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fの外延について
99.3.23
fの外延について議論してみよう。
fの定義はあまりに架空的であるので、それのみからfという事象について考察する事は実は困難である。またもちろんfを味わう事も難しい。もしすでにfと同様の事象について別の名を与えている者が居れば、同じ事だと理解できる程度のものである。(もしそんな人がいたらE-mailを下さい)
まずfの定義は一般的であるので、特に対象の種別や、もちろんジャンルには関係がない。またfは具体的な物の場合もあれば、抽象的な記号や文章の場合もある。また静止しているとは限らず、運動がfである場合もある。
定義から自明な事だが、fであるか否かは個人差が大きい。あくまで基準は個人の世界軌道であるから、その軌道の形状や大きさ、密度などで同じ事象がfであったり、そうでなかったりする。したがって再現性が高くない。個人の心理状態に大きく影響を受け、時間的余裕や、当面の作業への集中度合いなどが関係する。
それでもなお、人間であるという共通性からか、同じ事象をfであると認識できる人はいる。fによって多くの人に共通して認識されるものから、特定の個人にしか認識できない物まである。
しかし認識自体は非常に明快であり、これはfかなぁ、fじゃないかなぁ、などと迷ったりは多くの場合しない。この辺りについても議論を深めてみたい。今度友人と語り合ってみよう。
現在の定義は非常に大雑把なので、これから議論を深めるに従って、より適切な定義が生まれる可能性もある。またそうであって欲しいと思っている。
先に曖昧さがない認識と書いたが、世の中にはfとf的なる事象というのがある。f的なる事象はどう転んでもやはりfではないが、fの面影を彷彿とさせる。世の中にはこのf的なる事象が多い。しかしfに出会うことは大変少ない。
fは元々はfantasyのfであった。しかしそこから発生したこの概念に、fantasyという言葉の持つ意味が重ならなくなってしまったために、新しい概念として定義した物である。fから想像される言葉としては、few, fig, fiddleなどがあり、いずれでも良いと考えている。
fantasyの中には確かにfがある。しかしその密度はどうも決して多くは無いようだ、というのが今の所の感想だ。また最近はfantasy集合の濃度がどんどん増えている為、さらにfの存在確率が低くなっているように感じる。
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