パフォーマンス重視、寂しい最後 「ニュースステーション」
テレビ朝日系の看板番組「ニュースステーション」が26日、18年半の歴史に幕を下ろした。軽妙(軽薄?)なトークで、「ニュースショー」という新ジャンルを切り開いた司会の久米宏。最終回も、ビールを一気のみする型破りなパフォーマンスを披露し、“らしさ”を貫いたが、テレビ史に残る番組の最後としては、見るべきものが少ない、寂しい最終回だった。
26日の放送内容は、1985年10月以降の番組の歩みや、久米の容ぼうの変化を振り返る構成に。近年は、「久米による、久米のための番組」という色彩が濃かったが、最終回は、まさにそれが象徴されていた印象。ニュース報道はおざなりにされていた。
「ニュースを分かりやすく」―。ニュースといえば、お堅いNHKという時代にあって、この方針が厳守されていたのが、支持を集めた大きな理由だ。ジャーナリストでなく、司会者の立場を貫いた久米と、温厚で良識のある朝日新聞編集員だった故小林一喜さんのバランスも絶品だった。
1990年代半ば以降は、そんな番組の魅力が急速に失せ、単なる派手好みの内容に変化した気がする。スポーツコーナーでのタレント起用は、その一例だろう。埼玉県所沢市の野菜のダイオキシン汚染報道など、報道をめぐるトラブルが目立つようにもなった。そして、99年の“降板騒動”を境に、久米が発するオーラから、視聴者にニュースを伝えるという基本姿勢が消えてしまった。
「ニュース報道」の本質とは、視聴者の生活に有益な情報を発信することのはず。司会者の言動ーやファッションなどに、必要以上の関心を集めさせるのは、本末転倒だ。「ニューステーション」は、そんな「ニュースショー」の問題点を示しつつ、幕を閉じた印象を受ける。
4月スタートの「報道ステーション」は、古館伊知郎が司会。マシンガントークが持ち味の古館が、報道番組にどこまで新風を吹き込めるか? TBS系の「生命38億年スペシャル/人間とは何だ!?」をイメージすれば良いのか? 「ニュースステーション」の二番煎じにならなければ良いが…。
(2004年3月28日執筆)