* fragile/21 *
やがて音もなくドアが開いた。両開きのドアの、片方だけが。
見ているほうが焦れるほどゆっくり、しずしずと隙間が開いてゆき、ようやく人が通れるほどになったかと思うと、白いシャツを着た人影がそこからするりと滑り込んできた。
ショーンは、壁際に立っているディヴィッドには気がつかなかった。暗い廊下から入ってきて、月光の影になっているところはまったく見えなかったのだろう。
入ってきたときと同じように静かにドアを閉めて、ショーンはディヴィッドの寝室のほうへ行った。ドアの前に立って、ふうっと静かに息を吐く。
彼がディヴィッドの傍らへ戻ろうとするときには、そうして心の準備をする必要があるということだった。
「ショーン」
まだ喉が本調子ではなく、がさついた掠れ声になった。呼ばれたショーンは哀れなほど驚き、握りかけていたドアノブをさっと離して、声のしたほうを振り返った。
コツン、と杖の石突きが鳴った。ディヴィッドは一歩進み出て、白い月光に身を晒した。
ショーンは彼がよくそうするように、なかば開いた口から深い息を吐きながら、ディヴィッドを見つめていた。何か言いたそうにその唇が動いたが、結局声にはならなかった。
「どこへ行っていた」
せいぜい冷たく言ったつもりが、それでかえってショーンは気を落ち着けたようだった。
「すみません、旦那様。妹の所へ行っていました」
そう言った口調が気に入らなかった。ディヴィッドの厚意をあてにして、叱られはしてもそれ以上のことはない、と思っているように聞こえたのだ。真偽のほどはわからないが。
ディヴィッドは月明かりの中、うなだれているショーンの顔をじっくりと眺めた。
綺麗な顔をしているが、それだけの男だ、と自分に言い聞かせるように考えた。
おそらくはディヴィッドの話し相手になれるほどの教養もなければ、着替えのシャツすら満足に持たないショーン。なめらかで手触りのいい肌、ディヴィッドの心をかき乱すような翡翠色の目を持ってはいるが、ディヴィッドとは住む世界すら違う貧農の息子。
ディヴィッドがどれほど興味をもったところで、彼はただの使用人以上のものにはなれないのだった。
そう考えると急にむしゃくしゃとして、ディヴィッドは何も言わずにショーンに向かってまっすぐに歩み寄った。淡い月光に照らされた彼の頬が、わずかに強ばったような気がした。まるで主人に殴られつけている犬のような、怯えた目をして立ちつくしている。
そうしてやれば少しは気も晴れるだろうかと思ったが、まだ失いたくはなかった。
身じろぎもせずに立っているショーンのすぐ前まで来ると、ディヴィッドは
「どけ」
と舌打ちせんばかりに吐き捨てた。
ちょうどドアの前に立ちふさがる形になっていたことに気がついたショーンは、慌てて身体を退けた。
ショーンの開けたドアから寝室へ入り、ショーンの手に松葉杖を預けて、ショーンに助けられて不自由な身をベッドに横たえる。ディヴィッドは何も言わず、彼とは視線すら合わせようとしなかった。ショーンはベッドの上に身を屈めて、いつもと同じようにディヴィッドの枕や上掛けを整えた。
そのシャツや髪からは、ほのかに夜露が匂った。
「おやすみなさい、旦那様」
彼は小声でそう言って、自分に与えられたカウチのほうへ行った。ディヴィッドが薄目を開けて見ていると、ごそごそと靴を脱いでカウチの上に丸くなり、それきり動かなくなった。
夜明けまで3時間。
もやもやと落ち着かない感情をもてあましながら、ディヴィッドはまた目を閉じた。
* * *
翌日からディヴィッドはベッドを出て、居間に戻った。寝室に運び込まれていたカウチも窓際の定位置へ戻され、午後にはその部屋の主がまたその上に寝そべって本を読む姿が見られるようになった。
もっとも、寝ついている間に溜まってしまった書類のために、その時間は長くはならなかった。いかに有能な管財人を抱えているとしても、ディヴィッド自身が決裁しなければならない書類や、サインを待っている手形がなくなることはないのだ。
その間には来客などもあり、数日の間は忙しかった。
ショーンは相変わらずディヴィッドの世話をし、けれども一時ディヴィッドが感じたような、生のままの彼自身がすぐ近くにいる、という感覚は失われてしまった。
それでいい、と思っていた。
思うようにしていた。
ようやく食べものがまともに味わえるようになり、暇を見て庭へも出られるようになると、ディヴィッドはまたショーンにバスケットと敷物を持たせて、ついてこさせた。
だが、もう彼に飲み物を奨めようとはしなかった。
ショーンは主人から少し離れた木立の下に座って、夏の庭を見ていた。
鼻梁が高く、額も顎もしっかりとした彼の彫りの深い顔は、こうして横から見ると古い貨幣に刻まれた肖像のようだ。ちらちらと揺れる木漏れ日の下で、彼の感情はまったく伺い知れなかった。乾いた枯れ葉の上にじかに腰を下ろし、膝を抱えて、ずっと遠くで庭師の親方が病気のバラに薬剤を吹きかけているのをぼんやりと眺めている。庭にはほかに動いているものがなかったから、彼がそれを見たくて見ているのかどうか、ディヴィッドにはわからなかった。
ディヴィッドはといえば、彼の横顔を盗み見ている。
それに気づくとまたなんとなく腹が立ったが、どうすることもできなかった。
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なんか悩んでますが、無駄なあがきです。
今週は執事さんも出かけるはず。
いろいろと、都合ってもんがありましてねえ。
20031007
20031009ちょっぴり修正(苦笑)