周磨 要の 「湯布院日記2009」

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湯布院映画祭日記2009−7

●私の今年の新作ベストムービー「PASSION」上映の背景
最終日は「PASSION」「ばかもの」「笑う警官」の三本の新作特別試写とシンポジウムで終わる。まず「PASSION」上映からスタートする。

新作特別試写と銘打ったが、「PASSION」は映画祭の他の試写作品とは微妙に意味合いがちがう。現時点では日本における5度目の上映であり、今後とも公開予定は無いそうだ。これは、東京藝術大学・大学院・映像研究科の卒業製作作品である。完成発表会場の渋谷・ユーロスペースで1度上映され、国内の映画祭で2度上映された他は、「映画芸術」誌主催の「映芸シネマテーク」で1度上映されただけということだ。私は、「映芸シネマテーク」で見ている。日本で5度の上映のうち、2度に立ち会っているわけだ。作品評価は、昨年の「映画芸術」ベストテン第5位にランクされていることからも見てもかなり高く、興行的にも十分耐える完成度を具えているが、国立大学製作だから、当然国庫の金が投じられており、そのあたりも公開にあたってのネックで、クリアする壁があるそうだ。(いずれは公開に至るでしょうとの、参加ゲストからの希望的観測もあった)

2004年湯布院映画祭の最終日の最初に、「湯布院からの新しい風」と称してDVD作品(好評につき翌年劇場公開された)の「脱皮ワイフ」が上映された。「数多く製作される昨今の日本映画の中から、映画ファンの満足する作品や知られざる傑作、才能溢れる新人の紹介・発掘の為に、今年から日曜日午前中に上映枠を設定しました」との趣旨である。昨年の野村正昭さん推薦による春に公開済の「memo」の上映も、その線につながるものだろうし、今回の「PASSION」上映も同様だろう。

●私の今年の新作ベストムービー「PASSION」の概要
大学の同級生の5人の男女の、卒業から7年後の29歳の時点での、捻じれた恋愛模様が描かれる。優柔不断なインテリ男の岡本竜汰は、永過ぎた春に決着をつけて、恋人の同棲相手・河井青葉と結婚する決意をする。長らく河井青葉を愛している内気な岡部尚は、それを口に出すことはできず、特に好きでもない占部房子と関係を持っている。岡本竜汰と占部房子は、過去に行き掛かりで一度だけ愛のない関係を持ったことがある。それに、食肉工場の管理職で、近々妻の出産を迎える一見最も安定した生活に見える渋川清彦がからむ。

結婚を間近に控え精神不安定になった優柔不断の岡本竜汰は、夜にもかかわらず、かつて関係した占部房子のアパートに押し掛ける。占部房子には、歳の近い自由奔放な叔母がいて、彼女はかねてから渋川清彦に気のある素振りを繰り返していた。安定した家庭生活を送っていた渋川清彦の心にも揺れが生じ、叔母がいるものと錯覚して、これも夜に占部房子のアパートに押し掛ける。こうして、鉢合わせをした岡本竜汰・渋川清彦人・占部房子の3人の心の底をさらけ出す激しいディスカッションが、映画の中心をなす。一方、岡本竜汰の外出を知った岡部尚は、河井青葉が一人だけになったアパートに、夜分押し掛ける決意をする。

この5人の恋模様の心のすれ違いが、キャラクターをきちんと描き分けて整理され、味わい深く映像に定着される。前述した占部房子の若い叔母とか、あるいは河井青葉の母親が、娘の結婚相手の岡本竜汰に別れた夫と同質の軽薄さを嗅ぎつけ、「あなたには誠が見えない」と厳しい言葉を投げつけるなど、サブキャラも、見事にメインのドラマを効果的に膨らませている。

●私の今年の新作ベストムービー「PASSION」の他の参加者の評価
私が、すでに「PASSION」を観ているということで、何人かの人に「どう?」と聞かれた。「29歳になった大学の同級生の、5人の男女の恋愛模様が描かれているんだけど、5人のキャラがそれぞれ立っていて見事です。いい映画だと思いますよ」と答えた。前に観た「映芸シネマテーク」の会場シアター&カンパニー「COREDO」のDVD上映は、あまり映写がよくないということもあるが、私に湯布院でも再見したいと思わせた力作であることはまちがいない。今回再見して、その素晴らしさを再確認した。これが、私の本映画祭の新作ベストムービーとなった。

しかし、すでに「映芸シネマテーク」で観た作品が、今年の私の新作ベストムービーになってしまったことは、ちょっとさびしい。いかに他の新作映画が不作だったかの証である。昨年もそうだったが、「湯布院映画祭」上映作品はこのところ不作続きである。はっきり言って、この番組ならば、旧知の人に会えるというオプションの無い他の映画祭では、参加する気にはならないだろう。実行委員会の作品選定に、奮起を促したいところである。

やたら、いろいろな人に推薦しまくってしまったので、悪評だったらどうしようと、心配になる。まずは、シンポジウムに先立ち、滋賀の郵便局OB「失礼します!Oさん」に、恐る恐る伺ってみる。「ええ映画や。今年のベストムービーになりますわ」と、大好評である。さすがにオーソドックスな王道映画を評価する「失礼します!Oさん」ならではだ。最終日の私設打上げ総括会でも、ほとんどの人が「PASSION」をベストムービーに推していた。この会に参加していただいた実行委員の方々も、心なしか、してやったりと頷いているように見えた。前に実行委員会の作品選定に、かなり辛口なことを言ってしまったが、「PASSION」の国内5度目の上映にこぎつけたことは、大きな成果かもしれない。ただ、不幸にも私にとっては、すでに観た作品だったということだ。

●私の今年の新作ベストムービー「PASSION」のシンポジウム風景
シンポジウムは、脚本も執筆した濱口竜介監督、出演者の河井青葉さん、渋川清彦さん、岡部尚さんのゲストを迎えて開催される。司会は実行委員会の重鎮にして会計担当の横田茂美さんだ。まずは、「失礼します!Oさん」の、嵐のような怒涛の大絶賛で幕を明ける。私も、今年のシンポジウムでは是非とも発言したかった2回のうちの1回なので挙手をする。しかし、横田さんに「これまで、あまり発言されてない方の声も聞きたいな。ちょっと待っててね」と、焦らされる。終了時間も迫ってきたので、また挙手する。「あ、もう少し待ってね」と横田さん、「別に忘れてなければいいですよ」と私。「忘れてません」と横田さんは言い、いよいよの時間になって「それでは最後の発言ということで、周磨さん!しっかり締めてよね」とプレッシャーを掛けてくる。

「東京から参りました周磨と申します。私は映芸シネマテークで観ましたので、2度目です。国内5度の上映に2度立ち会ったわけです。監督はご記憶にないかもしれませんが、映芸シネマテークのトークショー後の懇親会の席上で、監督にエールを送った者です。今、ここで、皆さんの前で改めてエールを送ります」と,、始めた。監督の頷き方からみて、どうやら私のことは記憶にあったようだ。まずは前述した私の評価を要約して述べてから、
 「でも、人の評価はいろいろですから、映芸シネマテークでは、この映画に何点かの疑義を呈する人もいたんですね。今回は、その疑義が妥当かどうかという観点で見直してみました」と、続け、映芸シネマテークで指摘のあった4点の疑義について、私なりの再見による見解を述べた。

一点目は、高校教師役の河井青葉さんのクラスでいじめによる自殺がおき、教室で暴力について河井さんが生徒達に激しく詰問する中盤のシーンである。これがかなりの尺である。メインである5人の男女の恋模様とは、やや離れたエピソードだ。長過ぎる。不要だ。との声が出たのである。
 私はそうは思わなかった。河井青葉さんは自立した女性として、29歳まで岡本竜汰さんとの曖昧な同棲生活に甘んじてきた。ここにきて、教師としての限界と挫折を感じて、落ち込んだのである。でも、今は婚約している。それが救いであったはずなのに、初めて男に支えを頼んだら、自己チューで気弱な同棲相手の岡本さんは、それを受け止めるのを、暗に拒否している。ここから、二人の関係は微妙に変質し、後半の山場のディスカッション・シーンに展開していくのだから、ポイントとなるこの教室のシーンは、やはりこれだけの尺の重みが必要なのだ。私は、再見で改めてそれを確認した。

二点目は、優柔不断で河井青葉さんへの秘めた想いを告白できない岡部尚さんが、彼女がアパートに独りだけなのを確認し、夜間に押し掛けるシーンだ。しかし彼女が玄関に出てきたら、「外で話さないか。寒いけど暖かくしていけば大丈夫だから」と、頓珍漢な誘いをして、二人で冬の深夜の散歩に出るシーンである。彼は意を決して、好きな女と寝に来たんじゃないのか、強引にでも上がりこむはずだ、「外で話さないか」はないだろう、というわけだ。
 しかし、こうしたこの男の優柔不断さが、5人の男女の恋模様を複雑にややこしくしてしまったのである。最初から寝ることを目論んで深夜に独りでいる女のアパートに上がり込めるような男だったら、そもそもこの映画のドラマは、成立しようもないのである。

三点目、夜明けのコンビナートのガスタンクが聳えるロングの長い長いワンショットである。このシーンにかぶるのは、深夜の散歩に出た河井青葉さんと岡部尚さんのとりとめのない会話である。と、思っていたら、実は遥か後景に二人の姿が捉えられており、キャメラに向かって歩を進めている。長回しはその二人がミドルショットになるまで、延々と続く。始めは何だろうと思っていたショツトが、次第に全容を現してくる力強いシーンだ。
 このショットについても、意味不明、奇を衒い過ぎとの否定的な声があった。今回、私は再見して、その素晴らしさに鳥肌が立った。河井青葉さんは、とりとめもなく幼児の頃の思い出を、岡部尚さんに話す。祖父が棺桶の中で蘇生した話である。脱糞した臭いで蘇生が分かるのだが、最初は河井青葉さんの粗相だと思われる。幼児の彼女が、正直に臭い、臭いと泣きじゃくっても、他の大人は無関心を装う。この映画の核である男女の恋模様とは何の関係もない独白だ。意を決して河井さんのアパートに押し掛けた岡部さんのはずなのに、結局こんなとりとめもない会話を繰り返し、大事なことは何も言わないで一夜を散歩して明かしてしまったということだ。この長いショットの持つ意味は、そんな一夜の空しい長さである。

 このショットの最後、夜が明けて眼を覚まし動き出したコンビナートに、ダンプカーが頻繁に走り出し、カットの終わる締めくくりで、二人のミドルショットのスレスレに、ダンプカーが轟音を響かせてUターンするのは鮮烈だ。ただ、これは監督の狙いではなく、偶然の効果だったようだ。俳優の安全のため、車両を通行止めして撮影していたが、止めきれなかったとのことだった。危険を感じ撮影にストップをかけようとしたが、俳優さんもそのまま演じ続けてくれたので、キャメラを回しきったそうだ。映画というものは、こうした思いもかけぬハプニング効果があるから面白い。

この長いショットは2テーク撮ったそうだ。1テーク目は、白々と夜が明けていく空が納められており、それも良かったが、このダンプカー効果で、こちらのテークを採用したそうだ。夜が白々と明け、明けきったところでのダンプカーの轟音ショットになったら、もっと素晴らしかったとも思うが、それは無理な注文ということである。

ラストシーンにも疑義が呈された。一夜のディスカッションを経て、同棲先の河井青葉さんのアパートに朝帰りした岡本竜汰さん。もう混乱して、自分が本当に愛しているのは河井さんなのか占部房子さんなのかも、分からなくなっている。自分の苦しい時に支えになってくれそうもない岡本さんに失望し、また暗に岡部尚さんの恋心を知ってしまった河井青葉さんの心も冷えている。二人の沈黙を捉えた長回しが見事だ。 別れを宣言して、画面外に消える岡本さん、ドアの開閉音、何とも言いようのない感慨の表情の河井青葉さん、やや時間経過、再びドアの開閉音、画面外から「許してくれ」とひざまずいて岡本竜汰さんが再び入ってくる。暗転、エンドクレジットになる。
 これも、二人は完全に別れねば駄目だとの、疑義があった。しかし、これは別れきれなかったことに余韻があると、私は思う。エンドクレジットのタイトルバックにバスに乗っている占部房子さんが映る。さりげなく後部座席に岡部尚さんがいる。こうして、この二組のカップルが、真の恋、真の思いが曖昧なまま、ズルズルと日常の関係を続けていくということだ。ここに、人生というものの余韻を私は感じた。

「以上、映芸シネマテークで呈された疑義について紹介しましたが、私としてはこの度の再見で、このままで良いと確認いたしました。疑義はすべて却下です。改めて監督にエールを送ります。良い映画をありがとうございました!」と、締めくくった。

「いやあ、見事な締めでしたね」と、司会の横田さんにヨイショされる。ただ、この後、横田さんが私見で、これはメル・ギブソンの「パッション」(受難)とも関係があるのではないか。そう考えれば河井青葉さんが受持ちクラスで自殺者が出たのは、正に「パッション」ですよね、とカッコいいことを言う。何だ。いいとこ取りの締めは、横田さんがやっぱりさらうじゃないかと思った。ただ、濱口竜介監督の方は「そこまで深く観ていただいて…うれしいです…」と、半ば恐縮気味ではあった。

再び「映芸シネマテーク」における「PASSION」の思い出
実は、前項で紹介した「PASSION」への疑義のほとんどは、「映芸シネマテーク」のトークショーの席上で、荒井晴彦さんから発せられたものだったのである。荒井さん自身は、「映画芸術」ベストテンで「PASSION」に10点を投じているので、決して作品に否定的ではないはずだが、とにかくこの時のトークショーではやたら辛口だった。ところが、濱口竜介監督の方は「ハイ、ハイ」と素直に返事をするだけで、全く反論めいたことを発しない。濱口監督にとっての荒井晴彦さんは、大先輩であり学校の先生みたいな存在なのだから、素直になるしかないのだろうが、「PASSION」に感動した直後の私は、イライラしてきた。ちがうだろう。そんなの全部言うこと聞いてたら、荒井晴彦映画になっちゃうよ。これは濱口竜介監督作品だ。何で反論しないの。俺が代わりに反論してあげたいよ。そんな気分で、イライラとトークショーを聞いていた。だから、トークショーが終わって懇親会になったら、真っ先に監督の下に赴き、大エールに至ったわけである。

でもよく考えたら、「PASSION」シンポジウムの私の発言は、荒井さんに完全に喧嘩売ってるみたいなものだったような気がする。「日本映画 脚本家列伝」の最終シンポジウムの、私の西川美和評価も然りである。荒井晴彦さんとは、意識的なのだが、今年最終日に簡単な挨拶を交わしただけで終えた。そのことも含めて、この件については項を改めて記したい。

●私の今年の新作ベストムービー「PASSION」のパーティー風景
「PASSION」は、5人の男女の恋模様なので、登場人物の誰が一番好きで、誰が嫌いだとのことを話題にしても、盛り上がれるという大衆性を有している。私が最も好感を持ったのは渋川清彦さんだ。

渋川清彦さんの役は、5人の中では一番常識的な役である。食肉工場の管理職で、そこそこ愛している妻もおり、一児の父になる日を目前にしている。かねてから、理屈ばかりで決断力の無いインテリの岡本竜汰さんに嫌悪を抱いていたのだが、ついに一夜をかけてのディスカッションで、「俺は昔からお前が嫌いだったんだ」と、吐き捨てるように告げるあたりは爽快だ。ゴチャゴチャ言ってないで、女をモノにしたかったら殴れ!と宣言し、占部房子さんへ強姦まがいに迫って、合意に達してしまうあたりの強引さも凄い。平凡な生活をしている人間の、深層にある凄みを鮮やかに表現した。

パーティーで渋川清彦さんに以上のことを告げて、あなたの役が一番好きです、とエールを送る。私はたたき上げの下級管理職でしたが、現場感覚に溢れた男が、実行力の無いインテリを罵倒するのは痛快でした。もっとも、私は草食系なんで、あんな風に女に迫る一面はありませんけどね、と冗談半分に語りかける。いや、そのように観ていただけてありがたいです、と渋川清彦さんも笑顔を浮かべていた。

濱口竜介監督とは、「映芸シネマテーク」の思い出話も交えて、パーティーでもエールを送りっぱなしだった。しかし、「PASSION」完成時29歳にして、この人間描写力、まだ若冠30歳そこそこ、しかも脚本も自作なのだから、恐るべき人である。第2作目も始動しているそうで、今後大いなる期待を持っていきたい。

●金子修介監督と怪獣談義
最終日上映「ばかもの」のシンポジウムのゲストとして、金子修介監督は前日に湯布院入りし、ゆふいん麦酒館のパーティーにも参加された。これは、その時の私との怪獣談義だ。

金子修介監督といえば、代表作の一つとして平成「ガメラ」シリーズ3部作がある。勢いを駆って「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」もモノしている。早速、金子修介監督に怪獣談義の水を向ける。
「監督のゴジラでは、バルゴンを出したのが楽しかったですね」
「バルゴンではありません。地底怪獣のバラゴンです」
『失礼しました。そうです。バルゴンは昭和ガメラの2作目「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」でした』
 およそ、いい歳をした大人の会話とは思えない。

「あの時のバルゴンは可哀そうでしたね。小さくて徹底的に他の怪獣に虐待されたりして」
「そうそう、題名にも入れてもらえなかったりしてね。でも、可愛いって結構人気があったんですよ」
 ここで、私は金子監督に異議を申し入れる。
「やっぱり、ゴジラは核実験の恐怖の申し子だとか、怪獣映画には崩しちゃいけないセオリーってあるでしょう。ゴジラはそのセオリーをきちんと守っているんですけど、地底怪獣のバラゴンは地の神でいいとしても、モスラが水の神、キングギドラが天の神はないでしょう。モスラといえばインファント島の守護神、キングギドラといえば宇宙怪獣と決まっていますよ」
「ああ、最初は別の怪獣だったんです。でも、当時の東宝の会長が、モスラとキングギドラを出さないなら企画中止だって言うもんですから」
「ちなみに、最初の案は何だったんですか」
「天の神はバラン、水の神はアンギラスです」
 と、金子修介監督、マイナーな怪獣名を出して、どうだ!と得意満面である。うむ、この人の怪獣映画愛は、半端じゃないなと感じさせられた。しかし、これどうみても、大の男の会話じゃないですよね。金子監督も、私のことを変な親父だと思ったかもしれない。

こういうバカ話は、荒井晴彦さんとはできない。そういえば、バリでスキューバダイビング・コーチとして定着してしまったSF作家・映画評論家・かつての映画祭常連ゲストの友成純一さんに会いたいな。友成さんが加われば、こんな話題はさらに盛り上がるでしょう。

●新作特別試写「ばかもの」に、また精神的テンションを下げられる
初日の「ダブルベッド」に続いて、またまた私の精神的テンションを著しく下げる映画に遭遇してしまった。「ばかもの」である。授業はサボり将来ビジョンは皆無の、三流大学生の成宮寛貴が、年上の女の内田有紀に逆ナンで筆下ろしさせられ、女体にひたすらのめり込み続けるが、彼女はあっさり別の男と結婚してしまい…てな調子でそれからのダメ男の十年が、延々と描かれる。

こういうの見てると、ホントに怒鳴りつけたくなる。殴りたくなる。いや、登場人物が私にとって腹立たしい映画を、すべて否定する気はない。その腹立たしい人間を描くことを通じて、何かが炙り出されてくれればいいのだ。少なくとも私にはその「何か」が全く見えない。単に不快でイライラする男女を2時間も見せつけられているだけなのである。内田有紀が、結構熟女演技で魅せられるようになったなとは思うが、それだけのことである。

金子修介監督、沖元良プロデューサー、編集の州崎千恵子さん、助監督の猪越弘之さんをゲストに迎えてのシンポジウムが始まる。私には積極的に発言したいこともなければ、聞きたい話も無い。ただ、唯一興味深かったのは、金子修介監督が、私もこの映画の主人公は「ばかもの」だと思ってますと、全くシンパシーを持っていないと表明したことだった。

そうなると、私の感覚と一致する。では、そんな共感できない主人公を描くことを通じて、監督は何を表現したかったのだろう。早速この後のゆふいん健康温泉館における最終日のパーティーで聞いて見る。10年後の男と女の再会で、高い木に登っての会話のやりとりに、一つの明るい未来を見せたつもりなんですけどね、との金子修介監督の言だった。残念!私には何も感じられなかったのである。

●政権交代実現!期日前投票で思ったことetc
映画祭最終日の8月30日(日)は、衆議員選挙の日である。ほとんどの人は期日前投票を済ませて、映画祭参加したようだ。最後の作品「笑う警官」の上映とシンポジウムが終了した21時45分、パーティー会場に向かう途中の公民館ロビーでは、TVの選挙速報が映されていた。民主党がすでに当選・当確合わせて300議席を越える圧勝になっていた。

私も、今回初めて期日前投票なるものを済ませた。いまだに「不在者投票」と呼ぶ人が多いが、正確には「期日前投票」である。今回この制度を活用して、不在者投票とは、全く性格がちがうことを確認した。不在者投票ではないのだから、当日市内にいようがいまいが、関係ないのである。(在不在は要回答にはなっているが)不在者投票時代は、なぜ不在か?市内にいない理由は何か?とかなりうるさかったそうだ。それで、制度を利用する人が激減し、投票率低下にも繋がっていった。今は、何もうるさいことは言わないだけでなく、市の職員が銀行のお客さま扱いに近いくらいに、申請書の書き方を手取り足取り教えてくれるのである。印鑑持参とかのややこしいこともいっさい無い。

一つ、疑問を感じたことが今回あった。衆議員議員の投票と、最高裁判官信任投票の期日前投票期間がちがうことを知ったのである。最高裁判官信任投票期間の方が短いのだ。国民の審判を受けるのを、司法の方が腰が引けて逃げているんではないかと、私は邪推した。実際は投票の根拠となる法律が違うから、期日前投票期間も違うということだった。

こんな邪推をしたのも、昨今の司法のあり方に疑問を感じているからだ。裁判員制度である。私は、当初はアメリカのように「ギルティ?&ノットギルティ?」を判断するものと思っていた。そうすれば、裁判官・検察官・弁護士といった法曹界以外の人の常識的な目線が入って、冤罪防止にもなると思っていた。ところが、蓋を明けてみると、有罪・無罪を争うケースはほとんどなく、すでに犯行を認めた者に対して量刑を決めさせられるのである。こんなことが一般市民に軽々しくできるわけはない。

これは、法曹界が、一般の人の意見も取り入れてますよとのポーズの、責任逃れではないのか。責任があるからこそ、法曹界の人はそれなりの処遇を与えられているはずである。それなのに、何の処遇も与えられるわけでもなく、責任の一部を一般市民に被せてくるのはどんなものか。この制度に反対だから、司法の総元締めである最高裁判官全員に罷免の×を打つことにした、それしか国民は意志表示できないのだから、と言った人もいた。私はそこまでやらなかったが、それも一つの見識かもしれない。

まあ、こんな諸々のことを、知ったり感じたりしたのは、この時期に「湯布院映画祭」が開催された効用と、言えないでもない。

湯布院映画祭の実行委員には、小林華弥子由布市議会議員がいる。今年も元気に黙々と、特別に市議会議員である素振りも見せず、裏方を務めていた。投票日前日の麦酒館のパーティーで、選挙期間中なのにこんなことしていていいんですか、と聞いたら、完全無党派なので問題なしとのことだった。ちなみに由布市の小選挙区候補者は、自由民主党・民主党・幸福実現党の三者だった。小林議員としては、むしろ10月の市議会議員改選選挙の方が重要で、これから大変になるそうである。投票権は無いけれど、当選をお祈りしています。来年も市議会議員の実行委員としてお会いできるといいですね。

●新作特別試写「笑う警官」とシンポジウム 助走
湯布院映画祭のフィナーレを飾る「笑う警官」上映後、製作・脚本も兼務した角川春樹監督と、撮影の仙元誠三さんをゲストに迎えてシンポジウムが開催される。

シンポジウムの冒頭に、この映画は極めて難産だった裏話が紹介される。クランクイン三ヶ月前に、監督が突如自信が無いと言って降板したのである。代替を探したとておいそれと見つかるわけもなく、急きょ製作の角川春樹さんが、監督にも出馬することになった。そうなると、演出プランもあるから、今ある脚本は使えない。これも三週間で角川監督本人が執筆することになった。突如降板して、そんな苦境に追い込んだ監督の名前を、一般参加者としては知りたいところだが、角川監督は、頑として名前を明かさなかった。私は言ってもいいけど当人が気の毒です、とのことであった。

ということで、この作品はギリギリの完成であり、シンポジウム司会者の鹿子島雅彦実行委員も、一般参加者と同様この日初めて見たそうだ。そこで、あらかじめ原作を熟読して、シンポジウムの進め方を検討してきたそうだが、映画は原作と全くちがう。(原作は、むしろある実話であることを、その後角川春樹監督から披露されるが、それは項を改める)

「それは、映画にするんだから、全く変えますよ」と監督は平然たるものだが、鹿子島さんは、かなり途方に暮れた感じである。「いいじゃないですか。シンポジウムの進め方がどうとか言わないで、面白いとかつまらないとか、どんな意見でも皆さんに言ってもらったら」と角川監督に促され、シンポジウムは早々と会場の参加者の意見を聞く場になる。

●新作特別試写「笑う警官」とシンポジウム 角川春樹監督がキレた!
参加歴の長いYさんが発言のトップを切る。重厚な音楽がドラマの流れを中断する。そのせいか、刑事の群像ドラマなのに、誰が誰だか分からない。と、かなり辛口の発言である。
 続いて滋賀の郵便局OB「失礼します!Oさん」が続く。「失礼します!Oさん」は「PASSION」の項でも述べたが、オーソドックスな王道をもって良しとする映画観の人である。その観点から言えば、角川春樹監督作品は大邪道にしか見えまい。多分、「映画以前」の存在と思っているはずだ。予想どおり、かなりの酷評が激しく続く。

撮影の仙元誠三さんが、場を持たせるかのように、撮影時に苦労したことなどを紹介するが、Oさんは
「言い訳なんて聞きたくありません!我々は1800円を払って映画を観てるんです。1800円に値するものを作ってくれなはれ!」
 と迫っちゃったのである。あらら、やっちゃったよ、という感じである。確かに「失礼します!Oさん」にとっては、この映画が1800円に値しないかもしれない。しかし、それはOさんの問題である。すべての人がOさんのように思うわけではない。(そう思う人が多いか少ないかは別にしてだ)ところが、自分が思っていることは、万人も思っているはずだとの押しの強いところがOさんにはある。(後のパーティーで、Oさんはシニア料金の1000円だよね、と茶々を入れる奴もいた)

何となく表情を強張らせてナーバスになってきたように見えた角川春樹監督だが、ついにブチ切れた。
「そんなことあたりまえでしょう!我々は趣味で学生映画や自主映画を作っているんじゃないんだ!1800円を払っていただける物を苦労して創っているんだ!私だけじゃない!すべての映画人がそうですよ!」 さすがに会場はこの剣幕にシーンとなる。さしもの「失礼します!Oさん」も、反論せずに沈黙を守った。

 シンポジウム終了後、私は「さすがですね。確信犯的に角川春樹監督をキレさせたとしたら、大したものですよ」 と、「失礼します!Oさん」を冷やかす。いえいえ、とOさんは苦笑いするのみであった。

●新作特別試写「笑う警官」とシンポジウム 貴重な意見を引き出せたと思うけど…
前項の一件で、会場内は凍りついたように、シーンとなってしまった。発言が出難いムードになってしまったのだ。私はあまり発言する気もなかったけれど、場つなぎで意見を述べた。

『私は角川春樹監督の映画を、「キャバレー」「時をかける少女」を除いて、全部観ています。そして、プロデューサーとしての角川春樹は別にして、監督・角川春樹は極めて個性的な人だと思っています。一言で言えば、グラフィックでゴージャス、ただし、ストーリーの細かい展開とか、人間心理の微妙な綾というのはあまり問題にしていないような気がします。例えば「天と地と」ですが、通常のこの手の映画が描くような戦国武将の複雑な人間関係みたいなものは一切飛ばして、ひたすら「赤と黒のエクスタシー」のコピーが示すように、映像の華やかさで押していきます。この個性を好きか嫌いかということですが、私は嫌いじゃありません』 と、前置きして「笑う警官」に入っていった。

当然、後のパーティーで「まぁ〜た、周磨、調子のいいヨイショしやがって」と、冷やかされたりもした。しかし、これはヨイショではなく、私の本音なのである。ドラマも人間心理もすっ飛ばして、ひたすらグラフィックにひたすらゴージャスに映像を結び付けていく角川監督作品は、これはこれで映画の魅惑のあり方の一つだなと感じていることは確かだ。(「REX 恐竜物語」の印象だけがちょっと違うのだが…)ただ、王道派の「失礼します!Oさん」が、「映画以前」として、絶対角川春樹監督作品を認めないのも、よく解るのである。

前述したように「笑う警官」は、刑事の群像ドラマである。先に感想を述べた参加歴の長いYさんは、誰が誰だかよく分からないと言っていたが、私は意外とよく描き分けれらていると感じ、角川春樹監督は、案外巧みなストーリーテラーだなと思った。もっともゴージャス感を出すための音楽が、ドラマの流れを中断して邪魔だったのは、Yさんの指摘のとおりである。この後のパーティーで『あんなので人間が描き分けられていると言えるの?「PASSION」と比べてみてよ』と言った人もいた。それは比較する対照が悪いでしょう。
 スバリ、これは角川春樹監督作品として、合わない題材だったのではないか。ただ、製作状況から監督せざるをえなかったのではないか。以上のようなことを要約して述べた。

「題材が私に合わなかったとは思いません。三週間前に着手したからどうとかの言い訳はしません。合わないと思ったら、私は監督しません」
 角川春樹監督はキッパリ答えた。まあプロデューサーの立場からも、合わない題材と思ったけれども、仕方なく引き受けたとは、口が裂けても言えないところだろう。角川監督はこの後、「何といっても私は塀の向こうに何年もいたんですから。逆境に強いんです」と、際どいジョークも発した。

しかし、この後に、興味深い本音が出た。「笑う警官」の試写を崔洋一監督が観て、「映画の後半であなたも作家になりましたね」と言われたエピソードが紹介された。ずいぶん微妙に皮肉とも聞こえる発言を崔監督はしたものだ。角川監督自身も、『これまでの私は、見せ場を連続させるような映画の創り方をしていましたが、「笑う警官」の場合は、創り方を変えないといけないなと思って創りました』と語っていた。ヨイショかどうかは知らないが、私の発言はそれなりに角川春樹監督から、興味深い発言を引き出せたと自画自賛している。

角川春樹監督から、「笑う警官」は原作よりも、そのモデルとなった北海道県警の実話により多く影響されたとのことで、その実話が紹介された。それは、今年春に公開された「ポチの告白」の内容と、あまりにも酷似していた。「ポチの告白」のモデルも同じということだろうか。ちなみに角川監督に「ポチの告白」を意識されたかどうか聞いたら、映画の存在を知らないとのことだった。

●荒井晴彦さんとのこと
映画祭もいよいよ大詰めだ。名残り惜しくも、地元名産御自慢料理がズラッと並ぶゆふいん健康温泉館のパーティーで、終幕である。そのパーティーも、着々とお開きの時が近付いてくる。

そう言えば、今年は荒井晴彦さんと、一言も言葉を交わしていなかった。映画祭後の9月1日(火)の「映芸シネマテーク」で、またお会いするのではあるが、とりあえずご挨拶だけと思い、荒井さんのところに向かう。「私も挨拶させてもらいますわ」と、滋賀の郵便局OB「失礼します!Oさん」が、便乗する。「来月の1日にまた映芸シネマテークでお会いしますが、とりあえず挨拶だけに伺いました」と私。「お前は相変わらずアホだよな」とシニカルな笑いを浮かべながら、きつい言葉を発する荒井さん。もっとも、「PASSION」発言といい、西川美和発言といい、荒井さんに喧嘩を売ってるようなことしか言わなかったのだから、それも当然だろう。「荒井さんとは、人間の見方も、世の中の見方も、全くちがうことがよく分かってきました」と、私は切り返す。

荒井晴彦さんは、「失礼します!Oさん」には、あなたもタマにはいいこと言うね、と声をかけていた。荒井さんシンパの倉敷ツタヤ店長のOさんからの伝聞によれば、「失礼します!Oさん」が、「カケラ」のシンポジウムで、レズ描写を具体的に描写すべし!と、力説したところが、荒井さんに受けたところだそうだ。まあ、そんな次元のレベルだろう。でもねえ、Oさんも「日本映画脚本家列伝」の最初のシンポジウムで、荒井さんに「あんた、映画批評なんてやめなはれ!脚本に専念しなはれ!」と鋭く迫っていたが、そのあたりの真意は届いたのだろうか。

荒井晴彦さんと、「湯布院映画祭」で出会って10年を超えた。お会いする前は、「身も心も」や他の脚本の作品の印象や世評も含め、あまりいい印象を持っていなかった。しかし、実際にお会いしたら、同年代で楽しそうに酒を飲めそうな人と、印象が変わった。そんな関係もあったか、「映画芸術」誌でピンク映画に関して執筆する機会を与えられ、そこを通じて物凄く人の輪が拡がった。いまでもそこでの人間関係のフィールドは、私にとって大変な財産である。

一方、「映画芸術」誌そのものには、私は何とも馴染めないものを感じ続けていた。私とは遠く離れたインテリの雑誌なのである。ただ、私のようなド庶民にも書かせてくれるとのことで、私にとって価値ある雑誌であった。でも、そんなギクシャクした関係が、継続するはずもない。序々に私の執筆機会は、フェードアウトしていった。

現在は、定期購読者ということで、かろうじて「映画芸樹」誌との関係を繋いでいるが、私に合わないインテリ雑誌という印象は変わらない。今年も定期購読を継続したのは、平澤竹識さんや福本明日香さん他の、編集に携わっている若い人たちの斬新な企画の、「映芸シネマテーク」の存在があるからに過ぎない。

「身も心も」で不快を感じたように、私は荒井晴彦作品に対し、決して良き観客ではなかった。それでもおつきあいが出来たので、荒井さんの薦める自信作「母娘監禁 牝<めす>」を追っかけて観た。デビュー作「新宿乱れ街 いくまで待って」も追っかけた。

「母娘監禁 牝<めす>」は、とことん屈辱のドン底に落ちた母娘が。紙パックの飲料を口元から溢れされせてグイッと飲み干すラストシーンに、爽快さを観た。でも、これは斉藤水丸監督の資質なのだろう。「新宿乱れ街 いくまで待って」にはウンザリした。処女作に作家のすべてが出るというが、ああ、荒井晴彦さんはこういう風にしか女も人生も見ていないのか、少なくとも、俺とは全くちがう人だなあと、思うしかなかったのである。

 感覚的に嫌い→でも同年代で酒が楽しく飲めそうな人→やっぱり感覚的に全く合わない人、これが荒井晴彦さんと私との十年余の軌跡である。今後も、荒井さんとは積極的に話したいとは思わないし、それ以上に先様の方もそう思っていらっしゃるだろう。荒井晴彦さんとの関係に関わらず、すべて時は移ろっていくのである。

●「湯布院映画祭」は終わり日常への回帰 そして時は継続し移ろっていく
1999年に、私と同様に「湯布院映画祭」初参加だったM女子が、今年久々に参加した。私は、この時以来の継続参加だが、彼女はそれ以来の参加である。ただし、M女子は都内在住なので、私は「現代映像研究会」や「キネ旬東京友の会」で断続的に顔を会わせ続けている。論客である。最近は、週に一度は和服で過ごすとの、ユニークなライフパターンを確立しているそうである。今年の湯布院でも、全日を異なった和服でお召し変えして、艶やかに闊歩し映画祭を彩っていた。「お馴染みおたべちゃん」と同部屋で、民芸村のパーティーのおたべちゃんの浴衣の着付けも助けてくれたそうだ。

M女史は、初日の宿に戻っての懇親会には顔を出してくれ、その論客ぶりに、他の参加者の期待を大いに高めたが、二、三日目と姿を見せなかった。口の悪い奴には「周磨にウンザリしたからだよ」と言われた。後日、おたべちゃんからM女史の「そんなことはない」との伝言も受け、私は本人からも直接その言を聞いた。でも、他の連中は、「そりゃ建前上、本人はそう言うよ」とのたまう。湯布院のお喋り雀は、本当に口が減らない。そのM女史は、最終回の私設打上げ総括会にも顔を出してくれた。「お馴染みおたべちゃん」は売れっ子なので、最終日のこの会は、いつも別口があってリタイアする。M女子は、「あら、女性はあたし一人なの」と言っていたが、堂々と論陣を張っていたのはさすがである。M女史には今後も継続参加して、「湯布院映画祭」の新しい空気になっていただきたいものだ。

今年の私設打上げ総括会では、名古屋の名進行役Iさんが欠席したのが痛かった。滋賀の郵便局OB「失礼します!Oさん」に、体調不良で今年は欠席との連絡が入ったようだ。仕方がなく私が進行役、福岡のIさんが記録係と分担して、何とか開催することにする。何といっても名古屋のIさんは、アンケート用紙から議事集約用紙まで、準備されてくるのである。速成ではそこまでには至れない。

「周磨はんが司会では徹夜になりますな」「周磨はんが喋り過ぎて、私の発言が制限されて苛められそうなので、欠席しますわ」そんな「失礼します!Oさん」の牽制球にめげず、『私を誰だと思ってるんですか。伊達に話術研究会「蛙の会」の全体進行担当をしておりません』と返球して、無事に私設打上げ総括会の司会を務めあげた。ただし、残念、終了は午前2時10分、予定時間より若干オーバーであった。2時にピタリと納めるIさんの手腕に、改めて感じ入った次第である。

参加者は、昨年同様「失礼します!Oさん」を筆頭に、10名を越える盛会だった。実行委員会からの参加者は昨年に続き、重鎮にして会計担当の横田茂美さんに、小原直樹さん、渡辺武信さんの御子息の渡辺さん(スミマセン、いまだに哲也さんと信也さんのどちらか顔を覚えておりません)に加えて、今回はゲストの映画評論家・野村正昭さんまで参加して下さった。

「今年の旧作ベストムービー」「新作ベストムービー」「シンポジウムを中心にして今年の映画祭に言いたいこと」「来年以降への実行委員会への注文と期待」と、輪番で発言し、総括会はスムーズに進んでいく。私は、前にも述べたように、上映作品の魅力が乏しくなっていることを述べた。これを打開するには、アニメとか洋画とか、作品選定の枠を拡げること、それには失礼ながら横田さんとか伊藤雄委員長とかでは限界があり、若い新しい実行委員の意見をどんどん活用すべきとの、意見を述べた。アニメの上映については、福岡のIさんからも賛意を得ることができた。

M女史の10年ぶりの参加、野村正昭さんの私設総括会打上げへの新たな参加、一方、渡辺武信さんや名古屋のIさんの体調不良による欠席。私事であるが、私と荒井晴彦さんとの微妙な距離感の変遷。10年ひと昔というが、このように少しずつ少しずつ、時というのは移ろっていくのだろう。こうして私は、湯布院から日常へ帰る。いや、それは帰るのではなく湯布院の継続で、その日常が来年の湯布院へと継続する。祭りの終わりの感慨は何もありません。私の旅は、「映画三昧日記」「ビンク映画カタログ」へと継続していきます。
湯布院映画祭日記2009−6

Vシネマだけでは勿体ない「ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜」
29日(土)、映画祭三日目、まずは旧作が連続上映される。脚本・西岡琢也、監督・高橋伴明の「ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜」。脚本・斉藤ひろし、監督・滝田洋二郎の「秘密」。脚本・向井康介、監督・タナダユキの「俺たちに明日はないッス」。以上3本だ。私は「秘密」を見ているので、「ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜」終映の11時27分から「俺たちに明日はないッス」開映13時40分までをサイクリング時間にあてる。

とはいっても、2時間強しかない空き時間、サイクリングはグルッと湯布院の盆地を簡単にひと回り走り、宿にもどって温泉で汗を流して、お馴染みの長浜ラーメン(無料サービスの替え玉1個を追加!ちなみに2個までは無料だが、さすがにさらなる追加までは腹に入らない)と餃子でビールを傾けていたら、もう時間が来てしまった。でも、陽光の下に短時間でもアウトドアで活動すると、気分転換にもなり疲れも引くから大したものだ。

「ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜」は、実に抱腹絶倒のおかしさだった。鉄砲玉に指名された男たちが、事故を起こして体を傷つけ、何とか逃げ回るさまがおかしい。この最下層のチンピラを演じるのが、まだ凄みが出る前の若僧の哀川翔で、その情けなさっぷりが、ピッタリの適役だ。屈強な兄貴分達が、いざとなると空威張りしながら、さらに情けない行動を取っていくのも、対比的にとてもおかしい。確かに「ネオ」と名付けていい斬新なヤクザ映画だった。

野上龍雄さんの作品に、正統任侠映画を踏まえたうえで、アンチとしてチンピラを主役にしたATG作品「鉄砲玉の美学」がある。そこでガラにもなくめいっぱい突っ張る渡瀬恒彦が何ともユーモラスで情けないのだが、それでも「ネオチンピラ」の哀川翔に比べれば、遥かにカッコいい。哀川翔の情けなさは、渡瀬恒彦の遥かに上を行っている。ただ、これは「鉄砲玉の美学」を貶めるものではない。任侠映画が完成して、アンチとしての鉄砲玉映画が誕生し、それがさらにネオチンピラ映画へと進化する。映画とはそうした先人の積み重ねを踏まえて、次々と開花していくものなのだろう。

「ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜」はVシネマである。これをきっかけにVシネマブームが巻き起こり、歴史的には名誉ある位置にある作品だが、ついに劇場公開に至らなかったのは残念だ。今回の映画祭でスクリーンで見ても、十分映画館上映に耐えられるだけの厚みがあったと思う。

●脚本はどこまで説明的であるべきか?
「日本映画脚本家列伝」の最終シンポジウム「嵐を呼ぶ脚本家三人衆〜乱世日本映画界を生き抜く〜」が、西岡琢也さん,斉藤ひろしさん,向井康介さんをゲストに迎えて開催される。司会は映画評論家の野村正昭さんである。この中でシナリオ作協理事長の西岡琢也さんから、「一般の人は脚本も監督も関係ない。俳優を見にくるんだ」と、およそ脚本原理主義から程遠い発言が出たことは、前に紹介した。

映画祭開幕に先立って、「日本映画脚本家列伝」にちなみ、脚本家へのアンケートが実施されたことは前にも述べた。その質問の中に「脚本にまつわることで観客に聞きたいことは?」というのがあった。司会の野村正昭さんから、その中のいくつかをセレクトして、シンポジウム参加者に問い掛けがあり、奥寺佐渡子さんからの『「最近のお客さんは丁寧に台詞で説明しないと理解してくれない」とよく言われるのですが、それは本当?もっとお客さんを信頼してもいいですよね?』というのが紹介された。

これは難しい問題である。即発言が出るわけもなくシンポジウム会場はシーンとなる。私は、このシンポジウムで発言する気はなかったが、かねてから気になっていた西川美和作品の人それぞれの評価の極端な乖離が、この問題に直結しそうな気がしたので、場つなぎの意味もあって発言した。

場つなぎといえば、シンポジウムでこういう時に絶妙なフォローを見せるのが、常連ゲストの映画評論家・渡辺武信さんだったのだが、いつものように前夜祭からの姿が見えない。まあ、お忙しい方であろうから、スケジュールの都合で途中参加かなと思っていたが、なかなか姿をお見せにならない。さすがに映画祭3日目にも姿が見えないので、パーティーの時に実行委員の重鎮の横田茂美さんに聞いたら、体調不良で今年は不参加とのことだった。高齢でもあることから、ちょっと気になるところだ。

話を西川美和作品に戻す。饒舌な映画が氾濫する現代日本映画の中で、西川美和の映画は極めて寡黙だ。西川美和監督は脚本も自分で書いているが、多分台詞が極端に凝縮されているシナリオだけを読んだら、あまり理解できないのではないか。それが、絶妙な映画演出で(寡黙であることは変わらないが)人の心の綾が見事に表現されているのである。

しかし、私がそう思うのであって、人によっては全く西川美和映画は理解不能と評する人もいる。著名映画人の中でも、頓珍漢な解釈をしてよく分からないという人もいる。ある人は、理解できないのは単に西川美和が下手なだけにすぎないと、決めつけていた。こうなると、「丁寧に台詞で説明」する適切なあり方は、「脚本」―「演出」−「個人の感性」の三すくみの中で存在することになり、答は出ないのではないか。

以上のようなことを私は発言したが、ゲストにも参加者に対しても触発的発言にはならなかったようで、簡単に流れてしまい、シンポジウムは次の断面に進んでいってしまった。

●西川美和映画について、ここでもう少し語ろう
西川美和の「ゆれる」は、私は鑑賞後3時間くらいたってから、ラストシーンの香川照之の微笑だけで、人間心理の深淵を覗かせた寡黙な表現に気が付き、驚嘆させられた。ところが「映画芸術」417号の集中討議『「ゆれる」にゆれる』の荒井晴彦さんの発言を読むと、ほとんど内容を理解されておらず、私には頓珍漢にしか見えなかった。

西川美和の映画が分からないという人の一人に、「映画友の会」の友人で東電社員、現・渋谷・電力館副館長にして、キネ旬「読者の映画評」常連の論客・須田総一郎さんがいる。その須田さんは、この荒井さんの発言に全面的に共感したという。こうなると、私にとって西川美和の存在は、完全に謎となる。

近作の「ディア・ドクター」の寡黙な表現に埋め込まれた人間の心の深さにも、私は驚嘆した。30代の女性が、ここまで人間観察力を有していることに感嘆した。2007年の日本アカデミー賞受賞式で、「ゆれる」に出演したオダギリジョーが西川監督についてインタビューを受け、「綺麗な方ですからね。この人のためなら何でもやってやろうと、みんな全力を尽くすんですね」と、冗談めかして言っていた。なるほど、美人というのも演出力のうちか、などと不謹慎なことも思ったのであった。

「映画友の会」で、須田さんは「ディア・ドクター」について、よく分からないし、主人公の医師もモラル面から見て許容し難いと評した。辛口発言を連発し顰蹙を買いながらも、実行委員のMさんとの掛け合い漫才的やり取りが新たな風物詩として定着しつつあるもう一人のMさんからは、単に下手くそな映画に過ぎないと、酷評が飛ばされた。

アニメ研究家のおかだえみこさんは絶賛派である。今年は「劔岳 点の記」と「ディア・ドクター」があっただけで、日本映画は良かったと言われた。「クソ真面目な人と、ガキには解る映画じゃないわね」と、辛口の二人には強烈なカウンターが飛んだ。ついでに「女性だとか若いとか美人とか言いなさんな。失礼ですよ」と、私もピシャリと言われてしまった。

繰り返すが、私はその寡黙だが深い映画表現力に驚嘆している西川美和に、分からないとか稚拙としか思えない人がいるということは、目下のところ最大の謎なのである。

●映画の脚本の原点はサイレント映画である。
話を湯布院のシンポジウムに戻す。前述のアンケートの観客への問い掛けで、佐藤二朗さんの『映画は舞台やドラマと違い「台詞がなくても成立する」とよく言われます。その辺りの意見を聞いてみたいです』というのが、野村正昭さんから紹介された。

ウワァー、これこそ活動弁士修行中の俺が発言するフィールドだった。焦って西川美和発言などするんじゃなかった。と思っても後の祭り、やはり多くの人に発言の機会を与えるべきシンポジウムに、2度目の発言は控えるべきだろう。そこで、この日の「ゆふいん麦酒館」のパーティーで、野村正昭さんに持論を熱く語りかけることになった。

映画はサイレント映画から始まっている。サイレント映画の台詞は、スポークンタイトルで表現される。スポークンタイトルの挿入は、当然映画の映像の流れを中断するから、いかに必要最小限にするかが、脚本の肝である。あるいは、サイレント映画の言葉とは、「忠臣蔵」の早飛脚シーンで、「赤穂へ、赤穂へ、赤穂へ!」と次第にタイトルを大きく表示するなど、映像と密着したものでもあるのだ。それが映画脚本の原点ならば、映画脚本は、いかに台詞を必要最小限に、できれば無にするのを理想にして始まったのである。

淀川長治さんは言われた。サイレント映画は言葉がありません。すべて「眼で見せ」なければいけないんですね。だから洗練された表現になります。パントマイムです。バレエです。そのとおりだ。いかに眼で見せるかに心を砕くのが、映画脚本だろう。トーキーにより言葉を得た映画の脚本は、言葉に寄りかかり無神経になり過ぎたのではないか。そして、それが現在の台詞による説明過多の陥穽にも繋がっているように思う。

●特別試写作品「カケラ」の私の感想
映画祭三日目を締めくくるのは、「カケラ」の特別試写とシンポジウムである。シンポジウムのゲストは、脚本・監督の安藤モモ子さん、主演の満島ひかりさんと中村映理子さんだ。

一口に言えばレズの映画である。恋人にどこかギクシャクした思いを抱き始めた満島ゆかりさん演じる「はる」に、レズの中村映理子さん演じる「リコ」が好意を抱く。「はる」はノーマルでその趣味はないが、「リコ」の愛情の強さに引き込まれ、ついには女二人の愛の世界に入り込んでいくことで、映画は終わる。

私の感想としては、ここで終わりにするの?という感じと、でもここで終わらせる以外はないだろうなとの感じだった。昔はレズなどのノーマル以外の性癖は、何らかのトラウマによる精神障害だと思われていた。だから、治療により治るものであり、治さねばいけないものとされていた。しかし、最近では先天的資質ということにされるようになった。太っているとか痩せているとか、気が強いとか弱いとかの、各自異なる人間的資質と全く変わらないということが、定着した。だから、「リコ」は性的に「はる」を愛しているが、「はる」の方は「リコ」の愛情の強さに押されていることと、男との関係にウンザリしたことから関係を続けているに過ぎない。この資質は、変質することのないものなのであり、その先には無間地獄しか存在しないことで、映画も締めくくるしかあるまい。いずれにしても、私がシンポジウムで積極的に発言するネタはない。

●シンポジウムの進行でやや紛糾
シンポジウムが始まる。司会は実行委員の小林俊道さんだ。映画評論家としてのペンネームは内田眞で、「湯布院映画祭」実行委員会の機関紙「THE MAYIM PRESS」の連載「新映画芸術的日常」で、健筆を揮っている方である。

司会者からの「安藤モモ子監督の演出はどうでしたか?」の問い掛けに対し満島ゆかりさんが、「決断力が早かったです。男性の監督は、意外と優柔不断で現場で考え込んで悩むんですね」と答える。参加者側の席には、最終日上映「ばかもの」のシンポジウムにゲスト参加する金子修介監督がいるので、小林さんが振る。満島ゆかりさんは、金子監督の近作「プライド」にも出演しているのだ。「優柔不断な男の監督の金子です」とユーモラスに受ける。「いえ、ちょっと…そういう意味じゃ…」とドギマギする満島さん。場内は爆笑に包まれる。

こんな感じで、安藤モモ子監督、満島ひかりさん、中村映理子さんと、ゲストの発言は一段落したが、金子監督をはじめ、参加者側にもゆかりの人がかなり座っている。モモ子さんの母親でリポーター・キャスター、映画「カケラ」ではスーパーヴァイザーを務めた奥田瑛二夫人の安藤和津さん、モモ子さんの妹で上映作品「俺たちに明日はないッス」に出演した安藤サクラさんへと、次々とマイクが回され、発言が促される。

そんなこんなで、一般参加者に発言を求めた頃は、かなり時間が押してしまった。常連参加者のYさん(だったかな?間違えてたらゴメンナサイ)から、「シンポジウムとは製作関係者のゲストに、我々一般の人間の意見・感想を伝える場ではないんですか」との異議が出る。話題は、「カケラ」よりも「シンポジウムのあり方」に滑っていきそうな雰囲気がある。小林俊道さんは「今日の進め方はすべて私に責任があります。その議論はここではよしましょう」と、何とか正道に戻したが、私は司会の小林さんにご同情申し上げた。

ゲストに一般参加者の意見を伝えるのが湯布院のシンポジウムだなんて、誰が決めたんだろう。そういうシンポジウムのあり方もあっていいが、それだけではないはずだ。ゲストのトークショーに主眼を置いて、参加者の意見は補完的に二、三聞くだけというスタイルがあってもいい。私は、小林さんは、今回のシンポジウムはそのように組み立てているなと、思っていた。

私はこの後の「ゆふいん麦酒館」のパーティーで、小林俊道さんの進行は決してまちがっていないとして、上記のことをお伝えした。「まあ、すべて私の責任ですから」と、小林さんはいっさい弁解せず潔かった。シンポジウムのあり方については、最終日の私設打上げ総括会の席上でも、実行委員に私のこのような意見を申し上げた。(ただ、ある参加者から、安藤一家の内輪PRに時間を取り過ぎたよ、との意見があったことも付記しておく)

レズの濡れ場の描写の是非
シンポジウムで滋賀の郵便局OB「失礼します!Oさん」から指摘があった。男と女の濡れ場の方は、満島ひかりさんが腋毛まで披露してネチっこく描いているのに、女と女の濡れ場は全く描いていないのは何故か。女性の放尿シーンや入浴シーンなど、生温かいシーンがあるのに、なぜレズシーンを描かなかったのか。描くべきである。との意見だった。これに対し、安藤モモ子監督の答は明確だった。描こうとも思いましたが、私は気持よく演出できそうになかったんですね。気持ちよく描けないものについては、あえて描く気はありません、とキッパリ答えた。

このような形で濡れ場を回避したのは、成功したとは思えないが、私は好意的に見た。レズの濡れ場を直接的に描くのに抵抗感があるならば、無理する必要はない。間接的に想像させるしかない。そこが、男女の濡れ場をねちっこく描くことによる類推描写であり、放尿・入浴の女体の艶めかしい描写だ。ただ、成功していたとは言い難いのが残念なところだ。

シンポジウム後に、待ち時間の立ち話ではあるが、「失礼します!Oさん」と倉敷のツタヤ店長のこれもOさんと、3人で歓談した。ツタヤのOさんは、ガチガチの荒井晴彦さんシンパであり、「映画芸術」誌上で「母べえ」の吉永小百合はなぜ浅野忠信にやらせてあげないのかと、無粋(あくまでも私の感じ)なことを言う人だから、当然レズの濡れ場はあるべしとの意見である。レズ濡れ場肯定論者の挟み撃ちにあっては、私の分が悪い。私なりの意見を述べたが、結果的に私も間接描写は成功しなかったとの意見なのだから、ますます分が悪い。

「失礼します!Oさん」は、自分が感じたことは万人も感じているはずだとの、押しの強いところがあり、演出意図に限定してではあるが、私の好意的な意見も一切認めない。(この押しの強さが最終日最終上映の「笑う警官」シンポで面白い展開を生むのだが、それは先のお楽しみである)ただ、ツタヤのOさんの、『あの描写だから、「はる」と「リコ」の関係は最後までプラトニックのままで、肉体関係は無かったと思い込んだ人がいるんですよ。それじゃまずいでしょう』の意見は傾聴に値した。確かに、私も中盤あたりまではプラトニックの関係だと思っていたが、前述した間接描写で肉体関係を理解した。しかし、そこまで感じない人もいるかもしれない。そうなると、これは完全な映画話法の瑕疵である。意見の違いというのは、ただ一方的に自分の意見だけを主張するものでなく、このように相互の観方を膨らませていくべきであろうと思う。

東京の常連参加者、システム・エンジニアのIさんは、同性愛・性同一性障害などの性的マイノリティを研究されている方で、ゲイやレズビアンの映画祭にも参加されており、そのことを踏まえて興味深い発言をされていた。最終日の私設打上げ総括会でも、「カケラ」を今年の新作ベストムービーに挙げていた。

「カケラ」の公開予定は来年2010年の春である。安藤モモ子監督は、営業活動にも熱心で、シンポジウムの最後には「皆さん、来年の公開時にはまた見てください。お友達にも勧めてください。よろしく、よろしくお願いします」と翌日の衆議院選挙運動なみの大連呼を繰り返した。パーティーの席上で、私の前述の感想をモモ子監督にお伝えする。モモ子監督は82年生まれ、何と!私の娘より1歳下である。そのことを告げたら、「同世代の方にも観てもらいたいです。来年の公開には娘さんにも、よろしくよろしくお願いします」と、選挙運動もどきの再現になってしまったのであった。


いよいよ最終日であるが、その前に閑話休題である。私としては気が重い「キネマ旬報」へのボヤキ節を片づけておこう。いつまでクヂグヂ言ってるの、もういい加減にしたらと、知人のフリーライターのIさんに言われそうだが、やはりスカッと最終日を迎えるためには、ここは通過せねばなるまい。

●ヨイショはされたけど…
私は、かつては「読者の映画評」を中心に、「キネマ旬報」投稿欄の常連だった。それを通じて私の名前を知る人も少なくはなく、初参加の10年前は横田茂美・映画祭事務局長(当時)に「楽しみにお待ちしておりました」とか言われたり、それを知った「お馴染みおたべちゃん」から「へぇー、朝からビール飲んでる変な親父だと思っていたら、それだけじゃないんだ」と、突っ込みを入れられたりした。

今年は、最終日の私設打上げ総括会に、映画評論家の野村正昭さんまで参加していただいたが、その席上でも野村さんから「私の先輩です」とヨイショされてしまった。そりゃ野村さんよりやや世代が上だから、「読者の映画評」の常連になったのも先だったけど、今は野村さんは堂々たるプロの評論家、私はしがない年金生活者である。

Sさん(映画検定1級で宮崎映画祭の関係者だと思ったけど、誤認だったらごめんなさい)からは、映画検定1級仲間の間では有名人なので、是非写真を撮らせてください、みんなに見せたい、と映画祭会場前の看板を前にポーズを取るという過分なことをするに至った。「でも、昔の話ですよ。今の若い女性が中心の編集部のキネ旬では、私の評なんてペケでしょう。田辺・弁慶映画祭の審査員にも落選しましたし…」と、自嘲気味に語る。「ホントですか、私の友人も選ばれましたけれど…」と、Sさんには意外な顔をされたが、慰めになるわけでもない。

●「田辺・弁慶映画祭」に関すること
2007年に開始された「田辺・弁慶映画祭」は、映画検定1級合格者約20名を、審査員として迎えている。ただ、昨年・一昨年の私は、月10日勤務の嘱託とはいえ、仕事を持っていると、やはりなかなか都合がつかなかった。今年嘱託契約期間が満了となり、完全フリーとなった私は、満を持して応募したが、「書類選考を行った結果、まことに残念なのですが今回は貴殿のご希望に添えない結果となりました」との回答だった。

書類選考といっても、ほとんどは個人情報の記載で、唯一選考対象になりそうなのは、800字以内の映画評だけだ。要するに、その映画評が駄目だったということだろう。応募資格に「第1回、第2回にご参加いただいた方でもご応募いただけます」となっているので、映画評が良いと評価されれば何度でも選考され、駄目な者は永久に駄目ということになりそうだ。最近のキネ旬関係者に覚え目出度くない私の評では、多分永久に選考されることはなさそうだ。

●日本映画アカデミー賞協会特別会員の思い出
まあ、人の評価は様々だから、一喜一憂することはないのかもしれない。情報誌「ぴあ」で毎年、1年限定の日本アカデミー賞協会特別会員を5名推薦しているが、栄えある第一回2007年書類選考で、私は1000名以上と聞く応募者の中から、見事推薦を得たのである。捨てる神あれば拾う神ありということだ。ただし、こちらの方は連続応募は不可である。誌上の応募要項では明記していないが、日本アカデミー賞受賞式後のパーティーで、「ぴあ」の副編集長と日本アカデミー賞協会事務局の人から、「皆さんは来年以降は、資格はありません」と告げられた。

余談だが、「田辺・弁慶映画祭審査員」の応募書類は写真添付だが、「日本アカデミー賞協会特別会員」の方は、選考終了後に会員証用の写真送付を依頼された。もし応募時点で写真送付があれば、顔が悪いからアカデミーの方も選ばれなかったんじゃないのと、ひどい冗談を言う奴もいた。しかし、落選させる者にまで、審査員証の写真添付を要請するあたり、「キネマ旬報」の高飛車体質は、相変わらずである。映画界の大権威、天下のキネ旬が相手にしてやってるんだから、ありがたく思え!という感じである。読者(言い方を変えれば「お客様」ですよ)対応がなっていない。落選通知の中に「手違いで(中略)ホッチキス留めてしまったため」(「ホッチキスで留めて」だろう。日本語になってない。誤植か)と記してあり、返送された写真の1枚には傷がついていた。このあたりの事務処理の杜撰さ(お詫び文の誤植も含めて)にも、いかに「お客さま」に対する気配りが欠けているかの、高飛車体質が浮き上がる。

●「読者の映画評」卒業宣言について
そのくらい私の映画評が評価されていないのだから、最近の「読者の映画評」では第一次審査通過にも私の名前がないのかと思われた方がいるかもしれないので、ここで、お断りしておく。私は嘱託契約期間が満了した6月30日をもって、『「読者の映画評」卒業宣言』を発した。我が半生の総括を含め、その詳細は「映画三昧日記」にアップされているので、できればのぞいていただければ、嬉しく思う。

そこでの内容を読んでいただければ、「野垂れ死に引退宣言」ではなく、あえて「卒業宣言」と称した趣旨はお分かりいただけると思う。1970年10月秋の特別号の栄えある「読者の映画評」第1回「赤頭巾ちゃん気をつけて」評から、(1976年〜1987年の業務多忙・子育て・家庭サービス期間の空白はあるが)2005年9月上旬号「サマリア」評まで、掲載作67篇、第一次審査通過は数えていないが、多分この倍以上はあるだろう。ちなみに最後の第一次審査通過は2009年6月上旬号の「ポチの告白」である。もう、十分に「卒業宣言」と言わせていただいてもいいのではないだろうか。

●ついでにわだかまりも言ってしまおう
ずいぶん愚痴めいたことを言ってしまった。それも、キネ旬の「ある人」にいまだにわだかまりがあるからだ。映画評の評価は人により様々で、それにとやかく言ってもしかたがない。しかし、感情的なものが入っていたりしてはまずいと思う。

2002年に大高宏雄さんが「ファイト・シネクラブ 蘇るキネ旬”読者の映画評”」の中で、私のことを取り上げた。別に問題ある内容ではないが、何人か誤解をした私の友人・知人もいた。そこで編集部に善処方をお願いした。その時、編集部の肩書付きの「ある人」が窓口になった。その対応は、高飛車でひどい者だった。仮にもこちらは読者(お客さま)である。私は社会人の、そして人生の先輩として、「お客さま対応」について厳しく嗜めた。

ところが「ある人」は、それを「お客さま」対応として、絶対やってはならない「黙殺」という手で返してきたのである。そして、逆ギレしたのか逆恨みなのか知らないが、それを境にハッキリと私は「読者の映画評」の常連から脱落した。たまたまそのあたりを境に、私の書く映画評のレベルが極端に下がったか、他の投稿者の映画評のレベルが極端に上がったのだろうと考えることもできないではないが、それにしてもタイミングが合いすぎる。そうは考え難い。

「湯布院映画祭」の常連ゲスト(このところ不参加が続くが)で知人のフリーライターのIさんがこの拙文を眼にしたら、「まだ、そんなことグヂグヂ言ってんの」と失笑するかもしれない。笑ってやってください。でも、ああ、全部言ってスッキリした。もう私がネット上でこのことを話題にすることはありません。(てなこと言って、時間が経ったらまた話題を蒸し返したりして…)

最後に「田辺・弁慶映画祭」の応募用紙に記した「2001年 宇宙の旅」評を紹介します。本当にそんなにひどい映画評でしょうか。

猿人が最初に使った道具は、武器にした動物の骨だった。勝鬨と共に宙に放りあげられた骨は、クルクルと回転し、宇宙船へと変化する。この瞬間、私は鳥肌がたった。骨も宇宙船も、構造の単純・複雑を別にすれば、人間が人間のために使用した道具である本質は変わっていない。人間の道具の原点は武器だったのだ。この恐ろしさを、太古から21世紀に時間をジャンプさせ、端的に描き切ったプロローグは見事だ。
 猿人の前に聳え立っていたモノリスを、人類は越えられない。月に行っても、木星に達しても、それは謎のまま聳え続ける。人は生命の究極体ではない。モノリスは、人類が次の生命体として進化するまで、永遠の謎となろう。しかし、奢れる人類は、モノリスを我が物として利用すべく、宇宙船のメインコンピュータに矛盾したプログラミングを施し、暴走のきっかけを与えてしまう。コンピュータという道具も、所詮は骨=武器の延長にしか存在しないのだ。
 船長ボーマンは、異次元空間で老いていく。眼の前に若干先の自分の老いた姿を目にしながら老いていく。これは、人類が老い、新人類として誕生する過程であるのだが、単純に「老い」という短編映画としても成立する。手を滑らし砕けるグラスのデフォルメされた音は鮮烈だった。「老い」の実感とはこういうものである。
 死の直前の彼の前にもモノリスは聳え立つ。老人はすべて毛髪を失い、それは赤子にも見える。こうして人類は進化する。
 宇宙船ディスカバリー号が、異次元空間に突入した時、それは膣内を遡っていく精子のようにも見える。人の老いと誕生、種としての人類の衰退と新人類への進化。マクロな世界を、我々の認識できうるミクロの世界へとオーバーラップさせた「2001年 宇宙の旅」は、正に映画史上に残る大傑作だ。

これで私としてはスッキリしました。山場の「湯布院映画祭」最終日に入れます。最終日の最初の上映は、今年の私の新作ベストムービー「PASSION」です。盛り上がるはずです。
湯布院映画祭日記2009−5

●楽しかった野上龍雄さんとの「博奕打ち外伝」談義
初日の「特集 日本映画脚本家列伝 イチ、スジ。ニ、ホン。サン、シナリオ」のシンポジウム第二回、『「浮雲」の脚本力を読み解く!』に野上龍雄さんが参加された。1928年生まれの大ベテランである。東映を中心に東宝・大映を股にかけ、大車輪で活躍する方だ。東映では任侠映画を核として健筆をふるった。映画祭2日目の28日(金)上映作品「木枯し紋次郎 関わりござんせん」の脚本家であり、上映後の「特集 日本映画脚本家列伝」のシンポジウム第三回「アルチザンとしての脚本家〜娯楽映画に魂を込める〜」のゲスト参加がメインだ。

パンフレットに記された主な脚本作品の中に「博奕打ち外伝」がある。任侠映画大ファンの私にとっては、「博奕打ち 総長賭博」に並ぶ大傑作である。しかし、当時も今も話題にする人はほとんどいない。「博奕打ち外伝」という添え物風のタイトルが足を引っ張っているのだろうか。しかし、これは鶴田浩二・高倉健・若山富三郎・松方弘樹らがズラリと名を連ねるオールスター大作なのである。ただし、公開は昭和47年7月。藤純子引退記念映画「関東緋桜一家」公開から四ヶ月後だ。当然ながら藤純子は出演していないし、その他の華やかな女優も出演していない。

「博奕打ち外伝」は、「博奕打ち 総長賭博」と同様に、緊密に組み上げられたギリシャ悲劇を思わせるドラマである。ここにも絶対的な悪玉は出てこない。義理と人情のしがらみの中で、望まぬままいがみあい殺しあう。派手な殴り込みや殺陣が無いのも「総長賭博」と同様だ。殺しは目的に一直線に向かっての最短距離を取る。ただ、「総長賭博」と違うのは、ここには女の存在がない。情の中に男と女の愛はない。親分・子分・兄弟分の絆があふれ返る、ムンムンするような男の世界は、ホモの臭いさえ感じさせる。

特に松方弘樹の代貸が鮮烈だ。身を投げ出し切り刻まれてでも、親分の若山富三郎を守り抜く。満身創痍。顔に大きな傷跡、めっかちでビッコで杖をついている。(差別用語だが、適切に表現するのはこれしかないので、お許しいただきたい)その親分・子分の絆が、がんじがらめの義理の世界に、意に添わぬ対立をまきおこしていく。義理を立てるために高倉健が指を詰めるのではなく、腹を切るというのもユニークだった。

この映画について、私は初日27日(木)の金鱗湖畔・亀の井別荘・湯の岳庵のパーティーで、野上龍雄さんに熱く迫ってしまった。野上さんの方はというと、「さあ、そんなに良かったですか。そう言っていただけるとうれしいですが」と淡々たるものだった。昨年の、絶賛の声をサラリと受け止めていた舛田利雄監督を思い出した。撮影所システム全盛の頃の映画人は、別に一作毎に気負って撮ることなく、素晴らしい作品を蓄積していたことを改めて感じた。

●さらに野上龍雄さんとの話題は続きます。
この後、明日上映28日(金)の「木枯し紋次郎」について、『TVの市川崑版は、さんざん関わっておきながら、最後に「あっしには関わりねえことでござんす」って言っているんですよね。それに対して、こちらの紋次郎は関わらないようにしよう、関わらないようにしようとしているのに、宿命的に関わる羽目になるというのが、いいと思います』と、私の感想を述べる。これには野上さんも我が意を得たようで、そこが脚本創りのポイントであり苦労したところだとおっしゃっていた。翌日のシンポジウムでもそのことを述べられ、そういうドラマの創りだから繰り返しはきかない、シリーズ化の考えはなかったと、ハッキリ言われていた。

野上さんとの懇談後、宮崎映画祭のSさん(ちがったかもしれない。記憶違いならゴメンナサイ)と、話をする。やはり野上龍雄さんと話をしてきたようで、「博奕打ち外伝」が傑作とのことでも、私と意見一致する。野上さんにそのことを話したら、さっきの人もそんなことを言っていましたね、とおっしゃっていたそうだ。

Sさんの話では、「日本女侠伝 侠客芸者」が、野上さん自身では思い入れのある作品とのことだった。「侠客芸者」は、私の好きな任侠映画の一本である。脚本と演出の関係で興味深いテーマもある。早速、明日のシンポジウムで質問することにする。とにもかくにも、初日に落ち続けた精神的テンションは、任侠映画を中心にした野上龍雄さんとの懇談で、完全に持ち直した。映画はやっぱり任侠映画!任侠映画万歳である。

●シンポジウム『アルチザンとしての脚本家〜娯楽映画に魂を込める〜』における野上龍雄さん
映画祭2日目の28日(金)、「特集 日本映画脚本家列伝 イチ、スジ。ニ、ホン。サン、シナリオ」の第三回シンポジウム「アルチザンとしての脚本家〜娯楽映画に魂を込める〜」が開催される。ゲストは野上龍夫さんと、シンポジウムに先立ち「・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・」が上映された丸山昇一さんである。

「侠客芸者」は、「日本女侠伝」の第一作で、昭和44年作品、主人公は深川の辰巳芸者である。気っ風と威勢はいいが、別に緋牡丹お竜のように小太刀の使い手の名手というわけではないし、特別強いわけでもない。これは、任侠映画としては、かなり厳しい縛りである。任侠映画の山場は、殴り込みからそれに続く大チャンバラだ。でも、こちらの方は準主役の高倉健に譲らざるをえない。

「侠客芸者」はこの難関を見事にクリアした。藤純子の苦境を救うべく向かう健サンの殴り込みから大チャンバラに、芸者としての山場である藤純子の連獅子の日本舞踊のお披露目を、カットバックしたのである。連獅子は赤毛、健サンの背の仁王の刺青の基調は青、この対比も鮮烈だ。

ラストシーン、愛する健サンを失い、鏡台の前で悲嘆にくれている藤純子。「お姐さん、お座敷の時間です」と声がかかる。何かをふっ切るように、キリッとまなじりを上げ唇に紅を引く。その紅がわずかに歪んでいる。藤純子の切ない心情を伺わせるクローズアップのストップモーションに、エンドマークがかぶさる。

このクライマックスからラストシーンまで、どこまでが脚本で、どこまでが山下耕作監督の演出なのかということを質問した。これは、私が今年のシンポジウムで是非とも発言したかった2回のうちの1回である。

野上龍雄さんによると、連獅子の赤毛は明記したとのことだった。青が基調の仁王の刺青については、そうでしたっけ?とのことなので、ここは演出のようだ。カットバックについては、シナリオでカットバックを執拗に書いたって仕方ないですよね、との回答だった。ラストシーンの歪んだ口紅はシナリオだそうである。ただ、特にシナリオに記したわけではなく、監督との打ち合わせの時に、「ここの藤純子は綺麗に撮る必要はありません」と付したそうだ。後は監督との以心伝心みたいである。その他にも、撮影所システム華やかなりし頃の時代の、野上さんのシナリオ感について興味深い発言もこのシンポジウムであったが、それは後の項で改めて述べたい。

●残念、2日目のパーティーを野上龍雄さんリタイア
とにかく、映画祭パンフレットに記された野上龍雄さんの主な脚本作品をザッと眺めただけでも、目も眩むばかりである。東映任侠(ヤクザ)映画に限っても、「日本侠客伝」「日本侠客伝 浪花篇」「日本侠客伝 関東篇「日本侠客伝 雷門の決斗」「緋牡丹博徒 一宿一飯」「日本女侠伝 侠客芸者」「現代やくざ 血桜三兄弟」「博奕打ち外伝」、凄すぎる!私はこれらの題名を列記した後、『そのすべてにいろいろお聞きしたいのですが、時間の関係もありますので、ここでは「侠客芸者」だけに絞って質問いたします。今晩のパーティーで、他の作品についても、ジックリ聞かせて下さい』として、前項の質問を発したのである。

残念ながら、野上さんは2日目の28日(金)九州湯布院民芸村のパーティーは欠席された。会計担当にして実行委員会重鎮の横田茂美さんに、欠席理由を伺ったら、「あなたがシンポジウムで、あんなこと言って迫るから逃げたんですよ」と、とんでもない回答が返ってきた。まあ、それは冗談で、前日のパーティー後に実行委員が群がって潰してしまい体調不良だとの真相を教えてくれ、私の名誉回復はしていただいた。「野上さん、今日のシンポジウムは、初日に比べてかなりトーンダウンしていたでしょ」と横田さんも言っていた。誰か知らんが、実行委員がA級戦犯か、困ったものだ。でも、野上龍雄さんは、それだけ魅力ある人だったとの証でもある。

でも、もっと野上さんのお話を伺いたかったなあ。「緋牡丹博徒 一宿一飯」は鈴木則文監督との共作だが、「体にスミは打てても、心にスミは打てんもんね」の名台詞は、どんな形で誕生したのかあたりを中心に、「緋牡丹博徒」談義に浸りたかった。

昭和46年公開の「現代やくざ 血桜三兄弟」は、その半年後に公開された深作欣二の「現代やくざ 人斬り与太」の陰に隠れてしまったのか、話題にする人が少ない作品だが、深作バイオレンス・ワールドと好対称を為す中島貞夫監督の隠れた傑作である。三兄弟の布陣は、長男・菅原文太、次男・渡瀬恒彦、三男・荒木一郎。悪玉の非道に次男・渡瀬が暴発し、最後は長男・文太が決着をつけて締めくくる。よくあるルーティンと思わせておいて、しぶとく生き長らえる末っ子・荒木一郎の存在が、中島ネチョネチョ思想を体現して素晴らしい。これは、キャスティング先にあっての当て書きだったのか。脚本が先行して、中島監督が後から乗ったのか。こんなところも、是非ジックリお聞きしたかった。

●野上龍雄さんの興味深いシナリオ感
28日(金)、「特集 日本映画脚本家列伝」の第三回シンポジウム「アルチザンとしての脚本家〜娯楽映画に魂を込める〜」で、野上龍雄さんから、「脚本に書かれていようが、監督の演出だろうが、そんなことどうでもいいんですよ。いい映画ができれば、誰が何をやったかなんて関係ないんです」と、興味深い発言があった。「博奕打ち外伝」「侠客芸者」のお話などから類推して、確かに撮影所システム全盛の頃の脚本家と監督との関係は、そのようにファジーなものなのかもしれない。脚本原理主義者の荒井晴彦さんからは、遥かに遠い世界のようだ。

今回の「特集 日本映画脚本家列伝」を耳にした時(ご丁寧にも現地入りしたら、パネルに「其の一」とサブタイトルまでついている。其の二、其の三がしつこくあるということだろうか)、ゲストの中核が荒井晴彦さんだけに、ずいぶん安易な企画だなと感じた。また、荒井さんが中核ならば、それだけの水準は維持するだろうとも思った。脚本原理主義者・荒井さんのプロバガンダ大会になることを危惧した人もいた。しかし、野上龍雄さんの発言を始めとして、そういう方向にはならなかったようだ。

3日目の29日(土)「特集 日本映画脚本家列伝」の最終シンポジウムである第四回「嵐を呼ぶ脚本家三人衆〜乱世日本映画界を生き抜く〜」で、シナリオ作協理事長の西岡琢也さんからも、「そもそも、脚本だ、監督だなんて言っているのは、ここにいる人たちくらいでしょう。一般の人は何を見にくると思いますか。俳優ですよ」という意外な発言が出た。

確かに、一般の人は「目に見える」ものを見にくるのだ。それが淀川長治さん言うところの「映画は眼でみせる」王道だろう。とすれば、俳優以外に「目に見える」のは美術だし、それを映像に納めるキャメラマンということだろう。イチ俳優、ニは美術、サンにキャメラという映画の見方も、あるのかもしれない。

ただし、一見脚本についてファジーな発言が多かった野上龍雄さんだが、初日27日(木)の「特集 日本映画脚本家列伝」の第2回シンポジウムでは、脚本家の矜持とプライドと自立性を明確に感じさせる発言があった。「男たちの大和 YAMATO」の脚本降板問題である。野上さんが許し難かったのは、執筆中にも関わらず、野上さんには無断で、並行して佐藤純彌監督を中心とした脚本改稿のプロジェクトが進められていたということだった。そこで、キッパリと自分の名前をタイトルから外すことを、主張したそうだ。映画にそういう創り方だってあっていい、でも、それは本人に断ってからやるべきものだ、と怒りを露わにしていた。ただ、佐藤純彌監督に対しては好意的な発言だったので、そんな脚本家無視の進め方をしたのは誰か?とのことが、下世話だが一般参加者には興味がある。でも、野上さんの口からは、それは差し控えますとのことだった。宿に帰っての湯布院一般参加のお喋り雀の間では、戦犯は角川春樹プロデューサーだろうとのことでほぼ意見一致した。本当にそうならば、最終日30日(日)に角川春樹監督(プロデューサー)も参加することだし、それこそ野上さんの口からは言えないだろう。

今年の「湯布院映画祭」の上映作品は、私にとって不作だった。最大の収穫は、結局この野上龍雄さんに関係した部分に尽きたようである。

●映画祭2日目の前半を、まずは駆け足で
映画祭2日目28日(金)は、「特集 日本映画脚本家列伝」の第三回シンポジウム「アルチザンとしての脚本家〜娯楽映画に魂を込める〜」に先立ち、4本の作品が上映された。脚本・橋本忍、監督・丸山誠治の「憎いもの」。脚本・田中陽三、監督・関本郁夫の「好色元禄(秘)物語」。脚本・丸山昇一、監督・榎戸耕史の「・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・」。脚本・野上龍雄、監督・中島貞夫の「木枯し紋次郎 関わりござんせん」である。

私は「・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・」はビデオ録画で観ている。「木枯し紋次郎 関わりござんせん」はリアルタイムで亀戸の二番館で観た。「・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・」はスクリーンで再確認するとして、「木枯し紋次郎」上映時間を湯布院散策&休養にあてる。とはいっても「・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・」の終映は13時45分、シンポジウムの開始は15時45分だから、空き時間は2時間である。宿に帰ってひと風呂浴びて、ビールを飲みながらのだんご汁定食で昼食をのんびり摂り、みやげもの屋を下見していたら、もう時間が来てしまった。今年の映画祭は、全体的に空き時間が少なかった。会場に潜り込み「木枯し紋次郎 関わりござんせん」の山場を、再確認する。

「憎いもの」の橋本忍脚本の見事なまとまりには目を見張った。たった55分の中編の中に、巧みなサブキャラにおける伏線、後半の意外な展開、そしてこの時代の社会の「憎いもの」というテーマが、丸山誠治の手堅い演出と相まって、見事にあぶり出される。現代の稚拙にダラダラと長ったらしいだけのものを描く脚本家は、少しはこの爪の垢でも煎じて飲んでほしいものだ。ただし、これも50年代(「憎いもの」は57年作品)ならではの「貧乏映画」だ。日本映画は戦後民主主義で「身分違いの恋」のテーマを失い、60年代後半の高度経済成長で「貧乏映画」のテーマを失ったといわれる。現在は、映画が創りにくい時代と言えないこともないのかもしれない。

「憎いもの」のパンフレット解説は映画評論家の野村正昭さん、選定者は野村さんということだろうか。素敵な映画をありがとうといいたい。試写室を中心にサロン化していた映画評論界が崩壊していった60年代以降は、巨匠・名匠の王道以外の、プログラムピクチャーの中の埋もれた傑作が、結構掘り起こされているが、50年代のプログラムピクチャーにも、2007年に上映された「鬼火」も含めて、こうした宝石がかなりあるのではないか。野村さんの発掘作業は価値のあることである。

「好色元禄(秘)物語」は、かねてから見逃して気になっていた一本である。これは、予想どおりの傑作だった。私の今年の映画祭の、旧作ベストムービーである。田中陽三が巧みに描いたヌラヌラした軟体動物のような女が、男を手玉に取って爽快に元禄の時代を走り抜けてゆく。川の芦の中を追いつ追われつするダイナミックで若々しい関本演出が爽快だ。女のヌラヌラを描くなら、このようにスカッと描くのが私の趣味だ。映画はこうあってほしい。嘘でも夢を見させてほしい。初日に私の精神的テンション落ち込ませた「ダブルベッド」と対極の映画であった。

●映画祭最初の特別試写作品「黄金花〜秘すれば花 死すれば蝶」
映画祭2日目28日(木)の締めくくりとして、最初の特別試写作品「黄金花〜秘すれば花 死すれば蝶」上映とシンポジウムが開催される。ゲストはプロデューサー・川端潤さん、林海象監督は今回は協力プロデューサーとして参加、他に配給宣伝の小林三四郎さん、出演の絵沢萌子さん(地味めの今年の湯布院のゲストの中では華のあったお一人です。パーティーで多くのファンが「憧れでした」と取り巻いたら、御本人はかなりテレておりました)と野呂圭介さん。司会は映画評論家の寺脇研さんだ。

この映画の特徴はいくつかある。第一は、日本を代表する美術監督・木村威夫さんの監督作品であることだ。御歳はなんと91歳!2008年に2作目にして最初の長編映画を監督し、長編劇場公開監督最高齢デビューとして、ギネスブックにも登録された。現役監督としても、新藤兼人監督に次ぐ第2位である。今回も湯布院入りに意欲満々だったが、体調を崩し大事をとったそうだ。これはちょっと残念だった。

特徴の二つめは、豪華なキャスティングである。ただし、老人ホームが舞台であるから、若いスターは出てこない。原田芳雄、絵沢萌子、川津祐介、三條美紀、長門裕之、野呂圭介、松坂慶子、松原智恵子、麿赤兒etc…。いみじくも誰かが40年前のオールスター正月映画と称した。

第3は、既存の映画の文法を打ち破るとの、演出意図である。老人ホームの中に集う男女の話という骨子はある。しかし、ジュリアン・デュビビエの「旅路の果て」のように、リアルにドラマチックには展開しない。植物学者の原田芳雄が、大きな自然薯を掘り出したら、山の神の怒りに触れて湧水が噴出して老人ホームが断水し、お詫びして戻したら水が再び水道から迸る。物理学者の老人は、星空を眺め何万光年彼方の今は存在しないかもしれない星に、思いを馳せる。脈絡なくヒマラヤの不老不死の聖女の伝説が、断片的に挿入される。タイトルの「黄金花」はその聖女の象徴だ。ラストは介護士長の松坂慶子の「嘘とホントの混ぜ合わせ」というセリフで締めくくられる。

最後の特徴は、この映画が北白川派第一弾作品であるということだ。北白川派は、林海象監督が学科長を務める「京都造形芸術大学 映像学科」を拠点とした映画創りの場で、木村威夫監督・寺脇研さんも講師陣に名を連ねている。教育設備として撮影所同様の設備を有し、学生を教育の一環としてスタッフの補助とし、全面協力させたとのことだ。

シンポジウムが始まる。例によって滋賀の郵便局OB「失礼します!Oさん」が早々と口火を切る。好評だったのは意外だった。この手の変化球はOさんは苦手だと思ったが、芸達者陣の好演と華麗な美術が琴線に触れたようだ。この映画は百人いれば百様な意見が出ると思う、との指摘は的確だった。

私も思うことはあったが、ただ、それは他の人に聞かせるような普遍性に乏しいと思ったし、そんなことを発言して貴重なシンポジウムの時間を喰うのはもったいない。そんな暇があったら、もっともっと百人百様の他の人の意見を聞きたいと思ったので、発言する気はなかった。

ところが、「失礼します!Oさん」の発言を受けて寺脇研さんは、「そのとおりですね。この映画はいろいろな人にいろいろなことを言ってもらった方がいいと思います。周磨さん、どうですか」と、いきなり振られる。そこで、他の人の発言をできるだけ喰わないように、簡単に感想を述べる。
『簡単に感想を述べます。今、Oさんの言われたとおり百人いれば百様の見方が出る映画だと思いました。私は、91歳の人の到達した境地とはこういうものかなと、感想を持ちました。「生まれる前の時間と、生まれた後の時間と、どっちが長い?」なんて言葉があります。木村監督ほどではないにしても、私も還暦を過ぎて、これまで生きてきた時間よりは、確実にこれから生きる時間の方が短いわけです。そんな風になると、こんな考えが浮かびます。私の生まれる前に無限の時間があり、死んだ後にも無限の時間がある。私の生きている現在にも無限の空間がある。そういう無限の時空間の巨大な世界に、自分の周囲の狭い空間、一生という身近い時間から見た世界がすべてなんだろうか。膨大な時空間の宇宙意志というものがあり、人は宇宙意志から出て、また宇宙意志の中に回帰していくのではないでしょうか。何だか宗教的でもありますが、宗教とはちがう意味で、この映画にそんな感じを持ちました。細かいことを言い出すとキリがありませんが、他の人の意見を沢山聞きたいので、私はこのへんにします』

寺脇研さんはこの私の発言を受けて、ユーモラスに「では、死にそうな(笑)周磨さんの意見はそうだとして、まだこれからタップリ生きる若い方の意見はどうですか」と繋げる。総じて若い人も含めて、好感を持ったとの発言が続く。

林海象学科長から、面白いエピソードが公開される。巷間よく言われるように、京都の映画人は気性が荒い。そのスタッフ補助に学生がついたので、撮影は大変だったようだ。当然ながら映画創りの初心者の学生に、多くは望めない。そこで、イラついたメインスタッフから殴られるは、尻を蹴飛ばされるは、大変な騒ぎだったようだ。「授業料を取って殴ったり蹴飛ばしたりするのは、うちの大学くらいですね」と林学科長は苦笑していた。ただ、学生からは反発も離脱者も出ず、むしろ勉強になったと喜ばれたそうである。また、既成概念から大胆に自由闊達に戯れた巨匠・木村威夫監督の意図は、若い学生ほど理解していたそうだ。

これは、極めて個性的な映画である。個性的な映画監督といえば、最終日に上映された角川春樹監督の「笑う警官」がある。共にある意味ではひとりよがりで個性的ではあるが、木村威夫監督の個性は好意的に迎えられ、最終日の角川春樹監督の個性は、反発・敵意のようなもので迎えられたような気がした。いかにも「湯布院映画祭」らしい風景である。「笑う警官」については、項を改めて詳述します。

配給宣伝の小林三四郎さんから、面白い話題が出た。「黄金花」の東京公開は、11月下旬に銀座シネパトスとシネマート新宿の予定だが、木村威夫監督から、ロードショーは絶対銀座でやれ!との厳命があったそうだ。

これは何なんだろうとの話になり、とにかく銀座に対する憧れがあるんだろうとのことで落ち着いた。私が思うに、木村監督が鈴木清順監督の美術監督として活躍した日活のメイン封切館は、新宿日活だったところからきているのではないだろうか。新宿日活は、現在は丸井のビルになっているが、当時は上には新宿日活名画座も有する大劇場だった。しかし、当時の日本の華やかなロードショー街は、銀座だった。現在の日比谷シャンテを中心にした一角に、日比谷映画劇場・有楽座・みゆき座・千代田劇場・スカラ座が軒を連ね、加えて東京宝塚劇場・芸術座といった演劇の劇場が威容を誇る。東宝ブロードウェイ呼ばれた絢爛たるものだった。そんな時代の銀座に対する憧れなのではないだろうか。

しかし、それでは銀座シネパトスはちがうよね、との話も出る。確かにシネパトスは、銀座の中心をやや外れた東銀座に近く、かつてはテアトル三原橋という地下街のピンク映画館だ。現在シネパトスは1〜3までの3館あるが、地下街には大人のおもちゃ屋や安酒場が混在しており、高級ブランドの銀座のイメージとは程遠い。下町の場末の上野や浅草の映画館の雰囲気だ。上映作品もエロス大作やB級アクションが主体である。ただし今年になって、最近3館のうちの1館を、名画座にリニューアルした。シンポジウムでは、そんなことでまあいいんじゃないの、との落とし所になったのであった。

●湯布院のお喋り雀の顰蹙を買った寺脇研さんのPR(?)活動
シンポジウム終盤での寺脇研さんの司会は、京都造形芸術大学のユニークな映画製作の称賛に終始した。これが、宿にもどってからの常連参加者の湯布院お喋り雀の懇親で、大ブーイングとなった。

「司会者は中立のはずだよね。あれじゃ、製作側内部の人間と同じだよ。司会者として適切じゃないよ」
「キネ旬のREVIEWも降板になったし、以前にはかなり出ていたワイドショーのコメンテーターも、全部なくなったし、今は京都造形芸術大学くらいしかないからPRに努めたんじゃないの」
「文部科学省の高級官僚というバックがあれば、トークにもそれなりの重みもあるけど、フリーランサーになったら喋りが勝負だからね。はっきり言って、あの喋りじゃ木戸銭は取れないよ」
「長らくお世話になった湯布院なのに、自分の大学のPRだけして、一泊二日で帰るってどうよ。ギャラ高くないかもしれなくても、恩返しでフル参加すべきじゃないの」
「自分のPRよりも、経済的に苦しい映画祭に、ドーンとカンパでもすべきだと思うな」

いやはや散々であった。かくして、映画祭2日目も、午前2時で散会して暮れて(明けて?)いくのであった。
湯布院映画祭日記2009−4

●映画祭開幕!
映画祭初日である。前日は由布岳登山に続いて、就寝は午前2時過ぎ、さすがに疲労が残っている。怖いのは、歳を取ってくると、本当の疲れは翌日ではなく、2〜3日後に出てくることだ。やっぱり由布岳登山は、後ろに一泊取って、映画祭後にするのが正解だったかなとも、思えてくる。(最終的には、2日目以降に遅れて疲れが出ることなく、皆さまご存じのように、無事に映画祭を完走いたしました)

しかし、由布岳登山を映画祭終了後に送るのも、それはそれで考え物だと思う。中高年の登山の事故が話題になっている昨今、マスコミへの絶好のネタ提供になりかねない。「中高年の無理な登山、また死者」なんて見出しを挙げられ「8月31日、由布岳正面登山口ルートで死亡者が発見された。年金生活者・周磨要さん(62)で、死因は心筋梗塞だった。宿泊場所の牧場の家の人の話によると、周磨さんは26日から30日の湯布院映画祭に参加していて、連日パーティーなど、深夜までの酒席に参加していたようだ。中高年の無理な登山の事故が相次いでいるが、くれぐれも過信をせず健康に十分な配慮をしての登山計画が望まれる」なんて書かれちゃったりして。そんなあらぬ妄想をしながら、まずは朝一番の温泉のひと浸かりである。

さすが、温泉の効用、シャキッと目が覚める。湯上りの朝一番のビールも空ける気になる。昨日は登山前で飲めなかったんだから今日こそ飲むか!なんて勝手な理屈をつける。「お目覚めスッキリ朝ビール」である。このキャッチフレーズはディズニーリゾートのホテルで知った。これからディズニーランドやディズニーシーに向かう家族連れに対し、温泉じゃあるまいし朝酒もないだろうが、このキャッチフレーズに吊られて、結構ディズニーリゾートのホテルで、朝からビールを飲んでいるお父さんは少なくなかった。ホテルもうまい商売を考えたものだ。

しかし、年々歳々、この歳になってくると体力はどんどん衰えてくると思う。今年なんとか映画祭を大きく疲れることなく完走したのに鑑みて、本当に思い切って念願の由布岳登山を果たしたことは良かったと思う。来年になったら、体力が持ったか否かは、保証の限りではない。

●一気に精神的テンションを落とされた「ダブルベッド」
映画祭のオープニングは、脚本・水木洋子、監督・吉村公三郎の「婚期」だ。(「日本映画 脚本家列伝」のテーマに敬意を表し、脚本家を先に記しました)若尾文子、野添ひとみ、京マチ子、高峰三枝子の華やかな競演に、駄目男の船越英二の妙演がアクセントをつける。昭和36年、まだ映画黄金時代の大映の底力はさすがである。いや〜映画はいい、やっぱりいい。疲労がどんどん回復していく。

続いては脚本・白坂依志夫、監督・増村保造の「暖流」、リメークだが、前作のシットリした吉村公三郎監督作品と対称的に、機関銃のようにセリフがやりとりされる典型的な増村映画だ。溌剌と若き日の左幸子が躍動する。「二号だろうがお妾だろうが私はいいのよ!」いまでも語り草になっているシーンの弾け方は抜群である。映画祭へのテンションはどんどん上がってくる。

だが、その次がいけなかった。脚本・荒井晴彦、監督・藤田敏八「ダブルベッド」だ。私は初見である。
 藤田敏八らしいダイナミックな映像は希薄だ。ヌラヌラと私にとっては不快な映像が羅列する。荒井晴彦監督作品「身も心も」と通ずる不快さだ。この後のシンポジウムで、藤田監督が演出で付け加えたのは、シーソーの置物か醸し出す効果と、他に二つくらいで、後は全部シナリオどおりと、荒井晴彦さんが語っていたが、確かにこれは荒井晴彦監督作品と言ってもいいような仕上がりであった。

全共闘世代で結婚し、今は一児の親となっている岸部一徳と大谷直子の夫婦が、二人の旧友で今も身を固めることなくフラフラしている同世代の柄本明に再会する。そして、大谷直子と柄本明はズブズブと性の世界にのめり込んでいく。

私は、本当にこういうのを見ていると、イライラする。不快の極みになる。大谷直子が「私、好きなことしちゃいけないでしょうか」との意味のことをたまわる。「いけネェよ!あんた30も過ぎた一児の母だろう。ガキみたいなこと、言ってるんじゃネェよ!」と、怒鳴りつけたくなる。張り倒したくなる。「身も心も」「ヴァイブレータ」と共通する荒井晴彦脚本の真骨頂であろうが、私には不快でしかない。

岸部一徳が「夫婦ってのはな、愛とか何とかじゃないんだよ。いっしょに過ごした時間の長さなんだよ」との意味のことを、柄本明に語る。そのとおりだと思う。しかし、当然ながら荒井脚本はここに肯定的に力点を置いているわけではない。しかし、夫婦の間には、すでに子供というもうひとつの人格が存在しているのだ。いい歳をした母親が性に骨がらみになって育児を放り出している場合じゃないのだ。子供の人格はどう破壊されてしまうんだろう。

●滋賀の郵便局OB、「失礼します!Oさん」との再会
完全に精神的テンションが下がり、疲れがぶり返したところで、参加ここ数年の新人(湯布院は参加歴30年なんて人がゴロゴロいるので、私だって参加10年の新人である)滋賀の郵便局OB、「失礼します!」の前置きで始まるシンポジウム発言が「湯布院映画祭」の風物詩として定着しつつあるOさんと、一年ぶりの再会の挨拶をする。

「周磨はん、また今年もしゃべりまくりはるのやろな」 関西弁で早くも牽制球が飛んでくる。「失礼します!Oさん」は、シンポジウムで喋って喋って喋り倒す人なので、あなたが一番喋ると言われないために、私という人身御供が必要らしい。『いえ、今の映画で精神的テンションが滅茶苦茶に下がってます。発言する気になりません。この後も、名画だとは思いますが、私は乗れない「浮雲」がテーマなので、多分発言しないと思います』と切り返す。

今年からの私のシンポジウム発言スタンスは、事項で詳述する。結果から言えば、私の発言はシンポジウム全8回のうち、半数強の5回しかなかった。その中で、本当に発言したかったのは2回だけであり、後の1回は司会の寺脇研さんから発言を促されたからであり、他には場をつなぐためにここで発言が必要だなと思ったのが1回、そうそう「失礼します!Oさん」の尻拭い的発言も1回あった。それらはおいおいと、この「湯布院映画祭日記」を進めていく中で、具体的に紹介していきたい。

映画祭終了後、「失礼します!Oさん」から、「今年は周磨はん、発言を厳選しなはったな」と声をかけられたので、次項で詳述した私なりの、今年からのシンポジウム発言のスタンスを紹介した。ということで、「失礼します!Oさん」、自分の喋り過ぎのカモフラージュに、私を人身御供にすることは、来年以降できませんよ。別の人身御供を探して下さい。もっともOさん以上の人はなかなかいないので、別の人身御供探しは難航するでしょう。もちろん、今年も「失礼します!Oさん」は、全シンポジウムで激しく!発言しておりました。ただ、この人の関西弁が繰り広げる天然の話芸は、なかなか聞かせるので、ただ一人だけ言い訳抜きで、喋り過ぎでもいいんじゃないですか。

●私の今年からのシンポジウム発言のスタンス
シンポジウム発言には、私の3原則がある。第一は「自分が発言して心地よいこと」である。全日券内に含まれているとはいえ、有料の催しなのだから、何てったって自分が楽しまねばならない。
 第二原則は「ゲストから貴重な意見を引き出すこと」だ。これは解説の要はないでしょう。
 最後は「他の参加者が聞いて楽しいこと」である。いくらゲストから自分にとって貴重な意見を引き出したところで、ほとんどの人が興味を持てない内容では意味がない。「湯布院映画祭」はシンポジウムの後にパーティーがあるのだ。極私的な興味は、その場で歓談して聞くべきことだろう。

私も参加初期のころは、シンポジウムも木戸銭のうちだから、話さにゃ損々と思っていた。しかし、ちがうことに気がついた。私の自分自身の感想は、自分のことだからよく知っている。そんなことを無理して発言してシンポジウムの時間を潰すということは、他の人の発言を私が伺う貴重な時間を食っており、聞く機会を自ら潰しているということなのである。これは、どう見ても間尺になわない。発言は、どうしても他の参加者にも耳に入れたいものに厳選して、それ以外はパーティーの懇談に送るべきであろうと思う。

今年から発言のスタンスを変えた理由は、もう一つあるかもしれない。「湯布院映画祭日記2007」の「スコーンと消えたプロへの執着」の項で述べたことと関係がある。24時間映画三昧になりたいために、私は映画プロパーになりたく、悪戦苦闘してきた。しかし、今やつつましく暮らせば、このままの年金生活で気ままに24時間映画三昧に浸れるのである。無理してプロになる必然性はどこにもなくなった。多分以前は、プロパーの多くいるところで、できるだけ目立って発言し、あわゆくばプロデビューに繋げようとの、さもしい根性もあったのだろう。

●不毛の第一回シンポで、さらに精神的テンション下がりっぱなし
「特集 日本映画脚本家列伝 イチ、スジ。ニ、ホン。サン、シナリオ」のシンポジウム第一回として、「時代に即応したシナリオとは〜原作モノ・旧作ものを傑作にする力〜」が、「ダブルベッド」上映後に、パネラー白坂依志夫,荒井晴彦,野村正昭の3氏で開催された。これがひどかった。テーマから想像して、有意義な話題が続出し、私の映画愛と相まって、かなりテンションを上げてくれることを期待していたのだが、期待に大きく反した。

司会は、経験の浅い若い女性の実行委員。不慣れということもあってベテラン映画評論家の野村正昭さんがサポートについたようである。そもそも、経験の浅い女性実行委員が司会に押し上げられてしまったのも、下世話な裏話があったようなことを小耳にはさんだ。

「暖流」脚本家の白坂依志夫さんには、公然の秘密として当時に濃密なおつきあいをしていた左幸子さんとの話題がある。話はどうしても、まずそこから出る。白坂さんは、その他でも若い女優と艶聞の絶えなかった方で、話題がそこに集中する。「暖流」では丸山明宏(現・美輪明宏)と○○が○○の関係だったので出演することになったとか、ひたすら下世話な話にも落ちていく。週刊誌的ネタから見れば面白くもあるが、ここは少なくとも「湯布院映画祭」だ。ちがうだろう!という感じになってくる。朴念仁と言われようが、少なくとも私はそう思う。白坂さんもある程度経ったら、その手の話題にはさすがにウンザリしたようで、「さあ、そういう話は荒井さんの方が多いと思うから、荒井さんに聞いてよ」と振る。荒井さんはとっさに振られてドギマギし、「いや、俺の頃はそんな撮影所華やかなりし頃じゃないから…俺の場合の相手は一般の女性だから…」と、何が「時代に即応したシナリオとは〜原作モノ・旧作ものを傑作にする力〜」のシンポジウムなのか、訳が分からない不毛状況になってくる。

サポートの野村正昭さんは、何とか王道にもどそうと奮闘しているが、何せ若い女性の不慣れな実行委員とはいえあくまでもメインの司会は彼女なので、そうそう出しゃばるわけにはいかない。でも、女性司会者に対して「僕が発言している間に、次の進行を考えておいて下さいね」と、温厚な野村さんにしては、結構厳しい発言を発していた。

そんな状況下でも、滋賀の「失礼します!Oさん」は、積極的に激しく発言する。丸山明宏関連の発言で、微に入り細に入り突っ込み、ついに白坂依志夫さんに、「その話題はもうよしましょう」と音を上げさせる。続いてある巨匠と脚本家の名コンビについて質問したら、白坂さんは「さあ、あの二人は特殊な関係だから」と発言する。「特殊な関係ではわかりまへん!具体的に言ってくなはれ!」と、眼光・舌鋒鋭く迫り、白坂さんを往生させる。あのね、「失礼します!Oさん」、シンポジウムの不毛を増殖させてるよ、と言いたいけれど、ただ「失礼します!Oさん」の関西弁の柔らかさは、不快でなく場を盛り上げるのも事実である。私の話芸を学ぶ糧になるのは間違いない。

かくして、「特集 日本映画脚本家列伝 イチ、スジ。ニ、ホン。サン、シナリオ」のシンポジウム第一回「時代に即応したシナリオとは〜原作モノ・旧作ものを傑作にする力〜」は、週刊誌的興味を別にすれば、私としては全く不毛に終わった。こんなのは少なくとも、私が湯布院まで来てわざわざ求めるものではない。精神的テンションは、さらに深く深く下降していった。

●さらにテンションを下げる報道に遭遇
シンポジウム終了の17時前から、「浮雲」上映とそのシンポジウムまでは、1時間弱の夕食タイムである。私は、パーティーの酒と料理をおいしくいただくためとのさもしい根性で、何も食べる気はない。温泉に浸かり、朝ローソンで購入した九州スポーツをゆっくり熟読する。その芸能欄で、衝撃的情報に遭遇する。

十月の番組改編期に、テレビ朝日が深夜0時以降の番組を、通販番組のような製作費の掛からない番組以外はすべてカットするということだ。「タモリ倶楽部」のような人気番組は0時以前に繰り上げ一部例外となるが、基本的には0時以降の全番組が消える。これで番組制作費が大幅に削減されるそうだ。これは衝撃だ!完全に精神的テンションの落ち込みに止めを刺した。

分からない人には、この記事の重さが分からないだろう。これは「ワールド・プロレスリング」が消えるということなのである。プロレス面でなく、プロレスの「プ」の字もない芸能欄の記事だが、当然ながら「プロレス者」はそう読むのである。そんなあっけない形でプロレスの最後の地上波放送が消えていくのか。

少なくとも日本テレビの「ノア中継」が消える時は、力道山の創世記以来の中継を打ち切ることで、プロレス面でも一般社会面でも話題になった。それも、野球中継縮小を読売ジャイアンツに納得させるために、これだけの歴史のあるプロレスも打ち切るんですよとの、人身御供になったとも耳にしている。視聴率が悪いわけでも人気が極端に下降した訳でもないのだ。今また、テレビ朝日が十羽ひとからげでプロレス中継を消していく。そしてこんなさりげない記事で、世間の話題に上ることもなく、プロレス中継は地上波放送から、これを最後にすべて消えていくのだ。

このテンションの落ち込みを、共有してくれるのは、「湯布院映画祭」の中では、私と並ぶ映画検定1級にして私の知る限り唯一の「プロレス者」の常連参加者、福岡のYさんしかいない。二人でこの記事を目にして嘆きあった。唯一の救いは、この記事は推定記事であり確定報道ではないことである。東スボ(九スポ)は、フットワークの軽さから、しばしばこういうフライングをする。だが、それが特ダネスプークにつながることも少なくないので、決して侮れないのだ。

旅の友の書籍に、羽田行きモノレールの乗替駅の浜松町の書店で、元週刊ファイト編集長・井上譲二の著作『闘魂の呪縛 王道の絶望 昭和マット界黄金期に隠された「プロレス死滅」の病巣』を購入したことを、前に記した。この時、もう一冊の気になった書籍があった。元週刊ゴング編集長・金沢克彦の「子殺し 猪木と新日本プロレスの10年戦争」である。旅の荷物になるので、この時は購入を控えたが、最近購入して目を通した。アントニオ猪木が、レスラー引退後もプロレス界に権力を振るおうとした画策が、いかにプロレスを死に追いやっていったかがテーマである。2冊とも極めて面白い。ただ、「週刊ファイト」「週刊ゴング」、共にプロレス冬の時代で休刊に追い込まれた両編集長の、裏話を含めての著作が面白いというのは、本当に日本のプロレスは消滅することの証なのかもしれない。

ジャイアント馬場はいい時に亡くなったようだ。人は故人を悪く言わない。馬場さんが生きていれば、アントニオ猪木もあんな無茶苦茶はできなかったのではないか。何とかなったのではないか、と言われる。でも、すべて後の祭りだ。私としては、日本のプロレス創世記の力道山に、小学生でリアルタイムに遭遇し、今、晩年を迎えて、私の死とともに日本からプロレスが消えていく貴重な時代に立ち会えたことで、良しとするしかないのかもしれない。

●「浮雲」上映、シンポジウム。もう落ち込み続けるしかない。
冒頭で述べたが、当初この後は、オープニング試写作品「誘拐ラプソディー」の上映とシンポジウムであった。だが麻薬事件で世間を騒がしている押尾学出演作なので、公開が見合わせられたことに併せて中止され、急遽旧作の「浮雲」に差し替えられた。シンポジウムも「特集 日本映画脚本家列伝 イチ、スジ。ニ、ホン。サン、シナリオ」のシンポジウム第二回として『「浮雲」の脚本力を読み解く!』に差し替えられたのである。

これは、私としては落ち込み続けるしかない。「浮雲」は映画史上に残る名作であることも、その映像表現の洗練も、私は認めるにはやぶさかではないが、とにかく私はこういう男と女がグジュグジユしている話が嫌いなのである。イライラしてくるのである。私は、荒井晴彦さんと興味を持つ次元が、全く違うのである。

駄目だ。昨日の由布岳登山も含めて、疲れがドッと出た。ついに部屋で昼寝ならぬ夕寝をしてしまう。目が覚める。「浮雲」が後1時間弱を残して上映中だ。会場に向かう。「浮雲」の終盤だけを観る。やっぱりたったこれだけだが観なけりゃよかった。私の趣味には全く合わない。精神的テンションの落ち込みは、ますます激しくなった。

終映後、「特集 日本映画脚本家列伝 イチ、スジ。ニ、ホン。サン、シナリオ」のシンポジウム第二回、『「浮雲」の脚本力を読み解く!』が始まる。冒頭に紹介したように、パネラーは数名の錚々たる著名脚本家だが、テーマは「浮雲」なので、私は全く興が乗ってこない。パネラーの誰だか忘れたが、「戦前に抑圧もあったがアジアに拡大し高揚した日本が敗戦し、だが戦後の民主主義に希望を持ち、その夢も潰えていく歴史が、この映画の男と女の関係の合わせ鏡として描かれているのではないか」と発言されたのが、やや私の関心を引いたが、でもそれ言えば「秋津温泉」って決定打があるよねと思い、やっぱりテンションは上がることはないのであった。

このテンションを一気に引き上げてくれたのが、この日のパネラーの脚本家・野上龍雄さんとの、この後のパーティーでの歓談であった。私は熱く、任侠映画について肉迫してしまった。ここで、私の映画祭参加のテンションは、やっと一気に上昇するのである。そのあたりから、次回は入っていきます。
湯布院映画祭日記2009−3

●湯布院へ出発!
8月25日(火)、冒頭に述べたように由布岳踏破の目標もあり、「湯布院映画祭」前夜祭の前日に出発する。毎年、羽田発13時前後の航空便を予約している。11時半前後に空港ロビーで、缶ビールを空けながら昼食を摂るのも、毎年恒例である。今年は羽田空港限定販売と称する「羽田弁当」を食べる。東京湾にちなんだのであろう穴子・あさり・海苔をあしらった弁当である。飛行機を待ちながら、心地よい酔いがボーっと回ってくる。「日常に降臨した湯布院」とか何とかいいながらも、旅情とこれから出会う映画祭への期待が、胸をグングンと膨らませてくれる至福の時である。

福岡空港からJR由布院駅行き高速バスで一路湯布院へ向かうことになる。余裕をもって航空便を予約しており、また市内道路混雑の関係でこの高速バスは遅れ気味なので、結構空港で待ち時間が出ることが多い。そんな時は、また缶ビールを傾けて時を潰すのも旅情に浸れる一つである。夏だから汗とともに羽田のビールはすでに抜けている。夏とはホントにいいもんだ。(何のこっちゃ)

例年だと、ここで1年ぶりの常連参加者と出会い、高速バス内で旧交を暖めながら進むということも少なくないのだが、今年は私は1日前倒しで湯布院に入るので、そんな出会いもなく一人静かにJR由布院へ向かったのだった。

●時は移ろう…旅路途中の読書の変遷
羽田から福岡までの搭乗、福岡空港からJR由布院駅前までの高速バス、共に2時間弱の時間を費やす。そこで、その時間を潰す読み物を毎年固定していた。当初は「週刊 ファイト」と長編大河ヒロイック・ファンタジー「グイン・サーガ」の新刊であった。映画祭の少々前に発刊されても、あえて湯布院行きまで読まずにとっておいて、旅の途中に楽しんでいたのだ。

その「週刊ファイト」は、「プロレス冬の時代」に直撃されて、2006年に休刊(こういう言い方は実質上の廃刊だそうだ)になった。そして、今年の5月26日(火)に「グイン・サーガ」作者の栗本薫が膵臓癌で逝去した。8月発売の128巻の後、130巻途中までは生前に執筆しているそうだが、それも12月発売号で終わる。当然、来年の湯布院への旅の友に「グイン・サーガ」は存在しない。

羽田行きモノレールの乗替駅の浜松町の書店で、元週刊ファイト編集長・井上譲二の著作『闘魂の呪縛 王道の絶望 昭和マット界黄金期に隠された「プロレス死滅」の病巣』を購入する。この本と、来年にはもう存在しない「グイン・サーガ」を並行して読みながらの旅は、ああ、10年以上も湯布院に通っていると、永遠不滅のものはないんだなあ、時は、儚く空しく移ろっていくんだなあ、との感慨に襲われる。

●普段着の湯布院温泉
JR由布院駅前に到着する。当然ながら前夜祭前日なので、映画祭常連参加者もいなければ、実行委員の姿も見えない。なるほど、これが普段着の湯布院温泉街かと、奇妙な気持が湧いてくる。

映画祭参加者の常宿「牧場の家」にチェックインする。夕食になる。いつも食卓を囲む映画祭の友人は誰もいない。家族連れ、男女の若いカップル、男友達集団、女友達集団と、それぞれ三々五々参集してくる。映画祭開催期間中の食堂の雰囲気と全くちがう。あたりまえだが、一人泊は私だけだ。顔馴染みとなった賄いの人と、少々の雑談はするが、ほとんどの時間は、ビール1本、お銚子2本を手酌酒で様々な物思いに耽りながら黙々と晩酌を傾ける。翌日、「お馴染みおたべちゃん」他、「湯布院映画祭」の旧知の友人たちに再会して、「昨日来てれば、静かに独りで手酌酒を嗜んでいた周磨要が見られたよ」と、余計なことを言う。(そんなものを見たい物好きもいないだろうが)でも、よしんば誰かがその姿を見に来たら、早速その友と酒盛りの歓談になってしまうから、私のそんな姿を見るのは永遠の自己矛盾でしかないのではある。どうでもいいことだが、何となく私はそういうパラドックスにセンス・オブ・ワンダーを感じてしまうのだ。

今晩だけは一人旅のムードなので、湯布院の温泉街をブラつくことにする。温泉街には珍しく、8時前後なのに閑散としている。大人向けのお風呂も劇場もないのが売りの湯布院なのだから、普段着の湯布院の夜はこんなものなのかもしれない。もっとも、映画祭期間中の夜も、我々参加者は上映会場の湯布院公民館とパーティー会場の往復をしているだけだから、その時の温泉街の佇まいを知るわけもなく、やっぱりこんなものなのかもしれない。

●映画祭参加者を襲った激震パニック ファミリーマート移転!
夜の湯布院温泉街散策の目的は、もう一つあった。明日の由布岳登山には、当然ながら握り飯・その他食料・水・そして頂上で空ける缶ビールを、明朝に調達しなければならない。毎年愛用している映画祭会場・湯布院公民館の傍にあるファミリーマートの下見も兼ねていたのである。

ところが、無い。ファミリーマートが無いのだ!パン屋に改装されている。さあ、弱った。前述した飲食物は登山の必需品である。それにプロレス者としては、九州スポーツ(東日本では東京スポーツ)を買えなくなるのが痛い。娘に電話して、留守中に買ってもらうよう頼まねばならなくなる。かくして、閑散とした湯布院の街を代替えのコンビニを求めてウロウロする羽目になる。ただ、ほどなくやや近くにローソンを発見して胸をなで下ろす。

しかし、私だけの問題ではなく、このファミリーマートが無くなったのは、映画祭参加者にとってかなりパニックだ。映画祭は予定がギッシリで、日によっては上映終了後に、すぐシンポジウム参加や次回上映作品の行列に並ばねばならない。食事の時間もあわただしく、すぐ傍のファミリーマートで握り飯・サンドイッチ・調理パンなどを調達し、あわただしく口に放り込んで昼食や夕食を済ませる人は少なくない。

案の定、翌日に前夜祭で会った旧知の友にそのことを伝えると、かなりうろたえていた。それ以外の人も勝手が狂った人は少なくなかったようだ。結局やや面倒だが、私も含めて朝のうちに宿から上映会場の公民館に行く途中でローソンに寄り道し、その日の食糧を調達しておくとの手を取らざるをえなくなったのである。

「何で、つぶれたのかね。よく売れてたのに」などと言う人もいたが、それは映画祭開催期間中はそうだろうが、普段は駐車場もない温泉街の駅前のコンビニが盛況を極めるとも思えない。映画祭の4〜5日だけ売れてもしょうがないのである。実際は、潰れたのでなく駐車場のある幹線道路近くに移転したらしいとのことを、後で耳にした。

●好天気!由布岳から見下ろす湯布院の街
25日(水)、由布岳登山の日だ。「湯布院映画祭」初参加の年、「朝からビール飲んでるヘンな親父」と「お馴染みおたべちゃん」から命名を受けたが、この日は温泉上がりの朝ビールは抜きである。何ったって、これから映画を観るのとはわけがちがう、山に登るのである。しかも、映画祭の上映開始は10時だが、この日の登山口に行くバスの発車は9時前なのだ。朝食だけは、しっかりたらふく摂って、由布岳の登山口に向かう。

最初は見通しのよいなだらかな高原をゆっくりと登って行く。関東の山にはあまり見られない景観である。正面登山口から高原を経て15分程で、ゲートから本格的な山道に入る。これまで私がよく登ったのは首都圏周辺の丹沢・奥多摩・奥秩父などだが、それに比べると大きい石がゴロゴロしてかなり足元が悪い。人の出入りが、やはり首都圏に比べて少ないということだろう。

昨年10月に東電学園OB会の筑波山を思い出した。顧問の先生が80歳の高齢なので、ケーブルカーで登れる山を選定したのだが、私より先輩の部員も含めてOBでケーブルカーなど使う者はいない。しかし一般には、筑波山を登山道から登る奴はあまりいないせいか、人の出入りが少ないようで極めて足元が悪かった。筑波山あなどれずと感じ入った次第である。

そもそも、私が山岳部に入部したのは、運動神経が鈍く歩くことくらいしかできないのと、景色の良いところをボーッと映画のことなど妄想に耽りながら歩くのが好きだったからである。だから、沢登り・岩登りなんて、全く興味がなかった。しかし、由布岳の登山道はボーッとしているわけにはいかない。特にこの歳になって転ぶと、意外と手や足を簡単にヤッちゃうんである。一歩、一歩、慎重に歩を進める。神経が疲れる。緊張で足腰の筋肉痛も増してくるのだ。私は、最もポピュラーな正面登山口を取ったが、登山マップに『「正面登山口」以外はルートが分かりにくいため、経験者の同行をおすすめします。』と記してあった。他のルートはもっと人が入らず、もっと足元が悪いということなのだろう。

30分ほど森林の中を抜け、合野越に至ると山頂近くのマタエまでは、一気に眺望が開ける。天気は雲ひとつない快晴、湯布院の街が一望のもとである。ああ、あそこで映画祭の5日間(前夜祭も含めて)激論したり笑ったり感動したりの時間を過ごしているのかと思うと、結構感無量になる。山肌を通って吹いてくる風が心地よい。この10年の映画祭期間中、湯布院の盆地から見上げ続けてきて、いつか登りたいと思った由布岳の頂上に向かって、今、一歩一歩足を踏みしめている。やはり、来て良かったと思った。

見晴らしの良い山道を楽しみながら1時間強、ついにマタエまでたどり着く。ここから東峰から西峰をグルリと回るお鉢まわりのコースがある。ただし、登山マップには「ガレ場や足場のかなり悪い難所もあり(中略)登頂後の疲れた足では危険」とある。足元が悪く極端に転倒を恐れた足運びをしたために、関節や筋肉の所々が痛い。そこで慎重に、お鉢まわりは諦め、どちらかの峰で昼食を摂り、同じ道を引き返すことを決断する。

東峰も西峰も片道15分程度の近さだ。西峰に向かう登山道は鎖場から始まる。崖登りの難所である。こちらは諦めて、東峰にする。しかし、少し登り出すと、こちらも凄いガレ場の難所であることが、判明する。登りはともかく、帰りの下りは疲れた足だとかなり危険だ。とても、昼食時に缶ビールなど空けたら、帰路はおぼつかない。滑り落ちて足でも骨折し松葉杖にでもなったら、昨年の「お馴染みおたべちゃん」の転倒しての手首骨折で、吊り包帯で映画祭を過ごした二の舞になり、何を言われるかわからない。いや、骨折ぐらいで済めばいいが、転落死してしまったら洒落にならない。ここは、グッとこらえてマタエで昼食を摂り下山することにする。(単に、東峰とビールを秤にかけて、ビールの方を取っただけかもしれない)

マタエでは湯布院の反対側まで見張らせる360度パノラマは臨めないが、それでも湯布院の街を一望してのビールはうまい。山で食べるおにぎりは最高だ。山肌を吹き上げてくる風の心地よさは、例えようもない。半日もリュックで運んだら、ビールは温まらないかと聞かれることがあるが、そんなことはない。案外美味しく飲めるのである。そりゃ、下界で飲んだら生ぬるいかもしれないが、山の爽快さがそれを相殺するのだ。

これまでの映画祭参加の時、由布岳を見上げると東西の峰が共に雨雲に包まれていることが多かった。下山の途中に山頂を見上げたら、この日もすでに雲がかかっていた。マタエで燦々たる日差しの下に、湯布院の街の眺望を楽しみながら、ゆっくり昼食を楽しめたのは奇跡的な僥倖だったのかもしれない。やはり峰にまで足を延ばさなかったのは正解のようだ。

●大分の人と思わぬ「湯布院映画祭」の話題
最後の詰めを誤って、転倒することのないよう慎重に下山する。さて、下山してからが問題である。私は、帰りのバスの時刻表をチェックしていない。山岳部のOB仲間で由布岳に登った経験者に聞いたら、「レンタカーが一番いいよ。行きはともかく帰りに困るから」と言われた。バスは1時間に一本しかない。でも、私はペーパードライバーだ。レンタカーというわけにはいかない。しかし、登山時に時刻表はチェックしなかった。なまじチェックしておくと、その時間に合わせて急いで下山したことで、不測の事態を起こしかねないのだ。山では慎重の上にも慎重でなければならない。

登山口の停留所に着く。幸いにも25分待ちでバスが来る。待っていたら、下山がいっしょだった熟年夫婦のハイカーに、「由布院駅ですか?よかったら乗っていきませんか」と声をかけられる。下山がいっしよだったと言っても、親しく話したわけではない。ハイカーならではの、休憩をはさんでの抜きつ抜かれつしている中で、「こんにちは」「お先に」とあいさつの声をかけた程度である。でも、行きずりの人にも分け隔てなくあいさつを交わす山道は、本当に清々しい。
 映画祭で映画ファンが一堂に会しているのも同じだが、同好の士が集まっている場というのは、本当に気持のよいものだ。その縁で、JR由布院駅までの同乗に甘えてしまう。

ご夫婦は大分の方だった。「どちらからですか?」と聞かれ、私が「東京です」と答えると、エーッとビックリされる。そこで「あ、由布岳はついでなんです。明日からの映画祭に参加するんです」と補足する。「ああ、映画祭が明日からなんですか。私達も毎年やってることは知っているんですけど、行こうかな、なんて言っているうちに過ぎてしまうんですね」とのことだった。

宿と上映会場とパーティーの往復だけに終始する常連参加者と異なり、私はここ10年余、すでに観た映画をパスした空き時間を利用し、サイクリングなども交えながら、湯布院の街を散策した。そして、地元の方々と言葉を交わすと、意外なほど映画祭のPRが届いていない。やっているのは知っている。映画スターなどの有名人が来ているのも知っている。でもパーティーなんかは、関係者だけの内輪のものだと思われている。「誰でも会費さえ払えば、有名人と飲みながら歓談できますよ」と言うと、ほとんどビックリされる。何だか燈台下暗しで、地元へのPR不足を感じる。参加者を増やし盛り上げる方策は、地元にこそあり、今後の映画祭拡大発展の穴場でもあると思う。

もっとも、住む世界が違う人相互の感覚のズレなんてそんなものだ。実は、別に東京から由布岳だけが目的で訪れたって驚く話ではなく、山好きにとってはひどく自然なことなのだ。私が所属した東電学園山岳部の顧問の先生は、酒も煙草もやらず山だけが生きがいの方だが、深田百名山を踏破した。その中の一つの北海道の山で、麓まで行ったが天候不順で何もせず引き揚げたそうだ。山好き以外の人から見れば馬鹿みたいなものだが、好きな道というのはそういうものだ。私の東西両峰登頂を諦めた慎重さは、多分にこの先生の慎重さの影響と、RSTトレーナーとして労働安全衛生教育に携わった影響があると思う。

話が、やや横道にそれた。そこで、私は車で送ってくれたご夫婦に、耳より情報として前夜祭のことをお知らせする。「今日は前夜祭で野外上映会があるんですよ。もちろん無料です」「学校の校庭でやるんですか?」「いえ、由布院駅前広場にスクリーンを張って、シートを敷いて客席にしてやります」「駅前なんかでできるんですか」「ええ、その時間だけ駅も近くの土産物屋も照明を落します。野外上映に先だってお神楽もやります。駅前に来ればいいだけです。全部、無料です。ビール・焼酎の酒類や焼き鳥なんかの模擬店も出て、盛り上がりますよ」「ヘェー、それは知らなかった」

ご夫婦の宿は「牧場の家」の近くで、そこまで送りましょうと言ってくれたが、私は「駅前まででいいです。もうスクリーンも貼っているかもしれませんし、前夜祭のチラシも出てくる頃です」と言って、駅前に向かう。さすがに4時過ぎでまだスクリーンは張っていなかったが、観光案内所にチラシは置いてあったので、お渡しした。ご夫婦は「今晩、行ってみようか」と興味を示していた。ご主人は「ウム、俺が寝込まなかったら、そうするか」どうやら、晩酌が終わると寝込んじゃうお父さんのようである。前夜祭は暗く人出も多かったので、このご夫婦がいらしたか否かは確認できなかったが、少なくともこの情報提供で送ってくれたご夫婦への恩返しと、地元の人への映画祭PRはできたと思う。

●ETさんとの再会 口髭の話題
無事に下山して「牧場の家」に戻ると、宿は完全に映画祭モードになっていた。私の部屋にはすでに参加者の宿泊者名簿が貼り出されている。常連の愛媛のHさん、福岡のIさん、そして長崎キネマ旬報友の会代表でNTT西日本のETさんだ。すでにETさんが到着していた。「早いですね」「いえ、実は昨晩から泊っていて、今、由布岳から下山してきました」「この部屋だったんですか」「ええ、牧場の家の人が、部屋を移らないでいいように配慮してくれました。昨晩はこの4人部屋を一人占めですよ」などと挨拶を交わす。

私は、6月30日(火)の嘱託契約期間満了と共に、翌7月1日(水)から口髭を伸ばしはじめた。早速、ETさんから「どうしたんですか?」と聞かれる。別に大した意味はない。サラリーマンを卒業したので、お堅い大企業グループではできなかったことを始めただけである。それに気分だけは、眼鏡と口髭がトレードマークの、活弁の大名人の故松田春翠先生を気取りたいとの思惑もある。もっとも、相手を選ばないでこんなことを言うと、「思い上がるな!」と殴られかねないから要注意だ。この口髭については湯布院の友に再会する度に聞かれ、この解説を何度も口にする羽目になるのであった。

でも私は、よく考えれば口髭すら伸ばす自由のない大組織・大企業という人権侵害の世界に、長く長く拘束されていたわけだ。私の若い頃は、白以外の柄物やカラーシャツも一切ご法度だった。そう考えれば、そんな理不尽世界卒業のご褒美として、堂々と年金を有り難くいただくのは当然かもしれない(笑)。

ただ、今述べた制約の数々は、あたりまえのことだが法規制があるわけでもないし、まして就業規則に明記されているわけでもない。明記されたらハッキリと人権侵害になってしまう。これらは暗黙の自主規制というものである。ここが日本自粛社会の恐ろしさだ。

私と同じ大企業人のETさんは、こういう感覚がよくわかる。ETさんは現在、横暴な上司に頭を痛めているそうだ。
 『そういえば、私が中間管理職だった時、言うことを聞かない部下に言う切り札がありましたね。君の好きなようにやりなさい。「そういう人」だと思われるだけだから。この一言で、大概の部下は「そういう人」だと思われたくないから従いましたね』
 ETさんは半ば仰天して 「それって、究極の脅しじゃないですか。ひどい管理職だなあ。ヤクザ映画から仕入れたんですか」
 『いえ、私のオリジナルです。でも、これってヤクザ映画で使えそうですね。「おんどれ、そういう奴だと思われていいんじゃな!」って、「仁義なき戦い」の「親分、あんたは神輿じゃけん、神輿が一人で歩けるなら歩いてみい!」に並ぶ名台詞となるんじゃないですか』
 いかにも映画ファンらしい会話のやり取りで幕開けし、いやが応でも、映画祭モードへのムードは高まるのであった。

●前夜祭、その後の「学校の怪談4」談義
前夜祭が始まる。由布院神楽、「学校の怪談4」野外上映と、滞りなく番組は進んでいく。「日本映画 脚本家列伝」の特集にちなんで「学校の怪談4」の脚本家の奥寺佐渡子さんの挨拶が華を添える。その後は、恒例の実行委員会と参加者の懇親会が、乙丸地区公民館で盛大に開催される。

懇親会散会後、「牧場の家」に戻る。当然黙ってそのまま寝るタマではない面々は少なくない。同室の福岡のIさん、「お馴染みおたべちゃん」などなど、何人かの有志が集まり酒席になる。今観たばかりの「学校の怪談4」の話題になる。品の良い純粋ホラー・ファンタジーとして、総じて好評だ。私が「でも、この4がとどめを刺して、結局シリーズを消滅させたんですよね」と水を差す。

「学校の怪談」は、子ども達の都市伝説への興味をキックとして、遺跡の大切さ、戦前の歴史などを巧みに啓蒙した平山秀幸監督の秀作シリーズであった。しかし、「学校の怪談2」まででネタが尽き、でも興行的要請から3は金子修介監督にバトンタッチされたが、才人金子修介にしても1・2を派手にブローアップする以上の手はなかった。それを受けての4は、ガラリと純粋ホラー・ファンタジーに転調するしかなかったのである。

この日のメンバーでは、「学校の怪談」に親しみを持っている人はおらず、未見の人も多かったので、私が解説がらみで前項のような話をした。「確かに、今日の子供達は、途中でドンドン帰っちゃったみたいですね」と、誰かが言う。子供達にとっては、いかに良質な純粋ホラー・ファンタジーであっても、都市伝説の「テケテケ」「トイレの花子さん」etcが出てこない「学校の怪談」は、「学校の怪談」ではないのだろう。

そういえばリアルタイムの時、私は「学校の怪談4」の試写状を手に入れたが、当時中学生だったにせよ、我が娘は「テケテケ」が出ないんなら観ないと、全く関心を示さず、妻と二人連れでの場違いな夫婦鑑賞になったことを思い出した。私と妻の評価も高かったが、主要客層の中学生の娘が興味を示さなかったように、興行は惨敗し「学校の怪談」シリーズは終焉を迎えた。作品評価と興行の関係は微妙なものである。それやこれや、いかにも映画好きの集まりらしい雰囲気の歓談に終始し、初日は午前2頃散会となったのであった。

次回からは、映画祭本番、いよいよ王道の「湯布院映画祭日記」で進みます。
湯布院映画祭日記2009−2

●湯布院への助走 その1「PKの会」
8月23日(日)に「お竜さん」の呼びかけで発足した池島ゆたか監督を囲む「PKの会」の話題から始めたい。ハンドルネーム「お竜さん」の由来は、当然ながら藤純子(現・富司純子)の当たり役「緋牡丹博徒」の矢野竜子こと緋牡丹お竜から出ている。私も若き日には、任侠映画に熱狂した世代である。早速、「PKの会」で「お竜さん」に再会するにあたって、家宝(?)のキネマ旬報増刊「任侠藤純子女の詩」を見せるべく持参する。この号は、私もファン代表として寄稿しているのである。ファン代表の中には、現ヨコハマ映画祭主催者の鈴村たけしさんも名を連ねている。その当時の周磨要は、23歳!と表記されている。そりゃそうだ。私だって、昔からこんなオッサンだったわけじゃない。熱き若者だった時代のこともあったのである。

「シネキャビン納涼会」の帰路に、「お竜さん」と池島監督との3人で、延々たる打ち上げをやってしまったことは、「映画三昧日記」ですでに紹介した。その席上で、「緋牡丹博徒」に関しては「お竜さん」と二人で勝手に盛り上がってしまい、池島監督をややウンザリもさせてしまったようである。キネ旬増刊の私の拙文を目にした池島監督、「あなた、23歳から全然変わってないね」と突っ込まれてしまった。でも、それは確かなのかもしれない。やはり、任侠映画は今でも私を熱くさせる。前にもチラリと述べたが、「湯布院映画祭」初日に、私としてはテンションが下がりまくる事態が続出したのだが、そのテンションを回復させてくれたのは、パーティーで、代表的な任侠映画脚本家の野上龍雄さんに熱く迫って、任侠映画談義に耽らせていただいたからだった。映画はやっばり任侠映画!映画はこうじゃなきゃいかん!との感を深くしたのだが、これは項を改めてジックリ語ることにしたい。

 第1回「PKの会」の参加者は10人だったが、ホントに凄いメンバーが参集した。メインの池島監督が見えたのはもちろん、監督の良きパートナーである脚本家の五代暁子さんも参加された。その他、「ピンク映画大賞」の投票者で映画ライターの中村勝則さん、同じく投票者の鎌田一利さん、スタジオ・シネキャビンの重鎮の方なども顔を連ね、まさに壮観である。

私が「湯布院映画祭」に参加することを話したら、五代暁子さんからシナリオ作家協会入会の頃からの話題を中心に、いろいろなお話を伺った。湯布院ゲスト常連の荒井晴彦さんの話題もかなり出た。なぜか寺脇研さんの名前もチラリと出た。どんな内容だったかは差し控えたい。差し控えたいということは、まあ辛口だったということですね。後はご想像におまかせします。

このように、私の「映画三昧」の日常は、すべて「湯布院」の「日常」に連動していく今日この頃なのである。

それやこれやで盛り上がり、「PKの会」参加者の中の半数5人は、本「湯布院映画祭日記」の冒頭に述べたように、居酒屋をハシゴしてついに徹夜で飲み明かしてしまった。普段の散歩コースである武蔵国分寺公園の中を、白々と明けかかった空を見上げながら帰路に着く。早起きの人が何人か、ジョギングに励んでいる。いつも、見慣れた光景が、何だかひどく変わってみえる奇妙な経験をしたのであった。

●湯布院への助走 その2「無声映画鑑賞会の50周年を祝う会」
8月5日(水)に「無声映画鑑賞会の50周年を祝う会」のパーティーで、今年の「湯布院映画祭」の「脚本家へのアンケート」にも回答を寄せている石森史郎さんと歓談した。石森史郎さんとは、「無声映画鑑賞会」の特別会員で、「蛙の会」発表会にも必ず足を運んでいただいて、日頃から親しくおつきあいをさせていただいている。

石森史郎さんはアンケートで、「一度、そちらの映画祭に集って来る熱心な映画ファンの皆さんと、私の映画を通して、意見交換が出来れば…温泉にもつかり乍ら…」とお答えになっている。石森さんは、残念ながらお酒はあまり召し上がらない。また、温厚な方で、あまり激しい発言はされない。でも、ファンの声に真摯に耳を傾けて意見交換をされる方で、湯布院に新しい風は吹きこんでいただけると思う。実行委員の方々、近々に初監督作の話題も出ている石森史郎さんのゲスト参加を検討していただけませんか?

この日のパーティーでは石森さんとしてはかなり飲み過ぎたみたいで、らしからぬかなり激しい発言が身受けられた。「湯布院映画祭」の話題から、荒井晴彦さんの話題になった。この時の内容についても紹介を差し控えたい。ということは、五代暁子さんの時と同様に、まあかなり辛口の内容だったということで、後はご想像下さい。石森さんにしては珍しい過激発言だった。

いずれにしても、「湯布院映画祭」を直前にして、常連ゲストの荒井晴彦さんに対し、同じシナリオ作家協会のメンバーから、紹介を「差し控えたい」発言を連続して耳にしたのは、何とも奇妙な体験だった。

このパーティーで、「映画友の会」の旧知の友人Sさんと、数年ぶりに再会した。Sさんは、私と同世代の団塊の世代で、キューピー食品の監査役という重職についており、研究開発に携わっている関係で、広島の工場に単身赴任中だ。そんなわけで、数年ぶりの再会になったわけである。

Sさんは、この日は東京にホテルを取って、翌日広島にトンボ帰りするそうである。東京にもどっているのは奥さんに内緒だそうだ。たった2時間強のそれも会費1万円もするパーティーに、飛行機代まで使ってわざわざ参加したなんてことが耳に入ったら、「馬鹿じゃないの」と言われそうだとのことだった。でも、50年に一回の「無声映画鑑賞会の50周年を祝う会」には、何としても参加したかったそうだ。確かに私も彼も、100周年には参加できないだろう。

映画ファンや活狂(カツキチ−活動写真キチガイのこと−「無声映画鑑賞会」の会報名でもある)の気持というのは、それ以外の人にはなかなか理解できないようである。私も2006年の「湯布院映画祭日記」で記したが、家内に先立たれた気軽な一人身でなければ、5泊6日の映画漬けの「湯布院映画祭」に行くなんて言い出せなかったろう。いや、そもそも「湯布院映画祭」に行こうなんて発想そのものが出なかったと思う。まあここは、一人身の身軽さも悪くないのだと、思っておこう。

9月22日(火)〜24日(木)にカナザワ映画祭に行くことを計画している。「宗教」特集の中で、私が見逃していてその後もあまり上映機会のない「人間革命」「続・人間革命」が、連日上映されるのだ。湯布院とちがってこちらの映画祭は、シンポジウムとかパーティーとかはなく、映画上映とライブだけだそうである。要は「人間革命」2部作を観るためだけに、東京から金沢まで足を延ばそうというのだ。これって、家内が生きてたら「馬鹿じゃないの」と一笑に付されるだけだろう。いや、私は言い出すことすらしないだろう。既婚者にも関わらず、単身「湯布院映画祭」5泊6日に参加されている方というのは、多分相当に家族に対して啓蒙活動・理解活動に努力されているということだと思う。熱狂的な映画ファンと、それ以外の人との壁は、まだまだ厚く高い。

●「湯布院映画祭」後の怒涛のスケジュール
本「湯布院映画祭日記」の冒頭で映画祭終了後の怒涛のスケジュールを紹介した。それを着々と消化している真っ最中だが、つくづく人生いろいろ、人間いろいろを痛感し、人の世の奥深さに感じ入っている。

9月1日(火)の「映芸シネマテーク」では、「百年の絶唱」上映後、井土紀州監督と荒井晴彦さんのトークショーがあった。ゲストは映画製作者側だが、視点は映画批評・ジャーナリスト的である。2日(火)は清水大敬組「人妻教師」のエキストラ参加だ。こちらは、もろ映画製作現場そのものである。

3日(木)は私も「活弁トーク」の高座を務める「鎌ヶ谷にぎ愛寄席」の稽古会だ。主催の社会人落語家あっち亭こっち師匠以下、「蛙の会」のご指南番でもある飯田豊一先生、玉川奈々福後援会長、風俗資料館館長といった社会人芸能人の錚々たるメンバーが、続々と集まる。稽古会の後はビールで懇親会、そこでの話題は落語・歌舞伎などを中心に、古典芸能談義に埋めつくされる。

4日(金)はグリーン電力基金会員として「山梨県 太陽光発電設備見学会」に参加した。清里にある「国際研修交流センター 清泉寮」は、環境保全に力を入れている施設である。そこの太陽光発電設備を中心に、木質ペレット燃料のボイラーとか、環境保護に力点を置いた数々が、次々と紹介される。そこでは熱く環境保護に情熱を注ぐ人々の姿があった。

 人生いろいろ、世の中いろいろを実感した湯布院からの帰宅後の4日間だった。1日おいての6日(日)は、もう「鎌ヶ谷にぎ愛寄席」高座の本番である。こんな映画三昧(それ以外も含めて)の毎日で、かんじんの「湯布院映画祭日記」はいっこうに進展しない。

 そうこうしているうちに2日(水)のエキストラでご一緒した映画ライターの中村勝則さんから、「5日の上野オークラは行きますか?」と言われた。吉行由美監督作品の新作に合わせてトークショーがあるそうなのだ。そうか、どうせ観るなら、この機会の方がいいなと、急きょ5日(土)も予定が入ってしまった。ビンク映画に関しては、すぐ「ピンク映画カタログ」をまとめないと内容を忘れてしまいがちなので、ここでも「湯布院映画祭日記」のまとめは中断しそうである。

ということで、「湯布院映画祭日記」はいっこうに進みません。次回の日記では、何とか羽田から湯布院に向けて旅立ちたいと思います。いずれにしても今年の「湯布院映画祭日記」は、「日常」に降臨した「湯布院」に、「映画(他)三昧」の「日常」がリンクしながら、ユルユルと進むと思います。
湯布院映画祭日記2009−1

「湯布院映画祭日記2009」の開幕です。1年間のご無沙汰でした。お久しぶりでございます。と、言いたきところなれど、2、3年前から記しているように、「湯布院映画祭」は完全に私にとっては日常に降臨してしまった。映画祭出発前にもイベント等があり、映画祭終了後もイベント続きといったところで、もはや湯布院も「映画三昧日記」の延長線でしかない。今年の「湯布院映画祭日記」は、そんな感じで始まり、そんな感じで終わるでしょう。


●湯布院出発前、そして湯布院から帰宅後
湯布院出発を間近に控えた8月23日(日)に「PKの会」が発足した。すでに「映画三昧日記」に記したが、8月10日(月)の「シネキャビン納涼会」での帰路に、池島ゆたか監督が、私の住んでいる国分寺市の隣の府中市の住人で、最寄駅が国分寺であることを知った。やはり近くの立川市の住人「お竜さん」(女性ながら池島監督のファンでピンク映画ファンという珍しい人である。もちろんピンク映画館には行けないので、mixiの友人などを通じてDVDを回してもらって鑑賞しているというユニークな人だ)その人が、池島ゆたか監督を囲む「PKの会」を発足させたのである。

地元・国分寺での会だったので思わぬリラックスをしてしまい、ついに徹夜で飲み明かしてしまった。24日(月)はフラフラした頭を抱えて、翌25日(火)湯布院出発の荷造りに精を出さねばならぬ破目になった。映画祭の前夜祭は26日(水)なのに、なぜ25日(火)に出発するかって?「映画三昧日記」ですでに記したが、今年の6月末で嘱託契約期間満了になり、映画三昧その他あれこれ、24時間すべて好きなように生きられるようになったのである。そこで余分に一泊し、かねてから念願だった由布岳に、前夜祭の前に登ることにしたのだ。

30日(日)に映画祭が終わり31日(月)に帰宅すれば、翌9月1日(火)には「映芸シネマテーク」を予約済だ。2日(火)はピンク映画のエキストラに2度目の参加をする。6日(日)は「鎌ヶ谷にぎ愛寄席」の「活弁トーク」の高座が控えている。その稽古会が3日(水)にある。4日(金)はグリーン電力基金会員として清里の「山梨県 太陽光発電設備見学会」に参加する。さらに31日(月)に湯布院から帰宅したら、8日(火)の「TAJOMARU」の試写状が舞い込んでいた。このように怒涛のようにスケジュールが次々と埋まっていくと、もはや「湯布院映画祭」も、その中のイベントの一つという感じになってしまうのである。

ということで「湯布院映画祭日記」もそれらの一つとしての位置付けで語ることになると思う。そんなこんなで、次回以降も「湯布院映画祭」までになかなか辿りつかず、ユルユルと進みそうな感じである。

まずは、今年の映画祭の概要を紹介して、次回以降、9月初旬の怒涛のスケジュールを消化しつつ、「湯布院映画祭への道程」も交えて、本当にユルユルと進むことになると思います。気長におつきあいくだされば幸いです。


●第34回 湯布院映画祭 プログラム
 特集 日本映画脚本家列伝 イチ、スジ。ニ、ホン。サン、シナリオ
 8月26日(水)  前夜祭
            ・由布院神楽保存会のお神楽
            ・野外上映「学校の怪談4」
                     於・JR由布院駅前広場
 8月27日(木)  「婚期」「暖流」「ダブルベッド」
           シンポジウム 「時代に即応したシナリオとは」
                  〜原作モノ・旧作ものを傑作にする力〜
                     白坂依志夫,荒井晴彦,野村正昭
           「浮雲」
           シンポジウム 「浮雲」の脚本力を読み解く!
                    荒井晴彦,野上龍雄,奥寺佐渡子
                    黒沢久子,白鳥あかね
 8月28日(金)  「憎いもの」「好色元禄?物語」
           「・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・」
           「木枯し紋次郎 関わりござんせん」
           シンポジウム 「アルチザンとしての脚本家」
                        〜娯楽映画に魂を込める〜
                    野上龍雄,丸山昇一
           特別試写「黄金花」
           シンポジウム プロデューサー・川崎潤
                  協力プロデューサー・林海象
                  配給宣伝・小林三四郎
                  出演・絵沢萌子,野呂圭介
                  司会 映画評論家・寺脇研
 8月29日(土)  「ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜」「秘密」
           「俺たちに明日はないッス」
           シンポジウム 「嵐を呼ぶ脚本家三人衆」
                      〜乱世日本映画界を生き抜く〜
                     西岡琢也,斉藤ひろし,向井康介
           特別試写「カケラ」
           シンポジウム 脚本・監督・安藤モモ子
                  出演・満島ひかり,中村映里子
 8月30日(日)  特別試写「PASSION」
           シンポジウム 脚本・監督・濱口竜介
                  出演・河井青葉,渋川清彦,岡部尚
           特別試写「ばかもの」
           シンポジウム 監督・金子修介
                  プロデューサー・沖元良
                  編集・州崎千恵子
                  助監督・猪腰弘之
           特別試写「笑う警官」
           シンポジウム エクゼクティブ・プロデューサー
                  監督・脚本         角川春樹
                  撮影・仙元誠三
 8月20日(木)〜30日(日)
   湯布院映画祭特別企画展
      湯布院映画祭と「どーくりくん」の25年<阿部隆個展>
                        於・由布院駅アートホール

すでに報道もされているが、当初のチラシなどの予定と一部変更が出た。オープニング試写作品「誘拐ラプソディー」の上映とシンポジウムの中止である。麻薬事件で世間を騒がしている押尾学出演作なので、公開が見合わせられたことに併せての中止だ。急遽、旧作の「浮雲」に差し替えられたのである。

実は、私は映画祭初日に、ひどくテンションが下がる事態に連続して遭遇するのだが、「浮雲」も一部関わっている。まあ、そのへんはおいおいと語り進めることにして、次回は「湯布院映画祭への助走」みたいなところから、ボチボチと気長に始めたいと思います。

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