* 夏至の夜の夢 *
夏の初め、彼らの中隊は山間の小村にいた。
痩せぎすな将軍に率いられた彼らの連隊は、数日前から敵の一個師団と小競り合いを続けている。とある峠道の通行権を確保するための争いだった。
それは今のところ礼儀正しい求愛のやりとりにも似て、哨戒と小規模な戦闘の繰り返しに過ぎない。ここ数日は、うっかりすると鼓膜を破られかねない大砲の響きも聴かれない。
それでも毎日のように兵士は死ぬ。敵も味方も死ぬ。殺さなければ自分が殺される。
彼らは疑問を抱くことを許されず、またそれを望みもしなかった。
* * *
夕闇が迫るころになって、くたびれはてた姿の一小隊がキャンプにたどり着いた。
彼らの濃緑の上着は埃をかぶってうっすらと白くなり、どの顔も汗と塵芥にまみれていた。誰何する歩哨たちにぞんざいな挨拶を返し、自分たちが寝泊まりしている一角へ戻ると、ほっとしたように銃を投げ出した。
火が熾され、どこからか持ち出されてきた酒瓶とともに彼らの身体を温める。誰もしばらくは口を利けず、食事の支給を頼みにゆく元気のある者もいない。ただぐったりと地面に腰を下ろし、炎と、そして彼らの指揮官がひどく重い足取りで上官のテントへ赴いていく後ろ姿を眺めているばかりだった。
今日も一人、男が死んだ。見通しのきかない谷の底で敵の偵察隊と鉢合わせし、ひとしきり撃ちあった銃弾が岩に跳ねて、たまたま彼の首に当たったのだった。
彼の名を叫びながら駆け寄った指揮官は、音を立てて迸る鮮血を見て、舌打ちをした。苦々しげに顔をしかめ、大きく息をついて扱い慣れたライフルを構え、・・・そして彼の苦悶に終止符を打った。
誰も何も言わなかった。死んだ男のために粗末な木の墓標を立てて、その場を立ち去るまで。
* * *
ひどく疲れているのに眠れない。そんな夜がある。
大きな体をたき火のそばに横たえて、ハーパーは幾度めかのため息をついた。
夜更けを迎えてもキャンプは妙にざわついている。上級士官たちのテントにはまだ明々と灯りがともっているし、支給されたラムを舐めていい気分になった兵士たちの歌声も聞こえてくる。
そして、ハーパーの見ている先には彼の上官が休んでいるはずのテントがあった。一本だけ灯されている蝋燭が、中にいる男の影をキャンバスに投げかけている。たき火はもうほとんど消えかけていたので、ハーパーはそこに映る端正な横顔の輪郭をはっきりと見て取ることができた。
あの人も眠れないんだな、と思う。
”おやすみ”を言ってからもう1時間にはなるだろう。すぐにも消えるかと思っていた灯火はずっと吹き消されないまま、落ちつかなげに動き回る男の姿を映し出していた。
しばらくじっとベッドに座っていたかと思うと、書き物机がわりの樽の上に屈み込む。めったに手元から離したことのないライフルを、何度も取り上げてはまた荷物の脇に立てかける。時折やりきれないように首を振るのは、昼間の出来事のためかも知れない。苦痛でないはずがないじゃないか? 戦場では珍しくもないこととはいえ。
しばらくそうしていると、やがて男の影が棒立ちになって、両手で髪をぐしゃぐしゃとかき回した。床に投げ捨ててあった上着を拾い上げる。
ハーパーは迅速に動いた。いち、に、という動作で毛布を払いのけて立ち上がり、たき火の明かりの輪から外れた場所へ急いで移動した。同じく火の周りに寝ころんでいた兵士が細く目を開ける。しーっ、と指を立てて見せると、呆れたような吐息とともに寝返りを打たれた。
ばさっ、と音を立ててキャンバス地が跳ね上げられ、男が出てきた。大股に数歩歩いて顔を上げ、たき火を囲んでごろ寝している部下たちを見やった。肩に引っかけただけの上着の上で、銀のボタンが鈍い光を放っている。暗い炎を映したその色は、彼の瞳と同じような色をしていた。その目で彼は、暗がりをまっすぐに見据えた。灯りのあるテントから出てきたばかりの男に、ハーパーの姿が見えるはずはなかったのだが。
「ハーパー?」
反射的にアイ・サーと答えそうになったが、呼んだ男がすぐに踵を返したので返事を求められてはいないことがわかった。ついてこい、と背中が告げている。
ハーパーはしばらくじっと動かずにいたが、やがて諦めたようにため息をひとつついて、彼の後についてキャンプを取り巻いている散林に足を向けた。犬だって、呼ばれるのに口笛くらいは必要とするというのに。
そしていかに主人に忠実な犬でも、これほど喜んでついてはゆくまい。そう思ったら、ふと唇の端に微笑がのぼった。
* * *
夜露に湿った去年の落ち葉は、ごつい長靴に踏まれてもほとんど音を立てない。月はまだ若すぎて、濃緑の上着を着た男の背中は、ともすれば周囲の闇に紛れそうになってしまう。無様に転んだり、彼を見失ったりしないよう、せいぜい気をつけてハーパーは歩いた。幸いにして、彼が追っている男は艶のある金髪の持ち主だ。
どれくらい遠くへきたのかと思って振り返ってみると、まばらな雑木の枝越しにキャンプの灯りがぼうっと見えた。もうざわめきは聞こえない。
そろそろいいんじゃないかと足を止めると、その気配を察したのか、前を歩いていた男が振り返った。この暗さでは、顔の輪郭すらはっきりしない。それでもハーパーには、彼がニヤリと笑ったのがわかった。
「ご自分の評判に関心がないんですか?」
わざと敬称を省いて訊ねた。相手は薄く笑うばかりで、答えない。またすこし歩いてナラの樹下にどさりと腰を下ろした。ハーパーもすぐに追いついて、男を見下ろすように、月光を遮るように彼の眼前に立った。立てた両膝に腕を載せた男が、鈍く光る目でじっと見上げてくる。
「・・・連中のことなんぞ知ったことか。来い、パトリック」
くそったれ、この間抜け、と罰当たりな口が吐き捨てる。彼はいつでも罵ってばかりいる。かすかな音を立てて前のボタンが外された。促されるままに彼の前に膝をついたら、血と硝煙の臭いがつんと鼻孔を刺激した。それから彼の体臭と。しばらく風呂になど入っていないのはお互い様だ。
握って差し出されたものを、ためらいもなく口に含んだ。体格にも膂力にも恵まれたハーパーにとって、新兵であったごく一時期を除いては起こり得なかったことだ。させたことはあっても、させられたことはない。
強いられたことではないから、と胸の中で言い訳を呟く。自分がしたいからしているのだ、と。あながち嘘というわけでもない。
すでに勃ち上がりかけていたものを口腔にくわえ込み、くびれたあたりを硬くした舌先で擦りたてた。初夏といえども夜半の空気は少し肌寒い。それをじかに感じさせずに済むよう、口に入りきらなかった部分は丁寧に手で覆った。
わざと音を立ててしゃぶってやると、相手の喉がごくりと鳴った。上着の下で、脇腹の筋肉がそれとわかるほどはっきりと震えている。やがてはあっと息が吐かれたかと思うとハーパーの頭を挟み込むようにして膝がひきつけられ、次いで両肩に手を置かれた。もういい、と言うのだ。
ハーパーはその合図に知らぬふりをした。すこし味を変えたそれに舌をからみつかせ、できるだけやさしく周囲を撫でさすった。そうされるのが好きなことは知っていた。息が速くなる。
いつもそうだが、彼を追いつめるのは楽しい。簡単に落ちる砦であってくれれば、陥落させたところでさほど嬉しくもないのだろうに。
「う・・・あ」
ため息のような声が、頭上で漏れた。がくりと、首を垂れた気配がする。その瞬間の顔は見なかったが、肩を掴んでいた指がぐっと肉に食い込んだのに奇妙な満足感を覚えた。
口の中に残ったものをペッと吐き捨てて、ハーパーはまだ荒い息をついている男の顔を見上げた。闇に目が慣れたせいか、それとも月が高くなったせいか、じっと見つめ返してくる彼の表情が今度こそはっきりと見て取れた。
ひどく荒々しい顔をしていた。ハーパーが戦場で何度も見てきた、彼の顔だ。緑の瞳はギラギラと不穏な光を湛え、張りつめた頬のあたりに薄く汗が光っている。
そのとき不意にハーパーは悟った。彼はただ部下を死なせたことを嘆いているのではない。悲しみにたやすく心を折るほど弱い男ではない。
彼はただ戦いたいのだ。膠着状態にある現在の戦況に物足りなさを覚え、今日死んだ男やほかのすべての兵士のために、また彼自身の勝利のために、戦いを望んでいるのだった。
頭上を飛び交う砲弾や銃撃、あるいは軍馬の蹄のとどろきを耳にするとき、心は否応なしに高ぶる。一瞬でも隙を見せれば、すべてが終わってしまうのだ。なにもかも忘れて、ただ戦うために兵士たちは戦う。殺さなければ殺される。剣と剣がぶつかりあう、鳥肌の立つような金属音。そして血と硝煙のにおい。
それはハーパーにもいやというほど覚えのある感覚だった。
ぐいと手首を掴まえて、至近距離から目を覗き込んだ。
男は視線を逸らさなかった。
「隊長、今日クソしましたか?」
とっさに、なにを言われたかわからないというふうに瞳が見ひらかれたが、やがてすぐに笑いの発作が起きた。喉の奥でクックッと笑う声がする。しきりに頭を振りながら、男は答えた。
「うるさい! それ以上無駄口を叩くな、わかったか?!」
「アイ・サー」
口調だけはかしこまって答えながら、ハーパーは口許にニヤリと笑みを浮かべた。
* FIN *
■INDEX■
あーあ、やっちゃった。
だって隊長があんまりステキだったもんだから、つい。
軍隊らしく、殺伐として男くさい感じを目指してみました。
20030624
20030625加筆修正