* マジック・ワード *
日が高くなるにつれて、木馬の中はむっとするような熱気がこもるようになってきた。
いかに巨大だとはいえ、ほぼ密閉された空間だ。
その中にぎゅうぎゅう詰めに詰めこまれたむくつけき男たちの吐く息、身体の熱、汗の臭い。
「・・・もっと人数を減らしたほうがよかったんじゃないか? これでは、神殿に運ばれる前に俺たちが参ってしまう」
「シッ、静かにしろ、アキレス。私たちはトロイ軍に取り囲まれているんだぞ。彼らに聞こえたらどうする」
「聞こえるものか。こう外がうるさくては」
アキレス、と呼ばれた金髪の戦士がニヤリと笑った。
彼の言うとおりだった。今、巨大な木馬はトロイの城門へ向けて、緩い傾斜路を曳かれていっている。固い地面に丸太のころを並べて、その上に木馬を載せ、数十人の奴隷に引っ張らせているのだ。
ごろごろと、重い木馬の下で丸太が鳴る。かなり高い音だ。普通に話すくらいの声ではその音にかき消されてしまい、外にいるトロイ人たちには聞こえないだろう。
だが、アキレスと話している男は、厳しく首を振った。
「だめだ。兵士たちにも示しがつかん。皆が皆、君のようにしゃべり出したらどうする」
「そんなことはないさ。・・・なあ? 静かにしているだろう?」
どことなく脅すような声で、アキレスはすぐ近くに座りこんでいる兵士たちにささやいた。もちろん、兵士たちは揃って頷き、ある者は唇に立てた指を当てて見せた。
アキレスはクスクス笑って目を細め、この作戦の指揮官である男の膝を、ポンと叩いた。
「ほら見ろ。みんないい子にしているじゃないか。騒ぐのはあんただけだ、オデッセウス」
「・・・アキレス、悪ふざけはやめろ」
大きな手で剥きだしの膝を撫でられて、オデッセウスは低い声を出した。ククッ、とアキレスが笑って、彼の耳朶を後ろから噛むようにして囁いた。
「では、静かに話そう。これくらいの声ならいいか?」
アキレスはとても深くて低い美声の持ち主だった。オデッセウスは首筋の後ろにわずかばかり鳥肌が立つのを感じた。
「あんたはなんだかいいにおいがするな。こんなに汗をかいてるのに、汗くさくない・・・」
すぐそばに座っている兵士たちにも聞こえないほど小さな声で、しかし熱っぽく、アキレスはまた囁いた。その指はまだ、オデッセウスの足を撫で続けていた。
* * *
実は今、オデッセウスはアキレスの膝に、椅子に座るように座らせられていた。
閉じたアキレスの膝の上に尻を乗せ、オデッセウスの背中がアキレスの胸につくような格好だった。
この木馬は、いわゆる「定員オーバー」の状態だった。オデッセウスの奇策は兵士たちの冒険心をいたく揺さぶり、我も我もと参加したがる兵をひとりでも多く詰めこもうとした結果だ。
オデッセウスやアキレスたちには、一般兵とは違って小さなベンチ席が与えられていたが、ひどく窮屈なものだった。この席を作った工兵たちは、戦士たちの身体が一般の男たちより大きいことを失念していたのだ。
ちょうど半人分ほど小さい座席に無理に尻を押しこんで座っている彼らに、アキレスがいかにも名案を思いついた、という顔で言った。
「俺がオデッセウスを膝に座らせよう」
戦士たちの反応はさまざまだった。ほう、と驚いた顔をする者、なぜかガクリと首を垂れた者。
しかしもっとも激しい反応を見せたのは、やはりオデッセウス自身だった。彼は実際、飛び上がらんばかりに驚いて、隣に座っていたアキレスの顔を見た。
「あ、アキレス?!」
「いちばん論理的な解決だろう? この中じゃあんたがいちばん小柄だし、抱き心地もよさそうだ」
「なにを馬鹿な!」
「いいから」
危険を感じたオデッセウスがじたばたと立ち上がろうとしたときには、もう遅かった。どうせ密閉された木馬の中、逃げ場所などないのだが。
アキレスのこんもりと筋肉の盛り上がった腕が蛇のようにのびてきたかと思うと、次の瞬間オデッセウスは彼のたくましい両腕で腰をつかまえられ、そのままポンと膝に乗せられてしまった。
「ばっ、ば・・・アキレス、降ろせ!」
オデッセウスはもちろん暴れた。慌ててアキレスの膝を降りようとして、後ろからがっきと抱きしめられてまた驚いた。
「冗談じゃない、嫌だ!」
「これでいいんだ。ほら、これで皆がゆっくり座れる」
アキレスが得意げに言ったころには、彼の言うとおり、ほかの男たちがあいたスペースに身体を詰めてきていた。そして、いい年をした男が年下の戦士の膝に座って口をぱくぱくさせているのを見て、すまなそうに笑った。
「申し訳ありません、オデッセウス様。なにしろ夜までは長丁場ですので」
「いざトロイに潜入がかないましたら、必ずやオデッセウスさまのご辛抱に見合う働きをいたします」
「アキレス様の膝がお嫌でしたら、私の膝に・・・」
そう言った最後の男は、オデッセウスの茶色い巻き毛の後ろから冷酷そうな青い瞳にじろりと睨みつけられて、慌てて沈黙するほかなかった。
そうこうするうちに夜もすっかり明けて、念入りに釘で打ちつけた木材の間から、白い光条が差しこみはじめた。木馬の頭の部分に潜りこんでいた見張り役の兵士が、海鳥の声をまねて警告を出した。
トロイの偵察兵が、木馬に近づいてきたのだ。
その合図があったら、もう誰もひとことも口を利いてはいけない。声を出すのも、物音を立てるのも厳禁だった。木馬に入る前に全員腹の中はきれいにしてきたはずだが、木馬の中では小便すらするな、と彼らは言いつけられていた。その臭気が外へ漏れては困るからだ。
木馬の中に閉じこめられた強者たちは、周囲の砂浜をざくざくと人の足が踏んで歩く音にじっと耳を傾けていた。
さしものアキレスも、そのときばかりはオデッセウスの身体をつかまえたまま、身じろぎひとつしなかった。
だが彼の厚い胸板の下で、心臓の鼓動がかすかに激しくなったのを、オデッセウスはぴたりと重なった背中で聞いた。
この人もなげな男でさえ、緊張はするのだ。
そう思ったらおかしくなって、オデッセウスは唇だけで笑った。
自分の鼓動も同じように高鳴っていることは、無理に考えまいとしながら。
* * *
だが昼を回り、木馬がぎしぎしと軋みながら曳かれはじめると、アキレスの張りつめた筋肉もようやく緩んだ。オデッセウスのほうはとうに緊張に倦んで、しかし下手に動いて物音を立てるわけにも行かずアキレスの膝でじっとしていたのだが、それを感じるとほっとした。
危険に敏感なアキレスも、もう大丈夫だと信じたのだ。
これであとはトロイの城壁の中、おそらくはポセイドン神殿まで運ばれていって、そこで状況を見る。すぐに飛び出すか、あるいはさらに時期を待つか。最良なのは夜になって人が少なくなってから、こっそりと城門を開けることだ。
そんなことをつらつら考えていると、不意にアキレスがオデッセウスの肩に顎を載せてきた。突然だったので、オデッセウスはびっくりして声を上げそうになった。
「シッ」
アキレスは囁いて、オデッセウスの口元を大きな手で覆った。かすかな忍び笑いを漏らして、薄くとがった耳に囁きを吹きこむ。
「しゃべっちゃいけないんじゃなかったのか」
「・・・」
「じっとしてろ、オデッセウス。トロイの連中に聞かれるぞ」
おまえこそ、と言いたくなったが、アキレスの手が口を押さえているのでなにも言えない。せいぜい厳しい目で睨んでやると、ギリシャの若き英雄はニヤリとまた笑った。
「じっとしてろ・・・」
そう言い聞かされてそろそろと手をおろされ、ほっとしたのもつかの間、今度はその手で足を押さえられた。
いや、押さえられた、という言い方は違うかも知れない。
アキレスは鼻歌でも歌い出しそうに嬉しげな顔をして、オデッセウスの短衣の下へ、するりと手を滑りこませたのだ。
「ア、アキ・・・!」
「シーッ」
するり、するりと剣胼胝のある手が内腿を撫でる。オデッセウスは今さらながらに驚いて、アキレスの手をふりほどこうとした。もちろんアキレスは、許さなかった。
「じっとしてろ。あんたが床に降りただけで、そうとうな音が立つ」
「それなら、そんなことは」
「退屈なんだ」
アキレスは軽く言って笑い、柔らかな巻き毛になかば隠れたオデッセウスの耳をぱくりと食べた。オデッセウスの身体が、ぎくんと震えた。
「・・・この作戦の発案者はあんただ。面白い手だが、待ち時間が長すぎる。責任をとってもらおう」
そうささやいた声は、蜜のように甘かった。
この時代、彼らが甲冑の下に着ているのは簡素な短衣だけだ。下着などという気のきいたものはまだない。
アキレスは金属のような片腕でしっかりとオデッセウスの上半身をつかまえ、臑と足首を絡めて両足を開かせ、その間にもう片方の手を差し入れていた。麻布の上からはその手がもぞもぞと動いていることしかわからないが、ふたりの周囲でなりを潜めている男たちにも、オデッセウスが緩慢な手淫を受けていることは明らかだっただろう。
「・・・っ、アキレ・・・やめろ」
「シーッ、静かに・・・」
淫らな微笑を唇に貼りつかせたアキレスが、ちらり、と周囲の男たちを見渡した。慌てて目をそらす者もあれば、最初から抱えた膝の上に顔を伏せてじっと動かない者もあり、中でも勇気のある者はアキレスの目を遠慮がちに見返してきた。フフン、とアキレスは笑って、オデッセウスの中心を握っている手にぐっと力をこめた。
「・・・ーーーッ!」
オデッセウスの腰が跳ね、汗ばんだ身体がぐんにゃりと前へ倒れてしまいそうになった。
アキレスは急いでそれを抱きとめながら、半勃ちになった自分のものを彼の尻にぐいぐいと押しあてた。まるでオデッセウスが動いたせいだとでも言わんばかりに。
ごろごろと、地響きのような音が木馬の中の狭い空間を満たしている。
木材が軋み、弾けるような音もひっきりなしにしている。
木馬を曳かされている奴隷たちのかけ声が、遠い唸りのように聞こえてくる。
そしてそれらのにぎやかな物音に混じって、日頃はこのうえなく高貴で怜悧なイタケの王の、濡れたような荒い呼吸音も。
「トロイの奴らに聞こえてもいいのか?」
それは魔法の言葉だ。そう言われると、オデッセウスはもうアキレスの足を蹴ることもできなくなる。底に鋲を打ったサンダルは、もし彼がアキレスの腕を振りきって木馬の木の床に降り立てば、それなりに鋭い音を立てるだろう。
がくん、と丸太が転がるたびに、木馬が上下に、あるいは左右に揺れる。
木馬の腹に呑まれている男たちは舌を噛まないように奥歯を噛みしめ、壁や床にしっかりと手を突いて身体を支えている。
バランス感覚に優れたアキレスにそこまでの支えは必要なかった。彼は木馬の揺れる動きに逆らわず、時折ふわりと腰を浮かせたり、膝を開いたりして重心を移動させた。そのたびにオデッセウスは悲鳴を上げそうになり、床にしゃがみこんでいる兵士たちと同様、ぐっと奥歯を噛んで耐えなければならなかった。
尻の狭間に、アキレスのものが当たっている。片手持ちの棍棒のような感触で、木馬がぐらぐらと揺れるたびにオデッセウスの股の間にこすりつけられる。
背後から耳元を掠める熱い息。
それから逃れようにも、下腹や足の付け根を万力のような腕で押さえつけられていて、オデッセウスの力ではどうにもならない。体勢も不利だ。
木馬が揺れる。
激しい音と振動。
トロイの奴隷たちの叫ぶ声。
尻の下でぐりぐりと動く、太い蛇。
「ウッ・・・」
「静かに、オデッセウス」
アキレスはゆっくりと腰を揺らしながら、もう抗議する声もなく項垂れているオデッセウスの甲冑の脇から手を突っこんだ。アキレスの大きな手ならでは、その指先にぎりぎりのところで甘い肉粒を挟んで揺すぶられると、オデッセウスの腰は素直に反応した。
ふわふわとカールした茶色の巻き毛を鼻先で掻きわけて、アキレスが彼の項に遠慮もなく吸いついた。
周囲の兵士たちは誰ももう一声も発さず、ギラギラと光る眼で、うねる二つの身体を見つめていた。
これではだめだ、とオデッセウスはそれでも考えていた。
だが木馬の周りがにぎやかなうちは、とてもアキレスを止めることはできないだろう。
小便をすることさえ禁じられたこの木馬の中で、彼はどうするつもりだろうか?
もっとも悪い予想をしてオデッセウスはゆるく首を振ったが、その耳にまた例の言葉が注ぎこまれた。
「オデッセウス、静かにしろ。トロイの奴らに聞かれるぞ」
甘く低い声で囁かれるそれは、アキレスだけが使える魔法の言葉だ。
オデッセウスは促されるままに足を開いてゆきながら、なるようになるさ、と珍しく投げやりな気分になって目を閉じた。
* FIN *
■INDEX■
ああん、思ったのの半分もうまく書けなかった!
・・・というわけで、すぐに下げてしまう可能性もアリです。
というか大アリ。
こんな連中のために滅ぼされたのか、トロイは。
20040602