周磨 要の 「湯布院日記2011」

新原稿が最初に来ます。初回からご覧になりたい方は、スクロールして下さい。
湯布院映画祭日記2011−2

●今年の「湯布院映画祭」のスケジュール
今年の「湯布院映画祭」の特集を中心にした概要は前述した。改めて、こんどは時系列に直して紹介したいと思う。

8月24日(水)前夜祭
19時00分〜       由布院神楽保存会のお神楽 JR由布院駅前広場
20時00分〜21時31分  野外上映「次郎長青春篇 つっぱり清水港」 JR由布院駅前広場
22時00分〜     実行委員と映画祭参加者との懇親会 乙丸地区公民館

8月25日(木)
上映会場は以降すべて由布市湯布院公民館ホール、シンポジウム会場は初日の公民館ホールを除き2F視聴覚室

「朝イチ時代劇 斬る−キル−」
10時00分〜11時54分  「必死剣鳥刺し」

「特集 豊川悦司」
12時15分〜14時12分  「犯人に告ぐ」
14時30分〜16時28分  「傷だらけの天使」
18時00分〜20時11分  「今度は愛妻家」
20時30分〜21時45分  シンポジウム ゲスト・豊川悦司 行定勲監督  司会・映画評論家・野村正昭
22時00分〜24時00分  パーティー  亀の井別荘湯の岳庵

8月26日(金)
「朝イチ時代劇 斬る−キル−」
10時00分〜11時26分  「悪坊主侠客伝」

「特集 光石研」
11時45分〜13時06分  「Helpless」
13時15分〜14時49分  「博多っ子純情」
15時15分〜16時45分  シンポジウム ゲスト・光石研 青山真治監督 曽根中生監督
                原作・脚本 長谷川法世  司会・実行委員・映画ライター・小林俊道

「特別上映作品」
18時30分〜19時59分  「劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴りやまないっ」
20時30分〜21時45分  シンポジウム ゲスト・入江悠監督 出演・森下くるみ

「第2回 湯平温泉シネマツァー」(並行して)
18時00分〜18時28分  「冬の日」
18時33分〜19時15分  「NINIFUNI」
19時20分〜20時00分  「ファの豆腐」
20時05分〜        ふれあいトーク  ゲスト・久方真路監督
22時00分〜24時00分  パーティー 九州湯布院民芸村

8月27日(土)
「朝イチ時代劇 斬る−キル−」
10時00分〜11時26分  「十兵衛暗殺剣」

「一般上映作品」
11時35分〜13時07分  「”経営学入門”より ネオン太平記」
13時15分〜15時52分  「日本のいちばん長い日」
16時00分〜17時00分  トーク ゲスト・小説家・関川夏央 青山真治監督
                脚本家・映画監督・「映画芸術」編集長・荒井晴彦
「特別試写作品」
18時15分〜20時16分  「種まく旅人〜みのりの茶」
20時30分〜21時45分  シンポジウム ゲスト・塩屋俊監督 出演・柄本明、石丸謙二郎
                撮影・阪本善尚
22時00分〜24時00分  パーティー ゆふいん麦酒館

8月28日(日)
「特別上映作品」
10時00分〜11時57分  「紙風船」
12時10分〜13時00分  シンポジウム ゲスト・広原暁監督 秋野翔一監督

「特別試写作品」
13時30分〜15時31分  「ツレがうつになりまして」
15時45分〜17時00分   シンポジウム ゲスト・佐々部清監督 脚本・青島武
                 國松達也プロデューサー  司会・映画評論家・寺脇研

「特別試写作品」

18時00分〜19時57分  「僕達急行 A列車で行こう」
20時15分〜21時30分  シンポジウム ゲスト・森田芳光監督  白倉伸一郎・三沢和子プロデューサー
22時00分〜24時00分  パーティー ゆふいん健康温泉館


●「湯布院」か?「由布院」か?「ゆふいん」か?
ここで、表記の中で「湯布院」とあったり「由布院」とあったりしていることに気がついた人もいるだろう。話に聞いたところによると前の湯布院町は、「湯」平町と「由」布院町が合併して「湯布院町」になったそうだ。さらにそれが平成の大合併により、狭間町・庄内町が合併して、現在の由布市に至ったということである。だから、地元としては「由布院」「湯布院」どちらも愛着ある呼称なのであろう。両者の顔を立ててか、「ゆふいん」というひらがな表記も町には目立つ。

このあたりの関連記事として、やや古いが「映画芸術」2005年冬号で、湯布院町長選挙のドキュメンタリー「プロジェクトY ゆふいんAFTER X」を、「湯布院で起こった二、三の事柄」という形で特集している。現在映画祭実行委員として活躍中の小林華弥子市議会議員も、生まれも育ちも外国の日本人Iターン候補者として画面を飾っている。

不肖、私めも「少数派のカオスは圧殺されるのか」なる拙文を寄稿しております。亀の井別荘の中谷健太郎さんも寄稿しています。皆さん!このバックナンバーを買いましょう!と、実行委員のHさんから「映画芸術」拡販運動を頼まれていますので、悪乗りしてここでPRさせていただきます。


●前夜祭
前夜祭である。19時からの1時間弱はお神楽である。野外上映にふさわしい20時までの暗闇を待つ時間調整の意味もあるのだろうが、これも湯布院映画祭の風物詩として完全に定着した。今年は由布院神楽保存会による演し物。これまでは、子供神楽であったり湯平神楽であったりで、毎年変化があるのも楽しい。

残念なのは、この時点では映画祭参加者の顔も少なく、やや閑散としていることだ。前にも述べたが、私は模擬店で焼き鳥と缶ビールの500mlを調達し、お神楽を楽しむ。もはや私としては、これが無ければ映画祭は始まらないという感じになった。

野外上映会「次郎長青春篇 つっぱり清水港」の時間が迫る。この頃になると駅前広場のシートには、人がいっぱいになってくる。市や映画祭関係者の開会宣言やら挨拶やらが続く。トリは伊藤雄実行委員長だ。
「島田紳助の不祥事で、野外上映は中止の止むなきに至りました。…なんて、そんなことないですよね」
 と委員長は、一瞬ギクッとさせて笑いを取る。島田紳助は「つっぱり清水港」に森の石松役で出演しているのだ。

「次郎長青春篇 つっぱり清水港」の公開は、昭和57年年末で、すなわち昭和58年の正月映画だ。「男はつらいよ」の30作記念「花も嵐も寅次郎」の併映作品。はっきりいっておまけ映画である。そんなことで、封切り当時の記憶は、私には全く残っていなかった

改めて野外上映会で観直すと、これがなかなかの作品だった。前田陽一の弾けて軽快な演出もさることながら、キャスティングが凄い。次郎長・中村雅俊、大政・原田大二郎、小政・明石家さんま、森の石松・島田紳助、桶屋の鬼吉・佐藤浩一、法印の大五郎・平田満といった次郎長一家に加えて、女優陣は大谷直子と田中好子、脇を固めるのが三木のり平・加藤武・北村和夫・柄本明・ケーシー高峰・阿藤海・松本竜介といった面々だ。これって、完全に正月のオールスター超大作ではないか。

これだけのボリュームの作品が寅さんの「おまけ映画」で、当時ほとんど印象に残っていないのだから、昭和は何と豊かな映画の時代だったのかと感じざるをえない。今の目で観ると、このままシリーズ化され「寅さん併映映画」として定着、あるいは「釣りバカ日誌」などのように一本立ちしても遜色がない作品と思うが、そうならなかったのは、当時はこの程度では、問題にならなかったということだと思う。

若き日の次郎長一家が、所在なげに世を明かす浜辺は、多分野面(「のづら」と読む。屋外を撮影所内のセットで組むこと、2007年映画祭の大映特集で私はこの言葉を知った)であろうが、その規模には感嘆した。撮影所システム全盛の日本映画の底力は、凄いものがあると改めて感じいった。

●懇親会は「失礼します!Oさん」の旧交を温めることからスタート!
野外上映終了、参加者は三々五々と、実行委員会との懇親会の場、乙丸地区公民館へと流れていく。

まずは、「失礼します!」で幕を空けるシンポジウムの熱弁が、完全に湯布院映画祭の風物詩と化した滋賀の郵便局長OBのOさんに、昨年の東京国際映画祭以来の挨拶を交わす。

「失礼します!Oさん」は、「湯布院映画祭日記」を始めとして、本HPの私の各種拙文を熱心に読んでくれる人である。ただし、PCともメールとも無縁のアナクロ、失礼!、アナログ人間なので、私が適当にセレクトしてプリントアウトし郵送したり手渡ししたりしている。今回は「ピンク映画カタログ−15」のプリントをプレゼントして喜んでいただいた。

「ピンク映画カタログ−15」を選定したのは、最近私との関係が深くなりつつある清水大敬監督のことを書いてあるからだ。今年の「湯布院映画祭」でその大敬さんが俳優として出演した「紙風船」(第3話「秘密の代償」)が上映される。拙文中では、私も端役で参加した清水大敬監督作品「淫行病棟 乱れ泣く白衣」の撮影風景が記されている。「失礼します!Oさん」が、「秘密の代償」を観る前でも後でもいいが、大敬さんの人となりを知れば、より映画を面白く観られると思ったので、それを選定したのだ。

●活字文化人間「失礼します!Oさん」
「いつもありがたいですわ。楽しく読ませてもらってます。こんな素晴らしいものを一人でしまいこんでいるのは、勿体ない。どんどん公表しなはれ!」、「失礼します!Oさんか」ら、一瞬唖然とする檄が飛ぶ。しまいこんいでるも、公表するも何も、これは「ぼくら新聞・13号倉庫」内の1コーナーとして、とっくに公表済のもののプリントアウトなのである。活字文化人間の「失礼します!Oさん」にとっては、ネット上の情報は、存在しないに等しいということなのだろう。

私は、本当に残念だと思う。「失礼します!Oさん」が、「私の文章は面白い!どんどん読みたい!」「すべて読みたい!」と言ってくれるのはうれしいが、ネット上に入ればクリック一つで2002年からの「湯布院映画祭日記」、そして2000年からの「ビンク映画カタログ」(前身の「ピンク日記」も含めて)、2005年からの「映画三昧日記」、すべてが簡単に閲覧できるのである。

「湯布院映画祭」常連で、定期的にmixi日記に映画評をアップしている「湯布院映画祭」常連のある人も、「失礼します!Oさん」から是非読みたいと乞われて、プリントアウトして郵送しているそうである。でも、プリントアウトして封書に住所を書いて切手を貼ってと、案外面倒なものなのでもある。もともとクリック一つで閲覧できるものにこんな手間暇をかけるのだから、疲労感も強いのかもしれない。

ただ、活字文化人間で、手書きの手紙をこよなく愛し、メールなどとは無縁の「失礼します!Oさん」だからこそ、この類稀なる個性が出てくるのだろう。これはこれでよいのかもしれない。

今回の「湯布院映画祭日記」は、この後も「失礼します!O」さんをかなりサカナにすることになりますが、これも親しさの表われとしてご容赦ください。お覚悟を!(笑)

●活字文化とネット文化
こんなことを言っているが、私も活字人間からネット人間にリーチを拡げたのは、遅い方だと思う。今でも私は、ネット上で活字文化をやっているのではないかと思う。娘から「お父さんの文章は、全然ネット向きじゃないよね」と言われたこともあった。確かにネット人間の文章の軽やかさには程遠い。そもそも、今頃「湯布院映画祭日記」などと言っているフットワークの重さからして、全くネット向きではないだろう。

かつて、私には夢があった。退職金をもらい、定年になって暇が出来たら、自費出版で本を出そうと思っていた。500万円くらいなら何とかなるかなと考え、それなりにリサーチしたこともあった。今でも、一部の人から「本を出したら…」と勧められることがある。

しかし、今や全くそこに興味はない。商売として持ちかけてくる人がいれば大歓迎だが、自腹を斬ってまでの気持は全くない。仮に出版に漕ぎつけたとして、本屋の店頭に並ぶ可能性は低い。平積みされることなんて、まず無いだろう。仮にそこまで到達したとしても、短期間にあっという間に引き揚げられていく。今の出版状況なんてそんなものだ。後は、親しい人達に寄贈したとてして(私も自費出版の豪華な俳句集を送られたことがある)いつか本棚の底に埋もれ、最後は年末あたりに処分されるのがオチだろう。本というものは案外空しいものだ。

反響に関しても、活字の反響というのは、どんどん少なくなっている。盛んだったのは70年代あたりまでだろうか。例えばキネマ旬報「読者の映画評」を今でも話題にしてくれる人は、75年あたりまでの私の記事に尽きる。私はこの後、働き盛り・子育て・家庭サービスの多忙期間を経て、1988年に投稿を再開し、2005年まで「読者の映画評」常連であり続けた。その後、自ら「投稿引退宣言」を発し、この場からリタイアするのだが、この後段の時代を話題にしてくれる人はほとんどいない。それだけ、活字が読まれなくなった、あるいは読まれてもかつての熱意は存在しない、ということなのではないだろうか。

この「湯布院映画祭日記」にしても、スタートは活字だった。個人的メモリアルとしてまとめたものを伊藤雄実行委員長のご好意で、「第24回 湯布院映画祭 シンポジウム再録」の特別寄稿「周磨要の超ミニコミ宣言」として掲載していただいたのである。「シンポジウム再録」というコアな人しか買わない冊子上だったとしても、反響というのは全く耳に入ってこなかった。「湯布院映画祭日記」の反響が届いてくるのは、13号倉庫さんのご好意で本HPにアップされるようになってからである。

私は2001年〜4年の間、「映画芸術」誌に「サラリーマンピンク体験記」を連載した。こちらの方も、とんと反響が耳に入ってこなかった。むしろ本HPの「ピンク日記」から「ピンク映画カタログ」を通じての反響の方が、多かったのである。ネット文化に対する活字文化の地盤低下は、一目瞭然と感じた。

5年分の「ピンク映画日記」、9年分の「湯布院映画祭日記」、7年分の「映画三昧日記」と「ピンク映画カタログ」、これがいつでもクリック一つで今でもすぐ読める。ネット文化とは、何とスゴいものなのだろう。私は今は、自費出版への思いは全く消えてしまった。そして、13号倉庫さんには、感謝!感謝!である。


●清水大敬監督のこと
ここで、最近私と距離が近くなってきた清水大敬監督のことに触れておこう。清水大敬さんは、俳優出身の監督である。いや、いまでも自作以外の映画にもオファーがある現役の俳優でもある。俳優のキャリアとして最も誇りに思っているのが、黒澤明の「影武者」のオーディションに合格したことのようだ。

これについては、取り巻きのおしゃべり雀を始めとして、いろいろ楽しいエピソードを耳にした。「乗馬はできるの」と黒澤監督に聞かれて「大丈夫です!」と断言した。ま、受からんだろうとの読みもあったみたいだ。ところが合格通知がきてさあ大変!実際は乗馬経験がゼロだったそうである。それから、乗馬教室に必死に通ったそうだ。結果は撮影中に落馬して、ついに画面には映らなかったらしい。まあ、この手の噂話は面白おかしく伝えられるもので、どこまでが本当でどこまでがデマか判らない。確実なのは清水大敬さんが、オーディションに合格したとの事実だけである。

 清水大敬監督と初めてお会いしたのは、一昨年の9月「人妻教師 レイプ揉みしごく」のエキストラだった。夜間高校の生徒役である。「口髭がありますけどいいですか」と聞いたら、「そんな夜間高校生もいていいでしょう」とのことだった。学園祭のシーンでは「蛙の会」の活弁の舞台で付けているド派手な蝶ネクタイを持参したら、採用となった・「蛙の会」衣装の映画デビューである。そのあたりから、何故か大敬さんは私のキャラが気になりだしたらしい。

翌2010年秋の「愛人OL えぐり折檻」(公開は今年2月)では、小さい役ながらキャスティングとしてオファーが来た。社長の役で泰三という役名もちゃんとあり、台詞も三言くらいある。(アフレコでは画面オフのシーンで台詞が倍に増えた)私の娘役が今をときめくピンク映画の広告塔・倖田李梨さん、娘婿が大ベテランの「なかみつせいじ」さん。「なかみつ」さんの義理の父というわけだ。そして社長秘書が艶堂しほりさん。何とも気分のいい役であった。

それ以降、拒蛹hオフィスの準所属俳優の趣きとなり、オフィス製作の映画だけでなくVシネ(AVであります。もちろん私は「普通の俳優」として出演しています)にまで、エキストラ以上・役者未満といった形で活躍(?)しています。

「湯布院映画祭」上映の清水大敬さんの出演作品は、前述したがオムニバス映画「紙風船」の第3話「秘密の代償」だ。監督の吉川諒は、「愛人OL えぐり折檻」でセカンド助監督を務めていたそうである。さすがに私は、セカンド助監督の顔まで覚えていないが、私は出演者の端くれだったから、先方の記憶にはあるかもしれない。湯布院での再会を楽しみにしていたが、結局ゲスト参加したのは1・4話の監督のみということで、残念だった。

「紙風船」は東京藝大の大学院生が、一般公開を前提に製作したオムニバス映画である。藝大生が修行のため、ピンク映画の現場も経験に来たということだろうか。いずれにしても、それが清水大敬さんの出演に繋がったのなら、こういう縁というのはいいことである。

またまた懇親会での「失礼します!Oさん」との話題。牽制球が飛んで来る。
再び懇親会での「失礼します!Oさん」との話題に戻る。(タップリとサカナにすると宣言したとおりです)ひとしきり私の拙文を絶賛した後、「あなたは文筆の人や。喋らん方がええ。文筆に専念した方がええ。シンポジウムで喋り過ぎや」と、早速牽制球が飛んでくる。

どうも「失礼します!Oさん」は、シンポジウムでみんなから、自分が一番喋ると思われたくないらしい。そこで、私のような人身御供が必要なのだろう。ついでに私の喋りを牽制することで、喋って喋って喋り倒したい自分の発言時間を、より多くゲットしたい下心もあるのかもしれない。

しかし、「湯布院映画祭」の風物詩の一つと化した「失礼します!Oさん」にとって、そんな牽制球はもはや無用なのではないだろうか。シンポジウムで、最も多く喋って喋って喋り倒すのは「失礼します!Oさん」であり、その話芸(鍛え上げたものではなく、天然だとしても)で最も聞かせるのも「失礼します!Oさん」なのである。これは自覚された方がいい。毎年のように飛んでくるしつこい私への牽制球には、ちょっとウンザリである。

かくいう私は、最近シンポジウムで喋ることは少なくなった。確かに参加当初は発言するのも木戸銭(シンポジウムは有料イベントである)のうちなのだから、「喋らゃにゃ損々」というさもしい根性があった。しかし、「湯布院映画祭」に参加を重ねているうちに、ゲストとの関係はシンポジウム会場とパーティーの懇談という二つの側面があることに気がついた。この二つは上手に使い分ける必要があろう。

シンポジウムは公の席で行われる。そこには公共の場としてのマナーが必要である。まず、自分が話して楽しい話題であること、これは参加者として当然の話であるが、ただ自分にとっていくら楽しい話題でも、他の人にあまり関心を呼ばないようなものなら控えるべきである。そういう話題は、お目当てのゲストとパーティーで差しでジックリ語りあえば良いのである。そういう場がセッティングされているのも「湯布院映画祭」の良さでもあるのだ。

そして、大事なことは、感想・意見・質問などの内容を通じて、ゲストから貴重な意見を引き出すことである。シンポジウムは参加者全員のものだということだ。だから、私はシンポジウムの発言内容(発言の有無も含めて)セレクトすることを心掛けるようになった。

もう一つ大切なことがある。私がシンポジウムにふさわしくない発言に時間を使うということは、もしかしたら、他の人の有意義な発言時間を奪ってしまっているかもしれないということだ。前に、話すのも「木戸銭」のうちと言ったが、人の貴重な意見が聞けるのも「木戸銭」のうちなのである。自分が発言することで、それが失われ逆に私が「木戸銭」を損しているかもしれないのだ。

まあ、「失礼します!Oさん」のように、喋って喋って喋り倒すのを楽しみとしているだろう人は、それが快楽で「木戸銭」の内になるのだろうから、それまでも否定するものではない。

●かつて全シンポジウムにフル発言していた頃の浅ましき自分
と、かっこいいことばかり言ってきたが、実は私も発言すべきことも無いのに、無理無理に全シンポジウムにフル発言していた時期はあった。

私は映画評論家になりたかった。理由は、そうなれれば24時間映画に使えるからだ。人はよく才能と言う。そういう側面はあるだろう。しかし、人間の能力はそんなに大きな差は無いと、私は思っている。ただ、あることに対して、どこまでエネルギーを注いでいるかということの方が、才能よりも多くの要素を占めているような気がする。

残念ながら、私がどんなに映画を愛し、どんなに映画にエネルギーを注いだところで、映画プロパーでなければ限界がある。私の人生のほとんどのエネルギーは、映画と何の関係もない首都圏の電力安定供給に注がれるしかないのである。だから、俺に24時間映画に使わせてみろ!エネルギーを注がせてみろ!こんなもんじゃない!こんなもんじゃないぞ!と思い続けたのは事実である。

 だから、浅ましく狂おしく24時間映画に使える映画評論家を目指したのだ。そこで、映画プロパーが集まっている「湯布院映画祭」でも、できるだけ目立つように無理無理に多く発言してきたのも、まちがいはない。全くヤナ男である。寅さんではないが、思いおこせば恥ずかしきことの数々だ。

結局、映画評論家になる夢は叶わず、人生のほとんどのエネルギーは電力マンとして注ぐことになり、そして定年退職して年金生活者になった。遅まきながら24時間映画に使える身分になってしまったのだ。そうなったら、スコーンとプロの映画評論家になる必然性も消えて、浅ましくガツガツとシンポジウムで発言して目立つ必要もなくなってしまった。

しかし、それですべて良しというわけではない。人生でもっともエネルギーに溢れている青年・壮年期に、映画に対してささやかなエネルギーしか注げなかった無念の悔いは残っているのである。しかし、仕方がない。もういいではないか。私は無名戦士であっても、首都圏の電力安定供給に電力系統指令マンの下級管理職として、社会の役に立ってきたのだ。それでいいのだ。私は還暦も過ぎて、そんな風に自分で自分を納得させた。

そんな時に、東日本大震災が襲来した。そして、伊藤委員長にも「電力業界のデタラメさ」と断じられた。いや、委員長に限ることはない。戦後の高度経済成長・バブル期を必死に支えてきた電力マンの価値を、今の時代風潮は全否定しているのだ。俺は「無名」戦士ですらないのか。俺の人生は「デタラメ」だったのか。俺の一生は何だったのだ。映画以外のものに人生のほとんどのエネルギーを注がざるを得なかった無念さを、やっと自分なりに納得させて来たのに…。私は自殺など絶対にしないが、自死の心境に至ったのは事実である。

●映画の記憶 渡辺武信さんと「日活アクションの華麗な世界」談義
懇親会の席上に、映画評論家にして建築家の渡辺武信さんの顔が見えた。「湯布院映画祭」の常連ゲストであるが、ここのところは体調を崩されたとかで、お顔がみえなかった。パンフレットによれば4年ぶりの参加ということだ。

渡辺武信さんの「日活アクションの華麗な世界」は名著である。普通は名著といっても、そんなに繰り返し読むことは少なく、いつしか書庫の下の方にうずもれてしまうものだが、「日活アクションの華麗な世界」は常に新鮮な思いで私が読み返せる掛け値なしの名著なのだ。活字文化の地盤沈下と、本の空しさを前述したが、「日活アクションの華麗な世界」には活字・本の重みを感じる。

「日活アクションの華麗な世界」は本文697頁、索引だけでも19頁、2段組みの膨大な著書である。索引のボリュームからも類推できるように、ここで論評される作品は圧倒的に膨大な数である。1954〜71年の日活作品のほとんどを網羅しているのではないだろうか。

当然ながら、私はいくら映画ファンとはいえ、鑑賞本数は渡辺武信さんの爪先にも及ばないだろう。ということで、私は24時映画三昧になったここ3年程、見逃していた昔の気になる作品をこまめに追うことをはじめた。(都内は今や名画座の宝庫。毎日が映画祭の感で、昔の映画をいくらでも観ることができる)そして、日活映画の旧作を観た後は、渡辺武信さんがどのように評価したか、索引を繰って確認するのも楽しみのひとつとなった。

「日活アクションの華麗な世界」は、個性的な渡辺日活史観といったものに支えられており、だから、一本の映画を観た後、その映画の論評に止まらず、渡辺武信さんの日活映画史の中でどんな位置付けにあるかの確認のために、その前後を読みなおしたりもする。私にとって、これだけ繰り返し読みなおす書籍は、ちょっと他に類をみない。

このように「日活アクションの華麗な世界」は、通りいっぺんのカタログ的映画史でないところが素晴しい。渡辺武信史観を読みながら、俺は違うと思ったりして、自分の日活史観を組み直していく。そんな知的楽しみも与えてくれるのである。

そんな話題をきっかけに渡辺武信さんにお近づきになる。ムードアクション=「赤いハンカチ」を頂点と見る渡辺さんの日活史感は、相対的に鈴木清順映画のポジションを下げることになり、清順ファンには異論もあるそうだ。ただ渡辺武信さんの史観では、鈴木清順は日活アクションの傍流であり(裕次郎映画はついに撮らなかった、いや撮らしてもらえなかった)、むしろ宍戸錠映画の一ジャンル監督といったところなのだ。

残念なのは、日活をこのようにキチンと語ったのが、渡辺武信さん一人なので、あたかもそれが王道のように錯覚する人がいることである。そんなことはない。いろんな史観の方がいて、それが林立すれば素晴しいのだが、渡辺武信さんに拮抗する人がいないのである。

そんな話の中で、私もある意外なことに気がついた。最近、私は鈴木清順の「悪太郎伝」2部作を観た。渡辺武信さんがどう評価し日活アクション史の中でどう位置付けたか、楽しみに索引を繰ったら、何と!無いのである。

渡辺武信さんも、あくまでも「日活アクションの華麗な世界」は日活のすべてでなく、私なりの日活アクションとしてのまとめですと、おっしゃっていた。そういえは、石原裕次郎と並んだもう一人の日活スター吉永小百合については、アクション映画の刺身のツマ程度に出ていた作品しか触れられていない。確かに吉永小百合は、裕次郎を中心としたダイヤモンドラインの対局で、グリーンラインを形成していた。グリーンラインの作品について、渡辺武信さんはあまり取り上げていない。

「悪太郎伝」2部作は、山内賢と和泉雅子が主演で、ある意味ではグリーライン上の作品と観たのではないだろうか。とすれば、この手の清順映画としては二つのラインの境界作品として「けんかえれじい」を挙げておけば、十分とのことになったのかもしれない。

「日活アクションの華麗な世界」は、72年〜79年にかけてキネマ旬報に連載されたものに加筆訂正を繰り返し、完成されたものだ。ビデオやDVDとは無縁の時代であり、すべて渡辺武信さんの記憶に頼っている。当然ながら記憶違いもあるし、それを指摘する人もいたようだ。

ただ、渡辺武信さんは、それについてあまり細かくは気にしないとの意味のことを、おっしゃっていた。映画というものは、各自の記憶の中で生きていくもので、記憶違いも含めて、その人にとってはその記憶がその映画の真実ということだろうとのことだった。

確かに、映画の伝道師として高名だった淀川長治さんにも、記憶違いが無いこともなかった。しかし、その記憶が淀川さんにとってのその映画の価値であり、それあってこそあの名調子が生まれてくるのである。実際に映画を観てみたら、映画よりも淀川さんの話の方がよっぽど面白かったなんて、伝説が生まれる所以でもある。

冒頭に紹介した私の出演作「淫行病棟 乱れなく白衣」について、初号試写を観た直後の撮影体験記も交えた長文のレビューを「ピンク映画カタログ」で紹介した。1時間のピンク映画で、これだけの長文を書ける人も珍しいと、変なほめられ方もした。その後、封切時に映画を再見したら、時制が錯綜する映画だったにせよ、何ヶ所かの記憶違いに気が付いたのである。確かに記憶の中の映画と、物理的な映画作品そのものとは、各自の中で案外と乖離があるようだ。


●牧場の家にて 原発エネルギー問題から、一転「あの人」の話題へ
 懇親会も終わり、乙丸地区公民館から宿の牧場の家にもどり、おなじみのメンバーが一室に集結したのは、11時頃だったろうか。「お馴染みおたべちゃん」が私に、「12時までなら、愚痴でも何でも聞いてあげるよ」とのお優しいお言葉。ウルウル…。かくして、これまでに述べてきたような、我が一生に対する嘆き節・愚痴り節を延々と吐き続けてしまった。

みんな私や電力業界を糾弾することなく、優しく聞いてくれた。「少なくとも、映画の世界に関してあなたが無名戦士なんてことはないよ」なんて、過分な励ましまでいただいた。しかし、私の心がだんだん熱くなり、兇暴になりかけてきたので、時は12時少々前ということもあったので、「あ、もうこの話題おしまいね」と、区切りをつけるためにトイレに立った。

トイレからもどって来たら、当然ながら話題はガラリと変わっていた。昨年の前夜祭後の牧場の家の私設懇親会でも話題となった「あの人」のことに移っていた。「あの人」なんて、まるで「ハリー・ポッター」のヴォルデモートみたいだが、そう映画プロパーで「湯布院映画祭」ゲスト参加の実績もあり、そこにいた全員が別々のフィールドで知人だったという顔の広い人である。そして「あの人」について全員が、口をそろえて辛口評をした「あの人」のことである。ホントにヴォルデモートみたいだが、今年はイニシャルも差し控えることにいたしましょう。

今回の懇親メンバーの中では、一人だけ「あの人」のことを知らない人がいた。その人は当然大いに興味を示して、「俺も知り合いになりたいな」と漏らしたら、すかさず全員が口を合わせて「知る必要ない!」、さすがにこの風景、物凄く笑えた。

 しかし前半1時間が電力エネルギー問題、後半1時間が「あの人」、こんな両極端の話題を連続させて盛り上がっちゃうんだから、「湯布院映画祭」は楽しいところだ。談論風発果てしなく、解散は2時半近くなった。床に入ってからもお喋りは続き、3時前後になったろうか。「今日はまだ前夜祭、明日が初日なんだから、これじゃ最後までもたないよなあ」なんてことが頭をよぎっていたら、いつしかウトウトと眠りについたのであった。

湯布院映画祭日記2011−1

●今年の「湯布院映画祭日記」は内省的になる
「映画三昧日記」を読んでくださっている方には解ると思うが、3・11東日本大震災の衝撃は、私の人生が全否定されたような思いだった。今だにその心の傷から立ち直れないし、見た目よりは遙かに精神的に落ち込んでいるのは事実である。考え方の整理もつきつつあるが、程遠い面もある。東日本大震災から五ヶ月強、そんな心理状態のまま「湯布院映画祭」の季節が来てしまった。

そんなことから、今年の「湯布院映画祭日記」は映画祭のレポートというよりは、自分のそんな気持に、映画祭の存在を強引に引き寄せる内省的なものになるだろう。ただしこれまでの日記でも、初期の時系列的な映画祭紹介から離れ、テーマを決めてまとめていったことは少なくない。

例えば2004年の日記は、「フィールド」というテーマで、映画祭と連動した私の数々のフィールドも併せ紹介した。また2006年は、「ポイントに引っかかる瑕疵」のアングルで、新作映画を検証した。2007年は「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」が特別試写されたこともあり、映画と結び付けて、いやそれよりも大きく脱線し、我が人生の総括の様相を呈してしまった。こう考えると、今年の「湯布院映画祭日記」も、特別なわけではなく、東日本大震災もテーマやアングルの切り口の一つということになるのかもしれない。

●今年の「湯布院映画祭」の一般上映作品
今年は「湯布院映画祭」も、東日本大震災と無縁ではなかった。メインテーマは「ダケド、ボクラハ クジケナイ On with the show>>>」である。その特長は、一般上映作品の旧作2本に現れている。「”経営学入門”より ネオン太平記」と「日本のいちばん長い日」だ。

「ネオン太平記」は、アルサロ(アルバイト・サロンの略です。若い人には知らない人もいるだろうなあ)支配人の小沢昭一が、公序良俗の俗物どもに敢然として対峙する話である。パンフレットによれば「めげない・懲りない・只では起きない」である。これは元気が出る映画だ。「ダケド、ボクラハ クジケナイ」のテーマにピッタリの映画である。

「日本のいちばん長い日」は、終戦秘話の映画だ。こちらは作品についてのトークショーも開催される。ゲストはまず小説家の関川夏央さん。そして日本を代表する脚本家の一人にして映画監督、さらに「映画芸術」編集長でもある荒井晴彦さんに加えて、青山真治監督という豪華版である。

これまでは戦前・戦後という言い方がなされてきたが、東日本大震災以後は、震災前・震災後という時代が来たと言われている。その意味で今の時代に、戦前・戦後を考え直すのはいいことだと思う。それが「ダケド、ボクラハ クジケナイ」のテーマにも、ふさわしいと思う。

しかし、そう考えたのは私の深読みだった。パンフレットには「空しい(中略)悲劇性とは別種のエネルギー。(中略)何か今我々が活力にできることなのかもしれません」と記されていることから、「ネオン太平記」とは別の意味で、元気の出る映画として選出されたようだ。ただ、その意味では、「下層庶民」対「軍人・政治家・高級官僚」といった対比の妙があり、作品選定としてなかなか味わいがあるとも感じた。

ただ、私としては日本人のあり方として、戦前・戦後と震災前・震災後に類似の空気を感じている。その件に関して、少々パーティーで荒井晴彦さんと話したのだが、それが常連参加者「失礼します!Oさん」と私のバトルに発展し、後日考え過ぎの寺脇研さんにパーティーで冷やかされたりすることに拡大するのだが、それは後のお楽しみとしておこう。


●今年の「湯布院映画祭」の特集
その1 朝イチ時代劇−キル−
今年の開場初っ端の映画は、1〜3日目までは、全て時代劇で埋め尽くされた。「必死剣鳥刺し」「悪坊主侠客伝」「十兵衛暗殺剣」の3本だ。前夜祭の「次郎長青春篇 つっぱり清水港」も、この企画の関連作品と見ることもできるかもしれない。

その2 豊川悦司
上映作品は「犯人に告ぐ」「傷だらけの天使」「今度は愛妻家」、そして「朝イチ時代劇−キル−」とダブる形で「必死剣鳥刺し」がある。シンポジウムには豊川悦司さんご本人は勿論、「今度は愛妻家」の行定勲監督が加わる。司会は映画評論家の野村正昭さんだ。

その3 光石研
上映作品は「Helplees」「博多っ子純情」。これも光石研さんご本人が登場。さらにゲストは「Helplees」の青山真治監督。「博多っ子純情」からは原作・脚本の長谷川法世、そして驚くなかれ!曽根中生監督である!!経営する映画関係の会社倒産を境に、映画界からある日こつ然と姿を消し、失踪・死亡説すら流れた伝説の人である。曽根監督だけを目当てに「湯布院映画祭」に短期参加をした人も少なくなかったともれ聞く。司会は実行委員の小林俊道さん、というよりは映画ライター内田眞さんといった方が判りやすいだろうか。

これとは別に昨年に続いて「第2回 湯平温泉シネマツァー」も開催された。企画は昨年を踏襲して、「短編映画上映会」である。「ファの豆腐」「NINIFUNI」「冬の日」の3本が上映され、「ファの豆腐」の久万真路監督がゲスト参加した。ただ、時間的には特別上映作品「劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まない」の上映およびシンポジウムにバッティングしている。私はそちらに参加したので、「短編映画上映会」の内容については判らない。だから、本「映画祭日記」では、開催されたことの紹介のみに止めることにする。


●今年の「湯布院映画祭」の特別上映作品
今年の「湯布院映画祭」の特別上映作品は二本である。一本目は「劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まない」だ。「SRサイタマラッパー」シリーズで注目の入江悠監督の新作である。都内では4月にシネクイント・ポレポレ東中野・下北沢トリウッドといったミニシアターで公開済みだ。ゲストは入江悠監督と主演の森下くるみさん。実行委員としては、すでに観ている人もいると想定して、この同一時間に「湯平温泉シネマツァー」を企画したようだが、残念ながら私は未見だった。いや、観ていてもシンポジウムは逃したくなかったから、きっとこちらに参加したであろう。

もう一本の特別上映作品は「紙風船」。こちらも都内では3月にユーロスペースで公開済みだが、私は未見である。岸田國士の戯曲を4話のオムニバスとして、東京芸大生が映画化した実験作である。これは2006年映画祭の「日本映画の新しい風」で、最終日の開場初っ端に知られざる傑作や新人紹介の上映枠を設定した流れの中にある作品選定といっていいだろう。ゲストは廣原暁監督と秋野翔一監督の二人である。


●今年の「湯布院映画祭」の特別試写作品
今年の「湯布院映画祭」の特別試写作品は三本だ。まず「種まく旅人〜みのりの茶」、ゲストは塩屋俊監督、阪本善尚撮影監督、出演者の柄本明さんと石丸謙二郎さん。残念なのは当初予定していた田中麗奈さんが、仕事の都合で不参加になったことだ。この結果、本映画祭における女優さんは、前項で紹介した「ロックンロールは鳴り止まない」の森下くるみさん一人となってしまった。これでは、華やかさに欠けた面は否めない。次は「ツレがうつになりまして。」、ゲストはプロデューサーの國松達也さんと臼井正明さん。佐々部清監督に脚本の青島武さん。司会は映画評論家の寺脇研さん。最後が「僕達急行 A列車でいこう」、ゲストはこれもプロデューサーの二人、白倉伸一郎さんと三沢和子さん、そして森田芳光監督だ。

●「ダケド、ボクラハ クジケナイ」にクジケタ私
私は湯布院映画祭のサポーターである。(といっても支援寄付金1口の最小サポーターではあるが…)サポーターの特典の一つとして、映画祭参加前にパンフレットが送付されてくる特典がある。一般参加者は、映画祭会場の由布市湯布院公民館のロビーの売店で、初めて目にするものである。この特典は嬉しい。今年の映画祭の概要は、こうして出発前に把握することができた。

前述したように、今年の「湯布院映画祭」も東日本大震災と、無縁ではいられなかった。テーマも「ダケド、ボクラハ クジケナイ」である。冒頭に伊藤雄実行委員長の宣言もある。この中に『(前略)電力業界のデタラメさがあっても「ダケド、ボクラハ クジケナイ」』という記述があった。

私は愕然とした。40年余、電力系統指令マンとして、首都圏の電力安定供給にエネルギーを注いできたのが、私の一生だった。そうか。それは「デタラメ」だったのか。私はクジケタ。「ダケド、ボクラハ クジケナイ」と言って、人をクジケさせてどうするんだ。

いや、これは伊藤雄委員長に対して、どうこう言う話ではない。今は、こういう一方的な言い方が、何の抵抗もなく受け入れられる時代である。そして、それに対して一言半句の口も差し挟めない時代である。一言でも言えば、「福島の被害者の前で言えるか!」と糾弾される時代である。いや、現実に何人かの映画の知人などに、私は糾弾された。私も、現実の被害者に糾弾されたなら、まずは頭を下げるしかない。しかし、何の関係も無い人が、何で突然「正義の味方」ぶるのだろうか。私はかなりイラつく。いやそれだけではなく、これは恐ろしい時代の到来の幕開けかもしれないと、今思っている。この件は、荒井晴彦さんに三日目のパーティーで少々話しかけたので、この話題は後の項に譲りたい。

ここから先は、「湯布院映画祭」とかなり離れた内容になるかもしれない。しかし、「湯布院映画祭2007」で「実録・連合赤軍」に合わせ、映画から大きく外れて我が人生を総括したように、この日記はある程度は我が人生を考える場でもあるのだ。2007年の日記の続編として、お読みいただければ幸いである。この問題は、「湯布院映画祭日記」の場でも、決して避けて通れないのだ。

1970年代、石油危機により日本の電力業界は、壊滅的ピンチに見舞われた。そして40年かけて、原子力にエネルギーシフトして、石油情勢にビクともしない電力供給体制を造り上げた。そこには、かなり強引な側面もあったのは否めない。だから、1000年に1回の大災害に、耐えられる代物ではなかった。私でも、後から知ったことではあるにせよ、かなりの「デタラメ」があった事も、次々と明るみに出ている。

東日本大震災により、今春「計画停電」が実施された。私はOBであるが、本当に死にたくなった。バブルの頃、火力も原子力も関係ない、発電所を造っても造っても、怪獣のように電気を飲み干す日本を前に、我々は、いつ「計画停電」(この当時は「輪番停電」と称していた)という伝家の宝刀を抜かねばならぬことになるのかと恐怖した。電力系統指令マンとして、死んでもそれはやりたくなかった。そして、電力マンは大いなるエネルギーで乗り切った。

しかし、1000年に一回の大災害を前に、私がOBになった後にしても、ついにそれが実施された。私は、死んでもこんな光景は見たくなかった。もしあるなら、私の死んだ後にしてくれと思った。私は決して自殺などしないが、「死にたくなった」と思ったのは本当である。しかも一方では、それらすべての私の一生を賭けた悲願が、「デタラメ」と断罪されているのである。

原発反対派は言い続けた。「原発は止めよ」「停電は許さない」「値上げは許さない」、そんな状況の中で、電力業界の一部は「安定供給」の美名の下に、「デタラメ」な暴走をした。多分1000年に一回の大災害なんて来ないと、タカをくくっていたのだろう。それもまちがいない。

苦渋を持って私が反省するならば、私は「電力安定供給」を、絶対の正義だと思っていたことだ。それが覆されたことも、私の心を重くしている。私が人生の(組織の末端にせよ)エネルギーを注いできた「安定供給」なんて、正義でも何でもなかったのだ。無責任な「エセ正義派」の「停電を許さない」なんて言葉に反論すべきだったのだ。一民間会社が、日本にも関係の深い某国の、10倍近い電力を(多分)供給している、その不自然さに対し、みんな電気をジャブジャブ使うのは考えようよと、内部の我々こそ言葉を発すべきだったのだ。

「原子力平和利用推進、核兵器廃絶」、これが大震災以前の私の考えだった。しかし今私は、「すべての核技術を人類は放棄すべきだ」と思っている。福島で証明されたように、核は大自然・神の前では、やはり「バベルの塔」であり「神の火」だったのだ。人は、一度得た技術は捨てることはできないという人もいる。しかし、オバマ大統領が核兵器廃絶を訴え、ノーベル平和賞を授与したではないか。さらに、それよりも危険な細菌兵器は、(表向きにせよ)人類は廃棄したではないか。私は人類の知恵を信じ続けたい。

ただし、世間の核反対論者とは、私はどうしても共闘する気になれない。電力に関して、脱石油を果たすのに日本は40年(つまり私の電力マンとしての人生そのものだ)かかった。脱原子力を果たすには、それ以上の半世紀以上はかかるだろう。今騒いでいる反対派の方々に、私はそうした長期戦の「覚悟」が全く見えないのである。

この問題は、ヒステリックなシュプレヒコールで片付く問題ではない。電力の使用のあり方について、国民全員が血を流す覚悟が必要なのである。それが、これまでの脱石油の電力戦略を一部の政財界に丸投げしてまかせきりにし、勝手にジャブジャブ電気を使い続け現在に至った国民全体の責任でもある。

熱くなりすぎた。しかし、2007年の「映画三昧日記」に「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」にからめて我が人生を総括したが、そのやり直しを迫られているのは事実である。「映画三昧日記」の中においても、原子力発電にからむ映画の再評価をせねばならぬ事項は沢山ある。ただ、まだ私も冷静になりきれない。頭の整理はまだつかない。今年の「湯布院映画祭日記」は、その序章に過ぎない。

しかし、しつこいようだが伊藤雄委員長の宣言、『電力業界のデタラメさがあっても「ダケド、ボクラハ クジケナイ」』、他意はないと思いますが、私は本当にクジケました。パンフレットなんて、先に送ってもらわなければよかった。

我々は、戦争を起こしたわけでも、犯罪を犯したわけでもない。放射能をバラまくために原子力発電所を造ったわけでもない。でも、結果がすべてなのかもしれない。電力安定供給にエネルギーを注いできた私の人生は、やっぱり「デタラメ」だったのか。暗澹とした気分のまま、とにかく私は九州の空に飛び立つことになった。


●湯布院の地へ!例年どおり缶ビール3本!
8月24日(水)、「湯布院映画祭」前夜祭に向かうべく、羽田空港に着く。例年どおり、13時前後の福岡空港行きの便を予約し、空港でのんびり食事を摂る。今年は羽田空港限定販売の羽田弁当を購入する。土地の名産の穴子・あさり・海苔をあしらった弁当である。もちろん、食前酒として、500mlの缶ビールも欠かせない。静かにホロ酔いが回ってきた、これからの5泊6日の映画漬けへの期待が、胸にどんどん膨らんで来る。映画祭中で、ある意味これが最も至福の瞬間なのかもしれない。

航空機は福岡空港にやや遅れて到着し、由布院駅前行きの高速バス発車時間までは、あまり余裕がなくなった。結果的には道路混雑でバスはかなり遅れたのだが、この時点ではいつものようにバスを待ちながら缶ビールを空ける余裕はなさそうだったので、缶ビール500miとつまみを、バス内に持ち込むことにする。この高速バスはトイレ付きなのも、大いによろしい。

そういえば、高齢化で養老院の様相を呈しかけていた「湯布院映画祭」だが、最近は継続する新たな参加者が何人も増えて、やや若返りが見られる。といっても急激に若者が増えたわけではなく、60代半ばの私に比べれば若いということだけで、多くは熟年の人達だ。この点においては、「失礼します!」の前置きで始まる熱弁が、今や湯布院の風物詩となった滋賀の郵便局長OBのOさんが、次々と新規参加者を誘いこんでくれているのが、嬉しく頼もしき限りである。

そんな新規参加者の一人の女性から、パーティーで話しかけられた。「高速バスでごいっしょして、本を読み始めたので、雰囲気的に映画祭に行かれる方かなと思ったら、その後に缶ビールを出して…」、別に悪いことをしているわけではないが、人間どこで何を見られているか解らないものだ。

由布院駅到着、毎年常宿の「牧場の家」に向かう。庭に入ったところで「お馴染みおたべちゃん」(久し振りにこの連続10文字をつかったなあ)以下、1年ぶりの湯布院旧知の友に、続々と出会う。私の「映画三昧日記」に目を通してくれているせいか、東日本大震災に伴う原子力発電所事故で、精神的に参っているのを気遣って、「大丈夫ですか」と声をかけてくる人もいる。私の心境は前述のとおりである。「みかけよりは、はるかに落ち込んでます。でも、できるだけこの話題はよしましょう。私、イラついてるから兇暴になるかもしれません」と、告げる。

さあ、この後は前夜祭恒例の由布院神楽、模擬店で仕入れた焼き鳥などのつまみで、神楽を楽しみながら缶ビール500mlを空けるのも、私の恒例である。でもよくカウントすれば、この日はこれで朝から缶ビール1500mlを空けているわけだ。そして野外上映終了後の実行委員会との懇親会で、さらにグビグビ空けるのだから、例え「祭り」とはいえ我ながら呆れかえるばかりである。

とにかく私の中の2011年「湯布院映画祭」は幕を開けた!


 Top Page

1