* fragile/2 *

ディヴィッドが自室に落ち着いているとき、ショーンは階下であれこれと雑用をしていた。たとえば裏庭の水場で夕食に使うジャガイモを洗ったり、庭の花壇の水やりをしたりするのも彼の仕事のうちだった。
だが、主人が鳴らす呼び鈴が聞こえない場所へは、決して行ってはならなかった。
もしも呼び鈴が二度続けて鳴らされたなら、それはディヴィッドが彼の助けを必要としているのだ。


* * *


ある晴れた午後、ディヴィッドは窓際に置いたカウチに寝ころんで、退屈しのぎに本を読んでいた。何年か前に流行った通俗小説だ。以前読んだときにもさして面白いとは思わなかったが、今となっては焚付けに使うほかはないしろものだった。
さて、それではさっそく暖炉に放り込んでおくか、とその本を閉じたとき、ちょうど窓外の光景が目に入った。
庭へ降りるポーチの側で、ショーンが若い台所女中と立ち話をしていた。女中のほうはカゴ一杯の青菜を抱え、どうやら彼になにか頼みごとをしているらしい。ショーンは頷きながら聞いていたが、やがて困ったようにため息をついたかと思うと、ニコリと笑った。
いいよ、と彼が答えたのが口の動きでわかった。

ディヴィッドは本をカウチに置き去りにしたまま、窓辺を離れて呼び鈴の紐をゆっくりと二度、引いた。
テーブルの側の椅子に腰を下ろし、面倒な松葉杖を床へ放り出して目を閉じた。落ち着かない気分で指先を組んだりほどいたりしながら、1、2、と数を数えていると、やがてバタンと裏口のドアが閉まる聞こえた。
15を数え終わったとき、ドアにはやるようなノックがあった。
「入っていい、ショーン」
すぐにドアが開かれて、階段を駆け上がってきたらしいショーンが姿を見せた。呼吸が少し荒いので、それがわかった。
「旦那様、ご用ですか?」
「ああ、すまないが頼みがある」
「なんでしょう」
ショーンが聞く姿勢になって、ディヴィッドの傍らに立った。そのときディヴィッドは、彼の袖をまくり上げたシャツの前身頃に緑色の染みがあるのを見てとった。・・・それはちょうど、腕に青い野菜を抱えたときにつきそうな汚れだった。
「・・・今日は天気がいいだろう。この部屋に閉じこもっているのにも退屈した。庭へ降りたい」
「はい、旦那様」
「杖が倒れた。拾ってくれ」
「はい、旦那様」
ショーンは従順に答えて松葉杖を拾い上げ、主人に渡した。ショーンの手を借りて立ち上がりながらディヴィッドは、彼のシャツにかすかな夏の匂いを嗅いだ気がした。
「・・・ショーン、服が汚れている」
「え?」
指摘すると、彼は自分のシャツを見下ろし、あわてて言った。
「すみません。さっき野菜を運ぼうとして」
「そうか」
杖につかまって立ち上がりながら、ディヴィッドはもうその件には興味を失ったふりをした。
ほんとうに訊きたかったのは、そんなことではなかったのだ。
(おまえは、私の前ではあんなふうに笑ったことがないな)
問うまでもなく、理由はわかっていた。
彼が雇い主だからだ。


その夜は、使用人たちの休みに当たっていた。住み込みで働いている使用人たちには、週に一度の休みのほかにもう一日、夕方から深夜までの外出許可が与えられる決まりになっている。
冷たい夕食を運んできた執事は、いつも通りに出かけろと言われても容易に納得しなかった。
「・・・ですが、ほんとうによろしいんですか? 旦那様」
「今夜は皆で芝居を見に行くと言っていただろう?」
「ですが・・・」
「いいんだ」
辛抱強く言い聞かせる口調になって、ディヴィッドはまた本を取り上げた。ところがそれが昼間捨てそこねた通俗小説だったので、舌打ちしたいような気持ちになった。
「私はおとなしく本でも読んでいることにしよう。火の始末だけはきちんとして行けよ、この足では火事になっても逃げられないからな」
ディヴィッドは言い出したら聞かない主人だった。ついに執事も諦めて、サンドイッチを載せた盆を置いて出ていった。
階下からはパタパタと、扉が開け閉めされるような音がしばらく聞こえていた。使用人たちのいるところはディヴィッドの部屋からは遠いが、それでも気配だけは感じられた。はしゃぐような女たちの笑い声や、食器の触れあう音。・・・やがてそれがぴたりと止んだかと思うと、後はもうなんの音も聞こえなくなった。芝居の開演に間に合うように、揃って出かけたのだ。
やれやれとばかり、ディヴィッドは今度こそ本を暖炉へ放り投げた。やや狙いがはずれて、本は炉棚に置かれた銀の燭台にぶつかり、その燭台ごと床へ転がり落ちた。
「ち、・・・」
ガシャン、ガラン、とひどい音がして、ディヴィッドは思わず首をすくめた。
燭台にも寄せ木の床にも、きっと傷がついたに違いない。その傷を磨くのはディヴィッドではないだけに、気が咎めた。
こうしてみれば、やはり自分は苛立っているのだ、と苦々しい思いばかりがこみあげてくる。
思うように動けないことにも、ギブスの下に無数の発疹ができているようなむず痒さにも。
ふうっとため息をついた、そのとき。

トン、トン。

信じられないことに、ドアにノックがあった。
首筋に冷水を浴びせかけられたようにぞっとして、ディヴィッドは戸口を振り返った。
庭に放してある犬は吠えなかった。だいいち、強盗ならば礼儀正しくノックなどするはずがない。
だが、護身用の銃は書き物机の抽斗に入れたままだ。この足では子どもが相手でも逃げられない。
反射的に大声を出していた。
「誰だ?!」
「私です、旦那様。大きな音がしましたが・・・」
ショーンの声だった。







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某シェロブの園にお邪魔するまでは、ハム豆なんてこたぁ
考えてもみませんでした。
ましてやハムに非情なイメージなんて抱いてもいなかったのに。
(TTTの彼だって、原作の印象が先行してたわけで)
世の中、一寸先は闇ってことですな。
ほ〜らあなたの後ろにも予期せぬ萌えが。(苦笑)

20030720