* fragile/60 *
夏も、そのあとに訪れた秋も、過ぎてしまえばあっという間だった。
小道のほうに列をなしていたヒマワリが晴れやかな顔を伏せて枯れ、その実も収穫されるころには、庭もずいぶん殺風景な眺めになっていた。
緑の絨毯を広げたような芝生も、もうすぐ雪が降り出せば一面の銀色に変わるだろう。
ディヴィッドにはそれが待ち遠しかった。
すっかり足も治った彼は、以前と同じ多忙な生活に戻っていた。
いや、なにかに追い立てられるように、彼が直接関わる必要のない仕事までも手元に引き寄せていた。
日に何人も訪れる来客を短時間で捌き、それと同じほどすばやく書類の決裁をこなした。小切手帳も、借地台帳も、書斎の机上に積まれれば彼はなんでも見た。
その間に新しい事業計画を練ることも忘れなかった。
以前から計画されていた湿地の干拓事業もそのうちのひとつで、管財人の事務所で働いているブルームという男が、しばしば書類を持ってやってきた。冬の冷えこみを前にして、さすがに達者な管財人も持病の神経痛が悪化して動けないというのだった。
ブルームの顔を見ると、ディヴィッドはいつもショーンのことを思い出した。
彼が最後に会った日の、ショーンの顔を。
(ブルームさんって人がきて・・・)
この男は、ショーンに会ったことがあるはずだった。
いつか、ショーンの印象を聞いてみたいと思っていた。だが何ヶ月も前に一度会ったきりの青年のことなど、彼はもう覚えていないかも知れなかった。
「用地の確保は進んでいるか?」
「はい。あと2軒ほど立ち退いてもらいます。金額の割り増しを希望していますが、まあなんとかします」
そう言って、彼はニッコリ笑った。人好きのする朗らかな笑みだったが、ショーンのはにかんだような笑い方とはまるで違っていた。
もっとも、比べたところでどうなるものでもない。
ディヴィッドは内心ため息をつきながら、ブルームが差しだしてきた新しいリストに目を通した。若い事務員は同じ書類を上から覗きこみながら、ええっと、と説明を要する箇所を探した。
「この3番目の、ビーンという家の跡地ですが・・・」
「ビーン?」
ディヴィッドの頭がぱっと上がったので、ブルームは目をパチパチさせた。
「はい。先週取り壊した家ですけど。その跡地に、独身労務者向けの寮を建ててもらいたい、と役所が言ってきてます」
「役所の指図は受けない」
ディヴィッドは不機嫌そうに答えて、もう一度リストに目をやった。
確かにビーン、という姓が書かれていたが、ショーンの名ではなかった。おそらく彼の亡父の名だろう。
それでも、懐かしさに胸が熱くなった。
「・・・役所には好きなように言わせておけ。労務者の寮はもっと村に近いところに建てる」
「働く場所に近くていいんじゃないか、ということなんですが」
「不便なところだ。沼地に近くて水はけが悪い」
「そうなんですか?」
「そうだ。たとえばこっちの、牧場のあたり・・・このあたりのほうが、人は住みやすいだろう」
「わかりました。建設場所はこちらで検討すると言っておきます」
ブルームは納得して頷き、大きな書類鞄にリストをしまいながら、なにげなく言った。
「そういえば、思い出しました。私が行きましたよ、この家。寂しいところでしたね」
「ああ」
「あんまり寂れてたので、誰も住んでいないんじゃないかと思いました。呼んだら人が出てきたんでびっくりしたんです」
「・・・どんな男だったか、覚えているか?」
「ああ、ええっと。なんだかおどおどした男でしたよ。私が用件を言っても、じーっとこっちの顔を見て黙ってるんです。条件が気に入らないのかなと思ったんですが、じゃあいくら欲しいんだって言ったら、いくらでもいいですって言うんですよね・・・」
ブルームは陽気に話したが、ディヴィッドのほうはそれどころではなかった。
いま、ブルームの語ったショーンの表情が、ありありと心に浮かんできた。
相手に緊張を悟られぬよう、ディヴィッドは机の下で自分の膝をぎゅっと握っていた。
そうしていなければ、自分がなにを言い出すかわからない、と思った。
「・・・それで?」
「いえ、別に。最初から目安金額が決まってましたから小切手を書いて、立ち退きの書類にサインしてもらって、期限までに出ていってくださいって言って、帰っただけです」
「ビーンはなにか言っていなかったか?」
「ええっと・・・確か、もともと引っ越す予定だったからちょうどよかった、と言ってたと思うんですけど」
彼の黒い目は、くるくるとよく動く。その目がディヴィッドをいぶかしげに見た。
「お知り合いですか?」
「・・・ああ、まあな」
「彼、引っ越したんですよね?」
「外国航路の客船で、給仕をしているんだ」
「へえ。それじゃ引っ越ししたっていうのもおかしいですね。船は家とはいえないでしょう」
用事の済んだブルームはニコニコ笑いながら、いとまを告げた。ディヴィッドはひらりと手を振っただけで、彼を見送りもしなかった。それを気にするような男でないことはわかっていた。
ひとりになると、ディヴィッドは書き物机のところへ行き、一番上の抽斗を開けた。ディヴィッド個人の私的な手紙などがしまわれている抽斗だった。
その手紙の束の上に、数枚の葉書が重ねられていた。
ディヴィッドは一番上の一枚を取り上げて、青いインクで書かれた文面にじっと見入った。
それを読むと、最後に彼を抱いた夜のことが鮮やかに思い出された。
* * *
あの夜、夜明けまでふたりは抱きあって話をした。
ふたりとも疲れてはいたが、限りある時間を眠って過ごすのが惜しかった。
「・・・おまえはもう要らない、って言われるのが怖かったんです」
ディヴィッドの腕を枕にして、もう半分目を閉じながらショーンが呟いた。その声も眠そうにぼやけていたが、ディヴィッドがもう寝ていい、と言うたびに彼は首を横に振った。
「旦那様の足が治ったら、私はお払い箱だと思ってましたから。・・・出て行け、って言われる前にそうしようって、ずっと思ってました」
「私が続けて働けと言ったら、嫌だと言ったじゃないか」
「もうあれ以上ご迷惑はかけられないと思って。叔母たちとも、もうすぐ遠くへ行く約束をした後だったんです」
「それで、急に出ていったりしたのか?」
「ええ、たぶん。・・・でもよくわかりません。旦那様はきっと迎えに来てくださるような気もしてましたし・・・」
「もし来なかったら、どうするつもりだったんだ」
「・・・さあ。なんて言うか、その・・・来てくださるといいな、と思っていただけなんです」
ショーンはごく低く、もう夢の中にいるような口調で喋っていた。ディヴィッドは彼の額にちゅっ、ちゅっと音を立ててキスを繰り返しながら、なおも訊ねた。
「それなのに、どうしても行くと言うのか?」
「だって、もうここにはいられません。叔母たちのこともありますし、このままじゃ旦那様の評判だって悪くなります」
「おまえがいなくなってしまったら、私はいったいどうすればいいんだ?」
「・・・旦那様なら、私じゃなくても・・・いくらでも」
「ところが、私はおまえがいいんだ」
ディヴィッドはきっぱりと言って、困り果てたように俯いているショーンの頭をぎゅっと抱いた。
「おまえでなければだめだ、ショーン。私がこうまで言っても、おまえは行ってしまう気か?」
「・・・でも、もうあの船で働くことは約束したんです」
「そんな約束は断ってしまえ」
「そうはいきません、私はもうあてにされているんですから」
「前金をもらったんじゃないんだろう?」
「私が行かなかったら、船の給仕長さんが困ります」
ショーンはゆるく首を振って、ディヴィッドの胸に頬を押しあてた。
「・・・ですから、船には乗ります。先のことを考えたら、給仕の仕事もちゃんと覚えたいんです」
「まだそんなことを言っているのか?」
「でも・・・」
もぞもぞと、ディヴィッドの毛深い胸板に鼻面を擦りつけながら、ショーンは答えた。
その様子はなんとなく幸福そうにすら見えるというのに、彼の口をついて出るのはあいかわらず否定の言葉ばかりだった。
「旦那様が、いつまで私のことを考えてくださるか、わかりませんから。今だけかも知れないですし」
「そんなことはない」
「ほんとうですか・・・?」
「あたりまえだ」
憮然としながらディヴィッドは、ショーンの髪を指で梳いた。
「本気でなくて、どうしてこんなことが言えるんだ。いいから、船の仕事なんか断ってしまえ」
「それはだめです」
ショーンが頑固なのは、今に始まったことではない。ディヴィッドは心中ひそかにため息をついた。
「約束したんですから、行きます」
「・・・ショーン」
「ともかく一度は行きます。・・・でも」
「でも、なんだ?」
「もしかしたら、すぐクビになるかも知れません。そうしたら、私はまた行くところがなくなってしまうんです」
「だから、私の家へ来いと言っているんだ」
「もしも・・・もしも、船をクビになったら」
ショーンは、ディヴィッドの胸に顔を埋めたまま、呟くように言った。
「そのとき、もしも旦那様のおそばに誰もいなかったら、・・・そのときはもう一度、お屋敷でお世話になるかも知れません」
* * *
そんなことを思い出しながら、ディヴィッドは長い手紙を書いた。
ディヴィッドの頭文字がついた用箋に書かれたその手紙ははるかな海を渡り、宛先となっている船を追いかけてゆくはずだった。
届かないかも知れない。届いたとしても、何ヶ月もかかるだろう。
だからディヴィッドのほうから手紙は送らなくていい、と言い残して、彼は出かけた。
だが、どうしても書かずにはいられなかった。
執事に二人目の孫ができたこと、管財人が神経痛で痛がっていること。
クリスマスには親戚の学生が遊びにくること、裏庭の泉水が手入れされて綺麗になったこと。
ショーンの前の家が取り壊されたこと、秋は雨が多くてうんざりしたこと・・・。
葉書はちゃんと届いていること。
元気そうだというので、皆が喜んでいること。
思いつくままに書き並べてみたが、最後がちょうど2行ほど余ってしまった。
わざと余らせたのではないか、と訊かれたら、返事に困りそうだった。
しばらく無駄に考えこんだあとで、ディヴィッドはまたペンを取り上げた。
そしてとても慎重な手つきで、次のように書き加えた。
ショーン、愛している。
早く帰ってこい。
* FIN *
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やっと完結しました。
ここまでおつきあいくださった皆様、ほんとうにありがとうございました!
このお話が無事にエンディングを迎えられたのも、不器用なふたり
(特にへたれなほう)を見守り、応援してくださった皆様のおかげです。
すこしでも楽しんでいただけたなら、嬉しいのですが。
20040516