「日常」を撮る気概、「胸」に走る邪念 「世界ウルルン滞在記」


 週刊誌などをにぎわす元NHK契約アナウンサー古瀬絵理の民放初出演と聞き、5月30日夜、久々に紀行番組「世界ウルルン滞在記」(TBS系)にチャンネルを合わせた。「○○に○○が出会ったぁ」に象徴される下條アトムのナレーションが苦手で、しばらく敬遠していたのだが、ありきたりな観光情報でなく、世界各地に暮らす普通の人々の「日常」を撮り続ける姿勢は、相変わらず徹底されていた。

 タレントがホームステイを通じて、現地の人々と交流し、何らかの仕事などを通じて成長を遂げる−。鋳型にはめ込むような制作手法を採用し続けている「ウルルン」。未知の国での戸惑い、達成感、別れのつらさなど、切り取られるエピソードは同一のパターンだ。こうした感情は万人が理解できるもの。この愚直なまでに貫き通す制作スタイル、テレビマンの気概が、番組の人気の礎であり、魅力だろう。

 振り返ると、出演してきたのは、売り出し前のタレントやベテラン俳優ら、比較的スケジュールの取りやすい顔ぶれか。裸で奮闘する山本太郎の姿は印象深い。また、古瀬のように、この番組から再スタートを切るケースもあるようだ。

 その古瀬。行き先はポルトガル北東部の山岳地帯のモンサント村。チーズ作りや家畜の世話などに従事していたが、表情や容姿に独特のオーラが漂うわけでもなく、いわゆる“ため口”の言葉遣いは、とてもアナウンサーとは思えない。スタジオでのトークもちぐはぐで、新たなスタートへの意欲は見られず。今後どこまで活躍できるか、非常に心配だ。

 とにかく辟易させられたのは、古瀬の「胸」を意識した内容。例えば、現地の女性に胸を触らせた後、「日本では胸の大きい女性を何というの?」との問いに、彼女が「スイカ」(彼女の俗名は『スイカップ』)と答えた場面などは興ざめだった。上述の通り、番組が長く支持を集めるのは、世界の日常を見詰め続ける作り手の姿勢であるはずなのに、「胸」に走ったのは、胸に血迷ったのか、それともここでも「視聴率」を意識したからか?

 敬遠していた番組の魅力と、テレビマンの邪念。2つを感じ取る、複雑な夜だった。

(2004年5月31日執筆)