迷走とはなにか?(迷走案内人の独白)
※【試供品】まだ、人様に見せる状態にはなっておりません。
っていうかまだ見ないでください。
混沌こそ我が墓名碑ーーキング・クリムゾン「エピタフ」より
ある日、目が開いてみると、そこに映ったのはあまりにも異様でグロテスクな世界のあり様だった。
高校2年生の時だった。
17歳のときだ。突然世界が落っこちてくるような感覚を味わった。
それまで、見えていた世界とまったく違った世界が突如として私の目前に現れ、それ以降、私の目に映るもののすべてが豹変してしまった。
それははじめて自分の目で見る世界だった。
17歳のある日に気付いてしまった。
「この自分の存在する場所、ここは一体なんなんだ?」
人間の存在がとてつもなく気持ち悪いものに感じ、人間の生活がまったく理解不能の不可解なものに感じられた。
それは多分、宇宙人が地球人を見たときに感じるであろう違和感のようなものかもしれない。
例えば人間の顔を眺めても、目が2つあって、鼻、口、舌があって、髪があってという当たり前の外見がすごく無気味なものに思えた。
人間の体が奇妙なものに見えたのだから、性行為などはその最たるものものに感じた。
しかし、17歳の若さ。当然、性欲はある。私はその両者の葛藤に日々悩まされることになる。
そして、人間が普通に行っている肉食──牛を殺し、豚を殺し、鳥を殺し、食すというほとんどの人が何の疑問もなく、また多少は考えることがあってもすぐに忘れていく、殺戮行為に吐き気を覚えた。
そんなことを感じはじめてから、部屋に入ってきた蚊を殺すのに罪悪感を感じ、なるべく外に逃がすようになった。道を歩いていても蟻などの昆虫を踏んでしまわないか気になって仕方がなかった。あと、これは変だと自分でも思っていたんだが、手を洗うときにばい菌を殺してしまうのにも罪悪感を感じてしまう有り様だった。
また、自分がこの世界にたった一人で存在していること──それは端的に自分の姿が自分の肉眼で観察することができないことに象徴的に示されていた──に日々恐怖を募らせた。
さらには時間というものも私を恐怖させた。時計がカチカチと秒針を動かし、時が過ぎていく。そしてそれは自分を含めた人間の死へのカウントダウンにほかならないということ。
一体、なぜ私は生きていて死んでいく? そして、一体なぜ人間は生きていて死んでいくのか?
混沌──この世界を表現するのにこんな適切な言葉はないのではないか、と思う。
私はこの世界の本当のことを知ってしまったのだ。
それまでは世界はもっと完璧なものだと思っていた。
私はたくさんの本を読んだ、たくさんのマンガを読んだ、たくさんの音楽を聞いた。しかし当たり前の話だが、その中に自分の感覚と完全にマッチする話はひとつとてなかった。
自分の物語は自分の中にしか存在しないのだ。
その上、私は本さえろくに読めなくなってしまっていた。人間の発明したこの言語という
ものの意味がわからなくなってしまったからだった。本の背表紙の文字を見ても、街の看板に書かれた文字を見ても「なんだこれ?」と不思議に思わずにはいられず、本など、一行を読むのに何十時間と費やしてしまう有り様だった。
実際、今、ここまでで書いてきたことは文章として理解していたのではない。その時感じた感覚を文章にしてみたらこうなるというまでの話なのだ。
そしてそれ以来、私の迷走は始まった。
17歳から10年以上がが経過し、いろんなことがあったが、その時に感じた基本的な考えの基盤はまったく変わっていないと思う。
私はずっと迷走を続けてきて、そして現在もまだ迷走し続けているのだ。
このホームページでは、迷走系と私が勝手に名付けた表現者、また夢やココロ問題、労働問題も扱っていこうと考えている。
しかし、正直に言ってしまうと、それらは私にとって単なる背景にしか過ぎない。
私の中に巣食う圧倒的な混沌の感覚。私にとっての本当の核心の問題とはまさにそのことなのだ。
だが、逆説的な言い方になるが、背景を語ることでしか私の本当の核心を語ることはできないのではないか、とも考えている。
つまり私が感じる、世界のざらついた感覚。私と世界との距離感覚。
そういったものを通してしか私は自らのアイデンティティを守ることができないのではないか、と。
私という存在は紛れもなく混沌だ。そして世界という存在も紛れもなく混沌だ。
混沌が混沌に入り込み、感じ考えるということ。それはどこまでいっても答えの見つからない終わりのない行為なのかもしれない。隠れた者が絶対に見つからないことが分かっているかくれんぼの鬼になったようなものだろうか。
しかし、私は「ここ」で敢えて迷ってみようじゃないかと思う。
答えのない混沌にぶつかり、決して正解ではない途中経過を逐一、報告してやろうではないかと思う。
そして、それが「迷走」なんだと思っている。
「終わりなき日常」(宮台真司)なんて言葉なんかじゃ生温過ぎる。生きていること一瞬一瞬、この心臓の鼓動一音一音が迷走なんだ。
迷い、走る。それはとてもぎこちのない不安定で無様な行為なのかもしれない。
だがそれは、この世の中において、最も正直で、最も根元的で、最もストレートな行為だと私は確信している。
