周磨要(しゅうまかなめ)
湯布院日記2002」〜
活弁体験記




はじめに
  湯布院映画祭は、なぜか日記に縁がある。映画祭に初めて参加したのは、4年前の1999年、極めて個人的な事情がきっかけで、行ってみようと思い立った。そこで、素晴らしい多くの体験をした。日がたつにつれその記憶を風化させてしまうのがもったいなくなった。個人的日記としてまとめてみようと思い立った。私はかねてから、ワープロでまとめたものをコピーして、本当に読みたい人にのみ配布する超ミニコミというものを考えており、それに近いことも過去にやってきた。これを意識的超ミニコミの第一弾にしようと考えた。映画祭の事務局他に送付し、何人かの親しい友人にも紹介した。

 読みたいという人が口コミで増え、その数は十数名に達した。そんな時、2000年の映画祭を前にして、映画祭の伊藤雄委員長から電話があった。シンポジウムの採録を発行したいが、日記を活用させてもらっていいですかとのことなので、ご自由にどうぞと回答した。そして発行されたシンポジウムの採録、私の拙文は採録の参考なんてものではなく、超プライベートな部分を別にして、殆ど掲載されていた。「超」ミニコミは「超」でなくなってしまったわけだ。

 2000年の映画祭参加は、前年の映画祭で親しくなった友人との再会の他に、もう一つ大きなテーマが発生していた。前年の映画祭で見た「皆月」の映画評がキネ旬読者評に採用され、その舌足らずの荒井晴彦脚本批判に対して、「映画芸術」誌上で荒井さんから厳しい批判を受け、それに対する私のキ旬誌上での釈明とお詫びと続いた状況での、映画祭ゲストの常連荒井さんとの出会いということである。ただ、前年かなり酔った中ではあるが二言三言言葉を交わした私にとっての印象は決して悪くなく、そのつもりで素直に接し、結果的にも同年代ということもあり、楽しく通飲の時を過ごした。(荒井さんはウンザリしただけかもしれない)

 これも記憶の彼方に風化させるのは惜しく、メールをやりとりしている親しい映画の友人へのザックバランなメールの乗りで、この顛末をまとめたら、これが前回を上回る好評で読者は20名を超えたかもしれない。もっとも、テープもメモもとったわけではなく、酔った頭のうろ覚えを元にまとめたもの、荒井さんご本人の目に触れたら、「おい、勝手なこと書くなよな」と言われるしろものかもしれない。

 そして2001年は、楽しかったがそうそう積極的に日記にまとめたくなるようなこともなく、まあそれがノーマルなのかなあと思っていたら、2002年は「映画芸術」ホームページを運営している人から「湯布院日記」はどうですかとの話が、編集部の人を通じてきた。湯布院はホントに日記に縁がある。そうとなれば話は別、映画祭はとにかく楽しい楽しい話題の宝庫、ネタは掃いて捨てる程存在する。かくして、2002年「湯布院日記」の開幕となるが、談論風発、超長丁場となると思うがお付き合いの程をお願いしたい。


本編
2002年8月21日(水) 前夜祭
 さあ、年に一度の待ちに待った湯布院映画祭、4年目ともなると交通も慣れたもの、羽田から国内線で福岡、空港から高速バスで湯布院駅前までの通い慣れたルート、高速バスでは早くも常連の私と同様東京から来たコンピユータ関係の仕事をしているEさんと出会いご挨拶である。宿はこれも泊まり慣れた民宿風の「牧場の家」、一般参加者は数名の大部屋だが、事務局も手馴れたもの、常連は一部屋にまとめてくれる配慮もある。案の定バスでいっしょだったEさんとも同室、もう一人の常連大分市役所のOさんもすでに先着しており、今年の飲み部屋はここにしようと、早くもパーティー終了後の懇親も準備万端といったところだ。
 部屋でくつろいで旧交を暖めていると、これまた常連でこのホームページでもお馴染みの「おたべちゃん」登場、到着早々各部屋の住人の調査を開始している。「今年の飲み部屋」はここだよと宣言する。

 さて、常連も数名揃ったので、私の二つの用意の品を出す。私にとって、今年の湯布院の眼目の一つでもある。まずは名刺。私事で恐縮だが、私は6月末で三十数年勤めていた東京電力を定年退職し関連会社に再就職した。以前名刺交換した人達には配って歩かにゃならぬ次第。次は、私は8月25日の日曜日(すなわち映画祭最終日)にマツダ映画社の「蛙の会」(話術研究会)の公演で東京・門前仲町の天井ホールで活動弁士としてのデビューを果たすので、その挨拶を兼ねたチラシ配り。勿論映画祭真っ盛りの最中で、ここでの友人は見に来られるわけもないが、そんなことから24日はリハーサル、私は映画祭の参加は23日の金曜日のパーティーを最後にリタイア、24日朝の高速バスで残念だが福岡空港に向かうとの挨拶も含めての話である。「へェー、それじゃ今年の後半は静かになるね」と、おたべちゃん、憎たらしいことをのたまわる。(私は声がデカいので有名なのでアル)かくして、前夜祭終了後に、この部屋に集合、これから会った常連等にも伝えることを申し合わせ、いったん解散となる。

 前夜祭のメインは20時からの、湯布院駅前広場の「天晴れ一番手柄 青春銭形平次」野外上映である。それに先立っての地元観光協会の協賛で湯布院神楽の披露、焼イカやビール・ジュース類の模擬店も出て、前夜祭のムードを盛り上げる。実は、私の知る限りでは野外上映だけでなくこんなスタイルにしたのは去年から、昨年は子供が舞う湯平神楽だった。昨年は子供だけに何とも微笑ましく、龍の大きなぬいぐるみのままこけてしまい、起きられなくなってバタバタしたりの愛らしい図もあった。今年は大人だけに舞は決まっているが、その手の郷土芸能に特に興味のない私にはやや退屈。ただ、花火を使い口から火を吐く龍の登場はやはり大人だけあって、昨年よりもド迫力であった。
 続いては、「青春銭形平次」にあやかって「菓子撒き平次」の催し、湯布院観光の辻馬車から、映画祭の実行委員や観光協会の役員が、鬘をつけて平次の出で立ちで菓子を撒く。子供たちは大喜びで駆け回り、祭りの気分はさらに盛り上がる。続いては、映画祭実行委員のトークショー。前年は伊藤委員長のお出ましだったが、今回は若手実行委員の男女コンビで、ゲストのスターは誰かな?とかミーハー話題に終始する。去年の教訓を生かしたのかなと、私なりに愚考する。昨年の伊藤委員長のトークショーでは、地元観光協会との若干の軋轢を私は感じた。無理もない。映画なんてのは、正直言って今の一般の人間にとっては関心の遥か外、まして湯布院は映画館の無い町、それなのに、映画祭には映画三昧・映画一筋の者ばかりが続々とつめかける。後述するが、私みたいに空き時間の少々を使って観光する者も皆無、ひたすら映画漬けの面々ばかりである。と言っても、だからこそ映画に関心を持ってもらいたい実行委員の気持ちも分かるし、大分市あたりからこういう時だけ委員がつめかけてという観光協会の気持も分からないでもない。昨年の「映画祭会場周辺のお祭りに過ぎなくなってませんか」との観光協会、「そちらも、もっと映画に関心を持って勉強して下さい」との委員長、若干の不協和音を感じたものだった。(邪推だったらゴメンナサイ)それを受けて、今回は映画マニアを超えた映画への関心の高まりを誘おうという実行委員の意気込みが感じられた。この後、町長の挨拶の予定が、所用で代理の方の挨拶となり、誰にしてもこういう紋切り型は面白くも何ともない。トリは委員長挨拶だが、「時間も押してるのでとにかく皆さんに映画を見て楽しさを味わってもらいたいと思います。映画を見て下さい」との粋なコメントが実行委員から紹介され、野外上映がスタート委員長さすが去年を踏まえて冴えてる計らいである。

 さあ、野外上映「青春銭形平次」の開映である。我々の年代にとっては懐かしの校庭上映会の再現である。会場は拍手の渦、私が子供時代と違うのは、缶ビール片手に焼イカにカブりつきながらというところ。映画の内容は、その後の懇親で盛り上がったのでその時にということで、とにかく毎年前夜祭の作品選定は、映画の楽しさを満喫させてくれる作品でスタートしてくれるのは感服する。
 計算違いだったのは気候、いつもは暑い東京を逃れての避暑の趣なのだが、今年は台風の後の影響か、涼しいのを通り越して肌寒い。最後は、ブルブル震えながらの観賞に相成った。私は活弁デビューのリハーサルに直行することもあって、荷物を必要最小限にしぼったのが後日も祟った。パーティーで、軽装で元気ですネ、なんて言われても、とにかく元気も何も、長袖一つ持ってこなかっんだから。
 映画は楽しく、体は寒く。でも帰ったら温泉に直行、ホントに温泉とは良いものだ。すっかり体が暖まったところで飲み部屋に常連を中心に集合、地元大分市役所のOさんがビール・焼酎をタップリ買い込み抜かりがない。あの費用の方は?との問いかけにも、皆さんは旅費かけて来てんだからと取り合わない。映画祭を通してすっかりご馳走になりました。この場を通じて感謝、感謝。 

 まずは「青春銭形平次」の話題で盛り上がる。初っ端に現代のスピーディーな銀行強盗からはじまり、おっとこれは間違えたと江戸時代の篭かきで同じ設定を再現。火打石とライターが神棚に並んでたり、現代語がポンポン飛び交ったり、市川崑のモダンなセンスは今でも古くないと、盛り上がる。ワンポイント外した演出が思想になる崑タッチの神髄である。「青い山脈」の可憐な新子の杉葉子があんなに色っぽくなったのを初めて知ったとのオールドファン、映画ファン同士の会話は尽きることはない。前夜祭以降は、パーティーの連続で一般参加者同士で懇親を深められるのは今晩だけと、話題は止まることなく、気がついたら早や2時を過ぎていた。もっとも、明日以降もあるから、そろそろ控えようという声を振り切って、私はもう後2晩しかないからと、スピルバーグは「激突!」を見ればわかるように不条理作家、「A.I.」もそんな一筋縄のお涙映画ではないと、持論を延々と述べて引っ張った私もよろしくない。冒頭の挨拶で、活弁デビューを控えており、ハシャぎ過ぎと寝不足で声を潰したら洒落にならないのでよろしくと言っていた当人がこの始末である。でも、映画ファン同士勘弁してねと、かくして今後の期待に大きく胸膨らませて、前夜祭の日は(実はもう翌日なのだが)暮れたのであった。

2002年8月22日(木) 第1日
 いよいよ映画祭の開幕である。上映は10時からなのだが、子供の遠足の日と同じ、昨晩寝たのは2時過ぎなのに、みんな結構早起きである。まずは温泉で朝風呂、昨年よりも露天風呂は拡張され、さらにゆっくりくつろげて、宿酔いも寝不足の疲労もアッという間に吹っ飛んでしまう。何度も言うが、ホントに温泉はいいもんだ。

 8時から朝食、私は温泉に来れば、朝風呂・朝酒が定番なのだが、皆さんはこれから映画を見るからと、まず飲む人はいない。みんな真面目である。私は風呂上りのビールを一本。10時までには、この程度は十分醒めてしまう。「あっ、相変わらずやってる」とおたべちゃん登場、最初の年に「朝から飲んでる変な親父」だと思ってたら、キネ旬読者評の常連と後で知り「それだけの人じゃないんだ」と妙な感心をされた。私の朝ビールは「牧場の家」の風景で定着したと大胆に開き直る。かくいうおたべちゃんもたまには朝ビールに付き合う例外的な一人。「つきあおうか、奢りなら」「
OK、そちらの席にビール本!」ハンフリー・ボガートの乗りである。(何のこっちゃ)

 さて、本日のスケジュールを再確認。私は「あ、春」をすでに見ており、その上映の間の13時31分から15時30分の空き時間を湯布院町内観光にあてるつもりだ。かねてから気になっていた辻馬車、前日確認したら約1時間の行程とのこと、14時出発のが都合よさそうだ。まずは早めに行って、駅の観光案内所で予約を取ることにする。駅のアートホールでは、映画祭連動企画の「赤松陽構造 映画のタイトルデザイン展」の展示が開催されているので、それも見ることにする。


 案内所で辻馬車の予約完了、ゆっくりデザイン展を見る。「うなぎ」やら「HANA-BI」やら、メインタイトルの原画が多数展示されている。字体だけで、数々の名画の記憶が蘇るから大したものだ。この企画は別のギャラリーでの展示や、「赤松陽構造ティーチイン」「タイトル映像展」などもあり、この後も参加することになるのだが、この時点での印象ではタイトルデザインとは一種のレタリングだと思った。後の催しでもっと奥の深いものであることを痛感することになるのだが。


 駅での所要を済ませ会場の湯布院町中央公民館に入る。今回はフル参加でないので、全日券を購入していない。パーティー券はその都度購入せねばならない。早速購入していると、「今年はフル参加じゃないんですか」と前事務局長の横田さんに声をかけられる。それを機会に定年になったのでと新しい名刺を出したり弁士デビューを話してチラシを渡したりしていたら、後ろに伊藤委員長、「あ、そういうわけです。声デカいから聞こえましたね。夢は弁士として湯布院にゲスト参加することです。よろしく」と私。「チラシをロビーにおきましょう」「でも25日ですよ。商売敵になっちゃうじゃないですか」「いえいえ、東京でこういうこともやっているという情報として貴重ですよ」確かにロビーには映画好きの興味をそそる情報のチラシの数々が置いてある」「でも、知人に挨拶程度に配る
枚数しか持ってきてませんが」「それでは掲示板に貼りましょう」蛙の会、湯布院で一気に有名になってしまった。

 10時、大ホールにて映画祭開幕である。今回のテーマの一つ「あんな家族こんな家族」の第1弾、前夜祭の「青春銭形平次」に続いてこれも同じ53年、市川崑作品「愛人」の上映だ。映画監督菅井一郎と舞踊家の越路吹雪がヤモメどうしで再婚に至る。菅井には尾崎一浩の息子と有馬稲子の娘、越路には岡田茉莉子の娘がいる。菅井の弟子に三國連太郎がいる。尾崎は岡田を好きになり、有馬は昔から三國が好き、ところが岡田も三國を好きになる。だが、三國は年上の越路に心を寄せていた。このややこしい話を、スピーディーな会話の連続で市川崑はスマートに語っていく。三國の越路への想いが、家族全員に判明してまった時の見事なストップモーションの処理、この当時は「凍った」なんて表現はまだなかったが、まさにそれの鮮やかな映像化、崑タッチの古びない現代感覚は素晴らしい。


 「愛人」11時27分に上映終了、引き続き11時40分からは、「あんな家族こんな家族」の第2弾、63年作品「女系家族」の上映である。船場の老舗の当主が亡くなり、残された3人姉妹の遺産相続騒動。長女の京マチ子は長女の特権を押しまくる。次女の鳳八千代は出戻りの姉よりも老舗を守った自分が厚遇されるべきとの主張、三女の高田美和は末っ子だからといつまでも風下に立つことはないと考える。これに京には法律に詳しい食わせ物の踊りの師匠田宮二郎、次女には番頭の中村雁治郎、三女には自分も長女でないから冷飯を食ったリベンジを果たそうとの叔母の浪花千栄子が、それぞれ後押しに出て、何とも浅ましい欲と色との人間喜劇が展開する。興味深いのは、三人とも金に困っているわけではなく、面子で我を張っていること。長女のプライド、自分勝手の姉に対する次女の反発、いつも子供扱いされていた三女の意地、極めて日本的で面白い。最後は苦労人の妾で金に汚くない若尾文子が登場し、勝利する大逆転。芸達者のキャストの面々をカラー・ワイドの落ち着いた演出で纏め上げた三隅研次監督の手堅さが光る。

 13時31分「女系家族」上映終了、出口に向かったら、後方の席に荒井晴彦さんがいる。現れるのは夕方の夜型人間の荒井さんが、この時間にいるのは珍しい。「ご無沙汰してます」と挨拶するも「ウム」とうつむき加減で元気がない。「まだ、酒が抜けませんか」と冷やかすと、ポツリと「昔の映画っていいよな」「ええ、役者が揃ってますね」「それもそうだけど」最後までうつむき加減だった。撮影所システム全盛期の映画の持つ底力に圧倒されたのかもしれない。


 続いての「あんな家族こんな家族」の第3弾は98年作品「あ、春」。一昨年、湯布院にゲスト参加した後に急逝した相米慎二監督を偲んで、「相米映画と家族共同体」のシンポジウムと連動する企画である。上映終了は15時20分、シンポジウム開始が15時30分である。すでに見た「あ、春」をパスする私は、15時30分までの約2時間が空き時間だ。


 早速、駅前に向かい、14時出発の辻馬車の発着場に向かう。夏休み期間中もあって、14時の辻馬車券はもう売り切れであった。朝一番の予約は正解だったようだ。満席の乗客全員揃ったので10分程早く出発。湯布院の町は、これまでの過去3年、空き時間を利用して、標識を便りにブラブラと散策していたが、今回のように馬車で全体像を案内してくれるのは有難い。晴天の好天気、美術館が集まっているストリートの紹介もあり、来年の空き時間を過ごすのはここだなと、目星をつける。また、私は山歩きが嫌いじゃないので、一度由布岳にも登ってみたいと思っているのだが、こればかりは映画祭の空き時間では無理だろう。第二の職場も長くて7年、短くて5年、完全リタイアの身になったら、映画祭の後に余分に一泊して登るのもよいなと、湯布院の明媚な風光を馬車に揺られながら眺めつつとりとめもないことを考えているうちに、1時間弱の行程を終えて駅前にきていた。時刻は15時前、まだシンポジウムまで40分近くの時間がある。遅い昼食をゆっくり取ることにし、地鶏定食を食べる。こうなると旅行気分でビールを一本。唯一残念なのは、映画祭の友人は皆映画漬け一筋で観光につきあう人がいないことである。


 15時30分、公民館2階の視聴覚教室で「相米映画と家族共同体」シンポジウムの開始である。毎回思うが、パネラーの後ろの開かれた窓の外に拡がる九重連山の山脈が美しい。パネラーは、「あ、春」の脚本の中島丈博さん、プロデューサーの榎望さん、相米監督の助監督を長く勤め、監督昇進後も積極的補佐をした榎戸耕史監督である。中島さんは、監督と激しく意見を闘わす硬骨漢の脚本家として有名である。藤田敏八監督とのトラブルが話題になった時、ゲラの段階で勝手に手を入れられ、監督でもそんな権利はないと撮影所にビラを貼って抗議したエピソードを、ご本人が話された。それにかけて、私が質問させていただいた。<明日ゲストで来る黒木和雄監督が以前どこかで、「祭りの準備」の時に中島さんは一回は監督を殴るという噂を聞いていたので恐れていたがそんなことはなかった、とか書いていましたが、殴るとか殴らないとかはさておいて、藤田監督とのこと、最近の「KT」における阪本順治監督と荒井晴彦さんの確執など、監督と脚本家との確執は一般にどんなものですか、また「あ、春」で相米監督との間での確執はありましたか>そんなことを伺った。中島さんの答えは<まあ、そういうことは面白おかしく伝えられるもので、僕はそんな暴力的な人間でもないし、ただ、「祭りの準備」の時は、高知出身ということでアドバイスということもあって、現場に立合い結構色々なことを言わせてもらいました。相米監督との間では、確執はいっさい無かったです。脚本は変えられたところもありますが、いい映画になればそれでいいことで、「KT」の場合はいい映画にならなかったということが問題じゃないんですか>との味わい深いお答えだった。以下、思い出の相米監督の素顔の数々が紹介されて、有意義にシンポジウムは終わった。


 17時15分、シンポジウム終了、1時間の休憩、18時15分から今年初めての特別試写「火星のカノン」上映である。1時間あるといっても夕食を取るのは結構慌しい。皆、公民館そばのファミリーマートでおにぎりやサンドウィッチを調達して忙しく腹ごしらえをしている。遅めの昼食を取った私は、パーティーの料理をたらふく味わうのに備え何も口にせず(意地汚い)、宿に戻りゆっくり温泉につかる。


 
18時15分「火星のカノン」上映開始。小日向文世の中年サラリーマンと不倫の久野真紀子、路上詩人のKEEと同棲中の中村麻美、ただ麻美はレズっ気があり、KEEと一度寝るも感じないが、ズルズルと同棲生活を続ける。ついに真紀子に告白する麻美。一方、妻を捨てる決心をした小日向は一度は不倫旅行に出るが、子供が熱を出したのをきっかけに妻の元に戻る。同棲生活に入る真紀子と麻美、真紀子は小日向への思いを捨てきれるのか、と思わせぶりなエンドマーク。作品の評価については、この後のシンポジウムとパーティーで触れるとして、20時16分に上映終了となった

 引き続き20時25分、会場を公民館2階視聴覚教室に移してシンポジウム開始。パネラーは風間志織監督と、主演の久野真紀子さんと中村麻美さん。風間志織監督は強気一筋の人だった。口火を切った大分市役所のOさんが<登場人物の気持がわからないし、共感も湧かなかった>と辛口の感想だったのもまずかったのか。風間監督、<あ、感性の違いですね>と素っ気ない。実行委員の横田さんが<久野さんは結局女同志では満たされなかったということですか>との質問には、<答えたくない>と木で鼻を括ったような返答。<答えてくれたっていいじゃないですか>と横田さん、<作家が答えたくないって部分があったっていいでしょ>と風間監督。<路上詩人のkEEの経済力ってどうなっているんですか。ヒモになる程に同棲相手の麻美さんに経済力があるとも思えないし>との質問には、<君はどう思ったの>と逆質問を返す。そして<言いましょうか。彼は財産家の息子なんですよ。映画の中でちゃんと示してます><そんなの分かんネェよ>といった感じで会場は鼻白んだ雰囲気になる。<始めの頃は台詞が聞き取りにくく、映画に溶け込むのに時間がかかった>との感想に対しては、<同時録音なのでそれはあります。でも、同時録音でも会話だけを拾ってしまうので、後で町の雑踏の音を付け加えました。この会場の再現状態はあまりよくないですが、すべての場合に同じ条件で映写されるのも不可能ですから、それはライブとして味わってください>最後まで強気一辺倒の風間監督であった。一般参加者の席にいたゲストの映画評論家の渡辺武信さんが<映画というものは最初に分からないことがあると、それに引っ掛かって最後まで溶け込めなくなる。分からせるという必要最低限の努力は必要と思う>という発言が、落し所として適当なのかもしれない。


 21時45分、シンポジウム終了。さあ、22時からは金鱗湖畔の湯の岳庵に場所を移して、本日のパネラーを中心にゲストも交えてのパーティーである。一般参加者はマイクロバスに分乗、会場に案内される。


 まずは荒井晴彦さんに<同じ国分寺の住人なのに、年1回湯布院で会うのが定番なのも変なものですね>と、「映画芸術」誌の現状などを聞く。「映画芸術」誌は年頭のベストテン号を最後に、「KT」特集・編集中の相米慎ニ特集と続いているが、定例号は中断のままである。(本音の一部に私の連載「サラリーマン・ピンク体験記」の行く末も心配である)定例号発行のための私なりのサポートで協力することで商談(?)成立、この内容の詳細は記すわけにはいかないが、最後に荒井さんが<俺よりも、寺脇によく挨拶しとけ、ヘソ曲げてるぞ>との言、確かにピンク観賞歴で一家言のある寺脇さんをさしおいて、ここ3年程度の観賞で私が連載など、おこがましい限りかもしれない。あげくの果てに連載の中で私は寺脇研さんを引き合いに出してしまった。今年も常連ゲストとして参加の予定だし、よろしく申し上げることとしよう。


 シンポジウムで、風間監督には私も質問したのが、そのフォローのために、今度は風間監督の所に向かう。<女性二人のヒリヒリするような孤独感を異様に感じた。あの孤独感に対する恐怖は何なのか。二人の求めているものは愛なんかじゃないと思う。孤独感を癒すために手近な誰でもよかったんではないか。でも、監督の元気のよさを見る限り、その孤独への恐怖感がどこから来るのか分からない。また、女二人に対して、男の方は、相手が男に肉体関係を求めていなくてもズルズル同棲を続けるKEEとか、子供が熱出した位で家庭に回帰する小日向とか、つきつめたものがない。これは監督の女性観と男性観なのか、とすればどこからこれが出てくるのか>とシンポジウムで質問した。監督は<映画は全てを描くことはできない。主人公の女については描き込んだが、脇の男の方は一面しか描いていない>との答えであった。それを受けてパーティーでは<シンポジウムのお話では、女とか男とかいうのではなく、孤独に対する恐怖というのは監督の人間観のようですね。でも、監督を見ている限り、あの異様なまでの孤独に対する恐怖というのがどこから出てくるのかわからない>とさらに質問した。監督は<人は外見と中はちがいます。あの映画は私の中にある一部であると思います>との回答であった。さらに私は<以前、私は河瀬直美監督の「火垂」上映とトークショーの会に行きました。映画もそうですが話も柔らかな物腰の中に私としてはついていきがたい情の強さを感じました。似た情の強さも監督にも感じました。男社会の映画界で監督をやっていくには、そうした情の強さが必要なんでしょうか>と尋ねた。「さあ」と監督は首を傾げるのみだった。よく考えれば個性も違う二人の監督を、女性だからといって同列に並べて質問したのは、セクハラ的失礼質問だったかもしれない。答えがなくて当然であったのだろう。


 <暫くです>と声をかけられる。映画評論家の磯田勉さんである。1月に阿佐ヶ谷の現代映像研究会でお会いして以来である。<あれ、ゲストに名前が無かったですが><急遽都合がついたんですよ。今日は同室です。よろしく><え、ゲストが一般参加者の大部屋ですか><部屋が無いみたいなんですよ>とにかくこちらは大歓迎、24時パーティー終了、常連を中心に連れ立って「牧場の家」にワイワイ言いながら帰る。

 
今回は磯田勉さんという特別ゲストを交えての懇親で、さらに盛り上がる。風間監督の悪評はここでも盛ん。<何だよ、あの態度は。演出ミスならミスと素直に認めりゃいいんだよ>と散々であるが、盛り上がりのネタにはなる。後述するが、風間監督批判は翌日まで引っ張って盛り上がることになるのだが、それはそれで大物の証明なのかもしれない。かくしてこの日も2時も大きくまわったところで、先も長いのでということでやっとお開きになったのであった。

2002年8月23日(金) 第2日
 映画祭2日目、私にとっては湯布院で最後の夜を過ごす日である。連夜の2時すぎまでの痛飲で、 さすがにかったるい目覚めだ。でも、温泉で朝風呂一浴び、これでシャキッとするんだから、やっ ぱり毎年の湯布院通いはやめられない。本日のスタートはやや早く9時15分、公民館2階視聴覚 教室で「赤松陽構造ティーチイン」である。8時からの朝食、温泉のほてり冷めやらず、まだ1時 間以上もあるからいいやと、またまたビールを1本空けてしまう。

 9時15分、「赤松陽構造ティーチイン」開始、映画のタイトルデザイナーの赤松さんを招いて、 携わったタイトルをビデオプロジェクター映写しながら、お話を聞く会である。「ビリケン」「C URE」「うなぎ」「HANA−BI」「顔」などが上映される。ハイライトは一般初公開、北野 武監督最新作の「DOLLS」のお披露目だ。メインタイトルは、映画の雰囲気を的確に捉えた字 体のデザインは勿論大切だが、それを出す時間的タイミング・出し方・バックの映像との調和など、 奥の深いものであることを痛感する。エンドクレジットのスタッフ・キャストのタイトルでは分 量・長さ・音楽との整合などタイトルデザインの大変さは、こんな場でなければ知ることはなかっ たろう。貴重な体験だった。

 私事で恐縮だが、私は6月までの東京電力在職中は、電力系統の安定供給を総合的に司る仕事だ った。現在の関連会社では、その仕事のパーツの一部について東京電力からデータ提供されて受注 し、パソコンでデータ処理をして資料にまとめ上げて納品する。人は監督のように総合的な視点の 者に目を向けパーツの部分にはあまり目を向けないが、タイトルデザインというパーツに、ここま で情熱を注いでいる人を見て、我が身と合わせて感慨深いものがあった。ディズニーランドのアト ラクション待ちの時、通路の隅々にちょっとした小道具がさりげなく陳列されているが、この小道 具にも会場の雰囲気を盛り上げようと熱意をかけている人もいるんだなとふと思ったことが以前あ ったが、それに似た感慨でもあった。

 ティーチインは10時5分終了、10時15分からは「あんな家族こんな家族」第4弾、99年 作品「ニンゲン合格」の上映である。私はビデオで見ているがスクリーンでは初めて。黒沢清監督 作品は、海外や一部ではかなり評価が高いが、私は乗れない派。独特の持ち味は感じるし、見る人 が見れば傑作なのかもと感じる程度。「ニンゲン合格」をスクリーンで再見しても、やはりその印 象は変わることはなかった。

 12時4分「ニンゲン合格」終了、12時15分からは「あんな家族こんな家族」第5弾、55 年作品「男ありて」の上映である。野球映画、典型的男性中心主義・亭主関白の監督志村喬の話、 それでも妻の夏川静江は内助の功で支え続け、病に倒れ先立つ。父の横暴・頑固親父ぶりに反発し ていた娘の岡田茉莉子も、最後に人知れず墓の前で号泣する父の本心を知り許す。キャプテンを演 じた若き日の三船敏郎の爽やかな好演、中日ドラゴンズの協力を得たしっかりした球場描写を受け、 丸山誠治の演出は情感を盛り上げる。ただ、こうした男をヒーローとするこの映画は、やっぱり時 代劇としか思えない。現代だったら成長した娘が父の本当の優しさを知り許すなんて悠長なことは あり得ず、その遙か以前にセクハラ・虐待で離婚されてるだろう。でも、上映終了後、場内は拍手 の渦に包まれた。野外上映会や特別試写以外の拍手は極めて珍しい。特別試写の場合は、会場にゲ ストがいることもあり儀礼上でも拍手は沸くのだが(失礼ながら「火星のカノン」ですら沸いた)、 一般旧作上映では、今までまずなかった。「男ありて」については、この夜のパ―ティー終了後の 懇親で大いに話題になることになる。

 14時4分「男ありて」終了。14時10分からは日本映画監督協会絵馬贈呈記念作品63年公 開の「五番町夕霧楼」の上映である。絵馬の由来については後述するが、私はこの作品は見ている ので別のスケジュールを立てていた。「赤松陽構造映画のタイトルデザイン展」の一環として2階 視聴覚教室で、連日午前午後の各一回、「映画のタイトルデザイン展」として約60分の作品集の ビデオプロジェクタ映写をしているのである。14時30分からの回が時間的に合うので、私は2 階に上がる。ところが5分前になっても観客が一人もこない。ハラハラしていたら実行委員の横田 さんが来る。「人来てませんね」と横田さん、「まさか中止じゃないでしょうね」と私。「いや、 やりますよ。私も見にきたんですから」かくして観客二人で上映会は始まった。「ティーチイン」 で上映されたタイトルデザインも含めて、占めて15作品の連続上映。映画に全く関心の無い人に は退屈だろうが、私にとってはその一つ一つが思い出の名画、タイトルの彼方に作品のイメージを 重ね合わせ、タップリと堪能した。終了後、横田さんに「毎回お客さん来てんですか」と訪ねたと ころ、「ゼロということはないようです」とのことであった。かくして15時30分、上映は終了 した。

 「五番町夕霧楼」上映に続く絵馬贈呈式記念トークは16時35分から。それまでの時間はタイ トルデザイン展のゆふいん駅アートホールとは別のもう一つの会場「Gallery Blue  Ballen」に行くことにしていた。さっそく案内図を頼りに会場に向かう。公民館からはやや 離れており、観光メインストリートの一つといった通りに出る。若い娘が華やかに連れ立ち、なる ほどこれが九州の軽井沢とも清里とも言われる湯布院のもう一つの顔かと思う。ところが、地元の 店の人に案内図を見せて聞いてもギャラリーの場所がわからない。映画祭の企画の一環だと言って も、ますます分からない。このあたりは、冒頭にも述べたが、観光は観光、映画祭は映画祭という 乖離を感じた。何軒めかの店でやっと教えてもらい入場する。こちらはタイトル部分のフィルムを 中心にした展示、落ち着いた雰囲気だがこじんまりとしたギャラリーであった。

 ギャラリーを出て公民館に戻ることにするが、絵馬贈呈式記念トークには、まだ30分以上の時 間がある。昨日にならって遅い昼食で腹ごしらえを考えるが、観光ストリートの店をながめても帯 に短し襷に長しで、適当な店がない。外れのところで、地元の人も利用するような大衆食堂に入り、 土地柄からだんご汁を注文するが、これが手作りの結構な味覚。ついついビール一本を傾けてしま う。

 16時35分、公民館大ホールにて、脚本家の鈴木尚之さんを招いての絵馬贈呈式記念トークの 開始。その前に絵馬贈呈式の由来から紹介しなければなるまい。昭和11年、日本映画監督協会が 発足し、最初の評議員会が熱海で開かれた時、その時の出席者十八人が署名した絵馬がある。伊丹 万作・小津安二郎・田坂具隆・山中貞雄・溝口健二など、目を見張る錚々たるメンバーである。そ の絵馬が田坂具隆監督の生前、共に長く仕事をしてきた脚本家の鈴木さんに贈呈された。「五番町 夕霧楼」はそのコンビ作の一本である。鈴木さんは「日本映画を大事にする湯布院映画祭に持って もらった方がふさわしいだろう」と寄贈を思い立ったそうだ。これで日本映画監督協会絵馬贈呈記 念作品「五番町夕霧楼」の意味がお分かり戴けただろう。

 絵馬贈呈式は絵馬の由来を紹介したスライドに始まり、続いて鈴木さんから伊藤委員長への贈呈 へと続く。この絵馬は、今後毎年公民館のロビーに映画祭開催期間中に展示するそうだ。27年目 にして、また湯布院映画祭の新しい名物ができたわけである。その後は脚本家高山由紀子さんを聞 き手にして鈴木尚之さんのトークショー。「五番町夕霧楼」のこと、田坂監督のこと、その他絵馬 に署名した監督の思い出話などが紹介され、17時15分にトークショーは終わった。

 18時15分からは本映画祭2本目の特別試写となる「美しい夏 キリシマ」の上映である。遅 い昼食をとった私は、パーティーに備えて腹を空かすべく何も食べず。いよいよ明日は帰京なので 土産を物色する。まずは「蛙の会」のメンバーには朝一で立っても12時からのリハーサルには遅 刻するお詫びに、湯布院直送温泉饅頭を持参することにする。自宅にはだんご汁かとしばし土産物 屋をブラついてもまだ時間はタップリ、宿に戻って温泉を一風呂浴びる。

 閑話休題 ここまで日記を書いたところで「おたべちゃんの湯布院日記」を目にしてしまった。 だからこれから書くことがどうなる訳でもないが、とりあえずは記録として。

 18時15分「美しい夏 キリシマ」上映開始、終戦間近の宮崎・霧島、肺を患い祖父母のもと に帰された少年、少年を演じるのは柄本明の息子柄本佑、黒木和雄監督の自伝的要素の強い作品で ある。彼を取り巻く様々な人々を石田えり・香川照之・牧瀬理穂・左時枝・宮下順子・寺島進・中 島ひろ子・入江若葉・原田芳雄という芸達者な面々が、多彩な人物像を演じ分け、時代の空気全体 を鮮やかに丸ごと掬い取る。「明日」に続く黒木監督の秀作であろう。盛大な拍手に包まれ上映は 20時13分終了する。

 20時20分、シンポジウム開始、ゲストは黒木和雄監督と柄本佑さんに相手役の少女を演じた 小田エリカさん。「昨日は湯布院まで喧嘩を売りに来たようなシンポジウムになりましたが、今日 は有意義に進めましょう」との進行役の実行委員の言に笑いが拡がる。それにしても翌日まで話題 を引っ張った風間監督、それなりにインパクトがあったということだろう。「美しい夏 キリシ マ」の素晴らしさは皆感じているのだろうが、言葉にしにくい素晴らしさ。感想もたまに出るが言 葉が続かない。ただその行間にそれぞれの感動した心が感じられる。私も感想と共に質問をした。 <2年前の「スリ」でも感じたのですが、すべてのエピソードが魅惑的であることが、映画の良さ には直結しない。やはり、映画とはそのエピソードのどれが幹でどれが枝葉で、それが有機的に構 築されることで素晴らしさが産まれる。その意味ては今度の「キリシマ」も全てのエピソードが魅 惑的なんだけれども幹と枝葉ははっきりしない。でも、それが結果としてこの時代の空気を丸ごと 切り取ることに成功している。これはこれでいいんじゃないかと思えてきました。そして、ワイド スクリーンが効果的でした。ワイドの隅々まで画面を創り込むことで、時代の空気が鮮烈に浮かび 上がったと思います。そこで質問ですが、監督のワイドスクリーンの採用は私の記憶では初めてな んですが、意識されてましたか。意識されてたとすればどんな狙いですか>これに対し監督は<私、 ワイドスクリーンは得意なんです。文化映画の頃は殆どワイドです。「海壁」という映画はワイド ですが、じつは東映スコープ第一作の「鳳城の花嫁」の前に発表してるんですね。私が実はワイド 監督第1号なんです。この映画に限っては、霧島を撮るのはワイドの方がピッタリすると思った以 上の深い意味はありません>と興味深いエピソードも交えて話された。私としては<しまった!抜 かったな、文化映画時代の監督のキャリアを全く失念していた。まして「海壁」は横須賀火力発電 所の建設記録、東電学園時代の上映会で見ていたのに>との思いにとらわれた。

  シンポジウム終了21時45分で、22時からは民芸村のパーティー、昨日同様一般参加者はマ イクロバスに分乗して会場に向かう。まずは寺脇研さんにピンク映画評の一件で挨拶するも、別に 気にしてないですよと言う割には、あまり話したくない感じである。1年目は親しく話させていた だいたし、2年目は快楽亭ブラック師匠のマネージャー兼務とのことで忙しそうだったので挨拶も そこそこだった。3年目の昨年は私のピンク評が始まった年だが、どこか素っ気なかった。「アニ メを除いて日本映画はすべて見る」との売りの寺脇さんなので、「ゲイポルノはどこで見るんです か」と聞いた話題もいけなかったのかもしれない。今年のお話では「すべて見る」というのは本数 の増えた現代ではとても不可能なので続けていないとのことであった。いずれにしても、寺脇さん が私に悪感情を持っていないことを祈るのみである。

 荒井晴彦さんは、今回娘さんを映画祭に実行委員として参加させたそうである。「娘はどうした かな」と気にしてる素振り、「荒井さん、もろに父親の顔ですね」と冷やかすと、「うるさい、お 前も娘連れてこい」。ようやく娘さん登場、これが凄い美人!奥さんが綺麗なんだろうなんて失礼 なことは言わない、荒井さんも二枚目で十分ダンディーである。娘さんを連れ歩いての話題は色々 耳にしたが、それは「おたべちゃんの湯布院日記」で紹介されているのでここでは繰り返さない。 後で他の人に訊いたら高校生だとか。「だって化粧してたじゃない」「してないですよ」その位綺 麗、可愛いというより綺麗なんである。我が娘のせいか二十歳なのに私の娘は童顔でガキっぽいな あなんて思ってしまった。

 荒井さんには、「キリシマ」の私の評価に対して、また手厳しく言われてしまう。「何だよ、あ のシンポジウムの発言は。あれで良いのかもしれないって、散漫なだけじゃネェか。あんなもんに だまされんなよ。それにワイドはカメラの田村正毅の趣味だよ。大袈裟に考えるんじゃネェよ」と、 例によって文章にすると荒いが、ニコニコとソフトな語り口にちょっとシニカルさを加えた話は、 全然嫌味にならない。荒井さんのこの独特の爽やかさは、直接話さないとなかなか理解できない所 である。荒井さんとしては、昨年のパーティーで一般参加者に、脚本家に聞くようなこととかを、 何でもかんでも監督に聞くな、と言った発言の延長であろう。

 パーティーは24時終了、私にとって湯布院最後の夜は着々とカウントダウンだ。磯田さんは本 日別口があるとか、そりゃそうだ、そうそうゲストを我が部屋で独り占めにはできない。部屋での 常連集合しての懇親が始まる。拍手に包まれた「男ありて」の良さに話題が集まる。でも、男ども が都合よく喜んでるだけで、女性にとっては最後に墓の前で号泣する位じゃ許せんってならないの って、私。そんなことでおたべちゃんに振っただけ、私、絡んでるつもりはありません。「おたべ ちゃんの湯布院日記」で女性の目からみた単純ではない「男ありて」の評価、よくわかりました。 それにしても昔の映画は語りに説得力がある。最初の10分でドラマに引き込む。「キリシマ」に しても人間関係が掴めずイライラするのが冒頭30分位あるとなり、やっぱり「火星のカノン」は 下手だよと、日を越えて風間監督話題になるんだから、それはそれで大物ということか。「色々お 騒がせしました。私は朝一で高速バスで福岡空港に向かいます。明日からは静かになるでしょう」 と、私。「なあに、一人うるさいのがいなくなれば、誰かが替わりを務めるもんだよ」と、誰かが 言う。それで替わりは出たのかなあ。おたべちゃん、どうでした?

 結局、お開きは2時過ぎ、床について皆寝入り、私もウツラウツラしだしたら、磯田勉さんが帰 還、「私、今晩最後なのでもう少し飲みません」と私、「僕も明日映画を見たら帰らなきゃいけな いんですよ、いいですよ」と磯田さん。飲み直しとなる。SF作家で映画評論家の友成純一さんも 急遽ゲスト参加して、今まで話してきたとのこと。それは残念、是非お話したかった、SFマガジ ンの執筆者近況報告で最近落ち込んでるようなことを書いてるんで気になってたんですが、と私。 元気でしたよ、と磯田さん。SFマガジンの映画評は友成さん一手引き受けみたいですけど、小説 は書いてないですね、と私。編集者にお前の小説は載せないと言われてボヤいてましたよ、と磯田 さん。確かにホラーとスプラッタの友成さんの小説は正統派のSFマガジンには馴染まないかもし れない。そんなこんなで3時半も大きく回り、さすがに明日のことを考え床についたのであった。

2002年8月24日(土) 中途半端なエピローグ
 6時半、今回だけは特に持参した目覚まし時計で起きる。今日は湯布院映画祭の最後の日じゃな いんだぞ、「蛙の会」公演・活弁デビューのリハーサルの日なんだぞ!と我が身に言い聞かせる。 連夜の寝不足・飲み過ぎでさすがにフラフラである。まずは朝風呂、それでもシャキッとなるから 温泉は素晴らしい。

 チェックインの時に無理を言ってお願いして、用意してもらった早めの朝食を取る。そうこうし ているうちに、結構他の人もそんなに寝坊せず続々起きてくる。三々五々に挨拶。「私はこれから 帰京してリハーサル、明日の活弁デビューに備えます。どうか皆さん草葉の陰で成功を祈ってくだ さい」(オイオイ、みんなを殺すなっつぅーの)外は雨、別れを悲しむ涙雨か。8時35分湯布院 駅前発の高速バスで福岡空港に向かう。さすがに疲れがドッと出たか、乗車した途端、グッスリ熟 睡してしまう。気がついたらバスは空港のすぐ近くまで来ていた。この一眠りで、私は映画祭モー ドから活弁デビューモードに切り替わり、羽田行き国内線に搭乗、一路リハーサル会場のマツダ映 画社の試写室へと向かったのであった。

 映画祭はこの後、丸根賛太郎特集、「非・バランス」上映と「日本映画職人講座 映画音楽」そし て特別試写「花」「ごめん」「夜を賭けて」と続くのであったが、その顛末はおたべちゃんの日記 あたりで知っていただくしかない。

 それにしても、映画祭というのは、参加した人の数だけ、色々な顔を持っているということなのだろう。東京のコンピュータエンジニアのEさん・大分市役所のOさん・長崎キネ旬友の会代表で NTT西日本のEさん・倉敷のツタヤの店長のOさん・浜松の映画祭名物の御高齢のTさん(名前 が何と私と同じ要である)etc、映画祭は人の数程、多彩な顔を有していることであろう。それ にしても、映画祭を通じて全国各地(おたべちゃんは京都)に多くの知人を得たものだ。私が去っ た後、貴方たちに映画祭は、それぞれどんな顔を見せたのだろうか。私はそのすべてを知りたい心境である。

 以上、最後まで参加していなかった私としては、中途半端なエピローグとなったが、この範囲で湯布院映画祭の楽しさ・素晴らしさの一端を感じてもらえれば幸いである。 
<終>


 湯布院日記は中途半端なエピローグで終了した。中途半端はいかがなものかという声も漏れ聞いた。当然、活弁デビュー体験記へと至るのではないかとのことである。かくして、九州から東京へと私の長広舌は続くことに相成った。

2002年8月24日(土)
 湯布院から北綾瀬へ、映画祭エピローグから活弁デビューのプロローグへ

 湯布院から空港まで高速バスでの一眠りで、映画祭モードから活弁デビューモードに切り替わった私、羽田へ向かう機内で、完全なるモード変更へとテンションを高めていく。12時過ぎに羽田到着。リハーサル開始は北綾瀬のマツダ映画社試写室で12時から始まっている。当然私は前にお断りを入れているが大幅な遅刻である。早速電話を入れる。「今、羽田に着きました。急いで向かいます」

 マツダ映画社試写室到着、「遅れてすみません。お詫びといっては何ですが湯布院直送の温泉饅頭です」「お、お茶の時間だった。丁度いい」お茶と饅頭でしばし歓談。「これからのスケジュールは?」と私。「紙芝居のリハーサルは全部終わって、後は活弁を残すだけです」と秋山さん。「一服終わったら周磨さんからスタートですよ」オイオイ、慌しいなあ。まあ、こっちの都合で遅刻してるんだから贅沢は言えない。期待していた早乙女さんの日本舞踊のリハーサルは終わってしまったそうである。それも残念至極。と、こんなことを言っていても、知らない人には何言ってんだかわからない。順を追って説明することにしょう。まずは、本公演の主催元である「蛙の会」のことから話せねばなるまい。

 「話術研究会」、通称「蛙の会」は、マツダ映画社の無声映画鑑賞会の会員の有志で構成される。となると、マツダ映画社のことも簡単に紹介しなければならない。マツダ映画社の創始者は活動弁士の松田春翠さん。先進国の中でも情けない非文化国家の日本、典型的なのは貧弱なフィルムセンターだ。このままでは古い貴重なサイレントフィルムが消失してしまうと、個人的にフィルム収集を始めたのがスタートだそうな。そして、フィルムを所蔵するだけでなく、定期的に上映会も開催していく。これが無声映画鑑賞会である。現在の社長は春翠さん亡き後、息子さんが遺志をついでいる。

 フィルム上映には弁士も必要となる。そこで活動弁士に限らず、日本の伝統話芸を継いでいくべく、話術研究会(蛙の会)が発足したそうだ。まだ2年目の新参者の私なので歴史に詳しくないが、現代の代表的活動弁士で湯布院にゲスト参加したこともある澤登翠さんも、「蛙の会」出身だそうである。

 伝統話芸保存の一環として、マツダ映画社にはサイレントフィルム以外にもう一つ貴重な所蔵品がある。街頭紙芝居の数々である。街頭紙芝居といっても若い人は知らないかもしれないので簡単に紹介すると、自転車の後ろに紙芝居の舞台とお菓子を詰めた引き出しを積んだ小父さんが、路地裏で子供を集め、お菓子を売って紙芝居を演じて回るというTV出現以前の子供の大きな楽しみの一つだったものである。紙芝居にはもう一つ教育紙芝居があって、これは幼稚園・保育園・学校などで、先生や保母さんが子供に見せるもので、図書館でも貸し出しており、これについては若い人もなじみがあるのではなかろうか。いずれにしても、紙芝居にはフィルムセンターのようなものすらなく、これこそマツダ映画社は民間の貴重な文化遺産保存箇所としての大きな存在である。

 さて「蛙の会」である。月1回の例会で、発声練習や歌舞伎や舞台劇の名場面のビデオなどを教材に伝統話芸を演じて勉強をする。あわせて年1回8月の公演に向けての準備、練習などを進めていく。無声映画鑑賞会の会員ならば誰でも参加自由。体験参加して、希望すれば入会手続きをすればよい。もっとも、いきなり大声で「アエイウエオアオ」とかの発声練習から始まり、続いて順番にやる早口言葉。最初は「早くなくていいです。正確に」一巡すると「今度はできるだけ早く。では時間を計りましょう」あるいは「初参加の人がいるので順番に自己紹介しましょう。時間は3分にできるだけ納めます。30秒前に予鈴を鳴らします」なんて調子だから、話すのが不得手な人は一発で来なくなってしまうだろう。

 メンバーは小劇団の役者経験がある人とか講談をやっている人とか、話芸のキャリアのある人が多く、私のような東京電力上がりのド素人は珍しい。特に名人は先に名前を出した秋山呆榮さん。街頭紙芝居日本一でTV出演されたこともあり、今でも日本中からお座敷がかかり、湯布院でも紙芝居をやったことがあるそうだ。朗々たる語りは人間国宝級、特に太鼓一つであらゆる伴奏に対応する見事さは絶品の限りである。

 実は、私は活弁初デビューではあるが、「蛙の会」の初舞台ではない。後で細かく述べるが、公演のトリには「蛙の会」有志共演の特別演し物がある。昨年はリレータッチ大型紙芝居「紅蜥蜴」であった。全3巻を3人で語り継ぐというものである。秋山さんから「あなた2巻やってみませんか」「ハイハイ」と気軽く受けたらさあ大変、1巻はセミプロの活動弁士で年は若いがキャリアは長く若手のベテランと言われる植杉賢寿さん。トリの3巻が紙芝居の大御所秋山さん。間にはさまれ、そりゃないよなあと思いながら、いざとなると開き直っちゃって何とかなる私のこと、つつがなく努めたのではあった。(秋山さんの太鼓の効果音に助けられたことも大であるが)

 この経験で痛感したのは、紙芝居はめくりがポイントということだ。「ゆっくり抜く」「素早く抜く」「半分抜いて気を持たせる」「画を揺らせて抜く」これらのテクニックで静止画を語りとのコンビネーションであたかも動いているように見せる。紙芝居には抜く直前まで手をかけない。かけると緊張で無用に絵が揺れる。また手は下にかける。上にかければかけるほど抜きが客席から見るとぎこちなくなるなど、奥深いものだと痛感させられ、運動神経の勝負だと思った。これに対し活弁は映像を自分で動かすわけにはいけない。映像に密着した語りが必要なのである。まあ、カラオケ感覚に近い。この辺については後で詳述したい。

 ということで、「蛙の会」の公演は紙芝居と活弁の二本柱構成となるのである。ここで、今年の目玉をちょっと紹介しておきたい。(とはいえ、私の独断と偏見、目玉にされなかった弁士の方、お怒りの無きよう)

 まずは、昔話紙芝居「子そだてゆうれい」。弁じるは長嶋美穂子さん。若いが(と見えるのだが)筑摩書房のかなりの役職者だと漏れ聞いた。寄席芸のアマ集団「あっち亭こっち一座」というのがあり、そこでも玉川美穂子の名で浪曲の三味線を引くとかの多彩な人である。紙芝居そのものは教育紙芝居の一つなのだが、これを伝説の楽器テルミンとエレキギターの伴奏付でやるのがミソ。伴奏者は同じ出版界の縁で自由国民社の竹内尚志さん。

 秋山呆榮さんの街頭紙芝居、今年もおなじみ「黄金バット」!ただし、今回は二十一世紀の新作「黄金バットと怪盗団」。昔、絵を描かれていた関口さんという方、今でもお元気で今年の公演のために改めて健筆を奮ったとのことである。

 活動大写真の注目は大河内伝次郎主演の沓掛時次郎、前編を飯田豊一さんが語り、後編を早乙女宏美さんが語る。飯田さんは前述「あっち亭こっち一座」でも講談を語る多彩な人。早乙女さんは小劇団の女優(実際はもっと多方面な活動で知らないのが恥ずかしい位有名な人だったのだが、それは後述する)早乙女さんが後編なのは、上映前に「沓掛小唄」で日本舞踊を披露するからである。活弁まで息を整える時間が必要ということだ。これまでの例会では舞踊の振りを早乙女さんが説明し、皆で意見を出すというようなことしかやっていなかった。衣装はつけていないとはいえ、リハーサルで全体像を見られると思っていたが、冒頭の終わってしまって残念至極とはそういうことである。

 トリの特別演し物、今回は大型スライド「耳なし芳一−壇ノ浦妖異譚−」。紙芝居の延長上ではあるが、スライド映写なので大きさは活動大写真と同じ、効果音はトーキー映画同様である。そして演じるのは複数人。キャスティングは以下のとおり。ナレーターと琵琶法師の芳一(秋山呆榮) 物の怪の侍(飯田豊一)物の怪の女官(長嶋美穂子) 物の怪の幼帝(早乙女宏美)寺男の吾平(坂本洋) そして阿弥陀寺の和尚が私、周磨要

 私の活弁は、羅門光三郎の「剣聖 荒木又右衛門」の前編である。後編はこれも講談の人で坂本洋さん。といったところが目玉で、全体像は湯布院でチラシをお渡しした人、ロビーで委員長が掲示してくれたチラシを見た人はご存知であろうが、改めてプログラムを紹介するとともに、これまで触れてこなかった演し物には簡単に解説も入れておきたい。

1.昔話紙芝居「子そだてゆうれい」 長嶋美穂子 伴奏・竹内尚志
2.街頭紙芝居「島から帰った桃太郎」(1〜3巻) 片岡一郎
 鬼ヶ島から帰った桃太郎の後日談というユニークな話。片岡さんは澤登さんの唯一の男性の弟子でセミプロ。無声映画鑑賞会での何回もの公演歴を有す。
3.落語紙芝居「目黒の秋刀魚」 武田満佐子
 武田さんは高齢の元気な女性で「蛙の会」のヌシのような人。今回は落語紙芝居という新境地。 前述した「黄金バット」の関口さんがここでも健筆を奮い、影絵を模したシンプルで味のある絵を描いてくれた。
4.街頭紙芝居「猫三味線」(14〜16巻) 北山武雄
 北山さんはこの春から参加した新人。毎回栃木から東京へ通ってくる熱心な人
5.活動大写真「剣聖 荒木又右衛門 前編」 周磨要
6.活動大写真「剣聖 荒木又右衛門 後編」 坂本洋
                −お中入り−
7.活動大写真「海の水はなぜからい」 河上信之
 河上さんは一昨年大学時代に入会、昨年卒業してADになる。若さで古風な活弁と一線を画する芸風。昨年は「大列車強盗」を語ったが、今年は何とアニメ(というよりはサイレント時代だから漫画映画というのがふさわしい。動画技術レベルはなかなか高く驚く)に活弁をつける新機軸。
8.街頭紙芝居「怪談 呪い火」(3〜4巻) 吉川嘉一郎
 吉川さんは以前は役者の経験があったようで、昨年の1〜2巻の続きを披露
9.街頭紙芝居「黄金バットと怪盗団」 秋山呆榮
10.活動大写真「沓掛時次郎 前編」 飯田豊一
11.活動大写真「沓掛時次郎 後編」 早乙女宏美
                −休 憩−
12、特別演し物 大型スライド「耳なし芳一−壇ノ浦妖異譚−」

 ここで、「荒木又右衛門」について簡単にストーリーを紹介しておく必要があるだろう。日本三大仇討ちの一つ、鍵屋の辻の三十六人斬りというのはかなりの人が知っているが、細かくはどういうことかは知らない人が多い。(かく言う私も、活弁でこの映画を見るまでは、恥ずかしながらよく知らなかった)

 無禄の浪人荒木又右衛門は、武芸修行の旅の途中の立場茶屋で雲助にからまれている河田勇之進を助ける。それを見ていたのが備前池田の家臣渡辺靱負で、息子の數馬と娘のみねを同道しての出府の途上であった。又右衛門にすっかり感服した靱負は、みねを嫁にもらってくれるよう懇願するとともに、江戸の神楽坂に道場を開かせる。江戸で柳生流の看板を掲げた又右衛門は、柳生飛彈守の怒りを買い柳生道場での立ち会いで見事に渡り合う。実はこれには裏があり、旅の武芸修行の途上で出会った柳生十兵衛から秘傳を授けられ、弟の飛彈守に伝えるようにとの密命を受けての又右衛門の行動であったのだ。このことで又右衛門の武名は天下に広まり播州姫路に召し抱えられることになる。みねと祝言を上げ姫路へ向かう又右衛門夫妻。青空にクッキリ浮かぶ姫路城を仰ぎ見る夫妻で、私の持ち分の前編は終わりとなる。

 余談だが、講談の世界では、この時に又右衛門の見上げた姫路城の天守閣に籠もって悟りを開かんとしていたのが、修行の旅に出る以前の宮本武蔵だとのことである。又右衛門・十兵衛・武蔵とまるで時代は合わないが、何だか夢があっていいではないか。「講釈師、見てきたような嘘を言い」とは、よく言ったものである。

 後編は、長屋の住人同士の些細な喧嘩で、はずみで町人の一人が武士の河合又五郎に突き当たり、手討ちにされそうな所を渡辺靱負が止めに入り、又五郎と靱負の果たし合いに発展し靱負が殺される。旗本の所に逃げ込む又五郎、日頃から大名に一泡吹かせたいと思っている旗本達は、又五郎の後押しをする。かくして、父の敵を討たんとする數馬の助っ人として義兄の又右衛門が立ち、立場茶屋の縁で河田勇之進も加わる。旗本の面子にかけて討たせまいとする又五郎の助っ人、その数何と三十六人。こうして鍵屋の辻三十六人斬りとなるのである。

 これだけ聞くと、いい所はみんな後編にあるんだね、となりそうだが、実は活弁をやる方には後編の方が遙かに難しい。活弁というのは、メインは映画をよりよく見せるためにあり、弁士が際立ってしまってはいけない。三十六人斬りのようなチャンバラとなると、画面がすべてを語ってしまう。でも、弁士が黙っていては活弁にならない。映像の前面にでしゃばり過ぎず、弁士の存在感もさりげなく示し、この按配が難しいところである。

 私の持ち場では、又右衛門と飛彈守の道場での立会いのシーンがそれにあたる。特に、このシーンの山場で「柳生家<兵法家傳書>にいう<刀なき時は、手を武器にして立ち向かい、或は諸道具を用いて敵をあしらう。これ身を守るの心得なり>」との長い語り。この前段に「柳生新陰流の神髄見極めんとする門人たちの眼、眼」というのがあり、画面は道場の格子超しの門人達のシヨットである。このショットが終わらないと長い語りに入れない。しかも、この長い語りの最後は「えーい、ごめん」と又右衛門が飛彈守の真剣を手刀で叩き落すという顛末になる。その限定された時間の中でのこの長語り、これは結構きつかった。実際はそのあたりの語りの長短も弁士が工夫して調節するのだが、新参者の私のこと、今回は十年前に坂本さんが語ったオリジナルに忠実にやらせていただいた。私としては「これ身を守るの心得なり」の語りを割愛すると丁度いいかなと思ったが、そういう修行は今後の課題ということであろう。

 とにかく活弁は、いかに映像のリズムに語りを乗せていくかがポイントである。先輩の言によると、観客心理の妙で映像に語りが遅れると違和感を感じるが、語りが先行した後に映像がついてくるのは、あまり不自然に感じないそうなのだ。簡単に言うがこれが難しい。画面を見て慌てて追いかけるのはバツということだ。だから、語り出しの直前の映像のポイントを体に叩き込んでおきヨーイドンで語る。直後に映像が追っかけてくるという按配だ。特に難しいのは、語っているのは靱負だが映像は聞いてる方の又右衛門といった場合、タイミングを取るのに苦労するところである。

 飯田さんの言では、これを克服するのは稽古の繰り返ししかないようだ。一言で「稽古百回」と言うがそのとおりです、とのこと。私も回数だけは相当やったと思う。持分は15分程度なので、家に練習用のビデオを持ち込み、ちょっと時間があれば稽古をした。勿論、窓・部屋を閉めきって稽古するのだが、「立会いを致せ!これへ出ろ!」なんて大声を出すので、娘が「友達が来てるんだけど怖がってるよ」「いいんだ。飛彈守は怖くないといけない」なんて掛け合い漫才みたいなやりとりもあった。公演終了後は、あ、時間がある、稽古するか、あ、もう終わったのか、としばらく寂しくなったのも本音だ。それにしても15分程度だからちょっとした空き時間に稽古できるが、2時間も語る澤登さんはさすが大変なもの、プロの偉大さを思い知った。これは公演の時にも再度痛感させられるのではあるが。

 それだけ稽古を重ねても、わずか15分程度なのに映像と語りのリズムが快心の出来でピタリとすべて合ったということはない。必ず何箇所か遅れたり早過ぎたりの反省点が出る。特に又右衛門が飛彈守に「御無礼の段、平にお赦しを」と平伏するシーン、直前までスポークンタイトルで、その後に映像は平伏する又右衛門に繋がる。ところが、前段の語りが終わったのに平伏のカットに変わらないと次の語りが出せない。時間が空くと間が抜ける。前段の語りが早過ぎた時のこの待ち時間の長さ、実際は秒単位の狂いなのだが、心臓が縮み上がる感がする。もっとも諸先輩によると、見てる人は初めてなんだしそういうものだと思うし、あまり神経質になり過ぎない方がいいとのこと。確かにそうかもしれない。むしろ、そこでうろたえるとその方が目立ってしまう。堂々としていればよいそうだ。東電学園教務課時代の卒業式指導で、毎年証書授与の後に降りる口を間違える奴がいるが、後戻りせず堂々と進め、戻ったりしたらそっちの方が目立つ、列席者の目は次の授与者に行っている、誰も見てない、気が付かない、と発破をかけたもんだがそういう図々しさも必要なのかもしれない。

 そんなこんなで、お茶の時間の後にリハーサル再開、当日の順番どおり私がトップ、以下、坂本さん・河上さん・飯田さん・早乙女さんと続く。私は、リハーサルでもあることから、今日は前説からやらしていただきますと、かねて準備した次の前説から始める。<周磨要です。映画が好きです。その映画好きが嵩じて、活動弁士に手を出す、いえ口を出すことになりました。映画への情熱だけは誰にも負けない積もりです。その情熱で語らせていただきます。「剣聖 荒木又右衛門」、前編を私周磨、後編を弁士坂本洋に交替してお送りいたします。よろしくお願いいたします>とやる。「あれ、それだけ」「いや、前説は短い方がいいんだよ」てなことで、一応これはクリアー。公演後の反省では、前説について色々あり来年に活かしていくことになるのだが、それはまた後の話である。

 稽古の数を重ねたこともあってか私はまずまずの出来で終えたと思うが、昨年の経験から実はこれが侮れないのである。昨年のリハーサルの時、私も結構開き直ったせいか格好がつき、他の人のリハーサルも見て俺もなかなかのもんだなと傲慢にも思っていたら、これが認識不足も甚だしかった。当日になると、皆リハーサルよりも2・3割方テンションが上がる。特に女性弁士は和服でビシッと決めると引き締まるのか、リハーサルの倍はテンションアップする。昨年の私の出番は特別演し物のトリなので、次々と他の弁士のテンションの高さを見せつけられて、「みんなー、だまさないでよー」と生きた心地がしなくなった。活弁歴の浅い早乙女さんあたりは、リハーサルでは諸先輩にいろいろアドバイスをされたりしている状況なのに、本番となると絢爛たるもの。昨年の「雪の渡り鳥」の本番の華麗さは、私の友人が公演のベストに上げた程だった。かくいう気の弱い(嘘つけ!と言う人もいそうだが)私とくると、本番になると緊張のあまりリハーサルの半分の気合も出てこないのが正直なところだ。

 反省の二つ目。実は練習用ビデオは音楽がついていない。リハーサルの時には初めての35ミリ上映となり音楽も入る。「音楽が入ったら調子狂ってビビらないですか」「いや、かえって調子よくテンポが出ますよ」飯田さんのアドバイスであったが、結局私はビビりもしなければテンポも出なかった。そんな余裕はなかった。ひたすら繰り返した稽古の如く一気に語り続け、音楽は耳に入って来なかった。未熟さを感じた。優れた語りとは、映像のリズムと共に音楽のリズムも意識において語るべきものだろう。さらに、当日は観客の乗りも意識におく必要があるのだろう。活弁の奥深さの一端を感じさせられた次第である。

 活弁リハーサルも全員終了。最後は特別演し物「耳なし芳一」の合同練習である。個人的な練習は自宅でしているが、やはりこういうものは演者六人のアンサンブルが勝負、全員揃っての稽古が不足気味なのは否めない。秋山さんのキャスティングなので受けて立ったが、私が和尚で寺男が先輩の坂本さんということで、私は思いっきり実年齢以上の年寄り臭さを出そうと、意識的にスローテンポの語りにしたが、前回でスロー過ぎるとのアドバイスがあり、ややテンポを早めにしてのリハーサル。今ひとつ私としては調子が出なかったが、後は明日公演前にもう一回やりましょうと、時間の関係もあるのでリハーサルは終了となった。

 さあ、泣いても笑っても明日は本番。胸の高まりと不安がない混ぜになり「明日はがんばりましょう」と声を掛け合っての解散となる。私も帰り支度、あれ大きな荷物だな、そうか、今朝までは湯布院の空の下にいたんだ、何だか信じられない気分が半分のまま、リハーサルというか湯布院からの帰宅の途についたのであった。



前説
 さて活弁日記、いよいよ公演の日となる。といったところで、13号倉庫掲示板のおたべちゃん
のエ−ルを眼にした。(笑)ったり「感動」してくれたり、ありがとうございます。でも意識的な のかなあ。私は周「磨」で周「麿」じゃない。「麿」という程に高貴ではありませんので、お見知 りおき願います。先日13号倉庫の店長とも親しく話しをさせていただきまして、「おたべちゃ ん」楽しい人だって言っておりました。でも「愛してるんなら素直に言え(爆)」はないですよね。 「お前は栗本薫か」とか言いたくなったりして。もっとも(爆)なる表現は掲示板の流行りを栗本 がパクっただけとの娘の言、「認識が浅いなァ」とか言われてしまいました。おたべちゃんも昨年 湯布院で会った東京電力のSさん、根が真面目な人なんでこのこと聞いたら「人妻でしょ、<失楽 園>はまずいですよ」なんて真顔で言ったり、だから堅気の小父さんは困る、あ、これは9月の現 代映像研究会で荒井晴彦さんに別の件でやりあってて俺が言われたことか、なんて、だんだん楽屋落 ちが激しくなって来たので本題に入ります。

2002年8月25日(日)
 公演の朝である。まずは出陣前に荷物の点検。専用手提げ袋にキチンと収納した黒のダブルに蝶 ネクタイを片手に、Tシャツの軽装で出発である。と、これについても去年のことから遡って話さ ねばなるまい。

 昨年の大型紙芝居「紅蜥蜴」の時、一生懸命練習したが直前になって別のことに気がついた。 「あの、当日の格好ってどうなんでしょう」「あまり気にすることはないですよ。でも、木戸銭千 円払ってくれた人の前で演るんですからそれなりに」えっ、それって思いっきり気にしなきゃいけ いことじゃないですか。「あのー、夏の紙芝居の小父さんって雰囲気で、チャンバラものだしジン ベエ姿ってどうでしょう」「いいんじゃないですか」ジンベエなら湯布院映画祭で自分なりに気分 を盛り上げるために昨年・一昨年と民芸村パーティーで持参着用したものがある。やれやれ一件落 着かと安心し、後でハタと別のことに思い当たる。木戸銭千円の人の前で民芸村パーティーのよう に足元がサンダルじゃ様にならないよな。それから雪駄調達に奔走するが、これが意外と無い。西 国分寺・国分寺の両和服コーナーにも無い。こりゃどこか大きな和服専門店でも行かなきゃ駄目な のかいなと思いつつ、恋ヶ窪のイトーヨーカ堂に行ったらあった。「あのー、安いのでいいですけ ど」「安いも高いもこれしかありません」いやー、私は25.5cm、馬鹿の大足でも間抜けの小 足でもなくてホントに良かった。雪駄とか下駄とか草履とか、今の時代買おうと思うと案外苦労することを思い知った。

 それでも不安で前日のリハーサルにそのいでたちで北綾瀬に出向いた。「これでどうでしょう」 「おっ、いいんじゃないですか」実はその日は映画友の会の日でもあったので、リハーサルが終わ ったら虎ノ門の二次会に。「あれ、どうしたんですか」「明日の衣装です」「じゃあ麦藁帽子があ るともっと決まりますね」それは気がつかなかった。でももう明日には間に合わない。妥協するか というのが、昨年のいきさつであった。

 そういう意味では、活弁デビューの今年は考える余地は少ない。理想は燕尾服に蝶ネクタイだが、 さすがに燕尾服は持ち合わせていない。黒のダブルに蝶ネクタイで折り合いをつける。ただ、蝶ネ クタイというのは持ち合わせがない。「おい、蝶ネクタイってやっぱり買うならデパートかな」と 娘に聞いたら、娘はコスプレに凝っていて、その友達もいっしょにいて余りの端切れでアッという 間に作りあげてしまった。「燕尾服はそんな簡単に作れないけどね」「いいんだいいんだ、そこま では」後で聞いたら雪駄と同様に蝶ネクタイも今は需要が少ないせいか、買ったら結構いい値を取 られるそうである。感謝、感謝。

 ただし、暑い夏、その衣装で出かけるわけにはいかないと共に、昨年の経験で開場前の場内整備 は結構肉体労働なのである。衣装とは別の作業着が必要と痛感してのTシャツ姿でスーツ収納袋の 手提げといういでたちになった次第である。

 公演は1時開演、12時30分開場であるが、会場準備もあり特別演し物「耳なし芳一」の最後 の仕上げもあるので、10時集合との前日の申し合わせである。何せ私は飛び込みのメッカで事故 の遅れで有名な中央線沿線の住人、30分以上の余裕をもって家を出る。

 こういう時に限って電車は順調、30分以上も前に門前仲町についてしまう。申し遅れたが、公 演会場の門前仲町の門仲天井ホールとは、マツダ映画社の無声映画鑑賞会の常設会場でもある。さ て、時間をどうつぶすかと思案していたら、会場近くの喫茶店の窓から秋山さんが手を振っている。 飯田さんもいっしょである。「まだ、社長も来てないから、ここで時間をつぶして様子を見ている よ」社長は関係機材をライトバンに積んで十時前には到着することになっているそうである。「ず いぶんサッパリした格好だね」「いえ、これは会場準備の作業着、これ見て下さい」「おっ、スー ツ持参か」そんなこんなで秋山さん・飯田さんとこれまでの「蛙の会」の様々なエピソードを伺っ ているうちに、機材も到着、会場入りしての準備にとりかかることになる。

 椅子の整備やら紙芝居の台の位置調整と入念な準備、社長とマツダ映画社の弁士である片岡さん は、勝手知ったる無声映画鑑賞会の常設会場、マイク音量・映写状態・場内照明の調整と、それぞれ万全の準備である。

 会場整備もぼほ完了、いよいよ特別演し物「耳なし芳一」の最後の仕上げだ。そしてこの直前に、 大袈裟でなく公演中止に至ったかもしれない大アクシデントが発生する。演者六人に対してマイク は2本、ただしその1本はナレーターと芳一役の秋山さんが独占せざるをえない。残りの1本を5 人の演者が使うのであるが、狭い場所での人の出入り、見苦しくないようなスムーズな移動が必要 である。語り以外の神経を使う部分で、しかも会場入りしての初体験、公演までにはもう何時間とない。さらに、会場に来て分かっただのだが、照明の難しさ。暗くしないとスライドの効果は半減 する。しかし、暗くし過ぎると活動弁士用の手元スタンドを使える秋山さん以外は台本が見えなく なってしまう。片岡さんが3m近い脚立の上で微妙な照明調整に挑む。アクシデントはその時起こ った!
  「あっ!」片岡さんの悲鳴、脚立の上で身動きとれなくなっている。照明器具からの漏電による 感電である。後で聞いたがやはり200Vだったそうだ。200Vあたりの感電だと麻痺して意識 はあるが体の自由が効かなくなり死に至る。私は中央労働災害防止協会認定の安全のトレーナーと して、東電学園時代に第一線監督者候補の人に労働安全衛生法の教育をしていた者であるが、心底 ヤバいと思った。こういう状況で体が麻痺したときは後ろに倒れる。意識はあるし重力だけは確実 に存在するからだ。ただ今回のケースは3m近い脚立の上だ。倒れろ!とはいえない。墜落のリス クも大きい。こっちが脚立を倒すわけにもいかない。そこまでやる人もいなかったが、それも危な い。脚立は金属性、触れた人がまた感電する恐れもある。結果的には片岡さんが何とか手を振り切 ることができて、ことなきをえた。何秒間かの時間が永遠に思えた。片岡さんも一瞬3mの高さか ら飛ぶことも考えたそうだ。後遺症もなく公演の紙芝居も無事務めたが、後で聞いたら手に電気火 傷の跡は残ったそうだ。
 慣れない場所、慣れない照明、語り以外に神経をとられることが多く、最後の仕上げも私には不 安いっぱいに終わった。よく、私はみんなから無神経にベラベラ言葉が出るように思われているが、 私自身の気持では、言葉を出すまでに考えて考えて考え抜いてやっと出しているのである。こうい う準備不足状況になるともう言葉を出すのに不安がいっぱいになる。湯布院で口から出まかせに 「独演会」やってるわけじゃなく、あの3倍以上の時間をかけて考えて考えてやっと言葉が出せて るんですよ、おたべちゃん、いけね、関係ないところでまた振っちゃった。 時間は11時30分を回った。「早いお客さまはもうそろそろ来場します。できる人からドンド ン昼食を済ませて下さい」と社長。慌しく三々五々に用意された弁当をパクつくことに相成る。腹 ごしらえ完了。私もTシャツの作業着から蝶ネクタイの正装にビシッと変身する。 案の定、12時前後からお客さまが続々と詰め掛けて下さった。私の関係も親類から東京電力と 現在の再就職先の東京電設サービス、そして映画友の会の友人、「映画芸術」編集部の104さん も来てくれ、その縁か後日ご本人から伺ったが夢月亭清麿師匠も来てくれていたそうである。でも、 当日は知らなくてよかった。知ってたら気の弱い(?)私のこと、声が出なくなってたかもしれな い。姪などは夫婦二人に加え小学生の次女まで連れてきてくれ、しかも紙芝居が特に楽しかったよ うで、来年もまた来たいと言ってたそうだ。後述するが、そういうことが一番大切で、初物は誰で も御祝儀相場で珍しがられるが、大切なのは持続して支持してくれるお客さまなのである。とにかく私の関係だけで、その数ザッと十数人であった。

 昨年の紙芝居の初舞台では、ごく親しい友人などの近しい人にしか呼びかけなかった。なんせ
私も初めてで「蛙の会」公演がどんなものか知らない。自分が知らないものを無節操に人に薦めて 回るわけにもいかないではないか。しかし、昨年の公演で、人間国宝級の秋山さんの紙芝居・歴史 的価値の高い数々の貴重なフィルムの上映・懐かしの紙芝居屋さんの駄菓子の水あめおせんべいも ついて、私の拙き芸はさておいても木戸銭千円では絶対格安、元をとっておつりが来ること補償つ きである。そこで今年はかなり幅広くあちこちにPRをした結果前述の成果とあいなった。門仲天 井ホールは百人弱程度のキャパの会場、十名以上の観客増の重みも結構あると思う。おかげさまで 開演の1時前には補助席も含めて満席の盛況となった。 秋山さんの挨拶で公演スタート。昔話紙芝居「子そだてゆうれい」の長嶋さんが和服にしっかり 決めて登場。「これからやる紙芝居はちょっと怖い話です。でも、そんなに怖くないかな。やっぱ り怖いかな」張りのある声が会場全体に響き渡る。予想どうりリハーサルの倍はテンションが高い。 女性はホントに衣装をつけると決まってくる。竹内さんのエレキギターの伴奏が始まる。と、この 時にまたまたアクシデントが。
 調整室のスイッチが一つ落ちていたみたいである。ギターの音が出ない。片岡さんが調整室に走 る。私だったらこんなアクシデントに出会ったら、もう次は声が出なくなるだろうなあと思うが、 さすが舞台度胸が据わっている「蛙の会」の面々。見事に納めて見せた。秋山さんがマイクを持っ て気転を示す。「あのー、電気の状態がよくないもんで。今、横丁の電柱までは来てるみたいなん で、しばらくお待ち下さい」と笑いを取る。そんな具合に時間を稼いでいるうちに調整OKのサイ ン。仕切り直しの再開となる。長嶋さん、前と寸分違わぬ張りのある声で再スタート、動揺は全く 見られない。その舞台度胸に私は圧倒されてしまう。着々迫る私の出番、プレッシャーの緊張感で段々アドレナリン全開になってくる。

 そうこうしているうちに、お客さまはさらに続々とお出でになり、補助椅子の追加に追いまくら
れることになって、他の人の芸を見ている余裕は全くなくなる。追加しても追加しても追いつかな い。ついに補助椅子の在庫が尽きるという事態に至ってしまった。立ち見になってしまったお客さ ま、本当に申し訳ありませんでしたが、そういう事情でございます。後日の反省会で社長に聞いた ら、百人を大きく越えるお客さまで、門仲天井ホール始まって以来の入りかもしれないとのことで あった。
 そんなことに追われているうちに、気がついたら舞台は私の一つ前、北山さんの「猫三味線」の 最後16巻に入っている。いよいよだ。このアドレナリン全開の緊張感はどう例えればいいんだろ う。逃げ出したくなる。ワーッと意味もなく叫びたくなる。私も東京電力の頃は東電学園教務課時 代とか、電気主任技術者会議での講演とか、人前で話す経験は決して少なくはない。しかし、違う。 木戸銭をいただいたお客さまの前に出るのとは、決定的に違う。同様の経験は、木戸銭はいただか なかったが、TEPCO浅草館「永井荷風展」で「墨東綺譚」上映の前説をやった時だ。この時も 一般観客として快楽亭ブラック師匠まで来館し、喋りのプロにして映画評論家にして脚本家を前に 完全にビビった。今日も清麿師匠来場をその時点で知らなくて、本当によかった。「そんなことで どうする。弁士をやってみようと思ったのは、お前自身じゃないか。今ビビってどうするんだ。こ んなことでどうする。こんなことでどうする。こんなことでどうする。」心の中で呪文のように唱 え続け、逃げ出したい気持ちを押さえつける。ああ、舞台は紙芝居モードから活弁モードへの準備 が完了したようだ。腹を括るしかない。深呼吸一つ、舞台に一歩を踏み出す。 前説から始め、リハーサルの勢いで一気に語り終える。うまくいった、かどうか実はわからない。 その時間の記憶は完全に飛んでいる。自宅や例会での練習からリハーサルまで、何十回となくやっ ているのに、本番の1回だけは何故かまったく記憶がない。それだけ緊張しまくっているというこ とだろう。昨年の紙芝居もそうだった。微かに一箇所の語りが出遅れた記憶がある。お中入りで何 人かの友人に「一箇所語りが遅れたでしょ」「えっ、全然分からなかった。どこ」逆に聞かれて、 今度はこっちが遅れた場所を思い出せない。その位に緊張しまくりということだ。 ひとつだけ、はっきり記憶しているというか、体に記憶を刻みつけられた所がある。何十回とな く語りの練習をしたが、マイクを使うのは本番が初めてである。スタンドに固定しておくか、手で 持つか、考えたのだが、それほど語りに自信があるわけではないから、台本を見たりスクリーンを 見たり、結構頭は揺れ動く。スタンドに固定したマイクと口の距離を一定に保てる自信はない。手 で持って弁ずることに決めた。ところが緊張のあまり強く握りしめていたせいか、5分もたったら 手が痺れてきた。語り終えた時はマイクを手離すのがやっとというくらい、感覚がなくなっていた。 そのことだけは鮮明に体が記憶した。澤登翠さんが2時間も語る凄さを痛感した次第である。 とにもかくにも後編の坂本さんに続けて、まずは無事にお中入り。無声映画鑑賞会の風物詩でもある秋山さん売り子の「おせんにキャラメル」の声が場内に響く。何人かの友人が声をかけてヨイ ショしてくれる。「素晴らしいですね。もう少し練習すればプロで行けますよ」「初めてであれだ けやるなんて凄いですね」よく聞けば「もう少し練習すれば」とか「初めてで」とかの注釈がある んだからまだまだ未熟だということでもあるのだが。一番うれしかったのは、無声映画ファンでも ある前述の東電のSさんが「感想といっても、途中から周磨さんが語ってるなんて意識がなくなっ て、普通の活弁として楽しませてもらいました」と言ってくれたことだった。これぞ私が志してい たところで、あくまでもメインは映画、弁士が立ってしまってはいけないということである。 お中入りも終わり後半が始まる。「耳なし芳一」の和尚役もトリに控えてはいるが、まずはひと 落ち着きである。ところがしばらくたつと前述した水あめおせんべいの準備が完了、秋山さんが 「蝶ネクタイしてるから、配るのあんたがいいね」と色々所用はつきないのであった。 お菓子配りも終わったら早くも早乙女さんの日本舞踊の時間が近づいている。その他の芸は例会 やリハーサルで最低1度は目にしているが、これだけは初めて、一観客の視点で楽しませてもらうことにする。

  さあ、「沓掛小唄」のメロディーに乗って早乙女宏美さんが花道(って単なる客席の通路じゃな いのなんて野暮なことは言わない)に登場、和服姿、頭に手拭、手に三味線、鳥追い女の姿で艶や かな登場である。差す手・引く手の優雅な舞、さすがである。と思った刹那、クルリと機敏に身を 翻した瞬間、ピシッと激しい音がして三味線の手元の棒の一部が飛んだ。早乙女さんは平然と舞い 続ける。そして見事に舞い終わり、満場の拍手を浴びて退場の時、さりげなくその棒を腰をかがめ て拾って去っていった。

 終演後、早乙女さんに「あれ振りの一部だったんですか」と聞いたら、いつもながらの静かな微 笑みで「いえ、アクシデントです」「素晴らしい!私だったらあんなことあったらパニくってその 後は、絶対声なんか出なくなっちゃいます」「そうですか」相変わらずの静かな微笑みだった。後 で聞いたら、三味線の一部が振りの早さの勢いで飛んだのに気付いた者は、私の友人では一人もい なかった。私は舞台の袖で見ていたせいもあるが、案外に観客の感覚とはそんなものなのかもしれ ない。
 もっとも、その後わかったことだが、私のビビりと早乙女さんの舞台度胸を比較すること自体、 おこがましいことを認識する。湯布院でチラシを配った時、常連のコンピュータ関係のIさん(湯 布院日記で何でイニシャルをEさんにしたんだろ、ボケてたのかな)が「ヘェ−、早乙女さんって 活弁もやるんですか」って言い、ロマンポルノ出演歴もあるかなり有名人だそうで、パーティーで 話したら荒井晴彦さんも「おう、早乙女宏美、知ってるよ」って言うし、リハーサルで会った時に 「映画好きの割に認識不足で恥ずかしい限り、早乙女さんって有名人なんですね。荒井晴彦さんも 知ってました」と感嘆すると、「ええ、荒井さん、存じてます」と相変わらず静かな微笑みであっ た。

 公演発表後だが、Iさんに現代映像研究会で早乙女さんの著書を紹介された。河出文庫という
堂々たるメジャーである。感心したのは著者紹介で生年を記していること、女性著者は案外これはしない。それだけで腹が据わっていることが伺える。年齢よりは遥かに若く見えることも感じ入っ た。ロマンポルノとかピンク映画とか、私には全く偏見は無いが、人によっては色々感じる人もい るだろう。著書によれば読む人次第では、相当な修羅場をくぐって来たと思う人もいよう。「蛙の 会」の古い会員の武田さんに「あなた、有名人・有名人とあまりハシゃぎ過ぎない方がいいです よ」と忠告された。例会でも殆ど私語を出さず、でも発声の時はシッカリ声が出て、さすが小劇団 の女優は違うなんて思っていたが、常にお嬢さんのような静かな微笑みの陰にある凄みを肝に命じ た次第である。舞台度胸なんて一朝一夕につくものではないということだ。2年続けて早乙女さん と同じ舞台に立てたのは、大変な光栄というべきだろう。
 特別演し物「耳なし芳一」の和尚役、当日の最終リハーサルでも私は語りのペースに自信が持てぬまま、他の人に助けられ何とか格好がついて終了、後で秋山さんからも辛口のコメントをいただ くことになるが、反省はまとめて後述する。とにもかくにも全講演終了、最後の各人の挨拶。私は 「本日は満員の盛況で、私の親類・友人・知人も来ていただきありがとうございました。ただ、私 に限っては初物の御祝儀ということもあると思います。今日が始まりです。これからも末永くよろ しくお願いいたします」とやる。本音である。これから如何に物珍しさだけでなく、応援してくれ るお客様が持続してくれるかが勝負だと思う。
  「蛍の光」のメロディ−でお客さまにお帰りいただき後片付け、「蛙の会」の反省会は次の例会 で軽食付で軽く飲むのが恒例で、当日は三々五々の解散である。家族と会食という人もいる。私は秋山さんに声をかけられて、坂本さんと三人で軽く生ビールなどを傾ける。秋山さんは街頭紙芝居 とは別に教師の経験もあり、その頃の興味深い話なども伺ったが、これは本筋と別なので割愛する。とにもかくにも公演は終了した。いよいよ、湯布院・門前仲町を通しての本当のエピローグへと向 かうことにしたい。

<本当のエピローグへ続く>



湯布院・門前仲町を通しての本当のエピローグ
 さて、いよいよ活弁公演の反省も含めた本当のエピローグである。
前回を読み返すと、やたらアドレナリン全開の緊張感ばかりが出てくる。書き忘れたが、プレッシャーの素がもう一つあった。ここで記しておく。映画友の会の友人が何人か来てくれたが、今の 時代、映画ファンでも活弁は見たことがない者が殆どだ。悪いことに今年の公演の活弁のトップは 私である。「あのね、俺の最初に見て、活弁ってこういうもんだと思わないでね」「初めて見るん だから、当然思いますよ」って、もうこれ以上プレッシャーかけないでって所であった。 さて、当日以降の反省は数々あれど、まずは一般的な話から。坂本さんの友人から2点ほどあっ たそうである。一つは、現代の観客は無声映画を殆ど知らない。荒木又右衛門をよく知らないし、 主演の羅門光三郎のことも当然知らない。いきなり前説なしで始めてしまうのはいかがなものか、とのことであった。言われてみればそのとおり、日曜洋画劇場の淀川長治さんではないが、映画の概要を2〜3分で紹介するのは非常に良いことだ。私のフィールドに属するところでもあり大賛成 である。ということで来年は考えましょうとなったが、よく考えるととんでもないことを請け負っ たもんで、これってそうとう難しいことですよね。まあ、淀川さんになったつもりで頑張りましょ う。

 二つめは衣装のこと、卑しくも木戸銭をとって人前に出るのだから、それなりに考えるべしとの ことであった。確かに艶やかに和服で決めた女性弁士もいたけれど、中には私服にマツダ映画社の半纏を羽織っただけの人もいた。まあ、私は娘手製の蝶ネクタイで、「おっ!徳川無声」なんて他 の人にも冷やかされた位だから良かったのであるが。

 さて、以降は私の反省点であるが、自分のペースをつかめないまま本番に臨んでしまった「耳な し芳一」の和尚役であったが、後で秋山さんに「君って時々周波数が乱れるような不安定な声にな るね。活弁の声は安定していたのに」と辛口のコメントをいただいた。まさに私の弱点が諸に出た と痛感した。
 私に限らないそうだが、話芸の初心者はまず声が安定しない。特に語り出しが大きく、語尾に向 かって小さくなってしまうという特徴があるそうだ。話芸の基本はどんな部分でも一語一語が明確 に発声されていることだそうである。初心者は語尾に向かって尻上がりに声を上げていく位のつも りで、聞いている者には丁度よい感じになるようだ。 ただ、話芸は一語一語がはっきり発音されているだけで良しとするものではない。抑揚が必要で ある。このバランスの難しさを今回は痛感した。調子に乗って感情を込め気分を出すと、いい気分 になってるのは自分だけ、小手先の小細工はいっぺんに一語一語を明確に発する基本をおろそかにさせてしまう。
 活弁においては、単調だと自分では思ってもまず一語一語をしっかり発声するペ―スを、何十回と繰り返して掴み、それが体に染み込んでから抑揚の工夫を上乗せしていった。「耳なし芳一」で は、まず年寄りの和尚の雰囲気を出そうと、おもいっきりスローテンポの口調で始め、遅すぎるの ではとのアドバイスから、やや早めたがその早さにも自信が持てず、一語一語を明確に発するとい う基本の基本は完全に稽古不足でカヤの外であった。「周波数が乱れる」との一言でそれを指摘し た秋山さん、さすがである。
 飯田さんからの活弁に関する辛口コメントは、一本調子だから誰が誰だか分からなくなる時があ るとのこと。確かに一語一語明確に発声するという基本部分の稽古がまだ足らず、それに抑揚をつ けていく応用篇に至るのはイマイチだったかもしれない。実は、当初の練習では荒木又右衛門と渡 辺靱負の声はかなり変えていた。靱負はちょっと図々しく押し付けがましいところもあるので、そ れを強調した声質と口調にしたのだが、娘に聞いてもらったら「それじゃ、まるでエロ親父だよ」 となって、ややピリッとした武士の口調に戻した。まあ、それで今度は又右衛門との区別がつかな くなったりしたのかもしれない。
 これに関連しての話芸の奥深さを痛感したことが例会であった。練習で早乙女さんが語った「沓 掛時次郎」、山場で病床のお絹が「時さん、会いたい、死ぬ前に人目会いたい」と泣き崩れるくだ り、さすが女優でその迫力には圧倒され、「これだけは男は絶対適わないですね」と感想を漏らし たら、飯田さんから「話芸は芝居ではない。泣くところで本当に泣いて感動させても、それは話芸 とはちがう」というコメントがあった。そして「声色大会ではないのだから、無理に声を創ること はない。ただ、口調などで誰が誰かは明確に区別できるようでなくてはいけない」ウーム、話芸と は奥深いものだが、そういえば落語なんかも確かにそうですね。
 もう一つ、これは見てくれた人の後日の感想だが、短時間なので語りの勢いで一気に見せられてしまうが、余裕がなく疲れる、長時間になったらどんなものか、という話も伺った。ああ、やっば り、と私には思いあたることがあった。これは、話芸というよりも、私が話す時の基本的欠点と思 っていたからだ。
 前に私は、中央労働災害防止協会認定の安全のトレーナーであることを述べたが、その研修を受 けた時の話である。研修の中には「教え方を教える」というややこしいカリキュラムがあり、その 仕上げとしての「教育演技」というのがある。1時間なりの講義を準備し、受講生が順にその講義を前に出て実演する。ただし、時間の関係もあるので15分程度でストップの声が講師からかかる のではあるが。私の「教育演技」についての講師のコメントは「声も大きく話もまとまっていて聞 きやすく良いと思います。ただ、聞いている人を疲れさせる所があるんですね。今日は15分で打 ち切りましたが、実際に1時間聞いたら、受講者は結構グッタリするんじゃないでしょうか。その 辺を気をつけて今後頑張って下さい」とのことだった。
 講義に限らず、日常の会話でも自覚しているのだが、私の話は「聞いてもらおう」でなくて「話 せばならない」という感じが強いのである。その切羽詰った感じは確かに聞いている人を疲れさせ る。分かっているが改まらない。まあ簡単に改まらないから欠点になるので、人間誰しもすぐ改ま るものは欠点になりようがない。だから、さる映画祭の懇親の場でも「独演会」とか称されて(さ りげなくまた私に振るなー、って言われそう)しまうのだろう。話芸の勉強を通じて、こんな私の 欠点まで改まれば、これは素晴らしいことだと思う。まあ、人間半世紀これでやってきたんだから、 そんなに簡単に変わるとも思えないが。
 最後に来年の私の演目が決まりましたので、紹介させていただきます。林長二郎の「弁天小僧」 です。かなり高いハードルです。「荒木又右衛門」は名前と鍵屋の辻三十六人斬りくらいは知って いてもあまり細かいことは知らない人が多いでしょうが、「弁天小僧」はみんな知ってる「ご存 知」の世界、これは下手は張れません。山場の浜松屋は、人の出入りも動きも多く、それこそうか うかしてると、誰が誰やら分からなくなります。唯一の救いは、私は育ちが良くないので、侍の 「荒木又右衛門」よりは、白波の「弁天小僧」の方が合うかもしれないといったところでしょうか。 特訓を開始しましたが、「知らざあ言って聞かせやしょう」で始まる七五調の名台詞が映像のリズ ムにピタリと合うとちょっと快感です。乞う御期待とPRしておきましょう。
 
 延々と長口舌を続けてきたが、よく考えたら、湯布院映画祭前夜祭の8月21日(水)から、 「蛙の会」公演の8月25日(日)までの、たった5日間の出来事。何だか物凄い長い旅をしてき たような気がする。でも、これで本当のエピローグ。湯布院映画祭の楽しさは伝わりましたでしょ うか。「蛙の会」の公演に興味を持っていただけたでしょうか。湯布院で会った方々、来年もまた 楽しくやりましょう。これから来ようと思っている方々、是非会って、共に映画を見て語って楽し く飲みましょう。「蛙の会」の公演に来ていただいた方々、来年も引き続きお願いします。興味を 持っていただいた方々、是非来年は観に来て下さい。宣伝ついでに私の連載がある「映画芸術」、 そこの誌上でもお会いしましょう。是非買って下さい。と図々しくPRもいたしまして、このエピ ローグが、新たな映画の友との出会いのプロローグへと連なることを祈りつつ、私の長広舌をお開 きにさせていただきます。 <完結>


周磨要
(しゅうまかなめ)の「湯布院日記」〜「活弁体験記」 堂々の完結でございます。
 最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。
尚、引き続き「周磨要のピンク日記」は随時更新中ですので、そちらも、ご贔屓の程、宜しくお願いします。(ぼくら新聞web編集部)

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