* トランキリティ *
晩夏の夜、このあたりの気温は氷点下にまで下がることもある。
自分たちの大隊から離れて、戦局全体から見ればささやかな役目のために高地の山村を目指しているライフル銃兵の小隊があった。彼らはもともと1ダースにも満たない人数で出立したのだが、二度ほど思いがけない出来事に出くわしてさらにその数を減じていた。
彼らを率いるのは、シャープという名の中尉だった。
彼の数少ない友人たちは、彼を”リチャード”とファーストネームで呼んだ。
部下たちは彼をただ”サー”と呼んだ。
そのどちらをも、シャープは誇らしく思っていた。
* * *
Side−S
とある尾根筋で足を止めたシャープは、後続の小隊に”止まれ”と声をかけた。
「今夜はここで露営する。火は焚かん。二人ずつ、二時間交代で歩哨に立つ。出発は夜明けだ。以上、解散!」
暮れかけた空を背景に、彼は短く言い放ってざっと前髪を掻き上げた。すこし伸びすぎて目の上にかかるのが鬱陶しい。夏の遠征が始まったころにはきちんと頭上に載せていた筒型帽は、戦闘の中で失ってしまった。
特に焚火を禁じたことで、部下たちの不満が募ることはわかっていた。シャープ自身、こんな夜には温かい食事と(塩気もないパン粥であっても)、炎のぬくみがほしかった。だがこの樹木もまばらな地形で、いかに山間の地とはいえそんな危険を冒すことはできない。
「最初はあなたとハリスですよ、サー」
簡単なくじを作って皆に引かせていた軍曹が、楽しそうに声をかけた。ということはつまり、食事が二時間遅くなるということだ。チッ、と舌打ちが漏れそうになったが、仮にも彼らを率いる唯一の士官としてそれは許されなかった。
最初から自分を省いておけばいいのに、と言わぬばかりにニヤニヤしている大男の軍曹を横目で睨みつけておいて、シャープは愛用のライフルを片手に見張りに立った。
指揮官であるからには、そうしてもよかった。あるいはくじなどに任せず、自分で順番を割り当ててもよかった。その権利を軍曹と運に委ねたのは、ただ面倒だったからだけではない。この荒くれどもを率いてゆくためには、彼らの誰にも負けないだけの強靱さを示して見せる必要があったからだ。
部下たちの手前、歩哨に立ちながら銃から手を離してパンをつまみ食いするわけにもゆかず、ぺこぺこに腹を減らしてシャープは野営地に戻ってきた。あたりはもうすっかり暗くなっており、よほど近づかないと味方の顔すら見わけられない。このころ、月が昇るまでにはまだ時間があった。
「誰だ」
部下たちがゴロ寝しているあたりに近づいてゆくと、抑えた調子で声がかかった。おとなしく答えてやる。
「シャープ中尉だ。第95ライフル隊」
「もうそんな時間ですか、サー?」
「つべこべ言わずにとっとと立て、ハーパー! 次はおまえたちの番だろう?」
「イエス・サー。ご機嫌が悪いですな」
「あたりまえだ。このクソ寒いのに、火もなしで飢えかけてるんだぞ」
苦々しげに吐き捨てた台詞の後半は、声をぐっと潜めて言った。自身の右腕と目している軍曹にならともかく、この小隊に所属したばかりの若造どもにまで弱音を聞かれたくはなかった。
軍曹は、それを聞いてニヤリと笑った。毛布をぐるんと丸めて起きあがり、上着の内ポケットからなにかを取り出す。
「神の御心のままに、ってことです。・・・中尉、あなたに主の御慈悲を」
ぽん、とシャープの腕に押しつけられたのは、小振りな酒瓶だった。中身を確かめるのももどかしくコルク栓を抜き、ごくりとひとくち飲み込んで、シャープは軽く目を瞠った。軍曹はまだニヤニヤ笑いながら、暗がりに慣れた目でシャープの反応を眺めている。
飲みなれない味の、強い蒸留酒。空きっ腹にじんわりと染みた暖かさと、彼の並はずれた好意に思わず顔がほころんだ。
「どこで手に入れたんだ?」
「忘れました。もうそれしかないんですから、半分残しといてくださいよ、サー?」
そう言い捨てた軍曹がライフルを担いで歩いてゆくのを見送って、シャープはもうひとくち酒を呷った。
尻の下には冷たい石ころ、頭上には身も凍るような雲一つない空。
それでもああしてハーパーが見張っていてくれるなら、敵の急襲だけは心配せずに済む、と思った。
Side−H
とろんとした蜂蜜色の月が上ろうとしていた。晴れているから余計に底冷えがする。しっとりと降りてきた夜露が衣服や髪に染みて不快だった。握っているライフルの銃身も冷え切っている。
指先を凍えさえないようにこすったり、息を吐きかけたりしていると、少しも時間が経った気がしない。
それでもふと顔を上げると、ずっと向こうの小高い場所にもうひとりの歩哨が立っていて、ハーパーがこちらを見たのを悟るとライフルを軽く振って見せた。そろそろ交代の時間だろう、という合図だ。
ハーパーにも異存はなく、ひとりずつ野営地に戻って次の当番と交代した。月が出たお陰で、ぐっすり寝入っている兵士たちの中から目当ての男を捜すのは難しくなかった。ゴンゴンとライフルの台尻で小突いて起こし、行ってこい、と低めた声で夜の中へ送り出した。
そして、自分の毛布と背嚢を置いたはずの場所へ戻ってみたところが。
そこにはシャープ中尉が丸くなって眠っていた、というわけだった。
近づいてよくよく見ると、彼はハーパーの毛布も身体の下に巻き込んでしまっていた。最初から意図してのことではなく、寝苦しさに寝返りを打ったはずみにそうなってしまったようではあったが。
(冗談じゃねえ!)
慌てて彼の身体の下から自分の毛布を引き出そうとしたが、腕だか足だかにがっちり押さえつけられているらしく、簡単には外れなかった。
「ん・・・ん」
ため息をつくように吐き出された呻きに、ぎょっとして手を離した。起こしたくない、と思ってしまったことがなんとなく悔しかった。むにゃむにゃと何事か呟いたシャープが、また寝返りを打つ。
誰かの、たぶん女の名前のように聞こえた。
しばらく息を詰めて眺めていると、彼は行軍中には見せたこともないような穏やかな顔をして、また深く、眠りの淵に落ち込んでいったようだった。
(あったかい夢でも見てんですか、サー?)
そう思うと、この強欲な男を叩き起こしてでも毛布を奪い返してやろう、という気がすっかり失せてしまった。
いつもいつも、一兵卒から士官に成り上がってしまった自分を馬鹿にされまいと、彼は向かい風にも昂然と頭を上げ続けている。金と身分で階級を買った士官連中に囲まれているときなどは、端で見ていて痛々しくなるほどだった。それに比べれば、今こうして気心の知れた兵士たちの間に寝転がっている彼はとてもリラックスしているのかも知れない。
ならばせめて、その夢を邪魔しないように。
ハーパーはすっかり諦めてため息をひとつこぼし、彼の隣にごろりと身を横たえた。ごつん、と頭がなにかに当たったので拾い上げてみるとそれは彼がシャープに与えた例の酒瓶で、奇跡的にまだ中身が残っていた。とすれば、シャープにもまだこれくらいの礼儀は残っているというわけだ。
これまで大事に飲んできた酒を思い切って空にして、せめてもの暖を求めてシャープに奪われた毛布を半分引き寄せ、肩口を覆った。まさか凍死しはすまいが、熱くらいは出すかも知れない。ままよ、とばかりにぎゅっと目を閉じた。
寒くてとても眠れないのではないかという疑念は杞憂に終わり、疲れ果てていたハーパーの意識はすみやかに睡魔にさらわれていった。
* * *
明け方の冷え込みはやはり厳しかった。あまりの寒さに寝ていられず、ひとりの兵士がぶるぶる震えながら起きあがって、用を足しに行った。
それが無言の合図となって、ぐずぐずと毛布にくるまっていた男たちが白い息を吐きながら起き出してくる。あたりが明るくなりさえすれば、しばらくの間でも火を焚くことを許されるのではないかと淡い期待を抱きつつ。
「・・・おい、見ろよ・・・」
そう呟いたのは、最後に歩哨に立った古参の兵だった。こらえきれぬ笑みが口許に浮かんでいる。彼の指さした方向を見て、黒髪の若者がぽかんと口を開けた。
ガレ場の窪地に、彼らの指揮官と軍曹が、仲良く抱き合って眠っていた。
「・・・起こしたほうがいいんじゃないですか?」
「いやいや、放っとけ。せっかく寝てるのに邪魔するこたあない。それに・・・面白いじゃないか、えっ?」
どちらが先に目を覚ますか、そしてどんな顔をするのか。おそらくは血相を変えて互いを罵りあい、喧嘩が始まるに決まっている。まさか以前のように、血を見るほどの殴り合いにまで発展はしないだろうが。
「なあ、坊主。賭けないか? どっちが勝つか」
「俺、中尉に賭けます」
「チッ、それじゃあ賭けにならねえだろうが」
「そんなこと言ったって・・・」
どう見てもハーパーのほうが分が悪い。上官の身体をがっちりと腕の中に抱え込んで、まだぐうぐう寝息を立てている。シャープはきっとずいぶん暖かく過ごせたことだろう。ふたり分の毛布に鼻先までを埋め、ハーパーの胸に頭を預けて、こちらも目覚める気配がない。
やがてぞろぞろと周囲に男たちが集まってきて、なにやら不埒な噂も飛び出した。こうなるともう上官の権威もなにもあったものではないが、彼らの間に別の忠誠心を呼び起こしたことも確かだった。
夜明けまであと少し。
せめてもうしばらくは安らかに眠らせてやろうと囁きあって、彼らはその場を離れたのだった。
* FIN *
■INDEX■
隊長が丸くなって眠ってたらかわいいなあと。
もっと汚れたハーパーなら問答無用で襲うのかも知れませんが、
まあ周囲に人目もあることですしね。
つか、あれほど女好きな隊長に男をあてがおうっていうほうが
無謀という気も。<でもやる。(笑)
20030630