* fragile/13 *
この季節、日はなかなか暮れない。
夕食後数時間経ってもまだ空には明るさが残っており、静まりかえった夏の庭には灌木の影が長く伸びているばかりだった。
ディヴィッドは窓辺に引き寄せたカウチに仰向けに横たわって、天井にちらちら揺れる光を眺めていた。ちょうど日差しの届くところに水差しがあり、それに長い夕日が当たって、天井に反射しているのだ。
今のディヴィッドには、何もすることがなかった。
いや、したいことがない、と言ったほうが正しいだろう。
この足でも、できることはたくさんあるはずだ。
たとえば3日おきに書店が届けてくる新刊書や競売にかかる稀覯本のリストを眺めることもできるし、友人たちを招いて食事をすることもできる。
事務的な書類は書斎のデスクの上に積み上げられたまま、ディヴィッドの決済を待っている。
町の娼館から女を呼ばせたっていい。
だがそのどれも、したくない。
したいことがない。
そろそろあたりは薄暗くなるが、ランプをつける手間も面倒だった。
明かりを得たところで、読みたいものもない。
まだ眠くもならない。
ふうっとため息をついて、テーブルのそばにぶら下がっている紐を何度目かに見た。赤紫の、房飾りのついた紐だ。
あれを二度引けばショーンが来る。
この退屈を追い払うためだけに、引いてみようか?
呼べばきっと、ただ話すだけでは済まなくなる。ショーンは嫌がるだろうが、今夜もう一度、最初から試してみようか?
* * *
「・・・現実的じゃないな」
ぼそりと呟いて実のない思考を頭の隅に追いやり、こうなれば酔いつぶれて眠ってしまおうとカウチの上に身を起こした。
こんな時間にベルなど鳴らして、執事や、ほかの使用人たちを驚かせるなど馬鹿げている。本当にそのつもりなら、夕食の後で階段を上がるときにでも、彼の耳元に命令を囁いておくべきだったのだ。
だがあのときのショーンは、とてもそんな言葉をかけられるような状態ではなかった。
どうぞ、と普段の通りディヴィッドに肩を差し出しながら、彼は耳まで真っ赤になっていた。ディヴィッドの腰を抱いた腕もどこか遠慮がちで、一秒でも早くディヴィッドから身を離したそうな様子をしていた。
下のホールでは、若いほうの女中が食堂から出てきてふたりを見上げていた。彼女はよくそうしている。ディヴィッドかショーンか、どちらかを心配しているのだろうが、ちょうどショーンにキスをさせたとき戸口のところで動いた人影が彼女のものでないという保証もなかった。
ディヴィッドにとってはどうでもいいことだった。
ショーンに女の有無を聞いたことすらないのだ。
酒瓶とグラスは、入り口脇のキャビネットにある。
ディヴィッドは松葉杖を引き寄せ、立ち上がろうとしたはずみにちらりと窓の外を見た。
もう時間が遅かったので、窓は閉めてある。斜めから当たる西日がそのガラス一杯に反射して、金紗のカーテンのように窓を覆っていた。
その窓の下のポーチに、ショーンが立っていた。
「ショ・・・」
思わず窓を開けて呼ぼうとして、向こうからはディヴィッドが見えていないらしいのに気がついた。表情が全く動かなかったからだ。
ショーンは珍しく帽子をかぶっていた。
例の”お願い”とやらを、今夜さっそく実行するつもりなのは明らかだった。
ショーンはじっとディヴィッドの部屋の窓を見つめながら、しばらく立ちつくしていた。それから二度三度と辺りを見回し、帽子をとって自分の胸に押し当てた。
ややあって、彼は出し抜けに身を翻した。無造作に帽子を頭に載せたかと思うと、裏庭をまっすぐ突っ切って菜園のほうへ歩いてゆく。菜園の脇の木戸から、旧街道へ通じる小道へ出るつもりなのだろう。馬車は通れない悪路だが、歩いて村へ出るには近道だった。人目にも立たない。
急ぎ足に歩いてゆくショーンの姿は、すぐに生け垣の向こうへ見えなくなった。
彼が消えた方角を、ほかにすることのないディヴィッドはいつまでも眺めていた。
* * *
翌朝、ディヴィッドはひどい二日酔いに悩まされることになった。
がんがんするこめかみを揉みながら、いつも通りに朝の身支度を手伝いにきた執事に朝食はいらない、と言ったついでに、
「今朝、ショーンを見たか?」
と訊いてみた。
執事はきょとんとして、はい、と答えた。
「あれがどうかいたしましたか、旦那様? 昨日、何か不作法でもございましたでしょうか?」
「いや、そうじゃない」
そういえば、昨日この執事は不調で寝ていたのだ。すっかり忘れていたディヴィッドはいささか気まずい思いをした。ショーンのことを気にするよりも、まず彼に労りの言葉をかけてやらなければならなかった。
「・・・おまえも、復調したようでよかった」
「はい。ご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ございませんでした」
「まだ調子が悪いんじゃないのか。無理はするな」
「ありがとうございます、旦那様。果物のジュースだけでも召し上がりませんか? お持ちいたしますが」
「ああ、そうしよう」
呻くように言うと、執事は下がっていった。
喉は渇いていたが、軽く吐き気もしていた。牧師はことあるごとに飲酒の害を説くが、こういうときばかりはディヴィッドもそれに賛同せずにはいられない。
ジュースを飲んだらベッドに戻って、昼過ぎまで寝直そう。仕事は待ってくれる。
やがて、コツコツ、とドアに控えめなノックがあった。
カウチの上に身を起こしながらディヴィッドは、入れ、と声を張った。とたんにズキンと頭が痛んで、罰当たりな言葉を吐きそうになった。
そのときもうわかっていた。
それがショーンのノックだということは。
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暗いヤツですね、旦那様。
でもケガして動けなくなったりすると、ちょっと気が沈むよね。
(誰のためにフォローを・笑)
20030914