* fragile/35 *
その日は客の多い日だった。
果樹園の管理者との短い面会を終えると、彼が出て行くのを待っていたかのように今度はディヴィッドの主治医が現れた。この医者は「近くを通りかかったので」などと言ってはディヴィッドのもとを訪れ、たわいもない世間話をして帰ってゆく。それが職業意識によるものなのか、あるいは言葉通りの意味なのか、ディヴィッドには判別がつきかねた。
謝礼を要求されないからには、後者だろうと思ってはいたが。
「・・・しかしまあ、ずいぶんとお元気になられました。足のほうもそろそろですか?」
「そうだな。これを外すときには専門の医者がくると言っていたが」
「いやいや、ギブスを切るのに医者など要りません。ノコギリが一本と、慣れた助手がいればそれで済みますよ」
内科が専門の田舎医者はそう言って磊落に笑い、茶を出してもらった礼を述べて帰って行った。
それから簡単な昼食をとり、ようやく二階の自室へ戻ったところへ、執事がその日三人目の来客を告げにきた。
「旦那様、リー様がお見えです」
「・・・またか」
さすがにうんざりとして、ディヴィッドは銀のトレイから名刺をつまみ上げた。もとより会わないわけにはゆかない相手だが、ことに今日のような日には気が重かった。
前回訪問のおりには、ショーンとのことをずいぶん責められた。そのときはあまり真剣に考えてもみなかったが、今となってみれば事態は彼が危惧したとおりになっているのかも知れないのだ。何者かに暴行されたことが明らかなショーンの顔を見られれば、理由を追及されることは避けられない。あの炯々と輝く黒い目で見据えられ、冷静に問いつめられることを思うとますますディヴィッドの気は滅入った。
しかも、答えをもたないとなればなおさらだ。
結局ショーンからは相手の名前も、理由さえも聞き出せなかったのだから。
「・・・もう、いると言ったんだろうな?」
ディヴィッドは小さな名刺の端を持って、くるりくるりと指先で回しつつ訊ねた。我ながら不機嫌な声だ、と思った。
だがその主人らしからぬ物言いに驚いたとしても、よくできた執事は顔色ひとつ変えなかった。ディヴィッドが管財人に居留守を使う理由などないはずだったのだ。
「はい、ディヴィッド様。ご在宅だと申し上げました。下の控え室でお待ちでございます」
「わかった。書斎へ通せ」
「かしこまりました」
折り目正しく頭を下げて執事がさがってゆくと、ディヴィッドはのろのろと立ち上がった。
* * *
午後になって、雨はやんでいた。とはいえまだ空には雲が厚く、真っ昼間だというのに階段の上のホールも無彩色の薄明かりの中に沈んでいた。まるで夕暮れのようだ。
杖を突いてそこへ出たディヴィッドは、もう管財人は階段を上がってくるだろうか、とふと手すりの下を見下ろしてみた。
ちょうど階段の真下で、ふたりの男が立ち話をしていた。ディヴィッドの位置からではどちらの顔も見えなかったが、それが誰であるかは服装と体つきですぐに判別がついた。
ショーンと、彼の管財人だ。
別にそうする必要などないのに、ディヴィッドは思わず息を殺して様子を窺った。人に聞かれたくない会話なのか、彼らはまるで囁くように声を潜めて話しあっていた。直線距離にすればほんの数歩ぶんしか離れていないところにいるディヴィッドにさえ、その声の調子だけがなんとなくわかるだけだった。
「・・・・?」
「・・・・」
「・・・・」
老齢の管財人は、まるで棒を飲みこんだようにまっすぐ背を伸ばしたいつもの姿で、彼の孫ほどの年齢の青年と向かいあっていた。対して、ショーンのほうは力なく肩を落として首を垂れ、真上から見下ろしているディヴィッドからはちょうど後頭部が見えるような格好だ。彼らの声はあまりにも低く、遠すぎてディヴィッドには単語ひとつ聞き取れなかったが、老人の声音は鋭いようだった。彼がなにか言うたびごとに、ぴしりぴしりと鞭が振るわれるように空気が裂ける気配がした。
ショーンはしばらく打ちひしがれたようにうなだれて聞いていたが、やがてぱっと顔を上げたかと思うと老人のほうへ半歩足を踏み出して、なにか言った。
「・・・・」
「・・・・」
また短いやりとりがあってから、白髪の管財人は急に黙りこんでショーンの目を覗きこみ、重々しく頷いた。
「・・・・」
そしてディヴィッドが息を呑んだことには、彼は上着の懐にすいと手を入れ、革の札入れを取り出したのだ。
一枚、二枚、三枚と紙幣を数え、管財人は相当な額の金を、ショーンの胸にぽんと置いた。ディヴィッドの見ているところからは、ちょうどその紙幣の色がはっきりと見えた。札入れに入っているような金額だ。さほど大金とは言えないまでも、食料品店の支払いに使われる程度の額でもなかった。
ショーンは両手を上げてそれを受け取った。そしてしばらくじっと動かずに管財人の顔を見ているようだったが、やがてきょろきょろとあたりを見回したかと思うとそのままズボンのポケットに金を持った手を突っこんでしまった。
「・・・・」
老人がまたなにか厳しく言い、ショーンはこくりと頷いて、立ち去るようなそぶりを見せた。話が終わったのだ。
ディヴィッドは音を立てないように手すりを離れ、居間のドアのほうへ引き返した。
いま見たものがなにを意味しているのか、ディヴィッドにはわからなかった。
すぐにも声を上げて、「そこでなにをしているんだ」と怒鳴りつけてやればよかったのかも知れない。ディヴィッドにはそうする権利があった。
だが、できなかった。
こうして人目を忍ぶようにして受け渡しするからには、後ろ暗い金なのだろう。
ディヴィッドにでなく、屋敷の小口の支払いを管理する執事にでもなく、直接管財人に要求された金。
そして支払われた金。
その理由を考えようとするとディヴィッドは、頭の芯がギリギリと痛むような気がした。
コツコツ、と階段のステップをゆっくり上がってくる靴音がする。ディヴィッドは杖の石突きの音をさせないように気をつけながらそちらへ向き直り、まさに今、部屋から出てきたばかりだというようなふうを装おうとした。
上がってきたのは管財人ひとりだった。彼は居間のドアの前に立っているディヴィッドを見つけて、いかめしく挨拶をした。
「ご機嫌よう、ディヴィッド様。お加減はいかがですかな」
「ああ、悪くない。なんの用だ?」
コツン、とわざと勢いをつけて杖を前に出すと、管財人は豊かな眉をぴんと跳ね上げてディヴィッドに道を空けた。
「週明けの売り立てで入札いたしたい物件がいくつかございます。総計では高額になりますので、ご裁可をいただきにまいりました」
「おまえがいいと思えばそれでかまわないが・・・」
「そうはまいりません。すべてディヴィッド様の資産でございますから」
両手のふさがっているディヴィッドのかわりに、はるかに年上の管財人がドアを開けた。ディヴィッドはわざとらしく眉をひそめて老人を見やった。
「執事はどうした?」
「台所へまいりました。かわりにビーンを案内につけてくれたのですが、私が執事に言い忘れたことがございまして、彼に言づてを持って行かせました。・・・少々胃を悪くしておりましてな。強い酒は控えておるのです」
管財人は表情も変えずにすらすらと答えた。これも嘘ではないのだろう。それも当然のことで、ディヴィッドにはこの厳格な老人がどんな些細なことについても嘘をつくなどとは考えられなかった。
それはショーンも同じだ。彼はあの緑の目でディヴィッドを見つめ、そして言うに違いない。
(お話しできません・・・。すみません)
ディヴィッドの胸をかき乱す、あの目で。
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最近「旦那様がんばれ!」の声が高まっているようです。
年初にあたって、いっちょ言っときますか。
「みんな騙されるな! こいつは旦那様だぞ!」<二番煎じ
いくらオトコマエでも、また若豆にベタ惚れなところに
共感してしまうにしても、限度というものがあります。
わかりましたか、アーデルハイド?
20040103