「なぜ、あの時、あんな事に大切な時間を費やしてたのだろう・・・・・」
みなさんも思い当たる事がありませんか?
めんどうくさがらずに読みましょう!
96.4.1 放送 (第26回)
私は4歳からの5年ぐらい、あるマインドコントロールにかかっていました。
弟が生まれたので母のいる病院に父と一緒に向かう途中、アメを買ってもらい病院に向かいました。
そしてエレベーターに乗ろうとした時アメを車に置いてきた事に気付き、父に待っていてもらって帰ってくると、父がエレベーターを手で開けていました。
普通に止めていただけなのにそこは4歳。「お父さんはあれを止められるほど強いんだ、さすがだ」と思ってしまいました。
そして私も小学校に入り、友達のマンションに遊びに行った時の事。友達が何気なく手でエレベーターを開けているではありませんか。
私はその日から「同級生に出来るなら、俺も努力して出来るようにならねば」と風呂上がりに腹筋・背筋・腕立て伏せを繰り返し、1年ほどの時間を無駄に過ごしました。
また彼の家に遊びに行く事があり、1階でエレベーターのボタンを押してドキドキしていると、エレベーターがやってきて、私はエレベーターに立ち向かうべくドアの所に立ち、背中をエレベーターの方に向け、両足ともドアの角に固定させ、手を壁に付け、ケツをやや後ろに突き出し、戦闘準備完了。いつでもドアが閉まるのを待つ状態でした。
ドアがするする閉まるのですが、完全に閉じようとはしません。何度もドアは行ったり来たりしているのです。
よく見ると私の突き出したケツにドアがぶつかっているのでした。私は手と足をドアより外の部分に付いていたのでした。
その失敗はすぐに気付きましたが、ケツにぶつかっただけでドアが開く理由が分かりません。
そして結局出た結論としては、「俺は知らぬ間にケツの筋肉も鍛えていた」という結論でした。
しかし9歳の時にクラスの女の子のマンションに一緒に行った時、S子さんがドアのあの柔らかい部分を押さえているのを見て、ドアは力で無理矢理押さえる物だというマインドコントロールが解けました。
P.S.エスカレーターは下りる時に段でコケたことで、その夜エスカレーターと段の隙間にペシャンコになって吸い込まれる夢を見た事から、今でもエスカレーターに乗ったまま下りないとペシャンコ(エスカレーターのギザギザの跡は付く)になって吸い込まれると思っている、僕。
(札幌・PN:ペキチポキチパキチ)
96.3.25 放送 (第25回)
小学校4年生の頃、ほとんど友達がいなくて色んな一人遊びをしていた僕は、愛用の忍者ハットリ君の自転車で街の中を色々探検する事を始めました。
最初のうちは普通に楽しかったんですが、そこは小学生。行動できる範囲はたかが知れており、すぐに飽きてしまいました。
それから僕の妄想は始まりました。ハットリ君自転車には警笛用のブザーがついているのですが、その時にはもうそのブザーは壊れてしまっており、右ハンドルにあるスイッチを押しても何の反応も無い状態でした。
僕は知らない間にそのスイッチをビーム砲のスイッチに見立て、自転車を戦闘機と思い込み、街の中にある建物を敵の要塞だとし、バーチャルシューティングゲームを楽しんでいたのです。
子供の思い込みとは怖い物で、僕の目にはスイッチを押す度に、前輪の両脇にあるライトから赤いビームが発射されるのが確かに見えていました。
ザコキャラは町中を走る自転車や通行人などです。前輪を目標に向け、スイッチを連打。「ビル、ドッカーン」などの効果音ももちろん自分の口で言っていました。
ザコを次々と破壊しながら自転車をこぎ、いよいよ第1ステージの要塞である杉田さんちの車庫に到着。シャッターを開ける時に指をかける2つの穴から僕にだけしか見えないミサイルが僕の戦闘機目掛けて襲ってきます。
それらを上手くかわしながらそのミサイル発射口に16発ずつ計32発ビームを打ち込めれば第1ステージはクリアです。第2ステージの要塞である、近くのタイル工場へと向かいます。
以下郵便局、市役所などステージが進むごとに要塞は大きくなっていき、攻撃も困難でした。こんな空想を僕は半年近くも続けていました。
目が覚めたきっかけは、市役所の前で何か言いながら自転車でぐるぐると走り回っている僕を見つけた母の友人が、母にこの事を気の毒そうに教え、母が僕に尋ねたのです。
この時僕は、自分が今までやっていた遊びの異常さに気がつきました。
あれから7年、今でもあの車庫の前を通ると2つのミサイル砲が気になる時があります。
(石川県・PN:イーストアミューズ)
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特に何かに夢中になったわけでもない、小さい頃に年寄りが言った些細な事をずっと信じ続けてしまう、それも一種のマインドコントロールですよね?
そんな僕のマインドコントロールは、『かつお節ご飯のかつお節がご飯の上で踊るのは、かつお節がまだ生きてるからだ』というものでした。
僕が小さい頃、物心がついた時には既に家族、特におばあちゃんにこのマインドコントロールをかけられていたのです。
このマインドコントロールを人前で口にして恥をかく、というような事があったわけではないのですが、逆に人前で話すような機会が無かったからこそ、僕は数年間このマインドコントロールに深くハマっていたのでした。
僕はまず、このマインドコントロールを元に様々な学説を次々と自分の中で生み出していきました。
その中で代表的なものは、『学説1:かつお節はご飯の余りの熱さに暴れている』『学説その2:醤油をかけた瞬間死ぬ。かつお節の弱点は醤油』というものでした。
その学説が僕学会で発表されてから、かつお節でご飯を食べる度に僕のかつお節に対する虐待が始まりました。
普通にかつお節ご飯を食べる時に醤油をかける時には、醤油挿しの片方の穴を押さえて醤油を小出しにし、部分的にかつお節が動かなくなるのを見てサディスティックに微笑んだり、ある時は醤油をかけずにほとんど噛まずに飲み込んで、生きたかつお節の喉越しを楽しむ踊り食いをしていました。
しかし考えてみれば幼稚なマインドコントロールです。小さい頃から賢い子だった僕は、小学校2、3年の頃からかつお節の生命に疑念を抱き出し、小学校5、6年の頃にはご飯の湯気の仕業である事にだいたい気付いていました。
そしてマインドコントロールからほぼ抜け出していた中1、かつお節ご飯を食べようとしている時、当時小4の弟が「かつお節って生きてるの?」と聞いてきたのです。
弟も僕と同じマインドコントロールにかかり、そして昔の僕と同じように疑念を抱いているのだなあと思い、それは湯気のせいで動くんだと教えてやると、それを横で聞いていた中2の姉が「えーっ!?生きてないの?」と言いました。
姉は中2になるまでこのマインドコントロールを一時も疑うことなく信じきっていたのです。
ああ、それにしてもマインドコントロールってやつは怖いねぇ。
(福島・PN:2号)
96.3.18 放送 (第24回)
純粋な子供ほど世の中の物を信じやすく、また親や兄弟からのマインドコントロールにかかりやすいもの。今日はそんな私のお話を聞いて下さい。
当時4歳の私はお母さんと一緒に買い物に行き、「何でも好きなお菓子を買ってあげる」と言われ、色々な色のつぶつぶに魅了されマーブルチョコを選びました。家に帰ってその未知なるチョコを食べようとしたその時、当時8歳の兄に「マーブルチョコの黒いやつは毒だから食べると死ぬよ。」と言われたのです。
今思えば、買い物に一緒に行かなかった兄が少しでも私のマーブルチョコのおこぼれをもらおうという作戦だったのですが、そこは4歳。お兄ちゃんの言葉をそのまま信じ込み、黒い色のマーブルチョコだけ食べずに捨ててしまったのです。
それからの私はしばらくの間黒マーブルだけ捨て続ける事に疑問を憶えるようになり、黒マーブルを机の中一杯に貯めていました。
それから1年ぐらい経ったある日、ふとあのお兄ちゃんの言葉はもしや嘘だったのではと思い、1年間貯め続けたマーブルチョコを金魚の水槽へ大量投げ入れるという実験を試みたのですが、そこは金魚。みるみるうちに水槽は黒ずんでいき、金魚は仰向けになり、プカプカ浮いたさ。私は「お兄ちゃんの言葉は本当だったんだ」とますます信じたさ。
「金魚さんごめんなさい、毒を入れてしまいました。」と泣きながら庭に埋葬した私は、金魚さんに死んでお詫びをしようと考え、自ら黒マーブルを大量に服毒したのですが、死ぬはずもなく、死ねずに泣いている私の所にお兄さんがやって来たので事情を説明すると、いとも簡単に「ああ、あれウソ。」と否定。
私の黒マーブルでマインドコントロールは、金魚さんの犬死にで幕を閉じたわけですが、今でも「ひょっとしたら100万粒に1粒の割合で死ぬかも…」と思い、黒マーブルを食べれない。
(相模原・PN:月刊ピングー増刊号)
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あれは小学校2年生の頃、押しボタン信号のボタンを連射すると早く信号が変わるという、全く今思うとアホみたいな事が流行の最先端でした。
そしてこの流行に乗っ取り、大浦君が今のハドソン社長の「高橋名人よりも速く撃てるぜ!」全く見え透いた嘘を言っていたのです。
皆、マインドコントロールされていたんでしょうか。未だに大浦君はボタンを連射すると早く信号が変わる事を信じています。
(徳島県鳴門・PN:福耳)
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かなりたくさんいると思うんです。小さい頃、自動販売機の返却口を調べまくっていた人が。僕もそんな中の1人です。
初めは小遣いの足しにという感覚でしたが、段々それを当てにするようになり、お金を持たずに家を出て途中の販売機で100円ぐらい見つけ、なかったら販売機の下の隙間を調べてから駄菓子屋に行くようになっていました。
そのうちそんな僕に同胞が3人現われ、4人グループを結成しました。誰かが見つけたらそれを4等分という、平等なようで良く分からない制度まで作り、もう気分はトレジャーハンター。
その4人でいつものように探して下校していたある日、僕は500円1枚、100円2枚、50円1枚、10円2枚、合計770円をビールの販売機で見つけました。
わざわざその酒屋に入り1円単位まで崩してもらい、4等分して192円。残りの2円は見つけた僕の分で、770円も見つけたのに僕の取り分は194円。何か納得が行かず、僕はそのグループから脱退し、ソロ活動を開始しました。
『ビーボ』と書いてあった自販機のコンセントを抜いておいたら、次の日コンセントは元の状態で挿してあったのですが、たまたま返却口から100円玉が見つかり、調子に乗って何日も『抜く』『戻っている』『ない』『また抜く』『戻っている』『ない』を続けているうちに遂に店の人に見つかり、「何でこんな事するの?」と説教をくらい、「電気代の節約のためですと」言い訳をして以来、もうやらなくなりました。
(PN:フルーツドロップ)
96.3.11 放送 (第23回)
女の子なら誰でも通った道、それはリカちゃん。
中でも私のリカちゃんハマリっぷり、いや私のリカちゃんなりきりっぷりは正気の沙汰ではありませんでした。
当時金持ちだった私は、お年玉全てをつぎ込みリカちゃんを3体買い、気に入ったリカちゃんから順に良いリカちゃん、悪いリカちゃん、普通のリカちゃんと名付け、なぜか欽ドンのコント風にリカちゃんを動かしていました。
そんな事をしているうちに、私は自分も『不幸な星の下に生まれてきたリカちゃん』と名乗り、『セイントフォー』ならぬ『セイントリカちゃんズ』というグループを結成し、どこに行くにも『リカちゃんズ』と一緒でした。
しかしいつの間にか『セイントリカちゃんズ』のメンバー、普通のリカちゃんがソロ活動で王子様と結婚するなどとほざく夢まで見るようになってしまい、それが許せない私はロケット花火で普通のリカちゃんを爆破。
その一部始終を目撃していた残りのリカちゃん達の口を封じるために、良いリカちゃんを水溜まりに沈め、悪いリカちゃんを自転車で轢き、3体まとめて埋葬し自分が勝ち残ったリカちゃんになるという事で、マインドコントロールから覚めた私こと現在のスーパーモンキーズの気持ちが良く分かる今日この頃です。
(PN:月刊ピングー増刊号)
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私が小学生、あれは小学校2年の頃、燃えないゴミの中からまだ使える物を拾い、それを宝物のように思っていた時期がありました。
最初のうちは針金ハンガー(大人には見えない扉の鍵と思い込んでいた)、ねじ(43mのロボットを作るための部品だと思い込んでいた)などを拾っていたのですが、そのうちゴミ箱の周辺の物は拾っても良いルールというのが成立してしまい、植木や自転車を拾うようになっていきました。
そしてある日、友達のK君が箱、しかもファミコンソフト『ドンキーコングjr.』と印刷された箱をたくさん持ってきました。K君曰く「道に落ちていたから持ってきた」というので、僕たちは何とも思わなかったのですが、あれは立派な窃盗でした。
その日から僕たちはトレジャーハンター、今で言う蜘蛛霧仁佐右衛門一家となっていったのです。
近くの倉庫に落ちていた台車を『スーパーブルドーザー』と名付け、店先に落ちているダンボールを片っ端からスーパーブルドーザーに載せ持ち帰るという行為をしていました。
その時には何とも言えない快感とスリルがありましたが、盗みという意識は不思議な事に全くありませんでした。
この洗脳が解けたのは、K君がネスカフェのコーヒーのダンボールをスーパーブルドーザーに搭載させようとする時に店の主人に見つかり、顔面をボカンボカンと殴られ物理的にキツい顔になったのを見たからです。
あの時のお宝は学校の理科室に隠していましたが、今はどうなっているのか分かりません。
(PN:華原朋美のマネージャー with K.春樹)
96.3.4 放送 (第22回)
虫が好きな子供はたくさんいます。
昆虫博士的な純粋な虫好きと、ガチャガチャに入っていたスタンガンを小さくしたような軽い電流の流れるおもちゃで「残念だがお前は電気椅子の刑だ!」と言ってバッタやコオロギの体に電流を流せて弱らせるような、虐待的に虫が好きな人が2パターンいると思います。
僕はもちろん後者です。
ある暑い夏の昼下がりの事、僕が外で霧吹きで虹を作って遊んでいると、家の壁をアリが数匹はっている事に気が付きました。
すかさず手にある霧吹きをシャワーモードから直噴モードに替え、アリを目掛けて乱射。何度撃ち落とされても虫けらのようにはい上がって来るアリたち。
僕が悪の爽快感に浸っている所に姉ちゃん登場。本来なら「そういう遊びは止めた方がいいわよ」と来る所が、どうやら姉も僕と同じ正反対ムツゴロウだったらしく、「面白そう、あたしにもそのたけし城をやらせて。」
姉は10分ほどで飽きたのですが、僕は物足りなさを感じていました。
そして地面に穴を掘り水を溜め、手当たり次第にアリを投げ込み、泳ぎの上手いアリだけを助ける『水泳スクール』という遊びや、そのプールに細い糸を垂らし一番初めによじ登ってきたアリに『カンダダ』という名前を付け、2人目が登ってきたら「この糸は俺のもんじゃ!勝手に登ってくるでねぇ」とカンダダが言っている事にして、カンダダの目の前で糸を切るという『蜘蛛の糸ゲーム』に発展していました。
その夜、水泳の下手だったアリ達の怨念によるものか高熱を出し、夏風邪をひいてしまいました。
それ以来僕はアリの怖さを知り、アリに対して手を出さなくなりました。
代わりにトンボの羽ちぎりは始まりましたとさ。
(青森県・PN:フルーツドロップ)
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なぜあの時私は、あんなにも狂おしく彼を求めていたんだろう。彼とは、スーパーの食料品に貼ってある、値段のシールの事です。
小学校1年生の頃、何を血迷ったかこのシールを溺愛していて、サンリオのキキララちゃんのメモ帳に1枚ずつ奇麗に並べて貼っていました。
ところがこの密やかな楽しみに妹が参入してきた事で事態はエスカレートします。
シールをコレクションするという当初の目的はどっかに吹っ飛び、買い物から帰ってくる母親を玄関で待ち伏せて買い物袋を奪い合い、先を競って値段の高いシールを取ってはおでこに貼りつけ、「あんた148円?やっすーい。私398。」などと自らを商品と化したり、そのうち値段シールだけでは飽きたらず、『特売』や『広告の品』などのシールにまで手を広げてしまい、最後にはリンゴにかぶせてある変な白い網や長ネギに巻いてあるセロテープを後生大事に持っていました。
それほど夢中になっていたシール集めも、妹に勝ちたい一心から道を踏み外し、自らスーパーに出向いて片っ端からシールを剥がしている所を店員に見つかった事で、あっけない結末を迎えました。
それにしてもなぜあの時、私はあんなにもおかしくなっていたんでしょうか。やはりマインドコントロールされていたんでしょうか。
だとしたら一体、誰が何の目的で…?
(東京都葛飾・PN:ビリンダ)
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今晩は伊集院さん。早速ですが、僕もマインドコントロールされていた時期がありました。
当時中学校2年生の僕の周りはもう何が何でもガンダム。きらめく青い初夏の教室では皆その話で持ちきり。
僕のクラスでも盛り上がっており、クラスの番長格でもある僕が心でひっそり呼んでいた『ドム』こと石橋君が「皆、俺様がジオラマを作るから3日以内にガンダムのプラモを1つ以上持ってこい。」
持ってこないととてつもなく痛い目にあうため、ドム以外のクラスの皆はくじ引きで何を買うかを決めました。
僕は出来れば自分の欲しいやつが当たればいいなあと思っていました。前から引いたやつはガンタンク、ギャン、ジム、ガンキャノン、戦艦ムサイなどどうでもいいキャラクターを出し切っていたため、早速僕の番。出た物はジオングでした。
最初は「やったー」と喜んだのですが、そいつがまたとんでもないやっかいな奴で、ジオングはシャア専用ゲルググと同じぐらい入手困難。しかもその月はゲームウォッチ『、オクトパス』を買ってしまったため、お小遣いが底辺をついていました。
お金が無い事と入手困難な事を友人に相談した所、卓球部の寺田先輩にお願いするといいとの事。
早速寺田先輩に相談。献上金200円を払い、お金の稼ぎ方とプラモの入手ルートを聞き出し、家に帰り近所の家からコーラの瓶を拝借。10軒ほど探したのですが15本ぐらいしか集まらなく、一時退却。
仕方なく家に帰ると4歳の、まだガンダムの何たるかを知らない妹が待機していました。何かと思いきや「遊ぼう」と言ってきましたがそこは僕、うまく振り払い、とりあえず自分の部屋に。
後でママさんにお小遣いの前借りのことを言うと、「妹と遊んでやればお小遣いをやるざます」との事。
仕方なく妹の小聖(こせい)を連れて行き、江戸川区は鹿骨の遠藤模型に電話。
「もしもし、ジオングが欲しいんですけど。」と言うと、「それじゃですね、抱き合わせなんですけどロボダッチと戦艦ムサイ、どっちがいいですか?」とおっしゃいました。「それは何?」を言わせないばかりに「どうすんの?こっちは忙しいんだから。早くしてよ。」「えっ、ロボダッチって何?」「なくなるよ!」「えっ、じゃあムサイ。」と言ったのですが、「あごめんちょっと待って、今ムサイなくなったから。えー、ということでお待ちしてまーす。」と僕の会話はフェードアウト。電話を切ってしまいました。
僕は渋々その模型屋を妹の手を引きながらやって行きました。そこはまるで凄まじい長蛇の列。真っ昼間の午後1時、日陰なしの炎天下。
僕と妹はもうろうとなり半べそかいて立っていると、妹が「アイス買って、アイス買って」とダダをこねました。
僕は妹の手を引き、とりあえず後ろの方の順を取ってもらい、アイスを買いに出かけ安いアイス(四角いホームランバー、1本30円)を勧めたのですが、妹は「これがいい」とカネボウアイス『宝石箱』をすかさず手に取り勝手に食べてしまいました。
渋々妹の頭をぶっ叩きながらプラモデル屋に戻るとすぐにプラモデル屋に入れる状態になっていました。
おばさんに「滝沢ですけど、ジオングの予約で…」と言うと「予約連絡で50円頂きますが」と言われ、渋々プラス50円と埃の付いた抱き合わせの4個パックのロボダッチを引き換えにお金を渡した所、妹が突然胸やお腹などをさする化学反応を起こしました。
「何だ、どうしたんだ」と心配しながら聞いてみると、「どうもコアファイターのあたりが痛い」とのたまわり、店の中で唸りながらガンダムになった妹はそのままのた打ち回り、病院に運ばれて行きました。
妹の病名は古いアイスを食べての食中毒という事。
色々ゴタゴタがあり、やっと自分の部屋に戻り、やけくそにお約束のガンダムカラーを吸いながらプラモを作りました。
僕は結局600円のプラモを買うのに対しロボダッチ300円、妹のアイス100円、先輩へ200円、予約代50円、救急車に連絡した10円、合計1300円弱がかかってしまいました。
次の日、石橋君はその事が友人の田原君にチクられて先生にこっぴどく怒られ、ガンダムはそれ以降禁止になってしまいましたとさ。
(東京都足立区・PN:滝沢みない)
96.2.26 放送 (第21回)
小学校ぐらいの時って、有りもしない物が見えるじゃないですか。いや、あると思い込んでいるうちに見えるようになった…そんな記憶はありませんか?
小学校1年の時、私には透明人間が見えていました。私だけではありません。当時の仲良し、ゆきちゃん、えみちゃん、ようこちゃんを始めとする1年3組の女子の大半がこの言わば集団催眠にかかっていたのです。
事の起こりは、私たち4人の何でもない会話の中の「透明人間がいたら楽しいよね」という誰かの一言でした。
話しているうちに私たちの透明人間熱はどんどん高まり、しまいにはその熱によってこんな重病に犯されていたのです。その名も『私たちには透明人間の友達がいると思う病』。
その日から、この透明人間はアメリカ出身、9歳の男の子、リンゴが大好き、テレパシーで会話するから英語は喋れなくても平気等、各自で考えた透明人間像についての意見を交換し合い、練りに練ってとうとうジミーとチャッピーという2人の透明人間を完成させたのです。
ジミーとチャッピーのねぐらは我が家の物置に決定し、学校が引けると速攻物置前に集合。4人で開発した呪文を唱えて2人を呼び出し、4人、いや6人で日暮れまで遊び倒したものでした。
日を追うごとに私たちの病は悪化していき、2人の透明人間は学校にも顔を出すようになったのです。
例えば自習時間、何気なく窓の外を眺めて一言「あっ、ジミー来てる。」例えば体育の時間、縄跳びに引っかかって一言、「もー、チャッピーが邪魔するから。」
幸い私たちは小学校1年生。クラスの友達の反応もとても暖かく、言われる事は決まって「私にもジミーとチャッピーを紹介して。」
このように『透明人間見える病』患者は着々と増えていったのです。
しかし事件が起きました。「意地悪するから紹介してあげない」とのけ者にしていた日置さんが先生にタレ込んだのです。
主犯格の私たち4人は職員室に呼び出され「そういうウソはやめなさい」。4人とも目が覚めました。
意外とあっけない、透明人間の最後でした。
(千葉県柏・PN:ごみ)
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僕が幼稚園に通っていた頃、同い年のまさひろ君と2人で同時に悪魔のマインドコントロールにかかっていました。それは、毒作りです。
初めはかわいい物で、缶の中に水や虫、草花を入れて混ぜる程度の物でしたが、火の技術を覚えてからかなり本格的に虜になっていきました。
油を持ってきて虫を炒め、そこにおしっこを注いでグツグツ煮るともう魔法使いのおばあさん以上の悪心地。
それからボヤ騒ぎを起こして火を使う事を禁じられましたが、毒への情熱は増すばかりでした。
そしてそれは行きつく所まで行ってしまうのです。
僕たちの中で最高の毒の素材はおしっこだったのですが、他に何かないかと考えていると、まさひろ君が変わった色、臭いの液体を持ってきました。
この2つの液体をメインにした毒は今までの毒とはちょっと違う物でした。その毒を虫にかけると本当に弱っていくのです。
その直後、それが農薬である事が親達にバレ、毒作り永久禁止命令が出るまで、2人は本当の毒を作ったという感動でいっぱいでした。
親には1リットル瓶に一杯入った毒の隠し場所を泣きながら黙秘し、それから時々過去の栄光を眺めて楽しんでいました。
(秋田県・PN:ゲーリーヒッピー)
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皆さん、僕のミニ四駆に酔いしれていた頃の話を聞いて下さい。
当時小学校4年生だった僕は連日連夜、参考文献である所のコロコロコミックを読みながらいかに速く、カッコ良くなるかを研究していました。
当時の1ヶ月の研究費用は僕の一月のお小遣いの2倍から3倍。足りない分はおじいちゃんの財布からでした。
ミニ四駆に乗れそうな気がしてきた最盛期には、女の子がぬいぐるみと一緒に寝るようにミニ四駆のバンパー部分を頭に見立てまくらの上に置いてやり、ボディには寝冷えをしないように布団をかぶせてやって一緒に寝たり、モーター音がミニ四駆がしゃべってるように聞こえたりしてしました。
更に当時ミニ四駆を題材にした漫画の中のセリフに「ミニ四駆はおもちゃじゃない」というものがあり、そのセリフに僕もいたく感動を受け、親に「この車のおもちゃはお前のか?」と言われた時には真剣に腹が立ち、親の車のボンネットに油性ペンで「これはおもちゃ」と書くほどミニ四駆に忠誠を誓っていました。
しかしある日、兄の「でもミニ四駆って曲がらねぇんだろ?」というセリフに僕はハッとしました。
「乗れない!」
そして1年半もの間ずっと抜け出せなかったバミューダミニ四駆地帯から抜け出す事ができました。
その日以来コロコロコミックはまとめてどこかへ消え、ミニ四駆の全ての部品はなぜかイチコキャンディーでべとべとになっていたおもちゃ箱に放り入れられていました。
あんなに忠誠を誓っていたはずのミニ四駆を、どうして「曲がれない」という本人も分かっていたはずの事を指摘されただけで裏切ってしまったのか、未だに不思議です。
(青森県・PN:フルーツドロップ)