* 薔薇の名前 *

バタン、と音がして、ドアが開いた。その一瞬だけ薄暗い店内に陽光が差し込んで、壁に白っぽい光の斑点がいくつも躍った。
そろそろ春の近い、冬の午後。
安っぽい酒場の看板が風に揺られ、眠気を誘うリズムでカタカタと鳴っていた。

ちょうどその日、仕事にあぶれていた俺は午後早くからカウンターの端にしがみついて顔なじみの女とたわいもないおしゃべりをしていた。女はまだ起きてきたばかりで、ふんわりと寝癖のついた金髪がなかなかいい感じだった。
「・・・そうねえ。でも、今夜はだめよ」
「どうして」
「先約があるの。友だちとご飯を食べる予定が」
「男か?」
「やあね、女の子よ、もちろん」
彼女は心安げに笑うが、それだって嘘に決まっている。自分の値打ちをつり上げたくて、駆け引きと嘘の中間くらいの話をしている。
俺はそれを咎めるつもりはなかった。
「そんな約束なんか・・・」
どうでもいいだろ、と言いかけたとき、急に後ろから名前を呼ばれた。

「やあ。ルークか?」
知らない声だ、と思う前に、身体が反応していた。
腰の銃に思わず手をやりながら、俺はさっと腰をひねり、俺の名を呼んだ男に向き直った。
「おっと」
相手の男は素早く両手を上げ、俺の右手をちらりと見た。それから、落ち着いた声でつぶやいた。
「・・・物騒な男だな。こんなところで銃を抜こうっていうのか?」
「その気はない」
俺は自分の過敏な反応に呆れながらも、謝罪はせずに銃から手を離した。相手は大げさにため息をつき、俺のすぐ横に立ってカウンターに肘をついた。俺と話していた女はいつの間にか数歩も向こうへ離れてしまっていた。
その女に、男はにやりと笑って酒を頼んだ。
「そう怖がることはないよ、お嬢さん。ただ、彼にちょっと話があるだけなんだ」
「あんた、誰だ? なんで俺の名前を知ってる?」
のんびりとした様子に、俺のほうがいらだった。
男はよそ者だった。少なくとも俺は一度も会った覚えがないし、俺たちの同業者といったふうでもない。
仕立てのいい上着に帽子、ぱりっとしたシャツ。金のかかったなりをして、腰にはお飾りのような小さな銃をぶら下げているだけだ。靴があまり汚れていないところをみると、馬車でここまで来たか、どこかで着替えを済ませてきたのだろう。
黒髪の優男だった。俺よりいくらか年上らしいが、笑顔には少年ぽい茶目っ気があった。
確かに見たことのない顔のはずだと思って記憶を探っていると、その深青の目がちかりと光って、俺を見た。
「・・・表で聞いてきたんだ。ルークっていい腕のガンマンがここにいるとね」
確かに、この時間の店内は人気も少なく、腰に銃を吊った男は俺一人だった。だがそれだけじゃ説明にはならない。俺は黙って頷き、続きを促した。
よそ者の男は、俺の顔を値踏みするようにじっと見つめながら、気軽な調子で続けた。

「少し前、この町に、金髪のよそ者がきたと聞いた。・・・ああ、私の泊まっている宿の主人からね。かなり稼ぎのいい商売をしてて、綺麗な男だったと」

俺は視線を動かさなかった。

男はゆっくりと、それでいて深刻には聞こえないような調子で、言った。
「その男の、名前が知りたいんだ。・・・それから、彼がどこへ行ったのか知りたい。宿の主人はもうここにはいないとしか教えてくれなかった。詳しいことはルークに聞け、とね。私は・・・彼は死んだんじゃないかと思ったんだが。違うのかな」
「・・・あんたはどんなやつを捜してるんだ」
「ああ、金髪で、緑の目の男だよ。綺麗な顔をしてた。名前はアレックというんだ」
アレック。
俺は、その名前を口の中で一度復唱して、軽く首を振った。
「俺が知ってたのはそいつじゃない。名前も違ったし、それほど・・・それほど見た目のいい男じゃなかった。金髪っていうより、汚れた麦藁みたいな色の髪だったな」
「そうか・・・」
女が差し出したグラスを両手に包んで、まだ一口も飲まずに、男はため息をついた。
「では人違いだ。騒がせて悪かったな」
「いいさ。そいつ、あんたの何だったんだ?」
「そりゃ、・・・まあ私のほうでは恋人のつもりだったさ。男同士だから、あまり聞こえはよくないがね」
「恋人? 客だろ」
声が冷たくなったのは、わざとじゃなかった。相手の男も苦笑し、痛いところをつかれた、というように顔をしかめた。
「たぶんその通りだろうな。だが、それだけでもなかったと思いたいんだ」
「虫のいい話だな。根拠はあるのか」
「アレックは、見かけによらず悪党だったんだよ。彼はトラブルに首までどっぷり浸かっていたんだが、私がそれに気づいたときにはもう遅かった。いよいよ立場がまずくなると、彼は知り合いの金を全部持って逃げたんだ。・・・だが、私の金庫には、いくらか残しておいてくれた。私が吊るされずにすむくらいの金はね。おかげで私はこうして生き延びて、彼の後を追ってきたというわけだ」
「・・・馬鹿な話だ」
「そうだな。自覚はあるよ」
男はかすかに苦い笑いを浮かべ、テーブルの上に銀貨を一枚。パチリと置いた。
「ルーク、一杯おごらせてくれ」
「いや、いい」
「これはただの情報料だ。遠慮しないでくれ。 ・・・彼にもう一杯、頼むよ」
カウンターの女に軽くウィンクをしておいて、男は俺の方を見ないでさらりと聞いた。
「それで、その・・・君の知っている男は、なんて名前だった?」
俺は、とっさに返事ができなかった。

彼の名前を忘れたことなどない。美しい響きの名前だ。
それは俺の胸の中のいちばん綺麗で奥まった場所にしまい込まれて、審判のラッパが響くときまで取り出されないでいるはずだったんだ。

すると、カウンターのずっと向こうから、女が言った。
「ショーンよ。ショーンって言ってたわ。姓は言わなかった」
「・・・ありがとう、お嬢さん」
男は彼女にニコリと笑いかけ、帽子を持ち上げて謝意を表した。
それから俺に向かって、質問を重ねた。
「そのショーンは、どうなったんだい?」
俺は一瞬、目を閉じた。
彼の、鋭利で美しい横顔がその瞼の裏に鮮やかによみがえるのを見た。
「死んだよ」


よそ者の男は、それからしばらくして店を出ていった。
俺はその男がおごってくれた酒のために酔ってしまったと女に言い、また明日、といつものように軽い約束をして、町へ出た。


夕方、町の西側にある墓地で、俺はその男をまた見た。
粗末な木の墓標の前に膝を折り、地面に額を押しつけて、男は慟哭していた。
彼のアレックがどこかで生きていればいいのに、と、俺は心から思った。



* FIN *





■INDEX■


また暗い話を書いてしまいました。
夜、急にメロウな気分になることがありませんか。(苦笑)

20040206
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