没個性な主人公、希薄な内面描写 連続ドラマ「逃亡者」
TBS系の連続ドラマ「逃亡者」は、1960年代にヒットした米国のテレビドラマ、それをリメークしたハリソン・フォード主演の米映画の日本版だ。主人公が無罪を証明するために逃亡生活を送るという基本コンセプトは、米国版と同じ。しかし、心の葛藤、真犯人をつかまえようとする執念など、極限状態に置かれた主人公の多様な内面描写が希薄すぎて、今ひとつ感情移入ができない。
保護観察官の永井徹生(江口洋介)は、妻子と家族3人で幸せに暮らしていたが、ある日、何者かに妻を殺され、息子も意識不明の重体に。鉢合わせとなった犯人を逃した永井は、容疑者として逮捕されるが、護送中の事故に乗じて逃亡者となり、真犯人を突き止めようとする。
主人公の職業を医師から保護観察官に変えたほか、真犯人と見られる義手の男を死なせたり、保護観察中の少女との交流などを盛り込んだりと、設定やストーリーで独自性を出そうとする作り手の工夫は垣間見られる。だが、ドラマで基本線は、永井の逃亡と、そこから派生した「真犯人を追う」という行為を描くことであって、エピソードの中から永井の人間性が浮かび上がることは極めて少ない。脚本が問題だからか、もしくは江口と役の個性が合っていないからか、「家族思い」であること以外に永井を形容できず、キャラクターとして「没個性」なのだ。
今回、作り手は劇中音楽や画面割りなどにも腐心し、緊迫感の演出に力を入れているようだが、主人公に感情移入しにくい現状では、あざとく、疲れるだけ。ドラマの“飾り”の部分に力を注いでも、肝心の人物描写に欠陥があっては意味がない。もっと正義感が強く、ひたむきで、ストイックなはずの永井の個性をあぶり出すことが、「駄作」に終わらせないための急務の課題ではないか。
劇中、最もインパクトが強いのは、永井を執ように追い掛ける峰島刑事にふんする阿部寛の“怪演”。連続ドラマの「いつもの顔」ながら、作品によっての演じ分けは実に巧みである。5回目まで、永井の身柄確保に異常な執念を燃やす理由が今ひとつ分からずに戸惑ったが、後半、犯罪への憎しみがどこへ向けられるのか注目したいところだ。
(2004年8月18日執筆)