶ川」は大女優の栗原小巻の決定的代表作である。映画史的にどう考えたところで、1972年を代表する女優の顔は栗原小巻であろう。伊佐山ひろ子の位置は、新人賞か特別賞といったあたりか。良し悪しは別にして、昔は自分なりの映画観・映画史観をある意味では頑迷に譲らない硬骨漢が多かった。津村秀夫もその一人だった。それがプロというものだろう。

南部圭之助の映画観・映画史観
津村秀夫と並んでの硬骨漢に南部圭之助がいた。私が若かった当時は、二人とも頑固でヤナ親父だなと思っていた。
 でも、今思い返すと南部圭之助は、演劇教養をベースとした独自の映画観・映画史観を有し、そこから外れたものは頑として認めない凄みがあったと思う。
 だから、パゾリーニは認めなかった。キューブリックも解り難いと言って、積極的に評価しなかった。演劇教養をベースとした彼の映画観にあっては、そこから外れて飛び出てきた変化球は、一切認めないということだ。
 「2001年 宇宙の旅」が、世評が着々として高まっていく中で、「何が何だかさっぱり解らない」と喝破したのは、むしろ爽快だった。自分の映画観・映画史観から外れているものに対してまで、世間に媚びて同調することもないということだろう。解ったふりをする方が罪悪だ。むしろ私は南部圭之助に、潔よさを感じた。それも、これも、プロとしての見識が確立しているからこそできる発言だと思う。

1968年「2001年 宇宙の旅」初公開時の思い出
今でこそ映画史上のベストワンに選出されたりして、大傑作として定着した「2001年 宇宙の旅」であるが、リアルタイム1968年の初公開を知るものとしては、むしろ最初の観客反応は冷え冷えとしていた印象が強い。面白い!と声が上がって続々と客がつめかけた同時期公開の同じSF映画「猿の惑星」と好対照であった。
 この頃、「映画友の会」の同年代のO氏・S氏と私のトリオは、映画以外にSFとプロレスを共通に愛する貴重な友人であった。今と異なり、映画ファンにSF者やプロレス者は皆無の時代だった。この3人が連れ立って、テアトル東京の初日初回に集合した。
 意外や、太古の地球から幕を開ける。猿人の生活から闘争へと至る過程が、ノーセリフで延々淡々と綴られる。何が始まるのか、私は静寂の描写にドキドキする。しかし、満席の場内の空気は、次第に冷えてくる。「何、やってんだよ〜」という雰囲気になってくる。
 一人の猿人が動物の骨を武器にして、相手を叩きのめす。歓喜の雄叫びと共に骨は空中高く投げ上げられる。クルクルッと回った骨は、突如宇宙船に変貌する。この瞬間、私は鳥肌がたった。何と一瞬で、シムプルに技術文明の本質を描いてしまったんだろう!
 ところが、場内の反応は「何だこりゃ?」という感じだった。後は冷え込む場内の空気と真逆に、私は感動の嵐に打ちのめされ続け映画は終わった。狐につままれたような顔で劇場を後にする多くの他の観客の中で、私は「どう?」と同行のO氏とS氏に問いかけた。二人とも感動のあまり、茫然自失状態だった。
 終映は午後も早い頃だったと思う。その頃は今のように飲ん兵衛ではなかったから、喫茶店に入り、この映画のあらゆる謎と解釈について、熱く語り続けた。2〜3軒は喫茶店をハシゴしたように思う。気がつけば終電車に近くなっていた。
 「淀川さんはどう思うだろうね」「解らないんじゃないの」「映画友の会」の会員らしく、そんな話題も出たのであった。

淀川長治さんのユニークな「2001年 宇宙の旅」論
さっそく次の「映画友の会」で、淀川長治さんに話を伺った。試写会回数が限定されていて(何たってシネラマなんだから、試写会も限りがある。ついでに言っときますが、シネラマ上映でない「2001年 宇宙の旅」は「2001年 宇宙の旅」ではありません。と、ここでは今やもう見ることが不可能になったシネラマを承知の上で、年寄らしい意地悪を言っておきます)、見逃したそうである。「是非、見てください」と我々。「ハイ、ハイ、必ず見ますよ」と淀川さん、そんなやりとりで、とりあえずその日は終わった。
 1か月後、「淀川さん、解るかね」「評価が序々に高まってるから、解ったふりして一応は褒めるんじゃないの」そんな失礼なことを言いながら、「映画友の会」に足を運んだ。
 開口一番、淀川さんは「傑作です」とおっしゃった。そして、これは「人間の業を描いた映画です」と付け加えた。以後、淀川さん一流の熱弁が続いた。原始的な武器を持った猿人の前にモノリスが聳えます。もちろん何も解りませんね。発する音に怯えるだけです。そして、人間はどんどんどんどん、どんどんどんどん進歩します。月に行きます。また、モノリスが聳えています。音が発せられます。人間はやはり怯えるだけです。木星に行きます。モノリスが宇宙を飛びます。未知です。やはり、人間はそれを越えることはできません。どんどんどんどん人は老います。その前にもモノリスが立ちます。死を直前にしてなおも越えられないもの、文明がどんなに進歩しても越えられないもの、それは何でしょう。それは人間の業なんですね。悲しい悲しい業なんですね。それが見事に描かれていましたね。
 淀川さんの感性はすごいと思った。モノリスをファーストコンタクトの象徴だとか、スターゲートだとか、そういう若者に媚びるようなSF的言語を一切排し、しかも作品の本質を見事に捉まえ、感動的に語ってみせた。淀川さんの感性、それに基づいた映画観・映画史観、これが本当のプロだと思った。

寺脇研さん、こんなこと言われていいの
「キネマ旬報」12月上旬号の読者投稿「キネ旬ロビイ」で、こんなことが書かれていた。やや長いが引用する。
「『REVIEW2008』の寺脇研氏は毎回一刀両断。★★★★か★という極端な批評は見ていて気持ちがいい。仮に★だろうと、かえって観る意欲も出てこようというものである。(★★程度では観てみたいと思わない)。しかし自分が観ての感想はほとんど寺脇氏と逆、というのも事実である。」
 アマがプロと同一の地平に立ったつもりで、こんな皮肉っぽい言われ方でナメられていいのだろうか。まあ、映画の感じ方は自由だから…で済むんだろうか。それではプロというのは何なのか。
 寺脇さんのプロの評論家としての私の評価とは関係なく、これはちょっと腹立たしい。南部圭之助なら、絶対に黙っていないだろう。いや、黙っていなかった例を次項で古い記憶を引っ張り出しながら、紹介してみたい。

怖い怖い南部圭之助
始めにこれから紹介するものは、原文の引用ではなく、私の記憶に頼ったものであることをお断りしておく。私は「キネマ旬報」を定期購読しているが、何せ小さなネズミ小屋に住んでいるもので全部は保管しきれない。1年毎に3年前の必要と思った号以外は、かなり処分している。(それでも雑誌というのは段々とたまるからやりきれない)だから、原文にあたるのは、国会図書館にでも行くしかないのだが、さすがにそこまではできないのでご容赦ねがいたい。
 1974年に「ペーパー・ムーン」という映画が公開された。テイタム・オニールがアカデミー助演女優賞を受賞し、キネマ旬報ベストテン5位になるなど、概ね世評は高かったが、南部圭之助は否定的だった。自らの20年代の映画史観ともからめて、はっきりと評価しない側に回った。そして、この映画を現代的視点から褒める評者に対して「20年代を描いた映画を、いつから現代的視点で評価するようになったのかな?」と疑義を呈した。
 これに対し、「ペーパー・ムーン」を好きな読者が、「キネ旬ロビイ」で異を唱えた。それはいいとしても、最後を「現代の映画を、いつから20年代の映画の視点で評価するようになったのかな?」と嫌味っぽい揚げ足取り風の表現で締め括った。
 すかさず、南部圭之助から、猛烈に嗜める記事が掲載された。それは、自らの映画史観・演劇教養に基づく映画観による評価が述べられた後で、もっと映画教養を身につけろ!感性を磨け!!と、激烈なものだった。止めは「現代の映画を、いつから20年代の映画の視点で評価するようになったのかな?なんて言い方を皮肉の皮算用で使うもんではない。○○歳・会社員(確か30〜40歳くらいの人の投稿だったと記憶する)とあるが、サラリーマンならそれでは危険だろう」と来た。
 いや、凄い!完膚なきまでのメッタ打ちである。しかし、私はそこにプロの誇りと凄味を見た。映画評論家・南部圭之助の私自身の評価はさておいても、これがプロだろうと思った。
 この後「キネ旬ロビイ」に、別の人から「皆さん!南部さんがいいと言ったら絶対いいんです。悪いと言ったら絶対悪いんです。何しろ逆らうと怖いですぞ!」という揶揄した投稿があった。これはあまりいただけない。アマはプロに対して、もっと謙虚になるべきだと私は思った。
 もっとも私は、ここに至るまでに、あまりアマとして謙虚じゃない発言を、プロに対して続けてきた。「だって、それは今のプロに見識と誇りが無さ過ぎるから…」なんて言っては、おしまいなのかもしれない。卵が先か、鶏が先かということになるんだろうか。
 でも、原子力発電反対派が、電力と電力量との違いというプロとして熟知していることをごまかして、アマに対し、電力は不足していないと言い張り、原子力発電の必要性を過少評価して貶め、自然エネルギー発電を過大評価する詭弁を弄されたら、電力エネルギー第一線に携わってきたプロの私としては、絶対に黙っていられませんわな。プロとアマというものは、そういうものだと思う。
 寺脇研さん、本当にアマチュアにこんな失礼な皮肉を、言われっぱなしでいいんですか。

一般的には「ノーカントリー」圧勝
「ノーカントリー」が、今年の各種ベストテンでは、圧倒的好評だ。「キネマ旬報」ベストワンを始めとして、読者選出でもベストワン、「スクリーン」でもワンだ。あげくの果てに、個性的で有名な東スポ映画大賞(審査委員長はビートたけしで審査員は全国15の映画祭だ)の外国作品賞まで受賞してしまった。ただし、東スポ紙上の委員長選考経過によれば審査員のトップは「ラスト、コーション」である。でもたけし委員長は、「去年、唯一最後まで見れた作品がこれ」とのことで、「ノーカントリー」を選定した。たけし委員長によると「ノーカントリー」は意外にも、「これほど評判が分かれる映画はないよな」ということだった。委員長の意向が圧倒的なのも、東スポ映画大賞の特徴だが、海外の映画祭だってそんな程度みたいに感じるし、そうなると「映画芸術」荒井晴彦編集長の稚気満々も、あまり目くじら立てる話ではないように思う。
 「ノーカントリー」は「映検1級合格者が選ぶベスト・テン」でも2位である。ちなみに事務局から「映研1級ベストテン」について、[事務局一同、(結果に対する)ちょっとした驚きと「こうでなくちゃ!」という安堵感に包まれております]とメールをいただいていたので結果に期待していたのだが、キネ旬誌上発表を見てあまりにも凡な結果だったのにがっかりした。
 結局、今年の外国映画の顔は「ノーカントリー」ということで、とりあえず落ち着きそうである。「映画芸術」誌上で「大したものではない。私が観に行ったのはアカデミー賞ってどういうレベルなのかと思ったからだけど。なにしろアカデミー賞映画を観るのは生まれて初めてなんです」と断罪した寺脇研さんが、あ、この程度がトップなのね、アメリカ映画も大したことないね、なんて変な先入観念に収束しないように祈るのみである。

私は「ノーカントリー」をどう思うか
では、私自身は「ノーカントリー」をどう思うか。「黒い手袋」さんが掲示板でアップされたように「秋葉原の事件や元高級官僚を殺害した事件に象徴される、今までの常識では想像できない犯罪者の登場を、(中略)資本主義を野放図にした結果もたらされた格差や不況とそれに伴う社会の荒廃を、作り手たちの感性のアンテナがキャッチし、それを、誰もが認めざるをえなかったのかなと、今では思っています」に、全く同感です。
 でも、私がいくつか参加するベストテンでは入れません。私はアマですから、映画史の記録には関係ないし、自覚もありません。映画は夢を見るものです。やり過ぎを承知のうえで、インディ・ジョーンズの核実験にまで不死身さを拡大したスピルバーグの爽快さが好きです。(大高宏雄さんがプロの見事な分析で「作家的信念から、少々勇み足」と、私を納得させてくれました)
 ルーカス、やっぱり好きです。「スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ」で、あの憎々しいなめくじの化物ジャバ・ザ・ハットの、赤ちゃんが目茶目茶可愛いなんて、たまらなく素敵です。この2本は、私のベステンには入りませんけれど、無差別殺人の後味の悪さを連想させる「ノーカントリー」は、私にとってはそれ以下です。
 でも、私がプロの選考委員なら、その意味で「ノーカントリー」も、またアメリカをブラッドの歴史として描き切った大長編超大作「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」も、アメコミを題材にしながら、その楽しさを封印し、現代アメリカの闇に迫った「ダークナイト」も、歴史の1頁として、かなり高位に投票すると思います。ただし、個人的には、アメコミのロマンをリアルすれすれの世界に追い込んだ「ダークナイト」のみが、かろうじて私的のベストテンでは圏内といったところでしょうか。

「黒い手袋」さんの書き込みに触発されて、長々といろいろな話題に飛び火してしまいました。こんなところでよろしいでしょうか。
映画三昧日記2009年−1

まずは、松の内は過ぎましたが、あけましておめでとうございます。「映画三昧日記」2009年の幕開けです。新年最初は、小ネタの話題程度ですが、よろしくお願いいたします。

●酒とビデオのお正月
元日と2日は、盃を傾けながらのビデオ漬けだった。御節料理というのは本当にいいもので、気が向いたらお重を引っ張り出せば、酒肴には全くこと欠かない。そんなボーッとしてのビデオ鑑賞の話題をきっかけに話を進めたい。

東映「忠臣蔵」づくし 大川恵子の美貌にボーッとなる
私の一方的な趣味に過ぎないが、正月に酒盃を傾けながら観るのは、何といっても忠臣蔵ものに限る。今年も昭和34年作品「忠臣蔵」、昭和36年作品「赤穂浪士」の東映映画2本、約6時間をまたまた観てしまった。
 忠臣蔵ものの楽しみは、キャスティングの妙である。大石内蔵助の片岡千恵蔵以外は、キャスティングが異なっており、その比較を観ているだけでも、私には楽しい。
 そうだ、大石内蔵助の片岡千恵蔵の他に、共通のキャスティングがあった。遙泉院を演じた大川恵子である。東映城のお姫さまを代表する女優で、こればかりは彼女以外は考えられぬキャスティングということなのだろう。その清楚で控えめな美貌に、酔眼があらためてボーッとなった。
 清楚な美貌の女優は今でもいるだろう。しかし、出たがり芸能人オンパレードの昨今、「控えめ」な美しさには、トンと縁がなくなった。大川恵子は、最後まで東映城のお姫さまに徹しきった。常にヒーローを支えるポジションに止まり、多分主演作は一本も無いのではなかろうか。そこが後年に女性映画などで主演進出を目論んだ丘さとみ・桜町弘子・宮園純子の、他の東映城のお姫さまと大いに異なるところだ。(そして、いずれも大成することはなかった。強いて大川恵子と類似の女優を探すならば、日活の笹森礼子あたりだろうか)
 昔の俳優は、主演は主演、助演は助演、脇役は脇役と、分相応を守ってヒエラルキーが存在していた。我も我もと主役になりたがる現代の風潮はジャンル衰退の元のような気がする。

プロレス冬の時代に思う
2009年、プロレスは恐怖の氷河期を迎えるのではないか。創世記の力道山以来、プロレス中継を続けてきた日本テレビが、ついに3月にプロレスリング・ノアの中継を打ち切るのである。新日本プロレスを中継しているテレビ朝日の方は、番組更改期の度に打ち切りの噂が飛び交うのは、もはや年中行事だが、でも最後の砦の日テレがあると思っていた。その日テレがあっさり身を引いてしまった。テレ朝がなくなれば、ついに地上波からプロレスが消える。そうなれば、もはやメジャーなエンタテインメント・スポーツと呼ぶことはできまい。
 これも、誰でも彼でも、輪番に主役のメインエべンターを務めてきた弊害の成れの果てだろう。かつては、力道山・ジャイアント馬場・アントニオ猪木だけが、絶対のメインエベンターだった。それ以外はすべて脇役だった。だからスーパースターが輝いた。そして、吉村道明のような名脇役も逆照射された。現在のプロレス界に、力道山・馬場・猪木もいなければ、吉村も存在しないのだ。これでは、ジャンルとして衰退して当然だろう。
 東映城のお姫さまに徹しきった大川恵子の控えめで清楚な美貌を、盃片手に見とれながら、思いはそんなプロレスの世界へ飛んでいたのである。

大晦日の「Dynamite!!」 K−1戦士惨敗
そんなプロレスの衰退を尻目に台頭してきたのが総合格闘技だ。もはや大晦日の顔となり、NHKの紅白歌合戦に肉迫し、時に打倒するまでの看板番組にのし上がった。昨年も約4時間半みっちりの中継である。私は、年末は慌しい迎春準備をしながらテレビを横目に見て、年明けに盃を傾けながらジックリ再見するのが、ここ何年かの定番になった。
 今年の最大の話題は、一級K−1戦士の武蔵、バダ・ハリ、武田幸三が、総合格闘技のゲガール・ムサシ、アリスター・オーフレイム、川尻達也に、ことごとくKO惨敗して、枕を並べて討ち死にしたことである。それも自分の土俵のK−1ルールの上でなのだから、洒落にならない。
 しかし、これをもってK−1戦士は弱い、総合格闘家はすぐにでもK−1グランプリも奪取できるとするのは、性急である。K−1は3分3Rの短時間だ。KOを逃し判定にもつれ込めば、1回のダウンは致命的になる。いきおい動きは慎重になり、キックで間合いを計りながら、チャンスを捉える形になる。一方、総合格闘家はダウンを恐れない。むしろ、ダウンしてからが勝負という側面もある。だから、K−1戦士とちがって、一気に突進する。K−1戦士が日ごろ遭遇しないブンブンとパンチを振り回す突進に戸惑い、キックで間合いを計るすべもなく、あっさりKOされたのが真相であろう。(だから、同様にダウンを恐れるボクサーも、K−1では成功しない)こんなものだと思って、安易に総合格闘家がK−1進出すれば、遠からず戦法を読まれ、続々と返り討ちに遭うのではないだろうか。

ボブ・サップの栄光と衰退
私は、K−1リングに彗星のごとく登場した当時の、ボブ・サップの台風のような猛威を思い出す。サップの前に、K−1グランプリを何度も制し、ミスター・パーフェクトと呼ばれたアーネスト・ホーストが、いきなりKO惨敗したのである。この頃のサップは怖いもの知らずで、ミスター・パーフェクトも何のその、巨体を突進させて圧倒し殴り倒したのである。
 しかし、栄光は短かった。K−1戦士はサップの戦法を読んだ。ミルコ・クロコップは、突進するサップに対し真っ直ぐ後退せず右へ左へと回り込みながら、狙いすましたパンチを眼に直撃し、サップは眼底骨折で戦意喪失するのである。
 ボブ・サップは、ここでK−1の怖さを知り、以後は、突進力の勢いが衰えた。こうなれば後は、ピーター・アーツに秒殺でKOされ、武蔵にもいいように翻弄されて大差の判定負けするまでに衰退し、K−1戦士として落ちぶれていくのである。
 この時の武蔵は、キックで間合いを計りながら、巨体の突進を巧みにかわし、パンチもミックスしてボコボコにしたのである。残念ながらK−1初挑戦のゲガールに対しては、こういう武蔵の良さが、全く出せなかったということなのだ。

再びプロレス冬の時代に思う
再びプロレス冬の時代の話題にもどる。プロレス冬の時代の元になった一つは、ミスター高橋の暴露本「流血の魔術 最強の演技」だろう。我々も、プロレスは真剣勝負ではなく、かなりエンタテインメントのアングルがあるとは承知して楽しんでいた。しかし、ジャイアント馬場のプロレスと対立して、ストロングスタイルを打ち上げたアントニオ猪木が、その生涯で真の真剣勝負はモハメド・アリ戦とアクラム・ペールワン戦の2試合だけだったと断言されてしまっては、世間的なイメージダウンはかなりであろう。
 それでも、まだプロレス神話はあった。プロレスはエンタテインメントのアングルかもしれないが、プロレスラーは本気でやったら最も強いという神話である。ところが、総合格闘技が進出し、そのリングでプロレスラーがバタバタと惨敗していったのである。すべてがアングルでしかもレスラーそのものが強くないと、一般にイメージされてしまっては、プロレス冬の時代も当然なのだ。

プロレスラーの強さ
しかし、プロレスラーは本当に弱いのだろうか。私は、そうは思わない。プロレスラーの強さの一つは、ロープワークと場外乱戦の巧みな駆使があってこそ成立する。総合格闘技では、この二つが全く封じられているのだ。
 アントニオ猪木は、極真空手の熊殺しの猛者ウィリー・ウィリアムスの異種格闘技戦において、巧みに場外を戦場とすることで有利に試合を展開していた。ミスター高橋によればこの試合もアングルに過ぎないそうだが、真偽のほどは別にしても、アントニオ猪木に「強い」というイメージが、まぎれもなく存在していたのは事実である。
 K−1の汚名挽回のためには、総合格闘家を次々と自分のリングに引き込んで、ボブ・サップのように粉砕していくことだろう。それはプロレスも同じである。ロープワークと場外をフルに活用できるプロレスのリングに、総合格闘家を引きこみ強さを誇示し、冬の時代を脱出する必要があると思う。この期に及んで、もはや手遅れのような気はしないでもないが…。

ホロ酔いで観た「忠臣蔵」ビデオの大川恵子の、清楚で控えめな美貌にボーッとなったのをきっかけに、格闘技やプロレスへと、あらぬ方向に話題が飛んでいってしまいました。「風が吹けば桶屋がもうかる」式の、どこが「映画三昧日記」だか分からない顛末になりましたが、酒浸りの新年早々の開幕ということで、今回はご容赦ください。

top page