周磨 要の 2011 ピンク映画カタログ


●周磨 要プロフィル
映画ファン歴は、小学生の頃の東映時代劇に端を発し、現在は「無声映画からピンク映画まで古今東西邦洋を問わず、すべての映画を愛する男」になって、約50年の映画好きである。

そんなことから24時間映画三昧の日々を過ごしたいと常に念じつつ、結局お固い東京電力社員として2002年まで勤め上げ、叩き上げの下級管理職として55歳の定年退職を迎えるに至った。まあ、母子家庭の貧しさから、義務教育を終えたら自立せねばならず、中学卒業して教習手当を戴きながら学べる東電学園に入学した男の、必然の帰結と言えるだろう。

その後、関連会社に再就職して、その第二の人生を2007年の60歳で再度定年。同会社に月10日勤務の嘱託で残留、この時点ではとりあえず1日の半分の12時間映画三昧の生活になったと言えようか。そして、2年間の嘱託契約期間満了!2009年6月、ついに念願の、24時間映画三昧の日々が訪れた。

1年通しての映画三昧の2010年を終え、新たな2011年を迎える。映画好きが嵩じ、10年程前から話術研究会「蛙の会」で活弁の勉強を始め、ついに映画に手を出し口を出すことになり、年に一度の公演は私の人生の柱の一つである。また、「無声映画鑑賞会」での配布を中心に発行している「蛙の会」の機関誌「話芸あれこれ」の編集発行は、A4で4頁を基本としたささやかなものだが、これも私の活動としてはかなりの比重を占める。

そして、昨年「人妻教師 レイプ揉みしごく」「奴隷船」の二本で、出演者としてクレジットされ、ついに映画に顔を出すまでに至ってしまった。今年も、清水大敬組の私の出演作「愛人OL えぐり折檻」(大敬監督は「周磨ッ波」という粋な芸名を命名してくれました)、そしてSPECIAL THANKSのクレジットが予定されている池島ゆたか監督作品「その男エロにつき アデュー〜!久保新二物語」(DVD発売がベースだが、ユーロスペースにて劇場公開もあり)の昨年撮影済みの二本が、今年の公開を控えている。

その他、この「ぼくら新聞・13号倉庫」HPの各種コーナー、映画検定1級合格者対象「映画検定外伝〜映検1級合格者による映画のススメ〜」の活動もしていきたいと思います。
「周磨 要の映画三昧日記」
周磨 要のピンク映画カタログ 2005
周磨 要のピンク映画カタログ 2006
周磨 要のピンク映画カタログ 2007
●周磨 要のピンク映画カタログ 2008
周磨 要のピンク映画カタログ 2009
●周磨 要のピンク映画カタログ 2010
周磨要の掲示板 

「周磨 要の湯布院日記」

「周磨 要のピンク日記」
「おたべちゃんのシネマシネマ」
2011年ピンク映画カタログ−22

2011年11月17日(木) ●上野オークラ劇場
「痴漢電車 聖子のお尻」 1985年公開
監督・滝田洋二郎 脚本・高木功,片岡修二 主演・麻生うさぎ,彰佳響子

私が未見の期待の滝田ピンク、ポスターによると大変なミステリーらしい。しかも脚本は鬼才の高木功に加え、連名で「地獄のローパー」を筆頭とする早乙女宏美SMシリーズの監督・片岡修二まで加わっている。期待し過ぎてもし過ぎることはない。

と、期待が大きかったせいか、ちょっと肩透かしだった。確かに密室殺人のトリック再現などは、本格ミステリーの仕掛け十分だが、この手は前年1984年「痴漢電車 下着検札」の二番煎じに過ぎない。むしろこの映画の楽しさは、黒澤明「天国と地獄」を軽くパクったりする軽い乗りの楽しさといえよう。そう、割り切って観れば、これはこれでかなり面白い。

まずは、かい人21面相のグリコ脅迫事件という時流を、早速に取り込んでいるのが大いに楽しい。また、脅迫による金銭受け渡し場所を、「天国と地獄」をセコく再現するのも笑わせてくれる。黒澤版では新幹線のこだまだが、滝田版は小田急線。金を詰めるものが、黒澤版がスマートなアタッシュケースなら、滝田版は米俵。それを落す場所が黒澤版が大井川なら、滝田版は多摩川。すべてをセコくパロッてくれるのである。

多摩川河原に米俵を落すシーンは本格的ロケだ。もちろん、黒澤映画のように車両を借りきれるわけもなく、完全なゲリラ撮影だろう。この他にも、電車内をチンドン屋が練り歩いたりやりたい放題で、とてもゲリラ撮影とは思えない。出演者の一人の池島ゆたかなどは、網棚の上に寝そべったりする。(前年の「痴漢電車 極秘本番」で蛍雪次郎演じる忍者姿の猿飛佐助が、やはり網棚に寝そべった前例はあるが…)小田急全面協力が謳われても不思議はない程、自由自在な画面創りなのだ。これがゲリラで許されたのだから、大らかな時代だったということだろう。

お話は軽い乗りのしろもので他愛ない。むしろ、その乗りを楽しむべき映画だろう。宮崎県農協理事長の池島ゆたかはササニシキの市場独占を目論んで、かい人21面相を騙ってコシヒカリに毒を入れたと脅迫電話をかける。アタフタする米屋の主人が、映画評論家の秋本鉄次という遊びも楽しい。遊びといえば、TVリポーターとして片岡修二も顔を出している。

ところが、宮崎県農協の方にもかい人21面相から、1億円を出せとの脅迫電話がかかる。犯人は農協の元経理担当で、使い込みで退職した江口高信とあっさり割れるが、問題は彼が密室で殺害され、1億円はどこにも無かったということだ。現金輸送の協力を頼まれたのが、何故かチンドン屋の蛍雪次郎で、唯一の部外者ということから1億円強奪犯人の嫌疑をかけられ、無実を立証するために犯人探しに奔走するとの、何とも人を喰った展開だ。このあたりのファジーな設定からしても、これは軽い乗りの映画で本格ミステリーとは程遠い作品だと言える。

重要な参考人として、殺された江口高信の恋人の彰佳響子が浮上する。彼女と蛍雪次郎は、以前に痴漢がらみで遭遇した。蛍雪次郎は、彰佳響子の太股のつけ根にほくろがあることを確認している。(あれ、こんなところにクリトリスが?とそそっかしい感違いが何ともおかしい)そこで蛍雪次郎は、電車内で痴漢をしまくって、彰佳響子を探すことになる。前年の「痴漢電車 下着検札」のマン拓もそうだが、何でもかんでも痴漢に結びつけてしまう破天荒な滝田ピンクである。

真相もあっけない。農協の現在の経理担当で池島ゆたか理事長の愛人の竹村祐佳が、元経理担当の江口高信と示し合わせて企んだ犯罪だった。江口高信の使い込みの張本人も竹村祐佳であり、今回の絵図を引いたのも彼女だった。そして邪魔になった江口高信を殺害し、1億円を独り占めにしたわけである。

蛍雪次郎と彰佳響子は、自分の無実を晴らすために協力して罠を張り、ついに竹村祐佳に殺人未遂を犯す状況に追い込み、密室トリックを再現させる。このあたりの展開は、前年の「痴漢電車 下着検札」の二番煎じであることをさておけば、なかなか楽しませるのはまちがいない。

痴漢描写を別にしてもエロい描写もタップリだ。蛍雪次郎にはチンドン屋仲間の麻生うさぎの愛人がおり、当然からみはある。竹村祐佳=池島ゆたか、彰佳響子=江口高信と、からみカップルに事は欠かない。そして、滝田洋二郎はこっちのエロい盛り上げも巧みである(多分?)。なぜかといえば、陰影の深い照明で女体のヌード曲線をエロチックに盛り上げている画面創りだと思うのだが、上野オークラ劇場のディジタル上映がひど過ぎるのだ。多分、味のある濡れ場だろうと想像できるだけで、実際の画面はまっ黒け、何が何だかさっぱりわからない。

新東宝作品のディジタル上映は、改善されつつあるとはいえ、今回のソフトはひどかった。これは劇場よりも新東宝の問題だろう。まさかVHSからディジタルソフトを起こすということをやったんだろうか。はっきり言って、これは木戸銭の取れる映像ではないことを、ここで言明しておきたい。ピンク映画で肝心の濡れ場が全然見えなくてどうする!と、声を大にして言っておきたい。冒頭に記した「期待外れ」のかなりの部分は、実はこの映像の粗悪さにあるのかもしれない。

「女歯科医 ヌクのが上手!」(旧題「美人歯科 いじくり抜き治療」) 2008年公開
監督・国沢実  脚本・樫原新七  主演・椎名りく,伊沢涼子

私が名付けるところの「金太郎飴映画」というのがある。要するに濡れ場の方便でストーリーが転がり、お話はそのための繋ぎに過ぎない。どこから見始めてもどこでやめてもよく、どこを見ても似たような濡れ場の顔が現れる。典型的なのがXces=新田栄映画である。言ってみれば「ピンク」映画というわけである。実はピンクの王道はこちらなのかもしれないが、私は1時間通してドラマを観て面白さを感じるピンク「映画」の方が、好きなのである。

監督・国沢実=脚本・樫原新七(樫原辰郎の新たな変名らしい。しかし、変名の好きな人ですなあ)、私をピンク映画の魅力に惹きこんだ黄金コンビである。この期待の二人が、まさか「金太郎飴映画」を造るとは思わなかった。ちょっと唖然とした。前に池島ゆたか=五代暁子コンビが、「半熟売春 糸ひく愛汁」という大力作の後に「未亡人民宿 美熟乳しっぽり」という「金太郎飴映画」を造って、私は唖然としたが、案外たまにはこういう典型的ピンクの王道をやってみたいとの気持が、作家側にはあるのかもしれない。

では、映画の内容である。歯科医院が舞台だ。歯科医師は伊沢涼子、助手は歯科衛生士受験勉強中の椎名りくだ。伊沢涼子は28歳にもなるがまだ処女だ。歯科の治療に耐える男の患者の表情に興奮するS的体質である。だから治療に集中できず腕はよくない。来る患者は美貌目当てかM男ばかりである。ということで、時に治療しながら情事を妄想し、時に本当に患者にまたがっちゃったりと、濡れ場のネタには事欠かない。

伊沢涼子の妄想相手になる患者が村田頼俊、妄想からプレーに至り最後は結婚に至る患者が細井芳行、助手の椎名りくの彼氏は久保田泰也、しかし、久保田泰也はとんでもない男で会澤ともみと二股をかけている。ということで、妄想がらみも含め、伊沢涼子=村田頼俊、伊沢涼子=細井芳行、椎名りく=久保田泰也、会澤ともみ=久保田泰也と、濡れ場の順列組み合わせカップルに事は欠かない。浮気男の久保田泰也を女二人がこらしめるSMチックな見せ場もあり、ここは伊沢涼子=久保田泰也=椎名りくの3Pである。

まあ、それだけの「金太郎飴映画」だ。強いて言えば、伊沢涼子が歯科医の医療器具をオナニーに使うこと、そのシーンでは二重人格のように一人芝居で、いやらしい女とそれをたしなめる女という形で、伊沢涼子が演じ分けてみせるあたりが、国沢実=樫原辰郎のブッ飛びコンビの片鱗が伺える程度か。

「夏の愛人 おいしい男のつくり方」 2011年公開
監督・脚本・工藤雅典  主演・星野あかり,酒井あずさ

前作の冒頭で話題にした「金太郎飴映画」であるが、その専売特許が新田栄作品に代表されるXces映画であった。私の好みではなかったが、最近のXcesは大幅な軌道修正が見られ、天の邪鬼なもので、私は過去のXcesにある種のなつかしさを感じている。

数年前のXcesは、年20〜30本の大量製作だった。そして、2本同時封切というのが嬉しかった。この頃のピンク映画大賞投票資格は現在の20本以上よりハードルの高い25本以上だった。年末になって投票資格ゲットのための本数稼ぎに、Xces2本新作を一気に見られる封切は、実に美味しかった。ただ、それは本数稼ぎに美味しいというだけのことである。

封切は新橋ロマン劇場が多かったが、当然ピンク映画館だから旧作が一本併映につく。これもXces作品のことが多かった。これはもう拷問というか、地獄に近い3時間であった。フラリと入り、濡れ場のいくつかを見たらフラリと出ていく「金太郎飴映画」を、『1時間通してドラマを観て面白さを感じるピンク「映画」の方が、好き』なんてのたまわっている私が3時間つきあうのだから、拷問地獄になって当然である。「投票資格ゲットのため」なんて、動機が不純なのだから、それも天罰というものだろう。

だが、いまやXcesも年数本、今年の正月作品「色恋沙汰貞子の冒険 私の愛した性具たちよ…」なんて、流血・殺人御法度のいわゆるOPコードから照らすと、とんでもないスプラッタの意欲作だった。今や新東宝はエロチックVシネ発売前のショーウインドウ化し、Xcesは本数激減で、ピンク映画=OP映画の趣きになってしまっているので、ゲリラ化したXcesへの期待は、私は大である。

前置きが長くなった。さて、Xces最新作(今年封切2本目)「夏の愛人 おいしい男のつくり方」である。まずポスターがお洒落だ。ピンク映画のポスターといえば、若手女優がアラレもない痴態で、エロっぽさムンムンというのが定番だが、「夏の愛人」のポスターはバストトップは出ているとはいえ、女性も観られるソフトポルノ的な品の良さなのである。

編集者の愛人だった星野あかりが、かつては売れっ子だったが今は落ち目の作家の那波隆史に次第に心を寄せていく顛末が、ポスターどおりソフトポルノ的にお洒落チックに綴られていく。デビュー間も無く受賞したものの、世間と迎合できない繊細な神経の作家を那波隆史が好演する。

設定は今年の夏といったことのようで、日本は電力不足でやたらと停電する。それに備えて那波隆史は部屋中に蝋燭を立てていて、その灯りの中で、濡れ場がファンタスティックにロマンチックに展開する。実際は今年の夏は各種対策の結果で停電はなく、仮に停電があったとしても計画停電で、突然電気が止まることはありえない。まあ、このあたりはファンタジーのパラレルワールドと思えばいいのだろう。

ソフトポルノとしては、可もなく不可もなくという仕上がりになっている。しかし、今や私にとって期待のXcesなのだから、もう一つブッ飛んでほしかったとおもうのが本音である。
2011年ピンク映画カタログ−21

2011年11月7日(土) ●上野オークラ劇場
「美畜令嬢 おとなしそうな顔して」 (旧題「深窓の令嬢 レイプ狂い」) 1996年公開
監督・浜野佐知  脚本・山崎邦紀  主演・遠藤悠美,田口あゆみ

遠藤悠美の女子大生は、毎夜自宅で夜這いに来る男にレイプされる淫夢に悩まされる。レイプに来るのは、遠藤悠美に隠微な視線を注ぐ(と彼女は信じている)近くのブルーカラーの駐輪場整理員のオッサンだ。母の田口あゆみに助けを求めると、彼女は愛人の杉本まことと乳繰り合っていて、我関せずだ。杉本まことは、遠藤悠美の高校時代の恩師でもある。

思いあまった遠藤悠美は、カウンセラーの平賀勘一のセラピーを受ける。平賀勘一は、母の田口あゆみへの愛情依存の症状が原因として、彼女の自立を促す。そして、母の田口あゆみへも、娘の遠藤悠美へ愛を注ぐように助言する。すると、田口あゆみは、思い切った行動に出る。愛人の杉本まことに別れを告げ、今度は平賀勘一を誘惑してくるのである。

平賀勘一は真相に気付く。病んでいるのは母の田口あゆみの方であった。娘が心を寄せた者を、片端から奪っていく性癖、これを取り除くのが遠藤悠美への、最良の治療法であったのだ。

結構これは、浜野佐知映画風のアナーキーな題材だが、これが3Pや4Pのような展開に至らないので、むしろこんな夢分析的な世界は脚本・山崎邦紀ワールドなのかもしれない。でも、濡れ場のアヘアヘ絶叫演出は、完全に浜野流アナーキー世界であった。

夢の中のレイプ相手の駐輪場整理員のオッサンと、激しい雨の中で遠藤悠美が突然遭遇し失神する。このオッサン、実像は奥さんの手弁当を自慢する家庭的な善人で、失神した彼女を優しく介抱する。このあたりの転調は、効果的に効いている。

田口あゆみに三下り半をつきつけられた杉本まことが、ヤケになって女にはレイプ願望があるとの屁理屈で、娘の遠藤悠美をレイプしようとする件りがある。「女にレイプ願望があるなんて、男の勝手な妄想よ!」と、激しく杉本まことをなじる遠藤悠美の母の田口あゆみに、女流作家・浜野の佐知の一面がほの見えた気がした。

カウンセラーの平賀勘一の妻がベテランの吉行由実。夫が患者のことばかり気にしており欲求不満気味で、激しく体をぶつけ、ストーリーの本筋とは関係なく、ベテラン同志ならではの激しい濡れ場のサービスもある。あれやこれや、浜野佐知流アナーキー世界の奔流が乏しいのは不満だが、これはこれでそれなりのピンクエンタテインメントと言えよう。

「OL 金曜日の情事」 2000年公開
監督・深町章  脚本・岡輝男  主演・山崎瞳,佐々木麻由子

脚本・岡輝男が幽霊ファンタジーを仕掛け、監督・深町章が巧みなストーリーテリングでまとめあげる。ベテラン二人の安心して楽しめるピンクエンタテインメントだ。

サラリーマン岡田智宏は、先輩の佐々木麻由子の愛人として可愛がられていた。しかし、佐々木麻由子は保身のため、上司の「かわさきひろゆき」に乗り換えてしまう。しかし、岡田智宏は同僚の山崎瞳と愛しあうようになり、二人は彼の自宅で金曜日の情事を楽しむ仲になる。

お局さま的な存在の佐々木麻由子は傲慢なので、おいしいお茶をかいがいしくしく入れる山崎瞳は、逆に皆から愛されている。しかし、突然に山崎瞳は交通事故でこの世を去る。寂しくなる職場の面々。だが、ある朝に何事もなかったように、彼女は生前同様に出勤し、にこやかにみんなのお茶を入れに現れる。

山崎瞳はこの世に想いを残していたから、49日を過ぎるまで自分の死に気付くことがなかったのだ。それに気付いた山崎瞳は、49日の日に岡田智宏に、別れを告げて永遠にこの世から去っていく。ルーチンワークのお話ではあるが、深町章=岡輝男のベテラン監督=脚本コンビは、それなりに飽きさせず最後まで観客の興味を持続させていく。

話の本筋とは関係ないが、「かわさきひろゆき」が会長に幽霊の処遇を相談に赴くシーンがある。会長を演じているのが池島ゆたか、2000年作品だからこの頃は50歳代だ。しかし、老け役メークをしており、これが何と!現在の池島ゆたかに瓜二つなのだ。かつてオースン・ウェルズが「市民ケーン」の老けメークで、自らの老後の姿を予言してみせたが、それでも体型は予言よりもかなり太目になってしまったのが現実だった。池島ゆたかの予言ぶりはオーソン・ウェルズの上を行っていたのはまちがいない。

この話の本筋と関係のないところで、池島ゆたかは若い愛人の時任歩と延々とワンカットでユーモラスにイチャついてみせる。ベテランならではの見せ場ではあるが、ややストーリーを中断して邪魔でもあった。また、佐々木麻由子と「かわさきひろゆき」の延々たる濡れ場も、芸達者同志でそれなりに見せるとはいえ、やはりストーリーを中断して邪魔でもあった。

ワンアイデアストーリーであるから、60分を持たせるには濡れ場で引っ張るしかなかったのは判るが、ストーリーへの興味と濡れ場のバランスが、エンタテインメントとして微妙に崩れてしまった一編ともいえる。

「OL適齢期 おしゃぶり同棲中」 2011年公開
監督・加藤義一  脚本・百地優子  主演・あずみ恋,しじみ

mixi仲間軍団のピンク映画エキストラ出演が増殖中である。私にしてからが、清水大敬組・池島ゆたか組・後藤大輔組・田中康文組をmixi仲間と渡り歩いており、ついに先日は国沢実組にまで進出した。私は未経験だが、この仲間の中には加藤義一組・友松直之組の常連さんもいるという。いずれも、エキストラ以上だが端役未満という猛者ばかりである。これだけの組に参加しているということは、もはや現在ピンク界の王道を闊歩していると言ってよく、ピンク映画館のスクリーンのバックは、お馴染みの面子で占拠されているということだ。ここまでくるとこのmixi軍団は、ピンク映画界の大部屋という趣きになってきた。

そんな大部屋の中から、頭一つ抜き出た存在が現れた。「OL適齢期 おしゃぶり同棲中」の脚本家・百地優子である。知る人ぞ知るmixiネーム「もち」さんなのだ。

普段は、脚本を意識して映画を観ることは少ないのだが、こうなると脚本を意識せざるえない。まずビックリしたのは、女3人のあずみ恋・しじみ・酒井あずさ、男3人の岡田智宏・津田篤・サーモン鮭山が、順列組合わせでキッチリからむ練達の職人技の脚本だったことだ。これは脚本協力の中堅作家・近藤力の指導よろしきを得た結果なのだろうか。それを考えても、新人離れした構成力である。

ただ、新人に期待するのは職人的テクニックではなく、百地優子の作家性であろう。私は二つの点で、百地優子の個性を感じた。一つは出て来る男共が全員ヘタレであること、そしてヘタレである男にこそ愛おしさを感じる作家・百地優子の視線を感じた。もう一つはそんな男に対する女が、ピンク映画には珍しく意外と平均的家庭の幸福を志向しているように見えたことだ。以下は作品に則して、このあたりを語ってみたい。

この映画には3組の男女カップルが登場する。1組目があずみ恋=津田篤のカップルだ。ズルズルと同棲を続けているが、あずみ恋には結婚と華やかな挙式願望が強く、二人共通の貯金通帳に資金を貯めることを提案する。津田篤は生活力のない男で、一応は小説を書くという未来への夢もあるのだが、それも「楽しみ」とか言っている程度の根性の無さだ。

2組目は、あずみ恋の会社の同僚の「しじみ」と、上司のサーモン鮭山だ。3組目は、あずみ恋の高校時代の恩師で在学中に彼女と男と女の関係にあった岡田智宏と、妻の酒井あずさだ。

岡田智宏は、生活指導に厳しい熱血教師だった。指導が行き過ぎて、女生徒を殴り顔を傷つけてしまう。母親は怒り狂い、岡田知宏は辞職に追い込まれる。実は、彼女は女生徒を殴ってはおらず、顔を傷つけたのはツッパリ仲間だった。厳しい教師をウザく思っていたツッパリ仲間が仕掛けた罠だったのだ。

このモンスターペアレンツを感じさせる母親役が倖田李梨。ヒステリックに騒ぐわけでもないのに、不気味な存在感を振りまく。ヌードも濡れ場もないカメオ出演だが、それでもこれだけの存在感!オークラ劇場のアイドル倖田李梨、ここでも絶好調である。

人がいいだけが取りえの岡田知宏は、甘んじて無実の罪を受けて辞職するのだ。しかし、ここはちょっと説明不足だ。いくら人がよくったって、みすみす罠を引き受けて辞職することはあるまい。生徒のあずみ恋と男女の関係を持っていた引け目からだろうか。このあたりはちょっと説明不足だ。辞職した岡田智宏は、その後は無為に熟の講師を続ける。人のいいだけで無気力な夫に嫌気がさし、妻の酒井あずさは彼の下を去る。

こんな3組をスタートにドラマが転がりだす。あずみ恋は会社の昼休みに、同僚の「しじみ」に対して、同棲相手の津田篤がもう一つピリッとしないのを嘆く。そして、同窓会出席のために一時帰郷することを告げる。「同窓会って、昔の仲の焼けぼっくいに火がついたりして…」、「しじみ」は会社同僚のあずみ恋を煽る

あずみ恋としては、しばらく同窓会で家を空ける自分に対し、多少は津田篤にヤキモキしてもらいたかったところだ。しかし、メールなんかも来ない。やっと来たと思ったら、彼女が結婚資金の通帳からお金を下ろしたことへの問い合わせだ。気になるのは金のことだけかと、さすがにあずみ恋はウンザリする。そして、「しじみ」の言ったように「焼けぼっくいに火がつき」、妻の酒井あずさと別居中をいいことに、かつての恩師の岡田智宏とベッドインしてしまう。

東京の方にも動きがある。「しじみ」の上司のサーモン鮭山は、出世コースでイタリア勤務になる。この機会に結婚を切り出した「しじみ」に対し、離婚は出世に響くから結婚はしない方がよいと、冷たい態度である。

サーモン鮭山の気持が所詮は遊びであったことを知った「しじみ」は、ヤケになってあずみ恋が留守なのを承知の上で、津田篤のところに押しかけ、泥酔して愚痴をしゃべりまくり、津田篤を潰してしまう。そして眠りこけた津田篤の上にまたがってしまい、彼の下腹部に「ごちそうさま」とメモを乗せて去って行く。

ということで、キャラの立った3組のカップル、あずみ恋=津田篤、「しじみ」=サーモン鮭山、岡田智宏=酒井あずさをからませて、ドラマの展開であずみ恋=岡田智宏、「しじみ」=津田篤という新たなからみに展開させていく。これは、脚本協力・近藤力のサポートがあったにせよ、この百地優子の新人離れしたピンク的構成力は感嘆せざるをえない。

テクニック的なことはさておいて、内容から百地優子の作家性を見てみよう。まず、3人の男が見事なまでに全員ヘタレだということだ。いや、メインキャストだけではなく、あずみ恋と「しじみ」の同僚男性社員が、昼休みに他愛なくバレーボールに興じている風景も含めて、ホントにこの映画の男はヘタレだらけだ。そして大切なのは、こうしたヘタレ男こそ愛おしいとの視線が、感じられる部分である。このあたりが百地優子の個性ではなかろうか。

もう一つの作家的個性は、女達が意外と平凡な結婚願望を求めている価値感ではないだろうか。あずさ恋と津田篤は、それぞれの浮気体験を通じて一皮剥けて、結婚式準備にまっしぐらとなる。幸い子供も授かった。(といってもこの子は津田篤と岡田智宏とどっちの子?といったあたりは気になるところだ。そこを曖昧のまま終わらせた理由は何だろう?)

酒井あずさも夫の岡田智宏の下に戻って行く。この、ヘタレでも何でも身近な男女が寄り添っていくことをハッピーと見るところが、百地優子の作家性といったところだろう。第1作だけでこう決めつけるのは、勿論のこと早計であることは認める。ただ、処女作に作家のすべてが現れるというのもまた、もう一つの真実だ。作家・百地優子の今後に注目していきたい。

百地優子自身も、出演者としてクレジットされてはいないが、出演している。エキストラではなくかなり長い台詞のある役だ。同窓会で、近く結婚することを嬉々として報告する女性の役だった。このあたりもあるので、前記したような百地優子の作家性を推察するに至ったのである。

知人の百地優子脚本デビュー作ということで、脚本に寄り添い過ぎて語ってしまった。改めて加藤義一監督作品として観ると、ハッキリ言ってあまりよくない。一言で言えば薄味なのである。「しじみ」、サーモン鮭山という個性派を使いながら、いつものブッ飛び感覚がない。といって他の出演者のシークェンスの方にも、シットリした濡れ場の味わいが希薄だ。ロマンチックな音楽をかぶせた濡れ場は、エロさも希薄で、要はすべてが心に響いてこない。そのサラリとした描写が狙いかもしれないが、私には「薄味」としか感じられなかったのである。
2011年ピンク映画カタログ−20

2011年10月22日(土) ●上野オークラ劇場
「奪う女 中出しの誘惑」 2007年公開
監督・池島ゆたか  脚本・五代暁子  主演・春咲いつか,結城リナ

お馴染みの監督・池島ゆたか=脚本・五代暁子コンビ作品、となると私の悪癖で今回はどんな名画のパロディ=オマージュをやってくれるのか、原点探しが始まる。そして、これは「危険な情事」+ヒッチコック流の心理ホラーと見た。

もちろん、何を原本に使おうとも、断じて負け戦はしない池島=五代コンビ、今回も濡れ場をドラマに巧みに融合させ、鮮やかなピンク流エンタテインメントを完成させてみせた。OP映画コードともいえる「血」と「殺人」の御法度を逆手にとって、見事なドラマを構築しているのも良い。

主人公の春咲いつかは、両親が共に不倫相手と駆け落ちし、しかもどちらの親も引き取り手になってくれなかった哀れな過去を持つ。そんなことから全く魅力のないオドオドしたブスの眼鏡っ娘になってしまう。彼女は叔母の家で暮らすことになるのだが、待遇は奴隷同然で、従姉の大沢佑香からは徹底的に屈辱を与えられる。そんな春咲いつかにとって心の慰めになったのは、大沢佑香の学校の先輩の平川直大が、時にかけてくれる優しい言葉だった。春咲いつかは、そんな平川直大に憧れる。

それを知った従姉の大沢佑香の、春咲いつかへの屈辱的ないたぶりが始まる。大沢佑香は彼氏がいるにも関わらず平川直大を誘惑して、情事をこれみよがしに見せつける。春咲いつかに屈辱を与えるためだけの目的だ。

春咲いつかのもう一つの心の慰めは、廃品の再蘇生である。これは、大沢佑香にゴミの始末を命じられて、ぬいぐるみを大量処分させられたことから、端を発する。その後、自立した春咲いつかの部屋は、廃品を再蘇生したグッズで、美しく飾られる。

映画の冒頭は、広告業界で将来を嘱望されているプランナー結城リナと、そんな春咲いつかのゴミ収集所での出会いから始まる。孤独で寂しげな春咲いつかを見て、結城リナは自分が支えてやらねばとの思いを持ち、二人は友人となる。結城リナには恋人の野村貴浩がおり、ホームパーティーに彼女を招待して、三人の晩餐となる。

奴隷のような家政婦の生活体験の成果なのか、春咲いつかの料理の腕前・家事のテキパキとした処理に、結城リナと野村貴浩は感嘆する。そして、ここからこの三人の人間関係の、心理ホラーがスタートする。

結城リナと野村貴浩の情事、広告業界で身を立てるためには30歳までが勝負と思っている結城リナは、絶対に今は妊娠するわけにはいかない。だから、恋人の野村貴浩にはコンドームの使用を厳命している。

一方、野村貴浩の方は、仮に妊娠してしまったら結婚すればいいや程度の、軽い気持しかない。その二人のズレが一つの亀裂を生む。野村貴浩は、ある日ついつい中出しをしてしまった。危ない時期だ!と激怒する結城リナ、口論の果てに野村貴浩から、春咲いつかのような家庭的な女の方がいいと、決定的な言葉が出る。

この二人の亀裂に、ジワジワと春咲いつかが割り込んでくる。ここからの春咲いつかのパラノイアぶりが、本当に怖い。結城リナと野村貴浩の仲を取り持つ風を装いながら、二人を引き裂くような情報を、次々と耳に入れる。そしてある日、結城リナと疎遠になった野村貴浩の前に、変身した姿で現れる。眼鏡を外し、髪型も衣装も派手に変え、そこにはもう気弱でオドオドしたブスの眼鏡っ娘のカケラも残っていない。この春咲いつかの変身ぶりは見事である。

これでは、野村貴浩ならずとも、クラクラッと来てしまう。野村貴浩は春咲いつかとベッドインする。春咲いつかは、ここで恐るべき仕掛けを施す。膣の仲にカプセルの血を仕込んで、初体験を装うのである。ショックと共に、野村貴浩はますます春咲いつかの想いに愛しさが高まってくる。

春咲いつかは、常に中出しを要求し、子供ができても結婚すればいいと大胆だ。そこまでの想いにまで至っていない野村貴浩にとって、次第に彼女の存在が不気味に映ってくる。特に情事のあと、結婚行進曲を口ずさみながら、半裸の体にシーツをまとって踊り狂う春咲いつかは、これはもう野村貴浩ならずとも、怪物的不気味さであろう。

ここまでの展開で、すべての濡れ場がピンク映画的方便でなく、ドラマと密接に絡んでいる見事なピンク流心理ホラーエンタテインメントであることが、お判りいただけたと思う。大沢佑香と平川直大の濡れ場は、憧れの人の痴態を春咲いつかに見せつけて屈辱を与えるのが目的だから、徹底的にエロくてよい。

結城リナと野村貴浩の濡れ場は、妊娠とコンドームの装着に対する二人の心理のすれ違いがポイントであるから、単なる見世物としての濡れ場でなく、ドラマの核となる心理描写にも直結している。膣の中に血液を仕込む春咲いつかと野村貴浩の濡れ場は、これも春咲いつかのパラノイア的不気味さに、不可欠なシーンだ。春咲いつかの半裸のシーツ踊りは濡れ場ではないが、これもピンク的エロチックな見せ場を鮮やかにドラマの核と連続させている。

池島ゆたか監督は、よく「カラミをきちんと撮れないビンク監督は駄目」とおっしゃる。確かに、どんなに映画として優れていても、ピンクの制約上から仕方なく濡れ場をはめ込んでいる作品は、優れたピンク映画とは言えないだろう。

野村貴浩は結城リナとよりを戻そうとする。ここから、春咲いつかのヒステリックな報復劇が開始される。逆恨みではあるが、怒りにたぎる思いを、廃品蘇生で美しくなった人形の首を引き抜き、全身を無残に引き裂いていく行為に籠める。これはかなり怖い。人形というのは、人の思いが籠っているので、単なるゴミとして処分せず人形供養なるものもあるので、そんな人形がメチャメチャにされていくのは、目をそむけたくなる。この映画の関係者も、人形の霊に祟られなければいいが…とちょっと心配になった。

春咲いつかは留守中の結城リナの家に、彼女と友達時代の時に持った合鍵で侵入し、結城リナを自殺に見せかけて殺害する計画を画策する。しかし、野村貴浩の救出が来て不備に終わり、発作的に刃物を手にするが、殺人の決意にまでは至れず、刃物を持ったまま号泣する。このあたりの春咲いつかも、狂気の入魂演技だ。

冒頭に記したように、「血」と「殺人」いうOP映画コードを巧みにすり抜けて、それ以上の効果を出したのが素晴しい。「血」は出ても、それは傷害の血ではなく「経血」だから問題にならない。殺人はしなくても、憎しみを籠めて無惨に人形を解体する怖さは、「殺人」以上の不気味さを感じさせる。

ラストは、二人の前から姿を消した春咲いつかが、ゴミ収集場で男に声をかけ、狂気の第二章を予感させる幕切れとなる。よくある展開ではあるが、余韻の残るラストシーンとも言えよう。

ただ、春咲いつかが、両親に見捨てられ、従姉の大沢佑香に虐待されたことだけが、この歪んだ狂気を生んだとするには、やや疑問がある。彼女が一人住まいを始め結城リナと友達になるまでに、少なくとも処女を喪失している過去がある。また、ブスの眼鏡っ娘が華麗にモデルまがいに変身するあたりも、この女の過去に一筋縄ではいかないものを感じさせる。

そのあたりの踏み込みは、60分のピンクの枠では無理なような気もするし、観客の想像力におまかせという形はラストシーンとも連動して、これはこれで余韻を残していいのではないかと思えるが、物足りなさもないではない。これについては打上げの酒席で、池島ゆたか監督に聞いてみた。監督の言によると、そこは当然考えたが、それをやると2時間のドラマになってしまうので、変に舌足らずになるよりは、観客の想像力に委ねる形を選択したとのことであった。


この日は、監督生活20周年・俳優生活30周年を記念した「池島ゆたか”大豊作祭」の最終回の日である。1日(土)は池島ゆたかプロデュース作品「多淫な人妻 ねっとり蜜月の夜」、7日(土)出演作品「女真剣師 色仕掛け乱れ指」、15日(土)監督作品「婚前生出し 未熟な腰つき」と続き、最後を飾るのが池島監督自薦作品の3本立。「欲求不満な女たち−すけべ三昧−」「セックスファミリー2 花嫁はド淫乱」「奪う女 中出しの誘惑」である。いずれの回も、池島ゆたか監督が大挙女優(男優もいるが)を引き連れての派手な舞台挨拶が行われた。私は、1日(土)と22日(土)に参加した。

この日の私の初見は「奪う女 中出しの誘惑」一本のみ。なお、「セックスファミリー2 花嫁はド淫乱」は「淫乱なる一族・第二章 絶倫の果てに」の新版改題だ。昨年のロサンゼルスの「おっぱいと血の国際映画祭」に「JAPANESE WIFE NEXT DOOR 1」のタイトルで招待された池島監督の代表作の一本である。映画祭の10分程度のドキュメントも、この日の舞台挨拶に先立って特別公開された。応援団として馳せ参じた私も、画面の隅にしっかり映っておりました。

この映画祭に同時に招待された「超いんらん 姉妹どんぶり」が「TWILIGHT DINNER」のタイトルで、この度アメリカでDVD発売されることになった。映画祭でのティーチインや現地でのインタビューも収録した特典映像満載のDVDだそうで、今回お披露目されたドキュメントも、その特典映像の一部とのことである。
2011年ピンク映画カタログ−19

2011年10月14日(金)に、私がエキストラ出演した「婚前生だし 未熟な腰つき」が公開される。この映画の初号試写鑑賞直後の感想を以下に紹介いたします。

2011年7月6日(水) ●東映ラボ・テック
「婚前生だし 未熟な腰つき」 2011年公開
監督・池島ゆたか  脚本・五代暁子  主演・夏海碧,佐々木麻由子

この映画に私は、エキストラとして参加した。最終的にはspecial thanksとしてクレジットしていただき、関係者の一員!として、初号試写を見せていただいた。そして、エキストラ参加をちょっと後悔する事態に、遭遇するのである。

撮影は曙橋のバー「ステージドア」のロケーションだった。ヒロインの夏海碧さんと高校時代の先輩の日高ゆりあさんが、カウンターで飲んでおり、会話がギクシャクして最後は夏海碧さんが半狂乱になるクライマックス(らしい?)シーンだ。我々エキストラ連は、BOX席で談笑している客である。この日は池島ゆたか監督ことmixiネーム「ミスター・ピンク」の、マイミク仲間オールスターといった賑やかな趣きだった。

それに先立つ日の、夏海碧さん・日高ゆりあさんの先輩後輩二人が和やかに飲んでいるシーンも、併せて撮影された。服は各自が2着用意して、途中で着替える算段である。クライマックスシーン(?)では監督から、「活弁さん!(私のmixiネームは「活弁オジサン」です)ゆりあがその傍のソファーに吹っ飛んでくるからね!」と警告(?)がある。

私の隣の客は「東京JOE」さんで、「えらい事になったね」「でも、突然、突きとばされてフッ飛んで来てビックリするんだから、来るぞ、来るぞなんて構えちゃいけないよね」「黒澤明だったら、そんな段取り芝居は、絶対に怒られるよね」なんて、アフレコで声は入らないから気にせずに、そんな他愛もないことを言って、自然な談笑の風を装う。

しかし、撮影というものはなかなか順調には流れないもので、日高ゆりあさんはなかなか吹っ飛んでこない。いい加減シビレを切らして、いつくるのかなあなんて、だんだん構えだしたら、見事にゆりあさんが吹っ飛んできた。完成作品を見たら、私の表情は、明らかに来るぞ、来るぞという構えた表情で、日高ゆりあさんの後ろに映っているのである。

いや、言い訳をさせてもらえば、私はこのシーンの日高ゆりあさんが吹っ飛んでくる前は、ゆりあさんの陰になって映っていないと思っていたのである。こちらの目線からはカメラが見えなかったのでそう思ったのだが、そこは微妙なところだった。しっかり映ってしまっていた。演技(?)としては最悪である。もっとも、そんな背景に視線を注目する者もいないだろうし、これはこれで監督がOKを出しているのだから、OKなのだろう。私の友人・知人の皆さん!ゆりあさんの背後に私の顔をみつけても、あまり注目しないで下さい!

この後のシーンでさらに落ちがつく。やっと日高ゆりあがさんフッ飛んできて、私や東京JOEさんは、思いっきりビックリする大熱演!(?)を果たすのだが、初号試写を見たら完全にアングルの外に切れていた。すべては徒労に終わったのでした。

そんなこんなで、半日強の2シーンの撮影は終わったのだが、この撮影に参加した限りでは「婚前生だし 未熟な腰つき」(シナリオタイトル「memory」)がどんな映画かは、全く判らない。それは初号を観てのお楽しみ、と思っていたが初号の早々で、ギャーッと撮影に参加したことを後悔する事態に遭遇するのである。

映画の冒頭は海岸である。佇んでいる野村貴浩の後ろから、夏海碧が声をかける。二人は愛し合っており、夏海碧は遠くから帰ってきたばかりらしい。二人は夏海碧の高校時代の恩師と生徒だったことも、ここで示される。野村貴浩の描写はリアルではなく、ファンタスティックに捉えられた理想の男性という趣きだ。中空に高く浮かぶ満月が、よりファンタスティックなムードを盛り上げる。

この後も、屋外から屋内へと、ファンタスティックに二人のラブラブ模様が描かれているのだが、画面に夏海碧だけが映っているシーンは、どこか異様なのである。一人芝居のモノローグのようにも見えるのだ。このどこか奇妙なムードの演出は、我々をグイグイと画面に引き込んで行く。

と、まあそんなミステリアスな映画だと思うのだが、エキストラに参加したことから、この冒頭で全体の仕掛けが見えてしまったのである。ここで、エキストラに参加した時の撮影シーンを、もう少々詳細に紹介しよう。日高ゆりあは、OLだが貧乏演劇青年の中根大にヒモのようにまとわりつかれ、ウンザリしている。そんな先輩の日高ゆりあに対し夏海碧は、ウットリと憧れの昔の恩師の野村貴浩と結婚することを告げる。

日高ゆりあの目が点になる。「あなた、しっかりしてよ。先生は死んでいるのよ!」、それを聞いた夏海碧は半狂乱になり、日高ゆりあを突き飛ばす。それがエキストラ参加の撮影シーンである。これで判るように、私は映画の冒頭で、すでに野村貴浩がこの世の人ではないという最大の落ちが、判ってしまったのだ。あ、これは昨年のピンク大賞作品「性愛夫人 淫夢にまみれて」の姉妹篇だな、とネタが割れてしまうのだ。(池島ゆたか監督作品という共通項はあるにせよ、「性愛夫人」は後藤大輔の脚本、本作「婚前生だし 未熟な腰つき」は五代暁子の脚本ということで、厳密には姉妹篇とは言い難いのだが、とりあえずここでは印象として、こう記させていただく)

つまり、冒頭の遠くから帰ってきた夏海碧というのは、容体が回復して神経科を退院してきたということであり、それなのに野村貴浩の幻影を見ているということは、実はそれ程には回復していなかったということなのでもある。映画の中で、初めて野村貴浩がこの世の者ならぬ存在では?と感じさせるのは、中盤である。公園で、夏海碧と野村貴浩が並んでブランコに乗って話しているシーンだ。この時の夏海碧だけが映っているショットで、後ろを山の手ぐり子(脚本の五代暁子の俳優としての芸名)の通行人が、怪訝な顔をして立ち止まるのである。このワンシーンだけだが、山ノ手ぐり子の存在感は、後半の展開の大きなキーポイントになり、打ち上げの席で助演女優賞だ!との声も上がっていた。

だだ、エキストラ出演ですでにネタ割れしてしまった私としては、意味深な池島ゆたか演出の味わいが、本当に鮮やかなものなのかどうか、白紙で判断できなくなってしまったのだ。この時ばかりは、エキストラ参加を本当に後悔したものだった。

池島ゆたか=五代暁子の監督・脚本コンビは、名画のオマージュ=パロディであることが多く、別に無理にそれを探すこともないのだが、私にとっては原本探しは楽しみの一つだ。人は最もつらい経験に対しては、封印して記憶喪失になるとのテーマから行けば、北川景子主演の「瞬 またたき」と言える。でも、「瞬 またたき」なんて愚作を引き合いに出しては、池島=五代コンビに失礼というものだ。ここは、アカデミー外国語映画賞にノミネートされたイスラエル映画「戦場でワルツを」だと、言っておこう。もっとも、打ち上げの席における五代暁子さんの言によると、意識したのは「パーマネント野ばら」ということだった。成程。まあ、このあたりは観客の「誤解する権利」ということでお許しください。

この手の映画のラストの決着は、良きにせよ悪しきにせよ、つらかった体験の記憶を蘇らせることにより、大団円を迎えるのだが、どんな名画を下敷きにしても絶対「負け戦」はしない池島ゆたか=五代暁子コンビ、ここでもこれまでのこの手の題材の映画としては、一味ちがった鮮やかなひとひねりを見せてくれる。

夏海碧には、近所の幼馴染の久保田泰也がいる。久保田泰也は夏海碧に愛情を感じているが、彼女にとっては兄のような存在でしかない。夏海碧が、自分を庇って交通事故で死んだ野村貴浩の記憶を蘇らせて半狂乱になり、踏切から電車に飛び込もうとする。それを救ったのは久保田泰也だった。初めて彼の男としての想いを知った夏海碧は、久保田泰也とベッドインする。だが、その野村貴浩の思い出と同様の経験を、久保田泰也と再度繰り返して経た時、彼女の記憶喪失は再発してしまう。今度は存在しない野村貴浩を夢想するのではなく、生身の久保田泰也を、野村貴浩として夢想するようになるのである。呆然とする久保田泰也であるが、愛する野村貴浩の存在に成り代わって、今後も生きていくであろうと思わせる。無償の愛に生きていくであろう久保田泰也の、若者の哀愁が実に切ない。

この時の久保田泰也の演技は、ラストシーンで印象が鮮烈なこともあるが、打ち上げでは圧倒的な好評で迎えられた。「俺の話題がぜんぜん出ない」、野村貴浩は冗談まじりであるが、やや凹み気味であった。しかし、凹む必要はない。野村貴浩は十二分に好演である。ただ、もはやベテランの域に近い野村貴浩、常に良いのはあたりまえで、いちいち「良かった」なんて言が出てこない存在になりつつあるのではないか。いってみれば「なかみつせいじ」の境地である。打ち上げで私は、そんな意味のエールを送ったのであった。

夏海碧の未亡人母を演じたのはベテラン佐々木麻由子、彼女と再婚を前提につきあっている社会人の息子を持つヤモメ男が池島ゆたか監督自身の出馬である。さすが、キャリアの長い二人、ユーモアも交えて絶品の濡れ場を演じてみせる。それ以上に、愛する佐々木麻由子の娘である夏海碧に対する気遣いも含めて、池島ゆたかは、なかなか好感の持てる熟年男であった。

サブエピソードはもう一つ、日高ゆりあとヒモ的演劇青年の中根大の関係である。日高ゆりあが中根大の携帯写メに女と映っているのを発見し難詰すると、「こういう女は劇団に一人や二人はいるんだよ」と中根大は言い逃れる。この写メの女優が演劇畑出身で、今年ピンク映画デビューした松井理子、眼鏡っ娘ぶりがいかにも!といった感じで何とも楽しい。

 私のエキストラ参加した撮影で、松井理子がこの映画の助監督もやっていることを知った。というよりメインの役割は、新人・夏海碧の演技コンサルタントといった感じである。時に共に台詞を唱和したり(アフレコだから全く問題ない)、大車輪の活躍ぶりだった。もちろん演劇出身の松井理子の演技力は、折り紙付きである。

クレジットでは松井理子は「協力」と表示されていたが、作品に力を与えたことに関しては、様々な面で貢献豊かだったと思う。「協力」の一言で済ませられない以上の存在だ。そういえば「協力」の中に、自宅をロケ場所に提供しているのが二桁回数を越えている「鎌田スタジオ所長」こと鎌田一利の名もありましたっけ。

これら三つのエピソードは、深く連動することはなく、しかしそれぞれはそれなりにサービス精神に溢れて魅力的で、まあ今回の池島ゆたか作品も、肩を抜いたエロチックエンタテインメントといったところである。しかし、それでいいのだ。去年のようにベスト1・2を独占するような意欲作ばかりでは息苦しくなる。高級フランス料理も結構だが、コンスタントに定番の美味しい味噌汁やお新香が欲しいところといった感じである。

今回の濡れ場は、映画ならではの光と影を巧みに駆使し、ほとんどボカシなしで結合部分や恥毛・男女性器が、ギリギリ見えそうで見えない描写をしているのが凄い。特に男根の挿入ピストン運動がシルエットで微かに伺えるところのエロさは息を呑んだ。映倫審査、大丈夫だろうか。ボカシを入れられたら、映画ならではの光と影の魅惑が消えてしまう。

後藤大輔「多淫な人妻 ねっとり蜜月の夜」では、「映画とは光と影の交響楽」という特性を巧みに活かし、全編ボカシなしの鮮やかな濡れ場を展開してみせたが、これに盟友の池島ゆたか監督も刺激されたのだろうか。負けず劣らず、見事な濡れ場描写だった。映画の光と影の使いには、こういう手もあるのだ。映画の可能性は無限である。
2011年ピンク映画カタログ−18

2011年10月1日(土) ●上野オークラ劇場
「完全接待 無防備なパンティーで」 (旧題「ノーパンしゃぶしゃぶ 下半身接待」) 1998年公開
監督・新田栄  脚本・岡輝男  主演・浅井理恵,一の瀬まみ

「10月は池島ゆたか月間!!」と上野オークラ劇場のチラシにある。「おめでとうございます!俳優30周年&監督20周年!!」ということで「4周連続!池島尽くしの一ヶ月!!」、他のゲストも含めた舞台挨拶の連打である。「1週目はプロデューサー。2周目は役者。3週目は監督最新作!4週目は本人チョイスの特集3本立て。」と紹介されている。

その第1週が10月1日(土)である。メインはプロデュース作品で、後藤大輔監督作品「多淫な人妻 ねっとり蜜月の夜」だ。私は池島ゆたかプロデューサーのご好意で初号試写を見せていただいているが、ここは何をさておきご祝儀もふくめて、馳せ参じねばなるまい。特に、この後の8日(土)は学園の部活の同窓会とバッティング、15日(土)は「蛙の会」リハーサルとこれもバッティングしており、後は行けるのは22日(土)なのであるから、この日は必参である。「多淫な人妻 ねっとり蜜月の夜」の私なりの感想の方は、「ピンク映画カタログ−17」で紹介したとおりです。

さて、併映作をチェックする。「完全接待 無防備なパンティーで」と「好きもの女房 ハメ狂い」だ。後者はすでに見ている。メインの「多淫な人妻 ねっとり蜜月の夜」は、「ピンク映画カタログ−17」にも記したように、再見してもいい、いやこの日に後藤監督と再会するであろうから、再見すべきだけの価値ある作品である。上野オークラ劇場での上映スケジュールを調べたら、舞台挨拶に先立っての「多淫な人妻」を観て、未見の「完全接待 無防備なパンティーで」を観るには、どうしてもサンドイッチされた「好きもの女房 ハメ狂い」も再見せざるをないようだ。

「好きもの女房 ハメ狂い」は、「ピンク日記」時代の2001年に、私は比較的好意的なレビューを寄せているが、再見したいという程のものではない。そして、未見の「完全接待 無防備なパンティーで」は、私の最も肌に合わない「金太郎飴映画」の巨匠の新田栄作品だ。さて、どうするかと思ったが、映画というのは観てナンボ、新田栄作品でも私にとって侮れない作品に、稀にブチ当たることはある。ということで、この日も未見1本、既見2本の三本立てに挑戦することとした。

さて「完全接待 無防備なパンティーで」ある。予想どおり、どこから切ってもどこで観るのをやめて帰っても、一向に差し支えない濡れ場の方便で映画が転がる典型的Xces新田栄流「金太郎飴ピンク映画」であった。ただ一見の価値はあった。

旧題は「ノーパンしゃぶしゃぶ 下半身接待」、1998年公開作だ。なるほど、これは新版改題しなければどうしようもあるまい。バブル期に、大蔵官僚を金融機関が接待した極め付けの風俗用語「ノーパンしゃぶしゃぶ」だが、いまや死語でしかない。

ということで、当時の「ノーパンしゃぶしゃぶ嬢」が主役である。夫が失業して「ノーパン嬢」として稼ぐ人妻、女子大生のアルバイト、部長とのオフィスラブがばれて失職し就活中の女と、いかにもそれらしい面子が揃う。接待を受ける側も権力乱用の現職市長、入試がらみの袖の下で稼ぐ大学教授、有名銀行の人事担当者と、絵に書いたようなメンバーだ。要はこれらが順列組み合わせで絡んでいく典型的「金太郎飴映画」となるわけである。

「想定内」の新田栄映画であったが、期待しなかったせいか、私は意外と面白くみた。それは女優の魅力である。就活女史を故林由美香さんが演じていたのを始め、女優陣がそれなりのフェースとボディなのである。新田栄「金太郎飴映画」がウンザリするのは、ド素人の魅力を全面に出したい意図があるのかはしらないが、とにかくフェースもボディも木戸銭を払えないような女が頻出するのに、ウンザリさせられるからだ。その意味では、今回はホッとした。特に最近の「監督失格」で、また私のイメージを新たにした林由美香さんと、スクリーンで再会できたのは、本当によかった。

でも「ノーパンしゃぶしゃぶ」って、そんなに魅力的なんだろうか。私はエッチの時には食欲は考えないし、喰ってる時は性欲はどうでもいいような気がしている。最近の「エッセンシャル・キリング」で、生死の危機に追い詰められた男が、性欲と食欲が混沌としてしまう壮絶さには、深く心を揺り動かされたが、私としては寅さん流に言えば、「飯食ってる時に、エッチ考えるかよ!」という心境である。ただ、「女体盛り」とか「ワカメ酒」とかの伝統もあるように、日常感覚で性欲と食欲を混濁させたい心情は、案外普遍的なのかもしれない。
2011年ピンク映画カタログ−17

2011年9月14日(水)公開題名判明の件
2009年「ピンク映画カタログ−26」で、新版公開題名は判っているが、その他の情報はほとんど判らないために、公開時題名が私にとって全く不明の6本の作品を紹介した。「浮気妻 濡れ濡れ生下着」「男を買う女たち とろける」「婦人科医院 診察台の情事」「変態姉妹 ナマでお願い」「未亡人 しびれる性感帯」「団地妻 変態体位」である。

ひょんなことから映画ライターの中村勝則さんに最近この話題を出したら、そういうことには「萌える」からと調査依頼に快く応じてくれた。そして、あっさり回答が出た。

「浮気妻 濡れ濡れ生下着」→「ザ・ペッティング 吸って咬む」(1994年公開)
「男を買う女たち とろける」→「女性専用 出張性感ホスト」(1995年公開)
「婦人科医院 診察台の情事」→「官能病院 性感帯診察」(1994年公開)
「変態姉妹 ナマでお願い」(小林悟)→「エッチな姉妹 出張逆ソープ」(1995年公開)
「未亡人 しびれる性感帯」(深町章)→「新・未亡人下宿 間借り穴借り」(1995年公開)
「団地妻 変態体位」(鈴木敬晴)→「官能団地 悶絶異常妻」(1992年公開)

何ともあっけない幕切れだった。中村さんのコメントによると「周磨さんの鑑賞日をもとに、PGサイトの新版リストで調べたらすぐにわかりました(^_^)vではでは」とのことだった。確かに再確認したら、PGは2009年以降の新版(再映)作品が、今では網羅されるようにリニューアルされていたのですね。「PG−Web−Site」の林田義行さんの地道な努力に、感謝感謝である。私のチェック不足でスミマセン。

●いよいよ残るは不明作品2本
この機会に改めて、ピンク映画鑑賞作品リストを改めて洗い出したら、さらに2本の作品が浮上した。一本は「2010年ピンク映画カタログ−5」で紹介した「懺悔M」である。

もう一本は90年代半ば頃に松島政一さんの「現代映像研究会」で上映された「女湯!女湯!女湯!」だ。チラシによると山本晋也監督作品・70年度・東京興映作品となっているが、キネ旬のリストでは、70年には山本晋也に東京興映作品はないし、それらしいタイトルの映画もない。日本映画データベースによれば69年に「女湯物語」という東京興映作品があるが、それの改題なのか。

その2本に関して再度、中村勝則さんに照会した。

「懺悔M」に関しては
「確かにネットでは見事なまで引っかかりませんが、私の記憶ではこれは確かに87〜88年くらいに劇場公開されています。日本映画データベースで引っかからないのは、単にキネ旬リストから漏れてたからだと思われますが、当時の配給はミリオンフィルム(現ヒューマックス)で、シネマスコーレでの1988年3月28日公開は、名古屋地区での封切りのはずです。ちなみにこの時の併映「悪戯」(代々木忠監督)も同様にキネ旬リストから漏れてるようで、日本映画データベースでも引っかかりませんね。」 とのことでした。

「女湯!女湯!女湯!」に関しては
『「女湯!女湯!女湯!」は、以前大陸書房から発売された(中略)VHSをダビングしたものを持ってますが、これは封切りタイトルだと思いますよ』 とのことだった。

いずれにしても、この2本は謎のまま残った。どうも、キネ旬リストに漏れると、日本映画データベースでも浚えなくなるというのが、現状のようである。あらためて、他のことはともかく「映画界官報」としての「キネマ旬報」にしっかりしていただきたいと、お願いする次第だ。


2011年9月30日(金)上野オークラ劇場で、「多淫な人妻 ねっとり蜜月の夜」が公開される。この映画を5月14日(火)に後藤大輔監督と池島ゆたかプロデューサーのご好意で、観せていただいた。以下は、その時点における私の感想である。

2011年5月14日(火) ●東映ラボ・テック
「多淫な人妻 ねっとり蜜月の夜」 2011年公開
監督・脚本・後藤大輔  主演・桃井早苗,千川彩奈

後藤大輔監督と池島ゆたかプロデューサーのご好意で、初号試写を観せていただいた。毎度毎度の感謝である。

この映画のmixi上の最初の情報は「多淫や人妻 ねっとり蜜月の夜」だった。『関西弁で「人妻はみんな凄く淫乱や」ちう意味やね』との書き込みがあった。確かに関西弁のタイトルというのは極めて珍しい。(「浪花ノーパン娘 我慢でけへん」というのもあるにはあったが…)と思っていたら、実際のメインタイトルを見たら「多淫な人妻」で、単なる打ちまちがいであった。どうでもいいが何となくユーモラスな、初号試写前段のエピソードである。

「映画は眼で観せる」、故淀川長治さんの名言である。私は全面的に共感する。「映画とは光と影の交響楽」という言葉もある。後藤大輔監督の新作は、こうした映画の王道を歩み、相変わらず光と影を見事に使ったパワーある映像と、時制を錯綜させた映画話法の語りの巧みさで魅せきって見せた。

実は、観終わった後にストーリーを時系列に組み直してみると、意外と平凡な展開であることが見えてくる。しかし、観ている時はそんなことは全く気にならず、一気に魅せきってしまう。これが「眼で観せる映画」ならではの「映画」と言えると思う。

登場人物は、男女カップル3組の6人のみというシンプルさだ。一組のカップルが、嫉妬がらみで一組の夫婦が疑心暗鬼になるような電話を入れ、夫婦関係は崩壊寸前になる。そこに、自殺願望のもう一組のカップルがからみ、紆余曲折の末に、共に二組とも二人でやり直そうとのハッピーエンドになる。整理すると、意外と仕掛けは単純(と言って悪ければシンプル)なのである。

一組目は琥珀うたと久保田泰也の若いカップルだ。琥珀うたは万引きを警官の野村貴浩に見つかり、以後は野村貴浩は彼女を更生させようと、度々会って説教をする。琥珀うたは鬱陶しくて仕方がない。ついにキレて、自宅に電話をかけて野村貴浩の妻の桃井早苗に、万引きをつかまったきっかけに不倫関係に入ったと、嘘の密告をする。

それを横で聞いていた久保田泰也は、琥珀うたと野村貴浩は、実は本当に不倫関係にあると邪推し、野村貴浩にあんたの妻は不倫していると、嫉妬混じりにこれも虚偽の密告をする。

野村貴浩は、月給取りの警官には不相応な大邸宅に住んでいる。これは妻の桃井早苗が社長の娘であり、実家からの援助の結果である。妻は、夫の野村貴浩を実家の会社にそれなりの待遇で迎えたいと思っている。しかし、野村貴浩は熱血警察官で、何度も刑事任用試験にチャレンジしている人間であり、そういう話には乗らない。当然、夫婦関係はギクシャクしている。そこに、双方に入った不倫疑惑の密告だ。

桃井早苗は激しい夫婦喧嘩をした朝、夫が出勤した後、家出してしまう。野村貴浩の方は出勤後に、その日は深夜に帰り強盗の犯行に見せかけ妻を葬る殺人計画を立てる。

三組目のカップルは、千川彩奈と岡田智宏の自殺願望コンビだ。車を暴走させ、崖から飛び込むことも試みるが、人間の本能で反射的にブレーキを踏んでしまい、なかなか死に切れない。とにかく今晩は、最後のプレイを楽しんで死ぬのは明日にしようということになる。

幸い豪華な留守宅が一軒あった。桃井早苗=野村貴浩夫婦の家である。室内に忍びこみ、千川彩奈を全裸で縛り上げベッドに放置し、いったん岡田智宏は屋外に引き揚げた後、スキー帽をかぶった強盗を装って侵入し、SMごっこを楽しもうというのである。

ところが、先に侵入して来たのは強盗を装って妻を殺そうと目論んだ野村貴浩の方だった。スキー帽は岡田智宏のかぶっているものと、全く同じである。SMプレーのつもりでいた千川彩奈は、全く鮮やかに見事なまでに野村貴浩に犯されてしまう。一拍遅れて乗り込んで来た岡田智宏は、彼女が野村貴浩に犯されてしまい、号泣する破目になる。しかし、このトラブルをきっかけに千川彩奈と岡田智宏は、お互いを愛しく思う心が高まり、二人で生き直す気力が湧いてくる。

一方、家出した桃井早苗の方は、昔の彼と浮気するつもりであったが決心がつかず、野村貴浩と佇んだ想い出の崖の上で、彼への愛しさが蘇り早朝に帰宅して、SMごっこに巻き込まれるというとんでもない経験を通過して心が一皮剥けた夫の野村貴浩と再会し、この二人もお互い生き直していく気持が目覚めてくる。

時系列に並べると、どうってない話であるが、それを当日の夜を起点にし、「8時間前」「8時間前→12時間前」「1ヶ月前」のタイトルを挟んで時制を錯綜させ、事態の全貌が次第に露わになっていく映画話法は、我々をグイグイ引き込んでいく。また、桃井早苗と千川彩奈=岡田智宏カップルが、全く意識しないまま遭遇し、また桃井早苗の想い出の崖と、桃井早苗と千川彩奈=岡田智宏カップルが自殺を試みた崖が、期せずして同一場所であるという洒落た仕掛けもある。

そして、映画話法の洒落っ気以上に素晴しいのは、映像のパワーである。正に「光と影の交響楽」なのだ。それも、ピンク映画ならではの光と影の巧みな使い方なのだ。冒頭、夫の野村貴浩との夫婦生活が途絶えている桃井早苗は、一人寝の夜に発光するバイブレータで自らを慰める。ほとんど暗闇の中で、性器に挿入されるバイブレータとその周辺だけが光り輝く。これ、本物?打ち上げの席で聞いたら後藤大輔監督は、「イヤイヤ、当然造り物ですよ」と軽くかわされたが、造りものだとしたら極めて精巧であり、ピンクの製作費ワクに影響しないだろうか。

まあ、本物がどうかはどうでもいいことで、本物に見えているということが素晴しいのだ。映画の光と影の持つ魅惑と威力を、このような形で用いたユニークさが素晴しい。この光るバイブレータと性器に、桃井早苗の喘ぐ表情がカットバックされる。このアップも、カーテンの隙間からの月明かりが顔に微妙な陰影を与え、とにかく徹底してエロい。

その他の濡れ場においても、普通ならばボカしがかかるようなアングルだが、光と影の巧みな陰影で、恥毛・性器がギリギリ見えそうで見えない映像の深みが見事だ。特に全裸緊縛SMシーンで、全くボカしなしで押し切った影(照明の力だろう)とポーズの工夫は、鮮やかな一言につきた。

「映画は眼で観せる」「映画とは光と影の交響楽だ」、こうした映画の魅惑の原点をピンク映画的に活かしきったのは白眉だ。映画の可能性というのは無限である。後は無粋な映倫審査員が、ボカしを強要しないことを祈るのみだ。(とにかく私が観せていただいたのは初号で、映倫試写はこの後なのだから…)
2011年ピンク映画カタログ−16

2011年8月30日(火) ●上野オークラ劇場
「好色長襦袢 若妻の悶え」 1998年公開
監督・深町章  脚本・武田浩介  主演・葉月蛍,篠原さゆり

「OLの愛汁 ラブジュース」を代表作とする鬼才・武田浩介脚本を得て、練達の職人・深町章がシンプルにコンパクトにまとめた好篇だ。登場人物は女3人に男2人のみ、それが運命の糸車のようにからみあう。

時は第二次大戦末期、葉月蛍と熊谷高文はお互いに心を寄せ合っていたが、貧しさから彼女は資産家の杉本まことの家に嫁がねばならない。川の畔での別れ、「いっちゃえ、いっちゃえ」と呟く熊谷高文の切なさが、印象に残る。若き日の葉月蛍のセーラー服にモンペという姿が初々しい。

そして終戦、二人の立場は、それぞれ大きく変化する。復員した杉本まことは、戦傷により両手両足麻痺、声は潰され耳も聞こえない。残るのはミイラのような包帯の間から覗く視力のみである。コミュニケーションはかろうじて可能な読みにくい筆談のみだ。葉月蛍はかいがいしく杉本まことを看護する。

復員した熊谷高文の方は、財閥の娘の篠原さゆりと恋愛中である。公職追放されていた父親の復権も近い。熊谷高文の行動は、かつて資産家の杉本まことに愛する葉月蛍をさらわれた腹いせのリベンジのようでもある。

二人の逢引きの部屋に、パンパンの相沢知美が逃げ込んできて、財布を落したまま出ていく。彼女はかつて杉本まことの愛人だった。杉本まことは妻に、彼女との情事を見せつけて喜ぶ変態男だったのだ。だから、相沢知美の財布には杉本まことの名刺が入っていた。

杉本まことの現住所を知った熊谷高文は、家を訪ね、そこで化け物のようになった廃人の夫を看護する葉月蛍を知る。葉月蛍は、「ダイテヤッテクレ」と記した夫の偽装メモを示し、二人は夫の前で体を重ねる。篠原さゆりと別れるから、杉本まことを施設に入れていっしょになろうと迫る熊谷高文。過去の青春の決着として、一度だけの情事と決めていた葉月蛍が、「いっちゃえ、いっちゃえ」と呟く。このあたりの武田浩介脚本の粋なダイアローグが見事だ。

体が自由になる機能の中の唯一残された視力で、杉本まことは妻の葉月蛍に侮蔑のまなこを向ける。それに耐えられず葉月蛍は、簪を夫の眼に突き刺し、ついに視力すら奪ってしまう。完全に生ける屍と化した杉本まことだが、葉月蛍はある日、夫の股間が勃起しているのに気付く。そして、生ける屍の夫の肉体に跨っていく。壮絶なラストシーンである。何だ、若松孝二の「キャタピラー」か、なんて言うなかれ。この映画は1998年作品なのである。若松映画を遙かに先行していたのだ。ここにも武田浩介の才気を感じる。

和服姿の葉月蛍のオナニーや濡れ場において、珍しくもオールヌードがない。バストトップすらチラリと覗く程度である。その艶めかしさが強く印象に残る一編でもあった。

「けもの道 義母と間男」 (旧題「川奈まり子 牝猫義母」) 2002年公開   
監督・浜野佐知  脚本・山崎邦紀  主演・川奈まり子,佐々木基子

旧家の当主で男やもめの久須美欽一は、自分の伝記を残すために川奈まり子を雇うが、その魅力に惹かれて求婚してしまう。歳の離れた再婚に、「なかみつせいじ」と柳東史の二人の息子が、連れ合いの佐々木基子と風間今日子とも共闘して、猛反対する。川奈まり子が財産目当てだろうとの、疑心暗鬼もある。

久須美欽一と川奈まり子の蜜月は短く、久須美欽一はDV夫になる。もみ合っていたら、久須美欽一は壁に頭を打ちつけて、昏睡状態となる。それを見ていたのが庭男の平川直大で、昏睡状態の久須美欽一の側で、夫に負い目のある川奈まり子を犯してしまう。

ピンクらしく濡れ場のネタには事欠かない。一人寝となった川奈まり子に、義理の息子の「なかみつせいじ」が迫る。これは未遂に終わるが、そんな時に風間今日子の家に婿養子に入っていた柳東史が、養子先での使い込みが発覚し実家に転がり込んで来て、これも川奈まり子に「前から好きだった」と駆け落ちを迫る。夫の使い込みの糾弾に乗り込んで来た風間今日子は、この光景を見て怒り狂う。

そんなゴタゴタの最中に、久須美欽一は覚醒する。何でも、身体は全身麻痺していたが、意識はすべてはっきりしていたそうな。脚本の山崎邦紀のブッ飛び感覚が、ここから満開になる。カンカンになった久須美欽一を前にして、突如女3人が結束して男の身勝手ぶりをなじり始める。

後は、蔵の中で見つけた神楽の面と半裸の衣装を身につけた女3人が、SMチックに自分の連れ合いを責めなぶり、性の奴隷として扱う。いや、相手はいつしか変わっており、完全な乱交パーティーの様相を呈してくる。男女6人がアヘアヘ絶叫する壮観さは、これが山崎邦紀流のブッ飛びか、いやこれこそ浜野佐知が独壇場とするアナーキーな性の奔流の世界だろう。

最後は、女3人が肩を並べて古色蒼然とした旧家を捨て去って行く。浜野佐知流ウーマンリブとも形容できそうだ。

「淫行病棟 乱れ泣く白衣」再び
この日は、「淫行病棟 乱れ泣く白衣」を観たいとの「ひらりん」さんを、ボディガードした日でもある。そこで私も「淫行病棟」を再見した。前回の「ピンク映画カタログ」で、私はこの映画についてかなり長文のレビューをした。ところが、時制でかなり間違えていたことを確認した。(時制が錯綜する凝った構成の映画のせいもあるが…)記述の訂正も考えたが、「湯布院映画祭」で映画評論家の渡辺武信さんと「日活アクションの華麗な世界」について話した時、「記憶違いも含めて、各自の記憶の中にあるのが映画だと思う」との言葉があったので、あえて訂正版は出さず、このままで行くことにした。そこに書かれているのが、私にとっての「淫行病棟 乱れ泣くく白衣」という映画そのものということだ。「映画の記憶」ということに関する渡辺武信さんとのやりとりは、後日「湯布院映画祭日記2011」で、詳細を紹介します。

さて、その「淫行病棟 乱れ泣く白衣」であるが、これが私の周辺では著しく評判が悪い。清水大敬監督の前作「愛人OL えぐり折檻」は賛否両論だったが、今作に至っては、肯定的な評価は私一人で後は全員が×なのである。

ある女性ピンクファンは、ヒロインの野中あんりは腹立たしくて不快だと言った。確かに事故で下半身不随になった夫をさておいて、若い医師の竹本泰志と不倫に走るなどとは、とんでもないかもしれない。それはさておいても、その後の自首するにあたって早目に家を出て、さらに竹本泰志と一発ヤっていくなどは確かに言語道断だろう。さすがに私も、前回の「ピンク映画カタログ−15」で「どうかと思う」と記しているが、「まあピンクなんだから、致し方ないだろう」と許容もしちゃっている。やはり少々でも作品に関係していると、情が移って甘くなるのかもしれない。

私が、儚げな美貌と評して新人賞の有力候補にあげた主演・野中あんりも、すこぶる評判が悪い。線の細い貧乳であるから「電撃チャック」さんあたりは萌えないのは当然だろうが、主役を張るのは無理との辛口批評もあった。

ただ、清水大敬監督によるとAVの野中あんりファンがつめかけ、映画の客入りは上々だったそうだ。そしてAVのファンは、野中あんりは芝居ができるんだ!と感動して帰ったそうだ。私はAVは知らないが、多分AV嬢とは雰囲気が遠い、楚々とした儚げな美貌が、野中あんりの人気の源なのだろう。それは、見ようによっては存在感の薄さにもなるのだ。

あるプロパーの人は「濡れ場が全部手抜き!」と手厳しかった。ベテラン大敬さんが、過去のルーチンワークで、安易にサラサラッと撮ったとしか思えないとのことだった。私は、ドラマ性を強調するために、「濡れ場の引っ張りを少」なくしたと好意的に書いたが、そういう観方もあるにはある。

さらに、そのプロパーの人は、ドラマ性に、濡れ場をしっかりやらなくてもいいだけの内容があるかといったら、そこにも何もないじゃないかと、さらに手厳しかった。確かに私もピンク版火サスであり、「男と女の情の深奥に迫ったとか、人間の心の闇に到達したとかの、そういう映画ではない」と記してはいる。要は、その程度で良しと許容するかしないかということだ。

いずれにしても、こう比較していくと、全員が同じ映画を観ていることは間違いない。ただし、各自の異なる感性が、それを面白く観たか観ないか、そこが違うということだ。映画というのは究極的には、その人が「面白く観たか観ないか」に、最終的に収斂する。面白く観た人に、つまらなく思えと言ったって無理な話だし、その逆も真である。今回については、私は面白く観たが、私の周囲にはそう見えなかった人が全員だったということだ。でも、だから映画は面白いのだ。そこに、ファン同志が意見交換する価値があるということだろう。
2011年ピンク映画カタログ−15

2011年8月13日(土) ●上野オークラ劇場
「誘惑教師 ?巨乳レッスン」 2009年公開
監督・加藤義一  脚本・岡輝男  主演・@YOU,酒井あずさ

@YOUの女高校教師が主人公。彼女の高校の経営がピンチとなり、その対策は生徒の学力向上しかない。@YOUは、「なかみつせいじ」校長から、学力向上の成果が上がらなければリストラだと宣告される。間の悪いことに彼女の同棲相手の柳東史も派遣切りにあって失業中。ということで、@YOUのなりふりかまわぬ生徒学力向上奮闘記が、映画の骨子となる。

まずは、成績最下位の生徒の中田二郎の学力アップ作戦。家庭教師として押し掛け、エロチックに迫り成果が出ればおっぱいを見せると、叱咤激励する。なるほど、まずは「おっぱいバレー」ピンク版ということか。

成績トッブの藍山みなみは、父親の会社が倒産したので学費が払えず退学するという。さあ大変、やめられたらクラスの平均点が下がってしまう。@YOUはキャバクラ嬢になって稼ぎ、彼女の学費を払ってやる。といった調子で、かなり乱暴にピンク的展開に雪崩れ込んでいく。

酒井あずさのサブエピソードも楽しい。出来の悪い息子に変わって、息子が病気中なのをいいことに、代わりに授業に出て、代わりに受験するというとんでもないことを言い出すのである。眼鏡をかけて「ザマス」を連発する上流階級の教育ママを、酒井あずさが怪演する。そんな馬鹿なことはできませんと、拒絶する担任教師が「しのざきさとみ」。教壇でのこの二人のバトルは、ベテラン二人だけあって、なかなか笑える見ものだった。

何とか@YOUは成果をあげてリストラは免れる。しかし、同棲相手の柳東史に目が届かなくなり、教え子の藍山みなみと駆け落ちされてしまい、恩を仇で返される結果となる。(まあ、藍山みなみが出てきた時点で、清純高校生では納まらないと思っていたが…)それを機に@YOUは、金で教育が左右される名門校はおかしいとの社会認識に何故か目覚め、定時制高校で教鞭を取ることにする。

もう一人の教え子の中田二郎は、成績アップし大学受験に合格する。目標に向かって努力することの大切さが判り、@YOU先生のおっぱいを見ることなど、もうどうでもよくなる。(もちろんピンクだから、それに感激した@YOUが、中田二郎と激しくカラんでいく展開になるのは、当然である)これも、何とも大真面目な結末だ。

全体的には加藤義一一流のブッ飛び感覚映画ながら、ラストだけはアレヨアレヨと大真面目でシリアスな展開に、強引に収束させていく何とも奇妙な味わいの一編であった。

「極楽銭湯 巨乳湯もみ」 2011年公開
監督・加藤義一  脚本・近藤力  主演・Hitomi,倖田李梨

「過ぎたるは木戸銭の価値あり」その一言を実感させる一本だ。主演の新人Hitomi嬢の巨乳は、ちょっと半端じゃない。ピンク映画でタイトルに巨乳を謳う映画は多いが、これはかけ値なしの「巨乳!」なのだ。どのくらい凄いかというと、競演の巨乳で名高い山口真里が、貧乳にしか見えなかったといったら、見当がつくだろうか。

私が観たのは、上野オークラ劇場の『「極楽銭湯」公開&新館オープン1周年記念!!舞台挨拶&トークショー!!』の日であった。ここでも実物で、(着衣の上とはいえ)Hitimiさんに比して山口真里さんが貧乳にしか見えないのを、確認することができた。

こういう日であるから、「PKの会」(リーダー池島ゆたか監督を筆頭として)の面々やmixi仲間など、ピンク映画ファンが大挙参集した。イベント後のロビーでは、当然Hitomi嬢の巨乳の話題となる。

一般にデブならば巨乳にもなるが、Hitomi嬢はそうではない。スリムではないにしても、全然デブではない。そして、胸だけが著しく巨大なのである。これは、もうエロチックな感覚を大きく越えている。ドドーンッ!壮観!!としか形容のしようがないのである。

ピンクファンのお喋り雀は、こうなるといろいろなことを言い出す。「乳もさることながら、乳?の異常なまでの拡がりも半端じゃないね」「だから、全体がすべて大きいということなんだよ」「でも乳首は普通サイズじゃない?」「ウム、そうか。でも乳首も全体に比例して巨大だったら、ちょっと不気味じゃだよね」いやはや、お喋り雀はやかましいことである。

ということで、この映画はHitomi嬢の巨乳ぶりが、魅力のメインである。だが加藤義一監督は、スタートから徹底的に巨乳を出し惜しみ、バストトップもなかなか出てこない。そうして気を持たせておき、最後の湯もみシーンで、ドドーンと湯船の中で激しく揺さぶらせ、大波を立ててみせる。「出るぞ〜出るぞ〜」の、「ゴジラ」第一作のテクニックだ。

話の骨子は、亡き父が残した銭湯を、OLを辞めてまでして守っていこうとする娘のHitomiの奮闘記である。しかし、近くにスポーツジムが開設され、客を奪われてピンチになる。昨年の「未亡人銭湯 おっぱいの時間ですよ!」もそうだが、銭湯ものというのは、こうした展開にしかならないのだろうか。まあ、銭湯斜陽時代だから、この手のストーリーしかないのかもしれない。

銭湯シーンでは、mixi仲間などの顔見知りが、大挙フルチンを晒して(もちろんアングルで画面には出ないが)、エキストラ出演している。これらの客がスポーツジムに鞍替えして、銭湯は閑古鳥が泣くのだが、残念ながらほとんどがメタボ気味で、どうみたってスポーツジム鞍替え派に見えない。ギリギリカスカスで合格は「だいちん」さんくらいか。参加者の話を聞いたら、現場で創優和撮影監督が、いい画が撮れないとボヤいていたそうな。

銭湯立て直しには、湯の質を高めるしかない。先代の湯沸かしの秘密を、Hitomiは研究することになる。そこにウエスタンスタイルでバイクに乗り付けた柳東史が登場する。全国の銭湯を渡り歩いている銭湯利きだという。そして彼の協力を仰ぎ、ついに究極の銭湯の湯沸かしに成功する。

しかし、それは先代に追いついたに過ぎず、越えることはできない。最後に越えるきっかけになるのが、前述した湯船の中の巨乳ブルンブルンの大波が入浴者に与える感覚だ。タイトルにある「巨乳湯もみ」ということである。Hitomiの巨乳を巧みに活かした加藤義一一流の、ブッ飛び感覚が面目躍如といったところだ。

ウエスタンスタイルでフラリと現れた男が、経営不振を解消して去っていく。これは、以前ラーメンウエスタンと称した伊丹十三の「タンポポ」があった。そのパロディかと思っていたが、舞台挨拶を聞く限りでは、私の読み過ぎのようだった。衣装考案は柳東史自身だそうで、意識にあったのはジャンゴのフランコ・ネロだそうだ。棺桶ならぬ風呂桶を引き摺って現れることも考えたそうである。

加藤義一流ブッ飛び感覚として、風呂屋の番頭の岡田智宏の存在も面白かった。先代から忠実に仕えており、Hitomiと男女の関係にならないあたりもよい。そして、ひたすらオナニーに狂う。先代の湯沸かしノートの大切な頁を、フキフキに使って迷惑をかけたりする。最後は、彼が固くて使えないと広げた紙が、以前警察から渡されたが忘れていた指名手配ポスターであり、それによって柳東史が、実は全国の銭湯を渡り歩く覗き魔でもあったことが、判明するオチもある。

Hitomiが、密かに馬並クンと名付けて想いを寄せているのが、巨根の常連客の津田篤。銭湯の番台から、男の一物は見ることができちゃうわけだ。ピンク界の松山ケンイチといった趣きの端正な二枚目の若者の津田篤の風貌とは、アンバランスなキャスティングが楽しい。しかし直ぐ後に、女の常連客の倖田李梨の恋人がいることが判明する。

他に常連客としては「なかみつせいじ」と年の離れた妻の山口真里がいる。ユーモラスなブッ飛び映画の中で、唯一のシットリ系バージョンを担当する。壁一枚の向こうから、妻子に逃げられた「なかみつせいじ」の悲しい声を耳にした子供の頃の山口真里は、彼を「おとうさん」として慕うようになる。そして、いつしか二人は夫婦となった。そんな顛末が心臓発作で倒れた「なかみつせいじ」を膝枕して介抱する山口真里の姿を通して語られる。

これら常連客がラップのリズムに乗って、次々と銭湯に入浴に来るあたりは、いずれも芸達者揃いでもあることでもあり、楽しい見物だった。

ただ、こうしたサブエピソードのいくつかは、ストーリーの幹の部分には深く絡むことはなく、どちらかといえばバラエティショーの感覚である。まあ、上野オークラ劇場新館一周年記念映画ということだから、そんなお祭り感覚で良いのかもしれない。


私の出演作「淫行病棟 乱れ泣く白衣」が、8月26日(金)〜9月1日(木)に上野オークラ劇場で公開されます。以下に4月に初号試写を観た時に書いた撮影体験記も含めたレビューを紹介いたします。

2011年4月14日(月) ●東映ラボ・テック
「淫行病棟 乱れ泣く白衣」 2011年公開
監督・脚本・清水大敬  主演・野中あんり,艶堂しほり

清水大敬監督の新作で、一応は私の出演作(!)ということで、初号試写を観せていただいた。

冒頭にまず、手術後のホッとした竹本泰志の医師と野中あんりの看護師の、手術室での表情が紹介される。それに被って牧村耕次の刑事の「石山(竹本泰志の役名)はどこにいる!」との怒声が聞こえてくる。そして別室で意味ありげに、艶堂しほり、「なかみつせいじ」、那波隆史の三人がほくそ笑んでいる。牧村刑事は、看護師の野中あんりに、「この男が石山か!」と確認し、手術後の経過を患者家族に説明している竹本医師に、薬事法違反の逮捕状を示す。野中あんりの看護師の表情は、何かを耐えているように切ない。鉄格子のシーンに、「薬事法違反って何ですか!私は何もやってません!」との、竹本医師の絶叫が被る。

これらの素早いカット展開に加えて、メインタイトルとスタッフのクレジットタイトルが挿入される。ダイナミックな音楽が劇伴として盛り上げる。(音楽も清水大敬監督自身)いわば岡本喜八流の、「平手打ちのモンタージュ」である。そして、映画は「二年後…」というタイトルで、ドラマの幕を明ける。

あ、これはビンク版の火サス(火曜サスペンス劇場)だなと、直感した。映画は、その後も火サス的展開を示す。打ち上げでは、エンドクレジットの後に岩崎宏美の「聖母(マドンナ)たちのララバイ」が流れてもおかしくないね、との声も耳にした。いや、「火サス」を比較対照にするのが、この映画を貶めるとしたら、言い方を変えよう。これは、撮影所システムプのログラムピクチャー全盛期におけるオーソドックスな愛慾犯罪サスペンス映画の、最も良質なピンク映画的継承と言っておこう。

だから、この映画は善玉と悪玉が、明確にはっきりしている。悪玉は艶堂しほり、「なかみつせいじ」、那波隆史の三人。こちらの方は、没個性で徹底的に悪辣なだけ悪辣な者どもである。

善玉は、野中あんり、竹本泰志、「しのざきさとみ」、山科薫、牧村耕次、清水大敬、大黒恵、風吹進といったメンバーである。こちらの方は、悪玉の一律没個性と異なり、ストイックなヒーロー、ひたすら耐える女、正義感はあっても脅しに折れてしまう男、善意を押し殺して職務に忠実な刑事、といった感じでヴァラエティに富んでいる。このあたりも、大衆映画の王道を踏んでいるのだ。

冒頭で竹本泰志の役名が、「石山」だと紹介した。清水大敬監督(脚本も)作品では、善玉代表の役名としてこれは定番のようだ。前作「愛人OL えぐり折檻」では任侠ヤクザの羽田勝博の役名が「石山」だった。ついでに言うと、悪玉代表の役名は「鮫島」のようで、今回は悪徳病院長の「なかみつせいじ」が「鮫島」だった。前作「愛人OL」の「鮫島」は、柳東史の暴力団組長である。こういう風に、役名を固定して脚本を書くのも、案外イメージが構築し易くて、いいのかもしれない。

さて、私、周磨要(芸名・周磨ッ波!)は、悪玉・善玉どっちにもいないけども…という疑問に、ここで早々とお答えしておこう。私の役名は「チンドン屋−1」、要するにチンドン屋の元締めを演じた清水大敬監督の、後ろにウロウロしている程度の超端役です。撮影3日、アフレコ1日にフル参加しましたが、どちらかといえばエキストラ筆頭というところでしょうか。

ちなみに、エキストラはmixi仲間を中心に、知る人は知るアマチュア・オールスターの顔触れが並んでいます。そして私は、顔の映らない範囲で何役もエキストラを兼任しています。ついでに、アフレコでは、さらに多くの声をやりました。私に関心のある方は(そんな人はいないか)、そのあたりも見所だと思います。

話を本筋に戻す。冒頭のダイナミックな「平手打ちのモンタージュ」が一段落し、「二年後」とのタイトルになった以後の展開だ。薬事法違反の刑期を終えた竹本泰志の前医師が、出所するところに繋がるのである。この事件というのは何だったのか?そこから回想と現在をカットバックしながら、薄皮を剥ぐように、次第に事件の全貌が明らかになっていく。

しかし、映画話法としてのこうした語りは、極めて高度なテクニックを必要とする。下手な創り方をすれば、混乱に輪をかけるだけになるからだ。そこは意欲的挑戦を繰り返す清水大敬監督(脚本も)、そのハードルを見事にクリアした。私は根岸吉太郎監督=荒井晴彦脚本の佳作「絆 きずな」を思い出した。

ただし本作品は、あくまでも「火サス」であり、良きプログラムピクチャーである。だから、男と女の情の深奥に迫ったとか、人間の心の闇に到達したとかの、そういう映画ではない。悪い奴はあくまでも悪く、善なるものはあくまでも弱く誠実で、しかし最後は悪は滅びるという勧善懲悪ドラマである。清水大敬監督作品の意欲作は、常に賛否両論を巻き起こすが、これもその一編であろう。

ここから、具体的に作品を語っていくことになるが、とにかく現在と回想が複雑に交錯する映画なので、ここは「愛人OL えぐり折檻」と同様に、時系列的に整理して、述べていくことにしたい。

まずは悪役3人組の布陣を紹介する。艶堂しほりは前病院長の娘で、今の病院長は婿の「なかみつせいじ」が引き継いでいる。「なかみつ」は医療ミスを連発するヘボ医者で、妻の艶堂しほりにも馬鹿にされている。しかし、人間どこかは「取り柄」があるもので、経理部長の那波隆史と結託し、出入り業者から賄賂を取る金儲けの才はある。また、精力絶倫で、妻の艶堂しほりもその魅力だけで、夫と繋がっている。

小心者の小悪党「なかみつせいじ」は、例によって水を得た魚のごとき好演だ。キザな経理部長の那波隆史は、高級ライターを常にカシャカシャさせているのが癖で、そのポーズが憎々しさを増幅させる。

初号試写での評判では、艶堂しほりはやっぱり悪女で輝くという声が多かった。ただ、私としては「人妻教師 レイプ揉みしごく」の生徒を暖かくみつめる教師、「愛人OL えぐり折檻」の秘書時代の清楚な姿(社長役は周磨ッ波こと私、皆さん、艶堂さんが私の秘書ですよ!と、ここでハシャいでもしょうがないか)などの印象しか知らないので、あまり本作の悪女姿はピンとこなかった。倖田李梨あたりを起用した方が、もっと凄みが出たような気がする。

このように、悪玉どもはワンパターンの悪ぶりであるが、善玉の方はそれぞれのあり方がヴァラエティに富んでいて、そこがこの映画のドラマとしての魅力である。

医療ミスに不正経理、続発する問題に、病院に勤務する腕がよく正義感に溢れた医師の竹本泰志が立ち上がる。院長の「なかみつせいじ」に、学会で不正を告発すると宣言する。また、優しい心の持ち主であり看護師の野中あんりにも、心を寄せられている。優しさと共に激しい正義感をたぎらせる武本泰志は、颯爽とした見事な二枚目ぶりの好演だ。

身の危険を感じた「悪玉トリオ」は、竹本泰志を薬事法違反の罠に落とし込んで医学会からの追放を画策する。そして、有罪の決定的証言をしたのが、何と竹本泰志を尊敬し慕っているはずの看護師、野中あんりだったのだ。

野中あんりは、病院長の「なかみつせいじ」に恩義があった。文筆業の夫が交通事故で下半身不随の車椅子生活になり、病床の義母もすでにかかえている。その時に金を融資したのが、病院長の「なかみつせいじ」だったのだ。

前述したように、看護師の野中あんりは、竹本泰志の医師に尊敬と思慕の念を抱いていた。竹本泰志は音楽家を志したこともあり、一人で部屋でクラリネットを吹いていた時に彼女は、生活の悩みと夫が下半身不随となった一人寝のさびしさも手伝って、竹本泰志の胸に飛び込み、不倫関係に至ってしまう。

それを嗅ぎつけた病院の経理部長の那波隆史は、野中あんりを脅迫し、更衣室でレイプまがいに犯してしまう。さらに、それらを弱味のネタにして、病院長と二人で偽証をそそのかす。それだけはできないと哀願する野中あんりを二人でレイプして撮影、さらなる弱味を追加する。結局、彼女は屈服せざるをえない。

このレイプシーンは、野中あんりを婦人科診察台に開脚で固定して展開されるなど、極めて激しくエロい。男に踏みにじられるはかない被虐美、このあたりは清水大敬監督の嗜好のようだ。前作「愛人OL えぐり折檻」のヒロインの藤崎クロエとも共通している。ちなみに、前作「愛人OL」は、映画の中に「和姦」が一つもないという徹底ぶりだった。

野中あんりは新人だが、はかなげな美貌が男心をそそるところがあり、清水大敬監督はアフレコの時、「ウム、大原麗子に似てるな」と呟いていた。確かに若い頃の大原麗子の、控えめで幸せ薄い佇まいに、共通するものがないでもない。そういう受け身のキャラではあるが、アフレコ時に難しい芝居の長台詞に何度もチャレンジしていたベテラン牧村耕次に対し、重なるリテークにも全くブレない芝居で答え続けたあたり、よく頑張っていたと思う。期待の新人と言えるのではないか。ピンク大賞新人賞の有力候補だ。

野中あんりの夫役は風吹進。清水大敬監督の演劇仲間だそうで、清水組常連である。今回も出番は少ないが、下半身不随の我が身を甲斐甲斐しく介護してくれる優しい妻への感謝を、情感を籠めて表現した。

野中あんりの病弱の義母役は、これも清水組常連の大黒恵。前作の「愛人OL えぐり折檻」でも藤崎クロエの母役で、末期癌患者で病床に伏せっているシーンがほとんどだった。昔はかなりの美貌だったと想像させる品のよい老女である。隠れファンもいるようだ。かつてのピンク女優の再登板かとも思ったが、それにしてははっきり言って演技が上手いとは言い難い。

実はこの人は、清水大敬監督の演劇仲間の伯母にあたる人なのだそうだ。今はもう引退しているが、以前は踊りのお師匠さんだったそうである。さすがに品のよい佇まいがあるわけだ。しかし、そんな人がよくピンク映画に出るなあと思ったが、自作を一人で上野オークラ劇場にも観にいったりしているそうだ。若い女性でないから、痴漢などにも遭わないかもしれないが、見掛けの物静かさとは違って、かなり前向きに生きておられる方のようである。いずれにしても、今回の「淫行病棟 汚された白衣」でも、その佇まいは十分に雰囲気を盛り上げていた。清水大敬監督のタイプ・キャストの勝利と言えよう。

野中あんりの偽証による無実の罪により、竹本泰志は2年間服役する。刑期を終えての出所後は、地元の新宿から離れ遠くの地に去り、ひっそり暮らすことを決意して、最後に思い出の昼間のゴールデン街を散策する。そこで、バーのママの「しのざきさとみ」に声を掛けられる。

「しのざきさとみ」は竹本泰志の医師に、早期癌を発見され手術の執刀を受けて、一命を取りとめたのであった。彼女は竹本医師に、この街に留まるべきだ、逃げてはいけない、と説得する。さらに、あの時から先生に会うと胸がドキドキするようになったと告白する。

こうして、昼の開店前のバーで、二人は関係することになる。竹本泰志は彼女の説得を受け、新宿に留まることを決意する。そして、「しのざきさとみ」は、竹本泰志のクラリネットの演奏を活かせる場として、地元新宿のチンドン屋の職を紹介する。

この映画の「しのざきさとみ」は、出番が少ないながら、実にいい。竹本医師の思いは、看護師の野中あんりにあるのを百も承知しながら、陰にまわってそっと思慕を寄せる。熟年女の切ない思いが、画面いっぱいに漲る。竹本医師を新宿に引きとめるポイントとなる役でもあった。

皆に愛されているチンドン屋の元締めは、清水大敬監督自身の出馬である。大阪弁で人のいい好々爺を、鮮やかに表現する。柔らかい大阪弁が効果的だ。「先生が罪を犯す人には、どうしても思えへんのや」と、「しのざきさとみ」と二人で、看護師の野中あんりともう一度会うべきだと進言する。「すべては終わったんです。医者に未練はありません」という竹本泰志だが、そこにある種の苦渋も滲んでいる。

余談だが、チンドン屋集団が新宿の街を練り歩くシーンで、残念な瑕疵が一つある。チンドン屋の行列の先頭でクラリネットを吹いている竹本泰志を、偶然経理部長の那波隆史が見掛け、「石山…」と竹本泰志の役名を呟くアップのカットである。

実は、チンドン屋行列の撮影は、初日の新宿ロケで、この日は晴天だった。そして、那波隆史の出番は3日目の赤羽のスタジオであり、それに合わせてアップは赤羽の街角でロケしたカットなのだ。こういうことができるのが、映画モンタージュのマジックというものだが、間の悪いことに、この日は雨天だった。だからカットとして繋がらなくなってしまうのだが、低予算ピンクでは、日を改められるわけもない。短いカットなので、ほとんどの人が見過ごすかもしれないが、よく見ればおかしく映るはずである。

ちなみにこの新宿ロケ、早朝の完全なゲリラ撮影だ。台数はそう多くない時間帯とはいえ、タクシーを止めちゃったり、警官が来るのを気にしたりとか、なかなかの緊張感もあった。その筋の人のクレームはなかったが、フレーム内に入りたがる朝帰りの売り込み風俗嬢あたりもいたりして、後で思い出すと結構楽しい光景だったのである。

ついでに、もう一つのエピソードを紹介すると、この日のロケは3月19日(土)、東日本大震災の直後である。さすがに私も心配になって、「予定どおり撮影はやるんですか」と連絡したら、「蒙古が襲来しようともやります!」との、清水大敬監督の言だった。「何があろうとやる!」というのはよく聞く話だが、「蒙古襲来」というのはいかにも大敬さんらしくて笑ってしまった。こういう形容をする人は、まず他にいないだろう。

ここで、やはり清水組常連の山科薫も押さえておこう。彼の役回りは、竹本泰志の同僚の気の弱い医師で、「なかみつせいじ」院長に、いつも「三流大学出が!」と罵倒されている。しかし、野中あんりに偽証をでっちあげさせて、竹本泰志を医学会から追放する暴挙に、ついに堪忍袋の緒が切れて、辞表を叩きつけ告発を決意する。

しかし、いち早くそのことをキャッチした那波隆史に、山科薫は後ろから殴りつけられて昏倒させられ、拘束された身を病院長の妻の艶堂しほりに逆レイプされる。その証拠写真をつきつけられれば、もう手も足も出ない。善良だが気の弱い被害者役、これも山科薫のキャラにピッタリだ。

特筆しておきたいのは、出番が少なくカメオ出演に近い存在でありながら、圧倒的な印象を残した牧村耕次の人情刑事だ。竹本泰志と野中あんりの取り調べシーンでも、ほとんどノー台詞に近いのに、そのちょっとしたしぐさに心の暖かみを感じさせる。

竹本泰志の出所後に、「しのざきさとみ」から、野中あんりは必ず何かを隠していると連絡され、私的に牧村耕次は野中あんりにコンタクトする。「彼を取り調べた時、誰かを庇っているように見えた。これは、刑事…というより男としての勘だが、彼は心からあなたを愛している」、この万感の思いを籠めたセリフは凄い。(ダイアローグを書いたのは清水大敬監督としても)野中あんりならずとも「本当のことを話します」と泣き崩れるだろう。吉展ちゃん事件などで、「落しの八兵衛」の異名を取った実在の刑事、平塚八兵衛を彷彿させる好演である。

竹本泰志に最後の挨拶をして、出頭に向かう野中あんりを逮捕するシーンの牧村耕次もよかった。「規則だから手錠をかけるぞ」という言葉の奥に秘めた優しい心情。そして竹本泰志に向かって、「一段落したら先生に診てもらいたいね。何せこの年で身体中にガタが来たみたいだから…」と去っていく背中には、初老男の絶品の哀愁が漂っていた。

以上、この映画のキャラは、脇役の隅々まで全員が立っている。現在と2年前の回想を巧みにからませたシナリオの妙ももちろん、これは極上の愛慾犯罪サスペンスである。繰り返すが、男と女の情の深奥に迫ったとか、人間の心の闇に到達したとか、そういう類いのものは無い。極上のエンタテインメントとして楽しめばよいのである。

いや〜、今回の私は限りなくエキストラに近い超端役の「チンドン屋−1」で、本当によかった。もう少しドラマに関わるキャラを演じていたら、ロクに芝居のできない拙さから、全体のアンサンブルを大きく壊していただろう。

その代わり、エキストラ筆頭という感じで、3日間フル参加したので、実にいろいろな役で暗躍(?)した。とはいっても、私は「チンドン屋−1」として、クラリネットの竹本泰志や、元締めの清水大敬のすぐ後ろを、いつも笑顔で明るく大阪屋(映画中の食堂)の宣伝にこれつとめているので、目立ち過ぎている。他の役回りで顔を晒すわけにはいかない。後ろ向き専門だ。正に暗躍!である。さすがに、撮影3日目となると使い回しが効かなくなったのか、昼飯前に「お疲れ!」となった。しかし、自分が思う以上に明るく楽しそうに見られる私のキャラとしては、「チンドン屋−1」が、まあピッタリだったのかもしれない。

エキストラはmixi仲間を中心に、知る人は知るアマチュア・オールスターであることは、前に紹介した。私は、3日間エキストラ筆頭も兼ねてフル参加したが、他は入れ替わり立ち替わりで、毎日数名が参加していた。清水大敬監督は、エキストラの予定の出番が終了しても、なかなか帰っていいとは言わない。

清水監督を昔から知る人によると、これは監督の演出の個性から来るものだそうだ。画面に空きが出るのを嫌い、何かで埋めたがるそうなのである。例えば、この映画でも「なかみつせいじ」の院長が回診を終え病室を出るシーン、廊下に医師とそれに従う看護婦が通るようにして、さらに反対側から来た医師が、「なかみつ」院長に挨拶する、といった具合である。そういう画創りが閃いた時に、エキストラがいないと困るのである。

でも、これは監督の個性という以上に、ドラマに直接影響しない部分でもこうした膨らみを与えることは、確実に映画に厚みを与えるのに効果的な手法だろう。昔の撮影所システムでは、演技の基礎訓練を受けた者が、大部屋に常駐していたわけだから、画面に厚みがあって当然ということだ。そんなこんなで、私もエキストラ兼務で、さんざん使い回されたわけである。

隙間を嫌うという監督の個性に関しては、アフレコの時も同様である。人物が後ろ向きの時、画面から切れている時、外景が映っている時、これらの場合は口の動きに台詞を合わせる必要がないから、どんどん台詞が追加される。このあたりの感じは、今年の「ピンク映画カタログ−4」の「愛人OLえぐり折檻」のアフレコ体験記でも紹介したとおりである。

看護師役でエキストラ参加した女性は、撮影時に話さなかった台詞がどんどん追加されたのに目を白黒させ、頭が真っ白になったようだ。待ち時間の時に「アフレコってこうなんですか?」と聞かれたので、「どちらかというと、清水大敬監督の演出の個性でしょう」と、答えておいた。

以上、キャラ別に時系列に、ドラマの骨子を紹介してきたが、これはピンクではなく、全く普通のドラマではないかと感じた人もいるかもしれない。確かに初号試写の後、濡れ場をさわりだけの描写だけにして、次のシーンに転換すれば、全く普通の愛慾犯罪サスペンスだね、との声もあった。

ピンク映画的印象が希薄なのは、濡れ場が少ないせいかとも思い、あらためて私は振り返ってみた。濡れ場は、野中あんりが4回、艶堂しほりが2回、「しのざきさとみ」が1回、計7回。10分に1回以上に濡れ場があった勘定だ。これはピンク映画として十分な回数で、決して少ないとはいえない。

野中あんりは、最初と出頭前の別れの時の、竹中泰志との濡れ場が各1回の2回に加え、那波隆史からのレイプ、「なかみつせいじ」と那波隆史から受ける輪姦と、〆て4回だ。(自首して出頭する前に、下半身不随の夫をさておいて、竹本泰志との濡れ場はどうかとも思うが、まあピンクなんだから、致し方ないだろう)艶堂しほりは、「なかみつせいじ」との夫婦生活としての濡れ場、山科薫への逆レイプの濡れ場と、計2回である。「しのざきさとみ」は竹本泰志との濡れ場が1回。トータルの濡れ場は計7回。こう観直すと、ピンクとしてやるべきことはしっかりやっているようだ。

多分、一つ一つの濡れ場の引っ張りが少ないので、ドラマ性が全面に出たということなのだろうか。打ち上げの酒席で清水大敬監督自身の口からも、今回は多少濡れ場の引っ張りは控えたようなことを耳にした。

「淫行病棟 汚された白衣」のシナリオタイトルは、「受け入れ赦し…そして愛せよ」だ。聖書の詩句から清水大敬監督がアレンジしたそうだ。

野中あんりは、夫の交通事故に自分は責任があると感じて苦しんでいた。竹本泰志はそんな彼女に、自身の親との確執を乗り越えて、「受け入れ赦し…そして愛せよ」との精神に至ったことを告げて慰める。それは、自分を罪に陥れた偽証罪で収監されていく野中あんりの背中に、「この町にまたもどって来い」との思いを告げるラストシーンの竹本泰志の心情にも、重なってくる。

映画はそこで、「受け入れ赦し…そして愛せよ」のタイトルが出てエンドとなる。確かにここで「聖母(マドンナ)たちのララバイ」が流れてもおかしくない展開だ。しかし、前作「愛人OL えぐり折檻」のラスト、大仰な「生きていればきっといいことがある」のタイトルに、ライブドアの映画レビューでのけぞった「電撃チャック」さんあたりのように、またのけぞる人もいるかもしれない。

しかし、今回もこれはギャグなんかではない。大真面目なはずである。これが王道メロドラマの清水大敬節というものなのであろう。清水大敬監督は、今回も製作・監督・脚本・出演・音楽・編集と大車輪だが、さらに今作では「美術」のクレジットも加わっていた。
2011年ピンク映画カタログ−14

2011年7月24日(日) ●シネロマン池袋
「人妻13人乱交パーティー」(旧題「人妻13人いんらん比べ」) 1992年公開
監督・深町章  脚本・周知安  主演・橋本杏子,山本竜二

監督は練達の職人の深町章、脚本の周知安は片岡修二の変名とのこと、そして主演が橋本杏子と山本竜二。前世紀末90年代初期のビンク映画のリアルタイムを私は知らず、あまり詳しくないのだが、それでもこの面子は安心して観られる顔触れであることは想像できる。

橋本杏子と山本竜二はラブラブの夫婦。しかし、男というものはどうしようもない動物で、コンピュータ会社に勤める山本竜二は、部下の小泉あかねと不倫関係も楽しんでいる。小泉あかねの勧めで、山本竜二は二人で夫婦を装って、スワッピングパーティーに参加する。そこで出会った夫婦が、石川恵美と芳田正浩。二組の交歓スワッピングは相性もピッタリ、すっかり意気投合する。

ところが、橋本杏子と山本竜二の住まいの隣に、石川恵美と芳田正浩の夫婦が引っ越して来たからサァ大変、山本竜二は浮気相手を妻と偽っていたのだから、パニック状態になる。弱味を握った石川恵美は山本竜二を呼びつけ、性の奴隷として奉仕させる。

その時間に、石川恵美の夫の方の芳田正浩は、山本竜二の家に上がり込み、妻の橋本杏子に迫る。実は、橋本杏子も愛人を夫と詐称してスワッピングパーティーに参加し、この夫婦と関係を持っていたのだ。こちらも弱味を握られ、性の奴隷として奉仕させられる。

お互い、愛人を連れ合いと詐称してスワッピングパーティーに参加したことを知られるのを恐れ、現在その弱味から性の奴隷にされていることも知られるのを恐れ、ということになる。とにかく連れ合いに迫られても、応える体力も気力もない。しかし、共に奴隷奉仕に疲れ果て、お互いを夜の営みに誘うこともなく、秘密は保たれ続ける。どうってことないワンアイデアストーリーではあるが、洒落た幕切れでもある。

このワンアイデアで、後は自由自在に濡れ場の数々を乱発していく。夫婦のラブラブの営みから始まって、愛人との緊縛・浣腸のSMプレー、お互いの濡れ場を見ながら燃えるスワッピングと、刺激的なバリエーションには事欠かない。圧巻はタイトルにもある「乱交パーティー」だ。「人妻13人」というのはやや嘘で、男女合わせて13人(内10人近くが女、ただし12人しかいなかったような気もするが…)が、全裸でからみ合う俯瞰撮影はなかなかの見物だった。21世紀のピンク映画状況では、裸になる女優は3人が限界、4人いたら大作と称されるそうで、それと比較するとエキストラ程度の出演とはいえ、女のヌードがこれ程に乱舞するのは、この時代のピンクの潤沢さを感じさせる。

「阿部定 最後の七日間」 2011年公開
監督・愛染恭子  脚本・福原彰  主演・麻美ゆま,松田信行

阿部定事件の何度目かの映画化である。ピンク映画というよりも、この題材を愛染恭子・監督=福原彰・脚本がどう切り込むかというあたりに、興味の焦点が移る。菅田俊という一般大物役者が出演していることもあり、ピンク映画の匂いはほとんどない。強いていえば、麻美ゆま演じる阿部定の不倫相手の松田信行演じる吉蔵の妻トクを、佐々木麻由子が演じたあたりが、ピンク的なところかもしれない。定の妄想の中で、吉蔵とトクは激しいピンク的濡れ場を演じていた。

阿部定事件は、これまで実に様々な切り口で映画化されてきた。1975年、田中登は「実録 阿部定」で、軟体動物のような宮下順子を擁し、女の生理・体臭までも感じさせるヌラヌラ感を出し切ってみせた。その徹底ぶりは、理屈を大きく越えて女のさらに人間の、根源的な存在の映像表現へと到達していた。

1976年、大島渚は「愛のコリーダ」で、ハードコアまで松田英子と藤竜也に演じさせ、それと併置して2・26前後の不穏な昭和初期の暗い世相を描写して、人と時代の闇を切り裂いてみせた。

1998年、大林宣彦は「SADA〜戯作・阿部定の生涯」で、かつてのタカラジェンヌの黒木瞳を起用し、その猟奇的な題材にも関わらずヌードなしの描写に徹し、肉欲の純愛という大林ワールドを構築してみせた。

ことほど左様に阿部定は、映画作家のイマジネーションの宝庫なのである。石井輝男に至っては、「明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史」において、ついに晩年の阿部定自身の本人を、ドキュメントとして「出演」させてしまったくらいである。

このように書いていくと、だんだんピンク映画カタログらしからぬ記述となってくる。まあ、そのあたりがこの映画そのものをよく顕わしているということだ。「阿部定?最後の七日間?」はピンク映画というよりも、やはり「阿部定映画」の一本として語るべきものなのだろう。ということで、愛染恭子=福原彰コンビが、阿部定を通じて何を表現したかということになる。

晩年に阿部定は、私は吉蔵を殺していないと、告白していたそうだ。確かに吉蔵の一物を切り取って身につけ、逃亡していたのは確かだが、それは生前なのか死後のことなのかは、密室内の二人のみの知るところである。愛染=福原コンビは、そこを焦点にして阿部定に切り込んでいく。

菅田俊の刑事に対し、吉蔵を殺したか否かについては、言を左右にして曖昧のまま、阿部定は取り調べに応じる。そして、二人の出会いからの関係については、微に入り細に入り告白を続ける。画面上でそれは回想として再現される。そうした映画の構造だ。

回想においては、吉蔵は心臓発作で息を引き取ったように描かれる。しかし、そこに至って定は、私は吉蔵を殺しました、と告白する。これは何なのだろうか。吉蔵の一物を携えて自殺しようとしたが果たせなかったことにより、それは心の中で吉蔵を殺したに等しいと感じたからなのか。すべては曖昧なまま、定は刑に服役する。

このあたりのミステリアスな女として、定を描きたかったかということなのだろうか。そう言えば、定の体からは死臭が漂い、それは吉蔵の腹巻を、逃亡中に常に着物の下に身につけていたからだが、いわくあり気で象徴的な割に、このあたりの意味も曖昧だ。単に、取り調べ室でその原因を探るのに、定をもろ肌脱ぎにさせるサービスカットのためとしか思えないとの、皮肉の一つも言ってみたくなる。

画面上では、二人のすべてが一応は描写されているが、結局は「すべては密室の中で二人だけが知るのみ」という曖昧でミステリアスな余韻を狙ったのかもしれない。でも、映画そのものの描きたかったものが「曖昧」に終わってしまっては、それこそ身も蓋もないのではなかろうか。

主演の麻美ゆまは健闘しているが、宮下順子・松田英子・黒木瞳といった先達のそれぞれの個性に対して、大きく遅れをとっている感も否めないのである。

2011年8月2日(火) ●シネロマン池袋
「盛りの女・義母 息子でもいい!」(旧題「寝乱れ義母 夫の帰る前に…」) 2003年公開
監督・工藤雅典  脚本・日下由子  主演・麻田真夕,真咲紀子

濡れ場の方便で映画が転がって行くだけの、典型的Xces映画だ。どこから見てもどこで見るのをやめても、出てくるのは濡れ場ばかりでストーリーは繋ぎの申し訳、どこを切っても同じ顔になるこうしたピンクを、私は「金太郎飴映画」と称している。「盛りの女・義母 息子でもいい!」もそんな一本だ。

麻田真夕は「なかみつせいじ」の年の離れた後妻である。夫は行きつけのスナックの女「ゆき」を愛人としており、残業と称して夜は遅い。義理の息子に予備校生の「しらとまさひさ」がいる。麻田真夕はこの息子に欲情する。「しらとまさひさ」の予備校の同窓生が真咲紀子で、彼に密かに想いを寄せている。

このシチュエーションで想像できるように、後は麻田真夕と「なかみつせいじ」、麻田真夕と「しらとまさひさ」、「ゆき」と「なかみつせいじ」、「しらとまさひさ」と真咲紀子といった具合に、しっかり順列・組合せで、カラんでいくことになる。

「しらとまさひさ」と真咲紀子は、予備校を辞めて家出してしまう。麻田真夕は予備校教師の坂入正三に相談に行き、「私を助けて」としなだれかかり、かくしてもう一組の麻田真夕と坂入正三の組合せができる。ストーリーの必然性なんかはどうでもよろしい。

真咲紀子は妊娠する。家出のまま、所帯を持って生活を始めることにする。それを知った義母の麻田真夕は、「しらとまさひさ」を真咲紀子に譲り、自らは離婚届を置いてやはり家を去る。何が何だか判らぬまま一人取り残された「なかみつせいじ」は、「離婚届にも保証人がいるんだね」とボヤきながら、「ゆき」に保証人になってもらう。その程度の顛末だから、洒落っ気と言えるほどのものも無い。

義理の息子との情痴に溺れた果てに、微笑と共に父親となった息子を祝福して真咲紀子の下へ送り出す。そんな奔放な女を表現した麻田真夕の魅力を見せる映画かもしれないが、とにかくひたすら疲れた「金太郎飴映画」だった。

この日に見た未見のピンクはこれ一本である。何で疲れるのを予期してるのに、わざわざ見に行ったのと言われそうだが、実は旧作をもう一本再見している。Xces新田栄作品の、超金太郎飴映画「ザ・不倫ホテル 中出し熟妻」(新版改題作品で旧題は「熟女たちのラブホテル 玉いじり」)だ。いや〜この二本連続の二時間は拷問だった。グッタリと疲れた。じゃあ見ないで帰ればいいのに、ということになるのだが、このあたりの事情は、「映画三昧日記−4」の方を覗いてみてください。
2011年ピンク映画カタログ−13

「PG×上野オークラ劇場コラボレーション企画」の「ピンク大賞特集」だ。私の初見は1995年ベストワン「悶絶本番 ぶちこむ!!」と、2000年ベストワン「せつなく求めて−OL篇−」だ。(もう一本は2010年第2位「欲望の酒場 濡れ匂う色おんな」)

2011年6月29日(水) ●上野オークラ劇場
「せつなく求めて−OL篇−」 2000年公開
監督・荒木太郎  脚本・吉行由実  主演・川奈恵美,吉行由実

男遍歴を重ねる母の吉行由実にウンザリしている娘の川奈恵美。だが、ようやく夫を迎えて落ち着いた生活に入ってホッとする。義父は信頼でき、連れ子の兄の岡田智宏も好青年で、やっと普通の家庭を味わうが、義父は事故で急死してしまう。精神不安定となった川奈恵美は、血の繋がらない兄の岡田智宏に「男」を感じ始めるが、そんな時に母の吉行由実と彼が接吻を交わしているのを目撃してしまう。

そんなよくある話だが、出演者はいずれも適役好演だし、例によっての荒木太郎演出は抒情がタップリ溢れている。私は2000年当時のピンク映画には詳しくはないが、でも、これがこの年を代表するベストワンと聞くと、ちょっと物足りなくも感じる。

これぞベストワン!という意欲作・問題作がなく、佳作乱立ドングリの背比べとなる年は、相対的にこういうサラリとした後味の作品が浮上するのではないか。2006年「悩殺若女将 色っぽい腰つき」(恋味うどん)、2009年「壺姫ソープ ぬる肌で裏責め」(うたかたの日々)のベストワンというのが、それに近い気がする。

「悶絶本番 ぶちこむ!!」 1995年公開
監督・サトウトシキ  脚本・立花信次  主演・南口るみね,吉行由実

本田菊雄の駄目男が、南口るみねと同棲しながら、年上の吉行由実とも関係を持ち、目的もなく家出をして、旅先で腰を据えた印刷所で葉月蛍とも関係し…。そんなアンニュイに満ちた男の性の放浪が、思い入れタップリに綴られる。

ムードはそれなりに醸し出している。三女優のキャラも個性が活きていて、申し分ない。観る人が観れば、ダントツのベストワンなのだろうが、こういう甘ったれ男の行状記には、私はイライラさせられる。そういえば、過去にも一般的には圧倒的な好評を得ていながら、私がイライラした映画があった。それが「八月の濡れた砂」だった。ここから先の話題は、ピンク映画そのものとやや外れるかもしれないが、私の一つの心情として書き記しておきたい。

「八月の濡れた砂」は1971年公開作品、その気だるい青春の心情の放浪は、当時の若者に圧倒的な共感を持って迎えられた。その甘ったれぶりにイライラし大反発を感じたのは、私の知る範疇の限りでは私一人だった。そんな私は、ほとんど「非国民」扱いだった。

これがもてはやされた時代の雰囲気は、わからないでもない。反70年安保闘争は空転、全共斗運動は挫折しその時代の閉塞感・挫折感に、このアンニュイに満ちた気だるい青春がピッタリ来たのだろう。これは反60年安保闘争挫折の後、西田佐知子の歌謡曲「アカシアの雨がやむとき」がもてはやされたのと共通している。

しかし、これはインテリ層の甘ったれ以外の何物でもない。当時、高校の進学率は約6割、4割は私のように企業内学園に入学した者も含めて、義務教育を終えたら社会に出ていた時代である。さらに大学進学したのは、高卒6割の中の4〜5割、要するにに当時の大学生は同年代の若者の2〜3割というエリートだったのである。(それは学力だけでなく、家の経済力も含めてということだ)

だから、そのエリート意識から、革命の情熱が燃え上がったのはよく判る。問題はその後だ。彼等は挫折に名を借りて、公務員や大企業社員となり、同年代の若者の上に立つ管理職となり、高度経済成長推進の抑圧機構の発展拡大を担ったのだ。結果として、そんなまやかしの挫折感の甘ったれた連中の「八月の濡れた砂」評価に、私は与することはできない。

この同年代の若者の雪崩をうったような「転向」は、純粋な若者を孤立させて暴走に追いやった。1970年「よど号ハイジャック」、1972年「浅間山荘銃撃戦」、この連合赤軍が起こした事件は、残された若者の孤立感を象徴している。そもそも、共産同赤軍派と京浜安保共斗という水と油の組織が、武器と資金の共用というだけの理由で「連合」赤軍として野合したことからも、彼等の孤立感が伺える。

「八月の濡れた砂」公開の1971年、私が大きく感動したのは「遊び」であった。貧しい家庭の中で、「遊び」に目覚め人間らしく生きようとした関根恵子(若き日の現・高橋恵子)の、自死にまで至る真剣に生に向かい合った姿に、私は心の中で号泣した。もっとも、この頃の斜陽時代の映画観客層の主流は、ほとんどが大学生、または大学出ホヤホヤの社会人であり、「八月の濡れた砂」の優位は、動きようもなかった。

その傾向は21世紀にまで引きずっている。結局は、全共斗世代と称して映画評論などの言論を握っているのは、世代の中の2〜3割に過ぎない大学出の人間に過ぎないのだ。団塊の世代=全共斗世代とよく言われるが、事実は全く違い、全共斗は団塊の世代の代表ではない。

前置きが長くなった。1995年に、「八月の濡れた砂」と同工異曲の気だるい青春の「悶絶本番 ぶちこむ!!」が、ピンク映画大賞を獲った意味は、何だろうということだ。「八月の濡れた砂」の24年後のことである。全共斗世代二世が、親世代のまやかしのアンニュイの影響を受けていて、そのムードが高い評価になったということなのだろうか。それとも、全共斗世代が、創作・評論の主流になってきた結果なのだろうか。

ちなみに1995年は、阪神淡路大震災の年であり、オウム真理教強制捜査の年であった。この時代の空気に因果関係があるかどうかも、興味深いところであるが、この時代にリアルタイムで全くピンク映画を観ていなかった私には、何とも言いようがない。以上、「悶絶本番 ぶちこむ!!」ベストワンの意味を、ピンク映画とはやや外れてしまったが、私なりに考えてみた。

2011年7月15日(金)「淫虐令嬢 吸いつく舌」が、上野オークラ劇場で封切になる。この作品については、春に池島ゆたか監督のご好意で、初号試写を観せていただいたので、その時点に書いた映画評を、次にご披露したい。

2011年3月28日(月) ●東映ラボ・テック
「淫虐令嬢 吸いつく舌」 2011年公開
監督・池島ゆたか  脚本・五代暁子  主演・夏海碧,冨田じゅん

池島ゆたかが帰って来た!練達の職人の池島ゆたかが帰って来た!そう!池島ゆたかは練達の職人なのだ。だが、最近は作家性の強い意欲作が多く、我々は池島ゆたかが練達の職人であることをすっかり忘れていた。

シナリオタイトル「蛇女」、典型的B級映画ホラー・テイストの題材を、男優二人、女優三人の、シンプルな構成(シルエットやチョイ役のSPECIAL THANKSの二人を加えても計七人)で、見事に語り切って魅せた。これは、練達の職人の深町章の世界である。そう、池島ゆたかは実は深町章に引けを取らない練達の職人であったのだ。

冒頭から熟年の未亡人女医の冨田じゅんとセフレの野村貴浩の激しいカラミである。いや、病院の同僚という関係が見えてくるのは、激しいカラミの後であり、シチュエーション抜きでいきなりカラミをぶつけてくるのは、池島映画として極めて珍しい。そして、しっかりとエロく見せる。改めて、その職人技に感嘆する。

冨田じゅんには、大学生の息子の沼田大輔がいる。そして彼には恋人の三橋ひよりがいる。ラブラブであるが、三橋ひよりは潔癖症なところがあり、フェラチオだけは嫌っている。

そんな状況の中で、冨田じゅんは両親に死に別れた妹の娘、つまり姪の夏海碧を自宅に引き取ることになる。これがミステリアスな娘で、冨田じゅんの息子の沼田大輔や、彼女のセフレの野村貴浩を、次々と誘惑していく。夢ともうつつともつかない幻想的な濡れ場も実にエロい。沼田大輔のジーパンの上にまでオーバーに溢れ出した夢精の描写など、抱腹絶倒のおかしさだ。

彼女の正体は、冨田じゅんの妹が、水の神の龍神と交わってできた蛇女だったのだ。恋人がフェラ嫌いだった沼田大輔の一物を、夏海碧が蛇を愛撫するようにしゃぶるエロさは、伏線が効いているだけに見事だ。また、冨田じゅんが庭に大量に棲みついている蛙を、気味悪がっているのも、夏海碧が蛇女の正体を露わにする伏線として連動し、ここも見事である。

ただ、こうしたホラー映画は、低予算ピンクだけに、画面にどう豊かさを与えるかが課題となる。池島ゆたか監督の2001年公開のホラー「おんな35才 熟れた腰つかい」では、突然倒れる花瓶や、ひび割れる写真立てのガラスなどで、恐怖感を豊かに盛り上げていた。

それに比すると、今回は冨田じゅんの愛鳥のインコが引き裂かれるシルエットとか、庭の土に泥塗れになりながら蛙を求める夏海碧などの効果的な描写もあるが、「おんな35才」に比べて、やや画面の豊かさに欠ける。

それを補って余りあるのが、大場一魅の音楽であった。私は音楽に関しては、ド演歌以外あまり判らない無粋な人間で、映画音楽の良し悪しにはニブい人間なのだが、今回の大場一魅の音楽の素晴らしさはよく判った。とにかく変幻自在の音楽によって、画面が物凄く豊かになっていくのである。映画音楽の効果が、これほど凄いとは思わなかった。

かつての池島ゆたか作品は、プログラムピクチャー的な作品を、練達の職人技で2〜3本見せる合間に挟んで、作家性の強い意欲作・勝負作を発信していた。しかし、ピンク映画の本数激減に伴い、今やそんな余裕がなくなり、一本一本が勝負作にならざるをえなくなったようだ。しかし、今回のような練達の職人技を見せられると、昔が懐かしくなってくる。

「量」は「質」に繋がる。その底辺の「量」が乏しくなることによって、「質」の地盤沈下が起きてくる。そんなピンク映画の現状の象徴をここにも見た思いだった。


2011年7月6日(木) ●上野オークラ劇場
「白昼の人妻 犯られる巨乳」 2011年公開
監督・竹洞哲也 脚本・小松公典,山口大輔 主演・櫻井ゆうこ,かすみ果穂

刑事の岡田智宏と、その妻の絵の得意な櫻井ゆうこ。仲睦まじい二人の部屋に、闖入者グループが乱入する。岡田智宏は射殺され、櫻井ゆうこも、レイプされた後で頭に銃弾を撃ち込まれる。岡田智宏が組織の捜索に深入りしたのが原因のようだ。

九死に一生を得た櫻井ゆうこは、記憶を辿って侵入者の似顔絵を作成し、それを手掛かりに復讐を決意する。時々激しい頭痛に襲われ、記憶もだんだんと喪失していくようである。彼女はひょんなことから殺し屋の園部貴一と遭遇し、復讐のサポーターとして彼を雇う。ここまでストーリーを記せば、原本はもうお判りだろう。ジョニー・トーの「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」である。竹洞哲也は、ピンク版のハードボイルド・フィルムノワールをやりたいようである。

以後の展開は、ほとんど原本を踏襲して進んでいく。ただ、キャラをピンク流に味付けしているのが、まあ見所といえようか。殺し屋の園部貴一の前の雇い主は、毘舎利敬だった。そのボスに常にピッタリくっついている殺し屋が岩谷健司。二人はホモ達でいつもイチャイチャしている。といってもゲイポルノではないのだから、描写は軽くキスを交わしたり手を握りあったりの軽いものである。まあ、でも奇妙な味わいは醸し出している。

毘舎利敬の妻が酒井あずさで、毘舎利はバイのようであり、こっちはこっちでピンク流にちゃんと濡れ場がある。また、園部貴一は過去のトラブルで、毘舎利敬に愛人(櫻井ゆうこ二役)を殺された経過があり、瓜二つの櫻井ゆうこの復讐の片棒をかついだのは、そういう裏があったのだ。毘舎利敬側の女ヒットマンにかすみ果穂がいて、華を添える。

このように、あれやこれや色々な凝った仕掛けは考えているのだが、何せ原本が「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」であるから、どう頑張ってみたところで、負け戦にしかならない。ジョニー・アリディの役を、女の櫻井ゆうこに変えたくらいでは、とうてい追いつかない。園部貴一にしても、原本がアンソニー・ウォンなのだから、端から太刀打ちできるはずもない。お遊び映画として、軽く楽しむ分にはいいし、私もそれなりに楽しんだが、皆が皆、こんなお遊びにつきあってくれるかという、大いに疑問である。

一転だけ、原本を大きく超えた面白さがあるとすれば、倖田李梨が演じる闇医者兼武器商人であろう。こういうタイプの役は原本に無く、妖しげなアイパッチをつけた佇まいは絶品であった。まあ、これは映画作家側の力というよりは、今や乗りに乗っている倖田李梨の存在感がもたらしたものだろう。ヌードもカラミもない「特別出演」で、作品全体を浚ってしまうのだから、大したものである。

こう観てくると、名画のオマージュ=パロディを乱発しながら、必ずピンク流改作の必然性があり、原本に対しても一点は突破し、絶対に負け戦はしない池島ゆたか=五代暁子コンビの才能に、改めて感嘆する次第である。
2011年ピンク映画カタログ−12

2011年6月23日(木) ●上野オークラ劇場
「恥ずかしい検診 興奮のOL」(旧題「失神OL 婦人科検診2」) 1993年公開
監督・浜野佐知  脚本・山崎邦紀  主演・西野美緒,森山美麗

SEXのエクスタシーで失神する瞬間に、未来を見ることができる二人の女の話である。SF調の滑り出しはなかなか快調だ。

主人公の西野美緒が失神する瞬間に見るのは、次にSEXする男の顔である。もう一人の斉藤桃華の方は、翌日の天気が失神する瞬間に見えるという。この二人を診察した医師の久須美欽一(この頃は若いです)は、二人の膣内に共通してYスポットなる突起があることを発見する。濡れ場の方便でストーリーが転がる「金太郎飴映画」としては、うまい仕掛けである。

しかし、ここに意外な落とし穴があった。ストーリーとしては面白くて次の展開に興味を持たせるのだが、西野美緒が失神により次のSEX相手が判明してベッドインすると、そこはピンク映画だから延々と濡れ場が続き、ストーリーが完全に中断されるのだ。早く始めろ〜と待ちかまえている「金太郎飴映画」を見に来た観客にはいいのかもしれないが、こっちはストーリーの進展が気になって「早くストーリーを進めろ〜」とイライラすることになる。

濡れ場にしても、そのような設定だから情のからみなどもあまりなく、一本調子のXcesワンパターンアヘアヘピストンに終始する。一対一のノーマルなカラミだから、いつものアナーキーな浜野流の性の奔流という魅力も、噴出しようがない。(この手の新田栄映画よりは、見せるヴァリエーションの工夫はあったが…)

西野美緒の不倫相手の上司が、天気予知能力を商売に活用しようとして斉藤桃華にからんで失敗したり、医師の久須美欽一に嫉妬して看護師の森山美麗が誘惑したりと、脇のエピソードで濡れ場が延々と続き、ますますストーリーが渋滞し、「金太郎飴映画」愛好家はともかく、私としてはさらにイライラが募る。

最後は西野美緒が、前立腺にYスポットを有しており、彼女と同じ能力を持つジャンク斉藤と出会う。しかし、二人の相性はピッタリで、絶頂に至って次のSEX相手を目にするのを二人は恐れ、共にエクスタシーに至る直前で行為を控える。そして、二人でYスポット除去の手術を受ける決心をする。医師の久須美欽一は残念そうだが、本人の希望とあらば渋々と手術に応ぜざるをえない。

かくして、超能力を失った西野美緒とジャンク斉藤は、安心して二人で絶頂を極め、メデタシメデタシとなる結末だから全く他愛ない。それよりもなによりも、ストーリーの興味と濡れ場との連動がチグハグに終わった惜しい「金太郎飴映画」であった。

「人妻と愛人 不倫ハメ覗き」 1998年公開
監督・橋口卓明  脚本・荒留源  主演・里見瑤子,瀬戸恵子

不倫相手からは何も求めず、心の赴くままにひたすらその愛情関係だけに浸りこむミステリアスな女、里見瑤子。その彼女と電話と盗撮だけの関係を続ける聴覚障害の男。女は男の覗きを意識して、マンションの窓を開け放し不倫の濡れ場を見せつける。男は聴覚障害者なので読唇術に長けており、女は窓から唇の見える角度で情事に耽り、その時の会話までも「見せつける」。

そもそもの、二人の出会いはどうだったのか?といった説明はあまりない。ストーリーらしいストーリーもあるのだが、語り口としては曖昧な部分も多く、あまりそこに力点を置いていないみたいでもある。これが、前世紀末に一部では絶賛を集めた朝倉大介製作の、国映作品というものなのだろうか。ただ中には、こうした前衛タッチを嫌う人もいたようである。

一応、ストーリーの骨子らしきものは、紹介しておこう。男は、社長令嬢の逆玉に乗るつもりでいた。しかし、ある事故により聴覚を失い、その目論みは水泡に帰する。そして、事故の原因を作った男が逆玉に乗ってしまう。彼は里見瑤子と不倫中である。社長令嬢は探偵を雇い、夫の逆玉男の身辺を探る。しかし、その探偵よりも覗き男の方が上をいっているわけで、男は優越感に浸る。

そんな関係の中で、脅迫トラブルが発生し(ややこしいストーリーは、もうあまり覚えていないし、ムードが主軸のこの映画にとっては、そんな細部はどうでもいいようだ)、最終的に覗き男は大金を手にする。その大金を手に、覗き男は里見瑤子と初めて顔を合わせ、二人の濡れ場で幕を閉じる。そんな結末はどうでもよく、あくまでもミステリアスな女の里見瑤子の主人公を核にしたムードがすべての映画と観た。

エンディングは、女上位で悶える里見瑤子の上半身ヌードが、マンションの窓から見える外景である。カメラはグングン引いてロングになっていく息の長いショットは、パワフルだった。何を考えているか判らない神秘的な女、前世紀末の若き日の里見瑤子は、私が「御贔屓里見瑤子嬢」の連続7文字ではしゃいでいた頃の「宇宙人」であった。

「母娘?痴情 快感メロメロ」 2011年公開
監督・渡邊元嗣  脚本・山崎浩治  主演・紗奈,美咲レイラ

例によっての渡邊元嗣・山崎浩治の監督=脚本コンビによるブッ飛び映画である。よくある手だと思わせておいて、2度にわたるドンデン返しで意表を突いてくる展開が楽しい。

滑り出しは、泥酔して目覚めたら、母と娘の心と体が入れ替わっていたとの、「転校生」などで(ピンク映画にも「ドすけべ三昧 母娘喰い」なるものがあった)何回も使われたネタである。

母の美咲レイラは保険外交員、私生児の娘の紗奈を生んで、今は娘と二人で地味〜に生きている。でも若い男の同僚の津田篤と遊んではいる。娘の紗奈は、フリーターカメラマン真田幹也の恋人がいたが、将来を考えて同僚の出世コースの男の西岡秀記といい仲になり、婚約にまでこぎつけたしっかり者だ。

ところが、津田篤は単なる金目当てで、年上の熟女の美咲レイラとつきあっていただけのことが判明する。また、紗奈は西岡秀記側の興信所調査で私生児であることが判明してしまい、婚約は解消されてしまう。共に落ち込んだ母娘は、二人で飲み歩き泥酔し、犬小屋みたいなヘンな飲み屋に這って入り込んで、目覚めたら人格が入れ替わってしまったとの展開である。

美咲レイラの姿になった紗奈は、藍山みなみと手をつないでいる西岡秀記を発見する。「私と別れたすぐ後にもう!」と怒って、母親の姿になっていることも忘れ立ちはだかるが、どうも西岡秀記の反応がおかしい。この世界では、西岡秀記の妻は美咲レイラなのだ。そして、妻である美咲レイラは娘の紗奈のことしか考えておらず、夫への愛は冷めてしまっているようだ。西岡秀記は、君とは別れて藍山みなみと結婚すると、美咲レイラに告げる。

紗奈の姿になった美咲レイラは、津田篤と出会う。すると馴れ馴れしく近付いてくる。どうもこちらの世界で津田篤は、紗奈とも美咲レイラともつきあって、二股をかけていたようだ。

ここまで来ると、この映画の新たな仕掛けが見えてくる。単なる人格入替劇でなく、それに連動したパラレルワールドものというユニークな映画であることが見えてくる。

次に、紗奈の姿になった美咲レイラは、かつての恋人の真田幹也と出会う。そこで彼から、紗奈は母親を安心させるために出世コース男を選び、フリーターの自分は振られたのだとの過去が明かされる。

ということで、母娘は人格と体が入れ替わったと共に、もう一つのパラレルワールドを生きたことで、今まで知らなかったお互いの思いを知ることになる。そこへまた二人の前に犬小屋風の居酒屋が…。心を通い合わせた二人は、元の世界にもどるべく這い込むと…、そこに現出したのは元の世界と思いきや!!この映画は、もう一つのヒネリを効かせてみせる。新しいワールドでは、美咲レイラと紗奈の母娘は、父息子になっていた。そして、息子の紗奈が父親の美咲レイナに紹介した婚約者が藍山みなみというギョギョ?という展開になる。てなことで、この続きは別の機会に…という落ちでエンドクレジットとなる。

このもう一つのパラレルワールドへジャンプする手は、渡邊元嗣=山崎浩治コンビとしては「ふたりの妹 むしゃぶり発情白書」で、ニューハーフの3兄弟がなぜかエンドクレジットで妊婦腹になっており、続きは別の機会に…というのがあったが、この「ちょうど時間となりまして…」という浪曲調のエンドはやはり面白い。昔なら両作ともスピンオフへと続くのかもしれないが、でも、本数激減で余裕のない昨今では、そんな遊びは無理なところであろう。
2011年ピンク映画カタログ−11

2011年5月24日(火) ●上野オークラ劇場
「浪花ノーパン娘 我慢でけへん」 2007年公開
監督・加藤義一  脚本・岡輝男  主演・岡本優希,しのざきさとみ

岡本優希は、元気印で男勝りの浪花娘。博打好きで仕事に精出さないオトン平賀勘一の面倒をみながら、お好み焼き屋を中心になって切り盛りしている。平賀勘一の女房が「しのざきさとみ」、夫の博打好きに愛想をつかして、家を出てしまったが、博打打ちを除けば今でも夫に想いはある。しっかり者の娘を父親の下に残したのも、その心の表われだ。

岡本優希は、二人の撚りをもどそうとするが、意地を張り合う両親なのでなかなか首尾よく運ばない。そんな中で女医の風間今日子から、健康診断の結果、不治の病が発見されたと、岡本優希は告げられる。唐突な難病モノへの転換である。

死ぬ前に何とか両親の撚りをもどそうと、岡本優希は一計を案じる。東京から来たスマートな出張サラリーマン岡田智宏に懇願し、婚約者を演じてくれと頼む。自分が家を去れば、父が心配で母はもどるだろうとの魂胆である。ただ策略とは別に、実は岡本優希は、本当に岡田智宏に心を寄せているのだ。おいおい、今度は変型の「ラブ・ストーリーを君に」かよって、どんどんブッ飛んだ展開になる。

岡本優希には幼馴染の喧嘩友達ヒョウドウミキヒロがいる。彼女の心が岡田智宏にあるのでガックリするが、風間今日子医師に極秘で難病のことを聞かされたので、岡本優希のために陰にまわっての裏工作で、一肌も二肌も脱ぐことになる。かくして平賀勘一と「しのざきさとみ」の撚りは戻る。

その後は、健康診断結果は誤診であったこと、岡田智宏はこの善意の芝居を想い出として、東京に帰ること、相変わらずの喧嘩友達だが岡田優希とヒョウドウキミヒロはこのままいい仲になるだろうと匂わせること、など平々凡々の結末となる。

平賀勘一、岡田智宏、ヒョウドウミキヒロ、「しのざきさとみ」は、タイプキャストであるが、役どころを得て好演。特に「しのざきさとみ」の熟女の情感は、相変わらず魅せる。風間今日子の医師は、失恋に泣くヒョウドウミキヒロを体で慰めたりして、そりゃないだろと思うが、ピンクなんだから致し方ないか。

残念なのは、元気印の浪花娘のキャラが、岡本優希ではイマイチ立っていなかったというところか。

「和服姉妹 愛液かきまわす」 2007年公開
監督・浜野佐知  脚本・山崎邦紀  主演・浅井千尋,宮下ちはる

居酒屋店長の津田篤の婚約者が浅井千尋である。彼女は妹の宮下ちはると二人で、ネット通販の「和服リサイクルショップ」を開業している。浅井千尋と宮下ちはるのフレッシュな和服姉妹が、まずビジュアル的な見せ場といったところか。

津田篤の父親が牧村耕次である。初老の神父だ。息子から婚約者として、浅井千尋を紹介される。艶やかな和服で美しい人だと思うが、初対面においてはそれ以上の感慨はない。

後日、牧村耕次が川辺を散策中に、浅井千尋と再会する。この時の彼女はアップした髪を長く垂らし、スラリとした洋装だ。この浅井千尋のイメージチェンジは、牧村耕次ならずともゾクリとそそられる。

浅井千尋は牧村耕次に、名前を教えて下さいと話かけられる。「お父さまとか、神父さまとか呼びたくないんです」と、艶然と微笑みかける。牧村耕次は、完全に息子の婚約者以上の存在と感じ、クラクラしてくる。「私、和服とか日本のものが好きなんです。お相撲も好きです」、これがその夜の牧村耕次の淫夢の伏線になる。

牧村耕次の淫夢の中の浅井千尋は、裾を大きくたくし上げて、四股を踏む。フンドシ様の下履きが丸出しになり、股間は顔の真上、大いにエロい。いよいよ息子の婚約者とのSEXへ至り、浜野佐知流のアナーキー世界が満開となるか。と思ったら、今回は意外と正統派の展開に至る。

牧村耕次の古女房は佐々木基子だ。淫夢で寝汗グッショリの夫を気遣うが、そのうちに久し振りに催してくる。牧村耕次と佐々木基子は、夫婦の営みへと至る。しかし、邪念が芽生えてしまった牧村耕次は、妻が相手では好意を完遂できない。

この濡れ場は見事である。ピンク流のエロさで見事というのではない。夫婦の暮らしの中の自然な延長としての夜の営みを、興味本位でも物欲しくもなく、自然体のリアリズムで捉えきっている。こういう描写は女性監督ならでこそなせる技で、吉行由実演出の最も冴える部分でもあるのだが、成程、浜野佐知監督も女流であることを、改めて認識した。

後は真っ向ひたおしに、浅井千尋と牧村耕次の禁断の愛慾へのめり込んでいく。妹の宮下ちはるの口から、姉妹は早い時に両親を喪い、姉の浅井千尋には父親のような年上の男性への憧れがあったと語られ、その意味ではこのアブノーマルともいえる二人の関係も不自然ではない。

決着は牧村耕次の腹上死という凡なものであるが、このストーリーの流れでは、こうとしか終わらせられないのも確かだろう。追憶に耽る浅井千尋の前に佇む幻想の牧村耕次、この抒情的なエンディングも含めて、今回の浜野佐知はアナーキー世界を封印し、王道で押し切った。

2011年6月2日(木) ●上野オークラ劇場
「おばさん家政婦 肉づきたっぷり」(旧題「どスケべ家政婦−下半身拭い−」) 1994年公開
監督・池島ゆたか  脚本・五代響子  主演・沢田杏奈,井上あんり

五代暁子が「響子」時代の池島ゆたか監督とのコンビ作で、例によっての名画のパロディ=オマージュの一編。今回は、「淫乱なる一族 第二章 絶倫の果てに」に先立ち、やはり池島=五代版の「テオレマ」である。

サラリーマンの池島ゆたかの愛人がテレクラ嬢の沢田杏奈、よろしく浮気を楽しんでいたら、彼の父の野上正義が倒れ介護が必要となってしまう。しかし、キャリアウーマンの後妻の井上あんりは、介護などはまっぴらごめんと、ケンもホロロだ。池島ゆたかの役名は江崎亘で妻は江崎「栗子」、さらに脚本の五代響子自身も、看護師として山ノ手「ぐり子」の芸名でカメオ出演と、ここでも楽しく遊んでいる。

困り果てた池島ゆたかに、愛人のテレクラ嬢の沢田杏奈が、住み込み家政婦として父親の介護を申し出る。後は、完全に「テオレマ」的展開で、引き続き池島ゆたかと不倫を楽しみつ、介護名目で野上正義にも性のサービス、息子の平岡きみたけにそれらを見られてしまうと、彼までベッドに引き込んでしまう。

一人の人間がブルジョア家庭に侵入し、全員を性の毒牙にかけて家庭を崩壊させる。原点のパゾリーニ「テオレマ」では、それに人間の原罪をからませるなど、宗教的要素がからむが、日本映画になじむテーマではない。池島ゆたか監督作品は、名画のオマージュ=パロディでありながら、ピンク流のセンスで、絶対にオリジナルに対して負け戦にはしない定評がある。さて、今回は「テオレマ」をどうピンク流に納めてみせるのか。

息子の平岡きみたけと沢田杏奈の痴態の濡れ場に、父・池島ゆたか、義母・井上あんり・祖父・野上正義が踏みこんで、二人を詰問する。その時、息子の平岡きみたけは、義母の過去の秘密を突如バラして反撃に出る。幼い頃に後妻のセクハラ行為で、さんざん悪戯されたというのである。この展開はかなり意表を突かれた。

そんなこんなで、ゴタゴタはウヤムヤになり、親子三代で一人の家政婦・沢田杏奈を共用するある種の理想的な家族が誕生する。それでは、妻の井上あんりだけは収まるまいと思ったら、その時は沢田杏奈のレズテクニックで、井上あんりも墜ちていたというパゾリーニもビックリの結末だ。確かに池島ゆたかは、絶対に負け戦はしない人だ。

前の池島版「テオレマ」の「淫乱なる一族 第二章 絶倫の果てに」は、性の乱舞のスラップスティック的展開のエンドで、ロスの「おっぱいと血の国際映画祭」では、爆笑・哄笑のドッカンドカンの大受けだった。同じ「テオレマ」を元ネタにしながらこのバリエーション、池島ゆたかは才人である。

「囚われの淫獣」 2011年公開
監督・脚本・友松直之  主演・柚本紗希,倖田李梨

赤い布で覆われた暗い部屋で、「ソウ」でお馴染みのジグソーの操り人形が突如動き出す。「さあ、映画を始めよう!」と、ピンク映画について蘊蓄を傾け始める。えっ!これから何が始まるの。ピンク映画の定番を大きく覆す大胆なプロローグだ。鬼才・友松直之監督(脚本も)への期待が一気に高まる。

ジグソー人形に続いて、柚本紗希が画面の中で客席に向かい、目いっぱい扇情的なポーズでエッチな言葉を乱発する。これはかなりエロい。音楽も、これまでの友松映画のダイナミックに打楽器を多用したものとは対照的に、静かに流れるメロディーで、さらにエロさを盛り上げる。そして何故か、旧上野オークラ劇場のロビーで、失神昏倒している女二人と男三人の姿が、カットバックされる。何だ、何だ、何が起こるんだ。個性的な友松演出は、グイグイと我々を映画世界に引き込んでいく。

五人の男女は目を覚ます。そして、序々に記憶を取り戻していく。若林美保は、上野オークラ劇場新館の従業員だった。受付で居眠りをし、気が付いたらここで目覚めたという。残りの四人、倖田李梨・津田篤・如春・藤田浩は、新上野オークラ劇場でピンク映画を見ていたが、やはり眠気に襲われ、気が付いたらここにいたということだ。

旧上野オークラ劇場は、閉館して現在は閉鎖されている。五人はここから脱出すべく、体当たりして入口に打ちつけられたベニヤ板をぶち破るが、すると客席後方の館内から、再びロビーに転がり込んしまう。そして、ベニヤ板は打ちつけられたままだ。何度繰り返しても同じである。この「ドラえもん」風のどこでもドア的展開は面白い。

五人はあきらめて場内に入ると、スクリーンのジグソー人形が、五人それぞれに「何を目的にピンク映画を観にきたのか」と、詰問してくる。女性ピンクファンの倖田李梨は、「映画」として素晴しいからと、主張する。しかし、ジグソー人形は、ピンクなんて単なるエロで、痴漢の溜まり場で、もてない風俗童貞の若者や年寄の暇つぶしに過ぎない、お前たちは自分がピンク映画ファンであると普通の人間の前で言えるか、などなどと喝破していく。

さらに、そんな場に女が入ってくるのは、レイプされても当然だと、友松直之持論のレイプ正当論へと繋がっていく。そこに端を発し、レイプ・反撃による殺人・贖罪による自殺と、五人の男女の阿鼻叫喚の地獄図へと発展する。ダイナミックな友松演出の映像・音楽処理は、グイグイ我々を引きずっていく。

だが、ダイナミックな映像の素晴らしさに比べて内容の底の浅さは、次第に私の心の中の、もう一つの半面を冷えさせていく。世間一般のピンク映画の位置付けは、ジグソー人形の言うとおりだろう。でも、そこまで自嘲的・自虐的になって何があるのか。そんなことを今さら麗々しく説教垂れて教えてくれなくても、ピンク映画ファンは世間見る眼のそんなポジションを知っている。それを承知で、なおかつピンク映画の価値を認めているのだ。

結末は、生身の女性に接するのが怖かった風俗童貞の津田篤が、新館で失神しスクリーン内に入り込んで、柚本紗希を手を携えて去っていく。肉体は救急車で搬送される。結局、生身の女よりも、幻想のスクリーンの女しか選べなかったという、これも何ともかんとも情けない幕切れだ。

倖田李梨さんはmixi上で、「ピンク映画を見に来ている女性の方々を背負って演じたつもり」と書き込んでいたが、私にはとてもそうは見えなかった。五人は幻想空間を共用したわけだが、最後に「二度と来るか!」と捨て台詞を残して去るあたりは、単なる新手の物珍しいファッションとしてピンク映画館に通っている軽薄女にしか見えなかった。現実の私の知る女性ピンク映画ファン(李梨さんも含めて)は、もっと深いしもっとしたたかだと思う。

この映画は、一部のピンク映画通・ピンク映画フリークへの挑発なのかもしれないが、津田篤・倖田李梨などへのピンク映画ファンを必要以上に貶めた次元の低い人物造形から、挑発にすらなりえていないと思う。ただ、全編を貫く映像・音楽のダイナミックな演出力、「映画は眼で観せる」との淀川長治さんの直系を任じている私としては、理屈なんかどっかにやってしまって、やはりこの映画にある種の感嘆を禁じえないのである。
2011年ピンク映画カタログ−10

2011年4月30日(火) ●テアトル新宿
「痴漢各駅停車 おっさん何するんや」 1978年公開
監督・稲尾実  脚本・福永二郎  主演・桜マミ,野上正義

一流商社マンの久保新二は独り者で悶々としており、今日も今日とて通勤電車で痴漢に励んでいる。それを見つけた上司の野上正義は、会社で部下の久保新二に説教する。「もっとうまくやれ!」、かくして野上上司指導の下で、久保新二は共に痴漢に励む。何ともおかしい典型的ピンク映画の展開だ。

野上正義の妻の桜マミは精力絶倫だ。夫の野上正義はホトホト参っている。そこで、ハケ口として部下の久保新二を与える。痴漢→二組の濡れ場と、ここでも典型的ピンクの展開になる。

ただし、この映画の魅力はエッチシーンではない。もちろんそれはそれで、ピンク映画的サービスとして楽しめばいいのだが、もっと楽しいのは野上正義と久保新二のアドリブに富んで、掛け合い漫才を思わせる絶妙のやりとりである。

二人は商談で大阪へ出張する。交渉相手は外国人だ。ここでも、外国人は日本の女を紹介しろと迫ってくる典型的ピンク映画の展開だ。この外国人も精力絶倫で、世話した女は悉く外人がイク前に、失神昇天してしまう。困り果てた野上正義が、部下の久保新二に「お前が何とかしろ!」と無理難題を命じ、久保新二が情けない表情で、外人の巨根をシゴく破目になるのが(スクリーンにズバリそのものは出ないが)、何ともかんともおかしい。この商談相手の外国人を演じるのが、後に真打ちのビッグネームとなる快楽亭ブラック師匠の若き日の姿、前座時代の桂三Qである。ここでも役者の面子が揃っている。

思いあぐねて野上正義は、桂三Qの相手に、我が妻の桜マミをあてがう。日米精力絶倫対決の肉弾戦だ。濡れ場の中にゼロ戦とB29が飛び交うシーンが、インサートされる人を喰った展開だ。そして、桂三Qの方が「轟沈」する。

ということで、艶笑コメディとも言えないような凡ピンクの筋立てなのだが、これが実に魅せる。理由は野上正義と久保新二の絶妙な掛け合いだ。前世紀のピンク男優は、男優の芝居だけで魅せてしまう人が、本当に多い。裸を楽しみに来て、男優でも楽しまされ、お得気分に浸れるのである。

よく考えてみれば、男優が達者なのは当然かもしれない。これはストリップの幕間コントの芸人の達者さに通じるものだろう。裸を見に来た客は、男がステージに出てくれば見向きもしない。そんな場で客の視線を惹きなおすには、相当な芸の力が必要である。渥美清もビートたけしも、そんな場で鍛えられたのだ。野上正義・久保新二が達者なのも必然だ。

これは「第23回ピンク大賞表彰式」後に、特別賞授賞を記念した「追悼 野上正義 特別上映」として上映された。上映後に久保新二さんと桜マミさんが登壇し、野上正義さんの想い出話などをした。例によって久保新二さんは乗り乗りで、最後は桜マミさんと(着衣のままではあるが)立位で濡れ場も「再現」したのであった。よい供養になっただろうと思う。

2011年5月4日(火) ●上野オークラ劇場
「発情花嫁 おねだりは後ろから」 2011年公開
監督・脚本・荒木太郎  主演・早乙女ルイ,淡島小鞠

早乙女ルイの人気が高い。私は「OP映画祭り 2011」に、4日(火)と5日(木)の二日間参加したが、舞台挨拶に早乙女ルイが来館した荒木太郎監督特集の客入りは、とにかく凄かった。掛け値なしに空席なし。立ち見も出ており、プロレス会場流に言うならば「超満員」である。多分、早乙女ルイ人気だと思う。(ちなみに私のこの日のお目当ては御贔屓里見瑤子嬢!)

翌日5日(木)の後藤大輔監督・脚本特集は、立ち見もいないではないが、空席も若干という感じであった。プロレス会場流に言えばまあ「満員」ということにはなるだろう。でも、イベント人気の高いお祭り人間・池島ゆたか監督が参加しているこの日を、前日の人気が凌いだのだから、改めて早乙女ルイ人気に感じ入る。

池島ゆたか監督のイベント人気は凄いものがあり、昨年11月の「性愛夫人 淫夢にまみれて」公開時の舞台挨拶でも、立ち見がでる立錐の余地もない盛況ぶりで、終映後は拍手まで起こるフィーバーぶりであった。俳優出身の池島監督は、イベントの盛り上げも巧みで、人気は順当なところでもある。ただ、今年のOP祭りは、あくまでもメインは後藤大輔監督ということもあり、イベント人気で一歩引けを取ったのはやむなしかもしれないが、それにしても早乙女ルイ人気は凄い。

監督作品100本を越えた池島ゆたかは、押しも押されもせぬピンク界のトップ監督の一人としての位置にあるが、実はそれ以前に俳優として500本以上の映画に出演している。現在の映画製作状況に鑑みて、多分出演作より多い監督作を送り出すことは不可能であろう。その意味では生涯を通じると、俳優・池島ゆたかということになるのかもしれない。とすれば、イベント人気のお祭り人間としての存在は必然である。

早乙女ルイ人気の話題から、横道にそれてしまった。本道にもどす。実は私は早乙女ルイ人気に、首を傾げている一人なのである。確かにルックスはいい。可愛い。でも、昨年のピンク大賞の新人女優賞で、圧倒的な票を集めているのを見ると、ますます首が傾ぐのである。

デビュー作の「義父相姦 半熟乳むさぼる」は、確かに良かった。哀愁を湛えた切ない清純ぶりは抜群だった。しかし、それ以降は、荒木太郎監督が彼女を育てようという気持は解らないでもないが、完全に役の重圧に潰されてしまっている。

続いての「させちゃう秘書 生好き肉体授業」は、清純な乙女が男を喰い殺すカマキリのような女へと変貌していく役どころ。これは増村保造映画の若尾文子の役回りである。しかし、はっきり言って、現在の早乙女ルイでは、到底無理なレベルだったと思う。

さらに「癒しの遊女 濡れ舌の蜜」では、永井荷風「墨東綺譚」の雪子役に挑戦させられた。これには、山本富士子、墨田ユキという大先達がいる。これはもう、端から負け戦にしかならない。いや、この映画の中に限っても、サブエピソードでしかない里見瑤子に、押しまくられっぱなしではないか。

「OP映画祭りの舞台挨拶」で荒木太郎監督は、『これまでの早乙女ルイは受け身の存在だったが、今回の「発情花嫁 おねだりは後ろから」では、ドラマの中心となって全体を引っ張って行く存在になった』との意味のことを言って絶賛していたが、私には到底そうは思えなかった。

「発情花嫁 おねだりは後ろから」は、脇役であるはずの淡島小鞠の芸達者ぶりが、抜群である。映画全体が淡島小鞠の映画といってよいくらいだ。さらにベテラン里見瑤子が脇で、ここでも圧倒的な存在感を見せる。でも、ヒロインは早乙女ルイだ。だからドラマ的に早乙女ルイが主軸に立つ。そこでこの映画は、妙にいびつでアンバランスなものになってしまった。

作品に則して語ってみよう。早乙女ルイが妹で姉は淡島小鞠である。妹の名はてふ(ちょう)、姉は多喜子だが、しっかり者の妹に比べて姉はボーッとしたおっとり者で、軽蔑も交えてタコと呼ばれている。この命名は、荒木太郎監督(脚本も)ならではので洒落っ気だ。

デザイナーの早乙女ルイは、恋人の津田篤から熱いプロポーズを受けているが、結婚に踏み切れない。スナック経営のおっとりした姉を残すのが心配なのだが、さらにもう一つの理由がある。二人の兄に極道者の荒木太郎がいて、たびたび妹達に金をせびりに来るのだ。結婚すれば、夫になった津田篤にも迷惑の類が及ぶ心配からの躊躇である。

淡島小鞠には、高嶺の花として一方的に思いを寄せている那波隆史がいた。かつては有能なジャーナリストだったが、トラブルから嫌気がさし、今は小料理屋を経営し、ヒッソリ暮らしている。彼をジャーナリストの中心に引き戻そうと画策する恋人が、里見瑤子だ。淡島小鞠は、自分の入り込む余地などは無いと、諦めている。

たび重なる兄の荒木太郎の無心に、淡島小鞠の堪忍袋の緒が切れる。ヤクザな知人の下を訪れ、人の刺し方の伝授を乞う。「腰を入れて!」とアドバイスを受け、ボーッとした風貌ながら一生懸命何度も腰を入れる動作を繰り返す淡島小鞠が、何ともユーモラスで楽しい。

映画は終盤に急激なハッピーエンドに転がる。妹の殺意を知った兄の荒木太郎は改心し、二度と妹の前に姿を現さないと誓って去っていく。あまり兇暴タイプでない監督自身をキャスティングした効果が、ここで活きてくる。兄の想いを感じ、去っていく兄の背に注ぐ淡島小鞠の、万感の視線が味わい深い。

那波隆史は、ギラギラと自分をジャーナリストの世界に引き戻そうと迫る里見瑤子に嫌気がさす。そんな生き方が嫌いだから、小料理屋の主にヒッソリと納まったのだ。彼女とハッキリ訣別し、そしておっとりした淡島小鞠の想いを、受け入れる心境になる。ここは、里見瑤子のギラギラした熱演が効果的だった。対比する淡島小鞠の存在感も見事である。軽蔑気味に周囲からタコと呼ばれていた女が、憧れの人に抱かれる悦びが静かにわき上がってくる。

ただし、別れの前に那波隆史が、里見瑤子の股間に唾を吐きかけてから犯すのはどうかと思う。濡れ場の回数を稼ぐサービスかもしれないが、これでは那波隆史がヤナ男に見えてしまう。

当然、問題が解決したので、早乙女ルイと津田篤も結婚することになり、最後は二人の濡れ場で締め括りとなるのだが、淡島小鞠・那波隆史・里見瑤子・荒木太郎の芸達者が演じてきたトライアングルのドラマの後では、もうどうでもいいやという感じになる。早乙女ルイのポジションとしては妥当な役どころにしても、今回も淡島小鞠に鮮やかにさらわれた感じである。

脚本は荒木太郎監督の単独執筆で、今回は淡島小鞠こと三上紗恵子は助監督のみで脚本に加わっていなかった。いや、もし三上脚本だったら、ずいぶんお人が悪いと思ったが、さすがにそんなことは無かったのである。

2011年5月14日(土) ●シネマバー・ザ・グリソムギャング
「スケベな住人 昼も夜も発情中」 2010年公開
監督・竹洞哲也  脚本・小松公典  主演・藤崎クロエ,日高ゆりあ

ストーリーはあって無きが如きハチャメチャ編で、とにかくケッタイなキャラクターが右往左往する。そのキャラの魅力がすべてである。初期のシットリ系からいつしかブッ飛び系に変身した竹洞哲也だが、これもその延長にあるブッ飛びの一本である。

岩谷健司と毘舎利敬は、極道の兄弟分で、今は命を狙われており、アパートにひっそりと身を潜めている。岩谷健司の役名は青森一郎、毘舎利敬の役名が和歌山二郎。それぞれ苗字の県の出身で、その県の方言で掛け合い漫才風のやりとりを繰り返すヘンなコンビだ。

そのアパートの大家が精力絶倫の佐々木麻由子。家賃を滞納したら体で払えと二人に迫り、次々と強チンしていく。ウンザリした岩谷健司と毘舎利敬は、ほうほうの体でアパートから逃げ出す。このプロローグから十分にヘンなキャラのオンパレードである。

所在なげに海岸をブラついていた岩谷健司と毘舎利敬の前に、ビキニ姿の藤崎クロエが失神して転がっている。足に深海魚みたいなのが喰いついており、人魚じゃないの?なんて頓珍漢なことを言っていたら目を覚まし、記憶喪失であることが分かる。何となく二人は彼女の面倒を見る羽目になり、ある下宿に転がり込む。

この下宿が、またまたケッタイな人間の溜まり場で。謎の男の津田篤は実はヒットマンで、岩谷健司と毘舎利敬とドタバタ騒ぎを演じたりする。しかし、もっとケッタイなのは日高ゆりあと倖田李梨の女の住人だ。

日高ゆりあは保健の勧誘員、次々と色仕掛けで契約を取り、その地区のトップになったら出て行って、アパートを転々としているという。日高ゆりあの天然の無邪気っぷりが光る。隣の部屋の浪人生活十年余の受験生が倖田李梨。眼鏡をかけて髪振り乱し、日高ゆりあの嬌声が聞こえると、「集中できな〜い!」と荒れ狂う。その役名も京大東大子と人を喰ったもの。絶叫の後に必ず俳句か川柳を追加し、最後は「東大子!」と締めるのは、腹を抱えるほどおかしい。倖田李梨、相変わらずの猛演である。

この芸達者に囲まれては、決して芝居が上手いとはいえない新人の藤崎クロエはかなり分が悪そうだが、これがさにあらず。クォーターでフェイスとボディは堂々たる押し出しであり、「記憶喪失の人魚」でちゃんと伍しているのは、大型新人の面目躍如である。

岩谷健司と毘舎利敬は、この下宿も逃げ出し、再び海岸で魚などを獲っていたが、掴み取った魚を空中に放り上げたら、遠く離れた藤崎クロエの頭に落下し、彼女が「思い出したァ」と記憶が戻るのがオチにもならないオチだが、そんなことはどうでもいい。とにかくケッタイなキャラの乱舞を楽しめばいい一編である。
2011年ピンク映画カタログ−9

2011年4月12日(火) ●上野オークラ劇場
「馬と人妻の痴態」 (旧題「馬を飼う人妻」) 2001年公開         
監督・下元哲  脚本・石川欣  主演・朝吹ケイト,桜沢菜々子

人妻の朝吹ケイトが主人公である。夫の日々野達郎は、妻に愛されていることに絶対の自信がある。だから、色男の若者の岡田智宏に妻を誘惑させ、不倫の痴態を想像して楽しんだりもしている。何ともピンク流の変態絵巻だ。

日々野達郎は厩舎を所有している。そこで、元花形ジョッキーでありながら事故で引退した「なかみつせいじ」を、馬番として従えて、悦に入っている。朝吹ケイトは青白い二枚目に見向きもせず、荒くれ男の「なかみつせいじ」に言い寄る。冷たく拒絶されるも、最後は荒々しく犯され絶頂を極める。

これはピンク版「チャタレー夫人の恋人」かとも思うが、まあ、そんなに深いものもあるまい。典型ピンクの筋立てだと思えばよかろう。芸達者の「なかみつせいじ」は、そつなくこの役をこなしたが、タイプ的にはもっと野性的なキャラの俳優の起用の方がよかったろう。

朝吹ケイトの激しい欲望は、ついに厩舎の馬の巨根を求めて悶え狂う。しかし、造り物の馬の巨根で濡れ場を見せても、あまり気色のよいものではなく、白けるだけである。でも、この手のピンクが少なくないのは、これが趣味のファンも結構いるということなのだろうか。

「股がり三姉妹 秘壺責め」 (旧題「ふたりの妹 むしゃぶり発情白書」) 2008年公開
監督・渡邊元嗣  脚本・山崎浩治  主演・華沢レモン,早川瀬里奈

例によっての渡邊元嗣と山崎浩治の監督・脚本コンビのブッ飛び映画である。

出だしは、ごくごく普通の展開で幕を開ける。会社が倒産してしまった西岡秀記は、婚約者の華沢レモンの家に転がり込む。そこには、コスプレおたくの妹の早川瀬里奈が同居している。早川瀬里奈のちょっとボーッとして舌足らずなしゃべりが、何とも可愛い。

そんなところに、華沢レモンのもう一人の妹の夏井亜美も転がり込んでくる。売れない女優の卵で、アパート代が払えず姉を頼ってきたのだ。こちらの方はかなり活発な女だ。

思わぬハーレム状態になったアパートに、西岡秀記は鼻の下を伸ばす。ただし、婚約者の華沢レモンは嫉妬深いので要注意だ。今や引退してしまったが現在の倖田李梨に匹敵するくらい、どこでも顔を出していた私の名付けるところの「売れ熟れレモンちゃん」も、こうして見ると懐かしい。

西沢秀記は、華沢レモンの留守中に、妹たちに次々と誘惑され、ついに本当に3Pのハーレム状態になってしまう。夢のような気分である。

西岡秀記には気になることが一つある。庭に立っている三姉妹の名を記した小さな3本の十字架の墓だ。本人たちの言によれば、忘れたい過去を葬ったとのことだった。好奇心に駆られた西岡秀記が、深夜に掘り起こしてみたら、エッチな雑誌や大人のオモチャだった。何だ、こんな過去の所有物を恥ずかしがっていたのか、その純情ぶりを西岡秀記は好ましく思う。もちろん、この後にドンデン返しがある。

ここから先、ネタバレ!

悪さは続かないもので、西岡秀記・早川瀬里奈・夏井亜美の3P現場に、ついに華沢レモンが踏み込んできた。嫉妬深い華沢レモンが激怒すると思いきや、こんなことしていたなんてズルい、私も入れて!と、4Pに発展する。西岡秀記はもう、天国の心地である。

そして、衝撃(?)の結末となる。「実は…」と切り出して、三姉妹は墓に葬っていた本当のモノを、西岡秀記に突きつける。それは男根のミイラだった。早い話が彼女達は、三姉妹ならぬ三兄弟で、性転換手術を受けたニューハーフだったのだ。「クライング・ゲーム」なら、オェーッ!と吐き気を催す瞬間である。でも、男の凶暴さを発揮してきた三姉妹(三兄弟!)に捕まって、もう西岡秀記は逃げることはできない。

登場人物はたった4人のワンアイデアストーリー、それだけで見せきってしまうところに、渡邊元嗣の達者な手腕が見られた。エンドクレジットに三兄弟の妊婦姿に囲まれた西岡秀記のショットがインサートされ、アレッ?と思わせておいて、「これはまた別の話」とのタイトルで落す洒落っ気も楽しい。

「三十路の女 巨乳はじける」 2011年公開
監督・竹洞哲也  脚本・小松公典  主演・桜井ゆう子,倖田李梨

竹洞哲也と加藤義一の期待の新鋭二人、というよりは今やお二方ともピンク映画界の中堅・中核といえるだろう。当初の印象としては、加藤義一はブッ飛び系、竹洞哲也はシットリ系というイメージが強かったのだが、最近はそれが逆転してきた感がある。しかし今作は、久々に竹洞作品の原点に還ったかのように、男と女の感情の微妙な襞を、シットリと描いてみせた。そして、ブッ飛び感覚も調味料として配しているあたり、進化も見られる。

主人公の桜井ゆう子は、ピアノ弾き語りをするDJだったが、聴取率不振のため、恋人のディレクター岩谷健司から打ち切りを通告される。気落ちした桜井ゆう子は、DJを辞め故郷に引き籠ってしまう。彼女のDJの才能を信じている岩谷健司は、後を追い近くの農場で働きながら、復帰を説得する。

桜井ゆう子の所に、時々愚痴のハケ口として集まるのが、姉の若林美保とその友達の倖田李梨だ。若林美保は、10歳以上年下の夫の久保田泰也の絶倫ぶりに辟易していることを、延々と愚痴る。

倖田李梨は、岩谷健司の農場で共に働いているちょっと知恵遅れ気味の若者の津田篤に、心を寄せられている。頼まれて、乳出しのプリクラを撮ることを許してやる。ところが、それを津田篤は落してしまい、村の落し物の掲示板にそれがはりつけられる。「チキショー!あいつ、あたしの胸を晒し物にしやがって!やっぱり、男は駄目!オナニーよ〜!」と絶叫する倖田李梨の、相変わらず豪快な個性は満開だ。

ただ、私は最近ノリノリの倖田李梨に、やや危惧を感じる。いろいろ優れた監督の作品に連続出演し、どれもよいのだが、監督の個性に関わらず倖田李梨の出演場面だけは、すべて同じ「李梨ワールド」空間と化してしまうのだ。同じタイプをもとめて起用する作家側の問題なのだろうが、このままだと女版・久保新二と化してしまう恐れもある。まあ、そうなったらなったで、それは凄いことではあるが、私は倖田李梨というのは、もっと幅広い女優になれると思っているので、あえて「危惧」という表現をさせてもらった。

若林美保は、妹の桜井ゆう子のことを心配し、観光課で地元のアイドル的存在の若者の岡田智宏を紹介する。それを知った岩谷健司は岡田智宏にからむが、彼は外見の優男ぶりに反して意外と逞しく、逆にボコボコにされる。そんな岩谷健司の一途な思いと、DJ復帰にかける情熱にほだされて、桜井ゆう子は二人で力を合わせDJとして再起を図っていくことを決意する。これらの顛末が、初期の竹洞演出を思い出させるシットリとした演出で描写し尽くされる。

対照的なのが倖田李梨と津田篤のカップル、やや足らない感じの津田篤にウンザリしながらも、その純情な心に、女上位ながら心を寄せ合っていく。こちらは二人の個性をうまく活かして、シットリ+ブッ飛びという新たな味わいを魅せてくれた。

残念なのは、若林美保と久保田泰也の年の差カップル。作者側の狙いはあったのかもしれないが、私の見る限りではこのカップルの存在は不要である。ピンク映画の制約上、無理やり3組のカップルをデッチあげざるを得なかった結果でなかったことだけを祈りたい。


2011年4月29日(金)
後藤大輔監督の新作「隣の人妻 熟れた匂い」が、上野オークラ劇場の「OP映画祭り2011」で劇場公開となる。私は、池島ゆたかプロデューサーのご好意で初号試写を観させていただいたが、今年のピンク映画大賞各賞の大本命となる大傑作である。ただ、あまりにもネタバレ要素が強いので、映画評の公表については、これまで控えていた。鑑賞直後に書いた映画評は、以下のとおりである。なお、公開日をあえて付記したのは、従来のとおり「ピンク映画カタログ(ピンク日記)総索引」の便を図るためのものである。

2011年1月17日(月) ●東映ラボ・テック
「隣の人妻 熟れた匂い」 2011年公開
監督・脚本・後藤大輔  主演・冨田じゅん,松井理子

池島ゆたか監督がプロデュースした後藤大輔監督の新作を、池島監督と後藤監督のご好意で観させていただいた。2006年公開「妻たちの絶頂 いきまくり」以来の、後藤監督5年ぶりの新作である。もちろん、この間に脚本家として活躍をしていたので、作家活動を休止していたわけではない。過去に映像パワー溢れる力作をモノした後、「妻たちの絶頂 いきまくり」(原題「野川」)という難解極まる芸術(ゲージュツ?)作を世に出して以来の、注目作である。

私としては、「野川」の延長にある難解作品だと、ちょっと引くなと危惧していたが、すべては杞憂に終わった。これは、後藤大輔監督が原点回帰した映像パワーに溢れた秀作であった。早くも2011年ピンク大賞の、監督・脚本・男優・女優・技術(撮影でも音楽でも、どちらが授賞でもよい)の各賞を総ナメにしそうな大本命が登場した。

原作は、エンドクレジットで明記されているように、落語の「芝浜」である。といってもクラシックや「御存じ!」は、最近の若い人にあまり馴染みがないようなので、どんな話なのか知らない人も多そうだ。そこで余計なことかもしれないが、ここで「芝浜」の概要を記しておこう。

腕はいいのだが、飲んだくれで河岸にあまり行かない行商の魚屋がいる。そこが、しっかり者の女房の悩みの種である。借金が溜まりに溜まったある暮れの朝、女房は二日酔いの夫を無理やり叩き起こし、早朝の魚河岸に送り込む。

実は女房は刻をまちがえ2時間(一刻)早く、河岸に行かせてしまったのである。男は芝浜(今の港区の芝は、昔はまだ海岸だった)の河岸に来て、それに気付く。腹は立ったが今さらもどって出直しても、二度寝する時間もない。所在なげに一服つけているうちに、浅瀬に沈んでいる汚い財布をみつける。中を開けてみると大金の山だ。

魚屋は家にとって返し、女房に大金を見せて、もう働くことなんてないと一寝入りして、起きると朝風呂に行ってしまう。帰りに大勢の友達に声をかけて家に呼び込み、酒肴を取り寄せ、飲めや歌えのドンチャン騒ぎを繰り広げる。そして、また酔いつぶれてしまう。

目が覚めると、こんな豪遊をして勘定はどうするのと、女房に問い正される。あの金を使えと平然としたら、そんなお金どこにあるの?、昨日は飲みつぶれて寝てしまい、今日は遅く起きたらいきなり朝風呂に行って、帰りに大勢友達をつれてきてこの始末でしょ?、と詰め寄られる。要は一度時間をまちがえて起こされ、早朝の芝浜で財布を拾って帰って来たのは、すべて夢だったというわけである。

さすがにこの顛末は、飲んだくれの魚屋にも効いた。飲み過ぎて大金を拾った夢を見て、夢と現実との区別もつかず散財した自分に、つくづく嫌気が差した。そして、心を入れ替える。プッツリと酒を絶ち、真面目に働いて、もともと腕はいいのだから、三年後には行商から一軒の店を構えられるまでに成功する。

今年も、かつてのような借金に悩まされず大晦日を迎えた。その時に女房が、あなたを騙していたと、正座して頭をさげる。実は三年前に拾った財布は夢でなかったのである。しかし、それを黙って横領したら、どんな罪に問われるかもわからない。夫が眠りこけている間に大家さんに相談し、とりあえず夢ということにしたのである。

そして一年後、落とし主が出ないので、大金はお上から正式にお下げ渡しになった。そのことをいつ夫に告げようかと悩みつつ、今日になってしまうったという。殴るなり蹴るなり離縁するなり、お前さんの好きにしておくれと、涙まじりに告げる。魚屋は胸が一杯になる。よくも俺を罪人にせず、それどころかここまで成功するきっかけを作ってくれたと、逆に感謝する。

さらに仲を深めた夫婦、妻は「お前さん、今日は久しぶりに一本つけたよ」と声をかける。夫も「そりゃいいねえ」と一瞬乗り出し、その後に顔を引き締める。「よそう、また夢になるといけねえ」これが「芝浜」のオチの一言である。

映画「隣の人妻 熟れた匂い」は、主人公を行商の魚屋から漁師に変えただけで、ほぼこのストーリーの骨子に忠実である。冨田じゅんの女房に、無理やり叩き起こされた漁師の「なかみつせいじ」が、砂浜で何億円もの札束が入った蛸壷を拾って帰ってくるのがプロローグだ。

ただ、これだけでは30〜40分の落語にはなっても、1時間の映画は支えきれない。そこで、二つのサブエピソードを追加する。主人公がなぜ飲んだくれになってしまったかの原因である。もう一つは、拾った金の出所がどこかということである。

漁師の「なかみつせいじ」は、子供の弘美を可愛がっていた。小学校入学祝いに、自分の漁船に乗せてやった。しかし、その時に弘美は波に浚われ行方不明になってしまう。その罪の意識から、子供のランドセル・机・教科書・文房具をそのままにしてある部屋に籠ることが多くなり、漁にもロクに出ない飲んだくれになってしまう。

「なかみつせいじ」の落ち込みの理由は、もう一つある。幼馴染の漁師仲間の世志男が、生き方を変え漁業組合長に納まり、成功して裕福になったことである。飲んだくれて困窮し、その彼から多額の借金までしていることが、さらに彼の精神を落ち込ませる。

ただし世志男は、多額の脱税をしていた。いざという時の備えのために、隠し金を蛸壷に詰め込み、砂浜に埋め込んだ。「なかみつせいじ」の拾った金は、その蛸壷のものである。

世志男は昔から、今は「なかみつせいじ」の妻になった幼馴染の冨田じゅんに、密かな想いを寄せていた。でも、ロリコン趣味もある。この漁村に、不可解な女の松井理子が現れる。風俗嬢の瀬名りくと親しくなり、村に食い込んでくる。弱味につけこんで冨田じゅんに言い寄る世志男であったが、松井理子にもフラフラッとなり、冨田じゅんに完遂を果たせずに終わる。

ここからはネタバレです!

松井理子の正体はマルサから依頼を受けた興信所の調査員であった。彼女によって世志男の脱税は摘発される。最後の頼みの蛸壷の隠し金も、「なかみつせいじ」に拾われた後だった。世志男としては、それを表沙汰にできるわけもない。かくして彼は失脚する。

松井理子は、幼い頃に別れた両親を探していた。生まれた所は、訪れたこの地で、彼女の名前は「弘美」だった。マルサ調査と共に、冨田じゅんと「なかみつせいじ」が、実の両親であるとの期待も含んだ調査行だった。しかし、その望みは絶たれる。「なかみつせいじ」が引き籠っていた子供部屋にあった写真の数々、そこには幼児の頃の「おチンチン」丸出しの「弘美」の写真があった。「弘美」は「男の子」だったのだ。

冒頭から我々は、「弘美」を何故か「女の子」だと思い込まされていた。確かに「○美」というのは、男女共用の名前である。でもよく考えたら、漁師が小学校入学祝に漁船に乗せたというのは、冷静に考えれば男の子である方が自然である。

子供部屋にあったランドセルが水色だったというのが憎い。昔は、ランドセルは男の子は黒、女の子は赤で、これしかなかった。ところが、最近は水色ランドセルが登場し、これは男女共用だそうだ。現在二十歳過ぎの者の小学生時代、初号試写後の打ち上げでの後藤大輔監督の話では、この時代設定のリアリティについては、十二分にリサーチしたそうだ。いずれにしても、この後藤脚本には完全に我々は騙されたのである。

中盤の浜辺に、さりげなく片言の沼田大輔の牧師が、一見意味もなく徘徊する。ああ、また後藤大輔監督の変な難解趣味が出たかと恐れたが、実は彼が冨田じゅんと「なかみつせいじ」夫妻の子供だったのである。遠くスペインの人に育てられ(いくらなんでも波に浚われ過ぎだろ!って突っ込みはさておいて)、両親の名前だけは微かに記憶にあり、それを頼りにこの地に探しに来たのだ。

落語「芝浜」を元ネタにして、実に凝ったストーリーを仕上げたものである。しかし、この映画の最も素晴らしいところは、実はそこではない。「映画は眼で観せる」と淀川長治さんは言った。そう、この映画の魅惑は「眼で観せ」ているのが、すべてなのだ。とにかく映像のパワーが凄い!

まず冒頭、女房の冨田じゅんの握るおむすびがアップになる。それを手に、飲んだくれて潰れている夫の「なかみつせいじ」を起こし、弁当を準備したんだから漁に出てくれと、懇願する。嫌がり、2階の亡き子供部屋に引き籠ろうとする「なかみつ」、引き戻そうとする冨田、階段でのもみ合い、上がろうとする「なかみつ」、下ろそうとする冨田、それは下履きの引っ張り合いになり、いつしか性的興奮に連なり濡れ場へと発展していく。この長いショットで、夫婦の心情の微妙な綾を炸裂させた映像パワーは、圧倒的である。

このしばらく後で、冨田じゅんはこの時のことを「なかみつせいじ」に、「夢だった」と言い張るわけだが、すると「なかみつ」は「確かに子供を生む前の締まりだった」と、次第に妻の言うことを信じだす。この「芝浜」のピンク的展開が凄いが、それを実感させるだけの夢かとも思わせる激しさが一瞬蘇った夫婦の営みを捉えきったその映像パワーが、とにかく凄い。握り立てのおむすびが、カラミの中で冨田じゅんの尻に潰され、その飯粒を「なかみつせいじ」が頬張るあたり、だから何の意味があるのと言われても困るが、それも含めての映像パワーがとにかく凄いのだ。

この後、金を拾ったのを「夢」と断じられた「なかみつせいじ」は借金に追い込まれ、苦肉の策の狂言で急死を装うが、その枕元で妻の冨田じゅんに世志男が言い寄るのを見て、完全に半狂乱になり、死に装束で海岸へと駆け出していき入水する。後を追う妻の冨田じゅん、ズブ濡れになりながら、二人でやり直すことを確認し合う夫婦、この長いシーンの映像パワーも、とにかく全て凄すぎるのだ。

そして、ラストシーン。拾った金を夢にした嘘を詫びるため、十字架だけを首にかけた全裸ヘアヌードで、冨田じゅんは夫の「なかみつせいじ」に土下座する。その十字架は、スペインで牧師として自立している我が子から受け取ったものなのである。私は、裸一貫で家を出て行くとの決意の表明である。ピンク的なビジュアルである以上に、実に情感溢れる映像パワーが、ここにもある。十字架のみを身につけたヘアヌード、原題「鰊とロザリオ」、このタイトルもいい。

「なかみつせいじ」は、そんな彼女に網をかける。「俺の宝はこれだ。どこにも行かしゃしねえ」との粋な台詞の後、お馴染みの「また、夢になるといけねえ」の件りに至る。しかし、これで終わったら落語の後追い踏襲でしかない。その後、「夢の締まりをもう一度」といって濡れ場に至るピンク的展開になる。ここで、冒頭の映像パワーに溢れた階段の濡れ場が、蘇ってくる。見事だ。

それにしても、私が勝手に名付けている「映像パワー」とは何なのだろう。これを読んでいる人に伝えられた自信がない。いや、私にも言語化できない感覚の世界なのだ。打ち上げで後藤大輔監督に、率直にその質問を投げかけた。

「撮影と照明の力じゃないんですか」とのお答えだった。そして「例えDVDになっても、きちんと映る映像に心掛けました。最近多い薄っぺらな映像にだけにはしないようにしました」とのことだった。日活出身で、最後の撮影所システムを知る後藤監督ならではの意気でもあろう。そういえば、「映画は眼で観せる」を信条にしていた淀川長治さんも「映画はキャメラです。このキャメラの素晴らしさを観なさい」と、よく「キャメラ」を連呼していたことを思い出した。

冨田じゅんと松井理子は、共にピンクとしては今回デビューの新人である。昨年11月の上野オークラ劇場の池島ゆたか監督新作舞台挨拶と、その後の打ち上げの時に、初めて会った。その後も松井理子とは何度か会った。二人とも、演技経験はかなりあるとのことのようだが、取り立ててフェースやボディが際立っているわけではなく、華には乏しい。この二人が主演というのは、かなり地味な感じになるなと思った。演技力優先で、後藤大輔監督の趣味に走った「野川」の二の舞になりそうな危惧も感じた。

しかし、蓋を開けたら全く違った。演技力というものは、スクリーンの中に入ると、女性を華々しく彩ってしまうことを痛感した。とにかく両女優とも、画面の中で活き活きと輝いていた。これが芝居の力というものなのだろうか。今回はもう一人の瀬名りくも含めて出演女優は3人とも新人だが、演技力というものはルックス以上にスクリーンの中では、女性に輝きを与えるもののようだ。

借金の弱味に付け込んで人妻を寝取ろうとする漁業組合長の世志男も、単なる悪役でない深みを与えた演技である。冨田じゅんに迫る姿に、幼馴染の頃から想い続けた純情の哀れさも垣間見える。

ただ、メインストリートの冨田じゅんと「なかみつせいじ」の存在が圧倒的なだけに、世志男と松井理子のサブ・ストーリーは、やや分が悪い。特に税務調査の裏に自身の出生も探っていこうとする松井理子のドラマは、もう一つの核となってもいいだけの重さもあるのだが、サブということでトーンを押さえられたような気がする。お二人には、ちょっとお気の毒なところだ。

初号試写の後の打ち上げで、監督にその感想を申し上げたら、「そうですか。私はどちらも立たそうと思っていました。そう見えたら僕の力不足です」と答えられた。そこまで狙っていたのか。狙いどおりだったら、さらに多重性を持った大傑作になったということである。
2011年ピンク映画カタログ−8

2011年4月7日(木) ●上野オークラ劇場
「凌辱! 白衣を剥ぐ」 1990年公開
監督・脚本・片岡修二  主演・橋本杏子,大沢裕子

バイオレンス映画のようなタイトルだが、これはあっけらかんと軽妙なコメディであった。そして、ピンク映画としては珍しく、男優の芝居がたっぷり堪能できる一編でもある。

もちろん女優陣も、シリアスみたいで天然ボケの橋本杏子、チャッカリ軽薄キャラの大沢裕子、巨乳お色気の深田みきと、粒はそろっている。しかし、下元史朗・池島ゆたか・港雄一・山本竜二の、猛演・怪演・珍演には押されぎみだ。誰が猛演で誰が珍演で誰が怪演かは、みなさま自らの眼でご確認ください。

まじめタイブの橋本杏子と、ブッ飛びタイプの大沢裕子の看護師コンビが主人公だ。橋本杏子は大沢裕子に、いつも振り回されてウンザリしている。今日も今日とて、大沢裕子はテレクラに電話をかけ、お医者さんごっこを所望する相手のところに、本物の看護師よ!とばかりに橋本杏子まで引っ張って、ホテルに乗り込んでいく。

このお医者さんごっこ大好きなテレクラ相手が、現在は監督活動が中心になったが、俳優時代の池島ゆたかだ。オネエ言葉でナヨナヨとお医者さんごっこをしかける怪体ぶりは、なかなかの見物である。

気味悪がって逃げようとする二人に対し、まず橋本杏子の手を手錠で自分の手と繋ぎ逃亡を防いで、もう一人の大沢裕子が毒牙にかかる。スキャンティーを丸出しにし、性器を動かすように強要すると、どんな仕掛けか股間の下着部分が息をするように動くというピンク的なお笑いの見せ場が楽しい。もちろん、池島ゆたかの怪演あってこその楽しさだ。

ついに大沢裕子は、池島ゆたかの毒牙にかかって中出しされ、「わ〜っ!危ない日なのに〜!」と叫んで逃げ出していく。残ったのは手錠で繋がれたままの橋本杏子と池島ゆたかだ。手錠の鍵は尻の中の奥だという池島ゆたか。橋本杏子は、何とか手錠を外すべく池島ゆたかの肛門をまさぐる。ヒーヒーと、半分は悦び悶える池島ゆたかの芝居は、ここでも楽しい。結局、鍵はそこにはなく、失くしてしまったということが判り、二人は仕方なく手錠に繋がれたまま外に出るしかない。

さて、ストーリーにはもう一つのラインがある。兄貴分の港雄一に情婦の深田みきを寝取られたヤクザ、下元史朗のお話である。逆上した下元史朗は、拳銃片手に二人のベッドインの場に乗り込むが、兄貴分の貫録に押されて、肩に銃弾を受ける返り討ちに遭ってしまう。港雄一の凄みは圧倒的だ。しかし、深田みきの心は下元史朗の方にもどり、二人は手に手を取って逃走する。

逃走して隠れ家に潜んだ二人だが、弾傷だから病院に行くわけにはいかない。そんな時、白衣の池島ゆたかと看護師姿の橋本杏子が、ピッタリ並んで(手錠で繋がっているんだから仕方がない)歩いてくるのを発見する。これ幸いと深田みきに懇願されて、二人は隠れ家に引き込まれてしまう。何とも人を喰った展開で二つのストーリーラインは交差するのだ。才人・片岡修二の脚本は、洒落っ気に溢れている。

下元史朗は、手錠なんて簡単に外せると言って、橋本杏子のヘアピンで二人の手錠を外してやる。そうなれば、医者ならぬ変態お医者さんごっこの白衣姿の池島ゆたかに、治療なんてする気もできるわけもなく、行きがけの駄賃として、深田みきを犯して逃げてしまう。この池島ゆたかのちゃっかりぶりも、また楽しい見物だ。

残された橋本杏子は、下元史朗の看護師だって弾くらい抜けるだろうとの哀願に応じ、手術に挑戦することになる。実はこれには裏がある。彼女と大沢裕子が仕えている医師の山本竜二は、超ヘボである。手術中に、関係ない臓器を引っ張り出しちゃったりして、ギャーッ!と絶叫する。冒頭とラストにこの手術シーンがあるのだが、低予算ながら「白い巨塔」と行かないまでも、なかなか凝って造っている。

山本竜二は、手術シーンだからマスクにキャップ姿で目だけしか出ていない演技だ。しかもたった二シーンのみの登場なのに、十分印象に残るから見事なものだ。つまり、あのヘボ先生よりは、マシな手術が出来そうだと思えてきて、橋本杏子は話に乗ったのだ。ここでも、さり気ない見せ場を連動してストーリーを紡いでいく片岡修二脚本が見事だ。

手術終了後も、橋本杏子は下元史朗を自宅で親切に看病する。しかし、下元史朗は恩を仇で返して、回復すると彼女を中出しレイプして去っていく。ここは、小悪党を演じてピカイチの、下元史朗の個性が輝く。橋本杏子は「わ〜っ!危ない日なのに〜!」と大沢裕子同様に叫ぶ破目になる。彼女のテレクラの誘いに乗ったために、ついに同じことになってしまったわけだ。怒り心頭に発した橋本杏子は、拳銃片手に下元史朗を殺すべく出撃する。

さて、深田みきの方である。下元史朗に見殺しにされ池島ゆたかに犯されたと告げて、港雄一の懐に再び飛び込んでいく。そんな薄情な奴は殺っちまえと、港雄一は深田みきに拳銃を手渡す。かくして、映画はさらなる人を喰った展開で、三つ巴の銃撃戦となる。その果てに残されたのは橋本杏子一人だ。多分、この事件は情痴がらみの相討ちとして処理され、橋本杏子に類は及ぶまい。

それから数ヶ月後、大きなお腹を抱えた妊婦姿で、橋本杏子・大沢裕子コンビがヨタヨタと歩いてくる。「もう〜、あなたとつきあうとロクなことないんだから〜」と、橋本杏子がボヤく。かくして、ちょっとダークでブラックで、でもちょっぴりユーモラスな幕切れで映画は閉じるのである。ピンク的な小ネタの見せ場を巧みに撚り合わせた好脚本を、キャラが立った女優3人・男優4人(特に男優)が、豊かに肉付けした洒落っ気に溢れた佳作であった。

「どすけべ女医 催淫SEX」(旧題「女医川奈まり子 熟女・タブーSEX」) 2001年公開
監督・脚本・佐々木乃武良  主演・川奈まり子,佐々木麻由子

旧題で「川奈まり子」の名がタイトルロールにあるように、これは川奈まり子のスター映画である。その個性を活かして、患者には多少のセクハラを許した方が、治療効果があるという信念の女医のお話にしてある。いかにもXces流の都合のいい男本位の映画であるが、それはそれなりに結構シリアスな展開にしているのも面白い。

前項で記したように、川奈まり子は診察中のセクハラ行為を許すことで、患者の心が解放され、医学的にも効果があるとの理論を持って、病院を経営している。そこの看護師を演じているのが里見瑤子。こちらの方は、、キャバクラ嬢よろしく患者にサービスし、自分も楽しんじゃっており、先生の理論を完全に読みまちがえている勘違い女である。若き日の里見瑤子が、目力の強さを満開させ、キラキラ輝いた瞳で弾けに弾けているのが見物だ。

一方、かつて川奈まり子と病院で同僚だった佐々木麻由子は、川奈まり子とは好対照な女医である。男に伍して仕事をこなそうというギスギスしたキャリアガールだ。勤務していた病院でセクハラを受け、怒り狂って病院を飛び出し、川奈まり子のクリニックで働くことになる。

佐々木麻由子は、老人の患者から川奈まり子同様にセクハラを受け、思いっきり罵倒してしまう。それは孤独な老人の心を決定的に傷つけるものだった。老人はそのために心因性の病で、体調を崩してしまう。それによって、佐々木麻由子がこれまでの生き方に疑問を感じてくるあたりは、結構シリアスな心理描写となっている。

最後は、佐々木麻由子も、川奈まり子の医学理論を認め、二人はそれぞれ初老の患者とベッドインといういかにもXces流の展開となり、これに勘違いブッ飛び看護師の里見瑤子も加わって、欲望解放満開の病院内、男本位の都合のいいピンク流展開で幕を閉じる。他愛ないといえば他愛ないが、3人の女優の個性で観せるものにはなっていた。

「兄嫁の肌は熱く甘く」 2010年公開
監督・国沢実  脚本・国沢実, 佐倉萌  主演・灘ジュン,伊沢涼子

かつては樫原辰郎脚本で数々のブっ飛び快作をモノし、自らの脚本では男と女の心の襞を巧みに表現してきた国沢実の新作である。今回は脚本に女優の佐倉萌が加わってきたのが、興味の焦点だ。佐倉萌は女優としては、カメオ出演もしていないのだから、「脚本家」として本腰を入れてきたと見ていいだろう。

しかし、映画を観終わって唖然とした。これは何をやりたかったんだろう?何を観せたかったんだろう?そういうものが全く見えない映画ほど、観ていて疲れるものはない。この映画が正にそれだった。

そもそもED障害をテーマにすること自体、ピンク映画としては不適切だろう。いや、EDを取り込んだという意欲は買う。しかし、それも映画中で効果を上げていた上での話である。

ストーリーの流れだけ、簡単に追ってみる。石川雄也は交通事故がきっかけで、ED障害になってしまう。妻の灘ジュンは、夫の石川雄也の腰に性具を装着しての行為を求めるが、やはりそんなものでは満足できない。夫の石川雄也もそんな行為に屈辱を感じ、怒りを覚える。

寂しさから灘ジュンは、義弟の久保田泰也と体を重ねてしまう。それを知りつつも石川雄也は、いつしか弟に妻を満足させてもらうことを、許容するようになる。

石川雄也の部下の伊沢涼子は、かねてから彼に思いを寄せていた。交通事故の時のお見舞をきっかけに仲は急接近するが、当然ED障害の石川雄也は、彼女も満足させることができない。しかし、妻の灘ジュンに与えられた性具で行為しているうちに、ED障害が克服される。しかし、これで映画は何を表現したかったかが、全く見えてこない。

EDが克服されれば、石川雄也には義弟の久保田泰也と妻の灘ジュンの仲への嫉妬が芽生え、また義弟は義弟で恋人の永井真希との間がギクシャクして、ややこしい展開になるのだが、これで何を見せたかったんだろう。

さらに終盤では妻の妊娠も発覚し(義弟の種か?)という仕掛けもあるのだが、これを通じて何を言いたかったのかも、さっぱり見えてこない。すべては意味不明なまま映画は終焉し、徒労感・脱力感のみが残るのである。
2011年ピンク映画カタログ−7

2011年3月24日(木) ●上野オークラ劇場
「未亡人温泉 女湯でうなぎ昇り」 2007年公開
監督・脚本・関根和美  主演・瀬名ゆうり,佐々木基子

佐々木基子は、3年前に夫の天川真澄と死別し、現在は未亡人女将として女手ひとつで、温泉旅館を切り盛りしている。土地の地主の牧村耕次は、仲居の中山りおとよろしくやっているがそれだけでは飽き足らず、土地をネタに佐々木基子を脅して、旅館を乗っ取ると共に、彼女を妾にすることを目論んでいる。そんなところに、家出した瀬名ゆうりが、恋人の千葉尚之を連れて帰って来る。千葉尚之は多額の借金を背負っていて、瀬名ゆうりが風俗嬢となって支えてきたのだが、ついに支えきれず悪徳金融業者の前から姿をくらますために、故郷に帰って来たのだ。

ということで、男優3人に女優3人、順列組み合わせでカラむネタには事欠かない。まずは、オナニーの妄想の中での佐々木基子=天川真澄、そして強引に言い寄る牧村耕次と佐々木基子(レイプ未遂だが)、牧村耕次=中山りおの組み合わせもある。そして瀬名ゆうり=千葉直之の若いカップルがそれに加わる。

佐々木基子は、夫が生前に贈ってくれた宝石付の指輪を売って、土地の代金に充てようとする。それを察知した牧村耕次は、仲居の中山りおを使って、指輪を盗み出させる。佐々木基子の娘の瀬名ゆうりは風俗嬢のキャリアを活かし、牧村耕次に色仕掛けで迫って、指輪を取り戻す。かくしてここに、瀬名ゆうり=牧村耕次の組み合わせも誕生する。

要するに、濡れ場の方便でストーリーが転がるある意味での王道ピンクだが、私としては退屈な典型的「金太郎飴映画」の、凡ピンクというしかない。

温泉旅館は、佐々木基子と娘の瀬名ゆうりとの共同経営となり、正統派のサービスを目指す佐々木基子と、ピンク・サービス全開の瀬名ゆうりが張り合うあたりが、かろうじて唯一ドラマとしての面白さと言えないこともない。

最後に母の佐々木基子は、娘の瀬名ゆうりの若い感覚を認め、経営をすべてまかせて旅に出る。しかし、突如「私もこれから自由に生きる」と宣言し、スカートを捲り上げてヒッチハイクの車をゲットするラストは、意表をついたつもりかもしれないが、唐突過ぎてあまり面白みは感じられなかった。

「痴漢電車 グッショリ濡らして」 1988年公開
監督・深町章  脚本・周知安  主演・黒沢ひとみ,徳大寺笙子

練達の職人、深町章の痴漢電車モノ、今回は3部構成の趣きで、そのいずれもがそのまま艶笑落語になりそうなユーモアに溢れている。

舞台となるのは、何でも請け負うレンタル会社。最初は、ある女性からのボディガード派遣依頼。通勤電車の痴漢から守ってほしいとのことである。ところが、その場になったら、ガードのために密着を要求し、さらにパンティまでズリ下げ、直に手をあてて痴漢から防いでほしいとの、とんでもない要求だ。そして、女はかなりイイ気分になっちゃってる。

ボディガードへの要求は、さらにエスカレートする。夜に忍びこんで来る男から守ってほしいとのことだ。これは、またボディガードを口実に身をまかせてくるなと踏んだ男は、友人に覗きをそそのかす。案の定、女はボディガードを誘惑する。

しかしその時、覗きに気がついてレンタル料は払わないと、女は激怒する。そして、覗き男を引き込んでのエッチとなる。かくして女はレンタル料無しで欲求を満たすに至った。

第2幕の依頼は、ロマンチックな恋人をレンタルしてほしいとの、男からの要請である。派遣された女は、当然SEXがお目当てと思い、あの手この手で誘惑するが、男の求めているのは清いロマンチックな関係らしく、全く応じない。

実は、派遣された女は、仕事を欲求不満のはけ口にしていたのである。しかし、男は抱いてくれない。頭に来てレンタル会社にセフレ派遣を依頼する。ところが現れたのは、先刻のロマンチック男、要するに仕事でSEXにウンザリしていたので、レンタル恋人でロマンチックなムードに浸りたかったというわけだ。かくして、レンタル料関係なく、二人はアヘアヘの顛末に至る。

最後のエピソードの主役は、レンタル会社の社長だ。部下の女と不倫中である。そして、今日帰ったら妻に離婚を切り出し、君と結婚するとの決意を告げる。この最終幕だけはずいぶん平凡なピンク的展開だと思ったらさにあらずだった。離婚を告げられた妻は、実にあっけらかんとしてそれを受け入れる。実はこの妻はレンタル妻で、契約期間が切れたということなのだ。そして、不倫相手が新たなレンタル妻になるわけなのである。通勤ラッシュに揉まれるかつてのレンタル妻と社長の二人。今日から私はあなたの不倫相手なのねと、痴漢プレーで燃えるという何とも人を喰った展開でエンドとなる。

よく考えたら、映画の中ではこの会社にレンタル料はほとんど入っていない。社長がレンタル料を払っているだけである。一つ一つのエピソードが、艶笑落語風によく出来ているのに加え、トータルしてみても落語風のオチになっている脚本の洒落っ気が見事だ。

●閑話休題 上野オークラ劇場ディジタル上映の現在
上野オークラ劇場が昨年の新館オープンに伴い、ディジタル上映になった話題はこの「ピンク映画カタログ」でも、再三取り上げてきた。当初、Xces→OP→新東宝の順で画質がひどいことを指摘した。あまりにも目に余る新東宝については、「お竜さん」が何回か直接新東宝に申し入れの電話を入れ、やっと誠意ある対応をする人が出てきたことも「ピンク映画カタログ−3」で紹介した。

その成果かどうか、今回の新東宝作品「痴漢電車 グッショリ濡らして」の画質は、実に良かった。1988年という昭和ピンクなのだから、古い新しいに関係なく、コスト面も含めてそれなりの配慮をすれば、高画質にできるということのようだ。いずれにしても新東宝さん、ありがとうございます。今後もこの線で、よろしくお願いいたします。

ということで、新東宝が改善されたと思っていたら、今度はOPが危なくなってきた。2月の「不倫同窓会 しざかり熟女」の画質のひどさは、「ピンク映画カタログ−1」ですでに指摘したが、この日の「未亡人温泉 女湯でうなぎ昇り」もひどかった。ラスト近くの佐々木基子の屋外のロングショットなんかは、顔が完全にモザイク状につぶれてしまっているのである。この作品の公開は2007年、決して古い作品ではない。いや、1988年公開の「痴漢電車 グッショリ濡らして」だって、前述のようにかなりの水準を保てるのだから、これはOPのディジタル・ソフトに対する姿勢の問題だろう。こんなことが継続しないように祈るのみである。

「人妻旅行 しっとり乱れ貝」 2011年公開
監督・渡辺元嗣  脚本・山崎浩治  主演・星優乃,しじみ

眺望の開けた山頂で、ハイカーの星優乃は、足下に咲くりんどうの香りを嗅いだ時、意識を失う。そして、しじみと西岡秀記の夫妻が管理しているペンションにかつぎこまれる。目覚めた彼女は、記憶を喪失していた。ただ、リュックには名前があり、このペンションを2泊3日で予約していたことだけは、判明する。

深夜、星優乃は夫婦の営みを思わず目にしてしまい、興奮してオナニーをすると、記憶の一部が蘇る。翌朝、管理人の妻のしじみから、覗いていたのを知っていたと告げられる。しじみは、以前に脳科学を学んでおり、性的刺激で記憶を回復することがあると、教えられる。

星優乃に夫の記憶が蘇り、その時のSEXを妄想する。また、散歩中の山路では覆面男のレイプに遭遇する。果てはしじみに迫られレズ行為にも至る。そうした性的刺激を受けて、過去の記憶が薄皮を剥ぐように、次第に露わになっていく過程がミステリアスでスリリングだ。ピンク映画に不可欠な濡れ場が、ここではストーリーを邪魔して中断することなく、むしろサスペンスフルな仕掛けの一つとなる。サスペンス・ミステリーとしての、一瞬先の余談を許さないストーリー展開は、我々をグイグイと引き込んでいく。明るい画調の現在、沈んだトーンの「記憶」と、映像の対比も印象深い。

ここから先はネタバレ要素が大きいことにご注意ください。

最初に蘇った記憶は、夫の川瀬陽太との出会いだった。前日と同じ山頂で、りんどうの香りと共に失神した星優乃を介抱したのが、川瀬陽太だったのだ。そしてラブラブの中で二人は結婚する。

しかし、つらい記憶も蘇ってくる。結婚後に再び二人で訪れた同じペンションで、夫の川瀬陽太から離婚を切り出される。再婚相手は、彼の学生時代の友人の女医・山口真里だった。

それならば、このペンションに星優乃は、過去に何度も訪れているということではないか。なぜ、しじみと西岡秀記の夫婦は、星優乃に対し初対面のように振る舞うのか。謎はさらに深まって来る。星優乃は管理人に隠れ、密かに宿帳をチェックするが、そこには彼女の名前はない。

さらに、意外な記憶が蘇ってくる。川瀬陽太は離婚後、時をそれほど経ずに、不治の病で急逝する。主治医は山口真里だった。そして、山口真里から意外な真相が明かされる。二人の間には何もなく、川瀬陽太は死んでいく自分への、妻の哀しみをできるだけ軽くさせるために、一芝居打ったということなのである。それが、川瀬陽太から口外を禁じられていた山口真里の、彼の死後に決意した思い切った告白だった。

 山口真里と川瀬陽太の激しい不倫の濡れ場を覗き見た星優乃の記憶は、彼女の妄想に過ぎなかったのだ。しかし、その妄想の刺激が、山口真里の告白の記憶を蘇らせたのだ。何という凄いパラドックスなのか!そして、映画はさらなる驚愕の真相に雪崩れ込む。

 しじみは語る。彼女は未来から訪れた科学者だったのだ。そして、被験者として星優乃を選んだ。りんどうの香りと性的刺激をキックとして、「未来の記憶」を蘇らせる実験である。つまり、川瀬陽太との出会い・結婚・死別というのは、これから起こる事実なのである。だから星優乃の名が宿帳にないのは、必然なのだ。

 覆面のレイプ魔は、実験のためにしじみが夫の西岡秀記に演じさせたものだったのだ。勿論、彼は未来人ではなく、最後は記憶を消されるとのことだ。そうか、これはサスペンスミステリーではなく、ピンク版「時をかける少女」、壮大なSFファンタジーだったのだ。「りんどうの香り」と「ラベンダーの香り」の類似性で、もっと早く気付くべきであった。

 しかし、エンディングは「時をかける少女」とは、大きく異なった展開となる。しじみは、実験成功の謝礼の意味もあるのか、未来に開発された川瀬陽太の不治の病の薬を、星優乃に託すのである。

こうして、「未来の記憶」どおり星優乃は川瀬陽太と、思い出の山頂で出会い、「未来の記憶」どおり彼と結婚し、不治の病は未来からの薬で完治する。これは、未来は変わってしまうというパラレルワールドの展開である。タイムパラドックス物としては、一番安易な大反則なのであるが、いかにも渡辺元嗣=山崎浩治の監督=脚本コンビのブッ飛び感覚として、私は許容したい。少なくとも、未来人が現代人のすべての関係記憶を消し去って去りました、なんて「時をかける少女」の二番煎じは見たくなかった。

●2011年のピンクは豊作だ!
2010年ピンク映画大賞の季節がやってきた。ピンク映画大賞のベストテンは、各自が鑑賞作品を10点満点で採点し、その平均点をもって選出される。

私の全体的な作品評価は、年によって二つの傾向に別れる。一つは、ダントツの10点満点作品が屹立し、各個人賞がその映画の関係者に独占されるというパターンである。2010年がそれで、「欲望の酒場 濡れ匂う色おんな」の一本かぶりだ。

もう一つは、甲乙つけ難い10点満点作品が3本程度並び、個人賞もその3本の関係者への按分に、頭を悩ます年だ。2009年がそれで「淫乱ひだのおく」「いくつになってもやりたい不倫」「熟女 淫らに乱れて」の傑作3本が乱立し、個人賞は大いに悩んだものだった。

さて、2011年であるが、早くも私にとっての10点満点の作品が3本も登場してしまった。まずは新年早々のXcesヤケ糞・狂い咲きとしか形容しようがない山内大輔作品スプラッタ・ホラーの怪作「色恋沙汰貞子の冒険 私の愛した性具たちよ…」だ。そして2本目が今回取り上げた壮大なミステリー・ファンタジー「人妻旅行 しっとり乱れ貝」である。3本目は池島ゆたかプロデューサーのご好意で初号試写を観せていただき、5月のOP祭りにて公開予定の、後藤大輔監督の圧倒的な映像パワーを誇る「隣の人妻 熟れた匂い」だ。(本「ピンク映画カタログ」で取り上げるのは、公開前後の時期としたい)

2011年もまだ1/3経過の段階で、早くもこの状況、今年のピンク映画は大豊作になりそうである。後は、これが過去の新東宝・日活(ロマンポルノ以前の)・大映のような、消滅直前の仇花でないことを祈るのみである。
2011年ピンク映画カタログ−6

2011年2月20日(日) ●上野オークラ劇場
「若妻と熟女妻 絶頂のあえぎ声」 2010年公開
監督・小川欽也  脚本・水谷一二三  主演・夏川亜咲,倖田李梨

題名どおり、そのまんまの映画である。11歳年下の若妻である夏川亜咲と竹本泰志の夫妻。逆に倖田李梨の熟女妻の夫は、若者の津田篤。当然ながら、2組の年の差カップルの濡れ場は、期待どおりのルーティンワークで、二通りのエッチ模様となる。

ドラマらしいドラマとしては、若妻の夏川亜咲が、年上の夫の本当に好きな女のタイプは、熟女だと思い込んで嫉妬することである。そして、二組の夫婦は気分転換に伊豆のペンションを予約して、旅行に出る。とはいっても、スワッピングが起こるわけでもないし、観光地ではしゃぎまわる二組の夫婦の姿を延々と見せられると、なんだか出演者のレジャーに付き合わされているだけの気分だ。ユル〜い、ユル〜い映画である。ただ、四人のキャラがそれなりに立っているから、何とか見ていられる。

たった一つのアクセントは、竹本泰志が風呂場に誰もいないと思って入っていったら、先客で佐倉萌が入浴中で、それが竹本泰志の元カノで、焼けぼっくいに火がつくところか。敏感にそれを感じた夏川亜咲は、夫がチエックアウトの時に、佐倉萌の熟女を見る目が熱かったと車の中で騒ぎ出し、ジグザグ運転のドタバタとなって、他愛のないエンドとなる。

大ベテランの小川欣也監督が、ユル〜い話を出演者のキャラだけに頼り、観光旅行も兼ねて楽しんだという確信犯的な一編である。

2011年2月26日(土) ●上野オークラ劇場
「告白羞恥心 私が痴女になった理由」(旧題「美乳もみくちゃ」) 1993年公開
監督・浜野佐知  脚本・山崎邦紀  主演・本田聖奈,山本竜二

カメラマンの山本竜二は、TV番組を通じてフラワー・コンサルタントの本田聖奈に強く惹かれる。彼女を撮影する仕事が来た時は、舞い上がる。そして、本田聖奈の自宅での撮影の時に、彼女の部屋に盗聴器を仕掛ける。やがて、彼女がTVのディレクターと不倫関係にあることが判明する。

山本竜二の本田聖奈への想いは、彼女と寝たいという欲望とは違う。遠くから美しい花のように手折らずソっと見守り続けたいという欲望である。だから、妻とは普通に性生活もある。ということで、夫婦の濡れ場、不倫の濡れ場と、単純に濡れ場の羅列の方便で、ストーリーが転がる凡ピンクの展開となる。

最後は、本田聖奈が山本竜二の想いに気づき、彼女のアタックで生身の女の肉体の良さに目覚めさせ、アヘアヘピストン濡れ場に至り、そこにエンドクレジットがかぶさる典型的Xces流展開で終わる。山本竜二の、偏執的ストーカーぶりだけが見モノで、これが浜野佐知流アナーキー世界の味わいといえるか、いや、というよりはそれ程のものでなく、山本竜二の優れた個性のなせる技であろう。

「連続暴行犯 熟れ妻狩り」 (旧題「熟女・人妻狩り」)  2006年公開    
監督・池島ゆたか  脚本・五代暁子  主演・三上夕希,佐々木麻由子

人妻連続絞殺事件が発生する。最初に日高ゆりあが絞殺される。ベロを長々と出したオーバーな表情が、何とも楽しい。その死体始末の場に遭遇してしまったのが三上夕希で、衝撃で手にしていた離婚届を落してしまう。それをきっかけに所在を知られ、彼女は連続殺人犯の竹本泰志につけ狙われることになる。

三上夕希が結婚しようとしているのは、弁護士の本多菊次朗である。本田菊次朗の前妻は、かつてのパートナーの探偵の佐々木麻由子で、離婚調停中だった。結局、佐々木麻由子と本多菊次朗は、二人で協力して変質殺人者の竹本泰志を追い詰める羽目になる。

ここまでくれば、元ネタは明白だ。ヒチコックの「フレンジー」である。池島ゆたか監督=五代暁子脚本は名画のパロディ=オマージュが多いのだが、今回はヒチコックであった。竹本泰志が、せまい車中で証拠品の指輪隠滅に悪戦苦闘するあたりは、カット割りまでなるべくヒチコックと同じにしようとしたとの、監督の言も耳にした。大変な凝りようである。とするならば、これはガス・ヴァン・サント版「サイコ」の、パロディ=オマージュとも言えよう。

しかし、これはまずい。名画のパロディ=オマージュをやりつつも、最後は「負け戦」をしないというのが、池島ゆたか監督のポリシーであった。しかし、ここまでヒチコックのコピーをやってしまっては、予算が桁違いにちがうハリウッド作品に、所詮かなうはずがない。

だが、やっぱり池島=五代コンビ、最後は鮮やかにピンク流大逆転を見せてくれた。探偵・佐々木麻由子は、前夫の本多菊次朗と協力して、見事に連続殺人犯の竹本泰志を追い詰めてみせた。再び焼けボックイに火のつく佐々木麻由子と本多菊次朗。しかし、それも一時のことで、佐々木麻由子は若いツバメの樹かずと再婚する気持には変わらない。

突然、本多菊次朗の顔が殺人鬼の顔に変貌する。佐々木麻由子は絞殺される。と思ったらそれは夢で、彼女は探偵事務所で前夫との情事の余韻に全裸で耽っていたのだ。そこに若いツバメの樹かずが登場。彼は浮気の痕跡をそこに感じ、今度は彼が連続絞殺魔の表情に変貌していく。この悪夢の連鎖は、ヒチコックのオリジナルを越えたピンク流の幕切れであった。

池島ゆたか監督自身も捜査陣の警部として出演、鑑識官として五代暁子(俳優名・山ノ手ぐり子)との良きパートナーぶりで、若手刑事に扮し現在はピンク界の松山ケンイチの呼び声高く大車輪で活躍中の津田篤を、徹底的にいたぶるのも今では楽しい見物である。

この日の3本目は、「いんび快楽園 感じて」。これは昨年11月に池島ゆたか監督のご好意で初号試写を観せていただいたので、再見である。ここでは、その当時の鑑賞直後に書いた映画評を、今の時点で紹介したい。

2010年11月12日(金) ●東映ラボ・テック
「いんび快楽園 感じて」 2011年公開
監督・池島ゆたか  脚本・五代暁子  主演・野村貴浩,琥珀うた

旧上野オークラ劇場が、2009年の7月末で閉館になった。取り壊し前に、映画のロケ場所としてふんだんに使ってほしいとの、支配人の要望が関係者に告げられたという。2〜3人の監督が、名乗りをあげたようだ。その中の一本を、池島ゆたか監督の例によってのマイミク仲間への御好意で、初号試写で観せていただいた。

主人公は、リストラされたサラリーマンの野村貴浩だ。男が主役というピンクでは異色編である。彼は、失職と同時に恋人の日高ゆりあにもあっさり振られてしまい、程なくして蓄えも底を尽き、アパートからも追い出されてしまう。

荷物を抱えて不忍池周辺を彷徨う野村貴浩、間の悪いことに豪雨である。それも当然、この撮影は10月末の台風の日と、ぶつかってしまったそうだ。このビショ濡れぶりが、彼の絶望感をさらに増幅する。天がこの映画に味方しているかのようだ。ホームレスの仲間に入ることまで拒絶され、絶望はさらに深まる。

近くに廃館した映画館があった。これが、懐かしの旧上野オークラ劇場である。やむをえず軒先を借りる。しゃがみ込んで入口のドアに寄りかかると、ドアは開いてしまう。これ幸いとばかりに、ここを一泊の宿に利用しようと企む。客席へのドアを開けると薄暗い場内、そして自動的に照明が点る。この陰影に富んだ撮影効果は素晴らしい。

とりあえず2階の客席に上がり衣服を乾かしていると、1階の客席で竹本泰志と望月梨央のカップルが激しくSEXを始めている。とにかく寝込んでしまうと、翌朝セーラー服の琥珀うたに起こされる。彼女達はオーナーの許しを得て、ここを住居にしていると言い、彼が同居することも許される。廃館して人気のない上野オークラ劇場が、次第に異次元空間へと変貌してくる。

同居人の主人は、「なかみつせいじ」と酒井あずさの熟年夫婦で、その娘が琥珀うただ。彼らは、遠からず彗星と衝突して地球が滅びるので、ここを最後の棲家としたと言う。琥珀うたの姉が望月梨央で、最後は家族いっしょに死にたいと、夫の竹本泰志と共に、ここに帰ってきたということである。野村貴浩も、彼等と共に食卓を囲み鍋料理をつつく。上野オークラ劇場に、こんな日本間があったのかと、ファンとしては興味深い限りであった。

死を前にしているから、「なかみつせいじ」と酒井あずさ、竹本泰志と望月梨央のSEXは激しい。末娘の琥珀うたは、代わる代わる二つの濡れ場を覗きまくりオナニーをする。「ウー、孤独〜」なんていってオナるのがおかしい。ピンクエンタテイナーの池島ゆたかサービス精神満開である。

館内の描写と並行して、海岸にこの五人の家族が佇んで、物思いに耽って語りあうシーンが、繰り返し挿入される。CG合成であろう彗星が、水平線の彼方に渦を巻いており、画面造りとしては、それなりに頑張っている。

そして、この五人の家族と野村貴浩が、次第にからんでくる。屋上で休んでいた彼を、琥珀うたが突如誘惑したかと思えば消えてしまう。そして、酒井あずさが突然「風と共に去りぬ」のレッド・バトラーの衣装で、元宝塚だと名乗り、誘惑してくる。

一転、映写室に場所が転換し、そこのソファーで今度は望月梨央が誘惑してくる。どこまでが現実で、どこまでが幻覚なのか。めくるめくイメージ転換は、完全に我々を虚実皮膜の世界へと落し込む。

屋上といい、映写室といい、我々が客としては全く目にしていなかった上野オークラ劇場の場が、こうして晒されてくるのは、何とも感慨深いものがある。特に映写室が舞台の時は、窓が開け放たれており、その向こうには何の変哲もない上野の人々の日常が映し出されるドキュメンタリー効果に、奇妙な味わいがあった。

神秘な映画館内幻想空間は、旧上野オークラ劇場の地下の旧上野特選劇場へと拡大していく。隣のビルとの境に狭い空間があり、そこのシャッターを開け階段を下ると、旧上野特選劇場へと通じるという我々観客と異なるルートから映画館へと入っていくのも、神秘幻想感覚の趣きを大いに高めている。

濡れ場以外でも、幻想と現実は混沌としてくる。「なかみつせいじ」は、戦後まもない頃の苦労話を始める。年齢的には合わないではないか。彼等は過去からタイムスリップしてきたのか?それならば、地球は彗星と衝突してもう滅びているのか?だが、竹本泰志の方は、「今の時代は再就職は大変だよね」と、完全に現代人の話し方なのだ。「なかみつせいじ」の甲高い笑い声の怪演は、違和感をさらに増幅する。

映画館の入り口のドアはロックされている。野村貴浩は、外出することもできなくなる。全員が揃って、最後の晩餐でそうめんをすするというミスマッチも、何ともおかしい。何が現実で何が幻想か?我々は完全に虚実皮膜の世界に落とし込まれる。

何度もインサートされた海岸と空の彗星が、スクリーンに映し出されている。5人の家族は、静かにその前に佇んでいる。彗星が炸裂する。その炎は現実の画面外の世界も襲う。ついに地球は滅亡したのか。

野村貴浩は意識を取り戻す。最前と同じように、そこには映画館の軒先を借りてしゃがみ込んでいる自分の姿だった。足下にしわくちゃの映画チラシが落ちている。拾い上げると映画タイトルは「地球最後の日 静かな海」、主演者として映画館内で生活を共にした(?)5人の顔が並んでいる。

映画館、かつてそこに集って共同幻想が紡がれた場。その空間をくぐり抜けて野村貴浩は、果たして何かを得たのだろうか。彼は、雨の中、一歩を踏み出す。何かがこれまでと変わったかのような表情で…。

虚実皮膜・彗星衝突による人類滅亡。いや〜後藤大輔ワールド満開だなぁ〜、なんて私は悦に入っていて、その後のクレジットタイトルでガーンとなる。脚本・五代暁子、エエェ〜ッ!てなもんである。

よせばいいのに、私は試写終了後、そのことを五代暁子さんに告げてしまった。でも、「ちがうでしょう。全然。私はエンタメですから。後藤さんならもっと難しい説明が沢山入ってくるでしょう」との五代さんの回答だった。私も「そうですね。名画のパロディ=オマージュの池島=五代映画とすれば、これは池島版『カイロの紫のバラ』ですね」と返したら、「私は観てないのよ。監督がそんなこと言ってたけど、あえて観る必要はないって」と言われ、ここでも空振りになった。五代暁子さんとしては、強いていうならば伊坂幸太郎の「フィッシュストーリー」だとのことだった。成程。

ただ、よく考えてみると、この映画は「カイロの紫のバラ」とは似て非なるものである。「カイロの紫のバラ」のミア・ファーローは、映画の中に夢を見て、現実のつらさを映画の中に入り込んで逃避した女である。この映画の野村貴浩とは、かなりニュアンスが違う。

彼は、多分仕事一筋・出世亡者の典型で、映画ごときには見向きもしなかった男だったろうと思う。そのあたりは、冒頭で紹介した恋人に振られたシーンで、はっきり描かれていたと思う。特に、このシーンの恋人役の日高ゆりあは、好演だった。

日高ゆりあは、今回はヌードも濡れ場もないカメオ出演である。しかし、それを大きく越えて、作品のポイントとなっていた。男が失職した途端に、あっさりと見限る徹底したヤナ女である。ヤナ女をヤナように描かれたらそれは不快なだけだが、それを映画的には魅力ある女に見せているところが、スゴいのである。このあたりは「悪人」の満島ひかりと双璧だろう。

そして「最後に言っとくけどね、あなたのベッドは最低だった」、この捨て台詞は凄すぎる。おいおい、そこまで言ってトドメを刺すかよ、といった感じである。野村貴浩のドン底の落ち込みぶりもムべなるかなだ。このビンクならではの表現で、日高ゆりあは満島ひかりを半歩は越えたのではないか。

そして、ヤナ女ではあるがそれを通じて、野村貴浩は地位を失えば何の値打ちもない男であることを、彼女の演技が浮き彫りにしたのである。日高ゆりあのクレジットは「special thanks」、確かにこの映画にとって、その称号に値する存在だった。

打ち上げの席で、隠されたエピソードが明かされた。映画の冒頭では、懐かしの日活映画のマドロス物のラストシーンのタッチで、竹本泰志と琥珀うたがモノクロ画面内で演じる映画内映画がある。廃館した映画館へのオマージュなのだが、これがなかなか雰囲気が出ているのだ。実はこの琥珀うたのアフレコは、当人ではなく日高ゆりあが当てているそうなのだ。言われてみればその通りに聞こえる。映画に一味ちがう雰囲気を与える秘密は、こんなところにあるとは思わなかった。

私の五代暁子と後藤大輔の誤認の件については、打ち上げの席である重鎮の方が、深町章監督=後藤大輔脚本の「濡れ続けた女 吸いつく下半身」と似てる感じを受けたとの言があり、何とか私も面目を保った。そうだよなあ。後藤脚本と勘違いしたっておかしくないよなあ。

打ち上げの席では、圧倒的な高評価に終始した「いんび快楽館 感じて」だが、意外や監督としては、そんなに乗れた作品ではなかったそうなのだ。国際映画祭から帰国したロス呆けが続いていた頃で、回りのみんなが何とかやってくれた、といった感じなのだそうである。

でも、いっしょにするのはおこがましいかもしれないが、私が勉強中の活弁や素人寄席芸でも、自分がイイ気になってやった時は、他人から見て全然よくなく、トーンを抑え気味にしたら、お客さんにとって心地よい芸になるというのは、よくあることなのである。監督が変に意気込まなかったのが、意外と好結果に結びついたのかもしれない。

ということで、肝心の「カイロの紫のバラ」とは似て非なるものという点について、まだ触れていなかった。映画に無縁だったと思われる野村貴浩に、何が生きる力を与えたのか。それは、観客の夢の集合体として紡ぎ上げられた残留思念であったのではないか、ということである。

そうした意味では、映画館というものは神域であり、霊場であったのだ。それは、今のシネコンに(多分)無いものであり、どんなにDVDに感動してもお茶の間には存在しないものなのである。消えゆく神域であり霊場であった映画館。その一つとしてこのような形で上野オークラ劇場のドキュメントとして、時代の記録として刻印したこと。「いんび快楽館 感じて」の真の価値は、そこにあると思う。「カイロの紫のバラ」を起点として、ここでも池島ゆたか監督は、負け戦をしなかった。


2月20日(日)は「倖田李梨プロデュース!」、2月26日(日)は「池島ゆたかプロデュース!」の、それぞれの「舞台挨拶トークショー!!」の日であった。その前後についても話題満載なのだが、それは場を改めて「映画三昧日記」の方で紹介したい。お楽しみに!
2011年ピンク映画カタログ−5

2011年2月2日(水) ●上野オークラ劇場
「ザ・緊縛」 1984年公開
監督・滝田洋二郎  脚本・夢野史郎  主演・西川瀬里奈,高瀬ユカ

「おくりびと」効果のせいかここ1〜2年、滝田洋二郎のピンク映画が新版(題に知名度があるせいかピンク特有の改題はない)公開されている。私も数本を観たが、いずれもその才能に圧倒された。ということで、本作品も大きく期待したのだが、今回に限ってはイマイチであった。

スタートのつかみは悪くない。タクシーの運転手が、ミステリアスな女を乗せた。女は行き先を告げず、夜の公園に運転手を誘い出し、ダンスの相手をしてくれと頼む。ところが、12時の時報と共に、慌ただしく駆け去っていく。残されたのはヒール靴の片足、何だかシンデレラ神話の現代における再現の趣きである。

運転手は女の記憶消し難く、その靴のメーカーを手掛かりに追跡調査する。踵が取れやすい特長のある靴で、調べてみたらヒールと靴底の境目に、コインロッカーの鍵が隠されていた。そのコインロッカーを開けると、VHSテープがある。ビルの屋上で緊縛SMショーが展開されているビデオだ。後半には録画はない。

運転手はタクシーの中で、顧客サービスとしてそのテープを見せ、女の手掛かりをつかもうとする。突然、なぜか運転手に迫る若き日の俳優時代の池島ゆたか演じるゲイがいたりする枝葉のサービスも、あったりする。そして、男の背後に、次第に闇の勢力の手が迫ってくる。

ここから先はネタバレです。

落ちは他愛がない。テープの録画されていない部分には、麻薬が貼り付けられていた。運び屋の女は、それを持ち逃げしようとしたのである。ただし、彼女もヤク漬けにされており、12時を過ぎると薬がキレるので、組織の下にもどらざるをえない。とんだシンデレラだが、何とも安っぽい落ちである。運転手は、組織の男を倒し、彼女を組織から救いだすとの、終り方も何とも凡でしかない。

ビル群の夜景を巧みに処理し、奥行きのある陰影深い画面と音楽効果で盛り上げた屋上のSMショーが、なかなかの見物であったあたりが、取り得といえば取り得といったところだろう。脚本は夢野史郎、とすると、これまで私が観た滝田ピンクの凄さは、高木功・脚本にあずかるところ大きかったということだろうか。

「隣人妻たちの性狩 しとめたい!」(旧題「いじめる人妻たち 淫乱天国」) 2000年公開
監督・浜野佐知  脚本・山ア邦紀  主演・柳東史, 黒田詩織

主人公の柳東史は、幼年時代に生き別れた姉を探している。女性興信所員の調査で、ある団地に居住する4人の女性の中の一人であることが判明する。それらの女性を次々と訪ねていくのが、映画の骨子である。

最初に訪れた女性は、夫に死に別れたばかりの喪服妻だった。何とも居心地が悪い中での対面である。彼女は突如、夫の死後に注文していた性具が届いたことを示し、柳東史にそれでの愛撫を懇願する。

浜野佐知の映画は、唐突に濡れ場の方便でストーリーが転がっていき、一見Xces=新田栄=「金太郎飴映画」のようだが、微妙にちがうところがある。女流作家らしく、変にエロくしようという物欲しさが希薄で、濡れ場描写がナンセンスなまでにエスカレートし、最後は3Pなどの嬌声がオーバーに響き、アナーキーな空間へと拡大していく。いきなりの喪服未亡人の性具突き出しで、今回は早くもそれが始まったなと、期待させる。

ところが、この後が全く弾けてこない。こんなに何にもない浜野映画も珍しい。この後に訪れていく女達も、浮気調査の探偵と間違われ情夫に凄まれたり、SMプレーの客と勘違いされたりといった塩梅で、柳東史は散々な目に遭うわけだが、いずれも凡ピンクのネタだ。

ひどい女ばかりに出会い実の姉も結局みつからず、落ち込んだ柳東史を、同行していた女性興信所員が慰める。そして、他人だっていいじゃないと、いつしかラブラブに納まるハッピーエンドだが、これも凡な限りだ。ただ、そんなラブラブの濡れ場に、過去の悪女たちの妄想がからまってきて、柳東史がギョッとするあたりに、浜野流アナーキーな片鱗が伺えるといった感も無きにしもあらずだが、まあ読み過ぎでしょう。ここも凡ピンク的にエッチ度を高めたといったところである。

「奴隷飼育 変態しゃぶり牝」 2011年公開
監督・脚本・山ア邦紀  主演・浅井千尋,里見瑤子

人を喰ったSF・ファンタジーを、悪ふざけでなく大真面目に展開する山崎邦紀の新作である。今回もマッド・サイエンティストの園部真一が登場する。彼は、仮死状態の女を植物の魔力を用い、「SEXと出産の戦死」として再生させ、少子化の対策とする研究に没頭している。その役名も松土驚一(マッドと読むんだろう)、研究名は「ユニバーサル・マンゴー計画」、蘇生した女性の略称はユニマン、研究所は旧・上野オークラ劇場、もう、何が何だかさっぱり分からない破天荒ぶりだ。

最初の実験台は、園部真一の妻の佐々木基子。これが何だかしらないがストリッパーというおかしさだ。彼女は、仮死になる前に夫の手から逃げ出し、実験台からは免れる。ストリッパーにして科学者の妻というヘンテコリンな役を、芸達者の佐々木基子が軽妙に演じる。

最初の実験台は、事故で仮死状態になった里見瑤子だ。夫の平川直大の懇願で、彼女を「ユニマン」として再生させる。ところが、これが失敗作、「SEXと出産の戦士」の中から「出産」がこぼれ、「SEX」だけの戦士となってしまう。そして、毎日記憶を失う。毎日新しい男を求めてさまようようになる。夫の平川直大は、常に最初に彼女の前に現れ、情事を重ねる羽目になる。

大人版「パコと魔法の絵本」といったところだろうか。とっかえひっかえ奇天烈な衣装で、人格も含めて毎日全くちがった別人となる里見瑤子の「宇宙人演技」が楽しい。最近の本格的演技派の里見瑤子もいいが、私にとってはやっぱり「宇宙人」里見瑤子の魅惑は捨てがたい。

次の実験作が、浅井千尋。実験は成功したかに見えて、自分は過去には男であったと信じてしまう欠陥が出る。過去の男とのSEXがトラウマとなっているようだ。浅井千尋は、なぜか上下繋ぎの模様の入ったシースルー・レオタード姿で全編を通し、女の秘所の数々が微妙に見えそうで見えず、その豊満な肢体が何ともエロっぽくていい。

ということで、山崎邦紀調のブッ飛び材料はそろった!これから大変な大傑作の誕生か…と思っていたら、以降、全てに対して何も決着をつけずに終わるのである。エンディングは上野オークラ劇場の客席に、池島ゆたか監督やら、マイミクの顔馴染みの面々やらが、実験立会者として顔を並べているのだが、そんな個人的楽屋落ちのところだけを楽しんでも、あまり意味がない。

山崎邦紀作品の前作「美尻エクスタシー 白昼の穴快楽」が傑作だったのは、登場するキャラ全員が楽しく立っていただけでなく、全てに何らかの決着をつけてのエンディングだったからだ。今回はキャラだけ立てて期待させて、後は放り出した感が強く、だから失望感も倍増になった。

旧・上野オークラ劇場をロケ場所に解放した作品を、これまでに3本観てきた。最初は、初号試写を観せていただいた池島ゆたか監督「いんび快楽園 感じて」で、上野オークラ劇場を観客の想いが堆積したある種の霊場・神域と捉えているのが見事だった。(この映画評については、封切前後の時期に紹介いたします)その時、このロケシリーズは、上野オークラ劇場への各監督の、オマージュの競作になるであろうと、大いに期待したものだった。

ところが、次に観た荒木太郎監督「癒しの遊女 濡れ舌の蜜」は、単なるノスタルジー一般の中の一部として映画館があっただけであり、特に上野オークラでなくてもよい扱いであった。今回の山崎邦紀監督「奴隷飼育 変態しゃぶり牝」に至っては、上野オークラどころか、映画館である必然性すらない。どうもこの上野オークラロケ競作シリーズは、私としては当初の期待を大きく外れた結果になったようだ。

●この日のピンクゲリラツァーの風景

この日の上野オークラ劇場も、ピンクゲリラツァー敢行の日だった。「お竜さん」「ひらりんさん」の女性陣二人を、「YASさん」と私の男性陣二人がガードする布陣である。しかし、いずれも前半期待させて、後半急激にトーンダウンする三本で、最後は全員疲れ気味であった。

救いは「ひらりんさん」が、滝田ピンクを面白く観たとのことである。聞いたら、滝田ピンクは初めてだそうだ。確かに、高木功・脚本の滝田ピンクが未見ならば、今日の映画は、あれでもそれなりに面白いのかもしれない。これから高木功・脚本の滝田ピンクに出会える人は幸せである。淀川長治さん流に言わせてもらうと、「いいですねえ。少なくとも、私よりは確実に一つ、人生の楽しみが多いですねえ」 といったところだ。
2011年ピンク映画カタログ−4

2011年1月20日(木) ●上野オークラ劇場
「絶対痴女 奥出し調教」 2011年公開
監督・友松直之 脚本・友松直之, 城定秀夫  主演・あいかわ優衣,亜紗美

若林美保は小劇団の座長で、次の公演の主役に外部からあいかわ優衣を招く。幹部女優の亜紗美は、自分が主役と思っていたので面白くない。あいかわ優衣は、過去に宇宙人に浚われ、胎児を略奪された過去を持つそうである。早くも、奇天烈な友松節だ。

亜紗美の恋人は、同じ劇団員の津田篤だった。しかし、津田篤は、稽古にかこつけて相手役のあいかわ優衣に言い寄り、あいかわ優衣も応じて、体を重ねてしまう。ここから、同じ劇団員の如春を誘惑するなど、奔放なあいかわ優衣の性遍歴が開始される。

濡れ場は、いかにも友松直之の個性満開の、打楽器をベースにした伴奏で、ダイナミックに展開される。これに、公演の舞台が頻繁にカットバックされる。UFOは存在するか?エイリアンはすでに地球に来訪しているのか?ロズウェル事件の真偽がディスカッションされる芝居だ。この哲学的な会話が、激しい濡れ場を中断する。こうした異化効果はいかにも友松タッチなのだが、エロチックエンタテインメントのピンク映画としてはどんなものか、意見の別れるところだろう。私は興味深い実験として、面白く観た。

最後は、あいかわ優衣が舞台上で、自分は「ヤリマン星人」(何だ、ソリャ?)だと宣言すると、画面は雑音で乱れたTV映像状になり、客席は大混乱、一拍置いたら無人の客席と、もうなんだか解らぬ虚実皮膜の友松ワールドとなる。客席を「PKの会」を中心にした知人が大半を占めているのは、私にとっての楽屋落ちであるが、それはそれで何とも楽しい。

エンドクレジットのバックは、本編と何も関連のないSMチックな「しじみ」の映像だ。「電撃チャック」さんのブログによれば、当初の企画は「しじみ」主演の演劇の映画化だったそうだが、原作・演出者との交渉が暗礁に乗り上げ、急遽方向転換して誕生したのが、この作品であるとのことだった。

いずれにしても、初期の友松直之作品「コギャル喰い 大阪テレクラ篇」を彷彿させる鬼才の快(怪?)作であった。

2011年1月23日(日) ●浅草シネマ
「剃毛緊縛魔」 (旧題「ザ・恥毛と縛り」) 1992年公開     
監督・池島ゆたか 脚本・五代響子  主演・北野ほたる,山本竜二

子供時代のトラウマから、陰毛のある女とはSEXできない山本竜二が主人公である。だから、コトに至る前に剃毛する。当然その趣味の無いノーマルな女はそれを拒否するから、まず縛っておいて剃毛を開始する。映画は被害に遭った女をインタビューしていくドキュメンタリー風の構成を取る。エッチ羅列の方便でストーリーを繋いでいく典型的Xces映画の一本である。

俳優から監督に活動の場を転じた池島ゆたか監督の、これは三本目の作品。エッチの方便でストーリーが転がるXces「金太郎飴映画」の体裁を取りながら、山本竜二の心の闇を見事にえぐり取って魅せた。見事である。

だから、映画はシンプルだ。童貞だった頃の劇団の同僚の北野ほたる、出張マッサージ嬢の小泉あかね、ホステスの渡辺千尋と、被害者インタビューを繋ぎにして、緊縛剃毛のエッチ見せ場が団子の串刺しのように展開していく。ただ、繋ぎのストーリーで、女への勝手な思い込みが激しい山本竜二の心の闇が、鮮烈にあぶり出されてくるあたりが凄い。山本竜二は熱演である。

彼の母「しのざきさとみ」へのインタビューがある。そこで、彼の心の闇のトラウマが浮かびあがる。母「しのざきさとみ」は淫乱な女で、何人も男を引き込み子供の前にも関わらず、情事に狂い悶えた。当然、ここもXces流エッチサービスだ。愛人には、池島ゆたか監督自ら挑戦しているのも楽しい見物だ。

剃毛シーンは、クローズアップで堂々と映し出される。ただし、画面には毛しか映らないから造り物だろう。うまいエッチシーンを考えたものだ。が、後述するが、これは本当に女優さんを剃毛して撮影したが、映倫には造り物で押し切ったそうだ。映倫とのやりとりに関しては、後の項で詳述する。

山本竜二の偏執的に異常な思い込みは、ついにホステスの渡辺千尋への殺害へ至り、精神病院に収監される。そこでも、看護師への異常な思い込みによる妄想のエッチシーンで幕切れである。Xces流「金太郎飴映画」でも、ここまで鬼気迫る作品が生み出せるのだ。私は感嘆した。

脚本は五代響子、現在の五代暁子である。「暁子」は、本来「きょうこ」と読むのは難しい。前に舞台挨拶の司会を務めた上野オークラ劇場の支配人も、「あきこ」と紹介して訂正を受けていた。なるほど「きょうこ」という読み方はここがルーツなのか。

●続々とピンク・ゲリラツァー頻発
この日は、池島ゆたか監督ご本人も参加した盛会のゲリラツァーの日だった。実は、前記した1月20日(木)も、「お竜さん」と二人のミニ・ゲリラツァーだったのだ。最近の私の映画鑑賞幅が、見逃した旧作・クラシックにまで拡大したのと同様に、「お竜さん」のピンク映画への興味が、新作だけでなく過去の注目作までにリーチを伸ばしたのだから、ゲリラツァーの頻発も必然である。

この日は浅草世界館→浅草シネマの梯子であった。世界館「淫ら姉妹 生肌いじり」→シネマ「ザ・恥毛と縛り」というわけである。もっとも「淫ら姉妹 生肌いじり」を「お竜さんに勧めた張本人は私なのだから、致し方ない。この映画の原題は「聖霊夜曲」、私がピンクにハマる決定打となった監督・深町章、脚本・かわさきりぼん、主演・里見瑤子の、私にとってのゴールデントリオ作品「痴漢家政婦 すけべなエプロン」(原題「平成人魚伝説」)に次ぐ第二弾なのである。(「平成人魚伝説」)は、かわさきりぼんのピンク脚本デビュー作でもある)「聖霊夜曲」は、元々がお芝居で、今年の夏には再演が予定されている。これは、里見瑤子応援団としては、お勧めせねばなるまい。

浅草世界館のツァー参加者は4人、そして浅草シネマに至ると、池島ゆたか監督も加えて、一気に8人に膨れ上がる。鑑賞後は浅草の古式豊かな居酒屋で大宴会となったのは言うまでもない。

●池島ゆたか監督から聞いたことあれこれ
宴会席上で、私は前述した感想を監督ご本人に話した。Xces「金太郎飴映画」の王道をキッチリと遵守しながら、あれだけの男の心の闇を描いた傑作にしたのは感心しました。商売人・職人でありながら、映画作家であるのは見事です。と絶賛した。

ところが、監督自身の言によると、この映画には難産の数々があったそうなのである。企画に難色を示され、プロデューサーから最後の精神病院以降はいらない、全面カットの指示が飛んだそうだ。池島監督はクビを覚悟で、その指示を無視し初号試写に臨んだそうだ。しかし、企画段階から問題があったせいか、滅多に初号試写なんか来たことがない社長が来たそうだ。そこで「いいね」との鶴の一声で、事なきを得たとのことである。

難産はそこで止まらない。今度は映倫の担当審査員からクレームがついた。私一人では判断できない。全審査員立会で再度の映倫試写を敢行するという。結果的には再試写で異を唱える審査員はおらず、拍子抜けだったそうだ。

このあたりの会社と映倫との顛末は、最近の名著「PG」105号「池島ゆたかが見た、生きた、ピンク映画傍証50年史」に詳しいので、ここでは簡単に触れた。

これに先立って、映倫通過後の作品が警視庁で摘発され、審査員まで起訴された日活ロマンポルノ事件があった。映画ではないが「愛のコリーダ」写真集の警視庁摘発も、その後にあった。映倫審査員としては、再試写で全委員の何連帯責任にすることで、もしもの時のリスクを回避したんじゃないですか、と私の意見を監督には述べた。

池島ゆたか監督としては、でもこの頃はそんな緊迫感がなくなってきた、それだけピンクも軽く見られるようになったみたいで、寂しいとも漏らしていた。現在もギリギリの描写で勝負しているのだから、やるなら摘発してくれとの意気はあるが、注目してくれないのは残念だとのことでもあった。監督は私と同世代の団塊の世代、いわゆる全共斗世代だが、学生運動とは無縁の演劇青年だったそうだ。しかし、団塊世代特有の「反骨魂」は健在なんだなと、やや頼もしく思ったのである。

2011年2月11日(金)「愛人OL えぐり折檻」公開!
私のキャスティングされた「愛人OL えぐり折檻」が公開されます。私は初号試写で昨年すでに観ているのですが、公開を控えた今の時期に、作品評と撮影体験記を紹介します。前記の日付を付したのは、今後の「ピンク映画カタログ(ピンク日記)」総索引の利便性を図ってのものです。

2010年10月28日(木) ●東映ラボ・テック
「愛人OL えぐり折檻」 2011年公開
監督・脚本・清水大敬  主演・羽田勝博,艶堂しほり

「出演者」として映画に初参加し、その初号試写を観た。これまでも「人妻教師 レイプ揉みしごく」「奴隷船」と、エキストラ参加ではあったにも関わらず、最終的にクレジットしてくれたという例はあるが、今回は堂々と(?)キャスティングされた上でのクレジットである。

シナリオでは、私の参加シーンは3シーンだったが、結果的にはカット割の関係で2シーンになった。一つのシーンの台詞はシナリオ上では三言で、もう一つのシーンには特に台詞は無い。結果的には、画面内で背を向けているところや、画面外にいるシーンで、アフレコの時に台詞が追加され、もう少々喋るようにはなる。撮影体験記の詳細については。映画をレビューした後に、まとめて紹介することにしたい。

私の芸名は「周磨ッ波」と、清水大敬監督が粋な命名をしてくれた。ただ、残念ながらクレジットのビリングは、映画ファンとして親しくつきあっているエキストラの方々の面々と、込みで一枚であった。監督の言によると、ピンク映画は60分〜61分に納めるのが厳守だそうだが、この映画は最初の編集段階では、61分を十数秒越えてしまったということである。どこを切るか。通常は濡れ場を少々つまむのであるが、今回の濡れ場はいずれもよく撮れていて切るのに忍びなく、結局クレジットを圧縮することで、対応したそうだ。

「愛人OL えぐり折檻」は、いろいろな意味で、現状のピンク映画製作者側のタブーに挑戦した意欲作だ。とは言っても前衛的な実験作なんかではない。いや、大衆的といえば、これ以上大衆的なものはないエロチック・アクション・エンタテインメントである。

清水大敬監督の狙いは、高倉健の任侠映画の味わいを、ピンク映画の中で復活させることである。だから、当然のことに主役は男優の羽田勝博である。任侠映画の高倉健と言えばストイックな個性が魅力で、「泣かぬ、笑わぬ、女を抱かず」といった調子である。だから、この映画の羽田勝博にも濡れ場が無い。ピンク映画で男優が主演なのも異例だが、主演男優に濡れ場がないというのも異色である。

そして、任侠映画調の作品だから、当然ながら殺しの場面が二回もある。これも、現在のピンクでは異例だそうだ。ピンク映画の製作者サイドとしては、暴力(まして殺人)と子供は、御法度なんだそうだ。バイオレンスは男を(文字どおりに)縮みあがらせてしまうし、子供を出すと男が家庭を思い出し萎えてしまうとの、変な理屈だそうだ。しかし、そのタブーを破れば、確実にピンク映画の世界は広がるし、もっと優れた作品が出てくると思う。

もう一つ珍しいのは、この映画のフェラチオはボカシを使っていない。通常のフェラシーンは、本物を模した男根を使ってフェラをさせ、それにボカシを入れるという手法をとっている。しかし、この映画では黒い明らかに造り物の男根を堂々と画面に出してフェラをさせる。つまり、これは性具なんですけど、本物として観てくださいよ、という映画的約束事で撮っているのである。だから、女優の舌の動き唇の動きが、ボカシ無しで艶めかしくハッキリ画面上に映し出され、とてもとてもエロい。これは、かなり斬新な手だ。ただ、ピンク映画に詳しい人の言によると、この手は過去にもいくつかあり、初めてという訳ではないそうだ。

さらに、この映画の濡れ場は、和姦がひとつも無い。いずれもレイプや拷問まがいの濡れ場で、女優の至福の表情が一つも出てこないのだ。タイトルに「えぐり折檻」とあるように、この映画での濡れ場は、すべて愛の営みでなく「折檻」なのである。SMものを別にすれば(いや、SMものだって一つや二つは愛の営みの濡れ場はある)、これは極めて異色なピンク映画といえるだろう。

話はやや横道にそれるが、ピンク映画ファンは御存じだろうが、ピンクには原題と公開題名との二つがある。シナリオ段階は一般映画と変わらないタイトルである。例えば、最近ロサンゼルスのタランティーノ所有の劇場で開催された国際映画祭に招待されたうちの一本の、池島ゆたか監督作品の原題は「月光の食卓」である。英語題名は「TWILIGHT DINNER」(トワイライト・ディナー)と、これも実に味がある。しかし、日本ではこれを公開するにあたって、営業が思いっきりエッチなタイトルを捻り出すのである。

「月光の食卓」の公開題名は、「超いんらん 姉妹どんぶり」だ。確かに姉妹を装ったレズのバンパイヤが男を誘惑し、奈落の底に突き落としていく話だから、決して嘘は言ってないけど「超いんらん 姉妹どんぶり」とはねえ。ちなみに今年の新版改題再映時のタイトルが「極淫セックス 噛む!」、ややマシだが、いずれにしても凄まじき限りである。しかし、内容を把握しながらエッチな言葉の羅列に置き換えて表現する営業さんの苦労は大したものだ。頭おかしくならないだろうか。

池島監督が、ちょっとぼやいていたこともあった。
「いくら何でも、営業のつける題はひどいよねえ。俺につけさせてくれれば、エッチはエッチでも、もっとセンスのいい題をつけてやるんだけどさ」

ちょっと寄り道をした。話を本筋の清水大敬監督の方にもどす。清水監督は、自作脚本で勝負する。そして、脚本段階から、公開題名をつけている。前回に私がエキストラ出演したのが「人妻教師 レイプ揉みしごく」、今回の私の出演作は、当初「生き地獄 肉裂け凌辱」だったが、完成作品では「愛人OL えぐり折檻」に変更になっていた。

ただ、よく見ると題名の前半だけは「人妻教師」「生き地獄」「愛人OL」と、エッチな言葉は全くない。監督としては前半がオリジナルタイトルで、営業に変な題を後からつけられるくらいなら、後半にエッチな言葉を入れたスタイルを取ることにより、タイトルにも自分の意思を反映しているのかもしれない。

「愛人OL えぐり折檻」は回想シーンを駆使した凝った構成になっている。しかし、ここではそれを時系列的に整理して、ストーリーの骨子を、まず紹介することにしたい。

任侠心に溢れたヤクザ羽田勝博と、社長秘書の艶堂しほりとの最初の出会いは、ほんの偶然だった。周磨ッ波社長が、たまたま奥さんに弁当を作ってもらえなかった日の昼休み、秘書の艶堂しほりと二人で、コンビニ弁当を物色にくる。そこでひったくりに遭う。ひったくり犯を取り押さえたのは、侠気に溢れるヤクザの羽田勝博だった。これをきっかけに、羽田勝博と艶堂しほりは、愛し合うようになる。

打ち上げの時に、社長が愛妻弁当のない日に、高級仕出し弁当を取り寄せたりしないで、秘書とコンビニに買いに来るというのが、会社の規模を想像させていいね、と誰かが言った。確かに、そういうあたりにもドラマを構成する要素があるということだ。ちなみに専務は社長の娘の倖田李梨、その夫の「なかみつせいじ」が部長ということで、確かに社長が一代で築いた家族経営の会社であることが伺える。

それにしても、何と!私が倖田李梨さんの父親ですよ!って、こんなところでハシャいてもしょうがないか。

周磨ッ波社長は、悪質な手形詐欺に会う。暴力団組長の柳東史がチンピラの風吹進を引き連れて、社長室に乗り込み周磨ッ波を恫喝する。秘書の艶堂しほりが、恋人の羽田勝博に助けをもとめ、乱闘になる。そして、もののはずみで羽田勝博はチンピラの風吹進を殺してしまい、懲役10年の刑を受ける。

羽田勝博の受刑中に、暴力団組長の柳東史は、艶堂しほりに毒牙を伸ばし、シャブ漬けにして従わせ、奴隷のような情婦に仕立てあげてしまう。

出所した羽田勝博の社会復帰と更生を考えて、周磨ッ波社長は彼をガードマンとして雇う。おお、いい社長!と言いたいところだが、そのへんの出番は私にはなく、社長の死後に専務で娘の倖田李梨が、過去の話として語るという構成になっている。よく考えたら周磨ッ波社長は、映画が始まった時からすでに死んでいて、回想でしか出てこないのである。

社長の死後、専務で娘の婿養子になっている「なかみつせいじ」が、虎視眈々と社長の座を狙う。しかし、夫婦には子供ができず、倖田李梨は後継ぎも孕ませられない夫では次期社長にするわけにはいかない、とばかりにそっ気ない。

子供ができないのも当然で、「なかみつせいじ」部長は、秘書の藤崎クロエを別宅に囲っていて、心は妻の倖田李梨にはない。これでは夜の営みも濃厚とは程遠く、子供を孕むには至らない。

藤崎クロエは、癌で余命いくばくもない母を抱えており、退職し「なかみつせいじ」と縁を切り、退職金でアパートを借りようとする。そんな苦悩を抱えている彼女を、ガードマンの羽田勝博は、陰からソッと見守っている。二人はいつしか心を寄せ合うようになる。

それを薄々と感じている「なかみつせいじ」は面白くない。前科者のガードマン羽田勝博の仕事ぶりの重箱の隅をつついて、馘首しようと目論む。ある日、部長室で秘書の藤崎クロエに狼藉に及び、助けに来た羽田勝博に開き直って、彼を馘首しようとする。しかし、日頃から浮気を感じていた専務で妻の倖田李梨に、ついに全て露見してしまう。「なかみつせいじ」は離婚され会社を放逐される。

「なかみつせいじ」は、組長の柳東史に泣きついて、チンピラを一人まわしてもらい、病身の母親の前で藤崎クロエを輪姦レイプする。母親はショックで頓死する。助けに向かおうとした羽田勝博は、バットで後ろから殴打され気絶し、暴力団事務所に拉致されてしまう。

羽田勝博を縛り上げ、柳東史と「なかみつせいじ」は、いまやシャブ漬けで牝犬・性獣と化したかつての彼の恋人の艶堂しほりを、その眼前で徹底したフェラで嬲りぬく。そして仕上げに羽田勝博を殺さんとする。だが、かつての恋人の羽田勝博と再会した故か、艶堂しほりにはまだ昔の心が残っており、それが蘇ったようだ。隙をついて、バットで柳東史を昏倒させ、羽田勝博の縄を切る。大乱闘の末、羽田勝博は柳東史を仕留める。

羽田勝博は再び獄中へ、今度は懲役12年の刑だ。艶堂しほりが面会に来る。シャブ漬けから抜け出ようと必死になっていると告げられる。羽田勝博は「生きるんだ。生きていればきっといいことがある」と、逆に励ます。そして、時が経ち、薬物中毒から抜ける会で、自身の体験談を講演している艶堂しほりの姿が紹介される。その便りは、獄中の羽田勝博にも届けられる。

朗報は、さらに獄中に届けられる。倖田李梨は、経営コンサルタントの山科薫と再婚し、後継ぎの子宝にも恵まれる。藤崎クロエは、清水大敬監督自らが演じている好人物と結婚して、これも幸福に暮らしている。これらが、明るいイメージショットとして、インサートされる。

二人の人間を殺してしまい、併せて22年間の獄中生活。しかし、その犠牲により幸福に恵まれた人々の便りを聞いた。満足気に頷く羽田勝博、正に「網走番外地」の高倉健の世界だ。そこにタイトルが出る。

生きていればきっといいことがある。

このタイトルの背後には、羽田勝博を出所まで長く待ち続けているであろうはずの、更生した艶堂しほりの姿も垣間見える。任侠映画的なハッピーエンドとは言えるであろう。

冒頭にこの映画の濡れ場には、和姦がひとつも無いと述べた。ただし、エロさに関しては、そうとう激しく、別の意味で興奮度が高い。

まず、藤崎クロエの2度の濡れ場である。最初は、部長「なかみつせいじ」の囲い者のための別邸に、とりあえず退院した母を寝かせていたところへ、部長が帰って彼女を犯すシーン。母親に聞こえよがしに犯すあたり、我々の加虐的な興奮を大きくそそる。精液を口中にタップリ放出し、ハッキリそれが溜まっていることを口を開けて確認し、すぐに飲み下すことを許さず、しばらくしてからやっと喉を通させるという責めに近い仕打ちを受ける。

2度目は「なかみつせいじ」とチンピラ二人の輪姦レイプである。これも、母親がショック死してしまう程、エロク激しい。藤崎クロエは、男にかしずいて忍従する被虐的な色気をそそる女を、見事に表現した。デビュー作の「性交エロ天使 たっぷりご奉仕」では、ピンク版ドラえもんを明るく溌剌と演じていたのだから、その変身ぶりには感心した。

藤崎クロエは、クォーターだそうだが、そのエキゾチックなフェースとボディは、デビュー作にして大型新人の趣きがあった。続く今作で、新人女優賞はほぼ決定であろう。(ただ、この映画は翌年の封切りではあるが…)

2人目の女優の倖田李梨の2度の濡れ場、今や「どこでも顔出す倖田李梨」がキャッチフレーズになりそうだが(多分、今年のピンク最多出演女優となろう)、ここでも大車輪の弾けっぷりを見せた。目いっぱい露出度の高いランジェリーのセクシーダンスで、夫の「なかみつせいじ」を挑発し、「後継ぎ生めなきゃ社長にしないよ!浮気したら離婚だよ!」と脅しまくる。そして騎乗位で、「私の子宮にいっぱいかけて〜!」と絶叫する。事の終わった後は、精液を指で掬い、「少ないし、薄いわね〜」って、まあ夫は秘書の藤崎クロエの口中にタップリ出してきた後なんだからしょうがない。

2度目は再婚相手の経営コンサルタント山科薫との濡れ場、これも完全に女上位の強引なベッドインで、またまた「私の子宮にいっぱいかけて〜!」の絶叫だ。ブッ飛び倖田李梨の楽しさはあるが、甘いムードの「和姦」といった雰囲気は全然ない。

実は山科薫と、清水大敬監督との間で、役についての解釈で、ちょっとしたやりとりがあったと、打ち上げの席で耳にした。監督は山科薫に対して「一流大学経済学部出のエリートに見えない。軽すぎる」との指摘があったそうだ。山科薫としては、これが藤崎クロエのような、男に寄り添って生きるしかないような弱い女ならともかく、堂々たる倖田李梨専務なら、これでいいのではないかと思って、演じたそうだ。

11月14日(日)に倖田李梨さんが企画した舞台挨拶と連動したプチオフ会で、李梨さんと話す機会があった。当然ながら、李梨さんは監督と男優とのそんな裏側は、ご存じなかった。でも「そうですね。そうなったら、濡れ場も後半は少ししとやかなリアクションになったりして、それで、二人で愛児の赤ちゃんをニッコリ見つめるシーンのニュアンスも、より暖かみを増したかもしれませんね」とのことだった。それが、映画全体の中では、唯一の「和姦」シーンとしてアクセントになったかもしれない。映画の演出・演技とは、奥深いものである。

3人目の女優は艶堂しほり、暴力団組長の柳東史にシャブ漬にされ、好色牝犬と化して奴隷的に奉仕させられる濡れ場が2度だから、ここでも甘い「和姦」とは無縁である。特にラスト近くの二人の男に対するフェラサービスの強要は、冒頭で紹介したようにボカし無しの造りものの男根だから、艶堂しほりの艶めかしい舌や唇の動きが完全に映し出され、エロいことこの上ない。その前に清楚な秘書姿を見せているだけに、その落差は強烈だ。

本来ならば、恋人時代の主人公・羽田勝博と艶堂しほりとの、甘い「和姦」の濡れ場があって然るべきなのだが、清水大敬監督・脚本は、あえてそれを回避した。「愛人OL えぐり折檻」。が意欲作・異色作たる所以である。

そして、この映画の特長は、格闘・乱闘シーンに気合いが入っていることだ。主人公の羽田勝博がコンビニでひったくりを取り押さえる格闘、手形詐欺で周磨ッ波社長を脅す柳東史・風吹進と救援に来た羽田勝博との乱闘、そしてクライマックスの組事務所での大乱闘と、3度ともワンカットで押しまくる。よく考えたら、私、周磨ッ波社長は、コンビニと社長室で、2度にわたって恐怖で怯えて立ち竦んでいるだけの役回りでありました。

監督としては、格闘シーンはもう少し凝りたかったそうだ。打ち上げでは、そんな話題が出た。社長室の乱闘では蹴りの入るシーンでワンアクション落ちたので、もう一度廻したかったが、そこでアクシデントが発生すると、撮影続行できなくなる懸念もあるので、断念したとの話がでた。

ところが、演じていた当人の羽田勝博と柳東史によると、アクションは落ちていなくて、その蹴りはあったそうなのである。ただ、力演のために、本当にまともに入ってしまいウッとなって、蹴られたリアクションが演じられなくなってしまったとのことだった。

このあたりは、プロレスラーが大怪我をする光景と、類似しているようだ。プロレスのリングで、ようまあ怪我せんもんだなあと観客が感心している大技の応酬では、怪我はしないようなのである。大怪我をする時は、観客には大したことがないとしか見えないカクッとした場面の時が多いのだ。昔、長州力がアキレス腱断裂した時も、そんな感じだった。

今回の長廻しのアクション演出で、改めてこうしたシーンの妙味を見せてもらった。本当に当ててしまったら傷跡が残ったりして、その先の撮影が続けられなくなる恐れがあるから当てない。また、むしろ本当に当たったら、当たった時のようなリアクションが出来ない。当てないものを当てたように見せるために、打撃点がカメラの死角になるように微妙に調整しているのである。それでも、完成品で効果音が入ってくると、見事に迫力のある格闘になるのだから、映画のマジックとは面白いものだ。

そのシーンで、映画の妙味を感じさせたことが、もう一つあった。組長の柳東史が主役の羽田勝博に殴り倒された直後、子分の風吹進が花瓶を羽田勝博の背に叩きつける。しかし、当然ながら本当に叩きつけるわけではないので、背中に目の無い羽田勝博としては、叩かれた時のリアクションのタイミングがかなり難しい。そこで監督の演出として、風吹進は、「エィッ」と掛け声をかけた直後に、花瓶を羽田勝博の背に叩きつけるアクションをする。その掛け声をキックに、羽田勝博は叩かれたリアクションを起こす。しかし、画面上では、掛け声・打撃・打たれたリアクションが、同時に見えるのである。

クライマックスの大乱闘は、なかなか凝った演出であった。激しい揉み合いの末に、主人公の羽田勝博と悪役組長の柳東史は、バーのカウンターの向こうに転落する。しばらくの時間経過、そして柳東史はカウンターの上に顔を出す。やおらグラスを取り出し、ウイスキーを注ぐ。ああ、ついに羽田勝博は、殺られてしまったかと思わせて、その後バッタリ柳東史が崩れ落ち、羽田勝博が顔を出す。

「駅馬車」へのオマージュを始めとして、「ヴェラクルス」などにもこの手は使われているが、何といっても、グラスにウイスキーを注ぐまで引っ張っているところが効果的である。清水大敬監督、かなりのアクション映画ファンのようだ。

クライマックスの大乱闘に先立ってのエロシーンでも、凝った演出を見せている。艶堂しほりを柳東史と「なかみつせいじ」が凌辱し、それを縛り上げられている羽田勝博に見せつけるシーンだが、全員が正面を向いている舞台劇的な演出なのだ。映画的リアリズムから言えば、羽田勝博は凌辱の場面に背を向けているのでおかしいのだが、映画の約束事として、彼の苦悶の表情と凌辱シーンが、ワンカットに納められている効果はあった。造り物の男根によるボカし無しのフェラシーンといい、本当にこの映画は実験精神に溢れた意欲作である。

ここから先は、映画のレビューから少々離れて、私の出演体験記の趣きで綴ってみたい。

最初のシーンは、社長役の私が秘書の艶堂しほりさんと弁当を物色するコンビニでの会話である。シナリオでは以下のとおりだ。
 泰三(社長の役名)「今日は女房が弁当を作ってくれなかったんだよ、ハッハハハ!」
 美樹(秘書の役名)「私が栄養のある、お弁当を選んであげますよ、社長!」
 ここで、ひったくりにあって、
 泰三「何をする!」
 と叫んでもみあうが、抵抗は空しくひったくられ、羽田勝博さんが犯人を取り押さえる。そして、
 泰三(感激し)「ありがとうございます!」
 と礼を言う。シナリオ上の台詞は、以上の三言である。

ここで、監督から、最初の台詞について「笑わなくてよい」と訂正が出る。撮影後に監督から「あなたの喋りは、落語調のところがあるね」と言われる。どうも、そのあたりが笑いをカットした理由のようだ。ただ、同録ではないので撮影はスルーしたとはいえ、こりゃアフレコで駄目出しが出るかなと、ちと気になる。

アフレコになる。「ありがとうございます!」の台詞のところで監督から、「どうも大仰だね。天皇陛下に感謝してるんじゃないんだから…」と駄目出しが出る。前述の監督の落語調との指摘も含めて、活弁修行中の私には、古典的な構えた語りが身についてしまったようだ。喜んでいいのか悲しんでいいのかと、いったところである。

再び、撮影時のエピソードに戻る。テストを見て監督から、「ひったくられるまで、もっと激しく抵抗してください。数十万円入っている物入れだと思って!」と指示が飛ぶ。確かに、それなりの大きさがある物入れである。ひったくりと揉み合っている時に、艶堂しほりさんが「やめて!」と叫ぶ。そこで、艶堂さんはしばらく恐怖で立ち竦んでから、ようよう「やめて!」の悲鳴が出たことにして、その台詞が発せられるまで社長としては頑張ることにする。これで、タイミングを一定に図ることができた。要するに私としては、プロの艶堂しほりさん頼みということだが…。

しかし、本番でヒヤッとした事態があった。ひったくり犯との揉み合いで、やや早く物入れが私の手が離れてしまったのだ。しかし、相手もプロの役者さんだから、そこはそのままひったくって逃げることなく、私も掴みなおして事なきを得た。どうかな?と思ったがOKが出た。アフレコの時にそのシーンを見たら、そんなに不自然ではなかった。監督の目線というのは、やはり確かなものだと思った。

続いてのシーンは、手形詐欺で暴力団に、社長室で恫喝されるシーンである。チンピラ役の風吹進さんが、私の胸倉を掴み手形で頬を張って脅しつける。突然監督から「全然、殴ってるように見えないよ!」と激しい声が飛ぶ。まあ、風吹さんとは出番の関係で待ち時間が共通し、その前にコーヒーなどを飲んで歓談していることが多かったので、いきなりチンピラと脅かされる社長にはなりきれない。遠慮は出るだろう。

とにかく、映画撮影は待ち時間が多い。風吹さんと待っている間も、撮影スケジュールの遅れ情報が続々と入り、風吹さんも「初対面の人と3時間も待つことになって、どうしたらいいか」と思っていたそうだが、そこは映画好き同志で、雑談を重ねていたら意外とアッという間に時が過ぎた。アフレコの時に再会したら、私の「映画三昧日記」などにも目を通してくれるまでになっていた。しかし、そうした親しさを増した時間を過ごしたことは、撮影には邪魔になる。

監督が凄い勢いで飛んできて、「こうやるんだ!」と思いっきりビシバシ手形で私の頬を張った。もちろん紙だから、そうは痛くない。そして、すかさず「ハイ!本番!」の声が飛ぶ。「紙だから痛くないですよ」と、私は風吹さんにカメラが回る前に小声で囁く。かくして本番一発OKとなった。

清水大敬監督は、さすがに俳優出身(今も俳優として現役であるが)の監督だなあと感嘆した。痛くはないといっても、少々は痛いシーンである。演技者としては、やる方もやられる方も、そんなに気分がいいシーンではない。そういうものは、できるだけ一発で決めようという配慮である。

監督が激しい勢いで頬を張り、そこで「テスト」と言わずにその流れで「本番!」とやったので、風吹さんも一気に出来たのだと思う。だから、お互いにいやなシーンを何度も演じることもなかった。直後に監督から「悪かったね」と私に声がかけられた。なるほど、これが俳優出身監督の演出術というものか、と感嘆した。

そんなことを思ったのは、以前「半熟売春 糸引く愛汁」(原題「小鳥の水浴」)のメーキングビデオで、やはり俳優でもある池島ゆたか監督の演出ぶりを観たからだ。田中繭子(現・佐々木麻由子)の鬼母ぶりの熱演が話題になった一篇である。ここで田中繭子が娘役の日高ゆりあの髪を掴んで、「このグズのブス娘が!」とガンガンとブロック塀に頭を叩きつけるシーンがある。ところが、撮影ではどうしても女優同志でそんなに激しくできない。池島監督が吹っ飛んできて、「何やってんだ!こうだ!」と、日高ゆりあの頭をガンガン叩きつけ、その勢いで本番に雪崩れ込んでいた。役者がやりたくないシーンは、できるだけ勢いで一発で決める、ここにも俳優出身の監督の演出術を観た。田中繭子の好演・熱演の裏には、こんな秘密があったのだ。

しかし、関係スタッフが多い映画で、一発で決めるというのは大変なことだ。出演者だけでなく、各パーツのたった一人がズッこけただけで、撮り直しなのである。いや、すぐ撮り直せればいい。血のりで衣装を汚すシーン、あるいはアクシデントで怪我などしてしまった場合は、後日リテークになりかねないのである。時は金なり、それは製作費にモロに跳ねかえる。

今回の撮影では、助監督が新人だったようで、限りなく叱咤激励が監督から飛んでいた。一例をあげれば、カチンコを打ったらしゃがめという指示を守らなくて、激しく叱責されていた。結果的に助監督の存在はカメラに映らなくて事なきをえたが、「すみません」、「すみませんで済まないこともあるんだ!」と、監督は厳しかった。確かに、映画というものはそういうものだろう。そして、こうした現場を積み重ねて、助監督は鍛え上げられていくのだなということも感じ入った。映画製作は大変だ。たまには撮影現場もいいが、やっぱり私にとって最終的には、映画とは観るもので創るものではない。

シネ・キャビンにおけるアフレコで興味深かったのは、現場やシナリオの台詞に加えて、画面外や背を向けているシーンに、新たな台詞を追加して、映画をより効果的に創りあげていく過程を、眼にすることができたことだった。

一例をあげると、部長の「なかみつせいじ」さんが、ガードマンの羽田勝博さんに、ネチネチと嫌味を言うシーンである。「なかみつ」さんが画面から切れて去った直後に監督から、「そこで『馬鹿野郎!』と捨て台詞を言ってください」と指示が出る。「なかみつ」さんの絶妙の悪役演技もさることながら、その一言の追加で、さらに憎々しさが高まったのだった。

私のコンビニのシーンでも、艶堂しほりさんの「私が栄養のある、お弁当を選んであげますよ、社長!」の台詞の後は、シナリオ上では画面に背を向けて弁当を物色しているだけだが、「お野菜を摂った方がいいですよ」「ウム、最近はよくそう言われているなあ」「これなんかどうです」「目移りがするね」なんて、秘書と社長の会話が追加され、このシーンの雰囲気が、高められていったのである。

手形詐欺の恫喝シーンでも、台詞なしだった私に台詞が追加された。秘書の艶堂さんが「会社で大変な事が!早く来て!」と、携帯で羽田勝博さんに助けを求めるアップに、画面外から「払うものは素直に払え!」「君、暴力はいかん」と、チンピラの風吹進さんと周磨ッ派社長のやりとりが被るように追加されたのである。これによって、画面変わりのスピード感と、社長室の緊迫感が一気に高まったのである。

アフレコの小ネタ・エピソードをここで一つ紹介する。前回の「奴隷船」のアフレコは、ガヤなので半日弱で終わったが、今回は後述するようにいろいろあって、朝から夕食過ぎまでかかった。そこで、待機の時間もかなりあることになる。

待機場所は、シネ・キャビンの2階の和室である。ベッドも冷蔵庫もキッチンもあり、ちょっとした宿泊場所の趣きでもある。成程、シネ・キャビンにこんな場所もあるのかと感じ入る。覆面パトカーの屋根に取り付けるような、クルクル回る非常灯もあり、階下の本番中はそれが点灯・回転する。

この和室に、極めて利口なゴキブリが、出没・徘徊した。本番が始まると、ゴソゴソッと出てくるのである。こちらとしては叩き潰したいが、本番中に床に振動を与えるわけにはいかない。畜生!本番ランプが消えたら叩いてやると、新聞など丸めて待機するも、本番終了直前には、サーッと物陰に隠れてしまうのである。

艶堂しほりさんが上がってきたので、「ゴキブリ平気ですか?」と聞くと(まあ、好きな人はまずいないでしょうが)、キャーッと言って、部屋の反対側に行ってしまった。ところが、このゴキは神出鬼没で、突然反対側の物陰から出てくるので油断がならない。同じゴキなのか別ゴキなのか、人相(ゴキ相か)の判別はつかないので定かでない。とにかく何度も何度も本番中に出没しては姿を消し、最後は何とか退治したが、徹底的に翻弄されたのであった。

アフレコは順調に進む。出演者が続々と参集し、自身が撮影参加していなかったシーンも眼にしていると、作品の全体像が見えてくる。よく考えたら、年齢も大して変わらないのに、何で清水大敬監督が藤崎クロエさんの婚約者で、前にはハシャいじゃったけど、何で俺は倖田李梨さんの父親なんだと、と少々不満を覚えてくる。ま、監督特権でいたしかたないか。

この日のアフレコは、自分の役以外にも出番があった。当初参加予定のエキストラ軍団が、平日ということもあり参加できなくなったので、ガヤを、現在いる人間の総出で録ることになったのだ。低予算ピンクでは致し方ないところである。

楽屋落ちになるので、どんな具合にガヤで奮闘したかは、観てのお楽しみにして下さい。ただし、一つだけエピソードを紹介します。事務所のシーンで画面に背をむけている男の電話の応対を私が担当したので、「えっ!遅れる?いつまで、困るよ。何で?こっちだって上に報告の都合があるし…」なんてやってたら、監督から「まるで共産党が抗議に来てるみたいだね。ま、いいや、共産党でやってみて、本番行こう!」って、「落語」にされたり「天皇陛下」が出てきたり「共産党」になったり、私も大変である。最終的には「ガヤ」は「ガヤ」として再生処理されてるので、はっきりとは解りません。私の声を識別したい御奇特な方は、どうぞ耳を澄ましてください。

アフレコ以外でも、低予算ピンクのこと、実は一人が二役も三役もやっていることが少なくありません。私も周磨ッ派社長以外にエキストラ的にチラッと出ています。他に何役もやっている人も含めて、当然ですがほとんど画面上では識別不能に撮影されています。個人的に知っている人ならば、識別できるかもしれません。それは、観てのお楽しみということで、あえてここでは触れません。

いずれにしても、いろいろと映画の裏側を見せてもらえた撮影1日・アフレコ1日の、有意義な2日間でした。
2011年ピンク映画カタログ−3

2011年1月11日(火) ●シネロマン池袋
「人妻三十九歳 不倫同窓会」 (旧題「人妻同窓会 密漁乱行」) 1999年公開
監督・下元哲  脚本・岡野有紀,小猿兄弟舎  主演・間宮ルイ,佐々木基子

例によってのXces「金太郎飴映画」である。どこから切ってもHシーンの連続で、どこから見始めても、どこで中座しても構わない代物である。ただし、濡れ場の方便で転がるストーリーと呼べるほどのストーリーもなく、単なるエピソードの団子の串刺しに過ぎないところが、むしろ潔い。

主人公は、3人の人妻。間宮ルイは、夫が仕事多忙でセックスレス、欲求不満である。近所に越してきて挨拶にきた若者にムラムラとして、妄想のおかずにしてオナニーで悶える。

そんな彼女に、同窓生3人で飲もうというお誘いがくる。残りの二人は佐々木基子と「しのざきさとみ」だ。飲みながら、近況をボヤきあう。

年上の作家と結婚した佐々木基子は、夫がもう駄目になったと嘆く。でも、浮気を恐れた作家先生に、レズの風間今日子を差し向けられ、二人のレズシーンが展開される。

「しのざきさとみ」は、医師同志の結婚だ。夫の1日3度の絶倫ぶりに往生している。当然、ここで展開されるのは、アヘアヘピストンXces流ワンパターン濡れ場だ。

ある日、便秘で体調を崩した「しのざきさとみ」は、夜のお勤めを断る。すると、次の日の昼に夫にそれを突き止められ、イチジク浣腸を2本も施され、3本目は自分で注入することを命じられる。そして、縛りあげられ、トイレに行くことを許さない。切羽詰まった便意に苦しみながら、「しのざきさとみ」は犯されることになる。最後は、夫の眼の前での排便強要だ。

夫の精力を、3人で鎮めようとのことになるが、なぜか間宮ルイは断って帰ってしまう。「しのざきさとみ」は佐々木基子を加えて、夫との3Pを開始する。その前に飲み過ぎたのでトイレを済まそうとすると、夫と佐々木基子に取り押さえられる。尿意を耐えながらの3Pの愛撫の果てに、二人が環視する中での放尿、夫はそれを口で受ける。

一人帰った間宮ルイは、隣の若者を誘惑して、欲求が解放され、やっぱり3人でいかないで溜めておいてよかったと、後で二人に報告する。

オナニー、レズ、アヘアヘピストン、浣腸責めと強制排泄、3P、強制放尿とスカトロ、熟女の若者喰いと、よくまあHのバリエーションを多彩にいろいろ取り揃えた。女優陣も手慣れたメンバーが揃っているので、まあまあ見せる。「金太郎飴映画」でも、最低この程度はやってもらいたいという一編である。

「豊丸の何回でも狂っちゃう」 1989年公開
監督・脚本・細山智明  主演・豊丸,池島ゆたか

郊外の田園で佇む豊丸と池島ゆたかの二人連れ、豊丸は派手にしゃがんで放尿する豪快なシーンの後にメインタイトルが被る。ヒロイン豊丸の爽快で激しくユーモラスな個性の片鱗が、早くも垣間見える。

二人が訪れたのは、事業に成功した男ヤモメの清水大敬の大邸宅、どうも豊丸は売春旅行をしているようで、池島ゆたかはマネージャー的な存在のようだ。監督や舞台演出でも活躍する清水大敬は、ここでは口髭を蓄え好色狒々親父を、ネチっこく快演している。

かくして、豊丸と清水大敬の濡れ場となる。80年代ピンクを、リアルタイムではほとんど見ていない私は、豊丸初見参だが、ここに至ってこのタイトルロールを浚う女優・豊丸の魅力に眼を瞠った。一見、Xces流アヘアヘピストンワンパターンに見えてさにあらず、激しくエッチな言葉を交えながらのオーバーなイキ方は、もうエロや猥褻を大きく飛び越えて、爆笑大スラップスティツクと化しているのである。濡れ場をこんな形で映画の見せ場にしてしまう豊丸、恐るべき個性だ。対する清水大敬の乗りまくった怪演も、それを十分に盛り上げた。

質はちがうが、私はロマンポルノの白川和子の濡れ場を連想した。白川和子の場合も、濡れ場が始まると、もうエロも猥褻も飛び越えて、スクリーンは肉体のスペクタクルに満たされるのである。白川和子も豊丸も、フェースもボディも飛び抜けて美形でない点も共通している。(白川和子の場合は、それが平凡な団地妻に程よいリアリティを与えていた)いずれにしても、80年代ピンクに、こんな類稀れなる個性が展開されていたのは、私の新発見だった。

池島ゆたかは、そんな豊丸の激しい喘ぎを、隣の部屋で寂しげに耳にする。どうも、豊丸とは恋人同志であるらしい。そして、映画はロマンチックな過去の回想へと連なっていく。池島ゆたかは、小学校5年生の時に、豊丸を女にした。豊丸は3歳の頃、三輪車に乗って初めて感じた淫乱症だった。池島ゆたか一人だけでは、満足できなくなり、高校卒業と同時に、二人は淫乱旅行でその道を極めることになった。何とも人を喰ったアリエネェー話だが、豊丸の存在感は、それに十分リアリティーを与える。まったく大した個性である。

これは池島ゆたかの影田シリーズ(監督は細山智明、共演・清水大敬も共通するようだ)の一編でもある。私は昨年、この影田シリーズの一本「変態夫婦の過激愛」を観ているが、主人公の名が影田という以外は、ドラマ設定に共通点はないようだ。ただ、女に悩まされつつ、それをジッと耐える中年の男の哀愁というキャラが共通しているのである。ここでも、その形を踏襲し、奔放な愛人豊丸が、他の男に抱かれての矯笑を壁越しに耳にして、ジッと哀しみに耐える姿が素晴しい。

影田は、その運命に耐えるように、鼻歌を歌う。「雨に唄えば」などの映画音楽が多いのが、池島ゆたかの映画愛を感じさせると共に、雰囲気を盛り上げ効果を挙げている。最後の鼻歌が「ラブミーテンダー」なのは、プレスリーの大ファンである監督の思いも籠り、楽屋落ちではあるが、知る者には楽しい。

池島ゆたか御本人に、最近別の機会でお会いした時、この芝居を絶賛した。ところが御本人の言によると、ひたすら「芝居はするな!」と言われ続けた結果だという。成程、演技というのは抑制されると、逆によくなるということか。確かに、私の活弁修行で、本人がいい気分になって声を張り上げたりすると、お客さまの眼からは、自分の芸に酔っているだけで見苦しいようだ。表現というのはそういうものなのだろう。

ただし、鼻歌の種類は、出演者である池島ゆたか一任だったので、ここ一発の最後を「ラブミーテンダー」で決めたのは、本人自身だったとのことである。

さて、映画の方の淫乱旅行は、ますます過激に人を喰った展開になっていく。次なる客は若いのにインポになってしまった山本竜二、依頼者は彼の妻の沢村杏子というのだから、呆れかえるばかりだ。

山本竜二は、元々は淫乱症で妻一人では満足できず、病的なまでに浮気・不倫をくりかえす。報復のために沢村杏子も不倫をした。すると、そのショックで山本竜二はインポになってしまったというのである。妻の沢村杏子としては、豊丸にそのインポを直してもらいたいというのだ。何ともナンセンス極まりない展開である。

豊丸のスペシャルサービスからフェラへ、卑猥な言葉を羅列しながらの淫乱行為は、山本竜二をアッという間に勃たしてしまう。ここでも豊丸の爆笑・哄笑ものの個性が弾け尽くす。

豊丸と池島ゆたかは、些細なことで口論し、豊丸は一人で飛び出してしまう。もどった時には黒人のボブ・ハイアットを連れてきて、ここでもまた矯笑の激しいSEXである。

主演の池島ゆたかには、回想の豊丸との濡れ場しかなく、豊丸と他の男とのSEXに、一人悶々とすることの連続なのが、やや意外である。と思ったら、やはり後段には見せどころが用意されていた。

インポの直った山本竜二は、再び浮気三昧と不倫三昧にまっしぐらとなる。池島ゆたかは彼の妻の沢村杏子に同情し、いつしかは彼女と体を重ねるに至る。

くされ縁のように、豊丸と池島ゆたかは淫乱旅行を続けていく。冒頭に登場した事業家の金持・清水大敬から、豊丸の体が忘れ難く、再びお座敷がかかる。今度は池島ゆたかを交えての3Pが所望である。ここでも怪演の清水大敬を加えて、豊丸と池島ゆたかの、アヘアヘ狂奏曲が楽しい。映画はそこでエンドとなる。

こう言葉だけで聞くと、なんだか濡れ場の方便だけでストーリーが転がるご都合主義のXces「金太郎飴映画」と、どこが違うの?と思う人もいるかもしれない。しかし、豊丸の破天荒な個性と、池島ゆたかの中年の男の哀愁は、そんな陳腐なストーリーを乗り越えて、魅力的な「映画」になっているのである。後は、それを各自の眼で確かめていただくしかない。

●新東宝のディジタル上映画質問題のその後
上野オークラ劇場が昨年8月新館オープンし、ディジタル上映になった。私は「ピンク映画カタログ」で、新東宝作品の画質のひどさを、再三にわたり指摘した。今年の「ピンク映画カタログ−1」では、直接抗議した「お竜さん」に、あまり誠意のない回答しかなかったことも紹介した。当然、画質のひどさは改まることはない。だが、これも対応した人にもよるようだ。その後の粘り強い「お竜さん」の申し入れに、誠意ある対応をしてくれた人が出たとのことを聞いた。

その人は、実際に上野オークラ劇場を訪れ、自らの眼で確認し、はっきりと新東宝作品の画質が悪いのを認識したことを支配人にも語ったと、風の便りに耳にした。後は、画質改善された新東宝作品の登場を期待するのみである。私の友人のファンの一部では、すでに「上野オークラ離れ」始まっており、浅草や池袋に流出している。上野オークラ劇場はピンク専門館の中でも、最も意欲的な仕掛けをしており、支配人のためにも速やかな新東宝の改善を、大いに期待したい。
2011年ピンク映画カタログ−2

2011年1月3日(月) ●シネロマン池袋
「色恋沙汰貞子の冒険 私の愛した性具たちよ…」 2010年公開
監督・脚本・山内大輔  主演・北谷静香,里見瑤子

元旦早々、「お竜さん」から新年の挨拶がてら、3日(月)のピンクゲリラツァーの呼び掛けがあった。何でも、シネロマン池袋で大晦日に封切られた「色恋沙汰貞子の冒険 私の愛した性具たちよ…」が、猛烈な大傑作なそうなんである。そういえばマイミク仲間の「電撃チャックさん」が、元旦早々からライブドアのレビューで、「セックス!ドラッグ!マーダー!正月にふさわしい血塗られた傑作でスタート!」と、大はしゃぎにはしゃいでいる。

私としては、肌が合わないXces作品でもあり、全くノーマークだった。しかし、この手のものの鑑賞眼は保証付きの「チャックさん」が、これほど浮かれているなら、大いに食指をそそられる。三元日はどこにも出掛けず、暇があれば朝からおせち料理を引っ張り出しては熱燗をチビチビやり、時に朝風呂・昼風呂に入ってビールを開けたりしてグウタラ過ごすのが、例年の私の定番であったが、ここは正月三日の参戦を決意する。

新春初ピンクゲリラツァーのメンバーとして、お馴染み「お竜さん」を囲むボディガードに名乗りを挙げたのは、マイミク仲間の「だいちんさん」、ピンク映画大賞の参加キャリアが長い白木努さん、そして私である。新年の挨拶がてら、暫しシネロマン池袋のロビーで歓談していたら、キネマ旬報「ピンク映画時評」で高名な映画評論家の切通理作さんが入場してくる。さすがにプロとしての研鑽を積んでいることに感心する。しかし、新年早々のピンク映画館来場とは、皆さまお好きですねえ。もっとも、私の映画館初詣でも、結局ここになったのだから、人のことはあまり言えない。

結論から先に言うと、「色恋沙汰貞子の冒険 私の愛した性具たちよ…」は、多分ピンク映画史に燦然と名を残す異形の傑作となるであろう。勿論、早くも本年2011年(公開は2010年大晦日だから扱いは翌年になる)のピンク大賞戦線を賑わす一本になることも間違いない。スプラッタ・ホラー・ミステリーの怪作である。この血糊の噴出・血しぶきの奔流は半端じゃない。こういうのは、今のピンクでは御法度じゃなかったんだろうか。Xces、いったいどうしちゃったんだろう。もう、どうせピンクも終わりというヤケ糞か開き直りか、とにかくその弾けっぷりには眼を瞠った。池島ゆたか監督の異色の代表作にして、昨年ロスの「おっぱいと血の国際映画祭」に招待された「超いんらん 姉妹どんぶり」(原題「月光の食卓」)や、日活ロマンポルノの異端の衝撃作「暴行切り裂きジャック」と並ぶ傑作がここに新たに誕生した。

オープニングは、ミイラ男のように血塗れの包帯に巻かれた北谷静香が演ずる貞子のアップで、ビデオカメラに向かっての独白から始まる。この気色の悪いトップシーンからして、異色である。Xcesと言えば、いきなりドカーンと濡れ場から始まって、エンディングもアヘアヘピストンワンパターンの濡れ場で〆るというのがお約束ではなかったのか。

山内大輔監督作品は、私の記憶では「絶倫義父 初七日の喪服新妻」一本程度しか観ていないと思う。ピンク版「山の音」という趣きで、Xces流に巧みにアレンジしたと思うが、その程度の印象しかなかった。「日本映画データベース」で監督作品タイトルを見ると、ホラーやSFのようなものがかなり散見する。山内大輔監督(脚本も)が好き勝手をやり、Xcesもそれを許容したのが「色恋沙汰貞子の冒険」ということになるのだろうか。

貞子は、色恋「沙汰」をもじった命名であると共に、ジャパニーズホラーを代表する「リング」も意識していることと思う。また、この後に紹介するストーリーで判ると思うが、阿部定の「サダ」でもあろう。そして、ドラマ全体の骨子は、ピンク版「嫌われ松子の一生」といったところである。

北谷静香演じる貞子(本「ピンク映画カタログ」は原則的に俳優名で記しているのだが、ここは貞子という役名の方が通りがいいので、以後は貞子については役名表記に統一したい)は、過去に男にズタズタに傷つけられ、またその男たちを血みどろに斬り刻んできた。そんな過去を、ビデオカメラに向かって告白し、その懺悔として、最後に自ら喉を切り裂いて死ぬことを告げる。そして、喉を裂くような気持の悪いものを見たくないでしょうと、カメラのスイッチを切る。この延々たる告白は、顔が包帯に包まれていることもあって、くぐもって聞き取りにくい。ところが、これが実はホラー・ミステリーとしてのキー・ポイントだったことが後で判るのだが、それは先の話である。

告白の回想シーンとして描かれる貞子の男遍歴は、それは凄絶なものだった。最初の男は母親・佐々木基子の愛人の世志男である。貞子は母親に嫉妬するようになり、寝ている世志男の局部を切断し、大切にそれを保管する。母親は半狂乱になる。「ピンク界の杉村春子」の異名を取る佐々木基子は、ここでも手堅い演技を見せる。母娘ドンブリを漁る世志男の怪優ぶりの個性は、ここでも輝く。この後にも紹介するが、この映画はピンク界の怪優オールスターの感があり、次から次へとそちらの方でも実に眼を楽しませてくれる。

刑期を終えて出所した彼女の更生に力を貸したのは、不動産会社社長の佐々木恭輔であった。というのは建前で、前科者という貞子の弱味を握っていることから、妻の里見瑤子の目を盗んで不倫を楽しもうという魂胆なのである。SEXはホテルを取らず売り出し前物件のベッドで済ますドケチぶり、中出し・生出し専門の自己チューぶりである。所用を済ませて、売り出し物件の部屋に貞子が戻ると、もう全裸になりストレッチして待っている佐々木恭輔の怪演が、ここでも楽しい。

こんな調子だから、貞子は妊娠・堕胎を繰り返すことになる。そんな内に、佐々木恭輔の妻の里見瑤子が妊娠する。ハイキーの映像で大きなお腹をなでる里見瑤子の笑顔がインサートされる。貞子の怒りが爆発する。佐々木恭輔の腹部に包丁を突き刺し、局部を切り取り、これも大切に保管して逃亡する。この凶行シーンの演出も、二人が何か深刻な顔で裸で見つめ合っていると思ったら、カメラがゆっくりとパンダウンし、包丁が突き刺さった腹部が映し出されるという、サスペンスフルな素晴しさだった。

佐々木恭輔は、一命はとりとめるが心身共に廃人となり車椅子生活になる。妻の里見瑤子はショツクで流産し、夫の介護生活に明け暮れることになる。そして、彼女は貞子に賞金200万円をかけ、世間に呼び掛ける。前のカットの臨月のような腹では、流産は無いだろうと思うが、まあ、貞子のイメージショットだと思えは許容範囲といったところか。でも、ベテランで天下の里見瑤子が、こんな程度の役なの?と疑問も出てくるが、この後に驚愕のドンデン返しが待ち受けていることになる。

逃亡中の貞子を匿ったのは、麻薬密売人の柳東史だった。役名の呼び名はキーチ、これも完全に阿部定の愛人の吉蔵に通じている。ヤク漬けになりながらの激しいSEX、これも凄まじい描写である。こういう闇世界の人間を演じさせると柳東史は抜群だ。ホントにこの映画の男優は、怪優オールスターだ。

二人の蜜月は長く続かない。組織のトラブルで金が必要になった柳東史は、変質者のサーモン鮭山に貞子を売り飛ばす。彼は貞子を薬漬けにして貪り、最後は顔の皮を剥いで楽しむ淫楽者だった。これもピンク界を代表する怪優の一人であるサーモン鮭山の変質者ぶりは、個性満開である。

心身共にボロボロになり、ミイラ男のように血の滲む包帯で顔をグルグル巻きにして、ホームレスとして彷徨う貞子。そして、彼女の復讐が始まる。柳東史を探し出す。「ああするしか仕方なかったんだ」と土下座して詫びる彼を許すかに見せて、隙を狙い鉄パイブで殴打して昏倒させる。そして、手足の骨を鉄パイプですべて砕く。身動きできなくなった彼の上にまたがり、そのまま男根を切断し、腹中に納め続ける。そして柳東史を絞殺する。

こうして、貞子の血みどろの男遍歴の告白は終わる。干物状になった二つの男根と、陰部に納めたままのもう一つの男根、すべての罪の告白は終わり、ビデオカメラを切った後に、喉を掻っ切ると告げる。どうです。この悲惨な「貞子」の男遍歴、凄ご過ぎません?少なくとも「嫌われ松子」だって裸足で逃げ出しそうな壮絶さである。だが、映画はそれだけで終わらなかった!

ここから先、完璧にネタバレになります。未見の方、要注意!

貞子は、告白を終わり椅子から立ち上がってビデオカメラのスイッチを切る。ム?その後に足下に転がっているミイラ男状のもう一人の女を椅子に座らせる。何なんだ!これは!ヒデオカメラのスイッチを切った女は、血塗れの包帯を外し、素顔を表す。な、な、なんと、それは佐々木恭輔の妻の里見瑤子だった。

我が子を流産で失い、夫を廃人にされた時、里見瑤子の復讐劇がスタートしたのだ。彼女はその瞬間、復讐に賭けるパラノイアと化した。そして、彼女の口からもう一つの真実が明かされる。

賞金200万円目当てで貞子を里見瑤子に売ったのは、柳東史だった。里見瑤子は、会社の部下で今はいい仲になっているサーモン鮭山を引き連れ、柳東史のアジトに乗り込む。そこから先の貞子(実は里見瑤子)の告白は、すべて彼女が仕組んだ復讐のフィクションだったのだ。柳東史の手足の骨を砕き絞殺したのも部下のサーモン鮭山であるし、貞子を薬漬けにして昏倒させ柳東史の局部を彼女の陰部に押し込んだのも彼である。そして、里見瑤子は貞子に変身して、すべて彼女の犯行のように見せかけるべく、ヒデオカメラに向かって告白する。仕上げは里見瑤子が貞子の喉を掻っ切って、復讐と完全犯罪は完遂する。

このホラーミステリーとしての仕掛けはどうだ!そして、貞子の告白終了で、すべての惨劇がエンドになったかと思いきや、もう一つの惨劇が開幕する押しの強さはどうだ!もう満腹・満杯である。パラノイアと化した里見瑤子の狂笑は、何ともかんとも筆舌に尽くしがたい。なるほど、里見出演の意味はこういうことだったのか。

よく考えると、佐々木共輔の妻の里見瑤子が、何でここまで貞子の過去を熟知しているのかとの疑問も出ないではないが、まあ、ここは片腕である部下のサーモン鮭山が、綿密なリサーチをしたとでも考えておきましょう。

ここに来て、冒頭に述べた聞き取りにくい貞子の告白の意味が明白になってきた。この声は貞子を演じた北谷静香の声ではなく、里見瑤子の声だったからだ。明瞭に発声したら、それだけでネタバレになってしまう。包帯に包まれた顔という設定を、実に巧みに活かしたと言える。

もっとも人によっては、聞いてすぐに里見瑤子の声だと気付いた者もいた。とすると、私の里見瑤子ファン度は高くないことになりますね。汗顔の至りです。

ラストシーンは、これまで暗い室内とか夜間シーンなど、ダークな画面が多かったが、一転して燦々と陽光がきらめく郊外になる。この転調は素晴らしい。ディビッド・フィンチャーの代表作「セブン」を彷彿させる。止められた一台の車、車椅子の佐々木恭輔、妻の里見瑤子は、彼の前に「取り返したわよ」とミイラ化した男根を投げ出す。にじり寄ってそれを手にしようとする佐々木恭輔。里見瑤子はサーモン鮭山とのカーセックスに励む。陰惨な映画なのに何故かそれほど後味が悪くないのは、この転調があるからだろうか。

「電撃チャックさん」の日記に「お竜さん」が、「ラストの鬼畜女の里見さん、最高。里見さんのおかげで後味爽やかになりました」と書きこんで、「チャックさん」が、「この映画で爽やかになるお竜さん、恐るべしです(笑)! 」と返していたが、あながち的外れでもないと思う。

終映後、「お竜さん」「だいちんさん」白木努さんと私に加えて、切通理作さんを加えた5人でお茶でも飲もうとなるが、あいにく近場の喫茶店でまとまった席がなかった。そのビルの地下に、60分飲み放題の店があるのを、私は入場前に物色していた。正月でもあるし、こういう事に関しては私は抜け目がない。時間も限定できるし、最適と思ったが、切通さんはこれから行くところの関係で酒気帯びはどうもと、残念ながらリタイアとなった。

残る4人は居酒屋に入る。あまりアルコールは召し上がらない白木さんは食事中心にしたが、後の3人は60分飲み放題コース、こうなると人間は意地汚くなるもので、ラストオーダーぎりぎりに大量に最終注文をして、結局2時間の長丁場になった。スタートは17時だから、まだ店が混む前ではあったが、60分飲み放題で2時間も粘ったら、まあ嫌な客の部類だなあ。でも、つまみも相応に頼んだから勘弁してください。

こうなると、飲兵衛3人組は止まらない。2次会に繰りこむことになる。連日のおせち料理と朝昼晩飲み続けのダメージが効いてきたか、私は途中から記憶が断片的になる。気が付いたら西国分寺を大きく乗り越して、八王子の駅であった。しかし、映画も衝撃作だったし、今年の映画初め、そして新年三元日の締めとして、有意義だったといえるだろう。これも一昨年までだったら、二日酔いの頭痛を抱えて仕事始めとなるのだが、もう今は関係ない。いや〜、隠居っていうのは本当にいいもんである。

2011年1月8日(土) ●上野オークラ劇場
「夜這い尼寺 一夜のよがり泣き」(旧題「尼寺の寝床 夜這い昇天」) 2001年公開
監督・新田栄  脚本・岡輝男  主演・吉原麗香,しのざきさとみ

山に尼寺がある田舎の村、学生時代に吉原麗香と岡田智宏は愛しあっていた。しかし、彼女は佐々木共輔の強姦魔にレイプされる。世をはかなんだ吉原麗香は、出家して尼寺の仏門生活に入る。

佐々木共輔は、そんな彼女にも、尼寺に夜這いをかけてくる。一方、岡田智宏は、東京から嫁いできたが土地に馴染めぬ人妻で欲求不満の風間今日子に言い寄られ、不倫の関係をズルズル続けている。しかし、それでは満足できず、彼も尼寺の吉原麗香に夜這いをかける。

このことが庵主さんの「しのざきさとみ」の知るところとなり、吉原麗香は煩悩を断ち切るための座禅を命じられる。

そんな話を岡田智宏から耳にした村の中年医師の久須美欽一は、俺もとばかりに尼寺に夜這いをかける。相手は吉原麗香のつもりだったが、庵主の「しのざきさとみ」の所に夜這ってしまった。「しのざきさとみ」の庵主は性の歓びに目覚め、以後これも仏の慈悲の道の一つであろうと、性に対して寛大になる。後は、佐々木恭輔を追い払った岡田智宏と、吉原麗香は夜這いでやり放題となる。

ストーリーの概略を記しているだけでウンザリしてきた。要は、ドラマの必然性も何もなく、濡れ場の方便でストーリーが転がるXces=新田栄映画の、典型的凡ピンクである。

見所としては、濡れ場がアヘアヘピストンワンパターンではなく、新田栄作品としては(あくまでも他の作品と比較しての話だが)エロっぽいバリエーションがあったことだろう。特に尼の衣装で悶える濡れ場は、案外の見ものであった。

堂々と壮大な本堂でロケしているあたりは、ちょっと驚いた。寺を騙して言いくるめロケ地に借りたのだろうか。ピンク映画と承知の上で、ロケ場所を提供したとしたら、ここの住職さん相当に生臭坊主、いや、心の広い住職さんと言えそうだ。映画と直接は関係ないが、そんなところも興味深いところである。

吉原麗香が、「しのざきさとみ」に命じられた座禅は、男のそれのように胡坐をかいて行う。だから股間が開かれ太腿が丸出しになり、上半身は尼の衣装なので、そのアンバランスは妙にそそるものがある。まあ、そこも見所といえば見所か。

ここでまた「電撃チャックさん」の登場である。ライブドアの書き込みで、以下のようなのがあった。

『年末からガンガン続くアタリ映画ラッシュ。観る映画がことごとくアタリで、今年は調子が良い。元々、周囲の評判が物凄く悪くて、一般的にはダメ映画呼ばわりされてる様なヤツでも面白く観れちゃう体質なので、基本的に俺的にはダメ映画は少ない方なんだけど、でもそれにしたって調子が良い。と思ったら、今年初のダメ映画遭遇!連続アタリ映画の更新もストップ!やっぱり新田栄の映画でした(笑)!「夜這い尼寺 一夜のよがり泣き」、つまんねえ!』

「一般的にはダメ映画呼ばわりされてる様なヤツでも面白く観れちゃう体質」レベルに関しては、どうも私の方が「チャックさん」より上を行くようである。かつて淀川長治さんが「日曜洋画劇場」で、箸にも棒にもかからない3流作品にもどこか見所をみつけて解説していたが、少なくともこの新田作品、私なら後段に記したことを見所として解説が可能である。「チャックさん」はまあ、「今年初のダメ映画遭遇!」「つまんねえ!」だから、解説は無理、何でも「面白く観れちゃう体質」レベルは、確実に私より下でしょう。まあこんなことで上だ下だといって覇を競ったところで、ほとんど意味のない話ではありますが…。

「艶剣客 〜くの一媚薬責め〜」 2010年公開
監督・脚本・藤原健一  主演・吉沢明歩, 佐藤良洋

昨年上半期はピンク映画製作を保留し、下半期に5本を公開した新東宝の1本である。監督の藤原健一は、以前「イズ・エー」という傑作をモノした異才として、私の印象に残っている。「イズ・エー」は少年犯罪の闇に迫った力作で、当時話題にする人が皆無だったのが、私には不思議でならなかった。

改めて日本映画データベースを当たったら、藤原健一はピンク界でも活躍していることが確認できた。私も「にっぽん淫欲伝 姫狩り」を見ていた。こちらの方は内容はあまりなく、ピンクでの時代劇、御苦労さまとしか言いようのない凡作だった。でも、今回は下半期封切の新東宝作品5本の内の1本、少数精鋭を念じて期待は大いに高まったのである。

だが、始まって少々したら、ガッカリした。早い話がこれはVシネで、ついでにピンク映画番線に乗せた代物みたいなのだ。確かにピンクよりは、衣装・セット・ロケも整っている時代劇で、高予算かもしれない。しかし、一般映画の時代劇に比べれば画面の膨らみに乏しいのは如何ともし難く、ピンク流の弾けた表現もあるわけではなく、何とも中途半端な印象に終わった。そして、毎度毎度のことであるが、上野オークラ劇場における新東宝作品のディジタル上映は、画質がひどい!今回はVシネのコピーのせいだろうか。折角それなりに金をかけていると思われる衣装・セットも、これでは台無しだ。何度も言うが、最近の新東宝のディジタル上映ソフトは、木戸銭がいただける映像ではない。

ヒロインの吉沢明歩は、父が暗殺され、若くして女の身ながら真陰一刀流道場師範を務めている。だが、その素顔は密命を受けて江戸の表沙汰に出来ない事件に挑む隠れお庭番である。吉沢明歩の佇まいは凛々しくてよい。

ただし、それも佇まいだけであって、殺陣の動きとなるとやや苦しい。腰の回転が入らない殺陣は殺陣ではないというのが私の持論だが、残念ながらこの映画の吉沢明歩を捉えるカメラはほとんど上半身の動きだけであり、カットもかなり細かく割っている。2005年の深町章作品「セクシー剣法 一本ぶちこむ」の高校生女剣士なら愛敬で何とかなっても、この本格的時代劇では苦しいものがあった。

映画は、この裏お庭番の吉沢明歩が、大奥に蔓延しつつある媚薬の真相を突き止める潜入捜査で、痺れ薬を盛られ、それを助けた剣術修行中の若者の佐藤良洋のコンビで、幕府を揺るがす陰謀を暴いていくという結構本格的な造りである。これに吉沢明歩の父の暗殺の仇討ちのエピソードも絡んでくる。

お色気サービスの方は、探索線上に浮かび上がった商家の娘の可愛りんのズイキ役を使ったオナニーシーンとか、露出度の高い衣装の亜紗美の「くの一」姿とか、媚薬を塗りこめられ悶える女剣客の吉沢明歩とか、一応いろいろ仕込んではある。

媚薬で戦闘意欲をそがれ、もはやこれまでという時に、「真底から憎まねば人を斬れぬ」という精神が蘇り、親の仇を果たすというヒネリとも言えないヒネリがあるが、とにかく吉沢明歩の殺陣の未熟さの割には、映画の中では強すぎるくらい強いので、やや鼻白む。まあ、男装の吉沢明歩が脱がされたら、その下は赤フンドシで、その姿での立ち回りというのは、なかなかソソる光景ではある。

時代劇アクションミステリーとしても、エロチックエンタテインメントとしても、中途半端な出来に終わった一編であった。結局、良かったのは吉沢明歩の凛々しい女剣士としての佇まいだけであり、それを巧みに活かすことはできなかった。

「痴漢電車 とろける夢タッチ」 2010年公開
監督・竹洞哲也 脚本・小松公典,山口大輔  主演・和葉みれい,かすみ果穂


2009年に公開された「人妻探偵 尻軽セックス事件簿」の続編である。前作は、前半がかすみ果穂の人妻が、ひょんなことから探偵社に就職するドタバタ艶笑コメディ、後半はその彼女が扱った友田真希の初恋の人の調査で、シンミリさせるエピソードとなるシリアス調だった。今回は、全編を通じてナンセンス艶笑ドタバタコメディで走り抜けている。かつての印象では、加藤義一作品がブッ飛びドタバタ調、竹洞哲也作品がシリアスシンミリ調との印象があったが、今や完全に逆転した感がある。

いちおう、前作のかすみ果穂の探偵社就職の顛末を、私の「ピンク映画カタログ」を引用して、おさらいしておこう。

「かすみ果穂は、夫の浮気のあてつけに浮気したら、探偵に裏を取られ離婚に追い込まれた。離婚後、生活に窮してその探偵事務所に押し掛け就職をして探偵になる」

ね、かすみ果穂の探偵スタートは、こんなナンセンスな経過で始まっているんですよ。それを引き継ぐ続編だから、もうハチャメチャには輪がかかる。ついでにこの探偵事務所のハチャメチャぶりも、以下のように記しているので紹介しておく。

「探偵事務所所長のAYAは秘書の倖田李梨とレズ関係、そのレズの所長に恋い焦がれるのが半人前の探偵の松浦祐也というハチャメチャ世界だ。松浦祐也がオーバーアクトで、ドタバタ・コメディを盛り上げる」

この関係は、今回もしっかり引き継がれる。ただし、AYAと松浦祐也は「出張中」の札が壁にかけられた写真のみの登場である。所長代理は倖田李梨だ。

ということでオープニングは、連れだって電車に乗っていた探偵事務所の二人、かすみ果穂と倖田李梨が、毘舎利敬の痴漢に遭遇する所から始まる。この痴漢テクが抜群で、二人とも激しくイってしまう。

実は、毘舎利敬は、かつては将来を嘱望された学者だったが、痴漢冤罪で夢破れ、今はカンフーと痴漢テクを組み合わせたチカンフー(って、何じゃそれ)で、全世界の女性を痴漢の擒にすることを、生涯の目標にしている。それに共鳴している二人の学者が、岩谷健司とサーモン鮭山で、組織的研究を進めているって、もう何が何だか訳がわからない。

毘舎利敬の痴漢テクに遭って、激しく汐を吹くかすみ果穂と倖田李梨。調査のために前の座席に座っている岩谷健司とサーモン鮭山は、それを雨傘で受け止める。幸田李梨は、興奮のあまり小便までまき散らし、二人はそれも受けてペッペッとなる、ってホントにどこまでドタバタナンセンスなんだ。

探偵事務所に戻った幸田李梨は、痴漢の指の感触が忘れられず、でも、小便まで漏らしてしまった屈辱もあり、お詫びに腹を切るのは痛いから、代わりにクリトリスを切ろうとして、かすみ果穂に止められる。もうこのナンセンスは、どうにも止まらない。「小便!」「クリトリス!」とはしたない言葉を連呼する幸田李梨の豪快な個性はここでも大爆発。よく考えたら、ここでスキャンティーを晒す以外は濡れ場もヌードもないカメオ出演なのだが、これだけで映画を浚っちゃう。私名付けたところのキャッチフレーズ「どこでも顔出す幸田李梨」の面目は、ここでも躍如である。

もちろんかすみ果穂も負けちゃいない。探偵事務所に失踪した妻の捜索以来が夫から舞い込む。妻の山口真里は、電車内の痴漢テクが忘れられなくなり、その痴漢の指を求めて、電車内を彷徨い、ついに家出してしまったそうなのである。ここからが、かすみ果穂の出番だ。

この日は、監督・脚本・出演者の舞台挨拶があったが、立ち見まで出る大盛況で上野オークラ劇場の支配人は、ピンクもまだまだ行ける!と感激していた。ファンのお目当てのメインはかすみ果穂といった感もあり、人気スターとして定着しつつあるようだ。

「痴漢は犯罪です」というフレーズが世に拡がり、痴漢で女だって感じるはずなんて暴論は、典型的セクハラ発言なのだが、もうそんなお固い話は乗り越えて、この映画はハチャメチャナンセンスに暴走していく。

かすみ果穂は、山口真里の夫が一社だけでは心許ないと、他の探偵社にも並行して捜索依頼を出していたことを知る。そしてライバル探偵の和葉みれいと、ヒョンなことから遭遇する。新人の和葉みれいはスラリとした長身で、さほど大きくはないかすみ果穂との、意地の張り合いの凸凹コンビが、この後の楽しさを支えていく。

最初の二人の出会いは、下ネタ満載で繰り広げられる。話をつけようと迫る和葉みれいに、羊羹5本食べちゃったからトイレに行きたいと逃げるかすみ果穂。しゃがみ込んだ和葉みれいの顔に、まともにかすみ果穂に臭い屁を浴びせて、さらにもめる。何だかしらないけど和葉みれいが持っていた土鍋に、ドサクサにまぎれてかすみ果穂が脱糞して逃げちゃうとか、何だか訳がわからない。でも、この意味の無いハッチャケぶりが、この映画の楽しさなのだ。

山口真里の捜索には、まずはハイテクの痴漢を探し出すこと、それには体を張ること、かすみ果穂と和葉みれいは、痴漢を呼び込むために、色気で張りあうことになる。露出からチラリズム、ついには電車の中で胸を晒して、スキャンティーまで脱いで、剃毛までして張りあいっこを始める。そんな馬鹿なって、もうここまでブッ飛んじゃえば、こっちも降参である。

結局、かすみ果穂と和葉みれいは、痴漢普及組織(3人しかいないが)の囚われの身となってしまう。緊縛され、毘舎利敬のハイテク痴漢指責めの危機にさらされる。その時、かすみ果穂は、毘舎利敬の粗チンをののしって、攻撃が自分だけに向き合うようにののしる。毘舎利敬はかすみ果穂を三日三晩レイプしまくるが、彼女をイカせることができない。

実は、かすみ果穂は、和葉みれいに恋人の津田篤がいることを知っていたので、自分の身を投げ出して、彼女の貞操の危機を守ったのだ。「アタシは、とりあえず好きな男はいないからね」と、和葉みれいに気の利いた言葉を吐く。実は、これにももう一つの裏があるのだが、それは先のお楽しみである。

かすみ果穂を完全に屈服させるべく、毘舎利敬に加わり岩谷健司とサーモン鮭山が集団レイプに及ぼうとする。この時、救世主が現れる。倖田李梨所長代理の探偵事務所に、意味もなく出入りしている人の心を読める超能力探偵の岡田智宏である。カンフーの技量は全くないが、映画を沢山観ているから十分!と、変な理屈で、悪党共を叩きのめす。

縄をほどかれ解放されたかすみ果穂も、盛大にキックを飛ばし大活躍。でも、このシーンは全く段取りになく、竹洞哲也監督にぶっつけ本番でやらされたと、舞台挨拶の場でボヤいておりました。でも、決まってます。また、この「チカンフー」対「映画習得カンフー」の対決も、意味もなく決まっておりました。この後、和葉みれいは、何故か土鍋を持参していて、悪党どもに叩きつけ非常階段から突き落とす。このようにクライマックスも言葉で書くと何だか意味不明だが、そのナンセンスなおかしさは、実際に観て眼で確かめてもらうしかない。

かすみ果穂と和葉みれいは和解し、和葉みれいの貞操を体を張って守ったかすみ果穂は、彼女に高級ホテルの一泊までプレゼントする。津田篤とラブラブで萌える和葉みれい。ところが…。

これを別室で盗聴・録画していたのがかすみ果穂、協力者は超能力探偵の岡田智宏だ。お礼にかすみ果穂は、岡田智宏に「菓子鍋」をふるまっている。この菓子鍋なるもの、タレにかりん糖やポテトチップなどを煮込んだどう観たって不味そうな代物なのも、大いに人を喰っている。このビデオを売って儲けて、探偵調査費が折半になったことの元を取ろうとの、セコい魂胆である。どこまで、人を喰えば気が済むのっ、てな展開だ。

でも、悪巧みは簡単に成功しない。祝杯を挙げているかすみ果穂と岡田智宏の部屋に、和葉みれいが怒鳴りこんで来る。乱闘になり、反撃しようとするかすみ果穂がパンチを振るうが、長身の和葉みれいが腕を伸ばして頭を押さえつけると、かすみ果穂の手が全く届かず空を切るという楽しい見ものもある。

さて、肝心の失踪妻の山口真里であるが、痴漢ハイテクを求めての痴女ぶりはますますエスカレートし、ついには車内で順番待ちで並ぶ痴漢の列を従えての、悶え放題となる。この痴漢行列に高木高一郎さん、YASさん、その他顔見知りのマイミク仲間が延々と並んでいるのも、楽しき限りだ。

最後は、超能力探偵の岡田智宏が「人妻探偵パート3」のタイトル予告を示してエンドクレジットとなる。

以上、これを読んだだけでは、「痴漢電車 とろける夢タッチ」の楽しさは伝わらないと思います。何てアホな映画か、と呆れるだけかもしれません。でも、これも大晦日封切の2011年度扱い作品、「色恋沙汰貞子の冒険 私の愛した性具たちよ…」と共に、来年のピンク大賞を賑わす一本であることは、間違いないでしょう。皆さん、騙されたと思って、自分の眼で一見・確認してください。

この日は示し合わせたわけでもないのに、上野オークラ劇場には顔馴染みのメンバーが大集合、女性ファンの「もちさん」もボディガードを従えて来場しておりました。「だいちんさん」も20代の若い女性のボディガードで来場、終映後は「hideさん」「東京JOEさん」「SHINさん」に私を加えての6人にて、アメ横ガード下の焼き鳥屋で、大いに盛り上がったのでした。いや、「だいちんさん」同伴の20代女子と私は、カルチャーギャップにズレまくったのでした。

結局、今年は1月8日(土)までに映画館に行ったのは3回、そのうちピンクが2回とはどういうこっちゃ。さらに残る1回6日(木)は立川シネマシティ巡りで、「トロン:レガシー」「シュレック フォーエバー」の梯子だったなんて、いったいこの隠居の老人、どういう性格してるんでしょうねえ。いずれにしても、2011年の映画三昧はスタートいたしました。
2011年ピンク映画カタログ−1

2011年1月7日(金)年末落ち穂拾い
2011年「ピンク映画カタログ」のスタートです。とは言っても、実は前年2010年の年末落ち穂拾いです。ただ、あえて2011年に落ち穂拾いとして再度の年月日を付したのは、別掲「ピンク映画カタログ(ピンク日記)総索引」の利便性を鑑みてのことです。「ピンク映画カタログ(ピンク日記)総索引」は、2010年末版に更新しましたので、併せてご活用ください。

2010年12月17日(金) ●上野オークラ劇場
「高校教師−爆乳をもてあそばれて−」(旧題「高校美教師−ふしだらに調教−」) 2001年公開
監督・坂本太  脚本・有馬仟世  主演・純名きりん, 間宮ユイ

純名きりんは、理事長の御曹司で学年主任の岡田智宏と婚約し、結婚の日を指折り数える清楚な高校教師だ。だが、岡田智宏に海外留学の話が持ち上がり、二人の将来のために彼は受ける。結婚式は一年延期となる。後任の学園主任として「なかみつせいじ」が着任する。

「なかみつせいじ」は、純名きりんの教育実習時代の講師である。実は彼女はM女であり、その感覚を開発したのが、「なかみつせいじ」だったのだ。再び、純名きりんは彼の毒牙にかかる。彼女の玉の輿を嫉妬する同僚の教師の岩下由里香は、同僚の男教師とよろしくやっていると共に、その二人も「なかみつせいじ」に加わって、純名きりんをサディスティックにいたぶる。生徒のやはりM資質を持った間宮ゆいも交えたSM地獄も展開される。純名きりんの淫夢も色を添える。

かくして、結婚後も若奥様としてのしとやかさの裏に、「なかみつせいじ」達の呼び出しに応じ、Sプレーに悶える二つの顔を持つことになる。「堕ちていく、堕ちていく」と繰り返しモノローグが流れる。女の裏に潜んだ魔性を描いた一編というところか。まあ、そんな大袈裟なものではなく、これも濡れ場の方便でストーリーが転がる典型的Xcesでした。

「癒しの遊女 濡れ舌の蜜」 2010年公開
監督・脚本・荒木太郎  主演・早乙女ルイ,里見瑤子

永井荷風「墨東綺譚」の3度目の映画化である。大変なこととも思えるが、著作権が切れているから、ピンクでもこういうことが可能になるわけだ。昨年も荒木太郎監督は、太宰治生誕100年に便乗して、「キリギリス」を「いんび変態若妻の悶え」として映画化したが、今回もその延長上の映画といえる。その意欲や壮たるものがある。

もう一つの話題は、2010年7月末に閉館した旧上野オークラ劇場が、取り壊し前にロケ地として提供された映画の一本でもあるということだ。これは、何本かの競作になるようで、すでに池島ゆたか監督の「いんび快楽園 感じて」が完成し、2011年の公開を控えている。上野オークラ劇場は、いろいろ仕掛けてくれるが、この旧劇場をロケ地にした映画の競作も、今後のピンク映画ファンの楽しみの一つである。

主人公は、永井荷風をモデルにした作家の大江匡、演じるは渋い魅力が個性の那波隆史だ。好演である。ただし、原作と違って、時代背景は第二次大戦前後ではなく、完全に平成の現代となっている。低予算のピンクでは致し方ないところだが、荒木太郎監督はこれを逆手にとって、意外な情緒を盛り上げた。

那波隆史の演じる作家は、時代に取り残されたような世界を好む。だから、浅草を中心に、昔の面影を残す路地裏を散策する。浅草の「飲み屋街」(正にこういう呼び方がピッタリだ)で、場外馬券を買うついでに飲んでいるオッサンの群れを捉えたロケなど、実に効果的だ。小洒落た居酒屋チェーン店がビルの中に乱立する新宿・渋谷に比して、時代に取り残された昭和初期・中期の雰囲気が味わい深い。

現代にも、こんな風景があるのかと思う狭くゴミゴミした路地(いいロケ地を探したものだ)で突然の雨にあい、傘をさしかけられた早乙女ルイに、こじんまりしとした酒場に案内される。その二階の小さな座敷で春も売っている雪子と名乗る早乙女ルイは、ミステリアスな女である。どこか、ノスタルジーを感じさせる女だ。ここらあたりは、ほぼ原作および過去二作の旧作と同じである。

早乙女ルイは頑張った。まだ、新人の域を出ないが、荒木太郎監督が一生懸命育てようという姿勢もよく判る。しかし、やっぱり荷が重すぎた。ちなみに映画化第一作で雪子を演じたのが山本富士子、第二作目は墨田ユキである。早乙女ルイにとっては、極めて分が悪い。まあ、よくやったという以上にはならないのである。

この原作のストーリーと並行して、那波隆史の演じる作家の現在執筆中の小説が、サブストーリーとして映像化されていく。こちらが、素晴しく良い。いかにも気弱そうな教師が主人公で、荒木太郎監督自身が演じる。上野オークラ劇場と隣のビルとの狭い隙間の空間で、レイプまがいの痴漢行為を受けている里見瑤子がいる。荒木太郎は、彼女を救うことはできないが、痴漢男が去った後で、オズオズと声をかける。

二人はズルズルと連れ込み部屋に入ってしまう。里見瑤子の独白が始まる。DV夫から逃げ、自立しようとしたが、結局デリヘル嬢に堕ち、でも積極的になれず客から逃げ出し、レイブまがいの痴漢行為を受けていたという独白が、数分もあろうか、据えっぱなしの長廻しで捉えられる。

その後、里見瑤子と荒木太郎は体を重ねるのだが、それも数分程度はあろうか、長い据えっぱなしのカメラに、今度はヌードの濡れ場が納められる。この二つの長いショットの里見瑤子が、溜息が出るくらい見事だ。女の過去の人生・情念・肉体の生理まで、この2ショットで完璧に造形してみせた。「性愛夫人 淫夢にまみれて」で10何年ぶりかで里見瑤子を起用した池島ゆたか監督が、「凄玉」と形容したが、正にその呼称はピッタリだ。

このサブ・ストーリーの顛末も面白い。里見瑤子は、DV夫とやっと離婚し、荒木太郎を両親に会わせ、結婚式を指折り数えて待つことになる。地味なセーターに身をつつみ「よろしくお願いします」と荒木太郎に正座して頭を下げる。派手派手だったデリヘル嬢時代との対比が鮮やかだ。

ところが、優柔不断な荒木太郎は、妻との離婚をすることができず、それを里見瑤子にも言えない。彼の妻が佐々木基子で、カメオ出演に近いワンシーンのみの登場だが、その存在感は荒木太郎に離婚を切り出せさせない圧力を、十分に表現する。さすがに「ピンク界の杉村春子」と言われるだけのことはある。(佐々木基子は小説外の現実の方でも、早乙女ルイの仲間の娼婦としてチラリと顔を出す。濡れ場もある。ただしバストトップも下半身も露出しない)

那波隆史の小説内の人間の荒木太郎には、現実のモデルがいるのだが、その現実の男の方は、とんでもない行為に出る。結婚式を延期させるために、式場に放火するのである。那波隆史は、新聞でそのことを知る。この三面記事を賑わせた事件の時事ネタを入れるあたりも、荒木太郎の洒落っ気が感じられて楽しい。

ここから先は、現実なのか、那波隆史の小説内世界なのか、判然としない虚実皮膜の世界に、ストーリーも含めて転調していく。刑期を終えて出所した荒木太郎の前に、里見瑤子が現れて告白する。夫のDVから逃れるために離婚したという身の上話は、すべて嘘だったと言うのである。事実は、自分が浮気を重ねた果てにデリヘル嬢にまで堕ち、離婚されたということだ。そして、再び荒木太郎に激しく迫っていく。

すると、前のロングショットの名シーンで描ききってみせた里見瑤子の悲しい過去は、すべて彼女自身が演じたフィクションということなのだ。めくるめく虚実皮膜の世界に叩きこまれた我々は、ただ圧倒されるしかない。確かに今の里見瑤子は、池島ゆたか監督と同様に、我々も「凄玉」と形容するしかない。

那波隆史が散策の途中で立ち寄る場所に、友人が映写技師をしているしピンク映画館の映写室がある。これが、旧上野オークラ劇場のロケ、映写技師を演じているのが牧村耕次で、良い味わいを出しながらレトロ・ノスタルジー談義を行う。映画の本筋とは関わってこないが、素敵な調味料になっていた。

ピンク映画大賞 女優賞の行方
2010年の年末の「凄玉」里見瑤子の登場で、今年投票するピンク映画大賞の女優賞に、私は頭を悩ませることになった。例年どおりならば投票枠は二人だ。

私の一人目は、佐々木麻由子で鉄板だ。ピンク映画初の歌謡映画「欲望の酒場 濡れ匂う色おんな」で、新曲4曲を披露、演技の上でも落ち目の熟年歌手の哀感を表現しつくし、歌手・斑鳩(いかるが)洋子に完璧になりきった。この一本だけで、今年は他の追随を許さない。

もう一人は倖田李梨でほぼ確定だと、これまでは思っていた。3月の「色情痴女 密室の手ほどき」では、堂々たるヘアヌードを晒し、ピンク版「愛を読むひと」とも言うべき作品中で、ミステリアスな悪女を熱演した。6月の「異常体験 いじくり変態汁」では、ピンク版「それでも恋するバルセロナ」の中でペネロペ・クルスに相当する役回りを演じて、本家ペネロペを吹っ飛ばす猛演・怪演を魅せた。

その他でも今年の倖田李梨は、「どこでも顔出す倖田李梨」がキャッチフレーズになるくらい、頻繁に出まくっているのだが、カメオ出演も含めて、すべてに圧倒的な存在感を見せているのだ。だから、二人目は倖田李梨でほぼ確定!と私はこれまでは思っていた。

ところが下半期に入って、里見瑤子の急追が始まった。まず7月の「美尻エクスタシー 白昼の穴快楽」の尻子玉ドクター(これだけでは、何言っているかわかりませんね。詳細は「ピンク映画カタログ2010−14」に寄り道して下さい)のブッ飛び演技。久々の宇宙人・里見瑤子の弾けっぷりだ。

続いては、11月の「性愛夫人 淫夢にまみれて」、たった2シーンの出演ながら、映画全体をズシーンとした重みで支えている。池島ゆたか監督に「凄玉」と称された所以である。そして、年末の「癒しの遊女 濡れ舌の蜜」がダメ押しとなる。

さあ、倖田李梨か、里見瑤子か、悩み所である。「御贔屓里見瑤子嬢」とかつてはハシャいでいた私であるから、こうなったら贔屓を優先し里見瑤子となるのは、これまでの必然である。しかし、今回はそうはいかない。

実は、2011年公開の私の出演作「愛人OL えぐり折檻」で、私は倖田李梨の父親役を演じているのである。映画の中とはいえ、やっぱり我が娘は応援しないといけないよなあ。いやあ、悩みに悩む次第だ。

冷静に検討してみよう。倖田李梨は、個性的な存在感とキャラクターで、今最も旬に輝いている。里見瑤子は、かつてのブッ飛び宇宙人演技を復活させたと共に、ベテラン女優としては女の情念を直球「凄玉」で、投げている。演技の幅の広さというところでは、ベテランだけに里見瑤子の方がバラエティに富んでいる。僅差で里見瑤子に一票というのが、現在の私の心境だ。我が娘・倖田李梨よ、許せ!というのが現時点の私の本音である。ただ、ギリギリまでどうなるかは、自分でも判らない。

●この日の話題をもう一つ
この日は、「お竜さん」と二人のミニ・ピンクゲリラツァーだった。そこで、「お竜さん」未見の「不倫同窓会 しざかり熟女」も、つきあって再見した。その辺の報告も、ここで落ち穂拾いしておきたい。

このディジタル上映の画質が、実にひどかった。かねてから、新東宝のディジタル上映の画像の悪さは指摘していたが、負けず劣らずである。OPよ!お前もか!と、思わず言いたくなってきた。新東宝の画像のひどさについては、「お竜さん」は直に新東宝に抗議の電話を入れたそうである。すると「どこも同じですよ」というケロッとした回答が返ってきたそうだ。

「不倫同窓会 しざかり熟女」は2007年作品で、そんなに古い映画ではない。いや、古い新しいは関係ない。昨年も何度も繰り返したが、前世紀の旧作でもXces映画は、悔しいほど綺麗なのである。新東宝があの程度でいいのならうちもこれでいいかと、OPも画質を落としてきたならば問題である。これでは「どこも同じ」という新東宝の開き直りを、許容する裏付けにもなってしまう。新東宝もOPもそれなら…と、Xcesまで便乗されたらかなわない。(まあXcesについては、どうでもいいとは思うが…)とにかく、このディジタル上映による画質低下は(ディジタル化の金をケチっているとしか思えないので)、何とかするべきと観客の側から大きく声を上げるべきだと思う。

2010年12月21日(火) ●新橋ロマン劇場
「日本女拷問」 (旧題「日本残虐女拷問」) 1977年公開         
督・山本晋也  脚本・中村幻児  主演・南ゆき,橘雪子

明治維新から大正を経て、日中戦争直前の昭和初期まで、3話構成で当時の絵やニュース・フィルムなどを挟み、拷問虐殺されていく悲しい女の歴史が綴られていく。

第1話の時代背景は、明治維新の西南戦争直後である。ヒロインは、維新以後に国内に増えてきた外人相手のラシャメン娼婦。ある日、貴族の家に呼ばれる。そこで妻との3Pを強要される。しかし、明治の世の人妻である。妻の方は恥じらって、夫の言うことをきかない。逆上した夫に、妻は斬殺されてしまう。そして、娼婦を西南戦争の残党のスパイで、さらに妻殺しだとして、邏卒に引き渡してしまう。邏卒は、罪状を白状させようと拷問にかける。もちろん、何もしていない娼婦は、白状のしようがない。

裏返したテーブルに半裸で四肢を緊縛され、警棒で殴打される。山芋を局部に塗りこめられ、痒さに悶える。最後はガラス管まで性器に挿入され、それが膣内で砕けて死に至る。

第2話のヒロインは、明治末期の娼館の女郎。3才の娘がいて親元に預けているが、年季は10年以上も残っている。娼館の暮らしはつらい。彼女の所に、楼主がご機嫌取りで招いた巡査が闖入してくる。これが、強引で変態的でSEXの趣味が悪い。女郎は、この巡査を殺して入牢しても、ここでの生活よりはマシと、思いだす。しかし、そんな簡単に大の男を殺せるわけもない。殺人は未遂に終わり、逆に巡査に報復の拷問を受けることになる。半裸で宙吊り縛りにされ、殴打される。さらに火攻めに遭い、焼き鏝を局部にあてられ、焼けた鉄の棒を挿入されて絶命する。

これに後日談が加わる。この時、3才だった娘は、親の年季を引き継ぐ形で、年頃になると水揚げされる。時代は大正へと移行している。しかし、最初の旦那を母の仇と同様と思い、簪で首筋を刺して殺害する。そして、かけつけた巡査に斬殺される。

第3話は、張作霖爆殺事件直後の昭和初期が舞台となる。姑娘の女兵士がスパイとして娼妓に変身し、祖国のために働くが、憲兵に逮捕されてしまう。全裸でうつ伏せに拘束され、激しい鞭打ちを受ける。白い尻から血が吹き出る。憲兵の一人に、娼妓に変身していた頃の彼女を憎からず想っていた者がいた。その時に日本のお守りを与えた。拷問の合間に、やさしく声をかける。彼女は下に落ちた髪飾りとして刺していた花の香りを嗅がせてほしいと、哀願する。花を顔に近づけた時、それを口中に頬張る。もしもの時の自殺用の毒薬だったのだ。ガックリと首うなだれた時、かけていた日本製のお守りが床に落ちる。ちょっとロマンチックな幕切れで、このエピソードは終わる。

いずれにしても、後味の悪い女の被虐の歴史の羅列である。歴史の裏側には、こうした女の怨みが累積し、それでも女達は生き抜いていくとの意味の、もっともらしいナレーションが最後に流れるが、あまり効果的とも思えない。監督・山本晋也、脚本・中村幻児と実力者コンビだっただけに、やや期待外れだった。もっとも「未亡人下宿」などのエロチック・コメディが得意な山本晋也としては、もともとその任でなかったのかもしれない。「未亡人下宿」シリーズでは抱腹絶倒させる久保新二も、ここでは類型的悪役邏卒で凄んで見せるだけに終わる。勿体ない限りである。

●閑話休題のあれこれ
しかし、ピンク映画中期「日本女拷問」を改めて観ると、やはりいろいろな感慨に襲われる。まず、明治から昭和初期にわたる堂々たる大河歴史劇であること、ロケもセットもなかなかに厚みがあって、映像が豊かだ。それらしい時代色のあるロケ地を選んでいるにしても、相当その場所に手を入れていると思う。今のピンクの映像では考えられない。

また、結構激しい血みどろが、画面を覆うのも、この頃ならではだろう。現在は、血は御法度になっているそうだ。確かにバイオレンスや血は、男の一物を縮みあがらせる方に作用するから、理解できないわけでもない。

もう一つの現代ピンクの御法度は、子供を出すことだそうだ。何でも、客に家のことを思い出させてエロい気分が萎えるからよくないとのことだ。でも、こっちの方はかなり屁理屈に近いんじゃなかろうか。

この日の新橋ロマン劇場の三本立も、「お竜さん」のボディガードとして足を運んだ二人だけのミニ・ピンクゲリラツァーである。新東宝特集と銘打ち、懐かしの高橋伴明・山本晋也・渡辺護の三大巨匠揃い踏みだ。「お竜さん」ならずとも、食指の動くところだ。そこで、新橋ロマン劇場の面白い特典を発見した。カップルだと一人1000円なのである。(私はシニア料金と同じだから、あまり関係ないが)上野オークラ劇場だと、逆にカップルお断りの掲示がある。男同志も含めて、場内でいかがわしい行為をしないための牽制である。もっとも、顔馴染みになっているからだろうか、やはり同じように二人でミニ・ピンクゲリラツァーを仕掛けても、上野オークラ劇場で断られたことはない。

ということで、この日は、私がすでに観ている高橋伴明作品「歓びの喘ぎ 処女を襲う」(原題「死に急ぐ海」)も、再見することになった。すでに今年の「湯布院映画祭」で観ていたが、やはりこの映画は凄い!今回も鳥肌が何度も立った。

そこで、子供を出すことが御法度という現代ピンクの疑問である。この映画では、水俣病で命を失った父親と、脳を犯され色情狂になってしまった妹に、下元史朗は帰郷して再会する。「親父、何で、娘を殺してやらなかったんだ」と、彼は悲痛に呟く。そんな彼にも、色情狂となった妹は、「してくれ〜してくれ〜」と迫る。下元史朗は、妹の首に手をかける。しかし、昔の光景が蘇る。「お兄ちゃ〜ん」と駆け寄ってくる妹、おんぶしてやる自分。首にかけた手がゆるむ。この子役を使った回想シーンが存在しなければ、切ない心情は表現できない。子供の登場が御法度という現代ピンクの制約は、ずいぶん表現の幅を狭めているのではないだろうか。

「谷ナオミ 縛る!」 1977年公開
監督・渡辺護  脚本・高橋伴明  主演・谷ナオミ,下元史朗

能面の面打ち師の話である。女の真の姿を目の当たりにしなければ、心のこもった能面は打てず、上っ面の面になってしまう。そして、女の本性を曝け出すためには、緊縛することが必要とのことになる。能面と緊縛をうまく結びつけたものだが、実際の能面打ち師にしてみれば、迷惑な話だろう。その強引さをさておけば、ベテラン渡辺護監督は、鬼才・高橋伴明の脚本を得て、SMの女王・谷ナオミを官能的に撮り尽くしたと言えるだろう。

ストーリーは、実にシンプルである。そのシンプルさが良い。能面の面打ち師の兄弟がいる。兄は鶴岡八郎、弟は下元史朗だ。後継ぎは長男と定まっているので、下元史朗は幼い頃から近くの寺に養子に出される。その寺には、山門に捨てられていた女の赤児が育てられており、下元史朗と兄妹同様にして成長する。それが谷ナオミだ。

谷ナオミは、鶴岡八郎の妻となる。鶴岡八郎は、愛人を家に引き込み、緊縛して女の本性を曝け出させ、能面打ちに精を出す。下元史朗は、そのような行為に及ばないので、上っ面の能面しか彫ることができない。

妻としての自分をさておいて、愛人の緊縛に精を出す夫の鶴岡八郎に耐えきれず、谷ナオミは体を投げ出す。かくして、お目当ての官能的な谷ナオミ緊縛ショーへと展開していく。そして、谷ナオミは、義弟の下元史朗にも、緊縛のために裸体を投げ出していく。しかし、ストイックなまでに二人は、緊縛はするが体の交わりはしない。

だが、夫の鶴岡八郎はそうは思わない。二人の仲を疑い嫉妬に狂い、ついには妻を日本刀で惨殺し、自らも割腹して果てる。幼かった谷ナオミの娘は、胸に傷を負うが、一命はとりとめる。

この娘が二十歳の成人を迎え(谷ナオミ二役)、法事の後に、伯父の下元史朗に母の死の本当の原因を教えてくれと迫るのが、映画のプロローグである。前記した内容は、その回想シーンとして展開されていくのだ。そして、母に遂げられなかった想いを私で果たしてくださいと、伯父の下元史朗に言い寄り、濡れ場から緊縛へと展開していく。緊縛シーンで古傷の胸から血が滴ってくるあたりの官能性は、ベテラン渡辺護の腕の見せどころだ。

繰り返すが、能面と緊縛の結びつけ方はかなり強引だが、そこに目をつぶれば、縄が似合う主演・谷ナオミの豊満な肉体、ダークな世界の魅惑が光る高橋伴明脚本、そしてベテラン監督・渡辺護の官能描写が、見事なアンサンブルを魅せた佳作であると言えよう。
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