fの定義
1999/3/23 初稿

fとその周辺を考えるために一つの大雑把な定義を与えてみる。

私たちの世界の認識は常識や科学といったものによって、ある境界のはっきりしない雲のようなものを形成しているとする。それは確率分布やゆらぎを持つ軌道のように、確信度の高い中心をめぐる認識の風景である。

それを世界軌道と呼ぶことにする。世界軌道の内側へは中心に近い程、常識としての度合、自明の度合、確信の度合が強くなり、外へ広がるにつれて不確かなあいまいな、よくわからない領域へと融けてゆく。

世界軌道は、それぞれの人にとって確定した周回軌道ではなく。時間的に、さまざまな周りの影響によってゆらいだり、それたりするはなはだ不安定なものだ。人々はそれぞれの軌道に沿って、大きくは逸れる事なく走り続けている。

fに対してこの考察で与える定義は、「世界軌道に仮想変位を与える事象」というものだ。仮想変位とは、実際の変位ではなくあくまでも仮想の遷移であり、多くの場合その瞬間の変位感覚の後は、変位そのものがなかったかのように感じられるものだ。しかしたとえ仮想であろうとも、そして仮想であることが確かであるにもかかわらず変位を起こさざるを得ないような事象、それをfとする。

世の中には仮想でなく、確定的な軌道変位を起こす事象ももちろんある。一つは徐々に広がり行く軌道の場合だ。不分明な領域に向かって軌道を着々と伸ばしつつある場合、軌道は確実に外へと変位するだろう。若年齢時には様々な事象が軌道の拡大をもたらす。また未知の領域へと足を踏み入れた場合には若年でなくとも確定的な変位がもたらされる。

fのもたらすf感覚と近い感覚としてSense of Wonder(SoWと略)がある。ここではSoWは主にこれら確定的な軌道変位を表すとする。

fとSoWを区別する最も大きな違いは、fがあくまで仮想的であるという点である。従って、若年齢時にfに出会う事は難しい。若年者は変位を戻す力が小さいからだ。fは多く年長者の出会う事象である。しかしまたあまりに年長である場合には、もちろん個人差はあれ、fに出会う事は難しいだろう。老年でない私には想像するしかないが。