ふと暇だったので昔のメンズノンノを見ていたのだが、その中で「おしゃれ都市街角スナップ」などいう企画が目を引いた。用は、パリ、ロンドン、ミラノ、東京の街角のおしゃれな人間を撮って集めたものだ。非常に参考になる場合も多いので結構おもしろい。さて今回ここで書きたいのは、西欧人と日本人の服の着こなしの違いについてっす。そこには明らかな違いがある。先ず日本人の場合、かなりデザイン過剰な服が目立つことに気付く。ファッションに命かけてるぜ〜みたいな奴。とりあえず変なシルエットのパンツにデザイン物のトップスそして小物。それとは対照的に西欧人はかなりオーソドックス。普通のテーラードジャケットにウールのパンツなど、それぞれ個性はあるものの非常にバランス良く着こなしている。ちなみにテーラードジャケットを着ている日本人はほとんどいない。または似合っていない。それに比べて西欧人ときたら何も変哲のないテーラードジャケットを格好良く着る。この差は何だろう? 似合う似合わないは顔や体型が確かに関係あるのかも知れないが、着こなしという観点で考えるともっと深い。例えば、西洋人は幼いころからスーツとネクタイに慣れ親しんでいるといいます。それに対し日本人は、下手をすると大人になるまでネクタイの結び方を知らない人も多いのではないだろうか(俺もそうだが)。これは日本人が悪いわけではないが、正装の着こなしを学ぶ場がほとんどないことに由来していると思う。教育と文化の違いってやつか。さらに悪いことに、日本人の若者が着こなしの手本とするのは雑誌やテレビであるがこれら手本があまりに酷い(笑)。適当なスタイリストが「スタイリスト」を語って適当にブランドを組み合わせて紹介している。そしてメディアは何の疑問もなくそれを垂れ流す・・・。そこから日本人の若者は何を学べば良いのか?だいぶ論点が変わってきたが、俺は言いたい。日本人の若者は確かにおしゃれである。しかし、基本の着こなしが出来るか、と問われればNOである。それは身に付いていないからっす。だから意識的に着飾ることでおしゃれを演じる。しかし基本の着こなしとは無意識のセンスに他ならない。はっきり言ってそう考えると西欧人の方が日本人よりぐっと上を行っている。「意識したおしゃれ」と「無意識のセンス」。西欧人は、服を、モードを日常的に無理なく愉しんでいると気付いた。日本人は・・・以下略。日本が世界のモードの中心になる日はとてつもなく遠いようだ。続く(かも)。
ハイ・ライフという言葉をポール・スミスが口にしたのは3年前の事。彼にとって贅沢とは自由であり、時間であり、新鮮な食べ物であり、親しい友人と過ごすことだって。普通ハイ・ライフといえば豪邸に住み、使用人を何人も雇いカシミヤのセーターを見にまとい高級車を走らす、といった誰もが憧れる金持ちの暮らしを指す。でもさ、今の生活を愉しむ事が出来たらそれはハイ・ライフってことじゃない?ってことを彼は語ってるわけだ。
最近妙に涙もろい。平気でCM見て泣いたりしてる(笑)。あるテレビでインド人の子供、大体小学5,6年、の子供が手を繋いでガンジス川沿いを歩いているシーンがあって、二人があまりに純粋だったのとそのバックの夕日がすーげー綺麗なのとでなんか無性に泣けてきた。美しいねぇって。ああいうとこに幸せってあるんだろうなぁ。突然でくさいけど、幸せなものって好きだ。最近、別に自分は幸せじゃなくてもいいから周りを幸せにしていきたいと思うようになった。それが自分にとってもいいことのような気がするからね。一つ悟った、と言えるのかな?
人生は常に危険と隣り合わせ。次の瞬間それが訪れるかも知んない。でもそのスリルを楽しめなくなったら終わりでしょ。
中学の時、EDWINのデニムですっげ〜カッコイイのがあって、当時3万くらいしたのを母親にねだってやっと買ってもらった。すごい気に入ったのでそれこそずっとはいていた。するとまたいい味が出てくるんだ。もっとも、流行を追う友達にひやかされたりしたものだが(笑)。結局そのデニムは、2年後に母親に洗濯されるその時までずっと一番のお気に入りだった(その後母親と大喧嘩)。笑。。好きな服には何か直感のようなものが働くものだ。直感って言うのは、自分の中に吸収したものが消化されて、やがて表にでてくるものだと自分は理解している。それが自分の感性だよね。普通に生活をしていたり新聞やテレビを観たからといってそれが直感として成立するものではないけれど、世の中の動きに目を向けていれば、自分でも意識しないような事が直感に繋がることはよくあることだ。。自分は正直に生きている。だから服も流行に左右されずに自分の直感で選ぶ。多分20年後に20歳だったとしても同じような格好をして街をうろついている気がする。世の中には変わるものと変わらないものがある。それでいいと思う。でも変わらないものの中に「本物」があると信じている。デザイナーの中には、70年代をテーマにしたりコンサバを意識したり、かと思えば全く新しい風を吹き込んだり、普段は気付かない日常をテーマにしたり、ホントに様々な人がいる。しかし往々にして彼らはその時の自らの直感と「本物」を結びつける力を持っている。だが、そうでない場合もある。彼らは時に「売る」ために大衆社会のピエロとなる。とりわけて日本人はそのターゲットとされる。だから服を選ぶときは考えなければならない。何を?というと、自分のテーマに合っているかを、だ。もちろんこれは服だけでなく全てのことに言えることだが、自分の直感に正直に行動することが後悔しない生き方だと思われる。 ちなみに衝動買いで、金欠になり後悔したことは多々ある。あしからず。笑
思い出は人が生きる上で心強い武器になる。でも、時には重い足枷にもなるんだよ。
久しぶりに日記を書いてふとした疑問が芽生える。自分はなぜ日記を書くのか、と。見てくれる人がいるという事は大いなるモチベーションであると考えて相違ない。しかし仮に今、誰もこのページを見ていないものとしようか。 それでも俺は日記を書き続けるであろう。なぜなら半分くらいは自分を愉しませるために書いているからだ。言い換えるなら自己満足のために他ならないわけだ。しかし、これが矛盾を呼ぶ。その割には全く満足できていないのである(笑)。とすれば最後に残る日記の意義と言えば自分の行動の記録・感情の記録としての価値である。実はこれが最も重要で、当たり前だが日記そもそもの性格であるから、自分も普段から書く価値のある行動を心がけようと思うわけだ(笑)。俺が日記を書き始めた目的はまさにそこだったりする。有意義な行動を送るため、そこまで思い上がらずにも、その一日に何でもいいから意味を見出すためであるのだ。そして後から見たときにその行動が人の心をくすぐる出来に仕上がっていればいう事はない、かな。う〜ん、既に毎日書くのは止めようと激しく思ってるさ(笑)。 のんきな暮らしをしております。
壁なんてのは越えるためにあるんだよ
人は愛する者からしか学べない。ってかのゲーテが言ってるけど。素敵な言葉だ。確かに今まで生きてきて自分が尊敬する人、好きな人の言ってる事ってのは不思議と良く頭に入るし心にも残った。逆に嫌いな人の言う事は印象には残るけれども批判の対象でしかない。ってこれは言いすぎだけど、少なくとも何かを得たとは思わないもんだな。だから高校時代嫌いな教師の言ってることは理解できなくて困ったもんだったっけ(笑)。だからさ、やっぱり多くの人を愛せる人間っていいよね。絶対人生楽しくなる。好きな人が多い人は好きなことも自然増える。それって見える世界が広いって事だべ(笑)?それって人生絶対得してると思うし。でもさ、他人を好きになれる人ってのは自分を大事にしてる人だと俺は思うわけだよ!!だって自分も大事に出来ない人間に他人に優しくしたり好きになったり出来るはずがないからね!自分を大事にするって自分勝手とは違うよ!かといって自分を守るために組織を優先して他人にクールな人間ともまた違う。「他人に熱く自分に熱く」、これが俺の理想だけどそれにはいつもどっかで冷静に自分を見てるもう一人の「自分」が必要なんだ。客観的に自分を見るとまた違った姿が映るからね。間違った方向に向かってないか、自分を甘やかしてないかをいつも見てるわけ。これが(だけじゃないけど)自分を大事にするってこと。周りを大事にするには先ず自分から。これかなり重要だな。
ALL FOR ONE FOR ALL BUT I AM ONE ALL FOR ONE FOR ALL BUT YOU ARE ONE
総て物事には結果があり、原因が存在する。だから何か起きたときにそれを辿っていけば答えが見えるはずなんだ!それは自然現象や政治・経済の動きにも総じて当てはまるし、人間や動物の行動にも当てはまるはずっす!そしてもっと言うと、サルの原因はサルだし、カエルの原因はカエルだよね。ある物の結果生まれているものだからね。けど、そうやって原因を辿っていくと・・・どこへ行き着くんだろ?サルの原因はサルでそのサルの原因もサル、そのまた原因も、って永久にやっていくとそれ以上辿ることの出来ないポイントまで戻るわけだよね?アリストテレスはそれを「神」って言ってるみたい。だけどこの神は全ての原因であり普遍な神であるから何もしない(笑)。だからキリスト教の神のように「人間を救おう」なんて考えない。ほんとただ存在するだけ。というより「存在」があるだけ・・・。人間の原因は人間。しかしさ、人間って原因は一緒だけど、結果はまるっきり違うでしょ?みんなそうなんだよね。だから一つしかない原因よりも無限の結果を大事にしたいんだ。「一つにならなくていいよ」とか「ひとつじゃない」ってよく桜井さんが言うけど、あれってほんとにいい言葉だ。でも生きるってそういうことだと思う。自分を感じる瞬間がどれほどあるか?結構少ないよ。ってゆうか普通の人はそういうこと思わないか(笑)。でも普段無意識にやってることを意識的にやってみたり。そういうことでもちょっと感じると思う。俺の場合は出かけるときに服を選んだり、何食べよっかなっとか考えたりしたり、勉強したり、とかそういう時ふと感じるわけだけどね。実は自分の事って一番知らなかったりするよ。というか深い。だからもっと知りたい!そう、つまり、生きるってその繰り返しっすね。
どんなに美辞麗句を並べてみたところで伝わらない想いもあれば、たった一つの言の葉でしか表せない想いもある。笑顔を見たらドキドキする、名前を呼ぶだけで幸せになる、一緒にいるとあったかい気持ちになる・・・これが「好き」ってこと。他のどんな言葉でも表せない気持ち。優しくて嬉しくて愛しくて・・・それが「幸せ」ってこと。決して代えの利かない大事な気持ち。人が生きる上での推進力。でも一番重要なのはその気持ちを言葉にして表すことじゃなくて心の中に持つこと。そして持ち続けること。心の中に永遠なる花を咲かそう。この花の種を蒔くのは自分、そして自分の周りを取り囲んでる人達からおいしい水をもらおう。でもあったかい光をくれるのは自分にとって大切な人だけなんだよね。それが「恋人」ってことです。
やるときやってぬくときはぬく!それが俺の流儀!
忙しい生活を送っている中で、読書をする時間ってのはホントに貴重で贅沢な時間だと思う。俺はみんなといる時間が一番好きだけど、こうやって一人で過ごす時間ってのも大切にしたいと思ってるわけで、本を読むことは新たな文化・芸術に触れる時間だと考えている。最近じゃどこ歩いてても絵とか音楽とかが溢れてて自分なりの芸術を感じることなんて出来ないでしょ?やっぱり自分で考えないとね。現代アートってよく言うけどさ、最近芸術家と呼ばれる人が作ったものはみんな「アート」になっちゃうじゃない(笑)。それじゃ芸術って衰退していくと思うんだけど。みんなそれすらも気付かない程芸術に関してマヒしているんかな。俺は芸術では18・19世紀が一番いいかもって思う人だから。現代は独創性ばっかすごいけどさ、いいな〜って思えるものはほとんどない。あ、インテリアは別ですけど(笑)。って、まあいいや。ところで芸術を語る上で忘れてはならないことがあるんだぜ(笑)。それはスポーツっす。俺は、どんなスポーツでも洗練された技術、また、それによって生み出される数々のプレイ。それは全て芸術といってもいいと思うんだよね!!例えば、バスケのジェイソン・ウィリアムズのマジシャンばりのパスとか、サッカーのジダンの神業的ボレーとかね。よく言われるところでは、スペインのマタドールは芸術に例えられるよね。これらは、なかなか芸術を感じることの出来ない現代にあって、俺たちにものすごいインスピレーションを与えてくれる(ハズです)!そして彼らのすごい所は、いいかい? その「芸術作品」を一瞬の閃きで完成させてしまうってことなんだよ!!!これはマジすごいよ!いわゆるアドリブだからね。例えば小説家や画家は何ヶ月もかけて一つの作品を描き上げる!そこには綿密に計算され尽くした数々の技が込められる訳だ。どっちがすごいとか陳腐な価値基準を持ち出す気はさらさらないけどさ、この一瞬の光ゆえの美しさってゆうのが見る人に感動を与えるんだなぁ〜って思うと、スポーツって素晴らしいとつくづく思う。別にスポーツ観戦の好きな人が芸術好きだって言ってる訳ではないっす。ま、俺は以下略だけどね(笑)。ふ、またくだらぬ事を語ってしまった・・・(笑)。←五右衛門のマネ(笑)
そう、俺が言いたいのはつまり、みんな見えてる!だけど見てはいないんだって事なんだ!!何の話をしてるかというと恋愛観なんだけど(笑)。つまり俺が見ちゃうのはみんな見えてるようで見てないもの。なぞなぞか?っていう。ま、いいや(笑)。ところで「ライクな人」と「ラブな人」って何が違うんだろ。男友達はもちろんみんなライクだけどさ(笑)、自分にとってライクの女友達とラブの人はどう違うんだろ。考えてもホントにわかんない。けどラブになっちゃったらしょうがない。一つ言える事は、ラブになるのは瞬間、ライクになるには時間。直感ってやつも結構頼りになる(笑)。恋愛っていつも難しいよ。 時に誰かを傷つけたとしても その度心痛めるような時代じゃない。誰かを思いやりゃ仇となり自分の胸突き刺さる。この歌詞が今の俺にグサリ。でもやっぱ心が痛い。恋愛って一言に言うけど「恋」と「愛」は似てる様でまるで違う。それはライクとラブ程に。そこを勘違いするとどっちかが傷付く。何年も前の恋を最近になって後悔してる。でも後悔っていうのはすごく前向きに捉えなければいけないと俺は思う。後悔するって言うのはまだ自分を諦めていないってことだからね。桜井さん風に言えば、もっとすばらしいはずの自分を探しているってことだから。まあ後悔してはいけない事も結構あるんだけど(笑)。この話はこのへんで止めます。これ以上は内面に深く関わっているので。でもこういう事を少しでも書こうって思ったのは最近になって色々すっきりしたからっす。あとこのページを読んでくれているのが俺にとってみんなライクな人達って思って信頼してるからっす。また機会があったら描きやす。
永遠の矛盾にして重要な結論:男はいつも現実から逃げ、女は現実を選ぶ。
コノテデ セカイヲ ウゴカシテ イチニチジュウ ワラッテイタイ ダレモガ ミナ ナミダスルホドノ トワノ ウタヲ ウタイタイ フルエブルブルトマラナイホドノ アツイキスヲ シテミタイ ヤスミノヒニワ アノコト ドライブニ イキタイ ソシテ ダキアッタママ ダキアッタママデ テンマデ テンマデ イッショニ ノボリタイ ○○ ×× △△ □ !! ??
最も大切なものは?って聞かれたらオレは間違いなく「記憶」って答えるだろう。命とか金とか友達とかって答える人もいるけど、それはみんな記憶あってのものだからさ。記憶がないと友達だって大切に出来ないし、記憶なしに「命」を求めるのもなにか矛盾してる。それでも生きていた方がいいぜって人には何もいえないけどね。ましてや「金」なんか無用の長物だよ、きっとそれで何をしても満たされることはないと思うし。そう、オレがここで言いたいのは記憶っていう形のないものが人にとって一番大事なんだよってこと。それをふまえて、では人類にとっての記憶に当たるものはなんだろうか?それは「歴史」だよ。歴史っていうのは単なる事実じゃない。ここでは詳しくは言わないけどさ。歴史家が取り組む作業はある事実を見つめてそれを解明していくことに他ならない。「なぜ、どうしてあんなことが起こるのか?」って具合にね。つまり分野は違えど、やってることは科学と同じっす。「歴史は科学である」って誰かいってたっけ。その目的もまた等しく、研究の成果を未来に生かすことなんだよ!「歴史は繰り返す」っていう言葉があるけどあれは厳密にいうと間違いなんだ。同じことが起こるなんてあり得ないからね。でも、人間がある状況に陥った時どういう行動を取るかっていう視点で見ればやっぱ「歴史」は繰り返すに違いないと思う。つまり、「記憶」がない人間は同じ過ちを繰り返すって言いたいんだ俺は!だからみんなに歴史の意味を問い直して欲しいね。それから「歴史」を学ぶってゆうのは言うなれば過去と現在の対話なんだよね。まあ対話って言うには過去が少しそっけなくて苦労するけどさ(笑)。だから最後はほんとに想像するしかないんだよ、「そうだったに違いない!」ってね。ここが歴史の一番の弱みであるわけなんだけど、だからって歴史を馬鹿にするような輩に人の上に立つ資格は無いと思ってね。こっからはメチャクチャ感情論でものを言うけど・・・人の上に立つ人にとって歴史は教養だよ!絶対必要!別に全世界の歴史を知れって言ってるんではなく、例えば会社社長なら自社史が必要だし塾長なら慶応の歴史なんか当たり前に知ってなくちゃいけない。総理大臣なんてなった日には日本史やら中国史やら韓国史やらアメリカンヒストリーやら全て常識的な範囲で抑えていなければならんわけでしょ。そのわりには問題発言とか多い気もするけど(笑)。それ考えたら上に行けば行くほど必要知識だよ、歴史は!繰り返すようだけど、歴史家が人類のために身を粉にして過去を研究してるのは、それを未来に生かすためだよ。名誉とか趣味のために研究してる人もいるけどオレに言わせりゃそんな奴らは二流、三流だよ!結局の所みんなそれを分かってくれないっすよ。孤独だよ、歴史を学ぶ人間なんて。でも・・・歴史を無駄にして失敗を繰り返すほど詰まらんことも無いもんだよ。以上感情論だぜ〜。
四分音符ってどんくらいシブイんすかねぇ?あと四分音符にヒゲが一本生えると八分音符になって、二本だと16分音符、3本で32分音符。ということでそれぞれボブ音符、ホセ音符、ゴメ音符で良くね?
今いわゆるアーティストって呼ばれている人たち、桜井さんもそうだし、サザンの桑田さんとかB'zの稲葉さんとかもね、曲の作詞とかを担当してるしてる人たちってさあ、明治時代とか大正時代に生まれていたらきっとみんな物書きになってたと思う。小説とか新聞のコラムとか書いてさ、その時代の若い人たちにまた大きな影響を与えていくんだろうなぁ。その中で一握りが文豪となって歴史に名を残す。でも今のアーティストとか見てて文豪に至るに値する人を見つけるのは結構骨が折れる。基本的に作詞作曲を自ら担当してる人じゃないとだめだと思うんだけどね。最近中身の無い歌詞が多いし。何がいい歌かってわかんなくなっちゃうでしょ?売れればいい曲という時代じゃないからね。そして好きだからかも知れないけど、俺は桜井さんは間違いなく文豪に値すると思う。歌詞が恐ろしく綺麗で、時に時代を風刺したり、壊れてみたりして、だけどものすごく日本語を大事にしてるなって感じるから。きっと桜井さんが明治に生きていたら千円札とか五千円札、または一万円札には桜井和寿って名が書いてあった、って思うんだ。まあその逆もしかりだけどね。きっと夏目漱石が平成を生きていたらアーティストになってヒット曲を世に送り出していたとしてもなんら不思議じゃない。あぁ、でも気づいたら桜井さんを賛美する文章になってしまった。書きたかったことがあったのに。でもほんとに桜井さんはすごいよ!オレは少なくとも、桜井さんには人間としてもアーティストとしても誰も勝てないんじゃないかって思ってるし。だからこそオレの心のパパは桜井さんで、そしてMR.CHILDRENが大好きな自分がいるんだよね
人がいわゆる「キレる」状態にあるとき、その脳は丁度爬虫類のような状態に陥っているという。みんな、ムギだけはキレさせてはいけねぇ。T−レックスに変貌するから。英国boyはキレさせても大丈夫だよ。トカゲですから。
高校バスケがメチャクチャ熱い。毎回全国大会はテレビで放送してるけど当然毎回見てるし、決勝はたまに見に行く。そこから未来のスーパースターが生まれると思うともう興奮しっぱなしで以下略。バスケの見所と聞かれると困るけど、第一にディフェンス、ボールを奪ってからの早い速攻、ノールックパスそしてシュートまで、いうなればこうした早い試合展開こそが最大の魅力だよ。でも敢て、敢てだよ、最も価値ある瞬間をあげるとすれば、それは味方がノーマークになった一瞬を見逃さずに繰り出すポイントガードのパスだよ。それがノールックとかだとより良いね。会場からはため息が漏れる。「ハァ〜っ」てさ。バスケは瞬間で決まるスポーツだから、相手とのだましあい、いかに裏をつくか、を常に考えてなきゃいけない。そこが面白いね。あとは、真正面からの勝負でゴールをものにする、っていうスピードと力強さを要するプレイも熱いね。それから涼しげにスリーポイントを決めるってのもいいんだよね〜。ちなみにオレは現役時代それを目指してました。でもあんま語ると長くなりすぎる〜ってことで本題に行きます。「スラムダンク(知ってるよね?)において一番凄い選手は一体誰か?」ふと浮かんだこの疑問をオレの観点から考察し答えを導き出しましょう。まずその称号を得るに値する選手、というかスラムダンク・マイ・ベストファイブを発表します!沢北鋭二(山王工業HSF)、河田雅史(山王工業FC)、神宗一郎(海南大付属ESG)、流川楓(湘北JSF)、仙道彰(陵南FPG)、の5人です。まさにドリーム・チーム!こんなチームの監督だったらつまんね〜だろうな〜。なにせ「よし行ってこい!」ってくらいしか試合前言うことが無いから(笑)。この5人の中からベストプレーヤーを決めるわけだけど、その前に彼らの選考理由を簡単に。まずポイントガードは牧、深津を抑えて仙道にしたのは彼がその二人には無いパス・センスを持っているから。そして仙道には高確率で決まるスリーポイント、そしてカットインの力、そしてダンクと。攻めの選択肢が他の二人に比べて段違いに多い。これはPGにとっては非常に重要。また身長190センチというのも魅力だ。仙道はまさに次世代型ポイントガードなのです。次はフォワード沢北と流川だけど、このポジションに彼らの敵はいません(笑)、以上。だっておかしいよ、こいつら空中で3人かわしたり、一旦戻してまたダンクとかいう離れ業を平気にやってこなすんだよ。アリエンコフ。次はシューティングガードの神。スリーの鬼。入りだすと止まらないという恐ろしい習性をもつ。スタミナの弱い三井に比べ安定しているし、ルカワ、仙道を抑えて神奈川得点王に輝いたのは賞賛に値する。という事で神も順当だよね。そしてセンターは河田兄こと丸ゴリ。こいつも順当だね。次点はゴリだけどゴリとは役者がちがいます。で、この中で誰が一番凄いか、それは丸ゴリです(笑)いやマジで。確かに他の4人は凄いが、オレはあのゴリをあそこまで抑えきった河田のほうが全然やばいよって思う。仮にもゴリはいいセンターがゴロゴロしてるっていう神奈川のナンバーワンセンターだ。そんな男を余裕で封じ込める河田は一体何なんだお前は、っていう感じです。ちなみにスラムダンクは現実に割りと近いレヴェルで行われています。神レベルは普通に高校バスケ界に存在するしね。ダンクできる奴も結構います、が試合中にダンクする奴はまれです。よって、神以外のダンク狂たちはみなさん確かに現実離れしてるっちゃしてるんだけど、どんなすごい凄いダンクをかましても結局は2点なんだよね。そこへいくと丸ゴリはゴリの得点を五点くらいに抑えてなかったっけ?絶対ありえん!県レベルのセンターはそうそう押さえられるものではなく、ある程度はやられてしまうものなんですよ。それがセンターっていうポジションの難しいところだよ。それを丸ゴリときたら・・・。リバウンドも最強だし。オフェンスもなかなか多彩だしね。オフェンス能力を100としたらディフェンスは500くらいはあると思うのは俺だけ?ただ彼はフォワード希望。フォワードだったらオフェンス力が200〜300くらいあるルカワとか仙道、沢北のほうが格段に怖ぇね。センターにいてこその河田。それでも丸ゴリ最強論は全然成り立つね。
世の中には、とんでもない偉業を成し遂げる人間がいるもんだ。彼らは一般人の頭では到底思いもつかないようなアイデアを駆使し、惜しみない努力の末にそれを実現する。ただ、そういった偉業は、時にあまりに専門的すぎて、影の功労や、見えない大仕事に留まることが多いよね。みんなに全く知れ渡らない事だってたくさんある。スウェーデンの王立アカデミーが毎年選出するノーベル賞の受賞者達がその良い例だとおもう。受賞のニュースを耳にして初めて、われわれは同じ人間がやってのけたとは思えないその驚異的な発見や研究結果に感心させられる。しかしそれが偉人ではなくても人間の影の努力って見えにくいことは確かだ。しかしそうした普段見えない影の努力を怠っていては偉業の達成どころか生きていて得るものは何も無いね。生物はなぜ進化するのか?人はなぜ進歩するのか?とても難しい問題だ。ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」の中で、全速力で逃げるアリスがふと立ち止まると元の場所にいる。そのときに赤の女王がいった一言を思い出す。「ここでは走り続けていないとその場所に留まることはできない」。人間が進歩することや努力することも本能でそれを理解しているからではないか。進歩がない人間には生きている価値は無い。自分が自分であるために努力する。それを自分でなく人類へ、または世界へなど視野を広げたとき人間は偉人への扉を開くのだと思う。
後先のこととか考えちゃダメだよ。だってそもそも今日の自分なんて初めから無いも同然だからね。もうイッキだよ!そりゃあそうだよ。例えばそれが無茶苦茶な要求だろうと、例えばそれが傲慢な女だろうとワガママだろうとさ!のむよ、のませてちょうだいよ!いいね!のんだ隙に熱入れる、ある意味憧れに近い感じがあるよ。赤塚フジオに傷付いちゃってね、お社会技術にヒジからかかと落とし!!粋だねぇ!下町上手だよね!「ぷはぁ〜、それはちょっと違うかも」なんて言っちゃってね、ナンゼンたれ!え?も〜だめ、だっていいけど、惰性で生きちゃだめだね。それ僕のポリシーだよ!惰性で生きちゃだめ!それ僕のポリシー!!ウマイこと言った!ウマイこと言った〜!!!