『フォトンエッジ・フォトンストリーム進化論〜SVからOVへ〜』


●光の刃・フォトンエッジ

「光の刃・・・フォトンエッジ・・・」。そう我夢がコマンドルームでつぶやいたガイアの頭部の突起部分から発射される必殺技フォトンエッジ。1話でヴィジョンの龍に対して放たれた最初の一発をテレビで見た時のインパクトは今も忘れられない。渾身の力を込めて発射するといった趣きの全身を使ったそのモーション、発射の瞬間には既に敵を視野に入れていないという大胆な前傾姿勢から生まれる『この一発で間違いなく仕留めちゃる』といった「とどめの一発」然とした豪快さ。頭から突っ込んで行くかのようなポーズは下級生が番長に頭突きをくらわせるような最期っぺ振りにも似た捨て身感があり「必殺技」という属性そのものを見事に具現化したかのようなすんばらしいアイデアだとも言える。「タメ」「伸び」「前傾姿勢」などフォトンエッジのポーズを構成するそれらの要素がそれまでのウルトラ戦士が「十字を組んで」「狙う」という『スペシウム型』とも呼ぶべき必殺光線のスタイルとは完全に違うものであったことがそのインパクトの原泉であろう。「ウルトラマン版波動砲」といった感もあるイッパツドデカ系。我夢が初めてウルトラマンと出会うというドラマ上で我夢が受けるインパクトと、視聴者の初見インパクトとが同時にヴィジュアル表現された、華々しくも輝かしい(実際輝いてた)デビューの瞬間は、「オレは今までのウルトラマンとは違うゼ」と宣言しているかのような新鮮さに満ち満ちていた。

ちなみに我夢はシミュレーターの中で見たウルトラマンのフォトンエッジを今度は自分で駆使してコッヴとギールを倒し、その姿をコマンドルームのモニターで自分で見詰めることになる。その時に無意識につぶやくのが「光の刃・フォトンエッジ・・・」である。ガイアと自分のシンクロ度合いを確かめるかのように言葉をつぶやきフォトンエッジのポーズをトレースする我夢。それは私達視聴者も我夢の体験を追い掛けるように『ウルトラマンガイア』の世界にシンクロして行くことになる一年の始まりでもあった。


●頭部発射光線(=THK)

THKはもちろん冗談であるが(東武動物公園=TDKに引っ掛けてみました)、頭部から光線を発射するウルトラ戦士はこれまでにいた、ということは無論冗談もなんでもない。ウルトラセブンが額のビームランプから発射するエメリウム光線は定番中の定番技であるし、頭部突起の穴を利用するウルトラマンエースのスペースQもある意味「頭部発射光線」の変形例かも知れない。しかしフォトンエッジはビームランプなどいかにも何かでそうなパーツから出るのではなく、初代ウルトラマン以来ゾフィー、帰マン、ウルトラの父、80などのデザインに受け継がれてきた頭部から鼻筋にかけての突起物(ここではそれを仮に『ヘッドエッジ』とでも呼んでおこう)から発射されることに重要なポイントがある。


●フォトンエッジを歴史的l観点から見てみよー(冗談ではなく大上段)

ガイアのデザインは頭部のみならず全身のデザインも、ティガ、ダイナと受け継がれてきた「赤と青(系)」のツートンカラーから離れた「銀地に赤ライン」という初代マンのデザインをストレートに継承したシンプルな物であり、いわゆる『原点回帰』とも呼ぶべきコンセプトでまとめられている。例えばティガ、ダイナの頭部は初代マンとの差別化を図ったとも思われるかなり凝ったデザインであるが、ガイアにはティガ、ダイナには無いヘッドエッジが復活していることも、デザインコンセプトに『原点回帰』色がティガ・ダイナ以上に濃いと言える所以である。ガイアの腰の『ハイレグ』を初代マンの『ステテコ』、帰マンの『短パン』の延長線上にあると捉えれば、ガイアが初代マンの正統な後継者であることをデザイン面から主張している、と言えるかも知れない。しかし先の項で「重要なポイント」と書いたのは、ガイアのヘッドエッジが単にオマージュ的なデザイン継承に留まらず、そこに新たな機能=新しい意味を付与するといった行為がなされている事に、その着想の意義を見るからである。
例えばアニメ「ガンダムシリーズ」では初代(ファースト)ガンダムのデザインが後続世代のデザイナーによって様々に解釈をし直されリファインされつづけている。ガイアのフォトンエッジにも、そのような『後続世代による新解釈』とでもいったような歴史的に意味のある創造行為を感じるのである。「ウルトラ戦士のヘッドエッジから光線を出す」という着想はありそうで無かったものであろう。ガイアの後に初代マンを見ると彼もまたヘッドエッジから光線を出しそうな気が・・・(しないか(笑))。

ちなみにガイア頭部、ヘッドエッジの両脇には金色のえぐれ部分があるが、これが電池ポックスの電極のようでもあってそこにエネルギーがたまりそうな、そんなビジュアル的な説得力を与えているように見える事もヘッドエッジのデザインを単なる旧デザインの踏襲に留めていない要因の一つに挙げられよう。
かようにフォトンエッジはこれまでのウルトラの歴史を継承しながらも新味を添えたという意味で『古い革袋に新しい酒を注ぐ』ような作業の上に成り立っている。偉大な先輩を持つ作品としてこうした果敢なチャレンジがあることを大きく評価したいと思う。

余談だが、敢えて過去のウルトラ作品の中にフォトンエッジに一番近いヴィジュアル例を挙げるなら、ボーグ星人(ウルトラセブンに登場)が顔の中心線に沿った出っ張りから発射した光線が一番似ているかも。出なさそうなところから出てるし、顔の真ん中だし、平べったいし。ってことで。


●光のアイスラッガー

「頭部から放つ刃」と言えば誰でも思い出すのがウルトラセブンのアイスラッガー。「光の刃・フォトンエッジ」はウルトラマンのスペシウム光線を元祖とする光線技と、ウルトラセブンのアイスラッガーの特徴を合わせ持った言わば「光のアイスラッガー」というイメージがアイデアのベースにあるのではないだろうか。フォトンエッジを発射するガイアの絵コンテがどこかに掲載されていたのを見た記憶があるが(掲載場所失念。只今調べ中)、鋭い残像を引く光線を、頭上に上げた両手を前方に伸ばして発射する様は正に「光のアイスラッガー」というイメージだった。撮影前に描かれたであろうこのコンテのイメージがフォトンエッジのヴィジュアルの原点であるはずである。このイメージを下敷きに、両手を横に広げるポーズやしゃがみ込んで力をためるポーズなどが現場で加えられたものと思われる。そして光線の動きに「むちみたいな動き(特編ガイアP80)」を1アクションとして加えられたものが画面に登場したフォトンエッジである。ためこんだ力を全身を使って解き放つアクションがフォトンエッジを「光のアイスラッガー」というイメージから更にスケールアップさせて豪快な決め技としての格を具備するに至っているのは先述の通りであるがムチ状の動きがフォトンエッジのそのスケール感を多少損なってしまっているのではないかというのが個人的な感想ではある。

ところで特編ガイアのP10にあるスチールではワイヤーで体を吊ってフォトンエッジを発射しているらしいガイアを見ることができる(テレビマガジンにも掲載されたことがある)。もちろんこのような場面は作品中には存在しないが(撮影後NGになったのかも知れない)様々なアイデアを具体化する中で考案されたものなのであろう。全身を武器にして敵にとどめを差す、といった着想がここからも感じられ、フォトンエッジ完成までの試行錯誤を窺わせる貴重なスチールであろう。撮影の都度吊る手間がかかることが採用されなかった原因ではないかと思われる。


●大切断

「大切断(だ〜いせ〜つだーん)」はアマゾンライダーの必殺技だが、フォトンエッジが『光の刃』であるならば敵を「切り裂く」という描写も見てみたかったところ。バルタン星人が八つ裂き光輪で体を真っ二つにされたように、エレキングが首や尻尾を落とされたように。しかしガイアが制作された時代背景等(酒鬼薔薇事件など)を考えるとそうした露骨な切断の描写はしにくい面があったのかも知れない。実際の作品中では爆破人形を頭から足元にかけて連続爆破する描写が多く見られたが、この手法を生かし、且つ「刃」としてのイメージを残しながらも露骨に「切り裂き」的描写にならないようにするならば、こんな表現もあり得たのではないだろうか。フォトンエッジが怪獣の頭部にヒットするとそのまま光線が怪獣の頚部、胸部、腹部へと体の中心線に沿って切り裂くように降りていき、ワンテンポ遅れるタイミングで怪獣の体が頭部から足元までズバババババーーーーッと連続爆破され、哀れ怪獣ちゃんは迫力満点に昇天。笑点は満点で海外旅行。三波伸介はとっくに昇天。皆様の御冥福を心よりお祈りいたします。


●もう一つの必殺技?

ガイアにはクァンタムストリームという『スペシウム型』のポーズで放つ光線もあるが、これは初お目見えの際使用した相手=アパテーが被弾(?)直後にムックリ起き上がって最終的にはアグルに倒されるという展開だったため「なんだキかねえじゃん」という第一印象が強い技だが、コッヴIIにとどめを差したりカイザードビシを昇天させたりと実際はキく場面もあるにはあるが、フォトンエッジをメイン技とすればサブ技というイメージは拭えない。
クァンタムストリームにもフォトンエッジ同様、発射前の「タメ」のポーズがある。『スペシウム型』ポーズにおける「タメ」は元を辿ればエースのメタリウム光線における発射直前の上体を半ひねりするタメポーズが元祖だと思うが、元々のスペシウム光線は「狙った敵を素早く仕留める」といった感じのスナイパー的一撃必殺なスピード感にこそ魅力があった。クァンタムストリームにその趣きが感じられるのは11話「龍の都」45話「命すむ星」でタメポーズ無しに発射した時である。特にブリッツブロッツと対決をした45話では、人々が見守る中、力を振り絞って立ち上がったガイアが放ったクァンタムストリームは「タメ無し」であるが故に却って「振り絞り」感が滲み出ていて気合い十分といったカタルシスに溢れていた。
また49話「天使降臨」ではアグルのアグルストリームと並んでほぼ同時発射をするがここでもあまりタメない。ガイアとアグルがそれぞれの間合いで光線を発射する姿が非常に自然で『人間ウルトラマン』然としており「タメナシ」と併せてスピード感ある小気味良い演出がされている名場面である。


●ヴァージョンアップ前のヴァージョン違い

フォトンエッジのポーズは演者によって違いがあったのも番組を見る上での楽しみであった。踏み出す足が右か左か、最初に引いた方の足を発射時に前に出すか出さないかなどのポーズの違いがあり、同じ権藤ガイアの取るポーズであっても回によって違いがある。両手を広げる時にグーであるはずの手がパーになっている4話のポーズは例外中の例外ではあろうが、対ヴィジョンの龍の時の広げた両手を一旦下へ向かって降ろしそこから反動を付けるようにして頭上に持って行く動きは、ポーズが固まる前の試行錯誤が垣間見えるし、回を追う毎に屈む時の膝がワニャワニャわらう動きが次第に大きくなっていったところなどはひそかな注目ポイントであった。『権藤フォトンエッジ』の完成型は42話「我夢VS我夢」や49話「天使降臨」で見られる型であろう。タメも適度に抑えられハイスピード撮影でも無いことからスマートなフォトンエッジとなっている。シタタッとアグルの前に出てくるところなんか「ボクがやる」といった風情でたまんらんものがある。
等身大の姿でフォトンエッジを放った16話「アグル対ガイア」の時のポーズもスピーディでカッコ良かったが、アグルの手元だけを狙うという状況下で相手を見ない体勢で発射するこの技を使った事には、フォトンエッジの使用対象のある種の限界を期せずして確認させられる思いでもあった。つまりフォトンエッジは基本的には豪快さがウリな技なので、あのようにピンポイント狙いな場合には適していないのではないか、ということである。
劇場版では相手に背を向けて発射体勢に入り、途中からサタンビゾーに向き直るという変化球も見せてくれていてこれも実にカッコイイ。いつものポーズを知っている観客には一瞬「アレ?」と思わせる演出の心ニクサは「マジンガーZ対暗黒大将軍」でジェットスクランダーがマジンガーと一旦すれ違うようなイレギュラー方向から飛んでくるシーンに通じる、劇場ならではのサービス精神故の演出であろうと思っているのだが。

しかしいくつかあるポーズ違いの中でも極めつけなのが12話「野獣包囲網」でアグルとの対決の際に放ったパターンであろう。


●12話の対アグル戦でのフォトンエッジ

アグルに倒されそうになっていたウルフガスを庇ってアグルの前に立ちはだかったガイアが放ったフォトンエッジは両手を広げるところまではいつものポーズだったが、屈んで光を集めるアクションが省かれ両腕がすかさず頭上に掲げられる(ちなみにここまでの動きは3話で我夢がコマンドルームでした動きに非常に近い)。そして何よりも違うのがいつもなら両手を下方に八の字に広げて前傾姿勢で放たれるフォトンエッジが、まっすぐ前方に伸ばした両手によってしっかりアグルを見据えた構えで発射されたことである。シリーズ中もっとも『異種』なレアポーズと言って差し支えなかろう。こうまでいつものポーズと違うとその原因は演者に求められるべきものではなく監督の発案に求められるべきであろう。12話の特技監督・満留浩昌は11話「龍の都」45話「命すむ星」でもクァンタムストリームをいつもと違うポーズで見せている。12話のフォトンエッジのポーズで言えば、それは正にウルトラセブンがアイスラッガーを放つアクションとほぼ同じで「光のアイスラッガー」というイメージそのままであり、フォトンエッジの発想の原点に立ち返って映像化しているかのようでもあった。このシーンで、フォトンエッジのヴィジュアル面の最大の特徴である「渾身の力を込めて」「全身を使って」といった「タメ」由来の要素を排した主な理由は、展開上の必然性にあると説明してみることはとりあえず可能だろう。ガイア出現前に既にアグルはフォトンクラッシャーの発射体勢に入っており、ガイアは登場と当時にウルフガスを避難させすばやくアグルとの対決に臨んで必殺技を行使しなければならない、という事がこのポーズ違いの背景にある。つまりタメてる余裕無し。両腕を八の字に開かずにまっすぐ前に伸ばして相手を見据えて発射するのは、この場合の相手が怪獣ではなくライバルのアグルであり、怪獣にとどめを刺すケースとは違うという演出上の意図と見ることもできようか。しっかりガンを飛ばし合った上でのタイマンという訳である。
ちなみに再びガイアとアグルが相まみえる16話「アグル対ガイア」25話「明日なき対決」ではいつものフォトンエッジの姿勢でアグルとの『フォトンマッチ(対決)』を見せているが、相手をしっかり見据えるアグルと相手の目を見ない(笑)ガイアとでは、なんだかガイアの腰が引けているようなそこはかとないプフフ感もあり、食玩「ウルトラマンファイト」でフィギュアで再現されたこのシーンは画面に光線が合成されているからこそ成立していた画だったのだなあと再認識させられたりもする。
後述するフォトンストリームの発射ポーズにしろフォトンエッジのそれにせよ最大の弱点は、画面上での見映え程にはスチール(写真)での見映がよくないことであろうか。初代マンなどがスペシウム光線での立ちポーズの写真が多く残されているのに対してガイアのそれが少ないことがそのことを物語ってもいようか。私は好きなんだけど。

ちなみに12話のフォトンエッジのポーズ違い(いわば『満留エッジ』(笑))は展開上の要請から選択されたものとばかりは実は言い切れない。頭上に挙げられた手がいつもならグーなはずがパーになっている(特編ガイアP31にスチール有)点は展開上の必然性では説明できず、クァンタムストリームのポーズが満留担当回だけ左手がグーではなくパー(というか手刀というか)になっていてモロに『ワイドショット型』であることと考え合わせると、監督の美意識故の(つまりグーはヤだ、といったような)選択なのではないかとも想像する事ができる(ちなみに45、46話では満留エッジではなく通常のフォトンエッジのポーズ)。そうなると発射時のポーズ違いだって監督の好みだと言ってしまえば言えないこともない。私はもちろんこちらも支持する立場なので(別に他の立場の人は知らんけど)、どっちがどうとか言うつもりではない。製作者の美意識が画面にほとばしるのを観ることは番組のファンとしての醍醐味であるから。

ここで27話「新たなる旅立ち」でニセウルトラマンガイア(清水一彦)が放ったフォトンエッジのポーズが大変興味深いので参照されたい。アグルから受け継いだフォトンクラッシャーを放つモノホンガイアと、それまでのガイアのデータをジオベからかっぱらって『フォトンマッチ』に臨むニセガイアの放つフォトンエッジは、両腕を広げるモーションをせずにいきなり頭上に腕を持っていくのだ!タメ全くなし。またしてもタメナシタイマン。発射時に顔面を下に向けずに正面を見据えていることも特筆すべき点であろう。ウルフガスを庇ってアグルと対峙した時にこのポーズをまんま入れ替えても成立するこのアクション、いくつかの場面を経て変遷を重ねてきたフォトンエッジの、これもまたシェイプアップされた一つの型と言えるだろう。また『顔上げ』姿勢は24話「アグルの決意」で発射後にクイッと上げるのを始まりとして以後、発射時にも顔上げが定番化した。


●スプリームそれは究極

26話「決着の日」で我夢は藤宮からアグルの光を受け取りガイア(V2)、ガイアスプリームヴァージョン(以下SV)が誕生する。ガイア(V2)は従来のガイアの技に加えてアグルの技も使える、というのが最大の特徴であるのに対し、ガイアSVは独自に必殺技「フォトンストリーム」を備えている。従来の技を使うV2ガイアからヴァージョンアップしたSVガイアが発射する必殺技に求められるコンセプトは「これまでのどの光線技をも上回るスプリーム(究極の)な必殺技」にあったことは誰が考えても明らかであろう。
劇場作品「ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア超時空の大決戦」で初めて披露されることになるフォトンストリームのポーズは1998年11月(テレビでは10〜14話が放送)時点で佐川監督によって既に決められていた(特編ガイア)とのことである。LDのライナーにも小中監督による同様の記述がある。
SVが初めて映像化された劇場版ではフォトンストリームの発射を正面から捉えている事に加えて、光線のエフェクトによって発射時のポーズが全く見えないという、それはそれで非常にインパクトのある初登場であった。私は試写会で初めて観たのだが「何がなんだかよくわかんないけどスゴイ」というのがフォトンストリームの第一印象である。ガイアの頭部と胸部を結ぶ線から発して画面いっぱいに向かってくる光線は正に究極光線としての大迫力を画面にほとばしらせていた。

劇場公開と同日に放送された26話「決着の日」では、ゾーリムの体内でフォトンストリームを発射する様がテレビで発披露されている。ここではガイアSVの姿は横方向から撮影され、発射時のポーズがはっきり画面で描写されてのお披露目となった。顔の前に左手をかざし左手の下に右手を付け体の中心に両手を揃えるポーズ。光線は右手指の先端から少し上方へ延長した位置から左手の手首あたりまでを結んだ線を基点にして光線エフェクトが描かれていることが劇場版よりもはっきり判る。
フォトンストリームとフォトンエッジの共通点を言うならば全身を使って集めた光を頭上に集中させ、それを光線に変えて発射するということであるが、大きな違いはその発射基点である。フォトンエッジは頭部であった。フォトンストリームはずらして重ねた両手を上(と下)に延長したラインを基点としている。次の項でフォトンストリームの発射基点について考察をしてみたい。そのことによってフォトンストリームがいかにして「スプリームな光線」となったのかが明らかになるはずである。



●THK→THHK

フォトンストリームについて考察するに当たって最も資料的な価値があると思われるのが劇場版のレーザーディスクに収録されているメイキング映像である。
ここには権藤俊輔が長谷川恵司にフォトンストリームのポーズを教授しているらしい映像が収録されている。スーツアクターの練習風景が収められているだけでも非常に貴重なのに途中どっかのおじさん(失礼!)がカメラ前を見切れるのがウガ〜〜ってカンジなのであるがそれはともかく、この映像から、佐川監督によって決められたフォトンストリームのポーズを一番最初に体で表現したのは権藤俊輔なのだと判断していいだろう。おそらくフォトンストリームは最初に権藤俊輔の体を通じて創作され、そのレクチャーを受ける形で長谷川恵司が劇場の画面で演じたものが『原フォトンストリーム』とも言うべき、フォトンストリームの基本コンセプトをストレートに反映しているはずである。フィルムでは光線のエフェクトによって隠れていたポーズは、メイキング映像の中で権藤俊輔が取っているポーズを踏襲したものと考えて間違いないはずである。胸をそらして手を体に引き寄せ気味であるところにテレビの中村浩二ポーズと若干の違いが見られる。
そしてこのメイキング映像にはもう一つ重要な映像が収録されている。小中和哉監督と子役達が休憩時間(?)に遊んでいるところである。平間優(メガネをかけた少年)役の入野自由(なんて読むんだ自由よ)がフォトンストリームのポーズを取って遊んでいる(後ろの子供もやっている)。自由(だからなんと読む)が微妙に半笑いな辺りがこの「拝みポーズ、カッコわる・・・」と思っていることをそこはかとなく結構露骨に臭わせている(ような気がする)が、子供のそんな半笑いにひるむことなく隣にいる小中監督が自由(読み方教えれ)の頭に片手を載せ両手を使って「光線がこう出るんだよ」といったジェスチャーをしている。ポイントは小中監督が自由の「頭」に手を載せている点だ。これは明らかにフォトンストリームの光線の基点が「頭」に(も)あることを表わしているはずである。またこの時の自由も「ほぉ〜なるほど」と納得の表情を見せているのもポイントだ。フォトンストリームのポーズは、ポーズ単体として見ると微妙なプフフ感があるにも関わらず、それはひとたび光線をイメージした時にポーズの真の意味が理解できる、ということを彼の表情は表わしてはいないか。察しのいいヤツだ。

おそらくフォトンストリームは「頭部と両腕から同時に発射される光線」というのが発想の原点であったろうと思われる。フォトンストリームを創出するにあたって、あくまでも「頭部基点」だったフォトンエッジ、そしてこれまで両手を使っていはいても光線の基点自体は基本的に片手であった先輩ウルトラ戦士達の光線を上回る迫力の映像表現を獲得するために選択されたのが「頭部&両腕から同時に発射される光線」だったのではないか。つまり左手を顔の前に、右手を胸の前に置き、ヘッドエッジと左手と右手が並ぶことで形成される一直線のラインを発射基点とする光線、すなわちフォトンエッジの『THK(頭部発射光線)』が『THHK(頭部&ハンドハンド光線)』に進化したものがフォトンストリームとは言えまいか。すなわちフォトンエッジ+両手=フォトンストリームなのではないか。

では実際の画面ではどうか、というとこれが少し違う。ここから先の論述には私の想像がかなり多く入っているので予めご容赦頂きたい。
劇場のフォトンストリームはほぼ正面から撮られているが、かろうじて頭部からも光線が出ているように見えなくもないかな〜という感じもするがしかしよく見ると判るように光線の発射基点は決して頭部には無い。両手を重ねたラインの上に延長した線から発射されてはいるが決して頭部からは出ていないのである。もしこのシーンを真正面から撮影していたならば同じような光線エフェクトであっても、ガイアの顔・頭部がすっかり光線エフェクトにかくれてしまうので頭部からも光線が出ているように見えたことだろう。
しかし正面から捉えた画での光線エフェクトは明らかに描きにくいはずだし、観客や視聴者に向かって光線放つガイアもどうかって問題もあるし(笑)、何よりも映像作品としての演出効果上、進行している物体を斜め方向から撮影するのは物体(この場合光線)の進行方向と向かって行く目的地を観客が直感的に理解するための生理的安定感を有した定番中の定番演出技法であり(特に画面右奥から左手前に進むのが基本と言われる)正面からのアングルは非常に特殊な場合になされるチョイスのはずである。
そこでフォトンストリームが初めて映像化された劇場におけるカメラアングルだが、「ほぼ真正面ちょい斜め」というのはフォトンストリームの光線が『頭部からも発射されているように見えなくもない』とするためのギリギリの角度だったのではないだろうか。おそらく頭部と両手から同時に光線が出るエフェクトというのは実際に光線エフェクトを描画した時に非常に見せ方が難しかったのではないだろうか。
ここでメイキングの権藤ポーズを見てみよう。胸を反らして両手を体に引き付け気味ではあるが、頭と手との間にはちょっとした距離がある。頭と手から同時に光線が出ているように見えるエフェクトをサマになるように描くのはおそらく難しいだろう。『頭部&ハンドハンド光線』というのは真正面から見た時にだけ実現可能なアイデアであり、横(斜め)から見た場合にヘッドエッジと両手との距離がエフェクトの描画を難しくしていると思われるのだ。もし横や斜めのアングルでそれを可能ならしめようとするなら、両手を顔と胸にぴったりとくっ付けるしかない。けれどもそのポーズはより『拝み』状態に近くなりプフフ度5割り増しである。
ポーズとしてのカッコよさと光線の見え方を両立さえるためのギリギリの選択が劇場フォトンストリームには表現されているのではないかと思うのだがいかがなものだろうか。その結果、あの迫力の画面が誕生したのだと思う。


●THHK→HHK

その認識に立った上で26話のゾーリム体内でのフォトンストリームを見てみると、カメラアングルは劇場とは違い定番の斜め横方向から、ポーズも劇場よりも多少前傾姿勢気味で、そのため光線エフェクトは頭部にはかすりもしない位置から出ていて、この時点でもう既に「頭部発射」とは無縁な表現になっている。この回は特技パートは本編と同じく村石監督によるものだが次の回27話「新たなる旅立ち」ではフォトンストリームの生みの親・佐川監督の演出によるフォトンストリームが映像初登場となる。ここに於いて初めて、あのお馴染みの重ねた両手の平をスライドさせるアクションが登場、フォトンエッジにおける「ムチの動き」と同様「1アクション」が加わったことになる。おそらく劇場でフォトンストリームが映像化された事を受けて『THHK』の「T」をオミットするという判断が行なわれたのではないだろうか。そしてその判断の上に立って「HHK」つまり『ハンドハンド光線』としてのフォトンストリームとしてより一層「両手使ってます」感を強調する1アクションとしてあの「スライド」が加えられたのではないだろうか、と想像するのだがいかがか。
この1アクションは確かにフォトンストリームのイメージを決定付け非常に面白いポーズになったとは思う。が「究極の光線技」としての豪快さや迫力を損ねてしまったと感じずにはいられない。この雰囲気がウルトラマンナイスのベリーナイス光線の首を傾げるアクションに繋がっている・・というのは冗談にしても、見た目の印象強さや真似のしやすさ・したくなりやすさ、という意味では大成功と言えるだろう。日常生活でも応用がきく。人に両手を合わせて物事を懇願した後にズリッと手をすべらせてビビビーと攻撃してみたり、神社で柏手を打った後にズリッと手をすべらせて神様にオチャメしてみたりと、日常生活に潤いをもたらす事間違いなしの広く親しまれるポーズになったことは間違いなと言えよう。


●スプリームなストリーム

先にあげた「命すむ星」のクァンタムストリームのシーンであるが、その後スティンガー、バイソンの集中砲火で敵を弱らせそこですかさずフォトンストリームでとどめを刺すという場面がある。ヴァージョンアップするやいなやタメポーズも省き気味にフォトンストリームを発射するガイアSV。敵を弱らせたところでスピーディにとどめを刺すこの間合いは初代マンがスペシウム光線を放つ時の間合いに近いものがあった。この回以外にも『ヴァーアップ速攻ストリーム』な場面があるがこのパターンがもしかすると『ウルトラマンガイア・スプリームヴァージョン』のあるべき究極の姿なのではないか。『スプリーム』すなわち『究極』、思いっきし言い換えちゃえば『とどめ』。スプリームヴァージョンそのものがガイアにとっての『とどめ』なのであり、とどめの必殺光線を放つためだけに取る姿、それがスプリームヴァージョンの真骨頂なのではないだろうか。出る幕の少ない勿体なさ加減も正に究極の名に相応しい登場の仕方と言えよう。V2モードで敵を弱らせSVチェンジで一気にキメる。これぞ究極の必勝リレーだ。「もっと見たい」という視聴者の声をよそに恐るべき速さと破壊力で豪快に敵を倒し、すっくとそびえ立つ荘厳な姿、それが私のSVのイメージだ。
ちなみにフォトンストリームでも倒せなかった敵・ビゾーム(42話「我夢VS我夢」)は最終的には『拳』によって倒したが、これは我夢の心に巣食っていた特殊な敵への『とどめの一発』を自らの肉体にも痛みを伴う手段でキメるという、これなどは正に究極の上を行く表現だったのではないだろうか。


●究極から至高へ

フォトンエッジ、フォトンストリームに様々な表現の違い、ポーズの変遷などがあることを見てきた(全てでは無いですが)。ガイアのテレビ放送は終わったが、まだ私達には大きな楽しみが控えている。オリジナルビデオによるガイアの新作の発売である。来年3月にはガイアは、アグルはどんな必殺技で我々にその勇姿を見せてくれるのだろうか。フォトンエッジ、フォトンストリームを超える至高の映像的快感を我々に与えてくれるのだろうか。監督は49話「天使降臨」の八木毅である。カメラワークやカット割り、ガイアとアグルの『人間ウルトラマン』然とした動き、音楽演出、XIGファイターのCGアクション、情感のこもった人物描写、エンディングの場面編集の見事なチョイスなど、それまでの回には無い演出で私個人としては最終三部作の最高傑作と思っておりシリーズを通しても1話の次に好きだと言っても過言ではない回である。
SVからOVへ。八木監督がこれまでの「ウルトラマンガイア」を更にヴァージョンアップさせ至高の映像的快感を与えてくれることを今から心待ちにしている私のワクワク感を披瀝して、この拙稿を終わりにしたい。『OV』が「オリジナルビデオ」の略ではなく「OH〜!ブラヴォ〜!これぞ至高のメニュ〜じゃよ〜(長げぇよ)」の略となることを切に願うものである。ガイアよ再び!


2000年10月6日(金)脱稿  text by満相寺ちばこ
(文章は告知なく加筆訂正される場合があります、てゆーかたぶんそうなりますのでご了承ください)