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でも、いいよな・・・仲のいい夫婦って。薩摩に帰りたくなった。
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義弘 義久

義弘:で、三条夫人の廟所がこちら。慎ましげな宝筐印塔。

古いお寺に行くとこのような並びをしたお墓が目に入ってくる。
これは無縫塔(もしくは卵塔)といい、僧侶の墓である。これだけ
沢山のお坊さんのお墓がある、という事は・・・ここは歴代住職の
お墓だな、と検討がつく。たいていの場合、墓地のやや奥まった所にあり、
その墓に由来のある人物の近くに並んでいる(この寺の場合、三条夫
人の墓から数メートル逸れた辺りにあった。)


義弘:信玄公火葬塚は名の示す通り、ここで火葬されたと伝えられる地。
信玄公の真の墓は諏訪湖にあるとか、その他にもいろいろ取り沙汰されているが、
それも一つの戦国浪漫。ここもそんなロマンの一つと感じてくれたら。
戦国浪漫・・俺らのことだぜ、兄者。 流石だな、俺ら。
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Λ弘Λ . . . . . . . / :::/ ⌒i :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
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 ̄ ̄ ̄(_,ノ.  ̄ ̄| VAIO |_ (u ⊃
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義弘:続いては河尻塚。青年の家の脇にある、ゲートボール場の片隅、金網の向こうにあります。
ここを探すのは少し大変。河尻と言われてもピンと来ない方もいるかもしれないが、
河尻秀隆という武将は織田信長の配下で、後に信長の嫡子信忠につけられ、天正十年
(1582)の武田宗家滅亡の際に働きがあったとのことで、甲斐一国を任されるが、
信長を真似た厳しい残党狩りと過酷な税の取りたてに、もとより武田贔屓の甲斐国人らは
反感を募らせ、同じ年の6月本能寺の変で信長が殺されると、甲斐の各地で反乱が起こり、
とうとう河尻秀隆はムッソリーニさながら、逆さづりにされ、嬲られた後に逆さづりのまま埋められた
との事。こわーっ
∧_∧
( ;´_ゝ`) ∧_∧
/ \ ( ;´_ゝ`) 警察に連絡するか兄者
__|
| | |_ / ヽ、
||\  ̄旦 ̄ ̄ / .| | |
||\\ 旦 (⌒\ |__./ ./
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\\ ~\_____ノ|
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. || | |======== | 河尻秀隆はムッソリーニさながら、逆さづりにされ、
_| |oo======= | 嬲られた後に逆さづりのまま・・・・・
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| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|\
| | 薩摩芋 |
\|_______|

義弘:そんな河尻なので、山梨での評判は当然芳しくなく、墓といってもこの扱い・・・
朽ちた枯れ木が一層の哀れさを誘う。
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Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
島津家の行く末いかに・・・・
/:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
/ :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.:
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/ :::/;;: ヽ ヽ ::l . :.
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 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
義久

大泉寺:★★★★ 甲斐五山の一つ。武田信虎の墓
義弘:お次は大泉寺。のどかな風景である。
ここには武田信虎(信玄の父で、甲斐のみならず信濃にも勢力を広げ、
戦国武田氏発展の基礎を築くが、信玄によって駿河に追放され、以降今川義元に寄食。
しかし、桶狭間の戦いで今川義元が死した後、駿河を狙った信玄に侵攻の手引きをした
計画が発覚し、京都に追放。そして生涯甲斐の地を踏む事を許されず、1574年信州で
死去。)が開基となった寺で、彼のお墓がある。

義弘:写真うつりが悪くてすまぬ。ここには信玄公のお守り、仏性不動尊も祭られている。
右の写真が信虎の墓。中央に位置する五輪の塔が本体で、両脇の宝筐印塔は飾りじゃ。
3つ並んでいるので、武田三代の墓(信虎、晴信、勝頼)と言われることもある。

∧_∧ ま、紅葉もきれいだし、マターリするか。
( ´_ゝ`)
/ 久 \
/ / ̄ ̄ ̄ ̄/
(.∬.つ / VAIO /
.|\旦\/____/\ ∧_∧ そうそう。南海の虎は欲がないのが取り柄。
/\.\. \
_ (´<_` )
/ \| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| \ /ノ (⌒つ
\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ \ 弘 | |
\ /. \ >―. し
.ソ_____ニ_____ン

義弘:何故かここに日本三大仇討で有名な曾我兄弟の供養塔が。一体何故・・・?

義弘:次は東光寺。武田信玄治世下、武田氏繁栄の時代のいわば”影”をうつした寺。
東光寺:★★★★ 甲斐五山の一つ。諏訪頼重、武田義信の墓
東光寺は蘭渓道隆ゆかりの寺という、由緒正しいお寺のようです。

義弘:ここがその仏殿。右の写真は横から撮ったところ。

義弘:諏訪頼重の墓。彼は信玄にとっては義理の兄(姉の嫁ぎ先)でもあり、義理の父(娘の諏訪御料人は
信玄の側室で勝頼の母)だが、この寺に幽閉し、切腹を申し付けたのであった。
/ ̄ ̄ ̄ ̄/ミ
____/ VAIO /
\/____/
グワッ!! 信玄め、なんて香具師!
∩ フォォォ!!
∩ ∧_∧
|‖ | | ∧_∧| | (´<_` ) まあおちけつ、兄者
‖ | (# `_ゝ´) | / ⌒i
\ / (__ニつ | |
/ 久 ‖| |弘 |
__/___ /___|___ .| .|____
(u⊃

義弘:そしてこちらは武田太郎義信の墓。信玄の長男で、母は三条夫人。信玄と共に幾多の戦いを転戦し、
将来の世継ぎとされたが、盟友今川義元死後の駿河侵攻に対し、反発(義信の正室は今川義元
の娘だったからと言われておる)。傅役の飯富(小賦)虎昌と図って謀反を企むも、事前に計画が漏洩し
(一説には飯富が弟の昌景<後の山県昌景>にわざと伝え、信玄に知らせたという話があるが、
近年、彼等は実の兄弟ではなく、謀反の計画を伝え聞いた昌景が信玄に密告したという考えもあるそうだ)、
責任をとって飯富は打ち首、義信はこの寺に幽閉されたが、後に自害したとされている。
/ ̄ ̄ ̄ ̄/ミ
____/ VAIO /
\/____/
グワワワワワッ!! 昌景め、なんて香具師!
∩ フォォォ!!
∩ ∧_∧
|‖ | | ∧_∧| | (´<_` ;) 血圧上がるぞ、兄者
‖ | (# `_ゝ´#) | / ⌒i
\ / (__ニつ | |
/ 久 ‖| |弘 | |
__/___ /___|___ .| .|____
(u⊃

義弘:本堂の中は拝観できるのじゃ。南光坊天海(黒衣の宰相と呼ばれ、明智光秀と同一人物という噂もあったり
する人物)像や、笑う閻魔様像、胎内巡りなどが楽しめる。一応中は撮影禁止という触れ込みに
なっているので写真のUPは自粛致す。・・・あ、いや、撮ってないぞ、ホントホント(・・・なんてね)。
義久:結局どっちなんだ。
右の写真は加藤光泰の墓(供養塔)の説明書きですね。

義弘:江戸時代に作られたという、しっかりとした武家らしい五輪の塔じゃな。


天尊躰寺:★★ 大久保長安、山口素堂、富田武陵墓
義弘:おなかがすいたので、甲府に戻るぞ。その途中で見つけたのがこの天尊躰寺。

義久:こちらには江戸時代初期に権勢を極めた大久保長安のお墓があります。

義久:金山奉行として神業を見せるも、財産を溜め込みすぎたのが災いし、死後財産は没収、子供は
全員処刑されてしまいました。怖いー。ここは他にも、山口素堂(「目に青葉 山ほととぎす 初鰹」を
詠んだ方です)の墓があるそうなのですが、見つかりませんでした・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
,,、,.,、.,..,,、.,、.,,,,,.,、.,,、,.,、.,..,,、.,.,、,,.,,、.、,,.,,、.
,.,、,.,
、,,.,,、,.,、,.,、.,,.、.,,,,,.,、.,.
""~~""~"
""~~""何事もほどほどにってことだよな… 兄者に似合いすぎる言葉だな。
, --.∧_∧ー 、. , --.∧_∧ー
、.
( <(;´_ゝ`)> ):: (
<(<_` #)> ): (○)
\ /:: \ /::
ヽ|ノ "~"~""''
ヽ 久 イ:: ヽ 弘 イ::
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( 〈:. |.. |::::: (
〈:. |.. |.::::
ヽ ヽ.| ヾ::::: ヽ ヽ.| ヾ::::
ゝ )、_ノ: "~"~""'' ゝ )、_ノ:
(_ノ:. (_ノ:.

義久:そしてこちらは教安寺。徳川家康の八男で、六歳で夭折した松平仙千代の墓があります。
教安寺:★★

長禅寺:★★★★★ 甲斐五山の一つ。信玄の母、大井夫人(大井信達娘)の墓。
義久:お昼(山梨といったら、やはりほうとう。駅前にあるほうとうのお店「小作」はかなりのボリュームでした。
バリエーションも豊富なので、カボチャが苦手な方以外は一度お試しされると宜しいかと)を食べて、
向かった先は長禅寺。
新宿から、かいじ(又はあずさ)に乗って、甲府に着く間際に進行方向右手に見える大きな山門の
あるのがこの長禅寺です。
義弘:おい、兄者!薩摩名物「かすたどん」も捨てがたいぞ!
∧_∧
∧_∧ (´<_` ;) 義久:知名度が全国区ではないのがな・・・。
ハ゛ン (# `_ゝ´) / 久 ⌒i
ハ゛ン ∩ 弘 \ | |
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__(__ニつ/ VAIO / .| .|____
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. / / /∧ ./ / ほうとうウマーッ
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/ ´_ゝ`)/
/ | 久 /
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ヽ | /
/ | ゛ー'| L
/ | /(_
ヽ
/ / ノ
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/ ( ヽ

義久:石碑によると、大井夫人の墓以外にも、ここは信玄が幼少時代に勉学に励んだ場所でもあり、
剃髪を行った場所でもあるという事で、信玄にとって非常に思い出深い場所だったようです。
で、ここには三重の塔や

義久:素敵な梵鐘など
なかなか良い場所ではあるのですが、(五重塔も見えますね)
義久:HPによると、「ここの住職は寺が荒れるから、という事で観光客が大嫌い」と書いてあり(おいおい)、
このように門も堅く閉ざされておりました。確かに祝日というのに観光色は少ないようですね。

義久:気を取り直して大井夫人の墓です。

義久:このような霊廟に安置されております。閑散としておりますが、非常に風情のある場所です。
住職には申し訳ないですが(笑)、甲府にいらした際には一度足を運ばれると良いかと。
・・・・それにしても、信玄殿も意外にマザコンだったんだな・・
義弘:兄者だってそうだろ?サルに降伏する時、我等のママン(雪窓夫人)の
お墓のある寺でわざわざ剃髪したじゃないか。
(⌒\ ∧久_∧
\ ヽヽ( T_ゝT) 弟者、言わんで済むことをわざわざ言うなー!
━(mJ━┓⌒\
ノ ∩ / /
( | .|∧_∧
/\丿 | (|li| 弘 ) とりあえずバールは捨てて下さい、兄者・・!
(___へ_ノ ゝ__ノ
島津兄弟母(雪窓夫人)
◎◎◎ 昔から生意気なんだよ、あんたは
◎#
_、_◎
( ノ`)
/⌒ ^ ⌒
ヽ
/ ∧弘∧ / ノ
母者、今までどこに 〈 ( ;´_>`) / /
隠れていたのです /⌒ヽ_⌒__⊂二_ノ
( ヾ、 ⊂二)
/
ヽ、_二ニつ\ \
/ 、 __| .| \
\  ̄ ̄ヽ | | /
/
\_/ ) / | /
/ ノ/ / |
/
,ノ ,/ / / ノ (
( ヽ、( ヽ(__つ
\__ぅ ヽ、_つ

義久:甲斐五山の中では一番地味に思われる場所でした。「どうしても大野九郎兵衛の墓が見たい!」とか
「武田信守公のファン!」、「甲斐五山というからには五箇所全て回らないとどうしても気がすまない!」
という事でなければ、無理には・・・という印象を受けました。
義弘:能成寺・・・微妙な位置づけの寺だな。我等の一族でいうと右馬頭以久者くらいか。

義久:観光色はかなり薄いです。
我々は6人で行ったのですが、これだけ大勢で訪れたのはかなりお寺さんの方でも珍しかったらしく、誰何
されてしまいました。・・・それとも単に不審者扱い?(涙)
義久:こちらが開基の武田信守の供養塔で

義久:一部隠れていますが、こちらが大野九郎兵衛夫妻の墓と伝えられる石碑です。
17 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 02/09/29
19:21
武田神社:★★★★★ 武田氏館跡
義久:甲府に観光に訪れた方が必ず向かう先、武田神社(躑躅ヶ崎館跡)に向かいました。
本来真っ先に向かうべきはずであるこの地(最初に行った円光院に行く途中にある)
だったのですが、

義久:この日は七五三のお宮参りの家族連れで駐車場が超満員状態。やむなく、日が傾きかけてからの
参拝となったのでした。

義久:どうでもいい事ですが、この写真(ピンボケですね、お恥ずかしい)と
この写真(サンリオは山梨のメーカーなのだ。武田神社にもキティちゃんの石像が?!)の間に
流れている時間はたったの4分!まさに「秋の日はつるべ落とし」であります。

積翠寺:★★★★ 信玄公産湯の井戸、夢窓疎石作の庭園
義久:もう辺りも真っ暗ですが、積翠寺へと山道を走ります。
ただし、町から外れた山の中腹にある寺の中で、明かりもなくこれらの史跡を探すのは至難の技(涙)

義久:庭園といわれても、何のことやらさっぱり・・・・これは再度チャレンジが必要なようです・・・・
涙で町の灯も滲んで見えます・・・
義弘:単に露出が多いだけだろ。

義久:しかし、諦めずに、この日のうちに甲斐五山コンプリート!こちらは法泉寺です。
法泉寺:★★★★
甲斐五山の一つ。武田信武、勝頼の墓。
参道を歩いていくと・・・・
義久:間もなく看板が見えます。
武田信武は鎌倉末期〜室町時代にかけての武将で、足利尊氏に応じて挙兵し、倒幕に
協力し、その後も尊氏方の有力な武将として転戦しました。
義久:世間一般にはなじみの薄い武将ですが、尊氏は彼を非常に重用し、甲斐安芸守護、引付衆、
九州探題を歴任、尊氏の姪を妻に迎えるなどの優遇措置をとっている事から、その人となりが
伺われます。

義久:そんな武田氏中興の祖、信武が開祖となり築いたのがこの法泉寺なのです。

義久:この寺には武田勝頼の墓もあります。説明書きにはこのように記されておりますが、
記載によっては、京都に晒されていた勝頼、信勝親子の首級から歯と髪をこの住職が
持ち帰り植えた、としているものもあります。

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俺は・・南海の・・何階の虎・・・・地下一階か
/:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
/ :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.:
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 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
義久


義久:お次は信玄の遠いご先祖、加賀美遠光館跡(法禅寺)を紹介致します。
法禅寺:★★★
写真には写さなかったのですが、周りには浅いながらも掘があり、

義久:室町期製作といわれる鐘楼、鎌倉末期作といわれる梵鐘もあり、庭園あり、

義久:謎の近代建築あり(笑)、となかなか多彩な場所であります。
あともうひとつ、開かずの門です。縁起によると、昔日蓮上人がこの地を訪れ、
彼の説得で周りの寺寺はいずれも日蓮宗に宗旨替えをしてしまったのに対し、
ここの住職は聞き入れず、とうとう門を閉ざしてしまった、というのがその謂れだとか。
もっとも、この門は本来勅使の為の門であり、常時は開かなかった為にそのような
逸話が生まれたのではないか、とされているようです。



義久:おまけ。秋山信友の墓です。子孫が建てたようですね。ちゃっかり磯っち(磯貝正義タン。
言わずとしれた信玄厨・・もとい、戦国史の第一人者です)が文を寄せています。

義久:さて、境内を観覧しましょう。素敵な庭園もあります。

義久:有名な武田不動尊です。信玄自らがモデルとなって彫刻させたものです。
(右の写真)武田信玄の墓は一応ここが公式という事になっています。

義久:こちらのように、大大名に相応しい、大層立派な五輪塔と宝筐印塔が置かれております。
上の写真(右の写真)
武田家臣団の供養塔も、信玄を守るかの如く配置されています。高坂弾正の墓や
武田信武の墓もあるようですが、入れないので判りませんでした(汗)
義久:そして、ちゃっかり信玄の隣に自ら夫婦の墓を作っちゃったのが柳沢吉保であります。
もっとも、柳沢家は遠く先祖を辿ると武田家の流れをくんでおり、更に彼自身信玄を
非常に崇拝しており、甲府城主となってからは城下の整備や発展に尽くしたという功績がありますから・・・。

義久:恵林寺から程なく、向嶽寺に着きます。
向嶽寺:★★★
”塩山”の名前の由来のお寺です。
1378年に武田信成の寄進により建てられた歴史を誇る古寺です。風情のある場所でした。