周磨 要の 「湯布院日記2008」

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湯布院映画祭日記2008−9

●私にとっては意外と良かった「次郎長三国志」

いよいよフィナーレである。「次郎長三国志」だ。「映画三昧日記」でも記したが、私は全く期待していなかった。デビュー作「寝ずの番」を観る限りなら、マキノ雅彦監督に師匠・マキノ雅弘ゆずりの安定した演出力があるのは認める。しかし、「次郎長三国志」はまずい。過去に師匠の絶対の名作が存在しているのである。監督だけの力量に限らず、撮影所システム健在だった前作に比して、役者・美術・衣装・装置など、支える映画力にもダントツのハンディがあるのだ。
 ところが、期待していなかったせいか、これが意外と面白かった。最近の日本映画は良し悪しを別として、「ぐるりのこと」「歩いても歩いても」「純喫茶 磯部」のように日常をチマチマ描く映画か、「スシ王子」「少林少女」「20世紀少年」のように目まぐるしいカット割と激しく動くカメラワークで騒々しい映画かの、両極端ばかりである。そこに、カメラをガッチリ据え、多数の芸達者の芝居をワンカットの中に一望に納め、スクリーンを見詰める楽しさを堪能させてくれたマキノ雅弘再来の「次郎長三国志」は、今の私にはひどく新鮮に映った。
 もちろん、前の名作に比べればいろいろある。いろいろあるけれど、まあ、いいんじゃない、という感じだった。「椿三十郎」「隠し砦の三悪人」が、リメークの姿勢は180度異なっても、そこそこの娯楽作となったことに見られるように、教科書さえしっかりしていれば70点は取れるというこれも一つの例証であろう。

自信満々、マキノ雅彦監督
マキノ雅彦監督の舞台挨拶は、自信満々だった。「リメークするならば、前作を越えなければならない」と喝破したのには、ちよっと驚いた。でも一理はあった。「前作は次郎長に魅力がなかった。だから、脇の子分たちが引き立った。今回は、中心の次郎長を男が惚れる男にしようと思った」と言った。それだけは当たっている。前の次郎長の小堀明男は端正な二枚目だけが取り柄で、芝居力は明らかに今回の中井貴一の方が上であろう。お蝶の簪を口で抜き取るあたりに見せる男の色っぽさは、抜群である。また、お蝶の鈴木京香も、前作のお飾り的な若山セツ子より仇っぽく艶っぽかったかもしれない。
 投げ節お仲に高岡早紀をキャスティングしたのにも感心した。リメーク話を聞いた時、私はお仲のキャスティングだけは、想像できなかったのだ。今の女優でこれ以上の適役はいないだろう。でも、やっぱり久慈あさみの方が上だよな、となるのはオールドファンとしてはいたし方ないところだ。森繁久弥の森の石松は、やっぱり凄かったし、そうなると、大政・小政・法印大五郎は…と比較すればするほど新作の分は悪くなってくる。
 だが、とにかく雅彦監督としては自身満々で、上映前の一言あいさつのはずなのに、いつ果てるともなく快気炎は延々と続く。進行役は伊藤雄実行委員長だが、その彼にしてどうにも止めようがなく、オロオロするばかり。かなりの時間経過の後、やっと「あの、これから上映ですので…」とオズオズと声をかけ、何とか収束したのであった。
 アンチ雅彦監督派にはかなり顰蹙もののあいさつだったようで、自信満々と感じた私に対して、「自信が無いから、あんなに吠えたんじゃないの」と、パーティー会場に向かう途中で私に言った人もいた。

まあまあ和気藹々のシンポジウム
マキノ雅彦監督と出演者で女優で監督のお譲さんでもある真由子さんをゲストに迎えたシンポジウムは、まあまあ和気藹々に進行し、アンチ派の辛口発言もなく(もうあきらめて発言しなかったのかもしれないが)、マキノ雅彦監督はご機嫌だった。
 私としても、意外や悪印象を持たなかったので、前述した感想を要約して述べた後「もちろん、師匠の映画と比べれば、オールドファンですからいろいろと言いたいことはありますが、それは仕方のないことで勘弁してください。ただ、師匠超えが絶対にできることが一つあります。前作は『荒神山』の前篇で終わってしまいました。そして、この完結は永遠に達成できません。雅彦監督は完結させる可能性があるのですから、それができれば、文句なしの師匠超えです」とエール(または社交辞令?)を送った。
 雅彦監督はご機嫌な表情で、でも「これは、一本で完結した映画として創りましたから、続編は考えてはいません」と答えた。実は、それは私も分かっていた。新「次郎長三国志」は、全9部作の前作の第7部までのストーリーを語っているのだ。この結果、今回の映画は名場面集・ダイジェスト版になったのは否めない。大河シリーズにするなら、もっと手前で終わらせる必要がある。この発言は、あくまでもゲストのマキノ雅彦監督への、私からのエールに過ぎない。
 シンポジウムの司会は、デビュー作「寝ずの番」以来のマキノ雅彦監督フリークの、伊藤雄委員長である。委員長がこの話題に火をつける。「だけど、黒駒の勝蔵を佐藤浩市さんが演じてますが、ほとんど見せ場のないまま終わってますよね。あれは続編への布石じゃないかと思ったんですけど」。これにはマキノ雅彦監督もここぞとばかり本音が出た。「そう、やりたいですよ。でも、こればかりはお客さんが来てくれなければ、どうにもなりません。皆さんヒットするように応援してください」となったのである。
 シンポジウムの中で、真由子さんが赤ちゃんの頃に誘拐されたエピソードも出てきた。雅彦監督は「親が世間に名が知られているということで、本人は覚えてないにしても、つらい思いをさせて、すまないと思っています」と、完全に父親の顔になって、やや目を潤ませシミジミと語っていたのが、印象的だった。この事件を知る人も、もう少ないだろう。津川雅彦・朝丘雪路という2大スターの赤ちゃんが誘拐されたという衝撃、それが無傷で帰ってきたという安堵、当時はマスコミを席巻した大ニュースだった。あの時の赤ちゃんが、この真由子さんだったのか。私も何となく感無量であった。もっとも、芦川いづみさんの「おムギ」の愛称をほとんどの人が知らなかったのと同様、この感慨も一部オールドファンに限定されるのだろう。

最終日のパーティーのあれこれ やっぱり自身満々、マキノ雅彦監督
 いよいよ、最後のパーティーだ。会場に向かう道すがら、倉敷のツタヤ店長Oさんから「そんなに良かったですか?」と、早速疑義を呈される。突っ込みどころがある映画ではあるから私も、「まあ、名場面集・ダイジェスト版であるのは否めませんが、教科書がしっかりしてそれに忠実に撮っていますから、70点は取れているということでいいんじゃないでしょうか」「70点じゃないですよ。30点ですよ。第一、大政が出奔した実家の武家屋敷に恥を忍んで訪れ、妻に金を無心する思いって、大政が武士崩れってことが分かるから、次郎長とお蝶に対する万感の思いが出るんでしょ。あの映画じゃ何のことかわかりませんよ」そりゃ、そのとおりかもしれない。教科書を知っている私としては、点が甘くなっているかもしれない。
 パーティーでマキノ雅彦監督に、「私みたいに前作を知っていればいいですけど、最近の人は大政が武士崩れなんて予備知識もないですから、そこはどうなんでしょう」と伺ってみた。ここでも雅彦監督は自信満々だった。「いいんですよ。予備知識がなくったって、何となく大政は武士の出だとわかるように演出したつもりですよ。それがわからなくったって、何だか縁のある武家屋敷に行って、大政がすごい苦労をして金を工面してきたなって、その雰囲気が分かれば十分ですよ」まあ、この自信満々の屈託のない強気が雅彦監督の個性と言えるのかもしれない。
 最終日のパーティーに画竜天晴の見事な隠し玉があった。1997年の「マキノ雅弘監督特集」でゲスト参加した雅弘監督の、最終日パーティーのスピーチがプロジェクタ上映されたのである。「みなさん!映画を観てください。日本映画を愛してください!!」涙すら浮かべた入魂の言葉の数々は、圧倒的感銘であった。


●私設打ち上げ総括会
パーティー散会、第33回湯布院映画祭の公式行事はすべて終わった。いよいよ有志集っての私設打ち上げ総括会だ。昨年から、実行委員も参加してくれるようになった。今年は事務局長の幸重善爾さん、会計(というよりは実行委員会の重鎮)横田茂美さん、実行委員の渡辺信也さん(渡辺武信さんのご子息、もっとも実行委員に渡辺哲也さんという方もいるので、もしそちらの方が息子さんのお名前だったらごめんなさい)という豪華版のメンバーの参加だ。

「湯布院映画祭に思うこと」というテーマで、各自が輪番に発言した時、滋賀の郵便局OBの失礼します!Oさんが熱弁をふるった。「ここは、話させてくれるからええ!ゲストの方ともジックリ話せるからええ!」と映画祭の素晴らしさを語る。誰かが熱弁と発言の長さをチラッと冷やかし気味に言ったら、「けど、一度当てたら二度は当ててくれはんやろ。そしたら、当ててもろたらそこで全部言わにゃならんと、熱も入りますわな」なるほど、そういうことなのか。Oさんはしゃべってしゃべってしゃべりまくりたいんだな。それを本人も意識してる。だから、自分ばかりしゃべってると皆に思われたくないために、「周磨はんはよくしゃべりなはる。しゃべりすぎや」とやたらと牽制球を投げているのだ。私は人身御供か人質になっているというところか。
 でも、東京以外では、なかなか映画を熱く語る場なんて、湯布院が終わればもう一年間ないとのことは、他の地方の参加者からもよく耳にした。Oさんの心情も無理からぬことなのかもしれない。

私は湯布院映画祭との出会いのきっかけを話した。その顛末は「第24回 湯布院映画祭 シンポジウム採録」特別寄稿にあるのでここでは繰り返さない。そこに「一年前のキネマ旬報を引っ張り出し、その時の連絡先を頼りに電話をかけた。唐突だと思ったが、案内書の送付・現地までの交通と、事務局の方は丁寧に対応してくれた」と記したが、そのあたりを紹介し「この時の丁寧な対応で、映画祭に参加する最終的な気持が固まりました」と話した。「実は対応に出た実行委員は私でした」と、すかさず横田さんが言う。ホントかな、調子良すぎるな。ま、変に疑わず素直になりましょう。10年も入り浸る楽しさのきっかけを与えてくれたのは、横田茂美さんのおかげです。

今後の映画祭への要望については、「映画三昧日記」の「10年目の湯布院映画祭」で述べたとおりである。要は撮影所システム全盛期を懐かしんでいるだけでは、参加者は高齢化するばかりだし限界があるのではないかということだ。今年も日活以後の舛田利雄に着目するならば、「宇宙戦艦ヤマト」上映実現を是非!との声もあったと耳にした。確かに「何だって面白くしてやる!」のコピーにふさわしい作品選定かもしれない。(アニメ不可の伊藤雄委員長にはとんでもない!となるだろうが)私が「映画三昧日記」で例にあげた「角川映画特集」「アニメ全面特集」「現代映画作家の処女作特集」「カウリスマキ監督の参加」など、撮影所システム以降の企画は、考えればいくつも出てくると思う。ただ、それはハッキリ言って、伊藤委員長でも横田さんでも無理だ。渡辺さん以下の若い実行委員のパワーに期待するしかありません。そんな主旨のことを述べた。


●日常に降臨した湯布院 再び
終わった。今年も終わった。でも、何の感慨も浮かんでこなかった。私の前を怒涛のように通り過ぎていくイベントの一つを、通過しただけとの思いだった。「湯布院映画祭」は完全に日常に降臨した。
 10月18日(土)から東京国際映画祭が始まる。滋賀の失礼します!Oさんが上京する。2005年に東京国際映画祭で上京した時には、東京近郊の湯布院参加者を募って同窓会を開催した。今年も機会があれば開催することを約して別れた。10月19日(日)の「蛙の会」発表会のチケットを、浜松のT要さんが買ってくれた。ここでも湯布院の仲間と再会を果たすことになるわけだ。
 10月27日(月)に、5月に開催した「おたべちゃん東下りの会」がまた開催される。参加者の輪が拡がり、10月8日(水)現在で早くも予定者は10名を越えている。私が「映画友の会」のFさんにまで輪を拡げるんだから、増加の一途をたどっても当然ではあるのだが。
「お馴染みおたべちゃん」は「気風のいい女」である。キャリヤガールの「映画友の会」のFさんも「気風のいい女」だ。私の女性の知人はなぜか「気風のいい女」が多い。「蛙の会」の朝日新聞フォトライターのOさんも「気風のいい女」だ。考えれば死んだ家内は最も「気風のいい女」だった。(と、ここでノロけてもしょうがない)その遺伝子を受け継いだせいか、血を引いた我が娘も「気風のいい女」に成長したような気がする。(と、ここで親馬鹿をやっても、ますますしょうがない)
「映画友の会」のFさんとは、映画好き同志だから、湯布院映画祭の話題なども話す。そこで「おたべちゃん」の存在を耳にして、Fさんが会ってみたいとなり、飛び入り参加大歓迎の「おたべちゃん」精神と相まって、彼女は5月の会に参加した。予想どおり「気風のいい女」同志、意気投合していた。今回の会でも、「おたべちゃん」から「彼女ご指名」との言があり、Fさんは「喜んで参加、楽しみです」となった。前回、仕事の飲み会で無念の涙を飲んだ「映画友の会」の友人、「湯布院映画祭」参加経験もあるキネマ旬報「読者の映画評」常連の須田総一郎さんも今回は参加する。こうなると、「湯布院映画祭」も「映画友の会」も「蛙の会」も私の中では入り混じって、もう湯布院が日常に降臨して当然なのだ。

「湯布院映画祭」が終わった後は、私は「蛙の会」発表会で頭がいっぱいである。自分の演目の稽古をミッチリやって仕上げるのはもちろん、全体進行台本の作成と演習、プログラム代わりの機関紙「話芸あれこれ」の編集と、やるべきことはめじろ押しだ。そして、年内には、実は11月30日(日)にもうワンステージある。漫画家バトルロイヤル風間さんが主催するムーブ町屋でのヴァラエティ「ザ★失投パレード No.7」での高座だ。何をするか。全く未定である。「蛙の会」発表会が終わるまでは、何も考えられない。ただ、風間さんから似顔絵イラスト入りのチラシを創るので、とにかく日にちだけ開けといてください、との段階で、チラシだけは出回っている。まあ、ボードを使いながら、活弁のサワリを聞かせ、ミニ映画史講座みたいなものをからませて漫談調で語るという「鎌ヶ谷にぎ愛寄席」などで演じたものの、バージョンアップということにはなるだろう。「蛙の会」発表会が終わったら、一気に台本書きから稽古へと、精力を注がねばなるまい。

これが終われば、翌日はもう師走だ。それ以前にも10月18日(土)は「映画友の会」60周年記念の会があるし、映画とは全く関係ないが10月25日(土)〜26日は、東電学園山岳部のOB会で、筑波山とはいえ久々の山登りだ。11月9日(日)〜10日(月)はOB旅行会を兼ねて、逆風激しい新潟の柏崎・刈羽地区と原子力発電所への激励の旅だ。(風評被害ってホントにショムないものである)それやこれやで、師走はあっと言う間に訪れそうである。そうだ!12月中旬には、完全に「おともだち感覚」が深まった「御贔屓里見瑤子嬢」にも、お会いしにいかねばなるまい。(何のことだかわからない人は、「映画三昧日記」「ピンク映画カタログ」にも寄り道してください。と、ここで他のコーナーをPRするさもしい根性)
 この他に、月一度の恒例「映画友の会」「蛙の会」「無声映画鑑賞会」「映芸マンスリー」さらに夢月亭清麿企画連続講座「物語・落語現代史」は、コンスタントに開催されていく。怒涛のようなイベント続きの嵐の中で、もう「湯布院映画祭」は完全に日常の一つの風景でしかない。

師走に入れば、アッという間に正月だ。来年2月には「話芸あれこれ」が50号を迎える。表紙をつけ、何人かの人にコメントをもらい、記事別・執筆者別の索引を付して、「総集編」を作成することも考えている。これも始めれば結構な作業量になるだろう。4月にはピンク映画大賞だ。6月は嘱託期間契約が満了する。文字通り24時間映画三昧の日々が始まる。ここまで来れば、もう「湯布院映画祭」は目の前だ。完全フリーとなる来年は、一泊余分に取って、由布岳に登ることも目論んでいる。もちろん、来年になっても前述した月例のイベントは、コンスタントに開催され、私は参加し続けるだろう。その間を縫って多分、単発のイベントは続々と入りこんでくると思う。

今年の「湯布院映画祭日記」はこれで終わります。特別の感慨は何もありません。湯布院も怒涛のように通り過ぎていくイベントの一つに過ぎません。このまま「映画三昧日記」「ピンク映画カタログ」へと雪崩れこんでいきます。今年からは、「さようなら。来年またお会いしましょう」とは言いません。「映画三昧日記」「ピンク映画カタログ」へと、引き続きよろしくお願いいたしますと申し上げておきます。
湯布院映画祭日記2008−8

●プライベート的につらすぎた「秋深き」

作品概観
「秋深き」は、パッとしない中学教師の八嶋智人が、クラブのナンバーワン・ホステス佐藤江梨子にプロポーズして、承諾され有頂天になる夫婦愛物語である。しかし幸福もつかの間で、佐藤江梨子ことサトエリは乳癌を患い、早逝してしまう。
 「しあわせのかおり」の項で私は、「難病に純愛を重ねれば一丁上がりという映画が、日本でも韓流でもやたらはびこっている昨今、初老の男と若い母親の、男女の愛とは全く無縁の心の交流を描いたこの作品は新鮮だ」と記した。そこであげつらった「一丁あがり」映画が、またまた湯布院でも出没してしまった。ただ、「秋深き」に関しては、私は悪い印象は持たなかった。
 「秋深き」は、この手の映画には珍しく湿っぽくないのだ。八嶋智人の不器用だけどどこかユーモラスで実直なキャラクターを始め、ナンバーワン・ホステスのサトエリが、案外こんな男の方が楽しい結婚生活ができるかも知れないと思ったのか、アッサリプロポーズを受け入れてしまうあたりも、並の難病純愛ものと一味ちがう。
 ギャンブルに入り浸るヤクザっぽい佐藤浩市を一方的に間男と思い込み、嫉妬に狂ってジタバタする。愛妻サトエリの後を追って、焼身自殺しようと灯油をかぶる。ここで、ついに湿っぽい日本映画に堕すると思ったらさにあらず。佐藤浩一にそのドジぶり(実は灯油ではなかった)と、サトエリがいかに夫を愛していたかを、告げられてズっこける。ま、言ってみれば、使い古された器に新鮮な酒を盛った佳作といえようか。ただ、私のこの映画の感想の中心は、そんなところにはない。

男性陣のサトエリのおっぱい論議
シンポジウムは、池田敏春監督、主演の八嶋智人さん、製作の若杉正明さんをゲストに開催された。
 今年のゲストは女優陣が地味めだったので、八嶋智人さんは藤竜也さんと並んでスターとして華を添えた一人であった。ジョークをバンバン飛ばして、シンポジウムも盛り上げていた。パーティーでも大勢に囲まれて盛り上がっていたみたいだった。ただ、後述するが、この映画に関しては、プライベート的なある思いがあり、私はそんな気になれなかったので、八嶋さんとは一言も言葉を交わさずに終わった。
 サトエリは、愛する夫の大好きな乳房を失いたくなくて、乳癌の手術を拒否し手遅れになって死ぬ。サトエリの乳房は映画のポイントの一つである。ただ、意外にもエロスとバイオレンスが売りの池田敏春監督作品なのに、サトエリはバストトップを見せていない。「サトエリがおっぱい出さなくてどうするんですか」「サトエリが嫌がったんですか」「じゃ、この映画の主演者として失格だよね」男性陣から卑猥な興味半分の発言が、続々と出る。
 池田敏春監督は答えた。「佐藤江梨子さんが脱ぐのを嫌がったということはありません。ただ、エロスとバイオレンスの監督と言われてますので、今回は徹底してそうでなく描こうとしました。私は、一つ扉を開けちゃうと、どこまで開けちゃうかわからないんですね。ヌードを出さなかったのは、私の考えです」と、きっぱり答えた。それでも、サトエリのおっぱいに未練タラタラの参加者の発言が続いた。後述するが、私はプライベートなこともあり、その興味本位の発言は不快だった、と言うよりはつらいものがあった。

涙、涙の女性陣と渡辺武信さんのフライング発言
女性参加者からは「泣きました」「泣かされました」との主旨の発言が連続する。ここで、よせばいいのに渡辺武信さんが、「そんなに泣けるほどの映画じゃない」とフライング発言をする。「人の感情をとやかく言うことじゃないでしょう!」女性陣から猛反発が出る。
 この件については、「お馴染みおたべちゃん」の掲示板で倉敷ツタヤ店長Oさんから、『武信さんの発言についてですが、武信さんに裏を取ったのですが(中略)真意はアレは「涙」をことさら強調する映画ではないってことをおっしゃりたかったと思うんですよね』との書き込みがあった。ただ、私の印象は、プロの映画評論家の客観的評価として「そんなに泣けるほどの映画じゃない」と決め付けた感じを受けた。
 渡辺武信さんって意外とこの種のフライング発言をしてしまう。2004年の映画祭でも、「透光の樹」を「私の今年のベストワンです」と言い切って、「プロの評論家がまだ8月なのにそんなこと言っていいのかね。ベストワン候補くらいにしときゃいいのに」と顰蹙を買ったが、その舌の根も乾かないうちに、最終日の「さよならCOLOR」シンポジウムで、「この映画の公開は来年ですか。では、来年のベストワンです」とやっちゃったんである。

私の控えめ発言
私は、冒頭に述べた雑感を取りまとめて述べ、一応は「使い古された器に新鮮な酒を盛った佳作」という主旨を話した。そして、付け加えた。「ただ、プライベートなことなので、具体的には言いませんが、夫の愛している乳房を失いたくないからと手術を拒否して死んでいく、そういうものをロマンチシズムの材料にすることは、私には耐え難いものがありました」
 私は、家内を乳癌で喪っている。その身からすると、このロマンチシズムの構築は安易過ぎる。ただ、シンポジウムでは具体的に例証する必要はないだろう。でも、監督ご本人にはパーティーで、今後の作家活動の糧になることを期待し、具体的にお話しようと思った。

女性ならではの意外な感覚を知る
映画祭もいよいよ終盤である。「秋深き」シンポジウム終了後、映画上映はフィナーレの「次郎長三国志」を残すのみである。偶然、渡辺武信さんに猛反発した中年女性二人連れの方と、隣り合わせになった。「人の感情にまで口を挟んで、失礼よ!」まだ憤慨している。
 そんなことから、上映前の雑談で「秋深き」談義になる。「家内を乳癌で喪っている私としては、耐えられないものがありました」と言った。その女性も、乳癌手術を受けた知人がいるそうで「女性としては、耐えられないものがありますね。温泉なんかにのんびり入れませんししね。女性って他人の胸に注目しますから…」
 これは意外なことを知った。少なくとも一部を除いて、男性の場合は温泉あたりで同性の裸になんて、全く関心がないし、見もしないだろう。そりゃプロレスラーみたいなムキムキなのがいれば、「あいつ凄げぇなあ」とか感嘆したりくらいはするだろうが…。「えっ!女性ってそうなんですか」と聞き返すと、「ええ、大きいとか形がいいとか艶がいいとか、結構見てますよ。だから、手術した後のつらさがわかるんですよ」これは、初耳のことだった。
 家内が手術後に、旅行でも大浴場にあまり行かなくなったのは事実だ。「私はいいけど、いっしょに入ってる人を嫌な気持にさせるから…」と言っていた。当時はそんなものかなあと思っていたが、今になって思い返すと、その言葉の重さに感じ入る次第である。

監督へ具体的な話をするが…
最終日のパーティーなので、いろいろな人といろいろなことを話し込んでしまい、池田敏春監督のところに行ったのは、開会からかなり経過してからだった。パーティー終了までには時間はあるのだが、池田監督は早めに宿にもどりたいとのことで、送迎車を待っているところだった。私は、あわただしく話すしかなかった。
 『シンポジウムでプライベート面で、ああいうものをロマンチシズムの材料にすることは、私には耐え難いものがありました、と発言した者です。
 私は家内を乳癌で亡くしました。術後の何日か経って、婦長さん(今は差別用語になるから女性の看護師長さんとでも言わなきゃいけないのかな)に夫婦そろって談話室に来るように言われました。主治医の先生の話も終わってるのに何かな?と思いました。婦長さんは、「奥様、すみませんが、上半身を脱いでいただけますか」と言いました。そして、私に言いました。「これが手術の後です。先生はきれいにできたとおっしゃいますが、きれいに仕上がってこういうことなんです。奥様の傷口に触ってください。手術の後、夫婦の関係が変化してしまったようなことをいろいろ伺ってます。でも、ご主人!もっとつらいのは奥様なんです。奥様は手術前と何も変わってません。何も変わってないんです!」』
 同じ女性ということか、婦長さんの目は潤んでいたような気がする。どこの病院でもこういうケアをするのかは、私は知らない。
 乳房は、腎臓や肺の片方を取ってしまったのに比べれば、健康面からは大きな影響があるわけではない。その意味では、たかが乳房だが、されど乳房なのである。「とても、あんな風に安易にロマンチシズムのネタにされるのは、私にはつらすぎました」と締めくくった。監督は、熱心に耳を傾けてくれたような気もするし、送迎車の到着ばかり気にして心ここにあらずの感じもした。いずれにしても、私が話し終わったあたりで送迎車が到着したので、そのへんは定かでない。

愛するということ

乳癌は手遅れでない限り、癌としては生存率が高い病いである。家内も右を手術したあと8年間再発がなかった。しかし、その後、左に癌の疑いが発生した。再発ならば、リンパを通して右から左に転移したのだから、もう絶望だ。しかし、再発ではなかった。質が全くちがう腫瘍とのことだった。腫瘍ができやすい体質ということだろう。しかし、今度のはタチが悪かったようだ。手術後の検査で、かなりリンパへの転移が判明し、再発の確率は高いとのことだった。約2年半後、妻は他界した。
 このころ(1996年)は、告知の慣習はなかった。主治医の先生と芝居もどきのことまでして、家内にも高校生の娘にも知らせず、私一人の胸にしまいこんだ。末期になった時、娘には「お母さん、もうよくならないんだよ、意味わかるな」と告げた。娘は友達の母親が、やはり乳癌の転移で亡くなったのを知っていたので「わかる。私も薄々そうじゃないかと思っていた」と冷静に受け止めた。
 当の家内は…これだけはわからない。入退院を繰り返し、私は「今度の治療が最後だといいね」と言い続けた。最後は意識が混濁してしまったため、永遠に本人がどう認識していたかは不明のままだった。
 1度目の時の術後の婦長さんの言葉を思い出していた。そう、胸なんてあろうがなかろうが「俺の愛する女」であることに変わらないのである。そして、でも、もう長くは生きていてはくれない。そんな経験を過去に持つ私だから、「秋深き」の、夫の愛する乳房を失いたくないから手遅れになって死んじゃったなんて、そんなロマンチシズムには、どうしても耐えられない。私の心情がわかっていただけるだろうか。

今年の湯布院は、何だかつらい過去を蘇らせてしまった映画祭でもあった。
湯布院映画祭日記2008−7

●私の今年の映画祭新作ベストムービー「memo」

「memo」は新作だが、特別試写作品ではない。東京では3月に、渋谷シネ・アミューズでイブニング&レイトショーで、公開されている。公開済の新作の中から、隠れた注目作を発掘するという2006年「湯布院からの新しい風」で上映された「脱皮ワイフ」に連なる企画であろう。今回は映画評論家の野村正昭さんの推薦で映画祭上映作品選定に至ったという。
 個性的な映画である。私は椅子から落っこちかねないくらいに笑い転げた。でも、この感覚は絶対に分からない人はいると思う。誰にも解る世界ではない。多分、荒井晴彦さんは絶対駄目だろう。いや、分かる奴の方がヘンで、少数派かもしれない。そういう映画が、結果として今年の私の新作ベストムービーになってしまったところに、私にとって今年の映画祭は不作だったと思わせることになった。旧作の舛田利雄傑作選は、前に述べたが10本中おいしいところ8本を鑑賞済で、大期待した「狼の王子」が私にとって空振りだったことが、ますますその不作感を強めた。いずれにしても「memo」の項が、今年の私の「湯布院映画祭日記」のピークになるような気がする。

映画「memo」のおかしさ
黒い画面に声だけが聞こえて映画は始まる。「ウラノママー、ウラノママー、ウラノママー、ウラノママー…」延々と繰り返される。呪文なんだろうか、お経なんだろうか。画面が明るくなると映されるのは、高校の教室である。先生がテスト用紙を配っている。そうか。「裏のまま」か、テスト開始まで見るなということだ。それにしても、この繰り返しは異常である。たまりかねて一人の女生徒が「先生、うるさい!」と言う。「あ、そうか。今から計算力のテストをする。20問で時間は1分」「エーッ!」、TVヴァラティ「笑っていいとも」の参加者のように生徒全員が唱和する。「お前ら、そういう時だけ声そろえるな!安心しろ!因数分解はない」
 これっておかしいでしょ。いや、馬鹿馬鹿しいとしか思えない人もいるだろう。でも、私は無茶苦茶おかしい。次の日も「ウラノママー、ウラノママー、ウラノママー、ウラノママー…」「先生、うるさい」が繰り返される。その次の日は「ウラノママー、ウラノママー、ウラノママー、ウラノママー…」、別の女生徒が「先生、うるさい」と言う。「おい!何で言う奴が変わるんだ」教師はまるで見当外れの突っ込みを入れる。そして「1分20問」の宣告も同じ、この日は生徒は「エーッ!エッ、エッ、エッ!」と調子を取っての唱和となる。それに合せて教師は応援団のポーズよろしく拍子を取る。
 おかしいねェ。おかしくない?少なくとも私は椅子から落っこちそうなくらい笑い転げた。全編、こんな感じでヘンでおかしいのだ。

理屈をつければあるけれど…
1分20問の計算問題は二桁の加減乗除で、普通の生徒なら楽勝である。ただ主人公の韓英恵だけはそうはいかない。彼女は強迫性障害なのだ。気になった言葉を、待ったなしにメモしなければいられない精神障害を有する。1分間の間に何回も計算を中断しては、用紙を裏返し言葉を書きつける。こんなことでは時間内に、全問回答できるわけがない。
 ある日20年以上音信不通だった彼女の叔父が現れる。佐藤二朗監督自身が演じている。というか、佐藤二朗は個性的な俳優としての方が有名で、これが初監督(脚本も)作品ということである。この叔父も強迫性障害だ。頭に浮かんだことを機関銃のように口に出しつづけなければいられない。こちらの方は、黒沢清「CURE」で、リフレーンのような独白で取り調べの刑事を煙に巻く萩原聖人を彷彿させる。「CURE」はオカルト怪奇ムード、「memo」はお笑いドタバタ調という正反対ではあるのだが…。
 佐藤監督もかつて主人公の少女同様、メモせねばいられない強迫性障害だったことを、シンポジウムで話していた。(さすがに、映画中の紙も筆記用具も手元にないので、指を切り血で壁に書くところまでは、いかなかったそうだが)
 ただ、この映画でおかしいのは、精神障害の二人に止まらない。前述した教師も含めて、登場人物全員が少しおかしいのである。
 「memo」が面白いのは、なるほど、世の中をこういう風に見ている人がいるのかと思わせる監督への感嘆である。そして、映画中の人物も、同じものを見ていながら、全員が同じように見えていないような気がすることだ。人は同じものを同じように見ていると思うのは錯覚に過ぎない。そのように全然ちがうものを見ている人間同士の心が、ある一瞬に微かにラップする時がある。そこに人間の愛しさがある。「memo」の笑いの先にある感銘はそこなのだ。
 同じものは誰もが同じように見えるのが、人間としてあたりまえだとしか思えない石頭の方には、残念ながらこの魅惑はわからない。そしてその魅惑を、私はセンス・オブ・ワンダーという。(センス・オブ・ワンダーとはそれだけではないけれど)
 ただ、理屈をつければ、そんな風に言えるのかな?と思う程度で、「memo」の魅力はあくまでも純感覚的なものである。

圧倒的不評で始まるシンポジウム
シンポジウムのゲストは、監督・脚本・出演の佐藤二朗さん、主演の韓英恵さん、プロデューサーの大高由紀子さんの3人、司会はこの映画の推薦者で映画評論家の野村正昭さんだ。
 開始前に、私は滋賀の郵便局OBの失礼します!Oさんに探りを入れる。多分、生真面目なOさんには、絶対に理解できない世界だろうと推察したからだ。案の定、「どうでっしゃろ?」とのOさんの問い掛けに、「いやー、素晴らしい、椅子から落っこちるくらい笑い転げました」と返したら、「そんなもんでっか?」と唖然とされた。Oさんにとっては、映画以前という感じのようである。
 シンポジウムが始まる。さすがにOさんも、映画以前との感想で言うこともないのか、いつもの調子に即発言とは至らない。私は私で、監督のこんな風に世の中を見ている視線が、他の人にはどう映っているかの興味で、とりあえず聞き役に回ることにする。
 トップを切ったのは常連のYさん、初っ端から超辛口の感想が出る。分析的に鑑賞して、ヘンなところを徹底してあげつらう。次々と出る感想は辛口ばかり、分析してヘンなところが続々と指摘される。そうかなあ。分析する映画じゃないけどなあ。ヘンなところが良いんじゃないのと私は思うが、このあたりの私の気持は後の項に記したい。
 意外だったのは常連キューブリックさんが好意的な発言をしたことだった。いや、意外といっては失礼か、キューブリックさんはご高齢の割には柔らか頭で感性がしなやかなところがある。これまでの映画祭でも「スクラップヘヴン」や「ゼブラーマン」を絶賛していたことがあった。
 辛口続発で火がついたのか、待ってました!と意気込んだのか、失礼します!Oさんの熱弁が始まる。その辛口ぶりは舌鋒鋭く、最前列だったこともあり、ゲスト3人は恐怖で完全に引いていた。私は一つ気になった。いつもOさんは主語を「私は…」と言う。だが、この時は「我々は…」と言っていた。意識的なのだろうか。つまり、この映画の駄目さは「私」ではなく、「我々みんなの総意」だとの意味が込められているのだろうか。シンポジウム終了後に尋ねたら、「あれ、我々って言ってました?」と答えたから無意識だったようだ。「Oさんのファッショ体質が出ましたね」と、私はブラックジョークを飛ばした。いや、自分が駄目と思ったものに対し、良いという意見が出ると徹底的に叩き潰しにかかる個性の方であることは、まちがいない。

賛否否否、賛否否否両論の顛末
不評の嵐が一段落した後で、司会の野村正昭さんから、「この辺で製作者側のお話を伺います」との展開になる。佐藤二朗監督は半ば自嘲気味に「いやあ、賛否両論、いや賛否否否、賛否否否のご意見、ありがとうございます」とユーモラスに答え、弁明にこれ努め始める。その中で興味深かったのは「TVヴァラエティならば、10人いたら全員に笑いが届くように考えますが、映画では3人に届けばいいと思いました」の一言である。私は我が意を得た。そうだ、そうだ、それでいいんだ。私はその中の三人に入った幸福な人種なんだ。ザマー見ろ!てなもんである。
 再び会場の参加者が感想を語るコーナーが再開される。これ程の不評の嵐なら、断固支持派の私は何とか言わねばなるまい、と思っていたら、野村さんから「若干の人に、こちらから指名させてもらいます。周磨さん、どうですか」と来た。待ってました!である。
 「笑いました。椅子から落ちるくらい笑い転げました。絶対にこの感覚を分からない人はいると思います。でも、私にはピッタリでした。上映中、大声で馬鹿笑いしていたのは私です」と前置きして、こういう風にものを見ている人がいるということが面白かったこと、人は同じものを観ているようで実は全く違うように観ていること、だからかすかな心の重なりが愛しいこと、なんて前述した意見を要約して発言した。ディティールの細かい良さはキリが無いので割愛した。「細かいことは、パーティーでジックリ話させてください。監督、逃げないでくださいね」と締め括った。
 野村正昭さんが、私を指名した裏話は、後でご本人に聞いた。あまりの不評の渦に推薦者として困惑し、私なら褒めるだろうと期待しての指名だっただそうだ。私にも不評だったらどうしようと半分は思ったそうだが、結果は思惑どおり、さすが映画評論家としての見識は高かった。
 予想に反して、パーティーで監督とジックリ話す機会はもてなかった。監督に近づいていったら、はやくも「お馴染みおたべちゃん」と常連の地元福岡Iさんが独占して歓談している。2人とも「memo」支持者のようだ。私もその輪に入る。しかし案に相違して、この後も「memo」支持者は少なくないようで、ミニ園遊会状態になり、私が思うところの半分も話してないうちに行列ができたようで、おたべちゃんに「後ろに話したい人がまだいるわよ」と言われてしまった。監督は「逃げてないですよ」と言ってくれたが、その状態では控えめにするしかなかった。「シンポジウムが賛否否否になったのは、10人中3人に届けばいいとの、監督の意図にピッタリだったということではないですか」とのことはお伝えした。
 ジックリ話すのは不可能と思っていた藤竜也さんとは結構長く話せて、私の独占を予想して目論んでいた佐藤二朗監督とはあまり話せなかったとは、世の中は皮肉なものである。

分析して「否」と、分析不可能の「賛」との間
「圧倒的不評で始まるシンポジウム」の項で述べたように、「memo」の「否」論者は徹底的に分析的なのである。そしてヘンなところをあげつらう。一方、私は感覚的にピッタリ来ているのだから、無条件降伏状態だ。分析する精神的余裕なんて全くない。
 強迫性障害でメモをやめられない韓英恵さんが、文房具屋で抱えきれないほどレポート用紙やノートを買い占める。外に出た途端、水撒きのおばさんにバケツの水を直撃され、ぜんぶビショビショにされてしまう。唖然と憮然といった表情を見交わして、韓英恵さんが去っていく。「あれってヘンですよね。韓さんは怒らなきゃいけないし、おばさんは最低限の謝りの言葉を言うはずですよね」分析的「否」論者だとこうなる。でも、そうじゃないからおかしいんである。次の日に同じ遭遇をする。韓さんは一歩引き、おばさんは水撒きをためらう微妙な空気が漂い、二人は無言で別れる。この間は何ともおかしいねえ。ここで、私は笑い転げる。世の中をこんな風に見ている監督の視線が、何とも楽しい。
 まあ、「ヘン」というのは「おかしい」とも言い換えられるから、「否」論者がおかしいと思っているところを、私も「おかしい」と思っているということで、そんなに距離は無いのかもしれない。
 人は同じものを観ていても、全く違うように見えているというキーワードさえ解れば、この映画はヘンでもなければ難解でもないと思う。空き地を駐車場にしか見えない人もいれば、そこに大木を見る人もいるし、それが本物の木だったり、絵の木だったりするのも人それぞれだ。管理人のような老人も人によって見えたり見えなかったりするのも然りである。そんな人間の視点の中にあるからこそ、韓さんと佐藤二朗さんが、映画の中で同じ大木が見えたこと、その微かな心の重なりが感動的であり、人というものが愛しくなるのである。

筒井康隆ワールドへの通底
この映画に、私は筒井康隆ワールドに通底するものを感じた。
 彼のエッセイにこんな意味のものがある。「喫茶店で、私の隣で2人の若者が大議論をしている。いや、よく聞くと替わりばんこに演説をしているに過ぎない」この一節にも、私はゲラゲラ笑ったねえ。え?おかしくない。まあ、そう思う人もいるでしょうし、それはそれで仕方が無い。
 「memo」を見て、真っ先に私が思い浮かべた筒井康隆の小説は短編の「フルネルソン」だった。地の文がない全編会話だけで書かれた小説である。だから人々を取り巻いている状況が分からない。どんな人間が何人いるかもわからない。脈絡のない会話だけが延々と続いていくが、そのピントの外れ方がヘンで無茶苦茶おかしい。私は読みながら、腹の皮がよじれるほど笑い転げた。この感じは要約して言い尽くせない。各自で読んでもらうしかないだろう。もちろん「memo」と同様に、全く理解もできないし、笑えもしないし、アホかと思う人もかなりいるだろう。筒井康隆の長編小説ならば「虚航船団」が、一番「memo」の感覚に近いだろうか。
 佐藤二朗監督に、筒井康隆について話を聞いた。予想どおり「大好き」とのことだった。残念ながら「虚航船団」は読んでいるが、「フルネルソン」は未読だった。

筒井康隆ショートショート「笑うな」(センス・オブ・ワンダーその1)
筒井康隆のショートショート「笑うな」を紹介しよう。AがBをが訪ねてくる。「実はね、ワッハッハッハッハ」「何だよ、ウッフッフッフッフ」「実はね…アッハッハッハッハ…タイムマシンを…エッヘッヘッヘッヘ…タイムマシンを造っちゃったんだよ」「アッハッハッハッハ…タイムマシンを…タイムマシンを造っちゃったんだって…ワッハッハッハッハ」こんな調子でAB両者の馬鹿笑いが続く。そして天井裏では…未来のAとBが過去の自分達の馬鹿笑いを覗いていて、必死に笑いをこらえていた。
 これは笑ったねえ。腹かかえて笑った。え?何がおかしいか分からない?こういうのは説明しても、ますますおかしくなくなるんだけど、仕方がない解説をいたしますか。
 馬鹿笑いをしている二人は、天井裏で笑うに笑えないで必死にこらえている自分達を知っているから、挑発的に馬鹿笑いをする。そして、必至にこらえているのを想像すればする程、馬鹿笑いにますます火がつくのである。え?天井裏にいるのは未来の自分だから、その存在を知るわけがないって。そういう理屈が通らないからおかしいんでしょ。もっと理屈で説明しますか?タイムマシンを造ったAが、Bにその報告をする時に、その光景を過去に遡って天井裏から覗くことをすでに考えていて…。すごいパラドックスなんだけど。もうひとつ言うならば、二つの時制の同一人物が遭遇すると何が起こるかわからないという恐怖も裏にあるんですね。何か解説すればするほど白けますね。要は、直感的にこの世界のおかしさを感じとれるかどうかということで、ま、それが一つのセンス・オブ・ワンダーということです。

樫原辰郎さんのこと(センス・オブ・ワンダーその2)
脚本家で監督の樫原辰郎さんという人がいる。センス・オブ・ワンダーに溢れた人である。私をピンク映画にのめりこませた一本「淫臭名器の色女」の脚本家だ。とにかく話のスケールがでかい。ロマノフ王朝の秘宝をめぐって、ロシアンマフィアまで入り乱れる国際的なピカレスクである。それを、低予算の密室劇に鮮やかに封じ込める。
 樫原さんが脚本を書いた「悩殺天使 吸い尽くして」という一篇がある。「Xメン」のミュータントならぬセスパー(それって何?)なる存在がこの地球上にいる。普通の人間と共存しようとするセスパーと、人類征服を画策するセスパーの戦いを描いた映画である。そんな壮大な世界をピンクでどう描くのか。赤と青のフィルターをかけた映像処理で、象徴的に表現してしまうのである。(監督は国沢実)こういう感覚は並でない。(2003年ピンク大賞ベストテンの第4位)
 監督に進出したのは2002年の「美女濡れ酒場」(脚本タイトル「使者たちの酒場」)、これがピンク大賞のベストワンをはじめ、各部門を総ナメにした。私はピンク界の「タイタニック」とキャッチフレーズをつけた。これも、あの世とこの世が入り混じるスケールの大きいファンタジーである。
 路に開いて立てかけられた番傘が、微風でゆっくり回転するシーンは、此岸と彼岸が交差する壮大な空間を現出した。「あれ、ピアノ線で引っ張っただけですよ。でかい話やるからって金なんていらないですよね。ヘッヘッヘッ」樫原さんは楽しそうだった。この人には、低予算ピンクだから、男と女の話をチマチマとやるしかないなんて発想は、全くないらしい。年頭に封切られた「ペルソナ」では、ついに一般映画の監督に進出した。今後がますます楽しみな人である。
 冒頭で私は「memo」について、「この感覚は絶対に分からない人はいると思う。(中略)荒井晴彦さんは絶対駄目だろう」と記した。徹底してリアルな荒井さんほど、センス・オブ・ワンダーと遠い人はいないと思う。(「Wの悲劇」の脚本の構想あたりをみると、そうでもないのかなとも思うけど…)私が樫原さんと知己を得たのは「現代映像研究会」だが、そこには時たま荒井さんも顔を出しているので、酒席を共にしたことはある。さすがに本人の前では言わなかったし冗談混じりではあるが、「樫原?あいつは才能ねェ!」と言明していた。
 その席で荒井さんは、脚本家志望の人に対し、「俺が審査員してるコンクールに応募したらどうだい。もっともSFは駄目だぞ!SFは!そんなの書いてきたら一発で落としてやる」と、これも冗談混じりに語っていた。
 「お馴染みおたべちゃん」の掲示板に、荒井晴彦さんシンパの倉敷ツタヤ店長のOさんから以下のような書き込みがあった。
 『「memo」は事前に見てました。こういうことは言いたくないのですが、言わないことを意識しているのですが、生理的に受け付けない映画でした。故にシンポでも語る資格がないと考え欠席しました。周磨さんの肯定論、気にはなります。日記をお待ちしています。』
 私の答は以上のとおりです。荒井さんシンパのOさんならば受け付けないだろうというのは、「想定内」でした。でも、センス・オブ・ワンダーの理解の有無が、その人の良し悪し・高低を決めるものではありません。感性の問題です。前の佐藤二朗監督の言にもあるように、「10人中3人に届けばよい」とあるように、むしろセンス・オブ・ワンダーなんて言ってる方が少数派でしょう。

最後に
シンポジウム終了後、「椅子から落ちるくらい笑い転げるのは、過剰反応です!」と、キューブリックさんに決めつけられた。私が笑い転げたのは事実なんだから余計なお世話とも思った。この人は高齢の割に感性が柔軟だが、人は同じものは同じように観ているはずだとの陥穽には陥っているようだ。
 失礼します!Oさんにもそんなところがある。最終日のパーティー終了後の私設総括会で、「memo」が新作ベストに挙げる人の数で同点首位になったら、唖然・呆然・憮然としたみたいで、未練がましく「周磨はんが言わはるような、そんな笑える映画でっしゃろか?」と疑義を呈していた。他の人が「いや、あれは完全に笑いを狙った映画でしょ」とピシャリと言ってくれたので、私は何も言わないですんだ。
 人は同じものを見ていても、各自それぞれにとっては全く別のものとして見えている。その感覚の程度の差が、センス・オブ・ワンダーを感じる感性の差となっているのだろう。でも、人は同じものを同じように見ているはずだというのが、むしろ一般的な感覚であるから、長々と述べてきたこのセンス・オブ・ワンダー云々の一文は、多くの人には狂人のタワ言にしか聞こえないかもしれない。
 ちなみに筒井康隆は、若き日に何度も直木賞候補に挙げられながら、保守的な選考委員の猛否定にあって、ついに受賞に至らなかった栄えある経歴の人である。ついでに言うならば、湯布院映画祭で最もセンス・オブ・ワンダーに理解が深い人は、最近バリ島でスキューバダイビングのインストラクターとして就職し、もう映画祭機関紙「メイムプレス」紙上でしか出会うしかなくなったSF作家・映画評論家の友成純一さんであろう。
湯布院映画祭日記2008−6

●新作特別試写「しあわせのかおり」

「しあわせのかおり」の私の感想
静謐ないい映画である。
 中国から日本の一流レストランに招請された料理人の藤竜也が、日本人との人間関係がうまくいかず、今はささやかな中華飯店を開いて、妻とも死に別れヒッソリと暮らしている。藤竜也の初老の男の哀愁が際立つ。夫と死に別れ、精神を病み、育児能力を問われ、小学生の息子と別れさせられた中谷美紀は、今は心の病いもどうにか回復し、デパートに就職して社会復帰に励んでいる。
 中谷美紀は、地元で好評の中華飯店を、デパートに出店させようと依頼に訪れる。藤竜也は過去の人間関係の煩わしさから、このまま静かに町の中華飯店の親父でいたいので、出店を断る。しかし、中谷美紀は、藤の真摯な姿勢に打たれ、仕事を越えて連日飯店に通いつめ、料理を味わいつくし、ついには弟子入りを志願する。
 この2人の心の通い合いを、味わい深く描ききっている。難病に純愛を重ねれば一丁上がりという映画が、日本でも韓流でもやたらはびこっている昨今、初老の男と若い母親の、男女の愛とは全く無縁の心の交流を描いたこの作品は新鮮だ。でも「寝ないから駄目」論者の荒井晴彦さんあたりだと、ペケになるんだろうか。藤竜也と中谷美紀は寝なきゃダメとなるんだろうか。
 私は、男と女の関係をなんでも異性愛に結びつけることはないと思う。そういうものを抜きにした心情の交流というのは存在するだろうし、もちろんそれは同性の心の交流とは微妙にちがうのも間違いない。秀作「ドライビング・ミス・デイジー」あたりはその典型だ。白人の上流階級の老夫人と黒人のお抱え運転手という関係は、逆立ちしたって恋愛とは無縁である。でも、この映画は女と男の人間関係であるところに味わいがあるのだ。二つの性が存在する社会の中で、性愛とは直接関係しない心の交流、そこにもう一つの人生の潤いを見たいと思う。
「お腹を空かせて観ないで下さい」この映画にはそんな前評判がたっていた。そのとおりであった。とにかく登場する中華料理の数々が美味しそうなのである。古くは「バベットの晩餐会」、最近では「レミーのおいしいレストラン」と並んで、「食欲増進映画」として双璧だった。空腹で鑑賞した人は災難だったろう。幸い私は、この日記の最初の方の「長浜ラーメンの謎が解ける」の項で紹介したラーメン店の、無料替玉サービスで2個分を食し満腹だったため、その「被害」には遭わないで済んだ。

上映時間の話題に私が火をつけた
シンポジウムは、ゲストに三木和史プロデューサー、出演の藤竜也さんと山田雅人さんを迎え、小林俊道さんの司会で進められた。三原光尋監督の都合がつかなかったのは、ちょっと残念だった。
 私の感想同様、シンポジウムは好意的な感想で進んでいった。感想が出揃った中盤になったので、私は別の観点から、初日の大森一樹監督の最近の日本映画の上映時間の問題提起にからめて発言した。
 「良い映画です。その良さはみなさんの発言で出つくしましたので、私としてはラストシーンの良さだけに絞ります。終番近くに児童相談所の男が中谷美紀さんに言います。『あなたは立派な母親です』、この後、子どもが戻ってきて激しく抱き合うなんてことを見せなくて、本当によかったと思います。この控えめな表現で、その後の展開を十分予想できます。むしろこの方が余韻があって感動的です。また、真に中谷さんに心を開いた藤さんが、その証として紹興酒を勧めます。無言です。そこにすべてが表現されています。そこでフェイドアウトでエンドクレジットとなります。無駄がありません。
 でも、終わってみたら2時間4分の時間が経過していました。この爽やかな内容は、昔ならば1時間半程度でキッチリ描きつくしていた内容です。どうして、2時間を越えるんでしょうか。ラストの簡潔な表現から見るように、無駄があるとは思えません。でも、2時間を越えてるんです。どうすればいいのかは、私はプロでないから分かりません。でも、昔の映画人はこの内容は1時間半で表現しました。これはプロデューサーの仕事でもあると思います。1時間半の内容は、1時間半で表現するように考えてください。お願いします」
 三木和史プロデューサーからは、具体的な回答があった。紹興酒を求めて中国までロケするエピソードは不要との意見もありました。(私は中国語で藤さんが、中谷さんを「私の娘です」と紹介してしまうためにこそ、中国のシーンは必要と思った。これがあるから決定的要素として、二人の関係を生臭い男女の関係から脱却させた)そこをカットしようとも考えました。だが、それをカットすると国内のエピソードでも不要となるものが出てきます。さらに、あのエピソードは書き換えなければならなくなり云々…。解説は延々と続く。苦労は分かる。が、私はプロでないんだから、それでもプロとして何とかならなかったのかと聞きたいだけなのだ。

司会の小林俊道さん、シンポジウム終了時間を誤認
司会の小林俊道さんが「今の日本映画の上映時間の問題はあると思います。でも、この映画はその論議に値する映画とは思いません。これはこれで良いと思います」と中立の司会者らしくない強い反論を述べた。何か妙に一参加者の発言に対して、気合い入り過ぎだな、と感じた。
 直後にその謎が解けた。小林さんは、その発言の後「では、時間も来ましたので、この後はパーティー会場へ…」と始まったのである。私はシンポジウム中盤だと思っていたので、一瞬あっけにとられた。実行委員の一人から声が上がる。「時間はまだまだありますよ」「えっ9時20分までじゃないんですか」と小林さん。「45分までと思ってましたけど」と私。小林さん、なぜか感違いしていたようだ。それで分かった。私の、一方的に偏ったと一部の人に思われそうな発言で締めては、まずいと思い、司会者としてバランスを取ろうとして性急な強い発言になったのだろう。

上映時間論議、白熱する
まだ30分近く時間があり、仕切り直しとなったシンポジウムだが、結果として上映時間論議になる。前に失礼します!Oさんから「周磨はんの発言は全体を引っ張っちゃうから、最初に発言したらアカン!」と言われたが、またそのとおりになってしまった。別に私が悪いわけじゃないけどねェ。皆の潜在的な関心に火をつけちゃっただけのことじゃないだろうか。突然の時間延長で、司会者が白くなったんじゃないかと見た渡辺武信さんが、場つなぎの盛り上げ役を自任しているだけに、すかさずフォローする。
 「この映画は90分で納める内容です。なぜ90分に納まらないか。まずカット尻が無用に長い。これを吟味するだけで、かなりの時間短縮になります」
 さらに、歴史的名作「荒野の決闘」を例にあげて、三木和史プロデューサーに止めを刺す。「プロデューサーがいろいろ言われましたが、観客にとっては言い訳にしか聞こえません。言い訳はいりません。どうやって90分に納めなければいけないかということです。現在、名作と言われている90分強の『荒野の決闘』は、プロデューサーのダリル・F・ザナックの編集版です。最近、それよりも長いジョン・フォードのディレクターズカット版が公開されました。これがザナック版よりも冗長で良くない!プロデューサーの役割を、しっかり考えていただきたいと思います」
 ただ、渡辺武信さんは、良かった部分も強調した。「カット尻が長くても、良かった部分もあります。中谷さんが、これが最後と決意しての中華料理の弟子入りを断られ、失意の心で雪が舞うホームから電車に乗り込んだ時、藤さんがホームまで追ってきて、ホームに戻った中谷さんに『明日から来い』と語りかけるまで、あそこはあのとおりで良く長くありません」
 プロでないから、具体的なことは分からないと言った私だったが、この武信さんの話をお聞きして、具体例としてそここそ刈り取れるところだと気が付いた。このあたりの話は、パーティーの時の項に譲りたい。
 この後、実行委員会重鎮の横田茂美さんから、「内容に対して長過ぎる映画はあるが、これは該当しません。2時間強の内容の映画だと思います」と、再度反論があった。

小林さんとセブンイレブン店長Hさんの大論争になりかけて時間切れ
いよいよ本当にシンポジウムの終わりが近づいてきたところで、準実行委員のセブンイレブン店長Hさんから意見が出る。「中谷美紀さんが、やっとできた就職先を投げうって、町の中華飯店に弟子入りしたいというのは、唐突で納得できないですね」
 司会の小林俊道さんは、「映画は虚構ですから、そういうことは言い出したらキリがないと思います」
「虚構でも納得できるそれと、絶対できないものがあるでしょう」
「そういうことを言い出したら、話にならないですよ」

小林さん、中立の司会の立場以上に熱くなりだした。他の実行委員から「そろそろ時間なんですけど…」と、呼びかけられ、この件は時間切れになったが、全体的に小林さんらしからぬペースの乱れであった。終了時間の誤認から、乱れが始まったのだろうか。
 私としては、虚構ではなく中谷さんの行動は納得した。夫の死で情緒不安定になり、児童相談所から育児資格に疑問を呈された女性である。精神障害を有するのだから、こういう突拍子もない行動に出るのは必然であり、だから子どもの養育権を剥奪されたのだと思う。十分リアリティがあると思った。ただ残念だったのは、シンポジウムではすでに私は一度発言しており、残り時間も少なくなっていたことから、この件はパーティーで私の意見を述べつつ、Hさんと話しをしようと思っていたが、機会を逃してしまったことである。

上映時間短縮の私なりの具体論
シンポジウムでは私は、上映時間短縮について「どうすればいいのかは、私はプロでないから分かりません」と、無責任な丸投げをした。でも、渡辺武信さんの指摘で、私も一点だけ具体案を思いついた。奇しくも武信さんが冗長でないと評価したシーンが、私は冗長で刈りこめると思ったのだ。
 中谷美紀さんは、デパート出店依頼の仕事を離れてまでも熱心に、毎日毎日、藤竜也さんの定食を味わいに中華飯店に通い続ける。そして、弟子入りしたいとまで思いつめる。「そういう考えはない」と突き放す藤さん。最後のお願いと思いつめたその日も、中谷さんは藤さんに拒絶される。寂しく去る中谷さん、外は雪が舞う。改札をくぐり踏切を越えて、帰りの電車に乗る。発車直前、改札の外に藤さんが立っているのに気づく。飛び降りて踏み切りを越え、藤さんの傍に立つ。「明日から来い」ボソリと藤さんが呟く。輝く表情の中谷さん。
 私は、ここまでクドい描写は不要であると思った。改札の外に立つ藤さんの姿を見て、中谷さんの表情が輝く。そこで暗転させるだけで、じゅうぶん意味は伝わるではないか。いや、その方が余韻があると思う。これでかなりの尺が短縮できると思う。こういう映画話法を工夫すれば「しあわせのかおり」は、90分程度で納まると思う。
 このことをパーティーで三木和史プロデューサーにお話した。それと共に、ただそういうコンパクトな映画話法が、撮影所システム時代のプログラムピクチャーで優れていたのは、始めに90分ありきという制約からだと思います。現代のプロデューサーと監督の関係ではいろいろあるでしょう、でも、90分というのは観客の生理に合うのも確かです、とご意見を申し上げた。

シンポジウムでの藤竜也さんとのこと
藤竜也さんは北京生まれで、3歳まで中国にいたという。ただし、今回のキャスティングにあたって、三木プロデューサーはそのことを知っていたわけではなく、偶然に中国人の役をオファーしたとのことだ。また、藤さんも物ごころつく前の話だから、中国語は全く知らず、一から勉強したそうだ。ただ、中国にロケした時、意味がわからないにも関わらず、中国語がひどく胸に沁みたそうだ。三つ子の魂百までもというところだろうか。
 脳梗塞で倒れた後、中谷美紀さんと再会した藤さんが、とっさに不自由になった手を隠すシーンがあった。シンポジウムで、「ああいう演技のプランはいつ立てられるんですか」という質問があった。藤さんは「私は演技の計算はしません。筋肉が自然に動いてくれるんです」という興味深いお答だった。
 藤竜也さんというと、若き日は反逆児のイメージが強い。その藤さんが温厚な中国人の初老の料理人に、意外とハマったことも話題になった。私は「その中で、児童相談所員が中谷美紀さんのことについて、無神経なことを言った直後に、すごい表情で、帰れ!、というところは、オッ!反逆児、藤竜也登場!という感じで良かったです。もちろん、あの表情は藤さんの中谷さんに対する思いがさせたものですが、それがかつての反逆児としての藤さんのキャラクターと、微妙にラップしたのが良かったと思います」と感想を述べた。

パーティーでの藤竜也さんとのこと
今年の湯布院映画祭のゲストは、全体的に地味めだった。女優さんの当初予定は韓英恵さんのみ、急きょ参加となった真由子さんを加えても、どちらかといえば個性派で、華やかなスターという感じではない。だから、男優の藤竜也さんが華やかなスターのメインとなるだろう。これにこちらも急きょ参加の谷嶋智人さんが花を添えた。今年の華やかさは男優陣が受け持ったというところだ。
 スターの場合は、パーティーは私の名付けるところの園遊会状態となる。一般参加者が行列して、スターと一言二言の言葉を交わして次々と交替する状況である。藤竜也さんなんて、正にその状態になりそうだ。私はお話するのを諦めていた。
 案に相違して、パーティーで藤さんとジックリ話すことができた。シンポジウムで私が言った「反逆児の表情」について、補完的なお話を伺った。まず、あの料理人は、小さな中華飯店の主人になるまでは相当な修羅場をくぐっていて、それがあの表情の凄味に出たのかどうか、とお聞きした。また、ここは反逆児藤竜也の個性を生かされようと思われたかどうかである。主人公の半生については、現在のように黙々と地道に生きていた男として演じました、とのことだった。また、あの時の激しい表情は、主人公の気持になれば、自然に出てくるものです、とシンポジウムでの「筋肉が自然に動く」との藤さんの演技術を体現したお答だった。

活弁に参考になった藤竜也さんの演技術
役の気持になれば、演技は自然に筋肉が動く。この藤竜也さんの演技術は、活弁の勉強をしている私にとって、共感できるところが多かった。
 以前に私が、沢田正二郎の「国定忠次」を語った時のことである。迫力を出すのは大声に限ると、山形屋藤蔵に大きな声で凄ませた。凄み返す忠次はもっと大声を出した。会員のある人からアドバイスがあった。その筋の人もよく知る多彩な人生経験の方である。「あなた、ヤクザは大物ほど、凄む時は声が低いですよ。大声を出すのはチンピラです」と言われた。そこで、忠次と藤蔵の声の大きさを当初と逆転させ、忠次の声を低くして効果をあげた。
 今年の私の演目は阪妻こと阪東妻三郎の「坂本龍馬」である。このテクニックを応用して語ることにした。長州藩の過激派や海援隊の跳ね上がりは、その威勢の良さとは裏腹に軽薄なところを強調するため、できるだけ大声を張り上げることにした。逆に龍馬は小さな声で淡々と飄々と語ることにした。
 活弁にアドバイスをいただいている飯田豊一先生から、「大体いいんだけど、龍馬がよくないね」と言われた。「阪妻の映画、観ていないの?そうならば少し観た方がいいよ」「阪妻の映画は沢山見ています。ただ、阪妻を意識したら怖くて語れなくなれますよ」「別に阪妻の声帯模写をしなくていいんだよ。阪妻の龍馬を演じてる心の中に入れば、自然と声の形は出てくるんだよ」
 そうか!過激派や跳ね上がりは大声、龍馬は淡々・飄々との、技法に囚われ過ぎた。それよりも、入魂の演技の阪妻の心情に近づけばいいのである。活弁を語る時は、その映像が眼の前にあるのだから、これほど気持を入れやすい環境はない。藤竜也さんの演技術の話は、私にも深く食い入ってきた。
 もちろん、演技術はそれがすべてではないだろう。キネマ旬報の「おくりびと」のインタビューで本木雅弘さんは「私は形から入りますからね」と語っていた。演技術とはいろいろだと思う。ただ、たまたま今年湯布院でお会いした藤竜也さんの演技術論に、私は共鳴したということだ。
湯布院映画祭日記2008−5

●特集「何だって面白くしてやる! 舛田利雄のあくなき仕事」

先の読めない興味で引っ張る「完全な遊戯」
「何だって面白くしてやる!」、舛田利雄ほどこのキャッチコピーにふさわしい監督はいない。今回の映画祭上映で初見だった人は、怒涛のような面白さの乱打に圧倒されたことだろう。残念ながら私は、上映作品10本中おいしいところを8本見てしまっている。淀川長治さんがよくおっしゃっていた「あなた、あの映画を見ていないんですか!いいですねえ。素敵ですねえ。あなたは私よりも人生の楽しみが一つ多いんですよ」という言葉を実感する。とにかく全作品未見の人は、私より人生の楽しみが八つも多かったわけだ。
 未見の2本のうちの1本「完全な遊戯」は、やはり舛田映画の真髄のような作品だった。太陽族の大学生の、遊ぶ金欲しさで遊戯まがいに始めたノミ屋詐欺が、あれよあれよと意外な方向に展開し、誘拐・脅迫・レイプ・殺人・一家崩壊へと、意に反して恐るべき凶悪犯罪へとエスカレートしていく。一寸先がどう転ぶか分からぬストーリー展開の興味を、確実な映画話法でグイグイと引っ張って行く。
 学生のリーダーがヤクザに刺殺され、後の者は知らぬ存ぜぬで逃げ切ると思いきや、最後は良心を残していた小林旭の告白で、すべてが明るみに出る爽やかさもよい。「俺たちゃ逃げ切った」と踊り狂う若者たちでエンドマークを打たれたら、ちょっと後味が悪かった。スターとしてブレーク直前のアキラの魅力が輝いている。
 もっともこれには失礼します!Oさんから異論があった。Oさんは若者の悪が栄えたまま終わらないあたりが、昔のプログラムピクチャーでありスター映画の限界と思ったそうだ。2005年映画祭の「スクラップヘヴン」で李相日監督に、「絶望結構!大いに観客を絶望させなはれ!!」と檄を飛ばしたOさんならそうなるだろう。ただ、映画は虚構を楽しむのだから、私は嘘でもいいから後味のいい結末が好きだ。

期待が大きかったせいか、やや失望した「狼の王子」
未見の作品のもう1本「狼の王子」は、最も期待した作品だった。公開当時の「映画評論」誌で大々的に取り上げられ絶賛の嵐だったが興行的には振るわず、地味なモノクロ作品であり、高橋英樹も大スターには後一歩といった段階だったことから、あまり上映の機会もなく私は見逃していた。その映画と湯布院で会える!日本映画最高齢95歳の新藤兼人監督の新作と並んで、私にとって今年の2大目玉であった。
 期待が大きかったせいか、私は肩透かしを食った。戦後の焼け跡・闇市から高度経済成長まで、ニュースフィルムを挟んでの年代記風な展開、確かにこういうのは評論家受けするわな。でも、そのニュースフィルムが自動的にアクセントになるから、次はどう展開するかとの興味で引っ張る舛田映画話法の魅惑は乏しくなる。大衆運動→水商売→平凡な幸福を夢見る主婦と、時代の変遷とともに変質するヒロインの浅丘ルリ子、時代がどうなろうと変わらぬ硬派の高橋英樹。これって逆「秋津温泉」である。こういうのも評論家受けするわな。でも、私としては一言で終わりだ。「アクションでゲージュツやっちゃいけません」

ニュープリント募金に協力して良かった!「わが命の唄 艶歌」
今年の映画祭に先立ち「わが命の唄 艶歌」ニュープリントの募金が呼びかけられた。「艶歌」は私はビデオでしか見ていない。それと関係なく私は募金に協力はしたろうが、ニュープリント・スクリーン初鑑賞にそれほど期待はしていなかった。別にこれはスペクタクル巨編ではない。じっくりした人間ドラマだ。スクリーンだからといって良さが大きく際立つとは思えなかった。
 見てみなければわからないものだ。水前寺清子の艶歌が、ジワジワと浸透し全国でヒットし始めた時の、彼女の顔がラップする形で次々とスクリーンを埋め尽くしていく高揚感の効果は、ブラウン管では全く味わえないものだった。また、単なるタイプキャストと言ってしまえばそれまでだが、水前寺清子が「映画女優」としてこれほど魅惑的だったことも再確認した。
 もう一人のこの映画の隠れた功績者は牧紀子だ。映画が始まってすぐ自殺してしまうのだが、その憂愁ある美貌は、最後までドラマの核を支えるものとして、ズッシリと存在し続ける。冬の荒涼たる風景は彼女の心象を鮮やかに表現しており、ここでもスクリーン効果満点だった。
 牧紀子はワキの女優として良い味を出すことか多かった。「昭和残侠伝 血染の唐獅子」の深川芸者でも、「ネオン警察 ジャックの刺青」のマダムでも、いい情感を出した。大成しなかったのが不思議なくらいだが、一説によると司葉子に似すぎていたのが災いしたとも聞いた。

天然ボケの舛田利雄監督が楽しいシンポジウム
シンポジウムは舛田利雄監督を中心に、かつて助監督を努めた村川透監督、「日活アクションの華麗な世界」著者で映画評論家の渡辺武信さんの三者をゲストに、司会は「映画監督 舛田利雄」の著者で映画評論家の佐藤利明さんで開催された。
 冒頭、シンポジウム会場のパネルを舛田監督が見て、「『何だって面白くしてやる!』っていいこと言うねえ。誰が考えたの」との言に始まり、「監督がインタビューの時に言われた言葉を使わせていただいたんですよ」と佐藤利明さんが返す。「あ、そうかね」と舛田監督、早くも会場は爆笑である。
 多作家の舛田監督だけに、さまざまな作品のさまざまな質問が飛ぶ。ところが答える舛田監督は、全く冒頭のとおりの天然ボケ状態なのである。「俺、そんなことやったっけ」「あまり、覚えてないねえ」といった調子である。あげくの果てに「自分の作品を見なおしてどう思いますか」との質問には「観客として楽しんじゃってますよ。あ、俺、こんな面白い映画を創ってたんだっけって感じですねえ」「地獄の破門状」の立ち回りでは、屋根から次々と刺客が降ってくるのを絶賛され、「あれ、面白いねえ。こんなことやったんだねえ」て、まるでひとごとである。
 そんな調子で舛田利雄監督の独壇場になってしまったこともあり、本来なら人気ゲスト監督として資格十分な村川透監督の出番がほとんどなかったのが残念なところだ。2003年「東映京都撮影所特集」で岡田茂氏のお付きの形で参加した沢島忠監督と同様に、もったいないゲストの扱いであった。

「花と竜」のこと
私が、舛田利雄監督にぜひお聞きしたかったのは、「花と竜」のことである。以下に私の質問を記す。
 「『花と竜』について伺います。『花と竜』は、私は日本映画史のエポックメーキングの一本だと思っています。『花と竜』は任侠映画です。一般的に任侠映画の原点は東映の昭和38年の『人生劇場 飛車角』あるいはその一週間前に高倉健が着流し姿で登場した『暴力街』と言われていますが、『花と竜』はこの年の正月映画で、こちらの方が早いんですよね。
 任侠映画はこの二年ほど前に『悪名』というのがありましたが、こちらの主演は勝新太郎で胴長単足で下腹がちょっと出た日本人的体形の着流しで、西洋人的な長身足長の田宮二郎は洋装です。
 この後、高倉健のような西洋人的長身足長の体形でも着流しが決まるということで、任侠映画がブレークするのですが、いち早く現代青年の長身足長の石原裕次郎に着流しが決まると目をつけたのはどうしてですか。この企画の監督への関わり、その他『花と竜』についてお聞かせください」
 これについても舛田監督はあっけらかんとしたものだった。
「ああ『花と竜』ねえ。裕ちゃんは原作ものが多いんですね。そろそろオリジナルで何かないかなんて時期だったんですけど、火野葦平の『花と竜』が見つかって、これやってみようかと…あの映画の話題ですか。九州ロケが大変だったよねえ。それから…それから…特に覚えてないですねえ。そんなとこでいいですか」
 司会の佐藤利明さんからフォローがある。
「任侠映画の企画はどちらがどちらを真似たということではなく、偶然同時進行になったようです。『花と竜』封切り時に、東映の関係者から日活に電話があったことを聞いています」
 それを聞いた舛田監督「へえー、そうですか。まあ、どっちが先でも大したことじゃないですよね。でも、早い方がいいか。アッハッハッハ」といった程度だった。
 昨年の「雪之丞変化」の話題の時にも思ったが、プログラムピクチャーの時代は、当初から大変な意欲作を目指したわけではなく、始めに番線を埋めることありきで、あれこれ捻っているうちにとんでもない話題作が飛びだしてくるというのが実態のようだ。

準実行委員セブンイレブン店長のHさんと「赤いハンカチ」のこと
常連の映画祭参加者で、会場で積極的に実行委員のサポーターとして汗をかいていた名物男セブンイレブン店長のHさんは、今年はついに企画段階からのサポーターに回った。パンフレットの実行委員の中には名前が見えないから、準委員といったところか。
 映画祭二日目の朝、私は「赤いハンカチ」「地獄の破門状」と見た作品が続くので、皆が会場入りした後も宿でウツラウツラして過ごし、その後に由布院駅アートホール「日活映画の輝くスターたち ポスターとスチール展」に向かう。そこでHさんと遭遇する。Hさんは今日で湯布院を去る寺脇研さんの見送り役だそうだ。完全に実行委員の一員としてのノルマを果たしている。
 ポスターを眺めながらの立ち話で、Hさんは「赤いハンカチ」を「水」の映画と力説する。前半の雨、中盤の雪国も雪の元は水で、クライマックスの水溜りも印象的だとのことだ。「フム、フム」と軽くうなずいていたら、「あ、周磨さん、馬鹿にしてる」と突っ込まれた。いや、決してそんなことありません。ユニークな観方だと思いました。
 Hさんは、シンポジウムでも舛田監督にこの感想を述べていた。この時ばかりは舛田監督もえたりやおうといった感じで「そのとおりです。よく観てくれました。水を使うと画面全体が柔らかくなるんですね。そこを狙ってます」舛田監督に対しては、このように徹底して具象的な話題の方が良かったのかもしれない。

藤竜也さんのなごやか発言
ゲストとしてパネラー席に並んでもよかった藤竜也さんが、参加者席から当時の日活の思い出話を話す。そして、パネルに映っている芦川いづみさんを指して、「実は私の家内です」とやって大いに受ける。舛田監督から「そう、彼がさらって、しまいこんじゃったんだよね」と相の手が入る。
 佐藤利明さんから裏話の紹介がある。現在の日活映画ブログの元は「芦川いづみファンクラブ」のそれだったようだ。彼女が引退したので仕方なく日活映画のブログに変身したとのことである。藤竜也夫人は日活より大きかったのだ。
 芦川いづみさんは、「おムギ」という愛称だった。有馬稲子似だったので、稲に対して麦、「おムギ」となったようだ。湯布院参加者でこのエピソードを知る者は少なく、それを話すと多くは「ヘェー」という感じだった。三日目のパーティーで「しあわせのかおり」を話題に藤竜也さんとジックリ話せる機会があったのだが、この話題を出しそびれた。もっとも愛妻のことだから、今さら「おムギ」のことを出しても百も承知で意味ないかもしれない。

舛田利雄監督がパーティー会場にいた!
「舛田利雄監督はパーティーには出席されません。特に常連の方、言いたいこと聞きたいことはすべてシンポジウムで済ませてください」二日目のシンポジウムに先立って、実行委員から告知がある。新藤兼人監督ほどではないにしても、それなりの高齢だから、パーティー不参加は仕方ないなと納得した。
 ところが三日目の麦酒館パーティーに舛田利雄監督が臨席している!連日のパーティー参加者からその楽しさを聞いて、ウズウズしたんだろうか。こちらにとっては大ラッキーである。
 私は「花と竜」以外に「昭和のいのち」についても、ぜひお伺いしたかったのだ。しかし、シンポジウムで二本も質問して時間をとっては他の参加者に迷惑だろうと、泣く泣く一本に絞った。「昭和のいのち」については、若干は内情に詳しいと思われる渡辺武信さんにパーティーで伺って、ひととおりの目的を果たしたことで良しとした。
 ところが、舛田監督がパーティーに来た!早速突撃をかける。
「昭和のいのち」は任侠映画であるが、2・26、5・15事件など激動の昭和初期の時代背景を取り込んだ二時間半余の超大作である。特に凄かったのは、エンディングが(未見の人のために具体的な表現は控えるが)任侠映画のセオリーを大きく外したことである。脚本は後に小説家・池宮彰一郎としても高名になる池上金男(監督と共作)である。このセオリー崩しは脚本の段階からあったのか?監督のアイデアか?あるいは別の誰かか?といったことである。
 舛田監督によれば、最初の池上脚本はセオリーどおりだったそうだ。ところが主演の石原裕次郎から「もう、こういうのやめませんか」と提案があり、よしそうしようと監督が決断したそうだ。会社がよく許しましたね、と私が聞くと、やっぱり裕ちゃんの発言力が強かったんじゃないの、ということだった。
 「昭和のいのち」をリアルタイムで見た時、私は仰天した。エンディング間近、完全にセオリー崩しでエンドマークが出そうなのである。でも、この当時の任侠映画のセオリーからそれはありえない。でも、あったら凄い。そんな複雑な気持で画面に食い入っていたら、見事にセオリー崩しのエンディングとなったのである。私は感動で鳥肌が立った。場所は今は無き日活封切館の荒川劇場、ところがセオリーに浸りつくしていた当時の観客は、「何じゃこりゃ」と狐につままれたような顔で帰っていった。
 後年、池袋文芸坐のオールナイトで、私は「昭和のいのち」を再見した。客層も時代も、任侠映画のセオリーを気にしないようになっていた。そして、エンドマーク、場内に静かな地話が走った。「凄い」「こんな時代にこんな映画が創られていたのか」そんな感じであった。
 以上のことも舛田監督に紹介した。監督は「へぇー、そんなもんかねえ。まあ、一本くらいこういうのがあってもいいんじゃないの」と、ここでもあっけらかんとしていた。「一本くらいじゃないですよ。後にも先にもこんなセオリー崩しはこれだけですよ」「そうかね」とここでも最後は「アッハッハ」で終わった。
 セオリー崩しは、この頃やや贅肉がつき過ぎて動けなくなった裕次郎にも関係したかどうかの、うがった質問もしたが、それについてはキッパリと「それはない。あの頃の裕ちゃんは、まだ立派に動けましたよ」とのことだった。
 渡辺武信さんから伺った内容と、そう大きくかけ離れた内容ではなかったが、監督ご本人とも話ができて、本当によかった。

人舛田利雄監督へとかぶらせる私の半生への思い
あっけらかんとして、覚えていないと言い、過去の自分の作品を一観客として楽しんでしまう。今まで湯布院でお会いした作家性の強い映画監督と、舛田利雄監督は確かに違う。「作家」というよりも「職人」なのである。
 舛田監督は映画を愛していないとは言わないが、それ以上に「仕事」として映画を創り続けたのではあるまいか。その中で「何だって面白くしてやる!」と、「仕事」を楽しんだのではないだろうか。
 昨年の「湯布院映画祭日記」で、私は電力マンとしての我が人生を総括した。それは映画と無縁な楽しくない仕事を、とにかく「楽しんで」やろうとしてやってきた軌跡だった。だから、OB会などでかつての仕事仲間と話すと、微妙にブレることがある。技術屋として生き抜いた彼等は、(多分)全身全霊を仕事に打ち込んでいたのであろう。思い出話をする時、いろいろ細部にわたる数値を実に細かく記憶している。ひるがえって私は、仕事の中で「映画していた」からだろう。その時の人の動きや気持のあり方は細かく記憶しているが、数値に関しては終わればすべてクリアして何も覚えていない。かつて私がまとめた技術検討書なんて見たら、「むずかしいこと書いてるねえ。頭のいい奴だねえ」なんて舛田監督ばりに言うんじゃないだろうか。舛田利雄監督が、私と同じなどと図々しいことを言うつもりはないが、何となく「映画作家」と「映画職人」の違いが分かるような気がしたのである。


新作特別試写「石内尋常高等小学校 花は散れども」

「石内尋常高等小学校 花は散れども」の私の感想
透明な人間観・人生観・社会観の映画だと思った。新藤兼人監督が自らの尋常高等小学校の恩師をモデルにして、戦前から戦後への師弟愛を中心とした大河ドラマである。
 内容的にはかなりエグイところもある。戦争を挟んでいるから、当然その悲劇に覆われているし、広島という土地柄で被爆者の問題もある。不倫があり、その子どもと親子3人が揃っていながら、親子と名乗れず結婚もできないという切ないエピソードもある。
 でも、すべてが静かで透明なのだ。戦争悪・社会悪に対する激しい怒りもなければ、男女のドロドロした愛欲も感じさせない。すべてが、懸命に生きてきた人々への讃歌であり、どんな選択肢をとった愛の行方もすべて良しとする達観した心情に溢れている。
 95歳の人の心情というのはこういうものかもしれない。かつて黒澤明が「まあだだよ」を撮った時、80歳を過ぎた老人が、文学という個的な作業ではなく、映画という集団作業を通じて素直に心情を吐露したことに、内容の良し悪しを越えて感嘆したものだが、それに匹敵する感銘である。いや、黒澤の「まあだだよ」的世界は、新藤はすでに「午後の遺言状」で実現済みだ。「花は散れども」ではそんな老人の透明な心情が、人生・社会すべてに透徹している。不遜だが、還暦を越えて定年になり、年金生活でそこそこ悠々と映画三昧ができる私の心情にかぶらないものでもない。
 いずれにしても、この透明な人生観に、私としては口を挟めるものは何もない。シンポジウムはこれを皆さんがどう捉えたか、聞き役専門に回ることに決めた。

私の透明な心境?
映画プロパーになりたかった。24時間映画に使いたかった。そのドロドロした思いも、寺脇研さんへの疑義のパーツの「最後は自己満足でしめくくります」の項に記したように、静かに透明になりつつある。
 いろいろあった。「キネマ旬報」の「読者の映画評」で盤石の大関の私よりも、はるかに実績の少ない張出大関が私を尻目に、何故か次々とプロデビューして横綱となっていったこと。張出大関でも横綱になれるなら、次こそ盤石の大関の俺の番だと思っていたら、アッと言う間に万年一次審査通過の幕下に転落したこと。この原因が副編集長の私に対する逆恨みだと思われること(そのトラブル時点で、偶然にも私の書く評が極端にレベルダウンしたか、他の投稿者のレベルが一気に上がったということも想定できるが、それは出来過ぎですよね)。そして「映画芸術」誌の連載が何の理由も分からず一方的に打ち切りを宣告されたこと(理由さえ明確ならそれがどんな内容でもこんなに引きずらない。他人の評価に異議をとなえてもしょうがないからだ)。
 今、すべてを24時間映画に使える身になってみると、そんなことはどうでもいい。「最後は自己満足でしめくくります」の項で述べたように、全部これで良かったと思っている。その透明感は「花は散れども」に通低している。ただし、こんなことをウジウジと回顧しているうちは、まだ透明感が不足しているのは事実だ。当然である。新藤監督のように90歳を越えれば(飲ん兵衛の私はもっと早々とあの世行きになるだろうが)、もう少しは透明感が強くなっていくであろう。

盛り上がらないシンポジウム
映画上映前の柄本明さんの挨拶で、柄本さんもこれから初めて映画を観ることが告げられる。司会の実行委員重鎮の横田茂美さんから「それではシンポジウムでは、最初に一観客としての柄本さんの感想を話してください」となる。
 シンポジウムのゲストは、出演の柄本明さん、六平直政さん、製作・プロデューサーで新藤兼人監督の息子さんの新藤次郎さんである。
 予定どおり、まずは観客としての柄本明さんの感想からである。これが妙に歯切れが悪い。「まあー、いいんじゃないんですか、何を言ってもねえ、これでいいんじゃないですか」何となくニュアンスは分かった。多分、私と似た感じを持ったのであろう。95歳の人の心情はこういうことであり、それに何を言っても意味ないということだろう。これなら私もシンポジウムで発言する必要はない。みんなが何を言うかの聞き役に徹することにした。
 ところが、このシンポジウムがあまり盛り上がらない。監督が出席していないせいか、柄本さんの冒頭発言が足をひっぱっちゃったのか、当たり障りのない肯定発言が続く。常連キューブリックさんが例によって脱線し、話題が「ふくろう」讃歌に滑り始めたら、司会の横田さんが「話題は『花は散れども』に限ります。はい、他の方」と、ピシャリとやったあたりが最も盛り上がった時だったなんて言えば、後は押して知るべしだ。(キューブリックさん、しぶとく「先程は発言を制限されたので…」と2度目の発言をしておりました)
 話題に事欠いたので司会の横田さんは、「石内尋常高等小学校 花は散れども」の題名に言及する。新藤監督の新作だから見る気が起きるので、予備知識が何もなかったら、この題では誰も見る気はおきないですよね、と会場の意見を聞く。ただ、少数ながら浜松のT要さんをはじめ、「尋常高等小学校」に愛着のあるご年配の方は、この題に惹かれて観に行くという人がいた。
 いよいよ困った横田さんは、「荒井さん、どうですか」と振る。荒井晴彦さんは「この程度で喜ぶの。みんな優しいね。そういうことなら、俺も言うことないよ」と素っ気ない。多分、否定論が続出したら大先輩脚本家を擁護しようと思っていたのではないか。

私の無発言が話題に?
今回のシンポジウムで私は発言しなかったが、誰かから「小林さんが、周磨さんの発言がなかったので、どうかしたのかな?って気にしてたみたいですよ」と耳にした。小林俊道さんは「映画芸術」誌の前営業担当の方で、内田眞のペンネームを有する。今回はペンネームの方で実行委員として参加していた。
 映画祭重鎮の横田さんからも、「どうしたんですか。発言が無かったですけど」と声をかけられる。それほど私が黙っているのは事件じゃないでしょう。「話すことがなければ、発言しませんよ。特に今回は、柄本明さんが最初に答を出しちゃったんですから」と返す。

監督健康管理・新藤風のクレジットタイトルのこと
「花は散れども」に珍しいクレジットタイトルがあった。監督健康管理・新藤風とあるのだ。普通はこういうクレジットは無い。風さんは新藤次郎プロデューサーの娘さんにして映画監督、故に新藤兼人監督のお孫さんである。2005年映画祭にはゲスト参加もした。看護師の資格を持っているのだろうか、新藤兼人監督の主治医とのパイプ役をしているのだろうか。単なるユーモアなんだろうか。パーティーで新藤次郎プロデューサーに聞いてみた。
 「看護師とか主治医のパイプ役とかはありません。現場に手伝いで来たのは確かです。特にクレジットするような仕事もなかったので、監督の健康管理を中心に見てもらうのが最良かなと思いました。ユーモア?そんな気も特にないですけど」というお答だった。それにしても、お孫さんが健康管理役ならば、お爺ちゃんも素直に言うことを聞くような気がする。微笑ましい人選である。私は、そう感じたとおりに述べ、新藤プロデューサーもニコニコしていた。

新藤兼人映画の個性
私は、かねてから新藤兼人監督作品は、一目みて個性がはっきり分かる映画だと思っていた。その意味では黒澤明・木下恵介・沢島忠・深作欣二・岡本喜八などと並んで双璧である。ただ、それを口で表そうとすると難しい。例えば、黒澤ならば風は突風・雨は土砂降りとか、深作ならばダイナミックなカメラワークとか、一言で言える。新藤映画の個性は、そのように表現するのは難しい。私流に表現するならば「硬質な映像」とでも言えばいいのだろうか。スクリーンの前にガラスがあって、石を投げたらピシッとヒビが入るような映像という抽象的な表現しかできない。
 パーティーで新藤次郎さんに、このことをそのままぶつけてみた。「こういうことは監督に直接伺ってもわからないでしょうし、一歩離れたポジションに立つプロデューサーの方が、案外に分かるような気がしましたから…」と質問した。「ウーム、そうですね。新藤監督は画面の隅々まで徹底的に創り込むんですね。それが、硬質な映像という印象になるのかもしれません。監督に聞かせたら、きっと喜びますよ」との答だった。私の感じる新藤映画の個性の一端が解けて、私としては有意義なパーティーだった。
湯布院映画祭日記2008−4

前回は、新しい地平に立った寺脇研さんの素晴らしい名司会ぶりを絶賛した。今回は寺脇さんの最近の映画評の姿勢に、少々疑義を呈したいと思う。誹謗・中傷のつもりは全くない。ただ、最近の寺脇研さんの映画評の姿勢は、かつての素晴らしかった映画評の姿勢の真逆を行っているのではないかと、私には感じられる。それにからめて、私自身のことにも、果てしなく脱線し、さらに「湯布院映画祭」から全く縁のない地平に脱線するかもしれない。まあ、キックは「湯布院映画祭」にあるということでお許し願いたい。

「TO THE FUTURE」の寺脇研さんの反応
「The ショートフィルムズ」の中の井筒和幸作品「TO THE FUTURE」は、先の私の感想でも述べたように、「現在の教育現場荒廃の鮮やかなスケッチ」だと思った。これはミスター文部省の寺脇研さんに伺えば、さらに貴重な意見が聞けると思い、パーティーで寺脇さんにそのことの話題を振り向けた。意外にも「全く現状を描いてないですね」と、木で鼻を括ったようというか、ケンもホロロというか、問題外の映画だとの反応だった。
 ミスター文部省が断言するのだから、間違いなんだろうなあ。でも、俺の感性ってそんなに狂ってるんだろうか。そこでハタと思い当たった。寺脇さんは教育の管理者であっても、教育現場の人間ではなかった。昨年の「湯布院映画祭日記」で、「突入せよ!『あさま山荘』事件」にからめ、私は寺脇さんを現場を知らない人と感じたと記した。いや、そういうと語弊があるだろう。寺脇さんに限らず、高学歴エリートのキャリア高級官僚、あるいは大企業の上級管理職は、まず現場を知らないというのが、叩き上げの下級管理職あがりの私の実感である。
 これから、とりとめのない話に脱線していくが、それが何となくすべて、最近の寺脇さんの映画評活動が、寺脇さんの良さが出る正反対の方向を向いてるんじゃないかとの、私の独断と偏見に関連するような気がしているので記してみるだけで、全く他意がないことは明言しておきたい。

ゆとり教育の極私的断面
寺脇研さんといえば「ゆとり教育」で有名である。これが今でも「ミスター文部省」と呼ばれる所以でもある。これが正しいか否かを云々するほどの見識は、私にはない。ただ「ゆとり教育」について、私の極私的状況を紹介するのみである。
 現在20代半ばの私の娘は「ゆとり教育の犠牲者」をもって任じている。本当にそうかどうかは解らない。ただ中学の時に、家内は塾通いをさせねばいけないと強く主張し、私は下町の借家住まいの貧乏人の小せがれ上がりの感覚から、塾なんちゅうものはいいとこのお嬢ちゃまが行くもんだと反対し、夫婦喧嘩のネタになった。まあ、その時の私は大企業の叩き上げ下級管理職だから貧乏人とまでは言えないが、私の娘がいいとこのお嬢ちゃまでないことはまちがいない。でも、ほとんどの同級生がせっせと塾通いしているのも、またまちがいのないところだった。私も渋々と塾通いを認めるしかなかった。月謝払ってまで塾通いしなきゃならない時代の義務教育って何なんだろうと思った。
 ある時、TVインタビューで「私は子どもはいませんけれど…」と寺脇さんが前振りをつけて語っているのを聞いて、娘は「子どもいないのに、無責任なことするな!」と怒り心頭に至っていた。まあ、私は、子どもがいない人は教育に携われないというのは暴論だと思うが、当時の娘がそんな感じを持ったということである。
 とりとめのないことを記した。これは最近の寺脇さんの映画評に対するスタンスと、直接関わるものでも何でもない。ただ感覚的になにか繋がるのかなと感じられるので、極私的状況を紹介した。繰り返すが「ゆとり教育」の是非を云々しているのではない。

「映画芸術」誌上の「エヴァンゲリオン」評
「映画芸術」2007年秋号の「2007年夏秋の話題作を語る」で、寺脇研さんと荒井晴彦さんが、例によって日本映画をめった切りにしている。その中で世紀末作品「エヴァンゲリオン」を受けて二十一世紀に新にスタートを開始した「エヴァゲリヲン新劇場版:序」の部分は、ちょっとあきれかえった。若者のカルチャー文化に対し無知で、理解をしようともしない大人が、勝手放題の放言をしているだけなのである。荒井さんの「『エヴァゲリヲン新劇場版』とか『HERO』を支持している連中が童貞なの?…」といった発言には、「エヴァ者」(という言い方があるかどうかは知らないが)の我が娘が「荒井さんってこんなことしか考えられないの」と呆れて失笑していた。
 まあ、作品に関して何をどう感じようが、それは個人の自由である。ただ「映画芸術」は市販の雑誌である。読者は金を払って購入しているのである。木戸銭を取っているのである。無知な大人の馬鹿話では木戸銭に値しない。
 ただし、荒井晴彦さんは作家である。はっきり言って木戸銭を取れるだけの脚本を書けば、それでいい人である。どんな発言でも、その作家の内面を伺わせる糧になるのだから、そういう意味では何を言ってもすべて木戸銭に値する。(それはそれで、作品と絡めた作家としての価値に関わるのだから、自己責任にはなる)
 寺脇さんはちがう。「映画評論家」である。別に評論家がすべての映画に精通せねばならぬということはないから、若者のカルチャー文化を知らなくても問題ない。ただ世紀末に「エヴァンゲリオン」は、かなりの少年に「エヴァ現象」なる狂躁的な状況も引き起こしている。そのへんのあたりをミスター文部省・ゆとり教育の中核者なりのポジションを踏まえての切り込みでもあれば、プロの「映画評論家」としての発言といえよう。ド素人の放言ではないのだから、そんな風に何でもいいから、プラスアルファーが無ければ木戸銭は取れないということだ。

私と「エヴァンゲリオン」
SFファンとしての興味はもちろんあったが、私はそれを越えて世紀末の「新世紀エヴァンゲリオン」に関心を持った。当時中学生の我が娘は、何人かの友達とともに完全に「エヴァ者」であった。劇場を十重二十重に取り巻く中学生の一人であった。(ファン層は男の子が主体だったが)
 「だからみんな死んでしまえばいいのに」に始まり「失望の海」「脆弱な心」「偽りの微笑み」「病的な被写体」と陰鬱な言葉が延々と続き「虚構の始まり 現実の続き それは夢の終わり」「では、あなたは何故、ココにいるの?…ココにいても、いいの?」で終わるキャッチコピー、このどうしようもない暗さは何なのか。そして、劇場を埋め尽くす子どもたちの雰囲気は、かつての「宇宙戦艦ヤマト」につめかけた少年たちの熱狂とは程遠い静けさだ。その中に私は、時代の波の中にのたうちまわっている子どもたちの内面を見た。世紀末の同じ頃に酒鬼薔薇事件もあった。今、子どもたちに何が起こっているのか?これが「ゆとり教育」と関係あるかどうかは、私は知らない。ただ、SFファン・映画ファンの興味を越えて、人の親として「新世紀エヴァンゲリオン」にのめり込まざるを得なかった。
 私はTVシリーズ全26話13時間と映画版「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生」「THE END OF EVANGELION」二本のすべてを観た。「シト新生」の評をまとめ「読者の映画評」に投稿しただけではなく、「エヴァンゲリオン」全体についても、長文の評をまとめ、開店休業を承知の上でキネ旬ニューウェーブにも投稿した。残念ながら「シト新生」評が第一次審査通過したのみで、すべて没原稿になった。そして最終作の「REVIVAL OF EVANGELION」に至って、やっと「エヴァ現象」に私なりの一応の決着を見た。
 「新世紀エヴァンゲリオン」は、世紀末風に形を変えた昔ながらの伝統的ヒーロー譚に過ぎなかったようだ。「雪!君だけは死なせはしない」と悲壮に特攻をかける「宇宙戦艦ヤマト」の古代進は、私の娘の世代にとってはギャグにしか見えないと聞いた。「逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ」と繰り返し呟きながら汎用人型決戦兵器・人造人間エヴァンゲリオンに乗り込む碇シンジこそが、世紀末の少年にとって共感できる英雄だったのだ。だから、ヒロインも森雪のような単純可愛子ちゃんではなく、綾波レイ、惣流・アスカ・ラングレーに二分化した屈折を有するのである。好戦主義にも見えかねない単細胞の古代進をギャグとして笑い飛ばし、悩める少年の碇シンジに英雄像を見るのは、案外健全な感覚かもしれない。

名著「ゼロ年代の想像力」
「エヴァンゲリオン」を否定するから悪いというのではない。徹底的に否定論を展開した「ゼロ年代の想像力」という名著がある。「SFマガジン」に連載され最近単行本化された宇野常寛の一冊である。
 若者のカルチャー文化は「エヴァンゲリオン」などを中核にして、世紀末に大きく花開く。しかし、もはやそれは「ゼロ年代」(21世紀)には通用しない。しかし、コミック・小説・映画・評論など、未だに世紀末の価値観が継続している。そこに異議を発し、新しい価値を提起した評論である。乱暴に要約すればそんな一冊だ。
 その若者カルチャー文化の多方面の分野にわたる博学ぶり、そして緻密な論理の展開は目を見張るばかりである。それが78年生まれの人であり、私の娘よりやや上だがほぼ同世代というのだから驚くばかりだ。当然私などのあずかり知らない作品名が続出する。さすがに世代がはるかに下の私の娘にとっては馴染みのあるものが多いらしく、「ヘーこれにも注目してるんだ。この作品をこう観るのか」と感心していた。「エヴァンゲリオン」を中心に「ゼロ年代の想像力」をめぐって、対話は父娘で大いに盛り上がった。こういうのが木戸銭がいただける評論ということだと思う。

「新エヴァ」への期待
21世紀の「エヴァゲリヲン新劇場版」は、世紀末の「新世紀エヴァンゲリオン」のコピーではない。だから、「序」の段階で「新」を否定する宇野常寛は時期尚早だ。これが父娘の一致した意見だった。
 娘は今でも「エヴァ者」である。というよりは新世紀の「エヴァンゲリヲン」のファンは、かつてのファンがそのままスライドしているのが実態のようである。1288席の日本一の大劇場新宿ミラノ座を埋め尽くしていたのは、中学生ではなかった。かつての中学生がそのまま成長した年代だった。
 「エヴァゲリヲン新劇場版:序」、一見かつてのTVシリーズの絵だけをリニューアルした復刻版のように見える。しかし、ディティールに微妙な変質を感じる。もっとも仰天したのは、早くも渚カオルが使徒であることを早々と明かしてしまったことだ。世紀末版では、彼が「最後の使徒」だったと明かされるのはほとんど終盤近くであり、その無二の親友が使徒だったことで、主人公の碇シンジが徹底的に傷つくポイントとなるのだが、それを「序」で明かしてしまったからには、「破」「急」「完結編」と続く「エヴァゲリヲン新劇場版」は、「破」以降では、世紀末「エヴァンゲリオン」と全く違った展開を見せるのであろう。前世紀作では後半に登場する秘密組織ゼーレが、はやくも姿を覗かせているのも興味深い。
「エヴァンゲリオン」の話題は尽きない。いずれ二十一世紀版が完結したあたりに、世紀末版の私の原稿も復刻し、「映画三昧日記」で大特集をやろうと考えている。

疑義を呈したい最近の寺脇さんの映画評
 「映画芸術」2008年春号の「2008年上半期の日本映画をめぐって」で寺脇研さんは「ノーカントリー」について、「大したものではない。私が観に行ったのはアカデミー賞ってどういうレベルなのかと思ったからだけど。なにしろアカデミー賞映画を観るのは生まれて初めてなんです」と暴言!(あえて、そう言わせてもらいます)を吐いている。「キネマ旬報」7月下旬号REVIEWの「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」評では核実験のシーンで「こんなもんを楽しむのがアメリカ映画の教養なんだったら、私は無教養で結構だ」と喝破している。
 「クリスタル・スカルの王国」の核実験の扱いについては、さすがに私も「ム…?」と思った。確かにインディ・ジョーンズは不死身である。第二作の「魔宮の伝説」では、飛行機からゴムボート一つで落っこちて、たまたま下が雪原の大斜面だったから制動をかけて、九死に一生を得るなんて、いくら何でもそりゃないよねと思うとともに、その荒唐無稽に説得力を持たせてしまうのが、スピルバーグ映画話法の凄さだと思った。例えば樋口真嗣が「隠し砦の三悪人」で大爆破の炎の中から阿部寛が馬で疾駆して出て来たりさせると、「そんな馬鹿なこた無いだろ」で終わってしまう。そこがスピルバーグとの実力の差だ。今回も核実験で九死に一生を得た後も、スプラッシュ・マウンテンを遙かに凌ぐ大瀑布に三度墜落してシャアシャアと生きてるというとんでもないシーンがある。だから核実験も何のそのは、いかにもインディ・ジョーンズらしい。でも、こちとら日本人だ。それでいいのか。いいんじゃないの。でもねえ…。と自問自答を繰り返したのは事実だ。
 「キネマ旬報」8月上旬号の「ファイト・シネクラブ」で大高宏雄さんは、「作家的な信念から、少々勇み足」との一言で、鋭い切り口の表現を見せ、私の思いをスッキリさせてくれた。アメリカを、アメリカ映画を、スピルバーグを、研究しつくした大高さんならではの発言である。これがプロというものだろう。
 寺脇さんは最新の「映画芸術」2008年夏号「日米★映画合戦」の荒井晴彦さんとの対談で、「荒井さんは、アメリカ映画を観ない奴に映画を語る資格はない、なんて思ってる?俺はそういうのに昔から反発があるんだ」という開き直りとも思える発言をしている。たしかに映画は誰でも語る資格はある。ただ、寺脇研さん個人に限ってみれば、その姿勢では木戸銭がいただけるアメリカ映画の批評は、出てこないということなのだ。あなたの批評の素晴らしさの原点はそんなところにはない。
 私は活弁をやっている。昼飯程度でギャラなんて無いが、少額ながらお客さまから木戸銭をいただいている。そのお客さまにとって、演者のギャラの有無・高低なんて関係のないことだ。台本棒読みのようなことをやったら失礼だし、木戸銭は取れないでしょう。映画について語るのは自由だ。ただ、市販の雑誌で公けにするのなら、木戸銭の取れる批評でなければならないということである。
 日本映画専科だった寺脇研さんが、禁を破って外国の韓国映画に視点を拡げたあたりから、この乱れは始まったように思う。荒井晴彦さんあたりから「童貞男が手練れの娼婦にはまったようなもの」なんて意味の冷やかしもあったが、ここまではまあそう間違いでなかったと思う。多分、日本の誰よりも韓国映画を観て、ダントツの韓国映画通になったことはまちがいない。しかし、10年足らずの鑑賞歴で韓国映画100選に至るのはフライングだ。不遜というものだろう。このあたりから、寺脇さんの映画評への姿勢が微妙にブレてきた。

かつての寺脇さんの素晴らしさ
寺脇研さんが彗星のごとく映画論壇に登場したのは70年代、白井佳夫編集長時代の「読者の映画評」で、まだ高校生だった。この頃の若者が、東映だ日活だとやたら突っ張っていた時に、断固として東宝青春映画支持を表明した。その瑞々しい感性の評には、目を見張るばかりだった。
 それ以上に素晴らしいのは、「日本映画は全部見る」との姿勢である。この頃、東映や日活支持の威勢のいい若者は、東宝映画を「体制的だ」「甘ったるい」と見下した。堀川弘通の「学園祭の夜 甘い経験」なんかは、「どうせ『学園祭の夜』だからね」と、揶揄・嘲笑の象徴とされたものだ。私もそんな調子のことを言っていたような気がする。(ちなみに、当時の私は断固東映任侠派であった)ただし、そんな彼らが東宝映画をちゃんと観ていたかどうかは怪しいものだ。「下らないから観ない」という映画評をするにあたっての最悪の選択肢を取っていたような気がする。
 かくいう私も、東宝青春映画は、そこそこ話題となった「赤頭巾ちゃん気をつけて」「『されど我らが日々−』より 別れの詩」「制服の胸のここには」「戦争を知らない子供たち」あたりは見ているが、「その人は女教師」「初めての旅」「白鳥の歌なんか聞こえない」あたりは見ていないし、「学園祭の夜 甘い経験」ももちろん見ていない。それで揶揄していのだから、いい加減なものである。
 寺脇研さんは、全部日本映画を観て、その上で東映よりも日活よりも、東宝青春映画が最高であると意思表示したのである。この実証的・経験的でピュアで誠実な映画評が、寺脇研さんの最も素晴らしいところなのだ。
 後年、阿佐ヶ谷映画村で白井佳夫さんと話した時、「寺脇くんから、東大に合格した時『これでボクは庶民の立場で映画評を書けなくなった』なんて、大真面目な手紙が来たんだよね」とギャグめいて語っていたが、私はむしろ、なんて真摯で誠実な人なんだろうと感銘を受けた。そんな心情が寺脇研さんの真髄だと思う。(ちなみに、私が森崎東監督を好きでないのは、京大出のエリートであるのにも関わらず、自分を下層庶民と同類だと思い込む偽善である。私のようなド庶民にとって、こんなに腹立たしいことはない)

最近の寺脇さんは何かがちがうと感じる
寺脇さんの日本映画を全部観るスタンスは、本数の増加とともに不可能となり、アニメを外すことにしたと、後年に漏れ聞いた。それはそれでやむをえない選択肢だろう。(私の口からこのことを聞いた我が娘は、ピンクを全部観てもアニメを外すなんて信じられないと憤っていたが…)そして近年は、日本映画に対し「全部」というスタンスは外し、また「日本映画のみ」というスタンスも外して、韓国映画から洋画全般を観る方向へとスタンスが拡大していく。
 でも、寺脇さんの良さは、経験的・実証的でピュアで誠実なところにあることは変わらないはずだ。「ノーカントリー」1本しか見ないでアカデミー賞全般のレベルを大したことないと評したり、ロクにスピルバーグを観ずに「こんなもんを楽しむのがアメリカ映画の教養なんだったら、私は無教養で結構だ」とあっさり切って捨てる映画評への姿勢は、少なくとも寺脇さんには全く似合わない。とにかく全部(は不可能としても)できるだけ観る、その上で自分にとっての良い悪いを判定する。それが寺脇研さんであろうし、そういう批評でなければ寺脇さんの場合はド素人の放言にしかならず、木戸銭に値するものは出てこないと思う。
 例えば、荒井晴彦さんあたりならば、黒澤映画を一本を観ていないと広言しても、作家としての直感が鑑賞歴に関わらずに素晴らしい映画評をモノすることはありうる。ただ、ピュアで誠実な姿勢が特長の寺脇さんは、そういうタイプの映画評論家ではないのだ。映画に対して何を感じようが自由だが、今のような映画評に対するスタンスでは、木戸銭は取れない。お客さまに失礼である。

最後は自己満足でしめくくります
ずいぶん言いたい放題に終始した。寺脇研さん、前に挙げた「ファイト・シネクラブ」の大高宏雄さん、そして湯布院映画祭でお馴染み常連ゲスト野村正昭さん、大森一樹監督、かつては私とともに「キネマ旬報」の「読者の映画評」の常連だった。今、私以外は、花形映画評論家であり、売れっ子映画監督であり、寺脇さんあたりは飛ぶ鳥落とす勢いの新進気鋭ワイドショー・コメンテーターでもある。私だけが、たたき上げの下級管理職で大企業を定年退職したただの年金生活者だ。結局ねたみとひがみで、言いたいことを言っただけだと思われそうだ。半分そのとおりです。いや、ちがう。少なくとも、現時点ではそれはない。
 私は映画プロパーになりたかったのは間違いない。そうすれば24時間映画に使えるからだ。しかし、その夢はついに適わなかった。だが、気がついたら今は黙って年金生活者として、24時間映画に使える権利を自動的に留保している。
 よく厚生年金の支給額が話題になるが、それだけではかなり乏しいのはそのとおりだ。24時間映画に使えると悠々としていられるのは、企業年金もあるからだ。だから結果として、中途半端に認められて中途半端な歳でプロになることがなくて、今は良かったと思っている。

大企業の電機メーカーに勤めている同い年の「映画友の会」の友人がいた。バブル崩壊のリストラ時代が来て、このままでは先も見えたと思い、技術屋の有志が集まり新企業を立ち上げることにして退職した。企業年金は一時金として精算した。その後、立ち上げた企業は不調になった。一時金としてもらった金は何となく消えた。今は厚生年金だけなので生活は苦しく、パートでも何でもいいから働かざるをえないそうだ。
 大企業の公益事業を定年まで勤め上げたから、今の年金受給者の私がある。中途半端に認められ、へんな山っ気に乗せられて映画プロパーにならなくて本当に良かったと思う。そうなったら学歴も(だから当然ながらコネも)ない私あたりは、野垂れ死に寸前になり、厚生年金もロクにもらえず汲々としていたかもしれない。
 それに、食うためとはいえ映画以外に時間を奪われるのが切なかった仕事にしても、昨年の「湯布院映画祭日記」の我が人生の総括で記したように、やはり感慨深いものが沢山ある。映画をより深く観ることに役立った部分もあると思うし、首都圏の電力安定供給の末端に携わったはしくれとして、それなりの誇りも与えてくれた。(このあたりの職業人として勤め上げた感慨は、「舛田利雄特集」の項で監督の職人監督ぶりとダブらせて、改めて語りたいと思います)現在、24時間映画三昧の我が身に、恥じ入ることは何もない。ささやかな社会貢献へのご褒美として、ありがたく活用させていただきたく思います。

「映画芸術」で「サラリーマンピンク体験記」の連載が始まり、まだ現在のようにおちぶれることなくキネ旬「読者の映画評」の常連でもあった頃が、もっとも夢が膨らんだ時であった。ある人からは「このまま連載が続けば、単行本化もありえますね」と励まされた。ただ、夢を膨らませると同時にビクビクもしていた。湯布院映画祭で荒井晴彦さんから「編集部でお前の連載を問題にしてる奴がいるぞ」「寺脇がヘソ曲げてるぞ」と冗談交じりに言われただけで、荒井さんや寺脇さにんは、かなり気を使った言動をした。(「そんな風には見えネェな」と荒井さんあたりには言われそうだが…)結果としては「パーフェクト・ストレンジャー」で、唐突に何の理由も分からず連載中止を通告されるのだが、それも含めて、今はすべて結果オーライと思わざるをえない。(「パーフェクト・ストレンジャー」の意味合いについては、「映画三昧日記」の「10年目の湯布院映画祭」2004年の項を見てください)今回、寺脇さんや荒井さんに、これだけ自由にものを書いたのも、映画を論ずることに対して完全なる自由を得たからだと言えよう。
 前に「24時間映画に使える権利を自動的に留保」と記した。今はその権利を行使はしていない。月10日勤務の嘱託として会社に残っている。これは世間で話題になっている団塊の世代大量退職対策の技術継承の一環として残っているだけで、私が生活に困っているからではない。その嘱託期間も来年の6月末で満了する。いよいよ24時間映画三昧の生活がはじまる。俺の一生は素晴らしかった!と、すべて自己満足の独白で締めさせていただきます。

とりあえず「サンデー毎日」または「毎日が夏休み」となる来年は、映画とは直接関係ないが、前日前倒しに一泊して由布岳を登った後、「湯布院映画祭」に参加することにしよう。てなことで、最後は何とか「湯布院映画祭」にこじつけました。次回は新藤兼人作品「池内尋常高等小学校 花は散れども」の話題を中心に、もう少し映画祭日記らしくしたいと思います。
湯布院映画祭日記2008−3

今年も滋賀の失礼します!Oさんとの「明るく楽しく激しい」バトル開始
今年も、私と滋賀の失礼します!Oさんとの、「明るく楽しく激しい」バトルが開始された。「周磨はん、シンポジウムでよく喋りなはるから…」 再会早々に牽制球が飛んでくる。「何度も言いますが、素人の話術で持つのは3分です。ですから、私は3分前後に発言をまとめてます」「いや、3分以上話してはる」「じゃあ、時間を計ってください」「あんた、計ったらよろし」「私は計らなくても自分でだいたい分かります。伊達に話術研究会で勉強してません」「そやな、あんたはプロやから、かなわへんや」なんて調子である。
 たぶんOさんは、個人的な対話で、私の口数が圧倒的に多い印象とごっちゃになっているのだろう。対話の時に私の口数が圧倒的に多いのは、私自身も認める。ところが、Oさんの私に対する牽制球は、どうも別の意図がありそうなのが、最終日の私設映画祭総括会で判明した。まあ、そのことは最後の総括会報告にとっておきます。

今年の私のシンポジウムへのスタンス
映画祭参加当初の私は、シンポジウムで発言するのも木戸銭の内なら、しゃべらにゃ損々と思っていた。(シンポジウムはその都度参加費を徴収する。全日券の人に限りフリーパスだが、これは全日券の木戸銭の中に、シンポジウム木戸銭も含んでいるということもまちがいないところだ)だが、他の参加者の発言を聞けるのも木戸銭のうちであるとするならば、私が発言をするということは、他の人の発言時間を喰っているということでもある。あまり発言したいことがないのに発言するのは、その時間だけ他の人の発言を聞く機会を失っているということだから、逆に木戸銭有効活用に反するということにもなる。
 シンポジウムは全員が木戸銭を払って参加しているのである。だから、それなりの配慮が必要だ。「10年目の湯布院映画祭」でも述べたが @自分が話して心地よいこと A聞いている人が心地よいこと Bゲストから貴重な意見を引き出すこと この3原則に反する発言は、木戸銭に値しないことを肝に命じるべきだろう。3原則に値しないが個人的にはどうしても言いたいとの発言は、パーティーの席上でフォローすべきなのだ。木戸銭を払ってるのだからシンポジウムでは誰でもどんどん発言する権利はあるが、極めて個的な興味のものは直接ゲストにパーティーで話すべきだろう。シンポジウムとパーティーの発言は使い分けるべきだと思う。今年の私は、ある程度それを徹底したつもりだ。
 咋年、発言することがないのに、パーティーで直接ゲストにお聞きする程度の内容を、行き掛かり上シンポジウムで無理無理発言をして、結果オーライでゲストから貴重な意見を引き出したこともあったが、苦い思いをしたこともあり、今年は軌道修正を考えたのだ。

「映画友の会」の発言ルールについて
「私は3分前後に発言をまとめてます」とOさんの前で断言した根拠は、「話術研究会」の勉強以外にもう一つある。「映画友の会」だ。
 「映画友の会」では、できるだけ多くの人に発言してもらう趣旨で、発言は2分程度というルールがある。2分が立つとキッチンタイマーのアラームが鳴る。そこで発言を止めろということではない。2分が立ったとの告知に過ぎない。それを耳にした発言者は発言の収束にかかる。収束にかかってからは、普通の常識ある人間ならば1分以上は喋らない。だから、3分発言の分量が体に叩き込まれているのである。
 中には一部の図々しい輩がいて、無視して延々と話し続けるが、一部の実行委員から「何のためのアラームか考えてください」と窘められ、会場もそのとおり!との雰囲気に包まれてチョンとなる。このあたりも「映画友の会」のいいところだ。
 まあ「映画友の会」でも例外はあって、実行委員長のSさんあたりは話し出すとまず止まらない。会員も治外法権で半ば諦めている。ただし、彼は彼で配慮していて、その替わりに会の中で発言するのは1回限り程度と心掛けているようだ。こういう阿吽の常識の線をほとんどの会員がわきまえているのも「映画友の会」のいいところだ。
 このルールを映画祭実行委員重鎮の横田茂美さんに紹介して、湯布院映画祭のシンポジウムで採用したらどうですかと水を向ける。「まあ、湯布院参加者は、2分経過を告知しても無視しそうな人がかなりいますからねえ」とのことだった。確かに湯布院映画祭では、そんなところかもしれない。

ついでにもう一つ「映画友の会」の話題
お馴染みおたべちやんの湯布院レポートで、「バスの中で、あたしは一人でブーたれていた。いつからシンポジウムで誰かが発言する度に拍手の渦が巻き起こるようになったんだ?と考えていた」と記している。
 「映画友の会」では、発言者は最初に「○○から来た○○です」とはっきり名乗る。終わったら参加者は発言者に拍手をする。それが話し手・聞き手の双方の礼儀だと、淀川長治さんに徹底的に叩き込まれた。(この拍手の温かさに感激して「映画友の会」に定着する人も少なくない)その変わり、聞き取れないないような発言は「えっ!あなた、何言ってるかわかりませんよ!」と淀川さんに厳しく叱られた。
 だから、私は一生懸命発言した発言者への拍手は必然だと思っていたので、湯布院もあるべき姿になったなという感じをもっていた。発言前に名前を名乗るというルールは、湯布院では未だ確立されていないが、これは司会者が徹底するべきだと思う。私は参加当初から「映画友の会」の淀川さんの教えどうりに、最初に名乗って発言したが違和感を感じた人もいたようで、初参加の年は浜松のT要さんあたりから、「オッ、東京から来た周磨です、が来たぞ」と冷やかされたのは、そういう背景があったのかと今気がついた。


●「The ショートフィルムズ」の私の感想
「The ショートフィルムズ」は、映画祭概要で紹介したとおり、朝日放送が新社屋移転記念事業として、大阪に縁の深い監督5人に短編映画製作を依頼したオムニバスである。この5人の陣容が凄い!阪本順治・井筒和幸・大森一樹・李相日・崔洋一という錚々たるメンバーだ。テーマは「こども」、時間は15分程度、製作費は800万円(キャスティング費用別)、後は全く自由という競作だ。蓋を開けてみたら、テーマの「こども」にしても親子関係にまで拡大した人がほとんどで(大森監督は、まじめにテーマを守ったのは私だけと、ボヤき気味に語っていた)、要は完全に自由に撮った個性的な5本の作品が併置されたような映画になった。まずは、私なりの感想を併置してみたい。

「展望台」阪本順治
通天閣から飛び降り自殺を計ろうと閉館後も居残った佐藤浩市と、親に捨てられた少年の小林勇一郎が、深夜の展望台で遭遇し、佐藤浩市は自殺の機会を失い生きる気力をとりもどし、翌朝に少年の親は思い直して迎えにくる。典型的な短編映画ウェルメイドに徹してよくできた好編である。

「TO THE FUTURE」井筒和幸
教室で生徒に対しキレまくる兇暴教師の光石研、しかし職員室にもどればモンスターペアレンツと激しく電話でやりあう修羅場が待っている。両者の犠牲で従順に従っている生徒の「こども」たち。と思いきや、「ネズミ花火」と称してネズミに灯油をかけ火を放ち、校庭を苦悶して走りまわるのを楽しむ。教育現場荒廃の鮮やかなスケッチだった。

「イエスタデイワンスモア」大森一樹
苦労して商売をしている母親の高岡早紀を、早く大きくなって助けたいと願う息子。神社の境内で浦島太郎の末裔を名乗る岸部一徳に頼んで、ウラシマ効果で大人(佐藤隆太)にしてもらう。
 フラリと子供の誘拐犯の共犯を装って母の前に現れ、身代金を稼ぐために母の仕事に協力する。商売は順調に進むが、母は成長した自分の息子とも知らず惚れはじめる。(「バク・トゥ・ザ・フューチャー」ですね)これはいけないと、佐藤隆太は元の子供にもどしてもらう。商売の助け手と愛する若者は失ったが、「こども」はもどってきた。抱き合う母子でエンドマークとなる。

「タガタメ」李相一
精神障害の一人息子の川屋せっちんの面倒をみる父親の藤竜也は、末期ガンと診断される。死神の宮藤官九郎が出現する。「息子もいっしょに殺してくれ」と哀願する父に、「息子さんの寿命はまだある」と突き放す死神。じゃあ、息子はどうして命を永らえるんだろうかとの興味で、映画は引っ張っていく。再三の父の藤竜也の哀願で死神の宮藤官九郎は、彼を死神にして息子の命を委ねるという手を発見する。それで、息子の川屋せっちんの寿命は大きく伸びるのだ。何という壮大なパラドックスか。もっとも、こういう発想に壮大さどころか何も感じられない人もこの世にはいる。センス・オブ・ワンダーに対する感性の有無である。(無い人が悪いということではありません)そのへんは「memo」を話題にした項で、ジックリ展開したいと思います。

「ダイコン〜ダイニングテーブルのコンテンポラリー」崔洋一
 団塊の世代の父母の細野晴臣・樹木希林と、同居する娘夫婦の山本浩司・小泉今日子の日常が淡々と描かれるのみだが、シモジミと味わいのあるこれも好編であった。

●寺脇研さん、名司会のシンポジウム
湯布院映画祭の常連ゲスト寺脇研さんは、文部科学省を退官し、フリーランサーとなった。その関係かどうか、昨年の映画祭はゲストに名を連ねていたが、急に仕事の都合で不参加になったと耳にした。今年は一泊二日の短期参加だ。フリーになると逆に自由が利かなくなるのかもしれない。それにギャラ面から考えたら、湯布院映画祭はおいしい仕事とは言えないだろう。伊藤雄委員長に茶化し半分にそんなことを言ったら、「ギャラとか、そういう問題じゃないでしょう」と渋面で厳しい視線を返されてしまった。

オムニバスのシンポジウムはやりにくい
「The ショートフィルムズ」のシンポジウムは、寺脇研さんの司会で、ゲストに総合プロデュースの深沢義啓さん、大森一樹・李相日の両監督、李相日作品「タガタメ」の主演・藤竜也さんというメンバーだ。
 オムニバス映画のシンポジウムは、本当にやりにくいと思う。「今年は二日しか参加しないので、罰ゲームだと思って司会を引き受けます」と、寺脇さんはユーモラスに口火を切る。

寺脇さん、さすがの名進行
冒頭で総合プロデュースの深沢さんから、各監督には内容に関していっさい注文をつけず自由に撮ってもらったこと、強いていえば上映順だけに自分の意思が入っていること、などが紹介される。そこで、私としては前項に述べたように、「個性的な5本の作品が併置」という印象になったのだろう。
 これは発言者の側から見ても、このシンポジウムは難しい。5作品の感想を羅列するしかないが、それだけでも通常の発言量の5倍になってしまうし、さらに短編映画とは何か?オムニバスの理想的なあり方は?なんて方向にまでテーマを拡大したら、それこそいくら長く発言しても足らない。他の参加者にしても思いは同じであろう。これは、私は沈黙し、他の参加者がどう発言するか、お手並み拝見しかないなと決めた。

だが、寺脇研さんは、さすがに名進行役だった。「オムニバスはいろいろな観点からの意見が出るでしょうが、まず作品の上映順はこれで適切かどうかということに絞って意見を伺いたいと思います」と始めたのである。
 なるほど、これなら私もコンパクトにまとめて意見が言える。短編映画にはショート・ストーリーの魅力でまとめるものと、ある一情景のスケッチ描写だけに徹するものの2種がある。今回の作品群で言えば阪本・大森・李作品が前者で、井筒・崔作品が後者だった。3:2の比率である。ならば種別に1本置きに並べるべきだった、と意見を述べた。(項を改めて詳述するが、私なりのこの構想は、後で検討したら結果としてうまくいかないことが判明し、完成作品の上映順が適切だと痛感した)

いつまでも黙っていられない滋賀の郵便局OB・失礼します!Oさんが、早くも発言する。当然ながら作品の上映順にのみ焦点を絞って済ますわけもなく、質問めいた意見にまで発展する。「質問の点については、一段落した後に、まとめてしたいと思います」と寺脇さん。「その時はまた当ててくだはりますな」とOさん。「いや、当てません!」寺脇さんキッパリ!場内爆笑。Oさん、そろそろ湯布院での発言し過ぎがマークされはじめたようだ。

私の方は最終日の「memo」シンポジウムで、司会の野村正昭さんから「このへんで指名して意見をうかがいます」との前置きで指名されたのだから、そういうマークは受けてないということだと思う。まあ、これはこれで野村さんの思惑もあったようだし、また失礼します!Oさんのシンポジウムに対する思いも私設総括会で判明するのだが、細かくはそれぞれの項に譲りたい。

シンポジウムはこの後、「短編映画と長編映画の構想のちがいは何か?」「映画の上映時間のあるべき姿は?」といったテーマ毎に整理して展開し、個々の作品論へと繋がっていく。「異論もあるでしょうが、私は『歩いても 歩いても』が2時間もかけて表現した内容を、崔監督は15分で見事に表現したと思います」との、寺脇さんのユニークな意見もあった。
 ワイドショーのコメンテーターとして活躍を開始した経験もあるのかもしれないが、寺脇研さんは、進行が難しいオムニバス映画のシンポジウムを、見事に混乱なくまとめあげてみせた。さすがである。罰ゲーム(?)は鮮やかにクリアしたと思う。

大森一樹監督から、今の日本映画の上映時間の長さに対して苦言
短編映画の時間のあり方にからめて、大森一樹監督から今の日本映画の上映時間の長さに苦言が呈された。「私なんかは映画は90分であるべきだと体に染みついています。また、それで表現しきらなくてはいけません。2時間を越えるならそれだけの内容がなければいけないと思います。2時間半や3時間を越えるなんて、黒澤明やディヴィッド・リーンなどの限られた人だけです。そんな映画を軽々しく撮るなんて、神をも恐れる仕儀です」と語った。この発言は3日目の「しあわせのかおり」の上映時間論議へと繋がっていくことになる。
 2001年映画祭「光の雨」シンポジウムの時、高橋伴明監督が「長い映画を創っちゃってスミマセン」としきりに恐縮していた。でも、過去の連赤兵士と、現代のそれを演じる若者との2重構造の重厚なドラマで、たった2時間10分というのは、よくその中に納めたと感嘆した。あまり謝るのでパンフレットで確認するまでは3時間を越えてるのかと思ったほどだ。ただこれは、ピンク映画時代に60分できちんとまとめていた伴明さんの本音なのだろう。いずれにしても、何が要因かわからないが、描かれた内容に比して今の日本映画は長過ぎる。

「The ショートフィルムズ」 私なりの上映順検討
シンポジウムで司会の寺脇さんから、上映順について監督から要望はありましたか?とゲストに対し問いかけがあった。総合プロデュースの深沢義啓さんによれば、特に強いものはなかったそうだ。李相日監督からは、自分の作品は暗くて重いので、できれば最後は勘弁してほしいと言ったそうで、結果的にそうならなくて良かったそうだ。
 さて、私なりの上映順検討である。前にも述べたように短編映画には「ショート・ストーリー」と「情景スケッチ」の2タイプある。前者が3編、後者が2編だ。交互に並べるとするとトップは3編を有する「ショート・ストーリー」タイプとなる。トップは、良く言えばショートストーリーとしての味が最も効いており、悪く言えばあまりにもウェルメイド過ぎる阪本順治作品が無難なところだろう。
 大森一樹作品は唯一の時代劇なので、これはバランス上も真ん中に置かざるをえない。とすると…自動的に李相日作品が最後になる。でも、良い作品ではあるが、監督同様この暗く重い一篇が最後というのはどうか?となる。では、阪本作品を最後とするか。このウェルメイドの映画がラストでも問題ない。でもそうなると暗く重い李作品がトップ、これもねえ。
 後でパーティーで李相日監督(脚本も)と話したら、私が感嘆した壮大なパラドックスについては、監督としてはあまり力点を置いていなくて、私の絶賛に対しても、そんなもんですかねえ、と拍子抜けの反応だった。詳しくは別の項に譲るが、監督の意図はストーリーのひねりよりも親子の描写に力点があったようだ。とすれば、これは「情景スケッチ」タイプの映画と言えないこともない。そうなると「ショート・ストーリー」タイプは2編になり、交互に並べようとすると時代劇の大森作品を真ん中に置くのは不可能となる。試行錯誤の結果、やはり現在の上映順しか無かったという結論に至った。

●パーティーでの大森一樹監督との会話 センス・オブ・ワンダー(その1)

オムニバス中の一篇「イエスタデイワンスモア」は、「The ショートフィルムズ」に先立って「大森一樹短編作品特別上映」の一環として上映された「明日からの記憶」と、セットになるタイムパラドックスものだと思った。大森監督はセンス・オブ・ワンダーのある人だと思った。詳しくは「memo」の項で述べるが、センス・オブ・ワンダーというのは絶対に理解できない人がいる。いや、そういう人の方が多いかもしれない。その意味では私の方がヘンなのかもしれない。その観点から言うと、大森監督はセンス・オブ・ワンダーはあるが、ヘンさがやや足りない。ズッコケや飛躍で弾けることなくおとなしい。
 過去の修学旅行時代にタイムスリップして人生を変えようとする「明日からの記憶」は、結局どうしても現在は変わらないというところに収束する。「イエスタデイワンスモア」でも、何せ色っぽい高岡早紀(監督もこのキャスティング効果は狙っていたそうだ)が母親なんだから、女にもどった母が未来の息子の若者に恋をするあたりの先にもうひとひねり欲しかったが、最後はこどもに戻ったわが子を抱きしめて終わる。
 2本とも好きなんだけど、落ち着くところに落ち着きすぎですね。もっとヘンで、ズッコケて飛躍して弾けてほしかったと大森監督に言ったら、「あなた、現在を改返しちゃいけないでしょう」と言われてしまった。それにしても、私はもうひとひねり欲しかったと思うところだ。

パーティーでの李相日監督との会話 センス・オブ・ワンダー(その2)
その意味で「タガタメ」の壮大なパラドックスには感心した。何だか分からないけど精神障害の息子の寿命だけはあることを認識していた死神が、度重なる父親の懇願で父親を死神にして寿命を延ばすアイデアを発見するのは、その後の話なのである。
 ただし、ラストでこれが父親の幻想かと思わせる夢落ちを想像させる締めくくりは、映画のスケールを小さくした。シンポジウムでも質問があったが、李監督は「現実とも幻想とも、どちらにとってもらってもいいです」と意図を明言しなかった。私が壮大なパラドックスを絶賛しても、それほどのものかなあといった手応えだったので、監督としては親子の情景スケッチが主で、ストーリーの仕掛けはあまり重きを置いていなかったのかもしれない。

この後、教育界を題材にした井筒和幸作品「TO THE FUTURE」について、ミスター文部省の寺脇研さんにご意見をうかがったが、私にとっては全くはかばかしくない反応が返ってきた。今回は寺脇さんの名司会ぶりを絶賛しましたが、次回はこの反応をキックに、最近の寺脇さんの映画評への姿勢に、やや疑義を呈したいと思います。
湯布院映画祭日記2008−2

●前夜祭(その2)

短編映画「ゆふいんの夜」について
「ゆふいんの夜」については、前事務局長で現在は会計担当にして実行委員会の重鎮の横田=ボブ・ゲイル=茂美さんが、今年の映画祭パンフレットで詳述しているので、ここでは細かいことは繰り返さない。
 97年の第22回映画祭で「照明技師・熊谷秀夫とその仕事」の特集があり、健康温泉館のパーティーにデモンストレーション用の照明機材が大量に運び込まれたことに端を発する。この年のゲストに、監督では舛田利雄・瀬々敬久・荒井晴彦、撮影・斉藤幸一、照明・下村一夫・熊谷秀夫(日本映画照明協会の正副会長コンビ)、スクリプター・白鳥あかね、編集・富田功と、錚々たるメンバーが結集しており、急遽、短編映画製作に至ったそうなのである。
 監督は舛田利雄となり、助監督陣はチーフ瀬々敬久、セカンド荒井晴彦、サードは俳優としてゲスト参加していた原田芳雄という豪華版になった。原田芳雄は、単にカチンコを叩きたいが故に名乗りをあげたそうである。
 映画そのものは、健康温泉館の庭での寸劇といった感じのもので4分30秒の超小品だが、なじみの健康温泉館でこの年のパーティー参加者もはっきり背景に映っており、関係者にはよい記念になったと思う。
 いきさつはよく知らないがフィルム版は、音は別録のサイレントで、DVD化の時にトーキーとして完成させたそうだ。映画祭概要で、前夜祭でサイレント版、初日にサウンド版上映と記しているのはそういうことである。サイレント版は公民館ホール、サウンド版は視聴覚室での上映になる。以上、紹介までに簡単に書きました。

地鶏づくしの懇親会の美味
「九ちゃん刀を抜いて」の上映終了後、参加者は三々五々と懇親会場の乙丸地区公民館に参集する。私は最初の参加者に近いくらいに着いてしまった。参加費は1500円、気が付いたら小銭がない。「初っ端からヤナ客だなー」とか呟いて一万円札を出しながら、寅さんばりに「釣りはいらねェよ」なんて粋なセリフを吐くこともなく、しっかりお釣りはいただきました。
 懇親会のメニューは、毎回会費以上の飲み放題・食べ放題だが、今年は特に手が込んだ地鶏づくしだった。恒例の熱々地鶏バーベキューはもちろん、地鶏のたたき、地鶏の首のところの唐揚げと、美味・珍味を堪能した。

大森一樹監督と映画検定1級合格者同志でエール交換
まずここでも最初に「10年目の湯布院映画祭」の記述の訂正をしておきたい。「発表された1級合格者の中に、大森監督の名はなかった」と記してしまったが、常連参加者で映画祭唯一のプロレス者(多分)にして映画検定1級のYさんによると、合格者名簿の中に大森一樹監督の名を発見しているそうなのである。とすると、監督に見せびらかそうと持参した1級合格証の出番はなくなってしまったわけだ。(ちなみにプロレス王検定2級認定証はしっかりYさんに見せびらかしました。こちらの方はYさんは、公式問題集を見たら難しかったので受検をあきらめたとのこと、「1級初回はどんな難問が出るのでしょうね」と言っていた。力道山をリアルタイムで知る私には、それほど難しいとは思わなかった。まあこの手の検定は、プロレスでも映画でも、人間が古い方が絶対勝ちということです)
 「大森一樹短編作品特別上映」の1本目として前夜祭で上映された「明るくなるまでこの恋を」は、大阪のミニシアター支配人プロデュースによる製作費100万円・撮影日数1日・25分の小品だが、閉館前の最後のオールナイトに、かつての映画青年を含めたさまざまな人間が「グランド・ホテル」形式に集まる永遠の映画青年・大森一樹の面目躍如たる一篇だった。
 大森一樹監督とは第31回映画祭以来2年ぶりの再会で、1級合格者同志でエールを交換し祝杯を挙げる。「日本映画監督協会ただ一人の映画検定1級合格者を売り物にするかな」と監督は気炎をあげ、私は盛大に同調する。近くにいた荒井晴彦さんは横目でこちらをながめ、ウンザリした表情を浮かべておりました。

今年の荒井晴彦さんとのこと
細かいことまでここに記すわけにはいかないが、湯布院映画祭直前に荒井さんとやや距離が遠くなっても止むをえない内容の手紙を出した。例によってシニカルでソフトな笑いを浮かべながら「こいつはもういいよ。あの手紙、ロビーに貼り出してやろうか」とか他の人も前にして言われる。「いいですよ。プライベートな手紙だけど、公表したって全然問題ない内容ですから」と返す。それはさておいても、今年の荒井さんは、少々いつもとちがうなとの感じを受けた。

初日の開会10時に荒井さんが現れたのにはちょっとビックリした。荒井さんと言えばパーティー終了後も徹夜に近い形で延々と飲み続け、担当の実行委員泣かせであり、翌日は午後3時過ぎに出没を開始するという定評であった。単に初回上映の「赤い波止場」を見たかっただけなのかもしれない。それにしても、これまでの荒井さんに比べれば異様である。「どうかしたんですか。荒井さんの時間じゃないですね」と冷やかしたら、シニカルな笑いとともに「うるせェ!」と返ってきた。

それにしても、今年の荒井さんは感じがちがった。「距離が遠くなっても…」云々と記したにせよ、挨拶程度のおしゃべりは楽しみたいと思っていたのだが、3日目の麦酒館のパーティーでは、まだお開きにはかなり前の時間なのに姿が見えない。館内全面禁煙なので、屋外の喫煙所かなと思ったら、ある人に「荒井さん、さっき車を呼んで帰ったみたいですよ」と言われた。最終日の健康温泉館でも、お開きのかなり前なのに姿がみえない。「(シンパの倉敷ツタヤ店長)Oさんあたりと話してるんでしょ」と言った人がいたが、Oさんは別の人と話をしていた。「中座して、また来るみたいなこと言ってましたよ」と言う人もいたが、結局は閉会まで姿が見えなかった。何か、いつもの荒井晴彦さんと違い過ぎて、ちょっと調子が狂った今年の映画祭であった。

都市伝説の話題
まあ、荒井さんの徹夜痛飲伝説も作り上げられたもので、事実とちがうのかもしれない。都市伝説なんてイメージが独り歩きするものだ。
 そういえば映画祭中盤から実行委員会重鎮の横田さんが、ずっとヒビ割れた眼鏡をかけていた。「どうしたんですか。昨日は荒井さん担当だったんですか」と突っ込んだら、「ちがいますよ。周磨を潰せ!って言ったら、意外にもシンパがいてやられたんですよ」って切り返される。あまり下らないことばかりやりあってると、ホントに伝説化しかねないから要注意である。前夜祭を無事に終えた翌朝、第1日初っ端「お馴染みおたべちゃん」が早くも伝説を発生させるのだが、それは次項の話である。

そんなこんなで前夜祭は盛大に散会し、でも牧場の家にそのまま素直に帰って寝るタマはおらず、今晩は宿泊者一人だけなのをいいことに、男性陣は恐れ多くも「おたべちゃん部屋」におしかけ午前2時までの酒宴、昨年に続いて早くも初日からおたべちゃんは「おたべちゃん状態」になりました。このへんの顛末は本人のレポートに詳しいのでそちらをご参照ください。かくして前夜祭の夜(というか日替わりしているが)はにぎやかに暮れたのであった。


映画祭開幕!

再び都市伝説の話題

おたべちゃん伝説発生
前に述べたが、とにかく今年の湯布院は雨、雨、雨である。その雨が前代見聞の大惨事(!)を発生させる。
 初日の会場に向かう途上で、「お馴染みおたべちゃん」が雨に濡れた道で滑って転倒し右の「手首弐本の骨がひび割れ」(本人のレポートによる)という重傷を負ったのである。道の途中にある鳥居下の排水溝の所だが、確かにここは雨の日は滑る!怪我には至らなかったがかなりの人が滑ったそうだ。今回、雨続きだったので気づいたのだが、湯布院の町は道がよく滑る。湯の見通りをはじめとして、洒落た敷石が多いのだが、これが実によく滑るのである。会場の湯布院公民館の前の敷石もよく滑る。私も激しくよろけて、実行委員の人に「大丈夫ですか。負傷者が続出してるんで気をつけてください」と声をかけられた。「えっ、また出たんですか!」「いえ、冗談ですよ。でも、みんなよく滑ってるのは確かです」とのことだった。

実行委員の中に小林華弥子由布市会議員がいる。東京から来て湯布院が気に入り住み着いて、ついに湯布院町議選に討って出て見事当選を果たし、ドキュメンタリー「プロジェクトY ゆふいんAFTER X」でも花形だった方である。早速小林議員に、「お馴染みおたべちゃん」ともども道の整備について「陳情」する。
 それにしても小林華弥子さんは、市会議員になっても奢ることなく、実行委員の一員として黙々と活動しているのは見事である。そういえば私は、ドキュメンタリーで顔は馴染みになったのだが名前を覚えられず、あの〜「プロジェクトY ゆふいんAFTER X」の人〜、なんて長ったらしく声をかけてたりしていたのだが、今回の一件でしっかり顔と名前が一致した。

事実関係はそんなところだが、おたべちゃんご本人のレポートによれば、「酔っぱらって昨日の晩、乙丸公民館の帰りに転んだ」「朝から二日酔いでフラフラしててすっ転んだ」との伝説が、早くも流布し始めたそうだ。「酔っ払ってではないと訂正に是つとめた」そうだが、そちらの方は全く定着しない。こうして都市伝説は発生していくものか。その瞬間に立ち会った気分であった。いずれにしても映画祭期間中のおたべちゃんは、聞き腕の右手を三角巾で吊って、食事も先割れスプーン様のものなどを用いたりの難行苦行であった。ご同情もうしあげます。

名古屋IさんNHK・OB説も伝説だった
最終日パーティー散会後の、有志打ち上げ映画祭総括会は、今年は会計担当にして実行委員の重鎮の横田茂美さん以下、全部で3名が参加してくれるほどの盛会に発展した。ここで名進行役を発揮するのが名古屋のIさんだ。並み入る論客を前に、発言をキチンと整理して進行を混乱させない。しかも、対応がソフトだから、シンポジウムで発言を制限されて憮然とするような方にも、不快感を与えない。さらに、時間は午前2時でピッタリ収束させる。
 このIさんは、NHK・OBだとの伝説があった。今回改めてご本人に確認したらちがうそうだ。「放送関係のお仕事されてたんですか」と伺ったら、それもないそうだ。ただ、NHK・OB説は、これまで何人かの方からも耳にした。事実はちがっても、NHK・OBと言ってもおかしくない存在感が、説得力を有してしまったのだろう。伝説の発祥というのは、そういうものかもしれない。

長浜ラーメンの謎が解ける
私が昼食に愛用している一つに、湯の見通りの長浜ラーメンの店がある。Iさんがらみついでに、この話題も一つ紹介する。
 今年、このラーメン屋さんは新基軸を始めていた。替玉2個まで無料というサービスを始めたのである。映画祭3日目に利用させていだいた。さすがにお替りは一つで十分だった。それでも夕食休憩時でも腹が空かず、パーティーまで持たせて、タップリとパーティー料理をたらふく堪能した。来年からはこの手でいこうと、意地汚く考える。
 このラーメン屋さんについては、以前から私は他の参加者と話題にした。そして意外な反応が還ってくる。「あそこは昼はやってないんじゃないの」「潰れたんじゃないの」といった具合だ。私は昼食に利用してるんだから、そんなことはないんだけどなあ、私だけパラレルワールドに入り込んじゃってるのかなあ、なんて思っていた。
 その謎(って大袈裟なもんじゃないが)が今年解けた。最終日の夕食休憩時、土砂降りの雨になった。Iさんに「長浜ラーメン屋、教えてもらえませんか」と声をかけられる。傘なしだったんで、傘をさしかけつつ店前までご案内する。営業中の札が入口の戸の中に下がっているが、開店していない。この日は日曜日、そうか、日曜は定休日で、札は店内にしまうだけで裏返していないということだ。「昼やってない」「潰れた」と言っていた人は、たまたま日曜日に来ていてそう思った人ということだ。伝説というのはこんな形でできるものなのだろう。
 私は、これまで最終日は新作上映で未見作品のことはなく、湯布院映画祭は昼食休憩も短いので、ファミリーマートのおにぎりかサンドイッチで済ませており、日曜日に行ったことはなかった。(短いといってもラーメン一杯くらいすする時間はあるんですけど、ギョーザにビールの時間もないと、私はラーメン屋に入る気になれないんです。飲ん兵衛はしょうがないものです。ハイ)
 それにしても、今年も替え玉サービスの新基軸の素晴らしさを、かなりの人にPRしてしまった。それを聞いて最終日に行った方、空振りになってごめんなさい。来年以降のご利用は最終日の日曜は避けてください。

なんか、ほんとにショムないことばかり書き連ねている。普段着の「映画三昧日記」の延長みたいになりそうと、冒頭に記したが、その中でもどうでもいい小ネタの羅列の雰囲気である。次回は「The ショートフィルムズ」シンポジウムから、司会の寺脇研さんの最近の映画評への疑義など、ちょっとはハードになると思います。でも、今年の「湯布院映画祭日記」は「長いけど軽い」というタッチで一貫しそうです。
湯布院映画祭日記2008−1

●日常に降臨した湯布院
10年目の「湯布院映画祭」参加は、私としては淡々と終わった。楽しくなかったわけではない。ただ、祭りの終わった後の寂しさもなく、「映画友の会」や「蛙の会」のような定例のイベントが一つ終わったなとの、感慨しかなかった。湯布院は年1回で4日(前夜祭を入れれば5日)で、「映画友の会」や「蛙の会」は月1回で半日という違いはあるが、もはやそんな感じになってしまったのだ。
 予想どおり、新作上映で大きな感銘を受けた作品には出会わなかった。旧作は舛田利雄監督特集で、選りすぐりの傑作群が上映されたが、こちらの方はほとんどがリアルタイムで鑑賞済である。はっきり言って「湯布院映画祭」でなければ、この番組なら参加しないだろう。多くの旧知の人たちに再会できるからこその映画祭参加である。この点でも、もはや「湯布院映画祭」は「映画友の会」と変わらない地平になってしまったのだ。でもそれだからこそ、映画祭ある限り、命ある限り(そろそろそんな風に意識する歳になりました。そんな、まだ早い、と言う方が多いですが70歳ちょっとで亡くなる方は少なくない。後10年あるやなしやという歳であります)ずっと参加をしていくことにはなろうと思う。正に「日常に降臨した湯布院」なのである。
 そこで、これまで「湯布院映画祭」は「映画三昧日記」特別篇の趣きだったのだが、今年は「映画三昧日記」でいろいろなイベントに参加した時に思ったことを記してるあたりと、大差ない普段着の日記になりそうだ。


●まずは若干の訂正を
「映画三昧日記」で「10年目の湯布院映画祭」なるものを連載しましたが、その訂正から始めたいと思います。
 特別「試写」作品として紹介した「The ショートフィルムズ」「memo」は特別「上映」作品でした。「The ショートフィルムズ」は、朝日放送が新社屋移転記念事業として、大阪に縁の深い監督5人に「こども」をテーマに短編映画製作を依頼したオムニバスで、新・ABCホールで10日間公開したのみの映画である。ゲストの総合プロデュース深沢義啓さんによれば、一般劇場公開ができたら、その後にTV放映も考えたいとのことだが、とりあえず今後については白紙だそうだ。ひょっとしたら幻の映画になるかもしれない文字どおりの「特別上映作品」である。
 「memo」は、今春に東京でも公開された作品で「試写作品」ではない。なかなかに面白かったので映画評論家の野村正昭さんが推薦し、今回の湯布院上映にこぎつけたそうだ。最終日の日曜日のトップをきって上映されたことから、これは2006年に「数多く製作される昨今の日本映画の中から、映画ファンの満足する作品や知られざる傑作、才能溢れる新人の紹介・発掘のために、今年から日曜日午前中に上映枠を設定しました」の趣旨で企画された「湯布院からの新しい風」の再現ということだろう。
 また、「おしゃべりカフェ」は今年は計画されていないと言ったが、3日目の「二百三高地」上映後に計画されておりました。
 以上、パンフレットをよく確認すれば分かったことでしたが、チェック不足で誤報を出してしまいました。


●今年の映画祭概要
今年はマキノ雅弘生誕100年の年で、各地でさまざまな記念行事が開催されている。湯布院映画祭も特に銘打ってはいないが、前夜祭はマキノ雅弘作品「九ちゃん刀を抜いて」、締めは監督の甥で弟子筋にあたるマキノ(津川)雅彦監督の「次郎長三国志」と、十分にマキノ雅弘生誕100年を意識したラインナップである。映画祭恒例の隠し玉は、今年もいくつかあったが、マキノ雅弘監督関連では、フィナーレで感動的な隠し玉があった。それは後のお楽しみといたします。
 前夜祭以外の旧作は、全面的に舛田利雄監督作品で埋めつくされる。また、隠し玉で舛田利雄監督による短編映画「ゆふいんの夜」も特別上映される。この映画のいわれについては後で項を改めます。
 さらに、もう一つの隠し玉として「大森一樹短編作品特別上映」として、3本が上映された。

 以上を時系列に紹介すると、以下のようになります。

第33回湯布院映画祭
特集「何だって面白くしてやる! 舛田利雄のあくなき仕事」
 8月27日(水)前夜祭 由布高校 郷土芸能部 神楽
         大森一樹短編作品特別上映
          「明るくなるまでこの恋を デジタルリニューアル版」
         野外上映会 「ゆふいんの夜」(サイレント版)
               「九ちゃん刀を抜いて」
         懇親会 乙丸地区公民館

 8月28日(木)「赤い波止場」「完全な遊戯」
         「ゆふいんの夜」(サウンド版)
         大森一樹短編作品特別上映「明日からの記憶」
         「嵐来たり去る」「狼の王子」
         大森一樹短編作品特別上映「PLAY BALL!」
         特別上映「The ショートフィルムズ」
         シンポジウム 監督 大森一樹 李相日
                総合プロデュース 深沢義啓
                司会 映画評論家 寺脇研
         パーティー 亀の井別荘 湯の岳庵

 8月29日(金)「赤いハンカチ」「地獄の破門状」「わが命の唄 艶歌」
         シンポジウム 監督 舛田利雄 村川透
                映画評論家 渡辺武信
                司会 映画評論家 佐藤利明
         特別試写「石内尋常高等小学校 花は散れども」
         シンポジウム 製作・プロデューサー 新藤次郎
                出演 柄本明 六平直正
         パーティー 九州湯布院 民芸村

 8月30日(土)「青春を吹き鳴らせ」「剣と花」「二百三高地」
         おしゃべりカフェ テーマ「二百三高地」
         特別試写「しあわせのかおり」
         シンポジウム プロデューサー 三木和史
                出演 藤竜也 山田雅人
         パーティー ゆふいん麦酒館

 8月31日(日)特別上映「memo」
         シンポジウム 監督・脚本・出演 佐藤二朗
                プロデューサー 大高由紀子
                出演 韓英恵
                司会 映画評論家 野村正昭
         特別試写「秋深き」
         シンポジウム 監督 池田利春  製作 若杉正明
                出演 八嶋智人
         特別試写「次郎長三国志」
         シンポジウム 監督 マキノ雅彦  出演 真由子
         パーティー ゆふいん健康温泉館

関連企画 8月19日(火)〜9月1日(月)
      「日活映画の輝くスターたち ポスターとスチール展」
                         由布院駅アートホール


●前夜祭

雨の話題
 前夜祭の野外上映は、毎年の大きな楽しみなのだが、今年は午後5時頃に湯布院に着いたらすでに本格的な雨で、早々と中止が決定していた。
 この1週間ほどの東京は梅雨がもどったような雨模様で、明日から回復して晴れる、明日から晴れる、と気象情報で言い続けながら、ついにそれが1週間続いていた。湯布院で夏の青空を楽しめばいいやと思っていたら、その異常気象がこちらにも移動してきたようで、似たような状況が続き、天気が回復したのは映画祭最終日の日曜日だった。困ったものである。北京でミサイルを打ち上げた影響じゃなかろうかって、そんなわきゃないか。

雨で心配なのは、パーティーである。案の定、初日の金鱗湖畔のパーティーは、湯の岳庵の中だけに押し込められる形になった。まあ、湯の岳庵はそこそこの広さを持っており、かつて徹夜に近い形で、実行委員の打ち上げも兼ねて参加者との交流会を開催した場所でもあり、その時を思い出したりして、それはそれで楽しかった。
 問題は2日目の民芸村である。幸運にも私はこの場のパーティーの雨天経験はないが、体験をした人によると、庭が使えないので、会場は建物の中のみになり、芋を洗うような混雑状態になるそうだ。私も民芸村の展示場に入館したことがあるが、確かに決して広くない。やだなあ。でも湯布院参加歴10年、たまにはそんな経験もいいか、と開き直っていたが、何と!奇跡的にパーティーの時間帯だけ雨が上がったのである。パーティー最中に降ってきたら、移動で大変なことになりそうだが、それもなくめでたしめでたしであった。
 3日目は完全屋内の麦酒館で楽勝。最終日は天気が回復し、例年どおり健康温泉館の中庭まで会場が拡大できて、まぁ、つつがなく全パーティーは終わったのであった。

さて、もう一つの私の恒例は、鑑賞済旧作の上映時間を活用してのサイクリングである。これは気分転換に最適だ。今年は初日の「嵐来たり去る」上映時間(休憩含む、以下同じ)の13時50分〜15時40分、2日目「赤いハンカチ」「地獄の破門状」10時〜13時40分、3日目「剣と花」「二百三高地」11時5分〜16時10分と、特に時間がタップリある。ところが生憎の雨である。仕方がないから温泉にユックリ浸かり、時間を十分にかけてビールコップ片手に昼食を摂り昼寝して、連日午前2時過ぎまで続いている懇親の疲れを癒すと共に、その日の夜に備える。こんな奴と付き合わされてる人も大変だと思うが、年寄りの我が儘、まあ勘弁してやっておくんなはい。
 2日目は幸いにも薄日が差してきたので、レンタサイクル店の前まで行ったら、またポツポツ来たので見合わせた。正解だった。その後にかなりの降雨があった。サイクリングに出かけていたら、とんでもない目にあっただろう。
 しかし、これだけ時間をもてあますと、さすがに温泉三昧と昼寝にも限界がある。でも、退屈したら会場に入れば、再見しても遜色のないかつての名画が上映されているのだから、困ることはない。映画祭とは、本当に良いものである。
 3日目の昼は、薄日が射してかなり長時間天候が持ったので、念願のサイクリングができた。といっても、10年も通った勝手知ったる湯布院の町、何だか地元の武蔵野をサイクリングしてる気分と大差ない。これまでも、気分転換のためにしていたことで、何が何でもと執着していたわけではないのだが、雨でできないとなるとしたくなるものである。とにかく、今年もサイクリングを楽しめて祝着の限りだ。

前夜祭終了後の翌朝、この雨は大変な大惨事(?)を招く結果になるのだが、それはまた先の話ということで、気を持たせておきます。

お神楽および大森一樹短編作品特別上映
前夜祭の私のもう一つの楽しみは、郷土芸能のお神楽のお披露目である。これは、湯布院に来た気分を盛り上げるし、これから始まる映画祭への期待を高揚させてくれる。今年の由布高校のお神楽は、2008年全国高校総合文化祭で文部科学大臣賞を授賞した折り紙付きの演し物である。雨天により広々とした由布院駅前広場でなく、やや狭い湯布院公民館のホールの舞台になってしまったのは残念だが、逆に和楽器の合奏は空に抜けて発散しないのでよく通り、そのド迫力に泣き出す幼児がいるなどしてこれはこれで良かったのかもしれない。
 これと併行し「大森一樹短編作品特別上映」1本目の「明るくなるまでこの恋を」が、2階視聴覚室で上映される。映画を観たければお神楽鑑賞は30分程度中断するしかない。このため、山場のスサノオノミコトのヤマタの大蛇退治が見られなかったのが、残念なところだ。

何だか下らないことばかり書いていて、前夜祭からいっこうに進みませんが、前夜祭の話題もまだまだ続きます。とりあえずユルユルいくことにして、第一回はこんなところとしたいと思います。

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