* fragile/38 *
二日も経つと、ショーンの顔の腫れはすっかりひいた。
目のまわりや頬の痣はまだまだ何日も消えないだろうが、彼の鋭利な美貌がそれだけではさほど損なわれないのを見て、ディヴィッドはややほっとした。ショーンの目鼻立ちはとてもくっきりとしているので、顔の形やバランスが変わるほうが痣などよりもずっと目立ったのだ。
だが、もちろん額の傷だけは別だった。もうふさがって赤黒い瘡蓋に覆われてはいるが、それが剥がれたあとにはかなり立派な傷痕が残るだろう、とディヴィッドは思った。執事も同じことを言った。
本人のほうは、
「・・・別に、かまいません」
傷の上を指先でこわごわ撫でてみながら、そう呟いただけだった。
ディヴィッドの知る限り、ショーンは自分の容貌などを気にしたことがない。このあたりの青年ならあたりまえの反応なのだろうが、ディヴィッドはいつもそれが惜しいような気がしていた。
もっとも、もう彼にそう言ってやる機会はなさそうだったが。
あの嵐のような月曜から二晩が過ぎ、ショーンは普段通りの仕事に戻っていた。
額の傷に障らないよう適当に切られてしまっていた前髪ももうきちんと刈り揃えられ、テーブルにものを置くときに手が震えたりすることもなかった。あれはおそらく、貧血のようなひどい疲労からきていたのだろう。後から執事に問いたださせたところでは、前日の夜からろくに食事をとっていなかったということらしかった。
あれからショーンはあまり笑わなくなっていた。
ディヴィッドの前に立つときばかりではなく、ふと廊下や庭に姿を見かけたときでも、見られているとは知らない彼はぼんやりと無表情な顔つきでいることがよくあった。そういうときのショーンはいかにも「早くここを辞めて出ていきたい」と考えているようで、ディヴィッドをひどく苛立たせた。
* * *
午後はカタツムリが歩くようにのろのろと過ぎた。
昼食の後、ディヴィッドは書斎にこもって未処理の書類を片づけたり、居間のソファに寝ころんで新しく届けられた新刊書を眺めたりと落ち着かない時間を過ごした。
今日は水曜日で、使用人たちの夜の外出日だ。
夏の太陽がようやく西に傾き、庭に放された犬たちがさかんに吠える声が聞こえてくると、ディヴィッドは窓辺のカウチに居場所を移した。おそらくそうだろうと思って窓から庭を見下ろすと、やはりそこにはショーンの姿があった。
確かめたことはなかったが、ショーンは犬が好きらしかった。水曜日の夜は人がいなくなって不用心だというので、屋敷の犬舎に置いている数頭の猟犬を庭に放してやるのが習慣になっていた。ほかの大多数の犬は猟場番の手元で養われている。これまではずっとディヴィッド自身か、でなければ庭師の見習いの青年が犬を放す役目をかってでていたが、ショーンがきてからは毎週彼が犬を選んでいた。そのことについてディヴィッドは一度も彼と話をしたことがなかったにもかかわらず、ショーンはいつも賢くて勇敢ないい犬を選んで連れ出していたし、また犬たちのほうでもショーンにはよくなついているようだった。
いまも、乾いた芝生を横切ってこちらへ歩いてくるショーンの足元には、二頭のぶち犬がくるくるとまつわりついていた。猟犬は吠えるのが仕事だ。長い舌を出してしきりに吠えながら、どちらの犬もショーンにかまってもらおうと必死になっている。そのうちの一頭をあやうく蹴飛ばしてしまいそうになって、ショーンはちょっと足をもつれさせた。
「こらっ、離れないか!」
大声で叫びながら、だが彼は白い歯を見せて朗らかに笑っていた。ディヴィッドのいる窓辺にも、その声ははっきりと聞こえた。ショーンが帽子をもった手を振り回すと、彼の前にごろりと転がった犬が慌てて起きあがり、長い脚で飛ぶように駆けだしていった。それにつられてもう一頭も走り出す。どちらも猟場ではとても役に立つ犬で、ディヴィッドは大事にしていた。
犬たちは弾丸のように駆けてゆく。二頭を見送るショーンは、とてもいい笑顔をしていた。
ディヴィッドはそれを見て、我知らず顔をしかめた。
やがて黄金色の黄昏が訪れ、階下で大時計が6時を打つと、屋敷のうちはひっそりと静まりかえった。
執事はあまり熱意のない様子で今週も残りたいと申し出ていたが、ディヴィッドは彼に、村で祖父が遊びにくるのを待っている小さな孫娘のことを思い出させてやった。なにしろ彼らにとっては週に一度の機会なのだ。
ディヴィッドは杖をついて窓辺に立ち、暮れてゆく庭を眺めていた。
眠たげに枝を揺する針葉樹の木立、触れられないガラスのようにきらきらと降る夕陽。走り疲れた犬たちはどこかの茂みの陰で休んでいるのか、風のほかには動くものの気配すらない。庭師たちももう帰ったし、この部屋のテーブルの上にはいつものようにディヴィッドの夕食が用意されてある。
今日の午後、郵便物を届けにきたショーンに、ディヴィッドはかなり高圧的に言いつけた。
「今夜は出かけるな、ショーン。ここで私の相手をしろ。いいな」
「・・・」
誰が聞いても意味のわかるような露骨な言い方を、わざとした。
ショーンはなにか答えようとしたが、半分ばかり口を開きかけただけで、とうとう言葉にはできなかった。ディヴィッドの顔をまともに見ていることさえできず、内気そうに俯いて、いま整えて置いたばかりの郵便の束をまた取り上げ、トントンと端をテーブルに打ちつける。ほっそりと長い彼の指が、そのときばかりはまたかすかに震えを帯びて見えた。
「いいな、ショーン?」
返事がなかったので、ディヴィッドは重ねて念を押した。繰り返したぶんだけ厳しい口調になってしまった。ショーンはごくりと喉を鳴らし、ディヴィッドからは慎重に目をそらしつつ頷いた。
「はい、旦那様」
「また酒が必要だなんぞと、馬鹿なことを言うんじゃないぞ」
「・・・」
ショーンはそれにも答えず、ただゆるやかに首を振っただけだった。
ディヴィッドは卓上に置かれた郵便物には目もくれず、じっとショーンを凝視していた。そうされていることは、ショーンにも十分にわかっていたはずだ。
彼はすんなりと伸びた首筋から耳朶まで赤くしながら、表情さえ見られなければ内心の動揺を隠せるとでも思っているかのように顔を伏せていた。ディヴィッドにとっては都合のいい話だった。
「もし飲みたければ、ここへきて私の酒を飲め。安酒のにおいはさせてくるな。わかったか、ショーン?」
「はい、旦那様」
「あまり待たせるんじゃないぞ」
「・・・はい、旦那様」
「わかったら、行け」
「はい、旦那様」
そのときのショーンは、その一語しか言葉を知らないようにも思えた。
逃げるように出てゆく彼の背中を見送り、ディヴィッドはつとめてなにも考えまいとしながら郵便物の束を取り上げた。
その甲斐あってショーンは、6時のチャイムがまだ余韻として残っているうちにやってきた。
いつもにもまして控えめなそのノックに、ディヴィッドは口元を引きしめて答えた。
「入れ!」
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昨日、急にネットにつなげなくなって、大変な思いをしました。
LANカードかパソか、原因は今でもはっきりしないんですが
「旦那様の呪いか? だったらあたしが悪かった、
今週はいたいけちゃんとやらせてあげるから!」
というメールを某先生に送ったとたんに復旧しました。
旦那様ったら、おとなげない・・・。
FCはもう少々お待ちください。7人くらいは入ってくれるはず。(苦笑)
20030117