* fragile/30 *
ショーンは、ディヴィッドの古着のシャツを与えられて自室へ戻った。
付き添っていった執事の話によれば、彼はまるで囚人が独房へ引き立てられてゆくかのように深く顔を伏せ、誰が話しかけてもまるで答えようとしなかったという。
そして、背中で彼らを閉め出すようにしてドアに鍵をかけてしまい、ドアの前に置かれた食事にも手をつけずにいる、とも。
荒れたテーブルを片づけるために女中たちが入ってくると、ディヴィッドは杖を取って居間を逃げ出した。
ほこりっぽい空気の舞う書斎にこもり、女中たちが割れたグラスの破片を箒で掃き集める音に耳を傾けた。ひそやかに午後の空気を満たすカチャカチャという音は、遠くで聞いていれば快いものだった。
デスクの上には、雑多な書類や手紙、請求書などが積み上げられている。特に急ぐものでもないが、ここしばらく仕事を怠け続けていたのも本当だ。今日が安息日だということも忘れてディヴィッドは、それらに目を通しはじめた。
もっとも、いくら集中しようとしても仕事の能率はまったく上がらなかった。こまかい数列の並んだ試算表など、逆さに見ていたとしても気がつかなかったかも知れない。
領地の西はずれにある湿地帯を、今度こそ埋め立ててしまおうという計画が持ち上がっていた。それに関する見積書を二度繰り返して読み、もう一度読まなければ内容が頭に入らない、と思ったとき、ディヴィッドはついに諦めて書類の束をデスクの向こうへ押しやった。
ふうっ、と大きな息を吐き出し、肘掛け椅子にぐったりと身を沈めると、それまで感じまいとしてきた焦燥と疲労感とが、胸の奥の深い淵からふつふつとわき上がってきた。
* * *
指先で押さえた瞼の裏に、人目もはばからず涙をこぼしたショーンの顔がぽっかりと浮かんだ。
彼の泣き顔なら、これまでに何度か見たことがあった。たとえば彼にとっては苦痛でしかなかった情事の果てに、でなければディヴィッドに無理に追い上げられた高みで、生理的な反応として。
だが、ああも静かに、それでいて辛そうに泣かれたのは初めてだった。
むごいことをした、と思った。
思わざるをえなかった。
ショーンは声もなく、ただ肩を震わせて泣いていた。痛むだろうに、切れた唇をぐっと噛みしめ、それでもこらえきれずにぽたぽたと涙を流し続けていた。
「ショーン、ほらほら・・・」
執事は途方に暮れたように言い、彼の裸の肩に手を置いて、軽く叩いた。
「大の男が、そんなに泣くもんじゃない。みっともない」
「は・・・す、すみ・・・」
「しっかりしなさい、ショーン。服ならすぐに探してきてやるから」
労りのこもった声だった。ショーンはまだ深くうなだれたまま、こくこくと頷いた。苦い涙に喉をふさがれて、まだ言葉は出てこないらしい。おそらくは発作的にわき上がったのだろう嗚咽をおさめようと、血のついた掌で口元を覆った。彼の意志に反して、肩は小刻みな痙攣を繰り返す。
ディヴィッドはやり場のない怒りを胸にもてあましながら、ぶっきらぼうに言いつけた。
「なんでもいいから、早く着せて連れて行け」
「ディヴィッド様・・・」
「私の服でいい。早く持ってこい」
「は、はい」
ショーンの傍らに跪いていた執事は慌てて立ち上がり、ディヴィッドのクロゼットへ向かった。
後に残されたディヴィッドは、ショーンの傍らに立っていらいらとそのつむじを見下ろした。どうにも抑えようのない腹立ちやもどかしさ、不安や疑念といったマイナスの感情が一緒くたになってディヴィッドの体内に渦巻き、こうして打ちひしがれているショーンをさえ、むやみに殴りつけたくなるほどだった。
だがそうはせず、ディヴィッドはショーンの髪をつかんで顔を上げさせた。
どす黒い痣に覆われた片目は、睫の先までたっぷりと血に濡れていた。涙と混じったのだろう、とても明るく鮮やかな、スグリの汁のような赤色をしていた。頬に流れた涙のあとはまだ乾いてもおらず、ディヴィッドが見ている間にも薄いピンク色の滴が彼の顎を伝って、胸元へぽとりと落ちていった。
「・・・ショーン」
せいぜい冷たく、ディヴィッドは呼んだ。
「そう意地を張ることはないんだ。今日ケガをして帰った男の名前くらい、調べればすぐにわかるんだからな」
もちろん、嘘ではない。ディヴィッドの権力をもってすれば地元の警察署長を屋敷に呼びつけ、詳細な調査を命じることもできる。思慮深い署長は、ディヴィッドに理由の説明など求めもしないだろう。それくらいのことは、ショーンにもわかっているはずだった。
だからこそディヴィッドは、彼の口からその名前を聞き出したかった。
なにが彼の口を閉ざしているのか、ほんとうに知りたいのはその理由だった。
「言え、ショーン。誰と会っていた? ・・・男か、女か?」
嗚咽の名残が、ショーンの喉元を時折ひくっと震わせた。室内は午後の光に満ちて、明るい。その中で、涙に濡れたショーンの虹彩がベリルの結晶のように煌めいていた。
やがてショーンはぱちりと瞬きをし、血が目に入って染みたのか、片目をすがめた。その視線はディヴィッドの顔に据えられたままだった。
「すみません、旦那様。・・・絶対に言えません。死ぬまで誰にも言いません」
ざらついて低い声だったが、ショーンははっきりとそう言った。
ちょうどそのとき、隣室から執事が戻ってこなければ、ディヴィッドは彼を本当に打ち据えていたかも知れなかった。
* * *
そうしなくてよかった、と思えたのは、ずっと時間が経ってからだ。
やりきれない気分をなんとか紛らわせようと債権の取り立て手続きに関する書類を取り上げたとき、ディヴィッドはガウンの袖口が赤茶色に汚れているのに気づいて、顔をしかめた。
ショーンの血の染みだった。
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そうだ、ちったぁ反省しろ! ひどいことしくさってからに!
・・・え? ひどいのはオマエだ?
というか、更新できなくってすいません。
ちょっとスランプ。いい波がきてくれなきゃ。
20031115