* fragile/27 *
やがてホールの時計が厳かに12時半を打ち、昼食の時間を知らせた。
日曜の昼は正餐と決まっていたが、ディヴィッドとしてはひとりで階下へ降りてまで食事をする気にはとてもなれなかった。おかげで、女中たちは熱いスープや肉を冷めないうちに二階へ運び上げなくてはならなかったが、そうして運ばれてきた料理を見ても、食欲などほとんど湧いてはこなかった。
ショーンはまだ自室で休んでいると言う。
「・・・たいしたケガではございませんでした。ただ額の上を少し切っておりまして、戻りました時には顔が半分血まみれという有様でございました」
「医者は呼んだのか?」
「いえ、それほどの傷ではございません。頭の傷というのは大げさに見えるものでございます。鼻血も出しておりましたので。・・・二、三日はお見苦しいでしょうが、」
うやうやしい手つきでメインの皿を置きながら、執事はため息混じりに首を振った。
「・・・相手は誰かと訊きますと、知らない男だったと申しました。つまらないことで言い争いになり、かっとなってつい手が出てしまったとか」
「ショーンがか?」
「はい。先に殴ったのは自分だと、はっきり申しました。ですから警察に届けたりせず、このまま穏便に済ませてもらいたいと。・・・申し訳ございませんでした、ディヴィッド様。お食事中にふさわしい話題ではございませんでした」
「馬鹿を言え」
ディヴィッドは簡単に言ってフォークを取り上げ、付け合わせの豆をその背で潰した。
「で、信じたのか?」
「滅相もございません。あれはただ相手の名前を言いたくないだけでございます。私も相当厳しく問いただしたのでございますが、頑として申しませんので」
「そうか」
唸るように言って、ディヴィッドはまたフォークを置いた。肉はほとんど手つかずのままだったが、無理に口に入れても飲み込むのがつらかった。まるで喉に灰かなにかがつまってでもいるようだ。
執事は、今度はこちらが心配だ、と言わぬばかりに眉を寄せた。
「もうよろしいので?」
「ああ。もう下げてくれ」
「果物でもお持ちいたしましょうか?」
「いや、いい」
ディヴィッドは、言い出したらきかない主人だ。それをよく知っている執事は、それ以上は抗弁せずに肉の皿を取り上げて、トレイへ戻した。
そのとき、ドアにごく控えめなノックがあった。
執事が身じろぎするよりも早く、ディヴィッドは声を出していた。
「入っていい、ショーン!」
カチャリ、と音がして重いドアが開くと、そこにショーンが立っていた。
* * *
戻ってきたショーンを見て思わず悲鳴を上げてしまった女中の気持ちが、やっとわかった気がした。
彼の彫りの深い美貌は、すっかり台無しになっていた。口元はつぶれたスモモのように切れて腫れあがり、右の眼窩は青黒い痣に覆われている。
執事が言った額の傷はまだ生々しく赤く、包帯を巻かれていないのが不思議なほどだった。かろうじて瘡蓋に覆われてはいるものの、なにか当たりでもすればすぐにまた開いてしまいそうだ。その傷を刺激しないためにか、前髪が一部だけ短く切られてしまっていた。
「・・・すみません、お食事中だとは思わなかったんです」
掠れた声で、ショーンは言った。執事がなにか言ってやろうとするのを、ディヴィッドが首を振って制した。
「バーナード、席を外せ。私が話をする」
「かしこまりました」
それ以上余計なことは言わず、執事はひとつ頭を下げて出ていった。冷えたローストビーフの皿は、卓上に置き去りにされてしまった。
ふたりきりになると、ディヴィッドはしばらく黙ったままで、無惨に腫れあがったショーンの顔をつくづくと眺めた。
見苦しい、というのはずいぶん控えめな表現だと思った。もとが美しいもの、あるいは愛着のあるものほど、汚れてしまうと切ない気持ちになるものだ。
彼の凝視を受けてショーンは居心地が悪そうに幾度も足を踏みかえ、自分のつま先ばかり見つめていた。
やがて、ディヴィッドはつとめて冷静に訊いた。
「いったい、なにがあったと言うんだ?」
ショーンは答えず、俯いたまま、切れた唇にそっと指先を這わせた。やむなくディヴィッドは口調を強めた。
「ショーン?」
「すみません・・・」
つらそうに顔を上げると、色の変わった目の縁がぴくりと引きつった。それで額の傷が痛んだのか、庇うようにすい、と手を上げ、生え際のあたりに触れようとした。ディヴィッドは思わず声を荒げた。
「触るな、ショーン!」
「あ・・・」
不用意に触ればせっかくふさがった傷がまた開いてしまう。それに気づいた彼は慌てて手を下ろし、また同時に顔も伏せてしまった。これでまた最初からやり直しだ。ディヴィッドは苛立ち、昼食の食器が並べられたままのテーブルをコツコツと指先で叩いた。
「バーナードから聞いた。知らないよそ者と喧嘩をしたそうだな?」
「・・・はい、旦那様」
「嘘だな」
きっぱりと決めつけられると、ショーンは身体の脇でぐっと拳を握った。蒼白だった顔には、頬のあたりにだけ血の色が戻りはじめていた。
だが、ことここに至ってもまだディヴィッドは、ショーンが自分を責めることがあるとは考えてもみなかった。
そして、やはりショーンはそうしなかった。
彼はひどく疲れたように緩慢な動作で首を振り、ふうっと深く肺から息を吐き出した。
「ええ、嘘です。・・・執事さんには嘘をつきました」
低いが、迷いのない声だった。ディヴィッドは頷いて、先を促した。
「誰だ、相手は?」
「それは・・・」
「最初から話してみろ」
「いいえ、旦那様」
ショーンは今度こそ泣き出しそうに顔を歪めて、切れた唇をきゅっと噛んだ。
「お話しできません。・・・すみません」
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あたしの理想とする若豆は、健全で多少やんちゃな男の子です。
あ〜あ、旦那様に見初められたりしなきゃ、もっと幸せな
(でも貧乏な)暮らしができただろうに。
人生、なにが幸いなんだかわかったもんじゃありません。
20031027