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アルメニアンジェノサイド
第一次世界大戦の混乱の時期、1915年からトルコ政府は民族主義、汎トルコ主義において国内のアルメニア人を南のメソポタミアへ強制移住させた。虐殺はこれと関連して行われた。
当時ヨーロッパの列強はドイツとオーストリアの同盟側と英仏露の協商側に分かれて戦争をしており、トルコは同盟側に立って参戦した。多民族国家であったオスマントルコはこのころ国内の諸民族が独立、分離するなどして国力が低下していた。トルコにとって最も脅威だったのはロシアの存在である。そこでイスラム教であるトルコは背後から攻撃されるのを避けるため、現在のトルコ東部に居住していたキリスト教徒であるアルメニア人を強制移住させた。
このときに行われた虐殺は青年テュルク党が中心となり計画的に行われたとされている。町や村の男たちは出頭を命じられ、そのまま投獄されるか町から連れ出されて銃殺あるいは銃剣で突き殺される。その数日後女性、子ども、老人が集められ、町から連れ出されて死ぬまで歩かされる。途中で金や女性を奪われたりもした。
抵抗の強い町では特に残忍な虐殺が行われ、暴行されて瀕死の男たちの前で妻や娘が犯された。あるいは教会に集められ、火を放たれて焼き殺された。
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