* 朝を待てずに *

プロジアムは悪魔の薬だ。
人間の感情を殺し、表情を殺し、自由な魂を殺してしまう。
君たちに出会ってその危険性に気づいた私は、もう何年もネーダーで密造された偽物のアンプルを使っていた。見かけはイクイリブリウムで配給されるプロジウムとまったく変わりないが、中身は色つきの生理食塩水だ。

だが、最近になって週に何度かは本物のプロジアムを使うようになった。
自分を守る必要に迫られたからだ。


* * *


デュポント副総裁の執務室には、西を向いた細長い窓があった。
壁も床も調度もすべて黒一色に統一され、装飾的な要素などほとんどない室内で、禁欲的だが美しいかたちに切り取られたリブリアの景色はとても美しかった。黄昏どきであればなおさらだ。金色の日差しがコンクリートと鋼でできた都市を燃やすとき、私は人々の心から失われた情熱を思い出した。
「クラリック、パートリッジ」
彼は荘重たるデスクの上に手を組み合わせ、ふたつの黒炭を埋めたように感情のない目で私を見つめる。この部屋の持ち主たるにふさわしい、重々しい風采の男だ。
その彼の向こうに見えているのは、リブリアの夕暮れ。
「・・・来たまえ」
くるりと椅子をまわして、男は私をそばへ呼ぶ。
私はいつも、はい、とだけ答えた。
そう、この瞬間のためにこそ、プロジアムは必要なのだった。

男の手に促されるまま、塵ひとつない床に跪いて手を伸ばす。テトラ・グラマトンのユニフォームは上着の丈が長く、こうして椅子に座ったままの相手の前を開こうとすると、少しばかり手間がかかった。
相手のズボンの前をくつろげ、まるで銃を扱うような慎重さで中のものを取り出した。なまあたたかい感触に触れた指が震えないでいられるのもまた、ここへくる直前に注射したプロジアムのおかげだ。
両手の間にそっと包み、表面のゆとりだけを動かすようにやわらかく刺激した。男はリラックスした様子で椅子の腕木に肘を置き、その手の動きをじっと見守っていた。その唇はわずかに歪み、あともうわずかで微笑と呼べそうなほどになる。
だが、私にそれを見ることは許されない。
男の掌が私の頭を押さえ、ゆっくりと股間に顔を埋めさせるからだ。
私は大きく口を開き、男のものを丁寧にしゃぶりはじめる。口腔いっぱいに頬張ったまま頭を振り立てて、同時に手も使って。感受性の鈍くなった心でも、こんなことは早く済ませてしまいたい、くらいのことは思うらしい。
男は私の頭や頬をゆっくりと撫でながら、私が奉仕する様を眺めて愉しんでいる。ぐっ、と喉奥まで押しこまれると、私もつい苦しくなってぎゅっと顔をしかめずにはいられない。それは生理的な反応であって、屈辱のためではない。
少なくとも、薬の影響下にある間は。
含みきれない部分を撫でさすっている私の手が、自分自身の唾液と男の体液に濡れて、淫らな音を立てる。鼻先をくすぐる、黒くてこわい体毛の感触。頭上で、ふうっと男が深い息を吐く。もうはちきれんばかりになった彼自身は、私の喉を突き破りそうなほどだ。
「・・・っぐ・・・!」
両手で髪を掴まれ、より強く、深く押しこまれた。ひどく苦しいが、それももうすぐ終わるのだと思えばなんとか我慢できる。
私はきつく目を瞑り、その瞬間に備えた。


* * *


時々、この男こそが感情規制の違反者ではないかと思うことすらあった。テトラ・グラマトンの副総裁たる男だ。そんなことはありえないとわかっていながら、私はその疑いを捨てきれずにいた。
もっとも、疑ってみたところで証明することなど不可能だ。

数年前、私は第一級のクラリックとしてこの部屋へ立ち入ることを許され、また信用できる人物だからというので、こうして副総裁の性欲の処理まで命じられることになった。私の前には誰がその任にあたっていたのか、私は知らない。知りたいとも思わなかった。
「私とて人間である以上は、欲求を無視することはできない。だが、私には敵も多いのだ。君のように優秀なクラリックならば、まさか私を暗殺しようなどとは思うまい?」
その言葉のどこまでが真実で、またどこまでが嘘だったのだろう?

以来、私は週に何度か彼の呼び出しに応えることとなった。
はじめのうちこそ報告書のファイルを携えていったものだが、しばらくするとそれすら馬鹿馬鹿しくなってしまった。私がどんな醜態を晒したところで、それが合法的なことである限りはどうせ誰もなにも感じないのだ。
そのときだけ、私はプロジアムを使った。
屈辱を感じて引き歪む顔、あるいは命令に従うことを躊躇して震える指先の動きを制するために。


* * *


私は青臭くなまあたたかい粘液を、掌に吐き出した。まだ飲めとまで命じられたことはなかった。
ハア、ハアと息を弾ませている私の肩を、男が軽く叩いた。
「今日はもういい、パートリッジ。ご苦労だった」
私はまだ男の前に跪いたまま、差し出されたハンカチで手を拭った。

そのとき、ドアにノックがあった。

室内には、まだ雄の匂いが満ちている。彼はまだ着衣の前を開けたままだ。まさかと思ったが、副総裁は卓上のボタンを押して、ドアを開いた。
頭を巡らしてその姿を目にしたとたん、私の心の底でざわざわとなにかが蠢いたが、それすらもプロジアムの築いた分厚い防壁を貫くことはなかった。
ジョン・プレストン。
すらりとした長身をストイックなユニフォームに包み、たったいま工場から出てきたばかりのグラスのように硬質な美しさをたたえた、私のパートナーだった。
「失礼します」
正面を向いて顎を上げ、彼はデスクの向こうにいる私たちを見た。くっきりとした眉が片方だけぴくりと動いたが、感情の発露と呼べるほどのものではない、と私の鍛え上げられた職業意識は瞬時に判断を下した。
「お邪魔をしたようです。閣下のスケジュールが変更になったという連絡は、受けておりませんでした」
「今日の午後は多忙だったので、失念していた。・・・ちょうど君のパートナーを借りていたところだ。彼はとても信頼できる」
そう言いながら男は、黙っている私の顎をするりと撫でた。
プレストンは小鳥のようにわずかばかり首を傾げたが、すぐに得心がいったのか、深く頷いた。
「はい、彼は非常に優秀なクラリックです。信頼に値します」
「君も彼とは個人的に関係があるのだったな。先週の報告書で読んだ覚えがある」
「はい」
プレストンは、見事に表情を動かさなかった。この抑圧された社会に、プライバシーなどは存在しないも同然だ。たとえ暴かれたところで、法規に反することをしていない限りは誰も干渉しない。それどころか、誰かの関心を引くこともない。
私は痺れた膝を励まして立ち上がり、濡れた唇を自分のハンカチで拭った。プレストンの視線が乱れた髪に注がれているのに気づいて、両手で後ろへ撫でつけた。
平静な声を保つのに、ほとんど努力は要らなかった。
「・・・では、私はこれで失礼します」
「ご苦労だった、パートリッジ」
上着の裾を整えながら、男は重々しく頷いた。私は軽く頭を下げ、プレストンの脇を通り過ぎてドアへ向かおうとした。

「パートリッジ」
そのプレストンに呼び止められて、一瞬だけ足を止めた。顔の筋肉がぴくりと動いた気がしたが、彼は問題にしなかったようだった。
「私とのことが負担になるようであれば、そう言ってほしい。私たちはお互いに率直であるべきだ」
「もちろんだとも、プレストン」
私も静かに頷き、もう振り返らずにそのまま歩いて部屋を出た。


その夜、ゆっくりとプロジアムが「さめ」てゆくのを感じながら、私は何度も何度もそのときの彼の言葉を反芻した。
死にたい、と思ったのはそれが最初だった。


* * *


さて、もう語るべきことはほとんど残っていない。
美しく情熱的なメアリ、私はほかのことと同様、人生の最後を迎えるにあたっても君の役に立つことはできないようだ。
私の感情も言葉も、私が愛したこの静かな廃墟のうちで、ガラスのように砕けて誰かに踏み荒らされるのだろう。
はかない夢の衣とともに。


* FIN *




■INDEX■


やってしまいました。
勢いのままに、とりあえずアップ!
どうせ直すにしても。(苦笑)

20031107