周磨 要の 映画三昧日記 2010

●周磨 要プロフィル
映画ファン歴は、小学生の頃の東映時代劇に端を発し、現在は「無声映画からピンク映画まで古今東西邦洋を問わず、すべての映画を愛する男」になって、約50年弱の映画好きである。

東京電力社員のかたわら、何とか24時間映画三昧の身になりたくて、映画評論家になるべく研鑽を重ねるが、願い空しく映画評論界から全く相手にされず、東電を55歳まで勤め上げて定年に至る。その後は東電グループ会社に転籍となり、それも60歳で定年、さらに月10日勤務の嘱託として残留し、昨年6月末その嘱託契約期間も満了となり、現在は年金生活者で、やっと24時間映画三昧の身分になった。

昨年7月から24時間映画三昧の身分になったので、新作をこまめに追うのもさることながら、これまで見逃していたクラシックや旧作も丹念に押さえていくことにした。そんな目で都内の映画状況を見つめなおしてみると、日替わり特集上映の乱立で、毎日が映画祭状態であることを認識した。100年余の映画史の先人の遺産は実に膨大なもので、残りの一生をかけて観ても観ても、観きれないことが判明した。これで、別に仕事をしなくても、一生退屈をすることがないことが確認できたのである。映画鑑賞以外でも、映画に関する文献はもとより、私の愛するSFを中心に小説など、膨大なものを読んでいかなければならない。映画評論活動としては、この「13号倉庫」さんの「映画三昧日記」「ピンク映画カタログ」への、コンスタントな寄稿がある。また、映画検定1級合格者を対象にした「映画検定ホームページプロジェクト」に、ほぼ月一で映画評を寄稿している。その他には、話術研究会「蛙の会」の一員として、活弁の勉強と年1回の公演がある。その機関紙「話芸あれこれ」の月1回の編集発行もある。A4で4頁のささやかなもので、会員と無声映画鑑賞会会場での配布を基本にしているが、月1回の鑑賞会までの締め切りに合わせての発行は、案外忙しいものである。

昨年は、映画2本にエキストラ出演した。ところが、初号試写を観させていただいたら、何と!私の名前がクレジットされているのである。これが相次いで今年に公開される。1本目は1月22日(金)上野オークラ劇場にて封切の「人妻教師 レイプ揉みしごく」、2本目は3月6日(土)銀座シネパトスにてロードショーの「奴隷船」だ。いよいよこれから俳優業にも進出か!(この項は冗談です)

いずれも暇は潰せても金になる話ではないが、収入の方は厚生年金と企業年金を合わせれば、つつましく暮らせるだけのものはある。さあ今年は元旦から24時間映画三昧の日々がスタートだ!
「周磨 要のピンク映画カタログ」
周磨 要の映画三昧日記 2005
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周磨 要の映画三昧日記 2009
周磨要の掲示板 
周磨 要の湯布院日記
「おたべちゃんのシネマシネマ」
映画三昧日記2010年−11

最初に前回「映画三昧日記−10」の落ち穂拾いを二つばかりしておきたい。

●落ち穂拾いその1 「駱駝夫人」さんとトムさんと今年の湯布院映画祭
6月30日(土)のmixiオフ会で、博多の「駱駝夫人」さんが、私の湯布院映画祭での友人、トムさんこと映画ファンにしてプロレス者である福岡のYさんと知り合いだったことを紹介した。その時のオフ会で聞いた話である。Yさんは「奴隷船」を観て、私のクレジットに気付いたそうである。そして、ガヤ以外の唯一の台詞、女体競り値の「40万!」という声で、私が顔は出ていないが鬼面の会の一員であると思ったそうだ。こういうスクリーンを通じての交歓も楽しきかなである。

ちなみに、今年の湯布院映画祭は、全日券(映画祭内すべてのイベントのフリーパス券)がすでに手元に届き、航空券も手配完了、完全にスタンバイ状態である。今回の企画は「映画に愛された男と女 石橋蓮司&緑魔子」と「少し不思議な映画music 音楽家・周防義和特集」と並んでいる。石橋蓮司・緑魔子・周防義和の3人は当然ゲスト参加するが、さらに蓮司・魔子の共演作「あらかじめ失われた恋人たちよ」上映のゲストとして、超大物キャスター・田原総一朗が監督として参加する。(「あらかじめ…」は清水邦夫と共同で田原総一朗の唯一の監督作品)これは素晴らしく貴重だ!寺脇研の尽力がかなりあったと漏れ聞くが、こういうところには寺脇さんの存在というのは強く大きい。

さらに、すでに「映画三昧日記−8」5月29日(土)の「久保新二・生前祭フェスタ」で記したように、若松孝二監督が「キャタピラー」を引っ提げて参戦することは、ご本人の口から直に聞いた。ゲストには、ベルリンで主演女優賞授賞の寺島しのぶの名も見える。(間違っても酔って、凄いけどやっぱり母親の方が百倍凄い!、なんて失言しないようにしよう)特別試写には常連ゲスト荒井晴彦・脚本(井上淳一と共同)の新作「パートナーズ」(監督は劇場版初となる下村優)、阪本順治の新作「行きずりの街」もあり、阪本監督もゲスト参加する。久々にこれだけワクワクさせる企画が並ぶのは、何年ぶりだろうか。今年の湯布院は熱くなりそうだ。

湯布院映画祭については終了後できるだけ速やかに、例年の「湯布院映画祭日記」でレポートしたいと思います。

●落ち穂拾いその2 「ザ・コーヴ」の補足
前回の「映画三昧日記」では、「ザ・コーヴ」をmixiの日記で「秘境系モンド映画」と、実に的確に電撃チャックさんらしい形容をしていたのを紹介したが、もう一つ、吉住瞳さんの形容も素晴しかったので、ここで該当部分をそのまま引用したい。

『最初にでてくる製作か配給の会社のマークを東映に張り替えちゃえばすべてすっきりするんじゃないかしら。マークのバックは海なわけだし。そう考えると、過去の贖罪に生きる求道的調教師ってもろに健さんや鶴田浩二で俊藤ワールド大爆発です。イルカとの回想シーンは木下忠司の曲が欲しくなります。 クライマックス、イルカ殺戮映像をひっさげて国際会議に乱入(道行きに主題歌ほしいです)と王道な展開なのですが、一応ドキュメンタリーなので、状況が変わるわけでもなく暴力的につまみ出されるようでもありません。』

いや〜、ホントに楽しくこの映画の核心を突いている観方ですよねえ。吉住さんは、余程東映に愛着があるのか、同じくmixi日記で「トイ・ストーリー3」についても、東映を引き合いに出して、以下のように評しています。

『なにしろ敵側が可哀想な動機も含め東映チックなのが有難いです。「ザ・コーヴ」といいこれといい、世界は東映に支配されているのでしょう。まあ、日本は東宝に支配されていますが、その辺がアメリカや韓国や香港に勝てない理由かもしれません。』

実にユニークな視点です。ちなみに「トイ・ストーリー3」は、私の超大好きな作品で、私も語りたくなりました。でも、吉住瞳さんのようなユニークなものではないので、そこは期待しないで下さい。

●私のベストワン候補作品「トイ・ストーリー3」
年明け早々の「映画三昧日記−2」で、「インビクタス 負けざる者たち」を、「今年のベストワン候補!」とハシャいでしまったが、またまた私にとってのベストワン候補が登場した。「トイ・ストーリー3」である。といって、「インビクタス」が落ちたわけでもない。どちらも素晴し過ぎる。このままだと、多分ギリギリまでどちらをワンにするか悩むだろう。かたやジョン・フォードの伝統を引いた男っぽいドラマ、クリント・イーストウッドの「インビクタス」。こなたディズニーの精神を最も忠実に受け継いでいるディズニー/ピクサーの「トイ・ストーリー」。甲乙つけろという方が無理である。いずれにしても、外国映画ファンになった原点はジョン・フォードの西部劇という私ならではの悩みといったところだ。できれば、今年にこの2本を吹っ飛ばすような凄い作品が現れて、今の私の悩みを解決してほしいものだ。

「トイ・ストーリー3」の冒頭は、ウディ、ブルスアイ、ジェシーといった西部劇キャラのおもちゃたちが大平原の荒野に繰り広げる列車追跡アクションだ。3Dの効果を100%活かした大スペクタクルである。これは何だろう?と思っていると、場面は現実に戻る。おもちゃの持ち主のアンディがまだ幼い頃、人形を振り回したりぶつけたりして作っている空想のお話の世界なのである。そうだ。子供の空想の中のおもちゃは、こうだったのだ。私も幼い頃、積み木を高く積み上げ、一か所を叩くと大崩壊する仕掛けを作って積み木を飛ばしていた時、頭の中にあったのは大爆発スペクタクルだった。

 でも人は、永遠にそんな子供のままではいられない。おもちゃの主アンディは、17歳になった。親元を離れ大学の寄宿舎に入る。おもちゃとは縁を切り整理して、大人となって巣立っていかなければならない。「トイ・ストーリー」がユニークな第一の点はここだ。「トイ・ストーリー」は1995年に第一作が公開された。「サザエさん」や「ドラえもん」に見るように、秀れたアニメは時間がほとんど動かない。だが2010年の「トイ・ストーリー3」の世界は、確実に映画の中でも15年が経過しているのである。

秀れた2点目は、これを単に子供とおもちゃの関係だけに終わらせていないことだ。アンディの母は寄宿舎に去る彼を、「いつまでも一緒に暮らせればいいのにね」と愛しくハグする。そう、人は大人になる。すべて永遠というものはない。時は移ろって行く。「EMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ」を始めとした「人はいつまでも夢を見ているわけにはいかない。でも、夢を見る心を失ってはいけない」という大林信彦映画の、甘酸っぱい感傷にも通じる。人はそうやって別れ、出会い、そんなことを繰り返していく。でも、だから、生きているって、人生って素晴らしいんだ。「トイ・ストーリー3」は、そんな重いことすら感じさせる。

ネタバレになるので、あまり詳しくは触れないが、切ないけれど、最後のおもちゃウディがアンディに対する決断は、あれで良かったと思う。今回の悪役を務めるピンクのテディ・ベアの縫いぐるみロッッオの行く末を見れば、ますますそう思う。どんなに子供の頃に親しんでいても、大人とおもちゃとの関係は、決して良いことばかりとはいえないのだ。

悪役のロッツォにも、そこに至る過程での、持ち主の子供との切ない関係があった。ロッツォは持ち主の女の子に、おもちゃの中で一番可愛がられていた。しかし、ある日キャンプ場に忘れ物として、置きざりにされてしまう。ロッツォが必死に女の子の家にたどり着いた時は、女の子は同じ縫いぐるみを抱きしめていた。だからロッツォの心は歪んだのである。しかし、これもどうしようもないことだ。お気に入りのロッツォが失くなった時、女の子は泣きじゃくっただろうし、親がそんな子に同じ縫いぐるみを買ってやるのも、必然のなりゆきなのだ。

ここで、「トイ・ストーリー」の基本設定を知らない人には、注釈が必要だろう。ジョン・ラセターが構築したファンタジー世界では、おもちゃは人が見ていない限り、自由に動けるのである。これは、素晴らしい創作だ。おもちゃなんて、子供が引っかきまわして放り出す存在だから、別に位置が変わったっておかしいと思う者はいない。思いがけないところから失くなったおもちゃが出てきても、突然消えても、問題にならない。大人に子供がその不思議を訴えても、「あんたの片付けが悪いんでしょ!」と、親に一喝されて終わりだ。何という素敵なファンタジー空間を創ったものだろう。

「トイ・ストーリー」の第一作では、カウボーイのウディは古臭い人形で、持ち主の子供アンディに飽きられかけている。そこに、ピカピカの宇宙戦士バズ・ライトイヤーが参入してくる。アンディのお気に入りは、ウディからバズへと変わっていく。人気者のバズは、完全に宇宙の英雄気取りだ。しかし、ある時バズは、おもちゃ屋に大量に並んでいる自分と同型のおもちゃを見る。自分は、特別な存在でも何でもなかったのだ。代替可能な大量生産のおもちゃの一つに過ぎないことに気付かされる。この悲哀は、「トイ・ストーリー3」のテディ・ベアの縫いぐるみロッッオの悲哀と、鮮やかに呼応するのである。

さらに、アンディのお気に入りが、カウボーイ・ウディから宇宙戦士バズへと変遷するのは、ホースオペラ(西部劇)からスペースオペラ(SFアドベンチャー)への時代の、冷酷な変化をもきちんと表現しているのだ。ネイティブ・アメリカンがバタバタと殺せなくなった時代に、エイリアンならば殲滅してもよいとなったアメリカ映画の変質を象徴しているのである。

「トイ・ストーリー」の第一作では、おもちゃを乱暴にしか扱わない子供が、動き出したおもちゃ達に脅かされるというエピソードもある。子供は親に訴えるが、当然親の方はそんなことを信用することはない。ここでも、ユニークに造形されたファンタジー空間を通じて、おもちゃとそれに対する子供の心根のあり方との、微妙な世界が描かれている。

「トイ・ストーリー2」に至ると、ウディとバズの力関係は逆転する。バズは所詮は大量生産宇宙戦士の人気おもちゃに過ぎないが、修理を重ねてアンディにとりあえず可愛がられ続け永らえているカウボーイ人形のウディは、骨董品的価値が生まれてくる。そこで、ウディを盗んで博物館に売り飛ばそうとする悪党が登場する。その悪党の盗品の集積場で、かつてのTVアニメで名コンビだった女の子カウボーイのジェシーと、ウディは出あう。ジェシーには、持ち主の女の子に可愛がられたが、その女の子は成長し、やがて化粧とファッションと音楽に熱をあげ、おもちゃ人形のジェシーを見向きもせず捨てられた過去があった。今は、博物館の展示物となって、永遠に皆に愛されることに、満足をしている。

だが、浚われてきたウディは訴える。「それでいいの?僕たちおもちゃは、ガラス越しに眺められ続けて終わるだけでいいの?そりゃ、持ち主の子供は大人になって、いつか僕たちを捨てるかもしれない。でも、触れ合いの無いそんなガラス越しの世界で満足できるの?」ここには、単に息をしているだけ(?)ではなく、せいいっぱい人間的(?)に生きようとするおもちゃの叫びがある。「トイ・ストーリー」は、決してお子様ランチの映画ではない。いや、むしろ子供が解る世界ではない。大人が泣く世界なのだ。

こうしてウディはジェシーを連れて、おもちゃブローカーの手から脱出し、愛しい持ち主アンディの懐へと還るのである。「トイ・ストーリー2」の公開年度は2000年、アンディ7歳、そして2010年、17歳のアンディを前にして、ウディはこの自らが発した言葉に、厳しく問い直されることになるのである。「トイ・ストーリー2」でブローカーがおもちゃをを売り飛ばそうとした先は日本であった。1990年代バブルの頃、アメリカの心のハリウッドまで買占めようとしたエコノミックアニマル日本は、アメリカの顰蹙を買ったが、それから約10年後の2000年でも、まだ日本はこんなイメージだったようだ。

このような延々たる紆余曲折を経て大河アニメ「トイ・ストーリー3」は大団円を迎えた。いや、迎えてはいない。早くも第4作の製作が決定されたようだ。前述の吉住瞳さんはmixiの日記で、これは晩節を汚すのではないかと危惧しているが、私はディズニー=ピクサー=ジョン・ラセター(1〜2の監督で、現在はディズニー・アニメ部門の最高責任者)の勝算あってのことだと思う。唐突な比喩だが、どんなに名作のパロディ=オマージュに挑戦しても、絶対に「負け戦」はしない池島ゆたか監督と同様に信じている。ただ、これについては「たしかに池島監督に繋がるものがあるかもしれません」と、吉住さんからもコメントをいただいているので、そんなに唐突ではない表現だとも思っている。

いずれにしても「トイ・ストーリー」を、お子様ランチと侮ってはいけません。いや、お子様に本当の味はわからない、お子様だけに味あわせるにはもったいない美味です。でも、子供だけにしか見えないピュアな世界、大人になり世間の塵にまみれると見えなくなる世界は、確実にある。そういえば昭和40年頃NHKの人気番組「ひょっこりひょうたん島」の前に放映されていた子供向けファンタジー「宇宙人ピピ」(小松左京・原作の傑作!ピピだけがアニメで他は実写という「メリー・ポピンズ」形式)で、ピピは子供達だけにしか見えなかった。オバQやドラえもんが、大人社会でも認知されているのとは異なり、大いにユニークだったことを、ここで思い出したのである。

●平成22年7月24日(土)思い掛けないお得感を味わった日  江東シネマプラザ(古石場文化センター)を中心に
「黒澤明が脚本を書いて、木下惠介が監督した映画が一本だけあるんだよ。まあ、大した映画にならなかったけどね」。私が10代でATG新宿文化のサークルにいた頃、オールドファン(といっても社会人になる前の私がそう感じたのだから、多分40前後の方だったろうと思うが)からそんなことを聞かされた。そのタイトルは「肖像」、確かに「大した映画にならなかった」のかどうかはともかく、あまり称賛の声も聞かないし、名画座での上映機会も少ない。でもそうなると、自分の眼で確かめたくなるのもまちがいない。

この「肖像」が、7月24日(土)古石場文化センターの江東シネマプラザ「生誕100年 黒澤明をめぐって」の企画の中で、上映されることを確認した。早速予定に組み入れることにした。上映は昼の部14時、夜の部18時30分の2回、私は早々と昼の部に行くことにする。折角、都区内に足を伸ばすので、交通費の有効活用として「肖像」の後は、丸の内ルーブル「エアベンダー」に回ることとした。時間的にもロスが少ない。

「エアベンダー」は地元の立川でも上映されているのだが、2D版のみなのだ。3Dの1スクリーンは「トイ・ストーリー3」に占拠されている。3D作品が同時期に競合した時は、人気映画にすべて明け渡すのが立川シネコンの方針のようだ。「タイタンの戦い」の時も、3Dスクリーンは「アリス・イン・ワンダーランド」に占拠され、仕方ないので私は、「タイタンの戦い」は3D鑑賞のため渋谷まで足を伸ばした。

さて当日、古石場文化センターのチラシを最終確認する。よく見たら「江東シネマプラザ」を定期鑑賞する「江東シネマ倶楽部」会員募集のチラシである。だから、入場料なんかも記していない。会員限定の上映なのかいな?と不安になる。早速、主催の古石場文化センターに電話を入れ、一般入場もあり料金は500円という格安であることを確認する。(ちなみに会員になると2000円で、「生誕100年 黒澤明をめぐって」企画中の全6作品が観られる。私は残りの5作品はすべて観賞済みだが…)14時の回を予約できますか?と聞いたら、満席だそうである。仕方がないので夜の部に行くことに予定変更する。会員予約がこの昼の部に集中したとのことだ。

ついでに「生誕100年 黒澤明をめぐって」の上映作品選定が、なかなか洒落ているので紹介したい。6本中で黒澤監督作品は「白痴」「静かなる決闘」の2本、渋い通好みの選択である。他は、黒澤が助監督を務めた山本嘉次郎の「綴方教室」、黒澤が谷口千吉(共に江東区出身)との共同脚色(原作・田村泰次郎「春婦伝」)し谷口が監督した「暁の脱走」、黒澤の助監督から監督になった堀川弘通の代表作「黒い画集 あるサラリーマンの証言」、そして前述した私のお目当ての「肖像」である。いかにも派手さはないが映画愛に溢れたプログラムと思いませんか?

それはともかく予定が狂った。順序を逆転させて、「エアベンダー」を観てから「肖像」に回ることにする。しかしこれだと、「エアベンダー」終映が16時頃、移動時間を考えても2時間強のロスタイムがある。まあ、最近は読書時間にあてていた長距離通勤もなくなり、書籍・雑誌と読みたいものが山積状態なので、この際コーヒーショップでそれらを潰すことにするかと、腹を決める。

丸の内ルーブルを出て、銀座から門前仲町へ向かう。急ぐ旅でもないので、のんびりと古石場文化センターの方向へ足を運ぶ。近くの古石場川の岸が、橋上から見下ろすと遊歩道を兼ねた公園の様になっている。古石場文化センターは初めてではないが、橋下まで下りたことはない。そうか、コーヒーショップで別に飲みたくもないコーヒーに金を落とすくらいなら、川風に吹かれたベンチでの読書もいいなとのことが、頭をよぎる。

江東区は小津安二郎生誕の地なので、古石場文化センターは「小津安二郎 紹介展示コーナー」が常設されている。そんな土地柄か、ロビーでの映画に関する展示の催しも多い。この日は「月刊・シナリオ」誌の特集展示が開催されていた。それらをゆっくり見て、何度も来てはいるが一応小津コーナーにも回った。そこでは、NHK「ゆうどきネットワーク」の小津安二郎特集の録画が、エンドレスで放映されていた。時間もあることだし、30分強の放映録画をジックリと堪能した。

時間はまだ少々あるので、古石場川畔の古石場川親水公園に戻る。これが川岸の遊歩道を兼ねたなかなかの風情のある場所で、ゆっくり散策していたら、読書などしている時間もなく、「肖像」の開場時間が近づいてきた。最初は予定変更のアクシデントを嘆いた日であったが、結果として念の為に当日会場に電話確認したのも正解(昼の部にいきなり行って満席でアウトだったら、中途半端な時間でどうにもならなかった)、展示コーナー、小津ビデオ、親水公園散策と、ちょっとした小旅行の気分が味わえた。このように災いが転じてすべて福となると、何だかとんでもないお得感を味わうものである。

私は、昭和48年から60年まで墨田区の社宅住まいだった。場所は江東区と隣接する菊川である。だから、江東区とは馴染みが深い、一般的には江東区はゴミゴミした場所(江東区の方、失礼!)という印象が強いが、木場のための運河が縦横無尽に走り、川岸が前述した古石場川親水公園のように遊歩道化されている箇所も多く、風光明媚な町である。特に木場の貯木場跡にできた猿江恩賜公園は、近所の子供の人気スポットだ。渓流を模した川や噴水のジャブジャブ池は、キャーキャー騒ぐ水浴び場だ。私も娘が幼児の頃、よく愛用した。出産時に病院友達となった同い年の子を持つ家族までわざわざ来て、そこでいっしょに遊んだりもした。7月24日は、そんな想い出にも浸った1日でもあった。

●私にとってはイマイチのシャマラン「エアベンダー」
「エアベンダー」は、常に注目を浴びて止まないM・ナイト・シャマランの3D挑戦映画である。気水土火と、世界に4つの要素を有する王国があるというのは、リュック・ベッソンの「フィフス・エレメント」にも出た世界の4大要素とおなじで、目新しい話ではない。火の国がその均衡を破り戦いを仕掛け、どう拡大・発展していくかと続編まで臭わせるエンディングなのだが、最近のこの手のよくあるファンタジーと同様に、もういいよって感じである。「ロード・オブ・ザ・リング」完結後、未完の「ハリ・ポタ」を除いて、次々と出る大河ファンタジーがみんな不出来で途中討ち死にという惨状だが、私としてはまた一本それが加わったという感じだ。

何がいけないか。色彩設計が単調なのである。白をベースとしたり、黒をベースとしたり、トーンが単一なのだ。だから3Dが全く活きない。奥行きが活きるシーンがほとんどない。こう観るとジェームズ・キャメロンの「アバター」は、いかに行き届いた計算に支えられていた画面造形だったかを痛感する。M・ナイト・シャマランにしては、案外手堅くまとめているのだが、こんな時だけ手堅くてどうする!といいたい。

世評も低くなく、興行的にも強いこのインド人さんを、実は、私は全く信用していない。ユルい演出のハッタリ屋としか感じられない。ハッタリならハッタリで、こういう3Dスペクタクルでこそ大ハッタリをカマしてもらいたいものだけど、こんな時に限って手堅くなってしまう。シャマラン映画というのは、常にポイントがどこかズレていると思うのは、私だけだろうか?

●やはり映画は自分の眼で確認すべし  木下惠介=黒澤明の見事なコラボ「肖像」
監督・木下惠介、脚本・黒澤明のコラボレーション「肖像」は、なかなかの成果を上げていた。クレジットの最後に監督・木下惠介、脚本・黒澤明と二人並んで一枚タイトルになるあたりは、当時としても特別な映画だったのであろう。

浮世離れのした画家の菅井一郎一家の家を、ブローカーの小沢栄太郎と藤原釜足が買い取るところがプロローグだ。金に困った菅井一家から安く買いたたき、アトリエ中心の使い勝手の悪い家を改築して、高く転売しようとの目論見である。ところが、菅井一家は引っ越し先がみつからず、なかなか家を明け渡さない。そこで、嫌がらせも兼ねて家の一室を貸すように迫り、小沢栄太郎は若い妾の井川邦子を連れて、住まいはじめる。

菅井一郎の一家は三世代の大家族だ。妻の東山千栄子、長女の三宅邦子とその子供、次女の桂木洋子だ。三宅邦子は出征した夫の帰還を待っている。昭和23年作品らしくまだ映画の背後に戦争の影がある。(映画の終盤で帰還した夫は、後に日活・東映を中心に憎々しい悪徳ボスを演じ続けた安部徹、似ても似つかぬ二枚目ぶりは仰天だ)桂木洋子は、近所の若者の佐田啓二と清く明るい交際中。貧しいが、そこぬけにお人好しの面々ばかりだ。これがデビュー作の初々しい桂木洋子は、以後こうした清純キャラで黒澤映画を中心に一世を風靡する。桂木以下、出演陣は全員適役の好演だ。この時代の役者の厚みに感嘆する。

井川邦子は、最初は引っ越しに気が乗らない。しかし、お人好し一家にいきなり「お嬢さん」と呼ばれて気をよくし、上がり込むことになる。この一家にとっては、歳の離れた妾なんてことは頭の片隅にもなく、完全に井川邦子は小沢栄太郎の娘だと思い込んでいる。生活を共にしているうちに、井川邦子は菅井一郎から肖像画を書かせてくれと依頼される。井川邦子は躊躇する。画家の眼は鋭い。真面目なお嬢さんを演じているが、自堕落な妾としての実像を見抜かれるのでないかと恐れる。

さらに、この一家の貧しいが明るく生きている姿を見るにつけ、井川邦子は自らの生活に疑問を感じ始める。肖像画のモデルに臨む時、小沢栄太郎に買い与えられた高価な服でなく、母の形見の地味な和服を身につけていくのが、伏線として効いている。また、自分の買った高価な服を着ていかないことに小沢栄太郎が不満をもらすと、「父親は娘さんを着飾りたくなるものですものねえ」と東山千栄子にいなされて、陰で渋面を作るあたりも、楽しい見ものだった。

井川邦子は、お嬢さんを演じていることに疲れ、深夜に酔って帰宅して、三宅邦子の前でクダをまき、本当は妾であることをブチまける。そして、嘘の私を切り裂いてやる!と肖像画をナイフで切り裂こうとする。三宅邦子はそれを制してキッパリ言う。「いえ、こちらの方が本当の貴女です。切り裂くならば貴女自身の方です」そして、父親ほど世間知らずでもなく、妹ほど純情でもない私には、前から井川邦子が妾だということは分かっていたことを告げる。

三宅邦子に裏を、菅井一郎には深層を、すべてを見通されたと感じた井川邦子は、自堕落な生活を清算し、小沢栄太郎の下を去り、貧しいが堅実な暮らしへと歩を進めていく。この時に、一人で生きていくのは大変よ、やはりこの世はお金よと井川邦子を引きとめる仲間が水戸光子、ホントにこの時代は役者の層が厚い!

井川邦子の肖像画は、展覧会でその清純さが話題を集め大好評になる。別れた妾を懐かしんで、小沢栄太郎はその絵をみつめる。今は貧しくとも堅実な生活に生きる井川邦子も、展覧会会場の隅で自らの肖像画に、ソッと視線を注いでいたことが示され、エンドマークとなる。

かつて画家を志した黒澤明の肖像画に対する熱い思いが伺われ、良い意味で説教臭いけれども、名もなく貧しく美しく清く正しく生きることを肯定する「酔いどれ天使」に代表されたこの時代の黒澤が、ここでも現れていると思う。この黒澤の傾向は、晩年の「赤ひげ」まで引っ張ることになる。こんな風なある意味で道徳的な脚本に、女の哀しさを表現することに巧みな木下惠介は、見事な肉付けを施して生硬さから脱却させた。木下惠介・黒澤明のコラボレーションでなければなしえなかった成果であろう。しかも、これだけの内容が、たったの73分に凝縮されている。素晴しい!映画というものは、自分の眼で確かめるべきだということに感じ入った一本だった。

●最近の映画に描かれた「罪と罰」の問題について考える  「告白」を中心にして
「告白」の評判がいい。世間的な大ヒット映画と、映画通の多い「映画友の会」会員が多く観る映画とは、落差が大きいのだが(例えば「ROOKIES−卒業−」など)、「告白」は世間的な大ヒットと共に、ほとんどの「映画友の会」会員も観ていた。会員の中でも概ね好評だった。

私としては、「告白」にいくつか疑問がある。確かに、冒頭の学級崩壊のクラスが、担任の松たかこの告白で、徐々に収斂されていき、なおかつこの映画の背景までも同時に説明してしまう多重描写は凄い。授業中にも関わらず、生徒達の私語雑談・離席・携帯通話・公然たるメモのやり取りという信じられない光景。いや、これが信じられない光景でなく、21世紀の現代では当然となってしまったあたりを、巧みにドラマに組み込んでいる中島哲也監督の才は非凡だ。

だが、この映画鑑賞後の陰鬱な気分を何と例えればよいのだろう。別にただ陰鬱なだけならば問題ない。同じ中島哲也の「嫌われ松子の一生」なんて、徹底的に陰鬱な内容だった。ただ、「嫌われ松子…」が爽快なのは、溝口健二や木下惠介がよく題材にする悲惨な女の一生に輪をかけたような内容を、対極的なファンタスティックな手法で描き切ったことだ。これは、カンヌ映画祭パルム・ドール授賞「ダンサー・イン・ザ・ダーク」に匹敵するユニークさだった。スケ番ものをファンタスティックに描いた「下妻物語」にも同様の魅力があった。

ところが前作「パコと魔法の絵本」になると、ファンタジーをファンタスティックに描くという正攻法なのだが、これが何とも高揚しない。中島哲也の良さは、内容と手法の乖離の魅力なのだと感じた。ところが「告白」も、陰鬱な内容を陰鬱な演出で描くという正攻法に出ているのである。これでは中島映画の良さは出てこないと思う。でも実は、そんな手法的なことは枝葉末節だ。むしろ、この映画の「罪と罰」の考え方に、私は根本的に相入れないものを感じるのだ。

「告白」の主人公・松たか子の女教師は、教え子の中学生男子に3歳の愛娘を殺される。真犯人は解っているが、彼女はあえて警察に通報しない。補導されたところで少年法の壁により、大した刑罰は受けないからだ。そこで、彼女は罠を仕掛け、犯人の生徒をHIVに感染させて、長期に渡って苦しめる報復に出る。

「告白」に比べれば、遙かにインディペンデイントだがアップリンクXで上映された「SCOPE」にも、同じ様な作品の手触りを感じる。こちらは、SCOPE法が制定された近未来の日本が舞台、ある意味のPF(ポリティカル・フィクション)だ。SCOPE法では、性犯罪者に刑期満了後肉体改造を施し、その後も人権無視の厳重監視下に置くのである。改造された肉体は、性的行為に及ぶと不快感に襲われ、性生活はいっさいできなくなるのだ。被害者の家族は、出所した受刑者に対して、「一生苦しめ!それで俺の心は癒される」と罵倒する。この「SCOPE」も、「告白」程の拡がりはないにせよ映画通の間でかなり好評だ。

二本とも力作であるが、被害者の人権がとりたてて強調され過ぎる現代日本の風潮と相まって、私は嫌な気分に襲われた。「罪と罰」という観点から鑑みて、刑罰には二つの側面があると思う。仮にこれを「更生刑」と「応報刑」と私流に名付けて話を進める。「更生刑」とは、反社会的な行為をした人間を、国家が一時隔離して、社会的存在として再び社会へ返す過程のための刑罰である。「応報刑」とは、文字通り「因果応報」というやつで、やったらやり返せ!という刑罰である。法治国家では仇討などの私闘や報復を許すわけにはいかない。そこで、国家が代行して仇討やってあげますよ、ということだ。

「告白」も「SCOPE」も、前者は私的報復であり、後者は公的刑罰だが、どちらも罰に対する考え方は「応報刑」の思想である。そして、被害者人権が大きく強調される現代日本にあっては、その考え方が充満している。私は「罰」は「更生刑」であるべきだとの考えなので、最近の風潮にはひどく違和感を感じているのだ。

私の生涯ベストの何本かに入る映画に大島渚の「絞死刑」がある。実際の小松川女子高校生殺しが題材のディスカッション・ドラマだ。犯人は在日の若者である。死刑執行関係者のディスカッションで、悲惨な在日の歴史が語られ、この犯罪の遠因は国家にあると示される。その国家により発生した殺人を、死刑という国家による殺人で終わらせてしまっていいのか。かなり乱暴な要約だが、煎じ詰めればそういう映画である。

これは「告白」や「SCOPE」、そして「応報刑」の考え方に照らすと、全く成立しないドラマである。あんた殺したんだから、殺されて当然でしょ。その一言で終わりになる。現に公開当時に、「応報刑」の考え方の友人から、だからもう一つ「絞死刑」は評価できないんだよね、と聞かされたこともあった。しかし、私の生涯ベストの一本である「絞死刑」が、こんなあっさり問題外として切ってしまう思想の「告白」「SCOPE」を、私はすんなり許容するわけにはいかないのだ。

愛する者を失うのは悲しい。しかし、どんなに悲しんだところで生き返るわけではない。としたら、残された者ができるのは「時間という名の魔術師」に身をゆだね、忘れることは難しいにしても、可能な限り速やかに忘却の彼方に葬るしかないのだ。私がその考え方に至ったのは、普通の人よりは若干早目に病で妻を失ったことによる。その時からできるだけ、もし生きていてたら…と考えるのはよそうと思った。生きていないからこそある現在の良い部分を見ていこうと思った。

生きていたら、踊りの名取でもあった彼女とは夫婦で歌舞伎を楽しんでいたろうなとか、炊事・洗濯・掃除・衣服の入替・生活必需品の補充購入なんて全部やってくれたろうなとか、そんな繰り事を思っても仕方ないのだ。それよりも、生きていたら「湯布院映画祭」で6日も家を空けるのにはかなり気を使うだろうな(現に、相当な家庭サービスで点数を稼いでから来る参加者の話は少なからず耳にする)とか、ピンク映画関係者との付き合いは銀行員一家で支店長の娘の妻がいたらありえなかったよなとか、いないからこそある現在をポジティブに考えて生きてきた。変えようのない過去は、できるだけ忘れて未来を生きていくしかない。「過去」というのはそういうものだと思う。

犯罪被害者の遺族が、犯人への罰を「応報刑」的に求めるのは、「過去」を絶対忘れないということでもある。しかし、それで癒しは得られるのだろうか。自分で殺すにせよ、国家が代行して死刑執行するにせよ、殺された死者は戻らないし、空虚な心が残るだけだと思う。「SCOPE」で「一生苦しめ!」と犯人を罵倒する被害者家族の顔に、癒しは見られなかった。むしろ、憎悪に狂った荒んだ心が、さらに増幅をかさねているようにしか見えなかった。癒しとは程遠い鬼気迫る光景であった。

犯罪被害者の遺族が癒しを得るのは、やはり速やかに加害者のことも含めて「過去」として、忘れるしかないというのが私の考えである。だから、その後加害者が国家からどんな罰を受けようが、預かり知らぬ方がよいということである。私が「絞死刑」の「更生刑」論を支持する理由でもある。こんなようなことを何人かの人と、「映画友の会」三次会の酒席で話したが、「病による死別と、犯罪被害者とはちがうよ。あなたが被害者遺族でも、同じこと言える?」と返された。確かに私が被害者遺族だったら、そこまで言い切れるかどうかの自信はない。でも、私はそのように考え続けたいと、現時点では思っている。

最近来日して話題になった金賢姫元工作員はどうだろうか。「応報刑」的に言えば、100人以上殺したんだから殺してしまえ!で、終わりである。しかしその後、特赦により北朝鮮のテロの実態をかなり語ることによりある種の存在価値を見せた。これは「更生刑」の一つのあり方である。アメリカのように、こういうことが「司法取引」として常態化するのもどうかと思うが、私はやはり「応報刑」より「更生刑」を支持する者である。

2007年の韓国映画「シークレット・サンシャイン」は、こんな私に「罪と罰」の問題を考えさせた作品だった。未亡人のチョン・ドヨンは、唯一のいきがいだった最愛の息子を誘拐され殺害される。精神的に崩壊寸前になった彼女は神にすがり、犯人を許す心を得ることで平安を得ようとする。その時が、やっと訪れる。そして、犯人に許しを伝えるべく面会をする。しかし、犯人もやはり神に帰依し、罪の苦しみから解放されて心の平安を得ていた。自分の今までの神の前での苦闘は何だったのか。チョン・ドヨンは完全に精神崩壊してしまう。

加害者への許しを心の癒しに繋げるということは、過去を過去として葬りさらないということである。過去に拘泥し続けるということでもあるのだ。私は、その先には絶対に救いと癒しは訪れないと思う。私にとって「シークレット・サンシャイン」は、極めて陰鬱で後味の悪い映画であった。

「罪と罰」の問題については、社会的刑罰とは別に、加害者の心の中の罪の意識という問題があろう。ただし、そのあたりについてはドストエフスキーの古典「罪と罰」で言い尽されていると思う。そして、これは被害者側の心情とは、何の関係もないものなのである。

平成22年7月27日(火)  新宿武蔵野館からアテネ・フランセ文化センターへ
7月27日(火)、アテネ・フランセ文化センターの特集「ジガ・ヴェルトフとロシア・アバンギャルド映画」の中で、クラシック中のクラシック「カメラを持った男」が上映されるので、足を運ぶことにした。合わせて、その前に通過地の新宿武蔵野館で「レポゼッション・メン」も観ることにする。

「レポゼッション・メン」は、人工臓器が普及した近未来が舞台のSFである。人工臓器を製造販売するユニオン社は、利益拡大のため、ローンを組ませて顧客を増やしていく。もちろん、ローン返済不能となればレポゼッション・メン(人口臓器回収人)が出向き、臓器を回収する。回収作業とは、顧客を失神させて臓器を取り出して引き上げるのだから、早い話が殺人である。しかし、これは合法ということになっている。リーマンブラザースのサブプライムローンの現実を、巧みにSF的設定に取り込んで見事だ。

ジュード・ロウとフォレスト・ウィテカーの臓器回収人コンビが主人公だ。だが、設定は面白いのに、そこから先がSF的に弾けない。凡庸なハードボイルド・アクションの展開が続いていく。フォレスト・ウィテカーがジュード・ロウに注ぐ気持は、バディに対する友情以上にホモセクシュアリティすら感じさせるのも、SF的な飛躍からはほとんど無縁である。

そんな不満を抱きながら観ていたら、最後の転調に仰天した。ネタバレになるので具体的に記せないが、凡庸ハードボイルドになるべくしてなっていたというもう一つの裏の真実が、浮かびあがるのである。「インセプション」には及ばないが、「レポゼッション・メン」もかなりのセンス・オブ・ワンダーに溢れた映画であった。

続いて訪れたアテネ・フランセ文化センターでは、映画美学校の千浦僚さんが受付を努めていた。映画美学校の人だから、それほど唐突な出会いとも言えないが、こういう所で知人に出会うのは、挨拶程度しかしなかったにせよ、なんとなく暖かい気持になる。

ジガ・ヴェルトフの「カメラを持った男」には、映画草創期の映画人の、ギンギンした情熱を感じた。映画とは何か?映画に何ができるのか?映画はどうあるべきか?それらの思いが画面に溢れかえっているのだ。

アテネ・フランセ文化センターに行くと、映画青年風の若者に埋め尽くされているので、いつもホッとする。その中にプロパーらしき大人の姿がチラホラ、物好きな年寄りのファンの様なのも少々(私もその一人である)、そして客席の全員が、音楽も弁士もいないサイレント映画無音再生を、息をこらして身じろぎもせず見つめている。正に「お勉強会」のムードである。現在の養老院化したフィルムセンターと違い、昔のフィルムセンターの光景は正にこれだった。映画は青春の芸術であると感じられた。アテネ・フランス文化センターに足を運ぶ度に、そんな昔の感慨に耽っている。

映画というジャンルはいつまで青春であり続けられるのか?
映画三昧日記2010年−10

里見瑤子さんのファンの話題に関連して、ここのところ里見さん出るところに必ず出没するchimyさんこと宮野真一さんの話題がよく出る。まあ、それだけ私が里見瑤子さんの出るところに、やたらと顔を出しまくっている証左かもしれない。私にとっては、宮野さんは里見応援団筆頭ということだが、自主映画監督の顔も持っており、里見瑤子さんの映画を監督したこともある。そして、そちらの方の顔については、13号倉庫さんもご存じだということを、最近知った。そんなことから、ふと、最近のイベントを振り返ると、いろいろな形で、知人・友人の輪が、多様・多彩な形て繋がってくることに思いが至った。そのあたりにもポイントを置いて、最近のイベント・レポートを展開してみたい。


●平成22年6月19日(土)「アンダンテ〜稲の旋律〜」初日 監督と原作者の舞台挨拶  ポレポレ東中野
「アンダンテ〜稲の旋律〜」という映画のチケットをいただいた。進呈してくれたのは、無声映画鑑賞会での友人の石塚雅晴さんだ。石塚さんは料理人であり、彼が主催者の一人である「小さな上映会・実行委員会」の、映画と料理を同時に楽しむ7月3日(土)のイベント案内の件でのやりとりの中で、いただいたものである。元の提供者は、キネマ旬報6月上旬号「キネ旬ロビイ」で片桐はいりの連載について書いている愛知県の教員・遠藤紀夫さんだそうだ。チケットは、単なる鑑賞券ではなく、製作協力券であったから、かなり映画に関連する活動もされている方のようだ。

この遠藤さんとは、7月3日(土)のイベントでお会いして、そこで思いがけない人の縁の輪を感じることになる。それ以外にもこの日は、さまざまな縁の輪を感じることになるのだが、それは後の項に譲る。

「アンダンテ〜稲の旋律〜」の上映期間は6月19日(土)〜7月2日(金)、ポレポレ東中野のモーニングショーだ。今年の正月第2弾としてポレポレ東中野で公開されたが、好評につきアンコール上映とのことである。『地元で見た人の話では「とてもいい映画」』との石塚雅晴さんの弁なので、ちょっと期待する。

6月19日(土)は第三土曜日、月例の「映画友の会」で都区内に出るので、その前に観ていくことにする。初日ということで上映に先立ち、原作者・旭爪あかねさんと金田敬監督の挨拶があるとのアナウンスがある。えっ!一瞬耳を疑った。私は、この映画の予備知識は全くなく入場したが、何と!「奴隷船」でいっしょに仕事をした(と言っても撮影1日、アフレコ半日の、最終的にはクレジットしてくれたが、エキストラ出演程度のおつきあいではあるが…結局、共に過ごした時間は徹夜の打ち上げの方が長かったかもしれない)金田敬監督作品ということなのである。何と奇しき縁であることか。

「アンダンテ〜稲の旋律〜」は、役人の管理による国家の成長が価値観の全てという村野武範の頑固親父と、娘を異常なまでに一流ピアニストにしたいと執着する母の間で、引きこもりになった若い娘の新妻聖子が主人公である。彼女が、千葉で自然有機農業に励んでいる筧利夫との交流を通じ、引きこもりを克服し、母との軋轢をも回復するという映画で、猟奇的な「奴隷船」とは真逆の題材だ。

ただ、「奴隷船」と同様に、この映画もなかなかの仕上がりだった。一見、荒井晴彦が言うところの「田舎は都会の病院じゃないよ」という映画に見えながら、引きこもり脱却も、田園の中のピアノコンサートによる母娘の関係の修復も、一応は形だけのクライマックスであって、人生も世の中もそんな一筋縄ではいかないよなという、奥行きと余韻が残るのである。「奴隷船」も、SMを興味本位にも扇情的にも落とさず、人の心の闇と悲しさに迫った金田敬監督、今後も注目し続けたい映画作家の一人だと思った。

終映後のロビーで、金田敬監督に「監督、多彩なんですね」と声をかけて挨拶をする。「あ、朝早くからありがとうございます」監督は恐縮気味であった。ここで、まさかたまたまチケットをもらったから来たとも言えないので、金田監督に注目して来た一観客を装った。まあ、この時点ではそれも半分は嘘でもなくなっているということである。金田敬監督作品、今後チェックである。昨年の「映画三昧日記2009年−22」で、「奴隷船」における監督のエネルギッシュな演出ぶりを紹介したが、対称的に静謐な題材の「アンダンテ〜稲の旋律〜」の演出ぶりは、どうだったのだろうか。

●平成22年6月26日(土)
「まめしば」さん歓迎オフ会から「久保新二物語」出演へ

「お竜さん」が中心となって仕掛けている女性ピンクファンを男性何人かがガードして開催するピンクゲリラツァーは、増殖・盛況を極めているが、この流れは東京以外にも拡大しつつあるようだ。大阪で同種のツァーを仕掛けているのがmixiネーム「まめしば」さんだ。その彼女が、上京してくるということで、平成22年6月26日(土)に新宿でオフ会を開催ということになった。

実は、この日は池島ゆたか監督が、「久保新二物語」(DVD作品だが、劇場公開に向けても運動中という)のエキストラ募集をしていた日と、バッティングしてしまったのである。参加者は無念の涙を飲みつつ、歓迎オフ会への参加となった。ところが宴も終盤近く、オフ会参加者の一人である映画ライターの中村勝則さんの携帯に、池島監督からホットラインが鳴った。会場近くの歌舞伎町の久保新二さんの店「あいうえお」でロケ撮影中だが、スナックの客席が少し寂しいので、数名協力してくれないかとのことである。池島監督の演出姿を見られるのは、大阪からのゲスト「まめしば」さんには大変なプレゼントだ。「でも、池島監督は現場では怒鳴りまくって大変みたいだよ」と、牽制球を投げる一部お喋り雀の声もものかわ、「まめしば」さん以下の数名は、撮影現場に押し掛ける。

池島ゆたか監督は、撮影が順調のせいか、いつもどおりの温厚な表情だった。シーンはカラオケの歌声をバックに、例によっての怪演・珍演で久保新二さんが半裸で踊り狂うところである。カラオケを披露するのは、ミュージシャンの大場一魅さん、何とも我々ファンにとっては、お得感がいっぱいである。我々は、久保新二さんの登場に合わせて、「待ってました!」「頑張れ!」「大統領!」なんて囃したてる役どころである。「まめしば」さんは夜行バスの関係もあり途中リタイアとなったが、最後に監督と握手もでき、よい東京みやげになったのではないか。

翌日、中村勝則さんから連絡が入った。監督から「special thanks」としてクレジットしたいが、ハンドルネームか本名か、それ以外の何かにするかとの問い合わせである。私は、本名でお願いした。ワーイ!「人妻教師 レイプ揉みしごく」「奴隷船」に続いて、3本目のクレジットだぞ〜!!私は、あまり映っていないと思うが、同録なので、活弁や寄席で鍛えた掛け声は、かなり入っていると思う。後日、池島監督に聞いたら、協力していただいた方の全員、ちゃんと映っていますよ、とのことであった。

なお、26日(土)の都区内に出る交通費有効活用として、オフ会参加に先立ちシネマヴェーラ渋谷「足立正生の宇宙」にて、「略称・連続射殺魔」「高校生無頼控」を見た。連続射殺魔・永山則夫が、多分眼にしたであろう風景の連続だけで綴った「略称・連続射殺魔」は、今でも映画の原点を考えさせる深さを有していた。製作当時の1969年に、風景論なることで映画論壇を賑わせた作品だが、やっと我が眼で確認することができたのである。「高校生無頼控」は足立正生が脚本に携わっており、足立流アナーキーさも伺えないこともないが、江崎実生監督の手堅いプログラムピクチャーといったところだ。と、思いつつ後日データ整理をしていたら、この映画はリアルタイムで観ていた。その時に、そうだ、観たのは亀戸日勝だったなと記憶が蘇ったが、それまで全く気付かなかった。呆けてるなあ。

●平成22年6月28日(月)無声映画鑑賞会
無声映画鑑賞会は、私にとっては特別のイベントではない。「映画友の会」「蛙の会」と並んでの定期的月例イベントだ。しかし、この日は「お竜さん」が足を運んでくるという。

「お竜さん」は、無声映画鑑賞会の常連活動弁士、澤登翠さん一門の斎藤裕子さんのサポーターである。そのことは、知り合ってしばらく時間が立ってから知った。斎藤さんのmixiネームが「活弁女郎」(かつべんめろう)というのも、その時初めて知った。それをきっかけにして、斎藤裕子さんが、私のmixiネーム「活弁オジサン」を知った。(前々から、多分そうでないかと思っていたそうだが)ここにも奇しき縁があった。

この月の無声映画鑑賞会は「ダグラスとチャップリン」と銘打ち、「チャップリンの放浪者」「ダグラスの三銃士」の二本立てである。チャップリンを斎藤さんが、ダグラスを澤登さんが活弁をつける。

会場では、日頃あまり顔を見ない二人の方に遭遇した。日本を代表する脚本家の一人で、無声映画鑑賞会特別会員の石森史郎さんである。石森さんとは、毎年の無声映画鑑賞会忘年会で顔馴染みであり、時間の許す限り発表会に顔を出していただいている「蛙の会」サポーターのお一人でもあるので、開演までしばし歓談する。そこへ「お竜さん」が来たので、紹介して交わっての歓談となる。石森史郎さんは、若い頃にピンク映画界でも活動したことがあり、話は弾む。そういえば、現在の深町章が稲尾実であることを石森さんに伝えたのは私であり、映画雑誌編集者の方を経由して、現在の連絡先を教えたのも私であった。人の関係というのは、本当にループを描くものである。そうこうしているうちに、「映画友の会」の古い友人Sさんが久々に来場して、話の輪に加わる。この人は、ここ十数年来の私のような新参者会員(?)ではなく、四十年来の筋金入りの無声映画鑑賞会会員である。キューピーマヨネーズの監査役で広島に単身赴任していたが、私と同年代でそろそろ退職の時期となり、非常勤の顧問になって東京にもどってきたそうだ。今後は私同様、映画三昧にスタンスを移すとのことであった。こうして人の輪が、どんどん繋がっていくのは、本当に楽しき限りである。

なお、この日の都区内に出る交通費有効活用として、無声映画鑑賞会に先立ち観たのは、東劇の「イエロー・ハンカチーフ」と、新文芸座「鬼才・神代辰巳」の「恋人たちは濡れた」である。「イエロー・ハンカチーフ」は、山田洋次の「幸福の黄色いハンカチ」のリメークで、もともとのお話が良いから見せるが、わざわざ舞台をアメリカに移してリメークする程のことがあったかな、という感じだった。見逃していた「恋人たちは濡れた」は、当時の世評にたがわぬ傑作だった。ただ、私は神代辰巳のヌラヌラしたタッチが苦手なので、「観る人が観れば」と注釈付きにならざるをえない。まあ、私的には収穫が少ない2本であったが、観ていなければ観ていないで、やっぱりいつまでも気になるのだから、まあ、我が眼で確認できてよかったということだろう。

●平成22年6月30日(土)「駱駝夫人」さん夫妻歓迎オフ会
6月26日(土)の日記で、ピンクゲリラツァー全国拡大中、増殖・盛況を極めていることを紹介したが、博多にも天神シネマでツァーを展開しているmixiネーム「駱駝夫人」さんがいる。こちらも、上京するとなって、またまたオフ会の展開となった。今回は旦那さん(その名も「ラクダーリン」!)も同行ということだ「まめしば」さんとスケジュール調整がつかなかったのが残念なところで、連日のオフ会になったことを「駱駝夫人」さんは恐縮していたが、いえいえ、こういう飲み会なら、何度だって集まりますよ。

「駱駝夫人」「ラクダーリン」夫妻は、細長い風船をひねって様々な造形をするショーマンで、今回の上京はその公演があったからでもあるとのことである。席上で、その風船が披露されたが、御夫婦は簡単に膨らませることができるのに、他の面々がやると、どうしても膨らまない。真っ赤な顔で気張る者が続出し、「酔ってやると倒れるから、やめた方がいいですよ」との「ラクダーリン」さんの言で、チョンとなった。

「駱駝夫人」さんのmixi日記の書き込みに「トム」さんの名があったのに驚いた。「トム」さんとは、湯布院映画祭の友人で、映画検定1級のYさんのことで、私にとっては特別な存在である。Yさんは、私の湯布院の友人で、映画者であると同時に唯一プロレス者である稀有な人なのだ。「映画友の会」では珍しくはないが、湯布院の友では映画者でかつプロレス者は、彼一人である。(隠れプロレス者は、まだいるのかもしれないが)。もっとも、Yさんは福岡の人だから、博多の「駱駝夫人」さんとは同じ九州の映画ファン同志、コンタクトがあっても不思議はないし、むしろ当然なのかもしれない。いずれにしても、ここにも奇しき縁があった。

なお、この日は都区内に出る交通費有効活用として、オフ会に先立ちフィルムセンター「フィルム・コレクションに観るNFCの40年」の中の「巨人ゴーレム」を見た。ここまでクラシックとなると、もはや良いの悪いのという次元はない。「カリガリ博士」「メトロポリス」「吸血鬼ノスフェラトゥ」「プラーグの大学生」「月世界の女」など、私好みのドイツ表現派幻想世界を堪能した。

●平成22年7月3日(土)「小さな上映会」
平成22年6月19日(土)の日記に記した「小さな上映会」について、詳述したい。主催は「小さな上映会・実行委員会」で、実行委員の中核は、私の無声映画鑑賞会の友人の石塚雅晴さんである。石塚さんは料理人で、地元の埼玉県行田市で、「料理を作って、それを食べながら映画を楽しむ会」として、料理教室の受講生を中心に、上映会と食事会をコラボレートした「小さな上映会」を、何回も開催してきた。今回の企画もその延長である。

神楽坂に「中国菜・天水」という中華料理店がある。ここの社長が、石塚さんの料理の師匠なのである。この「天水」が、師匠の引退に伴い閉店することになり、フィナーレのイベントとして、映画上映の後に、中華料理のフルコースを楽しみながら映画談議で歓談しようという試みである。映画は行田市出身の映画監督・茂木薫作品のドキュメンタリー「梅むら夫婦」だ。昨年8月に行田市における2日間の自主上映で800人を動員し、その好評を受けて今年2月、ワーナー・マイカル・シネマズ羽生で1週間の公開に至ったという一篇である。

「梅むら夫婦」は、親子三人が吹上駅前で経営していた和菓子とうどんの店「梅むら」で、突然一人娘を交通事故で失い、ショックで店を閉めていた夫婦が、そこから立ち直り、行田にフライ屋を開店するまでのドキュメントである。素朴な御当地ドキュメントで、平凡な人生を突然襲った悲劇とその再生が、爽やかに描かれていく。

懇親会に先立って社長から、本日の中華料理フルコースの内容について、細かく紹介される。美味を漫然と食するのも悪くないが、このようにこれから口に入れるものを細かくレクチャーされるのも、実際に口に入れる時には一味違ってくるので、なかなか良いものだ。そして、懇親会に入る。ゲストは茂木薫監督をはじめとして、落語家の三遊亭右京師匠、映画評論家の秋元鉄次さんと中西愛子さん、活動弁士の佐々木亜希子さんと、石塚雅晴さんの交友の広さを物語って多彩である。私としては、佐々木亜希子さんと「バリアフリー講座」以来の思いがけない出会いとなった。もっとも、石塚さんは無声映画鑑賞会の会員であり、弁士の佐々木亜希子さんが出席しているのは、当然といえば当然なことではある。

秋元鉄次さんは、早乙女宏美さんの応援団の一人であり、かつて芝居の打ち上げでご一緒したこともあった。そんなことも話題にして、久々の再会のエールを交換した。それ以前に若い頃、文芸座のオールナイト明けで、よく喫茶店で話しましたよねと、秋元さんに返される。そういえば、お互い青春の真っ盛り、キネ旬「読者の映画評」常連同志が、フィルムセンターや特集上映で何人も集まり、熱く語り合ったものである。「白井学校」は、こんな風にも展開していたのだ。

「読者の映画評」出身のプロパー映画評論家・中西愛子さんとは初対面で、ご挨拶する。19日(土)の日記で紹介した「アンダンテ〜稲の旋律〜」チケット提供者、愛知県の教員・遠藤紀夫さんと、その近くにいた愛知県の富田さんは、私のことは知っていたが、中西愛子さんのことは、あまり知らないようだった。いよー!俺の方が有名人だ!といい気になるが、「でも中西さんは、映画検定の出題をする人、俺は所詮は受検者ですから…」と半ば自嘲的に述べる。しかし、種を明かしたら、須田総一郎さんの友人ということで、私のことを知っていたに過ぎなかったというネタが割れる。

須田総一郎さんは、私にとっての「映画友の会」の友人で、かつてのキネ旬「読者の映画評」のライバルである。(昨年6月「映画三昧日記」の私の『キネマ旬報「読者の映画評」卒業宣言』で、その関係は無くなったが)そして、同じ会社の東京電力の仲間であった。私みたいな叩き上げとちがって、須田さんは一流大学出身のエリートであり、得意の映画素養を活かし、愛知万博の「電力館」の副館長(館長は地元の中部電力にまかせざるをえないから)を勤め、現在は「Switch! Station みなとみらい」の館長を勤めている。愛知万博の仕事に携わっていた時期は、名古屋に単身赴任中で、地元の映画ファンと交流を深めたそうだ。遠藤さんも富田さんも、その時の仲間だったということなのである。本当に人の輪というのは、大きくルーブしていくものだ。

この日は都区内に出る交通費有効活用として、イベントに先立ち、銀座シネパトス「名画座サスペンス劇場・傑作選」を観てから廻った。私が見逃していた「黒の超特急」「黒の切り札」の”黒”シリーズ2本立である。「黒の超特急」は主演の田宮二郎のヒーローぶり以上に、ヒロイン藤由紀子の女のしたたかさが際立つ。これはやっぱり女の強さを描く増村保造映画であった。一方「黒の切り札」は、ナイトクラブの音楽やショーのシーンを巧みに織り込んだ井上梅次流のモダンアクションで、この対比が楽しい二本だった。

●平成22年7月4日(日) 
「バイオレンス&アクションの鬼才 長谷部安春一周忌上映
シネマバー・ザ・グリソムギャング

7月4日(日)は、先月から早々と予約していた「長谷部安春一周忌上映会」だ。サブタイトルは「バイオレンス&アクションの鬼才」、会場は小田急線の読売ランド前駅近くのシネマバー「ザ・グリソムギャング」である。この会場に行くのは今回で2度目で、最初は2008年5月18日(日)の「森山茂雄監督特集」、ただし私の目当ては、申し訳ないが監督ではなくゲストの一人の里見瑤子さん、これをきっかけに里見さんと「おともだち」となれた記念すべき場所である。この日については、当時の「映画三昧日記」で詳述した。ここでは、「ザ・グリソムギヤング」の会場だけを、再度紹介しておく。バーと客席20程度の劇場が併設されているアットホームな空間で、映画+飲み会が楽しめる場所なのである。

この日は、経過地である立川のCINEMA・TWOで、「踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!」を観てから、読売ランド前のザ・グリソムギャングに廻った。「踊る大捜査線」シリーズの、プログラムピクチャー的活力は、私は嫌いではない。ただし、こうした肩の凝らない娯楽映画が、数年置きにしか製作できないところに、映画パワーの低下を感じる。撮影所システム健在なりし頃は、「仁義なき戦い」シリーズのような力作が、1年で4本も叩き出されたのである。ただ、今回の「踊る大捜査線」の3は、10年余の時間経過を巧みに活用して、大河映画の様相も呈していたのは、ちょっと工夫が見られた。

「長谷部安春一周忌上映会」の上映作品は、「(秘)ハネムーン 暴行列車」「暴行切り裂きジャック」の二本だ。2日(金)から開催されており、最終日のこの日のゲストは脚本家の桂千穂さんと、当時の助監督の斉藤信幸監督である。私のお目当ては「暴行切り裂きジャック」だ。話は、2005年7月の昔に遡る。知人のフリーライターIさんに声をかけられて、『「多重脚本家・桂千穂」の刊行を祝う会』に出席した。このレポートは当時の「映画三昧日記」に記している。ここで、桂脚本の代表作は「暴行切り裂きジャック」に尽きるとの声を耳にした。残念ながら私は未見である。2008年に月10日勤務の嘱託になった以後、見逃した旧作をせっせと観ることを始めたが、この映画、上映されそうに思えて、なかなか機会がない。やっと、今回のザ・グリソムギャングでお目見えできることになったのである。

「PKの会」の友人、東京JOEさんは、グリソム上映企画のサポーターだ。彼の弁によると、「暴行切り裂きジャック」のフィルムはこの上映をもってジャンクされるとのことだった。本当に良い機会に恵まれたものだ。会場には、当然東京JOEさんの顔も見えたが、これはまあ奇しき縁とまでは言えない。意外な出会いは脚本家の北里宇一朗さんであった。かつての「キネ旬友の会」の知人である。最近は、試写会でたまに顔を合わせて挨拶をする程度で、話らしい話をしたのは、前述の「祝う会」以来ではないだろうか。もっとも北里さんも「多重脚本家・桂千穂」出版に携わっていた方だから、桂さんがゲストのこの場にいるのも当然の帰結で、これも必ずしも奇しき縁ではなく、想定内の出会いということだろうか。

『「暴行切り裂きジャック」を未だ観ていないんですか。黒澤明の映画で「七人の侍」を観ていないようなもんですよ』と、北里宇一朗さんに言われてしまう。「暴行切り裂きジャック」の公開は昭和51年、私が最も働き盛り・家族サービス期間で、とてもカルト的名画にまで手が回りきらなかった時代である。(まして、日活ロマンポルノには、この手の伝説の名画が多すぎた)しかし、それは別にしても、この時代のロマンポルノをあまり観ていないことで、この後の懇親会で肩見の狭い思い、というよりは、もう一つ楽しむことができなかったのは確かだが、それは後述する。

「暴行切り裂きジャック」は、確かに凄ご過ぎた。無為に過ごしているカップルに、ある日、自傷癖の女が車に乗り込んできて、自らを切り刻み血まみれになって、最後は車の前に飛び込んで自殺する。この猟奇的な刺激から、二人はまともなSEXでは燃えなくなる。行きずりの女を次々と切り裂いては興奮して、体を重ねる。その切り裂きぶりは、性器を下から切り上げていく過激さだ。男が勝手に一人だけで切り裂きをすると、女は半狂乱になってなじる。その理由は判然としない。判然としないが、自傷癖の女の登場からここに至るまで、とにかく映画的説得力がある。話だけ聞いていると、何と陰惨な映画なのかとしか思えないだろうが、アクションの鬼才・長谷部安春のスピーディーなタッチは、爽快ですらある。日本映画史に聳える異形の傑作と言っていいだろう。

もう一本の「(秘)ハネムーン 暴行列車」もなかなかの映画だった。銀行ギャングの二人組が、結婚式場から花嫁を拉致し人質にしての、逃走劇である。ロマンポルノというよりは、アクションドラマである。花嫁はいつしかギャングの若者二人にシンパシーを抱き始め、積極的に逃走を幇助するようになる。そこに至る経過も確たる説明はないが、花嫁の控室における新郎の無粋な行為が、この結婚があまり楽しかるべきものでないことを、暗黙の内に示している。「暴行切り裂きジャック」もそうだが、長谷部安春が、こんなにも寡黙で行間を読ませる演出が巧みだったとは思わなかった。今まではアクションの名手としての印象が強すぎたのである。勿論、「(秘)ハネムーン 暴行列車」のクライマックスの機動隊との銃撃戦は、アクション映画の見せ場としても遜色がない。ギャングの若者は、通報者になりそうな女性と遭遇すると、口止めのためにレイプする。レイプすることが口止めになるということは、まだまだ昭和50年代の貞操観念は、そういうことだったということか。ここには時代を感じた。そんな感じで濡れ場が連続するだけだから、「(秘)ハネムーン 暴行列車」はあまりエロくならない。その面でもこれはアクション映画であった。

2本を上映後に、お宝映像が特別に上映される。昨年のグリソムギャングにゲストで来場した生前の長谷部安春監督のトークショー映像だ。続いて、トークで話題になった映画のダイジェスト場面集も上映される。「レイプ25時 暴姦」では、当時のロマンポルノ常連怪優・高橋明(懐かしい!)が、男の死体の歯を丹念に金槌で砕き、血みどろになった口に一物を挿入してオナニーするシーンがある。「あれね、脚本家が考えたんだよ。俺、あんな変態じないから」と、長谷部監督はのたまわる。その後の本日のトークショーでは、桂千穂さんが「いや、あれは監督が言い出したんだよ」と反論する。司会者が「でも脚本にはありましたよね」と指摘すると、「決定稿でしょ。決定稿なんて、監督の筆がかなり入るんだから」と答えて譲らない。変態は向こう、まともなのはオレと、押しつけあうのはなんとも楽しい光景だった。

さて、懇親会である。当然、会場は隣のバーだと思っており、そういえばあそこの席に里見瑤子さんが座ってたんだよなと想い出に耽ったりして待っていたが、いつまでたっても人が集まらない。気が付いたら、窓の外を桂千穂さん以下、ゲストの方が通り過ぎていく。会場は2〜3軒先のお好み焼き屋であった。グリソムの人に聞いたら、懇親会場は参加者数その他の事情から、臨機応変に設定しているそうだ。

参加者のほとんどは、長谷部安春を中心とした熱狂的支持者・ファンだったようだ。当然長谷部監督と縁の深い脚本家の桂千穂さん、当時助監督の斉藤信幸監督のファンでもあり造詣が深い。だから、今回上映作品も何回も観てきたリピーターばかりだ。私としては前述したとおり、この当時のロマンポルノにはほとんど縁が薄く、斉藤信幸監督作品を一本も観ていない体たらくである。もう一つ乗りきれなかった懇親会であったのはまちがいない。東京JOEさんは懇親会不参加だったが、そういう雰囲気を察知していたのだろうか。ただ、「日本映画の美の記憶〜大映京都撮影所が遺したもの〜」を特集し、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」が上映された近年で最も私にとり熱かった2007年「湯布院映画祭」に参加された女性がいて、私のことを記憶に止めていただいて、その意味では旧交となった。

 考えれば、グリソムギャングとは、そういう場なのかもしれない。前回参加した森山茂雄監督特集にしても、懇親会参加者のほとんどが(森山監督にはお気の毒だが)里見瑤子さんのファン・応援団だったような気がする。毎回、その作品のシンパ・関係者が参集し、メンバーがガラリと変わる映芸シネマテーク(旧・映芸マンスリー)と似たような空間のようだ。それはそれでいいのだが、そうした人達を核として、企画に関わらずその分野ではビギナーであっても、欠かさず参加する常連がシンパを囲むという構図が出来れば、もっと盛り上がるのではないか。「シネマバー ザ・グリソムギャング」も「映芸シネマテーク」も、それだけの魅力ある空間だと思う。

●平成22年7月7日(水) 七夕ピンクゲリラツァー
7月7日(水)「七夕ピンクゲリラツァー」の前日の6日(火)、私は、銀座シネパトス「名画座サスペンス劇場・傑作選」の「背徳のメス」「左ききの狙撃者 東京湾」を観た後、フィルムセンター「ぴあフィルムフェスティバルの軌跡」の「空の穴」を観る計画を立てた。どちらも初見だ。シネパトスでは、おもいがけなく「PKの会」の友人で脚本家の高木高一郎さん(日活アクションの熱烈ファンで赤木圭一郎をもじって「たかぎこういちろう」と読みます)と、バッタリ遭遇する。明日のツァーの再会を約し、しばし歓談する。

「背徳のメス」「東京湾」の野村芳太郎の二本立は、共に手堅くキッチリ観せる手腕が見事だ。いずれも90分弱で、これだけ満腹感を与えるのは、大したものである。フィルムセンターで観た「空の穴」は寺島進の個性がよく生きていた。競演の菊池百合子は、雰囲気のあるいい娘だな、どこかで見た顔だな、と思っていたら後の米アカデミー・ノミネート女優の菊池凛子だった。当然の好演といったところだ。

翌日の七夕ピンクゲリラツァーで観たピンク映画3本の評については、「ピンク映画カタログ−14」のとおりなので、お暇なら寄り道して下さい。女性2人・男性は池島ゆたか監督も交えての6人という盛会だったことも、そこで紹介した。さて、ここではそれ以上のレポートを、ということになるのだが、意外と書くネタが出てこない。楽しくなかったわけでは無いが、ここ10日あまりで何回も会って飲んでいるメンバーなので、もう完全に日常の一環に組み込まれてしまっており、思いがけない出会いも友人・知人のループにも乏しかったせいかもしれない。

帰宅コースは、例によって池島ゆたか監督と「お竜さん」と私の3人が同じになった。ただ、この日は府中在住の監督は、明日の仕事の都合で事務所の方に泊るとのことで、新宿でお別れとなる。しかし「終電車まで飲んでいこうよ」との監督の呼び掛けで、新宿で下車する。「お竜さん」は立川、私は国分寺の住人なので、監督ともども、中央線の時刻表には詳しい。しかし、そうなってしまうと終電車で納まるわけもなく、あっさり方針変更、ゴールデン街で徹夜のコースになってしまった。

ゴールデン街の店に入り、私が「水原香菜恵さんの店に来て以来だな」なんて呟いていたら、「ここがそうだよ」と監督に言われる。そう言えばカウンターの中で香苗恵さんが微笑んでおりました。失礼いたしました。酔ってるなあ。前に来た時は初店の「竜子さん」というニューハーフがいて、「キネマ怪人カマニア」さんこと鎌田一利さんが熱を上げていた。香苗恵さんに聞いたら、今日は出ていないが、店に定着しているそうである。鎌田さん、そういうことです。

結局徹夜になってしまったが、池島ゆたか監督は、寂しがり屋のような気がした。とにかく人と別れるのが嫌いで(特に女性がいると…失礼!)、その結果、私もこの歳になって、池島監督がらみで徹夜の飲み明かしが急に増えてきた。健康には留意することにしよう!

●平成22年7月7日(水)
「ザ・コーヴ」 [シアター]イメージフォーラム

「七夕ピンクゲリラツァー」に先立って、例によって都区内まで出る交通費有効活用のため、[シアター]イメージフォーラムで問題作「ザ・コーヴ」を観ていくことにする。これは、なかなか興味深い一篇だったので、少し語ることにしたい。

ドキュメントされるメインの人は、「わんぱくフリッパー」を世界的人気番組とした調教師兼俳優のリック・オリバーだ。この番組によりイルカは世界的アイドルとなり、イルカ・ショーが世界中に氾濫する。この結果を憂いたリック・オリバーが、一転イルカ解放運動に身を投じたのだ。

何とも平和で暇だなあ、と思わざるをえない。どうせ平和で暇ならば、この映画と同様に2008年アカデミー長編ドキュメンタリー賞を取った「マン・オン・ワイヤー」のように、無邪気に行ってもらいたいものだ。今は無きワールド・トレード・センターのツイン・タワーに極秘で綱を張って、史上空前の綱渡りを演じるドキュメントである。成功しても何の名誉も大義名分もない。犯罪者として捕えられるだけである。同じ犯罪者になる覚悟があるならば、この無償の無茶の方が「コーヴ」のリック・オリバーよりも、遙かにロマンを感じる。

今年のアカデミー長編ドキュメンタリー賞では、「ビルマVJ 消された革命」がノミネートされて、「ザ・コーヴ」に敗れ落選した。平和で暇ならば、イルカの心配する前にこのアジアの惨状に眼を向けろよ!と言いたくなる。「ザ・コーヴ」でも、日本を東洋の野蛮な未開国の趣きで捉えており、これらの東洋蔑視は、誠に不愉快である。

だがこの映画を、事実の真偽はとりあえず棚に上げ、ドラマチックなドキュメンタリーとして観た場合は、実に見事である。抜群に面白い。かつてのリック・オリバーは、自らの手によって、イルカを世界的な水族館ショーの人気スターに仕立て上げてしまった。その結果、イルカ捕獲販売輸出産業が、繁栄を極める。その頂点が日本の太地町である。太地町は、イルカを入江(ザ・コーヴ)に追いこんで捕獲する。その入江は、厳重警戒だから、部外者が眼にすることはできない。その監視網の眼をくぐって、隠しカメラを設置し、入江の真実を記録しようとする。ここから先は007もかくやと思わせるスリルとサスペンスの世界である。ここで、未開の東洋の野蛮国として、日本人を描くことに意味がある。嫌が応にも妨害する日本人の不気味さにより、緊迫感が高まるのだ。ジェームズ・ボンドが北朝鮮で奮戦する「ダイ・アナザー・デイ」の世界なのだ。しかし、同じサスペンスなら、前述した「マン・オン・ワイヤー」の無償で無邪気なワールド・トレード・センター潜入談の方が、独善的な正義感ぶりが無いだけに、遙かに微笑ましいのも間違いない。

そして、ついに捉えました。イルカの血で真紅に染まる入江の光景。でも、これはもう、かつてのグァルティエロ・ヤコペッティの「世界残酷物語」「さらばアフリカ」と共通するハッタリ・ドキュメントの再来で、それなりに楽しい見ものではあるが、ヤコペッテイには山師的うさん臭さがあるからともかく、「ザ・コーヴ」の方は唯我独尊の独善的正義感に満ち満ちており、やはり不快である。mixiの日記上で、電撃チャックさんが「秘境系モンド映画」と称していたが、的を得ていると思う。ただし、そういうカッコ付きで観る限りは、優れてよくできた映画である。

●平成22年7月14日(水)「蛙の会」と東京電力のコラボレート
この日は、東京電力OBの私、TEPCO浅草館館長、7月3日(土)の日記で紹介した「Switch! Station みなとみらい」館長の須田総一郎さんの、TEPCO関係者勢と、「蛙の会」会員の紙芝居師としても著名な湯川博士さんとの打合せの日である。いや、そんな大仰なものではない。いずれも酒好きの面々なので、とにかくまずは一回飲みましょうや、という程度のレベルである。

TEPCO浅草館には、私は3度ほど縁がある。最初はまだ現役の社員だった頃、永井荷風展の中の山本富士子主演版「ぼく東綺譚」上映会の時に、前説を努めた。紙芝居コンクールで「紅蜥蜴」を口演し、観客賞をいただいたのもここである。今年に入って映画絵看板師のライブの進行役を務めたのは、「映画三昧日記−2」で紹介した。そんな縁で浅草館館長とは顔馴染みである。前に紹介した「映画友の会」の友人で東電社員の須田総一郎さんは、技術系の私とちがって営業マンであり、愛知万博の電力館の副館長を務め、現在は「Switch! Station みなとみらい」館長である。仕事柄、TEPCO浅草館館長と親しい。「蛙の会」の湯川博士さんは、街頭紙芝居を定着させたいと、種々のイベントで活躍している。できれば無声映画鑑賞会のように、定期的な会が開催できたらと考えている。TEPCO浅草館は、土地柄からいっても街頭紙芝居にピッタリで、会場費が無料というのは魅力だ。逆に営利目的の貸出しはしないので、木戸銭を取れないというネックもある。イベント必要経費をどうヒネりだすかは課題だ。まあ、4者とも飲兵衛ということもあり、まず顔を合わせて一杯やりながら、忌憚のない意見交換をいたしましょうと、いったところである。しかし、こんな形で東京電力と「蛙の会」がコラボレートしてくるなんて、本当に人の輪の繋がりというのは面白い。

●湯布院への道程、そして新たな出会いへの期待
今年も「湯布院映画祭」が近づいてきた。あと一ヶ月足らずで開幕、湯布院の季節となる。6月19日(土)〜7月14日(水)まで、さまざまなイベントがあり、いろいろな新しい遭遇があり、友人・知人の輪がどんどんループになっていくことを振り返ってきた。その中には、「湯布院映画祭」に繋がる人も少なからずいた。今年は、どんな湯布院での出会いがあるのだろう。そして、どんな新しい友人・知人のループが出来てくるのだろう。期待を籠め、指折り数えて待つことにしたい。
映画三昧日記2010年−9

●平成22年5月15日(火) 第22回ピンク大賞表彰式 テアトル新宿 落ち穂拾い
前回の「映画三昧日記−8」の「ピンク大賞表彰式の話題で、一つ取りこぼしがあった。と言っても、ピンク映画に関係する話題ではない。

ロビーに入場したら、「桃色のジャンヌ・ダルク」で監督デビューした鵜飼邦彦さんと、バッタリ遭遇した。鵜飼さんは「映画友の会」を通じての古い友人で、日活出身の編集マンだ。ここのところ、おもいがけない場所でよく鵜飼さんと会う。もっとも、鵜飼さんは吉行由美監督作品の専任編集者みたいなポジションにいるので、ピンク大賞表彰式の場にいるのは、順当といえばこれ以上に順当なことはない。残念ながら、打ち上げは不参加とのことで、ロビーでの立ち話以上の懇親は深められなかった。

やはり話題は「桃色のジャンヌ・ダルク」になる。私も含めて、監督は被写体の増山麗奈に引き摺られ過ぎとの一部世評に対する鵜飼監督なりのコメントがあった。「決して引き摺られたと思ってはいません。むしろ、増山さんが自分がカッコイイと思い、撮ってもらいたいと言ったところは、意識的に回避しました」とのことだった。例えば新潟地震の後、柏崎・刈羽地区を訪れた時、地道な救援・募金活動に黙々と打ち込んでいるあたりは、本人の意思に反して撮らなかったそうだ。そして、思い付きのように原子力発電所に乗り込んだパフォーマンスのみを、映画では強調したとのことだった。そこに監督としての批評眼を籠めたということなのだろう。(そこまでは言わなかったが、ある種の増山麗奈の軽薄さを見せるのが狙いだったのかもしれない)

ただ、私としては、それならば地道な活動をジックリ撮った後、突然、原子力発電所殴り込みを思い付くあたりまでを描いた方が、彼女の軽薄さがより際だったような気がする。まあ、このあたりの感覚は、私も電力マンOBとしての感覚があるので、冷静な評価からは遠いのかもしれない。

いずれにしても、初っ端は無茶苦茶に腹が立った「桃色のジャンヌ・ダルク」だけれども、結構いろいろなことを考えさせてくれる。アップリンクの長期上映も実現するようであるし、やはり今年を代表する問題作の1本かもしれない。鵜飼邦彦監督、改めて監督デビューおめでとうございます。

●平成22年6月16日(水) 関西ゼロ年代映画祭
平成22年6月16日(水)21時開映、渋谷アップリンクX「関西ゼロ年代映画祭」中の「怨念 黒髪の復讐」に行く。主演女優は里見瑤子さん、当日はトークショーもある。ということで里見応援団としては足を運ばざるをえない。

「怨念 黒髪の復讐」は2006年作品、撮影はさらにその前ということで、里見瑤子さんは若々しい。映画はタイトルから類推できるように、オーソドックスな怪談である。3人の男にレイプされ、顔を石で打たれ殺されたのが里見さんの役どころ、恋人は悲歎にくれるが2年も立って新しい恋人もでき、やっと立ち直れそうになった時、お岩さんのような形相の里見さんの亡霊が現れる。「私を忘れるなんてひどい。自分だけ幸せになるなんて許せない。犯人を探して殺して」と迫る。この理不尽さは、とてつもなく怖い。

亡霊の登場や復讐の修羅場は、部屋が突然に沼と化し、上から里見さんが吊り下がる感じで出没したり、完全に新東宝時代の中川信夫の「東海道四谷怪談」「亡霊怪猫屋敷」、あるいはその後東映で撮った「怪談蛇女」の趣きである。自主映画だから低予算なのだが、それがまた新東宝末期の金がないから余計に怖くなったという伝統とも通底する。久々に正統怪談映画を堪能すると共に、自主映画の中でこれだけキチンとしたエンタテインメントをまとめた才能に感心した。

トークショーは、浜田弘典監督、里見瑤子さんと、レイプ犯グループを演じた3人の男優である。監督のトークは、エンタテインメントとは全くかけ離れた内容なのに、ややビックリした。これは、自分の映画に対する思いを、様々なキャラに振り分けた作品なのだそうである。アッサリ事故で死んだ犯人の一人は、映画製作から身を引きたくなった私の思い、生への執着はでも自分がやっぱり映画に関わっていきたいとの思い、といった具合なのだ。里見瑤子さんのグロテスクなメークは、映画製作の醜い陰の部分への監督の思いで、最後の燦々と陽光が注ぐ海岸の美しい里見さんの映像は、やっぱり映画って素晴らしいとの監督の思いが籠められているそうである。ウーム、そんな理屈っぽい小難しい映画だったのか、全然そうは見えなかった。

男優3人もあっけにとられたようで、「そうだったの、そんなこと全く言わなかったじゃない」といった感じだった。ただ、里見瑤子さんからは「私、監督から聞かされてました」との言が出て、男優3人組は「何で俺たちには言ってくれなかったの」と、やや憮然とした感じが醸し出される。真相は、アクシデントで完成台本が里見さんの所に届かず、撮影当日に早目に現地に入って手渡され、その場で読んだ後に、監督のレクチャーを受けたということだったそうだ。レクチャーは延々2時間、こんな抽象的な話をタップリ聞かされたとは、里見さん、お疲れさまでした。

終映後の立ち話で監督に、私は新東宝=中川信夫映画の再来と感じたんですけど…と告げたら、やはり監督も中川信夫は好きで意識にあったようだ。しかし、エンタテインメントと映画テーマの狭間や乖離という意味で、実に興味深い一篇であった。

会場には、当然ながら里見瑤子さん出るところ、かならず出没する宮野真一さんが来場していた。観たい映画があったからとのことだが、前の上映から参加していて、整理券番号は1番をゲットしていた。ちなみに私は、入場できないといけないので、1時間程前に行ったら6番だった。この後打ち上げがあったのだが、終電車の関係で私も宮野さんも30分もいられそうもないので、里見瑤子さんとはアップリンク前の10分程度の立ち話で終わった。でも、完全に「おともだち」状態なので、結構中身の濃い歓談はできたと思う。

●平成22年6月18日(金) 「バリアフリー映画講座」終了
「バリアフリー映画講座」全6回が6月18日(金)に終了した。「映画三昧日記−7」で、開講日の4月30日(金)をレポートしたが、その続きということである。

「バリアフリー映画講座」は、正式名は「あなたの声でバリアフリー映画を創ろう〜副音声ガイドに挑戦〜」ということで、講師は活動弁士の佐々木亜希子さん、具体的な創作を通じて、視覚障害者向けのバリアフリー映画を完成させながら学ぶということである。従来の専用イヤホーン内での棒読み場面説明ではなく、健常者が共に視聴しても邪魔にならない「作品」に仕上げるのが肝である。

前回にも述べたが、受講生はNHKの講座から引き継いだ女性が十数人いて、バリアフリー映画創作は、NPO法人とかの形を得て、今後も続けられていくそうだ。私の講座内では、一本のアニメーションのバリアフリー映画テスト版を完成したところで終了した。

教材(というよりもバリアフリー映画創作対象)となったのは、平成8年公開のアニメーション「5等になりたい。」75分である。まず、参考試写をした後、冒頭の5分間をの副音声台本を次回までに完成させる宿題が出る。次の回では全員が活弁のような要領で、映像を前に副音声を語る。当然十人十色の台本になっている。それを通じディスカッションをして、全体を統一するトーンを合意する。ここまでが、第一ラウンドだ。

第二ラウンドは、75分の映画を数分毎に分割し、それぞれの台本担当を決める。ちなみに私は、51分31秒〜57分40秒を担当した。完成次第、講師の佐々木亜希子さんに原案をメール送信する。全体が揃ったところで佐々木さんが、微妙なトーン調整をして修正し、各自に返信する。次の講座で集合した時に、担当時間毎の各自が、バリアフリー映画台本を朗読して録音し、まず第一次バリアフリー映画原案が完成する。それを視聴しながらディスカッションし、その意見を集約して観直した台本を、佐々木亜希子さんが通しで朗読・録音し、第二次案が完成する。私が6回の講座で関われたのは、ここまでであった。

最終ラウンドは、この第二次案を何人かの実際の視覚障害者に聞いてもらい、意見をいただいてさらに台本を修正する。そして、完成版の朗読者(一人にするか複数にするかも含めて)を選定し、最終録音となるということである。人選は佐々木亜希子さんを除外し、朗読者も複数にする案が出ているのは、今後、この活動に関われる人を増やしていこうとの思惑もあるようだ。

「映画三昧日記−7」の初回レポートでは、「創作ラジオドラマを創るようなもの」と早トチリな総括をしたが、全講座を通じて感じたことは、とてもとてもそんな底の浅いものではなかった。試作品を視覚障害に観ていただくパイプになっている主催者の人から、いろいろ興味深い話を聞いた。ある映画では「自分の作品に変な形で手を入れてもらいたくない。バリアフリー台本を創るなら俺が適任だろう」と満々たる自信で、監督自ら創ったバリアフリー版が、全く視覚障害者には受けが悪かったそうだ。私は「創作ラジオドラマ」を「バリアフリー映画」の引き合いに出したが、優れたラジオドラマも、視覚障害者にとっては極めて評判が悪いようである。

よく考えれば当然のことだ。我々は視覚を有している前提で、健常者の視点から視覚障害者の心を類推し「バリアフリー映画」の台本を創っている。ラジオドラマの創作者は、聴取者が視覚を有していることを前提にして、イメージが拡がるような音声を構成しているのだ。

視覚障害者にもいろいろある。かつて視覚を有していたが、その後に失った場合。生まれた時から視覚障害だった場合。この両者の感覚は微妙にちがうそうだ。もともと視覚を有していない人の感覚というのは、どういうものなのだろう。例えば、映画では色彩というものを演出に活かす。「5等になりたい。」で言えば、小学校に初登校する主人公の女の子の真っ赤なランドセルに、その子の希望が投影されているのだが、生来視覚を有していない人にとっての「赤」とは、いや「色」とはどういう認識なのだろう。その認識を理解しなければ、演出に籠められた「赤」を、巧みに語れないわけである。そもそも視覚障害者は、映画というものをどう認識しているのだろう。現実を(アニメもあるが)フォトジェニーで区切り、モンタージュで連続させて、面白く楽しく観せるのが映画だが、視覚障害者は現実というものをどう捉え、それを切り取って編集している映画というものをどうイメージしているのだろうか。考えれば考える程、泥沼に陥っていく。

一方、視覚障害がある反面、その他の感覚は極めて鋭敏なのだそうだ。声・息づかいなどの音声をはじめ、その場の雰囲気、嗅覚・触覚・味覚、さらに我々も有する第六感なども、我々の想像以上に鋭いということである。バリアフリー映画を、健常者と同じもので同じようにみたいという欲求も、我々が一人で自宅でDVDを観るより、大勢で観て雰囲気に浸りたいという映画ファン的感覚と、何ら変わらぬ共通した思いということのようだ。

90年代半ばに開催された文芸座における勝新太郎のトークショーを思い出した。聞き手は白井佳夫・朝丘雪路の両者だったが、勝新はベロベロで登場し、舞台上でも何本も缶ビールを開ける御乱行だった。当然言っていることは支離滅裂なんだが、時折は辻褄が合ったりして、これが滅茶苦茶面白い。酔っ払いがクダをまいているのを、そのままトークショーとして成立させてしまうのは、世界広しといえども勝新くらいだろう。(いや、飲兵衛の快気炎がトークショーになっちゃう若松孝二監督もいたか)そこで座頭市の話題になった。視覚障害者の感じる色・音・匂い・感覚といったものを非論理的に語り、これも支離滅裂なのだが、奇妙リアリティがあったのも間違いない。勝新の捉えていた視覚障害者の世界とは、どんなものだったのだろう。

もう一つ、バリアフリー映画の大切なことは、対象の映画をまるごと受け入れて感動し、愛さなければいけないということだ。そうでなければ、その良さを障害者にもどう伝えていこうかという意欲につながって来ない。何でもしかめっ面をして辛口の批評をタレてる輩には向かない。そんな思いでバリアフリー台本を創られたら、鑑賞させられる方は、いい面の皮である。この点では「どんな映画にも良い点を見つけよう」という淀川長治さんの教え(そうとも言い切れない一面もあるにせよ)を受けていて、私は良かったと思った。

今回教材とした「5等になりたい。」は、肢体障害児の小学生の女の子を主人公にした作品で、かけっこでいつもビリの6等にしかなれない悲しさを、「5等になりたい。」のタイトルで表現している。しかし、うるさ型の映画通にとっては、必ずしも良い作品とは評価されないだろう。辛口で言うならば、御都合主義のお涙ちょうだい大甘アニメである。しかし、ここでは映画通ぶってその欠点をあげつらっても、何の役にも立たない。映画をあまり沢山は観ていないと思われる女性受講生陣のように、「良かったわ。涙が出てきちゃった」というナイーブな感覚こそ必要なのだ。

私の娘は、この映画の原作(実話)を読んでいた。そして興味を持って教材のDVDアニメを観せてくれといって観始めた。ある場面に来たら、観る気がしないと放り出した。主人公の肢体障害の女の子を、幼児の頃から治療し、精神的成長にも大きな影響を与える視覚障害のマッサージ師が出てきた時だった。実際のこの先生は、視覚障害者特有の魁偉な容貌で、初対面の幼児の女の子は泣き叫ぶそうだ。それが、だんだんと先生の広い心に触れ、心の成長に大きな影響を与えていく。その展開は映画も同じだが、ビシュアル的には先生の眼にやや霞がかかっている程度で、アニメ流のイケメンなのである。だから、いくら治療が怖いといっても、映画中の泣き叫び方は、やはりもう一つリアリティに乏しく、女の子が先生の広い心を感じていく経過も、効果的に映画化したとは言えずに、綺麗ごとに流れていく。

その他でも、あげつらえば映画「5等になりたい。」は、詰めが甘く安易な泣かせに走っているように見える部分が少なくない。しかし、バリアフリー映画創作にあたって、そんな重箱の隅をつついてもいたしかたないのだ。とにかく映画に素直に感動した上で、その感動をどう視覚障害者に伝えるかと考え、台本創作に励むしかないのである。自分が感動できないもので、人を感動させることはできないからだ。

そして、さらにその先に、我々健常者の知りえない未知の、視覚障害者の感覚の審判を受けるのである。視覚障害者といっても百人百様だ。すぐれた「バリアフリー映画」とはどんなものか?そんな正解はすぐ出るわけもない。いや、永遠に出ないかも知れない。果てしない試行錯誤を積み重ねていくしかないのだろう。

「バリアフリー映画」の活動は、今回の受講生のかなりの人が引き継いでいくようだが、私は一応今回の講座、6回終了をもって予定どおり去ることにした。これを縁で何かの機会に協力できることがあれば声をかけて下さいと、主催者の人と佐々木亜希子さんに告げた。映画というものを新たな視点で観直すことができ、それなりに有意義な「バリアフリー映画講座」ではあった。
映画三昧日記2010年−8

平成22年5月15日(火) 第22回ピンク大賞表彰式 テアトル新宿
今年もやってきましたピンク大賞、この日の一番の楽しみは、何と言っても製作者・関係者・選考者など一同に会しての、オールナイトの打ち上げである。年に1度の最大の楽しみだ。と言いつつ、今年の私はあまり高揚しなかった。「PKの会」や「ピンクゲリラツァー」で頻繁に懇親を深めている人と、面子が被ってしまったこともある。年に1度のお祭り感覚が希薄になり、湯布院映画祭と同様に日常に降臨してしまったみたいなのだ。

もう一つはピンク映画界全体を覆うジリ貧ムードである。昨年のピンク大賞対象作品は54本、選考参加資格の鑑賞本数は25本から20本に引き下げられた。今年の対象作品は上半期の6月末予定で23本、単純に倍すれば46本で50本を割り込む。5本弱のうちの1本がベストテンに選出されてしまうとなると、もうテンの意味すら問われてくる。

乱造(粗製とまでは言わないが…)のXces作品が、今年はたったの3本というのも、呆然とする状況だ。かつては、困った時のXces頼みで、年末にいよいよ本数稼ぎに窮してくると、監督・脚本・作品内容・女優などに目もくれず、二本同時封切のXcesに駆け込んだ頃が夢のようだ。今やもう、ひたすらオーピー映画のみの頑張りにしか期待できない状況である。

製作を保留していた新東宝作品が6月に1本登場したのが、やや下半期に期待をつなぎはする。そう言えば5月10日(月)の「未亡人銭湯 おっぱいの時間ですよ!」初号試写に深町章監督も顔を見せていて、「ここのところ連絡がないから長野に帰っちゃったかと思ってたよ。これからも頼むよ」と、里見瑤子さんに声をかけていた。ここには、深町=新東宝の再始動が期待できそうな雰囲気があった。

ピンクゲリラツァーの展開やDVDの充実で、来年は女性選考者も何人か誕生しそうで(ただ女性選考者は初めてではなく過去にも何人かいたようだ)、そんな期待も膨らむ。8月オープンの新生上野オークラ劇場の開館も楽しみだ。女性客が入りやすい雰囲気の劇場になるだろうか。チラシの充実・OP祭り他のイベント開催・ブログの開設などで、上野オークラ劇場は今年のピンク大賞特別賞を受賞した。意欲的な支配人だから、きっと今後も新生劇場で何かをやってくれるだろう。

アメリカの辛口批評サイト「DVD Times」で「淫乱なる一族・第二章 絶倫の果てに」が10点満点の8点と好評価され、さらにアマゾン販売ランキングでも二位にまで至った。監督の池島ゆたかを、私は特別賞としてピンク大賞に1票を投じたが、今や「世界の池島」としての朗報が、続々と耳に入って来ている。クェンティーン・タランティーノが所有するロサンゼルスの「ニュー・ビバリー・シネマ」にて、9月に開催予定の「オッパイと血の映画祭!!」(いかにもタランティーノらしい凄い命名!)に「淫乱なる一族」他、関連作品何本かが招待される予定で、その候補にはアメリカでカルト的人気がある「地獄のローパー」も入っているそうだ。(そうなると世界の早乙女宏美か!)目下、「PKの会」のメンバーを中心に、「ロスのタラちゃんの所へ繰りこもう!」と盛り上がっているところである。ピンク映画に関する明るい話題は、尽きることはない。

そのように、来年のへピンク大賞への膨らむ期待もないではないが、来年は何とか同じようにできそうだよな、でも再来年は分からないよな、との沈滞ムードは払拭できない。主宰者の「PG」林田義行編集長は挨拶の中で、力強く継続開催を宣言したが、編集後記で「ピンク映画が再生するためには、今のピンク映画というフォーマットも捨てなければならないかもしれない」と記しているニュアンスも交え、「今年のようなスタイルは最後になるかもしれません」との含みを持たせた発言だった。シネカノンの過酷な状況をもくぐり抜けてきた林田編集長であるから、ピンクだけでなく映画界全般を見据えた言葉は重かった。今年もピンク大賞に協賛し、受賞監督に副賞としてフィルム提供(映画1本分相当と耳にした)した富士フィルムが、本数激減によりピンク映画界への協力スタンスを、変化させるかどうかも一つの鍵であろう。

選考者常連の「ぢーこ」さんは、よんどころない仕事の都合で、上京しての打ち上げ参加はならなかった。当日朝に、「ぢーこ」さん恒例エクセル作成の労作、昨年ピンク映画の男優・女優全出演作一覧表のデータベースが、メール添付ファイルされてきたので、「ぢーこ」さんに成り変わり、大型資料をセロテープで一生懸命張り合わせ作成し持参して、話題のネタにした。このデータベースは本当に優れ物で、過去の女優データベースと、今年の女優データを重ねて、重複無しで残ったのが新人女優賞対象になるとの、ウルトラCも可能である。(ただし、改名はフォローできない。また「ぢーこ」さんのデータベースは2000年頃以降だそうで、それ以前の女優、例えば内田高子の出演再登板などは、新人女優として摘出されてしまうことになる)

これによると、昨年の最多出演女優は、予想どおりどこでも顔出す倖田李梨さんで、12本だ。主演は1本のみで残りは助演というのも李梨さんらしい。2位が同数8本の里見瑤子さんと山口真理さん。里見さんはすべて助演となっているけれども、ちょっと〜「淫乱ひだのおく」は主演じゃないの〜と言いたい。まあ、「ぢーこ」さんの解釈だからいたしかたない。里見さんの話題は、まだまだ後に引っ張ります。

その他、いろいろ話した内容については、私は「映画友の会」の四次会までに至った飲み会からテアトル新宿に回ったので、酔いもあってほとんど覚えていない。散会後、選考者の一人で映画ライターの中村勝則さんのグループに入って夜明けの二次会に雪崩れ込んだ。うろ覚えの中で、私の隣は男優賞の「なかみつせいじ」さん、目の前には女優賞の藍山みなみさんという豪華版だった記憶がある。藍山さんとは受賞作品「淫乱ひだのおく」を話題にしたような気がするが、またまた「ぢーこ」さんの資料のこだわりが頭の片隅に残ってたりして、「でも、里見瑤子さん、主演だよね」とか言っちゃった気がする。(一般的認識では藍山さんが主演で、里見さんは助演)。藍山さん出演作「やりたがる女4人」も話題にしたような気がしたが、そこでも競演の里見さんの話ばかりしてたみたい。藍山みなみさんには、大変失礼しちゃったような気がいたしております。非礼がありました節は、申し訳ありません。

里見瑤子さん狂いは、この後の5月29日(土)久保新二さんの「生前祭フェスタ」のレポートにも続きます。

●平成22年5月29日(土) 斬新な社会派映画の傑作「BOX 袴田事件 命とは」 銀座シネパトス
5月29日(土)は、「久保新二・生前祭フェスタ」(早い話が生前葬に名を借りたパーティー)の日だ。またまた、ピンク大賞の常連や「PKの会」の面々が参集する。こうなると、本当にピンク大賞が日常に降臨してしまうのも致し方ない。異色なのは、この手のイベントに興味があると思って、マガジンハウスの「クロワッサン」長田衛副編集長こと社会人落語家あっち亭こっち師匠に声をかけたら、久保新二さんとは旧知であり、「義理」で(あっち亭師匠の諧謔的言い方だ)参列するとのことだった。マシンガントークのアドリブで高名な、怪優・久保新二さんならではの交友の広さである。

さてフェスタ開始は14時、会場は銀座パセラリゾーツのパーティーイベントスペース「ゼノア」。当日13時30分に入り口で、映画ライターの中村勝則さん・「お竜さん」と待ち合わせることにする。折角、銀座まで出るのだから、葬儀参列(?)前に交通費有効活用で1本くらい稼げそうだ。早速「ぴあ」をチェックしたら、銀座シネパトス「BOX 袴田事件 命とは」の初日である。関係者の舞台挨拶もあるとのことなので、初日初回に入ることに決める。

相当な混雑を予想していたが、シネパトスの前は閑散としている。地下通路を大勢が埋め尽くしていた「奴隷船」初日の舞台挨拶の時とは大違いだ。愛染恭子引退記念SM大作のような派手さはく、地味な題材の冤罪告発映画とはいえ、ちょっと驚いた。世間の映画に対する関心はこの程度なのだろうか。初回は寂しい入りのまま終映する。さあ、舞台挨拶だと意気込んで待っていたら、いっこうに始まる気配がない。掲示をよくよく確認したら、挨拶は第2回上映後であった。確かに「ぴあ」でも挨拶の時間とゲスト名は明記していなかった。私が勝手に、高橋伴明監督が来て挨拶終了後に、久保新二さんの「生前祭」に多分参列するんだろうと、思い込んでいただけである。館外に出たら、さすがに舞台挨拶目当ての観客は圧倒的で、「ぴあ」リザーブシートの行列、当日チケット購入の行列が延々と続き、館前の通路は人で溢れかえっていた。(この後会場で、私の予想どおり、伴明監督は挨拶終了後に遅れて久保新二さんの生前祭参列との予定を耳にしたが、結局は挨拶後が立て込んだようで、参列はならなかった)

「BOX 袴田事件 命とは」は、力作であり、傑作であった。一人の冤罪事件や、一人の誤審判事の苦悩に止まることなく、被告・判事の共に生年の昭和11年2・26事件から平成の現代に至るまでの昭和史を、一裁判を通じて、人が誠実に生きるか否かということと、日本の歴史の過ちとの関係を、深いところまで掘り下げて描ききった。

主人公二人の青年期、後のエリート判事と草の根ボクサーが上京する時に、偶然隣り合わせた座席に座る。もちろん意識することもなく、面識もできるわけではない架空の状況であり、完全にフィクションなのだが、この二人が被告と判事という立場で未来に遭遇し、ラスト近くに幻想の中で、同じ歴史を生きた二人の心情が重ねあわされる時、映画は宗教的な崇高さまで湛えてくる。前作「禅 ZEN」の時のキネ旬インタビューで、奈良という環境に育ち仏教に関心を寄せ、四半世紀も勉強・修行を続けているとの、ピンク出身としては意外な、高橋伴明監督の隠れた一面を知った。だからこそ、山本薩夫に代表される右翼反動保守の警察検察権力がすべて悪いのよとの、硬直した日共的社会派映画の陥穽に落ち込まなかった。これもまた、新世紀ならではの社会派映画だと言えよう。

ただ、山本薩夫監督の名誉のために言っておくが、日共社会派映画の象徴としてそんな言い方をしただけで、もちろん山本薩夫はそれだけの人ではない。例えば徳島ラジオ商殺し冤罪事件を題材にした「証人の椅子」で、閃きの鋭い切れ者検事の新田昌玄が、犯人内部説への転換という自らの閃きに溺れ、自縄自縛になっていくあたりの、人間の弱さと悲しさには、図式的反権力を大きく越えて、鋭く切ないものがあったのもまちがいない。

●平成22年5月29日(土) 「久保新二・生前祭フェスタ」 銀座パセラリゾーツ パーティイベントスペース ゼノア
パトスの上映終了から待ち合わせ時間の13時30分までは、かなり時間がある。ちょうど昼食時間ではあるが、この後のパーティー料理をたらふく食べようとの魂胆でグッと我慢する。(あいかわらず私は意地汚い)銀ブラも限界になり、待ち合わせ時間20〜30分前に所在なげに、会場の銀座パセラリゾーツ入口に佇んでいたら、何と!里見瑤子さんが久保新二さんと連れだって歩いてくるではないか!もう里見さんとは、完全に「おともだち」であるから、「わ〜っ!久しぶり〜」なんて言いあって手を振り合う。里見さんは、この日は久保新二さんとのアトラクションもあり、稽古も一段落したのでちょっと息抜きに外出しての帰りだとのことであった。

待ち合わせ時間がきて、中村さん・「お竜さん」と合流し受付に向かう。私は洒落っ気を出し喪服で出席(参列?)しようとも思ったが、ピンク映画大賞打ち上げでこのイベントが話題になった時の情報収集では、そこまで凝る人はいないようなので、地味めのスーツに黒ネクタイ程度のいでたちとした。まあ、そんなに大仰な人もいなかったので、結果的にこの選択は正解だった。供養代(会費?)は8000円であるが、私は御霊前の香典袋に10000円を包んだ。そして、入口で「香典に釣り銭もらうような野暮はできませんので、そのままお納め下さい。いや、そんなに沢山入ってるわけじゃないんですけどね」とやった。やっぱりこの手のものは、洒落っ気を出して遊ばなくっちゃね。

パーティーで、ここでも里見瑤子さんをメインに楽しく歓談する。あっち亭こっち師匠ことマガジンハウスの長田衛「クロワッサン」副編集長を紹介する。長田副編集長も里見さんに好感を持ったようだ。こうして里見瑤子応援団はグングンますます増殖中となった。長田副編集長と映画ライターの中村勝則さんを、引き合わせる。名刺交換などしていた。弔問外交(?)というのは、確かに存在するものである。

発起人を代表して、ピンク映画界の重鎮・若松孝二監督が語る。ベルリン映画祭の授賞や、今後の旺盛な活動意欲などを話題にして快気炎を揚げるが、ほとんど久保新二さんへの弔辞(?)になっていない。でも若松監督ならしょうがないね、と式場内は暖かいムードである。さすがの貫録というしかない。

折角の若松監督との出会いだから、パーティーの合間を縫って、監督へのエールを兼ねて懇談の一席を仕掛ける。当然、2007年湯布院映画祭で話題になった山口二矢の映画化の、その後の進捗状況である。「考えてます!考えてますよ!!」との力強い回答だった。そして「私なりの歴史認識はあります。具体的に山口二矢を描いていなくとも、その思いは新作の『キャタピラー』にも籠めてます!」と言われた。そして、「キャタピラー」を引っ提げて湯布院映画祭に参加する予定との情報も伺った。映画祭開催時点では、都内ですでに封切済だが、それはさておいての参加の話があるとのことだった。実現すれば今年の湯布院映画祭の楽しみは、私にとってさらに大きく拡がる。

アトラクションは久保新二さんが吉蔵を演じての、阿部定事件を題材とした寸劇である。競演は里見瑤子さん、日高ゆりあさん、酒井あずささんの豪華メンバー。里見さんはメインの阿部定役である。初めて、里見瑤子さんの生里見・生ヌードを拝観できたのは、私としては大きな収穫であった。

午後17時の散会後、予定では19時から「新宿あいうえお」(久保新二さんの店)で、会費3000円予定の二次会がセッティングされている。ただ、何となくコアな会になりそうな気がしないでもない。てなことで、中村勝則さん・「お竜さん」・ピンク大賞選考者の「なかやま・のん」さんなど数名で連れ立って、とりあえず新宿まで出て、我々は我々で飲んでこうかとの話になる。当然ながらこの生前祭には、里見瑤子さんいるところ常に出没する「ピンク映画カタログ−11」で紹介したchimyさんこと宮野真一さんも来ていたのだが、何故か新宿まで一緒に行動を共にしながら、帰宅の途についた。これが宮野さんにとっては、極めて無念の展開になるのは、この後の話である。

「なかやま・のん」さんとは、私が「蛙の会」会員の多田慶子さん出演の芝居「真夜中の太陽」を観に行った時に遭遇して、ちょっと驚いた。先方もビックリしていた。「なかやま」さんは原案・音楽の谷山浩子さんとの縁での観劇だったそうだ。人間、巡り巡ってどこで出会うか分からない。常に仲良くしてなきゃいけませんね。

二次会で激しく盛り上がっていたら、「お竜さん」の携帯に池島ゆたか監督から連絡が入る。久保新二さんの店の二次会には行くが、あまり早く行ってもしょうがないので、時間調整にこちらに合流したいとのことのようだ。しばらく待つと、池島監督が姿を現す。誰かが、「あれ?里見瑤子さん、一緒だったみたいですよ」と言う。「里見さん命」の俺をからかいおって!コラ!なんて思ってたら、ホントに里見さんも同伴していた。ウワ〜ッ!てくらいなもんである。リタイアした宮野さん、お気の毒でした。もう、私としては盛り上がる、盛り上がる。「今日の入り口との出会いといい、里見さんとは奇しき縁がありますね」なんて言って、浮かれまくる。でも、里見さんのイベントに参加すると、ひょんな場で私がバッタリ遭遇することが多いのも事実である。やっぱり縁だ!てな調子で盛り上がっていたら、ついにみなさんから私が、里見瑤子応援団長に任命されてしまったが、それはまずい、かなりまずい、やはり宮野真一さんを差し置いて、それはないでしょう。

しばらく飲んで歓談した後、里見瑤子さんは久保新二さんの店の二次会に流れるそうだが、池島ゆたか監督は仕事で明日も早いので、そっちは失礼して帰るとのことになった。と言いつつ、帰りが一緒の中央線沿線グループ、池島監督・「お竜さん」・私と、三鷹在住の中村勝則さんの4人で、三鷹で三次会とあいなってしまったのである。

何だか知らないが、里見瑤子さん浮かれづくしで終始してしまいました。

●バリアフリー映画その後
ピンク映画関連の柔らかい話題が続いたので、おカタい話題も少々。前回の「映画三昧日記」で紹介した「あなたの声でバリアフリー映画を創ろう〜副音声ガイドに挑戦」講座のその後である。講座としては、6月18日(金)で終了する。ただ、視覚障害者向けのバリアフリー映画創作へのチャレンジは、引き続き活動が続けられ、NHKからの講座から引き続いている女性陣は、活動を継続をするようである。「蛙の会」を窓口に参戦した私以外の飯田豊一先生は、仕事が忙しいようで最近リタイア状態だ。

前回に私は、この作業を「創作ラジオドラマを創るようなもの」と、安易に形容して総括したが、とてもとても、そんな浅いものではない。正解の出ない泥沼のような奥深いものである。主催者は、この活動をNPO法人の形で発展させ、雑談の中で非公式に私に対して参加の呼び掛けもあった。確かに映画というものを、もう一つ別の角度から見直すことはできたが、この正解のない泥沼に足を踏み入れるのは躊躇したい心境だ。いずれにしても、講座繕終了後に、この件について感じたことを、私なりに取りまとめてみたい。

参考紹介
藤木吾呂 公式ガイドブック ショコラティエー・笹塚店
http://ameblo.jp/fujikiweb/entry-10539464488.html
http://ameblo.jp/fujikiweb/entry-10554150842.html
映画三昧日記2010年−7

今年もゴールデン・ウィークがやってきた。ただし、昨年の月10日勤務の会社嘱託とちがって、今年からは毎日が夏休みの年金生活者、とりたててのゴールデン・ウィークとかも何もない。昨年のゴールデン・ウィークは、上野オークラ劇場の「OP祭り」3日間皆勤を中心に終わった。今年も「OP祭り」を中心に、よく見たら世間でいうゴールデン・ウィーク期間の間、全日スケジュールが埋まっていた。そこで今回は、世間で言うところのゴールデン・ウィーク終了の5月5日(水)までを、文字通りの「映画三昧日記」として綴ってみたい。

●平成22年4月27日(火) 地デジ対応完了!
やっと我が家も地デジ対応が完了した。なかなか出掛けずに家にいる日が作れず、ついにズルズルとこの日まで引っ張ってしまった。そんな風にしているうちに、BSチューナー内蔵のVHSビデオデッキは壊れるわ(もうVHSデッキは修理に応じてくれない)、もう1台の地上波のみのデッキも、録音が不調になり、録画は限りなくサイレント映画に近くなるわで往生していたのだが、やっとそれが解消になった。

昨年最後の「ピンク映画カタログ−26」で、「PKの会」のちょっと早目の忘年会を紹介したが、そこで福引大会もあり、私は池島ゆたか監督提供の最新作(当時)「人妻痴情 しとやかな性交」(原題「パーティ・ジャック」)が当たった。この頃は家では、パソコンでしかDVD再生ができないので、早速立ち上げてみたが、これが受け付けてくれない。詳しい人に聞いたら、パソコン再生はDVDによっては駄目なものがあるそうなのだ。結局「PG」のピンク大賞投票までの鑑賞には間に合わなかった。今回購入のデッキでは、再生可能なのが確認できた。暇をみつけて観ようと思う。楽しみがまた一つ増えた。

●平成22年4月28日(水)
この日は、ニッショー・ホールでの「孤高のメス」キネ旬試写会が当選した。しかし、困った事態になった。月例の「無声映画鑑賞会」とバッティングしたのである。さて、思案する。「無声映画鑑賞会」の方は「没後三十年 イナカンとアラカン」、上映作品はアラカンの「三日月次郎吉」とイナカン・アラカンが組んだ「出世太閤記」、そしてイナカンの「番場の忠太郎 瞼の母」だ。私の未見なのは「三日月次郎吉」のみである。メインの澤登翠弁士の「瞼の母」は、澤登さん活弁はもちろん、トーキー録音の松田春翠先生の版も含めて、何度も鑑賞している。ここは、やはり新作試写の方にしようと腹を決める。

さて、例によって都区内の虎ノ門・ニッショー・ホールに足を運ぶならば、交通費有効活用で、もう一本くらい立川では押さえられない都区内上映映画を観ておきたいものだ。早速「ぴあ」を繰ってチェックし、渋谷アップリンクの「ONE SHOT ONE KILL」に目をつける。藤本幸久が渾身を傾けた8時間14分のドキュメンタリー「アメリカ−戦争する国の人びと」の導入篇というべき作品である。

●「アメリカ−戦争する国の人びと」と「ONE SHOT ONE KILL」
8時間14分の大長編ドキュメンタリー「アメリカ−戦争する国の人びと」は、藤本幸久監督の大力作である。もうこうなると、良いとか悪いとかをさておいて、褒めなきゃいけないよな、との気分になってくる。昨年の3時間57分の園子温の力作「愛のむきだし」の時も、そんな気分にさせられた。

「アメリカ−戦争する国の人びと」は、8エピソードを4番組に分けてポレポレ東中野で上映された。一般なら1800円×4、シニアでも1000円×4で、出費も半端ではない。私はお得な通し券3500円也を購入し、4月1日(木)と14日(水)の2日間をかけて全8エピソードを踏破した。14日の会場では、「桃色のジャンヌ・ダルク」の鵜飼邦彦監督とバッタリ遭遇した。この日は最終回上映後に、前記映画の素材になった私の天敵(?)増山麗奈さんのトークショーがあり、その打ち合わせだそうだ。まあ、彼女は反戦・反核活動家という触れ込みなのだから、ゲスト参加は当然といえば当然というところか。「映画友の会」の旧友ということもあって、ストレートに「映画三昧日記−5」に述べたような辛口発言をしてしまった。「まあ、いろいろな観方をされる方がいますし、それでいいと思います」と、監督は穏やかだった。最後に「電力マンOBとして許し難い」との言についても、「あ、そうでしたね。その意味では判ります」と、最後まで鵜飼監督は冷静であった。

4月1日(木)は、藤本幸久監督のトークショーがあった。映画製作のきっかけは、沖縄で若い米海兵隊員を見たことから始まったそうだ。訓練を終えて沖縄に赴任してきた新兵は、ニキビなどもありほとんど純情な少年に近いような者たちだった。そんな若者が、イラクやアフガンから帰還してくると、明らかに別人のようになってしまっている。これは何なのか。そこをキックにして、アメリカと戦争の全体像を捉えていこうと考えたそうである。それを追い続けての3年余の成果が「ONE SHOT ONE KILL」であり、「アメリカ−戦争する国の人びと」なのだ。

「アメリカ−戦争する国の人びと」は、あらゆる角度から、“戦時”下のアメリカに迫る。ここで、8時間余という潤沢な時間が効いてくる。ホロコーストを描ききったクロード・ランズマンの「ショアー」と類似の効果と言えよう。まず、ベトナム戦争との違いが考察される。ベトナム当時は徴兵制だが、現在は志願制だ。そして、志願すればイラクやアフガンの戦場に、確実に狩り出されるのである。だから軍にとっては、入隊勧誘が重要な仕事になる。そこに当てられる膨大な予算、国への忠誠心の美化という精神的なものから、入隊中に技術が身につくという実利的なもの、そして除隊後の大学奨学金の特典、ありとあらゆるPRがハイスクールで展開される。その欺瞞性を告発する除隊者も教壇に立つ。戦時下なのに、なぜ志願者が集まるのか。結局、貧富の格差拡大が、イラク・アフガンの派兵の供給源になっていることが、浮き彫りになってくる。

映画はイラク帰還兵の心的後遺症から、テキサス併合の歴史にまで遡ってのアメリカの拡張政策に時制が伸び、ネイティブ・アメリカンなどの先住民問題から、朝鮮・ベトナムの帰還兵の傷へと遡っていく。アメリカのホームレスのかなりが帰還兵であることや、基地や軍需工場で成り立つ町の環境破壊・公害問題にも映画はメスを入れる。もちろん、反戦運動も追うし、人間を殺人マシンに変貌させる海兵隊の過酷な新兵訓練も描かれる。こうして、「アメリカ−戦争する国の人びと」は、現代アメリカを総体的に切り取って見せた。

「ONE SHOT ONE KILL」は、その前段として、純真な若者たちが、過酷な訓練で殺人マシンへと変貌する過程に焦点を絞り、ジックリ追った一篇だ。しかし、感心したのはここまでカメラを入れることを許しているアメリカの表現の自由に対する懐の深さである。新兵に対するインタビューも、あまり制約がないみたいだ。(さすがに映画中でも一回だけ「政治信条に関わる質問は避けてくれ」と制止が入ったが…)そして、もう一つの驚きは、愛国心への高揚や、技術習得・奨学金など、若者の表情が軍隊への希望に溢れていることである。また新兵には、有色人種など、人種的マイノリティが多いことが、アメリカンドリームを軍にしか求めるしかなくなった格差社会アメリカを伺わせる。いずれにしても藤本幸久監督は、巨大な仕事を成し遂げたのではないか。

●悪くはないけど…「孤高のメス」
4月28日(水)試写会の「孤高のメス」は、私の期待する成島出監督の新作である。成島監督の良さは語りの巧さである。何本かのストーリーラインが、ラストに向かって一本に縒り合されていく。デビュー作「油断大敵」から前作の「ラブファイト」まで、それは一貫している。悪評巷に溢れた「ミッドナイト イーグル」も、私は世評程にひどいとは思わなかった。山頂のゲリラとの攻防・政界・マスコミ動向の3本の線が、クライマックスに向けて1本に絞られてくるあたりは、巧みだったと思う。もっとも、「ホワイトアウト」や「アマルフィ 女神の報酬」などのお粗末大作に比べれば遙かにマシという程度のレベルではあるのだが…。

今回の「孤高のメス」でも、その語りの巧さは活きている。ただ、医師のあるべき姿とか、生体移植の是非とか、重いテーマを取り上げている割りには、堤真一に代表される高潔な医師と、生瀬勝久に代表される出世亡者の俗物医師に単純に二元化され過ぎている。いや、これが昔のプログラムピクチャーばりに90分程度ならば、まあよくエンタメしていたなとなるのだろうが、何せこの映画、最近の例に漏れず2時間を越えているのである。それならば生体肝移植に伴う司法やマスコミの動きあたりをもっと掘り下げてもらいたいし、その時間はタップリあったと思う。手術シーンは延々とリアルで気合いが入っているが、これ程の長さが必要だったろうか。そのへんもバランスの悪さを感じた。この日の試写会の相方は「映画友の会」のH氏で、彼もほぼ同意見であった。

●DVD録画鑑賞の「ケイン号の叛乱」のこと
4月27日(火)に我が家の地デジ対応が完了したのは前述のとおりだが、早速に操作の練習も兼ねてその日深夜のNHK衛星第2で放映の「ケイン号の叛乱」を録画した。そして、翌28日(水)に観賞を済ませて外出した。「ケイン号の叛乱」も、この日試写会で観た「孤高のメス」同様に2時間超の長尺であるが、さすがに映画90分が基調の時代の作品だけあって無用に長くはなく、2時間を必要とするだけのヴォリュームある内容だった。

士官学校を卒業したロバート・フランシスは、新任将校として駆逐艦ケイン号の任務に就く。艦長は温厚で人間味に溢れるが、厳しさに乏しくケイン号の風紀は乱れ切っていた。それを危惧するフランシスだが、そんな状況の中で艦長の交替があり、みるからに厳格そうなハンフリー・ボガート新艦長が着任する。ここから、先々への不穏な波乱の予想が漂う。ここまでが1/3である。

予想どおり、歴戦の猛者ボガートの指揮は、全乗組員から総スカンを食う。厳しいだけならともかく、偏執的な精神疾患までも想像される。通信長のフレッド・マクマレーは、軍法を研究し、艦長が病の場合は副長が艦長を解任し、副長が代行できるとの条文をみつける。台風でボガートの無謀な指揮で艦が沈没の危機に晒された時、ついに副長のヴァン・ジョンソンは、フランシスとマクマレーの後押し(マクマレーは途中で保身のために引く)の元に、艦長ボガートを強引に解任・拘束する。ここまでもってくる緊迫感からカタルシスに至る展開は凄い。後年の1995年トニー・スコット作品「クリムゾン・タイド」で、艦長ジーン・ハックマンと副長デンゼル・ワシントンの間で似たような葛藤が展開されるが、さすがに本作品のエドワード・ドミトリクの演出は数段上を行っていた。この時点で2/3の約90分で、この当時の通常の映画の尺であり、十分に1本分観終わった満腹感がある。

しかし、「ケイン号の叛乱」はここで終わらない。残り1/3の約30分強、叛乱罪で軍事法廷に立たされるヴァン・ジョンソンの裁判劇になるのである。ここに初めて登場する弁護士がホセ・フェラー、ここまでで十分満腹だった上での駄目押しである。これが2時間を越える映画の創り方というものであろう。

裁判で、偏執的なハンフリー・ボガート艦長の資質が露わになり、ヴァン・ジョンソン副長は無罪を勝ち取る。これでハッピー・エンドと思わせて、さらに逆転がある。ホセ・フェラーの弁護士が祝賀会で怒りをぶつける。「艦長の彼が訓練を受け戦い続けていた時、我々は何をしていた!ぬくぬくと大学で学んでいたのだ。問題はあったかもしれないが、何で陰で冷笑しスポイルするだけで、リスペクトして支え協力しようとしなかったのか!」そして、もっとも肝心なところで事なかれ主義で逃げ、証言台でも逃げまくった通信長のフレッド・マクマレーが糾弾される。ここは、赤狩りの時代に非米活動委員会の査問に屈したエドワード・ドミトリクの痛恨の思いが重なって見えるだけに、さらに強烈である。加えて、完全な悪役に堕したかに見えたハンフリー・ボガートを、見事にここで大スターとして復権させてみせた。商業映画としてのセオリーもきっちり押さえたのだ。

歴史に残る名作「ケイン号の叛乱」と一緒にされては、「孤高のメス」は迷惑かも知れないが、2時間を越える映画の創り方とは、こういうものではないだろうか。

●平成22年4月29日(木) 「立川シネマ」巡り
世間的には、この日がゴールデン・ウィークのスタートだ。そして、私の予定としては、最後の5月5日(水)までで唯一何もない日である。何もない日は、私にとって基本的に週一の地元「立川シネマ」巡りの日なのである。立川は「シネマシティ」「シネマ2」併せて11スクリーンある。超ミニシアター作品以外は、ほとんど押さえることができる。だから、かならず週2〜3本の観たい作品が上映されている。立川も他のシネコンの例に漏れず、観客動員動向をにらみながらフレキシブルなプログラムを組んでいる。週末以降の1週間のプログラムが決まるのは木曜日である。最近の私は、木曜日ないし金曜日を立川シネマ巡りの日にし、そこで週末以降のプログラムを入手し、次週の予定を立てるのが定番になった。この日は、前週にチェックした「ソラニン」と「プレシャス」をハシゴすることにした。

●「ソラニン」に関係するあれこれ
「ソラニン」は、先き行き不透明で閉塞感のある現代で、孤独な女と男の魂がソッと寄り添っていく良い映画である。女は企業社会になじめないが、生きる目標も見当たらない宮崎あおい。男は、学生時代からバンド活動をして、卒業後もミュージシャンになる夢が止みがたく、フリーターをしながらデビューを志す高良健吾。二人は大学の時に知り合い、現在は同棲している。宮崎あおいは、夢を持てない自分の託し所として、高良健吾の夢に賭ける。高良健吾は宮崎あおいのそんな自分への思いが、重荷になってくる。心がすれ違ってはまた寄り添っていく二つの孤独な魂が切ない。

良い映画ではあると思った。しかし、イマイチだった。それは、同じように孤独な二つの魂が、切なくソッと寄り添う韓流の傑作「息もできない」を、最近観てしまったからだ。男の方が映画の終盤で死んでいくのも共通している。韓流の男女の、過酷な韓国の歴史さえ背負った二人は、重く強靭である。それに引き換え「ソラニン」の平成日本の二人は、あまりにも軽く軟弱である。漠然と夢も将来も見えず空虚になっている日本と、過酷でも荒々しく前に突き進んでいこうとする韓国との、活力の差は歴然なのだ。

無理も無いと思う。日本は、若者の前に立つ大人の存在感が薄く、年輪を重ねた凄みが無いのだ。大人というのは、実は我々団塊の世代である。我々が大人の頃、人生の先輩に、本当に凄みを感じた。我々にはそんな存在感がない。当然である。私が生まれた時に、日本は平和憲法下であった。(そういえばまた議論かまびすしい「憲法記念日」がやってくる)そして、還暦を過ぎた今に至るまで、平和憲法は維持され続け、軍隊も無ければ戦争もしない国に、我々は生きてきた。人生の先輩としての凄みを示せなくて当然かもしれない。要は「戦争を知らない子どもたち」のなれの果てなのである。我々が見た人生の先輩のように、軍隊経験もあり、あるいは戦場で何人かを殺してきたような人間の、重みと迫力と存在感など、示せようがないのだ。そして、高度経済成長の先兵のエコノミックアニマルとして生き、子どもには自分とちがって人間的に生きてもらおうと、自由と金だけ与えた。その先に現出した活力のない平成の時代には、何ともやりきれないものがある。もちろん、平和国家であり続けたのは良いことだ。良いことだが、現状を見ると何ともやりきれない気持になるのも事実なのである。

「ソラニン」の余談を二つほど。高良健吾の遺志を継いで、バンドのギターとヴォーカルに挑戦する宮崎あおいがクライマックスだが、なかなか良かった。宮崎あおいは頑張ったが、決して上手くはない。しかし、これは上手くなり過ぎてはリアリティに欠けてしまうのだ。だが、オズオズと始まった演奏とヴォーカルが、情感の高まりと共にテンションが上昇していくあたりは、回想シーンを巧みに挿入した演出とも相まって、魅せるものになっていた。

もう一つ細かいことなのだが、高良健吾が「ミュージシャンにならなくてもいいんだ。みんなといっしょにこうしてバンドをしていられればいいんだ」と言うところだ。私も、かつては時に狂おしいまでプロの映画評論家になりたかったかが、年金生活者になった今は、プロになんてなる必要なんてない、24時間映画三昧ならいいんだと、思いが変わってきた。ただ、年金生活者でない高良健吾の方は、やはり生活の糧はどこかで稼がねばならないという制約は残るのではあるが…。

●あまりに大きく悲惨過ぎる「プレシャス」
もう一本の「プレシャス」も、私にとってイマイチだった。デブの黒人少女プレシャスは、父親にレイプされ二人の子を生み、母親には家事でこき使われ虐待される。そんな彼女に、親切な教師が勉学への意欲を持たせ、詩を書かせ、次第に目覚めた彼女の意識は親から自立して、二人の子と共に生きていく決意をする。終盤には、虐待母の方にも心の闇があることが判明し、その悲痛な告白も鮮烈だ。デブでブスの主役ガボレイ・シディベが、時に可愛らしく、時に力強く見えてくるのが見事だ。アカデミー主演女優賞ノミネートも妥当であろう。しかし、彼女はこの後も、もう一つの悲惨な運命(ネタバレと言う程のものでもないのかもしれないが、ここではあえてそれ以上記さない)を背負っていかねばならないのである。だから、これをもって、私にも生きる気力を与えてくれたとは、言い難い。そう、私は生きる気力をもらうためにも、映画を観ているのだ。

●溢れるゴールデンウィーク・ムード
ゴルデンウィーク初日ということか、立川シネマのチケット売り場は大混雑だった。評判の悪い新宿ピカデリーと違い、開映間際の作品チケットの購入者には、特定の列に誘導するなど、テキパキとした対応も心地よい。「シネマ・シティ」で最も客席数の多いナンバー2スクリーンの「名探偵コナン 天空の難破船」は、大混雑だったみたいなようであった。

「ソラニン」「プレシャス」を観て、西国分寺駅にもどったのが午後6時過ぎ、自宅近くの「びっくり寿司」(回転寿司)で、割引券もあることから夕食を済ませることにする。ここは7時近くになるといつも行列待ちなのだが、この日は休日ということもあってこの時間からかなり混んでいたが、何とか潜り込めた。10分も立たないうちに大行列となり、本当にいいタイミングだった。こういう風景を見ていると、ああ、ゴールデンウィークが始まったんだなあ、との感慨がこみ上げてくる。毎日が夏休みで大型連休も何も関係ないようだが、やはり世間のゴールデンウィーク気分に乗って、高揚はしてくるものだ。この後、私にとっては「OP祭り」も控えており、楽しみの限りである。

ちなみに、この「びっくり寿司」はネタもよく値段も安く、家の近所では人気の店である。この日もタップリ食べて飲んで、それでも居酒屋で1時間くらいの時間潰しで都心で飲んだ時よりも、遙かに安くあがった。この店も、かつては職人の態度が横柄で、我が娘がサビ抜きを注文する子どもの頃は嫌っていたのだが、同じチェーンでも人が変わるとこんなにも変わるのかという好例でもある。

土曜・日曜・祝日も盆・正月も大型連休も無縁だったのは、私が三交替勤務の頃も同様だった。しかし、世間のムードとは無縁にはならない。一番落ち込むのは、日曜の夜に休日を目前にしての最後の夜勤に出勤する時だった。レジャー・行楽から帰って来る人々と逆方向の電車に乗って職場に向かうのは、何とも陰鬱な気分にさせられた。しかし、夜勤明けの月曜日、この後は休日3日というサイクルの時もあり、そうなると明けの日も含めてほぼ4連休である。世間は週明けで、半分疲れた顔が続々と出勤してくる。御苦労さん、さあ、俺はこれから4連休だ、ザマアミロと、妙な解放感と優越感に浸っていたものだ。年金生活者で毎日が夏休みになった今でも、世間のムードは敏感に感じられる。退職後は、曜日の観念がなくなったという人がよくいるが、私にはそのようなことはないようだ。

●平成22年4月30日(金) 柴又から秋葉原へ
3月28日(日)「蛙の会」例会で、会長から「あなたの声でバリアフリー映画を創ろう〜副音声ガイドに挑戦〜」という講座の紹介があり、参加することにした。6月までの6回シリーズ、初日がこの日30日(金)だ。主旨は、「バリアフリー映画の台本朗読を基礎から学び、ボランティアとして、映画製作に参加することを目指します」「ナレーション、シナリオ作りに挑戦します」ということだ。講師は活動弁士の佐々木亜希子さん、元NHK番組キャスターであり、朗読調の活弁が持ち味だから適役といえるだろう。私としては7〜8年前に、TEPCO浅草館の「紙芝居コンクール」で佐々木さんと共にエントリーしたり、盛岡の活弁上映会で彼女の前座を務めたこともあり、その後もシネマヴェーラの活弁の後にご挨拶もさせていただいているので、知らない仲ではない。(佐々木亜希子さんはやりにくいかもしれないが)

さて、講座開講は夜である。例によって交通費有効活用で、その前にこの日に観る映画を物色する。さすがにここまで見続けてくると、適当なのがみつからない。明日5月1日(土)となれば、初日作品がドッと出てくるのだが、30日(金)には、本当に適当なのがない。そこで発想の転換をした。寒い冬に慣れ切ってしまった。今は春だ。陽気がいい。アウトドアもあるではないか。今年元旦発行の「東電せいきょうニュース」で「葛飾柴又寅さん記念館」リニューアルが紹介されていた。好天気の下、帝釈天・門前町・江戸川・矢切りの渡し・寅さん記念館の散策も良きかなである。かくして、柴又→秋葉原のコースが決定した。

●様々な感慨に耽った帝釈天・柴又公園・葛飾柴又寅さん記念館・江戸川
4月30日(金)、長かった今年の花冷えもようやく終わりを告げたようで、気象情報は行楽日和を伝えている。絶好の柴又日和である。10時過ぎ頃から、のんびりと出掛け、参道から帝釈天をブラついていると、昼食時間になる。参道の店を物色して、「矢切り御膳」なるものを食することに決める。ラーメンにキムチ炒め丼とお新香、加えてトコロテンと草だんごが添えてありボリュームはたっぷりで、1365円也と値段も手頃である。もちろんビールを1本だ。

ホロ酔いで柴又公園から江戸川に出て土手をブラつき、「葛飾柴又寅さん記念館」へ。帝釈天は、家族で来たり一人で来たり女性の友人と来たりで、今回が4回目だ。「男はつらいよ」にも、私は思い入れが強い。22才で第1作と出会い、48歳で渥美清の死と共に、第48作でお別れを告げるまでと重なり、「寅さん記念館」を巡りながら我が半生が、頭の中を走馬灯のように巡る。これらの諸々の感慨をここで記したいとも思ったが、5日(水)までのゴールデンゥイークの先は長い。27日(火)から29日(木)までで、長く寄り道をし過ぎたので、これについては、いつかの日に項をあらためたい。

●「あなたの声でバリアフリー映画を創ろう〜副音声ガイドに挑戦〜」受講
柴又から秋葉原へ、「あなたの声でバリアフリー映画を創ろう〜副音声ガイドに挑戦〜」講座会場のUDXに向かう。この日は第一回なので、まだ概要しか判らないが、私の想像していた内容とかなり違った。既存の映画に副音声を付す視覚障害者用バリアフリー映画を「創作」を通じて学ぶのがメインのようだ。講座主催は「社団法人 神奈川県映画教育協会」、冒頭で会長挨拶があったが、何と潟}ツダ映画社専務にして「蛙の会」会長の松戸誠さんが会長だった。松戸さんもいろいろ手広くやっているということですね。

従来のこの種の副音声は、脚本のト書きを棒読みするような味気ないものがほとんどで、当然、健常者には邪魔でしかなく、障害者はFM波などのイヤホーンで聴いていた。今回目指すのは、画面には字幕を入れ、視覚障害者用解説も場内に流し、健常者と障害者が、全く同じものを観て楽しめるような水準のものを創るということである。そこで、活動弁士経験のある佐々木亜希子さんに白羽の矢が立ったようだ。佐々木さんはこの面では、活動実績がすでにかなりあるようで、NHKでもこの種の講座を開講していたらしい。今回の受講者は、その時の受講生の女性が10人前後、「蛙の会」からは飯田豊一先生と私という布陣だった。

しかし、これは難しい。活弁とは似て非なるものである。活弁では、映像が能弁な場面では弁士は沈黙を守った方がいい。しかし、視覚障害者用バリアフリー映画では、その映像を語らなければならないのである。これは、創作ラジオドラマを創るようなものであろう。しかし、単なる創作ではない。本体の映画の精神から外れてはならない。また、映画中の言葉はそのまま活かすと共に、映画が言葉を発している間は説明を入れられない。映画の精神を理解し、映画中の言葉の間隙をぬって説明を加えて視覚障害者によく理解できるものにし、健常者にとっては、邪魔にならず聞くに耐える語りを行う。これは台本創りも含めて、大変なことである。私としては、朗読の勉強くらいで受講希望したのだが、えらいものに手を出してしまったみたいだ。でも、この活動を通じて、映画をまた新たな視点で捉えることも、できるような気がする。

●平成22年5月1日(土) 「OP映画祭り」その1
上野オークラ劇場の「OP映画祭り」の2日目、これに乗って「お竜さん」が仕掛けた「ピンクゲリラツァー」の日でもある。女性4人を男性7〜8人がガードする布陣が固まった。(実はこの日は、この後様々な楽しいハプニングがあるのだが…)

この日の舞台挨拶は荒木太郎監督を中心として、女優さんは早乙女ルイさん、佐々木基子さん、淡島小鞠さん、里見瑤子さん、といったメンバーである。もちろん、私のお目当ては里見さん!、ツァー主催者の「お竜さん」も昨年の舞台「小鳥の水浴」をスタートに、最近とみに里見さん応援団色が強まっており、彼女も里見さんがメインでのツァー呼び掛けだそうだ。

プログラムは昨年の荒木作品「ねっちり娘たち まん性白濁まみれ」と、新作「させちゃう秘書 生好き肉体授業」。それにサンドイッチされる形で監督が俳優として出演したアカデミー監督の滝田洋二郎の伝説の名作「痴漢電車 極秘本番」という魅力的な番組だ。私は「ねっちり娘たち まん性白濁まみれ」は観賞済だが、里見さんをもう一度観てもいいので、ツァーの皆さんと全作品つきあった。初見映画の作品評の方は「ピンク映画カタログ−9」の方に回ってみて下さい。

午前11時半、上野オークラ劇場に参加者が続々参集してくる。3本と舞台挨拶を観て、午後4時頃終了というスケジュールである。ここで、「お竜さん」から新情報が出る。彼女以外の女性参加者は「もちさん」とその友達二人ということなのだが、来られるのが舞台挨拶開始の午後3時ということだそうだ。ということは、それから3本観るとしたら、男性ボディガードなしという状態になる。「どうするの?舞台挨拶だけで帰るの?」と聞いたら、女性だけで観ていくとのことのようだ。3人もいると強気になるということか。「それ、やっぱり危ないよなあ。OP映画祭り開催中っていっても、舞台挨拶が終われば、いつもの映画館の雰囲気にもどるよなあ」と男性陣は懸念しつつ、俺がボディガードとして残って2回観よう、という奇特な人は出ない。冷たいものである。まあ、その後の有志打ち上げを楽しみにしているのだから仕方ない。

この顛末は、3日(月)の「ピンクゲリラツァー」にも参加した「もちさん」から、聞くことができた。女性3人グループは、無事に3本観賞して帰ったそうだ。それどころか親切な小父さんたちに(変な意味でなく)話しかけられ、エールを送られてお菓子の差し入れまでもらったそうだ。やはり「OP映画祭り」開催期間中の上野オークラ劇場ならではの暖かさということだろうか。

舞台挨拶は、先に紹介したように、荒木太郎監督と女優陣は早乙女ルイさん、佐々木基子さん、淡島小鞠さん、そして里見瑤子さん!である。映画3本目の初々しさが残る新人の早乙女さん、演劇畑出身の大ベテランにしてピンク界の杉村春子とも言われる佐々木さん、スタッフ参加から女優として活動の場を拡大した脚本家・助監督・三上紗恵子としても知られる淡島さん、ピンク出身でもはやベテランの域に達するとともに舞台や自主映画・一般映画でも活躍している里見さんと、バラエティに富んだ顔触れで、それにふさわしい多彩なトークが展開された。

応援団増殖中の里見瑤子さんに、有志が浄財を集めて舞台挨拶後のサイン会前にワインを差し入れて、さあ、いよいよ打ち上げである。常連の「キネマ怪人カマニア」さんこと、ピンク大賞投票者でピンク界のサポーターである鎌田一利さんは、途中参加で残念ながら打ち上げも参加できずにお別れとなった。この後はコンサートを聞きにいくそうで、相変わらず多彩に研鑽を積んでおられるようだ。私から声をかけた「映画友の会」の友人で、キネ旬「読者の映画評」の常連の古川博宣さんは、この後「シャッター・アイランド」鑑賞予定なので、アルコール抜きで打ち上げにつきあうことになった。(これは、この後の嬉しいハプニングで落ちがつく)後は「お竜さん」、第1回映画検定1級最高得点者の「YASさん」など、これにツァーとは別に里見瑤子さんのmixiコミュニティの主催者「chimyさん」こと宮野 真一さんが、当然顔を見せており合流し、打ち上げは10人弱の大部隊となった。宮野さんは、昨年の「おかしな監督映画祭」の「ピンクノイズ」など、何本か里見瑤子さん主演作をモノしている映画監督でもある。

好天気なので、屋外の不忍池の畔のアウトドアで懇親を目論見て、しばし遊歩道をブラつくが、屋台の店の椅子はそこそこ空いていても行楽シーズンだけあり、まとまって座れる場所がない。しかたなく、上野オークラ劇場隣の「笑笑」に腰を据える。談論風発の中で、宮野真一監督が里見瑤子さんに携帯を入れたら、サイン会が一段落したら、「笑笑」に足を運んで来てくれるという。宮野監督様様だ。里見さんとしては、女性ファンの「お竜さん」もいるのが呼び水の一つだったそうだが、そうなると「お竜さん」様様でもある。しかし、上野オークラでの打ち合わせなどもあるみたいで、それやこれやで待っていたら、「笑笑」を追いだされる2時間が経過してしまった。

てなことで、上野オークラ劇場前で里見瑤子さんと合流、ルノアールでお茶することになる。「シャッター・アイランド」鑑賞予定の古川博宣さんも、行動を共にする。「あれ?時間いいんですか」「里見さんが来るんじゃあ、そっちに行きますよ」、とうとう「シャッター・アイランド」はシャットされてしまった。そして古川さんも、映画を観る予定がなくなったので、ルノアールでは私と同様ビールの注文と相成ったのである。

里見瑤子さんは、気取りのない気さくな方なので、お茶しての歓談は大いに盛り上がった。みなさん!これでもう里見さんと「おともだち」になりました。次に会った時、「OP祭りで…」と声をかければ、「この人、だぁれ?」なんて顔をする人ではありません。いや、里見さんから声をかけてくれるかもしれません。かくいう私もグリソムギャングで酒席を共にして、かなりの時間がたってからお芝居を観に行ったにも関わらず、楽屋から出てきてバッタリ顔を合わせたら、「あ、来てくれたんですね。ありがとうございます」と、里見さんから声をかけてくれました。今回のお茶で、また里見瑤子さんファンが増えたことでしょう。応援団増殖中です。

平成22年5月2日(日) 神保町から九段下へ
当初は、今年も昨年同様、「OP映画祭り」舞台挨拶に1日(土)〜3日(月)まで、皆勤のつもりであった。ところが、ここに嬉しい誤算が飛び込んできたのである。「映画友の会」の旧友でプロレス者であるYさんから、プロレスリング・ノア武道館大会の招待券2枚をいただいたのだ。早速、漫画家にして社会人コント演者、話芸修行仲間のバトルロイヤル風間さんをお誘いし、快諾をいただいた。風間さんは、「バトルロイヤル」のペンネームが示すように、筋金入りのプロレス者である。

試合開始は16時30分、さて、私としては交通費の有効活用で、もう一本くらい稼げそうだ。前日1日(土)初日、岩波ホールで「コロンブス 永遠の海」が上映されている。武道館の最寄駅の九段下と、岩波ホールの最寄駅の神保町は、都営新宿線で一駅である。かくしてこの日は神保町→九段下のコースと相成った。昼食は愛用の日高屋、モリモリサービス券にての大盛中華そばに決める。日高屋の中華そばは、一般には390円なのだが、なぜか神保町だけは290円でお得なのである。学生街だから、他の店との価格競争ということなのだろうか。いずれにしても、この日も楽しく充実の1日になりそうだ。

●「コロンブス 永遠の海」 101歳オリヴェイラの透明な心
「コロンブス 永遠の海」は、ポルトガルの世界最高齢現役映画監督マノエル・ド・オリヴィエラ、101歳の最新作である。イタリア人ともスペイン人とも言われているコロンブスを、ポルトガル人であったと信じて戦後数十年をかけて探求する男が主人公だ。そして、現代の高齢となった主人公を、オリヴィエラ自身が演じる。実際の妻イザベル夫人も、妻を演じている。時空を越えて出現する中世のコスチュームの少女の印象深さ、遙か彼方の水平線まで青く美しく澄んだ海のラストシーン、オリヴィエラの透明な心境のみが、深く心に残る。新藤兼人の95歳作品「石内尋常高等小学校 花は散れども」、木村威夫91歳の作品「黄金花−秘すれば花、死すれば蝶−」に共通する透明さである。

「生まれる前の時間と、死んだ後の時間はどっちが長い?」との意味のことが語られるのは、瀬々敬久の「トーキョー×エロティカ 痺れる快楽」だが、最近の私の心境に響いてくる言葉だ。私は還暦を過ぎた。平均寿命まで生きたとしても、後せいぜい十数年だ。特に持病は無いのだが、私は平均まで生きられないような気がしてならない。いや、仮に長生きさせてもらったところで、足腰・頭がしっかりしていられるのは、頑張って後20年そこそこだろう。しかし、私の生まれる前に無限の時間が流れており、死んだ後も無限の時間が流れ続けるのだ。そして、私が生きて認識した空間も、巨大な宇宙の中の砂粒程の一部に過ぎない。膨大な空間と時間を擁している宇宙存在というものを考えると、その中で生命として認識している瞬間というのは、宇宙存在の中では極めて特殊なあり方ではないのだろうか。人は宇宙存在の中から生まれ出て、宇宙存在の中に回帰していく。むしろ、膨大な宇宙存在の中に飲み込まれている時の方が、自然なあり方なのかもしれない。ただし、生命という特異な在り方に、周期的に回帰することを繰り返すのが存在の原則とすれば(存在はすべて繰り返しだから)、それが輪廻転生と言われているものだろう。オリヴィエラや新藤兼人や木村威夫の、透明な心境の映画を観ていると、そんな私の感慨に通底してくるような気がする。もちろん私は、これら人生の諸先輩に比べればまだまだ濁っているが、こうして歳を重ね心境の透明度を増していくのではないだろうか。

●プロレスリング・ノア グローバル・リーグ戦でフィーバー
5月2日(日)のプロレスリング・ノア武道館大会の目玉は、グローバル・リーグ戦の優勝決定戦である。この日、リーグ戦は残すところ4試合、試合する8人のうち、勝敗結果により7人に決勝進出の機会があるという大混戦である。プロレス者でない冷めた連中は、いいアングル仕掛けるね、と冷ややかに眺めるかもしれないが、アングルであろうがなかろうが、興趣に富んだ4試合になったことはまちがいない。

オープニング・マッチは、ノア好例のお笑いプロレス、相撲でいうところのショッキリである。しかし、そこを長年務めたラッシャー木村も永源遙も現役を退き、百田光雄は三沢光晴急死後の社内人事の内紛から退社、現在はちょっと役者不足だ。その穴を埋めたのがコスい試合が売りの中年の星・井上雅央と、意外や新社長に就任した田上明だった。田上明は、ノア4強の一角ではあったのだが、その中では最高齢で、社長業に専念するためか、今後第一線を引くムードである。意外とお笑いプロレスのペースも醸し出していた。4強の頃から天然のユーモアがあったので、案外このキャラはいけるかもしれない。後は、田上・雅央に続いて、もう1〜2名ショッキリ・プロレス対応ができるレスラーが欲しいところだ。

通常は、オープニングのお笑いから、序々にヒートアップさせて会場を盛り上げていくのだが、今日はそうはいかない。リーグ戦対戦者8人のうち2人は、メインエベントで決勝戦を努めるのだから、インターバルが必要だ。そこで、第2試合から一気に熱いリーグ戦4試合の連続である。リーグ戦4試合終了後の熱くなりきった場内で、メインのつなぎまでの3試合を努めた選手は、さぞやりにくかったことだと思う。

リーグ戦の最初は、まず川田利明と齋藤彰俊、キックの鬼の川田は勝たない限り、決勝進出に望みをつなげない。対する齋藤は誠心会館出身の空手家である。キック対決というところだが、ここは川田が制し、首の皮一枚でBブロック代表として決勝進出の可能性を残した。

次は佐々木健介と力皇猛の、パワーファイター対決だ。こちらは両者共に、勝った方が決勝進出に望みを残すが、キャリアに勝る健介が力皇を葬った。こちらも健介がAブロック代表の権利を留保したのである。

3試合目が高山善廣と森嶋猛。どちらも195cm前後、140kg前後の巨漢対決だ。身長で高山が、体重で森嶋が勝り、お互い一歩も引かない雰囲気である。勝った方が文句なしのBブロック代表、30分時間切れ引き分けの場合は川田利明も含めて3人の巴戦という接戦だ。客としては、巴戦にもつれこんだ方がお得感があるのだが、まあこの巨漢対決に時間切れはなく決着するだろうと思った。予想どおり大肉弾戦は、激闘の果てに長身の高山が制し、決勝進出を確定した。

リーグ戦の最後は秋山準と杉浦貴。このAブロック対決も前試合と同様、勝った方が決勝進出、時間切れ引き分けならば佐々木健介も加わった巴戦だ。こちらは、共にアマレス出身のテクニシャン、長期戦になる可能性大だ。巴戦にもつれこむことは、十分に予想できる。選手には酷だが、客としては巴戦を期待するところだ。予想どおり試合は駆け引きを駆使して、長期戦となる。10分、15分、ついに20分を越える。こうなると、もう私としては巴戦を期待する。終盤に私は、フォールの体制に入ると「返せ!決めるな!!健介戦が見た〜い!」と、絶叫して掛け声を浴びせ続けたが、願いは空しく秋山が決め、Aブロック代表で決勝進出となった。

掛け声・野次はプロレス会場の華だが、同行したバトルロイヤル風間さんは、さすがに筋金入りのプロレス者ならではだった。タイミングはズバリで、内容も的確、そして似顔絵コントで鍛えた大音量が、ビンビン響きわたる。それは当然で風間さんは年間に何十回もプロレス会場に足を運んでいるのだ。私は、地上波TV放映を漏れなく録画して見るのと、週刊ファイト(今は休刊だが)・東京スポーツなどのプロレスマスコミ誌紙をこまめにチェックしている程度で、会場に足を運ぶのは年1〜2回のビッグマッチのみの、TVプロレス・活字プロレスのファンでしかない。バトルロイヤル風間さんとは格がちがうのである。

高山善廣と秋山準の決勝は、体力にまかせた高山が、最近は怪我が多い秋山を、強引に押し切って優勝する。この日は武道館というキャパの大きい会場で、さすがに3階席あたりには空席が散見したが、それでも主催者発表で1万1千人の大観衆、フィーバーぶりも半端ではなかった。

会場を後にするが、もう人の波、波、波…である。プロレス者の楽しみは、この後に今観戦した試合を中心に、居酒屋でプロレス談義に耽ることだ。ただ、ここ数年の最近のプロレス者は、傾向に変化が観られる。人の波のほとんどは、地下鉄九段下駅の地下に吸い込まれていってしまう。私とバトルロイヤル風間さんは、近くの「さくら水産」にあっさりと席を確保でき、周囲には、プロレス者が飲んでいる姿はなかった。昔は、たった二人だって、こんなあっさりと入れることは無かった。人混みをかきわけるようにして、武道館近くの「さくら水産」や「串八珍」に走ったものである。あるいは最初から、走ってまでしての近くの居酒屋ゲットはあきらめて、一駅くらい歩いて居酒屋を確保したものだ。やっと入った居酒屋では、店の中すべてがプロレス者の激論で熱気に溢れていた。今はそんな風景はない。そんなブロレス者の変遷なども話題にして、風間さんとのプロレス談義に耽ったのであった。

こうして5月2日(日)も有意義に暮れていった。

●平成22年5月3日(月) 「OP映画祭り」その2
5月3日(月)「OP映画祭り」は、渡邊元嗣監督を中心にしたラインナップだ。舞台挨拶は渡邊監督に加えて、夏川亜咲さん、藍山みなみさん、夏井亜美さん、西藤尚さん、山口真里さんというメンバーだ。プログラムは渡邊監督の新作「牝猫フェロモン 淫猥な唇」をメインに、旧作の「令嬢とメイド 監禁吸い尽くす」「夫婦夜話 さかり妻たちの欲求」の3本である。多彩な渡邊監督なだけに、「牝猫フェロモン」は青春映画、「令嬢とメイド」はホラー・ファンタジー、「夫婦夜話」は人妻ものと、ヴァラエティに富んでいる。監督自身の選定かもしれないが、漫然と並んでいる通常の3本立と一味ちがって、さすが「OP映画祭り」ならではだ。「令嬢とメイド」以外の私が初見の2本の映画評については、「ピンク映画カタログ−9」の方に回ってみて下さい。

今回の「ピンクゲリラツァー」の仕掛け人は、吉住瞳さん(mixiネーム)である。渡邊元嗣監督のコミュの主宰者だ。「お竜さん」「もちさん」「YASさん」と私など、「PKの会」の面々も相乗りする。さらに私からの縁で、長田衛「クロワッサン」副編集長にして社会人落語家の「あっち亭こっち」師匠、社会人コント演者にして若手美人浪曲師の玉川奈々福後援会長も務めるMISAKOさんが加わる。吉住さんの縁で参集した人は、創作に携わるクリエイターが多いように見受けられた。吉住さんのmixiによれば「男子13名 女子3名」の参加者数だったとのことで、いずれにしても、この日も異種格闘技戦みたいな多彩なメンバーが参集した。

舞台挨拶は、男優の岡田智宏さんが飛び入り参加してのトークもあり、楽しく終わった。我々の打ち上げも、2次会で喫茶店にまで雪崩れ込むなど、楽しく有意義に終わったのだが、いずれもあまりに多彩過ぎ、1日(土)のようにすべては里見瑤子さんに収斂した形ではないので、極めてレポートはし難い。ということで、ここでは楽しく有意義だったと書き留めるだけにしたい。

ハプニングを二つほど紹介する。1日(土)と同様に、我々は「笑笑」の打ち上げで盛り上がっていたら、連日の参加で「ピンクゲリラツァー」のメンバーは目立ったのか、上野オークラ劇場から伝令が飛んできた。サイン会終了後に関係者の打ち上げがあるので、合流しませんかとの、嬉しい提案である。一も二もなく応じたのだが、結局、広い会場が確保できなかったとのことで、この件は流れてしまった。残念ではあるが、この後「笑笑」に、岡田智宏さんが何人かの仲間と共に飲みに来るハプニングがあった。男優の岡田さんはサイン会には参加していなかったので、「お竜さん」はこのチャンスに、しっかりサインをゲットしておりました。

●平成22年5月4日(火) 地味〜に 阿佐ヶ谷→武蔵小金井
私のゴールデンウィークの大きなイベントは山を越えた。実は、ラピュタ阿佐ヶ谷「悪女礼賛−スクリーンの妖花たち」で、4月28日(水)〜5月4日(火)の間、私の未見の注目作「女体」を上映中だったのだが、前述したようにスケジュールがビッシリで、観る暇がなかった。この日を逃すと終映になってしまう。そんなことでかねてから、この日はラピュタ阿佐ヶ谷を予定していた。「女体」の上映は13時〜14時35分の1日1回、交通費の有効活用のため、もう1本くらい何か稼ごうとしても、中途半端な時間である。まあ、地元に近い阿佐ヶ谷だから、今日はこれ1本にしようと決めた。そして、髪の毛が結構伸びているので、鑑賞後は武蔵小金井で途中下車して、私の行きつけの理髪店に寄り、ウォーキングで西国分寺まで帰ることにしたのである。

「女体」は、若尾文子との名コンビで有名な増村保造監督が、ただ1本だけ浅丘ルリ子と組んだ異色作である。当時の世評はあまり高くなかったので見逃していたが、気になっていた一本だったのは確かだ。

若尾文子とのコンビの場合は、純な乙女が次第に女としての凄みを増し、男をカマキリのように食っていくパターンが多かった。しかし、「女体」での浅丘ルリ子は最初からエキセントリックで、映画中で叫び、暴れ、踊り狂い続ける。若尾文子の場合は、女の匂いをふんだんに感じさせつつも、あまり肌を露出することはないが、ここでの浅丘はランジェリー姿をふんだんに晒し、ミニスカートやネグリジェでスキャンティー丸出しのポーズも頻繁に取っている。

若尾文子の場合は、体の線がふくよかなので、増村は前述のような演出法を取ったのだろう。一方、可愛い子ちゃんヒロインから脱却しつつあるこの当時の浅丘ルリ子は、鋭角的なマネキンのような魅惑に変貌しつつある時期だった。この無機質な個性に、増村流の女を感じさせるには、こうしたエキセントリックな演出が必要だったということだと思う。

で、結果はどうかというと、私としては増村映画の中での異色の一本という程度の印象で、代表作には程遠いと思った。一方、浅丘ルリ子としても、この当時にマネキン的無機質さを活かし、蔵原惟繕監督=山田信夫脚本の典子という観念的ヒロインに実体を与えた作品群に比して、異色の一本ではあるが、代表作とは言い難い。結局、増村にとっても浅丘にとっても、痛み分けの結果というあたりだろうか。

映画鑑賞後、20年来愛用している武蔵小金井の理髪店に向かう。ここは低料金が魅力と共に理容師の人数が多いので、とにかく待ち時間が短いのがよい。この日は女性理容師だった。例によって口髭を残すように告げる。こういう時、男性理容師の場合は、口髭にいっさい触れることはない。でもこの日の女性理容師は、口髭の周囲を整えてくれた。女性理容師ならではの神経の細かさなのか、あるいは男性理容師は同性だから、本人のこだわりに気をつかっているということだろうか。どうでもいいことだが、ちょっと興味深い現象であった。

●平成22年5月5日(水) ゴールデンウィークの素晴らしいフィナーレ
 注目の石井裕也監督、「川の底からこんにちは」で鮮やかな商業映画デビュー
 ゴールデンウィーク最終日、三たび「OP映画祭り」に向かう。この日は、私がプロレス観戦していた2日(水)と同じプログラムだが、舞台挨拶は無い。でも友松直之監督の新作「移り気若妻の熱い舌技」に、私が見逃していたピンク大賞ベストワン作品「壺姫ソープ ぬる肌で裏責め」が一挙に観られるのだから、ここは外すわけにはいかない。その後は、地下鉄で一本の渋谷に向かって、ユーロスペース「川の底からこんにちは」を観ることにする。ピンクの2本の映画評については、「ピンク映画カタログ−9」の方に回ってみて下さい。

注目の石井裕也監督の商業デビュー作「川の底からこんにちは」は大傑作であった。私にとって今年のベストワン候補の重要な一本である。主演の満島ひかりは、主演女優賞の大本命だろう。早くから石井裕也監督に注目することを教えてくれた13号倉庫さんには感謝感謝である。

石井裕也監督のスッとぼけたデフォルメ描写は、とてもおかしい。しかし、単におかしいだけではなく、その底流に深い人間観察力を感じる。「剥き出しにっぽん」「ガール・スパークス」「ばけもの模様」、短編の「グレートブリテン」も含めて、すべて優れてそうだった。「反逆次郎の恋」が一番良いとの声も耳にしているが、今回の「川の底からこんにちは」とリンクした「特集上映 石井裕也と歩こう」では1日限りの上映で、残念ながら都合がつかなかった。いずれにしても、この26歳の軽やかな若者の、どこにこんな深く鋭い人間観察力があるのだろうか。スっとぼけたデフォルメに味がある映画作家としては、荻上直子、横浜聡子がいるが、彼女達は閃きだけという感じで、石井裕也のように人間観察力に基づいたものでないような気がする。

この深い人間観察・洞察に裏付けられ、そして満島ひかりという今最も旬な女優を得て、本当に「川の底からこんにちは」は大傑作となった。若くして鋭い人間観察・洞察力を有していることに関しては西川美和と双璧であろう。共に、安易に原作物に頼らず、自作オリジナル脚本で勝負するところも、共通している。今後の日本映画は、この二人をメインに回っていくのではないか。

そして、一部の人には理解不能なあたりも、西川美和と石井裕也は共通している。西川作品に対して、有名人も含めて、頓珍漢な観方をする人や、理解不能という人が、若干存在する。石井裕也作品も、理解不能という人が存在すると思う。平成20年「ばけもの模様」公開時の監督トークショーで、演芸台本にも活躍の場を拡げている前映画雑誌編集長がインタビュアーとなった関係で、何人かの話芸つながりの人がつめかけた。その中の一人の人が、トークショー終了時にいなかった。後で聞いたら、映画を観るに耐えられず途中で帰ろうと思ったが、何とか最後まで観た、でもトークショーまでつきあう気になれなかった、とのことだった。でも、西川美和といい、石井裕也といい、百人が百人絶賛するよりは、こういう一部の人がいることこそ、優れて深い映画作家の証明と言えると思う。

期待の石井裕也監督の華々しい商業映画デビュー、私にとってゴールデンウィークの華やかなフィナーレであった。

●ゴールデンウィーク後の5月
ゴールデンウィークは終わっても、毎日が夏休みの年金生活者には、何の変わりもない。改めて見ると、この後の5月も予定はビッシリである。ちょっと箇条書きをしてみる。
  6日(木)立川シネマ巡り「武士道シックスティーン」「ウルフマン」
   (チケット売り場は閑散、ああ、世間は勤労モードに入ったんだなと痛感)
  7日(金)「美と芸術の上海アニメーション」Aプログラム・Bプログラム
                         新宿Kscinema
       「あなたの声でバリアフリー映画を創ろう
               〜副音声ガイドに挑戦〜」講座 秋葉原UDX
  8日(土)「ひなぎく」「不思議惑星キン・ザ・ザ」 早稲田松竹
       映画の教室2010「狂った一頁」 フィルムセンター
  9日(日)お施餓鬼  萬福寺
 10日(月)「美と芸術の上海アニメーション」Cプログラム
                         新宿Kscinema
       「未亡人銭湯 おっぱいの時間ですよ!」初号試写
               (池島ゆたか監督の御好意)東映ラボ・テック
 12日(水)「ジョニー・マッド・ドッグ」 シアターN渋谷
       「タイタンの戦い」(3D) 渋谷シネパレス
       世界のアンフェアとフェアトレードについて知る5日間
             「いのちの食べ方」 アップリンク・ファクトリー
 14日(金)立川シネマ巡り「9 9番目の奇妙な人形」「グリーン・ゾーン」
 15日(土)「ビルマVJ 消された革命」 シアター・イメージフォーラム
       「映画友の会」 機械振興会館
 15日(土)〜16日(日)第22回ピンク大賞表彰式 テアトル新宿
 19日(水)シナリオ作家 水木洋子と巨匠たち「ひめゆりの塔」
                             銀座シネパトス
       演劇「真夜中の太陽」 全労災ホール/スペース・ゼロ
                   (「蛙の会」新会員の多田慶子さん出演)
 20日(木)立川シネマ巡り(予定)
 21日(金)「あなたの声でバリアフリー映画を創ろう
               〜副音声ガイドに挑戦〜」講座 秋葉原UDX
 23日(日)「蛙の会」例会 潟}ツダ映画社試写室
 24日(月)「あなたの声でバリアフリー映画を創ろう
               〜副音声ガイドに挑戦〜」講座 秋葉原UDX
 27日(木)無声映画鑑賞会「故郷の空」「のど自慢狂時代」「沓掛時次郎」
                             門仲天井ホール
 28日(金)「第44回 東京映像 発表試写会」 新宿明治安田生命ホール
     (日立寄席の社会人落語家の重鎮・古城一明さんが、第2部の司会を務める。古城さんは、昨年の発表試写会では監督作も出品した)
 29日(土)「久保新二 生前祭・フェスタ」 パセラリゾーツ銀座

 何だか凄いスケジュールです。至近になれば予定もさらに増えるでしょうし、退職しても退屈で呆ける暇はなさそうです。暇をもてあましている退職者の老人達よ、これを観て元気を奮い起して下さい。もっとも、そういう類の人達は、こういうHPまで足を伸ばすことはないか。

さあ、映画三昧の日は、無限に続いて行くぞ!
映画三昧日記2010年−6

前回の「映画三昧日記」は、ちょっとおカタくなりました。今回は、いかにも映画ファンらしく、最近の映画の売り方に関する疑義、そしてもう一つは、神保町シアターで開催中の「ニッポンミュージカル時代」を通じて和製ミュージカルを俎上に乗せてみたい。

●もっと感動できたはずなのに…「やさしい嘘と贈り物」
「やさしい嘘と贈り物」は、熟年男女の交情をシットリと描いたいい映画だった。しかし、この映画に真に感動するには、予告編・チラシ・映画記事など、いっさいの予備知識を入れないでほしい。いや、「やさしい嘘と贈り物」という愚かな邦題すら、知らないでほしい。といって、そればかりは無理な話であり、まして映画ファンならば、いっさいの白紙鑑賞というのは完全に不可能である。

本当はこの映画は、こんな作品だと思う。孤独な独り暮らしの老人のマーティン・ランドーがいる。向かいに熟年の品のよい女性エレン・バーンスティンが越してくる。引っ越しの挨拶をきっかけにして、彼女はなにかと親切に彼の面倒をみる。男は次第に女に惹かれていく。ついにデートにこぎつける。少年のような瞳の輝きで身支度をするマーティン・ランドーの、演技が素晴しい。デートの場でエレン・バーンスティンは、少女のような笑みと喜びを表す。

ただ、映画が進展するにつけ、いくつかの「ム?」という描写が出てくる。エレン・バーンスティンには娘がいるのだが、二人の会話に、観客にとって釈然しないものが混じる。マーティン・ランドーは、若い店長の下でスーパーで働いているのだが、店長の対応は、どこかギクシャクしている。そして…このドラマの感動的な裏側が最後に晒される。

予告編を始めとして、この映画はすべてその裏側を、真っ先に前面に出して、売っている。予告編で、私は全く、前述したような映画だとは思っていなかった。「やさしい嘘と贈り物」という邦題、「私を忘れてしまった夫 もう一度あなたに恋をする」というキャッチコピー、すべて裏から始まってしまっている。

映画館にあまり足を運んでいないかに見える熟年女性の二人連れが、「そういうことだったのねえ」「感動したわ」と会話しながら帰っていった。私も、そういう風に素直に感動したかったよ!宣伝部のアホ!!

●「シャッター アイランド」の肝はミステリーではない
「シャッター アイランド」はミステリーとして売られている。「全ての“謎”が解けるまでこの島を出る事はできない」というキャッチコピー、「巧妙に仕組まれた映像全てがヒント」との触れ込みで、“超”日本語吹替版なるものまで製作されている。3Dでも、映像に集中させたいSFX物でも、お子様向きでもない映画で、極めて異例である。

こう来れば、ミステリーファンならぬ私としても、謎解きに意識が集中するではないか。さすがに、“超”日本語吹替版で挑戦するほどの意欲はなく、いつもどおりの字幕版を選んだ。ところが、何とそれでも開始20〜30分で、私はネタが読めてしまったのである。でも、ミステリーに造詣が深くない俺に、そんな簡単に読めるはずがないよなあ、きっとそれ以上のものがあるはずだと、引き続きスクリーンに目をこらし続けた。ところが、次々と私の読んだとおりの展開になっていくのである。そして、ラストも冒頭で気付いた私の予定どおりだった。何だこりゃ、私は拍子抜けした。「映画友の会」で、ミステリーファンの一人が「あの宣伝はケシカラン。あれだけでネタバレだ」と怒っている者が、もう一人のミステリーファンから「それ言うからネタバレになるんだよ」と制されていたが、まあ、予告編で判る人は判る程度のレベルのミステリーネタでしかないのだ。

ただ、鑑賞後に考え直してみると、マーティン・スコセッシ監督の意図は、本当に本格的ミステリーにあったのか、疑問になってきた。謎解きではなく、主演のレオナルド・ディカプリオを通じて、第二次世界大戦=ナチスに対する戦争後遺症(ウィリアム・ワイラーの「我等の生涯の最良の年」のような)、それに続く東西冷戦と赤狩りの恐怖というアメリカの暗黒時代の、心の闇を描きたかったのではないか。謎解きなんてどうでもよく、結末が読めたら読めたで、素直に映像のままに心を添わせればよかったのではないか。怪しげな宣伝のおかげで、私は結末に至る自分の推理の妥当性の有無にばかり気をとられて、観続けてしまった。完全に、この映画の方向外れの宣伝に、鑑賞を誤ったような気がする。

何故、こんな愚かな宣伝が続出するのだろう。今の映画宣伝マンは映画愛が不足しているのではないだろうか。愛が足らなければ、その映画の真の魅惑も理解することができない。そこで、頓珍漢な売り方になるのではないか。かつてユナイトの宣伝部にいた淀川長治さんが、「地獄馬車」とのセンスのない邦題に断固抵抗し、「駅馬車」という新造語にまでなった名タイトルをつけたとの逸話がある。戦後になっても、同じユナイト宣伝部で水野晴郎さんが、カウボーイと車社会の現代ニューヨークをかけて、「真夜中のカーボーイ」というムードタップリのタイトルを考案した。こういう方々は、もういなくなったということである。

●日本におけるミュージカル映画についての雑感
4月3日(土)〜23日(金)の間、神保町シアターで「ニッポンミュージカル時代」が開催された。上映作品総数は21本で、私は未見だった「歌ふ狸御殿」「アスファルト・ガール」「恋の大冒険」の3本を観た。

90年代半ばの阿佐ヶ谷映画村で、白井佳夫さんは、お気に入りの「君も出世ができる」のダイジェストを上映した。いずれ映画村の番組として取りあげると共に、「日本にミュージカルは存在したか?」というテーマで、連作上映したいという構想も話されていた。結局、実現しなかったが、今、この大がかりな特集上映を、どんな思いで見られているだろうか。

日本映画に、ミュージカルというはっきりしたジャンルは、あまり存在していない。一時的なジャンル確立の動きはあったが、結局定着せず、現在に至っている。ただ、歌入り映画という伝統は、戦前からあった。マキノ正博監督の快作・昭和14年作品「鴛鴦歌合戦」あたりは、その代表だろう。おなじみ狸御殿ものの第1作「歌ふ狸御殿」も昭和17年作品だ。

「狸御殿」物の企画の発想は、ミュージカルからではあるまい。日本には宝塚歌劇というものが、早くから根付いていた。その伝統を映画へスライドした要素が強いような気がする。今回観た「歌ふ狸御殿」も宮城千賀子の男装の若様ぶりが艶やかだが、これも男装の麗人が魅惑の一つである宝塚の延長であろう。

日本映画界が、ミュージカルというジャンルに意識的になったのは、1961年公開のアメリカ映画「ウエスト・サイド物語」(同年の昭和36年公開)に発する。これは、足掛け3年にわたって丸の内ピカデリーで、超ロングランのロードショーとなり大ヒットした。ほとんどの芸能人が「ミュージカルをやりたい!」と声をあげ、一部マニアックな映画ファンに支えられていたミュージカルも、全映画ファンを集客するジャンルになったのだ。

日本にミュージカル映画の確立を!と、嚆矢を放ったのは大映だった。なにごとにも意欲的で、時にフライングもある永田ラッパこと永田雅一社長が、「アスファルト・ガール」の企画を打ちあげた。負けじと東宝も、冒頭で紹介した「君も出世ができる」の製作発表をする。公開は「ウエスト・サイド物語」から遅れること3年、昭和39年のことだった。「アスファルト・ガール」の公開は4月、「君も出世ができる」は5月だった。作品の評価としては、私は「君も出世ができる」の方に軍配を上げたいが、理由は後述したい。結果的には、話題をふりまいた割に、この大映vs東宝のミュージカル対決はどちらも興行的に成功せず、日本にミュージカルというジャンルは、根付くことはなかった。

「アスファルト・ガール」は頑張ったと思う。いかにも永田ラッパにふさわしく、アメリカから「回転木馬」の振付師ロッド・アレキサンダーを招いた。友人仲間に見合いを強要された男がアスファルト・ガール(いわゆるコール・ガール)を、疑似恋人に仕立てて急場をしのごうとするが、本気の恋に落ちてしまうという洒落たストーリーである。1990年アメリカ映画のジュリア・ロバーツ主演「プリティ・ウーマン」の完全な先取りだ。セットの華麗さも、ミュージカルナンバーの歌も踊りも、ロッド・アレキサンダー効果か、それなりの水準に達していた。

しかし、あまり良いとも思えなかった。主演の中田康子が歌い踊れる女優として起用されたのだが、まずまずのスターは彼女一人、後はステージではそれなりのダンサーなりタレントなのかもしれないが、映画ファンになじみのある顔は尾藤イサオ程度なのである。こうなると、映画ファンとしては、華やかさに欠けた作品となり、確かにミュージカルナンバーの水準は保ったが、それとてもハリウッドを越えられるはずもなく、よくやったね御苦労さま程度の、中途半端な感じの一篇に終わってしまったのだ。

「君も出世ができる」は、東宝の体質をうまくミュージカルに取り込んだ。ベースは得意とするサラリーマン物に置いている。東宝には、日劇ダンシングチームのショーやレビューの伝統がある。歌って踊れるスターとして、高島忠夫・フランキー堺・雪村いづみを擁している。これに中尾ミエあたりの人気歌手を加え、その総合力に乗っかって、無理なく和製ミュージカルを完成させてみたのである。鬼才・須川栄三監督の、隠れた代表作といってよかろう。

今回初見の昭和45年作品「恋の大冒険」も楽しかった。今陽子を中心に据えるピンキーとキラーズ・佐良直美・由紀さおり・前田武彦というTVヴァラエティーショーで歌って踊れるタレントの魅力を、そのままストレートに導入したのが成功の一因だ。そこをベースにドキュメンタリスト羽仁進監督が、上野駅前や西郷さんの銅像を巧みに切り取り、その前に群舞が乱れ舞う。さらに和田誠のアニメが華を添え、人画一体となった「メリー・ポピンズ」もかくやのファンタスティックな空間が現出する。これも「君も出世ができる」と同様に、日本にミュージカルの確立を!なんて肩肘を張らず、既存の日本の財産をミュージカル的に総合したのが、成功因であると思う。

日本映画にミュージカルというジャンルは確立しなかったが、ミュージカルと呼んでいい佳作は、昭和39年以降にも何本も誕生している。クレージー映画ではあるが、植木等を中心にクレージーキャッツのメンバーが、ラスベガス大通りを踊りまくる昭和42年の2時間半を越える超大作「クレージー黄金作戦」。前田陽一のハチャメチャぶっ飛び快作「進め!ジャガーズ 敵前上陸」。いずれも、ミュージカルを意識的に前面に押し出すことなく、既存タレントの魅力に乗っかりながら、立派に日本でミュージカルしてみせたのである。

和製ミュージカルは、そういうことで良いと思う。結局ミュージカルは、アメリカ映画独自のジャンルなのだ。フランスでも、ジャック・ドミーが「シェルブールの雨傘」「ロシュフォールの恋人たち」を生んだが、これも作家独自の活動で、ジャンルとして確立はしているわけではない。インドには沢山あるが、これはミュージカルというよりは、ボリウッドのマサラムービーと呼ぶべきで、別物であろう。

以上、神保町の特集上映にちなんで、今回は私なりに和製ミュージカルに蘊蓄を傾けてみました。
映画三昧日記2010年−5

●平成22年3月27日(土)「桃色のジャンヌ・ダルク」初日
平成22年3月27日(土)21時からのレイトショー、ユーロスペースにおける「桃色のジャンヌ・ダルク」初日の日である。私の「映画友の会」旧知の鵜飼邦彦さんの監督デビュー作だ。鵜飼さんは、日活の編集マンとして長く活躍し、最近では吉行由美監督作品を中心に腕を揮っている。チラシによれば「初日スタッフ、キャスト舞台挨拶あり」となっている。これは、旧知の者として是非とも馳せ参ぜねばなるまいと、ユーロスペースに向かった。

初日でもあり、挨拶付きということもあろうか、30分程前からロビーには人が溢れていた。鵜飼邦彦監督の顔も見える。早速、初監督のお祝いを述べる。ロビーでは「映画友の会」旧知の人が、この他にも私の眼についた限りでは二人いた。一人は今やヨコハマ映画祭主宰者というビッグネームに成長した鈴村たけしさんだ。もう一人は、松竹にいてその後郷里の九州に帰り、何十年ぶりかで「湯布院映画祭」で、私と再会したOさんである。他の所用もあったのかどうかは知らないが、とにかく九州からはるばる上京して、エールを送りに来たのだから、「映画の友」とは嬉しいものである。しばし、懐かしく歓談する。この後で映画を観たら、鈴村たけしさんは再現ドラマ部分で、パーティー客の一員として顔を見せていた。映画の関係者でもあったわけだ。

しかし、映画は良くなかった。いや、私にとって近来稀に見る不快な映画だった。増山麗奈なる子どもっぽいお嬢さん芸術家の、ハタ迷惑な自己満足反体制活動行状記のドキュメントにしか見えなかった。特に、柏崎刈羽原子力発電所や六ヶ所村核燃料再処理施設に乗り込んでの、トンチンカンな抗議行動は、電力マンOBの私の神経を逆撫でにした。いや、こういう私にとって不快な女がいても、それはそれでいい。問題は、その被写体に対して、鵜飼邦彦監督の批評眼が、全く感じられないことだ。イライラ感はさらに増幅した。監督は増山麗奈に振り回されているだけだとの批評を、どこかで読んだ気がするが、正に的を得ている。少なくとも、「ゆきゆきて、神軍」の原一男は、被写体の奥崎謙三に振り回されつつも、映画作家として必死に拮抗していた。それやこれやで、観終わった時、私の腹中には、怒りが渦巻いていた。

上映終了後のロビーは、ゲストの鵜飼邦彦監督と増山麗奈を囲み挨拶する人で、ごった返していた。私も、一言監督デビューのお祝いくらい申し上げたかったが、怒りにまかせて何を言いだすか判らない心境だったので、足早に会場を後にした。挨拶もロクにしなかったのは、そういう事情です。ご容赦ください。(でも、上映前にエールを送れたのは、本当によかった)だが、後に詳述するが、感情的な思いが静まり、冷静になってくると、作品の好悪を別にして、私にとって、映画について社会について、いろいろ考えるテーマを与えてくれていることに気が付いた。その意味では、一見の価値ある映画だったと言えぬことはない。鵜飼さんがこの「映画三昧日記」の場までリーチを伸ばしてくれるかどうかは定かではないが、とにもかくにもとりあえず、この場で当日の非礼は詫びておきたいと思う。

●「桃色のジャンヌ・ダルク」をキックに考えること
私にとって「桃色のジャンヌ・ダルク」に腹がたった理由を考えてみた。それはこの映画が、「状況における責任」という問題に対し、無自覚にしか見えなかったからのようだ。これに関連して、最近、私にこの問題を考えさせてくれた秀作「ハートロッカー」について(かなり賛否両論があるようだが、それも踏まえて)語ってみたい。補完する形で昭和40年の日本映画の旧作「太平洋奇跡の作戦 キスカ」にも、触れておきたい。

続いては、一般的には反原発映画として認知されている「チャイナ・シンドローム」と「東京原発」について考えたい。私は、この2本を高く評価するし、単細胞的な反原発映画だとも思っていない。原子力発電に対する優れた問題提起というのは、こういうのをいうのだろう。

最後は、ドキュメンタリーとは作家不在でも、いや作家の志が低くても、映画ならではの価値とパワーを持ってしまう場合があるケースとして、「南京・引き裂かれた記憶」を俎上に乗せたい。

まずは「桃色のジャンヌ・ダルク」を観てみよう
「桃色のジャンヌ・ダルク」は、「母乳アート」でも著名な画家・増山麗奈のドキュメントである。桃色ゲリラとして、反核・反戦運動でも活動している。

私が不快だったのは、彼女の活動が我儘でハタ迷惑な行動にしか見えないからである。自衛隊イラク撤退を訴えるために、ピンクのビキニで国会に押し掛ける。警備陣にとっては迷惑極まりない。国会周辺で怪しげな人間を、警戒するのは当然の責務だ。それに対して、「表現の自由は法で守られている!」とのたまわる。

別の場面では、地下鉄に大きなキャンバスを持ち込む。そして、法律違反だけど見逃してもらっちゃった、とペロリと舌を出しているような風情である。こういういい加減さは、私には我慢ならない。法律を盾にとってその保護下に入ろうとするならば、自分も法律は守るべきだろう。こうした御都合主義ないい加減さの主張を、全編にわたって感じるのである。

●戦時下イラクの「自己責任問題」を考える
以前に「バッシング」などで映画化もされた日本人女性のイラク人質事件があった。日本国民の殆どがこの女性を「自己責任」の名の下に糾弾した。私の会社の同僚で、日頃リベラルだと感じていた者まで、バッシング側に回ったのには、やや唖然とした。その位、彼女へのバッシングぶりは凄かった。

私は、この国民の反応にひどく違和感を感じた。戦時下のイラクに立ち入らないように「国家」が警告するのはよい。しかし、立ち入った人間が危険に陥ったら、それは「国家」の名の下に「保護」すべきである。それが、どんなに「国家」にとって不本意な人間であってもだ。それが「国家」というものではないのか。そうでなければ「国家」の都合のいい人間だけが、戦時下のイラクにしか入れないことになってしまう。もしも、「国家」が「自己責任」を言い出したら、国民はそちらの方こそ糾弾すべきだろう。あの時の国民挙っての「右へならえ」の「自己責任論」に、私は異様な恐怖を感じた。最近、NHKで、その女性のその後が紹介されていた。国外でイラク平和活動を続けているそうだ。マスコミの行き過ぎた自己責任バッシングを、番組内で若干反省するようなコメントがあった。遅いんだよ!もう!!

なぜ、こんなことを言い出したかというと、この問題に対して増山麗奈は、どんなスタンスを取ってどんな行動をとったか、あるいは取らなかったかということが気になったからである。多分、行動を取らなかったんじゃないか、ズルズルと世間の大勢に従っていたんじゃないか、と邪推してもみたくなる。(実は彼女は、このことに関して大きなアクション起こしており、単に私が不明でそれを知らなかっただけなのなら、申し訳ないが…)

こんな邪推をするのも、柏崎刈羽原子力発電所における思いつき的な反核・反原発活動を眼にしたからだ。新潟大地震直後で全発電機が停止し、再運転に向けての努力が重ねられている時に、ピンクのビキニで押し掛ける。そして、誰でも入れるはずのPR館に、なぜ入れないのかと騒ぐ。警備の「責任」からすれば、これは当然である。原子力発電所には核物質がある。しかも復興に向けて、多くの人間が出入りしている。昭和54年に「太陽を盗んだ男」という映画もあった。マッドサイエンティストの高校教師が、発電所からプルトニウムを強奪し、手製の原爆を造るお話である。(そういう核物質があること自体が問題だという意見もあろう。その点は、私の考える技術文明の享受と利益を考える項で後述したい)

要するに、この時の増山麗奈の行動は、地震というニュース性に乗った軽薄な行動であり、ハタ迷惑なだけでしかない。電力会社は民間会社だ。少しでも警備上の疑義を感じれば、入館を断る自由もあるのだ。しかたがないから海岸に出て、発電所に向けて「このまま原発を止めろ〜!原発にピンク・パ〜ンチ!」とはしゃいでいるのは噴飯ものだ。本当にキチンとした問題意識で反原発を訴えるのならば、こんなジャーナリスティツクな時期を狙って来るべきではない。真の反原発映画というのは、後述する「チャイナ・シンドローム」「東京原発」のように、貴重な問題提起に至るものであるべきだ。

●「状況と責任」について
ここで、私の電力マンとして中央指令室に勤務したOBの視点から、社会における「状況と責任」について、少し考えてみたい。映画からは暫くやや離れるが、次に述べる「ハートロッカー」評にも繋がるところなので、暫し我慢しておつきあいいただきたい。

平成2年、世はバブルの真っ盛り、日本は怪獣のように電力を食い潰し、発電所を造っても造っても追いつかない自転車操業状態に追い込まれる。そんな中で、この年、猛暑と渇水が日本列島を直撃する。ご存じのことだろうが、電力は売り切れが許されない商品である。売り切れということは停電ということだ。(戦後の復興期にはよくあった話であるが、現代では許されまい)もちろん、そんなに簡単に売り切れてしまうわけではない。しかし、予備力が100万kW(一般家庭1軒が2〜3kWと思ってもらえればいい)を切った時、中央指令室にいる私は、心臓が縮みあがった。原子力発電所1機が、約100万kWである。事故というのは絶対に無いとは言えない。今、自動停止に至る事故が起こったら…、心臓が縮みあがる状況がお判りいただけただろうか。

日本における原子力発電は、もはやそういう決定的重みを有した存在なのだ。そんな理解もどこへやら、ある革新的だと思えた人からも「本当はアメリカに押しつけられて、仕方なく原子力発電所を造ってるんだろ。本音を言えよ」と言われた時は、真底ガックリした。反原発派には、このように「状況」を捻じ曲げ、「責任」に対して無自覚な者が本当に多い。

日本は水資源に恵まれた国土である。だが、こと電力に限っては豊富とは言えない。水の流量が中国やアメリカに比べて圧倒的に少ない。(それでも中国もアメリカも原子力に頼っている)しかも日本の水力発電に適している場所は、山奥の僻地だ。だから、大きなダムを山奥に分け入ってまでも、わざわざ造る。長いトンネルを掘って、延々と鉄管を敷設し、発電に必要な落差を必死に確保する。その大変なリスクは、昭和43年作品「黒部の太陽」によく描かれている。

そんな水資源を食い尽した後はどうするか。そこまでを分相応の日本の電力消費量として生きていくのか。日本はその道は選択しなかった。さらに高度経済成長していく戦略を選んだ。その結果、そこから先の電力は石油依存の大容量火力発電所に頼っていくことになる。

昭和48年のオイル・ショックは、そんな日本に電力ピンチを招く。銀座のネオンが消灯し真っ暗になったのは、もう皆さまの記憶からは遠くなっているかもしれないが、そこから新たなエネルギー戦略が開始される。そして、現在の石油・原子力・LNG(液化天然ガス)を各3割にする政策が確立する。水力だとか自然エネルギーだとかは、残りの1割程度に過ぎない。その位、国内資源に比較して分不相応な電力喰い国家だということなのだ。

そんな「状況」は、大資本の利益のための帰結であり俺には関係ない、という者はいる。だから、すぐ原発を止めろという輩がいる。しかし、そこに至った「状況」はともかくとして、そんなこととは関係なく、電力マンとして中央指令室にいる存在としては、「責任」を果たさねばならないのである。ということで、長い寄り道になったが、これをベースにして問題作「ハートロッカー」を論じていきたい。

●優れた問題作「ハートロッカー」
「ハートロッカー」は傑作である。イラク戦争の爆発物処理班の映画だ。ここでは、イラク戦争の意義だの大義だのにはいっさい触れない。戦場で爆発物を仕掛ける者がいるから、被害を出さないために爆発物を処理する人間がいる。それ以上で以下でもないところに、焦点を絞り切ったのが凄い。

イラク戦争のような市街ゲリラ戦は、誰が敵で誰が一般市民かなんて区別はつかない。爆発物も、時限式か遠隔操作かなんてことも判らない。だから、市民の携帯電話操作にも心臓の縮みあがるような緊張が走る。道をまちがえて進入してくるタクシーに、発砲寸前の一触即発状況になる。このギリギリの緊迫感の描写は凄すぎる。こんな状況で、一般市民にいっさい攻撃をしないで済むなんてことはありえない。これが戦場なのだ。だから戦争は絶対悪なのだ。

このような形で、イラク戦争の悪を告発してみせたキャスリーン・ビグローは素晴らしいが、現在進行形の戦争に対して、はっきりとNO!をつきつけられるアメリカの表現の自由も、また素晴らしいと思った。

しかし、戦争の是非、戦場の是非はさておいても、そこに爆発物がある限り、処理して人命を救う人間もまた必要なのである。置かれた「状況」において、とにかくその「責任」を果たす。命を縮めるような任務を終えた後、再びイラクの戦場に向かい、必要がある限り「責任」果たし続ける兵士に私は美を感じた。

●思い出す三島由紀夫の「総長賭博」評
私は、昭和44年3月号「映画芸術」の三島由紀夫の映画評、「『総長賭博』と『飛車角と吉良常』のなかの鶴田浩二」の一節を思い出していた。三島は言う。

「思えば私も、我慢を学び、辛抱を学んだ。そう云うと人は笑うだろうが、本当に学んだのである。自分ではまさか自分の我慢を美しいと考えることは困難だから、鶴田のそういう我慢の美しさを見て安心するのである」

私が「ハートロッカー」の爆発処理班の兵士達を美しいと思ったのは、彼らの「状況」における「責任」の果たし方に、高度経済成長末期症状のバブル景気の中で、その是非はともかく、原子力発電を中心にして必死に電力ピンチに立ち向かった一員としての自分の姿をダブらせていたからかもしれない。確かに、三島由紀夫の言うように、自分で自分を美しいと思うのは困難であるのは、間違いのないことだ。

現役をリタイアした私ではあるが、今でも地震があると、電力状況、特にその中で大きな比重を占める原子力発電所に関心が向く。中越大地震の時には、柏崎・刈羽原子力発電所の全機自動停止を聞いて、大変だと思うと同時にホッとした。もちろん、運転継続できた方が良いに決まっている。しかし、安全装置が正常に動作し、停止したということは、それだけで素晴しいことである。停止したことを不安全の象徴のように言い立てる原発反対派には、首を傾げるしかない。

先日の福島の地震では、運転が継続された。私は、ニュースを聞きながらホッとしつつも、いつしか中央指令室にいる自分をイメージしていた。多分、全発電機停止を想定して、当直員全員が発電力確保に奔走しているのではないか。安全装置が正動作せず、発電所から全機停止要請がくることも想定されるからだ。

そんな風な「状況」と「責任」に対して生きてきて、リタイアした今でもそんな風に感じている自分を、三島由紀夫ではないが、自分で美しいと思うわけにはいかない。繰り返すが、だから「ハートロッカー」の兵士達を、私は美しいと思うのだ。

「太平洋奇跡の作戦 キスカ」のこと
私のように深く感動するかどうかはともかく、「ハートロッカー」は誰にも文句のつけようのない映画であろうと私は思っていた。爆発物処理による人名救助には、文句のつけようがないからである。しかし、意外にも半数近くにこの映画の否定論が存在しているようだ。「イラク戦争の是非が描かれていない」「米軍駐留の正当化だ」「イラク人をインディアンに見立てた西部劇」etcと散々なものである。私には、ずいぶん歪んで穿った観方をする人がいるものだなあとしか、思えなかった。そして、昭和40年の東宝戦記大作「太平洋奇跡の作戦 キスカ」を思い出していた。

「太平洋奇跡の作戦 キスカ」は、第二次世界大戦における太平洋のキスカ島撤退作戦を題材にしたものである。濃霧に包まれたキスカ島で、米軍包囲網に孤立して閉じ込められた将兵部隊を、夜陰に乗じて撤収させる作戦だ。作戦は成功し、上陸した米軍は無人の基地に呆然となり、あるいは霧の中で若干の同志討ちまで演じてしまったとの締めくくりとなる。

これは、全般的には爽やかな戦争映画として好評だった。何といっても、殺し合いである戦争映画で、今回は人を助ける話なのである。人名救助に理屈はいらないということだ。しかし、ここでも当時、歪んで穿った観方をする一部の人がいた。ここで救出した部隊は即南方戦線に廻され、ほとんどが戦死したのが史実だと、嬉々として指摘する人がいた。また、救出されたのは陸軍の地上部隊でなく、海軍の陸戦隊だったから海軍が面子を賭けたとのことを紹介し、陸軍と海軍の確執はそれほどセコイものだったとも言い立てた。映画を、そんなに歪んで穿った観方をして、いったい何が面白いんだろうと、当時の私は感じた。

「太平洋奇跡の作戦 キスカ」は、昨年の湯布院映画祭実行委員会機関紙「THE MAYIM PRESS」で紹介され、再評価されている。現在は爽やかな戦争映画として映画史上の評価が定着し、当時の一部の歪んで穿った観方は影も形もない。願わくば「ハートロッカー」の歪んだ穿った観方(と私は思っているのだが…)も、10年もたったら影も形もなくなっていることを祈るのみだ。でも、この否定派の人数の多さからそれは無理かなと、思えないでもない。

●魔女狩り的な反原発運動
私には、反原発運動は「魔女狩り」にしか見えない。「反核運動」は「反原発運動」となぜかセットになる。核兵器と平和利用がゴッチャなのである。技術文明に対して、これは極めて奇妙な反応だ。そもそも、すべての技術文明は、兵器から端を発しているものがほとんどである。スタンリー・キューブリックは「2001年 宇宙の旅」で、文明の原点は「骨が骨を砕く」不吉なイメージであることを表現している。人は核爆発を手に入れた。今、核分裂を原子炉内で、制御棒でコントロールできる平和利用可能な技術を入手した。人間の知恵というものはそういうものだ。ダイナマイトを兵器に用いるのを歓迎する人はいないが、ダム工事に使うことを否定する人はいまい。それと何がちがうというのか。核技術だけを魔女狩り的に別枠にするのは、「反原発運動産業」というものが確立し、メシの種がなくなっては困るから、後に引けないだけなんじゃないかと、それこそ穿った見方をしたくなるのである。

やや、言い過ぎた。問題はそれ程に単純でないのは、私も高く評価する反原発映画「チャイナ・シンドローム」と「東京原発」をネタに詳しく語ることにしたい。確かに原子力の平和利用に関しては、様々な問題がある。放射性廃棄物の長い半減期などは、その最たるものだろう。しかし、それをもって核技術を全否定するのはおかしい。すべての技術が、余すところなく解析され、確実に安全になるまで使わないなんてことをしたら、人間は原子時代のままだろう。そんなことはありえない。リスクを背負いながら、一つ一つ問題を解決して前進するのが、技術文明というものだろう。

早い話が、我々が日常抵抗なく使っている電気だって、実は本当のところは何も分かっていない。物理学ではマイナスの電子がプラスに移動することになっているが、電気工学では電気はプラスからマイナスに流れていることにして不都合がない。そんな訳の判らないものは危険だから使うなと言う人はいないのである。最近では、電磁波の害が取り沙汰された。これも、害はないとの結論になったようだが、研究が進んでくればまた変わるかもしれない。技術文明なんてそうしたものだ。核技術に関しても、未知の部分もあれば、安全上のリスクも確かに存在する。でも、他の技術と同様に、人間が一つ一つ解決し、前進させていくものだろう。それが人間の知恵なのだ。私はそうした人間の知恵を信じる側に回りたい。

●秀逸な反原発映画「チャイナ・シンドローム」
タイトルに反原発映画と掲げたが、私は基本的に原発という言葉を使いたくない。ゲンパツ、何と汚らしい語感か。これは中途半端(あえてこう言います)なアーチストが多い反原発派の、意識的な戦略である。それはそれで構わないが、今やマスコミにまでその言葉が定着し、NHKでも(「原子力発電」ときちんということが多いが)ゲンパツなる言葉が、たまに出てくるのである。このイメージ戦略では反対派の完勝と言ってよかろう。

「チャイナ・シンドローム」は、1979年のアメリカ映画で、スリーマイル島の原子力発電事故を題材にしている。監督はジェームス・ブリッジスで、発電所の工事の欠陥を発見する技術者のジャック・レモンが主人公だ。しかし、原子力発電所建設は、ビッグ・プロジェクトでありビッグ・ビジネスだ。ビッグ・ビジネスは、組織保存のための利益確保という意思のもとに、彼を封殺しようとする。彼をサポートするジャーナリストとしてジェーン・フォンダが競演する。

この映画の、原子力発電に対する問題提起は、大きく二つある。一つは原子力技術は高度で巨大なシステムであるから、必然的にビッグ・ビジネスにならざるをえないということだ。ビッグ・ビジネスという非人間的な組織の意思は、時に平気で真実を闇に葬る。さらに、もう一つの大きな問題は、その闇に葬られた真実の結果で事故が発生した場合、タイトルの「チャイナ・シンドローム」が示すように、地球の中心を通過し中国(チャイナ)に至る世界規模の惨事となるその大きさだ。このような形で、原子力発電の危険の特殊性を指摘されれば、私も納得せざるをえない。

ただし、ここではジャック・レモンの技術者の良心も、信じるに足るものとして称えられている。そして、それをサポートするジェーン・フォンダのジャーナリストの良心も称えられている。ラストに、危機を突破し、涙を流し恋人の胸に飛び込むジェーン・フォンダの姿は、感動的であった。これは、いわゆる軽薄な「反原発映画」なんかではない。

核技術が、他の技術と異なる特殊性は、もう一つあると私は思っている。それは、人の一生を遙かに超える放射性廃棄物の半減期の問題である。技術者の良心といい、人間の良心というが、人は本当に自分の一生を越えた死んだ後のことまで、真剣に考えられるほど高潔な存在なのかということである。最近では、もはや多くの人の記憶から薄れたが、自分の一生のうちに訪れることが判っていながら、その時が来ればきっと誰か考えるさと放置し、間際になって大騒ぎしたY2K(いわゆる2000年コンピュータ問題)もあった。そんな眼先だけしか見ない愚かな人類に、核技術は耐えることができるのだろうか。

 とにもかくにも、人類は核というものを手にしてしまった。そして、地球温暖化の元凶となる化石燃料エネルギーの代替として、今、核エネルギーが再浮上している。我々は地球環境のために、エネルギー消費を我慢するのか?人間の知恵と技術者の良心を信じて核エネルギーに賭けるのか?選択を迫られているのである。「桃色のジャンヌ・ダルク」の増山麗奈のごとく、「このまま原発を止めろ〜!原発にピンク・パ〜ンチ!」とはしゃいで、無責任に軽薄に言っている場合ではないのだ。もちろん私は、知恵と技術者の良心を信じる側に立ちたい。核技術の決定的な瑕疵といえる放射性廃棄物の問題も、必ずや技術者の知恵が解決する時が来ると思う。それが「時間という名の魔術師」の存在だと信じる。

●多様的視点の反原発映画「東京原発」
平成16年の日本映画「東京原発」は、多様な視点で描かれた傑作である。視点としては、やや反原子力発電に偏っていると思うが、「エネルギー問題に関して傍観者であることは、誰しもがそれだけで犯罪者的である」と言い切ったことが素敵である。しかし、これだけの優れた表現に対しても、反原発の映画の知人は、反原発映画として素晴らしいと、「傍観者的」に絶賛していた。ダメな奴には、何を見せてもダメということか。「メクラ千人、目明き千人」(差別用語でゴメンナサイ)とはよく言ったものだ。

これについては、私がリアルタイムでキネ旬「読者の映画評」原稿にまとめているので紹介したい。没原稿だったか、一次審査通過だったかは定かでないが、まあ私としてはキネ旬審査者の評価がすべてだとは思っていないので、ここで紹介することにする。


これは二十一世紀の「黒部の太陽」であり「太陽を盗んだ男」だ。また、「チャイナ・シンドローム」に匹敵する日本発の大きな問題提起でもある。
 経済成長のため無限に必要な電力、だが、近代産業の底辺を支えるのはヤクザまがいの孫受け業者。そんな中で死者ゼロの必敗の挑戦をするのが、「黒部の太陽」だ。技術文明の享受は常にリスクを伴うのである。
 現代もそれは変わらない。いや、問題は拡大・複雑化している。現実論の都知事と理想論の東大教授の激しい対立。原子力産業の底辺を支えるのは、過労も厭わぬリストラ・サラリーマン、でも都への発電所誘致は、財政再建・リストラ社会改善の切り札でもある。二重三重に仕掛けられた矛盾、鋭い問題提起である。
 巨大技術産業の存在は、リスクを拡散する。「太陽を盗んだ男」の教師は原爆を製造し、「東京原発」のオタク少年は放射性廃棄物をジャックする。だが、それを元に社会を脅迫するも、何を要求したいかも見えない。不毛の現代の中に、リスクだけが巨大化していく。
 ただ、これは堅苦しい映画ではない。全編のコメディタッチが重苦しい内容を救っている。前半のディスカッションが放射性廃棄物の恐ろしさの伏線になり、それが効いてるからこそ、単なるトレーラーの疾走が、息詰まるサスペンスを醸し出す。低予算ながら知恵で見せる映画的魅惑。十分に「映画」なのである。
 とうとうと理詰めに原子力の危険性を説く東大教授。一見、反原発派プロバガンダ映画にも見える。しかし、映画はクライマックスで、ユーモラスにさりげなく、この教授に鉄槌を下す。知事の現実論に共感した幹部達は、命を張り協力しあい爆弾処理に突き進む。そんな時、もっとも知恵を借りたい教授は真っ先に安全地帯に逃げ込むのだ。幹部の採決が誘致賛成になるのも、感覚的に教授の欺瞞性を感じとっていたからだろう。技術文明とリスクの問題は理屈だけではないのだ。
 コメディタッチの中で、エネルギー問題に関しては評論家的姿勢ではならないし、無関心であることは犯罪的であると、はっきり言い切った傑作である。電力マンOBの私は深い感銘を受けた。

●映像ならではのパワーを感じた「南京・引き裂かれた記憶」
平成22年3月2日(火)の乃木坂・シアター&カンパニーにおける「映芸シネマテーク」の上映作品は、「南京・引き裂かれた記憶」だった。「桃色のジャンヌ・ダルク」以上に監督不在、というよりは監督の志があまり高くないなという感じのドキュメンタリーだった。しかし、そんなことと関係なく、「南京・引き裂かれた記憶」は「桃色のジャンヌ・ダルク」と違って、映像ならではのパワーを有していた作品だった。そのあたりのことを、ここでは考えてみたい。

例によって、上映後には関係者のトークショーがあり、その後は懇親の飲み会となった。そこでの荒井晴彦さんの指摘が、この映画の志の低さを端的に表していた。この映画の製作当時の2年程前、右翼勢力を中心として「南京大虐殺」は無かったと主張する勢力が台頭した。この映画は、そんな動きに対して、南京大虐殺は確かにあったと反論するだけのための、映画でしかない、残念だとのことだった。映画の中で、当時の元日本兵士の証言の中で、強姦に積極的だったのは、独り者ではなく妻帯者の召集兵が中心だったことが明かされる。そこに焦点を絞って迫るだけで、十分に意義あるドキュメンタリーになったはずだと言われた。いかにも荒井晴彦さんらしい指摘だが、私も共感した。

映画は、6人の元日本兵と7人の生き残り中国人被害者の証言を中心に構成される。いずれも、80歳を超える高齢者だ。今、カメラで記録しておかなければ、もう機会を失する方々である。

この証言は、南京大虐殺について、さまざまなことを考えさせられる。戦場というものは、前述の「ハートロッカー」然り、ベトナム戦争を扱った1986年「プラトーン」然り、敵軍と対峙し命の極限に立たされている兵士は、民間人の中に潜むゲリラにも囲まれているのである。民間人を絶対に殺傷しないなんてことはありえない。それが戦場一般の状況である。と、還暦を越えた私にして、想像の範疇でしか言えないのが、今の日本人のつらいところではある。

日本は、とにかく私が生まれてから現在まで、軍隊の無い国で戦争をしなかった国であり続けた。先進国では稀有な例である。だから、いい歳をしていても、軍隊や戦場の真の実態は判らない。恥ずかしい話であるのかもしれない。私などの団塊の世代は、下の世代に対して、人生の先輩としての迫力が全く無い。我々の人生の先輩の言は、やはり迫力があった。彼等は軍隊を経験し、戦場を経験している。黙っているけど、殺し合いをして人を殺してきた人間も、実はゾロゾロそこらに歩いていたのだ。

最近、韓国映画の「息もできない」を見て衝撃を受けた。30代のヤン・イクチュンが製作・監督・脚本・編集・主演で、パワフルに「兇暴な純愛」をスクリーンに叩きつけた。こんな新人がまだ出てくる。正に韓流恐るべしだ。日本映画も韓流に拮抗して、海外の映画祭で覇を競っていることは認める。しかし、韓流に比べると、明らかに線が細い。南北分断の朝鮮戦争を通過し、軍事独裁政権の弾圧の嵐をくぐり抜け、現在も兵役がある韓国人は、根本的に腹の座わり方がちがうのではないだろうか。それに引き換え日本は、人生の先輩であるはずの我々団塊の世代からして、生まれた時から60年余、軍隊も戦争もない国に生きてきたのだ。軟弱で当然である。でも、いや、むしろこれは喜ぶべきことかもしれない。せめてそう思うことにしたい。

だから、南京大虐殺は、戦場一般論に収斂すべき事変なのか、そこに何らかの特殊性があるのかは、私には気になるところである。もし、戦場一般論に収斂すべきものならば、中国がことさらこれを誇大に言い募るのは、何かタメにする裏があるのではないかと、不快感を覚える。ただ、南京大虐殺は、やはり戦場一般を越えて行き過ぎた虐殺だとしたら、日本人として深く謝罪するしかない。民間人に対する殺戮は、どこの戦場にもあるように、南京でもあったことはまちがいあるまい。しかし、それが戦場一般を大きく越えてあったかなかったか、それが南京大虐殺の有無の論点だろう。映画「南京・引き裂かれた記憶」の映画作家は、その辺が全く無自覚であった。

証言者による徹底的な南京殲滅戦を聞くにつけ、これは「生きて虜囚の辱めを受けず」との、ある種の日本人の文化美学から発した悲劇だと、思えなくもない。「虜囚」という発想がない戦争は、軍人・民間人を問わず皆殺しに至るしかない。民間人の中で誰がゲリラで、誰がただの一民間人か、見分けがつくわけもないのである。ただ、この映画は、そのあたりにも自覚的に迫っているわけではない。

だが、そんな映画作家側の意図がどこにあるかに関わらず、この映画の映像は、異様なパワーを有した。6人の80歳を越えた後期高齢者の元日本兵が赤裸々な証言をしていく。生々しい蒸し焼きによる大量虐殺の光景、あたり構わぬ集団強姦の横行、これらの発言は、証言集として書籍にもまとめられている。証言者からは「これが本当の地獄だ。ひどいことをした」との深い反省の言も発せられる。

ただし、証言をそのまま文章化した書籍を読むのと、映像で観るのとでは、決定的に印象が異なるような気がした。「ひどいことをした」との言葉は出てくる。でも、映像内の語る元兵士の表情を観る限り、本当にそう思っているようには見えないのだ。「みんな誰でもやったしね」という言葉も出てきたが、それを免罪符にして、言葉とは裏腹に心から詫びているように見えないのだ。ある意味では、過酷な共有体験に対し、嬉々として(懇親会では私のこの表現に対して言い過ぎとの指摘もあったが)追憶に耽っているように見えないでもなかったのだ。このニュアンスは、決して文字に残した証言集では、伝わることはあるまい。これが映像ならではの貴重な力だと思った。映画作家としての志はさておいて、関係者が鬼籍に入る前に、とにかくカメラを用いて納めたという映画ならではの価値を感じた。

妻帯者の方が、集団強姦に積極的だったとの証言に関心を示した荒井晴彦さんは、確かに的確だ。独身者にとってSEXは、遊郭などに遊びに行く「ハレ」の場の存在だ。しかし、日常的にSEXパートナーを有しながら、突如引き離されて召集された妻帯者兵士にとって、SEXは日常の「ケ」の存在なのである。それを奪われた被害者意識も集団強姦の免罪符になってもいよう。荒井さんは、そのあたりの日本人の戦争責任特有の被害者意識についても、席上で語っていた。

証言者のほとんどは、自分で虐殺・強姦に加担したと語っていたが、少数ながら、虐殺・強姦は沢山見てきたが、俺はやらなかったという人もいた。それが真実ならば失礼するが、私はそこに、この後に及んでも見栄を張って嘘をつく人間がいる悲しさを感じた

意義ある作品上映であり、トークショー・懇親会だったが、この月の「映芸マンスリー」は、開催始まって以来の不入りだったそうだ。何らかの関係者以外の一般実券入場者は、私一人だったとも耳にした。私は「映芸マンスリー」にほぼ皆勤である。毎回優れた企画の催しであるからだ。これに常連客が定着しないのは、本当に不思議な話である。次々と貴重な映画上映とトークショーが企画されるが、常に関係者を中心の集客で、私のような一般客は本当に少数だ。だから、毎回客層はガラリと入れ替わる。せめて「無声映画鑑賞会」程度の、常連客の比率が確保されたいものだ。それだけの価値ある企画であることは、私が保証する。懇親の席でそんな発言をしたら、荒井晴彦さんから「そうか、周磨が来ない企画にすれば、お客さんが沢山くるわけか」と、例によってのシニカルな調子で、ユーモラスに返された。

「桃色のジャンヌ・ダルク」は、作家不在で、被写体にも何らのインパクトもなかった。「南京・引き裂かれた記憶」は、作家の志はあまり高いとは言えないが、被写体の貴重さとそれ故の映像パワーを有した。ドキュメンタリーとは、奥深いものである。

「桃色のジャンヌ・ダルク」をキックにして、思わぬ長い映画の旅をしてしまった。ということは、「桃色のジャンヌ・ダルク」にも大きな一見の価値があったということかもしれない。あらためて鵜飼邦彦監督と増山麗奈さんに、ありがとうとだけは言っておくことにしよう。
映画三昧日記2010年−4

●映画評論というものを、もう少し考えてみよう
前回の「映画三昧日記」で、「第一回映画芸術評論賞」選考討議において、寺脇研さんの「評論とは独断と偏見を述べることではない」との発言に対し、「独断と偏見を極めて、ある種の普遍性に至るのが、私は優れた評論の一つのあり方」と返した。この問題をもう少し考えてみようと思う。

しかし、この「映画芸術評論賞」なるもの、「年金生活者」の「隠居」の暇つぶしのネタを与えてくれ、タップリ「遊ばせて」くれますねえ。結構なことであります。

●何で映画を観るんだろう?
映画評論の前段として、我々はなぜ映画を観るんだろうという問いがある。余人はいざ知らず、私は心を動かされたいからである。感動したいからだ。そして、私の感動の究極は、「鳥肌」が立つという生理現象だ。「鳥肌」が立つのは純感覚的問題で理屈ではない。ただし一般的な観客は、感動してしまってそれで終わりだろう。評論とは、言葉にならぬその「鳥肌」を、言語化して再考する行為だと、私は思っている。

●「パレード」に立った「鳥肌」
行定勲の新作「パレード」の、意表をついた幕切れには「鳥肌」が立った。ある意味でのミステリーなので、ここでその詳細を語るのは控えるが、私に「鳥肌」が立ったのは紛れもない事実だ。そして、頭の中では「何故?」と、自分の中では違和感を感じていた。私は、そんなにモラリストだとは思っていないが、それでもこのアンモラルな結末は、私が感動する世界ではないような気がしたのだ。しかし、確実に「鳥肌」が立つ感動に襲われたのも、厳然とした事実なのだ。

●「母なる証明」に立たなかった「鳥肌」
昨年の韓国映画「母なる証明」は、すでに秀作との評価が定着している。私もその素晴らしさを認めるにやぶさかではない。これもミステリーの形を借りて、ポン・ジュノなりに「母なる」存在に迫っている。ささやかなディティールが後段の山場に向かって、ジグソーパズルのピースがピタリピタリと嵌っていくような、溜息の出てくる洗練され尽くした演出だ。私は感嘆の連続だった。しかし、ラストに私が、当然予期していた「鳥肌」が立たなかった。何故か?私はこのアンモラルな決着に、「それはないよなあ?」と感動にブレーキがかかったのだ。これもミステリーであるので、詳細についてはこれ以上は触れない。

同じアンモラルな結末なのに、私は「パレード」に「鳥肌」が立ち、「母なる証明」には何故ブレーキがかかったのか。でも、厳然たる生理現象としての事実は否定できない。それを考えるのが、私にとっての「評論」であると思う。

●「会話が存在しない日」の再考
今年最初の「映画三昧日記」で、「会話が存在しない日」について考えた。昨年6月末で嘱託契約期間が満了したので、今年は私にとって年初から完全フリーな「隠居生活」がスタートした年である。すると、職場における「会話」は存在しなくなる。もちろん、映画や話芸に関係する同好の志との会話はかなり存在している。しかし、一般的には、「会話」は「仕事場」と「家族」との間で、ほとんどが占められており、その内の半分の「仕事場」の会話が存在しなくなったことに、思いが至ったのである。

子供の頃の会話のほとんどは、「父母兄弟姉妹」などの家族の中である。成長してくると、それに「学校」が加わり、卒業すると「仕事場」がそれに取って代わる。そして、家族それぞれの独り立ちにより「兄弟姉妹」との会話は希薄になっていく。自身も結婚して自立すれば、会話のほとんどは「配偶者」という新たな家族の中でのものが中心になる。そして、子供ができれば会話は「親子」に拡大する。やがて、子供は自立し、会話の中心は再び「配偶者」になる。もうひとつの会話の場である「仕事場」は、定年などで退職することにより消える。

親が生きている限りは(同居か別居かで大きく異なるが)、仮に多くはないにせよ、「配偶者」と共に、「親」との会話の場は存在する。しかし、親は一般的には先に逝く。「配偶者」もどちらが先にせよ、いずれかが逝く。最後に残るのは、これも多くはないにせよ、子供、さらに孫との会話だけが残る。その先は、本人が逝くからもう会話の存在云々は、関係のない世界になる。

●小津安二郎を再考する
私は、小津安二郎作品が好きである。晩年になって、結局人の最後のよりどころは家族だと痛感するようになって、ますます小津映画が好きになった。何げない家族の繋がりが、実に美しいものであることを描いているからだ。

でも、小津映画に逆の観方をする人もいる。嬉々として(かどうかは知らないが)「小津は家族の解体を描いたから凄い!」と力説する人は、少なくない。一面でそれは当たっている。第二次大戦後の家族制度の廃止に併せて、核家族化が促進され、従来の家族のあり方が解体されていくのを描いているのはまちがいない。しかし、その解体を通じて、「家族」の繋がりの美しさを逆照射したというのが、私の小津映画の観方なのだ。

確かに、家族というのは全て美しいわけではない。いや、家族の維持にはモラルの締め付けが多いのは確かだ。歳が来れば身を固めねばならないし、そうなれば速やかに子をなさねばならない。婚前交渉は論外だ。不倫や離婚は忌むべきものとして排除される。私生児は日陰の存在だ。(でも、一部の家父長の妾の存在は、男の甲斐性として許容されたりもする)従来の家族というのは、「一緒にいるのは鬱陶しい。でも、一人でいるのは寂し過ぎる」という二律背反の存在であるのも確かだ。

それでも、そうした負の面も含めて、家族というのは愛しいというのが、私の感覚だ。だから、その愛しさを成立させるのは、窮屈でもモラルの維持というのが(表面上に過ぎなくても)不可欠だと思う。だから、「母なる証明」は、例え「母」という存在の無限の強さを強烈に表現した秀作としても、そのアンモラルな結末は、私に「鳥肌」の感動を与えなかったようだ。

●非婚化・晩婚化・少子化の二十一世紀
二十一世紀の日本は、家族の枷というのがほとんどなくなった。適齢期などは存在せず、結婚するもしないも自由、結婚しても子を為すのも為さないのも自由、下手にそんなことを口に出せば、プライバシー侵害だ、セクハラだと、かえって騒ぎになってしまう。そんなこともあってか、確かに、私の40歳前後の友人・知人は、圧倒的にシングルの人が多い。核家族化からシングル社会への変質だ。

前述したライフスタイルが固定していた世代の者と比して、家族の会話に関し、シングルの人はどう変わってくるのだろう。まず、親から独立して一人暮らしになった人は、会話というのは「仕事場」のみが中心ということだ。退職した場合は、その場もなくなる。親が生きていれば、そことの会話はまあ残る。しかし、親は一般的には先に逝く。後は配偶者もいなければ、子も孫もいない。完全な一人である。例えば小津映画の「秋刀魚の味」で、娘の岩下志麻を嫁に出し、一人暮らしに入る笠智衆の父親の背中を、「絶対の孤独」と評した人もいたが、しかし、岩下志麻はいずれ孫を産み、連れて里帰りもするだろう。それに比べれば、シングルの人の老後は、私としては、かなりゾッとする光景である。もっともシングルに慣れている人は、あまりそう思わないのかもしれない。

「パレード」の共同生活は、家族を鬱陶しいものとして避けたシングル志向の若者達によってなされているように思う。核家族からシングル社会への人の変質の時代の空気を、鮮やかにキャッチした映画と、私は感じた。ただ、経済的効率性と非干渉の心地よさに身を置いているようにも見えるが、シングル時代の現代に疑似家族的な繋がりを求めているように見えないでもない。そして、ラストシーンは、例えアンモラルな部分を抱えても、この共同体を維持継続しようとの意思が感じられてくるのである。人が人の繋がりを求める切ない愛しさと、それがアンモラルのものまでも抱え込んでしまうということ、シングル志向の二十一世紀の将来の日本に、潜在してきた新たな深淵。そこに、私は「鳥肌」が立つ感動を得たのであろう。

いずれにしても、今年の行定勲はちょっと凄すぎる。年明けの2月早々なのに、「今度は愛妻家」「パレード」と、問題作の連打である。ただ、小さな世界の人間関係をジックリ描く初期の、「ひまわり」「贅沢な骨」「ロックンロールミシン」などの、先祖返りを感じさせる。これを歓迎する人は多いだろうが、私は、「世界の中心で、愛をさけぶ」の雄大な海外ロケに端を発し、「北の零年」「春の雪」と続いた壮大な画面創りの線が途絶えたのが残念だ。小さな世界をチマチマと巧みに描く若手監督は多いが、その中で行定勲は大スケールの映画をモノできる珍しい映画作家と期待していたからだ。

●映画評論の源泉は、まず感動だ
以上のように、映画評論の原点は感動だと私は思うが、これは各自の実人生を背負った人間観から発するものであり、言い方を変えれば「独断と偏見」に過ぎない。もちろん、感動の源泉は実人生だけでなく、映画教養と映像感性にも支えられていなければならないのだが、それに関しては、後で詳述する。

だから、映画の評価は、人さまざまになるのは必然である。私が一番苦手なのは、映画の良し悪しに白黒をつけようとする人だ。私が感動した映画を、感動しなかった人が、自身を正当化し、いかにそれが悪い映画かを滔々と述べて、叩き潰しに出てくる人間である。映画の良し悪しの原点は感動にあるのだから、その人がいくらその映画を否定しても、私の感動した事実は消えないのだ。私は感動した。あなたは感動しなかった。それだけのことなのである。どっちが正しいか間違っているかの問題ではない。これに関連しては、3月6日(土)「奴隷船」ツァーで楽しい光景があるのだが、それも項を改めたい。

●問題作「パラノーマル・アクティビティ」
「パラノーマル・アクティビティ」は問題作である。製作費は1万5千ドル(約135万円 ピンク映画の半分以下)だが、全米興行収入で1億ドル(約900億円)を突破する。そして、スティーブン・スピルバーグ率いるドリームワークスがリメイク権を獲得するが、「これ以上の作品を作ることはできない」との結論に至り、リメイクを放棄したのである。私にとっては、今年の洋画で「鳥肌」が立った一本である。

2月20日(土)の「映画友の会」で、この作品はテーマに取り上げられた。意外にも(想像はできたが)、「良かった」「まあまあ」「駄目」の三択で、「良かった」は私一人、後は観た人全員が「駄目」であった。「駄目」派の急先鋒は実行委員のMさんで、「スピルバーグに騙された。怖い、怖いと聞いたが全然怖くない。ちょっと怖くなったかなと思ったら、それで映画は終わってしまった」と散々だった。私の方は途中で何度も鳥肌が立ちかかる怖さ(だけではないのだが)を感じ、ラストの締めの鮮やかさには、完全に鳥肌が立った。

それでは、私の「鳥肌」の原点を考えてみよう。これは、低予算で人を怖がらせることに徹底した見事な作品である。ただし、一つ一つは、それ程大したものではない。それこそ、日本の超低予算のピンク映画で使う手ばかりである。日本ピンクは、意外とホラーやファンタジーが少なくない。突然割れる写真立てのガラスとか、カメラがパンし元に戻ると誰もいないのに花瓶が棚から落ちていたりとかの怖がらせは、池島ゆたか監督作品「おんな35才 熟れた腰使い」で巧みだった。ピンク大賞各賞を総なめし私が名付けるところのピンク界の「タイタニック」、樫原辰郎監督作品「美女濡れ酒場」では(怖がらせとは違うが)、番傘をピアノ線で引きゆっくり回転させるだけで、壮大なファンタジー空間を創出した。「パラノーマル・アクティビティ」の凄さは、これらの低予算怖がらせなどの巧みなテクニックを繋ぎに使うのではなく、全篇あの手この手を駆使して、86分間を引っ張り尽くしたことだ。この押しの強さに、私は感嘆した。

そして、ラストのショッキングな処理、これがこの作品の凄さを決定づけた。おおむねこの手の低予算映画は、途中のスケール感が拡がれば拡がる程、金が乏しいのでラストを締めることができず尻切れトンボになり、失望感が増大してしまうことである。2000年にやはり低予算で爆発的ヒットを叩き出した「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」がその典型例だった。(さすがに当時の「映画友の会」では、私も含め全員が「駄目」評価だった)ただ私が思うに、この映画も途中までは、そんなにひどくない。素人のホームビデオで記録したという設定の怪奇・オカルト現象らしきもの、それが荒れた粒子と揺れるカメラによって、奇妙なリアリティを醸し出し、大したこともない事物が、すべて不気味な装いに見えてくる。これは、巧みな映画マジックだと思った。ただしラストは、だから何なの?というあっけなさで終わる。この映画の失望感は、多分、このラストの締まりの無さから出てくるのだろう。一方「パラノーマル・アクティビティ」のラストシーンは、画面上は相変わらずの低予算による工夫ながら、人類存亡の危機まで想像させるスケールの膨らみがあった。それは1968年の佐藤肇監督の低予算作品「吸血鬼ゴケミドロ」のスケール感にも通じる。だから、私はその凄さに鳥肌が立ったのだ。(「ブレアウィッチ」も「パラノーマル」もネタバレ要素があるので、具体的にはこれ以上は触れない)

そして、ラストに至るまでの「パラノーマル・アクティビティ」の映像的魅惑は、低予算怖がらせテクニック乱打の押しまくり以外に、映画の原点を考えさせる示唆にも富んでいた。60年代にアンディ・ウォーホルというアングラ映画作家がいた。私は未見なのだが(というか奇特に観た人は皆無だと思うが)、「眠り」「エンパイア」という映画があった。「眠り」というのは、8時間だったか、眠っている男を延々と据えっぱなしの長廻しで撮っただけのもの、「エンパイア」の方も10時間だかをエンパイアステートピルと後ろの空を、やはり据えっぱなしで撮っただけの一編だったそうだ。

一般に映画というものは、現実をフォトジェニーで切り取りモンタージュで繋ぎ、事物を飽きさせないように見せ続けるものである。懇切丁寧に「今、ここを見なさい。次はここを見るんですよ」と、至れり尽くせりで見せてくれる代物なのである。ウォーホルは、そうした映画に対して問題提起したのだ。変化しないフォトジェニーによる眠った男やビルの外景、こうなると、従来の映画を見慣れた観客は、何かが起きることを期待し、一生懸命眼を凝らして見極めようという体勢になるのである。眠っている男がピクリと動けば、それだけで次に何が起きるかと緊張し、ビルの窓の明かりが一つついたり消えたり、背後の空の雲が少し動いただけで、何かを期待して固唾を飲む。もちろん、ウォーホルの映画で、それ以上の何かが起こるわけではない。しかし、そういう経験をした者の一部の中には、映像のあり方を改めて問い返し、既存の映画への対峙の仕方にも、何らかの変化・影響を与えられる者が出てくると思う。(ただし現実には、途中退場者が続出し、「眠り」「エンパイア」を最後まで見通したものはゼロだったそうだ)。

変化のない映像をポンと投げ出し、能動的にそれを凝視することによって得られる発見の楽しさ。「パラノーマル・アクティビティ」の怖さと映像魅惑はそこにある。低予算だから、映像の変化は殆どない。ないからこそ、何かを期待してさらに能動的に映像に対峙する。そこで、映像内の微かな動きに衝撃が走る。ただ、映像に能動的に対峙していない人にとっては、「何なんだよ〜この映画は」となってもおかしくないのである。この映画は、観客を選ぶ映画であろう。

こうした能動的対峙の仕方を要求する映画の魅惑は、オーソン・ウェルズや溝口健二の数々のパンフォーカス作品や、小津の一見単調で動きのない構図の繰り返し、「男はつらいよ」シリーズのワイドスクリーンの隅で演じられるサブキャラのリアクションなどに、共通してくるのだ。決して特殊な存在ではない。

しかし、「映画友の会」の中だけとはいえ、このように支持者が私一人だけ孤立している「パラノーマル・アクティビティ」のような作品は、かなり分が悪い。これを褒める奴はおかしい、という論調が強くなる。しかし、私がこの映画に「鳥肌」がたった事実は否定しようがない。そして、私のように感じたものは決して少なくないとは思っている。そうでなければいくら何でも1億ドルは稼げまい。その木戸銭を払った全員が、おかしかったりだまされたりしたわけではないと思う。

●再び「評論」とは何かを考える
「パレード」「母なる証明」「パラノーマル・アクティビティ」と、「鳥肌」を起点とした「評論」を展開してきた。いずれにしても、実人生を背負った感覚をきっかけにして、感動の源泉を探る作業になったわけである。人の人生は百人百様だから、すべては「独断と偏見」に起因するものでしかない。それがいかようにして、私言うところの「独断と偏見を極めて、ある種の普遍性に至る(中略)評論の一つのあり方」を獲得するのか。それは研鑽を重ねた映画教養と、磨き上げた映像感覚であると思う。

90年代の白井佳夫さん率いる阿佐ヶ谷映画村で、サイレント映画特集が、かなりの期間に連続開催された。ビデオ市販の版なので、伴奏がつくだけで弁士説明はない。結構コックリする人も少なくなかった。その時、白井さんはこんな意味のことを言われた。「すべての優れた表現を理解するには訓練がいります。訓練なしで解るものだけを観ていては、真の優れたものは味わえません。サイレント映画も、一見単調な伴奏と映像のリズムに、睡魔に引き込まれるんですが、このリズムに嵌ってしまうと、これが素晴しいんですね。例えば能なんか、訓練なしに良さが解るとおもいますか?」感覚を磨き上げるとは、こういうことなのである。

私が「パラノーマル・アクティビティ」を語るにあたって、ピンク映画・ウォーホル・ウェルズ・溝口・小津などを引き合いに出した。このような映画教養・映像感覚(といって大袈裟なら、映画知識と、単に人間やって長いから多数の映画を観てきただけのこと、と言っておきましょう)、こういうものを踏まえることによって、「独断と偏見」が「普遍性」に通じていく道がつけられるのではないだろうか。もちろん、実人生の重みというものも、それが磨きあげられれば、評論に普遍性を与えられる一助になると思う。

では、何をもって「独断と偏見」から発して、それが「普遍性」に至った評論とするか。これは非常に難しい。市販の媒体に売れれば普遍性獲得であり、そうでないのは独断と偏見だとも言えるが、それでは身も蓋もない。やはり、実人生を背負った自己が映画と真剣に対峙し、感動を起点として、それが実人生の重み・映画教養・映像感覚によって言語化されて、普遍性を有するということだ。その評価は、読んだ各自が判断するしかない。キネマ旬報「読者の映画評」初期の寺脇研さんの、受験生という実人生を背負って東宝青春映画に対峙した評論の数々は、私は十分に普遍性に至っていたと思う。

白井佳夫さんの「読者の映画評」コーナー開設の原点も、そこにあったと思う。白井さんはよくこんな意味のことを言われた。「映画は影に過ぎない。しかし、これは魅力的な影である。この影は時に現実を現実以上に表現し、現実に影響を与え、時に現実そのものを動かしていく」その意味で、映画と実人生を対峙させるということは、大切なことなのである。前回「映画三昧日記」で、私の映画評で影響を受けた人は、淀川長治さんと、もう御一方は白井佳夫さんと言ったのは、そういうところなのだ。白井さんは、映画業界内部以外の者の実人生を、映画と対峙させる映画評の重要性を認識され、それを求めての「読者の映画評」開設だったと思う。でも、現在の「読者の映画評」欄に、その理念は受け継がれているのだろうか。惰性で続いているのではなければ幸いである。

私のウロ覚えで自信がないのだが、佐藤忠男さんもかなり以前に、「映画評論家は興行に責任があるか?」との問いに対して、こんな意味のことを言っていたような気がする。「映画評論家は、興行予想屋でもなければ、映画の良し悪しを言う採点者でもない。自分の感じた感動を伝え、それが一般の人にも通じるようにしていくものである」記憶ちがいならばスミマセン。

千差万別である実人生と映画を対峙させた「独断と偏見」から出た感動、それを実人生の重み・映画教養・映像感覚を磨き上げ、言語化を通じて「普遍化」に至るようにすること。そんな風に感じている私の「評論」観を、今回は具体的作品評を加えて考えてみました。


●平成22年3月6日(土) 有意義だった「奴隷船」ツァー(その1) トークショー風景
平成22年3月6日(土)、「奴隷船」ツァーが、成功裡に開催された。「奴隷船」ツァーとは穏やかならぬ名称であるが、これは、ひょんな話から始まった。「ピンク映画カタログ−4」でもご紹介した女性の映画ファンだが、池島ゆたか監督作品のDVD鑑賞で池島ファンにもなり、ピンク映画に関心持つようになって、今や「ピンクゲリラツァー」を呼び掛け、池島監督を擁する「PKの会」をリードして頂いている「お竜さん」の一言から、私が動いたものである。

私がエキストラ出演した(「PKの会」の一員で映画ライターにしてピンク大賞投票者の中村勝則さんも参加。結果としてエキストラの域を越えてクレジットされました)「奴隷船」に関心を持ち、でも、映画が「奴隷船」で、ロードショー劇場が銀座シネパトスということで、「お竜さん」はちょっと引いていたのだ。私は、今年最初の「映画三昧日記」に記したように、この映画はベストテン級の傑作だと思っているので、彼女が行きにくければ、ボディガードとして同行し、再見するのはやぶさかではない。これを「お竜さん」に伝えた結果、「奴隷船」ツァー開催に至ったのである。

日にちは、終了後に舞台挨拶のある初日3月6日(土)14時45分の回がいいでしょうということになった。この日の予定は、引退記念の主演・愛染恭子さんを筆頭として原作・団鬼六先生(残念ながら当日になって体調不良で欠席。ある将棋ライターの方の言によると、最近は純文志向なそうなので、ドタキャンはSM色を払拭するための確信犯かなと思うけど、まあ、そのへんは深く追求しないとして)、出演の諏訪太郎さん、友田真希さん、三枝実央さん、金田敬監督と、豪華版である。

この際、「奴隷船」ツァーを盛り上げるかと、私も気合いを入れる。といっても、何でもかんでも声をかけて人数を増やせば盛り上がるというものでもない。人は選らばねばならない。あまりにも健康的に人生を生きている人には、この映画に描かれた人の心の闇は、理解不能だろう。そこで、まず一人目は、「映画友の会」の友人で、キネマ旬報「読者の映画評」常連の論客・古川博宣さんに白羽の矢を立てる。古川さんは、フランス映画を愛する品のよい紳士であるが、何故かピンク映画にも関心のある稀有な人(いや、男女の交情を最優先にするフランス映画とピンクとの世界の差は、そんなに無いのかもしれないが…)である。前回の「ピンクゲリラツァー」にもかなりの関心を示したが、よんどころない事情で無念のリタイアをした経過がある。そして、二人目は「もう年だから、映画にはヌードとか濡れ場しか関心がない」と公言する(実際はそんなことなく、鋭い感性を有し、その発言はレトリックに過ぎないと思うが)マガジン・ハウスの「クロワッサン」長田衛・副編集長、というよりは社会人落語家・あっち亭こっち師匠である。さらに、別件で「PKの会」の一員、ピンク映画大賞投票者の鎌田一利さんともコンタクトがあったので呼び掛けた。

当日になったら、あっち亭の師匠がさらに声を掛けてくれて、MISAKOさんが参集した。若手美人浪曲師・玉川奈々福後援会長にして、自らも社会人コント演者・漫才師などに活動を拡げている活発な方である。かくして、「奴隷船」ツァーは、競りにかけられそうな(この意味は映画「奴隷船」を知らないと、ピンとこないかもしれません)「お竜さん」「MISAKOさん」美女2人を、4人の男がボディガードするという盛会になったのである。

結果として私は、直前に「奴隷船」の新東宝・福原彰プロデューサー(映画の脚本も)の御好意により、関係者招待扱いで入場できることになった。(これが、後の居心地の悪さに繋がるのではあるが…)ツァー参加者は、続々と銀座シネパトスに参集する。鎌田さんは、自宅を何度もロケ場所に提供しているピンク界サポーターでもあり、福原プロデューサーとも話が弾む。そうこうしているうちに、黒いシックのドレスで決めた愛染恭子さん、しとやかな和服の友田真希さんと、続々と姿を見せる。何故か、「奴隷船」とは関係していない倖田李梨さんの顔も見える。どこでも顔出す李梨さんの面目躍如だ。

場内は、立ち見まで出る超満員の盛況だ。銀座シネパトスは、昨今流行りのシネコンを中心とした指定席制ではなく、流し込み式の劇場で本当に良かったと思う。ただ、遅れてきた「ぴあリザーブシート」のお客さんと、来ないと思って先行して着席したお客さんとのトラブルと思われる情景は、ちょっと鬱陶しかった。上映終了後の舞台挨拶に先立ち、スタッフなどの関係者は一旦ロビーに出て、一般のお客さまに席を譲っていただけませんか、とのアナウンスがある。関係者ったって私は、エキストラ程度なんだし、でも、クレジットはされたしなあ、それに招待扱いで入っちゃったしなあ、でもこの席は「お竜さん」と「MISAKOさん」のボディガード席だしなあ、と暫し居心地の悪い思いをしたのであった。

舞台挨拶は、楽しいひと時だった。愛染恭子さんは、急遽決まった引退記念作のために、1ヶ月で6kgというボクサー並の減量に挑戦したそうだ。もう、方法も何もなく、ひたすら食べないことで到達したそうだ。大々的に報道された3月1日(月)の沖縄の船火事沈没事故では、実は当事者だったそうで、4分の猶予でたまたま通りかかった船に移れたとのことで、それがなければ「奴隷船」が引退作どころか、遺作になりかねなかったと、今だから笑い話で明かせるエピソードも紹介される。

団鬼六先生がモデルと思われる鬼又を演じた諏訪太郎さんは、実は鬼六先生と面識がなく、演じることに苦労したそうだ。女優さんに「そうですか、そっくりでしたよ」と言われて、「それなら、現場で言ってよ。俺、悩んでたんだよ」とボヤイいて、場内の笑いを誘う。

友田真希さんは、「どこに出てたのと思われるでしょ?胸に鈴つけてた女です」、何とうまい紹介か。そして、ここで友田さん自身の引退発表がされるサプライズもあった。新人・三枝実央さんは、「愛染さんって大先輩で怖いと思ってたら優しかったです」、それを受けて愛染さんは「この娘、いい娘だけど台詞を覚えてこないのよね」、「いえ、本番になると、台詞が飛んじゃうんです」さらにそれを受けて金田敬監督が、「フィルム、かなり使っちゃったよねえ。返してもらおうか」と、突っ込みを入れる。和気藹々の楽しいトークショー風景であった。

●平成22年3月6日(土) 有意義だった「奴隷船」ツァー(その2) 懇親会の風景
トークショー終了後、「奴隷船」乗船客は、最寄りの居酒屋「串八珍」で懇親を深める。「お竜さん」が所用のため不参加になったのは残念なところだった。「奴隷船」の評価に関しては意見が別れ、辛口はあっち亭師匠と鎌田さん、好意的なのは私と古川さんとMISAKOさん(ちなみに「お竜さん」は、鑑賞後の立ち話およびmixi日記によれば好意派のようだ)と分かれた。ただ、良かったのは辛口派・好意派ともに相手の感性は尊重し、叩き潰し的発言はなく、有意義に懇談が進んだことである。「独断と偏見」と「普遍性」がバランスを保つ「評論」のあり方とは、正にこういうことだと思った。

あっち亭こっち師匠は、ディティールが雑であると駄目を出した。吉岡睦雄の盲牌の手つきがなっていないと言う。あっち亭さんは、私より約半世代下だから、私と共に(私はやらなかったが)麻雀全盛時代の人だ。そこは、うるさくなる。吉岡睦雄は若いから知らなくてもしょうがないかもしれないが、そんなのは監督がちゃんと気をつければいいはずだ、と鋭い。ディティールに関する手厳しさは、「蛙の会」や社会人寄席などの講評でよく見る光景だが、ここでもそのセンスは輝いている。

作家先生の書斎に、広辞苑と2、3冊の書物しか机の上にないのもおかしい、壁全体の書棚に書籍がギッシリ詰まっているべきだろう、との指摘も納得である。まあこっちの方は、ピンクよりは多いにしても新東宝エロス大作の予算枠では、そこまでは無理だろう。でも、そんなのは製作側の都合だといえばそのとおりなので、これも指摘としては適切だ。

ただ、その次の「作家先生が散歩からいつ帰ってくるかもしれないのに、書斎で秘書と編集者がSMプレーに耽るっていうのは、どんなもんか?ありえない」(自分の編集者としての実感も混じっているようだ)これには突っ込みが入った。あっち亭師匠の完全な勘違いである。秘書の三枝実央は、作家先生の諏訪太郎が昔馴染みの女将の愛染恭子に未練タラタラなのを嫉妬して、予定を切り上げて温泉地から先に帰ってきてしまったのである。ところが作家先生も、旧交をうまく暖められず、また予定を切り上げてしまった結果の鉢合わせなのだ。この微妙な結果の鉢合わせというのを、完全に誤認していた。

さらに、「吉岡睦雄の妻の小川真実のビッコの理由も不明だし…」との言に対しては、「ちゃんと駄目な前夫をかばった結果と、台詞にあったでしょ」と言われて、「アレ、俺、疲れてたから、寝てたのかな?」なんてことになった。

私としては、鋭い視点の敬愛するあっち亭こっち師匠も、やはり人間なんだなとホッとした。あっち亭の師匠は、ディティールに関しては鋭いが、全体構造みたいなものに関しては、意外と疎いのかもしれない。古典芸能は落語を始め講談・浪曲・その他、全体構造は完成されつくしている。いきおい、ディティールに集中する結果になるのだろう。いや、そんな風に決めつけてゴメンナサイ。単に本当にお仕事に疲れてて、眠って見逃しただけかもしれませんね。

「奴隷船」の良さは、行間を読ませる演出の素晴らしさだと思う。だから、あからさまな説明は無いし、ちょっとウトウトッとしたら、完全に見落とすことが多い作品だと思うのだ。この酒席に所用で不参加が残念だった「お竜さん」はmixiの日記で、「妻の入院先に足げよく通う後ろ姿が何回も映しだされるのだが、下駄をならしながら女々しく歩く姿がなんとも言えない哀愁が漂っていた」と、愛染恭子の夫の那波隆史を表現している。下駄のカタカタいう音だけで、愛欲地獄に堕ち込んだ妻を、見守るしかできない男の切なさを表現する、そういう映画であるのだ。

前述した吉岡睦雄とビッコの小川真実の夫婦描写もそうである。濡れ場は無いにも関わらず、この夫婦の辿ってきた激烈な歩みを感じさせる。エロス大作ならば、この二人を当然からませるのが常道だろう。それをしなかったところに、この映画の行間を読ませる演出の節度がある。ちなみに私は、初号試写の後の打ち上げで金田敬監督に、「小川真実さんが、濡れ場を嫌ったんですか?」と聞いてみた。「そんなことないですよ。でも、あそこでからませたらクドいでしょう。そこまでやったら終わりでしょ」との監督の言だった。

ただ、人の感覚はさまざまだ。鎌田一利さんは、それが無いのは物足りないとの言であった。鎌田さんは、私あたりのピンク映画大賞参加最低資格の鑑賞本数をやっとクリアして臨む軟弱投票者と違って、今年も対象全54本を鑑賞している。(ちなみに私の鑑賞数は半数の27本)あっち亭師匠は、よく私に「映画は何でも知っている」と言うので、私は「上には上がいます」と返しているが、今回の酒席でそのあたりは認識されたようだ。この鎌田さんの感じる物足りなさは、ピンクを極めた者として正統なアングルだとは思う。ということで、「点数をつければ…」とのあっち亭師匠の提起に、師匠と鎌田さんは、かなりの低得点だった。

古川博宣さんは、行間を読む演出を好む人なので、かなり評価は高いようだった。「ただ、映画は点数で言うものではありません」と採点はしなかった。いかにも彼らしい発言である。そして、「今年の日本映画ベストワンです」との言が出る。古川さんは、フランス映画を中心とした洋画ファンで、日本映画はあまり観ない。『でも、今年観たもう一本の日本映画は「サヨナライツカ」(厳密にはこれは韓国映画であるが)だけですけどね』と、落ちがつく。まあ、そんなまずまずの評価といったところか。

「映画は点数でいうものではない」との、古川さんの意見は正当だ。この懇親の散会後、私は鎌田一利さんと、かつての「映画友の会」の溜まり場、有楽町のガード下の「日の基」に雪崩れ込んだのだが、そこでは当然、ピンク映画大賞投票論議となった。ピンク映画大賞は、各自鑑賞済の作品について10点満点で投票するシステムである。私は、どんなにマイナスの部分があっても、プラスの所が見受けたら、基本的に5点としている。どんな映画にも良いところがあるとの、淀川長治さんの精神である。故に、私が5点以下をつけることはまずない。しかし、鎌田さんは、マイナス部分のある作品は、多少良いところがあっても、情け容赦なく1点にするとのことだった。どちらがいいというのではないが、ただ映画の評価というものは、同じような感覚で捉えても、1点と表現する人と、5点と表現する人がいるということなのである。重ねて繰り返すが、だから「映画は点数でいうものではない」との、古川博宣さんの意見は正当なのだ。(そういえば、あっち亭の師匠は、「ぴあ」の出口調査隊に捉まっていた。何点をつけたのだろう?掲載されるかどうかも含めて楽しみなところだ)

話を当日の酒席に戻す。MISAKOさんからは、女性からの率直な意見が出た。愛染恭子さんは、1ヶ月で食べないで6kg減量したというけれど、それは病的に痩せただけで、見せる体になっていない、と手厳しい。私は、多分愛染さんは引退記念映画なんて意識はなかったと思っている。50歳も過ぎたし、ヌードと濡れ場はこのままフェイドアウトして、引退するかな程度だったと思う。ところが、周囲が引退記念映画の企画を立ち上げてきた。それに、必死に追いついたといったところだろう。でも、確かに「木戸銭」払うお客さまにはそんな裏事情がもしあっても、関係のないことではある。

こんな風に、各自が「独断と偏見」の実感のままに、言いたいことを言語化し、それが影響しあって一つの普遍性に収束していけば、そういうことが優れた「評論」の原点になるのではないかというのが、私の考えである。まあ、そんな風に大上段に構える程のものでもないんですけどね。いずれにしても、今回のツァーは、「お竜さん」「MISAKOさん」の女性陣にも、新しい世界を開いて、価値があったのかなと愚考する1日であった。

●「板尾創路の脱獄王」鑑賞雑感
2月20日(土)「映画友の会」の2次会解散間際に、会の名司会者・渡辺正純さんから、「板尾創路の脱獄王」を薦められた。「決して大傑作ではないが、予想以上の出来で、一度立ち止まって、褒めてあげたくなるような映画」とのことだった。できれば、私にも観てほしいとのことである。2月26日(金)は月例の「無声映画鑑賞会」だが、その日に併せて観たい適当な作品が無かったので、早速、シアターN渋谷→門前仲町・門仲天井ホールのコースを切ることにする。

「板尾創路の脱獄王」は、才気ある映画だった。困難な脱獄をしては、まるで捕まえてくれと言わんばかりに、アッサリ捕まることの果てしない繰り返し。その理由が解った時、ちょっと「ウーム」とうならされる。さらに最後の軽い「勘違い」も洒落ている。ネタバレになるので、ここではこれ以上細かくは触れないことにする。板尾創路は、「まっちゃん」や最近トーンダウンした「たけし」よりは、今後の期待株かもしれない。こういう風に、今後の注目監督を教えてもらったりするところが、「映画友の会」の友人のいいところだ。

ただ、ここで私の「映画教養」(なんて程の大袈裟なものではなく、単に人間古くやってるから、いろんな映画を観ているに過ぎないのだが)が邪魔をする。昭和49年の東映映画「脱獄広島殺人囚」(監督・中島貞夫 主演・松方弘樹)を思い出しちゃうのである。こちらの方は、脱獄を繰り返すことで、どんどん刑期が伸びていき、そこから逃げるために脱獄を繰り返し、もはや脱獄そのものが生きていくことになるしかない男の話だ。この無間地獄は、罪と罰のもたらす不条理性、反国家権力の象徴にすら見えてきて、大袈裟に言うならば宗教的崇高さまで感じさせてくる。理由が全くないだけに、こちらの方が鬼気迫っていたなと、私は思う。ただ、「板尾創路の脱獄王」の様にちゃんとした理由付けがあった方が一般受けはするような気がする。いずれにしても、映画を沢山観て、知識も沢山得ると、素直に楽しめる要素を縮小させるという側面もあるのは、否定できない。

●プロレス検定のその後
2006年に映画検定1級、一昨年の2008年にはプロレス検定(正式にはプロレス知識力認定、ということで別に私がリングに上がるわけではありません。為念)2級を取得した。映画検定の方は、その後に様々なイベントを仕掛けてくれて、最近も二つほど楽しませていただいた。やはり、それが後続の受検者を開拓する道だ。世は検定ブームだが、検定といえばカッコいいけど、要は主催者が受検料と参考テキストで稼いでいるだけで、合格者は単なる自己満足に過ぎない。私などは、年寄りの暇つぶしと割り切っているが、しかし、何らかの特典みたいな者がなければ、受検する者が受け切ってしまえば、それで終わってしまう。立ち上げるのは簡単だが、継続させるのは難しいということだ。

立ちあげ簡単・継続困難というのは、テーマパークが典型例だ。リピーターを増やすことで成功しているディズニー・リゾート以外は、ほとんどが一見さんがひととおり来た後は、苦戦している。鎌倉シネマワールドがその例の一つだ。オープン当初は、押すな押すなの大盛況で、私も行ったが、2度は行く気にならず、ひととおり来るべき人が来たら閑古鳥が鳴いて閉園になった。そういう意味では、東映太秦映画村は頑張っている。私は、首都圏近郊ということもあり、ディズニー・リゾートに訪れること二桁だが、京都でちょっと遠いけど太秦ならもう一回行ってもいいかなと思っている。継続性というのは、そういうことで支えられるのだろう。

さてプロレス検定であるが、これが一昨年の合格通知以後、一片の音沙汰もない。私としては、2級合格者のみが対象になる第2回プロレス知識力認定試験で1級受検を目指すべく、首を長くして開催を待っていたのだが、もうほとんど存在が忘却の彼方に消え去りそうになっていた。そんな今年の2月、プロレス王委員会からメールが入った。「合格者有料特典のご案内」という唖然としたものだった。写真を添えて1000円を払えば、「新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアにより発行されるプロレスラーライセンスのデザインをもとにした合格認定カード」を販売するというのである。あのー、1000円という少額だけれども、これって合格証として無償でくれるレベルの代物じゃないんですか。何か、この商業主義には抵抗があった。マニアなら乗るかも知れないが、私はそれ程マニアックではない。

このメールでプロレス王委員会HPの存在を知った。そこで、第2回プロレス知識力認定試験が、昨年12月6日(日)に開催されていたことも初めて知ったのである。「週刊ファイト」も休刊になったことから、最近の私は東京スポーツを欠かさず読んでいる程度だが、それでもこのプロレス冬の時代にあって、結構な「プロレス者」だと思う。その私の視野に入ってこなかった。唯一残った専門誌「週刊プロレス」を定期購読していないと、そうした情報も入らないということか。いずれにしても、それやこれやでプロレス検定1級への熱は、一気に冷えてしまった。

●映画検定その後
映画検定については、数々のイベントが継続的に仕掛けられていて、楽しき限りである。私はここのところ続けて恩恵に与って、感謝の限りだ。

一つは2月25日(木)映画検定1級合格者対象の「東京タクシー」特別上映会の当選である。日本が大きく協力した韓国映画だが、目下のところ「東京タクシー」日本国内の公開予定はない。この日は、知人の縁で特別に別の初号試写の案内もあったのだが、こちらの方は6月公開時に木戸銭を払えば観られるので無念の涙を飲んだ。しかし、「東京タクシー」を選択したのは正解だった。公開されないのが残念なくらい、楽しい映画だった。そのへんは、項を改めて述べる。

二つめは、「国際女性の日イニシァティブ ファム@トウキョウ」の一環行事として開催された「フランス映画特別上映」の、やはり映画検定1級合格者を対象とした特別招待である。私は、3月1日(月)「歴史は女で作られる」復元版上映に応募して当選した。セルジュ・トゥビアナ(シネマテーク・フランセーズ・ディレクター、元カイエ・デュ・シネマ編集長)記念講演付きの豪華版だ。同時通訳のイヤホーンを耳に当てての清聴は、会場の日経ホールの雰囲気と相まって、何ともゴージャスな気分にさせてくれる。

「歴史は女で作られる」は、壮大な装置・美術、膨大なエキストラと華麗なる衣装の数々、華やかなスターのオーラを発散するマルティーヌ・キャロルと、映画黄金時代を偲ばせる絢爛豪華な超大作であった。ただ、私の趣味としては、この手の映画の主役は、英雄譚が好みなのでイマイチであった。

●日本未公開が残念な「東京タクシー」
「東京タクシー」特別上映会に先立ち、掛尾良夫・キネマ旬報映画総合研究所長から挨拶があった。昨今、日韓の協力による映画製作が活発だが、「東京タクシー」はその中でも成功例の一つであると、紹介される。(「サヨナライツカ」の様な例もありますが…と、言いにくそうに発言していたのは微笑ましかった)そして、この作品の日本での上映は、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」「大阪アジアン映画祭」の2回しかないので、あえてこの特別上映会を開催したとのことで、掛尾所長の熱意が感じられた。

「東京タクシー」は洒落たロードムービーだった。飛行機嫌いなミュージシャンに端を発し、海外の京城行きをあっさり受ける個性的なタクシー運転手の登場、市民を巻き込んでの特別演習が突如発生する韓国と日本の緊張感の落差、ミュージシャンは実はしがないラーメン屋であり彼と韓国のCAとの味噌ラーメンを通じての交流、その結果のタクシー運転手の配慮による素人ミュージシャンの飛行機嫌い克服、それを通じての運転手の妻への愛の回復、そして、経済成長に悪乗りして東京タワーの下まで来てしまう韓国ビジネスマン、在日の崔洋一「月はどっちに出ている」へのオマージュも含めて、これだけのボリュームが盛り込まれているのは脅威だった。これが、たったの76分!最近の無用に長い映画の氾濫から鑑みたら、これは2時間では収まらない、いや、2時間半を超える内容である。こんな面白い映画公開に、何で手を挙げる会社がないんだろう。逆に短じか過ぎるのがネックとしたら、何をか言わんやである。

いずれにしても、映画三昧のネタはつきない。楽しき日々の限りだ。
映画三昧日記2010年−3

●「第一回映画芸術評論賞」審査結果発表〜まずは「映画芸術」誌の忘年会風景から
「第一回映画芸術評論賞」が、「映画芸術」2010年冬号で発表になった。募集要項は400字30枚から60枚、入選作賞金30万円という規模の大きいものである。かねてから私が、この「映画三昧日記」で語っていたとおり、私は想定内どおりの選外となった。まずは、昨年の12月29日(火)の「映画芸術」誌の忘年会に時計を巻き戻すことから始めたい。

「映画芸術」編集長(というよりは、日本を代表する脚本家にして映画監督)の荒井晴彦さんとお話をする機会をいただいて、ぼほ10年が経った。この期間を通じ、荒井さんとは、人間観も社会観も、私とは全くちがう人であることを痛感した。そんなこともあって、最近は湯布院映画祭や映芸シネマテーク、「映画芸術」誌忘年会などで、顔を合わせる機会はあっても、私から積極的に話しかけることはなくなった。昨年の「湯布院映画祭」でも、挨拶程度に終わった。

 ただ、昨年の「映画芸術」誌の忘年会では、少々お話をした。荒井さんの言うことは、文章にするとぞんざいだがシニカルでソフトであり、私の場合は文章上ではていねいだが、ダミ声で態度はでかい。そんなアンバランスな対話の久々の復活である。ま、以前にもそんなことを述べましたが、ここから先はそんなイメージで読んでみてください。

話題は「第一回映画芸術評論賞」に応募した私の石原裕次郎論から始まった。

「あれ、何だよ。裕次郎について、何の新しいものを発見してないじゃないか」
「別に、新しいものをみつけようなんて思ってまとめてないですから。素直に私の感じたとおり。それでいいんじゃないですか」
「だいたい『映画芸術』をインテリ雑誌で俺に合わないなんて言っておきながら、そんなら応募なんてするなよ」
「いいじゃないですか。こちとら楽しく暇潰しができりゃいいんだし、別に年金で、つつましく暮らしてる分には困らないし、賞金なんて欲しいわけじゃないんだから。いやー、日本国民全体にとってはよくないことだけど、私なんかにとっちゃデフレスパイラルって最高ですね。毎年、年金が増額になってるのと同じですから」

このあたりで、荒井さんと初めてお会いした十年前の2000年「湯布院映画祭」で、荒井さんを一本一千万円取る作家と、冷やかしまがいでヨイショしたら、「おまえ、年金あるだろ、退職金あるだろ、社会的ポジションから言ったら、あんたの方が上なんだよ」と切り返されたことが頭をよぎった。編集後記などで記されている荒井さんの経済的苦境(そのまま真に受ければだが)を聞くにつけ、現時点になればそのとおりになったということだ。

「それに、ブログで『新宿乱れ街』の悪口書いてるそうじゃないか。あんな30年以上前の俺の作品引っ張り出して、何になるんだよ」
「悪口なんて書いてないですよ。ただ、荒井さんと俺とは、人間観も社会観も全くちがうんだなって言っただけですよ。それに処女作には、作家の原点が出るっていいますよね。私もそう思ったし、今、時間ができたから、見逃した旧作を丹念に拾って検証することは、意味のあることじゃないんですか。それにしても、ちゃんと読んでから言ってくださいよ」
「俺に教えてくれる奴がいるんだよ。湯布院であんたも知ってる奴だよ」
「だから、そんな御注進!御注進!なんて輩のまた聞きじゃなくて、読むならちゃんと読んでください」
 別に犯人探しなんてする気はないが、やっぱり荒井さんシンパで最近さらに覚え目出度くなったあの人かなあ。どうでもいいけど、御注進するなら、ちゃんと伝えてくださいね。

●さて、こっちはこっちで言いたいことを言わせてもらいますか
この忘年会の風景から、選考討議で私の応募評論が、どう評されるかはほとんど予想がついた。そして、想定内の「酷評」の嵐に終始した。しかしねェ、インテリの先生方が、「上から目線」の言いたい放題、よう言ってくれましたわ。でも、ここは私のフィールドです。だから、私も言いたい放題言わせてもらいまっせ。

●赤地偉史さんへ〜きっと映画教養に溢れ、立派な映画史観を持たれてる方でしょう
赤地偉史さんは言う。
「(前略)オマージュの一つなんだろうけど、裕次郎の関わった作品の分類と整理にしかなっていない。ファンとしてはこういう作業もしてみたかったのかな」

こういう言い方をされると、「そのとおりですよ。文句ありますか」としか、言えなくなってくる。これに続いて寺脇研さんの「人に見せるものではない」という全否定的発言に至るのだが、寺脇さんについては古くはキネマ旬報「読者の映画評」ライバルという昔馴染みでもあり、後でまとめてザックバランに言わせていただきます。

この「映画芸術評論賞」には、ピンク映画大賞投票者で私の知人の鎌田一利さんも「木下忠司小論〜永遠の人と音楽〜」でエントリーしている。鎌田さんは、私より二世代程下であるが、mixiの日記などで観ると、実にきめ細かくクラシックや旧作を追いかけて研鑽を重ねられている。この若さで木下忠司をテーマに取り上げるあたり、その意気や壮である。鎌田さんの評論を私は読んでいないので何とも言えないが、これについても赤地偉史さんは、「これも評伝になってない、作品歴の整理という印象」と、似た論調でアッサリ切り捨てている。

私の不明のせいか、赤地偉史さんがどういう人かを全く知らない。ベストテン&ワーストテンの選評あたりを手掛かりに人となりを知ろうとしたが、投票はされていなかった。まあ、我々の地道な作業を一言でバサバサ切れるだけの映画教養に溢れ、立派な映画史観を持たれている方とでも思うしかないようだ。

●稲川方人さんへ〜「紅の翼」への共感、嬉しいです
「裕次郎がデビューした五六年前後の日活の話をしないと(中略)真の裕次郎像には迫れないですよ」。稲川方人さんはそう言って、「日活が五四年に再建される辺りのこと」「日活をキーにすれば松竹から来た監督、助監督たちのことや新東宝のことも語れる」それが「非常に面白い仕事のはず」なんだそうなのである。それなら、あなたが本格的に語ればいいんじゃないんですか。インテリさんはそう思うのかもしれませんが、私は、そんなことで「真の裕次郎に迫れ」るなんて、全然思いません。無いものねだりは、「選考討議」にすらならないと思います。

この後に寺脇研さんから
「評論は独断と偏見を述べることではない」。と、またまた私を全否定する発言が出る。寺脇研さんについては、後でまとめて語らせていただくが、スバリここでは、私は「評論とは独断と偏見である」と思っていることだけを言っておく。これを受けて稲川方人さんは、「実は、独断と偏見にもなっていないんですよ。この書き手と同じように、僕も裕次郎映画では五八年の中平康の『紅の翼』が最良だと思ってますが。」と語る。率直でいいです。私は素直に喜びます。独断と偏見を極めて、ある種の普遍性に至るのが、私は優れた評論の一つのあり方だと思っています。

●さすがの荒井晴彦さん、鋭い!
この御三方と比べると、さすがに荒井晴彦編集長の指摘は、鋭く示唆に富んでいる。「映画と映画のなかの俳優、裕次郎映画と裕次郎は別じゃない。それを一緒に論じることに無理があるんだよ。」

私は、必ず荒井さんならこう来るだろうと思っていました。荒井晴彦さんは、監督の作品として映画を語りがちなファンに対して、脚本原理主義者のポジションから、何でもかんでも監督のせいにするな、どこまでが脚本で、どこからが演出かを見極めて語れ、とよく口を酸っぱくして言われておりました。

実は、私が石原裕次郎を語るについて、ここは最も考えた肝だったのである。映画が監督だけのものでないのは、我々もよく知っている。大勢の人間の総合的努力でできているのは、当然な話だ。ただ、観客にとっては、その映画のそれぞれの良さは、それぞれスタッフ・キャストの中の誰の功績なのかは、どうでもいいことなのだ。映画総体として、どうなのかということだけである。ただ、映画の顔となる人物がいないと語りにくいので、それを監督に代表させて語っているに過ぎないのだ。

世間一般の業績というものと対比させてみれば、それはハッキリするだろう。ある組織の功績は、課長なり部長なり、もっと大きい場合は社長なりの功績であり、組織のトップの名前で、それは称えられる。本当の功績者は、あの主任だったとか副長だったとか、常務の誰かだったなんて、表立って挙げられることはまずない。だから、映画の場合も作品の顔として、何でもかんでも監督の功績(失敗も)になるのは、至極当然のことなのだ。

さて、石原裕次郎主演作である。世間的には裕次郎映画と呼ばれ、あまり監督が話題の俎上に上ることはない。むしろ、監督は裕次郎映画という枠の中での、読み人知らず的な存在ですらある。そこで、あえて裕次郎主演作の顔を石原裕次郎として、「映画と映画のなかの俳優、裕次郎映画と裕次郎(中略)それを一緒に論じ」ようと試みたのである。ただ、文中で市川崑や熊井啓の映画作家性に触れてしまったのも事実だ。若干、自分自身の詰めの甘さを感じていたのもまちがいない。私が危惧していたその一貫性のやや乏しい詰めの甘さ、やっぱり荒井晴彦さん、突いてきましたねえ。その脇の甘さを指摘されれば、致し方ないと引き下がるしかありません。

●石原裕次郎論の再構築
私は、裕次郎を八面体と捉え、プロデューサーとしての石原裕次郎に、かなり力点置いた。しかし、荒井晴彦さんのおっしゃるように、「裕次郎映画と裕次郎は別」と考えるならば、もっと別の視点が立てられるように思った。

石原裕次郎の俳優人生は、実兄・石原慎太郎の太陽族小説の映画化のついでに、映画界に引っ張り込まれるところから始まった。初期の頃は朝からビールを飲み干す傍若無人さや、「俳優は男子一生の仕事にあらず」との暴言が、映画界の顰蹙を買った。しかし、その後、映画界のトップスターとしての自覚に目覚め、映画界の将来を憂い、さらに映画を映画以上の世界に発展させようと、「黒部の太陽」「富士山頂」「蘇える大地」へと、実業の世界に深くコミットしていき、「もう今までの裕次郎じゃない」とのまたまたの暴言も吐いたりして、日活スターとしてはスポイルされていく。

この晩年の裕次郎について、渡辺武信さんの名著「日活アクションの華麗な世界」の第二十章「薄れゆく“タフ・ガイ”の影」では、否定的に捉えているのだが、むしろ私はそこを、結局不発に終わったとしても、石原裕次郎の肯定面として捉えなおしたいのである。それは、荒井晴彦さんの言われた「出た映画の役柄=裕次郎という風に語るのはおかしいよ。本人が嫌な役もあっただろうし」との指摘に対するフォローにもなるだろう。

今回の石原裕次郎論の結びに、私は以下のように記述している。

『石原裕次郎、生涯で102本の映画に出演、平成21年8月現在、私の観た作品76本、重要作では遺作の「凍河」が未見だ。しかし、今は名画座復活・DVD時代、空白を埋める機会は無限だ。私にとっての石原裕次郎の総括、それは、始まったばかりかもしれない。』

荒井晴彦さんの指摘は、私に新たな裕次郎論の再構築を触発させてくれる。選考討議というのは、そういうものだろう。他の人のように、インテリの「上から目線」で酷評し、人を不快にさせればいいというものではない。

●寺脇研さんへ、こっちも言いたい放題言わせてもらいます
寺脇研さんは言う。
「私的な映画ノートなんですよ。私も昔はそうだったけれど、映画ファンは自分の映画ノートを作りたいんです。しかし、映画ノートは自分で見るもので人に見せるものではない。」

そうかなあ。私は、人のこういう映画ノートは見たいよ。あなたがプロ以前の、東宝青春映画を論じた瑞々しいキネ旬「読者の映画評」は、「人に見せるものではない」ノートだったんですか?。私は、そういうノートは、人に見せるものだと思ってます。俺は、他にも、そういうノートを残している人のものを、もっともっと見たいよ。

そして、今はプロのあなたは、人に見せるべきものを見せているというわけですね。そして「評論は独断と偏見を述べることではないからね。」とおっしゃるわけですね。でも、プロしてのあなたのキネ旬のREVIEW(現在はリタイアですが)の映画評、あれに「独断と偏見」との自覚がないということは、これは恐るべきことであります。

別にハリウッド映画に関して、「REVIEW」のあなたの評価と、私の評価が真逆だから、こんなことを申し上げているわけではありません。それは、これから逐一順を追って述べさせていただきます。

●南部圭之助さんの映画教養
昔、私が若い頃、南部圭之助さんというガチガチの保守的映画評論家がいた。私は、ヌーベルバーグやパゾリーニやキューブリックを悉く否定する嫌な親父だなと思っていた。しかし、この人のクラシカルな映画教養、演劇教養をベースにした映画観に対しては、反発はしたが、そういう見方もあるのかと、勉強になることも多かった。

●淀川長治さんの鋭敏な感性
私が若い頃に、「映画友の会」で身近に学ばせていだいた人に淀川長治さんがいる。映画評に関しては、不肖の弟子かも知れないが、私は今でも淀川さんの影響が大きいと思う。(もうお一方は白井佳夫さんなのだが、これは本筋に外れるので、ここではお名前を挙げるだけに止める)淀川長治さんは、実に感性が鋭敏な方である。でも、感性の問題であるから、人それぞれで、私には着いて行きかねる部分もあったのは確かだ。ベルナルド・ベルトルッチの「ラスト・タンゴ・イン・パリ」や「シェルタリング・スカイ」について、「これが解らない人は阿呆です!」とまで言われても、「草食系男子」の私の琴線に届いてくるものは何もなかった。ただ、淀川さんの映画愛溢れる映画評や、語られるお言葉の中には、こういう感覚もあるのかと、感じさせるものは多かった。

●寺脇研さん、何があります?
「評論は独断と偏見を述べることではない」とのたまわる寺脇研さんの、私には「独断と偏見」にしか見えないキネ旬「REVIEW」に、何がありますか?
 「映画教養」ということに関しては、「映画芸術」2008年春号で「ノーカントリー」について、「大したものではない。私が観に行ったのはアカデミー賞ってどういうレベルなのかと思ったからだけど、なにしろアカデミー賞映画を観るのは生まれて初めてなんです」と語っていることからして、多分外国映画の映画教養に関しては(韓国映画はいざしらず)、映画検定(これもそれがすべてだとは言わないが)4級にも合格しないレベルだろう。

では、「感性」の方はどうかというと、かつての瑞々しい受験生の心情をストレートに反映した「映画ファン」の「見せるものではな」かった「私的な映画ノート」を越えて、あなたは「ゆとり教育」などで悪戦苦闘し、社会人として研鑽を積み重ねられ「映画批評をやってる立場」になられたそうですが、申し訳ないですがその感性については、あなたの「映画ファン」だった頃の「私的映画ノート」の方が、遥かに私に感じさせるものを持ちます。

映画教養の裏付けもなければ、鋭敏な感性による触発もない。こういうのを私は、「木戸銭」の取れない仕事と申しあげます。

●プロの価値とは何か?
「ガタガタ騒ぐんじゃネェよ!俺達は原稿料という木戸銭を貰ってるプロなんだよ!。テメェが一銭でも映画評で稼いだことがあるのか!」
 とは、まさかおっしゃらないですよね。いや、そうおっしゃっていただくと、むしろ私はスッキリします。でも、金を稼ぐことが、あたかも悪いように言う「映画評インテリ集団」には、多分それはないでしょう。じゃあ、それ以外の拠り所って何なんでしょう?

●「エラそう」に出来る人格の問題
はっきり言って、今回の「選考討議」に参加された皆さまは、全員がインテリの「上から目線」で「エラそう」なのである。私は、そんなにも「エラそう」にできる人の存在が、不思議で仕方がない。

娘は「エラそう」にする人間は、思想や理論の如何に関わらず、嫌いだという。それだけで、人格的に問題があると感じている。私も同感である。さすが、私の娘だ。いや、親の私に似たというべきだろう。そんなことを言ったら、「お父さんも、十分にエラそうだよ」と、逆ネジを喰ってしまった(笑)。

●「エラそう」でいいのは、アスリートと技術屋だけ
私は、「エラそう」にしていいのは、アスリートと技術屋だけだと思っている。昨年7月のK−1ファイター魔裟斗と総合格闘家の川尻達矢の試合前の舌戦において、魔裟斗の態度はデカかった。「あ、そう。あ、そう。真正面から足止めて打ち合う?悪いけど、今の俺、メチャメチャ強いよ。3分持つ?」てな調子である。さすがにムッときた川尻達矢も「何をそんなにエラそうに言うのかしらないが…」と切り返していたが、試合になったら魔裟斗は1Rから川尻をボコボコにして、2RでTKOに葬ったのである。これでは、どんなに「エラそう」にしても、文句を言う筋合いは出てこない。

技術屋の世界も同様だ。電力系統のトラブル処理や保護装置の試験など、口先三寸の屁理屈を言ったってトラブルを収束できないし(まかり間違えれば拡大する)、試験回路の線一本が欠けても試験を完遂させることはできない。きっちりした技術理論に基づいた者だけが、できる世界である。理論どおりに電力系統が動けば「電気は正直だな」との感嘆の声が出るし、試験の時にロクに技術知識もないのに口を挟む生意気な若い奴には、「黙れ!保護装置は口では動かない!!」と叱責が飛ぶ。そういうことをリードする技術屋は、「エラそう」にして構わないのである。(でも、勝れた技術者ほど腰が低かったというのも、私の実感である)

映画検定4級以下の映画教養しかないプロってどうよ、と私は思う。これは、オームの法則も交流理論も電磁気学も知らない奴が、電力会社で働いているようなものだ。危なくってしょうがない。あなた、技術の世界なら人を殺しかねないでっせ。

●再び南部圭之助さんの言葉
以前にも紹介したことがあるが、再び南部圭之助さんの、こんな意味の言葉を紹介したい。
「世間には、映画について表現する場を持たないが、映画教養と感性に優れている人は沢山いる。そういう意味では、ロクな映画教養も無いのに物を書ける立場にある人は、むしろ不幸なのかもしれない」

●映芸シネマテークの価値
「言いたい放題、言いやがって。そんなにインテリ雑誌が嫌いだったら、関わってくるなよ」と、荒井晴彦さんあたりから反撃されそうだ。確かに私は、インテリ雑誌「映画芸術」に対して、乏しい年金の中から年間定期購読費なる「木戸銭」を払う意義を感じなくなってきているのも事実だ。

私が、「映画芸術」誌の定期購読を続けているのは、若いスタッフが頑張って素晴らしい企画を連発している「映芸シネマテーク」の存在があるからだ。別に購読しなくったって、告知を立ち読みで確認して、「映芸シネマテーク」だけに行けばいいじゃないの?。と言う人もいるかもしれない。でも私は、「映画芸術」誌の先に「映芸シネマテーク」があると思っています。行儀と礼儀と仁義を重んじる私としては、「映芸シネマテーク」だけをつまみ食いする気持にはどうしてもなれない。逆に、「映芸シネマテーク」の存在だけが、現在の私を「映画芸術」誌の定期購読に結びつけている「木戸銭」の糸だと思ってください。

●結びも、やはり荒井晴彦さんだけは示唆に富んでいた
選考討議の結びの部分でも、示唆に富んでいた発言は、荒井晴彦さんだけだった。
「これを書かなきゃ俺は生きていけないんだ、ぐらいの切迫したものが全然感じられない。俺は字を書くのが嫌いだから、お金を貰える当てもないのにこれだけ書くのは偉いな、書くのが好きな人たちなんだなとしか思えない。で、書くのが好きな人の文章はあまり人を打たないよね」
 そのとおりでございます。「書くのが好き」なだけで、「切迫したもの」なんて、私にはありません。遊びに来ただけです。少なくとも荒井さんには、そういう文章は「人を打たない」ということになるとしたら、これはもうスタートから必敗の挑戦だったわけです。(でも、そもそも遊びに来ただけだから、勝敗とか挑戦とかなんて「切迫」感もありません)

「ある役割として嫌々書くか、どうしても言わなきゃいけないから書くか、どっちかしかないと思う。」

荒井さんによれば、それが「人を打」つ文章になるそうだ。そうか、俺は「ある役割として嫌々」仕事をやってきたから、電力マンとして良い仕事ができたわけのようだ。(この項、冗談です)

その他の人の結びはどうもねえ。


赤地偉史さんは言う。
「勉強不足が出ちゃってるものが多かったな」
私の不明で、前にも記したが、この人のことを全く知らない。でも、相当に映画教養のある方なんでしょう。

寺脇研さんは言う。
「自分も映画批評をやってる立場だから(中略)今現役の人たちがこれでいいのかという問題があるわけですよ」。

あのー、他人事じゃないでしょう。まずは、「ノーカントリー」で「アカデミー賞映画を観るのは生まれて初めて」なんて、プロとしての外国映画に対する映画教養レベルを何とかして下さい。(日本映画・韓国映画専科としてのプロに徹するなら私は何も言いません)

荒井晴彦さんは、黒澤明の映画を1本も観ていないと、よく公言している。(クラシックをよく勉強されている荒井さんだけに、ホントかな?レトリックじゃないのかな?と、私は疑義を感じているが)でも、これは、「映画評論家」寺脇研さんの外国映画教養レベルとは、いっしょにならないと思う。荒井晴彦さんは「作家」なのである。「木戸銭」が稼げるような「シナリオ」を物すれば、映画教養も何も関係ない人なのである。

稲川方人さんは言う。
「予想よりはかなり少なかったですが、かろうじて二十編書いてくれた。そのことにまず感謝したいですね。」

荒井晴彦さんも
「まあでも、とりあえず二十本は集まって良かったよね。」

そうですよ。インテリの「上から目線」で「エラそう」にするんじゃなくて、まず最初に、そういう謙虚な「慈悲の心と恩義の心」が必要なんですよ。それが「人格」というものでしょう。

●「第二回映画芸術評論評」に向けて
4月30日発売号の「映画芸術」で、第二回映画芸術評論賞公募要項をお知らせすることが告知されていた。

よし!私は今度は「私説 東映ヤクザ映画史」を、「作品の分類と整理にしかなっていない」「人に見せるものではない」「映画ノート」としてまとめて、「応募」することにしよう。

 今回の「想い出の裕次郎」を書く作業、荒井晴彦さんとそれをネタにしての歓談、言いたい放題の選考討議を読んだこと、それに対して本「映画三昧日記」で言いたい放題言い返したこと、いやー、タップリ楽しく遊ばせてもらいました。第2Rも楽しく遊ばせて下さい。

それでは、最後に「作品の分類と整理にしかなっていない」「人に見せるものではない」「映画ノート」の、「想い出の裕次郎」を「お見せ」いたします。よろしかったら御笑覧ください。

想い出の裕次郎 周磨 要
映画三昧日記2010年−2

●平成22年1月12日(火)〜15日(金) 会話が存在しない日
年金生活者として、24時間フリーとなった初めての新年を迎えた。前にも記したが映画鑑賞のリーチを、見逃した旧作・クラシックにまで広げたことで、それにイベント参加なども加えると、退屈したり暇をもてあますことは全くない。しかし、何もない時はないもので、1月12日(火)〜15日(金)の連続4日間は、外出する予定が全くなかった。そんな間に感じたことを、少々記してみたい。

もちろん、外出しなかったからといって、退屈することは全くない。「SFマガジン」に5年越しで連載され今年の1月号で完結した朝松健の「魔京」を通しで読み直し中だったのだが、この期間を利用してやっと読了できた。連載小説は、毎月とか隔月とかで読んでいても、やはり全体のイメージが結びにくいので、私は連載終了後に必ず読み直すようにしているのだ。

おりしも、キネマ旬報ベストテンがこの頃に発表された。それを機会に昨年の映画チラシ整理も行った。今の映画チラシの氾濫は大変なもので、ミニシアターなんかに行った時に収集すると、それは一荷物になる。私は、とりあえず保存するのは基本的にB5版のものに限定している。それでも収拾がつかないくらい膨大な量になる。そこで、年に一度、キネ旬ベストテン発表に併せて、定期的に整理をしているのだ。これも、意外と時間のかかる作業である。

下旬の「無声映画鑑賞会」での配布を射程に据えた月1回発行の「話芸あれこれ」編集も、こんな時期に先行してやっておかないと、間に合わなくなってくる。今月は原稿の集まりが順調なので、ほとんど仕上げることができた。

1月17日(日)にはTEPCO浅草館のライブイベントの進行役が控えている。「蛙の会」会長からのオファーだ。現在開催中の「昭和の外国映画ポスター展」の中のライブイベントである。映画看板絵師・井桁豊さんを招いての、看板描き実演とトークショーだ。インタビュアーも含め全体進行役が私である。資料はすでに会長から届いているので、その進行台本作成にも精力を注いだ。

こんな時も、私は家にこもりきりということは少ない。私の住む国分寺および隣接の府中は、散策路には事欠かない環境に恵まれている。武蔵国分寺跡、湧水の名所のお鷹の道や真姿の池、国分寺公園、武蔵台公園に、国分寺尼寺跡に隣接した隠れた桜の名所でもある黒鐘公園、姿見の池と、本当に多彩である。しかし、この4日間は無茶苦茶に寒かった。さすがの私も散策に外に出る気は起きなかった。いや、外に出るどころか、家の中でもファンヒーターで暖まっていないリビング以外の部屋に出たくないという感じだった。外出は必要最小限の買物(その中には東スポもあるんだから、ホントに人によっては、お好きですねえとあきれるだろう)だけに止め、完全な冬籠りだった。ただ、最後の15日(金)だけは、やや気温が上がったこともあり、とうとう閉塞感に耐えられず、国分寺公園を短時間ながら散策したのである。

そんな状況だったせいだろうか。私はあることに思い当った。この4日間は、「会話が存在しない日」だった。会社勤めがなくなるということは、こういうことなのか。確かに会社に行けば、必ず何らかの会話はある。いや、会話しなければ仕事にはなるまい。別に面白くもない仕事の会話が、したくなったわけでも勤めが恋しくなったわけでもないが、改めてその事実に思い至った。

もちろん、買物に行けば必要な会話はする。近所の人と出会えば挨拶程度の会話もする。娘と同居しているのだから、毎度のことで他愛ないヘラズ口をたたきあったりもする。それを別にしての会話が、存在していないということなのだ。

そんな観点で、今の暮らしを見つめ直してみた。スケジュールはビッシリとは言え、単に映画鑑賞やイベント参加だけの日の場合は、やはり「会話の存在しない日」に位置づけられるだろう。もちろん、チケット購入時の会話、外食すれば注文時の会話はあるが、それは別の話である。

では1月の「会話の存在した日」はどのくらいあるのだろうか。そんなことから「映画三昧日記」を初めてみたい。

●平成22年1月5日(火) おもいがけない「会話の存在した日」
前日の4日(月)は、前回の「映画三昧日記」で、立川シネマシティ巡りの映画初めであることを紹介した。この日は、都区内巡りの映画三昧初めの予定を組んだ。まずはラピュタ阿佐ヶ谷の特集上映「歌謡曲黄金時代」の中の「夜明けのうた」、この日は最終日なので外せない。例によって交通費有効活用で、他の都区内でしか観られないミニシアター作品も物色する。年末公開されて好評を耳にしていたが、年内に観られなかったシネスイッチ銀座の「海角七号 君想う、国境の南」が目についた。かくして、この日は銀座→阿佐ヶ谷のスケジュールを組んだのである。

本来はこのスケジュールは、ただ映画を観るだけの日で「会話が存在しない日」のはずであったが、思わぬ出会いが(それも二つも)あり、予期せぬ「会話が存在した日」になったのであるが、それは先の話である。

●「夜明けのうた」について
「夜明けのうた」は、昭和40年公開当時は岸洋子のヒット曲に便乗した完全な添え物歌謡映画と思われていた。その後、「映画評論」誌などの蔵原惟繕論などで、蔵原監督=山田信夫脚本=浅丘ルリ子主演トリオの、いわゆる典子シリーズとしてかなり重要なポイントを占める作品であることが、分かってきたのである。とはいっても、そんな注目をするのは一部の人間で、名画座の定番になることもなく、気になっていながら今日に至るまで、観る機会の無かった一編だ。

当時の私は2番館・名画座の専門であった。2番館の良さは、2本立てのメイン作品を中心に3本立を組んでくれることにある。長期シリーズの「男はつらいよ」の2番館の軌跡を見ると、それは顕著だ。「男はつらいよ」初期の頃は「網走番外地」+ワンという3本立である。その少し後は「男はつらいよ」「トラック野郎」+ワンである。2番館華やかなりし頃をこんな風に紹介すれば、良き時代であったと想像してもらえるだろうか。しかも料金は封切の半額程度、メイン作品の単価という観点から見れば、4分の1のダンピングと言えるのだ。その結果、私は、地味な併映作品で、後日話題になった作品に取りこぼしが多くなった。「夜明けのうた」もその1本だった。

「夜明けのうた」は、想像以上の蔵原=山田=浅丘トリオの本格的佳作であった。歌謡映画の域を大きく越えていた、というよりは、歌謡映画の枠を巧みに利用し、岸洋子のヒット曲は完全に刺身のつまにして、この頃最も旬な女優の一人だった浅丘ルリ子を、生き生きと躍動させ見事に女性の自立ドラマを構築してみせた。いわゆる典子シリーズの中の、落とせぬ一本なことはまちがいない。

●「海角七号 君想う、国境の南」についても触れておこう
ここで、「夜明けのうた」に先だって観た「海角七号 君想う、国境の南」についても触れておこう。これはベストテン級の傑作である。

ミュージシャンになる夢破れて台湾に渡ってきた日本人女性の田中千絵が、日本人歌手を呼んでのコンサートを企画する。地元の要請で前座に現地のバンドを起用することになる。集まってきたのが、ミュージシャンとしてはイマイチだが、年代にも幅のあるなかなかに個性的な面々で、田中千絵がまとめるのに悪戦苦闘する。そのあたりが、「映画友の会」でYさんが形容したように、軽やかに韓流コメディ風にロマンチックなテイストも加えて展開する。

ただ、それに併行して60余年前の、戦後の悲劇も描かれる。敗戦により引き揚げになる日本人教師と、教え子の台湾人女性との引き裂かれた愛である。帰国した教師はその想いを手紙に綴るが、ついに送ることなく終わる。発見した遺族が、60余年の後に台湾に郵送する。現地バンドのメンバーの一人が郵便配達人であることから、2つのドラマが融合していくことになる。

歴史の悲劇が、ある媒介を経て大きく結び付く壮大なメロドラマ。リチャード・アッテンボローの「あの日の指輪を待つ君へ」に匹敵する大ロマンであった。この映画で「指輪」に相当するのは、「手紙」であり「野ばら」の歌であった。クライマックスで、日本人=台湾人が国境を越えて、恋心と人間愛を込めた大合唱になる素晴らしさは絶品であった。

●ラピュタ阿佐ヶ谷の思いがけない二つの出会い
ラピュタ阿佐ヶ谷に早目についたので、ロビーのチラシ漁りをしたり、持参した雑誌やチラシなどに目を通していたら、見知った顔の人が入ってきた。気鋭の若手フリーライター(いや、私と歳を比較するから若手なんてつい言っちゃったが、もはや堂々たる中堅でしょう。どっちにしても「気鋭」はまちがいありません)のIさんである。早速ご挨拶をする。Iさんは、最近跋扈している近視眼的な映画評判家なんかとちがって、キチンと映画史を踏まえて映画を論じられる方であり、当然ながら旧作も丹念に追って研鑽されている。だから、ここでお会いするのは不思議ではないが、それにしても確率論的には希少な出会いではある。

挨拶程度の会話をしかかったら、もう一人、チケット売り場に顔見知りらしい人の姿が見えた。あれ?眼をこすった。昨年の「湯布院映画祭−1」で紹介した「PKの会」の「お竜さん」ではないか。フリーライターのIさんはともかく、池島ゆたか監督作品をDVDで観て女性ながらピンク映画にハマったという「お竜さん」と、ラピュタ阿佐ヶ谷「夜明けのうた」はミスマッチのような気がする。(失礼!)早速に声をかけて、そんな話題から入る。彼女は、純然たる歌謡映画としての興味から訪れたみたいだ。私から、これは典子シリーズの一本でもあることをレクチャーする。そんな話をしていたら、Iさんの方は何となく離れてフェイドアウトしてしまった。遠慮しちゃったんだろうか。みんな映画好き同志、遠慮なんかしなくていいのになあ。

「お竜さん」も浅丘ルリ子の溌剌たる魅力に参ったようだ。後日mixiの日記に、「一番驚いたのは可憐でかわいい浅丘ルリ子。大きな愛くるしい瞳で、みつめられたらたまらない。よくみると口元の歯並びはぐちゃぐちゃなんだけど、そんな事をもろともしない、清潔でとにかく可愛い」と記していた。全く同感だ。この頃の旬な浅丘ルリ子の魅力は圧倒的である。終映後の駅に向かう道すがら、しばし「お竜さん」と、ルリ子讃歌となったのであった。

帰宅して鑑賞作のデータ整理をしたら、何と!「夜明けのうた」は熊井啓監督の代表作の一本「日本列島」の併映作だったことを確認する。すごい二本立だったことと共に、この番組が日活始まって以来の不入りと当時報じられたことも思い出した。そんな話題こんな話題がmixi日記上でも引っ張り、「お竜さん」の「ネットで検索したら、当時、彼女は監督と恋仲だったとありましたが。他の作品も見てみたいと思いました」の言に至ったのであった。

●平成22年1月9日(土) 小津安二郎ゆかりの深川散策と無声映画鑑賞
1月9日(土)は、前年から予約申込していた「小津安二郎ゆかりの深川散策と無声映画鑑賞」の日である。門前仲町を起点に、小津ゆかりの地を巡って昼食後「東京の合唱」を鑑賞するイベントである。この日は好天に恵まれ風もなく、気温もこの頃としてはまずまずの高さで、楽しく過ごすことができた。前記した外に出たくもない12日(火)〜14日(木)の酷寒の陽気だったら、あるいは雨や雪でも降られたら地獄だったろう。

案内は、地元に生まれ育った元教師の長谷川武雄先生で、郷土史研究家でもあるようだ。まずは小津安二郎生誕地の案内となる。生誕の碑が立っているのは知っていたし、前にも見たことがあるが、やはり解説者がいると大いにちがう。何も知らなければ何の変哲もない下町の町並みだが、ここが小津安二郎生家のあったところ、ここに小津家の肥料問屋があり、あそこは小津が子供のころボール投げして遊んだ丸太橋跡と紹介されていくと、大きくイメージが拡がってくるのである。

続いて訪れるのは江東区立明治小学校。創立138周年を迎えるとのことで、小津も明治43年から3年間通った学校だ。校内には、小津ゆかりの品が展示されているとともに、卒業生の元東京大学総長で建築家の内田祥三や、元鹿島建設社長で実業家の鹿島卯女のゆかりの品の展示もあり、ちょっとしたミニ博物館なのである。これはありがたかった。何年か前の学校乱入児童大虐殺事件以降、学校は出入りが厳しくなり、開放された空間ではなくなってしまった。こういうイベントがらみでなければ、なかなか見ることは難しいだろう。いや、区役所などで然るべきルートを踏めば観覧できるのかもしれないが、そもそも校内にこんな展示物があること自体、我々はなかなかあずかり知ることができない。こういうものを、識者の解説付きで観られるということは、良いことである。

次に訪れたのは小津安二郎・本家の菩提寺の陽岳寺。これも解説・案内者がいなければ、隣接している寺群に比べても質素で、多分見逃して通り過ぎてしまう。案内の長谷川武雄先生によれば、この近辺では最も金儲け主義に堕していない寺だそうだ。確かに隣接した寺では、閻魔様に賽銭を入れると喋り出すなんて、イベントめいた観光を仕掛けておりました。ここで、小津本家の墓に墓参り、一般の寺だから誰でもお参りはできるだろうが、都区内の土地が高い場所とあってそれ程大きな墓でもないし、先生の案内がなければとても目につかないだろう。

参加者は、さすがに小津好き・映画好きの集まりのようで、散策の間も小津談義などに花を咲かせつつ、富岡八幡宮を経由して、「東京の合唱」上映会場の古石場文化センターに歩を進めていく。新年であり、成人の日を加えての3連休の初日ということもあって、富岡八幡宮は大混雑である。当初はここでの昼食を予定していたのだが、場所取りが難しいのと、はぐれたりしたりの混乱を避けて、古石場文化センターの会議室で、深川飯などを主体とした弁当による昼食となる。昼食を摂りながら、長谷川武雄先生から生涯独身だった小津安二郎の結婚にまつわる秘話なども紹介される。

「東京の合唱」鑑賞後は、古石場文化センター内の「小津安二郎 紹介展示コーナー」を案内される。私は、昨年7月の「活弁大獅子吼大会」でここを訪れているのでその時見ているが、やはり識者の説明がつくと細かいところまでよく分かる。こうして、有意義に「小津安二郎ゆかりの深川散策と無声映画鑑賞」は散会したのであった。

●江東シネマフェスティバル
「東京の合唱」は、1月8日(金)〜11日(月)開催中の「江東シネマフェスティバル」の一環の中での鑑賞である。会場で思いがけない人に会い言葉を交わす。湯布院映画祭他、全国の映画祭巡りの名物男、浜松のT要さんである。東京にも名画座巡りのために何泊もして足を運んでおり、よく会っているのだから(「蛙の会」に足を運んでくれたこともあった)思いがけないという程ではないのかもしれないが、古石場文化センターにまでリーチを伸ばすとは思わなかった。この日「パッション」を語る活動弁士の片岡一郎さんも姿を見せており、ご挨拶をする。

「東京の合唱」は、私は、すでにビデオで鑑賞済だが、カラードモノトーンの生演奏付で澤登翠さんの活弁が入ると、ひと味もふた味もちがう。昭和初期の不景気と平成の現代の不景気が、リンクして迫ってくるのは、何とも切ないものがあった。だから、せめても未来に明るく希望を持とうというラストのコーラスシーンにつけた澤登さんの活弁が胸に迫ってきたのである。

この後、伊達春風さんをインタビュアーに澤登翠さんのトークショーがあり、新年のイベントらしく客席には脚本家で「無声映画鑑賞会」特別会員の石森史郎さんも姿を見せていた。お二方に新年のご挨拶がてら、一言二言だが言葉を交わす。特に澤登さんについては、年末のリサイタル時は大混雑でご挨拶できなかったことも含めての、新年挨拶となったのであった。

●平成22年1月16日(土) 「映画友の会」他
この日は月1回の、恒例第3土曜日「映画友の会」の日である。「会話の存在した日」なんてものではない。14時から17時の本会、喫茶店に場所を移しての二次会、居酒屋での三次会、飲ん兵衛の有志が集まっての四次会と、映画の話題を中心に終電車近くまで、喋って喋って喋り倒した一日であった。

例によって、都区内までの交通費有効活用で、「映画友の会」に先だって一本くらい消化することを目論む。昨年末の封切で未見だった「牛の鈴音」が時間的にはそこそこ適切だ。まずは銀座シネパトスへと向かう。

韓流ドキュメンタリー「牛の鈴音」はなかなか考えさせる映画であった。農耕に役立たなくなった老牛を、老農夫は家族のよう思って売らない。また、牛に毒だと言って農薬を拒否し、昔ながらの農法を続けていく。だが、牛の世話から雑草刈りなどの雑用など、負担はすべて老妻にかかってくる。延々と愚痴る老妻、夫の老農夫は反論を一切しないから、一方的な妻の口撃である。しかし、「売らない」「農薬は牛の餌の草を汚す」と、ポツリとした言葉を吐いて、決して生き方を変えようとはしない。息子は大勢いる。韓国のお盆に相当する日に、大挙して息子家族が押し掛けてくる。「百姓はやめて、隠居したら」と声もかけられる。これも、「やめない」との一言で一蹴される。老妻の愚痴は、ますます激しさを増す。老農夫は黙って口撃を受けつつ、「やめない」「売らない」との一言を返し、断固生き方を変えない。この一方的な「会話」は、私に感じさせることが多かった。それは、今回の「映画三昧日記」の最後で、また触れることにしたい。

銀座シネパトスには、前回の「映画三昧日記」で紹介したが、私が出演者のハシクレとしてクレジットされた「奴隷船」のチラシが、すでに置かれていた。チラシの裏には私も載っている。もちろん鬼の面を被っているので顔は判らない。顎の線で、見る人が見れば私と判別できるだろう。ちなみにその前に同じく鬼の面で座っているのが、映画ライターにしてピンク大賞投票者の一員の中村勝則さんです。チラシによると、初日3月6日(土)に舞台挨拶がある。原作の団鬼六先生、出演者の愛染恭子・三枝実央・友田真希・諏訪太郎の各氏、金田敬監督の多数を予定している豪華版だ。「牛の鈴音」鑑賞後ロビーに出たら、初号試写の打ち上げで親しくお話させていただいたシネパトスの鈴木伸英支配人とお会いし、少々立ち話をする。「奴隷船」の話題となり、「初日挨拶は豪華版ですね。時間はどうなっていますか?」との問いについては、「調整中です」とのことであった。立ち話程度ではあるが、この日は期せずして「映画友の会」は別にしても、「会話の存在した日」であった。

●平成22年1月17日(日)
TEPCO浅草館 映画看板絵師 井桁豊さんライブイベント

この日は冒頭で紹介したが、TEPCO浅草館「昭和の外国映画ポスター展」の中の一環で、「映画看板絵師 井桁豊さんライブイベント」の進行役を、「蛙の会」会長で潟}ツダ映画社松戸誠専務のオファーにより務める日である。まずは、看板絵師の井桁豊さんを中心に、松戸専務、TEPCO浅草館の染井孝館長・勝本雄策副館長・東電広告蒲髢リ喜子副部長などと、打ち合わせを進めて行く。

 私は、「蛙の会」松戸誠会長のアドバイスもあり、黒のダブル・蝶ネクタイの活動弁士スタイルで進行役を務めることになった。井桁豊さんは、人後に落ちない映画好きで、只で映画が観られることから15歳で映画館に就職し、看板絵師を目指したということなので、それに負けない映画好きで、ついに活弁に手を出し口を出した私が、進行役を務めるという形である。TEPCO浅草館の常設展示には、昔の活動写真館を再現したコーナーがあり、入場すると澤登翠さんの語りも交えた活弁紹介ビデオが、エンドレスで流されている。場所柄としてもピッタリというわけだ。

 イベントの全貌が形を整えてきたのが、年も空けての10日過ぎということもあって、私の知人にはあまり呼び掛けしなかった。3日程前に、「蛙の会」の会員でメール連絡ができる人。TEPCOのOBであまりいないが都内在住の人(それ以外の人については、私がメインでもないし、映画にさして興味のある人ばかりではないので連絡は控えた)、その他、話芸の縁に連なる二、三の人程度にメール連絡をした。

そんな状況にも関わらず、社会人落語家あっち亭こっち師匠が、顔を出してくれたのはうれしかった。終演後は喫茶店で楽しく歓談もさせていただいた。それも含めて、この日も大いに「会話の存在した日」であった。

イベントは成功だったと思う。もちろんそれは映画看板絵師・井桁豊さんの鮮やかな健筆によることは間違いないが、いかにも映画好きというお客さまが、大いに会場を盛り上げてくれた。イベント開始早々から、井桁さんの看板描き作業が始まる。進行役の私は、その姿を見ていただきながらプロフィールを紹介する。しかし、人が絵を描いている姿は、なかなか見せるエンタテインメントになり難い。漫画家のバトルロイヤル風間さんの似顔絵コントでも、似顔絵を描いている時間を歌や相方のMISAKOさんの踊りなどで、工夫して間を繋いでいる。この場では、その間を繋ぐのは、進行役の私の役割だ。でも、お客さまの中から、次々と映画に関する話題や質問なども出て、何とかいい雰囲気で場をもたせることができた。あっち亭こっち師匠なんて、「活弁をやってらっしゃるそうですが、サワリなんて聞かせてもらえないんですか」と煽りを入れ、私が三つばかり語る羽目になった。私がメインのイベントじゃないから、出過ぎはまずいと思ったが、前述した喫茶店での歓談で、「もっとやってもよかったですよ。もっと聞きたいって人いましたよ」とあっち亭師匠にヨイショされてしまった。

イベントは2時間、井桁豊さんは40分ほど画筆を動かしていると手が疲れてくるので一休み、その手を休める時間に、今度は口を動かしてもらうということで、私がインタビュアーとなってのトークショー・コーナーとなる。手を休めている間は口を動かすという、井桁さんにとってはハードなイベントだが、貴重で楽しいお話を沢山して下さった。そして後半の約40分で絵看板を完成させた。最終的に、トークショーでのお話、井桁さんの絵の技量、お客さんの温かいサポートにより、良い雰囲気でこのイベントは一見に値するものになり、ホットしたのである。あっち亭師匠は他の知合いに会えることも期待していたようで、それに答えられなかったのは恐縮の限りだが、イベントとして一見に与えるものを提供できたので(井桁さんとお客さまの力ではあるが)一安心でもあった。

●平成22年1月18日(月) 「周磨計画」打合せ その他
この日は、脚本家・落語プロデュースなどで活躍する河本晃さんのブログで、「周磨計画」として紹介されている件の打合せである。河本さんはブログで、「実行にいたるかどうかわかりませんが、いまのところはとても面白い話し合いになっています」と記しているが、私としては面白くなるのかなあと、半信半疑である。ただ、ポジションとしては、作・演出が河本晃さん、出演が私ということなので、私としては今後もあまり考えず俎板の鯉として乗って行きたいと思っている。この日、私はよみうりホールの「おとうと」の2名分の試写状を入手したので、河本さんをお誘いし、打合せの後に鑑賞することにした。

●新文芸座「南田洋子 長門裕之 映画の愛 愛の映画」
「周磨計画」打合せは、15時30分から2時間程度、「おとうと」試写は18時30分。その前に都区内までの交通費有効活用として、もう一つ何か消化できそうだ。そこで、新文芸座の「南田洋子 長門裕之 映画の愛 愛の映画」に行くことにする。お目当てはこの日上映の新藤兼人・脚本・監督作品「銀心中」、併映は川島雄三の「わが町」だ。

「わが町」はビデオ鑑賞済で、私は再見ではある。南田洋子が主人公の辰巳柳太郎の妻と孫娘の二役で奮闘しているが、これは南田映画でも川島映画でもなく、やはり辰巳映画というべきものであろう。そのくらい辰巳柳太郎のキャラが、見事に立っていた。

「銀心中」の女のどうにもならないつきつめた情念は凄かった。乙羽信子の夫の理髪店主・宇野重吉は、召集されて戦死の公報が届く。そして乙羽は、後を守って支えてくれた宇野の甥の長門裕之と、戦後になって再婚する。しかし戦死は誤報で、宇野重吉は復員し、三人三様の苦しみに襲われる。戦後にはよくあった単純な話である。しかし、どうにもならぬ女の情念と肉体をギリギリと表現していく乙羽信子、その脇の宇野重吉・長門裕之の屈折した心情。シンプル・イズ・ベスト!映画はストーリーじゃない!描写だ!そのことを痛感させられた。私は、ディヴィッド・リーンの名作「逢びき」を思い出していた。

●「おとうと」の映画的リアリティ
河本晃さんと「おとうと」を観終わる。河本さんは感動したようだ。ブログで『周磨さんがロビーに出た瞬間、「イマイチでしたね」というので、「この野郎!」と心のなかで呟いたのでした(笑)。』と記している。
 正確には、私が開口一番言ったことは「映画的リアリティに乏しい寅さんを、いまさら見せられてもねェ」だった。しかし、私はそんな軽い気持ちで言ったわけではない。私のかなり以前からの「男はつらいよ」観に根ざしているものなのである。私は「おとうと」を観て、いかに「男はつらいよ」が長時間かけてジックリと、映画的リアリティを純粋培養してきたかに、感じ入ったのだ。

●「男はつらいよ」の映画的リアリティ
私が、山田洋次という才能に着目するのは早かった。昭和40年の「霧の旗」からである。その時から、過去の作品をフォローすることも含めて追い続け、デビュー作の「二階の他人」を除く全作品を観ている。(「九ちゃんのでっかい夢」なんてのまで、しっかり観ています)

 そんな私にとって、山田洋次との名コンビといえば、ハナ肇であった。「馬鹿まるだし」を起点として、「馬鹿」シリーズ、「一発」シリーズで、細心に山田ワールドの映画的リアリティが純粋培養されていくのを楽しんだ。昭和44年3月の「喜劇 一発大必勝」は、ついにその頂点を極めたかに見えた。そして、その年の8月、「男はつらいよ」の第1作が公開される。

世評に反して、私は初期の「男はつらいよ」を、あまり評価していない。何といっても当時40歳そこそこの渥美清は、破天荒な個性があり過ぎた。純粋培養された山田洋次ワールドの中で、荒々しくそれを破壊する乱入者にしか見えなかったのである。

それでも、「男はつらいよ」はヒットを拡大し続けたために、連作され続けた。昭和46年の第8作「寅次郎恋唄」は、旧丸の内ピカデリーロードショーの大作仕様で、寅さんとかけ離れた小津調の義弟家族のエピソードに寄り道した苦肉の策に、シリーズの死臭を感じたものである。昭和48年の正月映画「寅次郎夢枕」に至っては、寅さんのセルフパロディを、米倉斉加年の大学教授に演じさせギャグにするなどの楽屋落ち連発で、噴飯物であった。

私が、「男はつらいよ」が純粋培養された山田ワールドに到達したと思ったのは、続く11作「寅次郎忘れな草」からである。これは、放浪のキャバレー歌手・浅丘ルリ子演ずるリリーの存在が大きい。これまでは、お話のうえでも寅さんは完全な異分子だった。後のキャラは平凡で温厚な庶民ばかりである。しかし、寅さんと同じ体臭を有する放浪の歌手リリーをブリッジすることによって、渥美清は山田ワールドの純粋培養された映画的リアリティの世界に、ピッタリと融合してきたのである。

私が、「男はつらいよ」の映画的リアリティの完成を観たのは、昭和49年の第13作「寅次郎恋やつれ」だ。この時、昭和47年の第9作「柴又慕情」のマドンナ吉永小百合が、2年後の同じ役柄で再登場する。ここに「男はつらいよ」の映画的リアリティ、純粋培養された山田ワールドは構築された。「男はつらいよ」の世界は、映画がエンドマークを打ったその後も、スクリーンの外で継続され、盆と正月(終盤は正月のみ)に窓を開けて我々に覗かせてくれるのである。

もっとも、このあたりから渥美清は牙を抜かれ、「男はつらいよ」は堕落して面白くなくなったという世評が、かなり少なくないことは、私も承知している。

●再び「おとうと」の映画的リアリティ
「男はつらいよ」の寅さんも、「おとうと」の笑福亭鶴瓶も、かなりハタ迷惑な男である。観ている分にはまあいいが、自分の身近にはいてほしくない存在である。「男はつらいよ」は、そのハタ迷惑な男を、ある意味で愛すべきところのある人間として、丹念に純粋培養された映画的リアリティの世界の中で、存在させてみせた。「おとうと」には、それはない。「男はつらいよ」の渥美清・倍賞千恵子と、「おとうと」の笑福亭鶴瓶・吉永小百合の描写を比較すれば一目瞭然だ。鶴瓶は、ハタ迷惑な男がハタ迷惑に描かれているだけなのだ。(それでいい、それだからいい、と感じる人がいることは、私は否定しない)

「映画友の会」でアニメ研究家の「おかだえみこ」さんは、全体的には「おとうと」に好意的なのだが、二つの瑕疵を上げた。「吉永小百合と笑福亭鶴瓶が姉弟に見えない」「吉永小百合が関西人に見えない」の2点である。私は「おかだ」さんと意見が合うことが少なくないのだが、前者については正に的を得ていると思った。子供の頃から共に育ってきた姉弟のはずなのだが、そのイメージがどうしても結ばないのだ。「男はつらいよ」の渥美清と倍賞千恵子には、ハッキリとその像が浮かんでくる。まあ、単発作の「おとうと」と、何十年・何十作と純粋培養を積み上げてきた「男はつらいよ」と、同列に並べることが無理な話なのではあるが、しかし私としては、この映画的リアリティの乏しさは、どうしても「イマイチ」という感じになってしまうのだ。「おかだ」さんの言われた後者の「吉永小百合が関西人に見えない」については、吉永起用の時点で致し方ないと思っている。吉永小百合は何をやっても吉永小百合で、すべて吉永映画にしてしまい、それ以上にはならないのだ。山田洋次の前作「母べえ」もその陥穽に落ち込んだ。それはそれで大映画スター吉永小百合の価値というものなのだろう。

「男はつらいよ」に思い入れが強い我が身としては、思わぬ長丁場の「おとうと」談義になってしまいました。

試写会終了後、河本晃さんと居酒屋での酒席になったのだが、「おとうと」の評価の乖離もあって、何かギクシャクしちゃったかなあ。そうだったらゴメンナサイ。

●平成22年1月20日(水) この日も想定外の「会話の存在した日」に
18日(月)は、「おとうと」試写会が当選しなければ、銀座シネパトスのレイトショー特集「銀座 シネパニック!!!」の「ブルークリスマス」を観る予定であった。私の好きなSFで、倉本聰脚本・岡本喜八監督という興味深いコラボだ。ただ、私か働き盛り・家庭サービス期間真っ盛りの昭和53年作品、製作時の話題ほど世評が高まらなかったので、そこまで手が回らなかった1本である。しかし、長らく気にはなっていた。20日(水)は、「ブルークリスマス」の最終日だ。これは逃せない。かくして、この日は銀座シネパトスのレイト「ブルークリスマス」を中心に、予定を組むことにする。

新宿国際劇場で、友松直之監督の新作「不倫旅行 恥悦ぬき昇天」が上映中だ。公開は昨年の2009年だが、年末の12月25日(金)封切なので、ピンク大賞の対象としては2010年対象作品である。これに限らず、今年のピンクは注目監督などの作品は、原則的に封切以降の早い時期で押さえようと思っている。ちなみに、今年の1月封切ピンクは5本、このペースで行っても年間60本だ。封切時点でビシビシ押さえていかないと、大賞参加資格25本にかなり危うくなってきている。なお、この日観たピンク映画評については「ビンク映画カタログ」の方に寄り道してください。

「ブルークリスマス」は20時40分開映のレイトで、ピンクは3本立を完走しても3時間、もう一本くらい消化できそうである。「ぴあ」などを捲っていたら、年末封切で見逃していたTOHOシネマシャンテの「ヴィクトリア女王 世紀の愛」が目についた。かくしてこの日は新宿→銀座(シォンテ→パトス)というコースを切ることにしたのである。

「ヴィクトリア女王 世紀の愛」は、コスチュームプレイ+私好みの壮大な歴史劇ということで可もなく不可もなし。しかし、その後の「ブルークリスマス」には目を瞠った。私は昨年の「映画三昧日記−8」で、「ポチの告白」「それでもボクはやってない」をマナ板に乗せ、『戦後の社会派映画には、一つの傾向があると思う。保守・反動を推進する権力者・右翼が悪で、虐げられる庶民・労働者が善という図式である。(中略)21世紀になって、社会派映画もやっと「構造」に迫る映画が出つつあり、バランスが取れてきたようだ』と、滔々としたり顔で述べている。うっかりしたことを言うものではない。ワーッ、勘弁して下さい。はるか昔の1978年(昭和53年)の20世紀、「ブルークリスマス」という存在があったのだ。でも、当時の権力者・右翼が悪のすべてとの左傾化傾向がまだ残っていた評論界の論調は、この映画の奥深さを受け止めきれなかったのではないか。私にこの作品を見過ごさせた責任は、映画評論界にも大いにあると思う。

「ブルークリスマス」は、人類の有する「構造悪」に見事に迫っていた。UFO遭遇の後遺症で、青い血液を有する人類が続発する。それが何を意味するのかは解らない。それが人類に敵対するアクションかどうかも解らない。ただ、政治力学は、司法の原則「疑わしきは罰せず」とは真逆に、「疑わしきは殲滅」の論理で動いていく。青い血の人類は危険との、世論操作を進めていく。それが定着したところで、青い血の人類の反乱蜂起をでっちあげ、大虐殺へとエスカレートしていく。純白の雪上に、青い血が飛び散っていくクリスマス虐殺のクライマックス、ヒロイン竹下景子の青い血と、恋人の勝野洋の真紅の血が真っ白な雪の上で混じり合う。倉本聰脚本の抒情性満開だ。岡本喜八監督としては、時たまダイナミックなカッティングの平手打ちのモンタージュを見せるが、それは調味料、これはやはり倉本映画と言うべきであろう。

チケット購入に向かったら、鈴木伸英支配人自らが窓口にいらっしゃる。終映が23時頃の遅くなので、支配人自らの陣頭指揮ということにならざるをえないということだろう。仕事ということは、大変である。かくして、閉館のご挨拶をしている鈴木支配人と、少々立ち話をする。ほとんど他の名画座でもノーマークの「ブルークリスマス」を上映してくれるなんて、銀座シネパトスならではだ。感謝の辞を述べる。気になったことを一つ伺った。「16mmプリントですか?」、何故こんなことを聞いたかと言うと、「ブルークリスマス」はスタンダード上映だったのである。角川映画全盛の70年代は、二次利用以下が拡大した時代で、ビスタサイズ全盛だった。「いえ、35mmです。この映画は元々スタンダードでした」との鈴木支配人の解明だった。あえてこの時代にスタンダードにこだわった製作側の意図は、何だったんだろう。どなたかご存じなら教えてください。いずれにしても、てなことでこの日も、想定外の「会話の存在した日」になったのであった。

●平成22年1月22日(金) 「インビクタス 負けざる者たち」試写会
「映画友の会」のB女史から、よみうりホールの「インビクタス 負けざる者たち」試写会のお誘いがあった。老年期に入ってますます脂が乗っているクリント・イーストウッドが、ネルソン・マンデラを題材にした今年最注目の1本である。一も二もなく快諾する。

さて、そうとなるとこの日の交通費有効活用として、他に都区内上映の何を観ることにするか物色する。ヒューマントラストシネマ有楽町で「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」が上映中だ。B女史は「映画友の会」きってのミステリー通である。これはピッタリのコラボだ。それにしてもヒューマントラストシネマ有楽町って聞いたことがない劇場だなあと思ったら、前のシネカノン有楽町2丁目だった。渋谷のミニシアターもそうだが、最近はコロコロ劇場名が変わるので要注意である。

●久々の大型ミステリー「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」
「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」は、久々に登場した本格大型ミステリーだった。大企業グループの40年間にわたる謎が解き明かされる壮大なスケールのお話で、堂々2時間33分の長尺を、飽かせることなくグイグイ最後まで引っ張って行く。往年の横溝正史・金田一耕助シリーズを思い出した。

大企業グループのファミリーが所有している孤島に、40年前一族が参集し、その中で一人の少女が失踪する。この壮大な「密室」で、犯人は一族の誰かに限定される。少女は叔父に、誕生日祝いに毎年押し花を送っていたが、失踪した後も40年間にわたり押し花は送られ続けたのだ。変質者の犯人の仕業なのか?とにかく壮大な謎である。

これを追う探偵二人のキャラがまたいい。一人は独立系のジャーナリストで、次々と社会悪を暴き告発してきたが、フライングして名誉棄損で有罪、禁固刑の判決を受け収監を間近に控えている。もう一人は、夥しいタトゥとピアスに彩られたミステリアスな若い女、いでたちはかなりキレてるが、天才的なハッカーである。

原作はスウェーデンのスティーグ・ラーソンで、映画化されたのは3部作の第1部とのことだ。そして、この3部作を残して、早逝してしまった。大ベストセラーとなって、全3部作の映画化は、この探偵コンビのキャストで決定したそうである。これは、楽しみである。またまた期待の大河シリーズの誕生だ。

ミステリーの結末としても、なかなかのものであった。ただ、ちょっとルーチンワークで凡だなと思った部分もあった。しかし、ミステリーということだから、これ以上語るのは控えたい。

試写会場でB女史に、今「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」を観てきたことを話す。さすがに「映画友の会」きってのミステリー通のB女史で、すでに原作は購入、第1部の終盤まで読んでおり、映画もこれから観るのが楽しみとのことだった。今後の「映画友の会」での「ミレニアム」論義が楽しみである。

●早くも今年のベストワン候補!「インビクタス 負けざる者たち」
「インビクタス 負けざる者たち」は、掛け値なしの大傑作だった。新年早々のハシャぎ過ぎは差し控えたいが、早くも今年の重要なベストワン候補の一本である。21世紀に入ってのクリント・イーストウッドは、ますます凄い。ゼロ年代のキネ旬ベストワン10本のうち、「スペース・カウボーイ」「ミスティック・リバー」「ミリオンダラー・ベイビー」「父親たちの星条旗」「グラン・トリノ」と、半数の5本を占めているのである。ただし、私は、イーストウッドは監督デビュー作から大好きだったが、最近はやや天邪鬼なファンになり、昨年の「グラン・トリノ」「チェンジリング」あたりには、斜めに構えていたのだ。しかし、今回の「インビクタス 負けざる者たち」には完全に「負け」ました。脱帽です。

●私は天邪鬼イーストウッド・ファン
私は、1971年のデビュー作「恐怖のメロディ」から、クリント・イーストウッド監督作品が好きだった。何が好きかといって、「ヤンチャ坊主の活動屋」だからである。どの作品も、活動大寫真の精神に溢れているのである。映画作家というよりは活動屋という形容が、ピッタリするのである。「荒野のストレンジャー」「ガントレット」「ファイヤーフォックス」「ペイルライダー」「ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場」なんて、その活動屋魂に大いにシビれたものだ。

1992年作品「許されざる者」で、アカデミー監督になってから、何となくイーストウッドは名匠・巨匠みたいな感じになってきたが、私はこの時代においても「ヤンチャ坊主の活動屋」精神は変わっていなかったと思う。「許されざる者」はジョン・フォード、ハワード・ホークス、ウイリアム・ワイラーなどの巨匠のA級西部劇に連なる作品ではない。むしろ、ランドルフ・スコットやオーディー・マーフィー主演、監督は読み人知らずの職人が創ったB級西部劇の伝統を引き継いでいるのだ。ただ、ストレートにそれを再現したのでは、世紀末90年代では受け入れられ難い。そこで初老のガンマンという仕掛けをまぶしての、現代的復活を見せたのだ。小悪党のリチャード・ハリスを、大悪党のジーン・ハックマンがたたきのめし、その大きさを十分誇示した後の効果的舞台で、大ヒーローのクリント・イーストウッドがハックマンを叩きのめすという定番の趣向なのである。

そんなイーストウッドが、1995年に「マディソン郡の橋」を撮った時は、ちょっと驚いた。(その前にも「バード」というイーストウッドらしからぬ意欲作もあったが、これはジャズ・ファンのイーストウッドの寄り道だろうと思った)「マディソン郡」にあったのは、オーソドックスな名匠の演出であった。ここには、活動屋はおらず映画作家イーストウッドが屹立していた。もっとも、初期の1973年作品に、ウイリアム・ホールデンが老いらくの恋に落ちる話で流麗な演出を見せた「愛のそよ風」という一編があるので、意外と当初からこうした資質はあったのかもしれない。

21世紀に入ると、クリント・イーストウッドの「ヤンチャ坊主の活動屋」ぶりは、影を潜めてくる。「ミスティック・リバー」「ミリオンダラー・ベイビー」「硫黄島」2部作と、もはや名匠・巨匠の貫録である。こうなると、監督進出初期の頃からのファンとしては天邪鬼になってくる。

昨年のベストテン上位を独占(ベストワンもある)した「チェンジリング」「グラン・トリノ」を、私はベストテンに入れていない。確かに、「チェンジリング」なんて、溜息の出るような巧さだ。ウイリアム・ワイラーかロバート・ワイズかと、言いたくなる位の映画演出のお手本だ。しかし、私はいつまでもクリント・イーストウッドには活動屋であってほしかった。映画作家に「格上げ」にならないでほしかったのである。

そして「グラン・トリノ」で、「ヤンチャ坊主の活動屋」クリント・イーストウッドが久々に帰ってきた。じゃあ、何で素直に喜んでベストワンにしないの?と言われそうだ。でも、これは決まり過ぎている。自らが主演し、ダーティー・ハリーに年齢を加えたような極めつけを見せる。これはもう、ベストテンなんて代物を越えている。特別の別格である。だからベストテンには挙げない。これって結構な天邪鬼だけど、私の素直な心境でもあるのだ。

●完全脱帽!「インビクタス 負けざる者たち」
再び、「インビクタス 負けざる者たち」の話題にもどる。これは素晴らしい!脱帽だ!映画演出の教科書である。映画ってのは、こう観せるもんだとのシーンに溢れている。何度も観直して、その素晴らしい映画演出の数々を、メモしておきたい誘惑に駆られるほどだ。

冒頭、ネルソン・マンデラを乗せた車が、走り去る。その両側の風景が鮮やかに対比される。片方は白人がラグビーに興じている。グラウンドを囲む柵は立派でしっかりしている。もう一方は黒人がサッカーに興じている。こちらの柵は有刺鉄線で簡単に区切ったお粗末さである。この後、南アフリカでは、ラグビーは「紳士が暴れ者になって行うスポーツ」、サッカーは「暴れ者が紳士になって行うスポーツ」と位置付けられていることが紹介される。このプロローグ一発で、見事に映画全体を予兆させるのだ。

ネルソン・マンデラの偉大さを、表現するのには膨大なネタがあるだろう。しかし、ここでは白人のスポーツだったラグビーを南アフリカの国技のように持ち上げ、ワールドカップ優勝を目指し国内の融和を図ったという1点に絞り込む。この活動屋的収束は素晴らしい。そして、隠し味として、SPの黒人と白人のチームワークが次第に完成されていくサブ・エピソードを、さりげなくからませる。黒人のSPがマンデラを部族の中の名「マディバ」と呼ぶと、白人のSPが「俺はプレジデントと呼ぶ」と切り返すあたりの、微妙なニュアンスは奥深い。

マンデラそのものも、決して神格化して描かない。モーガン・フリーマンの人を寛がせる個性が、ここでも大きく活きている。完全無欠な人格者ではなく、ラグビーにこだわり過ぎる無邪気な愛らしさも感じさせる。そして、それは白人の顔を立てて国の融和を図る策士としての横顔であることも見せる。

真の実態は知らないが、少なくともこの映画では、マンデラ大統領の南アフリカが、強権による弾圧も、クーデターによる転覆もなく、経済成長を順調に進めている真実が、はっきりと描かれたと思う。体制の変革は、概ね旧支配者の芽に対して必要以上に神経質になり、体制が混乱することが多い。それが、ロシア革命後のスターリンによる大粛清になり、中国革命後の文化大革命になり、逆の場合はチリのアジェンデ政権のクーデターによる崩壊になるのである。マンデラは単なる偉人ではなく、勝れた策士でもあったのだ。そんなマンデラ像を難しいことは抜きにして、ラグビー一本に絞って映画的に表現したからこそ、「インビクタス 負けざる者たち」は見事なのだ。

だから、決してワールド・カップ優勝のクライマックスで、すべて良しと予定調和はしていない。国中が盛り上がっている中で、まだ貧窮から抜けていないスラム街の存在も示されるし、大競技場を埋め尽くした多くが白人であることをさりげなく示し、人種間の富裕格差の解消の進展は、遅々としてしか進んでいないことも表現している。優勝したラグビーチームにしても、黒人選手は一人なのである。

しかし、ラグビーのワールドカップをクライマックスにしてカタルシスを呼ぶ活動屋的処理は素晴らしい。アパルトヘイトの問題を伝統的スポーツ映画にくるみ込む才は凡ではない。敵チームに巨漢選手が一人いて、そこに球がわたったら危ないとの伏線が張られ、ラグビーに詳しくない私でも、ヒヤヒヤするサスペンスも堪能したのである。本当に何から何まで巧い映画だ。

「素晴らしい!」「素晴らしい!!」鑑賞直後にはB女史も私も、とりあえずそんな言葉しか出てこなかった。そして、名画の興奮さめやらぬまま、帰路についたのであった。

●平成22年1月23日(土) 「紅塾発表会」上野広小路亭
お江戸演芸スクール第10回「紅塾発表会」の日である。女流講談師の神田紅先生指導による「神田紅講談教室」に学ぶ社会人講談師の競演だ。「蛙の会」会員の榎本千賀さんも「赤垣源蔵」を披露する。ここのところ、体調不良を聞いていたので心配していたのだが、華やかな和服と艶やかな簪でビシッと決めて、高座で語るという効果は大きいのか、張りのある声もよく出て、明るく堂々と務め上げていた。

客席は押すな押すなの超満員、ついには通路に座布団で臨時客席を設けただけに止まらず、舞台の袖の上にまで座布団の客席を設けるまでに至った。「いつもの講談の時も、これだけお客さまに来ていただけるとありがたいのですが…」と、神田紅先生は、ユーモラスに語っていた。「蛙の会」の面々や、社会人芸能集団の話芸修行の縁に連なる知人も多数激励に現れ、お仲入りにはしばし芸談にも花が咲いたのであった。

最後は「蛙の会」会員の坂元洋さんと、楽屋に榎本千賀さんを表敬訪問し、その後は坂元さんと御徒町の居酒屋で、今年の「蛙の会」の進むべき道などの話題を中心に、歓談したのであった。気が付いたら、坂元さんがさりげなく支払いを済ませて、全面的にお世話になった次第になっていた。坂元さんはネットとかメールとかには無縁の方ですが、とりあえずここでも「御馳走さまでした」と申しあげておきます。

●平成22年1月28日(木) 「無声映画鑑賞会」門仲天井ホール
月例の「無声映画鑑賞会」の日である。この日は、澤登翠さんに挨拶をして「話芸あれこれ」をお渡しすることにしている。「蛙の会」会員の佐々木実さんは、下働きの裏方も兼ねて皆勤だ。また松戸誠会長は映写・音響担当としてワンフロアー上の機械室にいるので、時に訪問して雑談したりもする。客席で、他の「蛙の会」会員や、サイレント映画にも関心のあるフリーライターのIさんをはじめ、映画の友人と顔を合わせることもある。要はこの日は必ず「会話の存在した日」になるわけである。

1月の番組は「生誕100年 若き日の田中絹代特集!」、上映作品は「森の鍛冶屋」「大学は出たけれど」(以上、弁士は斎藤裕子さん)、「恋の花咲く 伊豆の踊子」(弁士は澤登翠さん)である。開幕に先立ち、澤登さんが客席に挨拶回りをしている。ふとそのご相手を見たら、先日9日(土)「小津安二郎ゆかりの深川散策」で講師を務められた長谷川武雄先生ではないか。澤登さんの後に、お礼がてら声をかけ、しばし小津談義などに耽る。ついでに、この日に会場で配布された「話芸あれこれ」61号をネタに、編集人としてのPRもいたしました。

この後、斎藤裕子さんとも新年のご挨拶をする。この機会に「○○○さん、御存じですよね?」と聞いたら、「え?」という表情をされたので、「スミマセン、感違いだったかもしれません」と言ったら、「ああ、知ってます。お竜さんですね。コミュニティでお世話になってます」と返ってきた。どうやら、本名よりもハンドルネームのお竜さんの方が有名のようだ。「周磨さんのハンドルネーム、何なんですか?」と聞かれたので、「活弁オジサンです。と答えた」「ああ、やっぱり。誰かなと思ってたんですよ」と斎藤裕子さん。とにかく、このように友達の友達が友達になっていくのは、「笑っていいとも」ではないが楽しいことである。

ちなみに、私は「デジン」なので、未だにミクシィのコミュニティだとかマイミクシィだとかの構造が、よく把握しきれていない。一回なんか、お竜さんからマイミクシィ追加リクエストが来たのに、あちこちいじっている内に「拒否」の発信をしちゃったみたいなのである。後日、お竜さんから「嫌われたのかと思いました」と言われてしまった。その後の再送で何とかことなきを得たが、汗顔の至りである。ところで、冒頭に記した「デジン」って何かって。「ディジタルに弱いオジン」のことです。もっとも、この言葉自体、何十年も前の「現代用語の基礎知識」の流行語の項にあったもので、今は多分無いでしょうね。そんな言葉を今だに使っていることが、「デジン」の証明ということになるのかもしれません。

●平成22年1月31日(日) 「蛙の会」例会 潟}ツダ映画社試写室
この日は月例の潟}ツダ映画社試写室での「蛙の会」例会。話術研究会の別名もあるので、この日は大いに口を動かす日である。散会後は有志こぞってのビールジョッキ片手の、盛大な反省会(?)もある。この日は「会話の存在した日」なんてものではない。「映画友の会」同様、喋って喋って喋り倒す日である。これに加えて「無声映画鑑賞会」の月3日が、私の確実に定期的な「会話の存在した日」になるわけである。

●平成22年2月の「会話の存在した日」の予定
このように見ていくと、1月の「会話の存在した日」は、5日(火)、9日(土)、16日(土)、17日(日)、18日(月)、20日(水)、22日(金)、23日(土)、28日(木)、31日(日)と、1/3弱の10日ということになる。こうした観点で見ると、2月の「会話の存在した日」になる予定は、目下のところどうなるのだろう。
   4日(木)亡妻の命日で墓参り
         (住職さんなどとお茶を飲んで世間話をするであろう)
   4日(木)〜5日(金)娘とその女友達とディズニーリゾートに一泊してディズニー・シー巡り(このオジサン、若い娘にもあまり煙ったくないらしく、こういうことは少なくない。まあ、食事の時などの懐も目当てだろうが…)
  14日(日)池島ゆたか監督新作「stage」鑑賞と舞台挨拶
                           上野オークラ劇場
         (ランチして、「お竜さん」と「もちさん」の女性2名を、katsuさんと電撃チャックさんと私の男性3名でボディガード)
  20日(土)「映画友の会」
  26日(金)「無声映画鑑賞会」(河本晃さんの「新作オルタナティブ」も予定されてるみたい、悩みどころである)
  28日(日)「蛙の会」
 ということで、現時点では予定されている「会話の存在した日」は、6日である。(「新作オルタナティブ」が「無声映画鑑賞会」とバッティングしなければ7日になったのに…残念!)もっとも、今後もいろいろなイベントなどが入ってくることもあるし、1月のように予期せぬ「会話の存在した日」が発生もするだろう。ただ、目下のところは月の1/4しか「会話の存在した日」の予定はないということだ。残りの3/4弱は「会話が存在しない日」ということである。

●再び「会話が存在しない日」を考える
でも、「会話が存在しない日」などと、少々センセーショナルな命名をし過ぎたような気がする。「会話が存在しない日」に、全く会話かぜ存在しないわけではない。同居している娘との会話、買物に必要な会話、近所の人と出会った時の挨拶程度の会話、チケット購入時の会話、外食注文時の会話など、それしかない日を、「会話が存在しない日」と定義付けたから、このような結果になっただけである。

思い返してみれば、フルタイムで働いていた時に、ここでいうところの「会話の存在した日」がどれ程あっただろう。会話のほとんどは、会社の中での業務処理の会話、家族との会話で占められていたのではないか。これまで述べてきた「会話の存在した日」は、むしろ希少だったろう。ただ、会社勤めをやめると、その大半を占めていた会社の中での会話が、スッポリなくなるわけである。

くりかえすが、だから私は好きでもない会社の中での会話が恋しくなったわけではない。ただ、いつまでも会社の仕事にしがみつく、「何もしないと呆けるから、働いた方がいい」と言う人の心境も、なんとなく理解できるような気がしてきた。そんなに仕事が好きなの?と思っていたが、私のように映画などの特別好きなものがない人には、「会話」の喪失が耐えられないということなのだろう。

さて、会社勤めをやめると、残るは家族との会話である。家族とは、親であり兄弟姉妹であり、妻であり、子である。このうち親とは、かなりの者はある程度の年になると、結婚などを期に別居する。兄弟姉妹も同様だ。そして、子供もやがて独立して去っていく。最後まで残るのは妻である。前に紹介した「牛の鈴音」に見るように、ほとんど会話ともならない会話にしても、最後の会話する家族は妻なのである。私のように、妻に先立たれた男ヤモメには、それもないということだ。

●シングルの人の「会話」を推量する

私の知人で40歳前後の友人・知人は、男女に問わず圧倒的にシングルが多い。別に私の友人・知人でなくても、今の一般的傾向である。その人達には前項の家族の中のうち、妻と子の存在はない。親と同居している人もいるが、多くは一人住まいである。同居の親は、まあ子供よりも早く亡くなるのが一般的だから、いずれは一人住まいになる。その場合の「会話」は、会社などの仕事を通じてのもののみになるわけだ。そして、定年などの退職で仕事をしなくなれば、完全に「会話が存在しない日」の毎日となるわけだ。案外、ゾッとする光景である。いや、一人住まいに慣れている人は、そんなことは気にならないのだろうか。亡き母が、「結婚して一度家庭を持った人間は、もうそれなしではいられなくなる」と、昔よく言っていたことが思い出される。

●身近に感じられてきた小津ワールド
娘も年頃になってきた。ただ、昔みたいに適齢期なる物もないし、シングル全盛の時代ではあるし、子供は別の人格と割り切る時代であるから、好きに生きればいいと思う。

娘には高校時代から、趣味を同じくして今でも仲良しの女ともだちがいる。3年ほど前、おなじ趣味を同じくするボーイフレンドと、結婚を前提としたカップル2組のつきあいになったと聞かされた。ああ、来るものが来たな、と嬉しく思った。反面、今年こそ二人で過ごす最後の正月かなと、感慨に耽る時が流れた。しばらくたったら、友達の方のカップルは別れたと聞いた。そして、昨年半ば、突然娘から、「嫁に行く話はなくなったので、まだもうしばらく家に置いてください」と言われた。といって、2組とも喧嘩別れをしたとか、そういうことではないらしい。結婚を前提としたつきあいをやめただけで、今でも趣味を通じての友達づきあいは続いているようだ。「破局」なんて暗いイメージはサラサラなく、ケロケロしたものであった。

いや、そんな我が娘の若い世代の話はどうでもいい。問題は娘に「嫁に行く話はなくなった」と聞いた時、親としてガッカリしつつも、心のどこかでホッとしていた気持が小さくなかったことである。ヘラズ口のバカ話ばかりしていて、笠智衆と原節子とは似ても似つかない父娘であるが、小津安二郎の世界がにわかに身近に感じられてきた昨今である。

こうして、完全フリーとなって初めて明けた新年1月も終わっていく。様々な思いを抱いた一ヶ月であった。それやこれやで長くなってしまいました。
映画三昧日記2010年−1

2010年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

●ボーッと過ごした三が日
私はこれまでほとんど、正月三が日は行動しないのがライフスタイルだった。朝、雑煮を祝いながら朝酒の杯を傾け、昼風呂などに入ったりして、出てきたらまた酒浸りでボーッと過ごす三日間を過ごしてきた。お節料理という日本文化は本当に素晴らしい。年末に料理を仕込んでお重詰めをしておけば、後はそれを引っ張り出せば、酒の肴に事欠かないのである。(もちろんお重に料理を補充する手間だけはあるが…)

結局、三が日でやったことは、こちらが出さなかったのにいただいた方への賀状の返信と、三つばかりの映画がらみの処理をしただけだった。一つは締切が1月5日(火)の「キネマ旬報・読者ベスト・テン」を作成し、ハガキを投函して投票を済ませた。もう一つは、同じく1月5日(火)締切の「映画検定1級合格者ベスト・テン」のメール送信を済ませたことだ。(ベストテンの内容については、年明けの落ち穂拾いで変わる可能性があるので、ここではあえて記さない)

さらに年末に映画検定事務局から、映画検定1級合格者にゼロ年代ベストムービー投票の呼び掛けがあった。2000年以降の10年間の公開映画の中から邦洋合わせて一本選ぶのだから、これは超難問である。最終的に私は、団塊の世代として「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を選出した。題材の大きさもさることながら、この歴史考察は世紀を越えたゼロ年代で、初めて総括できた映画だと思うからだ。

●正月のTVに思うこと
杯を傾けてボーッとしているということは、見るともなく正月のお節TV番組をボーッと眺めていることに通じる。元日の「笑点スペシャル」は、私の酒のつまみの毎年の定番だ。今年は「笑点!お正月だよ!大喜利祭り」というキャッチフレーズの2時間スペシャルだ。こういう他愛のないゆるさは、正月の私に実にしっくりする。

見るともなくチャンネルを回していると、人気番組のスペシャル版というのが、多くを占めているのに気付く。よくよく眺めると、スペシャルと銘打ちながら、前年の名場面紹介というリピートがかなりの量である。安易といえば安易だが、不況で資金繰りが苦しくなったTV局の内情を伺わせもする。

1月3日(日)、今年初の「サンデーモーニング」では、司会の関口宏が「なぜか新年の気分が出てこない」と口火を切り、その後の展開も何とも正月らしい華やかさに乏しい。スポーツ・コーナーで大沢親分とハリさんが出てきて、「喝だ!これは!!」「天晴れ!」なんて始まったら、何とか正月気分になってきた。もっとも、このお二方は一年中を通じて、正月気分みたいに弾けているのだから、当然の流れかもしれない。

新年・正月気分が盛り上がらないことについては、「サンデーモーニング」最後の「風を読む」のコーナーのテーマとしても、取り上げられた。不況で経済回復の見通しも一向に見えない閉塞感が原因ではないかとのあたりに、話は収斂した。でも、そうだろうか。電力事業に携わって高度経済成長期を通過した私だが、会社幹部の年頭挨拶で、「今年はよくなる」なんて聞いたことはない。経済状況に関係なく「今年は厳しい」「今年は厳しい」と発破をかけられ続けて、定年を迎えた。でも、新年らしい明るさが年々減少し、のっぺらぼうに時間が流れていく昨今であるのは、確かにまちがいない。これは何なのだろう。

●年金生活者としての初めての年明け
前にボーッと三が日を過ごすのが私のライフスタイルであることを述べたが、だからこれまでは、3日〜4日にかけて、私の心はブルーであった。3日午後あたりから、残り少ないお節料理をつついて杯を傾けながら、ああ、今年も至福の三日間も終わったかと次第に沈み込む。仕事始めの酒席では、心の底で「ああ、これが仕事納めだったらどんなに素晴らしいだろう」と、ますます落ち込む。そのブルーな気分は、かなり長期間引っ張るのである。「松が取れても取れないものは、いつかついたる遊び癖」とは、よく言ったものだ。私は、よっぽど仕事が嫌いだったらしい。

そして、年金生活者として初めて迎えたお正月は、そんなブルーな気分が存在しない最初のお正月になった。3日の午後に入り、さあ、酒浸りは今日で終わりだ!明日から映画三昧だぞ!と、気分はハイになってくる。御隠居さんというのは、きっとこんな気分なのだろうか。もっとも、年金の範囲の中でつつましく暮らさねばならぬとの制約があることは、お断りしておく。(勝手を言わせてもらうと、物価下落のデフレ・スパイラルは、年金生活者にとっては天国である。物価がどんどん下がるのだから、黙っていて実質年収が増えているのと同じである。最も国民全体の生活のためには、それを喜んではいけないという思いはある)

●平成22年1月4日(月) 立川シネマシティへGO!
年末から、今年の映画初めは決めていた。まずは立川シネマシティ巡り、一本は「釣りバカ日誌20」だ。シリーズのファイナルである。ゆるい映画ではあるが、私は22年間つきあってきた。新年にその感慨にふけるのも悪くない。

もう一本は「アバター」3D鑑賞である。年末に「アバター」は鑑賞済だが、時間の関係で観たのは2D字幕版だった。そこで、是非3D版で再見したいと思った。正月らしい景気のいい大アクションである。時間を調べたら、「釣りバカ日誌20」→「アバター」3D吹替版のハシゴが適当である。「アバター」の内容は、昨年に2D字幕版でジックリ鑑賞済だから、今度は3D画面のみに集中すればよい。


さあ、2009年映画三昧のスタートだ!

●年末落ち穂拾い(その1)
平成21年12月24日(木) 「奴隷船」初号試写。ここで2010年の映画三昧スタートの話題の前に、年末の落ち穂拾いをすることにしたい。まずは私がエキストラ出演した12月24日(木)東映ラボ・テックにての、「奴隷船」初号試写である。いや、蓋を開けたらエキストラを越えて、私の名前もクレジットされていた!「人妻教師」に続いて2本めのクレジットである。福原彰プロデューサーから、私がポスター並びにチラシに登場するかもしれないと明かされる。(といっても鬼の面を被っているから、面のデザインと着ているものから推定して、私くらいしか本人と解る者はいないのではあるが…)

「奴隷船」は傑作であった。初号試写の後に拍手も起こった。そういえば初号試写会場に花束が届けられていたのは珍しい。関係者に聞いても、あまり例のないことらしかった。やはり、愛染恭子さんの引退記念作というインパクトが大きいのだろう。SMの世界を、興味本位に扇情的に描くことなく、人の心の闇に迫っているのが凄い。吉岡睦雄さんのキレてイッちゃった芝居は圧巻である。演技賞ものだ。ただ、だから必要以上にエロくない。そこらあたりが、逆に興行的に難しい一面もありますね、と私なりの感想を福原プロデューサーには率直に申し上げた。

打ち上げは、東映ラボ・テック最寄駅、京王線国領駅近くの居酒屋で、盛大に開催される。ロードショー予定の銀座シネパトスの支配人も、初号試写鑑賞に続いて参加する。レイトショーか、1日フル上映かが懸案だったそうだが、作品の出来から見て、フル上映に決めたそうだ。3月6日(土)からのロードショー公開である。傑作です!皆さま、是非ご鑑賞を!シネパトスは最近名画座としても間口を拡げたが、支配人から暫しその番組造りの苦労話なども伺った。

打ち上げは一旦お開きとなるが、延々と2次会になだれ込む。愛染恭子さんは一次会で引き揚げたが、金田敬監督、吉岡睦雄さん、ヘアメイクの中尾あいさん(だったかな?もう定かではない)、私と同様に鬼の面をかぶった出演者の一員で映画ライターにしてピンク大賞投票者でもある中村勝則さん他、何人かが残り、延々と二次会が続く。気が付いたら終電車の時間が過ぎ、ついに京王線の始発まで飲み明かす仕儀となってしまった。

全体を通じて私は、くどいくらい吉岡睦雄さんのキレてイッちゃった芝居を大絶賛して「演技賞ものです!」と言い続けていた。この吉岡さんの芝居がなければ、この映画の愛染さんの深層にある心の闇は、映画的に成立しないのである。正に映画のキーパーソンだ。ただ、吉岡さん自身は、映画の中とは真逆に、もの静かで寡黙な人だった。これが演技というものだろう。昨年の「映画三昧日記」の「奴隷船」撮影風景で、金田敬監督の吉岡睦雄さんへの叱咤激励風景を紹介したが、確かに大先輩の愛染恭子さんを前にして、ここまでキレてイッて見せるのは、大変な努力を必要としたと思う。

繰り返します。銀座シネバトス、3月6日(土)初日、「奴隷船」ロードショー、
傑作です。期待できます。是非ご鑑賞ください。

●年末落ち穂拾い(その2) 平成21年12月28日(月) 「将棋寄席」
12月28日(月)は、「蛙の会」会員で将棋ライター湯川博士さん(高座名・仏家シャベル師匠)が席亭を努める「将棋寄席」の日である。今年は会場の浅草・木馬亭の都合とかで、例年より1日前倒しの28日開催となった。私は、将棋については駒の動かし方を知っている程度で全く不如意だが、将棋同好の士が集うアットホームな雰囲気が好きで、必ず参加している。

今年の将棋界から参戦のメインゲストは、石橋幸緒女流四段。ビシバシ亭さちおの高座名で新作落語を披露する。ビシバシ亭さちお師匠は、過去にも将棋寄席で高座経験があり、安定感も十分だ。将棋といえば、私がかつていた東電の社員でキネ旬「読者の映画評」常連、「映画友の会」の友人の須田総一郎さんがなかなかの腕前である。プロの棋士と、夕刊フジ紙上で対局したキャリヤを有する。その須田さんから、石橋名人の今年のビッグ・トピックを教えられる。名人戦で反則負けを喫したそうなのである。

 何でも、相手の駒を飛び越えて角を動かしたそうだ。それって縁台のヘボ将棋の次元じゃないの、と私が聞いたら、プロの対局で反則負けは意外と珍しくないそうだ。何手も先を読んだりしているから、つい一手先を指してしまうということは、ありがちだとのことだ。中でも二歩の反則は、結構あるらしい。なるほど、反則は反則でもヘボ将棋とは次元がちがうということだ。

石橋幸緒女流四段(ビシバシ亭さちお師匠)は、波乱の半生に反則負けの顛末も交え、おもしろおかしく新作(漫談風)落語にまとめてみせた。さすがである。反則負け当初は多分相当落ち込んだろうが、それをギャグに展開するあたり、なかなか強靭な精神力を感じる。他の棋士で反則負けで連敗した人の例も出して、笑いを取る。二歩か何かで反則負けをして動揺して、次の対局では後手なのに先手を指して連敗したそうである。また、自らの反則負けもギャグにする。反則負けは珍しくないにせよ、名人戦でやっちゃったというところが、話題を大きくしたのだが、結果として将棋連盟には感謝されたそうだ。同日に囲碁の対局で19歳かなんかの碁士が大勝利を納めたそうだが、マスコミはみんな将棋の石橋名人反則負けに話題が集中し、囲碁の方のビッグニュースはどっかに行ってしまったそうなのである。将棋と囲碁はファン層が被ってるから、そりゃ囲碁界にとってはさぞ打撃だったろう。

反則負けの話題にかけて、将棋の最短勝負は何手でつくかというネタになる。正解はゼロ手だそうだ。後手が間違えて先手を指したら負けになるということである。だが、それを聞いた将棋モノの須田総一郎さん、「二手が正解じゃないのかな」と首をかしげる。後手が先手を指しても、先手の人が次の一手を指す前に訂正すれば、反則負けにならないとのことだ。つまり、本来の先手の人が、後手として一手を指した瞬間に、反則負けになるのだから、二手が正解ということらしい。打ち上げで須田さんは、石橋幸緒女流四段にこのことを確認していた。石橋四段の答は、そのとおりですが対局記録としてはゼロ手として残ります、とのことだった。

いずれにしても、[映画]→[活弁]→[落語など話芸全般]→[将棋]という「風が吹けば桶屋がもうかる式」の連動で、おもいがけない知識を得ることは楽しいことである。

●年末落ち穂拾い(その3) 平成21年12月29日(火)
 「澤登翠活弁リサイタル」→「映画芸術」誌 忘年会
数年ぶりだろうか。「蛙の会」の一員として澤登翠さんの活弁リサイタルに参加した。ここのところ29日恒例の「将棋寄席」とバッティングしていたからだ。本当に久しぶりで、マツダ映画社の袢纏を羽織って、チラシ配りに精を出した。客席には、リサイタルの常連の方々がいた。スクリプター・脚本家の白鳥あかねさんもいらした。そして、予想どおり、私と同様に白鳥あかねさんも、「映画芸術」誌の忘年会に流れていた。直前に同じ環境に身を置いた白鳥さんと、ワイングラス片手に暫し歓談した。ただ、このあたりの顛末は、1月発行の「話芸あれこれ」61号の「澤登翠活弁リサイタル」鑑賞記で詳述したいので、ここではこの辺に止めたい。

そんなこんなの年末だったので、ピンク映画関係者の方々には、悉く失礼してしまった。28日(月)の「ピンク御殿7〜第1回紅白歌合戦」、29日(火)の「シネ・キャビン大忘年会」、28日(月)〜30日(水)里見瑤子さん熱演の「どん底2009」、すべて御無沙汰いたしました。皆さま方、これに懲りず、来る2010年もよろしくお願いいたします。

●平成22年1月4日(月) 立川シネマシティの映画初め(その1)
 「釣りバカ日誌20」 シリーズの総括
三國連太郎演じる鈴木建設会長ことスーさんが、広々とした会場で社員達に会長退任の挨拶をする。挨拶終了と同時に、出演者だけではなくスタッフまでがドッと画面内に雪崩れ込んで、握手・抱擁などでファイナルの感激に浸る。社員の浜崎伝助ことハマちゃんの西田敏行だけでなく、そこにはハマちゃんの愛妻みち子さん役の浅田美代子や、釣り船屋の八っちゃんこと中本賢も飛び込んでくる。そのお祭り騒ぎをバックに、エンドクレジットが流れる。谷啓の文字がある。あれ?今回は谷啓が出てたっけ?と首を傾げていたら、そのお祭り騒ぎには佐々木営業三課課長(後に昇進して営業部次長)の谷啓も加わってくる。以下、過去の「釣りバカ」ゆかりの面々も含めて、エンドロールの背後に、延々とお祭り騒ぎが展開される。独り善がりの楽屋落ちと鼻白む人もいるだろう。しかし、私は「釣りバカ日誌」シリーズと共に歩んできた22年間に思いを馳せ、感無量になっていた。

映画通のうるさ型には、「釣りバカ日誌」は極めて評判が悪い。「映画友の会」あたりでも、まだこんなのやってるのと冷笑する者や、たまに観たら観たでそのゆるさを突っ込み酷評する者など、散々である。唯一、このシリーズを好意的に話題のマナ板に乗せるのは、私と同じ東京電力に身を置いたキネ旬「読者の映画評」の常連論客・須田総一郎さんくらいであろう。鈴木建設同様の大組織の企業人だから、やはり私と同様に感じるところがあるのだろう。

「釣りバカ日誌」シリーズは、確かにゆるい。同じ大企業の組織人の経験から鑑みたら、突っ込みどころ満載である。しかし、全作品を通じて脚本に参加している山田洋次の功績であろう。大衆映画のぬるま湯映画の中に、時に時代の空気を敏感に反映させてきたことも確かだ。腐っても鯛といったところである。

「釣りバカ日誌」は昭和63年に松竹の正月映画「男はつらいよ」の併映作品としてスタートした。以後、平成6年まで併映作としてのポジションに納まる。「男はつらいよ」40作目の「寅次郎サラダ記念日」から、47作目「拝啓 車寅次郎様」までの期間である。(平成元年夏の42作目「寅次郎 心の旅路」の併映は「夢見通りの人々」)この「男はつらいよ」の題名を見てわかるように、良くいえば渥美清が円熟し、兇暴さが影を潜め、悟りを開いた人生の達人の境地に至り、悪く言えば渥美がパワーダウンして動きに切れがなくなり、甥の満男役の吉岡秀隆に重点を移動させざるをえなくなった時期である。

確かにこの頃の「釣りバカ日誌」には、作品の完成度は棚に上げてもパワーがあった。平成4年の「釣りバカ日誌5」の頃は、会社で迷子になったハマちゃんの子の鯉太郎をめぐって、西田敏行が演じるドタバタ騒ぎには、圧倒的な活力と勢いを感じた。これを名優・三國連太郎が珍しいコメディ演技で絶妙のサポートを見せる。この時期、館内の客席の反応と笑いの弾け方は、完全に「男はつらいよ」を凌いでいたと思う。

今振りかえると、「釣りバカ日誌」は、古き良き終身雇用・家族主義であった企業を描いた最後の映画だったと思う。「女性は職場の花」という形容が罷り通った時代で、趣味の釣りのことしか考えず仕事はロクにしないが、職場を明るくはさせるハマちゃんのような存在も、「一人くらいはこういう奴もいていいか」と許容される時代である。(ハマちゃんほどではないにしても、映画のことばかり考えていた私も、結構近かったかもしれない)

そして世紀末にバブルが弾ける。リストラの嵐が吹きまくる。「釣りバカ日誌」を支える基盤が、大きく揺らいでくる。ハマちゃんのような存在は、真っ先にリストラされてしまう時代になったのである。そこで苦肉の策で、平成10年製作の12作目は「花のお江戸の釣りバカ日誌」として時代劇にしてしまい、ハマちゃん・スーさんの先祖の話にしてしまったのだ。

映画通のうるさ型が唯一認める「釣りバカ」に、平成6年の7作目「釣りバカ日誌スペシャル」がある。森崎東監督らしい一編で、ハマちゃんがスーさんとみち子さんの仲を邪推して悶々とする。しかし、私はこれは取らない。ダークなブラックユーモアは、私はこのシリーズに馴染まないと思え、好きになれないのだ。

「花のお江戸の釣りバカ日誌」で時代劇に逃げ込むしかなくなった現状から、シリーズは打ち止めになるしかないかと思えたが、このあたりからジワジワと方向転換も開始していた。ハマちゃんは単なる趣味人間のダメ男ではなく、趣味と人柄で、結果として大きな仕事を取ってくる有能な営業課員へと変貌したのである。これが、シリーズの息を吹きかえした。

古き良き終身雇用・家族主義経営の崩壊は、バブルに続いての小泉改革の外国への市場開放・資本自由化で決定的になる。それが現在の企業の冷酷な派遣社員切りの原点にもなる。そうしたことの非について、山田洋次は「釣りバカ日誌」シリーズで、大衆映画の枠の中で織り込んできた。平成10年の「釣りバカ日誌10」では、外資系企業の安かろう悪かろうの建築方針と歩調を合わせる重役陣に、社長のスーさんが「建物は50年、100年残るものだ。儲からなくなったら引き上げる外資系の真似ができるか!」と、社長辞任騒動を起こす。平成16年の「釣りバカ日誌15」では、重役が江角マキ子の経営コンサルタントを雇い、非情なリストラを敢行しようとするが、社長のスーさんは激しく対決する。平成18〜21年の「17」〜「19」では、それぞれ再雇用問題・環境問題・派遣社員問題を挿入している。

「釣りバカ日誌18」において、スーさんは社長から会長に就任する。この就任挨拶会場で、鈴木建設幹部の一員の席に私がエキストラ出演したのも、懐かしい思い出だ。近場にいた同じく年配者のエキストラと話合って勝手に役割分担を決め、私は鈴木建設・北海道支社長になって、単なるガヤに過ぎないのに、結構真面目に演じたのも懐かしい思い出である。

そしてファイナルの「釣りバカ日誌20」、北海道の環境保全を核に置き、会長退任でスーさんは「企業は社長のものでも会長のものでも株主のものでもない。社員のものだ!」と熱く訴え、企業の社会的責任を訴える。それは、金儲けのみの効率主義に走り、派遣社員制度を悪用し情け容赦なく首を切る現在の企業への問題提起であり、山田洋次の、企業は本来こうあらねばならぬとの、祈りでもあるのだろう。

私が生きてきた終身雇用・年功序列・家族主義という企業の在り方は、本当に悪だったのだろうか。バブル崩壊によるリストラの日常化・外国への市場開放による資本の自由化、これによって古き良き時代の日本的企業の体質はボロボロ・ズタズタになった。これが、現代日本を覆う活力低下・閉塞感の元でないと、誰が言えるのだろうか。しかし、もう修復・回復は不可能だろう。かくいう私も、もはや企業人を卒業した身である。そして「釣りバカ日誌」もファイナルを迎えた。過去の22年間に、様々な思いを馳せたファイナルであった。

●平成22年1月4日(月) 立川シネマシティの映画初め(その2)
 「アバター」 3D鑑賞
年末に「アバター」を鑑賞し、是非3Dで鑑賞したい気持ちになったのは、前に記した。「アバター」はアトラクション・ムービーとして傑作である。ジェームズ・キャメロンの「これでもか!これでもか!これでもか!!」と見せ場を乱打して、押しに押しまくるタッチは圧巻だ。「エイリアン2」「ターミネーター2」「タイタニック」に連なるキャメロン・タッチは健在だ。

しかし、こうした「これでもか映画」は、誰がやっても成功するわけではない。例えば昨年の夏休み映画のマイケル・ベイ「トランスフォーマー:リベンジ」も同様のタッチであった。だが、激烈な見せ場を乱打し続けても、それが単調だと次第に感覚が麻痺して眠気を誘うだけなのである。

主人公が異世界の惑星パンドラの自然の驚異にさらされながら次第に同化していく序盤、人類の攻撃に備えてパンドラの住民が団結していく中盤、人類との戦闘に激闘を重ねるが序々に近代兵器に押しまくられていく終盤、そしてパンドラの全ての惑星環境が人類に対して牙を剥くクライマックス。いずれも、CG・SFXを駆使した乱射乱撃のパニック・アクション・スペクタクルではあるが、状況変化にメリハリがついており、単調に流れず瞬時も退屈させないのである。これが、ジェームズ・キャメロンの群を抜いた才能というものだろう。

3Dで再見して、新たな発見があった。3Dで観たらさぞ素晴らしいと想像していたロングショットが、意外とそれ程でもないのである。優れたロングショットは、2Dだろうが3Dだろうが、十分に効果が出るということなのだ。むしろ、前景にアップがあり、その光景の奥行きが深いさりげないショットにこそ、3Dならではの魅力が輝いていたのだ。3Dというのは70mm方式上映と、似て非なるものであることを認識した。言ってみれば「市民ケーン」のような画面造形が、3Dに最適ということなのである。

「アバター」は、映画史にとって、また新たなエポックメーキングとなる作品だと思う。それ以前の最も近年のエポック・メーキングは「ジュラシック・パーク」だった。「ジュラシック・パーク」以前の特撮は、どんなに巧みな映像も特撮であることを認識させ、このシーンはどう撮ったんだろう?と思わせる魅力だった。だが、「ジュラシック・パーク」のCGには、特撮を意識させるカケラもなかった。現実に恐竜を連れて来て撮影した、そうとしか思えない映像が現出したのである。ただ、以後は、どう撮ったんだろう?と驚く心が失せ、何を観せられても「あ、CGね」で見過ごされてしまうことが、功罪としては残った。

「トランスフォーマー」は、「ジュラシック・パーク」の域をもう一つ越えた。現実にありうるものを自然に見せるという域を越えて、アニメのような画でしか表現できない非現実の世界を、実写として存在させるまでにCGが進化したのだ。ただし、それも無機物の動きまでだった。だが「アバター」は、それを有機物生命体の次元にまで拡大することを可能にした。それが「アバター」を、「ジュラシック・パーク」の次に到来したエポック・メーキングとして、私が位置付ける理由である。

●今年も映画を楽しみつくそう!
「釣りバカ日誌」シリーズにせよ、「アバター」にせよ、あんなものは映画以前の存在だと決めつける人は少なくない。以前に私は荒井晴彦さんから湯布院映画祭で、「お前、映画なら何でもいいのかよ」と、揶揄されたこともある。しかし、これも映画の魅惑ならば、それも映画の魅惑なのである。

淀川長治さんは、よくこんな意味のことを言われた。「どんな映画にも必ず良いところがある。それをみつけなさい」私もそうありたいと思っている。若い頃「映画友の会」で身近かに学ばせていただき、そうした観方が染みついている。高見に立って、しかめっ面をして辛口の批評ばかり連発しているような人には、決してなれないのだ。

もちろん、私にだって腹の立つような映画は、存在しないわけではない。このことに関しても淀川長治さんは、こう言われている。「軽蔑して見捨てる冷たさがあるので、これは非人情だと自戒しているのですが、これも性格で仕方ないことです」(昨年のキネ旬4月下旬号「再録 淀川さんの言葉」より抜粋)私は全面的に共感する。「どんな映画にも良いところを見つける」精神で映画を楽しみ、数少ない腹のたつ映画については、そんなものを貶すことに無益な時間を使わず見捨てるようにして、今年も私は明るく楽しく、映画三昧の日々を続けていくことにしたいと思うのである。

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