* fragile/59 *

夜が更けると、月は木立の向こうに姿を隠してしまった。
夏のぼんやりとした星明かりだけでは、互いの表情すら判然としない。
愛を交わすだけならそれでもいいが、こみいった話をするにはいささか都合が悪かった。

ショーンが台所から例の古い燭台を持ってきて、すこし離れた床の上に置いた。たったそれだけの明かりでも、あるのとないのとでは大違いだった。
ディヴィッドはショーンの寝台の上にどっかりと座りこんで、この家のあるじが客の衣服を床から拾い集めているのを不機嫌そうに眺めていた。
「・・・そんなもの、放っておけ」
「だめです、旦那様」
ディヴィッドが投げ捨てた上着の埃を払いながら、ショーンは生真面目に答えた。実に彼らしい口調だった。
「放っておくと、形が崩れてしまいます」
「おまえの仕事じゃないだろう?」
「仕事じゃなくても、これくらいは・・・」
「いいから、こっちへ来い」
いらいらと言われると、ショーンは困ったように上着を抱えたまま、ディヴィッドのいる寝台へ近づいてきた。

彼は、ディヴィッドが引き裂いたシャツに袖を通していた。前のボタンが全部とんでしまっているので、胸元の白さやディヴィッドが遠慮なしにつけた情事の痕跡などが、そこからちらちらと覗いている。なかなか色っぽい眺めだったが、本人はまるでそのことに気づかないらしく、ディヴィッドの目を避けようともしていなかった。

ディヴィッドに文句を言う筋合いはなかった。
ここは彼の家で、彼の寝室なのだ。
夜中に自分の寝室でどんな格好をしていようが、ショーンの勝手というほかはないはずだった。

そのショーンはディヴィッドの前までやってくると、
「・・・でも、明日執事さんが困りますから」
とやわらかい声で言った。
ディヴィッドは、苦笑せずにはいられなかった。
「おまえが屋敷へ戻って、自分で直せばいいんだ」
彼の腕から自分の服を取り上げ、寝台の足下にばさばさと広げて掛けた。ショーンはぎゅっと眉を寄せて、必死に抗弁した。
「旦那様、私はお屋敷へは行きません」
「まだそんなことを言っているのか?」
「わ、私は船で働くんです。明日かあさってには港へ・・・」
「だめだ!」
ディヴィッドが大きな声を出すと、ショーンの肩がビクッと震えた。ディヴィッドはもどかしさに舌打ちをして、今にも逃げ出しそうな彼の手をつかみ、引き寄せた。
「・・・ともかく、船はだめだ」
ディヴィッドのほうはまだ裸だった。肩や腿のあたりで乾きはじめた汗がちりちりと肌を刺激して、不快だった。
「私は、船には臆病なんだ」
「旦那様、大丈夫です・・・」
「私の両親が客船の事故で死んだことを知らないのか?」
「・・・もちろん知ってます。あのときはすごい騒ぎでしたから」
ディヴィッドの両親が死んだのは、もう何年も前のことだ。
そのころの、遠い春の記憶を呼び覚ますような声で、ショーンは静かに言った。
「すごいお葬式でしたし。偉い人がたくさん集まって、墓地にも入りきれなくて。私たちは墓地の塀の外で、旦那様が出てこられるのを待っていました・・・」
「おまえもあそこにいたのか?」

なんとなく不思議な気がしたが、考えてみればそれも当然だった。
この田舎では、大きな葬儀はまるでお祭りのようなものだ。もちろんディヴィッドの親戚や、つきあいのあった有名人も大勢参列していた。この村の住民どころか、近隣の村からわざわざバスを仕立てて見にきた連中もいたほどだった。
あの大会衆の中に、まだ少年のショーンも混じっていたのだろう。当時のディヴィッドはもちろんショーンのことを知らなかったが、ショーンのほうでは地元の名士の息子を知らないはずがなかった。

ショーンは、こくりと頷いた。
「はい、旦那様。村のみんなと一緒に、お墓に花輪をお供えしました」
「花輪か・・・」
ディヴィッドがそう呟いたとたん、ショーンは「あっ」という顔をした。
まずいことを言ってしまった、と自分で気がついたのだ。
ディヴィッドは無精髭がザラザラしだした顎を撫でながら、その顔をじいっと眺めやった。
「そういえば、ショーン。おまえの妹の葬式に、私は花輪を出したんだったな? 聞いた話だと、ずいぶん立派な花輪だったそうじゃないか」
「・・・」
「だが、あいにく私にはそんな覚えはない。これはどういうことだ?」
「・・・はい。すみません、だん・・・」
「ああ、謝るのはもういい。どうしてそんなことをしたのかと訊いているんだ」
「・・・」
ショーンはすぐには答えなかった。彼が説明する言葉を探しているのか、それとも答えるつもりがなくて黙っているのか、ディヴィッドには判別できなかった。
だが、厳しく問いつめれば、きっとまた彼は逃げ出してしまうに決まっていた。
「・・・言いたくなければ、そうやっていつまででも黙っていろ」
ディヴィッドは大げさなため息をつきながら、彼の手をグイと引いた。不意を打たれたショーンは、胸からまともにディヴィッドの膝に倒れこんでしまった。
「う、わっ・・・!」
「そういう強情な態度に出るなら、首に縄をつけてでも連れて帰ってやる。絶対に逃げられないように、部屋に閉じこめてやるからな。覚悟しろ、ショーン」
「そ・・・できっこないです、そんなこと!」
「できるとも。あの家には、おまえが知らない地下室があるんだ」

それは、ディヴィッドが子どものころによく聞かされた「怖い話」のひとつだった。彼の両親は、幼い息子が聞き分けのないことを言うと決まってこの話を持ち出して、「地下室のオバケに食べさせてしまいますよ!」と脅したものだ。

わかりきった冗談のつもりで言ったのだが、ショーンは慌てて起きあがって、ディヴィッドの腕をふりほどこうとした。
「嫌です、旦那様! あなたは・・・あなたは私を、なんだと思ってるんですか?!」
「・・・ショーン、冗談だ」
「あっ、あたりまえです!」
そう言ったものの、ショーンの顔は赤くなっていた。ディヴィッドは苦笑しながら彼の腕を両手でつかみ直し、今度はゆっくりと、自分の胸元に引き寄せた。

これほど驚くとは思わなかった。
ショーンの心臓がドキドキいっているのが、抱きしめた身体から伝わってきた。
かわいそうなことを言った、とは思ったが、それよりもショーンの本音を引き出せたことのほうが嬉しかった。

ごく軽く、まるで歌うようにディヴィッドは囁いた。
「私がどう思っているか?」
「・・・離してください、話が・・・話ができません」
「話、か」
ディヴィッドは彼の抗弁を鼻で笑った。
「おまえはなにも話さないじゃないか。花輪のことも言わないし、リーに借りた金をどうしたのかも言わない。私をうまくあしらっているつもりなのか?」
「違います、そんなつもりじゃないです・・・!」
「いい加減にしろ、ショーン。答えれば離してやる・・・」
彼がもがくと、古い寝台がぎしぎし軋んだ。ふたりの乗っている板が割れるか、足が折れるのではないかと妙な心配をしながら、ディヴィッドは渾身の力をこめてショーンの痩躯を抱きしめた。
「あの金は何に使ったんだ?」
断固とした口調で、ディヴィッドは質問を繰り返した。
ぶるぶると首を振りながら、彼はついに根負けして答えた。
「叔父が、・・・その、つまり叔母のつれあいが、妹に金を出してくれていたんです・・・私がお屋敷に雇われる前に。それの残りを、葬式代と一緒に返してほしいと言われて・・・」
「すぐにか?」
ディヴィッドは呆れて聞き返した。
「まだ、墓地の土も固まらないうちにか。冷たい親戚もあったものだな」
そう言われると、ショーンもさすがに辛そうに目を伏せた。
「妹のことでは、向こうの家族にずいぶん迷惑をかけてましたし・・・私は、信用がなくて」
「あれだけの給金では、医者代が足りなかったのか?」
「いいえ、旦那様。医者代というか、あの子を育ててくれた分の・・・」
「養育費か」
「はい、そうです。それです。すこしお礼をするのが当然だと言われて」
「だが、近い親戚なんだろう?」
「でも・・・」
ひどく言いにくそうに、何度も口ごもりながら、ショーンは答えた。
「あの子が・・・あの子が亡くなったら、もう私とは縁を切りたいから、早く金も返してくれと言われていたので」
「おまえと縁を切る? なぜだ?」
ディヴィッドは心底不思議に思って訊いたのだが、ショーンは信じられない、と言わんばかりに目を見ひらいて、まじまじと彼の顔を見上げた。

笑い泣きのように唇をゆがめながら、彼は苦い声で言った。
「・・・私が、旦那様といやらしいことをしてお金をいただいているからです。そんな・・・そんな汚らわしい人間は身内の恥だと、何度も言われました」
その言葉のひとことずつが、ディヴィッドの耳を灼いた。

喉元にせり上がってくる嫌悪感、胸を突き破って溢れるような怒りに、ディヴィッドはぐっと奥歯を噛みしめた。なるべく平静な声を出そうとしたが、できなかった。
「・・・その親戚の名前を言え。私が話をしてやる」
「いいえ、いいんです!」
ショーンは激しく首を振った。ディヴィッドを見上げる目には、あわい涙が浮かんでいた。
「もう関わらないほうがいいんです、お金も返しましたし・・・」
「そういう話じゃない!」
「でも全部ほんとうのことなんです! 私がいると、みんなの迷惑になるんです」
「だが、それはおまえのせいじゃない。私が金を・・・」
「そうです、でも違うんです!」
「なにが違う? 金をやるから抱かせろと言ったのは私だ、おまえは嫌がっていたじゃないか」
「断ろうと思えば、断れました!」
「断れなかったのは金が要ったからだろう?」
「ええ、そうです。でもそんなお金をいただいたら、もう私も悪いんです」
「・・・そんな馬鹿な理屈があるか」
ディヴィッドは吐き捨てたが、ショーンは悲しそうに俯くばかりだった。

そして、かすかに微笑みを落として、言った。
「旦那様、ありがとうございました。・・・もうお会いできないと思います」
「馬鹿なことを言うな、ショーン」
「あの船は沈みません。ですから、私のことは心配しないでください」
「心配? ・・・心配だと?」
ディヴィッドは、やさしく繰り返した。ショーンはなぜそんなふうに言われるのかわからず、泣き出しそうに潤んだ瞳をちらりと上げた。
「私が心配するとわかっていて、どうしても行くのか」
「・・・ここにはいられないんです」
ショーンは頑強に繰り返した。







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みなさま、これまでほんとうにありがとうございました。
思えば遠くへきたもんです。
次回、最終回です。

20040515