周磨 要の 「湯布院日記2004」
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周磨 要のピンク日記        Top Page

湯布院日記2004−1
あるいは「湯布院映画祭」のフィールドと、私の数々のフィールドとの連動について

●プロローグ

 8月25日(水)の前夜祭から29日(日)までの5日間、台風16号が刻々と接近する中、今年も行きました、湯布院映画祭。映画祭のスケジュールは滞りなく完了したが、翌日の30日(月)に台風は九州を直撃。映画祭参加者は宿泊場所の「牧場の家」を中心に完全に閉じ込められた。映画ファンの集まりだから退屈はしない。焼酎をチビチビやりながらの1日中の映画談義、今年は番外付きの6泊7日とあいなったのである。
 映画評論家の磯田勉さんも同宿で、暴風雨の中、私と二人で決死隊(?)を組織し、皆を代表して川を越えたコンビニに食料調達に行きグショ濡れになったり、「これもきっと後ではいい思い出になるんでしょうね」と、とにかく話題に事欠かかない「湯布院日記2004」の開幕である。

●福岡空港から湯布院へ
 25日(水)15時をやや回った頃、福岡空港の地に立つ。これから映画漬け(酒漬け?)の5日間に期待が膨らむ。私の射程は16時台の湯布院行き高速バス。例年、余裕を持って空港に着きバスの乗車券を確保したら缶ビール一杯を開けてのんびり待つことにしている。ところが市内の渋滞で15時台のバスが遅れており、まもなく到着とのことだ。後続も遅れる恐れもあるので、15時台のそれに乗り込むことにする。
 「いよおーっ」バスに乗った途端に大きな声で呼び掛けられる。浜松のTさんである。Tさんは高齢で悠々自適、全国の映画祭を巡り歩いて1年中を過ごすという羨ましい身分の人である。何と名前が私と同じ「要」である。期せずして「W要」の誕生だ。後で「W要」のバスには乗りたくないもんだと冷やかされたりした。
 Tさんは私と同様に声がでかい。杖をついているがカクシャクと元気であり、シンポジウムでもよく発言される。(今年はあまり発言されなかったのだが)全国の映画祭の名物男である。今年80歳になられたそうだ。「唯一の80代だな。でも、今年は92歳の新藤兼人さんがメインゲストだけど、まあ参加者の最高齢としよう」と相変わらず元気である。私も再就職先の第二の人生も3年後に定年。本当にこの人のように人生を全うしようかなと思う昨今である。
 「奇遇ですね。私は1台後のバスのつもりで来たんですよ」と、後は果てのない映画談義の数々。通路越しに話してたのが、熱が入って私が立ち上がり、運転手さんに「お座り下さい」と注意されたり(そりゃそうだ高速バスはホントはシートベルトしなきゃいけないんだから)、降車の際にTさんが「お騒がせしました」と挨拶した位、早くも盛り上がってしまった。例年どうりこの時間帯は乗客はそんないなかったんだけど、私からもここで「お騒がせしました」とお詫びします(と、ここで詫びてもしょうがないか)

●今年のスケジュール
 宿の「牧場の家」に荷物を置き前夜祭会場のJR由布院駅前広場に18時少し前に向かう。野外上映は20時からだが、3、4年前からそれに先立っての18時頃から地元芸能の催しがあるので、私はそれもお目当てである。案の定、映画祭参加者の馴染みの顔は皆無だ。参加者で知ってる者が少なく、野外上映前の催しはPR不足の感もある。ポスターも小さく、それも年によってあったりなかったり。私も駅前アートホールでやっとチラシを入手した。
 「周磨さん」、突然声をかけられてビックリする。一瞬誰だろうと「え?」怪訝な顔をして、失礼してしまった。何と!SF作家で映画評論家の友成純一さんだ。いるべき筈の無い人に突然出会うと面食らう。まして友成さんのようなビッグネームから声かけられるなんて、本当に面食らう。本当に失礼いたしました。友成さんも地元芸能がお目当てだそうだ。「お神楽に興味あるんですか?」と聞くと、「歌舞伎が好きなんで、その関連で見たいと思いまして」とのこと。友成さんの新しい面の発見である。10歳の娘さんもいっしょに来たそうだ。この娘さんにはほのぼのとしたエピソードがこの後あるのだが、その紹介はもう少し先の楽しみとして、まずは今年のスケジュールを紹介しよう。

8月25日(水) 前夜祭
・湯布院源流太鼓少年隊 演奏
・湯布院並若神楽 演舞
・今年の見所・案内 映画祭実行委員会トークショー
・野外上映 シナリオ作家 新藤兼人の世界 「座頭市海を渡る」
・乙丸地区公民館 懇親会

8月26日(木)
・シナリオ作家 新藤兼人の世界 「安城家の舞踏会」「斬る」「ハチ公物語」「才女気質」
・特別試写 「ラマン」
・「ラマン」シンポジウム
 ゲスト [監督]廣木隆一 [プロデューサー]永田芳弘・成田尚哉 [撮影]鈴木一博 [主演]安藤希
・パーティー 亀の井別荘 湯の岳庵

8月27日(金)
・ シナリオ作家 新藤兼人の世界 「しとやかな獣」「昭和枯れすすき」「軍規はためく下に」
・ 新藤兼人シンポジウム
 ゲスト [監督・脚本家]新藤兼人 [プロデューサー]新藤次郎
・特別試写 「透光の樹」
・ 「透光の樹」シンポジウム
 ゲスト [監督]根岸吉太郎 [主演]秋吉久美子・永島敏行 [スクリプター]白鳥あかね
・ パーティー 九州湯布院民芸村

8月28日(土)
・ シナリオ作家 新藤兼人の世界 「愛妻物語」
・ 日本映画職人講座 助監督編 「ロケーション」
・ 日本映画職人講座 助監督編 シンポジウム
 ゲスト [助監督経験のある監督]澤井信一郎・杉山泰一・田村浩太郎・小原直樹
・特別試写 「るにん」
・ 「るにん」シンポジウム
 ゲスト [監督・出演]奥田瑛二 [プロデューサー]松本美佳 [出演]西島千博・麻里也・ひかる・玄海竜二
 [脚本]成島出(当初は松坂慶子だったが撮影遅延のため急遽ピンチヒッター)
・パーティー ゆふいん麦酒館
        
8月29日(日)
・特別試写 「樹の海」
・ 「樹の海」シンポジウム
 ゲスト [監督]瀧本智行 [脚本]青島武 [出演]萩原聖人 [プロデューサー]永田芳弘
・ 特別試写 「愛してよ」
・ 「愛してよ」シンポジウム
 ゲスト [監督]福岡芳穂 [プロデューサー]森重晃 [出演]野村祐人
・ 特別試写 「サヨナラCOLOR」
・ 「サヨナラCOLOR」シンポジウム
 ゲスト [監督・主演]竹中直人 [プロデューサー]新藤次郎
・ パーティー ゆふいん麦酒館(当初はゆふいん健康温泉館だったが台風接近のため完全屋内会場に変更)

そして
8月30日(月)、参加者の殆どが湯布院に閉じ込められ、予期せぬ後夜祭となった。

 以上がスケジュールだが、今年は「私のフィールド」をメインテーマに時空入り乱れた記述になるので、混乱した時はこのスケジュールを再確認して読み進めていただければ幸いです。

●今年のテーマはフィールド
 2002年の湯布院日記は時系列の記述だった。2003年はテーマ別記述で時間を錯綜させた。2004年のアングルは、湯布院という私にとって魅惑的なフィールドの一つを、私の他のフィールドを連動させ空間的に拡大させて、自分探しの旅をしてみようと思う。昨年の日記であきるの映画祭に脱線していったように、そして、昨年の「懇親会でのデスマッチ」の項で、湯布院のフィールドに不満を持ちながら来ている人の話題から、「映画友の会」の話題に連動させたように、そのアングルを徹底して拡大したい。自分探しの旅のつもりが、フライングして他の人のことに言及が及び、迷惑をかける恐れもないではない。
 2年ぶりに再会した磯田勉さんから、「酒席の発言書かれて、ちょっとってのありますよね」と言われた。と言いつつ、「今年のテーマはフィールドですか。楽しみにしてます」とも言われた。まあ、暴風雨の中、決死隊で食料調達に走った縁、フライングあったら御免なさい。ただ、危なかったら誰か止めて下さい。自分探しの旅が他人を巻き込む可能性大いにあります。「誰か、止めてよ」っての有効に働かないと、伝説的カルト迷画、橋本忍の「幻の湖」になりかねません。ってこれも適切な例じゃないか。と、いうことで、今年の湯布院日記、はじまりはじまりである。

湯布院日記2004−2

●前夜祭を中心に 様々なフィールドの交錯
 今年の前夜祭はふるまい酒が出た。早速、友成さんとご相伴にあずかる。恒例の模擬店も開店したので、枝豆と焼き鳥を仕入れる。例年は野外上映前の催しは、私一人で寂しく缶ビールなど傾けているのだが、今年は友成さんというお相手もいてくれて、まずは快調な滑り出しである。
 「SFマガジンの連載終わっちゃいましたね。また何か書いて下さいよ」「まあ、いい題材があればですね」私は、友成さんの小説は読んだことはなく、作家としての側面はあまり知らない。SFマガジンのフィールドを中心にして、日本で最も信頼できるSF映画評論家としての顔のみである。小説の方は、ホラー・スプラッタ系のせいか活躍の場はSFマガジンと別のフィールドのようだ。6月号で連載終了した「人間廃業宣言 90年代SFホラー映画論」はプライベートな近況や心情吐露も入り交じり、実に読み応えがあった。是非またSFマガジンのフィールドで出会いたいものですとの要望を告げる。

 野外上映が終わる。懇親会に向けて参加者は乙丸地区公民館へ続々と移動していく。

 まずは伊藤雄映画祭実行委員長と会計担当横田茂美さん(前事務局長、というよりは古くからの委員会の中核である)にご挨拶する。私は、ここ3年、マツダ映画社の話術研究会(通称「蛙の会」)で活動弁士の勉強をして発表会の公演に参加しているが、今年の公演は10月31日(日)、阪東妻三郎の「雪の渡り鳥」を弁じる。昨年は11月30日(日)大河内傳次郎の「血煙り荒神山」だった。両年ともに、かなり先の話なのでチラシはできていない。昨年は、友人に配る程度の私設チラシを準備してその1枚を委員長に渡したら、会場のロビーに置いたらどうかと言ってくれたが、それだけの部数が無いことを告げると、1枚を会場に張り出し掲示してくれた。感謝である。そのこともあって、今年は40部程準備してきたので、置かせていただくことで挨拶し、快く御了承を得た。最終日にはチラシは3、4枚を残すのみで殆どなくなり、首都圏からの映画祭参加者から御来場いただけそうな感触も2、3の方から得た。「湯布院映画祭」のフィールドにおける「蛙の会」のフィールドの営業活動は、まずは順調に終了したのであった。
 1年ぶりに出会った友人や実行委員の人達と、積もる話題で酒席は大いに盛り上がっていく。和気あいあいの中で、ゲスト挨拶や実行委員決意表明などが続いていく。
 脚本家・映画監督・「映画芸術」編集長で本映画祭には欠かせぬゲスト荒井晴彦さんが挨拶する。開口一番「昨年は迷惑かけました」。「映画芸術」2003年秋号の編集後記で「湯布院映画祭では大顰蹙だった。去年一緒に行った娘からドタキャンの電話が入った途端、君子?豹変したらしい」と自ら記した一件である。「今年は娘も来るのでそんなことはないと思う」と笑いをとる。
 これがおもいがけない展開になる。2日目の民芸村のパーティーで友成さんに、「こんな所でお嬢さん放ったらかして飲んでていいんですか」と冷やかすと、「荒井さんのお嬢さんがよく面倒みてくれてましてね。なついちゃって」とのことであった。荒井さんの娘さんは19歳で10歳の友成さんの娘さんと年齢差は適当かもしれない。そういえば私の娘が幼児の頃、会社の運動会で小学生の副部長のお嬢さんになついてしまい、「お姉ちゃん、お姉ちゃん」とつきまとい、「あら、可愛い」とか言って面倒をみてもらってヒヤヒヤし、「こども同士が仲良きゃいいんじゃない」と副部長もニコニコしていたとの、あまり関係ないがそんなことをフト思い出した。
 「でも、荒井さんの作品って、友成さんの好みじゃないですよね」と私。「好きとか嫌いとかってことより、荒井さんは女と男の関係をジックリ描く方、私はホラー・スプラッタ・SFですから。それ以前に住む世界が違うというか、何というか」と友成さん。なるほど、荒井さんと友成さんというフィールドのまったく異なるお二人が、場を同じくしていることが湯布院のフィールドのユニークさの一つなのかもしれない。その対称的な双方のフィールドに話題を共用できる俺って、結構ユニークなフィールドの持ち主だなあと、これって我田引水か。
 「最後の日のパーティーで、娘が司会みたいなこと頼まれてるみたいなんですよ」「10歳でしょ。大丈夫なんですか」「何とかなるんでしょ。実行委員に任せてますから」実際はオークションの進行役であった。最終日のパーティーで、荒井さんに声をかける。「お嬢さん、今回は傍にいないですね。友成さんの娘さん面倒みているそうですね」荒井さんはニコニコしながら「あそこにいるよ」舞台でオークションの進行に一生懸命な友成さんの娘さんの隣で、荒井さんの娘さんがしっかりサポートしてました。2年前よりも当然ながら女っぽさが増している。ニコニコ見つめる荒井さんは、完全に父親のフィールドの顔になっておりました。

●「蛙の会」公演 私設チラシの紹介
 ここで、会場に置かせていただいた「蛙の会」公演の私設チラシの全文をこの場でも紹介します。

            「蛙の会」公演のお知らせ        周磨 要

 本年度「蛙の会」の公演が
10月31日(日)  門前仲町の 門仲天井ホール と決まりました。
[例年どおり 午後1時開演 木戸銭千円(水あめおせんべい付) の予定]

私の活動弁士3度目の公演です。
    活動大写眞 「雪の渡り鳥」    弁士  周磨 要
昭和6年の阪東妻三郎主演作品を語らせていただきます。その他の活弁を以下に紹介いたします。

まずは、股旅ものと一味ちがったもう一つの阪東妻三郎の義賊の顔
    活動大写眞 「影法師」      弁士  田邊 佐和子
今回、初登場でございます。

昨年、生誕100年の話題で賑わいました小津安二郎映画、「蛙の会」でも登場します。
     「大学は出たけれど」     弁士  坂元 洋
元NHKアナウンサーで、現在は講談も語るという坂元洋の明晰な活舌を堪能して下さい。

昨年の小津生誕100年に続いて今年はゴジラ生誕50年、そこで登場するのは
    活動小写眞(?) 「バンビとゴジラ」     弁士  竹内 尚志
この伝説のカルト映画を語る竹内尚志は、伝説の楽器テルミン演奏者にして、日本では数える程しかい
ないスティツクの演奏者。昨年の名演奏に続き、ついに今年は活動弁士に挑戦です。

そして、昨年の「伊豆の踊子」に続きましての師弟コンビ前后編語り継ぎは、
     「滝の白糸」     弁士  飯田 豊一  早乙女 宏美
巨匠溝口健二監督の名作。恒例、早乙女宏美が上映に先立ちまして、華やかに日本舞踊を披露いたし
ます。

次に紙芝居の方を紹介いたします。

昨年、艶やかな和服姿でトップを切った小学校教員の保科先生、今年は
    民話紙芝居 「ふしぎなげた」    弁士  保科 千恵美
今年も教え子の子供達が最前列を埋め、可愛い声援があるでしょう

日本でただ一人といっていいかもしれません落語紙芝居。昨年の「火炎太鼓」に続きましては
    落語紙芝居 「長屋の花見」       弁士  武田 満佐子
今年も工夫を凝らした手作りの衣装や小道具も併せてお楽しみ下さい。

4度目の舞台、ベテランの域に入りつつあり、昨年はハーモニカの伴奏で「かさじぞう」を奮闘
した吉川嘉一郎の今年は
    民話紙芝居 「うりこひめとあまのじゃく」   弁士  吉川 嘉一郎
今年も伴奏の工夫が期待できるところです。

昨年に紙芝居で初舞台の湯川博士、将棋作家にして、社会人芸能集団あっち亭こっち一座で仏家
シャベルの高座名を有し、子供の頃なりたかった将棋指し・落語家・紙芝居屋のおじさんの3つを
一応はクリアし、今年も街頭紙芝居に挑戦。昨年夫妻揃って初舞台の恵子夫人と二人で、男女の声
を振り分けての紙芝居という新基軸に挑戦します。
    街頭紙芝居  「怪談 呪い火」     弁士  湯川 博士  湯川 恵子
これに、「蛙の会」公演に欠かせぬ存在となった竹内尚志のテルミン演奏が盛り上げます。

恒例のトリの特別演し物活動大写真「キートンの鍛冶屋」会員総出演で語り分けます。

私にキートンの声をやったらどうかと、「映画友の会」の淀川長治さんの不肖の教え子に対し、
天国から化けて出てこられそうな、神をも恐れぬ話もあるのですが、キャスティング決定は湯布院
映画祭最終日と重なった8月29日(日)の「蛙の会」例会の日。私は、欠席裁判で天の声を待つ
しかありません。

以上、私の拙き芸はさておいても、この多彩なプログラムで、木戸銭1000円の元は十分取れ
ることは保証付でございます。(私の芸は1円、残りの方が999円と思ってください)なにとぞ
御来場・御支援のほど、よろしくお願い申し上げます。


連絡先 周磨 要 〒185−0024 東京都国分寺市泉町3−6−15
         電話  042−324−4600
         メール syuuma12@hotmail.com
    話術研究会 蛙の会  マツダ映画社内 03−3605−9981

 こうして、湯布院映画祭のフィールドは、私の他のフィールドと連動しながら、様々な展開をしていくのである。

●湯布院に至るまでの道
 湯布院映画祭は、私にとり心地よいフィールドの一つだが、その他に心地よいフィールドがいくつかある。すでに話題に出した「蛙の会」「映画友の会」そして活弁の勉強を通じ、共に話芸を志す縁で知り合った社会人芸能集団「あっち亭こっち一座」との方々とのおつきあいである。
 私は見るのも活弁修行の一つと思うので、毎月の無声映画鑑賞会には必ず参加している。そこで新作カラー無声映画「幕末渡世異聞 月太郎流れ雲」の存在を知る。無声映画だから公演は弁士・楽隊付き、普通の映画のように簡単に公開できず演劇に近い仕掛けがいる。これまでの公開は、3月の澤登翠さん弁士・平日夜・横浜にぎわい座の1度のみである。私にとっては、平日夜・横浜と、あまりいい条件でなく未見だった。その東京初公開が、8月24日(火)25日(水)各昼夜2回、神田・学士会館だと知る。25日からの湯布院行きを予定している私には、24日しか見る機会がない。でも、湯布院行き前日に帰宅が遅いのもしんどいなあと思ってたら、9月〜11月に毎週1回の公演があるそうなので、マツダ映画社に問い合わせたら、弁士は澤登さんではなく、修行も兼ねて若手弁士が努めるとのこと。やっぱり、澤登さんで見たいよなあ、と悩んでいてふと気がつく。そうだ、湯布院行き前日を午後半休にして夏休みを拡大し、昼の部に行けばいいんである。
 実はこの日、もう一つ夜の予定があった。私にとり心地よかったフィールドの一つ、今は閉村の白井佳夫さんの阿佐ヶ谷映画村。その参加者の溜まり場のスナックがあり、そこのママも映画好きなことから、第2火曜日にいまだにゆかりの者が集まっている。それが8月はお盆の関係で第4火曜日の24日、午後半休ならそこにも参加できそうだ。でも、さすが疲れるな。そっちは失礼するかと思ってたら、前週の21日(土)の映画友の会で24日6時開映の「草の乱」の試写状をくれる人がいて、かくして湯布院前日は午後から学士会館「月太郎流れ雲」その後は「草の乱」の試写、ここまできたらもうヤケだ、帰りに阿佐ヶ谷で飲んでくかと、期せずしてハードスケジュールとなってしまったのであった。
 21日(土)の映画友の会の話題はまだ続く。4次会までしこたま飲んで帰宅したら、前述した「あっち亭こっち一座」座長のあっち亭こっち師匠から郵便が届いており、以前に国立劇場公演ガイドの「日本芸術文化振興会ニュース」で映画友の会に興味を持ったというメールをいただいていたのだが、そのガイドを送ってきてくれたのである。行く行くといって「映画友の会」に顔を出さないことについて「実行されない約束は、わるい事態をひきおこす。気をつけます」との丁寧な挨拶の手紙が同封されていた。フィールドというのは二重三重にラップしていくものである。
 「映画友の会」に関する記事は、おかだえみこさんが淀川長治さんの思い出に絡めて、外国映画と日本の古典芸能の共通項について述べられたものだった。確かに淀川さんには二つを絶妙に結びつける豊な感性があった。気配りに対する感謝に加えて、私の淀川さんの思い出話を含めて返信をした。
 心地よいフィールドにはのめり込み、不快が予想される・あるいは先方が不要としているフィールドからは速やかに退くというのが私の基本スタンスである。ただ、フィールドは永遠ではない。前述した阿佐ヶ谷映画村も私に心地よいフィールドだったが、諸般の事情で閉村になった。56年続いた映画友の会とて、雑誌「映画の友」が廃刊になった時、淀川長治さんが高齢になり身を退いた時、このフィールドが消える危機であった。
 湯布院映画祭も来年で30年であるが、このフィールドも永遠ではありえないことも、前夜祭の懇親会の席上で感じた。伊藤委員長や横田さんの発足以来の中核はずっと変わらないが、新しい若い実行委員は交代が多く定着していないようなのである。その結果、中核の人は歳を重ね、その下の層の間の空洞化が進行していく。「映画友の会」も実行委員が20代の頃からの会員が今30代以上になってもまだ続けており、後が続かないという現状である。多様化した現代は、若い人が映画に集中したフィールドを継続していくのが難しい時代なのかもしれない。
 懇親会で、委員長や横田さんが来年の30年に向けて頑張ろうとの挨拶の陰で、後に続く委員への檄を感じ、ふと私は、このままジリ貧なら30年で盛大に最終回にするかという決意と危機感も感じられた。最終日のパーティーで横田さんに、「いっそのことジリ貧で消滅するよりは、30年を最終回として盛大にブチあげようなんて気はないですよね」とカマをかける。「鋭いですねえ」とニコニコしていたが、眼は笑いきってなかったような。いずれにしても、映画ファンにとって永遠のフィールドの継続は困難な時代である。
 そのフィールドに不快を予測したり、また不要と思われた場合は、速やかに去るのが私のスタンスだと前に述べた。その場合は、フィールドは存続していても私にとっては消滅したも同然である。いずれにしても、永遠に継続するフィールドは無いということであろう。

 話を湯布院映画祭前日のハードスケジュールに戻す。午後半休、まずは会社から神田・学士会館に向かう。受付に片岡一郎さんがいる。日本を代表する活動弁士澤登翠さんの唯一の男性の弟子で、無声映画鑑賞会の進行役も努めている。「蛙の会」公演でも、よろず雑用、状況に応じて番組のバラエティのためピンチヒッター弁士としても舞台に立つ多彩な人である。先月の無声映画鑑賞会でも、そろそろ「蛙の会」に顔を出ださなきゃいけませんね、と言っていた。
 さっそく、図々しいお願いをしてしまう。今月の29日(日)の「蛙の会」例会は湯布院行きで欠席するが、会員総出演の「キートンの鍛冶屋」の練習用ビデオはなるたけ早く入手したいので、翌日30日(月)の無声映画鑑賞会でキャスティング決定とともに渡してもらえないかということをである。残念ながら、片岡さんは29日(日)は仕事が入ったとのこと。そこで、さらに図々しく、後から見えられたマツダ映画社の専務(「蛙の会」会長でもある)に同じことをお願いしてしまう。結果は、台風で30日は湯布院に閉じ込められて、9月2日の会社帰りにマツダ映画社に寄ってビデオを受け取ることになるのではあるが。キャスティングは私がキートンとのこと。「雪の渡り鳥」はほぼ仕上がりつつあるが、新たなハードルの誕生である。この話題は湯布院のフィールドも含めて、後に引っ張ることになるが、それは先の話である。
 かくして、湯布院前日「月太郎流れ雲」を楽しむ。「いま、二十一世紀に蘇る活弁無声映画!!」がキャッチフレーズだが、幕末になぜか平手御酒が現れて主人公の旅烏の月太郎とからみ、月太郎の正体は実は桂小五郎だったというナンセンスの一編。市川雷蔵の明朗時代劇のタッチだが、本格的時代劇を創るのは困難な時代であるから、賢明な処理だったかもしれない。同時上映が大河内傳次郎の「沓掛時次郎」なのだからなおさらだ。

 出発の何日か前に湯布院常連の「キューブリック」さんから電話が入る。(昨年、名前を音読みにするとこうなる人が本当にいると紹介したが、間違いでした。ペンネームだそうです。今度は「ノット・ギルティ」をもじって漢字にした名刺を作成し、湯布院で配っていた。浜松のT要さんに次いで高齢の方だが、洒落っ気十分である)映画祭と別の場でちょっとコンタクトがあり、その後連絡がなく、具体的に記すわけにはいかないが内容が内容だったので、やや気になっていたのだが、「湯布院で会いましょう」とお元気だった。「湯布院で会えるの分かってるから、無用な気をつかわせないような配慮じゃないの」という娘の言が正解だろう。前夜祭の懇親会で久々の再会、そこで思いがけない厚情をいただき、こちらの方が恐縮してしまった。
 そうかと思うと「映画芸術」誌の104さん(長期に未更新ですけど*「編集部日記」のコーナーはこのHPにあるので、この名前を使わせてもらっていいですよね)から、9月4日(土)にピンク映画エキストラの話のメールが来る。「大いに興味あり」と返信し、湯布院ではこれにからめて、「日本映画職人講座 助監督編」での質問を練ることにする。
 こうして、湯布院前夜、「月太郎流れ雲」鑑賞後、ヤクルトホールの「草の乱」の試写、さらに阿佐ヶ谷の飲み会に回り、結局帰宅は午前様。帰ったらあっち亭の師匠から返信メールが入っていた。「周磨さんの知識と経験と人生観、いつも素晴らしいと思っております。やはり深い裏付けがありました。映画から幅が広がる人生、いいですね」出発を前にヨイショされるのはいい気持だ。もっとも、以前、私が「あっち亭こっち一座」にこまめに顔を出すので「義理固い」と評されたのに対し、「私は義理では行きません。楽しいから行くんです」(半分は打ち上げの飲み会が楽しいんですが、飲んべえとは仕方のないもので)と答えたのに鑑みれば、「ヨイショじゃありません。本音です」と切り返されそうである。あっち亭の師匠の話芸には、いつも感嘆することが多いのだが、湯布院のシンポジウムでは私も話芸勉強の実験場にしようと、密かに考える。
 こうして、様々なフィールドを背負い前夜の酒気も残しつつ、冒頭の福岡空港に立つところへと繋がっていくのである。

●「シナリオ作家 新藤兼人の世界」
 25日(水)前夜祭の野外上映「座頭市海を渡る」から、この企画はスタートする。

 昔の印象では、新藤兼人脚本を意識することなく、普通の完全懲悪の座頭市の1本という程度だったのだが、改めて再見するとなかなか奥が深い。いわば奇麗事ではない「七人の侍」とでも言おうか。「勝ったのは百姓だ」と微かに悟りの境地に近いかっこ良さがある勘兵衛に比べて、座頭市はもっとボロボロである。座頭市の魅惑は、人を斬った後にものすごく悲しそうな表情をするところにあるのだが、その持ち味が鮮烈に生きる。市だけを戦わせるのは間違いだと、乱戦の中に飛び出して犬死にする百姓の若者にしても、「七人の侍」のテーマのさらなる深化を感じさせた。ただ、映画祭パンフレットによると、会社の要請で脚本はかなり改悪を余儀なくされたようで、池広一夫監督が「この作品が、新藤作品フェスティバルの作品群の中に入っていることに戸惑いを感じています。新藤さんがお知りになったら、お許しにならなかったでしょう」と書いている。私はシンポジウムで質問を考えていたが、この映画に触れるのはタブーかどうか心配になり、実行委員の人に確認したら、新藤さんも上映は了承してるとのことであった。

 2日後の27日(金)、スケジュールのとおり新藤脚本作品7本上映をはさんで、いよいよご本人の新藤兼人さんを迎えてのシンポジウムだ。
 とにかく92歳とは思えないお若さ。映画への情熱溢れるお話はつきることはない。その辺りはとても書ききれず、来年のシンポジウム採録あたりで確認していただくしかなかろう。質問の時間もあまりなく、結局4人のみで終わった。高齢ということでパーティー参加もされず、その意味では残念だった。
 ただ、私をトップに、自画自賛ではないが、的確な皆が求める粒ぞろいの質問だったと思う。トップを私が切る。前述した座頭市の感想を前置きに、観客の勝手な見方かもしれないが、新藤兼人さんというと「座頭市」のような依頼仕事をきちんとこなす練達の人であると共に、自身の監督作や近代映画協会製作の吉村公三郎監督作品のような作家性の強い脚本家でもある。この二つの使い分けはあるのかないのか、あるとすればどうちがうのか、という質問をした。
 「座頭市」については、身体障害者の弱い者であるとの原点に戻り、性格的にも歪んだ部分を出そうとしたとのことだった。また、すべての脚本は自分の人間観に基づいて書いているのに変わりははないが、脚本が自分だけにしか分かり難いところまで至ってしまったと感じた時は、他人に渡したくなく、自分で監督したいとのことであった。
 2番手に質問に立ったのは、今回初参加だが、なかなかの論客で滋賀から見えたOさん。(Oさんについては、「日本映画職人講座 助監督編」と話芸のフィールドを絡めた項で改めて詳述したい)シナリオの共作に関する質問であった。例えば新藤作品なら「裸の十九歳」と、本映画祭でも上映した「軍旗はためく下に」である。共作のテーマは私も聞きたかったことであり、悩んだ末に前述の質問に絞ったので、実に私にとりタイムリーだった。
 「裸の十九歳」は、現実に起こった事件の脚本化であり調査事項が多いので、共作者は若い人を起用し調査関係を主として担当してもらった、まあ共作にはケースバイケースで色々な形態があります、とサラリとした回答であった。
 続いての発言は常連「キューブリック」さん、質問というよりも感想が中心で、あまり評判にならなかったが「悲しみは女だけに」が最高であると、おなじみの熱弁をふるった。新藤監督も、あれは評判にならなかったけど、私としては好きな映画なんです、と大いに喜ばれたようであった。
 最後は、実行委員の横田さん。「けんかえれじい」は鈴木清順作品と思っていたが、脚本は新藤さんなんですね、鈴木清順をどう思われますか。さすが、質問のトリのエース。このことって映画ファンなら、みんな聞きたかったことではないだろうか。
 ああいう演出をするとは思わなかった。意表をつかれた。でも、面白かった。最後の2・26がらみは鈴木清順が加えたものだが、悪くはないと思うとのことであった。
 限られた時間はあまりにも短かったが、依頼仕事と自発的脚本とのちがい・脚本の共作とは何か・そして新藤監督も愛着深い「悲しみは女だけに」絶賛で快い気持になっていただき、新藤さんの鈴木清順観で占める。なかなか粒のそろった発言の数々だったと思う。

 この件に関して、夜のパーティーで同様に脚本家から監督に進出し、第2作目も最近完成した成島出さんに話しを伺った。成島さんは、原則的に監督作品は他の脚本家に依頼するそうだ。両方やると、自分の限界を出られないように思うとのことであった。新藤さんの「脚本が自分だけにしか分かり難いところまで至ってしまったと感じた時は、他人に渡したくない」との意見をどう思われますかと尋ねたが、首を傾げしばらく考えて、「よく意味が分かりませんね」とのことであった。
 続いて脚本家であり監督作品も一本ある荒井晴彦さんの所へ出向く。「荒井さんは共作ってありませんよね」「あるよ。<神様のくれた赤ん坊>とか」と不見識をつかれてしまった。荒井さんから「新藤さん、共作のところは一般論で軽くかわして、<軍旗はためく下に>についてはあえて触れなかったけど、あれは実はね」と、興味深い話を聞く。ただ、酒の入ったパーティーの発言でもあり、ちょっと公表するのはいかがかと思うので、ここではこれまでとしたい。
 荒井さんより共作の色々な形態を聞く。「神様のくれた赤ん坊」は、共作者3人がミーティングをし分担を決めて別れ、書き上げたら集まってミーティングしてまとめるということを繰り返したそうだ。「Wの悲劇」の場合は、荒井さんが書き上げた脚本を、澤井信一郎監督と話し合いながら直していくとの形だった。黒澤明組のように、合宿方式で書いていくという方法もある。東映のヤクザ映画なんかでは、最初の脚本がよくないと、手直しを別の脚本家が担当し、そんな形で共作者の名だけが増えていくということもあるそうだ。ハリウッドもそうしたことはよくあり、逆にギャラをもらって名前を消すのを了承する場合もあるそうだ。「日本じゃそんなことないね。気にいらなかったら<俺の名を消せ!>ってのが最後の抵抗だけど、二次利用・三次利用が多くなった今じゃそれも自分の首絞めるんで、でき難くなっちゃった」と、最後は冗談とも本音ともつかない話となった。
 相も変わらず、この他の話題でも、荒井晴彦さんとは色々と話させていただいたが、詳細は次項の「荒井晴彦さんとの遭遇と<映画芸術>のフィールド」に譲ることとしたい。

*「映画芸術 編集部日記」は気まぐれながら、映芸HP=掲示板にて掲載再開しています。(ぼくら新聞舎)
湯布院日記2004−3

●荒井晴彦さんとの遭遇と「映画芸術」のフィールド
 何といっても私にとっての湯布院映画祭は、2000年以降、荒井晴彦さんに一方的掛け合い漫才を仕掛け、ウンザリさせるというのが恒例なのだが、今年もいろいろお話をさせていただきました。
 湯布院の何人かの友人からは、<「映画芸術」の連載「サラリーマン ピンク体験記」、終わっちゃったんですね。残念です>とお世辞をいただいたり、「何かあったんですか」と心配されたりと色々あった。連載の終了については誌上に書いたとおりで、当初1年の予定でそれなりに収束したのだが、編集部の104さんのご尽力で新人監督やプロデューサーに取材の弁を図っていただいたおかげで延命をしたというところである。
 ただ、「映画芸術」のフィールドは、私にとって心地よいか否かは極めて微妙なのは確かだ。西部劇やチャンバラから映画好きになった俗物の私には、他の人の原稿を読むと教養あるインテリ集団という感じなのである。「笑点」大喜利の楽太郎師匠の後のこん平師匠の如く「あたしにゃ、そういう難しいことは解りませんが」と言いたくなる雰囲気だ。「ピンクフリークではないが、映画を見る眼のある人にピンクを書いてもらいたい」という過分なヨイショも含めたアングルで、かろうじて「映画芸術」というフィールドにマッチしたというところが、ホントのところだ。連載第1回の時、104さんを通して荒井さんから<「映画芸術」らしく>とのコメントがあったが、俺ほど<「映画芸術」らしく>ないのもいないなあと、ずっと若干の違和感を抱いていたのも事実である。「映画芸術」の忘年会も、一昨年は物珍しさもあり楽しく過ごしたが、昨年あたりはちょっと俺のいるフィールドとはちがうのかなあ、と感じられてきたのだ。「そのフィールドに不快を予測したり、また不要と思われた場合は、速やかに去るのが私のスタンス」と前に述べた。そこまでに至ってるわけではないが、連載終了を期に「映画芸術」のフィールドからは去ろうかなと考えたのも事実だ。結局104さん(「あっち亭こっち一座」とのフィールドでも私と縁のあるこの人は、すごく誠実な人だ)の「結論を無理に急ぐ必要はないのでは」とのアドバイスで、湯布院行き直前に1年間はフィールドに留まる意志表示をした。留まるとか留まらないとかの意志表示って何なの?と思う人がいるだろうが、具体的には書けないので、まあ私なりに勝手に解釈している「ある行為」という程度に思っていただければよいと思う。そこで、湯布院で私の連載終了に心を止めていた友人には、「去年パーティーで、荒井さんが<おまえはクビだ>を連発してましたが、ホントにクビになりました。今年の荒井さんとのテーマは<再雇用運動>ですね」と冗談混じりに答えた。映画祭初日、夜型の荒井さんが会場早々から何故かロビーにいる。つとめて元気に明るく「クビになった周磨です!荒井さんとの今年のテーマは再雇用運動!!」と声をかけ、例によってウンザリさせる。併せて、映芸の「交差点」の欄で「蛙の会」公演について取り上げていただいた御礼を述べる。「知らないよ。彼がやったことだよ」と素っ気ないポーズ。「編集長がそれはないでしょう」と私。でも、104さんは「僕には権限がない」とよく言うが、だとするとこうした権限はあるわけだ。
 以後、荒井さんに声をかけるきっかけは、「再雇用運動の周磨です!」が決め台詞となる。荒井さんはその都度ウンザリし、シッシッと追い払う仕種に交えて、最後は蹴りのポーズも出る。(もっとも険悪な雰囲気ではなく、ちょっとシニカルな笑みでニコニコしているのは、荒井さん独特の持味のままである)でも、こんな感じじゃ、やっぱり湯布院前に映芸のフィールドから去るのが賢明だったかなと思えてくる。
 ただ、私も湯布院で本格的再雇用運動をする気はなく、後日手紙を書くつもりではあった。あまりしつこいのも何なので、2日目のパーティー以後は「再雇用運動の周磨」のキャッチフレーズは引っ込めて、後日手紙を書くことを告げる。その後は例年同様に話をさせていただき、前項の新藤さんのことをきっかけに、シナリオの共作の話題に至ったのはそれ以後のことである。(再雇用運動の手紙は、この「湯布院日記」をまとめるほうが面白く、結局いつになるか分からないのが現状だ。やっぱり「映画芸術」のフィールドは縁がないのかなあ)
 昨年の湯布院で社会派宣言をした荒井晴彦さんの大西巨人「神聖喜劇」の映画化の進捗状況を伺う。映画化のメドはたってないが、脚本化して出版される話は進んでいるとのことだった。著名だが大長編だったり堅すぎたりという小説の脚本化シリーズの第一弾だそうだ、確かに脚本化は映画化が前提になれば噛み砕いて適当な長さになり、ダイジェストとしても適切かもしれない。脚本の発表のフィールドが拡がるのはいいことだが、何だかカタログ文化に便乗しており、出版社の志としては低いような気がする。それにこんな企画、本当にヒット商品になるのかな。荒井さんといつものように忌憚なく話せたのは、やっぱり映芸のフィールドに留まっていてよかったということかもしれない。フィールドから離れてれば映画祭での距離も何となく遠ざかったかもしれない。もっとも、来年の湯布院時点ではどうなるか分からない。いや、「映画芸術」のフィールドに限らず、これまで述べてきたように永遠のフィールドなんてありえないのだから、すべて来年のことは分からないということである。
 もう一つ映画評に関しては「キネマ旬報」の「読者の映画評」のフィールドがあるのだが、これについては何か滅茶苦茶腹立たしいことが多く、フライングの連発になりそうなので、映画祭らしい話題の項を二つ三つ重ねた後の話としたい。残念だったのは、荒井さんが「スパイダーマン2」を誉めていると耳にしていたが、それについて聞く機会を失したことだ。「スパイダーマン2」は他にも気難しいうるさ型の人に結構誉められている。(荒井さんが気難しいうるさ型といってるわけではありません、為念)でも、「スパイダーマン2」って私は反則だと思う。スパイダーマンの正体は、ギリギリで分かりそうなところで分からないというのがルールだ。クラーク・ケントがスーパーマンであることがロイス・レーンに分かりそうで分からないように、寅さんとリリーが結局のところ結婚には至らないように、名探偵コナンが新一であることが蘭にバレそうでバレないようにである。それに、この禁じ手は、実は映画では「スーパーマン2」ですでに使っている。確かに「力を持つ者の責任のあり方」というテーマは、なかなか深化しているが、SFに馴染みがなくSFマインドに乏しい人達にとっては、荒井さんの編集後記の表現を引用すれば「女なんてと言ってた奴の童貞喪失後の発言」に近いんじゃなかろうか。
 SF映画の見識に私が信頼を置く一人の友成純一さんと「スパイダーマン」についてパーティーで話せばよかったなと、今思う。映画祭のパーティーは何日も回を重ねても悔いが残るものである。

●特別試写「ラマン」
 8月26日(木)、本映画祭最初の特別試写作品は「ラマン」である。昨年「ヴァイブレータ」で好評だった廣木隆一監督の新作だ。しかし、今回は反響が鈍い。
 女子高生が、3人の男に1年間共有されて買われるという話である。1年たって、少女の何かが変化する。3日と1年、30歳と17歳の大きな差はあるが、「ヴァイブレータ」と同工異曲である。ただ、司会者の言にもあったように、Hな題材だけどイヤらしくない映画という印象である。いずれにしても、映画祭を終えてみたら、最も参加者から手応えがなかったシンポジウムで、プロデューサーの永田芳弘さんは「この時はどうなるかと思った」と、最終日の29日(日)のやはり製作担当した「樹の海」のシンポジウムの時に語っていた。「樹の海」は平均点を稼いで概ね好評だったのでホッとしていた。廣木監督は「もっとイヤらしくすればよかったのかな」と呟いていた。
 私は、感覚的に廣木監督のヌラッとしたタッチが苦手である。それに加えて、30だろうが17だろうが、こういうクジグジした女を見てると殴りたくなる。「それって批評じゃないですよ」と友人に言われたが、その不快感はどうにもならないのだから致し方ない。ただ、「ヴァイブレータ」に比べるとヌラヌラ感は希薄で、要は司会者も言ったようにH度が足らないということでもあるが、その分だけ私の不快度も低かった。
 H度不足の一つはヌードを背中で表現していることである。背中は男も女も似たようなもので性差に乏しい体の部位だ。女子高生が3人の男の囲い者になる前に、背中にエンゼルの羽のタトゥを入れる設定から来たもののようだ。これの意味がよく分からない。自身の決意の表現なのか、男達に求められたものなのかどうか。監督の言によれば自発的決意表明だそうで、他の参加者から、そのように表現されていると指摘もされてしまった。いずれにしても、私にはピンと来ず、このヌード描写は最初からの意図なのか、主演の安藤希さんとの間でヌードはここまでにするとの話し合いの結果の下世話なレベルなのかを質問した。廣木監督としては、今回はイヤらしくしないという気持はあり、ヌード表現としては安藤さんと話し合った結果と、目を合わせてうなずいていたが、私にとっては、ヌラヌラ感が希薄になった替わりに何かがあったという程のものはなかった。
 タトゥの意味を、私のように掴みかねた者と理解した者がいるように、ストーリーの把握についても、参加者の間で大きく分かれた。主人公のチカコと3人の男に華子と名乗らされたチカコ、安藤希さんの入り組んだ二役について、半分近くは取り違えたり理解不能だったりした。私も後者の方だった。観客がこういうストーリーの不一致を起こすような語りは、やはり欠陥ではないのだろうか。
 例えば「新藤兼人の世界」の一環として上映された「斬る」、冒頭の刃傷から1年後、さらに間髪を入れず何十年後かに飛ぶ。複雑な時制のストーリーだが、作品の評価は人により色々にしても、少なくともストーリーの把握が人により色々ということはなかった。評価するにせよしないにせよ、同じストーリーとして認識した上での論議である。やはり、これが映画の基本というものであろう。
 「ラマン」の評判がイマイチだったのは、廣木監督の最近公開作「機関車先生」にもあったようだ。「ラマン」に否定的な人の何人かは、「機関車先生」の方が良かったと引き合いに出した。私も、気になっていた映画だが、この時点では未見だった。
 湯布院から帰った翌々週の水曜日、私は「機関車先生」を見にテアトル新宿に向かう。(水曜日はテアトル系は1000円の日なのである)いやあ、これは素晴らしく爽やかな映画だった。21世紀の日本映画で、しかも廣木隆一監督が、こんな映画を撮るとは思わなかった。「二十四の瞳」を思わせる離島の先生の話で、内容的にはどうということはないのだが、へんな表現だが韓国映画を思わせる清々しい感動作だった。ヌラッと人間を捉えられる廣木監督だからこそ、淡白なだけに流れなかったんだろうか。この映画の話題は9月の「映画友の会」に引っ張ることになる。
 「映画友の会」でこれを見ていたのは、私と今年卒業して社会人になった若者のたった二人という妙な取り合わせだった。司会者から何をきっかけに見る気になったかが話題になり、邦画をコマメに見る私はともかく、若者の方は何なのかという話になったが、お目当ての映画が混んでいて入れず、たまたま時間が合ったから見たという何とも素っ気無い顛末だった。「機関車先生」の「映画友の会」の見られ方はその程度、でも私は一推しです。もっと多くの人に見てもらいたいところです。
 私の絶賛に対して、若者は「まあこんなものだろうなって感じです。日頃穢れた生活をしている人は感動するかもしれません。あ、周磨さんが穢れた生活してるって意味じゃなくて」と、最後はとんでもないオチがついた。もっとも私も「坂口征二の息子の坂口憲二が、前アントニオ猪木夫人の倍賞美津子と競演しているのは感無量ですね」とプロレス者らしいオチをつけたんだからどっちもどっちか。
 韓国映画のような爽やかさと前に評したが、この映画の時代背景は戦後間もない経済成長期以前。やっぱり爽やかな感動作は、そんな時代でないと成立しないということだろうか。おかだえみこさんは、アニメ版を見ていたそうだが「その時代背景を考慮しないと感動作にはなりませんね」とのことだった。
 話が、湯布院映画祭の「ラマン」のフィールドから、「映画友の会」の「機関車先生」のフィールドに脱線してしまった。結局、私にとって「ラマン」はインパクトに乏しかったということだろう。

●今年の湯布院観光
 前にも述べたが、映画祭参加者は映画三昧・映画漬けの人が一部を除き殆どだ。私は何%かは旅行気分で朝風呂(これは温泉なので誰も同じだが)、朝酒(温泉上がりのビールの一本は最高だが、これから映画を見るからと飲む人はまずいない。飲むのは8時頃、映画祭の開映は10時、車を運転するわけじゃないから十分醒めると思うのだが、皆さんは真面目である)、そして映画祭の合間を縫っての観光である。今年は第2日目の27日(金)「しとやかな獣」「昭和枯れすすき」「軍旗はためく下に」とすべて鑑賞済作品上映中の10時から15時半を観光時間としてターゲットを絞る。
 1日目についても、「才女気質」以外は鑑賞済であったが、いずれもいわくつきの鑑賞しかしていなかったので、再見することにした。
 「安城家の舞踏会」は若い頃フィルムセンターで見たのだが、これがいきなり松竹グランドスコープのタイトルとなりビックリ!戦後間もない作品にワイドスクリーンはないでしょう。何でもリバイバルの時のプリントだとか。確かにワイドに相応しい題材だから改竄したんだろうし、「山猫」のようなスケールの大きい話なので意外と違和感は無かったが、でも上下がトリミングされてるんだから、完全版ではない。この当時はこんなプリントしかなかったのか、今でもそうなのか、気になって前夜祭の懇親会で実行委員に確認したら、ちゃんとスタンダードですとのこと。そんなプリントがあったんですか、と逆に珍しがられてしまった。とにかく、今回初めて上下トリミング無しの完全版を見られたわけである。
 「斬る」と「ハチ公物語」はビデオでしか見ていない。「斬る」の大映美術は、やっぱり大スクリーンで鑑賞すべきで、今回タップリ堪能した。「ハチ公物語」は参加者の中で不評だった作品だが、やはり渋谷駅の大規模なセットをはじめ、ビデオでなくスクリーンで映画的スケールを楽しむファミリーピクチャーの大作であった。(新藤さんがシンポジウムで、弟子の神山征二郎作品として、高い評価を与えていたのが、意外だが印象的だった)
 ということで、今年の湯布院観光は27日、昨年に倉敷のツタヤの店長Oさんに教えられたコロンブスの卵、レンタサイクルによる湯布院巡りを開始する。前夜祭でOさんと話してたら、おなじみおたべちゃんが来て「変な取り合わせね」とのたまわった。「変な」はないでしょう。さっそくOさん「話さないと日記に出場できませんからね」と切り返す。でも、宿も違ったせいか、Oさん、今年はあまり話さなかったですね。てなことで、今年の出番はここだけでスミマセン。さあ、「ゆふいん観光地図 散策編」片手にサイクリングの開始である。曇りがちの天気だが、日差しが時々雲間に隠れるのでサイクリング日和だ。まず今回は、湯布院温泉中心地よりちょっと外れたところから回ってみようと思う。会場の中央公民館を通り過ぎて、北に向かい九州横断道路に出る。観光地図によると、道路沿いに九州横断道路を西に向かうとすぐ右手に見成寺、500m程行った左手に岩下コレクションとある。
 見成寺は特に変哲のない普通の寺だったが、岩下コレクションは拾いものだった。行きの道はずっと登り坂で、自転車を漕ぐのはかなりしんどかったが、行ってみて正解だった。1階のロビー入り口近くがヨーロッパステンドグラスの展示場、中に入ると昭和レトロ館、2階はモーターサイクル歴史館である。
 みものは昭和レトロ館、通路の両側にコーナーが連続し、理髪店とか駄菓子屋とか紙芝居の風景(マツダ映画社のコレクションに匹敵する貴重品)とか時計屋とか、懐かしい昭和20〜30年代の風景が、当時の事物を陳列して再現してある。天井近くの壁には、レトロな映画ポスターが通路出口まで貼られ、左側が「男はつらいよ」全作品、右側は東映時代劇・松竹メロドラマなどが取り混ぜてあり、映画ファンならタップリ眼を楽しませることができる。出口間近かにはさすが九州で、九州出身の高倉健コーナーもあり、ここにも懐かしのポスター・スチール・ゆかりの事物の展示がタップリ。予備知識なしで入館したが、これ程映画ファンのハートを捕らえるところとは思わなかった。
 2階のモーターサイクル歴史館には、100台以上のバイクが陳列されており、これも壮観。ただ、バイクに全く興味のない私には猫に小判。ツーリストのバイク集団が興味深げにくいいるようにみつめていた。
 この岩下コレクションと高倉健の話題は、初日と二日目のパーティーの話題に引っ張る。初日の金鱗湖畔の湯の岳庵のパーティーで、例によって友人と活弁から任侠映画へと話題を移していたら、中年の女性から「それでこのTシャツ着てるんですか」と声をかけられる。実は、初日のパーティーは、高倉健サンの台詞・イラスト入りの「不器用Tシャツ」を着ていたのである。(この「不器用Tシャツ」は娘からのプレゼント、親父の気持をよくわかってる)今年は、他人は気が付かなかったろうが、ちょっとパーティーに着てくものに変化をつけて気分を出すことにした。いつもは荷物を増やしたくないのでTシャツとバミューダだった。(これが一番荷物量が増えない)実行委員が初参加の人に「パーティーってどんな格好すればいいんですか」って聞かれて、「何でもいいんですよ。周磨さんなんて短パンにTシャツですよ」って答えたとか何とか、Tシャツ・バミューダのスタイルは私だけじゃないだろに、でもライブドア社長でTシャツもナウくなったって、これはどうでもいいか。
 そこで、荷物は増えたが、今年はちょびっと変化をつけた。初日は金鱗湖畔だから、いつものキャンプ調のTシャツ・バミューダのスタイルとするが、映画ファンらしく「不器用Tシャツ」とした。二日目は民芸村、それらしく甚兵衛に雪駄といういでたちである。(もっとも、これは夏の紙芝居屋の小父さんの気分で紙芝居を語った姿の流用。紙芝居屋のおじさんよりもアイスキャンデー屋のおじさんの風情と評されたものだが)三日目の麦酒館、最終日の健康温泉館(結局台風のため最終日も麦酒館になったが)は、屋内・半屋内なので、ふつうのスラックスにカジュアルのブラウスを着替える。(といっても、行きのブラウスと帰りのそれとの兼用でしかないのだが)出発前の荷造りの時、映画ゆかりのTシャツを連日着替えるということも考えてみた。「不器用Tシャツ」の他に、中村錦之助の「反逆児Tシャツ」と「ゴジラTシャツ」を持っている。最も湯布院行きを前に箪笥内を探したら、どちらも出てこないのでこれは諦めた。帰宅して再度探したが「反逆児Tシャツ」は娘のTシャツの所に紛れ込んでるのを発見した。「ゴジラTシャツ」は未だに見つからない。
 まあ、こんな具合に自分なりのささやかな楽しみを映画祭の中で見つけるのも楽しいものである。さて、初日のパーティーに話を戻す。「不器用Tシャツ」が話しのきっかけになったのは、声をかけた中年女性のKさんが、高倉健の大ファンなのだそうである。Kさんは夫婦お揃いで映画祭参加している誠に結構な身分の方である。「不器用Tシャツ」は、袖に台詞、背中に健サンのイラストというデザイン。袖の肩のところに書かれた文言が気になって読もうとするが読みきれなかったとのこと、それならゆっくりお読み下さいと、肩を突き出す。ついでにその七五調の文言をここでも紹介しておこう。

 スケを抱くよにドス抱いて やって来たんだシャバの果て エンコをつめてワビ入れて二度と出入りはいたしやせんと シマを返ぇして手打ちのはずが自衛隊をイラクによこせだとぉ!! 誰を斬っても変わらねぇ 誰かを斬らなきゃおさまらねぇ渡世の風が身にしみる 自分生き方不器用っすから

 活弁にも使えるような七五調の名文句、しばし健サンの話題で盛り上がったのであった。そんなことの後、翌日の私の観光デーで岩下コレクションの発見、さっそく翌日の民芸村のパーティーで、Kさんに健サンコーナーがあったことを紹介する。大いに興味をそそられたようで、映画祭の合間か終了後に行ってみようと言っていた。例年の変哲もないTシャツ・バミューダのスタイルで通していたのからちょっと変化をつけたのが、懇親の輪を広げまずは成果ありといったところか。

 ついでに、ここでパーティーの話題をもう一つ。初日のパーティーで、初対面の人との話題が昨年の「油断大敵」に至り、「でも、あんな映画、最初に発言した人が映画祭のベストムービーなんて誉め過ぎるから全体がそれに誘導されてしまって、ああいうのよくないですよね」と言われ、「スミマセン、私、その発言者当人です」縁というのは繋がるものでこの人が、最終日の翌日に台風で宿に閉じ込められ、焼酎チビチビやりながら1日中映画談義に明け暮れた「台風クラブ」10名弱の仲間の一人となったTさんであった。
 さらに縁の話をするのだが、前述「新藤兼人の世界」で話題にした初参加の論客の滋賀のOさんとは、初対面というか最初に話込んだのは初日の朝食、同席で話題が北野武論議になり、Oさんの厳しい批判に圧倒された。アンチたけしって結構いて、そういう人の批判はなぜか激烈ですね。私にとってのたけしは同年代の星、ホントに頭のいい奴と思ってる支持派なんで、余計そう感じるのかしれないが、とにかく押しまくられてしまった。このOさんも、最終日プラスαの「台風クラブ」仲間の一員になるのだから、縁というのは実に楽しい。これも映画祭というフィールドの出会いの素晴らしさである。まあ、番外の「台風クラブ」の詳細については、エピローグ一つ前の項でジックリ紹介したい。
 話を27日のサイクリング当日に戻す。観光地図の最西端の岩下コレクションを見たので、再びとって返し、一度会場の公民館に戻る。置かせていただいた「蛙の会」公演私設チラシの消化状況の確認である。順調に減っている。ヨシヨシ。
 会場を出たところで、地元の人らしい方に話しかけられる。「映画祭に来た方ですか」「ええ、今日は見た映画ばかりなので私はサイクリングを楽しんでますが」話を聞いたら隣町の人のようで、映画祭を盛大にやっているのは知っているが、どんなものやら分からず会場を覗きに来たようなのである。でも、映画上映中のロビーを覗いても閑散としているし、ちょっとしたポスターやパネル展示があるだけだから、イメージがつかめなかったようだ。「有名な人も毎年来てるみたいですけど、どんなことしてるんですか。誰でも参加できるんですか」と聞かれる。そこで、私は参加方法の全日券・前売券・当日券の仕組みを紹介し、映画観て、映画関係者をパネラーにしてシンポジウムやって、パーティーやって、その連続で映画ファンには堪らない催しです、と話す。「パーティーって関係者だけなんでしょ」「いえいえ、パーティー券購入すれば誰でも、もっとも人気スターが来た時は売り切れたりします。全日券を購入しておけばフリーパスですが」と全日券も見せる。「遠くから来たんですか」「私は東京です」「え」とちょっとビックリしたようなので「全国から来てますよ」と続ける。映画祭の存在は知り若干の興味はあるが深くは関心を持たない地元の人は、参加したいがよく仕方がわからないし、どんなものかも漠然として分からないといったところなのだろう。こういう人にきめ細かいPRをすることにより、映画祭のマーケットは広げられる可能性があるような気がする。
 公民館を出て東へ、九州の軽井沢か清里といわれている若者向きの観光スポットの湯の坪街道に向かう。相変わらず若者、特に若い女性が溢れている一角だ。お目当てはその外れ近くにある「湯布院 夢 美術館」だ。「山下清原画展」開催中である。堀川弘通の「裸の大将」他で取り上げられ、映画とも無縁でない山下清、ポスターもあり堀川版ではないが休憩所では映画がビデオ上映もされていた。私は絵に造詣が深くないが、山下清の丁寧に丁寧に仕上げられた切り絵のホノボノ感は大好きだ。そんな山下ワールドを堪能した。
 続いて向かったのは自動車歴史館、100台を超えるクラシックカーの陳列は、観る人が観れば壮観なんだろうが、クルマに関して全く興味のない私にはフーンといった程度である。車好きの日本人の中で、多分私は異端だろう。殆どの人は運転は楽しみの一つのようだ。私は運動神経も鈍く(毒舌家の奴は、運動神経が全部口に回ったとか言う)不器用(健サン好き!関係ないか)なこともあるが、運転は労働としか思えない。ドライブなんて重労働だ。旅行はやっぱり列車で車窓から外を眺め缶ビールが最高である。(結局単なる飲兵衛か)若い頃、変電所回りで点検の仕事をしていた時は運転せざるをえなかったが、指令所の仕事になり連日の現場回りが不用になってからは、マイカーまで買って「労働」する気もなく、今はペーパードライバーだ。そんな私には、残念、ここも猫に小判だった。
 最後に金鱗湖に向かって、周辺を散策した後、金鱗湖美術館に入る。シャガール展を開催していた。湯布院は美術館が多い。昨年の日記でも述べたが、私は特に美術に興味はないが、とにかく窓外に広がる由布岳などの九重連山に囲まれた青々とした盆地の風景が窓外に広がる風情が、美術のアカデミックな雰囲気とマッチして、それを楽しんでいた。だから、シャガールといっても特にどうということはない。そういえば「冬の華」で老境に入り気弱になったヤクザの親分の藤田進が、シャガールにのめり込んでいくってのがあったな、これがそのシャガールか、とヤクザ映画ファンらしい感慨で眺めていたのであった。窓外に金鱗湖の青が拡がり、これが他の美術館と一味ちがった風情であった。
 最終日のパーティーで、横田さんと湯布院観光を話題にして、前記のようなことをかいつまんで話す。それなら末田美術館がいいかもしれませんね、と横田さんが紹介してくれる。展示物はさておき、建物になかなか風情があるらしい。来年のサイクリングの第一目標ができたようだ。いずれにしても、映画祭とはいえ、私は1日位はアウトドアの日は欲しいと思う人種である。
湯布院日記2004−4

●特別試写「透光の樹」と話芸修行(?)のフィールドその1
 8月27日(金)映画祭2本目の試写は「透光の樹」。根岸吉太郎郎監督、秋吉久美子さん、永島敏行さん、スクリプターの白鳥あかねさんを迎えてのシンポジウムでは、賛否両論となった。賛の最大は渡辺武信さんで「本年度ベストワン」とのことだった。荒井晴彦さんは突如振られて「<遠雷>の<幸せの青い鳥>と、<透光の樹>の<マイウェイ>の違いを考えてもらえば」と永島さんが映画のポイントで歌う曲名を出した判じ物みたいな発言で、あまり買ってないような雰囲気。パーティーでも「突然、俺に振るなよな」なんて呟いていた。
 参加者で評価しない人の中にはパーティーの時に、「プロの映画評論家であれをベストワンなんて、見識を疑うね」とまで渡辺さんに対し評する人まで出てきた。それも言い過ぎだろうけど、やっぱり迂闊に「ベストワン」なんてことは口に出さない方がよいのかもしれない。まだ8月だし。そして、最終日の29日(日)の「サヨナラCOLOR」のシンポジウムで渡辺さんは、「封切は来年ですか。<透光の樹>は今年ですから、来年のベストワンです」と言って、一部参加者からますます顰蹙を買ってしまった。どんなに感動しても、まだ先のある話なのだから、どちらも「ベストテンの有力候補」位の表現に止めておいた方が賢明じゃないかなと、私は思った。
 私の評価は、「よくできた秋吉久美子映画」といった感じ。「遠雷」「永遠の1/2」「ウホッホ探検隊」の根岸作品をを絶大に支持する私としては、決して誉め言葉とはいえない。映画の完成度としては前作「絆」よりも落ちる。根岸作品としては「ひとひらの雪」レベルだろうか。ただ、秋吉久美子は抜群にいい。高校生時代の知り合いの永島敏行と再会、借金の肩代わりをネタに不倫遊び見え見えの永島に対し、思い切って夜を共にしようとするが引いてしまい、だが永島が遊び心を捨てたあたりから、強烈に迫り出し男をジワジワとからめ取ってしまう。その純な魂の輝きが圧倒的である。相手役が永島敏行というのが効いている。私は、若手の頃から永島敏行は受けの芝居がうまいのに感心していた。だいたい新人が売り出す時は熱演ぶりが認められるものだが、注目された「サード」の頃から永島は受けの芝居だった。「遠雷」なんかは、ジョニー大倉が延々と独白する入魂の演技に対し、ジッと聞き入るだけで受け、山場の結婚式でも「幸福の青い鳥」を歌うのみ、それでしっかり存在感を出してしまう。この永島の受けの芝居あってこその秋吉久美子の純な輝きが光るのだ。
 司会は実行委員会のベテラン横田茂美さん。前日「ラマン」のシンポジウムの冒頭で、ゲストのインタビューめいたものが続いていたら、参加者から「早く発言の場を設けてくれ」と進行について注文があったのを、横田さんは絶妙に受けた。「今日は先にゲストの話を聞くことはしません。皆さんの感想を最初に聞かせて下さい。その感想をを基にゲストの方から話が出ることで、質問したい内容のかなりは網羅されるのではないかと思います。その後で聞き足りない部分の質問を受けるということにします」さすが、前日の意見を取り入れ、限られたシンポジウムの時間を有効に活用する進め方である。現に私は前述の感想の後に、監督と秋吉さん・永島さんの御三方への質問を考えていたのだが、感想を聞いての3人のお話の中で、永島さんへの質問以外はクリアされてしまったのだ。
 秋吉さんの純な魂の女は、感覚的には分かるのだが、私が男のせいかうまく言葉にできない。そのあたりを秋吉さんはどのように演じていたのか、女優すなわち女であるので、もう少し具体的に聞きたいと思ったのである。そして、その場合の根岸監督のスタンスはどうなるのか、ということもである。秋吉さんは「あれは男の眼から見た女、根岸監督の女性観です」と言った。根岸監督は「秋吉さんの純な部分がよく出ていると思います」と言った。結局、表現というのは両者の中間にあるということだろう。私がうまく言葉にできないことについての言語化は進展しなかったが、御二人を目の前にしていると、何となく感覚的な理解は深くなったような気がした。
 永島さんに関しては、質問の時間に改めて発言した。永島さんの受けの芝居のうまさはどこから来て、どんな演技論があるのかということをである。「受けの芝居、そうですか?」とまずちょっと照れた感じで「色々な監督の言われたとおりに演じていて、特に意識はしてません。ただ、おまえの演技は演はあるけど技はないと言われたことがあります。また、自分が芝居しようとするよりもとにかく相手の芝居をよく見て動け、とも言われたことがあります。監督が私の資質をそのように見て演じさせてくれているということではないでしょうか」と味わい深いお答えであった。
 実は「透光の樹」シンポジウムの発言で、私はある話術の実験を目論んでいた。前にも述べたが、私はあっち亭こっち師匠の話術に感嘆することが多い。社会人芸能集団の寄席の後は打ち上げで飲むのが殆どで、そこでも自己PRを兼ねたスピーチ大会になったりするのだが、例えば他の人より長く多い内容を喋る場合、スピーチをギリギリまで引っ張り「長いぞ!」なんて野次が飛ぶ直前に「あ、もう少しで終わります」と入れて言いたいことを言いきってしまう。(もっとも「終わります」宣言の後、いかにコンパクトに収束させるかも高度な技なのであるが)よし、その実験をやってみようというわけなのである。
 私は、永島さんが坂東玉三郎と共演したアンジェイ・ワイダ作品「ナスターシャ」をネタにして、永島さんからワイダ監督のことをパーティーで聞きたかった。その前振りをシンポジウムでつけとこうと思ったのである。でも、私が「秋吉久美子映画」とした「透光の樹」では、そこに簡単に結びつかない。だから、まず秋吉さんの「赤ちょうちん」「ウィーク・エンド・シャッフル」「ひとひらの雪」と純な存在感の歴史から、それを引き立てた永島さんの「サード」「遠雷」と引きあいに出し、「ナスターシャ」だけは演技の質が違ってたと思えるが、後はパーティーの時にでも聞かせて下さい、との趣旨の発言を考えた。しかし、これはいかにも長過ぎる。そこで「ナスターシャ」の話を出した直後に「あ、長くなってすみません。すぐ終わります」と挟んで、発言を若干引っ張って終わらせるつもりだった。しかし、さすがは進行の名手の横田さん、「ナスターシャ」が出たところで「あの、思い出話をしてると尽きないんで、そのへんで」と言われ、「あ、長くなってすみません。すぐ終わります」の一言を有効に発する時期を失した。ま、「ナスターシャ」の題名を出せたので良しとするが、私の話術はまだまだといったところである。
 後で横田さんとパーティーで話したら、長々と発言する人を牽制するには、まず私の発言をストップさせるのが効果的と思ったとか。敵(?)もさるものである。シンポジウム名司会の秘密の一端を見せていただいた。横田さんとの話術を巡っての虚々虚実々の駆け引き(?)は、翌日の「日本映画職人講座 助監督編」シンポジウムでも続くのだが、それは次項のお楽しみとしたい。
 シンポジウムの後、民芸村のパーティーとなる。前にも述べたが、お目当てのゲストをゲットするコツは乾杯終了直後にまっしぐらに突撃することだ。乾杯直後は人は動かない。有名人のゲストは自分からは動けないし、意外とポツンと寂しそうなので、そこで話し掛けると乗ってくれるのである。「永島さん、女性ファンに囲まれないうちに、話を伺わせて下さい」とお近づきになる。シンポジウムで「ナスターシャ」に触れたことを覚えていてくれて、「あの作品よく見てくれてましたね」と嬉しそうであった。「いえ、永島さんでしょ、玉三郎さんでしょ、ワイダ監督でしょ、映画ファンなら必見ですよ」と前置きにして、あのラゴージンの演技だけは受けの名手永島さんと芝居の質が違ったこと、「白痴」の三船敏郎のコピーの熱演型だったこと、それがワイダの演出にあったのかどうか、ということを聞いた。「<白痴>は見ました。ワイダ監督には見るようには言われてませんが、見た方がいいと思いましたから。三船さんの演技は意識してませんでした。ワイダ監督はあくまでもドストエフスキーという観点で、黒澤監督の話はいっさい出ませんでした」とのことだった。見てる者の勝手な思い込みと、実際とは違うものである。
 そうこうしているうちにパーティーの座も和んで来て、永島さんも女性ファンに囲まれてきたので失礼し、秋吉さんに近寄ろうとするが、もうファンにビッシリ取り巻かれて全然駄目。秋吉さん、気疲れで中座したとかだが、確かにあれじゃ疲れきっちゃうだろうなあ。私のパーティーのゲストのゲット術を話すと、その手で女優に早く近付きゃいいじゃないかと言う人もいる。でも、女優さんって見てるぶんには綺麗でいいけど、例えばこの場の永島さんみたいに、私には話すネタがみつからないんですね。例外は「緋牡丹博徒」ファンだったということを知って藤純子賛歌で盛り上がった1999年の森崎めぐみさんくらい。そんなことでもなけりゃ女優さんと話すネタって無いもんです。でも、昨年の寺島しのぶさんに「主演女優賞の最有力候補ですね」の一言を、荒井晴彦さんには話したのに、寺島さんご本人に言いそびれたのは心残りだった。てなことで、翌日のパーティーでも積極的にゲットして話し込んだのは奥田瑛二監督でした。そのあたりは特別試写「るにん」の項にて。

●「日本映画職人講座 助監督編」シンポジウムと話芸修行(?)のフィールドその2

さらにピンク映画エキストラ体験のフィールドから活弁のフィールドへ
 8月28日(土)映画祭3日目、ピンク映画の現場を描いた森崎東作品「ロケーション」上映に続いて、過去に助監督経験豊富な澤井信一郎監督以下3人の監督をゲストに迎え、「日本映画職人講座 助監督編」のシンポジウムが開催される。
 映画というものは、実に多士済々の段取りがあるものだ。助監督の雑用のネタは果てしなくつきないことが紹介される。印象に残ったのは、チーフは全体を考え、セカンドは翌日を考え、サードはその日を考え、フォースは今の瞬間を考えるということだった。
 私は、タイムリーにも帰京後の9月4日(土)ピンク映画でエキストラ初体験が待っているのを告げ、助監督から見た理想的なド素人エキストラ心得を伺った。

1. 待たされても文句を言わないこと
2. 呼ばれたらすぐ来ること
3. 絶対に途中で黙って帰らないこと

が3原則だった。確かに映画製作のポイントをついた3原則だと思う。これは、実際のエキストラ体験で実感することになる。
 この質問にからめて、私は前日同様にちょっとした話術の実験を仕掛け、再び司会の横田さんとの虚々虚実々の駆け引き(?)があるのだが、それは先の話にして、まず時間を9月4日(土)にワープさせ、エキストラ体験に移るとしよう。
 撮影の設定は2日にまたがる想定なので、上は派手目な服を2種類用意して来て下さいとの指示が、当日に先立ちメールが入った。派手目といってもねえ。この年だからねえ。仕方なくYシャツを着ていって活弁舞台用の蝶ネクタイを持参する。後はオレンジのブラウス。そんなところが精一杯だ。
 駅に迎えに来た助監督は意外にもA.Fさんという若い女性だった。監督志望だそうで、現場は何でも経験したいとのことでのピンクにも参加したとのこと、夢を追うのも大変である。湯布院で聞いたド素人エキストラ3原則や、チーフからフォースまでの役割分担を話題にするが、ピンクの現場は助監督も一人だけ、全部やらなければなりませんとのことであった。シンポジウムで紹介された助監督必携品、すべき事を細かくビッシリと整理したコウバン表(スミマセン、漢字忘れました)を、やっぱりしっかりと手元に携えていたのが印象的だった。
 スタジオに着くと、まだエキストラの必要の無いシーンを撮影中で、中も狭いのでエキストラ数名は路上駐車のワゴン車で待っていて下さいとのこと。なるほど、待つのが映画撮影かということを早々と実感する。「アイ・ロボット」で映画ファンにも著名になったロボット3原則ならぬエキストラ3原則第1条が早速の適用である。狭いワゴン車の中で延々と待つ。ただ、104さんがプロレス者仲間に声をかけたエキストラだったので、プロレス談義で時間をつぶし退屈はしなかった。
 やっとスタジオ内に呼ばれる。セットというにはあまりに質素である。映画は「痴漢電車物」と聞いているが、つり革を下げた棒と窓明かりを模した衝立、椅子は箱に黒布を被せたもの(椅子まではカメラに入らないとのこと)電車の昇降口越しに撮影される痴漢行為は、ドアの部分のみをカメラ前に立てるだけ。つり革は本当にぶら下がったら落ちるので、そのつもりで握って下さいというしろもの。「痴漢電車物」は何本も見ているので完成品のイメージは湧くのだが、現場の貧弱さとの落差に驚く。渡邊元嗣監督に、「でも、ロケと繋げるから、らしくなるんでしょうね」と聞くと。「製作費の関係でロケは難しくなりました。ま、このセットだからそれなりにしか映りませんよ」とのことだった。完成品の状態についてはなかなかの感じに映っており、映画のマジックを痛感させられたが、それは後述する。
 さて、まずは助監督のFさんの指示でオレンジのブラウスで参加するがそこで一騒動、スタッフの一人がエキストラも兼ねていたが、役目が終わったので帰ってしまったらしい。「おい、シャツは置いてったのか」と監督。置いてってないようだ。そこで急遽、私が持参してきた白いYシャツに着替える。エキストラ3原則第3条「途中で黙って帰らない」違反が、早くも現出する。
 「痴漢電車物」のHな雰囲気は我々は何度も見ているが、現場にHな雰囲気は微塵もない。照明を調整し、カメラアングルを確認し、役者さんにポジション・アクションを指示し、全員真剣そのものである。そして、監督のスタート!の声、「なかみつせいじ」さんの痴漢に会った「愛葉るび」さんの「アッ、アーッ」という喘ぎ声が響く。「カット!」の監督の声。再びHな雰囲気は微塵もなくなり、出演者に色々な指示を出す監督。「ハイ、ハイ」と真面目に受けている「るび」さん。その落差の大きさは何とも言えぬ奇妙な雰囲気であった。
 もちろんエキストラもヘラヘラしていられない。痴漢場所を気付かずに囲んでいる乗客なのだから、「るび」さんに背を向けており、聞こえるのは声だけ、役得なんてニヤニヤ楽しむことはできない。エキストラ原則第2条「呼ばれたらすぐ来ること」なんて余裕すらない。出演者に背を向けて取り囲み、吊り革を握ってただひたすら待つのみである。
 「るび」さんの太股に愛液が流れるのを、スカートの中に注射器をセットしてスタッフが液を流しているようだがその調節がうまくいかない。「駄目だな、そんな少しじゃ映らないよ、あっ!カット、カット!駄目だよ、そんな勢いよく出しちゃ。るびちゃん、ごめんね。衣装汚しちゃった」大の大人が大勢で真剣そのものである。
 最後のカットは立っている乗客の二人の足の間から痴漢行為のスカートの中を捉えるショット、私と104さんが呼ばれる。微妙なライティング・カメラアングル、もう少し寄って、あ、少し離れて、ときめ細かな指示が続く。Hな雰囲気なんてどこにもない。それでも監督の「スタート!」が掛かるとるびさんの「アッ、アーッ」である。
 うーむ、私は10月30日(日)「蛙の会」公演「キートンの鍛冶屋」で、大役のキートンを語ることになったが、この経験は活かせそうだ。「痴漢電車物」のHな雰囲気は、この真剣さが産んでいるということは、キートンが喜劇だといっても、語る方がヘラヘラしていては、決して人の笑いを取ることはできないということだろう。キートンは一生懸命の動きの果てに滲み出る無意識のおかしさ、語りも真剣にやることにより笑いに至るのではないだろうか。
 こうして、9月15日(水)、初号試写を見せていただく。公開題名は「痴漢電車 いい指ぬれ気分」、来年の正月映画だそうだ。作品評の詳細は、私の「ピンク日記」を見ていただくとして、「なかみつせいじ」さんと「愛葉るび」さんのHな言葉も交えた掛け合いが楽しい正月らしい艶笑コメディ。(るびさんはロマンポルノ「桃尻娘」の竹田かほりを思い出させる快演だった)
 電車内の風景は、予想以上によく撮れていた。走る電車の外景と車内のドキュメント風の2カットから繋がるので、エキストラ参加者としてはセットのチャチさが想像できてしまうが、知らなければ素直に繋がってしまうだろう。数名のエキストラなのに満員電車に見えるのも映画のマジックだ。それに痴漢シーンになれば、周囲のセットに目もいかなくなってしまう。悉くの映画のマジックに感じ入った。また、エキストラは単なる背景なので、殆ど顔は確認できません。私の顔でも見てやろうという奇特な方、まず諦めていただいた方がよいと思います。
 エキストラの予定は9月3日(金)4日(土)の両日が来ていた。私は仕事の都合で3日は行けなかった。4日の方が面白いと思います、痴漢の真似事を(いやなら断ってもいいですが)してもらうかもしれません、とのメールがあったが、残念ながら4日にはそんなことはなかった。3日と4日のスケジュールが逆転したようだ。試写をみたら、同じセットの別の日の設定で、露出狂の夫婦が電車の中でH行為を始め、乗客がドサクサに紛れて手を出すというシーンがあったから、これが3日撮影分だろう。この日に参加したらもっと面白かったかなあ。平日・金曜日の撮影でエキストラの集まりが少なかったせいか、露出狂夫婦を囲む乗客の中に助監督のFさんの顔もチラリと見えた。「人、少ないな、おい、助監督!女でも何でもいい!入れ!」ってなとこだろか。助監督は色々大変なようだ。

 話を湯布院のシンポジウムに戻す。今年の花形は「新藤兼人の世界」シンポジウムでもチラリと紹介したが、滋賀から初参加のOさんであった。舌鋒鋭く雄弁で長々と切り込む口調は抜群である。最終日プラスワンの「台風クラブ」でジックリ親しくお付き合いさせていただくことになるのだが、「周磨はん、あんたには適いまへんなあ。私が一つ言ううち十言わはる」って、あなたにだけは言われたくないよなあ。ただ、Oさんが話術として有利だと思ったのは関西弁の柔らかさである。いくらゲストに鋭く切り込んでも「あんた、そう言わはりますけどな」っていう口調が絶妙なクッションになる。かくいう私は東京・下町のガラッパチ、下町の中でも浅草より一枚落ちる深川よりもさらに落ちる千住である。(でも、たけしはさらに川向こうの本木って変な差別意識はよくないなあ)普通に話してても口調がきつい。それを承知してるから、ついつい発言も控えめになる。(どこが控えめだよ!って言われそうだが)いずれにしても、私にどうなるわけでもないが、方言というのは話術の貴重な一ファクターであることを再認識した。
 私はシンポジウムでトップに発言することが多く、Oさんから「よく、すぐまとまった意見がいえますね」と言われた。「いえ、待ちの休憩時間中にジックリ考えますから」と答えたが、人前で話すにはやはり先立ってそれなりの案を練っておき、2分以内にまとめることを心掛けるのが礼儀というものだろう。3分以上になると、余程の話術の達人でない限り長いと感じさせてしまう。私の心地よいフィールド「映画友の会」でも、別に規制はないが2分たったところで短くアラームを鳴らしている。3分以上話そうと思ったら、何かテクニックを弄する必要があるということだ。
 このあたりも前述したあっち亭師匠の話術は抜群である。発言を引っ張り言い難いことまで口走って、あ、それは別の話として、と巧みに方向転換して続けていくのである。助監督シンポジウムでは、その実験にチャレンジした。「映画芸術」でピンク映画の連載をしてきた縁でエキストラの話が来たことのついでに、「あ、私の連載が載ってる<映画芸術>、ロビーの売店にバックナンバーがあるから買って下さい」とやって、司会の横田さんがチラリと苦い顔をしたのを横目に、「それはどうでもいいことですが」と外し、無声映画からピンク映画まで古今東西邦洋を問わず映画が好きで活動弁士にまで手を出した私としてはエキストラを引き受けると思いますと続けて、「ついでに私の活弁公演のチラシがロビーに置いてあるのでよかったら持ってって下さい」とやり、「それもどうでもいいことですが」と外そうとしたが、さすが名司会者の横田さん、その前に間髪をいれず「発言止めますよ!」と一本取られてしまった。いや、やはり同じ手は続けて2度は効かないということでしょう。
 話術に関しては助監督シンポジウムで、私としては興味深い事例があった。お馴染み「キューブリック」さんが熱弁を奮い、何故か「ウォルター少年と夏の休日」について、オスメント君、ロバート・デュヴァル、マイケル・ケインの良さについて延々と語り出し、横田さんに「テーマに関係のない話は控えて下さい」と発言を止められたのである。私は、この日のパーティーで「キューブリック」さんに発言の真意を聞いてみた。発言したかった趣旨は、助監督は大切なポジションである、それなのに最近の「ウォルター少年と夏の休日」は良い映画ではあるが、チラシに大きく出ているのは3人の主演者、監督の名前は読めないくらい小さい、まして助監督なんて出てもいない、こんなことでよいのか、ということであった。もし、私が発言するとしたらどんな形が適切であろうと考えた。まずは、今の趣旨を最初に言ってしまうことだろう。それを受けて多少長めに「ウォルター少年と夏の休日」の絶賛意見を述べたところで、「テーマに関係のない話」とはならないだろう。話術とは奥深いものである。
 最終日のパーティーで、横田さんにこのことを話す。「どうですかねえ。やはりテーマと離れ過ぎた発言が長いのは」とのことだった。それから「透光の樹」「助監督」と2日間のシンポジウムに渡り、私が話術の実験場にさせてもらった御礼も述べる。2日とも私の完敗でした、さすが名司会者とヨイショする。横田さんは「困るなあ。勝ったとか負けたとか、ヘンなところで勝負かけないで下さいよ」と苦笑いをしていたのであった。
湯布院日記2004−5

●特別試写「るにん」
 映画祭4日目、28日(土)の特別試写は俳優の奥田瑛二監督作品の第2作、「るにん」である。堂々2時間29分、八丈島に大ロケを慣行、江戸時代の島流しの「流人」を題材にした超大作だ。
 冒頭、島抜けに失敗した者を竹篭に入れ、丘の上から「黒瀬川」と呼ばれる流れの速い黒潮に転げ落とす雄大な画面の処刑シーンに始まり、クライマックスは島抜けした西島千博が大勢の捕方相手に、「雄呂血」「御誂次郎吉格子」を彷彿させる獅子奮迅の大捕物シーンを展開する。この大作も、シンポジウムで賛否が別れた。
 まず、長さについてである。渡辺武信さんは「透光の樹」とは逆に否の側だった。長過ぎる。1時間切って90分位にすべきだとした。クライマックスの捕物シーンを長過ぎた代表として、もっと刈り込めるところがいくらもある、との指摘だった。「キューブリック」さんは、捕物の長さはこの映画の魅力の真髄の一つで、もっと長くてもよかったと、真逆の感想である。
 私は、久々の本格的な時代劇の大捕物を楽しく見た。特に西島千尋はバレエ出身とのことで実に体がよく動く。現代にこれだけきちんとした捕物シーン完成させた最大の功績者であろう。ただ、「雄呂血」「御誂次郎吉格子」は、下層の男の怨念が沸々と内向し、それがクライマックスで大爆発してのアクションだが、西島にはそうした情念の滾りは希薄だった。捕物シーンとしては独立して堪能したが、全体のバランスを欠いているように見えたのは、奥田監督が無意識のうちにチャンバラの魅惑にのめり込み過ぎてしまったからではないかと感じた。。
 私の感想に対して奥田監督は、チャンバラは好きなのでのめり込んだところはあるが、男の情念ということで言えば、これは「愛の映画」なんですということであった。他の人の、八丈島と江戸の距離感が乏しく、あまりにもあっさり島抜けして江戸に着いてしまった気がするとの意見に対しても、愛を徹底して描こうと思った、距離感を出すとかの描写に時間をかける気はなかった、とキッパリと答えた。
 なるほど、私は納得したと共に、既成概念に囚われて見方のポイントがズレていることに恥じ入った。西島の奮戦は男の憤怒からではなく、共に島抜けした愛する松坂慶子を逃がしてやりたいための奮戦なのだ。それならば「愛の強さ」の駄目押しのために、これだけの長さの大殺陣は必要である。
 これに限らず、奥田監督はの質問に対する回答は、すべて自信に満ちて的確であった。「るにん」生活の辛さが感じられない、だから島抜けにあそこまで固執するのが解らない(確かに八丈は佐渡に比べて気候温暖で生活環境がよく小早川秀秋が長寿を全うしたなんて逸話もある)、という質問に対しては、松坂慶子と島の役人の根津甚八との、彼女にとって屈辱的な関係も撮ったのだが、尺数の関係で仄めかす程度にしか残せなかったとのことだった。奥田自身が演じた島の庄屋らしき悪辣な男の描写も実際はもっと撮ったのだが、説明不足のような気もしつつ、やはり尺数の関係で切らざるを得なかったとのことであった。他にも尺数の関係で切らざるをえなかったいくつかのシーンの紹介があった。
 冒頭の渡辺さんの発言にもあった長過ぎるということに関しては、確かに切っても全体の流れに影響の無い部分はいくらもあります、でも、今回は枝葉の部分にあえてこだわって膨らましていこうと思った、とのことであった。具体的には今回映画デビューのニューハーフ「ひかる」嬢(?)などは、いてもいなくてもドラマの本筋には影響はないが、なくてはならぬ人物のはずです、と例をあげた。確かにその通りである。ラストの大捕物と松坂慶子の処刑をつなぐシーンで、馬3頭・エキストラ200人の市中引き回しのスケールの大きいシーンも撮ったそうだが、全体の流れから泣く泣くカットしたとのことであった。何とも残念なことであるが、完成品の流れとしては、大捕物から一転して松坂の白砂の上の処刑というコンパクトさが鮮烈であった。
 私の最終的な意見は、渡辺さんとは全く逆となった。枝葉に徹底的に拘るというのは、最近には珍しい「大作志向」である。「ローマ帝国の滅亡」にしても「エル・シド」にしても、ストーリーの骨子はシンプルだが枝葉のボリュームにより3時間余になっているのである。そうした大作志向を徹底的に貫くべきである。長過ぎるのではなく、もっともっと長く、泣く泣くカットしたシーンをすべて復元、3時間半休憩入り2部作にすればよい。そうすれば捕物シーンを長いと感じた人も減ると思う。(実際に捕物シーンはもっと長かったそうなので、全部復元してボリュームを楽しみたい)3時間半あれば、ラストもコンパクトにしなくてもよさそうで、引き回しのシーンが挿入されても納まるのではないか。
 ただ、今の時代に3時間半2部作は、興行的には難しい。私も一観客に過ぎないので、そこまでは責任を持ちかねる。キャストも大作というには地味である。でも、松坂慶子・根津甚八・奥田瑛二と並んでおり、公開までの間に西島千尋・ひかるの二者をスターに仕上げるという手はある。(二人とも十分それだけの資質を有している)そうなれば結構豪華キャストと言えるのではないか。
 パーティーでは例によってのゲストゲット術で、乾杯と同時に奥田監督へ「すみません。女性ファンに囲まれないうちに、話を聞かせてください」と突撃する。まずは2001年の「少女」シンポジウムの話題で口火を切る。その時は、私が「家族の解体」という観点で「少女」を捉えたとの感想を述べると、奥田監督は「これから海外の映画祭に行くと、監督は色んな質問されて気の利いたこと言わなきゃいけないんですよね。家族の解体、その言葉使わせてもらいます」と言って、場内に笑いが走ったのだが、覚えておいでですか、映画祭では実際に使われましたか、と聞く。奥田監督、一瞬「ウム?」という感じで、やっぱり覚えているわけないよなと思っていたら、一拍置いて「あ、あの時の、使いました。使いました。大いに使わせてもらいました」って、思い出してくれたのか、調子を合わせてくれたのか、ま、良い方に解釈いたしましょう。
 奥田監督には、前述した私の感想と共に、興行的な責任は持てませんけれどとの前置きで、3時間半休憩入り2部作構想をぶち上げる。監督は「そういう人が多くいてくれれば、私も是非ディレクターズカット版を創りたいです」と眼を輝かせ、意気投合したのであった。
 それを受けて、今度は私と正反対の見解となった渡辺武信さんの所に向かう。渡辺さんは、最初から3時間半が必要な映画だとわからないようでは困る、それだけの計算が立たないなら2作目にそんな大きなものを手掛けるべきではない、と相変わらず辛口であった。まあ、プロの映画評論家としては前言を簡単に翻すわけにもいかず、それはそれで妥当な見解だとは思ったのである。

 さあ、湯布院映画祭の話題も、残すところ最終日の特別試写3本を残すのみ(番外の「台風クラブ」はあるが)。そこで、映画祭のフィールドと、前に予告した愛憎半ばするキネマ旬報「読者の映画評」のフィールドを重ねる項で、一拍置いてみたい。多分ここでフライングがバンバン出てきそうであるが、暴走が過ぎたら誰かか止めて欲しいところである。「幻の湖」を製作する気はありません。


●湯布院映画祭のフィールドとキネマ旬報「読者の映画評」のフィールド、そして「映画芸術」のフィールドへ
 キネマ旬報「読者の映画評」のフィールドは、私にとり最も縁の深いフィールドの一つだ。白井佳夫編集長の代に開設された1970年から投稿を続け、最近の2002年まで常連であり続けた(76年から87年の働き盛り、子育て家族サービス期間には中断したが)。
 1999年、私が最も心地よいフィールドの一つである湯布院映画祭と、当然このフィールドは密接にかぶった。初参加にも関わらず、キネ旬の片隅の私の名前を記憶してくれていた人が結構いて急速にその人達と親しさが増した。(それがなくてもファン同士は親しくなるとは思うが、加速要素だったのも事実だ)
 伊藤雄委員長・当時の横田茂美事務局長(お名前伺ってます、待っていました、とまでヨイショしてくれた)etcの実行委員の人達、キネ旬長崎友の会でNTT西日本のEさん・前述した映画祭名物男の浜松のT要さん・なみおか映画祭事務局の品川信道さん(「映画芸術」執筆陣参加おめでとうございます。てなことでイニシャルにしてません。ここ2、3年は湯布院に参加なくご無沙汰してますね)etcの映画好きの論客の面々。お馴染みおたべちゃんなんて、読者評の常連であることを知ったら、「ヘェー、朝からビール飲んでる変な親父だと思ってたら、それだけじゃないんだ」って、そりゃないよね。東京キネ旬友の会のMさんなんて、「あなた、本当に周磨さんですか?」と来た。国分寺市・52歳(当時)・会社員と記されてたことから、会社勤めのかたわら、映画など鑑賞し評をしたため、旧跡の町に住む物静かな初老の紳士を想像していたら、とんでもないガラッパチが現れてイメージが狂ったそうだ。今や、番外日に台風の中を食料買出し決死隊を私と組織するおつきあいとなった映画評論家の磯田勉さんともこの年が初対面だが、「締切に追われて書く私の評よりよっぽどいいです」とかお世辞をいわれるし、その関係でSF作家にして映画評論家の友成純一さんとお近づきになれたし、本当にキネ旬「読者の映画評」に感謝・感謝であった。
 その私の「読者の映画評」が2002年8月下旬号を最後にピタリと掲載されなくなる。当然ながら、浜松のT要さんからは、「最近は読者評を書いてないのかね?」と言われるし、似たようなことは他の何人の人からも映画祭で言われた。変わらず書き続けているのだが、掲載されないことに関しては私が審査者じゃないので、何とも言いようがない。仕方が無いから「私の才能は枯れ尽きたんでしょう」と答えるしかない。(30年余の常連だったんだから、最初から才能は無かったなんて言わせない)「そんなことは無いでしょう」と言う人もいるが、とにかくここ2年程掲載されないということは、半月に1回「あなたの才能は枯れ尽きた」と編集部に言われ続けているのと同じである。まあ、私自身は見てのとおり何も変わっていないんだから、他の人が「そんなことは無いでしょう」と思うのも無理からぬ話でもあるが、冷然たる事実は事実である。「映画友の会」の友人で、「枯れ尽きたなんてあるわけない。何らかの理由でキネ旬が<拒絶>してるんですよ」と言う人もいるが、意識的に<拒絶>される程に俺は大物かい!と思わないでもない。「映画芸術」に寄稿するとキネ旬読者評掲載はやはり難しいんですかね、と穿った見解を言う人もいた。これは事実無根ということは言明しておく。もっとも、そのことも編集部からじかに聞いたわけではない。現在の「黙殺体質」のキネ旬にそんな情報開示はありえない。なぜ事実無根と理解したかは次項に譲るとして、ここではその「黙殺体質」について一部を述べることにしたい。30年余前に白井佳夫さんが、「官報」のようなキネ旬からの脱却を目指し、「読者の映画評」の開設を始め、どんどんと「開かれたキネ旬」を構築していった。黒井和男・植草信和・青木眞弥各編集長の時代は、その良き伝統は継承されたが、掛尾良夫編集長の代から急激な逆コースで、客を客とも思わない「黙殺体質」へと変貌する。かつて、客を客とも思わないところの代表は「映画館」の殿様商売であった。白井さんは「キネ旬映画紅衛兵運動」を提唱し、観客から映画館への問題提起を連発する大ムーブメントを起こした。映画館は、今やサービス産業としてそこそこになってきたが、その運動を起こした「キネ旬」が今やそれに近い客を客とも思わない「黙殺体質」になったのは、歴史の皮肉である。これから紹介するのは氷山の一角で映画祭のフィールドと絡めての部分に留めるが、「黙殺体質」の実例には事欠かかず、掃いて捨てる程に種には困らない。13号倉庫さんから、何かアップするいいテーマはないですか、と言われたが、キネ旬の顧客無視「黙殺体質」殿様商売告発で、十分ワンコーナー開設は可能なくらいである。(まあ、メディアがメディアを批判するというのはタブーだし、無理だとは思う)「読者の映画評」のフィールドと「湯布院映画祭」フィールドのラップを、もう少し続けていきたい。1999年の初参加の時、新作試写の映画評の全部について書き上げて「読者評」に投稿した。成果はあまり芳しくなく「金融腐蝕列島 呪縛」が第一次審査通過、そして何故か最も舌足らずでよく書けていないと思った「皆月」評が掲載の運びという戦果であった。これが後々の波紋に繋がる。
 「皆月」評の舌足らずと思ったところは、終盤の荒井晴彦・脚本に対する批判めいた部分であった。誌上で活字化されて改めて読み直してみると、我ながらその舌足らずの感をますます深くした。まずいな、まあ、こんなド素人の拙文、誰が注目するものかと思ったらさにあらず、「映画芸術」391号で、当の荒井さんから2頁弱にわたってのこっぴどい批判が返ってきた。だが、ド素人の拙文に誰が注目するものかと思っていたくらいだから、私はこのことを知るのにかなり遅れを取った。当時、私は「映画芸術」を購読していなかったし、「映画友の会」の友人も「映画芸術」のフィールドと縁遠い者が多く、当然伝えてくれる人もいなかった。この頃、映画評論家の渡部実さんと若干のおつきあいがあり、私のフィールドで唯一このことを知る人であったのだが、私なら当然読んでいるものと思い、あえて言わなかったとのことであった。フィールドによる情報のキャッチというのも、微妙なものである。この情報を私にもたらしたのも「湯布院映画祭」のフィールドに縁があった。閉村になった阿佐ヶ谷映画村の一部関係者が、同じ会場で不定期に現代映像研究会というピンク映画を上映し関係者を招いてティーチインを行うという会を催しているのだが、そこで偶然にも湯布院で知り合った東京キネ旬友の会のMさんと出会い、映芸の件を教えてくれたのである。(「現代映像研究会」も私にとり心地よいフィールドの一つだが、いかんせん不定期、2年前に足立正生監督を招き盛大に開催したのが最後だ。もっと回数多く継続を願うものである)「え、私みたいなド素人を天下の荒井晴彦さんが相手にするわけないじゃない。こんな原稿を載せるキネ旬はけしからんとかの編集批判じゃないの」「いえいえ、2頁にわたって<周磨要よ>なんて名指しで大変よ」てなことで、該当の映芸を読んだら、本当に大変だった。
 そこで、反論というか、こちらの舌足らずな拙文が公表されてしまったのが遠因であるから、補足とお詫びめいた原稿をまとめ、「キネマ旬報」「映画芸術」両誌に送付した。キネ旬は「掲載責任」、「映芸」は「当事者」ということによりである。「映芸」からは間髪を入れず「お手紙いただき(中略)近日中に荒井より返答があるかと思います」とリアクションが返ってきた。これが編集部の104さんとの最初の出会いだった。104さんの誠実な対応は、この後つきあいを重ねる中でますます実感していくことになるのである。
 それに引き換え「キネ旬」の対応はひどかった。この頃から白井さんが創り上げた「開かれたキネ旬」から、「客を客とも思わない黙殺体質」のキネ旬への逆コースを何となく感じていたが、ここでそれが顕著になった。何日たってもリアクションがない。読者の通信用のハガキでフォローしてもなしのつぶて。もうバカ負けになり、渡部実さんに「映画業界人の感覚ってそんなものですかね」とボヤいた。渡部さんは「映画業界人の一般的感覚って無いと思いますよ。要は個人個人でしょう。キネ旬の中でキチンとした対応が期待できて、周磨さんがコンタクト可能な人ならば、植草さんではないですか」とアドバイスを戴いた。植草信和さんは、当時キネ旬の取締役だった。(この時「映画業界」の人って決め付けたのはまずかった。すでに104さんの誠実さには触れていたのだから)
 早速、植草さんに、突然のお便りの失礼を前置きにした私信を出した。直ちに当時副編集長で現関口裕子編集長からリアクションが返ってきた。取締役に言わないと物事が動かないの?お前は東京電力かい!いやいや、電力自由化を控えたこの時代の電力会社の「お客さま意識」は、上だけを見てお客さまをないがしろにするこんなことは少なくなっている。かくいう私だって定年まではお客さま対応に若干携わったが、お客さま対応の第一は速やかなリアクションである。回答や結論がすぐ出せなければ、とりあえずあなたの意見は承りました、と返すのが初歩の初歩だ。かつて官僚よりも官僚的と冷やかされた電力会社だって変わっているのである。104さんは、そのあたりでも理想的で誠実な対応だった。
 関口さんとのやりとりの中では、私が最初に編集長宛に送付した原稿が行方不明というとんでもない事態にも遭遇した。ワープロ時代の電子データだからまた印刷すればいいようなものだが、控をとってなかったらどうするつもりか。「お客さまからいただいた文書を紛失したら、東京電力なら大問題ですよ」と嫌味の一つも言いたくなった次第である。ただ、関口さんの対応自体は、時に速達便なども交えて誠実であった。だが、その後に編集長に就任されてからも「客を客とも思わない黙殺体質」のキネ旬が助長されているのを見るにつけ、この時の誠実さは「お客さま意識」というよりも、「取締役に指示された特命事項」ということだからだろう。情けない話だ。
 とにかく、これが突破口でアッという間に私の原稿はキネ旬に掲載された。それが2000年8月下旬号のキネ旬ロビイ欄の「荒井晴彦様へのお詫びと若干の誤解の訂正と御礼について」だ。「映画芸術」の方については、荒井晴彦さんと湯布院映画祭での初対面で、この件に関してじっくりお話を伺った。あの原稿のままでは掲載できない、私信は面白かったのでそれを加えて訂正してもらおうとも思ったが、キネ旬があの形で載せたんだからもういいよ、ということで「<プライベートな話なので、公表する気はありません>とか書いてるけど、そんなの批評じゃねぇよ」とかかなりきついことも言われたが、言葉はきつくてもニコニコとちょっとシニカルな笑みを浮かべたソフトな語り口は、まったく不快を感じさせない。これ以後、昨年まで、私が一方的に掛合漫才を仕掛け、荒井さんがウンザリするという展開が連続していくのである。(荒井さんは気難しいとか聞いていたが、前年初参加の湯布院で二言・三言の言葉を交わした時、噂とちがって同年代の楽しく飲めそうな人との印象を持っていたので、率直に声をかけたのもよかったと思う)
 この縁かどうか、「映画芸術」誌に3年程連載を書くことになるのだが、こうして湯布院映画祭に端を発したこの話題は、「映画芸術」「キネマ旬報」に重なりながら、私の中で様々な展開をしていくのである。
 次項では、「映画芸術」寄稿とキネ旬読者評掲載との因果関係は事実無根ということから、その後に起こったあることをきっかけにしたモヤモヤした気持ちへと続けていく。この際にフライング覚悟で思っていることを全部ぶちまけちゃうつもりである。案外読む人はそんな際どい方が面白いかもしれない。乞ご期待である。
湯布院日記2004−6

●「映画芸術」のフィールドとキネマ旬報「読者の映画評」のフィールドについて再び
 前項で、<「映画芸術」に寄稿するとキネ旬読者評掲載はやはり難しいんですかね、と穿った見解を言う人もいた。これは事実無根ということは言明しておく>と記した。その経過から始めたい。
 「映画芸術」の連載を開始した直後に、あるミニコミ誌の主宰者が私に耳打ちをした。ミニコミといっても、1970年から30年余もベストテン選出を続けているミニコミ誌の重鎮である。
 「<映画芸術>に執筆したら、キネ旬の読者評には掲載されないから、投稿しても無駄だよ」 「え、そんなルールあるの。そもそも誰がいったの」 「まあ、編集部じゃないけど、かなり確実な人からの筋だよ」
 映画関係の話は、どうもこういう不透明・不明瞭・不明確なことが多くてウンザリする。早速、キネ旬の2001年2月下旬号のハガキの読者通信欄で「ある友人から気になることを聞きました。<映画芸術>に執筆したからキネ旬に投稿は載らないよ、編集部の人の言ではないが確かな情報とのこと。業界外の人間なのでわかりませんが、他誌に書いた人の投稿は掲載しないとの慣習が、本当にあるんでしょうか?今後、私が投稿しても意味がないということでしょうか。是非、教えて下さい」 と問い掛けをした。
 当然ながら「黙殺体質」のキネ旬、顧客の質問に答えるという初歩の初歩すらなく、リアクションがあるわけもない。だが3月下旬号の第一次審査通過に「ダンサー・イン・ザ・ダーク」周磨要とあった。そこで読者通信欄で「読者評の一次審査通過に私の名を発見、前回のハガキに記した友人からの投稿しても無駄との、編集部に近い人の確かな情報はガセと判明。私も半信半疑だったのですが、何でそんなこと言うんでしょうかね。(後略)」と返した。
 かなり後になって、キネ旬の青木眞弥部長・関口裕子編集長・前野裕一副編集長とそれぞれ話す機会があり、「映芸と対立してるわけじゃありませんし、両方に寄稿してる人もいます」 との話を聞き、その後2002年9月上旬号以降のピタリと私が掲載されなくなるまでに10編近くの評が掲載されている。「映画芸術」に寄稿するとキネ旬読者評掲載は難しいとのことが「事実無根」とは、そういうことである。
 私の読者評がピタリと掲載されなくなったことに、もし原因があるとするならば、2002年9月上旬号に大高宏雄さんが「ファイトシネクラブ」の「甦るキネ旬“読者の映画評”」で私のことを取り上げたのに関連してのことだろう。大高さんとは、これ以前に私が著書「仁義なき映画列伝」の感想を送り、手紙をやりとりした関係であった。書かれた内容は、私が30年以上の読者評常連であること、「映画芸術」に執筆の場を与えられたことの紹介を通じ、大高さんなりの映画評論家なるものについての思いが記されているというものだ。ピタリと掲載されなくなる直接の原因になるような内容ではない。ただ、この件をめぐって私と編集部のある人との間であることがあった。詳細はある人に対する信義もあるので記すわけにはいかないが、私にとって極めて不快な経験であった。そこにピタリと掲載されなくなる原因があっても、おかしくないとは思える経験ではあった。
 とにもかくにも、2002年9月上旬号に大高宏雄さんが「ファイトシネクラブ」の「甦るキネ旬“読者の映画評”」で私のことを取り上げた以降、私が「読者の映画評」にピタリと掲載されなくなった。因果関係の有無は知らないが、それは厳然たる事実である。2003年1月上旬号の編集後記でギャガがのネ旬株81%取得に関して「理念、中立性などが変わることはありません」と関口編集長が明言している公明正大なキネ旬だから、一部の友人が言うように、そんなことで私が「拒絶」されるわけもなく、やっぱり「私の才能は枯れ尽きた」(何度も繰り返すが30年来の常連なのだから、元々才能が無かったなんて言わせない!)というのが、釈然とはしないけど妥当な評価なんだろうな。
 「そのフィールドに不快を予測したり、また不要と思われた場合は、速やかに去るのが私のスタンス」と前に述べた。じゃあ、お前は何で「読者の映画評」のフィールドから去らないの?強いてはキネ旬講読会員なんてやめちゃえばいいじゃないの。そう言われそうである。半月に一回「お前の才能は枯れ尽きた!」と宣告され続けるのは寿命を縮める位のストレスだ。キネ旬の新しい号の頁を繰るのは、映画ファンたる者の半月に一度の至福である。それが何でストレスにならなきゃいけないのか。やめちゃえばいい。やめちゃえばいいんである。
 読者評のフィールドから去らないことについては、私は映画について感じたことを残しておきたいと思うしその訓練もしたいからである。映芸に対してとりあえず、私がフィールドに留まる協力(判じ物の表現ですが)をしているのも、前述した現代映像研究会で足立正生監督を迎えたティーチインで荒井晴彦さんが、「みんな、<映画芸術>買ってよな。買ってくんなきゃつぶれちゃうんだから。<キネ旬>だけでいいんかよ」と言ったことにも通じ、日本映画を積極的に取り上げているのは映芸とキネ旬しかないこともある。もっとも104さんによれば、日本映画についても映芸とキネ旬だけなんてことはなく、もっと多様化されてるとのことだ。大高さんにも「別にキネ旬にそんなにこだわらなくてもいい」と言われたこともある。でも、15歳の時から義務教育終了後に自立して食うために企業内学園に入学し、下級管理職で定年になった学歴もコネも無い東京電力グループしか知らない人間には、故石原郁子さん(生前にちょっとした縁で、二、三度の手紙の往復があった)の「継続は力なり」の言葉を信じて、頑なに「読者の映画評」のフィールドにチャレンジすることしか無いのである。ホントに、誰かそれ以外の突破口を教えてほしいものである。キネ旬講読会員を続けてることについては、資料性に関してキネ旬はちょっと他の追随を許さないからだ。講読継続をするしかないということである。白井さんが最も嫌った「官報」的要素、それが唯一の価値になりつつあるのも時代の流れの皮肉である。何年か前に「読者評常連から執筆陣に迎えられた者と、迎えられない私との違いは何か?」と青木・関口両編集長、前野副編集長に端的に伺ったことがあった。私より掲載実績の少ない者が、次々と執筆陣に迎えられていったのも、厳然たる事実である。青木・前野両氏は禅問答みたいなことしか言わなかった。唯一、関口編集長の回答は明確だった。
 「読者評の実績と執筆陣に採用することとは何の関係もありません。要は編集者の<琴線>に触れるか触れないかです」とキッパシ言った。ウーム、<琴線>ねぇ。非論理的なことを論理的に断言するのは、やっぱり女性だなあ。(て、こんな差別的言辞はセクハラですね)話の中で読者評出身の映画評論家中西愛子さんが話題になった時、「あ、中西さんですか。私が一編集者だった頃、いくつかの評で琴線に触れたので、すぐ推薦して執筆陣に加わってもらいました。あなたの評は琴線に触れません」って、屈辱的な言いにくいことハッキリ言うなあ、このキリッとしたキャリアウーマンは。
 かなり憎まれ口を叩いてしまったが、読者ハガキの通信欄でも憎まれ口を叩き続けているから、こんな可愛げのない奴の原稿が掲載されるわけはあるまい。「琴線」といえばカッコいいけど、言い方を替えれば「要は編集者の勝手でしょ」ということである。可愛げの無い奴は大企業だって査定が低い。生きてるうちにもう一回くらいは誌上に名前を載せたいものだが絶望だろう。大企業の人事評価を変な風に引き合いに出してしまったが、私も下級管理職としてそれに携わった者、実際はそんな「琴線」とかの訳のわからない人の好悪で左右されることはありません。そんなことの個人の恣意が入らない程度にはシステム化・論理化されてます。映画評の評価基準はそれ以下か。(いっしょにするたぐいの物ではない、という友人もいたが)いや、「理念、中立性などが変わることはありません」とのキネ旬だから、同様にそんないい加減なものじゃないんだろう。やっぱり、私の才能は枯れ尽きたのだ。
 こんなことを書いていても意味ないのかもしれない。キネ旬編集部のフィールドは、13号倉庫さんのこのフィールドとは重なってないような気がするからだ。仮に重なっても「黙殺」されるんであるから、結果は同じということであるが。私はやっぱり「読者の映画評」のフィールドから去るべきなのだ。何で去らないんだろう?何で「ハルウララ」の如く、没原稿とわかっている映画評を山積みにするのだろう。
 そんな時、私の気持にピッタリくる栗本薫の一文を目にした。全百巻とも二百巻とも言われ現在97巻まで出ている大河小説で私の、愛読書「グイン・サーガ」95巻のあとがきの部分である。「性欲ならざる<発表欲>、いや発表しなくても私の場合はかまわないので<文字欲>ですかね」だそうだ。才女の名が高い栗本薫と一緒にするのはおこがましいが、結局は私も文字欲なのだ。その意味では13号倉庫さんのこのフィールドは最良である。電子データ媒体という特性もあるが、字数制限も締切もなし。文字欲の趣くままに場を開放してくれる。今回のように、湯布院を中心にした私のフィールドを自由に横断・縦断した自分探しの旅にも場を開放してくれる。冒頭で私にとって最も快適なフィールドをいくつか挙げたか、まずこの13号倉庫さんのフィールドを挙げるべきであった。改めまして、本当にいつもありがとうございます。

●私にとっての特別試写ベストムービー「樹の海」
 湯布院映画祭のフィールドを基点に2項にわたり「映画芸術」「キネマ旬報」の私の映画評に関するフィールドの長談義をしてしまった。モヤモヤしたものを全部ぶちまけて、スッキリもしたが、話題の内容が内容だけに、あまり面白おかしく楽しいというわけにはいかない。本道の楽しい映画祭の話題に戻りたい。
 映画祭は、いよいよ残すところ最終日の29日(日)、新作特別試写3本とシンポジウムが連続する最高の盛り上がりを見せる番組である。ただし、台風は刻一刻と九州に接近している。慌しい空気も並行して漲る。常連の大分市役所のOさんは、非常災害対策本部開設とのことで、後2本の新作試写を残して、無念そうに引き揚げる。明日の交通を心配する人、明日の仕事のことを考え予定ほ繰り上げて帰る人、私のように開き直って居座る者、悲喜こもごもの風景が展開する。でも私も、電力会社を定年退職し関連企業に再就職の身だから開き直れたので、台風は日本列島を横切るコースを着々と進行中、現役だったら「飛行機が飛んでるうちに帰って来い!」だったろう。リタイアの特権にしみじみと浸る。
 最終日の1本目「樹の海」は、私にとって本映画祭特別試写作品のベストムービーだった。封切は来年だそうだが、渡辺武信さん流の言い方に習えば私にとって来年のベストワンの有力候補である。(勿論、来年にはさらにこれを超える作品に出会うことを期待するものであるが)
 湯布院で私は、こうした次年度封切の水準の高い作品に3年続けて出会っている。嬉しいことだ。昨年は「油断大敵」、一昨年は「美しい夏キリシマ」だった。前年度からベストワンにしてもいいと思える作品をキープして年を越すと、何となく落ち着くものである。(結果的に昨年の私のベストワンは「赤目四十八瀧心中未遂」、今年は今現在の所は「東京原発」ということで、前記2本は第2位と、より素晴らしい映画に出会えているのも嬉しい悲鳴だ)
 「樹の海」は、何よりもこれは「映画」である。「映画は眼で見せる」との淀川長治さんの名言の手本のような正に「映画」である。そして、ここにあるのは富士の樹海の自殺にからんだ4つのエピソードを、オムニバス風に綴りながら、最終的には生き抜いてゆくことの素晴らしさを訴えている。小難しいことは一切言わない。映画はそれで良い。シンポジウムで、私は感想を述べた後、以下の様に締めた。「私は映画に難しい理屈を教えてもらおうなんて思いません。生きる勇気と素らしさを与えてもらえればいいんです。そして、生きる勇気をもらいました。ありがとうございました」
 映画はオムニバス形式で進む。最初は、サラ金取立て人の池内博之が、借金苦で樹海に入り込んだ女を捜索するために、樹海へ入り込むエピソードだ。借金取立ての目的が、いつしか女に死を思いとどませる方向に心情が変化していく。その微妙な心理の綾が、携帯電話で女とやりとりする池内により絶妙に捉えられていく。女の言葉を復唱することで会話の内容を観客に知らせる手法は、舞台劇の一人芝居に近いが、樹海の雄大な風景のロケ・スピーディーな移動撮影の魅惑は、完全に「映画」である。舞台劇的と言わば言え。舞台劇の魅力を映画的に換骨奪胎して盛り込むのも、「映画」ならではの魅惑の一つに他ならない。
 第二エピソードは、気の進まないままに居酒屋で探偵塩見三省の調査に協力させられるサラリーマン津田寛治の話である。津田が行きずりのコンパで偶然にもツーショットをした女が、樹海で自殺した。何か手がかりを知りたいと探偵の塩見は、津田を居酒屋に誘い話を聞こうとする。行きずりの女に過ぎないので、あまり気の進まない津田。しかし、酒を酌み交わしているうちに、その若い女の人生が示す生の重さに次第にうたれてくる。
 この二人の心情の変化を描く居酒屋の情景描写が素晴らしい。ガランとした開店間際の客席の中の二人に始まり、いつしかピーク時の大混雑の賑わいとなる。気の乗らない津田が、次第に女の人生の重みにのめり込んでいく心境変化とあざやかに重なる。周囲の喧騒など気にならないまでに深く話し込み、気がつけば閉店間際の閑散とした居酒屋の風景に変貌している。それに中村麻美のウエイターが絶妙のアクセントを与える。この手の店にありがちなタイプ、ぶっきらぼうに注文を受け、乱暴に投げ出すように酒や肴を突き出していく。居酒屋に長居して大声で語り合う飲兵衛の私としては、こういう長居客がウエイターに疎ましく思われるのは解らないではなく、我が身に引き換えると滅茶苦茶におかしい。「ラストオーダーです!」つっけんどんな応対、本当に思い当たっておかしくなる。そのウエイターのツンツンの度合いと反比例して、二人は人の生について深く深く語り合い始める。その雰囲気を醸し出す絶妙な映像空間造形。これぞ映画である。これぞ映像表現の極致である。
 二人の話が人の生のあり方のピークに達した時、無愛想なウエイターが「お勘定、○○円です」話の腰を折るようにしつこく請求を繰り返すが、二人は無視して真剣に話し込み続ける。「お勘定、○○円です!」声を荒げるウエイター。ついに塩見探偵が切れる。「うるさい!こっちは人の生死の話をしているんだ!」このエピソードは、この山場の爆発に至るまで絶品としか言えない映画演出だ。
 「樹の海」に否定的な評価の人は、これをも「舞台劇的」だと評する。私はこの第2エピソードは、舞台劇的な良さを映画に引き込んだ第1エピソードと対称的に、映画ならではの表現に連続させ、しかも第1エピソードの一人芝居に対して二人芝居とすることで、見事な対比の妙を示したと思うのだが、否定的な人は、この第2エピソードも「舞台劇的」以外の何物でもないと評する。でも、第2エピソードの開店間際の閑散とした居酒屋からピーク時の喧騒、そして閉店間際の再び閑散とする時間の流れの情景描写は(ロケかセットか知らないが)、確実に写実的でモンタージュという武器を有する映画ならではの表現であろう。舞台では、どうしても大道具・小道具が象徴的・抽象的になり、時間の経過も暗転程度で表現をするしかない。
 さらに、この第2エピソードでは、クローズアップという映画の武器を最大限に生かす。津田は塩見探偵との酒席の前に財布の中を確認する。生憎と持ち合わせが五千円しかない。「ま、勘定は向こう持ちだろうな」と居酒屋に入る。そして、閉店の居酒屋を出た時、自殺した彼女を通じて人の生の重さに胸をうたれ、財布の中の定期の下に忍ばせたへそくりの一万円札を確認し、塩見探偵に「今度は、私が勘定を持ちますから、もう一軒行きませんか」と声をかける。前の五千円のアップとの鮮やかな対称を示し、そして生の重さにうたれた二人の心情がブローアップされる。淀川長治さんがご存命なら、こんな風に語ったような気がする。「関係ないと思っている男には探偵に話をするのに気が乗らないんですね。財布の中の五千円がアッブになりますね。勘定は向こう持ちでいいか、と思いますね。でも、酒席が終わった後、生きる重さを深く深く感じますね。もっともっともっと話し合いたくなりますね。ヘソクリの一万円のアップが、その気持を見事に見事に表現しますね。これが映画ですね。映画は眼で見せるんですね。小説で説明してもこんな効果は出ませんね。クローズアップのない舞台でも駄目ですね。映画、これが映画なんですね」いや、私自身が、シンポジウムでもパーティーでもこんな口調で絶賛していたような気がする。
 ただし、演劇的と評して否定的だった人に、プラス1日の「台風クラブ」では一本取られた。「新藤兼人の世界」で上映された「しとやかな獣」を引き合いに出され、「ああいうのこそ舞台劇の魅力を映画的に換骨奪胎して盛り込んだ映画っていうんじゃないんですか」と言われた。ウーム、さすがに「樹の海」大絶賛の私も、「しとやかな獣」よりも上だまでとは言い難い。やはり、撮影所システム全盛の映画の水準は、極めて高かったということであろう。
 第3エピソードは、自殺志願で樹海に入った萩原聖人の若者とリストラサラリーマン田村泰次郎の出会いである。リストラサラリーマンの自殺を若者は止めきれず、死体と一夜を過ごす羽目になる。死体を前にして萩原の延々たる独白。回りは闇だから、映画ならではのロケの魅力もなく、これこそ正に舞台劇な一人芝居的の魅惑である。でも、第1エピソードが舞台劇の魅力を映画的に換骨奪胎して盛り込み、第2エピソードが映画ならではの魅惑と続いたのだから、ここでの舞台劇的な魅力のエピソードは、見事なアクセントとして効いたと思う。
 最終エピソードは、ロケを多用したドキュメンタリータッチで、見事なまでの映画の魅惑でしっかりと締める。大企業のキャリアウーマンだった井川遥は、社内恋愛に失敗し退社、キヨスクの売り子で細々と生活している。色々なものを置くキヨスクだが、ある日ネクタイが置かれる。こんなもの買う人がいるのかしらと思う井川。電車の中で涙ぐんでいる女子高生がいる。気にかけた中年サラリーマンの大杉蓮が、慰めてハンカチを貸してやり、それだけで足らないと見るとネクタイを与えて涙をふかせる。ネクタイが無くなった大杉は、キヨスクでそれを見つけ買っていく。「どんな物でも誰かが必要としているのね」井川の同僚の余貴美子が呟く。井川は、結局生活の寂しさから樹海に向かう。首を吊るが切れて失敗、首吊りに使ったのは店のネクタイだった。ハラリと顔に落ちるネクタイ。彼女は生きる気力を取り戻す。大杉が女子高生に涙を拭くように差し出したネクタイ、買う人なんかいるんだろうかと思われるキヨスクにポツンと吊り下がったネクタイ、井川遥の自殺を思いとどませるかのように顔に落ちるネクタイ。ただのネクタイが、映画の魔術で生きているかの如く存在する。これこそ、映画!映画!映画!!である。
 萩原は、田村の死体を前にして、生き続けようと決心し、樹海を抜けようと思う。抜けられるのか否か。その時、田村が帰りの道しるべに、延々と樹に貼り付けていたサラ金のチラシの存在に気付く。冒頭で、サラ金業者の池内博之が、樹海に入る前にチラシの束を落としてしまったことがさりげなく示されていた。田村は樹海に入る前にそれを拾い、道しるべをつけながら来たらしい。彼も、生き続けようという気持が何%かはあったのだ。その道しるべに従い、萩原は樹海を抜けていく。生き続けようとする。死を題材にしながら、生き抜いてゆくことの素晴らしさを訴えた「樹の海」は、こうして見事な大団円を迎える。
 舞台劇的との否定的意見とは別に、準オムニバス形式で軽くなってしまったとの否定的意見もあった。NTT西日本のEさんなんか「これでは、心優しきバカヤロー!になってしまいます」と発言し、「樹の海」関係者から「一瞬、バカヤロー!なんて言われてギクリとしましたが、森田芳光さんの映画の話だったんですね。安心しました」なんて微笑ましい光景もあった。
 とにかくシンポジウムからパーティーまで、淀川さん調も交えて私は誉めて誉めて誉めつくし、パーティーでも瀧本智行監督(「光の雨」の助監督などを努め「樹の海」は監督デビュー作)に絶賛・激賛の嵐を浴びせ、傍にいた脚本の青島武さんに「あまり誉めないで下さい。いい気になりますから」と言われ、話題は脚本に移り、この良さは脚本の段階にも十分あることを確認し、今度は青島さんを誉めて誉めて誉め倒してしまったのである。
 かくして、映画祭最終日は、一本目で私にとっての特別試写ベストムービーに出会い、幸先のよいスタートを切ったのである。ただし、荒井晴彦さんには、パーティーで「相変わらずつまんないもの誉めてんなよ」と言われてしまった。また他の人の評価は、平均的には好評だが、私のようにダントツ一押しと言う人も少なく、最も賛否両論が別れなかった映画でもあった。
湯布院日記2004−7

●特別試写「愛してよ」と「サヨナラCOLOR」
 最終日30日(日)の2本目は「愛してよ」。これは、私にとって最悪だった。いや、映画として悪いということではない。むしろ、21世紀の空気をよくキャッチしていると言える。それだけにやりきれなかった。折角「樹の海」で生きる勇気を与えてもらったのに、私はここで一気に気が滅入った。
 映画は、離婚した母と10歳の息子の話である。離婚の原因は明確には示されていないが、強烈なDVとかの決定的な破局要素がある訳ではないようだ。そして、母は子供を可愛がるタイプではないが、行き掛かり上で子供の親権が来ただけみたいでもある。だから、子供を愛する方向にエネルギーは注がれない。ステージママとなり我が子をモデルのオーディションに合格させることに、エネルギーを注ぐ。「愛してよ」これは10歳の子の悲痛な叫びだ。そして、同じようにバツイチの犠牲になってボロボロになる友達の子供との交流が描かれる。子供達は傷つき、その克服のために膨大なエネルギーを消耗する。最後はオーディションの過程を通じて母は子を抱きしめるのだが、そんな回りくどいことをしなければ、我が子の「愛してよ」という言葉に答えられないのか!
 バツイチの大人達!何考えてんだ!!私は怒りでいっぱいになる。子供達は過酷な状況の中でこんなにもエネルギーを消耗してるじゃないか。大人の自分本位のエゴの結果でだ。何で親は、エゴを捨て夫婦を維持することにエネルギーを注げないのか。子供達の消耗するエネルギーに比べれば何分の1でもないはずだ。そして、それが21世紀の現実としてキチンと描かれているだけに、余計私は苛立った。昔ならば、エゴで夫婦関係維持のエネルギーを放棄する奴は、社会から人格欠損者のように指差され制裁された。今はバツイチなんて言葉が慣習語で、日常的なことに過ぎない。でも、大人のエゴによるちょっとしたエネルギーの出し惜しみで、子供がどんなに理不尽に膨大なエネルギー消耗を強いられているか考えたことがあるのか!男と女の円滑な関係は、お互いがエネルギーを使わずして維持できるわけはないのだ。私は怒り、その現実に気が滅入っていった。
 私はシンポジウムで、感想と共にその滅入りと怒りをストレートにぶつけてしまった。福岡芳穂監督は第一声で、「実は私はバツイチなんですが」と前置きして、沈みがちな表情で答えた。続いてプロデューサーの森重晃さんも「私もバツイチで」と前置きして語り出した。しまった、人のことを思いやらず自分の感情をぶつけ過ぎた、恥じ入った次第であった。
 主人公の男の子が10歳というのは興味深かった。10歳とは、それまで絶対の存在と思っていた親が、自分と同じ人間が時を経た者に過ぎないとのことに気がつく歳頃である。唐突だが、私は宮崎駿の「千と千尋の神隠し」を思い出していた。絶対の存在と思っていた両親が、空腹のままに子供が止めるのも聞かず大人げなく無銭飲食を始め豚になってしまう。子供である千尋は自立を余儀なくされ、最終的には親を救い、親も絶対の存在なんかではなく自分と同じ人間であることを知る。「愛してよ」の「10歳」も同様の重みを持っているのではないか。だからこそ、この少年のエネルギーの消耗が、私にとって切な過ぎるのだ。
 パーティーで「唐突かもしれませんが」と、「千と千尋の神隠し」を前置きにして監督にこの話をした。そして、監督から10歳という年齢の人間としての存在を真摯に捉えようとしている誠実な姿勢を感じた。翌日の「台風クラブ」の中では、私が「樹の海」を見た時と同様に、この映画で生きる気力を得たという人もいた。どんな映画も(よっぽど悪趣味でない限り)人を滅入らせようと思って創る人はいないこと、また自分が滅入ったからといって全ての人に対してそうだと決め付けてはいけないということだ。私は感情をストレートに吐露したことをちょっと反省したのである。
 台風が着々と接近する中で、フィナーレの「サヨナラCOLOR」特別試写である。シンポジウムのゲストは監督・主演の竹中直人さんとプロデューサーの新藤次郎さん。竹中さん、この台風状況でホント来るんだろうか。でも新藤次郎さんのメインは「新藤兼人の世界」のゲスト、新藤さん一人が「サヨナラCOLOR」のゲストなんて洒落にならないよな。噂雀は喧喧諤々ハラハラ、竹中さんは31日の月曜日に仕事が入ってるそうだとの情報も飛ぶ。それじゃ無理だよ。来られるのは来られても次の仕事場に行けなくなるよ。それでも予定どおり来場した。(仕事が入っていたとしたら、結果的に予想どうりになったようだ)「きっと、月曜の仕事やりたくなかったんだよ。台風で足止めなら誰も文句言えないもんね。パーティーで飲んで湯布院にのんびり泊まった方が絶対いいもんね」と、ヤジ馬は勝手な想像をしたのであった。
 「サヨナラCOLOR」の私の感想は、竹中版「セカチュウ」であった。率直にそれを述べたら、シンポジウム参加者の何人から「そんなもんと一緒にするな」との反発の空気を感じた。「世界を中心で愛を叫ぶ」こと「セカチュウ」は、敵意を持って全否定する人が少なくないが、私は(興行的成功は別にしても)今年を代表する日本映画の1本だと思っている。これは21世紀の「愛と死をみつめて」なのだ。半世紀前の日本映画、あるいは韓国映画なら成立するだろうが、現在の日本でやれば失笑ものにしかならない題材だ。それを、見事に時制の輻輳を活用し、日本映画として成立させた力技は大したものである。もっとも「愛と死をみつめて」にしても、興行の爆発的成功と比して歴史的名作という水準ではない一佳作に過ぎず、「セカチュウ」もそのレベルということではあるのだが。
 「セカチュウ」と同様に「サヨナラCOLOR」も「難病純愛悲劇」である。しかも竹中直人・原田知世のカップル二人が難病というダブルでかましてくれる。臭過ぎるといえば、これ程臭い題材はない。けれども、これも「セカチュウ」と違った形で21世紀に見事に成立させた。それは竹中流の語りである。「無能の人」の何もしないことの茫洋たる価値観。「119」の何年間も火事のない静かな静かな地方の消防署。その線上で臭い純愛難病悲劇を淡々と語っていく。昔は沢島忠・岡本喜八・石井輝男・加藤泰・深作欣二など、一目でそれと分かる個性的な語り口の魅力で見せる映画作家は少なくなかったが、伊丹十三亡き後は本当にそういう人は少なくなった。竹中直人は北野武と並んで、個性的な語り口を有する現在では貴重な映画作家の一人である。シンポジウムでも「北野監督とよく比較されますがどう思われますか?」との発言が出て、「たけしさんといっしょにされるなんて、格が違い過ぎます」と照れまくっていた。
 結局、「サヨナラCOLOR」はこの竹中流語りが好きか嫌いかで決まる映画だと思う。それにしては「透光の樹」の項で紹介した渡辺武信さんの「来年度ベストワン宣言」を筆頭にして、満場一致で絶賛の嵐という感じであった。語り口が魅力の映画だから、好悪によりもっと賛否が別かれる映画だと思うのだが、これが単なる竹中さん来場に対する御祝儀でなければ幸いである。
 最終日のパーティーは庭の芝生も開放した半屋内の健康温泉館の予定であったが、台風接近で雨はまだ落ちてないが風は次第に強くなり、急遽完全屋内の麦酒館に変更となる。パーティー終了後も、雨もパラパラで天候もそれ程荒れてなく、無事に宿に辿り着いた。終わった。ついに今年も終わってしまった。宿で親しい人達との小グループで、最後の懇親の打ち上げをして別れを惜しむとしよう。しかし、それは早トチリであった。さらにもう一泊の予想外の番外編が延々と続くのである。

●番外の「台風クラブ」あるいは「皆殺しの天使」
 最終日の翌日、台風で参加者が湯布院に閉じ込められた状況の詳細はお馴染みおたべちゃん(何だか私のピンク日記の「御贔屓里見瑶子嬢」の連続7文字と同様に、「お馴染みおたべちゃん」連続10文字が決り文句になっちゃったみたい)の「湯布院レポート」ですでに詳しくアップされている。特別試写作品私設臨時合評会の採点結果まで紹介されている。これが目茶目茶に面白い。この後からアップする私はかなりのハンデだが、後出しジャンケンの強みで、時に「お馴染みおたべちゃん湯布院レポート」に突っ込みを入れながら進めていこうと思う。
 てなことで、さっそく突っ込むけど「お馴染みおたべちゃん湯布院レポート」で「鈍感極まりないというか、物事の推移を理解してないというか、ついうっかりというか、ま、とにかくあたしと周磨要と約何名は」って帰りそこなったことになっていて、何だか俺まで鈍感・無理解・うっかりの仲間みたいじゃん。ま、そんなことないんだけど、当たらじと遠からずとしときましょう。
 パーティーの後の宿での懇親は翌日のことを考え、これまではだいたい午前2時頃にお開きにしていた。でも、今日は最終日、少し長めに開催といきたいが、前に述べたように台風対策召集で常連の大分市役所のOさんが引き上げたのを筆頭に、メンツがかなり寂しくなっている。パーティーでおたべちゃんに声をかける。「うちの部屋、メンツが寂しくなってるんだよね。こっちも手広く声をかけるから、そっちもできるだけ頼むよ。女性はスキャンティ一つでジェンカのポーズで<もしも明日は>歌えなんていわないからさ」って、「台風クラブ」を知る人にしか分からない下品なジョークを吐いて「何、それ?」と顰蹙を買う。
 かくして、残留部隊をかき集めての最終日の懇親、「お馴染みおたべちゃん湯布院レポート」にあるようにY氏突撃ずぶ濡れ事件(煽った罪と責任は誰が一番重いのか、なんてことは追求しません)もあったりして、名残を惜しんで午前4時頃お開きとしたのであった。
 一夜が明けた。台風の進路は全く予想通りの九州直撃である。道路は閉鎖・鉄道は運休・飛行機は欠航。本当に「台風クラブ」状態となった。「お馴染みおたべちゃん湯布院レポート」ではブニュエルの「皆殺しの天使」状態と称していた。ウーム、それは気が付かなかった。なかなかのセンスである。こうなったら、もう開き直るしかない。有志そろって朝食で朝ビールをグイグイ開ける。しかし、ずっとのんびりし続けるわけにはいかない。各自、これからの帰宅方法を検討しなければいけない。まずは、今晩宿泊する人の部屋の再編成である。すでに今日の宿泊客の予約が入ってる部屋もある。この台風で来る客も無かろうが、宿の「牧場の家」としては商売柄から部屋の掃除・整備など受け入れ体制は整えざるをえない。そこで、誰かかが代表窓口となって映画祭関係はまとめて宿と折衝することとなる。何となく、私が非常災害対策本部の男子部本部長、女子部本部長はお馴染みおたべちゃんという雰囲気になってしまう。宿泊する人数は?宿泊せずに帰るが当面は宿に落ち着く人の部屋は?食事の数は?タクシーを呼ぶ人もいて相乗りの手配とか、そのあたりのドタバタ劇は「お馴染みおたべちゃん湯布院レポート」に詳しい。でも、電力会社を退職してから非常災害対策本部の真似事をするとはねえ。今回初参加で早くも有名人となった滋賀のOさん(「お馴染みおたべちゃん湯布院レポート」でも話題を賑わしてます)にも、「さすが東電はんですなあ」と言われるし、まあこれはこれで楽しい経験ではあった。しかし、非常災害対策本部長としては、「お馴染みおたべちゃん」女子部本部長と比べて徹底的に差をつけられた件がある。とにかく31日(月)の宿泊者を集約したのはいいが、とりあえず食事は明日朝食だけ頼み、それでいいですね!必要な人は後で伺います!と〆てしまった。女子部本部長は全員一泊二食付きで頼んだそうである。実は、私の読みとしては、急遽帰る人もいるだろうし、夕方になれば風雨も治まるだろうし、そうなったら湯布院の町に皆で繰り出しての大宴会もいいかなと、下心があったから、夕食は積極的に頼む気がしなかったのである。(結局、夕方も風雨は治まらず、温泉街は殆ど店も開かず、私の下心は水泡に帰して、本部長は非難に晒されるのだが、それは後の話)
 「牧場の家」の宿泊費一泊二食付きは、朝食のみの場合と千円しか変わらない。ところが、「第24回 湯布院映画祭 シンポジウム採録」の私の湯布院日記でも記したように、「鯉の洗いや鍋がつき、完全に宴会料理の趣」なのである。千円差で出せるしろものではない。(三千円相当の夕食とも聞いた)でも、夕食を摂るとパーティーで食べられなくなるので、参加者は一泊二食付きを申し込む人は皆無だ。私も、半分は残念だと思いつつ、初年度の経験から以後は朝食のみにしている。いわば参加者にとっては幻のプラス千円夕食だったのだそうだ。結局、男性陣はそう思っていた人も、合評会などに紛れて全員頼みそこなう。そう思ってる人がいたなら、私も夕食も頼みます!ってその時に言ってくれればいいのにと後で言ったら、滋賀のOさん「そら、周磨はんの勢いで、とりあえず朝食だけでいいですね!って言われたらそうなりますわな」って、やれやれである。非常災害対策本部長も一段落、いよいよ焼酎をチビチビやりながらの臨時有志新作特別試写合評会の開幕である。我々と同宿で閉じ込められたプロのフリーライター磯田勉さん(「映画評論家」と言われるのは好まないと後日聞いたのでこう記します。その顛末は後述する)も加わっての豪華版である。映画を語り合う時、普通は見てる作品が人によりバラつきがあるので、見てる人はネタバレを控えるし、見てない人はもう一つ乗れないしとなるのが難点だが、今回は全員映画祭上映作品は鑑賞済という共通項があるので、非常に楽しく有意義に盛り上がった。そのへんは「お馴染みおたべちゃん湯布院レポート」の方を御参照下さい。
 てなことをやってるうちに昼飯時になる。焼酎はパーティーの残りをしっかり調達してたので豊富だが、つまみが乏しくなってくる。食事類は全然ない。磯田さんと私で、川一つ越えたコンビニに買出し決死隊を組織する。ここで「お馴染みおたべちゃん湯布院レポート」に二、三突っ込み。合評会で「あたしは基本的に聞き役してた」って、ホントかな。「周磨要は(中略)独自の世界を構築しておるし」って冷やかし半分の御指摘の合間に、「周磨さんとIさんが買出し」って、そこだけ「さん」付けするなって、でもIさんの正体はプロライターの磯田勉さん、やっばりそこは大々的にその献身ぶりをイニシャルでなく紹介しようよってことで、ここで紹介する次第。
 話は突如、本日記の冒頭で紹介した10月31日(日)「蛙の会」公演のフィールドにワープする。何と!磯田勉さんが来てくれた!私ははしゃいで映画評論家の磯田勉さんです!と紹介しまくった。そこで「フリーライター」の呼称の方が好むと伺った次第である。この日、私がお願いし磯田さんには終電車近くまでつきあっていただく羽目になってしまった。そのあたりの話はまた色々あるが、ここでは湯布院のフィールドに関わる部分に止めて置きたい。
 実は、例年と異なり今年の私は「蛙の会」公演後にもう一山控えている。盛岡活動倶楽部発行の小冊子に寄稿していることは、「ピンク日記」の自己紹介欄に記しているが、その縁で11月20日(土)の盛岡・岩手教育会館大ホールの無声映画上映会で佐々木亜希子さんの前座で「血煙荒神山」を語ることになったのである。そのことを磯田さんに話したら、「いいですねえ、湯布院でもやりましょうよ」って。「じゃ磯田さん売り込んで下さいよ」と私。「いや、映画祭の実権のある人に売り込まなきゃ」と磯田さん。「でも、こんなことあったんですよ」と私。
 ということで、話はさらに別の場にワープ。10月27日(水)にスクリプター白鳥あかねさんの文化庁映画功労賞受賞のお祝いの会が、湯布院・しんゆり・十文字三映画祭合同主催で開かれ、そこで二ヶ月ぶりに湯布院実行委員の横田さんに会った。そこで、近づいた「蛙の会」と盛岡公演の話をした。横田さん冗談とも本当ともつかず「マツダ映画社って高いんですよね」って、売り込みの気なかったんだけど何だか先に牽制球を投げられちゃったみたい。でも、磯田さんも言うことだし、冗談半分・本気混じりに今後も売り込みをかけるかな。
 10月31日(日)の磯田さんとのフィールドに戻る。「お馴染みおたべちゃん湯布院レポート」の話題になる。「仕入れもままならなかったんだろうが、逆に心づくしのこんにゃく刺身などヘルシーな料理に身体も胸もいっぱいになって」の件りがあり、「あれ読んで、恨みがまたこみ上げてきました」って磯田さん。食い物の恨みは恐ろしい。「うむ、いつもの鯉の洗いがこんにゃくになったんでしょうね」って私。恨みを鎮めるのにも何の役にもなっていないって。
 ということで、場は湯布院の夜にカムバック。夕飯時になれど、私の予想に反して風雨は殆ど治まらず、食堂に向かう女性陣を恨めしく横目で見ながら、私と磯田さんは再び買い出し決死隊を組織する。ところが、天気が天気だからコンビニ弁当も買い占められた状態で数があまりなく、白飯パックやら出来合いの惣菜やらカップ麺まで補充して、何とか人数分の量を確保、男性陣は哀れな粗食の晩餐となった。唯一の救いは、補充のビールを加えても一人千円に満たなかったことで、女性陣より安くあがったことだ。(それ程に粗食だったというだけのことだが)
 一夜が明けた。さすがに台風は通り過ぎて日本海に抜けた。そのコースでよかった。関東横断のコースを取られたら、今度は羽田に着陸できないからまた欠航、もう一泊することになったはずである。いよいよお別れだ。本当に最後ですねと、何人かと朝食で温泉上がりの別れのビールを傾ける。近くのテーブルでは「ドキュメンタリーの意味合いはですね」とか、まだ映画談義が続いていいる。「昨日一日あれだけやってまだ、本当に好きですねえ」なんて言っているうちに、いつしか我々も熱を帯びての映画談義。本当に映画ファンって奴はどうしようもないもんだ。空港に電話を入れる。「あ、欠航分の時間変更ですね」と簡単に終わる。「あの、チケットはどこで受け取りましょう」「そのチケットでそのまま搭乗して下さい」であっさりとチョン。電話越しにキーボードを叩く音が聞こえてたが、確かにチケットはコンピュータが認識すればいいだけで、券面表示が30日だろうが31日だろうが、人の見た目とは関係ないことだ。便利だがその無機質性はちょっと無気味な感じもする。
 この「台風クラブ」体験は、後日勝手に私が我が家に引っ張り込んだ。今年は本当に台風の多い年で、10月9日(土)関東地方を直撃した。明日は自宅軟禁状態を覚悟して、前日におでんを大量に煮込む。おでんは私の好物だが、本当に便利な食べ物で火を入れて温め直せば、いつでも食べられる。煮込めば煮込むほど美味しくなるという結構なしろものである。煮込み終わった頃、娘が帰ってきた。やはり自宅軟禁に備えて具沢山の煮込みうどんの材料を大量に仕入れて来た。娘はじっくり煮込んだうどんが好きなのである。いいや、何でも作っとけ。とこれも娘が作る。翌日、予想どおりの進路で東京は大暴風雨、外には一歩も出られない。おでんとうどんを腹が空くと火を入れて食べ、食料には困らない。私は、湯布院台風クラブの条件反射で朝風呂に入りたくなる。上がったらビールが飲みたくなった。かくしてこの日は、気のおもむくままに風呂を追い炊きして入浴、おでんとうどんに火を入れ直しつまみにして酒を飲むということを繰り返し、娘にあきれられたのであった。

●ちょっと長めのエピローグ フィールドの神秘
 湯布院映画祭のフィールドを中心にして、それに関わる私の様々なフィールドについても書き連ねてきた。こうして書いてくると、湯布院というフィールドが存在しなければ、私にとって存在し得ぬフィールドが多くあることを再認識した。「皆月」をきっかけにした荒井晴彦さんとの縁、「映画芸術」への寄稿、編集部の104さんとの出会いからピンク映画関係者への取材、そしてエキストラ体験まで。13号倉庫さんを紹介してくれたのも104さんであった。これらのフィールドは湯布院のフィールドが無ければ、すべて存在しなかったのである。
 そして、この湯布院のフィールドとの最初の出会いは1999年、ほんの偶然に過ぎないものであった。この時の経過は「第24回湯布院映画祭 シンポジウム採録」に掲載された私の湯布院日記に記している。この日記も元々は、素晴らしい体験を記憶の彼方に消すのは勿体無く、個人的メモリーとしてまとめたもので、御礼の意味で実行委員会に送ったものだった。前に述べた「文字欲」はこの頃から存在してたということだ。
 ところが、2000年の映画祭開催の少し前に伊藤雄委員長から、「シンポジウム採録」を発行しますが使わせてもらっていいですか、と電話があり、私はどうぞ御自由に、と答えた。私は、採録の参考程度に活用するのかと思っていたら、超プライベートな部分は除いた全体の7割近くがそのまま掲載されていた。映画祭を通しての全体像の記録みたいなものが今まであまりなかったので、こうした形にさせてもらいました、とこの年に再会した委員長から聞いた。これが、私の「湯布院日記」の第一弾なのだが、勿論読んでない方が多いだろうから、少々長いがプロローグの部分をここに採録する。

 妻が逝ってしまった。1999年2月4日だった。前年9月、年の単位はもたぬと宣言されたので、覚悟はできていたはずが、男というものは本当にだらしない。葬儀・三十五日の法要・納骨と、忙しさにまぎれているうちはよかった。一息つくと、ボディーブローのようにジワジワ寂しさが効いて、いつまでも立ち直れない。高校生の一人娘との二人暮らしを、映画ファンらしく、笠智衆と原節子とは似つかぬガサツな親娘だが、とにかく小津ワールドのように生きていくんだなぁとあらぬ事を考えたとて、気が晴れるわけでもない。季節はいつか春を過ぎ夏を迎えた。
 前年の家族旅行。96年に乳癌の手術を受けた妻は、97年の年末に腰骨に転移が判明、以後の治療も思わしくなく、もう最後かもしれない夏の家族旅行だった。別府市内とくじゅう連山の観光旅行だった。
 途中、湯布院を通過した。映画祭のポスターも見かけた。これが話題の湯布院か。良いところだと思った。いつか、話題の湯布院映画祭にも参加してみたいと、その時ふと思った。そうだ、今年は湯布院映画祭に参加してみよう。そんな思いが浮かんだ。
 一年前のキネマ旬報を引っ張り出し、その時の連絡先を頼りに電話をかけた。案内書の送付・現地までの交通と事務局の方は丁寧に対応してくれた。
 そしてこれが、悲しみを深めるだけの傷心旅行しかできそうもなかったはずの、私の今年の夏休みに、かなりのリフレッシュをもたらしてくれた素晴らしい五泊六日のプロローグだった。

 これが湯布院と私の極めて偶然の出会いである。妻の死、その前年の最後の家族旅行が別府・くじゅう連山で湯布院を通過したこと、これが無ければ湯布院映画祭参加は思いもつかなかった。前項の我が家の台風クラブで娘しか現れず、なぜ妻の存在がないのかは、そういうことである。この初参加の湯布院日記のエピローグはこう締め括っている。

 眼下に九州が去っていく。夢のような五泊六日だった。来年、また来られるだけの時間はとれるかどうかはわからない。これも繰り返すことにより、夢から日常に下りてしまうのだろうか。いや、少なくとも来年は再会というテーマはあるだろう。その後は‥‥いやそんなことはどうでもいい。
 今は夢のようだった時間を噛みしめ続けていたい。

 妻の死が遠因となった湯布院来訪、とにかくブルーな夏休みしか過ごせまいと思っていた私に、チョッピリだけど生きる気力を与えてくれた。湯布院に来て本当に良かった。私は心の中で、胸いっぱいに叫んでいた。ありがとう映画!ありがとう湯布院!

 そして2004年、湯布院参加は連続6回目を重ねる。この項の冒頭に述べたように、このフィールドが無ければ、荒井さんとの縁・「映画芸術」・104さん・ピンク映画関係・そしてこの場の13号倉庫さん、すべてのフィールドは存在していない。現在の私の中で、かなりの比重を占めエネルギーを注いでるフィールドの数々だ。
 一人の人間のエネルギーの総体は、どんな状況下でも大きく変わるものではない。妻の死がなく、当然湯布院との出会い無き状況下で、私の向けるエネルギーはどんな形になっていたであろう。
 映画ファンであり続けたこと、これは変わらないだろう。月に何回か、夫婦50割引かなんかを利用して、妻と映画鑑賞を楽しんでいるような気はする。亡き妻は、私みたいな映画狂ではないが、婚約中のデートでも二人で映画を見に行くまあ普通並に映画を見る女の子であった。そう、その頃は私も「若者」で亡き妻も「女の子」だったんだ。
 いや、亡き妻も私の影響はあっただろうが、普通の女の子以上には映画を見たのかもしれない。結婚してからも「砂の器」や「八甲田山」、「エクソシスト」や「タワーリング・インフェルノ」などの話題作は一緒に行った。「男はつらいよ」は盆と正月に行く定番だった。娘が生まれ育児に追われて、私が一人で行くように変化したが、娘が小学校高学年位になると「私も寅さん見たい」と言って、3人で行くようになった。そして娘が単独行動をとり始める中学生位になると、「寅さん」への関心を失い、また留守番も一人でできる位にはなったので、再び夫婦二人の「寅さん」鑑賞となった。さらに47作の「拝啓車寅次郎様」の時、あまりの渥美清のパワーダウンに愛想をつかしたか、妻は「もう寅さん見たくないな」と言った。私は、ジャイアント馬場さんの16文キックが相手の腹までにしか足が上がらなくても応援し続けるように、寅さんと心中する気であった。結局、独身の映画ファンの時代にもどり、単独鑑賞に回帰した。だが、それは「寅次郎 紅の花」1本で終焉した。しかし、それから何年もしない内に妻が先立つのは想像の外であった。
 そういえば「学校の怪談」の試写状がなぜか当たることが多く、第2作あたりまでは父娘連れで出かけたのだが、第3作目あたりから友達のつきあいを優先して娘が行かなくなることが多く、そんな時は妻と二人で行った。やはり亡き妻は普通以上には映画に関心があったと思う。
 そんな亡き妻ではあるが、夫婦50割引の二人の姿はイメージできても、「湯布院観光」の項で紹介したK夫妻のように夫婦で湯布院映画祭参加のイメージはどうしても浮かばない。そこまで映画三昧に付き合うとは思えないし、まして私一人が五泊六日の単独湯布院行きを思い立つというのは、もっとイメージが浮かばない。
 何度か紹介している初参加にして名物男の滋賀のOさんは郵便局の代を息子に譲ったとかの身分になっての湯布院参加だそうで、八王子のTさんは冗談交じりに「妻子に見捨てられましたから」と言っていた。キネ旬友の会のMさんも、どこまで本当か知らないが、子供を育てあげたらお互い自由にやろうと夫婦で約束したのに、いざその時が来たら、夫は好き勝手にやってるくせに、妻の行動にはとやかく口を出すので別れて湯布院に来たとかである。
 人妻「お馴染みおたべちゃん」も、この年に一度の湯布院単独参加理解には御主人に対し、多分相当なエネルギーを使ってると思う。NTT西日本のEさんは、ここ何年かまでは岡山に単身赴任していたと聞いている。「愛してよ」のシンポジウムで、「この中で10歳の子供さんがいる人います?」との問い掛けに挙手していた。そういう家庭環境で、ずっと湯布院にフル参加されている。やはり、それなりの夫婦関係維持のエネルギーを費やして参加していると思う。映画友の会の友人で東京電力(現在は電気事業連合会に派遣され愛知万博電力館副館長という適材適所の理想的なボジションにいる)のSさんも、一度湯布院参加をしたが、夏の旅行の家族サービスとの掛け持ちで、実に慌しそうであった。夫婦という素晴らしいものを維持し続けるのは、それなりのエネルギーもいるのだ。それが人の道だ。「愛してよ」のバツイチのエゴに私が怒り心頭に発したのは、そんな私の偏見によるものだ。モテるタイプの人間は、あの女は俺の言いなりだよ、と男は勝手放題が出来るようなことを自慢気に言う。そんな一方的な奴隷的関係が、本当に快適なんだろうか。私には解らない。
 私は、家内がいれば、夫婦で私の映画狂に付き合わせるという気持は多分沸かなかったろうし、単独で湯布院に五泊六日に出かけるというイメージも浮かばない。でも、人のエネルギーの総体は変わらない。では、エネルギーはその他のどんなフィールドに向かっていただろう。何か、夫婦50割引の映画鑑賞に加えて、二人で歌舞伎観劇を深めていたような気はする。亡き妻は結婚前に日本舞踊をしていて、花川紫光という名取りだった。だから、子育てを終わった夫婦の定期的な熟年夫婦の歌舞伎観劇というフィールドのイメージは結びやすい。ピンク映画に絡まるフィールドは、絶対に存在しなかったろう。亡き妻は、銀行の支店長の娘だった。ノーパンシャブシャブのバブル以前の銀行員は、堅物の象徴だった。かくいう私の東京電力も、最近でこそ「東電OL殺人事件」や「原子力発電データ隠し」などでイメージ大暴落だが、少し前は堅い人間の代表だった。堅い同志の二人の間で「ピンク映画」なんて想像の外であるはずだ。日本舞踊などの古典芸能の延長から、私は活弁の勉強は始めていたような気がする。「お父さん、がんばって」なんて、激励してくれる家内の顔ははっきりイメージを結ぶ。とすると、「あっち亭こっち一座」との縁のフィールドは存在しているということだ。ただし、「あっち亭こっち一座」のコントの東京モンキーズ(バトルロイヤル風間さんとMISAKOさんのコンビ)の風間さんがプロレス者の縁で「映画芸術」の104さんと知人であるフィールドは、その場合には私に全く無縁、104さんとはアカの他人としてすれ違っているわけだ。フィールドの神秘性をしみじみと感じる。
 夫婦という素晴らしい関係、私にはそれを維持するエネルギーは今や無縁、映画三昧で自分のためだけにエネルギーを消費している毎日である。娘との関係維持のエネルギーはどうなの?という人もあろう。でも、娘は所詮別の人格だと思う。いずれ離れる者だし、血は繋がっているのは紛れもないのだから、関係維持にエネルギーを使うことはない、いや使い過ぎてはならぬものだと思う。ある時に娘に言った。「おまえはただの娘に過ぎないが、死んだおまえのお母さんは俺が一番愛した女だ」後日、「あんなひどい言い方はない」と逆襲されたのではあるが。娘が小学校高学年だった頃、私が手を滑らせて熱いお茶をパジャマの下半身に大量にこぼしたことがあった。こぼした場所が場所でしかも熱いお茶である。パッと私は下半身を脱ぎ捨てた。妻は冷たいタオルを持って飛んできた。娘は「キャー!」といって逃げ去った。当然であろう。夫婦とは、本当に奇妙なものだ。親子だろうが兄弟姉妹だろうが、異性ならば一定の年齢になれば、裸を平気で晒すことはない。死ぬまで、平気で裸を晒しあえるのは、アカの他人に過ぎないのに夫婦だけなのである。
 後1年の命は無いと思います。こんなことを言われて、狂おしいほど胸を痛める。多分、親であっても兄弟であってもこれ程ではない。アカの他人に過ぎないのにどうしてだろう。そこには、お互いに快適であろうという関係を維持しあったエネルギーの累積があるからだろう。今、私にはそんな夫婦のフィールド維持のためのエネルギーはもはや不要である。シングル生活を満喫し、エネルギーは映画三昧の自分のフィールドだけに使えば良い。その帰結がこの湯布院日記でもあるのだ。寂しいとも思うがこれでいいとも思う。俗世間的には「再婚は?」なんて問い掛けがある。でも、自分の好きな映画三昧にすべてエネルギーを注ぐシングル生活に慣れてしまった。もう一度、異性と新たな快適な関係を築き直す程のエネルギーは出ないような気もする。第一その気があっても、俺は男の色気が皆無だ。(いや、皆無じゃない。亡き妻は俺の男の色気は理解してくれたって、こんなところでノロけてもしょうがないが)
 とにもかくにも、亡き妻が生きていたとのありえなかったフィールドを冷静に妄想できるということは、来年7回忌を迎え、私が寂しさを克服した精神の安定を示すものだろう。でも、もう一つのありえなかったフィールドへの夢想は所詮遊びに過ぎない。映画三昧の自分のフィールドだけにエネルギーを使う世界を良しとして、楽しんでいくしかない。
 長らく私の湯布院を中心にして時空を飛翔した勝手気ままなフィールドの自分探しの旅におつきあい頂いた方々、本当にありがとうございました。湯布院映画祭参加6年目の日記。やっぱり初参加の1999年の日記と同じ言葉で締めさせていただきます。

ありがとう映画!ありがとう湯布院!
●ぼくら新聞舎より
 2004年の「周磨要の湯布院日記」も、無事完結いたしました。ご愛読の皆様、周磨さん、お疲れ様でした。尚、「周磨要のピンク日記」は引き続き掲載中です。そちらの方もご覧戴きますよう、宜しくお願いします。(2004.11.13)
湯布院日記2004−ささやかな余韻

 湯布院日記は完結したが、落穂拾いを一つだけご報告。竹中直人作品「さよならCOLOR」である。竹中と原田知世が、高校の同窓生を演じている。実際は10歳程度の年齢の開きがある。当然、不自然を指摘する声がシンポジウムでも出た。でも、ある参加者が言った。「現実に高校の同窓会で、禿ちゃって見る影もない男と、昔と変わらない綺麗な女の人と、この程度の外見の差って実際にありますよ」「でも、映画なら事実とは別に説得性がなければ」本当と本当らしさの違い、映画的リアリティとは何か?なかなか興味深いところである。

 もう一つ、私の「湯布院日記」に掲示板で「お馴染みおたべちゃん」から、私の「樹の海」絶賛に対して以下のように突っ込みが入ってしまいました。
 要ちゃんが「一押し」の映画にもかかわらず、出演者の名前を間違えてるみたいなんで、釘刺しといてください(笑)樹の海で、萩原聖人と「喋ってた」のは田村泰二郎です。田中ようじは池内博之のエピソードで出てた、サラ金会社(?)の上司です。

 ウーム、実は田村泰二郎・田中ようじ、失礼ながら共に私には顔と名前が一致する程の認識ない役者さんだったんです。じゃ何で名前を挙げたのって言われちゃいますね。文脈の中でいちいち「リストラサラリーマンらしき中年男」なんて長々と記述するよりは、演者の名前なら簡単だと安易に思ってやっただけ。やっぱり、こういういい加減な精神はいけません。反省、反省。

 おかげさまで湯布院日記の反響、「おたべはうす」の映画掲示板まで賑わしてくれておりまして嬉しき限り。毎年、アングルを変えてみてるんですが、それは中年親父の精神的ストリップをエスカレートするしかないみたいで、今年に至ってはスッポンポンでもう脱ぐものがない感じ。さて、来年はどうなりますことやら。
●ぼくら新聞舎より
 この項は「周磨要のピンク日記」最新原稿の冒頭部分でしたが、ぼくら新聞舎の判断で「周磨要の湯布院日記2004」に掲載いたしました。尚、ピンク日記最新更新も同時におこなっています。そちらの方も宜しくお願いします。(2004.11.28)


   周磨要の「湯布院日記2002」     周磨要の「湯布院日記2003」      おたべちゃんの湯布院レポート

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