* fragile/33 *

入ってきた執事に、ディヴィッドは寝酒の用意を言いつけた。まるで初めからそのつもりで呼んだかのような口振りだった。
主人はなんの説明もせず、執事のほうでも求めなかった。
ただ、かしこまりました、と頭を下げて、出ていった。
胸にもやもやと渦巻く感情の処理だけで手一杯だったディヴィッドには、それがありがたかった。

はなやかに燃えさかっていた炎が一呼吸ごとに勢いをなくし、やがて鈍く濡れたように輝く赤い塊になっても、階下からはなんの知らせもなかった。

宵のうちに感じていた淡い幸福感などもうとっくに消え失せてしまい、そのかわりに忍び寄ってきたのは湿った冷気だった。それはディヴィッドの新しいガウンの裾から、襟元からひっそりと流れこみ、骨まで凍えさせてゆく。
それを追い払おうと、ディヴィッドは強い酒のグラスをまたぐいと呷った。
普段の酒量は超えていたが、飲みすぎたという感覚はなかった。その証拠に、すこしも身体が暖かくならない。
階下のホールの大時計が、先ほど夜半を知らせたばかりだ。
ついにディヴィッドは諦め、寝室へ行こうと立ち上がった。グラスをテーブルに置こうとして目測を誤り、うっかり床に落としてしまいそうになった。
境のドアを開けると暗い寝室の床に自分の影法師がながながと映った。卓上のランプをそのままにしてきてしまったのだ。引き返して消すか、寝室へ持ってくるべきだったが、もうそれすら面倒だった。

冷たい寝具の間に苦労して入りこみ、しばらく上を向いて横たわっていると、身体の奥からじんわりと酒のぬくみが浸みだしてきた。
やがて足音を忍ばせた眠りの精がやってきて、ディヴィッドの閉じた瞼の上に銀の砂を振りまいた。
その夜は夢も見ずにすんだ。


* * *


目覚めは最悪だった。 ゆっくりと眠りの淵から浮かび上がってきたディヴィッドは、目を開けるよりも先に鈍い頭痛がするのに気がついて、だるい腕を上げてこめかみを指で揉んだ。
二日酔いに苦しめられるのは、初めてのことではない。
目が痛まないよう、そろそろと瞼をあげてゆくと、室内は思ったよりも暗かった。まだ天気が悪いのだろう。昨晩の、異常なほどの寒さはもう感じなかったが、空気はまだ何となくじめじめとしていた。
「・・・何時だ?」
乾いた唇でひとりごちて頭を浮かせたが、薄暗いせいで文字盤がはっきりと読みとれなかった。居間へ続くドアの下から、置き去りにしてきてしまったランプの明かりがぼんやり漏れている。
生理的な欲求にかられたせいもあってこれ以上寝てはいられず、ディヴィッドは杖を引き寄せて寝台を出た。
そして、ふと先に外の天気を確かめてみる気になった。

雨は、女の吐息のような霧雨に変わっていた。暗い空には低く雲が垂れこめていたが、その向こうには太陽が感じられた。もう午前も半ばにさしかかるころだろう。耳を澄ますと、ひそやかな小鳥の囀りに混じって、階下で人の動き回る物音も聞こえてくる。使用人たちはもうとっくに起きて、忙しく立ち働いているのだ。
ショーンは帰ってきたのだろうか、と思ったら、すぐにも執事を呼びたくなった。

そのまま窓を離れかけたとき、ディヴィッドは窓の下のポーチにそのショーンの姿を見つけて思わず息を呑んだ。
それが夢や幻でないことは、指に触れたガラスの冷たさが教えてくれた。

ショーンは細い雨に濡れながら、だらりと垂らした右手に帽子だけ持って、隣室の窓を見上げていた。ディヴィッドの居間の窓だ。明かりが点けっぱなしだったので、ディヴィッドがそちらにいると思ったのだろう。
「・・・ショーン!」
思わず大声を出しながら、ディヴィッドは窓の掛け金を外した。はっとしたショーンが顔を上げ、窓が開ききるより早く視線を滑らせてこちらを見た。
彼はまだ、ディヴィッドが与えたシャツを着ていた。振り仰いだ顔は青白く、額の傷には斜めに包帯がかけられて、ひどく痛々しい姿だった。濡れて黒っぽく見える金髪の先から、雨粒がぽたぽたと滴りおちている。
冷たい雨に違いないというのに、だ。
「ショーン!」
こめかみに響くのをこらえてまた呼ぶと、ショーンはすこし唇を動かした。だが、声は聞こえなかった。
バタン、と勢いよく窓を開け放ち、窓枠から半分身を乗り出すようにしてディヴィッドは彼を見下ろした。上等な夜着の肩口にも寝癖のついた頭にも、はらはらと雨は降りかかった。
「そこでなにをしているんだ、早く中へ入らないか!」
「旦那さ、・・・」
ショーンの返事は、やはり聞き取りにくかった。下からの声は届きにくいものだ。雨は静かに降っているだけでも、周囲の物音を吸ってしまうのでなおさらだった。
「・・・い・・・」
「なんだと?!」
「・・・たいんです」
黒ずんだ目の上に手庇をつくって雨を避けながら、ショーンは妙にふわふわとした動作で首を振った。
それから彼は、主人の顔を見上げたままこちらの窓の下へ足元も見ずに歩いてきて、もう一度繰り返した。
今度ははっきりと聞こえた。
「お暇をいただきたいんです、旦那様!」


ガン、と額を殴られたようなショックがあった。
そのためにディヴィッドの感情は麻痺してしまったが、考える前に口が勝手に動いていた。
それでよかったのだ。
「・・・馬鹿を言え!」
「旦那様・・・」
「いいか、ショーン! なんのためにおまえを雇ったと思うんだ!?」
そう言われると、ショーンは形のいい眉を苦しそうに寄せた。
「私の足が治るまで、世話をする者が必要だからだ! 昨夜はずいぶん不自由な思いをさせられた・・・おまえがいなかったせいでな!」
後から考えれば卑怯な言い分だったが、効果はあった。
ショーンはもの言いたげになおも口を開きかけたが、言葉はすぐには出てこないようだった。ディヴィッドに険しい目で睨みつけられると、頼りない仕草でふるふると首を振った。
「わ・・・私は」
そのとき、ショーン、とかすかに女の声がした。ポーチに面した一階の応接室の窓が開いた気配がして、一瞬彼の目はそちらへ向いた。
その機をディヴィッドは逃がさなかった。
「いいから、早く入って身体を乾かせ! また服がないならバーナードに言え、いいな?!」
両手で帽子を握りしめたショーンの頭上から大声を浴びせ、ディヴィッドはそのまま音高く窓を閉めてしまった。

ショーンが従うかどうかはわからなかった。階下で彼を見つけた誰かが無理にも屋根の下へ引き入れてくれることを期待するしかなかったが、いずれにせよ彼は自分の荷物を持ち出すために、一度は部屋へ戻らなければならないはずだ。あの有能な執事がそれを見逃すはずがない。
雨に曇ったガラスのうちから見ていると、ショーンは悄然とうなだれつつもポーチから庭へ下りて、台所のほうへ歩いていった。濡れて寒そうなその姿を見送ってからディヴィッドは、寝台の上へどさりと仰向けに倒れこんだ。








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ROTK・・・あんなに楽しみにしていたのに。<見てもないのに暴言を。(笑)
あたし、原作大好きで、めちゃ読みこんでるんです。
知らずに見てショックを受けるのと、見る前から悲しい思いをするのと
どっちがマシなんでしょうか。ううう。

20031206
20031208バッサリ改稿