周磨 要の 「湯布院日記2010」

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湯布院映画祭日記2010−8

●さわやかな目覚め
映画祭最終日である。前の日に同室のYさんが風邪をひいてダウンし、すべての映画祭イベントをリタイアしたことは、前述した。連日パーティー終了後は、私の部屋を飲み部屋として、2時過ぎまで歓談の宴を繰りひろげてはいたが、この日はちょっと差し控えねばなるまい。他の場所も若干検討したが、適当なところもなく、この日のいつもの仲間は、おとなしく散会した。

「牧場の家」にもどってみると、いくつかの部屋では明かりが点いており、潜り込めば歓談の輪に加えてもらいそうな雰囲気もあったが、たまには早寝するのもいいかと、素直に私は床についたのであった。とはいっても、パーティー終了が24時、温泉に一風呂浸かっていたりして、就寝は1時近かったのではあるが…。でも、これが大正解だった。

映画祭最終日の8月29日(日)、目が覚める。爽やかである。映画祭最終日の朝で、こんなに爽やかな目覚めは初めてだ。何せ例年は、連日2〜3時までの痛飲、最終日の朝など半死半生で、今日は1日生きてられるだろうかとの体調なのである。それでも、ザンブと温泉に飛び込み、勢いで朝ビールを飲み干して気合いを入れ、さあ最終日だ!頑張ろう!!と、空元気、自棄元気、糞元気で乗り切るのが、例年の映画祭なのだ。それに比して、今年は朝から快調!快調!、こういうのも悪くない。ダウンしたYさんに変な感謝をした。

そのYさんであるが、休養と薬が効いたせいか、朝食からほぼ順調で、最終日のイベントは完走した。まずは、よかったよかったである。

●平成22年8月29日(日)映画祭最終日のプログラム
映画祭最終日、この日のプログラムは、由布市湯布院公民館ホール(シンポジウムは視聴覚室)に集約される。

特別上映「ぼくらは歩く、ただそれだけ」10時   〜11時13分
シンポジウム  監督・廣木隆一  出演・安藤サクラ・柄本佑
                    11時30分〜12時30分
特別試写「パートナーズ」       13時30分〜15時29分
シンポジウム  監督・下村優  脚本・荒井晴彦・井上淳一
          主演・大塚ちひろ・浅利陽介
                    15時50分〜17時
特別試写「行きずりの街」       18時   〜20時03分
シンポジウム  監督・阪本順治  主演・仲村トオル
                    20時30分〜21時45分

パーティー  ゆふいん健康温泉館    22時   〜24時

●湯布院からの新しい風「僕らは歩く、ただそれだけ」
2006年の映画祭で「湯布院からの新しい風」がスタートした。「数多く製作される昨今の日本映画の中から、映画ファンの満足する作品や知られざる傑作、才能溢れる新人の紹介・発掘のために、今年から日曜日午前中に上映枠を設定しました」との触れ込みである。この年は、DVD発売だったが、好評につきその後に劇場公開に至ったAVまがいの「脱皮ワイフ」が紹介された。

以後、2008年には常連ゲスト映画評論家の野村正昭さんのプッシュで、春に公開済のお笑いタレント佐藤二朗さん初監督の、賛否否否両論(?)の快(怪)作「memo」を上映。2009年には、国費が投じられた東京藝術大学修了製作との枷により、「映画芸術」誌ベストテン入選を果たしながら、何度かの映画祭などの上映以外は、一般興行が難しくなっている「PASSION」が上映された。

遡れば2001年、その名もズバリの「特集 日本映画の新しい風」の年の日曜日午前中に、PFFアワード2000グランプリ、李相日監督作品「青〜chong〜」が上映されているあたりに、その鏑矢があったと言えそうな気がする。いずれにしても、これは素敵な試みである。私が、今最も日本映画を引っ張る才能として期待しており、「川の底からこんにちは」の商業デビューで早くもブレークした26歳の俊英・石井裕也の初期作品などを、この舞台に載せてもらいたい気がする。

そして、今年2010年に登場するのが、廣木隆一監督作品「僕らは歩く、ただそれだけ」だ。これはロックバンド「SPANK PAGE」のプロモーションビデオである。しかし、構想はどんどん膨らみ、73分の長編となった。安藤サクラ・柄本佑・菜葉菜・高良健吾と、キャスティングも豪華の限りだ。でも、製作の過程から鑑みて、劇場公開の予定は全くない。

「僕らは歩く、ただそれだけ」は傑作である。湯布院のこの場で終わりにするのは、全くもったいない。是非、劇場公開にこぎつけてほしい。シンポジウムの後の拍手のエールは、参加者のほとんどがそれを望んでいた。

2008年「湯布院映画祭」で特別上映された朝日放送新社屋移転記念事業作品「The ショートフィルムズ」が、「みんな、はじめはコドモだった。」の副題を付して公開されたように、「僕らは歩く、ただそれだけ」にも、その再現を願いたいものだ。でもそういえば、東京藝術大学修了製作作品「PASSION」は、未だに一般公開に至っていない。

●私のこれまでの廣木隆一作品雑感
私は、廣木隆一監督作品の、ヌラヌラとした感覚が好きではない。これに、ネットリした荒井晴彦脚本が加わった「ヴァイブレータ」は、皆さんの評判はおよろしいが、私にとっては最悪の不快な映画であった。(ただ、同コンビの「やわらかい生活」には、全く不快を感じなかったのは不思議ではあるが…)廣木作品の「ラマン」「M」、いずれも私にとっては苦手としか言いようがない。

このことは、以前「湯布院映画祭」のパーティーで、廣木隆一監督に、率直に申し上げたことがある。その時に監督から、意外な回答が返ってきた。「あのー、監督をそういう風に一つの型で決めないでくださいよ。僕は『機関車先生』も撮っているんですよ」と返されたのである。確かに「機関車先生」はヌラのカケラもない爽やか篇だ。最近の映画には珍しく、白けさせないで純朴な世界を描き切った。時代を戦後間もない頃に設定した勝利とも言えよう。

改めて廣木作品を振り返り直してみると、意外や爽やか路線が少なくないことに気が付いた。ありふれた難病もの企画を、堀北真希の個性を巧みに活かして、ジメジメ感を皆無に仕上げた「恋する日曜日 私。恋した」。同じく難病の少女が交通事故で肢体障害になった少女に、切ないまでの友情を注ぐ「きみの友だち」。「余命1ヶ月の花嫁」でも、監督のサービス精神からか、やや泣かせがくどいが、あざとくはない。乳癌で家内を喪った私にとって、この手の映画は無神経なガサツさを感じさせるものが多いが、これは描写が的確で、ある種の爽やかさを感じた。

そう言えば、廣木作品にドキュメンタリー「縛師」があった。題材としてヌラヌラ感が出ると思ったが、むしろ乾いた日本の美学があった。廣木隆一監督は、本当に多彩な人だ。

ということで、「僕らは歩く、ただそれだけ」はどっちなんだろう。「ヴァイブレータ」みたいだったらヤダナァー!「機関車先生」みたいだったらイイナァー!なんてことを思いつつ、この廣木隆一監督の新作に向き合うこととなった。そして…。

●「僕らは歩く、ただそれだけ」の感想およびシンポジウムの風景

「僕らは歩く、ただそれだけ」は、ヌラヌラ「ヴァイブレータ」でも、爽やか「機関車先生」でもなかった。そう、これは「800 TWO LAP RUNNERS」の系譜であった。廣木隆一監督は本当に多彩である。

ロングショットの長廻しで、被写体をギリギリ追い詰める。それはモンタージュを駆使して、「さあここを見なさい」と親切に解説してくれる映画とは、真逆の存在である。観客は、画面の中に視線を自由にさまよわせ、自らの頭の中でモンタージュを組み立てる映画の観方を要求される。自分で創る楽しさだ。こうした魅力にはまると、これはとてつもなく楽しい映画体験となる。ただし、人によっては、この種の映画を「冗漫で退屈なだけ」と感じるだろう。これは、観客を選ぶ映画である。もちろん映像そのものが、「冗漫で退屈なだけ」でないパワーを有しているのが条件だ。「僕らは歩く、ただそれだけ」の映像には、それだけのパワーがあったと思う。

「僕らは歩く、ただそれだけ」で、まずロングショットの長廻しで淡々と描かれるのは、同棲していた安藤サクラと柄本佑の別れである。二人は共にカメラマンで、愛し合っていた。しかし、柄本佑は夢を叶えるために、2年間ニューヨークに旅立つ。2年間の別離の間、二人の愛は変わらず持続できるのだろうか?不安に駆り立てられながら、二人は共用した書物などを整理する。売却額は、たったの何千円かに過ぎなかった。これが2年間の同棲の長さなのか、何と軽いものなのか。その軽さが、今後の2年の別離の重さに耐えられるのか?安藤サクラの揺れる心が、淡々とした映像の中に、静かに浮かび上がってくる。

安藤サクラは柄本佑と別れて、帰郷する。元彼の消息を尋ねると、交通事故死していた。元彼の妻は、やはり彼女の昔の友達だった。一粒種の男の子と共に残された彼女と会う。ここは、モンタージュとアップを駆使し、一般の映画に近い説明的な映像表現に転調する。浮かび上がってくるのは、故郷を離れていた間の時間の重さ、時の移ろいやすさである。

映画は、再びロングショット・長廻しのスタイルにもどる。かつての地元の母校の無人のグラウンドに、安藤サクラは佇む。そして唐突に号泣する。いや、唐突ではない。急死した元彼と、残された妻と男の子の存在。時間の流れは止まっていない。時間の空白の意味は大きい。現在の彼・柄本佑との2年間の別離、これに二人は耐えられるのか。何の説明もないが、号泣の意味が鮮烈に浮かびあがってくる。[ロングショット・長廻し]→[解説的・一般的なモンタージュ手法]→[再びロングショット・長廻し]、この転調は見事につきる。

この後、安藤サクラは、故郷のかつての友人達の家を訪れ続け、写真をとっていく。時間の流れは、友人の環境も家族の関係も、様々に変化していた。その経緯が、これも淡々と綴られていく。現実の街の住人をも被写体としたドキュメントタッチが味わい深い。

時の重さを、骨の髄まで感じ切った安藤サクラ、東京に帰る車中の安藤サクラには、もう号泣する涙はない。柄本佑との愛は、2年間の時の空白に耐えられるのか。思いあぐねても仕方がない。時は流れていく。それでも生き続けていく。「ぼくらは歩く、ただそれだけ」、安藤サクラさんの味わいの深い表情で、エンドマークとなる。

シンポジウムで私は、以上の感想を要約して発言した。そして、安藤サクラさんに質問した。ラストシーンの味わい深い表情の時、サクラさんはどんなことを思っていたかを…。答は意外だった。このシーンを撮ったのは最初の方で、監督からは「何となくウォークマンを聞いていて」と言われて、あまり何も考えてなかった、とのことだった。映画のモンタージュのマジックというところだろうか。いずれにしても、観客にこうした勝手な深読み・思い込みを許してしまうのも、優れた映画の証左だと思う。

●「失礼します!O」さんの天然話芸炸裂!
オーソドックスな映画観を有していると思われる「失礼します!O」さんにとっては、この「観客を選ぶ映画」を「選ぶ観客」ではなかったようだ。辛口発言が、舌鋒鋭く叩きつけられる。この映画祭日記の冒頭でも記したように、安藤サクラさんなんて、半分は恐怖でのけぞっていた(笑)。まあ、それは映画観・映画感性に関する問題であるのだが、最終日の私設総括会でもこの映画が、かなり好評を集めたのにご不満のようだった。(後日、名司会・まとめ役の名古屋のIさんからの集約表によれば、「僕らは歩く、ただそれだけ」は、新作特別上映6本中、「パートナズ」「キャタピラー」に次ぐ3位だった)

私設総括会でも私が、「僕らは歩く、ただそれだけ」についてその良さを前述した内容で話したが、「失礼します!O」さんは納得できなかったようで、「それは本当にそう感じたんですか?解説ですか?」と、詰問調に言われた。私は、「感じたままです。人様に映画の良さを解説する程、私は偉くありません」とお答えした。どうも、私が屁理屈をつけて、無理に褒めているように思われている節があるようだ。

「失礼します!O」さんのオーソドックスな映画鑑賞眼は敬服に値するが、当然その鑑賞眼からこぼれる映画のスタイルもあるということである。自分が感じるようには、他の人が感じるわけではないのである。そう思えば、映画についての対話の世界が、もっと広がると思う。ベテラン参加者のキューブリックさんにも、そのきらいがある。いや、他人事ではない。自分の感性のみが絶対と思ってしまう陥穽は、私自身が肝に命じていなくてはいけないのだ。

でも、「僕らは歩く、ただそれだけ」の「失礼します!O」さん発言で、私が感嘆して、ここで紹介したくなったのは、そんなことではない。威風堂々・明確な滑舌で滔々と述べている中で、「失礼します!O」さんは柄本佑さんの名前を、「榎本」と堂々とまちがえているのである。それは、当然ながら指摘された。普通、眼の前にいる人の名前を間違えていることに気付くと、舌鋒は一瞬ひるむものであるが、さすが「失礼します!O」さん、その後もひるむことなく淀みなく延々と続けていく。シンポジウム会場は、爆笑の渦である。

続いては、廣木隆一監督のことまで「廣木カズオ監督!」とやっちゃったんである。「黒木和雄」監督とゴッチャになっている。ここまでミスると、普通はシュンとなっちゃうんだろうが、「失礼します!O」さん、臆することなくいつものペースの発言で、最後まで押し切った。もうシンポジウム会場は、爆笑、爆笑、また爆笑である。

この日のパーティーで、私は荒井晴彦さんから、「お前もつまらない発言ばかりしてないで、少しはOさんみたいな面白い話しろよ」と、煽られてしまった。でもねえ。こうなると、話芸の基本とか何とか、研鑽を重ねることの意味も、天然の話芸の力には勝てないのかなあと、空しくなってくる。

この「失礼します!O」さんの天然話芸の凄みは、この後の「パートナーズ」シンポジウムにも発揮される。また、最後の「行きずりの街」シンポジウムでの、「キューブリック」さんの発言にも微妙な影を落としていくのだが、それは後述する。とにかく映画祭日記の冒頭で述べたように、今年の新作映画の方は期待に反して、私としてはイマイチだったものが少なくなかったが、シンポジウムは実に面白かったのである。

●荒井晴彦、練達の職人技「パートナーズ」
この日、2本目の上映作品「パートナーズ」は、盲導犬の映画である。早い話が「難病もの」「猫もの」と並んで、今の日本映画で最も安易な企画とされる「犬もの」である。しかし、脚本が何と荒井晴彦さん(弟子筋の井上淳一さんと共同)なのである。湯布院のお喋り雀が「パートナーズ」に関心を抱くのは、その一点につきるだろう。

観終わって私は感嘆した。今年の映画祭の、私の新作ベストムービーである。撮影所システム最後の世代の、荒井晴彦さん練達の職人技といったところである。(ただ、この手堅い一篇が、結局ベストになってしまったところが、私が今年の映画祭作品に物足りなさを感じたところでもあるのだが…)こういう風にキチンと創られれば、「犬」だ、「猫」だ、「難病」だ、またかいなと、うるさ型の映画ファンも言わなくなるだろう。犬や猫や難病が悪いわけではない。そのお手軽企画に乗って、安易に造る造り手の問題だったのだ。シンポジウムでは荒井さんが冗談めかして、「あのー、犬でも猫でも、何でもやりますので仕事下さい」と言っていたが、本当に今後は荒井さんもどんどんその手の企画を受けて立って、良き作品を生み続けてほしいと思った。

クライマックスは、瀕死の盲導犬の手術と、そのパートナーの盲目の元ロック歌手の大塚ちひろさんの今後を賭けたソロのコンサートが、並行してカットバックされ感動を盛り上げる。しかし、ここに至る過程で、実は二つの「大きな嘘」がある。ハイヒールを履かないはずの盲人である大塚ちひろさんがハイヒールを履いていたことと、絶対に吠えないはずの盲導犬が吠えたことである。ただ、この「映画的虚構」がないと、このクライマックスは構成できない。

これまでの安易な犬もの企画なら、クライマックスのためにシラッとそんな嘘をついて、お座なりのお涙頂戴にもっていってしまうだろう。しかし、荒井晴彦脚本はちがう。慎重に慎重に前提条件を積み重ね、「映画的虚構」として説得力を有するように緻密にそこまでを組み上げていくのだ。(荒井さんの名前ばかりあげてしまったが、もちろん井上淳一さんの綿密なリサーチと緻密な組み立ても、あずかるところ大きいと思う)

スタートは3本のストーリーラインで始まる。パピーウォーカーの家庭の一員として、子犬のチエを可愛がる近藤里沙ちゃんの線が一本。次はチエの訓練士を通じて成長していく浅利陽介さんのラインが一本。そして、ロック歌手を目指しながら不慮の事故で盲目となり、チエのパートナーになる大塚ちひろさんのラインが3本目だ。

パピーウォーカー近藤里沙ちゃんのラインと、訓練士浅利陽介さんのラインは、必然的に一本にからんでくる。また盲導犬チエの訓練士浅利陽介さんのラインと、チエのパートナーになる大塚ちひろさんのラインも、からむのは必然である。かくして、3本のラインは2本へと集約されていく。そして、この3本から2本になったストーリーラインが1本になった時、映画は最初の山場を見事に構成する。

2本のラインが交差するのは、犬の殺処分所という過酷な場所である。浅利陽介さんと大塚ちひろさんの出会いも、ここから始まる。生命の尊厳と矛盾を前にした二人の心は、そっと寄り添っていく。このあたりの盛り上げは、さすが!荒井節全開である。

二人の間で、埴谷雄高の小説を引用した会話が交わされる。人は暗闇に隠れてSEXをするようになった時、動物から人になった。暗闇だからまさぐりあいになる。女の胸の方がまさぐられることが多く、だから女の胸はツルツルになり、男の胸には胸毛が残った。埴谷雄高の小説からの引用にせよ、この艶めかしさはどうだ!正に荒井晴彦ワールド全開である。この項の最初に「練達な職人技」と記したが、もちろんそれだけではない。作家・荒井晴彦として、言うべきことはしっかり盛り込んでいるのだ。だから「パートナーズ」は素晴らしいのだ。

けっして盲人が履かないハイヒールを、大塚ちひろが再生のためのコンサートに向かう時に履いていった心情が、こうしたドラマ展開で説得力を持ってくる。また、盲導犬チエが、パピーウォーカーの近藤里沙ちゃんから、訓練士の浅利陽介さんとの繋がりを断ち切り、パートナー大塚ちひろさんへと思いを切り替えていく過程を、緻密に描きつくしているからこそ、その「パートナーズ」としての絆の強さが、吠えないはずの盲導犬が吠えても、「映画的虚構」として説得力を持つのだ。

この日のパーティーで荒井晴彦さんと話したが、「盲導犬は吠えない」「盲人はハイヒールは履かない」ということは、百も承知で仕掛けた確信犯であったそうだ。「映画的虚構」として、それが成立すればいいということなのである。「映画は本当である必要はない。本当らしければいいのだ」とはよく言われるが、正にそのとおりなのだ。

おかしいと言えば、クライマックスだってよく考えればおかしいのだ。大塚ちひろさんのコンサートは、かなりの曲を歌ったところで、30分程度だろう。盲導犬チエの手術は何時間もかかる高度なものだ。カットバックの時間経過には、かなりの無理がある。でも、もはや観ている間は、そんなことを思わせるところは全くなかった。みんな乗せられていたということだ。映画というものはそういうものなのだ。

「映画的虚構」の素晴らしさと言えば、スティーヴン・スピルバーグの「E.T.」を思い出す。警官隊の手からE.T.を守ろうと少年達が自転車で逃走するが、もはやこれまでとなった時に、パーッと自転車は宙に浮き、高鳴るテーマ曲。1982年公開当時、ここで超満員の旧丸の内ピカデリーは拍手の渦に包まれた。よく考えれば、飛べるなら最初からさっさと飛んで逃げたらいいじゃないの、となってしまうが、この時の観客は完全にスピルバーグの「映画虚構マジック」の、手のひらに乗せられていたのだ。こういう映画ロマンを冷笑する人には、私はあまりお近付きになりたくない。

一つだけ、瑕疵というのとは違うのだが、クライマックスのコンサートの客席に、荒井晴彦さんがエキストラとして、かなりハッキリ映っていたのは、少なくとも湯布院での上映ではまずかった。「湯布院映画祭」常連ゲストの荒井さんが、作者自ら神妙な顔で映っているのは、ここではギャグにしかならず、映画祭会場は爆笑・失笑に包まれてしまったのである。

これまで脚本家のことばかりで、「パートナーズ」の監督については全く触れていなかったが、前記の「映画的虚構」が確立されている何点かをみても、この映画の演出が手堅く的確だったことが証明されている。監督はTV界で長らく活躍してきた下村優監督である。62歳の新人監督で、堂々たるデビューと言えよう。シンポジウムで監督は、何かあるごとに「ええ、62歳の新人ですから」と、ひたすら謙虚だったが、他のゲストから「今さら新人、新人と、あまり言わない方がいいよ」と冷やかされていた。

●またまた冴えわたる「失礼します!O」さんの天然話芸炸裂!
「パートナーズ」のシンポジウムが、下村優監督、脚本の荒井晴彦さん、井上淳一さん、主演の大塚ちひろさん、浅利陽介さんをゲストに迎えて開始される。私は、こういうお気に入りの映画は、真っ先に熱を込めて発言したい。しかし、この回のシンポジウムの司会は、常連参加者の発言封じで名高く(?)、常連参加者の天敵(?)の、実行委員の重鎮・横田茂美さんである。

それでは、と参加者の発言の時間になる。私も含めて何人かが手を上げる。司会の横田さんは、グルッと会場を見回して「あ、周磨さん、Eさん、Kさん、常連の方ばかりですね。そういう方の意見は後で伺うとして、それ以外の方、どうですか」と、早速常連キラーぶりを発揮しての肩すかしでジラす。それを百も承知なのか、「失礼します!O」さんは手を上げていない。天然話芸の達人の、直観の深さなのだろうか。

ただ、「パートナーズ」に関しては、大衆性のある映画で湯布院のお喋り雀でなくても語りやすい一篇であり、映画通の変な映画論で時間を持たせる必要もないような気がする。率直に感動を告げる人、盲導犬の関係者の発言、今年のゲストでは大塚ちひろさんが一番綺麗です、とファン気質丸出しの発言など、それらが相次いで、常連参加者の発言抜きでも、いい雰囲気で盛り上がっていった。この辺の場を読む横田さんの感覚は、さすがと言ったところだ。私も、発言は何もシンポジウムでする必要はない、パーティーで荒井さんにエールを送ればいいや、という気持に傾いていた。

「時間が来ましたが、延長します。差し支えない人は、このまま残ってください」と横田さんが予定時間以後の、シンポジウム継続を告げる。私は、例によって意地汚くパーティー料理をガッツリ食べるつもりなので、夕食なんて摂っても摂らなくてもどっちでもいい。特のこの日は最終日、ゆふいん健康温泉館で、郷土名産料理のオンパレードとなる日だ。本当に、毎年、最終日の料理は多彩だ。気をつけて気をつけて、よっぽど一つの料理を少しずつ食べることにしないと、満腹で食べ損なう料理が出てしまう破目になる。だから、私はシンポジウム会場に残った。他の人も、会場を後にする人はあまりいなかった。

「それでは、そろそろ常連の方の話を伺いましょうか」と、横田茂美さんが水を向ける。荒井晴彦さんが、「失礼します!O」さんをしきりに指さす。「失礼します!O」さんは、別に前に手をあげていなかったのだが、よっぽど「失礼します!O」さんの話がお気に入りらしい。ただ、横田さんは「周磨さん手をあげてましたよね」と、まず私を指名した。

私としても大のお気に入りの「パートナーズ」だ。熱を込めて語る。
「練達の職人芸です。よく映画通の間では犬だ猫だ難病だと馬鹿にしますが、それはちゃんと映画として出来ていないからだと思います。この映画には隙がありません。こういうちゃんとした創り方をすれば、映画通も馬鹿にしないと思います。私は、東京に帰ったら映画の友達に勧めます。多分『犬の映画かよ』と馬鹿にされるでしょうが、そういう人に対しては、私にもとっておきの決め台詞があります。『これは侮れませんよ』と勧めたいと思います」

ここまでが前段である。ここから、どう隙がないか、何で侮れないのかという前述した感想を要約して語る具体論に入ることで、私は発言を組み立てていた。ところが、この時の横田さんの対応は鮮やかで、私はしてやられた。前記発言から「具体的には…」と言いかける前に、横田さんが
「ハイ!ありがとうございました!では、最後に『失礼します!O』さんお願いします!」
と間髪を入れず振ったのである。

さすがに横田さんは、話芸の達人だと思った。時間延長を宣言したが、そんなに長く引っ張るつもりは無かったということだ。私の話しているのを聞いて、ウムここが総括的な話の段落の終わりだな、次は具体論に来るな、そうなると長くなるな、ということで見事に切って見せたのである。話の節目であるから、発言を無理に中断させたという印象も薄い。完全にしてやられたのだ。そして天然話芸の達人「失礼します!O」さんをトリに据えることにより、他の常連参加者の発言まで、抵抗なくピタリと封じてしまったのである。(もっとも全ての人に抵抗がなかったわけではなく、これは次の「行きずりの街」シンポジウムに引き摺ることになるのだが、それは次項で詳述する)

まあ、私も総論はシンポジウムで発言できたので、この後のパーティーでは具体的な部分を上げて、荒井晴彦さんを褒めて褒めて褒め倒したのであった。パーティーで「パートナーズ」は他の参加者にも概ね好評だった。荒井晴彦さん御本人は、例によってシニカルな微笑を浮かべて「まあ、そんなに褒めてもらう程のものじゃないよ。プロなら当たり前だよ」なんて言っていたが、内心は極めて嬉しかったように見えた。

横田茂美さんの目論見は読めた。後は「失礼します!O」さんの話の区切りで、「はい!ありがとうございました!」とやって、収束を図るつもりだったのだろう。しかし、「失礼します!O」さんの天然話芸は、その上を言っていた。作品周辺のことを延々と語り、「ま、それはどうでもいいことで、ここから本質に入りますが…」「長くなりましたが、これだけは言わしてくれなはれ…」「もう少しで終わりますわ。最後に言いたいのはですな…」と、脈絡なく延々と続くのである。横田さんは区切りのタイミングを一生懸命図ってあせっているのが、参加者席からは見え見えで、何ともおかしいのだが、「失礼します!O」さんは、その間合いを全く取らせない。横田さんが汗だくでストップのタイミングを見つけるまで、結局かなりの長時間を要したのであった。

よく考えると、区切りをつけにくい脈絡のない話というのは、話芸としては最悪であるはずなのである。しかし、「失礼します!O」さんの発言は、そんなベーシックなことは関係なく聞かせてしまう。これはもう、マクラを延々とやって、最後は「何を話しにきたか忘れちゃった」と、全編マクラで通しちゃった古今亭志ん生の名人芸の世界にも通じるものでもある。

いずれにしても、話芸のレベルの高さとしては、「失礼します!O」さんが一番、それに次ぐのが横田茂美さんで、私はドン尻だろう。こうなると、当然ながら話芸には修行なんてものを大きく越えたものがあるということを、感じざるをえない。何となく空しさも感じてくる。まあ、前の「僕らは歩く、ただそれだけ」シンポジウムに続いて、話芸について考えさせられたシンポだった。今年の湯布院の大きな収穫の一つである。

そして、最後の「行きずりの街」のシンポジウムでも、また話芸について考えさせられることになる。本当に、映画から離れて、今年の湯布院映画祭シンポジウムは楽しく、私にとっては有意義な場の数々だった。

●若松台風の落ち穂拾い
ここで、若松孝二台風で書きもらした落ち穂拾いを、いくつか紹介しておきたい。すでにYASさんの「キャタピラー」のディジタル映像に対する疑義を突き放したり、団塊の世代を描いてもらいたいとの要望に対してケンもホロロだったりという事態があったが、それ以外にも若松監督は意気軒高で、参加者の意見をふっ飛ばした。

最近、大東亜戦争は自衛の戦争だったとの論議も復活してきており、それについての若松監督への質問もあった。監督は「戦争は、最初に始めた奴が悪い!戦争はすべて悪だ!」と、それをアッサリ突き放していた。

第二次大戦では、ドイツ・ナチスと日本は少なくとも立場が異なり、日本が全面悪ということはは無いのではないかとの、疑義も参加者から呈された。これについては、監督の回答はピントがややズレ、戦後のユダヤ民族のパレスチナ侵略と、アラブ解放論議にスベっていってしまった。パレスチナゲリラに共感している若松監督ならではの論議の帰結だが、かなり本筋とズレちゃったのはまちがいない。でも、それで押し切ってしまい、それでも圧倒的な存在感を残してしまうのが、若松孝二監督ならではである。よく言われる「若松さんじゃしょうがないな」との言は、そういうことなのである。誰にも止められないのだ。

●失望した阪本順治新作「行きずりの街」
期待大だった阪本順治監督新作の「行きずりの街」は、私にとっての大失望作だった。ハードボイルドタッチだか何か知らないが、とにかく画面が重苦しく停滞するばかりで、いっこうに弾んでこない。これが、ハードボイルドミステリーとして、最後にアッと言わされることにより、効果を発揮する助走なのかと思っていたが、ミステリーの仕掛けとしても大したことはなかった。じゃあ、これは何なの?と思わざるをえない。

最近の阪本順治監督作品に、私は基本的な映画話法の乱れを感じる。例えば、世評では圧倒的な好評で迎えられた「闇の子供たち」についても、私は幕切れに大いに疑問を感じた。主人公の江口洋介も幼児愛好者だったという衝撃の結末のようだが、それをピシッと印象付けて描いていない。

あまりにも思わせぶりな描写なので、私は映画ファンの友人達に、「そういうことでいいの?他に何かあるの?」と聞いた。友人達は「それでいいんじゃないの」とアッサリした返事だった。そうならば、もっとキッチリとビシッと印象付ける必要があるだろう。少なくとも昔の撮影所システムの映画だったら、こんな曖昧な表現は許されまい。こんな語りを許してしまう映画観客の鑑賞眼の方にも問題があるのではないかと、あまりこういう言い方はしたくはないのだが、オールドファンの私は、思ってしまうのである。

「カメレオン」に至っては、もっとひどかった。ヒーローの藤原竜也が銃弾の雨を浴びて絶命したと思ったら、しゃあしゃあと生きていて殴り込みしてくるのである。これも映画ファンの友人達に「防弾チョッキを着けていたってこと?」と聞いたら、友人達から「そういうことでしょ」とこれもアッサリした返事だった。そんな前提描写もあったような気がしないでもないが、それならそれでなおさらそのことを潜在的にキッチリ印象付けておいて、クライマックスでアッと言わせる映画話法が必要なのではないか。

「行きずりの街」でも、かつての赴任高校における乱闘で、仲村トオルがピンチに陥った時、黒板の上に隠されていた木刀を取り出して反撃に出る。この木刀って何なの?この質問はシンポジウムでも出た。回答によると、何だか知らないが暴力ツッパリ生徒の対応のために、教師の護身用として隠しておいたものらしい。でも、そんな伏線はどこにも張られていなかった。少なくとも荒井晴彦さんの脚本ならば、さり気なくその伏線をどこかに張っておいて、木刀の出現でオォッと唸らせたことと思う。

●そして盛り上がらないシンポジウムへ
私は、この映画についてシンポジウムで発言する気力は、完全に萎えた。喋りだしたら期待外れだったと、酷評しか出てこない。シンポジウム会場も完全に冷えている。パーティーでも阪本監督と話す気も失せ、ついに一言も言葉を交わさなかった。でも、今になって考え直せば、何だか実にもったいないことをした気が、しないでもない。

阪本順治監督と仲村トオルさんをゲストに迎えてのシンポジウムが始まる。最初に口火を切ったのは常連のYさん、当然辛口批評である。続いては作品の好悪に関わらず、必ず発言するのを信条としている「失礼します!O」さん、これも当然ながら辛口である。阪本順治監督は、「まあ、映画は乗れるか乗れないからですよ。あなた達は乗れなかったんですね」と、全く突き放した言い方である。

シンポジウムは完全に低調になる。司会者が発言を促しても、ほとんど挙手する人が出てこない。去年のクロージング作品の角川春樹監督作品「笑う警官」よりもマシなんて、皮肉な批評としか思えない発言まで出てくる。でも、私に言わせれば、角川流映画話法が、題材とのミスマッチで空振りに終わった「笑う警官」の方が、まだ観るべき要素があった。阪本監督が「角川さんより私の方が、映画は解っているつもりですけどね」と言ったところで、空しき限りである。

挙手も無く、シンポジウムは司会者の要請に関わらず沈黙が続く。ここで常連「キューブリック」さんからの、猛反撃発言が出る。「みんなスネてるんですよ。前のシンポジウムで常連の人の発言を制限するから…」との前置きで発言が始まる。あのー、「キューブリック」さん御自身はともかく、私が黙ってるのはスネてるわけじゃありません。嫌いなこの映画について私が発言したら、酷評になって、私も監督もいい気分になれそうもないので、沈黙を守っていただけでございます。

例によっての「キューブリック」さんマイペース発言が延々と続く。しかし、最後に意外な展開になる。突如「キューブリック」さんが、締めの段階で仲村トオルさんに、「トオルちゃ〜ん」と呼ばせてもらっていいですか」とやったのである。突然の申し出に仲村トオルさんは、「ええ、まあ、それはもう…」と戸惑いながらの苦笑いである。「キューブリック」さんは、明るく「トオルちゃ〜ん」とやった。これは、教育者出身の生真面目そのものの「キューブリック」さんを知る人にとっては、かなりおかしい。他の人では、あまりおかしくないだろうが、とにもかくにも場内は笑いと拍手に溢れる。

「キューブリック」さんとしては、「失礼します!O」さんが、これまで天然の笑いを取り続けて来たので、負けずに笑いを取ろうとしたのだろうか。確かに自己チュー発言を延々と続けるよりは、場内は楽しい。荒井晴彦さんも「失礼します!O」さんの奔放な発言を、「楽しい」と認めている。しかし、悪影響でもあると思う。こういう形で、シンポジウムが単に笑いを取るだけの別の次元の場にスベっていったら、何だか本質と違うような気がする。少なくとも、シンポジウムにおける話芸のあり方ではないだろう。私は今後も、こうしたことだけには乗らないようにしたい。

ガチガチの仲村トオルのファンみたいな女性から、「仲村トオルさんって、何でそんなかにカッコいいんですか?」との質問は楽しかった。仲村トオルさんも、何ともかんとも答えるすべもなく、ひたすら照れまくっていたのが面白かった。

まあ、そんなことが印象に残る程度だったのが、このシンポジウムが私にとって低調だったことを示しているとも言える。

●エピローグ そして次のステージへ
こうして、最終日のパーティーに入る。最後の「行きずりの街」で冷えてしまった私としては、気分的に全く盛り上がってこない。ただそれだけではなく、後述するが、ますます私にとって「湯布院映画祭」は日常のイベントの一つに降臨し、年に一度の区切りにならなくなってきたことも遠因の一つだ。

最終日パーティーの伊藤雄委員長の挨拶で、来年をもって勇退することが告げられる。再来年以降の新生「湯布院映画祭」は、どう展開していくのだろうか。

最終日のパーティーで話した人の中には、「失礼します!O」さんに誘われてきた何人かの新規参加者が少なくなかった。これは「失礼します!O」さんの活動として、大変な快挙である。映画祭の新生は、実行委員の交替もさることながら、こういう新規参加者が増えることも、マンネリ化を防ぐ上でさらに大切なことなのだ。

「失礼します!O」さんは、地元の滋賀で、活発な映画サークル活動をされているそうだが、そこで広く「湯布院映画祭」の素晴らしさを呼び掛け、参加を促しているそうなのである。もちろん、そういうことは私もやっているが、現実に映画祭にまで来たのは、「映画友の会」のSさんが1年だけ、夏の家族旅行も兼ねて参加しただけである。「失礼します!O」さんが、何人も地元の友人・知人を映画祭参加にまで至らせているのは、本当に大変な努力なのだ。

「湯布院映画祭」の私の話を聞いて、「いいね」「楽しそうだね」「行ってみたいね」と言う映画の友人は沢山いる。しかし、実際に参加させるまでの、後ひと押しというのが、大変なことなのは、私の実績を顧みれば一目瞭然だ。「失礼します!O」さんの活動実績に感嘆する所以である。

私は「蛙の会」の場で活弁の公演に出ている。「面白そうだね」「観たいね」「是非、行くよ」「その時は声をかけてよ」そんな風に言う人はかなり多い。しかし、実際に販売チケットを目の前に出すと、何だかんだと簡単には買ってくれない。買っていただけるまでには、物凄いエネルギーを要する。失礼な言い方をすればお客さんなんて、「百人に網かけて、一人引っ掛かればいい方」なのである。本当に残りのひと押しが、大変なのである。

そして、やっと来てくれた人にその楽しさを感じてもらい、リピーターとして継続して来ていただけるようになるのは、さらにさらにエネルギーを要することなのだ。「蛙の会」も「湯布院映画祭」も同様だ。だから私は「失礼します!O」さんのエネルギーに感嘆するのだ。願わくば「失礼します!O」さんには、さらに新規映画祭参加者を増やすと共に、それらの人たちをリピーターとして定着させ、湯布院に新しい風を吹かせる起爆剤になってほしい。いや、もちろん他人事ではなく、私もそういう努力は続けていきたい。

パーティーが終わる。恒例の私設総括会に雪崩れ込む。昨年同様に実行委員の重鎮の横田茂美さん、小原直樹さんが、オブザーバー参加してくれる。今年の参加者は19名に膨れ上がり、女性も艶やかな和服が定着したM女史の他に、私のmixi繋がりの「るき乃」さんなど4名を数えた。(売れっ子「お馴染みおたべちゃん」が、最終日は別の御座敷があり、例年不参加なのは残念なところだ)今年のもう一つの残念は、昨年初参加された映画評論家で常連ゲストの野村正昭さんが不在だったことだ。もっとも、こちらの方も仕事の都合で、すでに湯布院の地を発っていたのだからいたしかたない。

35周年ということもあり、今年は共同テレビのマスコミカメラも入り、昨年よりもさらに盛り上がる。「旧作映画ベスト」「新作映画ベスト」「今年のシンポジウムに思うこと」「実行委員会に対する要望・意見」と、いつもの名古屋のIさんの名司会で、輪番発言で淀みなく進行する。ベスト3は以下のように集計された。

旧作映画ベスト3
   1.盲獣  2.赫い髪の女  3.歓びの喘ぎ 処女を襲う
新作映画ベスト3
   1.パートナーズ  2.キャタピラー  3.僕らは歩く、ただそれだけ

映画祭のあり方では、今年は会場が何ヶ所にも分散したことの可否が話題になった。この総括会では「集中できない」との、否定的な意見が少なくなかった。私は、「SF大会やコミケ(10万人規模のイベント・コミックマーケットの通称)のように、到底観きれないイベントが乱立し、参加者がそれを選ぶという祭りのあり方もあるが、湯布院には馴染まないのではないか」と意見を述べた。

ところが、実行委員の重鎮の横田茂美さんから、意外な回答が返ってきた。「湯布院に馴染まないって、そんなこと誰が決めたんですか。夕張だって東京国際映画祭だって、いくつかの会場に分散し、それを参加者が選んでいく形じゃないですか。むしろ、そうしたあり方が映画祭の主流でしょ」とのことだった。

そのとおりである。SF大会やコミケを引き合いに出さなくとも、むしろ映画祭の常道・定番は、そうした形かもしれない。「湯布院映画祭」がそんな形になったら、それは凄いスケールアップだ。そんな「湯布院映画祭」リニューアルも射程内にあるらしい。伊藤雄委員長引退後の湯布院は、今後どんなさらなる発展を遂げるのだろうか。夢は広がっていく。

こうして、今年も名古屋のIさんの名司会で、午前2時ジャストで、私設総括会もお開きになった。終わったな。今年も…。でもそんな感慨は何もない。冒頭に記したように、私にとっては、mixi仲間を中心にした人間関係が多分ここから来年まで連動していき、来年の「湯布院映画祭」は、きっとその日常の坩堝の延長戦と化しているような気がする。

もう一つ、今年はまた9月に映画祭が控えているのも、「湯布院映画祭」終了の感慨を少なくしている理由だろう。ロサンゼルスでの「boobs and BLOOD! International Film Festival」9月24日(金)〜26日(土)に参加するのだ。クエンティン・タランティーノ所有の劇場ビバリー・シネマでの開催である。湯布院が終われば、ロスへの助走が始まるのだ。

「湯布院映画祭日記」を書き終わり完結した今現在では、すでにロスの映画祭参加も終えています。そのレポートについては、ジックリ思い出しつつ、別バージョンでご披露したいと考えています。もはや一つの通過点に過ぎなくなった「湯布院映画祭日記」は、とりあえずこれをもって完結といたします。皆さま、ネット上で、あるいはオフ会などで顔も突き合わせて、今後ともいろいろな形でのお付き合いを、よろしくお願いいたします。
湯布院映画祭日記2010−7

●若松孝二台風、湯布院上陸までの道程
若松孝二監督が「キャタピラー」を引っ提げて湯布院入りする情報は、私にはかなり前から耳に入っていた。「映画三昧日記2010年−8」で記したように、久保新二さんの「生前祭フェスタ」のパーティー(いや、お清め?)で、監督自身の口からお聞きした。封切済の映画であることが気になったが、「いや、そんなこたぁ関係ない」と監督は意気軒高であった。

しかし、公開中の作品の「湯布院映画祭」参加は、やはりいくつかの課題を発生させてしまったようだ。まず、地元の興行者との兼ね合いがある。結果として客を喰いあう格好になるからだ。若松孝二監督と寺島しのぶさんが来るということなら、この際に湯布院まで足を伸ばして温泉に浸かりがてら「キャタピラー」を観にいくのも悪くないなと考える人も出て当然だろう。非公式な噂話で真偽の程は定かでないが、歩合を地元の興行者に払ったとかの話も小耳に挟んだ。

「キャタピラー」の一般公開料金は、若松監督の意向もあり特別に1300円、これに対して映画祭の前売映画券は1400円、当日券は1700円。私は全日券だったのであまり気にしなかったが、この入場料のすり合わせにも、いろいろ苦労があったようである。

でも、きっと若松孝二監督が、そこまでして割り込んできたのは、よっぽど以前来た湯布院の住み心地がよく、何としてもまた来たかったのだろう。実行委員会も、寺島しのぶさんも来るならば…と条件を付けたそうだが、そこもクリアされてしまえば、抵抗の仕様がないわけだ。

私が、若松孝二監督の湯布院行きを久保新二さんの「生前祭フェスタ」で知ったことをある実行委員の人に話したら、「それ、いつ頃のこと?」と聞き返された。5月29日(土)だと答えると、「参ったなあ。あのオッサン、もうその頃から来る気になってたんだ」と言っていた。もっとも、ご当人の前では「あのオッサン」呼ばわりはできないだろうが。

冒頭で私は、「キャタピラー」は若松作品としては、中の上か、よく言って上の下だと記した。その辺の感想を、「キャタピラー」を評価していないある監督に話したら、「冗談じゃないよ。下の下だよ」と酷評が返ってきた。ただし、「でも、本人の前では、まちがっても言えないけどね」と注釈がついた。

本人の前では言えない。確かに若松孝二監督は、そう思わせるだけの圧倒的な存在感と迫力がある。以前、映芸マンスリーのトークショー後の懇親会でも、あの荒井晴彦さんが圧倒されていた。若干、例によってのシニカルな笑みを浮かべて、疑義・反論を唱えるが、天下の荒井さんが、ほとんど借りてきた猫みたいな状態だったのである。

そう言えば、今年の映画祭のシンポジウムでも、荒井晴彦さんから若松孝二監督=「キャタピラー」の話題が出た。監督に「おい、寺島しのぶさんに出てもらうのに、○○万円でいいかな」って聞かれて、「俺、マネージャーじゃないんだから振るなって…」とボヤいたそうだ。でも多分、荒井さんは若松監督と寺島さんとのコネクションにひと汗かいたみたいだった。若松監督と荒井さんの、何とも言えぬ微笑ましい関係が感じられた。

いずれにしても、この一方的な快気炎を、トークショーとして立派に成立させてしまうのも、若松監督の凄みである。田原総一朗さんと違った意味で、やはり木戸銭の取れる喋りができる人であるのは間違いない。今年の湯布院においても、若松台風は健在だった。

●戦争を若松孝二流の密室劇で展開した「キャタピラー」
「キャタピラー」は、若松孝二一流の密室劇の形を借りて、戦争の悲劇を抉った力作である。古くは「胎児が密漁する時」や「犯された白衣」など、密室の中に人間存在の深淵を凝縮して描き切ってみせたように、若松=密室劇の伝統は長い。若松孝二にとっては、果てしなく続く「処女ゲバゲバ」の荒野も密室に見立てられ、「現代好色伝 テロルの季節」においても、テロリズムという大きな社会的テーマを、密室劇の中でコンパクトに表現してみせた。最近では「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」でも、連赤事件を「山岳ベースのキャンプ」と「あさま山荘」という二つの密室劇で、鮮やかに総括した。

「キャタピラー」は、手足・視聴覚・言語のすべて失いを軍神として返された傷痍軍人と、その妻との話である。決して密室ではないが、映画で描かれるほとんどが、この二人の家内の生活なので、形を変えた密室劇と言える。

ここで描かれる戦争の悲劇とは何だろうか。単純に言えば、重度身障者を介護することの大変さを、背負わされたことである。それだけに止まらず、それを軍神としてリヤカに乗せ、村を回るという重労働が、さらに課せられる。

これは、個人を襲った戦争の悲劇としては、かなり特異な一例である。というよりは、戦争が個人を襲う悲劇のあり方は、実は百人百様なのだ。ついつい我々は、戦争が個人が襲う悲劇の形を抽象的・平均値的に捉え、だから戦争はいけないと、観念論に落ち付いてしまいがちだ。この映画は、そうした一般論に逃げがちな我々の心の底を、見事に撃った。

映画はドラマの合間に、大東亜戦争の歴史的経過を、ドキュメンタリーフィルムと各種数値のタイトルで紹介していく。戦死者○○万人、民間犠牲者○○万人といった具合である。「キャタピラー」は、一組の夫婦を襲った特異な悲劇と、この無味乾燥な数値を対置させることによって、その数値の数だけ異なった形の悲劇があることを浮き彫りにする。数値が単なる数値の意味を越えてくるのだ。密室劇の形を借りて斬新な角度で、戦争の悲劇の巨大さを抉った若松孝二の快挙である。

●ただし、密室劇の凝縮力としては中の下
かなり絶賛した形にはなったが、しかし、これまでの若松密室劇の作品群、「胎児が密漁する時」「犯された白衣」「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」と比すると、凝縮力でかなり落ちる。私が若松作品としては中の上か、よく言って上の下といった所以である。

9月の「映画友の会」で「キャタピラー」はテーマに取り上げられた。私も含め、絶賛の嵐という雰囲気にはならなかった。若い頃シナリオ作家志望(今も夢は捨てていないのかもしれないが)のB氏は、否定的な意見だったので、これは全会員を敵に回す気で参加したら、私の意外な低評価も含め、拍子抜けしたようだった。

しかし、さすが淀川長治創設の「映画友の会」の面々だと思った。はっきり言って「キャタピラー」は、テーマの崇高さに対して、映画としては映像が痩せているのだ。これでは、「映画は眼で観せる」と淀川さんから叩きこまれてきた者を、感服させることはできない。

ただし、テーマ崇高、映像貧弱というのは、若松孝二監督の確信犯のような気がしないでもない。「湯布院映画祭」のシンポジウムのやりとりでも、それはチラリと感じられた。カメラマンのYASさんが、ディジタル撮影にしたことの理由を質問し、この映画には合っていないのではないかと、疑義を呈した時だ。「そんなことは、どうでもいい!」と若松孝二監督は、ケンもホロロだった。

ただ、シンポジウムの進展の中で、製作費からくる制約であり、監督も本当はフィルムで撮りたかったようで、ディジタル撮影は不本意だったような発言が、チラチラほの見えた。多分、苦渋の決断だったのだろう。後で小耳にはさんだが、このシンポジウムのやりとりが寺島しのぶさんには印象的だったようで、パーティーの時、YASさんが寺島さんの所に話しにいったら、「ああ、あの時に監督に突き放された人ね」と憶えていてくれて、話がはずんだそうだ。人間、何が幸いを呼ぶかわからない。

若松孝二監督としては、とにかく今撮らねばならぬという崇高なテーマ性がすべてで、細部の映画的リアリティは、あまり重視していなかった節がある。シンポジウムの中で、「キャタピラー」で帰還した傷病兵が、士官学校出でもない一般徴兵で「少尉」というのはおかしいのではないか、との指摘もあった。若松監督は、この件に関しても、言を曖昧にして、この映画の映画的リアリティの詰めの甘さを露呈した。

この件に関しては、9月の「映画友の会」でも、論議の対象になった。だが、実行委員の一人でミリタリー知識に異常に詳しいYさんから、解明があった。彼は2階級特進で除隊になった。だから、少尉の前は伍長だ。叩き上げの召集兵でも、伍長ならば十分に昇進できる可能性があるとのことだ。なるほど、言われてみればその通りだ。ただ、若松監督にそのあたりの意識はあったんだろうか。そうならば、ビシッとそのように解明してほしかったものである。

「映画友の会」のYさんの解明が、本当に適切であったのか否かは判らない。ただ、現実に軍隊経験のある湯布院参加者最高齢ランクの、浜松のT要さんによれば、「キャタピラー」は「全部がでたらめで見ちゃいられネェ」って感じだったみたいだ。この階級問題についても、T要さんはどう思っていたのだろうか。

若松孝二監督のこれまでの作品は、すべて現代劇であった。(「日本暴行暗黒史」の一部の江戸時代篇などを除いて)そういう意味では、戦前の時代を扱った「キャタピラー」は、若松監督初の、ある種の時代劇だと言える。今回の作品を観ると若松監督は、時代劇を通じてコクのある映像を紡ぎあげるという映画作家ではないような気がしてきたのである。

●圧倒的な寺島しのぶさんの演技
結局、痩せた映像の「キャタピラー」を豊かな映画にしたのは、寺島しのぶさんの演技に尽きると思う。ベルリン映画祭主演女優賞も必然だったと言えよう。ただ、それも若松監督の演出あってこそのものであることは、まちがいない。シンポジウムでは、そのあたりの秘密が続々と明かされた。

この映画はリハーサルが無く、本番一発撮影だそうだ。今や、ベテランの域に達した寺島しのぶさんにしても、そんなことは初体験である。しかし、若松孝二監督は、キッパリ言ったそうだ。「我々はプロです。指定された空間内で演じてくれれば、どう動いてもキチンと撮ります」とのことだった。それは、スタッフにとっても一発勝負の、凄まじい緊張感だったろう。

若松監督は、寺島さんは想像以上にやってくれました、と言う。例えば、夫の顔に玉子をグシャッと叩きつけ、なすりつけるシーンは、脚本では「玉子を投げる」しか書いてないんだからねえ、と感嘆する。「芋虫ゴ〜ロゴロ」を歌うシーンでも、ただ「歌を口ずさむ」との記述しか脚本には無かったそうだ。

「芋虫ゴ〜ロゴロ」は、私も鳥肌が立った。「胎児が密漁する時」のラストシーン、志摩みはるの「シャボン玉飛んだ」の童謡を思い出したからだ。これは完全に若松孝二の脚本だと思っていた。そうではなく寺島さんの演技の発露だったのだ。完全に寺島さんと若松監督は、心情的に連帯していたのだと思う。

終戦を迎え、複雑な心境で天皇陛下の御真影を見上げる寺島しのぶさん、あまのりの入魂ぶりに、若松監督も一瞬危惧したそうだ。まさか、ここで御真影を叩きつけ踏んずけることはしないだろうな、いくら何でもそうなったら俺は右翼に殺されるよと、ユーモラスに語っていた。さすがに入魂の寺島さんも、そこまでには至らなかった。

楽しかったのは、若松監督が「試写会に寺島さんのお母さんが来たんですよ」と、急に殊勝になったことだった。「だって、皆さん、あの藤純子さんなんですよ」若松監督にとっても藤純子(現・富司純子)さんは、神聖犯すべからざるミューズだということだ。天下の若松監督もビビる相手がいるということである。「私の娘を裸にして、こんなこと演らせて!」と怒られたら、どうしようと思ったそうだ。でも、試写終了後は、「素晴らしい映画に出していただきまして」と、丁重にお礼を述べられたそうだ。

若松孝二監督は、でもベルリンで寺島さんが賞を取ってよかった、そうじゃなかったら、右翼ともめごとを起こして、それを宣伝に使うしかないかなと思っていた、と冗談混じりに言っていた。スキャンダリスト若松孝二の面目躍如たる発言である。

シンポジウムでは、「監督は右翼が怖くないんですか」との質問があった。「別に、僕は右翼の鈴木邦男とも友達だし、第一、僕は右でも左でもないですよ。真ん中ですから」とアッケラカンとした感じだった。でも、前述の「右翼に殺される」とか「右翼ともめて宣伝に使おうか」とかの発言から鑑みて、やっぱり若松監督はベテランの狸である。(これは讃辞です)

若松監督、寺島しのぶさんとの、パーティーとの会話あれこれ
私は、結局シンポジウムの発言を控えた。シンポジウムの初っ端は、いかにも若松監督らしく、こっちから話してもしょうがないでしょう、皆さんドンドン意見を言ってください、と始まったのだ。そうしたら、映画と関係なく、いきなり監督に対し「団塊の世代論」を吹っかけた参加者がいた。後で詳述するが、これはこれで面白い展開になったので、まあ、私の映画ファン的なマニアックな「若松映画密室論」なんてことは、直にシンポジウムでお話できればいいや、と思ったからだ。

とは言え、人気ゲストの若松孝二監督と寺島しのぶさんである。いわゆる「園遊会状態」になって、パーティーではゆっくり話せるかなと危惧していたらさにあらずで、意外と話す時間を取ることが出来た。ゆふいん麦酒館のパーティーでは、監督も寺島さんも、目立たない隅の椅子にずっと座っていた。めざとく発見した私は、早速おしかける。

若松監督には、私の持論である「若松映画密室論」を語り、スケールの大きい題材をコンパクトにまとめる素晴しさを力説した。ところが監督の方は、「こっちは金が無いんだからね。いろいろ考えますよ。そういうことを考えない他の監督が、頭悪いんですよ」と、アッサリすかされてしまった。

寺島しのぶさんには、2003年以来どうしても言いたかったことが、やっと言えた。この年の「湯布院映画祭」で「ヴァイブレータ」を観た時、私は主演女優賞を確信したのである。ただ、この年は寺島さんの回りは園遊会状態で、ついにそれを伝えられなかった。結果的には、私の予想が的中し、寺島さんは女優賞各賞を総ナメにした。2010年の今、そんなことを伝えても証文の出し遅れにしかならないのだが、私としては自己満足した。

「キャタピラー」については、これは女優の映画で、女優賞の映画です、と絶賛した。でも寺島さんは、いえ、これはやっぱり監督の映画です!と、ここだけは絶対に譲らなかった。シンポジウムの話しを聞けば、寺島さんがそう力説するのは無理はない。でも、私としては、「キャタピラー」は、痩せた映像を女優・寺島しのぶの存在が、ふくよかに膨らませた映画との評価は変わらない

●団塊の世代を考える
若松孝二監督を迎えたシンポジウムの冒頭に展開された「団塊の世代」論議に話をもどす。最初に参加者から「監督は団塊の世代をどう思うか。そして、その思いを映画で描いてもらいたい」と、投げかけられたのである。

若松監督は、かねてから「団塊の世代」には批判的だった。若い頃に革命ごっこで騒ぎ、社会に出たら一転、高度経済成長管理社会構築の走狗となり、今は年金の心配だけしている度し難い存在ということだ。その怒りは2007年「実録・連合赤軍」を引っ提げて湯布院に来た時も、激しく吐露された。

ただ、今回の若松監督の答は、前回以上につきはなしたものだった。「団塊の世代なんて、どうしようもないものは描く気がない。誰か他の暇な人に描いてもらったらいいでしょう」と、ケンもホロロに近い対応だった。

若松孝二監督には、団塊の世代=全共斗という観念が染みつき過ぎているのだと思う。実際は団塊の世代の高校進学率は6割程度で、半数近くは義務教育終了後、私同様にすぐ社会に出ているのである。そして、高校進学者の半数弱しか大学に進学していないのだ。つまり、全共斗=大学生は、団塊の世代の2〜3割程度なのである。それが、革命ごっこを「楽しみ」、社会に出たら高度経済成長管理社会確立の走狗となり、言論界のほとんどを牛耳って、同世代の7〜8割を抑圧したのである。

2007年の時も、「団塊の世代=全共斗ではない」との発言が参加者からあったが、今回の発言の中にも、むしろ抑圧された大多数の「団塊の世代」を、若松孝二監督だからこそ抉れるのではないかとの、期待の表れがあったと思う。高校中退で東北から上京し、ピンク映画の下働きからヤクザの組員まで経験した文字通りの叩き上げの若松監督、そんな監督だからこそ、「団塊の世代」の真の姿が描けるという期待でもあるのだ。

2007年のパーティーで、私は監督の「われに撃つ用意あり」で叩き上げの蟹江敬三の刑事がシンパシーを持って描かれたことを引き合いに出し、そのあたりの期待を表明した。しかし、若松監督の答は「警察にも良い人も悪い人もいる。どこの世界もそうだ。ただ、そんなことは関係なく、警察という権力機構そのものが悪だ」と、関係ない方に滑っていってしまった。抑圧された「団塊の世代」を描いてもらうには、若松孝二監督ではなく、別の誰かに期待するしかないと、その時痛感した。

●鈴木清順問題共闘会議の思い出
昭和42年、革命ごっこに狂じていた大学生は、権力打倒近しと浮かれていただろうが、我々高卒以下の社会人の眼から見れば、高度管理社会は完成の目前にあり、最後の仕上げとして学内弾圧にその牙が向かっていたのである。

そんな時に立ちあがったのが、「鈴木清順問題共闘会議」だった。スタートは、ささやかなものだった。川喜多和子さんが活動していたシネクラブが発端だった。当時20歳だった私は、シネクラブ会員だった。ロードショー以降、まったく公開の機会が閉ざされていた「博士の異常な愛情」上映会がなされたのが、入会のきっかけだった。今では歴史的名作として定着しているキューブリックのこの名作は、当時はこんな扱いしかされない絶望的な不入りだったのだ。

そのシネクラブで、鈴木清順映画の連続上映会が企画された。ところが、かねてから鈴木清順監督の日活プログラムピクチャーからやや外れた特異な作風に反感を持っていた当時の堀久作社長が、清順監督を解雇したのである。「鈴木清順監督は解らない映画を作る。解らない映画はよくない映画である」という迷言は、今でも記憶に残している人がいるだろう。

これだけならば、映画監督の労働・人権問題で、ファンとしては大きくコミットする問題ではない。しかし、そこから先の発言は通り過ごすわけにはいかなかった。「解らない映画は日活の恥である。だから、シネクラブへの鈴木清順監督の映画の貸出は拒否する」ここまででも商取り引きの問題で、会社は顧客を選ぶ権利があるので、まあしょうがないだろう。問題はその後だ。「だから、今後シネクラブに限らず、日活の恥である鈴木清順監督の映画は、いっさい貸し出さない」

これは表現の自由として、由々しき問題である。いかに著作権を有する製作会社と言えども、そこまでの封殺の権利はないと思う。当時、私は積極的な清順シンパではなかった。ガチガチの東映派である私は、「野獣の青春」あたりが何でみんなそんなに絶賛するの、一風変わった調味料のハードボイルドアクションに過ぎないじゃない、といった程度だった。しかし、事は清順映画が好きかか嫌いかなんてレベルの問題でない。こんな一映画作家の全面封殺を、断じて許せないと思った。

川喜多和子さんから、シネクラブとして抗議デモを行うという通知が来たのは、そんな時だった。微力ながら、私も一員として馳せ参じた。有楽町にあったシネクラブ事務所に参集し、鈴木清順映画のスチールを拡大したプラカードを背と腹とに提げ、片手にも掲げるというスタイルに身を固めた。

コースは、今のシャンテ通り、当時は日比谷映画劇場・有楽座・スカラ座・千代田劇場・みゆき座・東京宝塚劇場・芸術座と軒を連ねていたいわゆる東宝ブロードウェイと称された通りだ。この格好で静々とそこを行進したら、世間一般のデモのイメージと全く違ってインパクトがあるよなあと、ワクワクしていた。そして、日比谷公園で解散するのが、予定コースだ。

当時、この近くには日活本社もあったが、その前の通りは警察から許可が出なかったそうだ。そこで川喜多和子さんから、解散後もプラカードはそのままに、できるだけまとまらないで、三々五々に日活本社の前を通り過ぎて、シネクラブ事務所に再集合して下さい、との粋な指示だった。なるほど個人としてどんな格好をして歩いたところで、文句のつけようもないわけだ。あるいは、警察もそのあたりは大目に見ていたのかもしれない。

だが、警察の危惧は、全く別のところにあったらしいことが、すぐ気付かされることになる。いわゆる東宝ブロードウェイに行進が入った所で、当時まだ若くて元気だった映画評論家の松田政男さんを先頭とした20人程の全共斗赤ヘル軍団が、乱入してきたのだ。私は、こんなルーチンワークのデモにしちゃったら、主旨が生きないよなあと、一瞬心配になった。

しかし、彼等は扇動のプロである。アッと言う間にシネクラブのデモ隊も、その渦に巻き込まれる。「日活粉砕!清順観せろ!!」の大シュプレヒコールと、激しいジグザグデモである。警官隊が警備のガードを固める。これ違うよなあと、内心は思っている私も、いつしかその興奮に巻き込まれシュプレヒコールを絶叫していた。

このデモの写真は、当時の「映画芸術」誌上に掲載され、私も結構ハッキリ映っている。意識しなかったが、多分この時が荒井晴彦さんとの初遭遇だと思い、後年「湯布院映画祭」でこの話題を出したが、この日のデモには荒井さんはいなかったそうだ。

激しいジグザグ行進の果てに、解散地点の日比谷公園に到着する。先頭の何人かが、警官隊に拘束される。「ナンセンス!ナンセンス!」の怒号の渦、ついつい扇動に乗って激しいジグザグデモをやってしまったが、興奮が冷めてくると、これじゃ違うという感じが強くなってくる。「僕達が抗議したいのは、こんな形のものではないんです」と、警官に説明しているシネクラブの会員もいた。

公安もそこは巧みで、我々にはやさしく「解ってます。解ってます。とにかく解散地点ですから、プラカードを外して帰ってください」。結局、プラカードは外さざるをえなくなり、この姿で「個人的」に日活に示唆するという川喜多和子さんの「高度な戦略」は、パーになってしまった。この後も赤ヘル軍団は、締め切った日活本社のシャッターを叩き、警官隊と揉み合っていた。

映画が好きだといろんな物にまきこまれるよなあと、職場で雑談していたら、上司が血相変えて飛んできた。あげくの果ては「日活が映画を貸さないと決めたならば、それは会社の方針として正しい。お前の考えはまちがっている」と説教されてしまった。そう、当時の高度管理社会完成前夜には、この程度の自由だって社会にはなかったのだ。

ただ私は、会社には積極的に言う必要もないので、この後も「鈴木清順問題共闘会議」のティーチインなどには参加し続けた。しかし、全共斗グループに乗っ取られた感のあるこの会議は、「日活資本粉砕、独占資本粉砕」と、何だかピントの外れた方向にシフトされてきた。当初の中心だったはずの川喜多和子さんもだんだんとスポイルされてきた感があった。

ティーチインで続く政治的発言にウンザリした私は、シネクラブ会員として、率直な意見を述べた。「私は観たい映画を観たいだけのファンに過ぎない。我々が映画を観るとしたら金を払うしかない。これが、社会主義だったら、官僚を丸め込むとか他の手立てもあるでしょうが、今の日本では、金を払って観るすべしかないんです。ところが、鈴木清順映画は、金を払っても観せないと言っている。だから問題なんです」

この発言は大変だった。「ナンセンス!貴様!社会主義をそんな観点でしか捉えられないのか!」さすがの私も引いた怒号の野次の渦だった。まあ、そんな風に革命の志を貫きとおしたなら、私も何も言わない。そして、貫きとおせば、きっと世の中は変わっていたはずだ。管理社会に抑圧されていた社会人の我々は、同世代の自由な大学生の改革を求める生き方に期待していたのも事実だ。だが、世の中は変わることはなかった。

許せないのは団塊の世代の高学歴者のほとんどは革命ごっこを単なるファッションとして通過して、一転して我々下積み・叩き上げを抑圧する管理者の尖兵となり、高度経済成長管理社会をより強固にしていった点である。さらに、その2〜3割の連中が、マスコミなどの言論までも支配して、現在にまで至っているのだ。そして、信念を貫いたかに見えた者は、孤立・自滅していった。連合赤軍の悲劇は、限りなく重いと思う。

●当時の機動隊の若者に思ったこと
1970年前後の頃、マスコミも含めた世間の雰囲気は、全共斗を理不尽な国家権力と闘うヒーローといった趣きで迎えていた。(もちろん右傾思想の徹底的アンチも少なからずいたが)そうなると、彼等に対峙する機動隊は、弾圧の象徴・国家権力の暴力装置という捉え方になってくる。

私は、その風景にひどく違和感を感じていた。機動隊とて、あの防具を外せば全共斗と同じ若者である。いや、むしろ高卒者が大半を占め、叩き上げの私に近いポジションにあるのではないだろうか。高学歴キャリヤの警察官僚が、叩き上げの人間を支配するという構図は、昔も今もあまり変わらない。

この当時のマスコミは、肯定・否定の視点を問わず、全共斗の若者達の主張は積極的に取り上げた。しかし、防具の奥に秘められた機動隊の若者の素顔は、ほとんど取り上げられることはなかった。私は、ひどくその奥にある同世代の若者の顔に、興味をそそられた。

一度だけ、ニュース特番だったか、ドキュメンタリー特集だったかで、機動隊の若者達が取り上げられたことがあった。しかし、話すことは「暴力は許せません!我々は治安を守ります!!」と、極めて紋切り型であった。そして、「尊敬する人は?」との質問への答も、ほとんどが「○○機動隊長です!」と十人一色だった。でも、むしろ私は、そこに私と同じ若者の潜められた真実の声を聞いた。

鈴木清順問題でシネクラブのデモに行って、上司に説教されたことは前に紹介した。大企業を含んだ当時の大組織は、そのようにほとんど管理社会の締め付けを完了していたのだ。全く個性の感じられない機動隊の若者群の彼方に、私は、抑圧されている同世代の若者の切ないまでの、心のきしみを感じたのである。

そして、世代の中の2〜3割の高学歴者は、ある時期から革命ごっこは終わったとばかりに社会に順応し、残りの7〜8割の団塊の世代を抑圧する側に回り、マスコミなどの言論も牛耳るのである。

私は、叩き上げである若松孝二監督が、「われに撃つ用意あり」で団塊の世代の叩き上げ刑事の蟹江敬三を、原田芳雄の全共斗崩れのマスターと対比させ、無限のシンパシーを注いだのを見て、8割の抑圧された真の「団塊の世代」を描いてくれると期待した。しかし、それは期待できないようである。

前述した機動隊の若者に象徴される真の意味での「団塊の世代」の、心のきしみを描いてくれる人はいるのだろうか。未だに「全共斗」世代がマスコミ・言論を牛耳っている時代が続く限り、多分それは実現されることはないだろう。彼等が死に絶えた後、冷静に歴史として、そうした「団塊の世代」の真実があぶり出されてくるような気がする。もちろん、その頃は私もこの世の人ではないので、それを見届けることはできない。

若松孝二監督と参加者の、シンポジウムでの団塊の世代についてのやりとりをきっかけとして、ずいぶん関係のない話題に長々と飛び火してしまった。でも、それだけ若松孝二監督の存在は、刺激的だったということだろう。
湯布院映画祭日記2010−6

特別試写「nude」までのあれこれ
16時45分に「映画に愛された男と女 石橋蓮司&緑魔子」が終了し、特別試写「nude}上映開始が18時15分、1時間半の長丁場の休憩だ。しかし、昼の長浜ラーメンの替え玉が効いて、全く腹が空かない。もう、パーティーまで絶食して、パーティー料理をたらふく平らげようと、さもしい根性に決める。

宿の「牧場の家」に戻り、ゆっくり温泉に浸かる。こういう時は、温泉というのは実にいい。湯布院映画祭ならではの至福である。時間はタップリあるといっても、今日は映画祭2日目の金曜日、新作特別試写は人気を集め出す時期である。早目に宿を出て30分程度前に会場に入り、並ぶことにする。

2006年の「長い散歩」の時は、土曜日の夜という状況もあったが、のんびり温泉に浸かっていたら、立ち見になってしまったことがあった。2時間を越える長尺作品と知っていただけに、かなりガックリ来た。幸いに、映画はまあまあ私好みだったので、それ程疲れは感じないで済んだ。入場は、全日券・前売券・当日券の順であるが、最低限全日券の行列に並んでいないと、当日券のお客さんを打ち込んだ後に行ったのでは、立ち見も十分にありうるのだ。

「牧場の家」から会場に向かう。空はそんなに暗くないのに、ポツリポツリと雨が落ちる。盆地の湯布院では珍しくない。そのうち夕立のような激しさを増す。私は、湯布院映画祭中は、折りたたみ傘を持ち歩いていることが多い。晴れていても、昨年踏破した懐かしき由布岳頂上あたりでは、雲がかかっていることが多く、油断がならない。

傘をささずに何とか会場に駆け込もうと思う。折りたたみ傘というのは、濡れてしまうとバッグに入らず荷物になるので、できるだけ差ささなくて済めば済ましたいものだ。パーティの時など、さらに邪魔になる。しかし、雨足はスコールに近い状態にまでなってきた。仕方なく差すことにする。しかし、通行人は傘を持っている人は少ないようで、悲劇的状況になっている人も、結構いた。

何とか会場に駆け込む。傘はグショ濡れだ。パーティーまでには何とか乾かして、たたんでバッグに納めたいものだと思い、公民館の入口でバシャバシャ水を切っていたら、ちょうど「お馴染みおたべちゃん」が歩いてきて、もろに滴を浴びせてしまった。「人の方に向けないの!」また、顰蹙を買ってしまった。今年はなぜか「お馴染みおたべちゃん」に顰蹙を買うことが多い。

傘はロビーで広げたりして、民芸村のパーティーまでには何とかバッグに納まったが、パーティー中にまた雨足が強くなったりして、一瞬ヒヤリとしたのは、前述のとおりである。私は雨天の民芸村パーティーは未体験だが、知る人の言によると、屋内は場所が狭く、雨天時は芋を洗うような混雑で悲惨だそうだ。まずは、今年も屋外で最後まで開催できて、メデタシメデタシである。

●「nude」の感想
「nude」は、前述のように、監督・主演女優・プロデューサーをゲストに迎えてのシンポジウムもあったが、私としては印象に残った話もなく、それ故かパーティーでもほとんど関係者と話さなかった。そこでこの項は、私の感想を述べるだけに止めたい。シンポジウムでも、私は以下に記す感想を要約して、発言しただけだった。

「nude」は、国民的AV女優と称されている「みひろ」の自伝の映画化である。私は、ピン映画大賞選考者のはしくれであり(もっとも昔なら25本、今は20本以上の新作を観れば、誰でも選考者になれる。でも、プロの映画評論家でも、これだけ観ている者は皆無だ)、基本的にピンク映画を始めとして、ストリップ・ヌード写真・緊縛などのSEX産業について偏見はない。

「nude」は、公序良俗の世間の偏見に対して、堂々とこれも一つの仕事に過ぎないと宣言したのが、私には痛快だった。これに説得力を与えたのが、「みひろ」を自然体で演じきった渡辺奈緒子であり、さらに見事だったのはマネージャーを演じた光石研の存在感だった。AVも世の中にある仕事の一つに過ぎないといて、淡々と処理していく光石研は、実に見事にこの世界を体現してみせた。

ただし、私はピンク映画ファンであるから、SEX産業に偏見は無いといったが、実はAVについて若干の偏見があったのは事実である。ピンク映画に偏見を持つ者に対して、ことさら「AVとはちがうんだ!」と力説してきたのまちがいない。差別される者が、さらに別の者を差別するという陥穽に堕ち込んでいたとも言える。その点でも「nude」は、いろいろ考えさせてくれる映画だった。

私がSEX産業に偏見が無いのは、全てフィクションの世界だからだ。フィクションを構築するのは、最も人間らしい精神的営為であり、いかなるものでも蔑まれるべきではないと思うからだ。でも、売春は違う。これは、極めてプライベートな領域である性行為を、商業化したものであり、限りなくノンフィクションに近い。現実においての有無は別にして、日本では犯罪行為になる。

ピンク映画のフィクション性は(一部、映画作家的な意志でハードコアもあるが)、基本的にソフトコアということだ。ピンク映画の結合体位は、どう見たって実際に結合できるそれではない。つまり、現実では不可能なフィクション性によってエロチシズムを高めているのである。

だが、AVは違う。こちらは結合そのものを見せる極めてノンフィクション性の強いジャンルなのだ。主人公「みひろ」が、ヌード写真に端を発し、数々のSEX産業に関わっていくが、唯一AVに出演するのに特別なためらいを見せる根低にあるのは、本能的にそうしたものを感じたからだろう。

ただ、AVの結合でも、基本的にゴムは使う。子供を生むためのプライベートの結合とは、一線を画するからだ。ということで、これはギリギリのフィクションと言えるのではないか。「みひろ」の渡辺奈緒子と光石研による好演で、淡々と描かれた業界描写に、私はそんなことまで思わされた。しかし、ゴム一枚でノンフィクションから仕分けられたフィクション、考えてみれば恐ろしい時代になったものだ。

「みひろ」は、プライベートなSEXにおいて、恋人とのゴム装着云々の話になった時に、フィクションとしての仕事場が蘇り、ギクシャクとして冷え込んでしまう。やはりゴム一枚で仕分けられたフィクションというのは、一筋縄ではいかないのだ。「みひろ」の戸惑いもよく解る。それやこれや、いろいろ考えさせられた「nude」であった。

●平成22年8月28日(土)
映画祭3日目を迎える。本日のプログラムは以下のとおりだ。

第一会場 由布市湯布院公民館ホール(シンポジウムは視聴覚室)
 「少し不思議な映画 music 周防義和」関連上映
 「シコふんじゃった。」        10時   〜11時43分
 「歓びの喘ぎ 処女を襲う」      11時50分〜12時52分
 「東京マリーゴールド」        13時   〜14時37分
 周防義和とその仲間のトークアンドライブ  周防義和
                      tomo the tomo
                    15時30分〜17時
 特別上映「キャタピラー」       18時30分〜19時54分
 シンポジウム  監督・若松孝二 主演・寺島しのぶ
                    20時15分〜21時45分

第二会場 湯布院公民館視聴覚室
 「特別企画 短編映画上映会」
 「白鳥の歌」「風雲」         10時   〜11時20分

パーティー  ゆふいん麦酒館      22時   〜24時

さて、この日のスケジュール検討である。私は「シコふんじゃった。」「東京マリーゴールド」はすでに観ている。短編上映会でこれまでに観ていないのは「白鳥の歌」一本のみだ。そこで、「白鳥の歌」→「歓びの喘ぎ 処女を襲う」とコースを切り、以下は第一会場のイベントにすべてつきあうことにした。

●「特別企画 短編映画上映会」の最後の上映作品「白鳥の歌」
「白鳥の歌」は、前に上映された「帰郷☆プレスリー」と同様の「あきた十文字映画祭」製作作品だ。「帰郷☆プレスリー」は柄本佑監督作品だったが、今度はそのご両親の柄本明・角替和枝夫妻が競演している。町のコーラスグループを指導している元音楽教師・品川徹が主人公だ。コーラスグループに昔の教え子が帰郷して加わったことから、心がざわめき始めるが、亡妻の幽霊がチラつき罪の意識も感じる。幽霊を演じた角替和枝さんが、良い味をだす。最後は、二人の心に支えられて、冬の北国に「スワンソング」のコーラスが響きわたるという短編らしいホノボノ篇であった。

これで特別企画の短編上映会の作品は、すべて観賞済みとなった。最後にまとめて各作品の製作年度・製作者・上映時間・監督を紹介しておこう。

「花咲く少年の島より ふろたき大将」
                1954年 東映 45分 監督・関川秀雄
「ペダルの行方」
     2010年 ndjc事務局(VIPO) 30分 監督・金井純一
「帰郷☆プレスリー」
   2009年 ノックアウト=あきた十文字映画祭 36分 監督・柄本佑
「きみは僕の未来」
     2010年 ndjc事務局(VIPO) 30分 監督・浅野晋康
「天国のバス」
    2008年 ndjc事務局(VIPO) 30分 監督・郡司掛雅之
「白鳥の歌」
   2009年 ノックアウト=あきた十文字映画祭 48分 監督・斎藤歩
「風雲」
   2010年 「風雲」製作委員会=ノックアウト 3分×10本

なお、「風雲」の10本については、題名と共に、私の5段階評価を付記しておく。(5が最高点、カッコ内は監督名)
 「cataitsutsu」(今泉力哉)2  「最近どう?」(高橋悠)3
 「月の木あや」(Chiyomi)3  「都会的な男女」(森岡龍)3
 「まじょのち」(松本志野)5  「dog」(太田衣緒)2
 「深夜の訪問者」(ハック)4  「栓」(吉野耕平)5
 「どこへいく」(岡部尚)3  「3/22ドーナッツ」(柄本佑)1

「風雲」は三日間連日上映され、私は二日目にYASさんと観たことは前述した。この時の音響再生が実に悪かった。小さいということではなく、音声が割れて、実に聞きとり難いのだ。これはYASさんも同感だった。台詞のやりとりの面白さが命の(と思われる)「cataitsutsu」に2点しかつけていないが、あるいは再生がよければ評価はもっと上がったかもしれない。この件については、終映後YASさんが、実行委員に指摘していた。三日目の上映では改善されたのだろうか。

いずれにしても、こうして私にとっての有意義だった「特別企画・短編上映会」は、幕を閉じたのであった。

湯布院に吹くピンクの風再び「歓びの喘ぎ 処女を襲う」
「少し不思議な映画 music 周防義和」特集の中で上映された「歓びの喘ぎ 処女を襲う」は、タイトルでズバリ明白のようにピンク映画である。監督は高橋伴明、高橋プロダクションと新東宝の共同製作による1981年作品だ。「特集・日本映画の新しい風」2001年「湯布院映画祭」における「OLの愛汁 ラブジュース」以来、約10年の時を経て、湯布院にピンクの風が再び吹き抜けた。

かつての活動家で、今はしがないバーテンをしている下元史朗が主人公だ。革命の挫折を背負い続けているような彼は、そのうっ憤を愛人に対して徹底的にぶつける。SEXはサディスティックだ。部屋を明るくして、めいっばい股を開くように命じ、自らの指でさらに性器を押し広げることを強要し、オ××コを始めとした卑猥な言葉を女に吐かせ続ける。これはエロい。我々の加虐的な興奮を煽る。高橋伴明は、ピンク・エンターテイナーとしての実力も、十分なのだ。

しかも、そのエロさは、男の屈折した心情をブローアップしているのである。ピンクとして十分にピンクであり、尚且つそれでしかできない映画表現に到達している。優れたピンク映画とはこういうものだろう。ピンクに名を借りて、ゲージュツ(あくまでも芸術ではない)を気取るのは、ニセ物ということだ。

下元史朗は、突如バーテンに似つかわしくない丸刈りにしてしまう。商売に差し障ると言うマダムを、ここでも強引にサディスティックに犯して立ち去る。生活の糧を失い、愛人に妊娠を告げられると、逃げるように故郷にもどっていく。新宿の雑踏で、かつての左翼活動家の彼が、右翼の街宣車を何とも言えぬ表情で見つめる。丸刈りの下元史朗の佇まいが味わい深い。

彼の故郷は有明海、水俣病発症の血だ。そこには父と妹が暮らしている。海は汚染され、もはや漁はできなくなっているのだが、それでも漁師の父親は黙々と魚を獲り続け、食卓に乗せて、黙々と娘と二人で食べ続ける。二人は水銀に犯されていく。下元史朗の妹を演じるのは山路美貴、彼女は水銀で次第に脳を犯される。そんな彼女を、漁村の若者たちが集団レイプする。脳を犯された彼女には、もはやそれも快楽としてしか感じられないようになっていた。色情狂と化し、日夜たがわず、相手の男もたがわず、「してくれ〜してくれ〜」とせがみ続ける。父親はその不憫さに、涙と共に我が娘を抱く。

下元史朗が帰郷したのは、そんな地獄の真っ只中だった。やがて父は水俣病で衰弱死し、「してくれ〜してくれ〜」とせがみ続ける山路美貴だけが残される。もはや彼女は色情狂を大きく越えて、聖少女のような輝きさえ発してくる。この時代に数々の作品で描かれた高橋伴明作品の汚れた聖女の魅惑が、ここでも光彩を放つ。もはやここに至ると、父と娘の、そして兄と妹の濡れ場は、エロいよりも切なさしかない。前段のサディスティツクな濡れ場が激しかっただけに、その切なさが一層際立つ。ピンク映画ならではの優れた表現というものは、こういうのをいうのだろう。

下元史朗は、父と同じに漁を続け、父と同じに妹を慰め、そして二人は汚染された魚が乗せられた食卓を囲む。行きつく先は無限地獄だろう。革命の夢は挫折し、高度経済成長に吸収され、そして吹きだまりに寄せられた者たちは奈落に落ちていく。時代に取りこぼされた人々の怨念を、鮮烈に叩きつけた秀作であった。

原題「死に急ぐ海」、良いタイトルだ。ピンク映画は原題に関係なく営業が、目一杯エッチな言葉を羅列して、公開題名をデッチあげる。ただ、感心するのは、単にエッチな言葉の羅列だけでなく、作品内容と不可分に一致していることだ。この映画のタイトルも「歓びの喘ぎ 処女を襲う」、決して嘘は言っていないのである。しかし、こんな題名ばかり考え続ける営業さんも大変だなあ。頭おかしくなってこないだろうか。ご同情申しあげます。

終映後、お固い(と私が勝手に思っている)「失礼します!O」さんに、「あくまでも『歓びの喘ぎ 処女を襲う』ではなく『死に急ぐ海』として観ていただきたいんですけど、どうですか。」と、感想を聞いてみた。「素晴らしい!こういうのだったらピンク映画でもええ」とのことだった。私は「いや、優れたピンク映画は、みんなこの水準ですよ。今年の私のピンク映画ベストワン『欲望の酒場』(原題「STAGE」)なんてウィリアム・ワイラーです。」と言ったが、「ほんまですか?」と半信半疑だった。映画ファンの中でも、まだまだピンク映画に対しての偏見は根強い。

●ここで私は、とりあえずの一息
12時52分、「歓びの喘ぎ 処女を襲う」終映、次の予定「周防義和とその仲間のトークアンドライブ」開演の15時30分までは、まだかなり間がある。とりあえず、ビールを交えた昼食である。昨年までは無かった店で、団子汁定食を頼む。でも団子汁+ライス、それにビールって、前述したように連日のガッツリ朝食に加えて、喰い過ぎだよなと思いつつ、旅先の勢いで平らげてしまう。

さてこの後に何をするか、まずは宿の「牧場の家」にもどり温泉を一風呂浴びることにする。今日はあまり歩いてないな、何歩くらいかなと、万歩計に目を落とす。何と!信じられないくらい動いていない。いくら何でも嘘だろ!と思う数値だ。そのカラクリが、段々と解ってきた。私は短パンのバミューダを着用していた。腰骨で止まるので、ベルトレスだ。連日の大食で、完全に出っ腹になってはいるが、確実に腰骨で止まるからバミューダは落ちない。でも、腹の部分だけは大幅に下落するから、足と連動して万歩計が動かなくなるようなフリー状態の位置になってしまうのである。こりゃ大変だ、とにかくバミューダ前部が腹出によって落ちないようにベルト締めしようと、ベルトのためにも「牧場の家」にもどることにしたのである。

そもそも、映画祭真っ盛りをすり抜けて、すでに観た映画の時間を活用し、温泉に浸かったりサイクリングに行ったりしているのは、湯布院では私以外にあまりいない。ほとんどの人は、ドップリ映画祭漬けである。その意味では、何か「牧場の家」で盗難事故があったら、私が第一容疑者になりかねないな、なんてあらぬ妄想も頭を横切る。ところが、今回は部屋でYさんが熟睡していた。なる程、連日の3時近くまでの宿の懇親のために、すでに観た映画の時間を、体力温存にあてているのは、私だけではなかったんだととりあえず悦に入るが、事態はもっと深刻だったのを露知らず、私はその時は温泉に浸かって、身支度をし直して、「牧場の家」を後にしたのであった。

さて、まだ時間がある。ここはひとつサイクリングと、いつもなら思うところなれど、何せベルト無しだと万歩計が不感になるくらいの腹出状態、ここは大いにウォーキングすることに決めた。ということで、前日に目を付けていた「湯布院昭和館」に、時間もあるので歩いて行くことにする。とは言ってもコンパクトな湯布院の町、昭和館のある湯坪通りまで、大した距離ではないのではあるが…。

「湯布院昭和館」までの道すがら、また、ポツリポツリと雨が来た。と、思ううちに音を立てるような激しい降り、私は折り畳み傘を取り出した。これがあるから湯布院の天気は侮れない。ひとしきりの激しい雨の後、嘘のように陽射しが注いできた。傘はあっと言う間に乾いた。

「湯布院昭和館」の外観は、映画館を模していることは前に紹介した。内部はそう広くないが、懐かしの昭和の世界をコンパクトに再現していた。再現コーナーをざっと紹介すると、「駄菓子屋」「分校の教室」「たばこ屋」「雑貨屋」「電気屋」(私の親類に電気屋さんがいて、よく力道山のプロレスのTVを見せてくれたっけ)「床屋」「お医者さん」「純喫茶」「写真館」「銭湯」(ただし狭いので入口と番台までのみの再現、浴場はない)「家庭の居間」「お勝手」(台所のことです。こういう言い方も死語になりました)と並んでいる。観覧料500円也、まずは追憶の世界に浸ったのであった。

●「周防義和とその仲間のトークアンドライブ」 そしていよいよ若松孝二監督の登場
会場に戻り、「周防義和とその仲間のトークアンドライブ」を鑑賞する。とはいっても私は、ド演歌しか解らない徹底した音痴人間なので、この手の音楽ライブは良いも悪いもよく解らない。でも、ライブとは言いつつ、シンポジウムに準じて、質疑応答・意見交換の場もあった。「歓びの喘ぎ 処女を襲う」で、ピンク映画なのになぜ男優が主役なのかとの質問もあった。芝居のできるピンク女優がいなかったので、芸達者の下元史朗さんに作品をゆだねるしかなかったとの、伴明監督の代弁も、周防義和さんからなされた。

いよいよ特別上映「キャタピラー」である。開映まで1時間はあるが、この映画は諸般の事情から大混雑が予想されるので、私はもう宿に帰る気はない。また、前述したように腹が出るくらいの満腹状態で、パーティーまで何も食べる気は起きない。かねて話題の長浜ラーメン店を、YASさんに入口まで案内するが、土曜日とあってか、やっぱり休憩閉店中であった。(YASさんは翌日、このラーメン屋の開店に何とか遭遇できたようである。

会場近辺をうろうろしていたら、「牧場の家」からもどってきた同室のKさんから、大変なことを聞く。部屋で寝ていたYさんは、連日の深夜に至る懇親のための体力温存なんて優雅なものでなく、完全に風邪でダウンしているとのことである。これは、大変なことになってきた。

「お馴染みおたべちゃん」が適当な夕食の場も相方も見つからず悩んでいる。こういう時は以前ならレストラン「南の風が吹いている」が定番だったのだが、今は会場からは遠い場所に移転してしまった。「コーヒーくらいなら、つきあってもいいよ」と、場所を物色する。時間帯的に、準備中の店が多い。こういう時には、昨年実行委員会から配布された、湯布院のお食事処MAPが欲しくなる。こういうものの配布は定例化していただきたいものだ。

湯布院の町は、私の方が歩き回っているのでやや詳しい。以前に倉敷ツタヤ店長のOさんと行った地鶏屋を目指した。開店している。まずは生ビールを頼み、「お馴染みおたべちゃん」は地鶏そば、私はつまみに腹に溜まらない地鶏の刺身(必死剣にあやかったわけではない)を頼むも、連日の猛暑で中毒を懸念し、メニューは休止中だそうだ。残念。地鶏の炭火焼きに変更する。ジョッキを傾けながら、Yさんの病状を心配し、映画祭の話題で談論風発したのであった。

さあ、いよいよ若松台風の湯布院上陸が近づいてきたぞ!
湯布院映画祭日記2010−5

●「オカンの嫁入り」の宣伝についての補足
「オカンの嫁入り」特別試写シンポジウムの、宣伝のあり方についての話題の補足をしたい。9月17日(金)の読売新聞の宣伝広告コピーは、「お母さん、ありがとう。あたり前だと思っている日常は、すぐ先で、あたりまえじゃなくなるかもしれない」という、製作当初のコピーに近く、難病を前面に出さない含みの多いものになっていた。湯布院でのシンポジウムが、宣伝に若干の方向転換を与えたのだろうか。

●平成22年8月27日(金)
映画祭2日目である。本日のプログラムは以下のとおりだ。

第一会場 由布市湯布院公民館ホール(シンポジウムは視聴覚室)
 「映画に愛された男と女 石橋蓮司&緑魔子」関連上映
 「獣たちの熱い眠り」        10時   〜11時51分
 「盲獣」              12時00分〜13時24分
 「赫い髪の女」           13時40分〜14時53分
 シンポジウム   石橋蓮司 緑魔子 柄本明 
               司会・荒井晴彦 野村正昭 小林俊道
                   15時   〜16時45分
 特別試写「nude」       18時15分〜20時01分
 シンポジウム  プロデューサー・永田芳弘・芝原祐一
         監督・小沼祐一  主演・渡辺奈緒子
                   20時30分〜21時45分

第二会場 湯布院公民館視聴覚室
 「特別企画 短編映画上映会」
 「花咲く少年の島 ふろたき大将」「きみは僕の未来」
                      12時〜13時20分
 「天国のバス」「風雲」       13時40分〜14時45分

第三会場 湯平公民館
 「特別企画 短編映画上映会 湯平公民館シネマツァー」
 ボンネットバス出発 湯布院〜湯平  17時20分〜17時40分
 「きみは僕の未来」         18時   〜18時30分
 「帰郷☆プレスリー」        18時40分〜19時16分
 「白鳥の歌」            19時25分〜20時13分
 トーク&ゲストと観客の交流会
 監督・斎藤歩(「白鳥の歌」)・浅野晋康(「きみは僕の未来」)
 プロデューサー・池口十兵衛(「風雲」)
 出演・角替和枝(「白鳥の歌」)
                   20時15分〜21時

ボンネットバス出発 湯平〜湯布院  21時   〜21時20分

パーティー  九州湯布院 民芸村   22時   〜24時

さあ、大変だ。ついにこの日は、第三会場まで出現する。私のスケジュールは、さらなる検討が必要となる。

申し遅れたが、今回の映画祭の「特別企画 短編映画上映会」は、有料企画である。昨年までの「湯布院映画祭」は、全日券さえ購入すれば全企画フリーパスだったが、この特別企画は別料金なのだ。湯布院公民館視聴覚室での上映は1プログラム500円(招待券、映画券は2プログラム又は1プログラム二人OK)ということだ。「湯平公民館シネマツァー」は定員20名で1500円(映画券ならば1枚、バスに乗らず直接参加なら500円(招待券、映画券なら1枚で二人参加OK)である。

この「湯平公民館シネマツァー」は、できれば参加したかった。湯平は、昔に家族旅行で来たことはあったが(その時に映画祭開催期間中の湯布院を通過したことが記憶に残り、後日私を映画祭に引き込むきっかけとなった)、でも、映画祭開催期間中、湯平温泉まで足を伸ばすのは気分転換になる。また、「短編映画上映会」関連のゲストは、第二会場の湯布院公民館視聴覚室では、上映前のあいさつ程度しか出番がないが、ツァーに参加すれば、交流会で親しく話すことができるのだ。ただし、このツァーに参加すると、第一会場の特別試写「nudo」とそのシンポジウムをパスせざるをえない。私は泣く泣く「湯平公民館シネマツァー」参加をあきらめたのであった。

ということで、改めてこの日の私のスケジュール検討である。まず、「映画に愛された男と女 石橋蓮司&緑魔子」関連上映の旧作3作品は、私はすべて観ている。そこで、第二会場の「短編映画上映会」を潰していくことにする。「ふろたき大将」はすでに前日観たので、その後に上映される「君は僕の未来」の上映時間は、12時50分〜13時20分だ。続いて「天国のバス」「風雲」を観ると終映は14時45分。引き続いて15時からの「映画に愛された男と女 石橋蓮司&緑魔子」シンポジウムに参加し、以後は第一会場の企画につきあうことにした。ということで、「きみは僕の未来」上映開始の12時50分まではフリーになったので、それまではサイクリング、その後「牧場の家」にもどり温泉を浴びて、昼食をビール付きでゆっくり摂って、映画祭会場入りすることにした。

●サイクリングなどetc
まずは、サイクリングである。好天だ。といっても、もはや12年目の湯布院、かって知ったる観光地で、もはや改めてのお目当ての場所もなく、稲が青々とした盆地を爽やかな風に吹かれながら自転車で巡り、金鱗湖周辺を徒歩で散策して終わったのではある。ただ、当然と思った晴天だが、湯布院は盆地だから天候の急変が激しい。この日も、夕食休憩時に、「牧場の家」から映画祭会場に向かう途中、夕立のような激しい雨に逢い、夜の民芸村パーティーでも雨が激しくなり、実行委員は庭から屋内に、パーティー会場をセッティングし直すべく動きかけたのであった。(結果的には、参加者の一念が幸いしたか、雨は通り雨ですぐ止んだのではあるが…)ということで、午前中のサイクリング中に好天に恵まれたのは、極めて僥倖と言えたようだ。

サイクリングの途中で、九州の清里とも呼ばれるヤングギャル闊歩の湯布院湯の坪通りに、「湯布院昭和館」オープンを発見する。「21世紀に伝えたい昭和がある…」のサブタイトルだ。外観は映画館を模しており、「ゴジラ」「キューポラのある街」の絵看板なども、掲げられている。この日は中に入る時間的余裕もなかったので、時間があれば後で来ようと思い、唾をつけただけでとりあえず通過した。次の日の空き時間に入館したが、それについては後述する。

サイクリングでひと汗かいて、宿の「牧場の家」にもどり、温泉でひと風呂浴びる。短編映画上映会「君は僕の未来」上映開始は12時50分なので、ビール付きの昼食をのんびり摂るために、少々早目の12時前に、毎年来ている長浜ラーメン店で、餃子とラーメンを注文する。ただ、この早目の時間では、前日同様に朝食をタップリ摂ったので、あまり腹が空いていない。このラーメン屋は、替え玉2個までは無料というのが売りであるが、今日はいらないなというのが最初の感じだった。ところが、ビールが食欲増進剤となったのか、替え玉を例年どおり1個お願いし、もう1個もいけるかなという雰囲気になってきたが、さすがに腹も身の内と考えてやめておいた。(いままでも、替え玉2個に挑戦したことはない)これは正解だったことは、後で思うのだがそれも後述する。

●第二会場の「短編映画上映会」へ
12時半頃、「ふろたき大将」が上映中の第二会場・公民館視聴覚室に、他の参加者の邪魔にならないよう、ソーッと忍び込む。「ふろたき大将」の終盤を再見し、続いて「君は僕の未来」の上映になる。この映画も、初日上映の「ペダルの行方」と同じ「ndic若手映画作家育成プロジェクト」製作実地研修完成作品であることを、パンフレットの受け売りとして紹介しておく。このプロジェクトがどういうものかは、私は全く知らない。いじめられっ子の少年が、片思いの少女に誘拐予告状を送りつけ、学校・地域・家庭に大きな波紋を与える。少年が自分の悪戯だと先生に告げても、相手にされない。そんなことを通じての少年の成長ドラマなのだが、これも「ペダルの行方」同様に、もうあとひとひねり欲しいな、という感じの作品だった。

第二会場の視聴覚室をいったん退出し、13時40分〜14時45分の「天国のバス」「風雲」のプログラムを観るべく再入場する。最初に上映される「天国のバス」も「ndic若手映画作家育成プロジェクト」製作実地研修完成作品だ。彼女がキャバクラに働き始めたことを知った男は、誕生日の3日前に喧嘩してしまう。そして、誕生日当日、彼の職場の先輩が、ある仕掛けを考える。六本木から池袋に向かう深夜バスは、キャバクラ嬢の通勤バスと化していることから、ある事を思いつく。この先輩を演じるのが自主映画には珍しい大物スターの大森南朋だ。

大森南朋は、キャバクラ嬢ばかりの深夜バスに、トランクに大量の酒瓶を詰めて持ち込み、キャバクラ嬢たちにコナをかけて、深夜バスの中をキャバクラ並のドンチャン騒ぎの場と化してしまう。勤務先の池袋についたキャバクラ嬢と大森南朋は、盛り上がって下車する。残ったのは主人公の男とその彼女、二人はヨリをもどし、男は彼女に誕生日プレゼントを渡す。他愛ないと言えば他愛ないお話であるが、何といっても魅力は大森南朋だ。浮世離れのトンデモ男で、始めは呆れられながらも、アレヨアレヨという間にキャバクラ嬢を乗せまくり、深夜バスをキャバクラ化してしまう怪演・快演は圧巻だ。それが「天国のバス」の魅力のすべてと言えよう。

●私の本映画祭ベストムービーの「栓」を含んだ3分映画連続上映「風雲」
「風雲」の上映は、ある意味で「特別企画 短編映画上映会」の、一番の目玉と言えるだろう。今年の2月、都内では下北沢のTOLLYWOODでロードショーされた三分間映画オムニバスである。ロードショー時は、15人の監督による15本だったが、パンフレットによれば「今回上映は湯布院好みの10本」とある。湯布院映画祭に馴染みのあるところでは、柄本佑監督作品が含まれている。

この上映におけるユニークな試みは、「参加者はお気に入りの作品を投票していただく企画」(パンフレットより)ということだ。だが、配られた投票用紙に目を通して頭をかかえた。採点基準はアイディア・インパクト・コンセプト・テクニック・パッションの5項目について、各5点満点で採点し、合計点を記すということだ。これは厳しい。短時間で採点なんてできない。第一、インバクトとパッションとどう違うの、との疑問も出てくる。そこで実行委員の重鎮の横田茂美さんからフォローがある。「採点基準をあまり気にしなくて結構です。合計欄に総合評価点を書き込んでもらうだけでも構いません」、この言にホッとした。私は作品単位に5段階評価をして、5倍した数字を合計欄に記入することにした。参加者が採点するにあたっても、横田さんの気配りがあった。何せ3分間の映画が10本もあるのだ。いっぺんに上映されて、さあ採点してください、とやられたら、下手をするとどれがどれやら判らなくなってしまう。横田さんは、2〜3本毎に上映ストップをかけ、その都度参加者の採点記入時間を設けたのであった。

私の三分間オムニバス「風雲」の中のベストムービーは、吉野耕平監督作品「栓」だった。いや、映画祭を終えてみたら、結局これが本映画祭のベストムービーになったことを冒頭に述べた。CGを巧みに活用したファンタジーである。主婦のところに、奇妙なセールスマンが現れる。記憶を放出する栓である。それを、貼り付けたものの記憶が、栓をひねることによって、吐き出されるというのだ。夫のシャツにそっと貼り付け、後でその「栓」を捻れば、仮に夫が浮気をしていれば、そのイメージが吐き出されるという使い道があるという。そのあたりの「栓」の解説がCG映像で、楽しくファンタスティックに展開される。主婦は興味を示し購入するが、結局「短編映画はハッピーエンドでないといけないから…」と洒落た言を残して、生ゴミの中に混ぜて捨ててしまう。ということは、夫の浮気を確信しているということか。なかなかに粋な幕引きであると言える。

ところが、「栓」はこれだけで終わらない。粗大ゴミの中の栓は、さまざまなゴミに張り付き、焼却炉で燃え尽きる寸前に、すべての記憶を吐き出す。清掃工場の煙突からは、喜怒哀楽の庶民のあらゆる記憶が続々と吐き出され、天を覆うという壮大なイメージで締めくくるのである。星新一のショートショート「おーい、出てこい!」に連なるスケールの大きさである。前に紹介した前段の落ちでも十分にできているのだが、さらにそれを上回るWヒネリ、わずか三分間でこれだけのものを観せてしまう力量に感嘆した。

この会の「風雲」は、YASさんといっしょに観た。YASさんにも「栓」は好評だった。次の日の上映で「お馴染みおたべちゃん」も「風雲」を観たが、やはり「栓」がベストムービーと言っていた。この投票結果は後で公表されるということだったが、映画祭開催期間中には発表はなかった。湯布院映画祭実行委員会機関紙「THE MAYIM PRESS」で後日発表ということなのだろうか。でも、それじゃあこれが送られてこないサポーター以外の人には、伝わることがないよなあ。(もし、最後のパーティーの席上で発表があって、私が飲んだくれてて聞き逃したのならゴメンナサイ)

もう一本、私が満点の25をつけたのは、松本志野監督作品「まじょのち」である。少女がほうきにまたがり、一生懸命飛ぼうとしている。でも、何度やってもうまくいかず、田圃に落っこちて泥まみれになったりして、悪戦苦闘する。もう一人の少女が来て、軽々と飛んでみせる。「あなたは、まじょのちが足りないのよ」と言い放って、去っていく。日が暮れる。女の子は、まだほうきで飛ぶことのチャレンジを続けている。前に声をかけた子が「あの時はゴメン」と菓子折りを出す。その菓子折りに血が飛び散る。そして、「まじょのち」が足りないといわれた子は、「まじょのち」があると言った子の死体を引き摺って行く。これって凄く怖い。ちょっとした言葉で傷つく今の子、すぐキレて思いもかけぬ凶行に及ぶ今の子。たった三分間の中に、現代の闇の深淵を、見事に切り取ってみせた。

申し訳ないが、湯布院お馴染みの柄本佑監督作品「3/22ドーナッツ」は、前に上映された36分の短編「帰郷☆プレスリー」と対照的に、最悪だった。3分間ムービーだから、何がはじまるのかな?と思っているうちに、終わってしまったのである。そんなことだから、今の時点では、内容そのものも、全く記憶にない状態である。私としては、唯一の最低点(5段階評価の1)をつけざるをえなかった。

「映画に愛された男と女 石橋蓮司&緑魔子」シンポジウム
「風雲」上映と採点作業が終わり、私は「映画に愛された男と女 石橋蓮司&緑魔子」シンポジウムに参加する。ゲストのパネラーは、石橋蓮司さん、緑魔子さん御夫婦に加えて、お二人が率いる「劇団第七病棟」の同志の柄本明さんだ。司会は、映画関係を担当するのが野村正昭さん、演劇関係は小林俊道さん、総合進行役として荒井晴彦さんという豪華布陣だ。

実行委員から「それでは荒井さんお願いします」と声がかかる。「え、俺やるの?」と、例によって照れ屋の荒井さんらしくシャイに受けて、そんなこんなで何となく、進行役の比率は手慣れた野村正昭さんに序々に移行していってしまう。

私は、このシンポジウムでは、積極的に発言する気はなかった。発言のネタが無いわけではない。いや、「石橋蓮司&緑魔子」というテーマだったらあり過ぎる。キリがない。むしろ、パーティーでジックリお伺いするネタである。ご両人とも人気スターであるから、パーティーは園遊会状態になって、ゆっくり話せない恐れもあるが、過去にも奥田瑛二監督や藤竜也さんと、意外と時間を取って話せたこともあるので、あまりシンポジウムでの発言にはこだわらなかった。ただ、他の参加者も、「石橋蓮司&緑魔子」というテーマがあまりにも膨大過ぎて、発言が無くなって座が持たなくなった時の、質問程度は考えていた。

平凡だが、お二方の代表作を聞いて、その思い出話を伺うというのが無難なところだろう。私としては、緑魔子さんのこれ一本といったら、増村保造監督の「大悪党」だ。田宮二郎主演作で悪徳弁護士の映画である。ところが最後に至ると緑魔子さんが、したたかに逆転し、真の「大悪党」は魔子さんだったという女の自我の凄まじさを描くいかにもの増村映画である。田宮二郎の上を行く「大悪党」の魔子さん。これが、代表作の一本として遜色の無いところは、衆目の一致するところだろう。

さて、石橋蓮司さんの方だ。代表作と言えるものは沢山ある。でも、魔子さんで「大悪党」を挙げたのなら、蓮司さんの方もいかにもという代表作を挙げるのは芸がない。そこで、私は「桜の代紋」を頭に浮かべた。石橋蓮司さんとしては、決して大きい役ではなく、石橋さんの代表作としてはおろか、この映画を記憶している人も少ないだろう。私の周辺の湯布院お喋り雀の面々も、この映画を観ている人は皆無だった。ただ、私としては、この映画の蓮司さんのヒットマンは、本当に滅茶苦茶怖かった。また、この映画は勝プロ作品でもあるので、うまくするとそのあたりのエピソードが聞けるかな、それならシンポジウム参加の皆さんにも有意義になるかな、という気持も半分あった。一番恐れたのは、この映画に対して蓮司さんが、「あまり覚えてないな」という反応を示されることだった。

ということで、シンポジウムの幕が開いた。前述したように総合進行役の荒井晴彦さんがヌラクラとかわすので、何となく進行の大役は野村正昭さんにスライドしてくる。「そうですねえ。石橋蓮司さんと緑魔子さんという、非常に大きな話にはなりますが、それでは、会場のどなたかにお伺いするとして…周磨さんどうですか」って、オイオイ急に振るなよなあ、って感じである。

最終的には、当初の私考えていた質問は、後述するが石橋蓮司さんから楽しいお話を引き出せたので、結果オーライだったといえる。過去にも、野村さんと私の間で、結果オーライとなったシンポジウムがあった。2008年の「memo」のシンポジウムである。このお笑いタレント佐藤二朗さんの初監督作品は、あまりにも個性的なだけに、私は一押しだったのだが、圧倒的な否定論が集中した。野村正昭さんとしては、推薦作として湯布院に持ち込んだので、やや居心地が悪そうだった。佐藤監督の弁明コーナーの趣きの中盤戦が過ぎ、後半戦に入る。私がそこまで湯布院お喋り雀が否定的に回るなら、一言言わずばなるまいと思っていたら、タイミングよく野村さんが「それでは、もう少し一般参加者の意見を聞きましょう。周磨さんはどうですか」って、振って来たのである。もちろん、私はこの「観客を選ぶ映画」の「memo」を絶賛したが、私まで酷評したらどうするつもりだったんだろう。ですから、これは出来レースでも何でもありません。今年の「石橋蓮司&緑魔子」も、当然ながら出来レースではありません。しかし、野村さんの、こちらの心を見透かしているような進行は、さすがプロ!鮮やかとしか言いようがない。シンポジウム終了後にそのことを絶賛したら、「いえいえ、そんなことないですよ」と、軽くいなされてしまった。

ということで、私は、石橋蓮司さんには「桜の代紋」、緑魔子さんには「大悪党」の思い出ということで、質問したのである。蓮司さんは
「『桜の代紋』ですかあ。関係ないかもしれないけど、こんな話でいいですか」、と、切り出した。ヤバイ、やっぱりあんまり印象に残っていない映画だったんだ。私は心の中で首をすくめた。ところが、その後の話は面白おかしく、貴重なものでもあった。
「これって勝プロの映画なんですよね」と石橋さんが語り出したので、オッ壺にはまったな!と私は少々うれ嬉しくなる。以下の蓮司さんの話は、テープもメモも取ったわけではないので、私の記憶に辿った要旨再録だと思ってください。
「あの頃の勝プロは、勝新太郎さん主演作と、若山冨三郎さん主演作の二つがあったんですね。勝さんと若山さんは、兄弟といっても、本当に対称的で、勝さんは酒豪で豪放磊落、若山さんは酒を一滴も飲めず饅頭を食べて、撮影所入りは誰よりも早く入る生真面目な人だったんです。それもあって、勝プロの中でも、勝派・若山派と仕分けがあって、『桜の代紋』は私が勝プロ初出演ですからどっち派でもないんですけど、何となく私は勝派だと思われていたみたいなんですね」
 
楽しい話は、こうして口火を切った。
「この初出演の初日に、私は見事に遅刻しちやったわけです。若山さんは?1時間前から待ってます。ウ!ヤバ!!、そんな感じで始まったわけです。最初は強面の若山刑事が、ヤクザの僕を取り調べるシーン、テストでいきなり右からバシッと本気の張り手が飛んできたわけです。この野郎!ってさすがにムッとして、本番の時は顔を傾げてかわしてやろうと思ってたら、実は若山さん、本当は左利きなんですね。逃げようと思って顔をかわしたら、反対の左側からもろにバーンと(笑)。本気で何すんだよ!って椅子から立ち上がりかけたら、その椅子をバシッと蹴り飛ばされて、吹っ飛ばされて…もう大変(笑)」
 
すさまじい撮影秘話は、まだまだ続く。
「続いてのシーンは、柔道場で手錠をかけられた僕が、若山さんに滅茶苦茶に投げ飛ばされるシーン。僕はアクションはスタントマンと同じくらい慣れてるからいいんですけど、それでも手錠をかけられているから受け身を取るのがキツかったですね。最後はあのオッサン、受け身の取れない巴投げまで繰り出すんだから(笑)シラーっとして見ていた三隅研次監督も、そろそろちょっとヤバいかなと思ったところで、やっと『キャット!キャット!キャット!』なんて叫んでね」
「カット」を「キャット」と訛るのは三隅監督の知る人ぞ知る逸話だそうで、一部の映画関係者には、かなり受けていた。

まあ、そんなことをきっかけにして、役者魂ということから最後は石橋蓮司さんと若山富三郎さんは意気投合し、それからは充実した撮影時間を過ごしたそうだ。映画の中では、この後に強面の富三郎刑事の眼が離れた隙に、石橋蓮司さんは逃走し、ヒットマンとして執拗に反撃に出るのだが、その蛇のようなネチっこさは、本当に怖かった。今回のお話を聞いて、その凄みは演技を越えたガチンコから生まれ出たことを知った。その凄みについては、パーティーで改めて蓮司さんに直に、私は絶賛の辞をお伝えした。

「大悪党」については、緑魔子さんから意外なお話を伺った。この当時、魔子さんは心身症を患っていたそうなのである。法廷シーンで、田宮二郎弁護士が後ろで熱弁を奮っているにも関わらずボーッとしてしまい、増村監督にスタジオの外に出て気分転換してきなさいと促されて、みんなに迷惑をかけたとのことだった。名演というのは、必ずしも理想的な体調だからできるものでもないということが、興味深かった。

「失礼します!O」さんは、例によっての大熱弁の後、「石橋さんと魔子さんの、夫婦円満の秘訣を教えてくなはれ」と締めくくった。この質問は、前日の「あらかじめ失われた恋人たちよ」シンポジウムでも大熱弁の後に聞きたかったことのようだったが、言い掛けたところで、「そういう話題は、明日のシンポジウムで…」と実行委員に制されたので、満を持しての再質問である。これは「失礼します!O」さんならずとも聞きたい話であり、私も耳を傾けた。

「そうですね。できるだけ早く別居することですね」と、蓮司さんはトボけているのか本気なのか、そんなことを言い出す。話は柄本明さんにも向けられる。柄本さんの奥さまは女優の角替和枝さんで、おしどり夫婦で有名だ。角替さんも今回の映画祭の「特別企画 短編映画上映会」のゲストで参加しているが、シネマツァーの湯平行きを控えているせいか、パネラー席にはいなかった。柄本さんは「それは蓮司さん・魔子さんのご夫婦だから言えることで、普通は別居したらそのまま離婚ですよ」とユーモラスに繋げる。

「荒井さん、どうですか」、突然、野村正昭さんは荒井晴彦さんに振る。オイオイ、俺に振るなよなあ、と戸惑い気味の顔になる荒井さん。確かに、荒井さんは真偽の程はともかくとして、プレーボーイとして勇名を馳せているが、夫婦仲が悪いとか離婚とかの話は、トンと聞かない。湯布院お喋り雀としての我々も、興味のあるところである。「お二方の円満ぶりを勉強して努力します」、さすが荒井さん、そつなくサラリとかわしたのであった。

小林俊道さんのリードで、「劇団第七病棟」の話題もかなり盛り上がったのだが、お芝居に造詣の深くない私としては、あまりうまくまとめられないので、その部分に関しては割愛したい。

それにしても、私の質問は蓮司さんから楽しい話を引き出せて狙いどおり、得たりや応!といった感じだった。そう思ってくれた人も少なくなかった。でも、あまりにハシャぎ過ぎたので、最後は「お馴染みおたべちゃん」以下のお喋り雀に、「しつこいわよ」と、顰蹙を買ったのである。

緑魔子さんについて私は、年上の方には失礼だが、「本当に可愛い人」という印象を持った。その感触をそのまま周囲に告げたら女性陣から、「年上も下も無いでしょう。女はいくつになっても可愛いと言われたら最高の褒め言葉よ。年上だから失礼なんて思うこと自体が失礼よ」と、これも顰蹙を買ってしまった。亡妻によく私は、「女の気持が解らない人」とよく言われたが、やっぱりそうなのかなあ。少々凹む。

こうして映画祭前半の目玉企画「映画に愛された男と女 石橋蓮司&緑魔子」は、大団円を迎えたのであった。
湯布院映画祭日記2010−4

●さあ、最初の特別試写作品だ
映画祭最初の「あらかじめ失われた恋人たちよ」シンポジウムの終了は17時、次の特別試写作品「オカンの嫁入り」開映が18時15分、夕食をゆっくり摂る時間は十分だ。しかし、全く腹が減っていない。前述したが、この日の昼休みは11時51分〜12時10分の19分しかなく、慌ただしく握り飯をパクついて「非行少女ヨーコ」に臨んだのだが、その時も腹があまり空いておらず、時間の無いこともあったが、サンドイッチを残してしまったのだ。ここで、タラフク食べたら、22時からのパーティー料理を楽しめなくなるので(相変わらずさもしい根性)、夕食はこの残り物のサンドイッチでアッサリ済ませることにした。考えればこの日は、通例ならアウトドア活動に充てているはずの既見作品「あらかじめ失われた恋人たちよ」上映時間を、再見・再確認の時間に充てていた訳だから、映画祭会場にほぼ1日座りっぱなしだった訳だ。腹も空かない訳である。いや、理由はもう一つある。

私だけに限らないが、普段は軽くしてあまり食べない朝食を、旅先ではガッツリ食べてしまう人は少なくない。宿の「牧場の家」の朝食は、ご飯(おかわり自由)・味噌汁・お新香は定番だが、これに焼き魚・煮物・おひたし・明太子・味付けのり・温泉玉子などが付く。今年は加えて冷や奴が毎朝添えられた。私は、湯布院に来ると、朝風呂で温泉を浴びた後、温泉玉子を除いたおかずの半分をつまみにしてビールを一本空ける。残りの半分をおかずにしてご飯を一膳いただく。さらにおかわりして、温泉玉子をかけた卵ご飯をたいらげてしまう。朝食をそれだけシッカリ摂って、映画祭会場に座りっぱなしならば、腹も空かなくて当然である。この朝食食べすぎ行脚は、3日目あたりから影響が出てくるのだが、それは後述する。とにかく夕食は、軽くサンドイッチをたいらげ、後は時間があるので「牧場の家」に戻り、ノンビリと温泉に浸かって時間をつぶしたのであった。

●特別試写作品「オカンの嫁入り」は「アカンの嫁入り」か。
特別試写作品の「オカンの嫁入り」が終わる。上映が終わると、「失礼します!O」さんが、「どうでっしゃろ」と私に聞いてくるのが通例である。私は、初っ端の作品がこんな代物ではと、意気消沈していた。「こりゃ『アカンの嫁入り』ですね」とバッサリ一言で切って捨てた。

9月ロードショーの未公開作品なので、私はこの映画の予備知識はほとんど無かった。そして、終盤に至って唖然とした。何だよ、これも食傷気味の難病ものだったのかよ、私は一気に脱力した。こりゃもう、シンポジウムはダンマリを決め込むしかないなと思いつつ、シンポジウム会場に重く足を運んだ。

●特別試写作品「オカンの嫁入り」シンポジウム
特別試写作品「オカンの嫁入り」のシンポジウムが始まる。ゲストのパネラーは脚本も自らの手による呉美保監督(「お・みぽ」と読むそうです)と、撮影の谷川創平さんだ。参加者の評価は好意的なものも少なくなく、酷評はあまり多くない。

一人の女性参加者から、ポスターの惹句にある「余命一年を言い出せない母」というくだりは、作品のネタが割れて良くないとの意見があった。もう一人の女性からは、予告篇で母の難病を売りにしていて、感動が半減した、初期の予告篇にはそんな所は無かった、との意見もあった。確かに、私が東京から持参したチラシにも(鑑賞前なので惹句などには目を通さなかったが)、「余命一年を言い出せない母」という惹句があった。そういうことだったのか。私は終盤の難病ものへの転換で脱力したが、それは宣伝の肝になっている既定の事実だったということなのだ。そうなると、この作品の語るべき輪郭が見えてきた。ただ、呉美保監督としては、宣伝の問題は私の範疇ではないので…との回答だった。

25歳の宮崎あおいの母親の大竹しのぶは、娘が小さい頃に夫と死別し、今は奔放な熟年女性である。今日も今日とて、深夜にベロベロに酔って、ド派手なジャンパーと金髪の若者・桐谷健太を家に引っ張りこんで泊らせていく。そして翌朝、その桐谷健太と婚約したと、娘の宮崎あおいに告げるのである。自分より年下の義父になるかもしれない若者の出現に、宮崎あおいは動揺する。再婚相手が母の勤務先の上司の國村隼ならば、まだ納得できるところだ。

ひどい試練に遭遇した宮崎あおいだが、話が進んでくるうちに、それ程ひどい話ではないことが、浮き彫りになってくる。桐谷健太は、それ程ひどい男ではなかった。祖母の面倒をみて死を看取った誠実な若者なのである。派手なジャンパーも金髪も、祖母が好きだったジェームス・ディーンを模しての姿形であったのだ。オールドファンからは、あれではジェームス・ディーンに見えないとの意見もあったが、私はこれで良かったと思った。今の若者がジェー・ディーンをよく知るわけもなく、祖母を喜ばそうという精一杯の意思表示であり、ネタが明かされて初めて納得できる程度で丁度いいと思った。呉美保監督の意図もそのとおりだったことが、監督自身からシンポジウムでも明かされた。

山場のオカンの嫁入り、白無垢の大竹しのぶを娘の宮崎あおいが送り出す涙のシーンの描写も、意見が別れた。大竹しのぶの年寄りの厚化粧は、気色が悪いという意見である。呉美保監督は、あえて美しく撮ろうとは思わなかったと答えた。ジェームス・ディーンの一件と同様に、私もここの大竹しのぶの行き過ぎメークは、むしろリアル感があったと思う。総じて私は、描写に関しては、呉美保監督に共鳴する部分が多かった。

宮崎あおいは、母・大竹しのぶの職場の上司の國村隼を慕っており、義父になるのがあなたならよかったのにと愚痴る。そこで、國村隼から隠された事実が告げられる。「俺がアプローチしなかったかと思うかい、3度もプロポーズしたよ。でも、娘のあなたのことを思って、再婚は断られたよ。最後のプロポーズは3年前だったかな。そこであきらめたよ」といった意味のことを語ったのである。

そして、その3年前から大竹しのぶの奔放行状記が始まるのである。符に落ちる展開である。それまでは、娘の宮崎あおいのためだけに、この母親は生きてきたのだ。そして、3年前といえば、娘の宮崎あおいは22歳、もう完全に親の手を離れる時である。そこから自由に生きることを決心したのだ。自分の心に忠実に、誠実な若者に恋し、かつて着られなかった白無垢の花嫁衣装を着ることを夢見るようになった。

以上のことから、これで白無垢衣装の「オカンの嫁入り」で大団円を迎えるお膳立ては揃った。しかし、鳥瞰的にこれらの登場人物の心情を知るのは、我々観客だけなのである。映画の中の登場人物相互が、どうやってお互いの心を理解し、感動のクライマックスまで辿りつけるのか。ここから先は、脚本のドラマ展開の腕の見せ所である。ところがである。ここを母の大竹しのぶの難病という葵の御紋の印籠で、なし崩しに全員を和解させてしまったのだ。私が「オカン」ならぬ「アカンの嫁入り」だと脱力したのは、結局そこだったのだ。

私は、ある意味で手抜きの逃げではないか、とシンポジウムで発言し、監督に指摘した。呉監督は、「私も難病はいらないんじゃないかと思って、その線で脚本を書こうとも思いました。でも、プロデューサーと話し合って、原作尊重の意味もあって、完成作品のようになりました」と回答した。残念だった。難病を抜きにして、この人間関係をどう大団円にもっていくかという監督・脚本の腕を観たかったものである。ここには、最近乱発されている原作頼りの日本映画界という陥穽もあると思う。この問題については、項を改めたい。

私のもう一つの質問は、エンドクレジットに殺陣師の名があったことだ。時代劇でもないのに何だろう?という疑問だった。これも興味深い監督の解明があった。宮崎あおいのエピソードで、これまでここで紹介していなかったものが一つある。職場の同僚の林泰文にストーカー的につけまわされ、キッパリと断ると、自転車置き場で林泰文が荒れ狂う。自転車を蹴倒して暴れるのだが、危険なバイオレンスシーンなので間違いがあるといけないので、殺陣師の方にキチンと動きをつけてもらいました、とのことだった。なるほど、殺陣というのは奥が深いものである。これをきっかけに宮崎あおいは通勤電車恐怖症になって退職し、1年以上の引きこもり生活となる。

●脚本家・井上淳一さんの鋭い指摘
本映画祭初の特別試写シンポジウムだったが、珍しく常連ゲストの荒井晴彦さんは参加していなかった。シンポジウムに参加していた弟子筋の脚本家・井上淳一さんに、「つまらなかったらガンガン言え!」とメールを通じて発破をかけていたとの噂を聞いたが、それは定かではない。しかし、いずれにしても井上淳一さんのシンポジウムの指摘は鋭かった。

ドラマの転換を難病なら難病にして構わない、しかし詰めが甘すぎるのではないか、とのことだった。母の大竹しのぶは難病を周囲に隠して、残りの人生を奔放に生きようとした。しかし、娘の大竹しのぶは引きこもりだから、四六時中生活を共にしているのである。母の病に気が付かないわけがない、気が付かないならばそれを納得させる描写が必要だ、とかなり手厳しい批判だった。また、娘が22歳になった3年前までは、娘一筋の生活だったそうだが、台詞の中だけの話で、それを納得させる描写は何もない、とさらに追い打ちをかける。

話は監督と脚本の存在のあり方に及ぶ。呉美保監督は脚本も自ら手掛けるが、そうなると安易な方向に流されるのではないのか。脚本に別人を立てて、切磋琢磨する気はないか、と、ここは師匠筋の荒井晴彦さんの脚本原理主義の思想に共通する。呉美保監督は、脚本を別の人に書いてもらうのも悪くはないが、私は映画人として脚本家でもあると思っています、他の人の脚本家を立てても、必ず共作にします、とキッパリ答えていた。

これは、私の偏見かもしらないが、ああ、やっぱり女流監督って情の強い人が多いなあと思った。私が素顔に接した女流監督、風間志織・河瀬直美・浜野左知・安藤モモ子といった方々は、みんな情の強さを感じさせた。例外は吉行由実・愛染恭子といったところだが、ま、こちらの方は女優としての顔の方が大きいせいもあるかもしれない。男社会の映画界で監督を務め上げるには、やっぱり情の強さが必要なんだろう。と、こんな私見を述べると、偏見だ!と女流監督陣から、それこそ総スカンをくいそうではあるが…。

井上淳一さんの細部にわたっての指摘に、言い過ぎだよ、じゃあ自分は脚本家としてナンボのものなんだよ、と感じた一般参加者も少なからずいた。しかし、最終日の特別試写作品「パートナーズ」で井上淳一さんは、はっきりその才能を証明した。師匠筋の荒井晴彦さんとの共同脚本だが、難病ものと並んで流行りの犬ものであるのだが、とにかく緻密で「オカンの嫁入り」のような隙も穴もない。私は「パートナーズ」を本映画祭のベストムービーに推したし、同様の人は少なくなかった。井上淳一さん、あれだけ言うだけのことはあるねと、私の周囲の湯布院お喋り雀の間で、一気に評価が高まったのであった。

いずれにしても、初回・2回のシンポジウムを通じて、映画はイマイチだがシンポジウムは面白いという今年の私の感じた傾向が、ますます顕著になってきた。

●原作物の映画化について
パーティーで私は重ねて呉美保監督に、「原作を離れて難病抜きで収束しようと思われたのに、結局原則に縛られたのは残念に思いました。難病抜きでまとめあげる監督の腕がみたかったです」と申し上げた。呉監督は「プロデューサーに言われたのとは関係なく、最終的には私の意思です」。と、ここでもキッパリしたものだった。ただ、やはり映画はオリジナルであるべきで、デビュー作もオリジナルだし、次回作もオリジナルになるでしょう、との力強い答だった。

1970代半ばの角川映画の「読んでから見るか、見てから読むか」のコピーを中心として始まった日本映画の原作依存症は、本当に何とかならないだろうか。興行と出版界に引き摺られ過ぎだと思う。私が、これからの日本映画を引っ張って行く才能は西川美和と石井裕也だと思っているのも、両人共オリジナル一本で勝負しているからだ。

最近の「映画友の会」でも顕著に見られてきた傾向だが、映画化された原作は、必ず読むという者が増えてきた。そして、ほとんどが原作の方が良かったと語るのである。確かに、文字からの想像力と映像を単純に比較すると、文字の方が喚起力が強いかもしれない。しかし、文字と映像は本来表現媒体としては、根本的にちがうものなのである。私は、読む本を選定するにあたって、映画化の有無が発想の基準になること自体が、不思議でしょうがない。

私は、映画は古今東西邦洋を問わず、無声映画からピンク映画まで何でも観るが、読書の方は映画化された原作を、読む本の選定基準には全くしていない。私の本の選定基準はSFに限っている。もっとも、私のSFの定義はかなり広義で、ファンタジーなどの境界作品もかなり含んでいる。要は感覚を解放してくれる小説がSFであり、私はそういうものを選んで読むということだ。私にとって、猫が人間の視点を有する夏目漱石の「吾輩は猫である」なんて、立派なSFである。芥川龍之介のかなりの作品は、ほとんどSFだと思う。

その観点で見れば、浅田次郎の「鉄道員」は立派なSFだ。だから、映画化の有無に関わらず、私の読書の射程に入った。この最終段を初老性認知症の妄想と解釈するか、死んだ娘が再生したファンタジーと読むかは意見の別れるところだろうが、だから境界作品ということである。主人公は、原作のイメージでは、志村喬あたりの地味な初老男といったところだ。年配でも颯爽としている映画の高倉健サンのイメージは全く湧いてこない。降旗康男の映画の方は、この健サンのヒーロー然とした姿に、赤ん坊の頃に死んであの世で成長し還って来た広末涼子を配し、完全なるファンタジーとしてまとめあげてみせた。私は、原作も映画も共に好きだが、言語と映像は全く別媒体の別物と言わざるをえない。

梶尾真治の「黄泉がえり」については、原作者も完全なSF村の住人であり、映画化の有無に関係なく、私の読書選定の枠に入ってきた。これは、アーサー・C・クラークの「宇宙のオデッセイ 2001」や「宇宙のランデブー」に匹敵するファーストコンタクトテーマの、壮大な大傑作だと思った。しかし、これがスタンリー・キューブリックのような大天才がいればいざ知らず、この原作に匹敵する映像化は無理だろうと思えた。塩田明彦の映画の方は予想どおり、SMAP・草g剛ファン向けのホンワカしたファンタジーであり、霊の世界で活き活きとする竹内結子映画でもあった。こうしかならないかとも思え、やや落胆したが、その落胆は原作とは無関係なものである。原作は原作、映画は映画、言語は言語、映像は映像、共に全くちがう媒体なのである。

1960年代半ば、私が参加していたアート・シアター(ATG)新宿文化劇場で登川直樹先生を講師に迎えての映画サークルで、原作と映画の関係が話題になった時があった。「復活」をテーマとした時である。「復活」は、一部好事家の映画通のみしか集まらず閑古鳥が鳴いていたATGチェーンとしては、爆発的な大ヒットとなった。この後の、邦人系配給会社のヘラルドが、「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」などのソ連文芸路線で大ヒットを取る鏑矢でもあった。逆に、ATGの商業主義への傾斜を危惧する声もあった。

当時の私は17歳、当然まだトルストイの「復活」なんて未読だった。トルストイの原作では、貴族ネフリュードフが下女のカチューシャの生き方を通じ、精神的「復活」を遂げるという内容であった。しかし、映画しか観ていなかった私は、これを過酷な運命を受け止めてシベリヤに向かうカチューシャの「復活」のドラマと思い込み、そのように発言した。後で考えれば大赤っ恥ものである。腹の中で冷笑していた人もいたかもしれない。映画だから、ネフリュードフよりも、ヒロインのカチューシャに焦点が大きく当たるのは当然とはいえ、大変な誤読である。やっぱりトルストイくらいは読んでいないとなあ、と感じ入った次第だ。

しかし、登川直樹先生は、原作との比較でディスカッションが推移するのに対し、「映画は映画、原作とは別に話しませんか」と投げかけ、その視点は一環していた。そして、「そういうなら『野望の系列』に原作があるのを知っていますか。読んだ人はいますか」と問いかけた。「野望の系列」とは、やはりATG上映作品で、1965年キネ旬ベストテン3位にランクされたオット・プレミンジャー監督の傑作である。ただ原作の方は、読んでいる人どころか、知っている人すらいなかった。「『野望の系列』の原作は、ピューリッツァー賞授賞作品です。でも、原作との比較で論じている人はいないでしょう」と、登川先生は言われた。

私も、トルストイなどの古典文学はいざ知らず、他の原作の映画化は、原作とは別物として論じるべきだと思う。しかし、登川直樹先生は、そうした古典文学も含めて、あくまでも「映画は映画として観るべき」とおっしゃったのだ。今の原作依存症の日本映画界のファンならば、「野望の系列」も原作との比較云々の話になってきてしまうのではないか。

再び「オカンの嫁入り」に話をもどす。前述したポスター・予告編・チラシの宣伝の件である。私の手元には、初期と最近の二種のチラシがある。初期のチラシのコピーは
「おかあさん 結婚することにしたから。ずーっと、ずーっと、当たり前が続くと思っていた…のに」。
 難病もののカケラも感じさせない含みを持たせた良いコピーだ。呉美保監督の、当初の難病を外してドラマを創ろうとしていた構想も伺わせる。ところが、最近のチラシのコピーは
「母の結婚を許せない娘と、余命一年を言い出せない母。どうしてこんなに素直になれないのだろう。」
 これってモロ難病もの丸出しじゃないか。どうせ、原作が知られているんだ、難病を売りにしちゃえ、しちゃえ!という安易な原作依存症が感じられて、不愉快な限りである。

●「第2回映画芸術評論賞」の話題
金鱗湖畔の亀の井別荘・湯の岳庵で、庭も解放したパーティーが始まる。私は、荒井晴彦さんの所に足を運ぶ。「第2回映画芸術評論賞」応募状況の確認である。ところが、〆切は8月末にも関わらず、3日前の編集会議では1通も応募がないことの報告が、荒井晴彦さんにあったとのことだ。

「前回の選考討議で、悪口を言い過ぎたからかなあ。これって大衆の叛乱かなあ」
荒井さん、ちょっと沈み気味である。

「安心して下さい。私は、25日の朝の湯布院の出発前に発送しましたから。もっと前に書き上がっていたんですけどね。あんまり前に届いて、湯布院に来る前に荒井さんの眼に入って、ここで酷評されたら気分悪いですからね」

「俺だって、湯布院に来る前にあんたのつまらない評論読んで、気分悪くなって来たくないよ」
前にも述べたが、文章にすると荒井さんは口が悪くて横柄、私はていねい語だが、これが現場を見ると印象が全く逆になる。荒井さんの喋りはちょっとシニカルだがソフト、私の語りは大きなダミ声で態度がでかい。まあ、例によっての掛け合い漫才調のやりとりの再開である。

「もう一つも必ずきますよ。前回応募した鎌田一利さんが、今回も絶対〆切まで間に合わせるって言ってましたから」

「そうすると、まず2通か。でも、2通だろうが何だろうが、少ないからそれで入選って訳じゃないからな」

「そんなこと解ってますよ。それよりも、変な投書にビビらないで、今年もビシバシ選考討議をやって、公表もしてくださいね」

ここで「変な投書」と言ったのは、項を改めて話題にする。それよりも、映画祭終了後に東京に戻って鎌田一利さんに会ったら、結局原稿が間に合わなくて〆切オーバーになってしまい、応募しなかったそうだ。オイオイ、俺、荒井さんに嘘言っちゃったよ。鎌田さんは、かなり仕上げており〆切延長があれば出したいとか言っていたが、それは無理というものである。

私の今回のテーマは「映画評論を考える 第一回 映画芸術評論賞 選考討議をきっかけとして」で、「映画三昧日記2010年−3」で述べた内容を、評論風に整理・集約・加筆したものである。「映画三昧日記」を読んでいただいた方には解るだろうが、「映画芸術」誌上で言いたいように言われたので、私は自分のフィールドで言いたいように言い返した。そんな内容だから、当然今回も選考討議で、酷評・否定の渦を浴びるだろう。でも、入選なんて当てにしちゃいないし、賞金の30万円なんてどうでもいい。自分の言いたいことを言うだけである。

9月6日(月)の映芸シネマテークで荒井晴彦さんと再会したので、最終的な応募原稿数をお聞きした。編集部に確認していないが、二桁は応募が集まらなかったそうだ。やっぱり大衆の叛乱か。しかし、無理のない側面もある。選考委員は4人とも口が悪かったが、荒井晴彦さんの選考評は、かなり的を得ているものが多かった。応募者を触発させる内容も少なくなかった。残りの3人の選考論評は、インテリの上から目線で単に人を不快にさせる悪口でしかなく、あまりにもお粗末に過ぎる。こんな馬鹿ども、相手にするか!となっても不思議はない。応募原稿の激減は、自業自得であるとも言える。

●「第1回映画芸術評論賞」の選考討議の話題
前項で紹介した「変な投書」というのを、ここで紹介したい。「映画芸術」の2010年春号で、荒井晴彦さん(誌上ではA氏、ただしこれが荒井晴彦編集長自身であることは、ご本人も認めている)が編集後記で記したことの孫引き・要約である。

「映画芸術」誌に寄せられた「変な投書」と私が称した編集部に対する抗議の手紙は、抜粋・要約すれば以下のとおりである。

1.落選した論文へのコメント(しかも酷評)が掲載されるとは思いませんでした。(中略)名前が明らかになると最初から分っていたら、ペンネームを考えて出したと思います。
2.我々は(中略)プロではなく(中略)反論のすべが全くない(中略)素人の読者ですよ。
3.名誉棄損で訴えようかと思っています。賠償金は1円で。

この第1項目に対して荒井さんは、
ペンネームなんか考えるひまがあるなら、もっと考えなきゃいけないことがいっぱいあるだろう、バカじゃないの(中略)俎板の鯉という覚悟はないのかなあ。
と、答えている。私も全面的に荒井さんに共感する。

2項目について荒井さんは、
俺は読まないが2ちゃんとかあるでしょ。活字では活字でというなら、反論、載せますよ。書いて下さい。
 これも荒井さんの言うとおりだ。現に私も2000年にキネマ旬報誌上の「読者の映画評」中の私の「皆月」評に対して、荒井晴彦さんから「映画芸術」誌上で手厳しい批判を受けたことがある。黙ってるつもりもない私は、「映画芸術」誌と「キネマ旬報」誌(編集者の掲載責任があると思うので)に反論原稿と私信を送り付けた。この時の「キネマ旬報」の不誠実な対応は、呆れかえるものだったが、それは後述する。

とにかく、これが縁で荒井晴彦さんと知己を得て、3年間にわたって「映画芸術」誌上に「サラリーマンピンク体験記」を連載させていただくことにも繋がったと思う。ピンク映画に関しては全くのビギナーだった私は、ここで映画の友人・知人の輪をグッと拡げ、今では私の映画人生の中でかなりの大きなフィールドを占めている。この投票者は、今回の一件を前向きに展開しようとしないのが、残念でならない。

今度の「映画芸術評論賞」選考討議についてだって、私は「映画三昧日記」という自分のフィールドで、しっかり言い返させてもらった。それが、「第2回映画芸術評論賞」のテーマ発掘にもつながったのだ。反論の方法はいくらもある。世の中、後ろ向きにボヤいていても、何にもならない。

最後の項についても荒井晴彦さんはこう述べる。
『やわらかい生活』の脚本を(中略)原作の奴隷にされてしまうかどうか、脚本家にとって敗けられない闘いをおちょくっている。冗談にしても品性を疑う。訴えてみろよ。
 これも全くそのとおりだ。脚本原理主義者の荒井晴彦さんの作家生命がかかっている裁判だ。昔の頑固親父映画評論家・南部圭之助の言を借りるなら「皮肉の皮算用でそんなことを使うものではない!」と叱責がくるだろう。私も「訴えてみろよ」と思う。その気がなかったら、こんな風に書くものではない。

この編集後記で荒井晴彦さんは、
選考過程が分った方が(中略)応募者への誠意のつもりでした。(中略)誰かが何かを選ぶことに「公正」ということはあり得ないと思っています。
 と補足している。全くそのとおりである。私が荒井さんに「変な投書」にビビらないで「第2回映画芸術評論賞」の選考討議も、「公正」でなくて結構!、ビシバシやってもらいたいと言ったのも、そこに通じる。

キネ旬の大企業体質? 寸鉄の荒井晴彦さんの辛口発言冴える
この件をきっかけに、荒井晴彦さんの寸鉄の辛口発言が、パーティーの懇談で冴えた。前述した「皆月」事件で私が、
「あまりにもキネ旬編集部の対応が不誠実なので、昔の知人の植草取締役とコンタクトを取ったら、すぐ事態が動いたんですよね。お前は東京電力か!って言いたくなりましたよ。もっとも今や東京電力だって取締役を通して初めて事態が動くなんて、ひどいお客さま対応をしてませんけどね」
 と言ったのに対し、
「キネ旬はそんなに大きいわけでもないのに、体質だけは大企業だからな」
と、手厳しく小気味良かった。

確かに、人生の中でかなりの時間比重を占める仕事が、人格を形成する要素となるのは、私のこれまでの社会生活を経てきた中での実感である。その意味で、映画マスコミのトップのキネ旬の大企業体質も、解らないことはない。

私が定年まで在籍した東京電力では、火力発電所の人間の体質に問題ありとの、一部俗説があった。火力発電所というのは比較的辺鄙なところにあり、その地域では巨大産業である。だから、発電所構内に入ってくるのは、発電所員に頭を下げる者ばかりである。そういう環境にあれば無意識に、人間が横柄になってくるということだ。荒井さんの指摘するようなことは、キネ旬だけの問題ではない。

いや、ひとごとではない。私自身が会社生活の中のほとんどで携わった電力指令マンも、かなりの評判が悪かった。指令を出すということは、実は偉くも何ともない。現場の人間は、限定した空間しか把握することはできない。その多数の各現場の状況を、オンライン情報や電話で把握しているから、指令所の人間が、現場に指令できるだけの話なのである。指令するのは、あくまでも「役割」であり「仕事」に過ぎず、偉いわけでも何でもないのだ。ただ、それが常態になってくると、自分が偉くなったと錯覚してしまうのが、人間心理の悲しいところだ。

私が若い頃、同期生が職場の先輩から、「口のきき方が悪い!」と怒られた。口のきき方が悪ければ怒られるのは当然だと思うだろうが、その内容が世間と違う。「指令する相手に、なんでそんなに丁寧なんだ!もっと威張れ!!」というのである。正に自分が偉くもないのに偉いと思う勘違いの典型である。まあ、私が定年になる頃は、そういう古い体質は、かなり払拭されていた。

私は、会社生活の中で5年程、東電学園という企業内研修機関で、現場第一線管理者研修の仕事に携わった。確かに、人を教育する立場に立つと、何となく研修生に対し無意識にせよ、上から目線で接していたような気がする。

その東電学園に、ある日社長が来訪することになった。10年に1回あるやなしやの話である。それが決まってからの事務方は大変な騒ぎ、視察の道の整備から、それに関わる通路の通行制限、雨天を想定して、屋外に出る時に傘をさしかける人、たたんだその傘を受け取る人と、リハーサルまでして何度も繰り返しているのである。まるで天皇陛下の行幸である。

私は、人生のかなりの仕事の時間を、このように過ごしている社長が人格を正常に保つのは、ものすごい心の強さが必要だなと思った。こんな毎日を続けていれば、普通の対応をされただけで、「失礼な奴だ!」と感じてしまうだろう。社長だろうが何だろうが、外に出ればただのオッサンと自ら自戒して認識するのは、かなり大変な精神的努力がいることと思う。

以上、映画および映画祭からやや離れたが、荒井晴彦さんの寸鉄鋭い「キネ旬大企業体質」の一言をきっかけに、いろいろなことを考えさせられた。荒井さんは単なる毒舌男ではない。発言はさまざまな示唆に富んでいて、私を触発するものが多い。
湯布院映画祭日記2010−3

●平成22年8月26日(木)
映画祭の開幕である。本日のプログラムは以下のとおりだ。

第一会場 由布市湯布院公民館ホール(シンポジウムは視聴覚室)
 「映画に愛された男と女 石橋蓮司&緑魔子」関連上映
 「竜馬暗殺」            10時   〜11時58分
 「非行少女ヨーコ」         12時10分〜13時35分
 「あらかじめ失われた恋人たちよ」  13時45分〜15時48分
 シンポジウム   石橋蓮司 緑魔子 田原総一朗 荒井晴彦 寺脇研
                   16時   〜17時

特別試写「オカンの嫁入り」     18時15分〜20時05分
 シンポジウム  監督・脚本・呉美保  撮影・谷川創平
                   20時30分〜21時45分


第二会場 湯布院公民館視聴覚室
 「特別企画 短編映画上映会」
 「花咲く少年の島 ふろたき大将」「ペダルの行方」「帰郷☆プレスリー」
                   10時   〜11時51分
 「ふろたき大将」「風雲」      12時10分〜13時30分

パーティー  亀の井別荘 湯の岳庵  22時   〜24時

さて、私のスケジュールだ。「石橋蓮司&緑魔子」関連作品上映で未見の映画は「非行少女ヨーコ」の1本である。そこで、すでに観ている「竜馬暗殺」上映中はメイン会場をパスし、第二会場で短編3本を消化する。昼休みは11時51分〜12時10分、ノンビリと外食している余裕はないので、朝のうちに宿から会場に向かうスーパーで、にぎり飯とサンドイッチを調達することにした。

「あらかじめ失われた恋人たちよ」はリアルタイムで観ている。本来ならば、こういう映画はパスし、13時35分からシンポジウム開始の16時まではサイクリングなどのアウトドアに当てるのが、これまでの私の通例だった。しかし、「あらかじめ失われた恋人たちよ」は、過去に観ているにはいるのだが、作品の印象が全く残っていない。そこで、田原総一朗監督(唯一の監督作品)も参上することでもあるし、再見して再確認することにした。

●「短編映画上映会」開幕  貴重な逸品「花咲く少年の島 ふろたき大将」
宿を早目に出てスーパーでにぎり飯とサンドイッチを調達、さらにコンビニのローソンにちょっと寄り道し、九州スポーツ(東京では東京スポーツこと東スポ、プロレス者の必需品だ)も購入する。そして、会場の湯布院公民館に入る前に、由布院駅に足を伸ばす。駅のアートホールで開催中の映画祭連動企画「劇団第七病棟写真展」を観るためである。そのために宿を早目に出たわけだ。石橋蓮司さんと緑魔子さんが主宰する劇団を、舞台写真と美術デザインを軸に記憶と再生を辿る企画だ。ザッと眺めるが、私はお芝居の方は造詣が深くないので、こんなものかなあ、という印象で終わった。

湯布院公民館・映画祭第二会場の視聴覚室に入る。「短編映画上映会」のトップを切るのは「花咲く少年の島 ふろたき大将」だ。昭和29年、関川秀雄監督の45分の児童映画だ。かつて、東映にはこうした児童映画シリーズというのがあった。劇場封切ではなく、授業の一環で学校の講堂や公民館で上映された。内容的には公序良俗に視点を置いてあまり面白おかしいものではないのだが、それでも普通の授業よりは楽しいのは確かで、TVなど無い時代の子供達の楽しみの一つだった。

この作品が今年の「湯布院映画祭」で上映されるのは、これが13歳の石橋蓮司(当時の芸名は石橋蓮)デビュー作だからだ。子役とはいえ、どうみても石橋蓮司以外の何者でもない風貌が、何とも楽しい。親友役を演じるのが渡辺司、こちらの方は早々と芸能界をリタイアし、その友達の思いも背負って「司」の一文字をもらい新たな芸名の石橋蓮「司」となったことが、実行委員会の重鎮・横田茂美さんから、上映に先立ち紹介がある。

映画は昭和29年、原爆投下後の戦災の跡が生々しい広島が舞台だ。21世紀の今になってみると、ロケされた背景は単純に時代のドキュメントとして貴重である。主人公の蓮司少年(この頃はまだ石橋蓮の芸名だが、あえてここでは特集にちなんで蓮司と呼んでおきたい)彼は原爆の被害で父母と生き別れ、孤児として浮浪生活をしていたのを、神田隆先生に引き取られ、そうした子供達を集めて面倒を見ている学園に入学することになる。そんな育ちの蓮司少年だから、中学生なのに学力は小学生低学年なみ、元来ノロマなので、他の子供たちから馬鹿にされ苛められる。

神田先生は、蓮司少年を何とか成長させようと心を砕く。蓮司少年は孤児の浮浪生活の中で、火を起こすのだけは得意だった。そこに目をつけた神田先生は、蓮司少年をふろたきに任命する。ふろたきはすべて君にまかせる、君はふろたき大将だ、と励ます。その期待に応えようと蓮司少年は、一生懸命になる。ふろたきといっても「大将」なんだから、火さえ起こしてさえいればよいわけではない。薪の在庫管理、クラスの風呂の順番計画の作成、その作業を通じて蓮司少年は、算数も国語も得意になり、ノロマと言われた性格も克服していく。

「取り得のない人は誰もいない」「一生懸命やれば報われる」。いかにも当時の児童映画を象徴する「清く、正しく、美しい」内容である。蓮司少年が成長を果たした頃、母親が発見され、親子そろって学園を去りメデタシメデタシとなる。出来すぎだろ、それって、と突っ込みを入れればキリがないが、いかにも戦後まもない時代を反映して微笑ましい。私の小学生の頃は、素直にこういうのに感動していた。

石橋蓮司デビュー作ということで、湯布院のお喋り雀の関心も高く、この映画を観なかった第一会場の何人かの人から「どうだった?」と聞かれた。前述した感想を要約して伝え、「我々はこういうものを子供の頃から見せられてきたから、清く正しく美しく生きてこられたんだなあ」などと付け加えたら、「お馴染みおたべちゃん」は、「ハイハイ、判りました」とあきれ顔で去っていってしまった。その後に「現代の子供は小さい頃から、俗悪なTV番組を目にしているのが、問題なのかもしれない」と、実はそっちの方が私の主旨だったのだが、そこまで聞いてもNTT西日本の常連「E.T.」さんあたりも、「あ、そう。結構でした」と、これも冷たく去られてしまった。

●思い出の児童映画「父っちゃん子」のこと
小学生の頃観た東映児童映画シリーズでは、「父っちゃん子」というのが印象に残っている。というか、実は私がエキストラ出演しているのである。主演は花沢徳衛、小学5年生の頃だから、監督には関心もなかったしもちろん名前の記憶もない。母を早くに失い男手一つで育てている父子家庭を描く感動篇である。父親の花沢徳衛が神社の祭りの相撲大会で優勝することにより、我が息子「父っちゃん子」を喜ばそうと挑戦するが、あっさり投げ飛ばされてしまう。私のクラス全員が、「父っちゃん子」の同級生となって、土俵を取り囲み花沢徳衛を応援する役回りである。そんなことで、日曜日に祭り半纏を身に付け、ロケ場所の近くに参集した。

花沢徳衛がユーモラスに柏手を打って登場してくると爆笑し、相撲が始まると黄色い声(そうです、まだ声変わり前です)で声援を送り、あっさり投げ飛ばされると「アーア」とがっかりする。「父っちゃん、負けちゃったな」「いいんだよ、父っちゃん」そんな涙のやりとりのところは、もらい泣きの涙目で見つめる。まあ、そんな芝居を繰り返したわけです。

これが、私の観戦場所の関係で、結構画面中央の良い位置に映っているのである。「ふろたき大将」は、東映児童映画シリーズとしてDVD化され、それもあって今回の湯布院映画祭上映ともなったのだが、今後こうした児童映画が連続リリースされたなら、「父っちゃん子」というタイトル、気に止めてください。可愛い小学校5年生の私が見られます。って笑うなって!思春期になって急にオッサン顔になっちゃったんだけど、実は私、もろ可愛い子供だったんです。

「父っちゃん子」は当然、公民館や学校を巡回して上映され、私が在校していた千住第三小学校でも校庭で上映された。さらに地元の東映封切館・千住東映でも一般映画の併映として一週間特別公開された。地元の小学生のエキストラを別にしても、ロケ地は千住界隈の親しんだ町並みで、その意味でも我々としては御当地映画として、一見の価値があったのだ。

以上、「ふろたき大将」をきっかけに、私が少々関係した昔の児童映画の思い出を綴ってみました。

●この日のあとの2本の短編にも、簡単に触れておこう
「ふろたき大将」上映に先立ち、石橋蓮司さんの芸名の由来が、実行委員の横田茂美さんの前説で紹介されたことを前述したが、併せて他の二本の上映作品も簡単に紹介された。10時からの回の最後に上映される「帰郷☆プレスリー」は、「湯布院映画祭」実行委員にして俳優としてゲストの常連でもある柄本佑監督作品だ。2009年の秋田十文字映画祭製作である。なかなか面白い映画との横田さんの言であった。これに対してもう一本の「ペダルの行方」については、まあ期待しないで観てくださいと、穴埋めで選定したみたいな冷たい紹介。とにもかくにも「ふろたき大将」に続き「ペダルの行方」の上映が開始される。

「ペダルの行方」は「ndic若手映画作家育成プロジェクト」製作実地研修作品である。と言われても、私にも何のことだか判らないのだが、とりあえずパンフレットの受け売りとしてこう記しておく。短編映画は、ワンアイデアストーリーで行くか、ストーリーよりも描写の面白味で短時間を突っ走るかのどちらかだと、私は思っている。その意味で「ペダルの行方」の掴みは、アイデアストーリーとしてなかなか面白い。

行方不明の子供を探す母子から、映画は幕を開ける。駅前でチラシを配り通行人に協力を呼び掛ける。子の方は8歳の小学生、兄が行方不明になったのは5年前、生きていれば現在は中学生だ。その小学生の前に、行方不明の兄を名乗る中学生が現れる。かなり悪意のある悪戯だが、小学生は本気にし、家まで連れてきてしまう。そこで意外な展開になる。出てきた母親も、本気になってその中学生を我が息子として歓迎するのである。無気味になった中学生は、その家から逃げ去る。

短編のワンアイデアストーリーなのだから、ネタバレも何もないと思うが、気にする方は次の項はパスして下さい。

実は、兄は5年前に事故で死んでいたのである。しかし、それを許容できない母親は、あくまでも行方不明と信じ込み、まだ幼児で記憶があいまいな息子を抱き込んで、捜索願いのビラ配りに狩りだしていたのだ。狂ってしまった妻の姿に悩む夫を通じて、その真相が明かされる。しかし、その事実が判った後も8歳の息子は、公園にいた中学生に「お兄ちゃん!」といって歩みよっていくところでエンドとなる。

ワンアイデアストーリーとしては、横田茂美さんが冷たく言うほどは悪くない。しかし、ここはもうひとひねり欲しいところである。二重ひねりくらいは無いと、短編であっても物足らなさが残るのは、否めないところだ。

「短編映画上映会」の二日目に上映された3分間映画10本連続上映「風雲」中の1本、私が本映画祭ベストムービーとした「栓」は、たった3分間の中で鮮やかなWひねりを見せていたのである。これについては、後で詳述する。

柄本佑監督作品「帰郷☆プレスリー」は、描写の面白さで押し切った一編だ。ミュージシャンを志して上京したが、さっぱりうだつがあがらず故郷の秋田・十文字に帰郷してきた中年ダメ男のスケッチである。ぐうたらだが愛すべきところもあるが、優しく迎える昔の音楽仲間も、やはりぐうたらで愛すべきダメ男ばかり。地道に地元のスーパーを支えていた実家の家族からは、もうおまえの居場所はないと、冷たくつきはなされる。そんな短期帰郷の間の中年男の悲哀を、ユーモラスな中にペーソスを交え、ミュージカルタッチも加えて綴られる一編である。主演の谷川昭一郎は、中年男のやるせなさを、よく表現していた。

●「非行少女ヨーコ」
朝、スーパーで調達した握り飯を慌ただしく口に放り込み、私も第一会場に場所を移す。緑魔子さん主演で、降籏康男監督第1回監督作品「非行少女ヨーコ」である。私は、公開当時見逃していた。降籏康男はこのデビュー作から注目を集め、高倉健を原爆症のヤクザに起用した第二作「地獄の掟に明日はない」で、その評価を決定的にする。私も「地獄の掟に明日はない」を注目した一人だが、デビュー作にまでは遡り損なった。量産プログラムピクチャーの時代は、そのあたりは致し方ないところだ。

「非行少女ヨーコ」は、家出娘ヨーコの男遍歴行状記を、若き日の緑魔子さんが奔放に演じて見せる。ジャズ喫茶やゴーゴーバー、クスリ漬けの乱痴気騒ぎと当時の新宿のフーテンの生態の数々が、今は懐かしい。最後は日本を脱出しヨーロッパへ向かう希望のエンドとなるのも含めて、高度経済成長前夜の日本はまだ欧米が憧れの地であったことを思い出させ、いろいろな意味で時代を感じさせた一編だった。

意外だったのは、この頃の撮影所システムのプログラムピクチャーとしては、ドラマ性が希薄だったことだ。ヨーコの男遍歴を団子の串刺しのように連ねていく。このドキュメントタッチが、デビュー監督の降籏康男が注目を浴びた理由の一つかもしれない。

石橋蓮司さんは、不良仲間の一人として緑魔子さんのヨーコにピッタリくっついている役で、この頃から印象を残す。意外だったのは若き大原麗子さんが、非行少女仲間の一人として端役で出ていたことだ。いや、端役ではない。魔子さんの傍にいつも共にいるのだから、出番は多い。ただ、役の見せどころがほとんど無いので、端役のような印象しか残らないのだ。

こういう例は、昔の映画を改めて見返すとよくある。日活映画でも、梶芽衣子としてブレイクする前の太田雅子が、吉永小百合や和泉雅子や松原千恵子の傍で、出番は多いがやりどころのない役についているのを、よく見かけたりするのである。

「あらかじめ失われた恋人たちよ」再見
「あらかじめ失われた恋人たちよ」は、超大物・田原総一朗のシンポジウム参加とあって、私は満を持して再見に臨んだ。前に、ほとんど記憶に残ってないとの意味のことを書いたが、改めて再見して、私としては当然の帰結だと思った。

加納典明・桃井かおり・石橋蓮司の三者が、砂丘を所在なげに放浪する姿を見て、次第に記憶が蘇ってきた。全く私好みの映画ではなく、忘却の彼方に去ったのも当然だと思った。さしたる目的も見つけられず彷徨する若者、連発される抽象的な空論、このアンニュイ感、甘ったれた心情は、私をイライラさせただけだった。

70年代初頭、反安保闘争がなし崩しに不発に終わったせいか、こんなアンニュイ映画にドップリ耽溺する若者が多かった。典型的なのは「八月の濡れた砂」だろう。当時の私の知る映画ファンでこれを褒めない奴はいなかった。唯一、私だけが、「甘ったれ映画」と断じて孤立し、それこそ非国民扱いされたものだった。無理もない。映画ファンの主力は、大学生のインテリである。叩き上げの私には、そんなアンニュイに浸る軟弱な余裕なんてない。このイライラ感は、インテリさんには理解しようもあるまい。私は、同じ頃の増村保造=関根恵子の、貧しき者の生と性の炸裂に、熱くなったものだった。

「あらかじめ失われた恋人たちよ」は、映画手法についても私をウンザリさせた。抽象的言辞の羅列、即興的でドキュメンタリックな演出、当時頻発した亜流ゴダール映画である。(ゴダールについては、別の観点から私は評価するものなのだが、私のゴダール論を始めるとキリがなくなるので、それは「映画三昧日記」などで機会を改めることにする)またかいな。という感じだった。この時代は、このような亜流ゴダール映画と、亜流ルルーシュ映画が、やたら多かった印象がある。

だが、映画はつまらなかったが、その後の田原総一朗監督のシンポは、無茶苦茶面白かった。ということで、シンポジウムについては次の項としたい。

●「あらかじめ失われた恋人たちよ」シンポジウム
「あらかじめ失われた恋人たちよ」で私が最も興味のあったのは、共同監督(脚本も)の清水邦夫と田原総一朗との役割分担である。この作品に限らず、共同監督とはどんなものなのか、我々観客にとり最も関心の高いところだと思う。田原総一朗監督は、それに明快に答えてくれた。

清水邦夫監督は、当時としては舞台演出家で戯曲作家として高名だった。一方、田原総一朗監督は、新進気鋭のテレビ東京のドキュメンタリストだった。田原監督は、現場ロケを指揮する役割を分担した。そして、私はフィクションは判らない、フィクション部分は現地ロケに入る前に、リハーサルで徹底的に役者さんに叩きこんでくれと、清水邦夫監督に要望したそうである。そして、清水邦夫監督は、役者を現地に送り込んだ以降は、撮影に一切立ち会わなかったそうだ。これは、映画創作としては、極めて興味深い実験である。

さて、その現場はどうなったのか。ドキュメンタリスト田原総一朗監督としては、フィクションは判らないと思っているし、フィクションを信じてもいない。ここから先は石橋蓮司さんの言になるのだが、とにかくリハーサルの芝居を全部出し切っても、田原監督はカットをかけないんだそうである。もう芝居するものはないよと思いつつ、監督に張り合うために徹底してアドリブ演技を継続する。いい加減そのネタも尽きた果ての果てに、やっとカット!の声がかかることの繰り返しだったそうだ。

ドキュメンタリスト田原総一朗監督としては、予定調和に完成されたフィクションなんかは観たくなかったそうなのだ。だから、そこまで俳優を追い込んで、ついに生の姿が曝け出されて、はじめてカットをかけたそうなのである。なるほど、清水邦夫・田原総一朗・両監督が、そんな極めて興味深い実験に取り組んだのが、この「あらかじめ失われた恋人たちよ」という作品なわけだ。といっても、私は、興味深いとは思っても、面白い映画ではなかったという実感は変わらないのであるが…。

緑魔子さんが、狂女で石橋蓮司さんと絡むエピソードがある。ここは、清水邦夫監督が徹底的に映画のフィクション性にこだわった部分で、さあドキュメンタリストとして壊すなら壊してみやがれとの、田原監督への挑戦の意味合いもあったみたいである。確かに、この部分のフィクション性は清水監督が勝った、というよりは緑魔子さんの圧倒的存在感を、鬼才ドキュメンタリストの田原総一朗監督が切り崩せなかったということであろう。ここにもフィクションとノンフィクションの微妙な狭間を垣間見た。表現というものは奥深いものである。

パネラーの一人として参加していた寺脇研さんから、極めて興味深い指摘がある。結局、田原総一朗さんは共同監督作品一本きりで、今は大物キャスターとして高名だが、今もそのドキュメンタリストの視点で、現実に切り込んでいるのではないか、もし「朝まで生テレビ」をそのままカメラに納めれば、「あらかじめ失われた恋人たちよ」のドキュメントの視点と、全く変わらないのではないのか、という指摘であった。さすが寺脇研さん、鋭い!と思って、シンポジウム後に湯布院のお喋り雀にその旨を語ったら、「大した発言じゃないんじゃないの」と、皆さん冷たいご反応であった。確かに私の知るお喋り雀はアンチ寺脇さんが多いけど(私もアンチに最近は近くなってるかもしれないけど)、でもさあ、良いものは良いって素直に感嘆しましょうよ。

ここで田原総一朗キャスター節に火がついた。三里塚空港反対同盟の戸村一作委員長のインタビューで、あまりに教条的・紋切り型の発言しかしないので、「そんなことは聞きたくない!あんたの本音を言え!!」と迫ったら、絶句をして涙を流した、でも、そこに農民・戸村一作の本音が見えたというエピソード。私は、少なくとも3人の総理を退陣に追い込んだという爆弾発言も出た。まあ、総理をガンガン追い込んで、ポロリと本音を吐かせたのが、政治的致命傷になったという意味なのではあるが…。

田原総一朗キャスターの舌鋒の鋭さで私が印象に残っているのは、日曜朝のワイドショーで各党の政治家それぞれに、「あなたは重税福祉党か、軽税酷薄党か」と、迫ったことだった。国民感情から言っても、そのどちらかしか無いと思う。「軽税福祉」なんてウマい話があるわけはない。ちなみに私は貧乏人だから「重税福祉」に賛成である。「酷薄」なのは困る。「重税」といっても貧乏人の税金なんて、たかが知れている。もちろん徴税が的確に行われることと、税の使い道がきちんとしているのが条件ではあるが…。しかし、各党の政治家はさすがしたたかで、「福祉は大切です。やります。が、減税は進めなければ…」と美味しいことばかり言い続け、「駄目だよ!そんなの!できるわけないでしょう!どっちなの!」としつこく迫っていたのが小気味良かった。回答は出なくても、政治家の人気取りの偽善性は浮き彫りになったのである。

田原総一朗監督の気炎は止まるところがない。時効だからということで、「あらかじめ失われた恋人たちよ」の製作秘話が明かされる。田原監督はテレビ東京在籍社員のままで、この映画を監督したそうである。局の仲間も応援してくれて、勤務表改竄の協力までしてくれたそうだ。古き良き時代だったということだ。その手があったかということで、NHKの竜村仁監督が、同じやり方でATGで「キャロル」を発表したら、こっちの方は記憶にある方もいるだろうが、マスコミ報道で大問題となり、最後は解雇されてしまった。ま、税金ではないにせよ、反強制的に受信料を国民から徴収しているNHKと、スポンサーで食っている民放の違いということだろう。(もっとも、民放に流れるスポンサー料だって、結局は物価の形で国民にツケが回るのは同じなのではあるが)

この頃のATG映画は、ATG600万円、製作者側600万円の、1200万円で製作された。興行的メリットとしては借金まで背負い、田原監督に得るものは少なかったようだ。それに絡めて明後日に来る若松孝二監督にも話題が移る。「あの人はしたたかだよねえ。ATGから出た600万円で完成させちゃうんだから」と、語っていた。「天使の恍惚」も600万円で完成させたということだ。でも、これは若松監督に対しての讃辞と言っていいのだろう。この若松流映画製作の「生活の知恵」は今年の特別上映作品「キャタピラー」でも痛感するのだが、それは後の項に譲る。

残念だったのは、日曜朝のテレビ朝日レギュラーを降板したとはいえ、田原総一朗さんがご多用なのは変わらないようで、湯布院も日帰り参加、パーティー出席もなし、飛行機の時間を気にしてのシンポジウム途中退席となった。私としては、今や貴重品となった「あらかじめ失われた恋人たちよ」のパンフレット、「アートシアター」90号を満を持して持参していたので、対談記事で佐藤浩市を彷彿させる若き日の田原監督のイケメンの写真をお見せして、傍にサインの一つももらうかなと目論んでいたのだが、そんな時間も取れることもなく、残念でしたとの結果になった。

台風のような湯布院通過ではあったが、やはり田原総一朗監督の喋りは「木戸銭」の取れる人であるのは、間違いのない事実だった。今年は「湯布院映画祭」35周年ということもあって、共同テレビなど何社かのマスコミのカメラが入っており、シンポジウム後に私もインタビューを受ける羽目になった。田原総一朗さんについて「さすが、千両役者!木戸銭の取れる人!!」と絶賛をしておいた。申し訳ないけども寺脇研さんは、文部科学省退官後はミスター文部省のキャスターとして引く手あまただったが、続々とリタイアとなった。確かに、現役高級官僚というバックがなければ、「木戸銭」の取れる喋りではないと感じる人は、少なくないだろう。

ただし、この田原総一朗さん参加のシンポジウムは、最終日の私設総括会で一部の人には極めて評判が悪かった。その急先鋒は「キューブリック」さんである。ちなみに「キューブリック」さんも別にハンドルネームとかではありません。本名とは別に九武利久(くたけとしひさ 音読みにするとキューブリック)を名乗っている高齢の方です。「田原総一朗はけしからん。対話の場を設けないで、言うだけ言って帰っちゃうとは何だ!」といった調子である。「失礼します!O」さんも同調気味であった。私は、これはこれでいいと思った。短時間でも都合をつけて来ているのだから、これはトークショーに近いものだなと、冒頭から感じていた。そんな人を前に、我々ド素人がつまらない意見・討論を述べて、貴重な時間を費やすのはもったいない。シンポジウムと一口に言うが、討論に近いものと、トークショーに近いものと、二種類あると思う。私はそのよう意見を言ったが、「トークショーだと判っていれば、私は最初から出ない!」と反論された。確かに自分が、喋って喋って喋り倒したい人にとっては、そうなのかもしれない。そういえば、「キューブリック」さんも、「失礼します!O」さんも、「周防和義とその仲間のトークアンドライブ」には顔を見せていなかった。その意味では姿勢は一貫しているようである。ただこのイベントも、「トーク」と「ライブ」と銘打っていても、実はシンポジウムと同様に、質疑応答・意見交換の時間はあったんですけどね。このあたりは後述いたします。
湯布院映画祭日記2010−2

●移ろわない時の風景 湯布院への道程
ここ10年程の湯布院への道程は、ほとんど移ろうことはない。13時前後の福岡空港行き航空便を予約し、早目に羽田空港のターミナルに着いて、ゆっくり昼食を取る。もちろん、ロング缶500mlも食事の友である。

今年は30品目バランス弁当というのが目を引いたので購入した。赤魚白醤油焼・鶏肉の和風マスタード焼・ゴロっと野菜と海老の鶏そぼろあんかけ・煮物・蓮根金平・ひじき煮・春雨サラダ・五目ご飯・青菜ご版・大学芋の10種が詰め合わせられている。食材の30品目も蓋の裏に記載されている。鶏肉・赤魚・海老・大根葉・枝豆・かぼちゃ・絹揚げ・わかめ・キクラゲ・ごぼう・米・蒟蒻・がんも・椎茸・ししとう・白ごま・春雨・大豆・筍・うずらの卵・さつまいも・舞茸・アキアミ・なす・人参・パプリカ・ひじき・ふき・油揚げ・蓮根、以上である。この多種・多彩・多様な弁当をつまみ代わりに、500ml缶を空ける。ボーっとかすかに心地よい酔いが回ってくる。これから前夜祭も含めた5日間の「湯布院映画祭」への期待が、モリモリと湧きあがってくる。ある意味で、これが最大の至福の瞬間なのかもしれない。

福岡空港の到着は、例年15時前後、15時半前後の由布院駅前行き高速バスに乗車し、湯布院入りはだいたい17時前後、このパターンも10年来変わらない。高速バスは、市内の渋滞の影響で、遅れることが多く、空港での待ち時間は30分から1時間ある。ここでも、その時間を利用して500ml缶を空ける。前夜祭会場では、模擬店で焼き鳥を調達し、ここでも500ml缶を空けるのが恒例で、今年もしっかりそのパターンを踏襲した。でも、よく考えれば、発泡酒ないしビールを朝から1500mlも空けてるなんて、我ながらすごいよなあ。この後、野外上映終映後、実行委員会との懇親会でタラフク飲んで、宿の「牧場の家」での私設懇親会に雪崩れ込むのだから、スタートから映画祭は完全な体力戦になるわけだ。

10年来変わらないこのパターンだが、「湯布院映画祭2009」で記したように、昨年だけは少々趣きがちがった。6月末に嘱託契約期間が満了し完全フリーになったのを期に、かねてから登りたいと思っていた由布岳を踏破するために、1日前に湯布院入りしたのである。これは、昨年思い切って行って良かった。今年だったら、猛暑で熱中症の危惧もあり躊躇しただろう。来年になれば一つ歳を重ねる。その後も1年毎に歳を重ねて、体力はどんどん落ちてくるだろう。本当に、昨年に思い切って由布岳を踏破して良かったと感じ入っている次第である。

●移ろう時の風景  旅の読み物
JR西国分寺〜モノレール羽田空港駅が鉄道で1時間弱。羽田空港〜福岡空港が空の旅で2時間弱。福岡空港〜由布院駅前の高速バスが2時間弱。これだけの時間があると、「旅の友」としてちょっとした読み物が必要になってくる。湯布院参加からある時期まで、私には「旅の友」読み物の定番があった。

一つはプロレス紙の「週刊ファイト」である。もう一つは「グイン・サーガ」の最新刊だ。どちらも、湯布院行き前に発売され購入していても、あえて読まずに「旅の友」としてとっておいたものだ。

「週刊ファイト」の発行元は、新大阪新聞社。東京から外れていることによって、あえて独自の視点でプロレスを語り、活字プロレスの重鎮となり、哲学すら感じられた愛読紙だった。「グイン・サーガ」は構想全100卷を越える栗本薫の大長編ヒロイック・ファンタジーである。この二つは、私にとって「湯布院映画祭」への旅とは、切ってもきれない友であった。そして、それは永遠に続く「旅の友」と思っていた。しかし、時の流れは冷酷だった。

プロレス冬の時代を反映して、「週刊ファイト」が休刊になったのは2006年10月だった。この業界で「休刊」というのは「廃刊」と同義語で、そのとおり2010年の現在に至るまで復刊されておらず、その兆しも全くない。後に残った「旅の友」の読み物は「グイン・サーガ」だけだった。こちらの方は、当初構想の百巻を越えても、いつ果てるともなく続き、二百巻になるかそれ以上か、私が生きて完結を読めるかどうか、といった永遠の存在と思われた。しかし…。

昨年5月、「グイン・サーガ」作者の栗本薫が亡くなった。享年56、あまりにも若すぎる死であった。残された「グイン・サーガ」は正伝130卷、外伝が21卷である。死後も生前に書き置かれた作品が刊行され続けたが、それも昨年12月の130卷「見知らぬ明日」発刊をもって未完の終焉を迎えた。昨年の湯布院への道程の「旅の友」として、128卷「謎の聖都」を読みながら、ああ、来年はもう「グイン・サーガ」の新刊を読むことができないのだなあと、深い感慨に耽っていた。

二つの「旅の友」をすべて失った今年の湯布院への道程、私は記念に保管していた「週刊ファイト」最終のNo.1990、2006年10月4日号を引っ張り出して、今年の「旅の友」とした。改めて4年前のこの号を読み返すにつけ、プロレス状況は、さらに悪化していることを痛感した。もはや、冬の時代を通り越して氷河期である。2006年は、まだプロレスには未来があるような光が、(錯覚でも)見えていないでもない時代だった。

昨年5月、栗本薫逝去の報を聞いた時、私は呆然とした。「グイン・サーガ」という一つの生き甲斐を失ったと思った。「グイン・サーガ」第一巻「豹頭の仮面」は1979年に発刊、30年余も読み続けて来たのだ。亡妻と共に愛読し、それにいつしか成長した娘が中学生の頃から参加した。そして、昨年の2010年12月、最後の130卷を読了した時、心に荒涼たる荒野が広がった。

「グイン・サーガ」には、正伝130卷の他に、21卷の外伝がある。これは、正編の中から独立したエピソードを抜き出して語る形をとっている。正編の枝サーガが中心だが、正伝開始前の過去のエピソードもあるし、正伝を先取りした未来のエピソードもある。正伝130卷より先の未来のエピソードは、外伝の第1卷「七人の魔道師」、さらに先のエピソードが外伝21卷「鏡の国の戦士」である。未完の130卷の続きとして、私はこの外伝2卷を貪るように再読した。このエピソードが、正伝とどんな形で絡んでくるのだろうか。すべては、想像を逞しくするしかない。130卷以後の正伝は、栗本薫が墓の中に持って行ってしまったのだから…。

すべてを読み終えた私に、ある一つの試みが浮かんだ。前述したように「グイン・サーガ」外伝は、正伝以前、正伝中の枝エピソード、正伝以後の、三種があることを紹介した。これをもう一度時系列に並べ直して読み返そうと思ったのである。「時系列グイン」としての再読だ。まずは外伝5卷「時の封土」所収の短編「湖畔にて」、次は外伝18卷の「消えた女官 マルガ離宮殺人事件」、続いては外伝6卷の「ヴァラキアの少年」。ここまで読みかけたところで、湯布院の季節がきた。私は、週刊ファイト最終号と共に、「グイン・サーガ」外伝6卷を「旅の友」の読み物として携え家を出た。

来年の湯布院への道程の、「旅の友」の読み物はどうなっているのだろうか。「グイン・サーガ」正外伝合わせて151卷を1年で読み終えているとも思えないから、「時系列グイン」を読み続けているのだろうか。それとも新たな「旅の友」を発見するのだろうか。時は移ろう。永遠不変のものなんて、何もない。「グイン・サーガ」第130卷「見知らぬ明日」、栗本薫は何という含蓄に富んだタイトルの未完の最終巻を残して、旅立ってしまったのだろう。晩年発行の「グイン・サーガ」のあとがきに記していた闘病記を読むと、ある程度の覚悟をしていたのかもしれない。小松左京のファーストコンタクトSFの傑作と、あえて同タイトルにしたのも、何らかの意識があったのかもしれない。

二つの「旅の友」を読みながら、以上のような感慨に耽っていた時、バスはいつしか由布院駅前に滑り込んでいた。

●平成22年8月25日(水) 前夜祭の風景
湯布院駅前には、野外上映用のスクリーンが張られ、客席用のシートも敷かれている。恒例の湯布院神楽の舞台も設置され、完全スタンバイだ。冒頭で紹介したmixiネーム「YAS」さんこと映画検定初回1級合格の最高得点者・吉田康弘さんと出会う。「YAS」さんは、「牧場の家」より格安な宿をゲットしたそうで、同宿で私を知る人がいるとのことだった。予想どおりその人は、滋賀の「失礼します!O」さんだった。「失礼します!O」さんも、何年か前に「牧場の家」の近場の宿を愛用し始めたが、東京で聞いた「YAS」さんの話では、多分同じ所だな、という感じがしていたからだ。それにしても、東京で頻繁に行動を共にしている「YAS」さんと、年に1度の邂逅をする「失礼します!O」さんが、同じフィールドを共用しているのは、何となく微笑ましい心境にさせられる。

前夜祭は、もはやお馴染みになった19時からの「由布院神楽保存会のお神楽」で幕を開ける。例によって私も、模擬店でビールのロング缶と焼き鳥を調達し、シートに座り込む。映画祭の常連は、この頃はまだあまり顔を見せていない。20時からの野外上映に焦点を絞っているようだ。缶ビールを傾けながらの神楽鑑賞と洒落込んでいたら、背中をつつく人がいる。「お馴染みおたべちゃん」だった。介護戦争の日々、何とか都合をつけたと聞いていた。良かったね。「おたべ」ちゃんも、映画祭参加者の中で数は多くないお神楽に興味を持つ常連である。冒頭でも紹介したが、「おたべ」ちゃんはmixiの有名人であるのを知ったことを話題にし、脚本家のNさんのことを出したら、微妙な顔をされて遠ざかってしまった。1年ぶりの再会の最初の話題としては、まずかったようだ。

20時、野外上映の昭和44年作品「日本一の断絶男」が始まる。相変わらず東宝映画のプリント状態が良くないのは残念なところだ。これも前述したが、植木等映画としては、相手役が浜美枝や団令子のような東宝女優でなく、東映の小悪魔女優・緑魔子というのが異色である。しかし、異色はそれだけではない。監督・脚本も、この当時の東宝職人作家の古沢憲吾・笠原良三といった職人コンビではなく、監督は「野獣死すべし」でデビューした気鋭の鬼才・須川栄三、脚本は田波靖男は定番だが、共作者として大島渚映画も執筆している佐々木守が名を連ねている。

映画は70年万博の工事現場をスイスイと調子よく潜り抜ける植木等演じる日本(ひのもと)一郎で幕を開ける。本物の電力館パビリオンの工事現場を背景に使った映像のボリューム感は、なかなかのものがある。電力業界は小林一三の系列で東宝に深い縁があるので、このロケ選定は順当といったところだろう。

余談だが、この時の電力館の映像イベントの監督は恩地日出夫、ワイドスクリーンを縦に六面構成でシネラマ式に展開し、太陽エネルギーをテーマにしたマルチスクリーン作品だが、金ばかりかけているわりには、糞真面目で面白くも何ともないしろもので、この頃の表現・PR面では野暮の骨頂だった電力業界を、典型的に反映していたのが、記憶に残っている。

この後、「日本一の断絶男」は、全共斗をおちょくり、東映任侠のパロディを展開し、破天荒にハチャメチャに進展していく。とりとめがないといえば、とりとめがないが、植木等映画でこんなブッ飛び映画があったのを発見できたのは、やや面白かった。

4年程前に李相日が「69 sixty nine」で、「全共斗なんて、所詮ファッションよ」と断じて、荒井晴彦さん以下全共斗現役世代が、かなり渋面を作った。しかし、リアルタイムのプログラムピクチャーで、こんな風にサラリと「全共斗なんて、所詮ファッションよ」と、すでに断罪されていたのだ。この当時、この断罪は、物議を醸さなかったんだろうか。所詮、植木等のプログラムピクチャーと黙殺されたのだろうか。全共斗寄りの佐々木守の脚本作品であるので、許容されたのだろうか。興味を引くところだ。私は「全共斗なんて、所詮ファッションよ」ということに全面的に共感するし、全共斗世代=団塊の世代という一般論に異議を唱える者でもある。

団塊の世代については、三日目の「キャタピラー」シンポジウムで、映画とは離れて一部参加者と若松孝二監督との間で激論があったので、その項でジックリ語りたいと思う。

●平成22年8月25日(水) 乙丸地区公民館懇親会  「失礼します!O」さんの話題を中心に
野外上映終了後、乙丸地区公民館における実行委員と参加者の懇親会に向かう。参加費は1500円で、握り飯などの食事も用意されており、ここのところ恒例となった地鶏の手造りバーベキューは美味である。お得な催し物だ。

寂しかったのは、ゲストの参加者が一人もいなかったことである。レギュラーの荒井晴彦さんは、何故か今年は明日から湯布院入りするという。乙丸地区公民館は全館禁煙だが、とりあえずヘビースモーカーの荒井さんは治外法権の黙認で、会場の大広間の隅で遠慮がちに煙草をふかしており、「お馴染みおたべちゃん」が便乗して灰皿を共有し、荒井さんとミスマッチの介護談義にくれているなどの、いつもの風景が見られないのはちょっと残念なところである。昨年に続き、常連の渡辺武信さんの顔も(この日だけでなく映画祭全部で)見なかった。別の予定が入っていたためならよいが、ご高齢でもあり、健康上の都合だとしたら、気にかかるところだ。

1年ぶりの再会を祝して、常連参加者同志に懇談の花が咲く。私は滋賀の「失礼します!O」さんと、しばし歓談する。あ、ここで断っておきますが、「失礼します!O」さんとは、ハンドルネームでもmixiネームでもありません。「失礼します!」で始まるシンポジウムの大熱弁が(今年も最終日の安藤サクラさんなんか、その迫力に押され、半分恐怖でのけぞっておりました)、湯布院の風物詩として定着してきたので、私が勝手にこの「湯布院映画祭日記」で命名しているだけです。「失礼します!O」さんはワープロともメールともmixiともパソコンとも無縁の、完全な活字派アナログ派です。(アナクロ派などと失礼な読み間違いをしないよう!)

そんな「失礼します!O」さんが、私がプリントした「湯布院映画祭日記」の抜粋を眼にし、もっと沢山読みたいとの申し出があったので、2年分の映画祭日記と、「映画三昧日記」の「10年目の湯布院映画祭」や、その他一部抜粋の原稿をプリントアウトしたものをお貸しした。話はそれへの「褒め倒し」から始まった。

「いや、素晴らしい!映画祭の光景が目に浮かんで思い出されてくる。あなたは文筆の人や。話芸なんかはどうでもエェ!文筆で行きなはれ!!」

例によっての、関西弁のド迫力で、圧倒的に迫られる。確かに「失礼します!O」さんから、何度も熟読したいから、当分貸してくださいとのハガキが来て、1年余になるのだから、それが単なるヨイショだとは思わない。熱心に読んでくれる人がいるのは、嬉しき限りだ。でも、そろそろ返却願いたいなあと思うのも本音である。

それに、私はまちがっても文筆の人間ではありえない。残念ながら、私の映画評は一部賞金まがいのものを除いて、一銭も稼いでいない。原稿料(木戸銭)前提の原稿依頼は一回もない。話芸の方は、「蛙の会」発表会の活弁や、社会人寄席の活弁トークや活弁コントで、(私がお目当てではなかったにせよ)木戸銭をいただくステージに二桁以上立っているのである。まあ、「失礼します!O」さんは、シンポジウムでは喋って喋って喋りまくりたい人のようだから、私の発言を封じて時間を稼ごうという思惑の牽制球もあるのかもしれない。

いずれにしても、「失礼します!O」さんの喋りは、話芸を勉強する者として示唆に富んだものが多い。話芸に関しては、「修行」なんてものはあまり関係なく、「天然の凄み」には結局勝てないのかな、なんて思ったりもする。具体的には3〜4日目にかけてのシンポジウムのレポートの項に譲りたい。とにかく今年も、私と「失礼します!O」さんの、「明るく、激しく、楽しい」四天王時代の全日本プロレスのようなバトルの開戦である。

「牧場の家」の懇親
乙丸公民館の懇親会打ち上げ後、有志こぞって「牧場の家」の福岡のYさんと私の部屋に参集する。

本「映画祭日記」冒頭で、映画検定初回1級合格の最高得点者、「YAS」さんこと吉田康弘さんの初参加を紹介した。これは「湯布院映画祭」にとって大ニュースである。といっても本人自ら声を大にして言うことはできまい。そこで私は、皆に紹介すべく「キネマ旬報」2007年3月上旬号の「映画検定1級合格者発表!」のページをコピーして持参した。ちなみに最高得点者の1位は同点4人で、えらそうなデカい面をしていても、私の方は147位なんだから、全く大したことはない。

まず「牧場の家」の懇親で、それを皆さんに紹介した。最高得点者点4人は、「キネマ旬報」2007年4月上旬号で写真入りでインタビューも受けている。「早い話が、同じ1級合格者でも、我々とは身分がちがうわけです」と、その記事のページのコピーも示し、併せて紹介する。福岡の1級合格者のYさんは、私より少々下位で、「私なんかギリギリですから…」と恐縮していたが、私は「いや、1位が特別にインタビューを受けますが、それ以外の2位以下は、何のちがいもありません」と返した。「1番の必要があるんでしょうか。2番ではいけないんでしょうか」という蓮紡参議院議員の言は、やはり間違いと言わざるをえない。残念なのはこの後、映画祭の慌ただしいイベント参加にまぎれて、「YAS」さん初参加の快挙を実行委員の方に伝えそびれてしまったことである。

そんな映画検定の話題などをきっかけに、談論風発、映画談議の花が咲く。メンバーを再検証したら、「おたべ」ちゃん、「YAS」さんをはじめ、福岡のYさんは「トム」さん、かくいう私は「活弁オジサン」で、いずれもmixiつながりの面々であった。私はmixi上では敬称をつけると「活弁オジサン」さんとひどくややこしく、「活弁さん」との略称で呼ぶ人が多い。mixi仲間ということで見返すと、それぞれの人間関係で微妙にラップしてくる所も少なくない。完全に私の映画的日常が湯布院に雪崩れ込んだ感じで、脚本家のNさんの話題で妙に盛り上がっちゃったのも、本日記の冒頭で記しているとおりである。これも冒頭に記したが、このmixi繋がりをきっかけに、「るき乃」さんとも初対面ともそうともつかない挨拶を交わし、最後にピンクゲリラツァーの牽引者である「お竜」さんによろしくなんて「るき乃」さんに声をかけられたりする顛末にもなる。いずれにしても、友達の友達の友達が友達になっていくmixiの世界は、奥深いものだ。

気が付けば午前2時、映画祭本チャンはあくまでも明日からであり、本番に備えて散会になった。こうして、「湯布院映画祭」前夜祭は暮れて(明けて?)いくのであった。
湯布院映画祭日記2010−1

●湯布院映画祭参加12年目、ゆるやかに移ろう時の流れ
湯布院映画祭の参加も気が付いたら12年目に入っていた。ここまで来ると、毎年のルーチンワークで、変わらないことを変わらずに、淡々と過ごしていくという感じになってくる。しかし、時というのは止まってはいない。少しずつ、少しずつ、時の移ろいを感じないではいられない。今年は、それを顕著に感じた年であった。

時の移ろいの風景の変化を、最も感じさせたきっかけは、mixiネーム「YAS」さんこと映画検定初回1級合格の最高得点者・吉田康弘さんの参加である。YASさんとは、池島ゆたか監督を囲む「PKの会」や、ピンクゲリラツァーなどで頻繁に行動を共にし、飲んでいる間柄である。こういう日常の映画ファン同志の関わりが、そのまま映画祭に流れ込んでくることは、これまでになかった。

確かに、「映画友の会」の友人のSさんが、家族旅行も兼ねて、過去に1回参加したことがある。また、「おたべちゃん東下り」の会などで、東京で湯布院同窓会的なことに何度か参加したことがある。でも、それらは極めて特異な例で、どんなに湯布院が毎年恒例行事に定着し日常に降臨したとはいえ、人と人の繋がりに関しては、年に一度の再会を楽しむ場であり、私の日常と大きくラップしてくることはなかった。

先日、mixiの縁で、天神シネマで福岡版ピンクゲリラツァーを仕掛けている「駱駝夫人」さんが、夫君の「ラクダリーン」さんと共に上京し、盛大に歓迎の宴を催した。その「駱駝夫人」さんが「トム」さんと知人であることを知った。「トム」さんとは、湯布院の友にして私が知る限りのプロレス者のYさんのことである。さらに、そのmixi繋がりの「るき乃」さんが湯布院映画祭に参加していることを知り、初対面の挨拶をした。(過去にも意識はしていなかったが、顔を合わせていたようだが…)このネット繋がりの中で、「お馴染みおたべちゃん」が、かなり広範に知られる有名人であることも、段々と解ってきた。

もはや湯布院は、年に一度の旧交を暖める場から、私にとって大きく様変わりをしてきた。私の日常の友人・知人の人間関係の、坩堝の場と化しつつあるのだ。

初日の前夜祭、乙丸地区公民館の実行委員会との懇親会の後、何人かの人間が、宿の「牧場の家」に参集し、引き続いての懇親となった。そこで、シナリオライターのNさんの話題が出た。Nさんは、今年の5月のピンクゲリラツァーで初めてお話し、極めて個性的な方だが、私にとってはちょっと苦手な人だった。実は、その人は過去に「湯布院映画祭」でゲスト参加されたこともあり、「牧場の家」の場のほとんどの人と何らかの繋がりがあったのだ。しばし、個性的なそのNさんについての人物評となり、辛口評(少々悪口まがいの)で盛り上がったのであった。私が東京での映画的日常の中の一幕が、こんな形で湯布院のお喋り雀と連動してくるとは、これまでになかった風景である。

あ、私は別に悪口なんて言っておりません。私は、「どんな人にも良いところはある」「私はかつてまだ嫌いな人に会ったことはない」との淀川長治さんの精神の持ち主です。(淀川さんのこの心情も実は裏があるのだが…)ただ、私にとって人間とは、話して「楽しい人」と「楽しくない人」との2種類あって、残念ながらNさんは後者でしたと、申し上げただけです。こちとら、定年退職・年金生活者の隠居の身、仕事の上では銭のために「話して楽しくない人」とも話さなくてはならなかったが、もうそんなことに無理する必要はない。つつましく暮らせるだけの小金(コガネ)はある。悪い事をしていないので大金(オオガネ)はありません!いずれにしても、余生は「楽しい人」とだけ話して過ごしたい。

「ピンクゲリラツァー」というのは、「ピンク映画カタログ」や「映画三昧日記」で何度も紹介しているが、「湯布院映画祭日記」で初めて登場するので、簡単に触れておきたい。映画好きの女性で、ピンク映画にまで関心を示す人は決して少なくない。しかし、ピンク映画専門館に女性だけで入るのは、やはり敷居が高い。そこでmixiを中心に、何日にこの映画を観たい!と女性が旗を揚げる。そこで男共がボディガードに名乗りを上げる。今春から数回開催されているが、2〜3人の女性に対し、その2〜3倍の男性ガードマンが参加するという盛況で展開されている。

まあ、そんな感じの映画的日常の人間関係の坩堝が、「湯布院映画祭」になっていきそうなのである。こうなると、この「湯布院映画祭日記」のニュアンスも、やや異なってくる。これまでは、その年の映画祭を何らかのテーマに基づいてまとめるということを意識していたが、今年からは、思いつくまま淡々と「映画三昧日記」のように書き連ねていくことになると思う。

●期待大きい今年の「湯布院映画祭」(その1) 「映画に愛された男と女 石橋蓮司&緑魔子」
はっきり言ってここ何年かの「湯布院映画祭」は、プログラムの魅力が乏しかった。ノスタルジックに偏り過ぎた特集と、魅力の薄い新作特別試写の作品群。昨年の新作ベストムービーは、すでに映芸マンスリーで鑑賞済の「PASSION」だったなんて、トホホの限りである。「他の映画祭なら、このプログラムだったら参加しません。プログラムに関係なく旧知の友人に会える湯布院だから参加しているだけです」。こんな厭味まがいの映画祭評を、実行委員の方々に語ったものだった。

だが、今年のプログラムは素晴らしい!これなら「湯布院映画祭」に限らず、フっ飛んで行くだろう。特集のトップは「映画に愛された男と女 石橋蓮司&緑魔子」、個性的なお二人だけに、上映作品も魅力満載だ。前夜祭の野外上映が「日本一の断絶男」、植木等映画としては、相手役が浜美枝や団令子のような東宝女優でなく、小悪魔女優の緑魔子というのが異色である。(この他にも、植木映画としては異形の魅力をいろいろ放っているのだが、それは後述する)

石橋蓮司と緑魔子の共演作として上映されるのは「非行少女ヨーコ」「あらかじめ失われた恋人たちよ」、石橋蓮司の出演作として「竜馬暗殺」「獣たちの熱い眠り」「赫い髪の女」、緑魔子出演作としては前記「日本一の断絶男」に加えて「盲獣」、何とも素敵なセレクトではないか。

ゲストは石橋蓮司と緑魔子の御両者はもちろん、人気大物キャスター田原総一朗が、「あらかじめ失われた恋人たちよ」の監督(清水邦夫との共同で唯一の監督作)として参加、それに蓮司=魔子夫妻の演劇活動「劇団第七病棟」の同志・柄本明が加わる。

これに加えて、駅構内の湯布院駅アートホールでは、「劇団第七病棟写真店」が映画祭連動企画として開催される。

●期待大きい今年の「湯布院映画祭」(その2)
「少し不思議な映画music 周防義和」

2番目の特集は「少し不思議な映画music 周防義和」。上映作品は「シコふんじゃった。」「歓びの喘ぎ 処女を襲う」「東京マリーゴールド」の3本。「歓びの喘ぎ 処女を襲う」のシナリオタイトルは「死に急ぐ海」、周防義和が「しっきよしかず」名義で音楽を担当した高橋伴明監督のピンク映画だ。この作品選定も、何とも憎いものがある。

映画祭三日目には「周防義和とその仲間のトークアンドライブ」と銘打って、周防義和がシンガー「tomo the tomo」とユニット「tomo the tomo carpe diem」を結成し、そのコンサートが開催される。湯布院映画祭としてはユニークな催しと言えよう。

●期待大きい今年の「湯布院映画祭」(その3)  「短編映画上映会」
湯布院公民館のメイン会場とは別に、主にシンポジウム開催場所である視聴覚室を第二会場として、「短編映画上映会」が開催されたのも、今年の特色であろう。さらに、この特別企画は湯平会場という第三の開催場所まで現出し、映画祭三日目の夕刻には短編映画作家との交流会が、ボンネットバスを仕立てて湯平温泉で、短編映画の関係者を中心にしたゲストを囲んで開催された。私は、さすがにこちらの方までは手が回らなかったが、視聴覚室上映の全7作品は、本会場のすでに鑑賞済作品の時間帯を縫って、何とか全部踏破することができた。このように、第三会場までリーチを拡げると、当然参加者は全プログラムをクリアするのは不可能になり、最終日の私設総括会でも議論が出るのだが、詳細はその時の項に譲りたい。

「短編映画上映会」のメインは昭和29年の石橋蓮司(当時は石橋蓮)13歳のデビュー作、東映の児童映画シリーズ「花咲く少年の島より ふろたき大将」、他に「湯布院映画祭」ゲスト常連の柄本佑クン(もはや堂々たる青年で、クン呼ばわりは失礼なのだが、子役の頃からの常連で映画祭実行委員としても汗をかいているので、つい親しみを籠めて、あえてこう呼ばせてください)の、「あきた十文字映画祭」製作の監督作品、「帰郷☆プレスリー」など、注目作は満載だ。

●期待大きい今年の「湯布院映画祭」(その4)  その他の特別作品
これ以外の特別作品も、今年は目も眩むばかりだ。まずは若松孝二監督の特別上映作品「キャタピラー」、若松監督自身が、主演の寺島しのぶさんを帯同しての参加である。ベルリン映画祭主演女優賞、もっともシュンな寺島さんはまぶしいばかりだ。

特別試写作品の「パートナーズ」は、「湯布院映画祭」常連ゲストの荒井晴彦・脚本(弟子筋の井上淳一との共作ではあるが)新作。やはり、常連ゲストとはいえ、荒井さんが新作に噛んでいる映画祭か、そうでないかでは盛り上がりが違う。それも、今年の映画祭が期待大だったもう一つだ。

トリは阪本順治監督最新作「行きずりの街」、監督自身のゲスト参加はもちろん、主演のスーパースター仲村トオルさんまで参戦というのだから、以上これまで、近来にない「湯布院映画祭」のベスト企画の連打と言えるだろう。

●蓋をあけたら、やや失望だったが
さて、そんなことで過ごした第35回の「湯布院映画祭」ではあったが、シンポジウムの充実とは裏腹に、作品的にはやや失望というのが、私の実感である。

私の新作ベストムービーは「パートナーズ」、どうせ犬の映画と思っていたが、これが練達の職人・荒井晴彦の見事な「仕事」であった。隙というものがない。犬の映画も難病ものも、このレベルでやってくれなら、映画通のうるさ方も何も言わないのではないのか。この映画は侮れない。ただ、侮れない程度の映画が、ベストムービーになってしまったことが、私がやや期待外れと思った所以である。

「キャタピラー」は、若松孝二監督の力作だとは思うが、膨大なる作品群の系列から見て、中の上か、よくいって上の下といったところ。阪本順治監督新作「行きずりの街」に至っては、全く乗れなかった。監督自身は、映画は乗れるか乗れないかですとシンポジウムで開き直り気味だったが、総体ムードとしては乗れない派が主流の様だった。昨年のフィナーレ「笑う警官」よりはマシ、なんて声が出るあたりに、そのレベルが伺える。わたくし的に言えば、正直言って角川作品とトントン程度というのが実感だ。最近の阪本作品には、映画話法の乱れが感じられてならない。

私の真のベストムービーは、「短編映画上映会」の「風雲」、これは10人の監督の3分間ショートフィルムの連続上映なのだが、その中の一本「栓」に尽きる。3分間ムービーがベストなんて、やはり作品的にはちょっと寂しいものがあったということだ。

以上、総括的な感想を述べてきた。次回からは、思いつくままノンビリと詳述していきたいと思う。冒頭に述べたように、今年は「映画三昧日記」の延長という趣きになってきたので、下手をすると年末まで引っ張ったりしているかも知れない。まずは、ユルユルと進めさせていただきます。

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