* fragile/16 *

翌朝はさわやかに明けた。
カーテンの隙間から差しこむ朝日は長々と伸びて、磨かれた寄せ木の床に白っぽい矩形を形づくっている。今朝は風向きがいつもと違うのか、教会の鐘の音がとても遠く聞こえていた。小鳥たちのさえずりかわす声はそれにも負けじと晴れやかで明るく、彼らが果樹園を荒らす害鳥であることを知っている者の耳にさえ心地よかった。
もっとも、いかに美しい朝だろうと、それを楽しむ術を持たない人間にとってはただ周囲が明るくなったというだけの意味しかもたない。
いまのディヴィッドが、ちょうどそんな状態だった。


* * *


最初に目が覚めたときにはまだ頭がぼうっとしていて、昨夜の出来事はなにもかも悪い夢だったのではないかとさえ思った。
部屋の隅にはやはり粗末なテーブルと椅子が置かれ、そこでショーンが眠っていた。それが癖なのか片腕を頬の下に敷いて、無防備な横顔をディヴィッドに見せている。
彼の姿を覆う、薄い光の幕。
規則正しいリズムで上下する彼の肩を眺めていると、聞こえないはずの彼の寝息が感じられた。
見ているだけで心が穏やかになるような、静かな光景だった。
室内を満たした明るい大気の中に、ショーンはいまにも溶けていってしまいそうだった。

だが、ふと気がつくと彼の足元には大きなボウルがあり、その中に無造作に放り込まれていたのはディヴィッドが昨晩着ていたはずの夜着だった。
それを認めると、下半身にショーンの唇の感触がなまなましく蘇ってきた。
「ショーン」
呼んだが、声が出なかった。空気に触れた喉がヒリヒリと痛む。驚きはしたものの、それでもいいとは思った。
ショーンはよく眠っている。起こすには忍びない。
それでガンガンする頭を無理に持ち上げ、松葉杖を探した。生理的な欲求に耐えかねたのだ。普段は手の届くところにあるはずの杖は、今日はベッドの足元に立てかけられてあった。
軽く舌打ちをしながら身体を横に折り、肘と腕で這いながらそこまで行って、腕を伸ばした。不安定な姿勢だったのがいけなかった。
トン、と指先が触れて、ディヴィッドは杖をつかみ損ねた。あっと思う間もなかった。ガラガラと大きな音を立てて杖が床に倒れたのと、ショーンがはっと頭を起こしたのとがほとんど同時だった。

まるで、昨夜見たフィルムを巻き戻して、今度は明るい場所で見ているような鋭い既視感があった。
淡く白っぽい朝日の中、ショーンがこちらを見る。眩しそうにぱちぱちと幾度か目を瞬かせ、すぐにディヴィッドが起きていることを認めて、首を振りながら立ち上がる。
ただ、明るい日差しに透けて若葉色に輝いた瞳だけが、昨夜とは違っていた。
「だ・・・旦・・・、」
寝起きのためか、言葉が急には出てこずに喉につかえてしまう。ディヴィッドが倒した杖を拾い上げようと、ベッドの脇に片膝をついた彼の頬にはシャツの布目の跡がくっきりと残っていた。
「大丈夫ですか、旦那様?」
ようやくそう言った彼は、やはり疲れた顔をしていた。その責任の一端はディヴィッドにもあるはずだった。腫れぼったい目で見上げられると、もう彼になんと言って声をかけていいか、わからなかった。
目の前に差し出された杖をとるかわりに、ディヴィッドはそっとショーンの顔に手を伸ばした。今朝はまだ剃刀を当てていない頬には、ざらりとした感触があった。それすらもじかに彼に触れているという証明のようで、不快ではなかった。ここにいるのは絵でも夢でもないほんもののショーンで、しかもそれがディヴィッドの持ちものなのだ。
そのまま手を滑らせて額へ、乱れた前髪を掻き上げてやると、ショーンはくすぐったそうに目をすがめた。決してそうでないことはわかっていたが、キスをねだる仕草のように見えなくもなかった。ディヴィッドの唇に、自然に微笑が浮かんだ。
「ショーン、いい顔だな」
そう言ってやったはずの声は、しかしほとんど音にならなかった。ショーンにとっては幸いなことに、あまりよく聞こえなかったらしい。彼はたちまち痛ましげに顔をくもらせたかと思うと、ディヴィッドの手をゆっくりと下ろさせた。
「喉が・・・? 何か飲むものを持ってきます、旦那様」
「いい。それよりバスルームへ行きたい」
「はい」
今度は、もう少しましな声が出た。ショーンはディヴィッドの足が痛まないようにゆっくりと姿勢を正させ、肩を貸して立ち上がらせた。
「痛くありませんか? ・・・まだ熱がありますね」
ショーンの声が低く耳元に落ちる。ディヴィッドは目眩をこらえて目を閉じたが、たとえまるで足元が見えなくてもショーンに支えられていれば大丈夫だ、という安心感があった。


* * *


ディヴィッドが寝込んでいる間、昼間は執事がディヴィッドの寝室に詰め、夜間はショーンがそうすることになったようだった。
ただ、ディヴィッドの着替えと食事の世話はショーンがした。執事は数日でも看護婦を雇おうと言ったのだが、ディヴィッドが止めさせたのだ。
「大げさに言うな。風邪くらい、すぐ治る」
「ですが、旦那様。私どものお世話では何かとご不自由かと存じますが」
「必要ない」
頑固な主人らしくディヴィッドは言った。知らない女など身近に置きたくはなかったが、実はこうして口を利くのもだるかった。もしも執事がもうひとことでも反論したなら、ディヴィッドは折れていたかも知れない。
だがそこへ、執事の後ろで会話を聞いていたショーンがおずおずと口を挟んだ。
「私がやります」
「・・・ショーン?」
「その、病人の世話はしたことがあるので。ずっとでなければ」
「そうかね? しかし・・・」
明らかにショーンの家庭の事情を知っている執事は、考え込むふうに眉を寄せた。ディヴィッドはこの好機を逃さなかった。
「それでいい」
「さようでございますか・・・? 確かにこれの妹が長く寝ついておりまして、それは」
「うるさいぞ、バーナード。かえって疲れる」
「も、申し訳ございません」
執事はあわてて頭を下げ、では、とショーンの肘をつかまえて、彼をせき立てるようにして部屋を出ていった。部屋を出る間際にショーンはちらりとディヴィッドを振り返ったが、その表情は読めなかった。

そんなふうにしてショーンは、ディヴィッドの手元に置かれることがまた多くなった。
病人の退屈しのぎにはうってつけと言えた。






■INDEX■ ■BACK■ ■NEXT■


今日はハムさんのお誕生日なんだそうです。
そんな日にこんな更新で、すまないねえ旦那様。
ともかく、おめでとう!
南へ向かって叫ぼう、心で。

20030921
20030922改稿