* fragile/32 *
ディヴィッドの声を聞きつけて部屋から顔を出した女中は、「この午後はずっと自室で片づけものをしていたが、なんの物音も耳にしなかった」と言ったそうだ。
そう報告しながらも執事は眉間に深い皺を刻んでいたが、ディヴィッドはさっさと立ち上がって、彼の脇をすり抜けて戸口を出て行きかけた。
ショーンは鞄も、身の回りの品も持って行ってはいない。ディヴィッドが与えた小説本も、着替えや石鹸箱と一緒に鞄の中へ突っ込まれていた。ただ、上着と帽子はどこにも見あたらなかった。
失望した、と思うのはなんとなく業腹だった。そのためにショーンを責めることも。
「ショーンには休みをやったと言ったな? なら、勝手に外出してもかまわないはずだろう、バーナード?」
「はい。ですが、今日の様子では・・・」
「子どもじゃないんだぞ。自分で出かけたなら戻ってこられるはずだ」
「はい、ディヴィッド様」
執事はまだ釈然としないような顔をしていたが、そう言われては返す言葉もない。ディヴィッドは一瞬その顔を睨みつけ、すぐに目を逸らして、最後に室内をぐるりと見渡した。
がらんとした、寒々しい印象のある小部屋だった。
ショーンがこの部屋で寝起きしているのだという実感は、どうしても湧かなかった。それもそのはずで、臨時雇いのショーンにとっては初めから仮住まいにすぎない部屋だ。意識してここに私物を増やさないようにしているのかも知れない。でなければ増やす必要がないと思っているのだ。
・・・いつでも出てゆけるように。
そう考えて当然だった。
コツン、と石突きの音を立ててディヴィッドは執事を振り返った。
「いつまで雇っておくつもりだ?」
剣呑な声で突然訊かれて、執事は太い眉を慌ただしく上下させた。
「いつまで、とは・・・特に日限を切った話などはいたしておりませんが」
「私の足が治るまでという約束じゃなかったのか」
「はい、もともとはそのはずでございました。ですが、失礼ながらディヴィッド様のご意向とは違うようにお見受けいたしましたので」
「・・・なんだと?」
「はい。引き続きこちらでお使いになるものと思っておりました」
話しているうちに余裕を取り戻してきたのか、しゃあしゃあと執事は言ってのけた。ディヴィッドは開いた口がふさがらない気がした。まだ自分でも決めていなかったようなことを他人の口から聞かされたのではたまらない。
ショーンもそう思っているだろうか、とは訊けなかった。
* * *
夕食は申し分がなかった。午後に釣られたばかりのマスは新鮮で香ばしく、昼食もろくに食べなかったディヴィッドの胃にがつがつと詰めこまれた。
それが済んで自室へ戻るときにも、以前は二度とごめんだというほど辛く感じた上り階段が、今はさほどの労苦でもないということにあらためて気づかされた。執事はやはり杖を抱えてついてきて、喜ばしげに微笑した。
「大丈夫でございますか、ディヴィッド様?」
「ああ。思ったよりは楽だ」
「ずいぶん力がおつきになったのでございますね」
「そういう問題でもなさそうだがな・・・」
無傷なほうの足が鍛えられたためか、重いギブスの使い方を身体が覚えたためか、あるいはその両方か。二本の足で普通に歩くほど簡単ではないが、誰かにすがらなければ歩けないというほどの難事でもなくなっていた。
「・・・ショーンが戻りましたら、お知らせに上がりましょうか?」
ちょうど部屋のドアが開けられたところだったので、ディヴィッドはその音にまぎれて聞こえなかったふりをしてしまった。有能な執事らしく、彼はもう一度わざわざ問い直すことはしなかった。
その執事は、ディヴィッドが食事を済ませる前に女中をやって、火の世話をさせておいたらしい。暖炉の火は薪を足されて明るく燃え上がっていたし、テーブルやチェストの上に置かれたランプはきらきらとほやを輝かせ、金色の光で部屋を満たしていた。
雨はまだやまない。
庭の様子を見ようとして窓に近づくと、ガラス越しの冷気が頬に触れた。この季節には珍しいことだが、外の気温がそれほど下がっているのだ。内側から温められた窓には、結露の滴が幾筋も伝っていた。ランプの光がそれに反射すると、小さな光の円盤をいくつも連ねたように視界を遮る。
ディヴィッドは外を見るのは諦めて、暖炉に近いソファに腰を落ち着けた。
古い木製の足置きに片足を乗せ、つま先を火で炙るととてもいい気分だった。
火のおかげばかりでなく、腹がいっぱいになって血の巡りもよくなっているのか、全身がぽかぽかと暖かい。執事は代わりのガウンを持ってきていたが、わずかに虫除けの匂いが残ったそれを着る必要も感じないほどだった。
明るく翻る炎を眺めていると眠くなってしまいそうだった。だがもちろん、ここでうたた寝などすればまた風邪を引き込んでしまうに決まっている。
「・・・また、皆に迷惑をかけてしまうな」
ディヴィッドはひとりごち、苦笑した。
それから何という気もなく立ち上がって、テーブルの脇に下がっている呼び鈴の紐を引いた。
二回。
ノックが応える前に、ディヴィッドはもう思い出していた。
ショーンの不在を。
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なんといっても、最大の萌えポイントは「執政の息子たち」でした。>SEE
あまりの歓びに、あちらこちらの板に浮かれたカキコしちゃってごめんなさい。。
「荒らしかよ」と思ったお嬢さん、デイジーちゃんのデカ鼻に免じて
どうか許してください。・・・豆の? いえいえ、それはもったいないです。
20031205