* fragile/12 *

その晩は、ショーンが夕食の給仕についた。
腹をこわしたという執事は夜になっても調子が思わしくなく、ディヴィッドは彼のために自分の主治医を呼んでやった。執事はひどく恐縮したそうだが、ディヴィッドにとってはたいしたことではなかった。むしろ、彼に長く寝込まれることのほうが不都合だ。

「お医者様は、生ものにあたったんだろうって言ってました。消化のいいものを食べて寝ていれば治るそうです」
「そうか」
実を言えば、その医者は執事を診たあとでディヴィッドのところへも病状の報告に来ていた。医者にしては簡潔でわかりやすい説明だと思ったものだが、同じことをショーンに理解させるにはたったこれだけの言葉で済むのだ。
「・・・それはよかった」
「はい」
ディヴィッドの前に背の高いグラスを置き、ショーンは不意にニコリとした。手慰みにスプーンを取り上げたディヴィッドが思わず額に皺を寄せたのには気づかなかったらしい。嬉しそうな微笑の名残をまだ唇の端にのせたまま、次は何をすればいいんだろうかとテーブルの上を眺めわたしている。
コン、と開かれたままのドアが軽く叩かれて、戸口のところに台所女中が姿を見せた。料理の載ったトレイを持っている。ショーンはすたすたと歩いていって、彼女の捧げ持っているトレイから皿だけを取り上げた。
「・・・?」
「・・・」
ほんの二言三言、彼女と言葉を交わしたショーンは、まだ笑顔のままディヴィッドのところへ戻ってくる。年上の女にからかわれでもしたのか、頬骨の上がほんのり赤くなっていた。
「どうした?」
思わず訊いたら、その笑みをこらえるように頬を引きしめて
「なんでもありません」
と答えた。
気に入らないどころの話ではなかった。
この程度のことで、と自分を諫める気持ちも湧かないではなかったが、思ってしまうものは仕方がない。
いっそ閉じこめて飼ってやろうか。
完全に手に入れることができれば、そんな不穏な考えも浮かばなくなるだろうに。


ショーンに他意がないことはわかっている。
病床にある執事が書いて持たせたらしいメモを時々こっそりと盗み見ながら、グラスや皿を丁寧に配置してゆく。カトラリーを並べる順番も間違えなかった。テーブルの周りを回る足取りはぎこちなかったが、食器を扱う手先はそれなりに優雅だった。ショーンはきれいな手をしていた。
今夜のメインは、料理番が得意にしているオックステールの煮込みだった。ディヴィッドが怪我をしてからずっと、彼女は滋養のつくものを、と心がけているらしい。実際にはほとんど屋敷から動かずにいるので、それほどの熱量は必要ないと思うのだが。
「これでは太ってしまうな」
「大丈夫です」
ふわりと、ショーンの声が降ってくる。つられて見上げると、彼は、はっとしたように一歩後ずさってディヴィッドから距離を置いた。
「・・・旦那様は痩せておいでだから、大丈夫です」
「そうか?」
「はい、旦那様」
右手に持ったボトルが、所在なげに宙に浮いている。グラスを差し出してやるとショーンはそろりと近づいてきて、メインにふさわしいワインをゆっくりと注ぎ入れた。
極上のルビーのような赤。
ショーンは意外にも、きちんといつもの定量だけ注いでボトルの口を上げた。褒めるようにショーンを振り返ると、彼はディヴィッドの表情を読んでかすかに笑みを浮かべた。
「執事さんに教えてもらいました」
「・・・以前から知り合いなんだったな?」
「はい。死んだ父によくしてくれました」
死んだ父に。
「そうか。ほかの家族は?」
「もう妹だけです。母も死んだので」
さらりと言って、ショーンはすばやく目を逸らした。テーブルの上を見ているようなふりをしているが、それだけではない。このことに触れられたくないのだ。

ほんの一瞬、気詰まりな沈黙があった。
ショーンは何事もなかったように給仕を続けたが、ディヴィッドは彼がふと垣間見せたプライベートに心をひかれるのを覚えた。
もし手に入れたら、もっと欲しくなるのかも知れない。
欲しいだけ奪えばいいんだと、胸に棲みついた悪魔が甘い声で誘惑を囁く。
笑みを引っ込めてしまったショーンを引き寄せて、”笑え”と命じたらどんな気分がするだろう?


「旦那様、お願いがあるんですが」
唐突にショーンがそう切り出したので、ディヴィッドは少なからず驚いた。ワイングラスを置こうとして目測を誤り、皿にぶつけてしまう。あっ、と言ってショーンが手を出し、ディヴィッドの手からグラスを引き取って安全な場所へ置いた。
「なんだ?」
ディヴィッドの理性は、悲観的な予測を並べ立てることを拒んだ。それよりも、彼が初めてディヴィッドに何かを求めてきたことのほうが重要に思えたからだ。
いったんは言いだしかけたものの、後が続かないといったふうにショーンは俯いている。長い指で、まだグラスのステムを摘んだままだ。
「なんだ、ショーン。早く言え」
「その・・・時々でいいので、夜、お暇をもらえませんか。旦那様のご用が済んでからでいいんです。朝までには帰ってきます」
「どこへ行くんだ」
訊くまでもなく、答えはわかっているような気はしていた。
コルクのくずが混ざっていないかと確かめてでもいるような真剣さでグラスの中を覗きながら、ショーンは案の定答えた。
「妹が、入院しているので。時々会いに行ってやりたくて」
「悪いのか」
「わかりません」
いつまでもグラスを見てはいられない。ショーンは無理に表情を和らげてディヴィッドの顔を見つめ、彼には珍しいきっぱりとした口調で言った。
「でも、旦那様のおかげでいい病院に移れそうなんです。ありがとうございます」
ショーンは迷いのない目をしていた。
ディヴィッドはナプキンをはずして、皿の上に置いた。
「わかった。だが、やはり条件がある」
いつかと同じようにそう言ってやると、きゅうにショーンの瞳が曇った。明るく輝いていた夏の緑野が見る見るうちに暗雲に覆われ、その色までも失ってしまうときのような憂鬱な眺めだった。

それでもショーンはディヴィッドの顔から視線をはずさなかった。
主人の命令を待ついつもの姿勢に戻って、静かに立っている。
もういいから仲間のところへ行け、と言ってやりたい気持ちをおさえつけてディヴィッドは、椅子の上で身体をひねった。
「私にキスしろ、ショーン。ゆっくりとだ・・・」

ややあって、ショーンは無意識らしい仕草で乾いた唇を舐め、ディヴィッドの頬におそるおそる手を添えて、そうっと顔を近づけてきた。鼻先が触れるまで近づいて、もうぶつかる心配がないと思ったのか、ぎゅっと目を瞑る。色の薄い睫の下に夕暮れの長い光が影を落として、視覚を欺くように揺れていた。
たまらずに首に手をかけて引き寄せると、びくりと震えた。だが逃げなかった。
初めて自分から触れてきた唇を貪りながらディヴィッドは、ドアの陰にちらりと人影が動いたのを見たような気がした。
ショーンには言わずにいてやろう、と思った。







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おかしいなあ、12はこんな話になるはずじゃなかったのに。
・・・あれっ、このネジどこから落ちたやつ?
あたしの頭?
なんかでっかいよ、しかも数が足りてないよ!(汗)

20030909