周磨 要の 2012 ピンク映画カタログ

●周磨 要プロフィル

映画ファン歴は、小学生の頃の東映時代劇に端を発し、現在は「無声映画からピンク映画まで古今東西邦洋を問わず、すべての映画を愛する男」になって、約60年近くの映画好きである。

現在は、東京電力および関連会社を定年退職しての、年金生活者で24時間映画三昧の日々だ。しかし、今年ほど暗澹たる新年を迎えたことはなかった。理由はもう言わずとも明白だろう。3・11東日本大震災後、「東電OBなのを隠した方がいいよ」との、何とも親切なご忠告も何人かの方からいただいた。

でも他の場所ならば、インフラ事業OBとかライフライン事業OBとか、あるいは公益事業OBとか(これあたりは公害事業だろ!と突っ込みを入れられそうだ)の言い換えでごまかすことはできるだろうが、本HPではそういうわけにもいくまい。

私はこれまでも、本「ピンク映画カタログ」を始め、「映画三昧日記」や「湯布院映画祭日記」などで、東電OBとしての視点からエネルギー問題を少なからず俎上に乗せてきた。今さらそれに頬かむりすることもできまい。

15歳で東電学園に入学し、3年間学んで卒業後は東京電力に入社、55歳での定年後は関連会社に再就職しそこも60歳で定年になる。その後は月10日勤務の嘱託となり、2年間を経てその契約も満了となる。冒頭に記したように、その62歳の時から64歳の現在までは、24時間映画三昧の日々を過ごしているわけだ。

15歳から62歳までの47年間、私は電力事業に携わってきた。そのほとんどは電力系統指令に関わるものであった。今、私が半世紀近くエネルギーを注いできた電力事業が、猛烈なバッシングを受け全否定されている。私が暗澹たる気分になるのは当然である。

我々は核戦争をしたわけでも、起こそうとしたつもりも当然ながらない。考えていたことは電力の安定供給、それ以外は全くない。それは3・11以前も以後も全く変わらない。バッシングもいい。批判もいい。確かに業界内の私ですら知らなかった呆れるくらいの、経営陣や対応した政府のひどい事例があったのも事実だ。必要とあれば東電解体もいいし国営化も結構だ。しかし、それは「電力の安定供給」を維持継続するという目的の元に、国民全体が前向きに考えてほしいと思う。

我々、少なくとも私としては、第一線技術者としての反省はある。「安定供給」は絶対の正義だと信じてしまったことだ。バブルを頂点として、ジャブジャブと電力漬けになり怪獣のように電気を喰いつくした日本。東電という一企業供給区域内で、多分近隣のアジアの一国の10倍は消費しているのである。これは、やはり異常だ。異常だよ!使い方考えようよ!と、声を挙げるべきだったのだ。

しかし、私自身ですら、その時はそう思わなかった。求める需要に対して「安定供給」をするのが「絶対の正義」だと誤認していたのだ。そして、無理に無理を重ねた。無理をする前に、誰のための「安定供給」なのか?何のための「安定供給」なのか?までを熟慮しなかった。その無理は1000年に一回の巨大災害に、耐えられなかった。技術文明の、そして人類の奢りに鉄槌が下されたのだ。石原慎太郎都知事が「天罰」と暴言を吐いて顰蹙を買ったが、当たらじとも遠からずと、私も感じる。

日本における「電力の安定供給」というものは、その使い方も含めてどうあるべきなのだろうか。そんなことが頭から離れない毎日である。こんな局面になると、映画について何か書くことが、ひどく空しくなってくる。書く気力が全く起きてこない。

「ピンク映画カタログ」だけは、何とか維持継続する努力をしているのには訳がある。ピンク映画のタイトルは同工異曲で、鑑賞後にすぐ記録しておかないと、しばらく経てばどれがどれやら判らなくなるからである。だから「ピンク映画カタログ」だけは、ウンウン言いながら今年も幕開けするが、その他については、しばらく休業となると思う。

たまたまではあるが、13号倉庫さん主宰の「ぼくら新聞・13号倉庫のHP」が、昨年8月に壊滅的クラッシュに遭遇したとのことで、私の方もボチボチとやるのが、タイミング的には悪くないのかもしれない。
「周磨 要の映画三昧日記」
周磨 要のピンク映画カタログ 2005
周磨 要のピンク映画カタログ 2006
周磨 要のピンク映画カタログ 2007
●周磨 要のピンク映画カタログ 2008
周磨 要のピンク映画カタログ 2009
●周磨 要のピンク映画カタログ 2010
●周磨 要のピンク映画カタログ 2011
周磨要の掲示板 

「周磨 要の湯布院日記」

「周磨 要のピンク日記」
「おたべちゃんのシネマシネマ」
2012年ピンク映画カタログ−2

2012年1月14日(木) ●上野オークラ劇場
「OL家庭教師 いじり突く」 2008年公開
監督・関根和美  脚本・関根和美,新居あゆみ  主演・沖那志帆,香田麗奈

ベテラン関根和美監督らしい典型的「金太郎飴映画」である。女が3人、男が3人、順列組合せでしっかりカラんでみせる。ストーリーはそのための方便で、何の必然性もないし、唐突極まりない展開もある。かくして、どこを切ってもどこから観ても、濡れ場のオンパレードとなる王道ピンクの「金太郎飴映画」が現出する。これは褒め言葉でもあり、その逆でもあるということだ。少なくとも私の好みではない。

女は3人、沖那志帆・香田麗奈・里見瑤子。男も3人、牧村耕次・天川真澄・「なかみつせいじ」である。沖那志帆は上司の「なかみつせいじ」とオフィスラブの不倫中だが、ある日別れる決心をする。そして、親友の香田麗奈に、気分転換にパソコン指導のアルバイトをするように勧められる。香田麗奈の夫の天川真澄は、沖那志帆の元カレというややこしい関係だ。そもそも、そんな関係で友情が継続するんかいな?なんて詮索は、この際どうでもいい。かくして沖那志帆=「なかみつせいじ」、香田麗奈=天川真澄、沖那志帆=天川真澄、の3組の濡れ場カップルが誕生する。

パソコンの家庭教師で出向いた先の生徒は、定年後に熟年離婚され娘にも逃げられて音信不通という哀れな初老男の牧村耕次だ。人はいいがパソコンの覚えは全く悪い濡れ落ち葉である。そして、この頃から期を一にして、沖那志帆と「なかみつせいじ」の不倫関係を暴露誹謗中傷するメールが、社内に流布しはじめる。

真相は全く他愛がない。牧村耕次は実はパソコンの上級者で、彼が一方的に沖那志帆に想いを寄せ、会社のネットをハッカーして嫉妬に狂って流したものだったのだ。でも、そりゃないよねという顛末だ。

それを知った沖那志帆は、牧村耕次に怒りをぶつけたが、同情もあって体を重ね…と思ったらそんなことあるわきゃなく、それは牧村耕次の妄想で、彼女は罵声を浴びせて立ち去る。ところが沖那志帆は、後日あの時は言い過ぎたと謝罪に訪れ、今度は本気でのベッドインとなる。必然性も何もあったものではない。濡れ場の方便にストーリーを転がせばいいとの典型である。

それに先だって、沖那志帆は悪質メールの犯人は「なかみつせいじ」と思い、深夜に電話をかけて抗議する。彼の妻が里見瑤子、同衾中ということもあって、電話を切った後に濡れ場に雪崩れ込む。ここも、ストーリーの必然性なんて、どうでもよろしい。

ただ、このワンシーンのみの里見瑤子が素晴しい!「お出で」と声をかけ、フェラのサービス。こんないい奥さんがいるのに、何で「なかみつせいじ」は浮気なんてするんだろうと思っていたら、高まってきたところで女上位で、「今、出したら承知しない!」と凄い目で睨む。なるほど、これじゃ浮気の一つもしたくなるよなあと思わせる。里見瑤子の演技だけで、ここだけは独立した一つの夫婦生活のドラマを、形造っていた。見事である。そういっちゃ失礼だが、残りの二人の女優演技が、学芸会に毛が生えた程度の舌足らずの台詞回しだったので、余計に里見瑤子の凄みが引き立った。

「なかみつせいじ」・牧村耕次のベテラン男優陣も、それなりの存在感を示してはいたが、演りどころがなく、何とも気の毒な一編でもあった。

「痴漢電車 車内で一発」 1985年公開
監督・滝田洋二郎  脚本・片岡修二  主演・星野まり,竹村祐佳

外れが全くない滝田洋二郎ピンクの「痴漢電車」シリーズ。期待は大きく高まる。今作の脚本は早乙女宏美SMシリーズの監督の片岡修二。高木功脚本作品に比してSF味は乏しいが、やはり期待にたがわぬ快作であった。

山内組組長が、池島ゆたかが会長を演じる竹田会が差し向けたヒットマンに、殺られる。山内組の後を襲名したのが大杉漣、報復で池島ゆたかを殺るために、ヒットマンの蛍雪次郎を差し向ける。何とも豪華キャストである。そしてこの冒頭は、深作欣二「仁義なき戦い」もかくやと思わせるダイナミックな演出なのも楽しい。山内組は山口組のもじり、竹田は「仁義なき戦い」で小林旭が演じた役名の武田から来ているのだろう。こういう遊び心が洒落ている。

大杉漣から蛍雪次郎への指令が、また凝っている。テープが廻り「これはこの後に焼却される」との指示がご丁寧にもある。「ミッション・インポッシブル」である。いや、「MI」の第一作は1996年なのだから、むしろ「スパイ大作戦」のパロディだろう。「スパイ大作戦」は人気TV映画とはいえ、これをビッグパジェット化したのは「MI」である。それ以上に当時としては、こういうマイナーだが通好みの「スパイ大作戦」をパロるあたり、ここにも滝田洋二郎の洒落っ気を感じる。音楽まで「スパイ大作戦」のもじり風だ。

この後、蛍雪次郎が「あれ、聞き洩らしちゃったよ」とズッコケるのも楽しく、さらにテープの方が「馬鹿!○○○だよ!」と指令を繰り返すのも、さらに楽しい見物だった。滝田パロディ精神は早くも全開である。

しかし、パロディ精神はまだまだ止まらない。山内組組長の娘の星野まりの役名がジュリエ、竹田会会長の息子がトミオ、二人は禁断の恋に落ちており、バルコニーの上と下で愛をささやく。「ロミオとジュリエット」である。これが、バルコニーの下から山内組組長を狙う蛍雪次郎と並行して描かれる。

池島ゆたか会長は、大杉漣組長が差し向けてくるヒットマンを警戒し、常に織本かおるの女ボディガードを身辺にピッタリ付けている。そして、電車の中では痴漢も楽しむ一石二鳥だ。ここでも何でもかんでも痴漢にむすびつけちゃう滝田タッチが楽しい。

ついに池島会長の隙をみつけたヒットマン蛍雪次郎は、銃声一発!ところが二人の間に逃走中の銀行強盗が飛び出し、弾はそちらに当たって、蛍雪次郎は銀行強盗を捕えた英雄になってしまう。拳銃不法所持の方はどうなってんの?なんて疑問はスルーしちゃうのも、滝田流の人を喰ったナンセンスだ。

ここから、蛍雪次郎のヒットマンのストーリーラインと、星野まりのジュリエのストーリーラインが交差する。星野まりとしては、大杉漣が差し向けたヒットマンに、父親の池島ゆたかが殺られるようなことにでもなれば、大杉漣の息子のトミオと結ばれるのは、ますます困難になる。そこで銀行強盗を捕え英雄になった蛍雪次郎に、父親の池島ゆたかのガードを依頼する。自分のタマのボディガードを依頼された蛍雪次郎は、ややこしい立場となる。

いつまでも仕事を進めない蛍雪次郎に業を煮やした派遣元の「当局」は、お目付役のヒットマンの竹村祐佳を差し向けてくる。二人の連絡は電車の中のボディタッチで、モールス信号として行われる。ここでも何でも痴漢にむすびつけちゃう滝田ピンク節が全開だ。「今の信号、解読できないわ」「これはホントの痴漢だよ」なんてやりとりは、抱腹絶倒だ。

煮え切らない蛍雪次郎に、竹村祐佳は彼を消す決意を固める。しかし、夜のテクニックに溺れて、その決意は萎える。ここあたりの濡れ場は、陰影の深い画面創りで、ヌード曲線がエロ美しく魅惑的だ。滝田洋二郎は、濡れ場もしっかり上手いのである。上野オークラ劇場で昨年上映された「痴漢電車 聖子のお尻」はひどいディジタルソフトで、滝田流濡れ場がまっ黒けで、何が何だかわからなかった。今回も同じ新東宝作品だが、ソフトはかなりマシで滝田流濡れ場をまあ楽しめることができた。上野オークラ劇場がリニューアルされて、ディジタル上映方式になった以後、ソフトのバラつきがひど過ぎる。少なくとも木戸銭の取れないような映像だけは、願い下げにして欲しい。

そんなこんなで、池島ゆたか会長暗殺が全く進まない状況の中で、大杉漣組長グループと池島会長グループが、電車内で鉢合わせする事態に至る。「仁義なき戦い」もかくやの、壮絶な銃撃戦が車内に展開される。これが実際の電車内のロケ、当然ながら許可など取ってないと思うので、完全なゲリラ撮影だろう。いや〜、この時代の映画撮影は、大胆というか何と大らかな時代だったんだろう。

この事件は、「暴力反対」の大衆運動となって、大きなうねりの盛り上がりとなる。池島ゆたか会長の家の周囲は、プラカードの大集団に囲まれる。と、思いきやそれは横長につないだ特殊プラカードを、蛍雪次郎が一人で振り回しているだけだった。星野まりが自分に惚れていると勘違いした彼が、彼女の依頼に本気になり、抗争を納めて池島会長を守ることにしたのである。あくまでも展開は人を喰っている。

このあたりは「仁義なき戦い」第4部の「頂上作戦」を思い出した。そういえばかなり昔だが、広島やくざ戦争を新聞記者の側から描いた「ある勇気の記録」というTVシリーズがあった。監督は、確か山本薩夫だったと記憶する。新聞記者のキャンペーンで市民が盛り上がり、最後は暴力団員は街中で片っ端から市民に袋叩きにされる。警察に保護された組員が、「市民の方がよっぽど暴力団や」とボヤくのが、何ともおかしかった。以上、この項は思い出話でした。

まあ、とにかく抗争を平和的に納める気運は社会に高まる。そして池島会長と大杉組長は、公開クイズ番組で雌雄を決することになる。これも、そんな馬鹿な!ということだが、そこが滝田ピンク流ブっ飛びの楽しさだ。

正解できない場合の罰ゲーム要員で、それぞれの組員が立たされる。アシスタントのバニーガールからのダーツを受けるのである。これもとんでもない話で、さらに池島ゆたか会長も大杉漣組長も、知能レベルは恐るべき低さで、どんな簡単な問題にも正解が出せない。出題は100問を越えるが正解はゼロ。かくして子分はハリネズミのようにダーツだらけになる。どこまでブッ飛びゃいいんだろう、てな楽しさだ。

でも、このTV中継は国民的人気を得る。池島ゆたかと大杉漣の天然ボケぶりは、受けに受けまくり、とうとう二人は組を解散し、人気漫才コンビへとトラバーユする。池島ゆたかと大杉漣の芸達者の快演・怪演である。チープな特撮合成で、これらの模様が街頭の大型プロジェクタに映されるのも、微笑ましき限りである。

いろいろ書いてきたが、これまでのほとんどが私の意見というより、単なる紹介だけのような気がしてきた。でも、単なる紹介でも、したくなるような面白さに溢れているということで、ご容赦願いたい。しかし、この時代にリアルタイムで滝田ビンクの「痴漢電車」シリーズを観た人は、至福の絶頂だったと思う。この頃30代半ばだった私は、働き盛り・家庭サービス真っただ中、とてもピンク映画のようなカルト作品にまで手が回らなかったのだ。

83年8月「百恵のお尻」、84年1月「下着検札」、8月「極秘本番」、85年1月「聖子のお尻」、5月「車内で一発」、正に目も眩むような連打である。本当にこれをリアルタイムで追った人は、楽しくて楽しくてどうしようもなかったのではないか。映画評論家の秋本鉄次さんは、何と幸福な時を過ごしたのだろう。

「人妻の淫臭 ぬめる股ぐら」 2012年公開
監督・脚本・山崎邦紀  主演・大城かえで,浅井千尋

山崎邦紀作品に「意味」を求めても、あまり意味の無いことだ。例をいくつか上げるならば、2003年作品「変態未亡人 喪服を乱して」のホト(女陰)パワー、2010年作品「美尻エクスタシー 白昼の穴快楽」の尻子玉、2011年作品「奴隷飼育 変態しゃぶり牝」のユニバーサル・マンゴー(ユニマン)、それらに何の比喩やテーマを求めても、無駄なことなのだ。その奔放で奇天烈な感覚を素直に受け入れて、楽しめるか楽しめないかが、全てである。

私は、これまで山崎作品を見続けてきて感嘆すると共に、この人はよっぽど悪ふざけが好きなのか、物凄いSFマインドを有している人かの、どちらかだと思っていた。最近、「PKの会」やmixiを通じて、親しくおつきあいをさせていただいている池島ゆたか監督にそんな感想を漏らしたら、「山崎さんは大真面目な人ですよ。悪ふざけなんてできる人じゃないです」とのことであった。

そして、この山崎邦紀監督はあまりファンの前には姿を見せない。私もお顔を拝見したことがない。そんな監督が、最新作「人妻の淫臭 ぬめる股ぐら」の公開に合わせて、舞台挨拶に来るという。私は、ワクワクしながら上野オークラ劇場に馳せ参じた。

今回も山崎ワールドは全開だった。舞台は、放射能汚染されほとんど無人と化した東京。これは、未来の話なのかパラレルワールドか、SF流に言うならば疑似イベントものである。当然ながら登場人物は男女各3人の6人のみ、それ以外は画面内に映ることはない。この異空間を、我々が忘年会・納涼会などでお世話になっているシネ・キャビンのスタジオを中心に、ファンタスティックに造形して魅せる。ここでも山崎ワールドは健在である。

登場人物の奇天烈さも、相変わらずだ。原作は、何と!ノンSFの坂口安吾!登場人物の風博士と凧博士は、そこからの引用だ。凧博士演ずるは池島ゆたか、ほぼ無人となった東京に留まり、絶好の実験場所とばかりに放射線の研究を継続する。妻の大城かえでは、そのマッドサイエンストぶりに愛想をつかして、東京を去る。

もう一人、こんな東京に残り、客がいるのやいないのやら、でも軽食も出すバーを開店している吉行由実がいる。彼女は放射能にも免疫があると信じて、恬淡としている。その名も「放射能魔女」って、山崎ワールドどこまで爆走してしまうんだろう。彼女はピンク・サービスも開店しているが。これが男の局部にはいっさい触れないで、自分の身体を触らせるのみ。男は吉行由実の体の感触を味わいながら、自分で抜くというこの怪体さも笑える。

そんな東京に二組の男女が、訪れる。一組はそんな東京に活力を与えようと、東北女子プロレスのレスラー浅井千尋と、マネージャーの丘尚輝だ。もう一組は荒木太郎が演ずる風博士とその妻の匂い姫。この命名からして人を喰っているが、これを演ずるのが大城かえでの二役。いや、本当に二役なのかどうか、池島ゆたかの凧博士の妻が記憶を喪失して、風博士の妻となったようにも見える。そのへんは定かでないし、そんなことはどうでもいい。山崎ワールドの奇天烈さを、感覚的に楽しめばいいのだ。

凧博士と風博士は対立し、風博士はその名のとおり神出鬼没、そのあたりがチープなコマ落しで展開されるのも微笑ましい。「美尻エクスタシー 白昼の穴快楽」に続いてのデブと痩せの池島ゆたか=荒木太郎コンビは、相変わらず達者だ。ひょんな展開から凧博士こと池島ゆたかが、浅井千尋のプロレスラーに技をかけまくられる。舞台挨拶では、逆エビ固めがモロに入って池島ゆたかがホントにヒーヒーいったそうだ。「判らなかったです。スミマセン」と小声で萎れる浅井千尋が、スクリーンの奔放さと対象的で、初々しかった。

そんなドタバタの内に、大地震が発生する。今度だけはヤバイと、これまで平気の平左を決め込んでいた吉行由実も池島ゆたかも、東北女子プロレスの二人も、尻尾を巻いて退散する。荒木太郎の風博士は、いつの間にか風のように消えてなくなり、やっと安全地帯に辿りついた川岸には、池島ゆたかと共に連れ出されて逃げてきた大城かえでが残される。さて、どうなるか…映画は唐突に終了する。

これは、いったい何なのか。何でもいいのだ。感覚的に楽しめばいい山崎ワールドだ。しかし、今回はそういう訳にはいかない。いや、現在、放射能問題が最も頭を覆っている私だけの問題かもしれないが、どうしても意味を考えたくなってしまうのだ。

凧博士と風博士の関係とは?凧は風が無いと飛ばないんだけど、その二人が一人の女(いや瓜二つの二人?)をめぐって対峙する意味は…。放射能魔女の免疫理論は、現在の放射能問題の過敏な報道への風刺なの?東北女子プロレスはみちのくプロレスのパロディとして、この映画の中ではどんな意味を持つんだろう?いずれも感覚主体の山崎ワールドでは、どうでもいい問題なのだが、私としては悉く引っかかってしまう。結局、放射能問題にこだわり過ぎている私は、今回は山崎ワールドを感覚にまかせて楽しめない不幸な観客になったようだ。

終映後の舞台挨拶は、大城かえで・浅井千尋・吉行由実の三大出演女優揃い踏み、正月らしい華やかさだ。その中での話題は、大城かえでの好演である。よく見れば、荒木太郎・池島ゆたか・吉行由実と、半数の三人の出演者が監督経験者である。そんなプレッシャーの中でよく頑張った。

前半の匂い姫としての登場は、失語症のようで、台詞無しで表現せねばならぬ難しい役どころ。後段の回想シーンの池島ゆたかの妻役で、やっと長い台詞がある。ところが、この活舌がまた見事なのだ。舞台上で池島ゆたかから賛辞の嵐である。早くも、今年のピンク映画大賞新人女優賞の有力候補登場だ。

延々と続いた舞台挨拶・サイン会・握手会に続いた後に打ち上げがある。これが、池島ゆたか監督サポーター集団「PKの会」やmixi仲間のいつもの面々に加えて、シネマ ジャック&ベティでの「百合子 ダスヴィダーニヤ」上映のPRも兼ねて来場していた浜野佐知監督とそのシンパも合流し、40名になんなんとする大宴会となった。

早速私は、山崎邦紀監督にSFマインドについて伺う。意外だが、監督はSFは好きだが、特に蘊蓄を傾ける程のものはないとのことであった。ただ、物事を常に違う視点から見るようにしたいとのことである。でも、これこそSFの精神だと思う。私はSFを「感覚の解放」と考えており、世間でいうSFの定義よりもかなり広義に考えている。私に言わせれば、猫が人間の視点を持つ夏目漱石の「吾輩は猫である」は、立派なSFである。

浅井千尋さんは打ち上げにも参加した。舞台挨拶の時も「気が弱くて、緊張しています」と客席に視線を向けることもできなかった。池島ゆたか監督に「カボチャだと思えばいいんだよ」と発破をかけられていたが、正にスクリーンのイメージとは対照的な女優さんだった。

浅井千尋さんを我々が印象に大きく止めたのは、「奴隷飼育 変態しゃぶり牝」のシースルー・レオタードのユニマン女であり、「和服姉妹 愛液かきまわす」の裾を大きくたくし上げての四股とかだ。豪快奔放で逞しい女のなイメージが強い。ところが素顔は内気で物静かで控えめな、深窓のお嬢さんという感じなのである。素顔に接しない人には信じられないだろうが、その通りなのだ。何故か自分と正反対の役ばかり来ると話していた。今後、浅井千尋さんの地で行けるような役が来た時、彼女の魅力はさらに大きく花開くかもしれない。

私がエキストラ出演した「変態女課長 陵辱ぶち込む」が2012年2月3日(金)に上野オークラ劇場で封切となる。そこで、昨年の初号試写を観せていただいた時の感想を記します。

2011年10月28日(金) ●東映ラボ・テック
「変態女課長 陵辱ぶち込む」 2012年公開
監督・国沢実  脚本・内藤忠司  主演・樹林れもん,愛純彩

国沢監督作品に、チョコっとエキストラ参加をしただけなのだが、初号試写を観せていただけた。おまけにクレジットまでしてくれて、感謝感謝である。

これは、ほとんどの濡れ場にアブノーマルなエロさが漂っている異色作だ。タイトルに「変態女課長」とあるように、これはある意味で「東電OL殺人事件」の一つの真実を、描いてみせた力作ともいえるだろう。

冒頭は、物置なようなところでの濡れ場だ。一見レイプのようにも見えるが、コトが終わった後に男が札を何枚かたたきつけていくので、売春ということのようである。売春をしているのは、主演の樹林れもんだ。

人の分泌物を、口の中にねじこまれるというのは、おぞましいことである。ただ、ここにむずがゆいような性的刺激を感じるアブノーマルな心というのも、一部の人にはある。いや、私も現実に分泌物を口に含まされるのは気色が悪いが、そんなシーンに妙なむずがゆい性的興奮を感じるのは否定できない。

「変態女課長 陵辱ぶち込む」の濡れ場は、ほとんど分泌物を口の中にねじこむエロさで成り立っている。冒頭の男は、樹林れもんを指で犯し、たっぷり愛液のついた指を、彼女の口中に突っ込みしゃぶらせる。

この妙なエロさは、団鬼六のSM小説に通底するエロさである。それは、人の羞恥心と連動し、想像力が加わって高まっていく心理的エロスでもあるのだ。女が、自分の体液を口中に突っ込まれるのは、単純に快感にはなるまい。チーズ臭くなった女陰の匂いは、女にとっては悪臭以外の何物でもない。しかも、その悪臭は自分が発しているものであり、それを男にも嗅がれていることで、二重に羞恥心が増幅される。これは一つの例であり、人の分泌物を口中に突っ込むという行為は、そんなアブな感覚の性的興奮なのである。「変態女課長 陵辱ぶち込む」の濡れ場は、このアブな性的興奮に徹しているのが凄い。

冒頭の濡れ場は、この後、男が女の口中を狙っての顔射となり、最後はそれを小便で洗い流される屈辱で終わる。アブな性的興奮を狙っているというのはそういうことだが、それはこの後の濡れ場でも徹底している。金を叩きつけて去っていく男、一人残された樹林れもんは、身支度を整えて夜の街路に出る。しかし、露出狂のごとく胸をはだけたまま歩いていく。行き交う通行人は、時にビックリし時に気味悪そうに、樹林れもんとすれ違っていく。

このすれ違う通行人が、我々エキストラの役割である。ロケ場所は荻窪のアーケードで、午後8時集合だった。これに先立って国沢実組は、阿佐ヶ谷で路上ロケを敢行しており、終わり次第に合流とのことであった。阿佐ヶ谷のシーンがどんなものかについては、作品に触れていく中で後述する。

しかし、映画撮影というのは順調にはいかないようで、午後8時を遙かに過ぎても荻窪での撮影は大幅に遅れるとの連絡のみで、待てど暮らせど撮影隊は現れない。軽く飲んで時間を稼いだり、コーヒーショップにしけこんだりで間をもたせ、結局荻窪での撮影開始は午後10時を回っていた。

撮影シーンは、前述したように簡単なものである。ただ、ゲリラ撮影であるから、一般通行人も頻繁に歩いている。時に「撮影ですので…」と、スタッフが一般の人をちょっと止めると、かえって関心を持たれたりしてややこしいことにもなる。近くに交番もあるし、撮影隊の人も気が気じゃなかったであろう。もちろん、樹林れもんは胸をはだけておらず、胸のアップは別撮りだ。我々エキストラ連は、胸がはだけられてるつもりで、ビックリしたり気味悪がったりしてすれ違うのである。

そんなこんなで、撮影はスピーディーに進められ、約1時間半程度で終わった。エキストラ連は、終電車までの1時間程度、飲んで懇親の時間が持てたほどである。でも結果的に、開始は午後10時過ぎでよかったと思う。これが、当初の予定どおり午後8時開始だったら、通行人の数も多く、かえって大変だったのではないだろうか。エキストラ連は、毎度おなじみの面々でセミオールスター(?)といったところだが、ほとんど夜のアーケードの自然光での撮影なので、まず顔は判別できないと思ってもらった方がいいでしょう。

冒頭に記したように初号試写は10月28日(金)、私はこの日は神保町シアターで未見の「大番」4部作イッキ観を予定していた。しかし、こうなれば当然ながら初号を優先する。「また観られると思うところに映画との恋愛関係がある」との永六輔の名言を信じて、「大番」鑑賞は初作のみに止め、試写会場の国領・東映ラボ・テックに向かう。都営新宿線の神保町駅で乗車すると、笹塚で京王線に相互乗り入れすることになり、地の利もバッチリだ。

国領の駅に早目についたので、ベンチで「SFマガジン」を読んで時間を潰し、30分ほど前に東映ラボ・テックの応接室に入る。ところが3人くらいしか人がいない。知っている顔はない。池島組初号試写の時には、いくら初号イベント化の趣きがある池島組であるとはいえ、30分前のこんな閑散はない。日を間違えたのかな、国沢組はこんなものなのかな、とやや不安になってくる。

しばらくしたら、今回のエキストラの元締めmixiネーム「キルゴア二等兵」さんがやってきて、ホッとする。けれど同じエキストラ仲間の映画ライター・中村勝則さん、鎌田スタジオ所長(?)・鎌田一利さん、ピンク映画大賞スタッフにして現代映像研究会会長の松島政一さんと、ことごとく本日は所用で欠席と、「キルゴア二等兵」さんから告げられる。今日は寂しいなとおもっていたら、ザ・グリソムギャングの企画スタッフの一員・mixiネーム「東京JOE」さんが登場する。

ところが、16時の開映間近になって、続々と大物集結に至る。まず、脚本家の小松公典さんが現れる。この日、試写鑑賞がてら池島ゆたか監督と落ち合い、次回作のミーティングをするそうだ。ということで、マネージャー格(?)のmixiネーム「ヒデ」さんも同行だ。当然ながら、池島ゆたか監督も現れ、盟友の後藤大輔監督まで同行している。

「変態女課長 陵辱ぶち込む」には、俳優として荒木太郎監督も出演しているので、当然ながら初号試写にも顔を見せた。これに国沢実監督と主演女優陣が加わった打ち上げ(ミーティングを終えた池島ゆたか監督も途中から合流)は、もう大盛り上がり!当初にラボ・テック応接室に入った時のもの寂しさがあっただけに、この落差には大いにもうけた気分になった。

寄り道はさておいて、本筋の映画の話にもどることにしよう。路上売春で男を漁り、露出狂のように胸をはだけて街を徘徊する樹林れもんの昼の表の顔は、バリバリのキャリア・ウーマン、仕事人間の熱血女課長だった。一夜が明ければ、部下に「お粗末だ!」と作成してきた提出書類を叩きつけ、「派遣は使えない!」とまだ派遣されて間もない愛純彩を罵倒しつくす。ブルーカラーのガードマン村田頼俊などは、恐れ多くてまともに口も聞けない。

実は、この村田頼俊は不良社員である。遊ぶ金を節約するために、出張デリヘル嬢の伊沢涼子を夜間会社に呼び出して、宿直室でプレーに及んでいる。そのデリヘル嬢が伊沢涼子、ここから新たなドラマ展開が始まる。(ちなみに村田頼俊と伊沢涼子のプレイだけが、唯一この映画でアブ度の無い真っ当な濡れ場であった)

路上で客を漁る素人の樹林れもんをみつけたデリヘル嬢の伊沢涼子は、縄張り荒らしとして難詰しトラブルになる。このあたりの客引きシーンや二人の口論シーンが、我々が出演した荻窪のロケに先立った阿佐ヶ谷ロケということのようだ。

ここから、事態は怒涛の展開となる。例によって村田頼俊が伊沢涼子を宿直室に引き込んでプレイに及んでいる時に、残業中の樹林れもんと鉢合わせしてしまう。これによりガードマンの村田頼俊も、仕事人間女課長・樹林れもんの夜の裏の顔を始めて知ることになる。

ここからは、さらに驚愕の展開になる。これをさらに陰から目撃していたのが、仕事が処理できず残業していた派遣社員の愛純彩だった。ここで、おどおどした気の弱い派遣社員の愛純彩は豹変する。彼女は表の顔とは真逆に、夜の顔は完全なS的資質の持ち主だったのだ。さらに愛純彩は、サディスティツクに部下を怒鳴りつける女課長・樹林れもんが、夜の顔では男に屈辱的売春をして興奮するM資質であることを見抜いていたのである。

閑話休題。ここで、打ち上げでのマイミク仲間の人とのSM論議を紹介しておきたい。その人は、自分の部下に対する仕事ぶりは、映画の中の女課長とよく似ているともらした、でも、自分はM資質であると話していた。

私の管理職時代の部下に対する接し方は、この映画の女課長の対極であった。部下に対する指導方としては、「百叩き」と「ほめ殺し」がある。要はマイミク仲間もこの映画の女課長も「百叩き」タイプだということだ。私は徹底した「ほめ殺し」タイプである。ただし、冒頭の私の分泌物の口中への押し込み談義で類推できるように、こういう嗜虐的嗜好に性感を刺激される私は、完全S資質であると思う。表の顔と裏の顔で、SとMの資質が逆転するというのは、興味深いところだ。

さらに余談になるが、私が「ほめ殺し」タイブの管理職になったのは、理由がある。私が仕えた上司で、徹底的に「ほめ殺し」が巧みな人がいた。「百叩き」タイプは、提出された完成書類が気に入らないと、「何だ!これは!ボケ!!」と書類を叩きつけ返される。「ほめ殺し」の人はちがう。「ウム!これは素晴らしい!良くできた!!ご苦労さん」と、まずこう来る。ここから先が怖い。「しかしネ、君。さらに工夫してここをこうして、さらにここは手間ひまはかかるだろうがここはさらにこのように…」なんて言われて、いい気分になったのはいいが、結果的に「百叩き」の上司よりもさらにコキつかわれることになってくるのだ。この時、これはいい手だと私は思った。以後、私は部下を持つようになったら「ほめ殺し」で、より多く部下をこき使うことにした、って俺、そうとう人が悪いよね。

話を映画の本筋にもどす。樹林れもんと村田頼俊の弱味を握った愛純彩は、豹変してS女の資質を剥き出しにする。樹林れもんは夜の顔を知られた弱味があり、村田頼俊は神聖な職場である宿直室をプレイに使っていた弱味がある。二人は縛りあげられ、伊沢涼子も交えた3Pを強要される。

この3Pもアブ感覚いっぱいだ。真紅の麻縄の緊縛プレイという絵柄的にもアブ感覚たっぷりである。伊沢涼子は男の一物をしごきあげ、グッショリ濡れた指先を、樹林れもんの口中に突き込みしゃぶらせる。村田頼俊は射精に至っていないから、味あわされているのは、いわゆる男のガマン汁ということだ。樹林れもんにとっては、何ともおぞましい経験だろう。こういうあたりは、私の嗜虐嗜好を刺激し、性的にムズムズっと来る。

こうして、樹林れもんと愛純彩は、お互いの資質を全開にして、SMプレイにのめり込んでいく。昼の職場と夜のプレイで、SとMが逆転する眺めが、何とも楽しい。しかし、ある時期から樹林れもんは、愛純彩の夜の誘いに応じなくなる。帰宅する樹林れもんの後をつける愛純彩。そこで目にしたのは、以前のように街角で男客を誘う樹林れもんの姿であった。自分では満足できないのかと詰め寄る愛純彩。あなたとの関係に慣れ過ぎてしまった、私は行きずりの命の危険もあるような相手との禁断の情事でなければ燃えないと、樹林れもんは告白する。このあたりは、「東電OL殺人事件」の一つの真実を、言い当てているような気がする。

それならば殺してやると、樹林れもんの首を絞める愛純彩。苦しさの果てに樹林れもんは、盛大な失禁放尿にいたる。その臭気に愛純彩の殺意は萎えてしまう。ここにも人間の分泌物を媒介にしたアブノーマル感覚が溢れかえっている。

ここから先も、さらに意表をついた展開になる。樹林れもんと愛純彩は、あてもない放浪の旅に出る。人里離れた林の中で、自殺未遂の荒木太郎を発見する。二人はその男と3Pに狂う。口中に含んだ男の精液が女から女へと口移しされる。ここでも分泌物を口中に入れるムズムズしたおぞましさの性的刺激が満開だ。そして、これから先果てしなく二人の男漁りの放浪が続くであろうとの、ファンタスティックなエンディングで映画は幕を閉じる。

私の資質は、このアブ感覚にずいぶんムズムズさせられたが、これに感ずる人は少数だなと思った。この映画は、アブ感覚をエンタテインメントに昇華させる意志は、全く無いのだ。だが意外にも、それほどアブだと思った人もおらず、肯定的評価の人が多かった。アブだけど爽やかとの評もあった。いずれにしても国沢実監督の異色の佳作と言えるだろう。
2012年ピンク映画カタログ−1

新年の第一回であるが、まずは昨年の落ち穂拾いを紹介しておきたい。

2011年11月17日(木) ●上野オークラ劇場
「痴漢電車 聖子のお尻」 1985年公開
監督・滝田洋二郎 脚本・高木功,片岡修二 主演・麻生うさぎ,彰佳響子

私が未見の期待の滝田ピンク、ポスターによると大変なミステリーらしい。しかも脚本は鬼才の高木功に加え、連名で「地獄のローパー」を筆頭とする早乙女宏美SMシリーズの監督・片岡修二まで加わっている。期待し過ぎてもし過ぎることはない。

と、期待が大きかったせいか、ちょっと肩透かしだった。確かに密室殺人のトリック再現などは、本格ミステリーの仕掛け十分だが、この手は前年1984年「痴漢電車 下着検札」の二番煎じに過ぎない。むしろこの映画の楽しさは、黒澤明「天国と地獄」を軽くパクったりする軽い乗りの楽しさといえよう。そう、割り切って観れば、これはこれでかなり面白い。

まずは、かい人21面相のグリコ脅迫事件という時流を、早速に取り込んでいるのが大いに楽しい。また、脅迫による金銭受け渡し場所を、「天国と地獄」をセコく再現するのも笑わせてくれる。黒澤版では新幹線のこだまだが、滝田版は小田急線。金を詰めるものが、黒澤版がスマートなアタッシュケースなら、滝田版は米俵。それを落す場所が黒澤版が大井川なら、滝田版は多摩川。すべてをセコくパロッてくれるのである。

多摩川河原に米俵を落すシーンは本格的ロケだ。もちろん、黒澤映画のように車両を借りきれるわけもなく、完全なゲリラ撮影だろう。この他にも、電車内をチンドン屋が練り歩いたりやりたい放題で、とてもゲリラ撮影とは思えない。出演者の一人の池島ゆたかなどは、網棚の上に寝そべったりする。(前年の「痴漢電車 極秘本番」で蛍雪次郎演じる忍者姿の猿飛佐助が、やはり網棚に寝そべった前例はあるが…)小田急全面協力が謳われても不思議はない程、自由自在な画面創りなのだ。これがゲリラで許されたのだから、大らかな時代だったということだろう。

お話は軽い乗りのしろもので他愛ない。むしろ、その乗りを楽しむべき映画だろう。宮崎県農協理事長の池島ゆたかはササニシキの市場独占を目論んで、かい人21面相を騙ってコシヒカリに毒を入れたと脅迫電話をかける。アタフタする米屋の主人が、映画評論家の秋本鉄次という遊びも楽しい。遊びといえば、TVリポーターとして片岡修二も顔を出している。

ところが、宮崎県農協の方にもかい人21面相から、1億円を出せとの脅迫電話がかかる。犯人は農協の元経理担当で、使い込みで退職した江口高信とあっさり割れるが、問題は彼が密室で殺害され、1億円はどこにも無かったということだ。現金輸送の協力を頼まれたのが、何故かチンドン屋の蛍雪次郎で、唯一の部外者ということから1億円強奪犯人の嫌疑をかけられ、無実を立証するために犯人探しに奔走するとの、何とも人を喰った展開だ。このあたりのファジーな設定からしても、これは軽い乗りの映画で本格ミステリーとは程遠い作品だと言える。

重要な参考人として、殺された江口高信の恋人の彰佳響子が浮上する。彼女と蛍雪次郎は、以前に痴漢がらみで遭遇した。蛍雪次郎は、彰佳響子の太股のつけ根にほくろがあることを確認している。(あれ、こんなところにクリトリスが?とそそっかしい勘違いが何ともおかしい)そこで蛍雪次郎は、電車内で痴漢をしまくって、彰佳響子を探すことになる。前年の「痴漢電車 下着検札」のマン拓もそうだが、何でもかんでも痴漢に結びつけてしまう破天荒な滝田ピンクである。

真相もあっけない。農協の現在の経理担当で池島ゆたか理事長の愛人の竹村祐佳が、元経理担当の江口高信と示し合わせて企んだ犯罪だった。江口高信の使い込みの張本人も竹村祐佳であり、今回の絵図を引いたのも彼女だった。そして邪魔になった江口高信を殺害し、1億円を独り占めにしたわけである。

蛍雪次郎と彰佳響子は、自分の無実を晴らすために協力して罠を張り、ついに竹村祐佳に殺人未遂を犯す状況に追い込み、密室トリックを再現させる。このあたりの展開は、前年の「痴漢電車 下着検札」の二番煎じであることをさておけば、なかなか楽しませるのはまちがいない。

痴漢描写を別にしてもエロい描写もタップリだ。蛍雪次郎にはチンドン屋仲間の麻生うさぎの愛人がおり、当然からみはある。その他にも竹村祐佳=池島ゆたか、彰佳響子=江口高信と、からみカップルに事は欠かない。そして、滝田洋二郎はこっちのエロい盛り上げも巧みである(多分?)。なぜかといえば、陰影の深い照明で女体のヌード曲線をエロチックに盛り上げている画面創りだと思うのだが、上野オークラ劇場のディジタル上映がひど過ぎるのだ。多分、味のある濡れ場だろうと想像できるだけで、実際の画面はまっ黒け、何が何だかさっぱりわからない。

新東宝作品のディジタル上映は、改善されつつあるとはいえ、今回のソフトはひどかった。これは劇場よりも新東宝の問題だろう。まさかVHSからディジタルソフトを起こすということをやったんだろうか。はっきり言って、これは木戸銭の取れる映像ではないことを、ここで言明しておきたい。ピンク映画で肝心の濡れ場が全然見えなくてどうする!と、声を大にして言っておきたい。冒頭に記した「期待外れ」のかなりの部分は、実はこの映像の粗悪さにあるのかもしれない。

「女歯科医 ヌクのが上手!」(旧題「美人歯科 いじくり抜き治療」) 2008年公開
監督・国沢実  脚本・樫原新七  主演・椎名りく,伊沢涼子

私が名付けるところの「金太郎飴映画」というのがある。要するに濡れ場の方便でストーリーが転がり、お話はそのための繋ぎに過ぎない。どこから見始めてもどこでやめてもよく、どこを見ても似たような濡れ場の顔が現れる。典型的なのがXces=新田栄映画である。言ってみれば「ピンク」映画というわけである。実はピンクの王道はこちらなのかもしれないが、私は1時間通してドラマを観て面白さを感じるピンク「映画」の方が、好きなのである。

監督・国沢実=脚本・樫原新七(樫原辰郎の新たな変名らしい。しかし、変名の好きな人ですなあ)、私をピンク映画の魅力に惹きこんだ黄金コンビである。この期待の二人が、まさか「金太郎飴映画」を造るとは思わなかった。ちょっと唖然とした。前に池島ゆたか=五代暁子コンビが、「半熟売春 糸ひく愛汁」という大力作の後に「未亡人民宿 美熟乳しっぽり」という「金太郎飴映画」を造って、私は唖然としたが、案外たまにはこういう典型的ピンクの王道をやってみたいとの気持が、作家側にはあるのかもしれない。

では、映画の内容である。歯科医院が舞台だ。歯科医師は伊沢涼子、助手は歯科衛生士受験勉強中の椎名りくだ。伊沢涼子は28歳にもなるがまだ処女だ。歯科の治療に耐える男の患者の表情に興奮するS的体質である。だから治療に集中できず腕はよくない。来る患者は美貌目当てかM男ばかりである。ということで、時に治療しながら情事を妄想し、時に本当に患者にまたがっちゃったりと、濡れ場のネタには事欠かない。

伊沢涼子の妄想相手になる患者が村田頼俊、妄想からプレーに至り最後は結婚に至る患者が細井芳行、助手の椎名りくの彼氏は久保田泰也、しかし、久保田泰也はとんでもない男で会澤ともみと二股をかけている。ということで、妄想がらみも含め、伊沢涼子=村田頼俊、伊沢涼子=細井芳行、椎名りく=久保田泰也、会澤ともみ=久保田泰也と、濡れ場の順列組み合わせカップルに事は欠かない。浮気男の久保田泰也を女二人がこらしめるSMチックな見せ場もあり、ここは伊沢涼子=久保田泰也=椎名りくの3Pである。

まあ、それだけの「金太郎飴映画」だ。強いて言えば、伊沢涼子が歯科医の医療器具をオナニーに使うこと、そのシーンでは二重人格のように一人芝居で、いやらしい女とそれをたしなめる女という形で、伊沢涼子が演じ分けてみせるあたりが、国沢実=樫原新七のブッ飛びコンビの片鱗が伺える程度か。

「夏の愛人 おいしい男のつくり方」 2011年公開
監督・脚本・工藤雅典  主演・星野あかり,酒井あずさ

前作の冒頭で話題にした「金太郎飴映画」であるが、その専売特許が新田栄作品に代表されるXces映画であった。私の好みではなかったが、最近のXcesは大幅な軌道修正が見られ、天の邪鬼なもので、私は過去のXcesにある種のなつかしさを感じている。

数年前のXcesは、年20〜30本の大量製作だった。そして、2本同時封切というのが嬉しかった。この頃のピンク映画大賞投票資格は現在の20本以上よりハードルの高い25本以上だった。年末になって投票資格ゲットのための本数稼ぎに、Xces2本新作を一気に見られる封切は、実に美味しかった。ただ、それは本数稼ぎに美味しいというだけのことである。

封切は新橋ロマン劇場が多かったが、当然ピンク映画館だから旧作が一本併映につく。これもXces作品のことが多かった。これはもう拷問というか、地獄に近い3時間であった。フラリと入り、濡れ場のいくつかを見たらフラリと出ていく「金太郎飴映画」を、『1時間通してドラマを観て面白さを感じるピンク「映画」の方が、好き』なんてのたまわっている私が3時間つきあうのだから、拷問地獄になって当然である。「投票資格ゲットのため」なんて、動機が不純なのだから、それも天罰というものだろう。

だが、いまやXcesも年数本、今年の正月作品「色恋沙汰貞子の冒険 私の愛した性具たちよ…」なんて、流血・殺人御法度のいわゆるOPコードから照らすと、とんでもないスプラッタの意欲作だった。今や新東宝はエロチックVシネ発売前のショーウインドウ化し、Xcesは本数激減で、ピンク映画=OP映画の趣きになってしまっているので、ゲリラ化したXcesへの期待は、私は大である。

前置きが長くなった。さて、Xces最新作(今年封切2本目)「夏の愛人 おいしい男のつくり方」である。まずポスターがお洒落だ。ピンク映画のポスターといえば、若手女優がアラレもない痴態で、エロっぽさムンムンというのが定番だが、「夏の愛人」のポスターはバストトップは出ているとはいえ、女性も観られるソフトポルノ的な品の良さなのである。

編集者の愛人だった星野あかりが、かつては売れっ子だったが今は落ち目の作家の那波隆史に次第に心を寄せていく顛末が、ポスターどおりソフトポルノ的にお洒落チックに綴られていく。デビュー間も無く受賞したものの、世間と迎合できない繊細な神経の作家を那波隆史が好演する。

設定は今年の夏といったことのようで、日本は電力不足でやたらと停電する。それに備えて那波隆史は部屋中に蝋燭を立てていて、その灯りの中で、濡れ場がファンタスティックにロマンチックに展開する。実際は今年の夏は各種対策の結果で停電はなく、仮に停電があったとしても計画停電で、突然電気が止まることはありえない。まあ、このあたりはファンタジーのパラレルワールドと思えばいいのだろう。

ソフトポルノとしては、可もなく不可もなくという仕上がりになっている。しかし、今や私にとって期待のXcesなのだから、もう一つブッ飛んでほしかったと思うのが本音である。


ここから新しい年2012年に突入です。

2012年1月7日(土) ●上野オークラ劇場
今年の「ピンク映画初め」は、1月7日(土)の上野オークラ劇場である。「痴女天使 あふれる愛汁」「痴漢義父 息子の嫁と…」「痴漢電車 ゆれ濡れる桜貝」の3本立てである。

「痴女天使 あふれる愛汁」は新版改題作品で、原題の封切時タイトルは「萌え痴女 またがりハメ放題」。私はすでに観ているが池島ゆたか=五代暁子の監督=脚本コンビらしさに溢れた楽しいファンタスティック・エンタテインメントである。

「痴漢義父 息子の嫁と…」は後藤大輔監督(脚本も)の、認知症の義父と嫁の関係を切なく描いた秀作である。「夜明けの牛」のタイトルで、各国の映画祭で好評の折り紙付の作品だ。

最後の「痴漢電車 ゆれ濡れる桜貝」は、女優7人出演の華やかなオールスター、年末封切の正月映画新作だ。この作品には、私もエキストラ出演しており、初号試写を観せていただいた。

ということで、実はこの3本立はすべて観た作品ばかりなのだが、それでも上野オークラ劇場に足を運んだのは、新春舞台挨拶第1弾!!が盛大に開催されたからだ。出演女優のうち佐々木麻由子さん以外の6人、桃井早苗さん・中森玲子さん・日高ゆりあさん・倖田李梨さん・冨田じゅんさん・松井理子さんに加えて、後藤大輔監督・池島ゆたかプロデューサーの揃い踏みである。これは行かぬわけにはいかない。「痴漢義父 息子の嫁と…」の後半あたりで入館し、かねてから再見したいと思っていた「痴漢電車 ゆれ濡れる桜貝」を鑑賞後に、舞台挨拶を拝見した。

さらに当日、中森玲子さんのAV女優仲間の村上涼子さん・五十嵐しのぶさん、主演男優の小滝正大さんも飛び入り参加、新年にふさわしい盛会となった。場内も満席に加え立ち見もビッシリ、文字通りの超満員であった。この後、ほとんどのゲストと客席のファンも加えての大新年会に至る。こうなるのは必然性があるのだが、そのあたりの顛末は、後に紹介する「痴漢電車 ゆれ濡れる桜貝」評をご参照いただきたい。それでは、昨年10月14日(火)初号試写直後に書いた映画評を紹介しよう。

2011年10月4日(火) ●東映ラボ・テック
「痴漢電車 ゆれ濡れる桜貝」 2011年公開
監督・脚本・後藤大輔  主演・中森玲子,桃井早苗

私のエキストラ出演作品である。ということで初号試写を観させていただいた。クレジットはSpecial Thanksの一人として「須磨要」とされている。「周磨ッ波」に加えて、新たな芸名の誕生である。でも、多分誤植なんだろうなあと思って打ち上げの席で確認したら、後藤大輔監督の言によると、ピンク映画出演に実名を使われるのが嫌な人もいるだろうから、エキストラの本名は少々変えることにしている、とのことだった。ただ、短時間のクレジットだったので、他の知人がどんな変名になっていたか、あるいはなっていなかったのかは確認できなかった。ある人に聞いたところでは、名前の漢字がひらがなになっていたそうだ。

でも、同じ打ち上げの席で倖田李梨さんが、「私、にんべんがあるんですけど」と冗談混じりに拗ねていたから、誤植の可能性はやはりありである。私もクレジットを確認しそこなったが、「倖」田が「幸」田になっていたらしい。でも、私の方も誤植だとすると、私の読み方を「すま」と思った人の、変換ミスなのだろうか。「周」を呼び出す時に「す」と入力する人もいるのかな?どうでもいい話であるが、いろんな話題があることは、楽しいことである。

映画に関するデータについては、私は、クレジット上のものを正規と考えている。例えば「釣りバカ日誌」シリーズの副題は、キネ旬などの作品リストでは明記されているが、映画タイトルには出ていない。よって私は、キネ旬のリストで「釣りバカ日誌19 ようこそ!鈴木建設ご一行様」となっていても、「釣りバカ日誌19」までが正規のメインタイトルだと思っている。ただ、ピンク映画の場合は、映画タイトルが正規とも言い切れないようなのだ。結構クレジットにも誤記があることを、ピンクに詳しい人から耳にしたことがある。

さて、そんなどうでもいい話はさておいて、映画の内容そのものに入っていこう。とは言っても「痴漢電車 ゆれ濡れる桜貝」は、極めて語りにくい映画なのである。いくつかのキーワードがピースとして散りばめられているのだが、それが私の中では一枚の絵として構築されない。そんな感じの映画なのだ。ある意味では後藤大輔監督が、あ、「野川」をまたやっちゃったな!という感じなのである。そういえばこの映画にも、野川そのものがしっかりロケされて、映っておりました。

シナリオタイトル「野川」の公開題名は「妻たちの絶頂 いきまくり」、幻想と現実と虚構が時制を無視して錯綜し、虚実皮膜がテーマだろうと思われるが、何が何だかさっぱり判らない映画でもある。私はこれを「映芸マンスリー」で観た。「映画芸術」誌の主催イベントであるから、難解な映画にも十分免疫を有する客層である。でも、半数は口をポカンと開けていたようだった。上野オークラでこれを観た観客は、どんな顔をしていたのだろうか。あるいはピンク映画館は三本立だから、一本位はこんなのがあってもスルーしたのかもしれない。でも、後藤大輔監督(脚本も)ご本人の弁によると、「あんな判りやすい映画はない」そうだから、世の中は面白いものである。

「野川」の暴走で、後藤大輔監督は監督を干されたとも小耳にはさんだ。でも、今年に入ってから、池島ゆたかプロデュースのOP映画の舞台で、華々しく復活した。ついに正月恒例の「痴漢電車」ものまでまかせられるに至ったのである。そう、「痴漢電車 ゆれ濡れる桜貝」は、2011年の年末封切の2012年正月映画なのだ。

そんな晴れ舞台で「あ、またやっちゃったな」てなことをするんだから、さすか後藤大輔監督は鬼才である。前作の「多淫な人妻 ねっとり蜜月の夜」で、時制を複雑に前後させながら、観客に何の混乱も与えずストーリーを語り切ったエンタテイナーとしての信頼感を、ここでまたフイにするのかいなと、老婆心ながら心配したのである。

ただ、「痴漢電車 ゆれ濡れる桜貝」の名誉のために言っておくが、今回は「野川」と異なり、後藤大輔一流の映像パワーは相変わらず健在だし(本人は打ち上げで、映像をほめれらるとカメラマンがほめられているだけで、俺のことと思えないなと、冗談混じりに苦笑していたが…)、ちゃんとした華やかな正月映画になっている。打ち上げの席である人が、よく判らないところもあるけれど何度も見返したい、と感想を述べていた。そこが「野川」との違いである。とにかく華やかで映像にパワーがあるのだ。

まず正月映画らしく、女優7人揃い踏みというのがいい。最近は予算も厳しいせいか、大体3人が定番だ。この映画もメインキャストは中森玲子・桃井早苗・佐々木麻由子と3人だ。日高ゆりあは脇キャラではあるが、一応濡れ場と痴漢遭遇シーンもあるので、準カメオ出演といったところか。後の倖田李梨・冨田じゅん・松井理子は、ヌードも濡れ場もないほぼカメオに近い出演だが、それでもそれなりに印象的に健闘し、いわゆる一般的カメオとは一線を画している。

かてて加えて、私を含むエキストラの面々も、常連のメンバーのオールスター(?)といった趣きなのである。正月痴漢電車ものは、やはり乗客が派手に沢山いた方がいい。しかも、以前に端役としてクレジットされた者も、私をはじめ何人か含まれており、エキストラと言ってもそれ以上、でも端役未満といったところの、猛者(?)ばかりである。

後藤大輔監督の演出は、私は初見参だったが、やはり凝りに凝る。この映画は現実とも妄想ともつかぬ電車内のシーンがあるのだが、顔馴染みのメンバーとあって、単なるエキストラ以上の指示が飛ぶ。電車のセットに入った途端に中森玲子さんを取り囲んでの集団痴漢シーンである。胸を揉む係の人は手が映るからちゃんとやらなきゃいけないだろうが、下腹部に手を差し入れる者なんて、映りゃしない。でも、後藤監督は「女優さんに了解とってるから本気でやって!腕の伸び方でわかっちゃうよ」なんて、叱咤が飛ぶ。本当かいなと思いながら、仕方ないから(喜んで?)私もスカートの中に手を突っ込んでスキャンティーをまさぐる。

カットのかかった後の中森玲子さんの一言は、さすが大型新人(AVでは超人気スターだそうだが、ピンク映画は初めて)ならではだった。「男の人って、触り方にも一人一人違って個性があるのね」と来た。いや〜参りました。てなことで、次のカットでは私は胸の方の役回りである。これは、真面目にやりました。

「胸担当」の面々は、役得をタップリ楽しんだようなことを、得々と語った人もいますが、私はそういう気持はゼロでした。というのは幸か不幸か「奴隷船」の金田敬監督の演出風景を見てしまったからです。

「奴隷船」のエキストラ参加体験は、私にとって結構インバクトがあった。アフレコ撮影だから、カメラが廻っていても情容赦なく監督の叱咤罵声が飛ぶのである。縛り上げられた愛染恭子さんの胸を、サディスティックにいたぶるのが吉岡睦雄さんの役どころなのだが、何たってピンクの重鎮の愛染さんが相手だから、吉岡さんにだって躊躇がある。「吉岡くん!遠慮してるの丸見えだよ!何やってんの!!」と、さらに激励が飛ぶ。吉岡睦雄さんは意を決して荒々しく手の動きを始めたら、監督から「駄目だよ!乳首隠してどうするの!」って、いろいろ言われて、多分きっと吉岡さんの頭の中って真っ白になっただろうなあ、と思う。意に反して激しいいたぶりはやる、でも観客に見せることも頭に置く。これって、大変なことである。

私はそのことを思い出していたから、中森玲子さんの胸の感触だけを、役得とばかり楽しんでるだけではいけないと思った。そこで、これに関連するエピソードとして、快楽亭ブラック師匠のピンク映画初体験のエピソードを思い出した。

快楽亭ブラック師匠は、ピンク映画初出演の濡れ場で、女優さんのスキャンティーの中に手を突っ込んだら、すぐ本気で愛撫を始めたそうだ。そこで監督の駄目ダシが出た。「師匠!何、やってんですか。そんなのエロくないですよ!手を突っ込んだら、結んで開いてをやってください」とのことだった。確かにその方が、見てる者にとってはエロく見える。

そう!ホントにエロいことと、エロく見えることとはちがうのである。私も中森玲子さんの胸を揉んで痴漢するところは、いかにエロく見えるかということを真剣に考えて、手の演技をした。結果は初号試写で確認した。どれが私の手かなんて、私以外には判別不能だろうが、まちがいなく私の手の動きはエロかった。これまでの端役体験成功!と、心の中で自画自賛したのであった。

それから、私が股間をまさぐっていた時の表情、いや〜我ながらヤラしい顔の親父でしたねえ。後藤大輔監督が、触っている手が映ろうが映るまいが、中森玲子さんの這いずりまわる手を、「みんな!真剣にやって!」と叱咤していたのは、エキストラ協力者へのサービスかと思ったが、そうではなかった。確かに私を含めて、全員の表情にエッチ感が横溢していた。ホントに触っていた成果だろう。これが後藤演出マジックというものか。

まあこんな感じで、電車全体がエロチックな妄想・幻想空間に変じるカットが続くのである。所在なげに乗客の全員がエッチ気分になるカットが続く。後藤大輔監督の凝ったカットは留まることをしらない。低い台車に乗せたカメラで、電車乗客の下半身をモロ狙いする。スラックスの男連はどうってことないが、女優陣は下着丸見えである。

客席でのエッチ気分の乗客もカメラがなめていく。冨田じゅんさんなんて、ガバッと大股開きでパンチラならぬパンティー丸出しだ。さらに気分が乗ってとんでもない行為に至る。となりの乗客の私の股間をまさぐりだしたのである。富じゅんさん、乗り過ぎでしょ!

打ち上げの席で、それが誇大に冨田じゅんさんから披露される。「活弁さん(私のmixiネームは「活弁オジサン」なので、一般にこう呼ばれる)、テント立ててるから触っちゃった」。オイオイ、それないよ。私は冨じゅんさんの突然の大胆な行為に動?して、それどころじゃなかった。でも、「動?」とか自分の心に関係なく、肉体が反応してしまうって時代が、若い頃には確かにありましたねェ。そうならないのは、分別ができたということか、いや間違いなく確かな肉体の衰えということなんでしょう。

富じゅんさんのご披露に対して、「私、テントなんてありえません!」と、前記のコメントに準じて反論したのだが、悲しいかな誰も共鳴しない。「そうか、そういう瞬間をジックリ撮りたかったのに、その時点でちゃんとテントを教えてよ」と後藤大輔監督にも突っ込みを入れられてしまった。そこでmixi仲間の「だいさく」さんが、冨じゅんさん大股開きとその手が私の股間に伸びている写メが紹介されたから再度盛り上がり(「だいさく」さん、ホントによく撮ってるね)、でも「テント」はありません。私、淡白ですから…と言うと、また笑う奴が多いが…。

●1月7日(土)の再見時に確認したら、冨じゅんさんの大股開きはしっかり映っていましたが、私の座席の前には別のエキストラ乗客が立っていて、確かに股間に伸びた手は映っていませんでした。

貸しスタジオに造り置きの電車内セットは、案外にショボい。しかし、完成作品を観ると、結構ロケの電車の外景とうまくミックスして、季節感がよく出ていた。スタッフが苦労して、セットの窓外の照明に変化をつけたり、雪を降らせたり、花ビラを散らしたりしていた効果も大だろう。これらが、電車内を鮮やかな幻想エッチ空間に変貌させていた。後藤大輔映像マジックは、ここでも健在だ。

何か、作品の本質に関わらないどうでもいい話ばかりしてますねえ。もう少し、作品に則して書きましょう。といっても、冒頭で記したように、いくつもあるキーワードがピースとしてビッタリ嵌らず、それ故に印象があいまいで、現時点ではなかなか作品に則して語りにくいのも確かである。前に、打ち上げの席で「もう一度観たい」と言っていた人のことを紹介したが、私も封切時に再見することになるだろう。「淫行病棟 乱れ泣く白衣」の時にも、初号試写直後の評と封切時の再見の時の評の二つを紹介したことがあったが、「痴漢電車 ゆれ濡れる桜貝」もそうなるかもしれない。

「痴漢電車 ゆれ濡れる桜貝」の公開時の来年1月7日(土)に、すでに上野オークラ劇場で舞台挨拶が計画されている。女優陣も7人のオールスターだし、エキストラ常連もオールスター(?)である。多分、プロもアマもこの日は大参集して、大新年会となるであろう。映画自体も新年会映画という華やかさである。

池島ゆたか関連作品(今回はプロデューサー)の打上げには、あるルールがある。宴も中盤に入ってくると、全員が必ず今観た映画について、何か一言言わねばならないのだ。それが池島流リサーチであり、関係者でなくても初号招待いただけるのだから、それに応えるのが我々の礼というものでもあろう。いわば、キネ旬の試写室のゲスト付き試写会や阿佐ヶ谷映画村で、白井佳夫さんがゲシュタポ方式と称していたあれである。

このゲシュタポ方式で、席の並びから私の番が廻ってきたのは中程である。前述したように、私の前に「何度も観直したい」と発言した人がいたのでそれを受け、私は「私も何度も観たいと思います。年頭の舞台挨拶にも行きます。その時は、ここにいる人ももう一回集まって、新年会でまた盛り上がりましょう!」とブチあげたら、「今から閉めないでよ」と突っ込みが入ってしまった。でも、この新年会映画、今から正月が楽しみだなあ。

やっぱりなかなか、作品の本質に入ってこない。いや、キーワードのピースがうまく嵌らないから、断片的なことしか言えない。ただ、ひとつひとつのピースは、ひどく魅惑的なのは確かだ。

映画の一つのピースは、処女の女優の卵の桃井早苗と、ほとんど童貞に近いオタク青年(やや中年だが)の小滝正大が結ばれていく過程だろう。この二人の初々しい濡れ場の映像美がすばらしい。窓外からの月光に照らされたベッド上に仰向けの桃井早苗の、美しいヘアヌード。そこに覆いかぶさっていく小滝正大、光と影のエロチックな交響楽、後藤大輔ワールド満開である。こんな光と影の美しさを感じさせた濡れ場は、サトウトシキ作品「愛慾温泉 素肌のぬめり」以来だろうか。

桃井早苗は「ソフィーの選択」のメリル・ストリープに憧れ、そんな女優を目指している。中学の時に観た「ソフィーの選択」に大きく影響されたとのことだ。ただ、よく考えると「ソフィーの選択」の日本公開は1983年だから、現在20代前半だろうと思われる桃井早苗とは、ちょっと年齢的に合わないところがある。なお、この映画の最初のシナリオタイトルは「晴美(桃井早苗の役名)の選択」であり、「ソフィーの選択」という映画には、かなりこだわりがありそうだ。

この疑問は誰でも抱くところで、当然ながら打上げの席でも話題になった。そこは、後藤監督から解明があった。彼女の過去に関する告白で、親が離婚する時に父と母のどちらについていくかという経験が語られている。つまり、その時に母親が娘の桃井早苗に、リバイバル公開の「ソフィーの選択」観せたということになるのだろう。(「ソフィーの選択」には、ナチが母親に子供二人のどちらの命を助けたいかと迫る残酷なシーンがある)このように、「痴漢電車 ゆれ濡れる桜貝」は、さまざまのキーワードのピースが散りばめられているのだ。

桃井早苗というのは、まだ21歳の期待の新人である。後藤大輔監督の前作「多淫な人妻 ねっとり蜜月の夜」では、倦怠期の来た人妻を好演しており、その可愛らしい素顔との落差に仰天したものだ。その点では、今回の年齢相応の処女の女優の卵というのは、適役でよかった。

オタク青年を演じた小滝正大は、新人と付してクレジットされている。ピンク映画では、男優にこういうタイトルが付されることは、極めて珍しい。実際には、私は未見であるが、過去の後藤大輔作品に出演しているそうだ。俳優としてはかなりのベテランのようで、本人の言によると、四捨五入で50という年配だそうだ。それが眼鏡をかけたオタク青年を演じているのだから、かなりの演技力の持主といえる。

オタク青年の小滝正大が童貞を捨てた相手は、会社の先輩の日高ゆりあである。上司の池島ゆたかと不倫中で、その仲が不調になった時に泥酔し、介抱した小滝正大を強チンしたという顛末である。まあそんな童貞喪失だから、小滝正大はセミ童貞みたいなものだ。だから、前述した彼と処女の桃井早苗の青い月光の下での濡れ場が、初々しく感動的なのである。

日高ゆりあに対して、池島ゆたかが電車内で背後から痴漢行為に及ぶシーンがある。ただ、長身の池島ゆたかと、小柄な日高ゆりあでは、身長のバランスが悪い。上半身だけのアングルなので、日高ゆりあは台に乗ることになった。「セッシュウ」の実物というのを、私は初めて見た。

ちなみに、知らない人のために説明しておくが、「セッシュウ」の語源は、戦前の日本人ハリウッドスターの早川雪洲から来ている。早川雪洲は日本人のためもあり身長が低かったので、長身の女優と並んで演技する上半身のシーンでは、台に乗って画面のバランスをとったそうだ。そこから、その台は「セッシュウ」と呼ばれ「セッシュウする」なる動詞にもなったそうである。

この痴漢シーンのアングル、日高ゆりあの喘ぎはバッチリ映っているが、池島ゆたかの顔は背後に隠れて、ほとんど映っていない。「ひどいよなあ。こんなベテラン役者を使っておいて…」と、池島ゆたかは冗談気味にボヤいていた。しかも、池島ゆたか出演は、このワンシーンのみである。

ただ、私の観る限りでは眼のあたりを中心にした超アップが、ワンカットあった。私がそれを言ったら、ほとんどの人が、それは電車内で遠目に見ていた小滝正大のアップだと思っていた人が多かった。両者ともに眼鏡をかけているからそうなったのだろうが、眼鏡枠の色からみて、これは池島ゆたかの超アップだったことは、まちがいないと思う。

●1月7日(土)に再確認したら、眼の超アップは2カット、池島アップと思ったのは私の誤認で、2カット共に眼鏡枠の色から小滝正大であることを確認した。この日に後藤監督にも確認したら、それで間違いないとのことだった。ただ、この日に私以外にも、最初のカットは小滝アップ、2カット目は池島アップと思っていた人がいた。後藤監督は、「それだけの存在感が池さんにあるんだから、いいんじゃないの。声だけでも存在感十分だよ」と笑っていた。

桃井早苗の劇団の先輩が中森玲子で、二人はバーのバイトをしており、演劇談義などをする。そこに割り込んで来るもう一人のホステスが、ミュージシャンの大場一魅で、そのハシャぎっぷりがノリノリで、何とも楽しい見物になっている。そういえば、狂信的に「ダメ!ダメ!ダメ!」と連呼する劇団プロデューサーの野村貴浩も、ヘンに印象に残る存在だった。

電車の常連の中には、これみよがしに痴漢プレイを見せつけている佐々木麻由子と竹本泰志の夫婦カップルもいる。最初は乗客全員が、その大胆さを固唾を飲んで凝視するが、そのうち飽きてきて、誰も目をくれなくなる。二人は白黒カップルショーをしており見られていないと燃えないのだが、劇場が潰れてしまい、仕方なく電車内で痴態を演じていたのだ。最後は「お願いですから見てください」と哀願するに至る。

倖田李梨も電車の常連客で、なぜかイヤフォーンを付けダンスを踊りまくって車内を闊歩している奇妙な女である。これが、ひどく車内空間の幻想性を増幅して、存在感抜群なのだ。初号試写を観に来たベテラン深町章監督が、絶賛していたそうだ。もっとも製作陣からは、「他に褒めるところがみつからなかったからじゃないの」との声も、冗談混じりに飛んでいた。確かに、前衛風の後藤大輔監督のタッチは、解りやすい王道エンタテインメントの深町章作品とは、水と油である。

映画の冒頭は糞尿テロである。線路内に多量の糞尿がブチまけられ、進行不能になり乗客は糞尿まみれになりながら、脱出する。もちろん低予算ピンクであるから、大掛かりなことはできない。列車から飛び降りた上半身だけのアングルで、そこにコーヒーなどで色付けした疑似糞尿をアングルの外からスタッフがブッかける。かなり苦心の撮影だったが、映った結果はあまり冴えなかったらしく、かなり短くカットされて効果的な画面にはならなかった。この糞尿を洗うために、川に駆け込んだ桃井早苗が、小滝正大と出会うことで、ドラマがスタートするのだ。

何ヶ月か後、またまた電車は急停車、車内放送が始まる。糞尿テロの再来か…、おびえきった乗客で映画はエンドとなる。そんな解ったような解らないような映画なのである。

桃井早苗と小滝正大は、結ばれた後に嫉妬混じりの大喧嘩をするが、撚りをもどす。ラストの濡れ場では、屋内にも関わらず桜の花びらがハラハラと散ってくる。「また電車で会えるといいね」との会話、とすると、撚りをもどした後のシーンは、二人の幻想空間ということだろうか?

一つ一つのエピソードは面白いし、もう一度観たいという気は起こさせる。全体を通じて後藤大輔作品一流の、これも「虚実皮膜」を追求展開したような映画には思える。年明けの公開の舞台挨拶の時に再見して、もう一度考え直してみることにしよう。

●1月7日(土)再見の印象としては、あまりピースをピッタリ嵌めるようなことにこだわらなくてもいいのかな、といった気になりました。華やかな後藤ファンタジーワールドの感覚に身を委ねてまかせればいい映画です。

2012年1月8日(日) ●横浜光音座1
翌日、初めて横浜光音座に足を運ぶ。池島ゆたか監督新作ゲイ映画「愛いろいろ −love family−」が年末から公開中だ。この日は池島ゆたか監督を始め、竹本泰志さん・なかみつせいじさん・樹カズさん・中根大さんの舞台挨拶がある。しかし、ゲイ映画館となると、ちょっと足が重い。しかもこの作品は、池島ゆたか監督のご好意で、初号試写を観せていただいている。当初は、こっちはパスしようと思った。

ところが、併映作品を聞いて急に美味しくなった。広木隆一監督の83年作品「ぼくらの時代」である。若き日の池島ゆたかと大杉漣の濡れ場もあるという。この貴重品は是非とも観たい。でもゲイ映画館は怖い。だけど同行者は少なくなさそうだ。みんなで行けば怖くない。この機会は逃せない!と出掛けることに腹を固めた。

結果的には10名を越える同行者が参集し、中には女優の松井理子さん他の女性陣も少なからず参加、上映中の頻繁なその手の方の席移動も少なく、落ち着いた環境で観ることができ、被害者(?)もゼロだった。ただ、この固まって座った男女集団、逆の意味で異常だったようで、通路をうろついていた若干の人が、怪訝な眼差しを向けていたのも確かだ。

「ぼくらの季節」 (1983年公開)
監督・広木隆一  脚本・望月六郎  主演・中根徹,佐藤靖

中根徹と佐藤靖は、親から資金を出してもらって喫茶店を共同経営しているゲイカップル。すべて順調だが、ゲイの宿命として二人の間に子供ができないことが切ない。親子3人の家族を見る度に、悲しさがこみあげる。

そんな所に、二人の子供を生んであげてもいいとの星野まゆみが登場する。しかし、妊娠するのは難行だ。男二人が抱き合って燃えあがり、その傍で待っている女はオナニーで濡れる。いよいよ射精寸前で、男は女にのしかかるのだが萎えてしまい、なかなか完遂に至らない。ナンセンスとも見えるこの濡れ場は、珍しい見物だった。

それ以上に驚いたのは、こんなユニークな世界を前世紀の80年代に確立していたということである。我々はゲイをカミングアウトした橋口亮輔が、2001年にこれと同様の世界を「ハッシュ!」(こちらは人工受精だが)で描き、そのユニークな大胆さに仰天した。でも、ゲイ映画の世界では、広木隆一が20年も前にサラリと表現していたのである。

この映画は、ネットの「日本映画データベース」の記録には残っているが、キネマ旬報の「封切映画一覧表」には無い。ピンク映画は、1行に4本も詰め込んだ簡略データのみしか記されず虐待されていた時代だが、そこにも無いということは、それ以上にゲイ映画は虐待どころか完全無視ということだったのだろう。

首尾よく妊娠・出産に至り、男二人と赤ん坊のささやかな3人家族の、暖かい家庭が誕生する。ところが、実は星野まゆみはとんでもない女だった。元カレと子供を生む生まないで争って別れ、ゲイカップルの気持ちに悪乗りして、その子を生んで初志貫徹したのだ。

だが、我が子の誕生を知った元カレは、星野まゆみのもとに帰ってきた。こうなれば、本来の父母に赤ん坊は返すしかない。波光ガ煌めく赤ん坊との別れのシーンに、ゲイカップルの哀愁が漂う。

このカップルの父親が、それぞれ池島ゆたかと大杉漣だ。実はかつては二人も愛人同志だったが、大杉漣が仕事で外国に去るのを期に別離したのだった。何年ぶりかの思いがけない想い。燃え上がる若き日の情熱。でも、二人とも息子がいるということは、別れた後は普通人を装って生きていたということなのだろうか。そのあたりの説明はあまりない。サブエピソードだからそれでいいのだろう。要は芸達者二人の濡れ場を楽しめはいい。といってもゲイならぬ身では、なかなか楽しめないが、これはこれで珍品の見物だった。

エンドクレジットの脚本・望月六郎でどよめき、照明助手・坂本太にオーッと声を挙げるのは、我ら男女集団、どちらも今や著名監督だ。でもゲイ映画館常連さんには何のことか判らなかったろう。ここでもこの集団は異様に映ったかな?


さて続いては、昨年10月18日(火)初号試写直後に書いた「愛いろいろ−love family−」映画評を紹介します。
2011年10月18日(火) ●東映ラボ・テック
「愛いろいろ −love family−」 2011年公開)
監督・池島ゆたか  脚本・五代暁子  主演・竹本泰志,なかみつせいじ

ゲイ映画である。ピンク映画も存続の危機に瀕しているが、中でもゲイ映画は壊滅の危機が来ている。以前は上野世界傑作劇場という核になる専門館が都内にあったが、今は新館の上野オークラ劇場の場所に取って替わられてしまっている。首都圏で孤塁を守っているのが横浜光音座1であるのが現状だ。そんな状況の中で、「愛いろいろ −love family−」は最後のゲイ映画との裏の噂も飛び交っているそうだ。

今回、池島ゆたか監督のご好意で、マイミク仲間は初号試写ご招待との大恩恵に与ったが、心底これは嬉しかった。感謝し過ぎてもし過ぎることはない。私は、これまでゲイ映画は4本しか観ておらず、あまり口はばったいことも言えないが、はっきり言ってゲイ映画専門館は、映画を落ち着いて観る雰囲気ではない。

私が観たこれまでのゲイ映画は3本。「迷走者たちの猥歌」「ポリス」「素敵な片想い」である。前記2本は上野傑作劇場で観た。最後の「素敵な片想い」は、「映画芸術」誌のご好意でビデオを貸していただき、自宅鑑賞した。その後ザ・グリソムギャングの森山茂雄監督特集で再見した。

この森山監督作品特集の時、主催者側はその手の人ばかり集まったら困るなと危惧した面もあったそうだが、蓋を開けたらそんなことはなかった。予想外だったのは、監督特集にも関わらず、その中の自主短編映画に主演したゲストの里見瑤子さんのファンが大半を占めたのが、意外な結果だった。私もこの時に初めて里見さんを、「憧れの銀幕の向こうの人」から、「オトモダチ」へと一歩踏み込めた貴重な場だった。里見さんが、「こういうゲイ映画って、私たちもなかなか観られないですよねえ」と感激していたのも、楽しい思い出である。

余談に脱線し過ぎた。要はゲイ映画専門館は、映画を落ち着いて観る雰囲気が皆無なのである。そのあたりは、「映画芸術」誌の2001年夏号「サラリーマンピンク体験記」第3回で詳述しているので、ここでは簡単に述べておきたい。私は、「映画芸術」編集部の人と同行した。私の窓口となっていた編集部の人も、かねてからゲイ映画は気になっていたが、なかなか専門館に足を運ぶ勇気がなかったようだ。「行きますか?」との恐る恐るといった感じの申し出だった。

私としては、別に映画に二つはあるものかと思っている人種だから、「行きましょう!行きましょう!」という感じだった。この時の上野世界傑作劇場の番組は、「迷走者たちの猥歌」が榎本敏郎監督、「ポリス」が荒木太郎監督である。これ、凄い美味しい2本立と思いません?てなことで、二人連れだっての上野傑作劇場入館と相成った。

場内に入る。さすがに尋常ならざる空気が漂っている。「あの手」の人は周囲に「気」は発するということも、この時に痛感した。客席は「気」で圧倒的に満たされている。客席は、何故か一つ置き程度に座っている程度の空き状況なのだが、それにも関わらず、客席の周囲には立ち見客がひしめいている。異様なムードだ。編集部の人と私は20歳程度の年齢差だ。二人並んで座っている図は、周囲からどう見られているのか…身がすくんでくる。でも、このバツの悪さも映画が始まるまでのこと、ひたすら首をすくめて開映を待ち続ける。

映画が始まった。これでホッと一息、と思ったのが大きな過ちだった。ここからが大変だった。立ち見客の頻繁な座席への着席が開始される。座席客も盛んに席の移動をする。ザワザワザワザワ、全く落ち着かない。一つ前の座席では、男二人が頭を寄せ合った。一つの頭は下に沈んでいく。お前ら、何やってんの!そんな感じの落ち着かなさが終映まで続くのだ。要するに、カップルを模索して盛んな席移動して突っつき合い、まとまればシャブリ合い、不調なら放浪を延々と続けるということなのだろう。もう、勘弁してよ!という感じなのだ。私と同行した編集部の人は繊細な神経の方なので、翌日は熱を出して寝込んじゃったとかの話も、漏れ聞いた。

そんなことで、私はゲイ映画専門館には二度と行くまいと決めた。あそこは落ち着いて映画を観る場ではない。でも、映画は本来スクリーンで多勢で観るものである。ビデオで観るのは寂しいものだ。ザ・グリソムギャングのミニシアターでも、もう一つもの足りない。それが、東映ラボ・テックの最良の映写条件で、落ち着いて観られるのである。他の映画ならば初号で観られなくても、劇場で観ればいいやと思う。しかし、ゲイ映画だけはここで見逃したら、劇場に足はまず運ばないだろう。こんな素晴らしい場を提供してくれた池島ゆたか監督には、感謝し過ぎてもし過ぎることはない。

さて「愛いろいろ−love family−」である。やはりゲイ映画だ。竹本泰志・なかみつせいじ、主演ご両人のカラミはネチっこく尺も長い。男としては見ていて気色のいいものではない。いや、そこまでいっては失礼だが、背筋のあたりがむず痒くなってきて、何とも居心地の悪い雰囲気になるのは、否定できない。

東映ラボ・テックの初号試写で観せていただいて、本当によかった。これを劇場鑑賞したら、このむず痒さに加えて、周囲の圧倒的な「気」に囲まれるのである。多分、いたたまれなくなるだろう。一方、ラボ・テックはといえば、顔馴染みのお二方が真剣にカラんでいるので、場内から忍び笑いが漏れる微笑ましい雰囲気だった。

映画の中で竹本泰志がベッドで相手の男を待つ間に、下着一つでダンスを踊るシーンがある。エロっぽく腰を揺すったりするので、成程こういうポーズにゲイの人はそそられて興奮するのかと思い、ご当人に「ゲイの人にリサーチしたのですかと聞いてみた。ところが竹本さんいわく「いや、倖田李梨さんに指導してもらいました」とのことだった。とすると、男をそそる女のポーズをコピーしただけとのことになる。

打ち上げの席でノンケにも関わらずこのシーンにちょっとそそられて、俺も少しその気があるのかと心配になった人が、この話を聞いてホッとしたそうだ。やはりゲイの人のいない中では、その手の人の本当の心理を知るのは難しいようである。

しかし、長い男同志の濡れ場に閉口したのをさておけば、これはなかなかの作品なのではないか。ゲイ映画歴4本目の私は、あまり口はばったいことは言えないが、これまでのゲイ映画は、主人公の一人を男から女に変更してしまえば、ピンク映画として成立してしまうような内容ばかりだった。だが、「愛いろいろ」は、ゲイの人間関係ならではの、人間描写に到達しているのだ。

ストーリーの骨子を簡単に記す。竹本泰志は「なかみつせいじ」と同棲していたが、レズの女に頼まれただ一度だけのSEXで、子供を造ってやる。ところが間もなくその女は急死してしまう。竹本泰志は、その女の子を自分で育てる決心をする。

そうなると、パートナーの「なかみつせいじ」に迷惑をかけるわけにはいかない。竹本泰志は「なかみつせいじ」に別れを告げる。それを聞いた「なかみつ」は、「水臭いことを言うな。それに、子育ては金がかかる。二人の子供として育てよう」と申し出る。かくして、父親二人と娘一人の家族が誕生する。この頃の竹本泰志は生活が不安定な駆け出しのヘアスタイリスト、「なかみつせいじ」はお固いサラリーマンでとりあえず収入は安定している。

以上の経過は回想でサラリと流し、この娘が18歳に成長したところから映画はスタート、娘は新人のシズが演じる。ゲイ映画なので当然ながら彼女には裸もなく、濡れ場も着衣のままのアッサリしたものだけだが、爽やかないい娘である。

実際は18歳に成長するまでに、父親二人の変則家庭に対し、世間からの波風もかなりあったろう。しかしそのあたりは、小学生の授業参観や面談などは実父の竹本泰志が出ていたがオネエ丸出しなので、中学生からは「なかみつせいじ」に変わったとの顛末を、ユーモラスなイラストでサラリとかわしたあたりが、練達の職人コンビ監督・池島ゆたか=脚本・五代暁子の巧みなところだ。

ここで、ちょっと余談になる。1990年に「らせんの素描」というゲイのドキュメンタリーがあった。監督の小島康史はゲイである。彼をある映画評論家がインタビューした記事を読んだ。小島監督によると、ゲイにとって「魅力的な男と、そうでない男」というのは当然ながらある。そこで、その評論家が「私はどうですか」と聞いたら、「全然魅力を感じません」と言われて、ちょっとガックリしたそうだ。でも、よく考えたらガックリする話ではない。「魅力的」なんて思われたら、むしろヤバい。しかし、人間はその気がなくとも「魅力がない」なんてハッキリ言われると、やはりガックリするものなのだ。

「愛いろいろ」は、ゲイ映画ならではの人間描写で、そのあたりの人情の機微を、実に魅惑的に描いて魅せた。父親二人の家庭の中で、娘の愛情を得るための張り合いをするのだ。これがゲイでなければ、特に血の繋がらない育てた娘が成長してきたら、気を惹きたくなるところだ。だが、人間はそんな性的意味がなくても、人に愛おしく想われたいと思う生き物なのである。そんな人情の機微が、ゲイ映画ならではの味わいで、ユニークに描かれていた。

父親二人の痴話喧嘩になった時、竹本泰志が「なかみつせいじ」に、「あなたはどうせ女を知らないんでしょ」と投げつける言葉は凄い。確かに竹本泰志は、望んだことではないにせよレズの女を一度は抱いた。別に竹本泰志も「なかみつせいじ」も、女なんて抱きたいなんて思っていないし、女を知る必要なんて感じていない。でも、この一言は「なかみつせいじ」の嫉妬心に火をつけるのは、間違いない。そして、娘のシズに対しても、「なかみつせいじ」の方は血が繋がっていない負い目があり、この一言はさらに残酷に増幅させる。

ここで、気になったことがある。「なかみつせいじ」は会社の部長であるが、車内ではバツイチの独身で通っている。同じバツイチ女の松井理子に言い寄られたりする。部下の野村貴浩に独身貴族をうらやましがられたりもする。しかし、バツイチということは、イヤイヤながらも女を知っているはずだ。もしかしたら、世間体で結婚したが、妻に指一本触れられず、バツイチになったということなのだろうか。いずれにしても、「なかみつせいじ」が「女を知らない」という設定でなければ、この人間描写の奥深さは発生せず、気になるところである。

バツイチ女の松井理子は、当初は脚本の五代暁子自らの出馬予定だったそうだが、諸般の都合で変更となったようだ。確かに歳格好から見て最初のキャスティングの方が効果的だったかもしれない。

「なかみつせいじ」の女を知っていることの有無については、打ち上げの席で聞いてみた。設定としては、会社の中でいろいろ面倒くさいので、バツイチの独身で通しているとのことだった。シナリオ段階では、「なかみつせいじ」が「俺は会社の中でバツイチと偽ってまで苦労してるのに!」と、竹本泰志をののしる台詞もあったそうだ。でも、周辺描写から想像がつくから、カットしたとの池島監督の言だった。私としては、その一言は残しておいてほしかったところだ。

娘のシズは、突然ある日恋人の中根大を連れてくる。そして妊娠を告げる。さらに結婚することも告げる。そこから先は完全に娘を嫁がせる小津安二郎映画の味わいになる。「長らくお世話になりました…」、後は涙…、唯一ちがうのは抱き合うのが父親二人と娘一人という展開である。

でも、こんな映画、ゲイの人に受け入れられるのだろうか。子供を持てないというのが、ほとんどゲイの人間のあきらめなければならないことだし、その子供の嫁入りの感傷なんて、ゲイの人の神経を逆撫でするんじゃなかろうかと思える。だがこの後、映画は恐るべき展開を迎える。

娘は嫁ぎ竹本泰志と「なかみつせいじ」二人だけの静かな生活が戻る。と、ある夜チャイムが鳴る。外にいるのは妻のシズに男と逃げられ、乳呑児を抱えて途方に暮れる中根大の姿が…。「いいのよ、子育ては私たち得意よ」と彼を慰め、そしていつしか「あなた魅力的ね」と、ついに義理の息子を3Pに引き込んでいく。アレヨアレヨの怒涛の展開だ。女なんて所詮は駄目、男同志が最高!なるほど、これならゲイのお客さんも大満足だろう。

と、思いきやこれは何故か二人が共用した夢だった。再びチャイム、外には乳呑児を抱えた幸せいっぱいの新婚夫婦、といった情景でハッピーエンドの幕となる。私はこの夢落ちは無いほうがいいと思った。監督も迷ったところだが、正月映画でもあるし、最後のゲイ映画の呼び声もあるとのことから(今後のゲイ映画の企画は無いらしい)、暗く終わりたくなかったのが本音のようだ。ちなみに五代暁子脚本では、夢落ちはなかったそうである。

池島ゆたか=五代暁子コンビは、名画のパロディ=オマージュが少なくないので、すぐ原点探ししたくなるのが私の悪癖だが、これは「キッズ・オールライト」だろう。もっとも池島=五代の両氏によると、内容は関係ないようだ。プロデューサーからレズ・カップルを題材にした「キッズ・オールライト」の概要の話があり、それのゲイ版をと依頼されたそうだ。実際に「キッズ・オールライト」をお二人が観たのは撮影終了後だったとのことだ。

池島=五代のお二方とも「キッズ・オールライト」には辛口の評だった。確かに「キッズ・オールライト」は、「生みの親より育ての親」と「血は水よりも濃い」の二者択一を迫る案外単純な構造で、その結末も人によっては異論があるだろう。人間心理の微妙な綾という点では、「愛いろいろ −love family−」は「キッズ・オールライト」よりも、深みがあるとは言える。
top page
setstats

1