「ブラック・レイン」の魅力…それを一言で言うなら「男の世界」。これ程ぴったりくる言葉は他にないだろう。この映画の根強いファンなら、口を揃えて、そう答える筈。かく言う私は女であるが、今更ながら、この映画にハマってる。公開当時、何故か観に行かなかった事を残念に思えてならない。あの画面、音の迫力を映画館で味わいたかった。今回はこの作品について、私なりの思い入れを探り、語りたいと思う。
私がこの作品に惹かれるのは、大好きなアンディ・ガルシアが出てるから。その要素はとても大きいが、それだけではない。
健さんや優作さんが出演してるのは勿論、生まれ育った大阪が舞台である事、そして何より、制作された頃の大阪の冬の、
あの雰囲気を知っている…だからかも知れない。こんなにこの作品に惹かれるのは。
彼のファンになって、何度繰り返し、この作品を観ただろう。何回か観ていく内に段々と作品自体が好きになり、今では一番好きな映画になってしまってる。リドリー・スコット監督の映像感覚は十年以上も前の作品だという事を忘れさせる。全く古さを感じさせない。その証拠に彼の作品はよく、「十年先取りした映像」と言われるらしいが、まさにその通りだと思う。それは監督としての技量、パワーゆえだろう。

十年後に観て、改めて、その良さが分かる。良い作品を作る為には妥協は許されない。この作品は、外国で撮られたとあって、いつも以上の倍も体力、集中力が必要だったと思う。一番の障害になったのは日本の撮影規制だという。日本には規制規約が多い…この作品を制作するにあたって、彼らには、そういう印象を与
えてしまったという事になる。確かにそれは日本の性質であって、他にどうしようもない。とは言え、こんな上質の作品をハリウッドが作ってくれるというのに、決められた枠内でしか官僚機関が協力しなかったかと思うと、大阪府民ながら何だか悲しくなってくる。面白い事に、この作品の中でもそれに思い当るような場面がいくつかある。その上で、何事にも屈服せず、限られた枠内で、この作品を仕上げたリドリー監督には本当に感服する。
それらの事があってか、彼自身はいくつか不満が残る作品になったらしいが、何の、何の。充分である。
だが、もし・・・もしも、それらの機関がもっと協力的で、リドリー監督が思うような映像を存分に撮れていたとしたら、この「ブラック・レイン」は一体どんな作品に仕上がっていただろうか?
あまり変わらなかっただろうか? それとも仕上がった作品より良かっただろうか?
最近、そういう事をよく考える・・・が、そういった事を考えるのは当然、無駄だというもの。
何故なら、「ブラック・レイン」はあれ以上でもなく、以下でもない。あの作品がまさに「ブラック・レイン」そのものだからだ。
(とはいえ、それでも幻のシーンやメイキングを見たくなるのはfanのサガ・・・^^;)