* fragile/8 *

それからたっぷり10分間、ディヴィッドは老人の堂々たる説教を聞かされる羽目になった。

「亡くなられたご両親がこの行状をご覧になったら、どう思われることか」
「だいたいあなたは学生時代から、酒場の娘だの同級生の妻だのと・・・」
「由緒あるこのお血筋を、あなたの代で途絶えさせてしまうおつもりならば・・・」
「あなたが気になさらずとも、ご親戚の方々は遺産相続を・・・」

同じことを二度は言わない。事実関係に誤認もない。
老人は80を越えてなお矍鑠とした身体をぴんと伸ばし、時折ウィスキーソーダで唇を湿しながら、問題点を順序よく列挙していった。マホガニーのデスクを挟んで向かい側に座ったディヴィッドが、うんざりしたようにため息ばかりついて見せていることもまったく気にならない様子だった。
感情にまかせた叱責ではない。だからこそディヴィッドは聞かざるを得なかった。
知らない者がその光景を目にしたなら、いい年をした男が目上の長老に悪癖を諭されているように見えただろう。
この管財人には、教師か聖職者か、そういったものを思わせる風格があった。

「あなたに地代を払っている農民たちは、あなたを地主として尊敬しているからこそ・・・」
「いかに穏和な教区牧師といえども、同性愛者を教会へは入れますまい」
「こういったことが取引相手に与える影響は・・・」
「相手の若者とて、このことが人に知られれば通りを歩けなくなりますぞ」

ついにディヴィッドは痺れを切らして、机上に伏せてあったベルを取り上げた。管財人は苦い顔をしたが、ディヴィッドは取り合わなかった。
澄んだ金属音が室内を満たすと、老人はグラスを置いて立ち上がった。持病の関節炎のせいか、ぎくしゃくとした動きになった。
その横顔に、ディヴィッドが低く声をかけた。
「もうすぐ夕食だ。食べてゆくといい」
「いいえ。せっかくのご招待ですが、家で老妻が待っておりますので」
実を言えば、これはもう100回ほども繰り返されたことのあるやりとりだった。ディヴィッドは儀礼上、必ず食事を勧める。そして管財人はそれを丁重に断る。父が存命の折りにもこの管財人はそうしていたのだろうか、とディヴィッドは最初の頃こそまじめに考えたものだが、度重なるうちにそんなことも気にならなくなった。
この屋敷の、12人は楽に座れる食堂のテーブルで、雇い主とふたりきりで食事をするということを考えてみたからだ。その真偽については、問うたこともないのでわからなかったが。
それでもディヴィッドは必ず食事に招くことを忘れなかったし、老人のほうでも一度たりとして招きに応じることはなかった。
その時々の状況によって、ふたりの口調は微妙に変わった。互いに喜ばしげな笑みを浮かべて言われたこともあれば、またと会うこともないかというほど険悪な調子で交わされたこともあった。

今回、老人はひどく疲れた顔をしていた。そしてぽつりと
「ディヴィッド様、私もいささか年をとりすぎたと思っております。そろそろ隠退を考える時期なのでしょうな」
呟きにも似たその言葉に、執事がドアをノックする音が重なった。



* * *


ステッキの音とともに管財人が出てゆくと、ディヴィッドは杖をついて自室へ戻った。
ディヴィッドの居間と寝室は、吹き抜けになった階段ホールを挟んで向かい側にある。普通に歩けさえすればたった10歩ほどの距離なのだが、ただドアを開けるだけのためにも松葉杖を持ち替えなくてはならない怪我人の身には、億劫なことこのうえなかった。
だが、今回だけはそれが幸いした。
幅の広い階段の手すり越しに、階下のホールにいるショーンの姿が見えたからだった。
まだ灯りの入れられていないホールは薄暗かったが、彼の金髪は燃えはじめた炎のようにあたたかい光を放っていた。
「ショーン!」
意識する前に声をかけていた。青年が弾かれたように後ろを振り返り、どこから呼ばれたのだろう、と一瞬考えてから頭上を降り仰ぐ一連の動作を、瞬きもせずに見下ろした。
次の瞬間、かちり、と音が鳴るほどのまっすぐさで、ショーンの視線がディヴィッドの顔に照準を合わせた。松葉杖にすがって自分を見下ろしている主人の姿を見て取るや、急いで階段を駆け上がってこようとした。
だが、できなかった。
明らかに彼は、自分の不調を忘れていたらしい。足を前に踏み出そうとしてそれに気づいたのか、ぎゅっと顔をしかめたらしい気配がした。ディヴィッドの位置からは見えなかった。
「ショーン、無理をするな」
あわてて声を投げると、彼はびっくりしたように顔を上げた。
「大丈夫です、旦那様。すみません」
周囲をちょっと見回して、今度はゆっくりと歩き出す。普段なら一足飛びに駆け上がってくるだろう階段を、一段ずつ踏みしめて上がってくる様子に胸が痛んだ。
耳の奥には、あの老人の諫言がよみがえってきていた。

(相手の若者とて、このことが人に知られれば・・・)

そう思ううちにも青年は階段を上りきり、ディヴィッドの前まで来ると命令を待つ姿勢で足を止めた。
「旦那様、ご用ですか?」
感情を消した声で、そう訊いてくる。特に考えのなかったディヴィッドは思わず顔をしかめ、それからショーンが手にしていたものに目を留めた。
見覚えのある装丁の、薄い本。
捨てろ、と彼に命じたはずの通俗小説だった。
「それはどうした?」
特に厳しい声を出した覚えはなかったが、ショーンは目に見えて動揺し、自分の持っていた本を見やった。
「その、・・・捨てろとおっしゃったので」
「そうだ。捨てろと言ったんだ」
「お気に障ったならすみません。どうせ捨てるものなら、もらってもいいと思ったんです」
「勝手な判断をするな」
「すみません」
ショーンはうなだれて、すっかり俯いてしまった。たとえ見当違いな叱責でも、雇い主の言うことは絶対だ。

「・・・欲しいなら欲しいと言えばいい。私のゴミ箱からゴミを拾うような真似をすることはないんだ」
そう言われて、ショーンはぱっと顔を上げた。緑色の目の奥に、隠しきれない喜びが閃いたのが見えたような気がした。それをもっと見たくて、ディヴィッドはさらに言った。
「おまえの給金は二倍増しだ、ショーン。文句はないな?」
ショーンはまじまじと主人の顔を見つめた。
それから、すいっとまた差し俯いたかと思うと、苦笑とともに答えた。
「はい、旦那様。ありがとうございます」
「おかげで管財人にさんざん嫌味を言われた」
「えっ?!」
「まったく、どちらが雇い主だかわかったものじゃない。ああいう管財人を持つと苦労するばかりだな」
そう言ってため息をつくと、ショーンが不意に混じりけのない笑みを浮かべた。

ディヴィッドに向かって、にこりと笑った。

あやうく、ここが開かれた場所だということも忘れて抱き寄せたいような気になったが、ショーンがまじめに訊いてきたのでどうにか踏みとどまることができた。
「・・・でも、クビにはなさらないんでしょう?」
「もう年だからな。放っておいても隠退だ」
「残念ですね。いいお年寄りに見えました」
「そうか。・・・ああ、おまえと話したと言っていたな」
「はい」
ショーンはまた微笑した。それが何となく気に入らなくて、ディヴィッドは黙ったまま彼に松葉杖を押しつけた。
「降りよう」
「はい、旦那様」
渡された杖を本と一緒に脇にたばさんで、ショーンが腕を伸ばしてくる。その首に腕を回すと、彼の顔が見えなくなってしまった。
いつまでも見ていたかったのだが。







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昨晩、某大先生に教えていただいた豆受サイト様を見に行きまして。
いや〜〜「アタシはコレでいいのか?!」って気がひしひしとしましたよ。
でもいいの。
今のアタシには、コレが精一杯・・・。
(バラから万国旗を出しながら)

20030810