* fragile/31 *
その日も暮れる頃には、大粒の雨が降り始めていた。
このところ晴天が続いていたので、庭や菜園の植物には恵みの雨だったに違いない。
だがもちろん、今のディヴィッドにとってはそうではなかった。
庭は、暗いグリーンの濃淡の中にひっそりと沈んでいる。広葉樹の葉がばたばたと雨粒に叩かれて揺れるほかには、動くものとてない。安息日には庭師たちも休みだし、ディヴィッドの犬たちも今頃は冷たい雨を避けて犬舎でぬくぬくと丸くなっていることだろう。
厳かな美しさに満ちてはいるが、それでも憂鬱な眺めだ、と思わずにはいられなかった。
「・・・急に冷えてまいりました。火をお入れいたしましょう」
「ああ、頼む」
上の空で答えながらディヴィッドは、無意識の仕草で自分の身体を抱いた。
ショーンの血に汚れたガウンはもう女中に持って行かせてしまい、今着ているのは薄手の夏の寝間着一枚だ。肌寒さを感じたのも無理はなかったが、暖炉に暖かい火が燃え上がれば気にならなくなるはずだ。
執事は、窓の向こうをぼんやりと眺めているディヴィッドの横顔をちらりと窺い、焚きつけとマッチを持って暖炉の前に屈み込んだ。
ほどなく、ぱちぱちと小さな炎が生まれた気配がした。マッチの燐の臭気はすぐに漂い消えて、香ばしい火の匂いがあたりを覆った。その火の存在に引き寄せられるように、ディヴィッドは振り返った。
執事はまだ若い火が薪を舐めはじめたのを確かめてから立ち上がり、ディヴィッドのほうは見ないままで簡潔に報告した。
「ショーンには、今日は休みをやりました。部屋で静かにしております」
まるで、菜園のレタスが虫に食われた、とでも言っているような、なんでもない口振りだった。ディヴィッドも同じように頷いた。
「そうか」
「夕食はこちらへお持ちいたしましょうか、それとも食堂へ下りられますか?」
「いや・・・」
今日はショーンの手助けがないので、わざわざ聞かれている。だがディヴィッドはろくに考えもせずに、否定的な答えを返した。
つい数時間前、この広いテーブルにショーンを這わせて犯したばかりだ。
割れたグラスや食器は女中たちの手で片づけられ、床もきれいに拭かれてその痕跡などもうどこにもありはしないが、磨かれたオーク材の天板にはまだ彼の体温が残っているような気すらした。
血とワインに頬を汚し、傷ついた唇で苦悶の声を上げたショーン。押し殺した悲鳴と嗚咽、酸素を求める熱っぽい喘ぎ声。・・・それらの記憶はまだディヴィッドの胸に生々しく、とてもこの同じテーブルで食事を楽しむ気にはなれなかった。
「今夜は下へ行く」
「では、お時間になりましたらお迎えに上がります」
「わざわざ上がってこなくていい。鐘を鳴らせ」
「かしこまりました。・・・今日はいいマスが入ったそうでございますよ」
昼間、あんなことがあったばかりだというのに、執事の態度は不思議なほど落ち着いていた。ごく自然に半白の頭を下げ、失礼します、と言ってそのまま部屋を出て行こうとした。
その背に、ディヴィッドは思わず声をかけた。
「バーナード」
「はい、ディヴィッド様?」
「私に意見するのはやめたのか?」
驚いたのか、執事は青い目を軽くみはった。やがてその目元にじわりと皺が浮かんだが、それはぎこちない微笑の前触れのようだった。
「いえ。・・・そもそも、私があれをご紹介いたしましたのがいけませんでした。ショーンにはかわいそうなことをいたしましたが、・・・それだけではなく、ディヴィッド様にも辛い思いをおさせしたのではないかと思っております」
「・・・もういい。行け」
「はい、ディヴィッド様」
執事はいったんは浮かべかけた笑みをかみ殺し、そのまま出て行った。
深いため息をつきながらディヴィッドが窓辺に寄りかかると、もう曇りはじめていたガラスにひとしずく、水滴が伝った。
* * *
ひとりで階段を降りたのは、久しぶりだった。
自分でも気づかないうちに片足であることに身体のバランスが慣れていたのか、覚悟していたよりは楽に下りられた。
「・・・大丈夫でございますか、ディヴィッド様?」
いいと言ったのに執事はやはり部屋まで迎えにきて、頑丈な手すりにすがって一段ずつ足をおろしてゆく主人について歩いた。ディヴィッドの体重を支えることはできないが、松葉杖を運ぶくらいの役には立った。もしもほんとうに独力で階下へ降りるつもりならば、ディヴィッドは階段の上から杖を投げ落とすかどうかしなければならなかっただろう。
コトン、コトン、とギブスの硬い踵が段を踏んでゆく。絨毯は敷かれているが、ステップのあたりはさすがに周囲よりはすり切れていて、滑りやすくなっている。注意が必要だった。
ようやく下まで降りついて、ディヴィッドは人気のないホールを見渡した。
無駄のないよう灯された明かりは、ディヴィッドの食堂へ通じる左手のほうがずいぶん明るくなっている。当然そちらへゆくものと思った執事は、杖を受け取った主人が右手の廊下へ向かったのでぎょっとして声を上げた。
「デ、ディヴィッド様・・・」
屋敷の北側に通じている廊下だった。その裏手には洗濯場や物置、貯蔵庫、・・・そしてさらに奥は使用人たちの居住空間になっている。ここ数年はディヴィッドが足を踏み入れる必要すらなかった場所だ。
両側に松葉杖を突いて進むと、狭い廊下はディヴィッドの身幅だけでほとんどいっぱいになってしまう。執事はその後ろからついてきたが、主人を止めようとはしなかった。
直角に角を曲がると、両側に細いドアの並んでいる廊下へ来た。いちばん手前の右側は執事の部屋だ、と幼い頃から知っていた。
肩越しにその執事を振り返り、無言で問うと、
「・・・右手の4番目でございます」
と短い返事が返ってきた。
ディヴィッドは頷き、その前まで行って、青く塗られたドアをコンコンと拳で叩いた。答えはなかった。
「ショーン・・・?」
疲れて、眠っているのかも知れない。だがせっかく不自由な身体をおしてここまで来たディヴィッドは、彼の顔も見ずに食堂へ戻るつもりはなかった。
「ショーン、私だ。開けろ」
ドアに額を押しつけるようにして言い、さらにノックを重ねる。部屋のなかからはなんの物音もしない。背後で別のドアが開き、ディヴィッドが振り返ると年増の女中がキャッと驚いて、すぐまたドアの陰に引っ込んでしまった。
「ショーン」
思わずノブに手を掛けると、音もなく回った。鍵はかかっていない。
一瞬息を詰め、執事が隣にいるのを確かめて、ディヴィッドはゆっくりとドアを開けた。
室内は薄暗かったが、そこが無人であることはすぐにわかった。
「・・・昼までは、確かに・・・」
さすがにショックを隠しきれず、執事が言い訳めいた言葉を呟く。ディヴィッドは肩でドアを押して狭い戸口を通り、しんとした室内に入り込んだ。
ディヴィッドが風邪で寝ついていたときに寝室で使われていた机と椅子が、そのままの様子で壁際に置かれていた。どこから持ってきたのだろうと思っていたが、この部屋の家具だったのだ。
作りつけの寝台の脇には、ショーンの私物らしい鞄が開かれたままになっていた。服や雑貨がごたごたと詰め込まれ、そのままではとうてい蓋を閉められそうにない。普段からそうして物入れとして使われているのだろう。ベッドの頭上には棚が吊られていたが、高いところにあるので不便なのか、そこにはなにも置かれていなかった。
そして戸口には、白っぽいシャツの残骸が。
ディヴィッドは低い寝台にゆっくりと歩み寄り、そこへどさりと腰を下ろした。頑丈なつくりではあるが古い木製の寝台は、ギシリと抗議の軋みを上げた。執事が戸口から姿を消したのは、使用人たちのバスルームでも見に行ったのだろう。わざわざそうしなくとも、ショーンが出かけたのはずいぶん前だろうということがディヴィッドにはわかっていた。
皺の寄ったシーツも、ショーンの頭のくぼみが残ったままの枕も、この夕方の冷気を吸ってすっかり冷たく、湿っていた。その冷たさを指先で味わいながらディヴィッドは、彼は戻ってくるのだろうか、とぼんやり考えていた。
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今日はあらためてストーミー若豆を見て、「ああっ、お色気担当v」って
言葉を噛みしめました。
チーク踊るときの首筋とか、夜明けのケツとか、んも〜あたしを死なす気か。
自分のアイデンティティにそろそろ自信がなくなってきたので、
マニフェストは取り下げました。でも、藻、ほんっとにスキなんです。
20031202