* ゴンドールの息子 *

夜半、わたしはアンデュインの岸辺に立って、水面にきらめく月光を眺めていた。
ちょうどわたしが夜番につく時間だったのだ。慣れない船旅に疲れ果てた同行者たちが安んじて眠れるよう、わたしは彼らの寝場所からは少し離れた場所で、周辺の警戒にあたっていた。
月が明るい夜だった。満ちてゆく半月だ。
しかし、いかにわたしが夜目がきくとはいえ、こういった静かな場所では目は耳ほどには役に立たない。
ほう、ほう、とフクロウの鳴く声がかすかに聞こえてくる。ネズミのような小さな生き物がごそごそと茂みを鳴らす音も。・・・こういう夜の物音が聞こえなくなったときが、要注意だ。彼らはわたしよりもまだ敏感に、不穏な気配を察するのだから。

だが、それに頼らずともわたしは、彼が近づいてくるのに気がついていた。
仲間たちの寝ている岩陰からのっそりと身を起こし、一行の誰よりも重い足音を忍ばせて、河原の丸石の上を歩いてくる男。彼の上等なブーツはそろそろ傷んできていて、踵と靴底の間に薄く隙間ができているらしかった。こうして静かな場所で聞くと、彼の足音にはかすかに空気の音が混じるのだ。
わたしは振り返らなかった。フクロウの声はいつの間にかやんでいた。
やがて男はわたしのすぐ隣までやってきて、同じように川面を眺めながら言った。
「アラゴルン、異常はないか?」
「今のところはな」
できるだけ穏やかに聞こえるよう、わたしは慎重に答えた。
「敵の気配はあるが、遠い。少なくとも今夜は大丈夫だろう」
「どうしてわかる?」
「ただの勘だ。だからこうして、見張りに立っている。・・・さあ、君はもう少し眠れ、ボロミア。君の番になれば交代してもらう」
「ああ」
そう言いながらも彼は、その場を動こうとはしなかった。なにか話したいことがあるらしい。落ち着かない身振りで髭面の頬を撫でたり、腕を組んだりを繰り返している。わたしは相変わらず前を見据えたまま、彼が切り出すのをじっと待っていた。
「・・・もうすぐアルゴナスの門が見えるだろうな」
ああ、そういうことか。
わたしは頷いて、ちらりと彼の横顔を見た。
「そうだな。君の故郷だ」
「現在ではそうともいえぬ。大河の東岸はすっかりオークどもに押さえられてしまった」
「だが、なつかしいのだろう?」
声を和らげるのに、努力はいらなかった。わたしは今度こそ彼の方を向いて、冷やかすようにニヤリと笑った。
大柄な金髪の戦士はぐっと眉を寄せて、ことさらにいかめしい顔をつくってみせた。
「・・・わたしが出立してから、もう半年だ。国境の防備や治安がどうなっているか、気にはなる」
「そうか」
「もちろん、ファラミアがいれば心配はないが」
「君の弟だな」
「ああ。とても勇敢で、人望の厚い男だ。最高の大将だ」
その声にこめられた情熱が、わたしを自然に微笑ませた。それが彼には気に入らなかったようだ。こちらを向きかけていた顔がまた川の方を向いてしまい、しばし気まずい沈黙が続いた。
だが、すぐに彼はいらいらと口を開いた。
「アラゴルン、わたしは白の都に帰らねばならぬ」
ならぬ、と言った。
わたしは黙って頷いた。彼はわたしのほうは見ようとせず、続けた。
「ゴンドールにはわたしの帰りを待っている者たちがいる。こういった危機存亡のおりにはなおさらだろう」
「そうか」
「それだけか?」
彼は金髪をさっと振って、咎めるようにこちらを見た。わたしは彼の興奮に巻き込まれないよう、つとめて心理的な距離を取ろうとした。
「ボロミア、わたしたちは君にどうしろこうしろと命令はできないし、するつもりもない。・・・君ももう気づいているだろうが、わたしたちが生きてモルドールから戻れる望みはほとんどないのだ」
「だから、ミナス・ティリスへ行こうと何度も言っている! ゴンドールの兵たちで潜入隊を組織し・・・」
「無理だ、ボロミア。これも何度も言ったが、戦士たちの一団では目立ちすぎる。もともと隠密の旅なのだ。戦力の多寡が問題なのではない」
「だが、わたしは帰る」
ああ、またこんな話になってしまった。わたしは内心がっかりしながら、じわりと薄く汗の浮いた彼の顔を見つめた。
「帰らないでくれとは言っていない、ボロミア。むろん君がいてくれればこの先どれほど心強いか知れないが、君が帰るというならわたしたちには止める権利はない」
こう言われると、彼はつらそうに顔を伏せた。強靱な戦士である彼は、実際にけがをしたときでも滅多に痛そうな顔など見せないというのに。
かわいそうに、と思っていたら不意打ちを食らった。
「・・・では、あなただけでも一緒にきてはくれないか」
「なに?」
「アラゴルン、あなたがミナス・ティリスにきてくれれば」
「それは違う」
わたしは慌てて手を上げ、彼の言葉を遮るように掌を向けた。
「君は、ゴンドールに王はいないと言った」
「そうとも、王はいない。いらない」
「だが、わたしが白の都へ行くというのはそういうことだ、ボロミア。ミナス・ティリスに入れば、わたしは当然王位を求めるぞ」
そう言ったのはなかば本心で、後の半分は言い訳だった。少なくともそのときのわたしはまだ、フロドの旅を最後まで助けてゆくことを第一の目的と考えていたからだ。
ボロミアはしばし表情を消して黙っていたが、やがてまた激しく頭を振り、地面に向かって吐き出すように声を振り絞った。
「あなたはそればかりだ、アラゴルン。わたしはただ、・・・アラゴルン、あなたを王としてではなく、ただアラゴルンとして欲するのではいけないのか?!」
「ボロミア、声を落とせ。皆が目を覚ます」
「私はゴンドールの世継ぎにではなく、ただのアラゴルンに頼んでいるのだ。このわたしとともに白の都にきていただきたいと!」
「ボロミア!」
わたしが目をつり上げ、しっ、と唇の前に指を立ててささやくと、彼は苦々しげに口をつぐんだ。
わたしはあたりの気配を確かめてから、静かに言った。
「・・・それはわたしが言う台詞だ。もしわたしが帰らないでくれと言えば、君はわたしたちとともに滅びの山まで行ってくれるのか?」
彼はわたしと同じくらいの身長だが、体格は彼のほうがややがっしりしている。彼はその身体をぐいとそらして、偉そうに答えた。
「あなたが頭を下げて頼むなら、考えてもいい」
「では、そうしよう。このとおりだ、ボロミア。白の都は弟に任せて、君はわたしたちと来てくれ」
「・・・あなたはやりかたが汚い」
「失礼だぞ」
わたしは場の緊張を微笑に紛らわせようとしたが、彼はのってこなかった。
いらだたしげに拳をかためて、じっとわたしの顔を見た。
わたしも、彼の顔を見つめ返した。
いずれはゴンドールの執政となるはずの、頼もしい男の顔を。

そんなふうに、わたしたちの交渉はいつも平行線をたどるばかりで、ついに決着を見ることはなかった。
そしてわたしは、あのとき君に気休めの嘘をつかなくてよかった、と今でも思う。



* FIN *





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あたしの得意技です。<B様へ私信(苦笑)
FOTRのSEEを観たら、萌えてしまいました。
どっちがどっちというのではなく。

非王道、ニッチなニーズ、が心のスローガンだったので
期間限定とするつもりだったんですが、まあいいかなと。
あたしは優柔不断な裏切り者です。どうか許してください。

20040122
20040123改訂!