人間的な主人公、映画版超える内容 「砂の器」


 松本清張の推理小説が原作の連続ドラマ「砂の器」(TBS系)が、3月28日で終了した。野村芳太郎監督による映画版と同様、主人公が背負う「宿命」がテーマだったが、その宿命に押しつぶされていく主人公の内面が、しっかりと描き込まれていた。その出来栄えは、宿命の悲しさに重きを置き過ぎた映画版を超えているとの印象を受けた。

 テレビ版での作曲家和賀英良(中居正広)が抱える宿命とは、映画版のハンセン病とは異なり、「殺人犯の子供」ということだった。その過去を知る三木(赤井英和)を殺害した和賀は、自らの「宿命」と向き合うことを余儀なくされ、そんな彼を警視庁の今西刑事(渡辺謙)が追い詰めていく。

 加藤剛主演の映画版は、ハンセン病の父と放浪生活を送った和賀の悲しい過去をメインに描いていた。その過去を悲劇的につづることに力点を置いた結果、確かに「感動作」には仕上がっていたが、殺人を犯した和賀を断罪する視点は皆無だった。宿命に苦しむ和賀の姿も描かれることはなく、加藤の和賀像には人間味が感じられなかった。

 対する中居が演じた和賀は、冷酷さと同時に、心の弱みが併存するキャラクター。交響曲「宿命」の制作過程で自らの宿命と向き合ったり、今西刑事に追われる不安感を募らせたりと、その心模様は映画版と異なり、生身の人間らしいものだった。その結果、映画版より「宿命」のインパクトは薄まったかもしれないが、和賀の人物像によりリアリティーが生じたのは、事実だろう。

 今西に逮捕された和賀は、父(原田芳雄)、すなわち宿命と対峙し、子供が親を求める人間的本能を解放させる。和賀の宿命の悲しさ、親子愛の尊さを見事なまでに表現した、感動のラストシーンだった。

 今作で印象深かったのは、和賀が父と放浪中に訪れた土地の風景の美しさ。出演者の中では、表現力、存在感とも、渡辺謙が抜きんでていた印象だ。演技力に定評がある中居だが、今作ではラストシーン以外は無難な演技だったか?

(2004年3月31日執筆)