周磨 要の 「湯布院日記2005」
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湯布院日記2005ー1

●はじめに−今年は軽やかに
 恒例の湯布院日記の幕開けである。ただ、今年は昨年以前に比べてあまりヘビーな内容にならないような気がする。長さも短くなるような気がする。(書き始めたら、結局案外長くなったりするかもしれないが)
 1999年のシンポジウム採録に掲載された日記で、「繰り返すことにより、夢から日常に下りてしまうのだろうか」と書いた。2005年の参加7回目を迎え、そうなってしまったようだ。出発前の、これから祭りが始まるというワクワク感も希薄で、閉会した後の祭りの終わりの何ともいえぬ寂しさもあまりなかった。言ってみれば、月1回の「映画友の会」で馴染みの人に再会して、語り合い酒を酌み交わし次回の再会を約して別れるという感覚と類似になってしまった。「湯布院映画祭」は月1でなく年1回という違いはあるが、感覚的には大同小異となってしまったようだ。(決してつまらなくなったということではない。為念)
 今年は、9月24日(土)の「蛙の会」公演を間近に控え、11日(日)はリハーサル、17(土)は「映画友の会」と、早くも9月の週末の殆どに予定が入っており、その慌しさから映画祭の終わりの余韻に浸る暇もなかったということもいえるのかもしれない。ということで、今年の湯布院映画祭日記は、これまでとややトーンが異なってくるかもしれないが、まずは開幕としよう。

●今年の湯布院映画祭のスケジュール
 まずは今年の映画祭の全体像を紹介しておこう。

 テーマ 笑う湯布院映画祭
8月24日(水) 前夜祭
         ゆふいん子ども神楽
         お楽しみ抽選会
         「牛乳屋フランキー」

8月25日(木)「花と嵐とギャング」「吹けば飛ぶよな男だが」「ニワトリはハダシだ」
         トーク 森崎東監督
         特別試写「転がれ!たま子」
         シンポジウム 監督・新藤風 主演・山田麻衣子
8月26日(金) 「みんなあげちゃう」「殺人狂時代」「狂った野獣」
         特別上映「仕上人」
         30年特別企画 プロデューサーシンポ
            佐々木史朗 新藤次郎 李鳳宇 森重晃 椎井友紀子  司会・寺脇研
         特別試写「スクラッブ・ヘブン」
         シンポジウム 監督・李相日 出演・加瀬亮 柄本明
         プロデューサー・久保田傑
8月27日(土) 「ひばり・チエミの弥次喜多道中」「カモとねぎ」「プーサン」
         日本映画職人講座 スクリプター 白鳥あかね
         特別試写「やわらかい生活」
         シンポジウム 監督・廣木隆一 脚本・荒井晴彦 出演・田口トモロヲ
プロデューサー・永田芳弘
8月28日(日) 特別試写「ヨコハマメモリー」
         シンポジウム 監督・中村高寛 プロデューサー、編集・白尾一博
         特別試写「ルート225」
         シンポジウム 監督・中村義法 プロデューサー・佐藤美由紀 脚本・林民夫
                撮影・小松高志
         特別試写「寝ずの番」
         シンポジウム 監督・マキノ雅彦 出演・富司純子 真由子
                プロデューサー・鈴木光

●まずは今年の総括
 今年の特別試写は私にとっては粒ぞろいだった。ザックリと私の好みでABCにランク付けすると、例年は1本程度はCクラスに出くわすのだが、今年はそれがなかった。ベストテン級のAクラスは「やわらかい生活」「寝ずの番」の2本を数えた。
 ベストムービーは、意外だが「やわらかい生活」だった。監督・廣木隆一、脚本・荒井晴彦、主演・寺島しのぶという「ヴァイブレータ」のトリオ。私の感覚とは、最も合いそうもない顔ぶれだ。私が感覚的に「ヴァイブレータ」が駄目だったのは2003年湯布院日記に記したとおりだが、この才人トリオ、まさか前作と同工異曲なものを、続けて創るわけがない。(「緋牡丹博徒」創ってるわけじゃないんだから)ということは「ヴァイブレータ」とは全く違う映画であろうということだ。すなわち「ヴァイブレータ」が駄目だった私にとっては、大傑作も期待できるともいうことだ。妙な期待の仕方だが、上映前日のパーティーで荒井晴彦さんに「期待してます」と率直にその旨を告げた。「あんたの喜ぶ映画じゃないよ。また、病気の三十過ぎの女の話だよ」と、例によっての素っ気無い対応である。(でもニコニコとややシニカルな笑みを浮かべ、悪印象がないのも例年どあり)
 そういう見られ方は、私への誤解である。私は「狂気」の映画には感動するが、「病気」の映画には不快になる。表面的に「病気」を描いていても、その底に人間の「狂気」が垣間見えた時、私は打ちのめされる。「病気」とは、それによりかかってウジウジするものではなく、心の力で克服していくものだ。しかし「狂気」というのは己ではどうにもならない。そして、人はすべて心の底にどうにもならないそうした地を抱えている。その深淵が示された時、私は打ちのめされる。ただ、何を持って「狂気」とし、何を持って「病気」と断じるかは、私の感性のレベルだから他人には不可解だろう。具体例を一つ挙げれば、ミヒャエル・ハネケの「ピアニスト」の「狂気」には打ちのめされたが、パトリス・シェローの「インティマシー 親密」は「病気」にしか見えず不快の限りだった。分かる人には分かるし、分からない人には分からないだろう。(私の独断と偏見だから、分かる人は一人もいないかも)
 「病気の三十過ぎの女」の向こうに、私を打ちのめす狂気を期待します、と私は荒井晴彦さんに告げた。荒井さんの返事は想像できた。「お前に狂気なんてないだろう」と切り返されると思った。しかし、荒井さんの言葉は、はるかに私の想定を超えていた。「俺には狂気なんてないよ」私は「?」となった。山田洋次の言葉じゃない、荒井晴彦である。作家・荒井晴彦の内面へ無限に想像が広がる言葉だ。荒井さんの一言というのは含蓄が深く、寸鉄心を刺す時がある。別項の森崎東監督トークショーに絡めて、さらにそのあたりを紹介したい。
 いずれにしても、今年の湯布院日記は「やわらかい生活」の項をピークとして、進めていきたいと思っている。
湯布院日記2005ー2

●湯布院への道
 最初に述べたように、湯布院映画祭が「繰り返すことにより、夢から日常に下りてしま」ったのは、前日から顕著だった。かつては、祭りへの期待に体力・気力を蓄え、ワクワクして眠りについたのだが、今年は日常の延長のまま雪崩れ込んだ。
 昨年同様に、前日23日(火)は、阿佐ヶ谷映画村ゆかりの面々が今も寄り合い場にしているスナックCでの例会であった。その一方で「蛙の会」公演のチラシとチケットの印刷が上がり、会長(マツダ映画社専務)から受領する日でもあった。
 今年の8月28日(日)は、体が三つ欲しい日だった。最終的に湯布院映画祭参加を選んだのだが、この日は「蛙の会」の例会であった。公演を間近に控えた大事な時期の例会で、全員で演じる「特別演し物」の仕上げ、チラシとチケットを受け取っての公演への準備と色々ある日だ。過去にもよくバッティングしたが、今年も平身低頭して欠席させていただいた。同じ日に神奈川県足柄では「全国紙芝居祭り」が開催される。許せばここにも私はエントリーしたかったところだ。
 会長は私の湯布院行きに合わせて、チラシ・チケットを印刷してくれた。そして、会長の仕事先の千葉からの帰路、夜に渋谷で受け渡しをすることにした。恐縮の限りである。ただ、車の移動なので渋滞状況から時間は確定できない。携帯で連絡をとりあって落ち合うことにした。ならば、阿佐ヶ谷のスナックで飲みながら電話を待つことにするか。こうして、映画祭前日であるのにも関わらず、今年も阿佐ヶ谷の会に参加した。
 電話を受け渋谷に向かい、チラシ・チケットを受領したのが午後8時過ぎ。素直にそのまま帰宅すればいいものを、阿佐ヶ谷でチケットを買ってくれる人の当てもあり、再びスナックCにとってかえす。もどったら意外な人がいた。映画ライターの渡純さんである。渡さんも阿佐ヶ谷画村の参加者だったが、ここのところ殆ど顔を見せていなかった。大いに盛り上がっているところに、さらにこれも珍しい現代映像研究会の松島政一会長も姿を見せた。それにしても淀川長治さんの「映画友の会」も色々な人材を輩出したものだが、負けず劣らず白井佳夫さんの「阿佐ヶ谷映画村」も人材の宝庫だったことを改めて感じる。こんな貴重なメンバーが加わっては中座はできない。とうとう終電車まで飲み続け、帰宅は午前様となった。大変な前々夜祭になってしまったわけだ。(「蛙の会」公演チケットは湯布院でも何枚か買っていただき、チラシも伊藤雄委員長の御好意で会場に置かせていただき、当初用意した30枚が底を尽き、さらに追加々々で近くのファミリーマートで30枚コピーし、それも殆ど持ち帰っていただいた。チケットを買っていただいた方、伊藤委員長、チラシを持っていただいた方、ありがとうございました。専務、私に合わせて印刷を急いでいただいた効果は出ました。感謝します)
 前日の午前様帰宅のため、酒気の残る頭を抱えながら24日(水)はやや早めに起床し、湯布院行きの荷造りを開始する。その合間に「映画三昧日記」の私の掲示板を開けたら「お馴染みおたべちゃん」から
「毎度。ご無沙汰っす。今頃、準備でそれどころじゃないかもしれんが。。。今年も、九州の地でお世話になりやす、つ〜ことで、とりあえずご挨拶に♪あたしゃ、今年は故あって金曜夕刻から顔出しますが、あたしがきてないからって泣かないように(爆)では、週末にお会いしますm(__)m」とメールが入ってた。「そのとおり、忙しいんだよ。泣いたりなんてしねえよ」と心の中でブツブツいいながら荷造りを続ける。
 かくして、こんなフラフラの状態で羽田空港に向かった。今年の映画祭のパーティー後の宿での懇親は例年以上の盛況で、連日午前4時近くの就寝、我ながらよく生きて帰れたと思う。まあ、私なりの体力温存法も若干功を奏したのだが、それは次項以降に譲りたい。

●前夜祭
 とにかく湯布院に着いた。昨年に続いて今年も台風に悩まされた。九州は心配なかったが、週間天気予報で関東は危なかった。飛行機が飛ばなければどうにもならぬと心配したが、何とか24日(水)はクリアされ、ホッと一息である。ただ、台風による前線の影響か、福岡空港発の高速バスが湯布院に近づくにつれ雨が激しくなり、湯布院駅前に着いた頃は小止みになったが地面はビショビショで、恒例の駅前広場の野外上映は中止となり、残念ながら場所を中央公民館に移しての開催となった。
 野外上映会の中止は寂しいが、湯布院も今年で7回目となると、たまには公民館での一味ちがった雰囲気も悪くはないなと、気分的に余裕が出る。特に「ゆふいん子ども神楽」は屋外だと楽曲なども含めて発散気味になりがちだが、本日は屋内会場の強み、伴奏も引き立ち、子ども達の懸命な激しいアクションへの拍手は、一際大きく感じられ、これはこれで良かったのではないか。
 残念なのは、焼き鳥・いか焼き・枝豆などの模擬店は中止で、星空の下でビールを傾けながらの前夜祭鑑賞ができなかったことである。
 神楽のあとは今年初めての試みの抽選会、賞品のメインは映画祭の鑑賞券。これは非常に効果的だと思う。昨年の日記でも記したが、地元の人は映画関係者が中心のお祭りだと思っている節がある。こうした場で地元の人に鑑賞券を配布して、気軽に参加できる場というイメージ付けをするのは良いことだ。招待券をきっかけに参加した地元の人から、気軽に加われる雰囲気がさらに広がっていくことが期待できるからだ。前夜祭というのは、最も地元の人が集まる場のようでもあるし、その意味では雨で屋内開催になってしまったことで人の集まりが例年より少なく見えたのは残念だった。
 今年の映画祭の私の着るものは、去年に続きまたちょっと遊び心を出した。連日、映画ゆかりのTシャツで通すことにしたのである。この話題は別項とするが、毎年の私の恒例行事のレンタサイクルによるサイクリングの日には、映画祭Tシャツ(2005年バージョン)を着ていった。これが、案外PR効果があった。ミュージアムや食事処などの場で地元の人に「映画祭関係者ですか?」と声をかけられるのである。私の印象だけかもしれないが、どうも地元の人は映画祭とは関係者が集まって開催してるものと思っている節があり、一般からオープン参加できるものという印象が希薄のようだ。この際なので、私は一参加者に過ぎぬこと、誰でも楽しく参加できることをPRに務めた。
 「牛乳屋フランキー」上映にて前夜祭終了。乙丸地区公民館での懇親会に雪崩れ込む。大いに盛り上がる中で、前項に記した如く、伊藤委員長に「蛙の会」公演のチラシを会場ロビーに置かせていただくことの了解をいただき、首都圏から来た人にはチケット販売の営業活動を行う。おかげさまで何枚かは捌けました。ありがとうございます。
 かねてから紙芝居に興味があると伺っていた寺脇研さんにも声をかける。残念ながら都合がつかないが、同じく興味を持っている佐伯さんという方が行くと思うとのことだった。佐伯さんとは寺脇さんに紹介されて以前名刺交換したのだが、ちょっと私には記憶が希薄である。帰宅後に名刺を確認したら「文化庁 芸術文化調査官 佐伯知紀」とあった。実に相応しい方に御来場いただけることになり、嬉しき限りである。
 宿に戻る。メール情報を入れてくれた「お馴染みおたべちゃん」を始めとして、今回は常連の立ち上がりが遅いようだ。宿が活況を呈するのは二日目以降で、今日の私の部屋は、私と大分市役所のOさんとの二人きりである。焼酎を傾け話し込んでたら午前2時も過ぎ、横になりますかとなったが、横になってからも話は尽きず4時を越えてしまったろうか。これが映画祭終盤ならば疲れきっていて横になっていくらもたたずにどちらかが眠りにおちてお開きとなるのだが、何せ体力温存されている前夜祭の夜。思わぬ長丁場となってしまった。私は阿佐ヶ谷の前々夜祭もどきの引き摺りもあり、早くも体力の限界に到達してしまった。

●今年の私の湯布院観光
 映画祭第1日、前夜までの疲労蓄積にも関わらず、朝風呂で温泉に浸かるとシャキッとして朝酒のビール1本を空けてしまうのだから、本当に温泉とはいいものだ。
 いよいよ映画祭の開幕だが、初日の旧作3本「花と嵐とギャング」「吹けば飛ぶよな男だが」「ニワトリはハダシだ」をいずれも私は見ている。私は、この日の森崎東監督トークショー開始の15時45分までを、今年の湯布院観光時間と決めていた。
 レンタサイクルを借りてサイクリング開始。天気は曇りがちだが、炎天下よりはこの位の方が快適である。お目当ての最初は、昨年に実行委員の横田茂美さんに薦められた末田美術館、車が入れそうもなく舗装もされていない細い道を上がった所にあり、漫然とサイクリングをしていたら見逃してしまう存在だろう。前衛美術の美術館で、横田さんも言っていたが建物が凝った創りで、庭も展示場となっているユニークな佇まい。隠れた穴場といえよう。パーティーで横田さんに教えてくれたことの御礼をいったら、「観光もいいけど映画も観てくださいよ」と突っ込まれたので、「私の見てない映画を並べてください」と切返したら、「いや、今回のプログラムはタッチしてないので…」とかモゴモゴ逃げられてしまった。
 末田美術館を出た後、緑が美しい湯布院の盆地の中を無目的に自転車を転がしていく。ふと工芸館が目にとまった。屋久杉の廃材を中心にした浮かし彫りの工芸品の展示場で、1階は奥さんが2階はご主人が丁寧に作品の説明をして、最後はお茶をご馳走してくれるアットホームな雰囲気だった。
 時刻は昼食時、まずは宿に帰って一風呂浴びてから、だんご汁定食でビールを傾ける。ホロ酔い状態で宿にもどりグッスリ3時頃まで昼寝。これがあるから体力が何とか持つ。こうして気分一新し15時45分からの森崎東監督トークショの会場に向かったのであった。
 ただ、今年はサイクリングの方も旅先でのワクワク感は消えていた。7年目となると勝手知ったる湯布院の町、ミュージアム巡りをしていても遠く九州の地という実感もなく、何か自宅近くの武蔵野の遊歩道や名所巡りの延長のような気分であった。ここでも湯布院の地は日常に降りてきてしまったようだ。
 2日目は「殺人狂時代」「狂った野獣」をすでに見ているので、幕明けの「みんなあげちゃう」を見た後、プロデューサーシンポ開始までの11時30分〜15時15分が空き時間。宿に戻って一風呂、博多ラーメンと餃子でビール、再び宿にもどっての一寝入りとノンビリ過ごした。連日の就寝午前4時のハードスケジュールの体力温存法はこれである。もっとも、3日目の旧作3本は「ひばり・チエミの弥次喜多道中」「プーサン」はビデオ鑑賞のみなので是非スクリーンで再見したく、「カモとねぎ」は未見、4日目はすべて新作試写なので、後半はこの種の休息はいっさいなし、後半戦は疲労困憊だった。しかも翌日は帰京してすぐ夜に無声映画鑑賞会、よくもまあ今でも生きているものだと思う。
 ただ、それにも関わらず3日目、4日目の夕食時にはドリンク付ピザセットでビールジョッキを傾けていたんだから懲りないものだ。(場所は初年度に伊藤委員長から若者に人気のあると言われたレストランのM、こんなメニューがあるのならもっと早く知るべきだった)

●森崎東監督トークショー
 前夜祭の後の宿での懇親で、森崎東と山田洋次の比較を巡り、昨年初参加でシンポジウム会場を席巻し、「お馴染みおたべちゃん」の昨年の湯布院レポートの「滋賀から来たOと申します!」で著名なOさんと激論になった。Oさんは自分の認めない映画を認める者を叩き潰そうという感じ(というのは言い過ぎで、自分の良くないと思うものを他人はどう良くみているのかを知りたいという真摯な心情からなのだろうが)があり、いきおい激論にならざるをえない。Oさんは森崎支持派で、山田洋次は庶民を高みから見ている、説教臭い、と手厳しい。私はだからこそ、山田洋次が素晴らしいと思っている。何だかんだいっても山田洋次は東大出のエリートである。下層の庶民なんかでは断じてない。高みに立つのも、説教臭さが出てしまってもそれは正直な心情だ。京大出で映画監督という知的階層にありながら、下層庶民と一体のつもりになっている森崎東の距離感のない無自覚の方がよっぽど問題だ、というのが私の意見だ。Oさんは「周磨はん、あなた、森崎監督の前で、それハッキリ言わにゃあきまへん」と言う。Oさんの関西弁は、私のきつい口調の下町言葉より得だなあといつも思う。かなりきついことを言っても関西弁がクッションになって柔らか味が出るのだ。私は「不快と思うことは発言する気はない。間違えば喧嘩にもなりかねない」と答えたが、「それでも言うべきや」とOさんも主張する。シンポジウムのあり方を巡っては、最終日の10名近くの最後の宿のお別れ懇親でも論議になるのだが、今思い返せばここはそれの前哨だったようだ。シンポジウムのあり方の論議の詳細については項を改める。最後は「監督は下層庶民ではないのにも関わらず、下層庶民との心情的な距離感がないように私には見えるのですが何故ですか?と質問する程度でしょうね」答えて手を打った。結果的に私は発言しなかった。トークショーの中で原発ジプシーのことに触れ、森崎監督が、何度も「電力会社は何もしない」と悪し様に繰り返すのを聞いて、これは何を言っても駄目だと思った。エネルギー問題に、構造的な問題があるのは確かだ。(いや、エネルギー問題に限らずこれは日本の産業構造の問題なのだが)しかし理想的な形ではないにせよ、「公益」を出しているのは事実なのである。そして、その「公益」の恩恵を受けているのは社会の上層なのだ。(知的階層の映画監督なんてのはそちらに属する)そんな自分を棚に上げて「公益」の恩恵が薄い下層庶民に心情ベッタリになっていれば済む問題ではない。この距離感覚についての無自覚は度し難い。何を言っても無駄であると感じた。もっとも、その位の思い込みがあるから、森崎映画の何本かは素晴らしいパワーのイメージを構築できるのだろう。芸術家とはそんなものでもあろう。(余談だが以前にも、黒澤明が原子力発電を批判している言葉の中から、電力と電力量の区別という中学生レベルの知識が欠如しているのを知り、唖然としたことがあった)その夜のパーティーで、荒井晴彦さんから的確な言葉を聞いた。「森崎が駄目なのは、部落民とか在日とか原発ジプシーとか、下層の人間を疑いもなく全員いい奴にしちゃうことだよ。下層の人間だって悪い奴はいるし、インテリのエリートにだっていい奴はいるんだよ」そのとおりだと思う。全く同感で森崎映画の核心を突いている。
 2000年に荒井さんと初めて会った時のパーティーで、私が森崎東について話したら、「あいつ、偽善者だから」と手厳しかった。次に山田洋次との比較論で話を続けたら「うん、あいつは森崎より少しマシな偽善者だ」とそちらもバッサリきた。パーティーの私的発言で酒席の勢いの放言ということだが、その意味するところが今回お話してより明確になった。荒井さんの一言というのは、実に含蓄が深い。

●閑話休題 言いたい放題「お馴染みおたべちゃん」
 「お馴染みおたべちゃん」の湯布院レポートを拝見した。早くも最終日までレポートを完了しており、相変わらずのフットワークの速さに感嘆している。私に関する記述もあって例によっての言いたい放題である。以下に引用する。

 周磨要は今年も、彼が所属する話術研究会「蛙の会」の売込みにコレ勤めている。映画チラシがいっぱい置いてある机の上にまで、何気にミニコミが置いてあった。澤登翠さんのサイン入りTシャツだの、「不器用ですから」とプリントしたTシャツだの、親父はオヤジ風のコダワリルックがある。そ〜ゆのを来てニコニコしてる要ちゃん(何で急に「要ちゃん」になっちゃうの。周磨・注)は愛すべき親父でしかない。今年も相変わらず最高潮で、ま、彼に関してはやがて上がってくるはずの湯布院日記を乞うご期待ということでとどめておく。しっかし、夜パーティ跳ねて以降のお部屋の絶好調ぶりは、既に歯止めがきかなくなっている。もはや、誰にも彼を止められん。あとは更に強力な親父のデビューを待つ他にないが、要ちゃん以上の強力な親父なんか出てきたら、多分、二人か三人は死人が出るのではないかと、それを恐れるばかりだったりする。

 「強力な親父のデビュー」って、「滋賀から来たOと申します!」って人を忘れちゃったのかなあ。今年のレポートでは全然登場してこない。でも、よく考えたら今年はおたべちゃんとのコンタクトは少なかったかもしれない。
 常宿の「牧場の家」に、今年はOさんは2泊しかいなかった。部屋割表を見て3日目から名前がないので、「途中でお帰りですか?」って聞いたら、「いや近くの別の宿に泊まります。ずっとここでは持ちまへんわ」と言われた。なるほど「牧場の家」だとみんないっしょなので、毎晩ズルズル遅くなるということも多いが、寝る場所を他にゲットしておけば都合に応じて引き揚げてしまえるわけだ。これがOさんの体力温存法なのだろう。人それぞれ色々考えているものだ。てな話題につなげたいために「おたべちゃんの湯布院レポート」を引き合いに出しました。「何でまたあたしに振るのよ」と言わないで下さい。この項を最後に振ることはありません。

●特別試写「転がれ!たま子」
 最初に私のシンポジウムの発言の要旨を紹介します。「イメージがどんどん奔放にぶっ飛んでエスカレートしていく、こういう映画、私好きです。鉄かぶとをかぶってないと安心できない女の子。甘食にこだわり、町の外にはなぜか出られない。そんなヘンな女の子。父親とスプレーで渦巻きを書いて大はしゃぎしてると思ったら、ボーイフレンドは突然年の大きく離れた母親とラブラブになる。ハートが宙にフワフワ舞う、というアレヨアレヨのイメージの発散は楽しい限りです。
 ただ、こういうのってむずかしい。イメージのエスカレートの欲求は、もっともっとと拡大し、収束がつかなくなってくるからです。けれども、この映画はイメージを発散させつつ、後半は見事な収束にも向かったと思います。甘食を食べたいたま子が、色々な多様なお菓子を食べて、やっぱり素朴な甘食でなくては駄目だと言う時、すべてに豊かで飽食の時代にあって、素朴なものこそベストであるということです。そして、たま子は努力して甘食が作れるようになり、何かがチョッピリ前進する。それだけのことですが、若者の白けとか先行き不透明とか言われている21世紀に、シンプルなものの大切さを表現したという、こういう映画、今あってもいいと思います」

 私の意見を好評の一つと受け止めてくれて、新藤風監督とお父さんの新藤次郎プロデューサーは喜んでくれたようだ。ただ、パーティー後の懇親の場である人から「ずいぶん、皮肉っぽい言い方しましたね」と言われて、「あっ、分かったか」と思った。シンポジウムのあり方についての懇親の場での参加者の議論についてはこの後の項に詳述するが、私のスタンスは基本的に貶さないということだ。どんな映画でも良いところをみつけて誉める、不快な映画の場合は沈黙を守る、ということである。だから「今あって<も>いい」という言い方は、決して絶賛しているわけではない。もっと誉めようと思ったら「今あった<方が>いい」であり、「今こそあるべきだ」となるわけである。「今あって<も>いい」というのは小品の佳作程度ということなのだ。私の特別試写ベストムービー「やわらかい生活」は、構造的には「転がれ!たま子」と同類とおもうのだが(「いっしょにするなよ」と荒井晴彦さんに言われそうだけれど)深みといい感銘度といい抜群に桁がちがう。詳細は「やわらかい生活」の項に譲るが、「小品の佳作」というのが私の「転がれ!たま子」の総括である。

 以下、シンポジウムやパーティーでの「転がれ!たま子」の話題をランダムに。

◆甘食って古いお菓子で、今はあまり見ない。(でも、シンポジウム会場の若い人も意外と知っていた)あえてそれにしたのは何故?でも、甘食って感じは映画のムードにピッタリする。実際の甘食を撮影に使ったら小さすぎて画面映えがしないので、一回り大きいものを特別に焼いたそうな。
◆たま子の鉄かぶとのデザインには苦労したそうだ。まちがえるとオウムみたいな不気味な感じになってしまう。結果的にはネオン、ピカピカ、カラフルで愛らしいものになっていた。
◆たま子が鉄かぶとを取った姿を初めて観客に見せるのは、甘食を焼く修行のピークの時にすべきだったのではないか、その前に自分の部屋で取った姿を見せてしまうのは効果半減だ、との意見があった。このことに対して新藤風監督は、自分の部屋の中が唯一の寛げる場所と表現するために、部屋では取るようにしたとのこと、また、鉄かぶとをかぶったままベッドに寝転がるのは物理的に難しかったこともあると、チョッピリ裏話も出た。たま子の山田麻衣子さんは、結構首に負担がかかったと言っていた。
◆祖父・新藤兼人、父・新藤次郎・娘・新藤風の三代の映画一家、「お祖父さんには何て言われましたか?」との質問も出る。「何にも言うこと聞かないな、って言われました」と苦笑いする風さん。ちなみに風(かぜ)というのは本名とのこと。もっとも、仲間うちでは、スクリプターの白鳥あかねさんをはじめとして、もっぱら風(ふう)ちゃんと呼ばれていた。
◆新藤次郎プロデューサーから「転がれ!たま子」の売り方について問い掛けがあった。「題名は何だかピンとこない。変えた方がいいのではないか」「パンフレットのスチールのたま子の仏頂面は使わない方がいい」などの意見があった。
◆パーティーで目の前に主演の山田麻衣子さんがいる。思わず役名で「たま子さん」と呼んでしまう。「失礼しました」「いえ、たま子でいいです」とニッコリ。映画でのポッチャリした感じに比べて意外とスリムである。衣装については、甘食すべてでファッションには無頓着だけど、何となくチャーミングなものということで、既製服を重ね着したりしたとのこと。「そのせいの着肥りかもしれませんね」とのことだった。
◆初日のパーティーの後の懇親で、たま子に男との関係がいっさい無いことが話題になった。ハイティーンだから性的なものまではともかく、淡い恋くらいは普通ならある。パン屋の見習いの若者との間にも、その手のムードは全くない。
◆新藤風監督は、翌日も残っていたので二日目のパーティーで私はそのことを聞いてみた。ついでに「性こそ人の原点とする新藤兼人監督が、<いうことを聞かない>って言ったのはそのあたりですか」とも付け加えた。「そういうことはなく、言われたのは映像表現の基礎的な部分です」とのことだった。性も愛も出てこないのは、過去の新藤風監督作品はそういうものが多かったので今回はあえてそれを避けたとのことと、しんどうぎんこ脚本(監督の叔母だそうである)がそういうものであったので忠実に映画化した、とのことであった。「そうすると、たま子はこどもでもいいということになりますが、やっぱりあの年代にした方がしっくりくるとは思います」とも言っていた。

 かくして、私の日記は、これでほぼ1日目の話題まではクリアした。「蛙の会」の公演も近いし、なかなか進まないかもしれませんが、ジックリやりますので気長にお待ち下さい。
湯布院日記2005ー3

●旧作の傑作2本「殺人狂時代」「狂った野獣」
 湯布院観光の項で述べたが、すでに見ている「殺人狂時代」「狂った野獣」の上映時間は、私は体力温存の休憩時間に当てた。しかし、2本とも映画史に隠れた大傑作であり、それがなければ再見したいだけのある価値ある作品でもあった。
 「殺人狂時代」は、60年代後半当時の東宝首脳部の逆鱗に触れてオクラになり、やっと1週間だけロクに宣伝もされないで公開され、東宝始まって以来の不入りと言われた不遇な作品である。しかし、リアルタイムで見た私は、そのユニークさに仰天した。
 今でこそ仲代達也の芸域は広いが、この頃は「人間の条件」「野獣死すべし」といった深刻・ニヒルが売りのスターだった。その仲代の喜劇演技、そんな意表の突き方にも感嘆した。しかも、映画が終盤に近づくにつれ、この当時の本来の仲代達矢のイメージに回帰していく構成の妙。天本英世の怪演もさることながら、悪がナチスの残党というのだから恐れ入る。日本映画離れしたスケールも十分楽しませてくれた。
 この時の併映作を聞けば、知らない人はビックリするだろう。勅使河原宏監督のインディ・レースのドキュメンタリー「爆走!」だ。鬼才二人の豪華2本立である。これで東宝始まって以来の不入りとは信じられないだろうが、この頃はそんな時代だったのだ。
 「狂った野獣」も76年公開当時はほとんど話題にならなかった。この当時、深作欣二がハリウッド何するものぞと本格的カーチェイス映画を目指した「暴走パニック 大激突」の陰に、完全に隠れていた。結果的に「暴走パニック 大激突」はフィルムコミッションの無い時代でもあり、制約ばかり多く、山場のチェイスになると明らかにどっかの空き地で撮影しているのが見え見えの、白けた作品にしかならなかった。
 まして「狂った野獣」は一枚落ち(失礼!)の中島貞夫である。バスジャックといういじましい題材も揶揄の対象になった。今でこそバスジャックというのはリアルだが、この頃はハリウッド・パニック・スペクタクルのようなハイジャックものができないための悪い冗談で、苦肉の策としか見えなかったのである。全く期待されない際物の扱いでしかなかった。
 ところが、これが公開されたら、実に面白い。才人深作作品を遙かに凌いでいた。ハイジャック物が作れないからバスジャックでお茶を濁した日本映画のいじましさを、逆手にとって魅力的な作品に仕上げたのである。過労で運転手が気絶してしまうといういじましいパニックの仕掛け。放逐された渡瀬恒彦が、自転車でバスとチェイスするこれまたいじましさ。でも、全体にいじましいからこそ、大型免許まで取得しスタントなしでバスを横転させた渡瀬のそれなりの頑張りが、むしろ効果的なのである。ハリウッド大作では出せない手作りの魅力だ。
 当然、映画祭でこの映画を未見の人に対して、私は淀川長治さんばりに薦めまくった。「え、あなた、この映画をまだ御覧になってない。素晴らしいですねえ。あなたはこれからの人生で私より一つ楽しみが多いですねえ」という調子である。当の本人は夜の体力温存に向けて昼寝をしてたんだからいい気なものだ。でも、私もかなり昔に期待しないで見た時の印象であり、今の目で素晴らしいなんて吹き込まれた後で見直したら、全然つまらなかったなんてことになり、当人は夜の体力温存で昼寝してたなんてなったら、非難轟々を受けそうだ。どうしよう、とのこともチラリと頭を掠めたが、杞憂に終わった。初見の人の全員が「面白かった」といい、あんな昔にあれだけの作品が創られたということに驚嘆していた。まずは目出度し目出度しである。

●プロデューサーシンポ
 プロデューサーシンポでは、供給過多で未公開作品が100本も待機している日本映画の現状を中心に、さまざまな課題が論議された。
 私が興味深かったのは、李鳳宇さんの年齢逆制限の提案だった。映画界は、何かを募集する場合、常に若い才能を求める。○○歳「以下」ということが多い。しかし、本当にそれでいいのだろうか。年配者だからこその人生経験を積み重ねた才能や実力というものもあるのではないだろうか。今、2007年問題が言われている。団塊の世代の初年1947年生まれが60歳を迎え、大挙して定年になる。その人達は金もある、時間もある、才能ある人だって少なくないだろう。そして、豊富な人生経験がある。例えば60歳「以上」という条件で才能を発掘することも、考えてよいのではないか。といった意味のことを発言された。
 1947年生まれ、団塊の世代初年度、私そのものである。私の場合は55歳で定年退職し、関連会社に再就職、選択定年は60歳だが62歳までは今の会社にいられる。(私は60歳でやめるつもりなので李さんのいった条件にあてはまる)李さんの言ったことを私なりに考えなおしてみた。
 まず、定年を迎えたということは、経済的にクローズしたということである。退職金も貰い、年金の金額も決まり、殆どの人は経済的にそれ以上でも以下にもならないということだ。退職金・年金は退職時のポジション・給料で確定するから、もう恐いものが何もないということでもある。定年前のサラリーマンに何で恐いものがあるのか。地位・給料に影響を与える者がいるからだ。定年までに1枚でも2枚でも上がっておきたいからだ。それが退職金・年金を確定するからだ。そうじゃなきゃ、会社のお偉いさんだってただのオッサンに過ぎない。だが、確定してしまえば、もうそれ以上にも以下にもならない。恐いものがないというのはそういうことだ。とすれば、将来のことをチマチマ考え、ビクビクしながら自分を抑制している未来ある若者よりも、恐い者が何もないからストレートに大胆に自分を出せる年配者の才能の開花が期待できるのかもしれない。ただし、経済的にクローズしているから、恐いものが何もないという裏には、ハングリーさに欠けるという弱点もあるだろう。パーティーで、私なりに考えたそんなことを李さんにお話した。
 その後、荒井晴彦さんにも同じ話をしにいった。ただし「でも、恐い者が何もないからって、日本を代表する脚本家で映画監督の天下の(この言い方を荒井さんは嫌がる)荒井晴彦さんに対して、よく考えりゃそうとう私は図々しくて失礼ですよねえ」とギャグを付け加える。荒井さん「サラリーマンのことは俺にはわからねえよ」苦笑いしながらも、退職金・年金という言葉にチョッピリ羨ましそうな表情が掠めたと見たのは、私の読みすぎか?
 1年半後に60歳を迎える私は、経済的クローズをつくづく感じる。退職金のペイオフ凍結解除対策(そんなに金あるのって言う奴いるけど、サラリーマンは一生に1回だけ、退職金をもらった時だけは誰でも気にせざるをえないことでしょ。終身雇用が崩壊しつつあるこれからは知らないが)も終了、企業年金額は定年時に提示されており、つい最近は社会保険庁から厚生年金・国民年金額の通知がきた。もう、経済的に泣いても笑っても、これ以上も以下もない。まあ、長年好きでもない仕事で「公益」にご奉仕したご褒美として、その範囲で好きな映画三昧を楽しみたいと思っている。
 映画祭には、その手本となる先輩が少なくない。1999年に湯布院で初めてお会いした浜松のTさん(なぜか名前は私と同じ「要」だ)は、全国の映画祭巡りで1年を終わるという。(今年の湯布院は体調のせいか否か、欠席された。健康に留意していつまでもお元気で)さらに今年はNHKのOBの名古屋のIさん、「Oと申します!」方も郵便局出身とからしいが現在は悠々自適。お二人で、「次は京都映画祭ですね」「東京国際映画祭は?」「行きます、行きます」なんて話してるのを聞くと、涎ダラダラである。ああ、早くそんな身分になりたい。「あのー、東京に出た節は、私にも連絡下さい」と細々と申し出るのがせいぜいだ。
 ホントになあー。そうなれば、映画祭が終わったら会社があるからすぐ帰るなんて味気ないことをせず、前後の日程に余裕をとって観光も楽しむことができ、今の私みたいにすでに見た映画の間隙を縫って、観光したり体力温存の休息したりの慌しいことも必要ないわけである。ああ、早くそうなりたい。てなことで、何だか、プロデューサーシンポから話が変な方に脱線したみたいなので、本項はこのへんにしたい。

●特別上映「仕上人」
 特別上映された「仕上人」は、映写技師で湯布院映画祭の上映も一手に引き受けてこられ、今年惜しくも逝去された飯山庄之輔さんのドキュメンタリーである。監督は「プロジェクトY ゆふいんafter X」の楢本皓。
 飯山さんとは一昨年のパーティーの時にご挨拶して、「鳳城の花嫁」野外上映の裏話などのお話を伺った。今はご冥福を祈るのみである。
 その時の印象は、温厚な方という感じだったが、今回のドキュメンタリーを見ると妥協を知らない職人気質で仕事の鬼という厳しい方だと分かった。無理もない。映画というのは上映されない限りフィルムというただの無機物である。映写がその無機物に命を与える。「仕上人」とはよく称したものだ。それまでの映画創りの血と汗の滲む苦労を鑑みれば、その「仕上」は慎重の上にも慎重であることは当然であろう。
 野外上映における最も効果的な念には念を入れたスクリーンの設営、照明消灯と映写開始の寸秒を争う勝負のタイミング調整、巻と巻との淀みない切替。それらの慎重な苦労を観客に意識させない裏方としての努力。飯山さんの仕事の鬼ぶりには圧倒された。すべて、自分でやらなければ気が済まないこと、人を使ったり教えたりするのは不得手なことも含めて、古き良き昔気質の職人魂が眩しい。
 飯山さんを偲ぶような事態が3日目の「プーサン」上映中に起こる。何回かの上映中断が発生したのである。皮肉にも「プーサン」の映画中でも映画館での映写中断のシーンがある。こちらの方は再上映まで1時間以上かかるとのことで客はあきれて帰ってしまうのだが、映画祭の方は何分もたたずに上映が再開された。
 天国の飯山さんは、「何やってんだ!」と怒って降臨したかったか、「俺がいなけりゃ、この始末かよ」と苦笑いされていたか、いずれにしても供養になったとも見える微笑ましい映写ミスだった。

●特別試写「スクラッブ・ヘブン」
 例によって最初に私のシンポジウムの発言の要旨を紹介します。「冒頭の時制を輻輳させるめまぐるしいモンタージュは、これはリアリズムではなく心象風景なのだと印象付けて効果的だったと思います。(冒頭が分かりにくいという発言が私の発言の前にあったので、それを受けた形でこのことに関し最初に私の意見を述べた)ダークな映像美学は、ビジュアル的に私は好きです。ただ、あまりにもすべてが絶望的なのはつらいです。バスジャックで何もできなかったトラウマの3人が結局それを乗り越えられず、オダギリジョーさんは無為に命を落とし、栗山千明さんはニトロを抱いて大量虐殺に出発し、加瀬亮さんは自爆すら完遂できない。他の監督を引き合いに出すのは失礼かもしれませんが、私はビジュアル的にはディヴィッド・フィンチャーを連想しました。ただ、フィンチャーは例えば「セブン」なんかでも、ダークな美学の中にどこか救いがある。モーガン・フリーマンが出るとホッとさせるんですね。この映画では、そこにいらっしゃる柄本明さんがその役回りかな、なんて勝手に思い込んでいたら、凶暴になって加瀬さんをボコボコにして絶望に突き落とす。ビジュアル的には好きなんですけど、どこかに救いが欲しかったというのが、私の感想です」
 李相日監督は、加瀬亮さんが自殺しそこなったというところを救いとして描いたとのことだった。私には、それが「ぶざま」「恥の上塗り」としか見えず、絶望感を増幅させた。
 加瀬さんから興味深い話が出た。完成作品では、自爆に失敗して海岸を歩いて去っていく加瀬さんで暗転し、クレジットタイトルに繋がるラストなのだが、実は延々たるクレジットのタイトルバックに加瀬さんの歩く姿を使うことも考え撮影もしたそうである。加瀬さんには、監督から特別の指示がなかったので、ただ歩いていただけだが、それが歩き続けているうちに絶望から希望へと変化していくように見えたのが不思議だったということだ。他のシーンと連動して効果が出るモンタージュの妙と言うべきか。最終的にはくどいとの判断で完成品の形になったようだが、私はそれがあった方が絶望感を中和したような気もした。
 「滋賀から来たOと申します!」の人は、これが新作特別試写のベストムービーだそうだ。シンポジウムでは、2度にわたって絶賛の意見の熱弁を振るった。「絶望でよろし、今の時代、安易な希望にこだわらず徹底的に絶望させなはれ、今後も頑張って下さい!」と檄を飛ばしていた。

●着るものにちょっと遊びごころを  その1 荒井さんとの「ファン感覚」の話題から
 昨年あたりから、映画祭に着るものにちょっと遊びごころを出すようになった。民芸村パーティーの甚兵衛と雪駄はもう恒例にしたが、それ以外は連日映画ゆかりのTシャツで通すことにした。前夜祭は昨年の映画祭Tシャツ、1日目は今年の映画祭Tシャツ、2日目は中村錦之助の「反逆児」Tシャツ、3日目は澤渡翠さんの似顔漫画イラストTシャツで何と!直筆サイン入り(プリントではない、7月の澤渡翠一門会で直接サインしてもらった貴重品である。もっとも、サイン会ではないので普通のマジックで書かれたものだから、洗うと序々に落ちてしまうようである)、最終日は高倉健サンの不器用Tシャツが、昨年に続いて再登板である。結局、前夜祭の日は雨模様の涼しい日だったので、Tシャツに着替える陽気ではなく、家を出た時のブラウスのまま出席して、昨年の湯布院Tシャツの出番はなかった。
 3日目のパーティーで荒井晴彦さんに、よせばいいのにサインのいきさつも含めて澤渡翠さん直筆サイン入りイラストTシャツ誇らしげに見せながら、「そういうファン感覚が抜けないから、ロクなもの書けないんだよ、と言われるでしょうが」と付け加えて苦笑を買う。でも、話はそこからチョッピリ広がった。
 苦笑いをしながら、荒井さんはややきついことを言う。「投稿おじさんとか、投稿あがりの評論家って嫌いなんだよ。M(今年は何故か参加していなかったが映画祭常連の人)なんかも、よく読んでくれってミニコミ誌送ってくるけど、好きだ嫌いだって映画を採点して何になるの。それよりも、昨日のプロデューサーシンポで取り上げた供給過多で未公開作品が100本も待機している日本映画の現状とか、色々問題があるだろう。業界外のファンの立場から、そうした問題を打開していくようなものを書くべきなんじゃないの」
 後日、映画友の会の友人にこの話をしたら、「それって、違うんじゃない。観客はいい映画を提供してくれればいいんであって、問題解決するのは業界の人でしょ」と言われた。
 まあ、人間は自分の業界が可愛くて、業界外の人間にも業界内の者のような関心を、それ以上に持ってもらいたいというエゴはあるだろう。かくいう私も飯の種に過ぎなかっただけ(それ故にか)なのに、エネルギー問題に関しての外部の無理解・無関心に腹をたてやすい。結局、既存の映画評論界も、私が勝手に幻想を抱いているだけで、基本は他の業界と五十歩百歩のエゴの次元ということだろうか。
 ただ、不特定多数が本当に読みたいものってなんだろう。そんな映画業界中心主義から隔絶した視点で映画を捉えたものではないだろうか。私の映画評のテーマの核はそこにあるのだが、プロのある編集者から「それにしては血と汗と涙が足らない」と厳しいことを言われ(業界内部の人の批評がそんなに血や汗や涙を流して書いてるとも見えないけど)、「外部から見下しているだけ」との誤解も受けた。いずれにしても、世間に出す前のガードは編集者であり、ファンはあてがいぶちにそれをくぐったものをを読むしかないのだから、私のような視点から書く評が世に出るのは絶望的ということではある。

●着るものにちょっと遊びごころを  その2 憧れの藤純子さんと任侠映画のこと
 最終日の高倉健サン不器用Tシャツ再登板は、目論見があった。富司純子(旧・藤純子)さんがゲストである。若き日に緋牡丹お竜etcに胸ときめかせた憧れの大スターである。雲の上の人が相応しい最後の女優である。「女渡世人 おたの申します」のクライマックスの殺陣で、胸元にバッサリと刃を受け、微かに(本当に微かに)胸がはだけたら場内の男性ファンがいっせいにうつむいたという信じられないことがあった伝説の人である。(今の女優なら、男どもはこの時とばかりこぞって身を乗り出すもんね)そのくらい神聖犯せざる人である。私は、過去に2度、キネマ旬報表彰式でお姿を拝見している。1972年「緋牡丹博徒」と2000年「あ、春」の受賞の時だ。壇上を仰ぎ見て変わらぬ美貌に溜め息が出た。湯布院映画祭の舞台挨拶でも、艶やかさは衰えていなかった。正直、壇上に仰ぎ見るのに相応しい方で、パーテイーで同じ高さに立つのはためらわれる人だった。でも、健サンTシャツを見せて大大大ファンでしたと激白したくもあった。でも、そこから先、何を言えばいいんだろう。何を聞けばいいんだろう。真っ白で何も思い浮かばない。
 2003年の日記で松田龍平クンのファンの女の子に伝授したお目当てゲストのパーティーゲット術での突撃を胸に秘めた。乾杯と同時に、参加者はまだ動かずゲストは手持ち無沙汰の時の間隙をついて、一気にゲットするのである。ところが目算が外れた。舞台挨拶の富司さんは和服だったので、リラックスしたカジュアルに御召し変えのためか、乾杯の時点ではパーティー会場に姿が見えない。あきらめて、様子をみながら飲んでいるうちに談論風発盛り上がり、富司さんの会場入りに気がついた時は、お目当ての参加者が行列を作っている園遊会状態になってしまった。私は直ちに断念した。雲の上の人は、永遠に雲の上の人にとどめることを決意した。後日、「映画友の会」の人に、そんなチャンスはもう死ぬまでないでしょう。後悔しますよ」と言われたが、もうチャンスがないからこそ、永遠に雲の上の人に終わるという素晴らしい思いをシミジミと味わいたいと思う。私はそうしました。大分のOさん、「お竜参上」のオマージュ捧げられて良かったですね。
 でも、健サンTシャツに出番はあった。最終日のパーティーもフィナーレに近くなった頃、参加者も疲れ気味か、「寝ずの番」のマキノ雅彦監督が白鳥あかねさんと話し込んでいて周りに一般参加者がいない。ここぞとばかりマキノ監督へと歩を進める。といっても、私が話したいのは俳優津川雅彦さんで、まずは健サンTシャツをお見せして、任侠映画の大ファンだったこと、ベストはマキノ雅弘監督の「昭和残侠伝 血染の唐獅子」であることを伝える。「血染の唐獅子」は津川さんも印象に残る名演で、二枚目津川雅彦さんのイメージをガラリと覆し、鬚面にボロを着て知恵遅れの吃音症という汚れ役、最後の殴り込みの時にだけ鬚を剃り着物を整え、「死に顔だけはきれいにしたかった」と言って藤純子さんに「馬鹿!」と頬を叩かれ、えもいわれぬ表情をする。「美女と野獣」ではないが秘めたる慕情を感じさせる。名場面である。「二枚目の津川さんに、あんな汚れ役が来たのはどういういきさつですか」と聞く。「いや、監督の思いつきです」「たまにはこんなのもやってみろとか」「いや、それ程のものもなくて、単なる思いつき、そもそもぼくは二枚目じゃないですよ」「でも、任侠映画でも二枚目的恋をして殺されて、健サンがドスを持って殴りこみってパターンが多くなかったですか」「そう言われればそうだけど、だけどよく細かいことよく覚えてますね」「それは若い頃見て、任侠映画の大ファンだったですから」それにしても、あの津川さんの歴史的名演が、単なる思いつきという軽やかさは、いかにもカツドウ屋マキノ雅弘にふさわしいエピソードだ。
湯布院日記2005ー4

●日本映画職人講座 スクリプター 白鳥あかね
 映画祭3日目、すっかりお馴染みになった「日本映画職人講座」の今回のテーマは「スクリプター」、講師は白鳥あかねさんだ。入り口でバインダー付の板に各種資料が挟まれたものと筆記用具が配られる。あなたもスクリプター経験をしてみましょう、というわけで、さてさて、何が始まりますことやら。
 教材は「透光の樹」、永島敏行・秋吉久美子の二人の森の中のワンシーンが試写される。さて、これは何カットでしょう、と問いかけがあり、5カットであることが確認される。
 スクリプターは、各カットについて撮影中にすべての記録を留めなければならないが、単なる記録係を超えた大切な仕事もあることが紹介される。監督に最も近い所に位置することから、現場スタッフとのパイプ役も務めなければならない。また、現場にいない編集マンとのパイプ役もスクリプターが務めねばならない。映画初期の頃からスクリプターは何故か女性だったが、クッションとしての柔らか味があることから、撮影現場の知恵としてそうなったのではないかとの、興味深い話もあった。
 もちろん、仕事のメインは記録である。カチンコナンバーに記されたカットの全ての記録をシートに残していく。シーンNo―カットNoをシートに記すだけではない。一つのカットを何テイクも回す場合もあるから、そのテイクNoも残す。テイク毎にOKカット、キープカットの別も記しておく。NGでもキープしておこうという場合もあるから、要注意だ。テーク総数と各テークの秒数を記しておくのは言うまでもない。
 各カットの記録に残すことは無限に多い。ロケ、セット、オープンの別、カメラサイズも大ロングからクローズアップまで8段階に分かれているがそれも記録する。でも、カメラが固定しているとは限らない。ロングからミディアムバストまで移動するならばその旨も記す。移動のカメラワークもパンアップ(ダウン)、横移動、前進(&後退)移動、スームアップ(&バック)クレーンと8種類ありそれも記録する。
 被写体の方の記録も大切だ。人の動きをカットの始まりから終わりまで、詳細に記録する。次のカットの動作は必ずしも前の動作の延長から始まるとは限らない。「透光の樹」でも永島敏行がしゃがむ動作をする時、前のカットのしゃがむ位置より手前の角度から次のカットでしゃがみだす。必要に応じてそのようなカット間に関係するダブる動作も図示したりする。アクションとともにその時点のダイアローグ(台詞)も併記する。
 それを手早く確実に記録するのがスクリプターの仕事、いやはや気の遠くなるような情報量である。しかも、スクリプターの記録が間に合わないからと、撮影の続行を待たせるわけにはいかない。そのために手短に記録するための記号もあり、その解説もなされた。バストショットはB.T.ズームアップはZ.U.などなどである。
 カットの長さも単に物理的時間計測だけではない苦労があることを、白鳥さんは話された。正確に計測することはもちろんだが、監督によってはカメラの回りはじめと止まる直前は捨て場面と考えて、カットの真ん中のもっとも油の乗った箇所を使うそうである。その長さをキチンと記録しておけと、今村昌平監督あたりは要求するそうである。ここまでくると、スクリプターは機械的な記録係を大きく越えて、映画のなんたるか、演出のなんたるかを知り尽くしていないといけないということだ。
 教材となった動きの少ない出演者も二人だけの「透光の樹」の本番の5カット、それだけでも気の遠くなるような作業エネルギーがいることを感じた。この日の冒頭に上映された「ひばり・チエミの弥次喜多道中」の芝居小屋の何十人もの殺陣シーン、舞台から奈落へ、また舞台へとの激しいアクションとカメラの動き。スクリプターはよくノイローゼにならないものだ。
 かねてから私は、映画は見るもので創るものではないと思っていたが、今回の職人講座であらためてそのことを痛感した。

●閑話休題 「黒い手袋」様、御指摘ありがとうございます。
 掲示板で「黒い手袋」さんから、ミスの御指摘を受けました。熱心に読んでいただいているということで、嬉しき限りです。「黒い手袋」さんからは、キネ旬読者評掲載のエールも掲示板でいただきました。読者評と紹介欄の大幅な時期ズレ、ホントに何とかしてほしいですね。
 自分でミスを連発しておいて、開き直るわけではないですが、ついでに読者評の誤植も何とかしてほしいです。9月下旬号「サマリア」評も二箇所の誤植がありました。2行目「女子校生」は「女子高生」、45行目「理屈を越えて」の前の「しかし、」の接続詞が抜けています。依頼原稿と違って、投稿はゲラ確認がないから慎重に願いたいものです。でも、「映画芸術」さんの依頼原稿ではゲラ確認の段階で、まず誤植はありません。もっとプロ意識を持ってもらいたいものだと思います。(と、憎まれ口を叩くと、また掲載してもらえなくなるかな?審査者の次元はそんなに低くないとは思いますが…)
●ぼくら新聞舎より  「黒い手袋」さん、ご指摘有り難うございます。勿論、掲載時に誤植がなければそれにこした事はないのですが、HPは本と違い修正がききますので多少ルーズにはなりますが、今回のようにご指摘を戴くことによって、完璧に近づけると思います。これからも、誤植などございましたら、宜しくお願いします。
湯布院日記2005ー5

●「ヨコハマメリー」「ルート225」 まずはこちらの話題を先に
 映画祭3日目、「日本映画職人講座」の後は、特別試写「やわらかい生活」だ。ただ、この映画は冒頭の総括で述べたように、本映画祭特別試写の私のベストムービー、事実上のクライマックスだった。そこで、「やわらかい生活」の項は後に譲り、最終日の2本の特別試写「ヨコハマメリー」「ルート225」をまずは話題としたい。
 まずは「ヨコハマメリー」。湯布院映画祭では珍しいドキュメンタリーだ。本来はゆふいん文化・記録映画祭の領分なのだが、出来の素晴らしさから、あえて本映画祭上映となったそうだ。
 例によって、私のシンポジウム発言要旨から紹介する。「ドキュメンタリーには、被写体に密着して比較的忠実に記録者に徹する場合と、小川紳介や原一男のように被写体を素材にして強引に自分の世界に引き込み作品を確立する場合とあると思いますが、これは前者だと思います。ですから、映画について語るよりも、ヨコハマメリーという興味深い人間について語るということになってしまいますが、それを始めるとキリがなくなりますので、映画としてという観点に絞って話したいと思います。結局、この映画を見て、人はどんな生き方でも、時代を背負わざるをえないんだということを感じました。戦後間もないころから着飾っていた横浜の名物娼婦のメリーが、突然姿を消し、それで終わりだと思っていたら、故郷の老人ホームでちょっと小奇麗な平凡な老女として、最後に登場します。私にはこんなドラマチックな人生はありませんが、私も、私以外の他のすべての人も大なり小なり歴史を背負い生きてきたんだなあという感慨を抱かされ、生の重みの素晴らしさをしみじみ思いました。」
 「ヨコハマメリー」は最終日の宿の大懇親で、賛否両論が分かれた。否の人は小川紳介や原一男、今村昌平の「人間蒸発」を対極に挙げて、それに比べてあれではNHKのドキュメンタリーと大差ないと手厳しかった。
 私は、手法がNHKと大差なくとも、映画としての価値は発生しうると思う。題材の選定段階でNHKでは取り上げ不可能なものを取り上げれば、それも一つの価値であろう。アカデミーの長編ドキュメンタリー賞を受賞した「モハメド・アリ かけがえのない日々」にしても、あの映画について語りたいことはほとんどないが、アリについてなら無限に語り明かしたくなる。そういうドキュメンタリーの魅力はあっていいのではないか。「ヨコハマメリー」はそれに相当する。そんな意味のことを話した。
 続いて「ルート225」、例によって私のシンポジウム発言要旨の紹介から始める。「SFだと思います。SFの楽しさは、日常を大きく超越した異常な設定の面白さと、そんな設定だからこそ描ける人間描写の深さの二つにあると思います。前者の魅力としては、突然両親が不在となる世界へスリップしてしまうという設定の魅力。その中で、中学生の姉弟が、段々と心を寄せ合っていくという異世界ならではの人間描写の魅力です。思春期の姉弟というのは、お互いを愛おしく思いながら、異性というテレもあって素っ気無い対応をしあう。そして、成長とともに、おのおのが親離れして独立し、結局姉弟の愛おしく思いあう時期は、一般的には顕在化しないで終わります。でも、この映画は親が喪失した異世界ということで、見事にそんな心理の綾を浮き彫りにしたと思います。同じ行動を繰り返せば元の世界に戻れるのではないかとの姉弟の試みがあって、でもこれはすでに<転校生>で使った手で、同じだったら怒るぜと思ったんですが、母親が一瞬出現したと想像させて、結局面倒をみにきた叔母だったというあたりの顛末も効果的でした。ただ、最後に親離れして姉弟が自立していくのに対しては、SF的設定は一切活用されず、このパラレルワールドの意味合いも一切解き明かされていません。そんな後半の物足りなさから、私はこの映画を<楽しさも中くらいなり>と感じましたが、パラレルワールドの存在と人間描写を最後まで絡ませようという意図は、全くなかったのでしょうか。もし、なければそれは私のないものねだりになってしまうわけですが、いかがでしょう」
 この映画については、最も意欲を持って取り組んだのは、佐藤美由紀プロデューサーのようで、他の人の質問に対しても、中村義法監督よりも脚本の林民夫さんよりも、熱心に答えていた。佐藤プロデューサーは「パラレルワールドの説明は特に必要とは思いませんでしたし、姉弟の親からの自立が描かれれば、無くてもよいと思いました。逆に、どんな説明があったらいいと思われましたか?」と問い返され、私も咄嗟には思いつかずこたえられなかった。
 その後、私なりに考えたSF的決着を、パーティーで佐藤プロデューサーに紹介した。「映像化がうまくできるかはどうか別にして、あのパラレルワールドは、親対子という関係が希薄になり、姉対弟という関係が濃密となりつつあった二人の潜在意識が創りだした内宇宙とします。(「禁断の惑星」ですね)だから、親との関係が希薄になればなるほど、二つのパラレルワールドは遠ざかっていく。そして、姉弟の関係も高校入学とともに希薄になり、二人は親離れして自立する。その時、親の存在していたパラレルワールドは完全に消滅する。そういうSF的仕掛けと人間描写の深さがミックスされた時、SFの面白さが出ると思います」
 シンポジウムの中で「題名のルート225は15ですから、姉弟の15日間を描いたことをいってるんじゃないかと思うんですが、マイナス15もありますからおかしいんじゃないですか」という意見もあった。私はプラスマイナス15ということは、パラレルワールドを表現しているのであり、だから「ルート225」は名題だと思った。そんなことも佐藤プロデューサーに話した。どちらも、あまり関心を示されなかった。私は原作は読んでいないが、佐藤プロデューサーは原作に惚れ込み原作に忠実に映画化したようで、SFに関する興味はほとんどないようであった。

●特別試写ベストムービー「やわらかい生活」
 シンポジウムの冒頭で荒井晴彦さんが「今までは素人の映画、ここで初めてプロの映画を見せます…って期待されても困るんだけど」とジョークを飛ばし、早くも笑いを取る。でも、まさにそのとおり、私はこの映画が描いたものは「転がれ!たま子」と類似の世界だと思っているのたが(荒井さんは最後まで認めなかったけど)、その感銘の深さは桁がちがった。練達のプロの仕事と誇っていいと思う。公開は来年5月頃だそうだが、早くも来年の私のベストワン候補、こういう保険があるとファンとしては安心できる。
 例によって私のシンポジウム発言から紹介する。「今のところ私の特別試写のベストムービーです。うつ病、痴漢、近親相姦などなど、廣木監督・荒井さんの脚本コンビらしいい陰々滅々の題材満載なんですが、描写が小津映画か成瀬映画を思わせるような、淡々とした日常描写なんですね。その中で私が感じたのは<時間>という名の重みでした。うつ病のやくざが子ども時代の遠足で微かな記憶しかない遊園地を探す、それがもし本当に存在していない空想の産物ならば、俺の過去も存在しなかったことになる、という気持。主人公寺島しのぶがひと夏を鬱のまま部屋に引きこもり、私の夏は存在していなかったと感慨に耽るところ。彼女の従兄のトヨエツが、妻との過去の時間を再確認して離婚を決意した直後、事故死すること。阪神大震災で両親を失い、地下鉄サリン事件で恋人を失った寺島しのぶが、色々な人にまた出会い、再びまたすべてが喪失していく。でも、決して悲劇的ではない。火傷痕を隠すために大きなバスタオルにくるまったままで銭湯の湯船に入っていた彼女が、ラストではバスタオルを取る。時間の経過は何かを少し変え、彼女を少し再生させた。これが映画です。理屈も言葉もない。バスタオル1枚ですべてを表現する。これこそ映画表現だと思います。感動しました」
 司会者が「どうですか。この映画の<時間>ということに関しては」と荒井さんに振る。「<時間>という意識はなかったな。人間は自分を想像の中で創り上げてしまうということを描いたつもりだけど。寺島しのぶの阪神大震災も地下鉄サリンも全部嘘かもしれないし、鉄砲玉のやくざだって、本当にやくざだったのかどうか。バスタオルねえ。取ったら<赤目>みたいに派手な刺青にしようともおもったんだけど」最後は楽屋落ちで場内の爆笑を誘う。
 大分市役所のOさんは、私と逆の第一印象だったようだ。「後味の悪い映画です。あそこまで主人公を痛めつけて、最後でさらにすべてを失わせてしまう。そんなにしなくていいんじゃないかと思いました」とシンポジウムで語っていた。ただ、時間とともにジワジワと映画の良さが熟成されたのかどうか、最終日の宿の大懇親では、ベストムービーに挙げていた。
 さてパーティー、昨年の「樹の海」同様にほめてほめてほめ倒してやろうと、森重晃プロデューサーと荒井晴彦さんの歓談の中へ突撃する。荒井さんが「彼、アホだからまともに聞いちゃ駄目ですよ」と森重プロデューサーを牽制する。私の方はこうなると完全に淀川長治さんの調子になってしまう。「タオルを巻いたままの銭湯の入浴、この女のつらいつらいつらい過去を見事に表現してますね。でも、何があるんでしょう。最初は刺青があると言いましたね。嘘でしたね。阪神大震災の火傷ですね。でも、最後に何かを乗り越えて彼女はタオルを取りますね。そこに彼女の再生が見えますね。最初はさりげなく湯船の脇にたたまれたタオルを遠景で見せますね。そして、火傷の痕は微かに見せるだけですね。ここで、彼女がこれみよがしの明るい表情をしていたら駄目ですね。涙で濡れた顔という表現の抑制がいいですね。これがすべてを表していますね。映画は目で見せる。理屈を言いたかったら論文を書けばいいです。思想を語りたかったら演説すればいいです。映画はそんなものじゃありませんね。これが映画なんです。これこそ映画なんです!」
 でも、さすがは荒井さん、「樹の海」関係者と違って黙ってほめ倒されたりしない。私がこの映画を時間がすべてを浄化していく「時間という名の魔術師」(元「週刊ファイト」編集長の井上義啓氏の名言)を描いているとの見方に、「それは全然ないな」と素っ気無い。でも、渡辺武信さんがよく言われている「見た観客は映画を創る権利がある」ということもありますよね、と向けると、それは鶴見俊輔の「誤解する権利」ってこともあるしさ、と荒井さん。「つまり誤解が作家の側を触発する場合もあるしピント外れの時もあるという…」「そうそう」「私の場合はピント外れだと…」「そうそう」やっぱり荒井さん相手ではほめ倒しつくして終わるということにはなりそうもない。
 続いて廣木隆一監督へもほめ倒しに向かう。廣木監督はまあ喜んで聞いてくれたようだ。私が「それにしても、監督のヌラッとした感じが今回は希薄だったのが意外ですね」と言ったら、「あんまり既定しないで下さいよ。僕は<機関車先生>も撮ってるんですよ」と返された。そのとおり。失礼いたしました。私の好きな「機関車先生」は、決して頼まれ仕事ではないことを確認できたことも収穫であった。

●心から楽しんだ大フィナーレのはずが…
 「寝ずの蕃」をきっかけにシンポジウムのあり方にまで至る夜明け近くまでの大激論
 俳優津川雅彦改め監督マキノ雅彦のデビュー作「寝ずの蕃」、私にはめちゃくちゃ面白かった。演出が完全なマキノ雅弘節生き写しと感じたが、シンポジウムの冒頭でマキノ雅彦監督自身の口から、叔父の現場に長くいたので当然影響を受けていると告げられ、やはりと思った。渋い芸達者をズラリと並べ、そのアンサンブルをカットの繋ぎではなく、一画面内に同時並行映し出しワイワイさせることによって醸しだす活力。正にマキノ節である。中井喜一・笹野高史・岸部一徳・長門裕之・木村佳乃・高岡早紀・堺正章そして富司純子etc。特に名脇役の笹野高史を主役級に抜擢し溌剌とさせた功績は大きい。上映前に雅彦監督が、とにかく内容が内容なので、品のいい役者をキャスティングしましたとのコメントがあった。
 映画は、3回のお通夜を串刺しにして描く喜劇篇。落語の師匠、一番弟子、師匠の奥さんと短期の間に死んで通夜が連続する。その夜風景で語られる猥談やら春歌合戦、ここまでやるのっていう抱腹絶倒の一篇だ。
 こうなったら私は乗り乗りだ。シンポジウムで「会場の方のご意見を」の投げかけに、待ってましたと挙手をする。「いやー。面白かった。下ネタ、禁句の大連発、それが一歩手前でお下劣にならない。監督の品のいい人をキャスティングしたという意味がわかりました。芸達者の方々のかけあいの楽しさ。それをカットでつなぐのではなく、スクリーンに一同に映し出して楽しませるアンサンブル、お通夜の映画でこんなにハイにさせてくれるとは素晴らしいです。でも、この後にあるのはお通夜じゃなくてパーティーです。こんなに皆ハイになってどうなっちゃうんでしょう。フィナーレというのは祭りの終わりの寂しさが漂うんですけれど、それを凌ぐ楽しい映画を最後に見られて本当に良かったです。ありがとうございました」
 シンポジウムの他の人の発言も、続々と楽しさを語る賛辞が続く。唯一、倉敷のOさんが、疑義を呈した。要約すれば、第一幕の死人のカンカン踊り以降はやや失速し、単調になったということである。これに対し、雅彦監督はくどいくらいに反論した。第二幕は人間ドラマで第三幕は春歌合戦、変化は十分にあると思うと延々と作家側からの弁明を続ける。私も、死人のカンカン踊りの盛り上がり過ぎで、その後の失速を懸念したが春歌合戦で一味ちがったもう一つの山場を構成したので良しとしたが、当然Oさんのような意見もあっていいと思った。賛辞の渦の中でのちょっとした疑義も微笑ましいし、それにムキになって反論する"新人"マキノ雅彦監督も微笑ましい光景だと思っていたのだが、実は全体の雰囲気はそんなものではなく、マキノ雅彦監督はかなりの人に大顰蹙もののようだったのだ。
 パーティーでOさんが私のところに来た。「周磨さん、本気ですか。<ありがとうございます>まで言っちゃって、ヨイショが過ぎますよ」「いや、ヨイショのつもりはありません。ベストムービーは<やわらかい生活>で変わりませんけど、でも、フィナーレにふさわしい映画ってあるでしょ。いくらベストムービーでも<やわらかい生活>がフィナーレだったらちょっとねえ。<ありがとうございます>って本音ですよ」
 こりゃいかん。早速に荒井晴彦さんの所に向かう。「あのー。<やわらかい生活>がベストムービーなのは変わりませんけど」と、「寝ずの蕃」のフィナーレ向き映画としての楽しさを強調する。「別にベストでなくともいいよ」と、例によって荒井さんは素っ気無い。この後、伊藤雄委員長と「寝ずの蕃」の話題でかなり盛り上がる。この映画を一押ししたのは委員長だそうだ。それもシナリオの段階で目をつけ、トリのフィナーレに決めたそうである。「さすが委員長、先見の明ですね。やっぱり最後はこういう盛り上がる作品じゃなけりゃいけません」 とにかくフィナーレに向けて私のテンションは上がり続ける。最後はマキノ雅彦監督のところに行き賛辞の嵐を浴びせる。マキノ雅弘映画の再来です。芸達者を一同に納める画面作りの演出。観客は画面の隅々に視線をめぐらせる映画ならではの快楽に浸れます、ハリウッドみたいに金をかけなくったって映画ならではの魅惑というのは十分に出せるんです、といった具合。雅彦監督もニコニコして聞いてくれているうちに散会の時が来た。この後、宿にもどりこの前夜祭からの5日間で顔馴染みになった10名を越えるメンバーが三々五々に一部屋に参集しての大懇親となる。
 昨年の、台風クラブで名進行役を見せた名古屋のIさんの名司会で、懇親会は幕をあけた。まずは、各自の今年の特別試写ベストフィルムの選定とその理由。ここで、私は意外なことを知った。最も賛否両論が別れにくいのが「寝ずの蕃」と思っていたら、これがかなり割れたのである。「笑えないからよくない」と言明する人も出てくる。私は椅子から落っこちるくらい笑い転げていたのだから、「笑えない」と言われても、これはもう感覚の相違でしかない。でも、そういう人も少なくはない。そういう人達の中では雅彦監督の潔くない長々とグチグチした弁明は、大顰蹙・噴飯ものだったようだ。
 口火を切って大絶賛しマキノ雅彦監督ヨイショの雰囲気を作ってしまった私が、どうやらA級戦犯の雰囲気になってきた。(昨年には八王子のTさんから、「油断大敵」の時も同様に絶賛の雰囲気を作っちゃったと言われたが)シンポジウムはヨイショ大会ではない。いくらわざわざ来たゲストだって悪いものは悪いとはっきり言うべきだとなった。
 でも、過去の湯布院日記でも類似のことを述べたが、私は映画を楽しむのをもって良しとする男で、辛口をもって良しとする人はどうも苦手である。不快な映画についてはは黙りこむのが私のスタンスだ。滋賀のOさん!は「それではあきまへん!」というが、性格は変えようもあるまい。最初の発言は全体をリードするから、ほめちぎるのは控えるべきだとの意見もあった。でも、私は素晴らしかった映画はすぐ意見がまとまる。ただちに発言したくなる。だから、すぐ手が挙がる。逆に、批判しようと思う時は、無責任な放言は慎みたいから発言が慎重になる。だから挙手までに時間がかかる。少なくとも私はそうだ。
 時刻も午前4時近く、議論は果てしなく続き、うかうかしてれば夜が明ける。とにかくほめるにせよけなすにせよ、自由にものを言うべきだと、結局常識的な線に落ち着く。最後に皆で一言づつ別れの弁を述べて、本当のフィナーレとすることにした。私は「世の中には楽しいことと楽しくないことの二つしかありません。私は楽しいところにしか行きたくありません。来年も湯布院の地で皆さんとまたお会いしましょう。それが私のすべての解答です」と述べた。「あれ、それだけ、周磨さん、短いね」と誰かが茶々を入れる。「いや、短いからよろし」と間髪をいれずに滋賀のOさん。「あなたに言われたくないよなあ」と電光石火で返す私。今後もOさんとの明るく楽しく激しい全日本プロレス流の応酬は続きそうである。

●日常に降臨した湯布院映画祭よ永遠に
 こうして、5泊6日の映画祭の旅は終わった。冒頭に述べたように、私の感覚では日常に降りてしまった湯布院、毎月の「映画友の会」が終わった程度の感慨しかもはやなかった。30年を区切りに終了するなんて嬉しからざる噂もあったが(その匂いもないではなかったが)、結局その件では何の話もなく終わった。パンフレットでは変わらず「湯布院映画祭支援寄金」を募集しており、特典として「2006パンフレットに名前記載」「2006パンフレット進呈」「2006映画祭Tシャツ進呈」となっている。帰京後、私はすぐ寄金した。伊藤委員長!実行委員の皆様!もうやるっきゃないですよ!! 私にとっては湯布院映画祭はもう日常です。日常は私の生きている限り永遠です。奇しくも私が通い続けている「映画友の会」は9月で57年目、私が愛情をもって出没する場所は長持ちになるジンクスありって、そんなわきゃないか。
 そんなことで、今年の湯布院日記は、何の感傷もなくさりげなく終わります。長い間おつきあい下さいました方、ありがとうございました。
●ぼくら新聞舎より
 2005年の「周磨要の湯布院日記」も、無事完結いたしました。ご愛読の皆様、周磨さん、お疲れ様でした。尚、「周磨要の映画三昧日記」「周磨要のピンク映画カタログ」は引き続き、好評掲載中です。そちらの方もご覧戴きますよう、宜しくお願いします。(2005.9.29)


   周磨要の「湯布院日記2002」     周磨要の「湯布院日記2003」       周磨要の「湯布院日記2004」  

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