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SYSTEM OF A DOWNのメンバーは全員アルメニア系アメリカ人であり、彼らのバックグラウンドあるアルメニアンジェノサイドという大きな問題を忘れることはできない。彼らはデビュー当時からアメリカ政府にこれを認めさせる活動をしてきた。
以下でアルメニアンジェノサイドについて簡単に説明する。ただしこれについては様々に見解があり、以下に述べる事柄が絶対的に正しいとは言えない。


ジェノサイド[gonocide] - 
ある特定の民族や人種、宗教に属する人々、あるいはある特定の社会グループに属する人々を直接絶滅させる行為。「ジェノサイド」に対し、多数の人間が殺害されることには「マサカー(massacre)」が使われる。


アルメニアンジェノサイド

第一次世界大戦の混乱の時期、1915年からトルコ政府は民族主義、汎トルコ主義において国内のアルメニア人を南のメソポタミアへ強制移住させた。虐殺はこれと関連して行われた。

当時ヨーロッパの列強はドイツとオーストリアの同盟側と英仏露の協商側に分かれて戦争をしており、トルコは同盟側に立って参戦した。多民族国家であったオスマントルコはこのころ国内の諸民族が独立、分離するなどして国力が低下していた。トルコにとって最も脅威だったのはロシアの存在である。そこでイスラム教であるトルコは背後から攻撃されるのを避けるため、現在のトルコ東部に居住していたキリスト教徒であるアルメニア人を強制移住させた。

このときに行われた虐殺は青年テュルク党が中心となり計画的に行われたとされている。町や村の男たちは出頭を命じられ、そのまま投獄されるか町から連れ出されて銃殺あるいは銃剣で突き殺される。その数日後女性、子ども、老人が集められ、町から連れ出されて死ぬまで歩かされる。途中で金や女性を奪われたりもした。
抵抗の強い町では特に残忍な虐殺が行われ、暴行されて瀕死の男たちの前で妻や娘が犯された。あるいは教会に集められ、火を放たれて焼き殺された。

双方の見解と現在の問題

アルメニア側は、この事件で150万人が殺され、60万人だけが生き残って外国に逃れることができたと主張している。

それに対しトルコ側は「あらゆる残酷な仕打ちがあったことは認めるが150万人というのは誇張であり、実際の死亡者数は30万人くらいであった。さらにこの事件は戦時下の混乱状態で起こったことでありジェノサイドの意図はなかった。証拠として提出された計画書も偽造である。また、第一次世界大戦とその後の分離・独立戦争で戦死したトルコ人(イスラム教徒であるトルコ人とクルド人)は250万人にのぼり、このような時代状況を考慮してほしい」と主張し、ジェノサイドの事実を認めていない。

アルメニアンジェノサイドについては様々な問題を抱えている。アルメニア人が最古のキリスト教徒であり、加害者であるトルコ側がイスラム教徒であるために「キリスト教対イスラム教」であるとか「文明対野蛮」であるとかいう図式が成立していると考えられないこともない。またこれがナチスによるユダヤ人虐殺の先例になったというホロコースト史観に汚染されているという考え方もある。

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