* fragile/46 *

日曜日には、庭師たちの仕事も休みになる。
ほかの住み込みの使用人たちと一緒に教会へ出かけたショーンは、今週はなにごともなく彼らと一緒に帰ってきて、台所でお茶を飲んだり話をしたりしているということだった。
それだけ聞けば十分だった。ディヴィッドは部屋着の襟元にナプキンの端を押しこみながら、そっけなく頷いた。
「・・・変わった様子はなかったんだな?」
「教会ででございますか? いいえ」
「結局、先週の喧嘩の相手はわからないのか」
「はい、ディヴィッド様。特に調べもいたしませんでした」
安息日だというのにきちんと黒い上着を着て、主人の昼食の給仕を勤めながら執事が言った。あまり気の進まない調子のように聞こえた。
「・・・もういい、とのことでしたので。もしご希望でしたら、今からでも誰かを村へやって訊いてこさせますが」
「いや、いい。済んだことだ」
「はい、ディヴィッド様」
執事はほっとした様子を声に滲ませながら、ディヴィッドの前に冷たいスープの皿を置いた。さすがに洗練された、男の太い指先が目に映らないほど鮮やかな手つきだった。だが見慣れたその動作に、ディヴィッドはほとんど目を引かれることもなかった。
スープ皿の中身が美しい浅緑のポタージュであることに気づくと、ディヴィッドの唇は自然にほころんだ。

ディヴィッドの胸に、記憶の底からぽかりと浮かび上がってきた言葉があった。
なんとなく気恥ずかしそうに呟かれたひとこと。
(好きなんです)

「これが例の、ソラマメのスープとかいうやつか」
「はい。ショーンからお聞き及びでございましたか?」
「好きだそうだな」
「そのようで。・・・今年は菜園でソラマメがよくできましたので、ちょうどよろしゅうございました」
どことなく言い訳がましく聞こえたのは、執事がこれを使用人たちに食べさせるには贅沢すぎる献立だと考えているからだろう。金銭的にやかましいほうでないディヴィッドは唇だけで苦笑し、曇りひとつない銀のスプーンを取り上げて、ひと口味わってみた。
ごくあっさりとした、なめらかな口当たりのポタージュだった。もどかしいほどやさしく上品な味わいだったが、その中にも確かに田舎の夏の香りが感じられた。
明るく晴れた日曜の正餐にはふさわしかった。
メインの皿を用意しながらディヴィッドの様子を窺っていた執事が、にっこりと訊ねた。
「お気に召しましたか?」
「ああ、悪くないな」
そう答えたが最後、このスープが夏の間に何度かは食卓に出されることは確実だった。
言ってしまってからディヴィッドは、そのことに思い当たって少しばかり後悔した。
きっとそのたび、もう屋敷にいないショーンを思い出す羽目になるだろうからだ。
あの内気そうな声と一緒に。


* * *


その午後には、日曜の礼拝を欠席したディヴィッドのため、教区牧師の訪問があった。この牧師はいつでも信者の救済には熱心なのだが、ディヴィッドはその熱意にいつもうんざりさせられた。
親しい友人たちとは違ってガウン姿のまま居間へ招き入れるわけにもゆかない。その点でも面倒だった。ディヴィッドは客を階下の応接室に待たせておいて、わざとゆっくりと身支度を整えた。この程度で、あの牧師がディヴィッドを教化することへの関心を失うとは思えなかったが。
今日は、執事がその手伝いをした。きちんと磨かれた靴を無事な片足にだけはかせてもらいながら、ディヴィッドは憂鬱そうに呟いた。
「なぜ、留守だと言わなかったんだ?」
「お車でお越しでした。門番のイアンに先にお声をかけられまして、イアンがご在宅だとお教えしたそうでございます。・・・もちろん、牧師様に嘘をつくようなことは、手前もいたしませんが」
さらりと厳しいことを言っておいて、執事は膝を払って立ち上がった。ディヴィッドの片方だけの靴の紐は、これ以上ないほど綺麗にしっかりと結ばれていた。左右の緒の長さまでがすっかり同じだ。ディヴィッドが自分で結んだのでは、決してこうはできなかった。
ディヴィッドは憮然として立ち上がり、ようやく居間を出た。

そこにはショーンが待っていた。
彼は、ディヴィッドがなにも言わずに差し出した杖を受け取って、階段の手すりに立てかけた。部屋を片付けた後で、執事がすぐに後を追ってくるだろう。
「失礼します、旦那様」
ものやわらかな声が言い、緩慢に伸ばされたディヴィッドの腕の下に、ショーンが身体を入れてきた。長い腕がディヴィッドの腰に巻きつき、しっかりと支える。シャツ越しに触れる体温はやはり心地よく、気のはる面会から逃げ出したいと思っているディヴィッドの気持ちに拍車をかけた。
執事は、まだディヴィッドの部屋から出てこない。
それを横目で確かめて、ディヴィッドはショーンの耳元にすばやくささやきかけた。
「ショーン、このまま庭へ出ないか」
「えっ!?」
「こんな日に牧師の説教なぞ、聞きたくもない」
「旦那様、でもそれは・・・」
困惑しつつ抗議しかけた声は、ディヴィッドにじろりと睨みつけられると尻すぼみに小さくなり、やがて途切れてしまった。ショーンは階段のなかばで足を止め、困り果ててディヴィッドの顔を見た。その腕には、普段よりもまだ力がこもっていた。
ディヴィッドは手すりに乗せていた手を離し、薄手のシャツの上からショーンの胸にゆっくりと指先を這わせた。もし誰かに見られたら言い訳のしようもない、露骨に性的な仕草だった。
それが証拠に、ショーンはぎくりと肩を揺らしたかと思うと、もうなにも言えなくなってそのまま俯いてしまった。
一週間前のケガはもう、彼の秀麗な美貌の上にほとんど痕跡をとどめていなかった。薄い金茶色に日焼けした血色のいい横顔を間近から眺めたディヴィッドは、その彫刻のようなみごとな美しさに改めて目を奪われた。
羞恥にか、頬の上がかすかに赤らんでいる。憂いを帯びた瞳は普段より暗い色に染まってひっそりと伏せられ、唇は逡巡しながらもまだ言葉を選ぼうとしている。
「でも・・・」
「ショーン、おまえのせいじゃない。私が悪いと言えばいいんだ」
「そんなこと、理由になりません」
そう言って彼がわずかに首を振ると、ふわりとなにか、香料の香りがした。まさかショーンのような立場の者が、コロンのようなものを使うとは思えなかった。朝、彼が顔をあたるときに使った石鹸か、それともまた別のなにかのせいか。それはわからないながらもディヴィッドは、吸い寄せられるように彼の項に唇を寄せて、そっとささやいた。
「・・・さすがに、今日は汗くさくはないな。いいにおいがする。なんだ?」
「わ・・・わかりません」
「ショーン、逃げるな」
「・・・」
「誰も見ていない、大丈夫だ」
「で、でも、牧師さんが」
「牧師とはまた来週も会う。だがおまえは」

来週にはいなくなるんだ。

ちょうどそう言おうとしたとき、パタン、と頭上でディヴィッドの部屋のドアが閉まる音がした。
ディヴィッドは反射的に頭を起こして、足元を見た。その後ろから、驚いたような執事の声が浴びせられた。
「・・・ディヴィッド様、どうかなさいましたか?」
「いや、どうもしないが」
「もうとっくに下へ降りられたかと思っておりました」
「ああ。・・・すこし、話をしていた」
「さようでございますか」
片手に火のついていないランプと、もう片方の手にはディヴィッドの杖を抱えた執事がすぐに追いついてきて、不審そうに首をかしげた。
「なんにせよ、このような階段の途中では感心できかねます」
「はい、執事さん。すみませんでした」
「おまえがついていながら、なんだね。ショーン」
叱られたというのに、彼はどこかほっとしたように見えた。その気配は執事にもわかったのだろう。数段下から、ちらり、とディヴィッドを見上げた目がいささか冷淡だった。
ディヴィッドはいたずらしているところを見咎められたこどものような気まずい思いを味わいながら、重い足を再び上げた。

しかたがない、牧師には会わなければならない。
惜しいと思ったところでショーンはどうせ出てゆくのだし、今すぐにでなくとも、まだ彼を自由にできる時間はあるはずだ。
もしかすると、来週の水曜が最後になるかも知れない。
それは、しかたがない。

そのときには、そんなふうに思っていた。






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階段でセクハラ。
満員電車で痴漢みたいなもんですか。
どさくさにまぎれて触るなっつーの。

20040326