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2001年3月21日 小辻史郎(インフォシブ)
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世の中にはいろんな人たちがいます。お金持ちの人、良い人・悪い人、明るい人・暗い人、…。人間を分類してみると何か役立つことがわかりそうな気がするのです。 小辻とその配偶者について考えると。。その二人にとって一番大きな問題は小辻に精神分裂病の兄がいることなのでしょう。配偶者にしてみると、そのような得体のしれない病人が親族に存在すること自体がとても大事件なのです。このようにいうと今の私にはとても大げさないいかたのように思えてなりません。昔は、私だって若い頃、精神分裂病の人が家族にいるということはものすごい大事件だったと思えましたが。 しかし、最近は多くの精神分裂病の病人をきょうだいにもつ仲間と付き合ってきたので、そのように「大事件」だとは思えなくなってきました。これはたぶんいいことなのでしょうね。このように精神分裂病の病人をきょうだいにもったことを特別なことのように思えなくなってきたのは、きっといろんなたいへんな事件みたいなことをたくさん経験して、そして同じようなことを体験した仲間と付き合うことによってしだいに身についてきた「体験的感覚」なのだと思います。そして、昨今世間で騒がれていると思われるような、精神障害者があたかも犯罪を起こしやすい人であるかのような見方、いわゆる精神障害者に対する「偏見」は世間一般の人のように私にはないのだろうと思います、たぶん。 一方、私の配偶者はどうかというと、たとえば精神障害者が注いでくれたお茶が飲まないだろうし、彼らをやはり危険な人たちと色眼鏡でみると思います。それはいわゆる「偏見」と呼ぶものです。しかし、私にも昔同じような偏見をもっていたとはいえ、最近はそのような偏見の感覚を理解できなくなってきました。そのような偏見は、自分も体験したのだから知的には理解できるのでしょうけれど。 人間を「精神病に偏見を持つ人たち」と「精神病に偏見を持たない人たち」に分類するとしたら、私の配偶者は前者に、そして私は後者に属するかもしれません。妻のような「偏見を持つ人たち」は、私のような「偏見を持たない人たち」が、なぜ「偏見を持たない」かがどうしても理解できません。それゆえ、病者に対する偏見が、今度は「病者に偏見を持たない人たち」への「第二の偏見」へと拡大します。 このように考えてくると、逆のこともまた言えるのではないかと近頃は考えています。つまり、偏見を持たない人は、偏見を持つ人たちに対して「偏見をすてなくてはいけません。」とか「精神病はごく普通の病気なのです。」とか強く主張することが社会運動として行われています。しかし、これはまた偏見を持たない人による盲目的な偏見のような気もしてくるのです。偏見を持たない人は、偏見を持つ人の気持ちを理解できなくなっているのですね。偏見を持たない人が、偏見を持つ人を常に批判するとしたら、このようなものが、「新しい偏見」といえるかもしれません。 私は偏見をもっている配偶者を嫌っています。あちらが偏見をもっているので、嫌っています。私が嫌っている感情は、前述の「新しい偏見」に裏付けられています。 ときどき、私はかみさんと仲良くしたいと思い、それにはどうしらいいかと考え込みます。きっと、それは自分が新しい偏見に浸されていることを自覚することによって何かが得られるのだというような気がしてきました。 最近は、インフォシブという活動を始めたりして、また「新しい偏見」を強めつつあるようですが、たまには普通の偏見を身につけたりしてみて、他人のことがわかるようになったらいいのかもしれません。これはいけないことでしょうか。 兄弟姉妹の会の例会などでも、これまで先輩たちが新しい偏見を武器に古い偏見を打破することがあったようですが、それは本当に正しかったのか、とふと思ったりしました。ああ。。なんか批判されそうだな。俺はただ仲良くしたいだけなんだよ、みなさん!
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