13、戦国路での迷走「ギ・ギィ〜・・・」自動的に開いたマシンの扉は、いつもと違う鈍い音がした。 それは湿気の含んだ生暖かい外気が、そうさせるのか。 その空気の流れが、感触として天柿の頬に伝わる。 天柿は戦国の地へ踏み出す前にマシンから顔を出し、左右を見渡した。 し〜んと静まりかえり、生い茂った雑草が時より風でさざ波く程度だ。 人の気配が感じられないのを確認した天柿は、マシンのステップを降り、手を差し出された莉恵も後に続いて降りた。 雑草をかき分け少し進むと、古く今にも倒壊しそうな、比較的大きな建物があるではないか。 よく見ると、どうやらお寺のようだ。 正面、上の汚れた扁額には『足利寺』(アシカガテラ)と読める文字が掲げてある。 寺は人が住んでいる気配がなく、長年の風雨で廃虚の場となっているようだ。 「足利寺?・・う〜ん、どこかで聞いたことのある名前だな・・・」 天柿は、中学、高校での歴史の勉強を、断片的に思い出そうとしていた。 「そうか、確か・・室町幕府を興した『足利 尊氏』が造った寺なのかな・・」 よく分からないが、ただ『足利寺』という名なので、ふと、そう感じたのであるが、この後、十五代まで続いた足利一族が織田信長により滅亡させられた歴史の事実を思い出すと、改めて、信長の領地に降り立ったことに恐怖を覚えた。 天柿は、現在の位置はどの辺なのか、マシンから持ってきた機器(リサーチQ)で座標をチェックしてみた。 そして、2000年の地図を当てはめると、設定より大幅に北北西にずれ、どうやら岐阜と近江の間に降り立ったらしい。 さほど広くない寺の境内に出た二人は、さて、これからどうするか思案した。 「天柿さん、これからどちらの方へ行きましょうか?」 莉恵は、博士の真相とかを知るために戦国時代に来てはみたが、どうやって確かめるべきか思いつかないでいた。 それは、天柿も同じであった。 これといった策などありやしないし、少し考えてから開き直ったように莉恵に言った。 「莉恵さん心配しないで、必ず真相は見つかります。 私達がこの戦国路を走破することにより分かるのであり、その手掛かりは向こうからやって来ます」 確かにじっとしていても、なにも得られないのであり、とりあえず知る可能性の高い政治を司る地、京の都を目指すことにした。 寺の軒下に発信器を置き、それを雑草で覆い隠し、周りの風景を確認して、一本の太く大きな杉の木を寺のある目印とした。 けもの道のような丘の雑草地を抜けると、どこかの街道のような所に出た。 そこは三叉路になっていたが、迷わず二人は西に向かい歩き出した。 街道といっても、田んぼに囲まれた少し広いあぜ道といったところ。 さすがに、道中、何人かの人々と行き交う。 大きな包みを背負い歩く商人風、着物の裾を腰まで上げ、馬を引いた百姓風、また槍であろうか、それを肩に担ぎ歩く数人の足軽(下級武士)達などだ。 一見、のどかにも見える光景であるが、二人は常に気を引き締め歩いていた。 すれ違う人々は、いずれも天柿、莉恵の二人を不思議そうな眼差しで見つめる。 一応、この時代に合う服装をしてはみたが、やはりどこか違うように思えるのか、必ずといっていいほど、振り返って二人を見ている。 リュックも、それと分からず風呂敷で包んでるかのように背負っているが・・。 一時間も歩いたろうか。 すると、前方に風になびいている旗と、小さな小屋が見えてきた。 近づいてみると、掲げてある旗とノレンには『寄り道茶房』と描かれているではないか。 どうやら、現代でいう喫茶店らしい。 さて、江戸時代なら各宿場間の街道の途中に『追分茶屋』みたいのがあったと、歴史の書物などで分かってはいたが、この乱世の戦国時代にも簡単に目につくなんて、天柿は思いもしなかった。 でも、これは戦国の世でも、美濃、尾張地域は剛将、織田信長が支配しているからこそ、ある意味で治安も統制されているので、それがあるのだと感じた。 二人は少し『寄り道茶房』で休むことにした。 「寄り道茶房なんて、なんか現代風のしゃれた名前だし、この時代は確かお茶は高級品で、下級武士とか一般農民なんて、とてもたしなむことはできないはずだけど、ここは名前のとおり本当にお茶が飲めるのかなぁ・・」 天柿はノレンを眺めながら、勉強した歴史の事実に疑問を感じた。 縁台に腰を下ろし一息ついていると、小屋の中から農民らしき男が出てきて、二人の身体全体を上から下まで異様な目で見つめるではないか。 「あっ、どうも・・お邪魔してます。 少し休ませてもらってます」 喋ってから、天柿はしまったと思ったが、どうしても言葉が現代風になってしまう。 まあ、喋りの癖は、意識してもしょうがないので、無理にこの時代に合わすこともないと思った。 男は返事もせず、ただ足下を不思議そうに見ていたが、一歩後ずさりをすると警戒するかのように身構える姿勢で話しかけてきた。 「お前さん達は何処から来たのじゃ・・この辺の土地の者ではないな」 「えっ!、私たちですか?。え・え〜と、名古屋・・あっ、いやいや・・尾張の国から来たのじゃ」 いきなり予期しない言葉をかけられた天柿は、慌ててつい戦国時代と20世紀の混同した喋りになってしまった。 「尾張?・・ふ〜ん・・」 男は怪しむかのような眼差しで見ている。 「あのう〜・・お茶なんですけど、本当にあるんですか?・・・」 恐る恐る聞いてみた天柿だが、男は質問を遮るように逆に質問してきた。 「さっきから不思議と思っているのじゃが、お前さんたちの履き物は見慣れない物じゃが・何かの新しい足袋(タビ)なのかのう?」 男に言われて天柿は初めて気がついた。 そうなのだ、すっかり忘れていたのだ。 上下、着ている服は戦国時代の格好でも、二人の履いていたのはナイキのスニーカーだったのだ。 「そうか・・、これは何で気がつかなかったんだろう・・この時代は草鞋(ワラジ)だよなぁ・・・」 天柿は、自分の足元を見ながら、何か罰悪そうにつぶやいた。 準備万端のつもりだったが、危険な時代であるため、きっと動きやすい履き物、・・つまりスニーカーを無意識に購入してしたのであり、天柿にはそこまで考える余裕がなかったのであろう。 「えっ!足袋?、そ・そう・・これは新しい足袋です・・・あ・あのう尾張の港に南蛮船が来たとき、手に入れたのですよ・・」 「尾張の港?・・・で、南蛮船じゃと・・」 男は、疑いのある目つきで二人を睨む。 天柿は、ふと思ったが今の時代、尾張ではすでに港があり、外国と交易していたのだろうかと疑問に思った。 「単なる漁村といったのは、あるかも知れないけど・・港があったなんて聞いたことないよなぁ・・・」 歴史の勉強では、大阪の堺港では交易があったと知ってはいたが、名古屋となると、はたして開港の事実があったのか思い出せないでいた。 幸いにも、男も尾張の開港、交易に関して分からないようで、少し警戒を解く表情になってきた。 「お前さんたちは、これから何処へ向かうのじゃ・・・」 「え〜と、京の都へ行くのですが・・」 「ふ〜ん・・、それでお茶をたしなみたいというのか?」 「えっ、お茶・・本当にあるんですか、戴けるのなら是非とも」 「それじゃ、しばらく待っていなされ・・・」 天柿は、まさかと思ってはいたが、この時代、いわゆる一般庶民でも簡単に、お茶が飲めるとなると歴史の事実の考えを変えないといけない・・と感じていた。 「どういったお茶が出てくるのかな・・、あの本格的な野点(のだて)で飲む、ドロっとした 茶かなぁ・・」 天柿は、会社の出張で京都に行った時、野点の作法でお茶を飲んだ経験があり、多分、そんな感じのにがい味を想像していた。 天柿も緊張が解けたのか、背負っていたリュックを下ろし周囲を見回すと、『寄り道茶房』の旗が、快い風に吹かれている光景、 緑一色の周りの樹木の枝がなびいている自然の風景を見ると、この場所が20世紀の片田舎と何ら変わらない、のどかで平和な時代にいる・・、そんな錯覚を覚えた。 しばらく待っていると、なんと年の頃15、6歳ぐらいの娘が茶を持ってきたではないか。 聞いてみるとどうやら男の娘らしい。 天柿は、もっと尋ねようとしたが、娘は恥ずかしそうに、店の奥にすぐ戻ってしまった。 さて、二人は出されたお茶を試飲でもするかのように、口に含み味を確かめ、喉に運んだ。 すると二人の表情は一変した。 「こ・この味はなんだ・・・」 それは、見た目は20世紀と変わらないが、今まで味わったことのない、美味しい茶に驚いたのだ。 「莉恵さんどうです・・どんな味がします」 「そうですね、私の世界にもない味わいですわ・・・紅茶とも違う・・何か新しい種類の高貴な味、香りがしますわ」 歴史の勉強でも習ったことのないこの時代に、 いったいどうしてこのような茶が栽培されているのだろうか、それとも舶来品なのか、不思議に思った天柿は男に聞いてみた。 「いやぁ、美味しいお茶ですねぇ・・ところで、これはどの地域で栽培しているのですか?」 「この茶か?・・わしらが仲間と一緒に近江で作っておるのじゃ・・・」 天柿は、現代では静岡、狭山とかお茶どころは知っていたが、関西近くでは聞いたことがなく、当時・・いや今の時代、この地方で採れる土壌に適していたのだろう・・と思った。 男は話を続けるか、一瞬戸惑った表情を見せたが、天柿たち二人に敵がい心がないとみて安心したのか、もう一つの縁台に腰掛け、さらに説明を始めた。 「それは10年ほど前かな・・、当時は数年にわたり悪い天候が続き農作物が不作でな、困ったわしらは別な土地に移住を考えていたとき、この地の大名『菱川 竹之進』様から舶来の茶の苗木を戴き植えたのじゃ・・すると、わしらの丹誠込めた育てあげた苗木が、今では立派な茶畑になったという訳じゃよ・・・」 天柿には、男のゆっくり話す言葉の端々に、大事に育てあげたという苦労が計り知れた。 「そうだったのですか・・でも、どうして街道に『寄り道茶房』という茶屋を出すに至ったのですか・・・この時代・・いや、この世は物騒で危険であると思いますが・・」 「いや、この地は一部を除いて安心じゃよ・・、わしらは丹誠込めた茶をある日、信長様に献上することになってなぁ・・すると信長様は大いにお喜びなさって、 菱川様に近江と岐阜にまたがる北側の5万国の蔵入地(くらいりち・領主直轄の領地)を割譲され、わしらには安心して茶栽培に精を出すよう任されておるのじゃ・・・で、お情け深い菱川様の発案で、この街道を通る国衆(大名に仕える武士や土豪)や、商人などすべての人々に茶を振る舞うよう言われてなぁ・・・」 男の感慨深いような言葉に、天柿はきっと、この地域の背後には信長の強い威厳があるからこそ、安全に店を構えていられるのだろうと思った。 男はセキを切ったように、さらに話しを続けた。 「この菱川様の一般庶民にも分け隔てなく、とった善行に対しても信長様は偉く感心してのぉ・・、今じゃ信長様の組下(信長のすぐ下の配下)になっておられるのじゃ」 天柿はこの『菱川 竹之進』(ヒシカワ タケノシン)たる名前なんて、歴史の書物でも聞いたことがないが、結構この地域では有名な武将であったのだなと感じた。 だが、それよりも問題なのは、信長にまつわる一連のお茶に関して事実を、歴史の教科書にでも追加した方がよいのではと思った。 「どれ、もう一杯どうかね」 男がさらに茶を勧めるのはいいが、天柿は、その対価としてどうすればいいのか、チラッと頭をかすめた。 だいいち、お金など払おうにも何も用意して来なかったし・・、そのことに不安に感じた天柿だが、かって学んだ歴史教科書のページを必死に思い出そうとしていると、実はこの時代は、まだ明確な貨幣など流通してないとはずだと分かった。 でも、お礼だけでは済まないし、もしその際は、20世紀から持って来た品物を差し出せば何とかなると踏んだのである。 再び男の娘がお茶を運んで来ると、今度は莉恵が娘に話しかけた。 「お父様のお手伝いをしているのですか?・・」 娘は人見知りするように、口を開いた。 「うんだ、お父(オトウ)の手伝ってるだ」 はにかむような仕種をまじえ答えた。 「そうなのですか。まだお若いのに偉いですわね・・辛くはないですか?」 「そんなことねえだ。 お茶さ皆に飲んでもらい嬉しいだ」 それは、頬を赤くした素朴で、純粋無垢さを感じる娘だ。 天柿は、こんな純真さを漂う娘は2000年の現代ではもう見かけない時代になっていると思った 天柿は、莉恵との会話のやりとりを、汚れの知らない透きとおった瞳で娘が懸命に答える姿を見ていると、どこかで一度、会ったことあるような気がしたのである。 少し考えると、それはすぐ思い出した。 あの仙台の質屋に寄った時の女店員だったのだ。 「よく見ると似ているよなぁ・・まるで、一緒にタムスリップしてこの時代に来たみたいだ・・・」 天柿は感心するかのようにつぶやいた。 すると天柿の脳裏には、自分の娘の顔が思い浮かんできた。 まだ赤ん坊の時の顔しか知らないが、今は質屋の店員と茶屋の娘を420年の時の流れを超え、想い重ね合わせるのだった。 そして、一度でいいから、遠くからでもそっと、成長した自分の娘を見て見たいという衝動にかられるのだった。 「この時代の茶屋の娘は幸せなんだろうか・・許されるならマシンで2000年の世界に連れて行きたい・・・そして、この戦国時代よりとてつもないほどの便利で、快適な素晴らしい世界を案内してあげたい・・」 それは、父親として何もしてあげられなかった悔恨の念から、罪滅ぼしとして、せめて自分の子とダブって見える茶屋の娘に、そうさせてあげたいと思うのだった。 ふと腕時計を見ると30分が経っていた。 ゆっくり出来る旅でもないので、立ち去る準備を整えていると、男が驚きの声で質問してきた。 「お前さんた方は、『織田や』の商いさん達か?・・」 えっ・・と思った天柿だったが、リュックを背負おうと後ろ向きになったとき、半てんの屋号を見て言ったのだなと思った。 「は・はい・・、そ・そうです。 あ・あの商いの品物を運んでいます・・・」 とっさに出た言葉に慌てたのか、天柿はどもってしまった。 「あのぉ、ところで、お茶をご馳走になったお礼として、少しばかりですが・・・」 天柿は、再びリュックを下ろすと中から2、3の品物を無造作に取り、男に渡した。 すると男は見たこともない品物を手に取り、まるで宝物でも触るように凝視しているではないか。 天柿が差し出したのは、湯を沸かすであろう火元にチャッカマン、茶菓子としてちょうどよい、天柿の好きなかりん糖、それにインスタントカレーだ。 男にそれぞれ用途を説明すると、不思議な顔をしながら言った。 「織田や・・さんの商いというのは、舶来品の品物も扱っておるのかな・・確か、衣料の物々交換をする店と聞いているのじゃが・・・」 「えっ、そうですけど・・あ・新しい商いもすることになったんで・・・」 天柿は、その場をうまく取りつくろったが、この時代に確かに『織田や』が商いをしているということに、仙台の質屋の老人が言ってたことは、本当な話であったんだと思った。 莉恵も娘に菓子のチョコポッキーと自身が持っていた化粧鏡を渡した。 娘は自分が映る鏡に、顔の表情を和らげたり、こわばらしたり見てから、莉恵に向かってにっこり微笑んだ。 それは何ともいえない可愛らしい表情だった。 「あ・ありがとう・・ごぜぇますだ・・」 娘はよほど嬉しかったのか、何度も礼を言って、懐に大事そうにしまうと、道ばたに生えていた一輪のかすみ草の花を摘んで、莉恵に差し出すのだった。 「わぁ、綺麗なお花だわ、ありがとうね・・・私は莉恵というの・・あなたのお名前はなんと呼ぶのかしら」 「お・おらは、かよ・・・『おかよ』と呼ぶだ・・・」 「お・か・よ・・さんね、本当にありがとう。 おかよさんのこと忘れないわ・・・」 男も天柿に礼を言うと、心配そうに言った。 「これから京の都に行くには近江峠を越さねばならぬが、その峠に最近、盗すっ人が出るという噂じゃ、どうか気を付けて行かれよ・・」 天柿は、男の言葉に不安を抱いたが、暗くならぬうち峠を越えれば大丈夫だと考えていた。そして、立ち去る準備を整えていると、茶屋の男は迷いを振り払うような表情をして言うのだった。 「最初、見たときから感じておったのじゃが・・・お前さんは本当に信長様とそっくりじゃのう・・・」 「えっ?・・そうですか・・・」 天柿は少し驚いたが、実は男は、茶を初めて信長に献上したとき、菱川竹之進と共に一度、接見したことがあるのだ。 この言葉に天柿は意に介さないでいたが、これが後(のち)に、自身に関わる重大な秘密が判明する最初のきっかけになるとは、思いもしないのであった。 「では、ご馳走様でした。 これからも、元気で茶摘みされますよう・・」 「お前さん達も、元気でな・・」 二人は再び歩き出した。 後ろを振り返ると、娘はいつまでも手を振っている。 それに呼応するかのように、莉恵も懸命に手を振り返す。 その娘の姿が、遠く小さくなっても手を振り続けているのが分かる。 すると、莉恵の表情に異変を感じてきたのを天柿は察した。 天柿は、悟られないよう莉恵の顔を横目で見ると、なんと彼女は目に涙を一杯貯めてるいるではないか。 これに驚いた天柿は、声をかけまいか迷ったが、やはり心配になったので聞いてみた。 「莉恵さん・・どうしたのですか?・・だ・大丈夫ですか・・・」 莉恵は涙がこぼれるのを必死にこらえようとしているのか、すぐ返事はなかった。 天柿は、後ろを振り返ってみると、もう視界には男と娘の姿はなかった。 「どうしてこんなに悲しくなるのでしょう・・私にも分からないわ・・・」 莉恵は涙を拭いポツリと言った。 天柿は、彼女の悲しむ気持ちが、だんだん分かってきた。 それは、見知らぬ世界に来ての不安と、孤独の中で、仲居と茶屋の娘と親しくなる前のすぐの別れに対し、せめてこの出会いが、自分の住んでいる世界であったならば、再び会うことができる・・、そういった必然的なはかない運命に、きっと悲しんでいて、さらに娘には、自分の可愛い妹のような気がしたのだろう。 街道に沿って続いていた田んぼの風景が、野菜畑に変わってくると、小高い山並みへと道が延びていた。 その道沿いには、今にも花開こうとしている季節の草花がずっと続いている。 ときより、農民たちが畑の雑草を取り除いている姿が見受けられる。 二人は近江峠の上り坂に入った。京へ目指す最大の難関でもあるが、緩やかな坂であるため、歩くにはそんなに苦にならない。 といっても二人は、今回のような長い距離を歩いた経験がなく、さすがに休み休み歩いていた。 「こんな峠だって、車だったら楽なのになぁ」 天柿は、大型荷物も運べるマシンに、車でも積んでくればよかったと、あながち冗談ではなく本気に思い始めていた。 しかし、道は車の通れるほどの幅はないのを天柿は気がつかない。 やはり、疲労がこみ上げてきているのだろうか。 二人は途中、道に落ちていた木の枝を、杖代わりにして歩いていた。 やがて、前方に視界が開けてくると、まもなく峠の頂上であった。 そこは、広い雑草地になっており、眺めもよく休憩する場所にはちょうどよい、大木が横たわってあった。 二人はそこに腰掛けると、持ってきたペットボトルの水を飲み一息ついた。 その座っている場所からは、周囲270度ぐらいの景観が見渡せる。 山々は初夏の太陽を受け、樹木の葉が大きく生長して緑が増している。 遠く眼下に見えるのは、琵琶湖の一部分だろうか・・・。 腰掛けているすぐ下は緩やかな傾斜地になっており、比較的大きな柿の木が十数本、間隔が広く立ち空に伸びている。 天柿は、しばらくその一点を眺めていると、ふと何処かで見覚えがあるような景観がしてきたのである。 それは、今、大木に座っている位置を真ん中にして、両横に広がって並んである柿の木、そしてその三角点の先に見える湖の景色・・・、また、こうして景色を眺めている、今の自分の置かれた状況が、かって同じような体験をしたことが、脳裏にかすかに浮かんできたのである。 「あれ、なぜだろう?、こうして誰かと一緒に、この景色を眺めていたことがある・・誰だか分からないが、幼い女の子だったような気がする・・・」 天柿は再び、自分が生まれ育った経緯ををたどってみた。 すると、はっきりと自分の過去を思い出せるのは、中学に入ってからで、それ以前の小学生、幼稚園の幼いときの記憶がない。 いつもは幼い頃、転んで頭でも打って記憶をなくしたぐらいにしか考えていなかったが、今まで頭を打った傷跡もないし、親からも聞いたこともない・・・、なぜ、覚えていないのか、天柿はさらに、目に見えない糸を探るように記憶をたどっていくのだった。 「この場所の夢も見たこともないから・・既視体験でもないよなぁ・・・でも、ここは一度、来て見たことある風景だ・・・」 すると、目の前の柿の木から芽の花が一つ、強い風に吹かれファっと空に舞い上がった。 その花が天柿に向かって吹きつけると、身体が震えてくるような、一瞬の寒気を感じると、おぼろげだった記憶が少し、蘇ってきたのだ。 「お・同じだ!この状景も、この場面もかって体験したことがある」 そうなのだ。 なんと天柿は、幼い頃、よくこの場所で、何人かの子供たちと走り回って遊び、木に登り柿を取り食べたりしたこともが、ぼんやりとだが思い出されてきたのである。このことは天柿にとって衝撃的だった。 もし、それが事実であるならば、自分の生い立ちが根底から覆ってくるのだ。 「すると、この私は・・戦国時代の人間であったということなのか!・・・」 天柿は絶望に打ち拉がれるように頭を抱えた。 莉恵は、天柿の異変に気づき心配そうに尋ねた。 「天柿さん、どうしたのですか?。だ・大丈夫ですか」 天柿は、腹の底から声を絞り出すようにして、答えた。 「莉恵さん、驚かないでください・・・。 わ・私は・・本当は2000年の人間でなく、こ・ここの人間、いや・・もともと、この戦国時代の人間なのかも知れません・・」 「えぇ!、そ・そんなぁ!・・ど・どうしてですか?」 天柿の信じられないような言葉に、莉恵はそれは驚いたのだ。 「莉恵さん、私はこの場所に何度か来たことがあるんです。 夢・・夢で見たのではありません・・それは、子供の頃ですけど・・・それで、同じ子供たちとこの草原を走り回り、ほら・・そこにある柿の木にも登ったり、遊んだりしてたんですよ・・・そして、今こうして莉恵さんと座って景色を見ている姿が、同じなんです・・きっと、当時の女の子と一緒に座って見ていたのでしょう」 それは、莉恵にとって余りにも唐突なことであり、天柿の思い違いであると、初めはそう感じた。 しかし、落ち着いて考えてみると、岩森博士が言う、天柿の過去を変えてしまったという言葉、そして自分がよく戦国時代の夢を見ることが、まさしく探し追い求めていた“秘密”であり、それは、彼の言うとおり戦国時代の人間であった・・・と、そう思えてきた。 「天柿さんの秘密が、戦国時代の人だったなんて・・・」 莉恵は、そう納得はしてみたが、まだ釈然としない所があるので問いただした。 「じゃぁ、もし天柿さんが、戦国時代の人だとしたら、どうして20世紀の世界で暮らすようになったのです?」 「たぶん、岩森博士でしょう・・・博士が私を連れて来たんだと思います・・」 「タイムマシンで・・ですか?」 「ええ、そうだと思います・・」 「でも、その頃からタイムマシンは博士によって発明されていたのですか?」 「少なくとも、初期のマシンは存在したと思います。・・そうでなければ、どうして私が戦国の世から20世紀の世界に来れたと思います?。 仮に、当時いくら科学技術が発達した乗物があったとしても、400年後余の世界に来れる訳がない・・それは、2000年でも、今の莉恵さんの世界でもそんな乗物はありません・・・唯一、あるとしたら博士が造ったタイムマシンしかありません」 天柿の説得力ある説明に、莉恵は確かにマシンに乗って戦国時代から、20世紀にやって来たということは納得できたが、では、なぜ20世紀なのか、どうして博士が天柿を連れて来る理由があったのか、理解できないでいた。 「そうであるならば、なぜ天柿さんを20世紀に連れて来たのでしょう?・・博士の住んでいる2300年、いや私の2500年の世界でもよかったのでは・・・また、なぜ博士がマシンで、わざわざ戦国時代に来ることを選んだのでしょうか?・・」 「なぜ20世紀か?・・なぜ戦国時代だと言われても、それは私にも分かりません・・・直接、博士に聞いてみないことには・・」 天柿は懸命に考えた。 なぜ、博士がマシンで戦国時代にやって来たのか。 だが、いくら考えても思い当たるふしがなかった。 そこで天柿は、仮説を立ててみた。 「まず、理由は定かではないが、何かのトラブルでマシンが降り立った時代が、初めは戦国時代であることさえ博士は知らなかった。 そこで、どの時代か調べていたところ、何かの間違いで、20世紀に戻るときこの私を連れて来てしまった。 なぜ連れて来たのかは博士に聞いてみないと分からないが、次に20世紀の世界に降り立ったときには、再び私の時代・・つまり、戦国時代に戻ることはできないでいた。 それで、私はとりあえずその時代で生活をさせられることになった。 記憶がはっきりする、14歳頃に、老婆からもらったメッセージは2000年になると、それが解決できる博士からのシグナルであった。 つまり、博士がマシンを造りあげた当初は、まだ不備があり、目指す時代に自由に行ったり、戻ったり出来なかった。 戦国時代に来てしまったのも、トラブルで着いたのであり、戻ったのも目指していた時代ではなく、偶然20世紀の中期に来てしまった。 しかし、完全なマシンを造るためには、ちょうどよい環境の世界だった。 博士は、閑静な松島に住み研究を重ね、完全なマシンを完成させた。 その頃から、私と莉恵さんに、それとなく夢で伝達した。 私はメッセージのとおり、松島にやって来て博士と会った。 そして、タイムマシンを譲り受けた。 それは、博士が何らかの理由で、戦国時代の人間であった、この私の過去と人生を変えてしまった罪滅ぼしから、自分の意志で、自分の本当の世界に戻って生活をしてもらいたい・・と、マシンをこの私に与えてくれた・・・ということだと思う」 天柿の理路整然と思える説明に、莉恵は黙って聞いていた。 「なるほど・・天柿さんの言うとうりかも知れません・・・しかし、どうして天柿さんの戦国時代の少年期までの記憶はないのでしょうか・・」 天柿は視線を空に向けると、かって見上げた時と同じような薄雲が帯のように流れている。 そして、雲の切れ目から陽がさすと、手の平を眩しさを遮るように額に当てながら、莉恵の的を得た質問に、想像するのだった。 「これも仮説ですが・・20世紀の見たこともない驚愕の世界に、激しい心因的ショックを受け、いわゆる記憶喪失になったか、博士が私の記憶を意識的に消し去ったか、どちらかの要因だと思います・・・また、我々がこの地に降り立ったのも偶然ではなく、ある程度、計算されたもので、私の記憶を自身で取り戻してもらおうと、あらかじめ博士が私と出会った場所の着陸地点を、マシンのコンピュータに組み込ませていたのではないかと・・そういう気がします。 目的地が現代の名古屋付近に設定したのが大幅にずれているのからして、まず間違いないでしょう・・通常、設定しての着陸の誤差は最大でも20キロ以内のはずですから・・」 「それじゃ・・博士がトラブルで当然、最初この地に降り立った・・と言うことですね・・・そして、天柿さんを20世紀に連れて来たと・・・」 「そういう事です。 なぜ、私を連れて来たのか・・それは謎ですが」 仮説を聞いた莉恵は、だんだん天柿が戦国時代の人間だったということが、心の底から実感してくるのであった。 そして、意外にも早く秘密であった、彼の一部分の真相が判明したので、この時代での目的は済んだのではと思った。 「では、これからもっと詳しい真相を知るためにも、岩森博士を捜しすことに専念した方がいいのでは・・、天柿さんの秘密が判明して、戦国時代での目的が一応、達成できたと思うので、危険な時代から一刻も早く去り、2000年に戻って、今後の策を練った方が・・・・」 「いや、真相はまだ解明されていません。・・私がこの時代の何処の誰であったか・・ということです。 これは博士に聞いても知らないことでしょう。 今、戻ると永遠に私の出生の真相が分からなくなります。 莉恵さん、もう少しの間、この戦国時代にお共してくれませんか・・・」 「分かりましたわ・・」 少し考えた莉恵だが、確かにこの戦国時代での生い立ちと、記憶がない少年期までの歩みを知りたいという、天柿の気持ちが理解できるので、従うことにした。 「それでは、莉恵さん・・暗くなる前に峠を下りましょう」 二人は、歩を早め麓を目指した。 天柿は、まず間違いなく自分が戦国時代の人間であるということに、かなりショックを受けていた。 今までの20世紀での生活はいったい何だったのか、せっかく苦労して築けあげた来た自身の歩みは偽りの人生だったのか・・・。 そして、戦国での生い立ち、家柄、自分はいったい誰なのか・・また、20世紀での育った環境、お互いの時代の自分の両親はいったい誰なのか?・・・と天柿は頭の中が混乱してきた。 確かに莉恵のいうとおり、戦国時代にあまり長く滞在する事は危険を伴う、すぐにも自分の詳しい真相を調べ、この時代から一刻も早く立ち去らなければならないと感じていた。 峠の下り坂は二人にとって、背中のリュックの重さも余り感じず、軽快に思うほど歩を進めていた。 ほどなくして、生い茂った木々の枝葉が覆い、まるで大きな洞窟のように続く道にさしかかった。 太陽の明かりが遮られ、まだ昼間だというのに、夕闇のように暗い。 近くに水辺があるのか、蛙の鳴き声、鳥や虫の鳴き声が密集した木々に異様に反響する。 その泣き声は快いどころか、暗く木々に囲まれているせいか、薄気味悪さえ覚える。 二人は、この場所からいち早く通り抜けたい気持ちがしたのか、自然と小走りになった。 すると、天柿には二人の走る息づかいのほかに、別人の息づかいと、誰かに監視されているような視線を感じた。 少し不安に思い、周りを見回したが、人のいる気配がないので、気のせいかと思ってたら、今度はカラスの鳴き声がしてきた。 そして、100メートル近く続く道を抜けようとした時だった。 数羽のカラスが激しい異様な鳴き声を発して、勢いよく空に飛び立ったかと思うと、道両側の笹やぶが激しく揺れ、同時に数人の黒装束の男たちが飛び出して来たのだ。 二人は条件反射的に来た道を戻ろうとしたが、後ろにも男たちがいて、逃がさんとばかり睨みつけているではないか。 男たちは腰に刀をさげ、ある者は鎖のついたカマをを体に巻きつけている。 天柿はすぐ茶屋の男が言っていた盗賊に違いないと思い、下手に逃げ出して刺激を与えない方が賢明だと感じ、莉恵にも落ち着くよう言った。 「莉恵さん、心配しないで・・ここは私に任してください」 天柿は、莉恵の盾になるかのように身体を前にして守り、今に襲いかかろうとする男たちを制して言った。 「やあぁ、皆様方・・ご苦労様です。 今日はえらいいい天気ですな・・ところで、京へ行くにはこの道でよろしいのかな・・」 天柿はわざとらしく明るく振る舞った。 それに、気勢をそがれたのか、男たちの殺気が薄らいだ。 すると、集団のリーダーらしき男が前に歩み出て、天柿を凝視するかのように言った。 「お前達は何処から来たのじゃ・・」 「へぇ、尾張から来て、商いの荷を運んでいる途中でございます」 「商いの荷を?、う〜ん・・それで、京まで行くというのか・・・」 「さようでございます・・・」 どうやらリーダーの男は、天柿の冷静で落ち着いた態度と、半てんにある『織田や』の文字も確認したのか、信長の息のかかった商人なのかと感じ、略奪するのを躊躇しているようだ。 そして男は、サブリーダらしき男を呼び、何かヒソヒソ話しあうのだった。 天柿には何の話しか分かっていたので、彼らが迷っているうち動いた方がよいと考えた。 「では、私たち急ぎますので・・・」 天柿は、かまわず集団の男たちの列を振り解き歩こうとした。 「ま・待てい!」リーダーの鋭い怒号がした。 この声に天柿は、逃げれないと察し、開き直るかのように男に言った。 「そうそう親分様、今、運んでいる品物には舶来の酒があるのですよ・・ひとつ、味だけでもたしなめてみませんか・・・」 すると男は、舶来品の酒という言葉に興味を持ったのか、飢えているかのように、ゴクリと喉を鳴らし天柿に聞いてきた。 「なに、舶来の酒だと・・・」 「さようでございます。 それはもう美味であり、是非、一度お味を召されたらいかがかと・・」 少し考えたリーダーの男だが、周りの男たちにも顎をしゃくるように、同意する命令を下した。 「それじゃ、その舶来の酒というのを味わおうじゃないか・・」 「分かりました。では酒盛りできるような場所はこの辺にありませんかな・・」 「よし、じゃ・・俺たちについて来い」 天柿と莉恵は、いわれるままついて行ったのだが、男達は逃げれないよう二人を囲むように歩いている。 しかし、天柿にとってここまでは予定通りの行動だったのだ。 実は、天柿が音無しく男たちに従ったのも、あらかじめ盗賊に出会った場合に秘策を考えていたのだ。 それは、捕まった場合は酒や煙草を持てなし、酔って油断している所を逃げ出そうという計画だったのだ。 「お前たちは『織田や』の者か・・」 リーダーの男は、本当に商いで旅をしているのか、確かめるような目つきで聞いていきた。 「へぇ、そうでございます」 「どうして、織田やが酒の商いをしているのか・・織田やは呉服の商いをしておると聞くが・・・」 いぶかうような目で、茶屋の男と同じ質問をしてきたので、天柿はこの頃から『織田や』の名は、この地域では知れ渡っていたのだと感じた。 「はい、この度、菱川 竹之進様からの命を受けまして、信長殿に献上するために運んでいるのでございます」 「なに!信長殿だと・・」 天柿のとっさに出た嘘に、男は驚きの表情を示し、やはり信長の息がかかっている二人なのかと思ったようだ。 また、菱川竹之進の名を出したことにも、男たちに納得させる一つの要因となった感じだ。 竹林の中を少し歩くと、古びた小さな小屋に着いた。 盗賊たちは、この場所を拠点として、旅人を襲っているのだろうか・・・。 盗賊たちは、天柿の言った信長の言葉に、やはり恐れを抱いているようだ。 信長の息のかかった商人を襲うと、後でしっぺ返しがくると認識したようで、二人を解放しそうに見受けられたのである。 しかし、天柿はここで重大なミスを犯したのであった。 それは、盗賊たちの信長に対する恐怖を見抜けず、解放するシグナルを読み切れなかったのだ。 天柿はわざわざ盗賊たちに、ブランデーを振る舞うのだった。 最初、戸惑いを見せた盗賊たちだが、持ってきた紙コップを7人いる盗賊に渡し、莉恵が注いでまわると、男たちは恐る恐る口をつけ、ブランデーを舐め回すように味わってから、ゴクリと喉に飲み込んだ。 「おぉ〜!、こ・これは何という味だ!」 男たちは口々に、初めて味あう香りと、風味にそれは驚いたのだ。 「こ・これは随分、強い酒じゃのぉ・・しかし、舶来の酒というものは、こんなにうまいものだとは・・・癖になりそうじゃのぉ、ワッハハハハ・・」 男たちはアルコール度の高い酒にもかかわらず、早いピッチで飲んでいる。 そのうち、酔いがまわってきたのか、男たちの喋りが陽気になってきたようだ。 「これは何という酒じゃ」 「フランスのブランデーで『ナポレオン』と呼ばれているようです」 「何?ふ・ふらんす・・ぶ・ぶらん・・で、なぽ・なぽん・・・ん?・・何じゃそれは」 「あっ、いやいや・・難しく考えないで・・と、酒、ただの舶来の酒ですよ・・」 現代風に言ったことに、天柿、男達の両方がややこしくしてしまったようだ。 しばらく、男たち同士がブランデーの味などについて雑談していたが、天柿は逃げ出す機会をうかがっていた。 理恵に、そのことを耳打ちしようと、悟られないよう近づくと、リーダーの男がそれに気づき、並んで立つ二人を見上げ言った。 「ところで、お前たち二人は夫婦(めおと)なのかな・・?」 思いもしない男の質問に、天柿は何て答えればよいか、一瞬 戸惑った。 「えっ、夫婦?・・あっ、いや・・その・・め・姪ですけど・・・」 「姪か・・、そうだろうな、夫婦にしては随分と若いおなごじゃし・・ワッハハハ」 男たちは、天柿を冷やかすような目で笑っている。 すると、酒で体が火照ってきたのか、男たちは小屋に入り、着ている黒装束を脱ぎ出すのだった。 すべてをさらけ出した男たちを見て、天柿には皆、盗賊のような厳つい顔には見えなかったのである。 この辺の農民のような穏やかな顔をした者もいる。 だが、酔いが一番まわったような男が、莉恵に酒を注ぐよう命令すると、ニヤニヤした嫌らしい目つきで、言葉を投げかけた。 「う〜ん、お前は可愛いおなごじゃのう・・さあ、もっとこっちに来て早う注がんかな・・」 と言いながら、莉恵に注ぐよう促した。 莉恵も迷ったが、彼らの機嫌を損なわないようにと、男に近づき酒を注ぐと、彼女の手を握るように迫って来たのだ。 驚いた莉恵はすぐ体をかわして、一歩後に下がったが、この時、初めて男に襲われるという恐怖を抱いたのである。 「おう!、何で逃げるのじゃ・・・フフフッ、ますます可愛いおなごじゃ・・」 と、男は立ち上がり、莉恵に向かい連れ戻すよう歩き出したので、天柿は間に入り、なだめるように今度はタバコを差し出すのだった。 「さあさあ旦那様、これも舶来の『タバコ』といって、うまいですよ・・ひとつ吸ってみてくださいな・・」 差し出されたタバコに興味を持った男は、それを一本手に取り、珍しそうに見てから口にくわえた。 天柿が百円ライターで火をつけてあげると、男はタバコよりものライターに興味を示したのだ。 「そ・それは何だぁ・・どら借してみろ」 と、天柿からひったくるように取ると、火をつけようと試みるのだが、うまくいかない。 天柿が火のつけかたを教えると、何度もつけたり消したりしてライターの効用を確かめると、驚きの声をあげ、その凄さを知らせるかのように、酒盛りしている男たちの輪に戻って行った。 男たちとの間に、少し距離があいたので、天柿は莉恵に耳打ちした。 「莉恵さんいいですか、男たちもだいぶ酔ってきたようなので、チャンスをみて逃げますので、私が合図をしたら走るように、準備していてくださいね」 「はい、分かりましたわ」 天柿は、そういうとリュックから日本酒を取り出し、男たちに振る舞うのだった。 せっかく20世紀から持ってきた日本酒が、こんな盗賊たちに味をたしなんでもらいたくはなかったが、逃げ出す際には重い一升瓶が邪魔だったのだ。 だんだんと夕暮れが迫ってくるのに、天柿は早く何とかしなければと焦っていた。逃げ出す機会をうかがっているのだが、どうも男たちの酩酊状態がよくつかめない。 仮に今、逃げだしても走りが得意でない自分と、莉恵の運動能力も分からないまま、はたして最後まで逃げきられるのか・・と、天柿は迷っていた。 すると、男たちの輪の中で、リーダーの男が一番若い男に水を汲くんでくるよう命じた。 それを耳にした天柿はひらめいた。 「親分様、私たちが水を汲くんで参りましょう」 天柿の申し出にリーダーの男は、戸惑いの表情を見せたか思うと、ニヤリと笑い鋭い視線を向けた。 「お前たち、そのまま逃げようと考えているんじゃないか?」 「いやいや、姪に汲んできてもらおうと・・・ほら、ちょうどいい物もありますし・・」 天柿は、自分が飲んで空になったペットポトルを男に見せた。 「これも舶来品か、ずいぶん薄く軽いもんじゃの・・何という品のじゃ」 「ペットボトルという容器で、水が入っていたのですよ・・」 「ぺ・ぺっ・・と・・えい!、もういいわい、早く水を汲んで来い」 男はいらついたように命令した。 ここから少し上った所に、沢から水が流れ落ちている場所があると言うので、莉恵が水を汲みに行くことになった。 莉恵が歩き出してから、天柿はいかにも忘れ物があるように呼び止めた。 「あっ、莉恵さん忘れ物!これにも汲んできて」 天柿は莉恵のリュックから水が少し残っていたペットボトルを渡しに、彼女のそばに持って行くと、悟られないよう話しかけた。 「莉恵さん、いいですか。 水を汲むふりして、ここから逃げましょう。 水場から戻るとき、この場所を避けて街道に出てください。 ここに来るまで10分ぐらいかかったので、笹ヤブの中を大回りし下っても20分もあれば街道に出ると思います。 そしたらそのまま京に向かっててください。その後を、私が追いかけますので」 「はい、分かりました・・でも、うまく逃げられるかしら」 「大丈夫でしょう。 私は、今からちょうど30分経ったら逃げ出しますので、彼らにはもっと酒を飲まし酔わせます。 そうなると追う脚もなくなるでしょうから」 天柿は、不安を覚える莉恵に勇気づけるよう伝え、互いの腕時計の時間の確認をとった。 男たちの輪に戻った天柿は、日本酒を手に持ち、注いで廻るのだった。 10分・・20分が経過した。 天柿の予想したとおり男たちは、随分と酔ってきたようだ。 ろれつの回らない者も出てきて、これは容易に逃げ出せると天柿は思った。 こっそりと腕時計をみるとまもなく30分経とうとしている。 すると、リーダーの男は莉恵が水を汲んで戻って来るのが遅いのに気づいた。 「そういえば、おなごはどうした。 ずいぶん遅いではないか・・・」 「も・もしかしたら道に迷ったのかも・・」 天柿は逃げることに、気づかれないよう間髪を入れずに答えた。 この事に忘れかけていた他の男たちも、莉恵が戻らないことに騒ぎ出した。 「あ・あの、私が捜して来ます」 天柿がそういうと、リーダーの男は引き止めるよう怒鳴った。 「待て〜い!、やっぱりお前たちは逃げようとしているな」 「えっ、逃げようだなんて・・とんでもありません」 「嘘をつけい!・・お前たちの運んでいる品は信長殿に献上するというのは、偽りであろう」 「い・いや・・本当に・・・信長殿に・・」 「じゃぁ、どうして逃げようとしているのだ・・・うん?、俺たちだって信長殿の献上物といわれるなら、ちゃんと届けさせようと思っておったのじゃ・・お前が舶来品だと言って無理に勧めるから、少し戴いたまでじゃ・・・」 天柿はしまったと思った。 盗賊たちは我々を信長の使いと信じ、解放しようと考えていたなんて思いもしなかったのだ。 しかし、もう遅い。 このことを莉恵に伝えることはできるか・・そう、タイムTなら知らせそうだ・・しかし、今ここで使う訳にはいかない、男たちに略奪されそうだ。 タイムTはいわば莉恵との“命綱”だ、使用するのは最後の手段だ・・・とにかく、今はもう行動を起こすしかないのだ。 莉恵との約束の30分が過ぎた。 リーダーの男は、莉恵の様子を見て来るよう若い男、二人に命じた。 そして、他の5人の男たちが、脱ぎ捨てた黒装束をまといに小屋の中に入ったのだ。 その瞬間、天柿との間に死角ができた。 天柿は今しかないと思ったのと同時に、脱兎の如くかけ出した。 逃げたことに、すぐ気が付いた男たちの怒号がしたが、かまわず夢中で走った。 それはもう、笹ヤブの中を飛び跳ねるように、一目散に走っている。 男たちの追って走る笹ヤブのかき分ける音と、怒号が背中越しに、だんだんと小さくなって行くのが天柿には分かった。 やはり、酒を飲ませた効果があったので、これで逃げ切れると思った。 街道に出たのは、ものの5分とかからなかった。 そのまま京へ向かって走っていると、二つの道に分かれている所にたどり着いた。 天柿は、そこで立ち止まり後ろを振り返ると、男たちの追って来る気配がないので、これで逃げ切れたと思い安心した。 しかし、莉恵はどちらの道を行ったのか、迷うところだ。 賢い莉恵のことなので、どちらに行ったか解るように、何か目印でもしているのではと、天柿は周辺の道、草木に変化がないか探し回った。 だが、これといった目印も見つからなかったので、天柿には嫌な予感がした。 「必ず何かのヒントを残してくれる人だ・・それがないということは、水場からうまく街道に出られなかったのか・・・それとも、逃げるのに必死で、もっと先を行ってるのだろうか・・」 天柿は二つの道のうち、比較的広い道に入り先を急いだ。 前方を見据え、幾度も幾度も曲がりくねった道を進むが、その先に莉恵の姿は見えて来ない。 天柿はだんだん焦り出した。 そして、視界が開けたと気がついたら峠の道は下りきっていた。 周りは、広い畑と点々とした集落がある。 「ここまで、来ると大丈夫なはずだ。 莉恵さんはもしかしたら、この辺で私が追いつくのを待っているかも知れない」 そう考えた天柿は、周辺の農家の庭先などを捜してみたが、莉恵が待っているような気配がない。 これで、天柿は、莉恵は京には向かっておらず、何かのトラブルに巻き込まれたに違いないと思った。 「きっと、また盗賊たちに捕まったのかも知れない・・」 天柿は、自分のミスで莉恵が危険な目にさらされている事を考えると、いても立ってもいられない、心臓を締めつけられるような強い罪悪感を感じていた。 天柿は道に力なく座りこんでしまった。 その場に放心状態でいると、集落の子供たちが天柿の前に集まって来た。 見つめる目は、珍しそうな人でもいるという眼差しだ。 「おじさん、どうしたんじゃ・・・」 一人の子供のかける声に天柿は、はっとして見上げて、彼らが目の前にいるのが気がついた。 「あぁ、お・おじさん・・疲れちゃったんだ・・」 「そう、じゃぁ 私、水を持ってきてあげる」 天柿の力ない返事に、女の子がそういうと少し離れた自分の家の方向に走って行った。 「おじさんは、何処から来たんじゃ」 「うん、尾張という国から来たのだよ」 「『お・わ・り・・?』ふ〜ん、そこはどの辺にあるのだ」 「そうねぇ、今来た峠のような所を何回も越え、東の方にずっと行った海辺にあるのだよ」 天柿は子供たちの屈託のない質問に、自分も幼少の頃は、この子らと同じように、今の時代で遊んでいたのだろうと思ってきた。 まもなくして、女の子が水を粘土で出来たような大きな器に入れ、零さぬよう慎重に持って来た。 「おじさん、この水を飲むと元気が出るよ」 ちょうどペットポトルの水も切れ、喉が渇いていた天柿にとっては有り難かっ た。 天柿は、女の子から渡された器に入った水を、ぐいっと一気に飲みほした。 すると、その水を飲んでいると、天柿はまた、身体が震えるような寒気が一瞬したのである。 「こ・これはなんだ!・・この味は確かに・・一度飲んだ事がある水だ」 天柿は驚いた。 その冷たく切れる柔らかい味は、一度飲んだ事のある紛れもない、この戦国時代の懐かしい水であったのだ。 そして、天柿の脳裏にその水は、この場所のすぐ近くの沢から、湧き出ていたという記憶が蘇ってきていた。 「お嬢ちゃん、この水は何処から汲んで来たの?」 「すぐそこの裏山の下から流れ出てる所からだよ」 少女の言葉に、天柿は確信した。 「すると、やはり・・・私は、ここの集落近辺で育ったということなのか・・」 また新しい自分の過去の発見に、ショックが天柿を襲うのだった。 天柿のブツブツと話す、独り言のような振る舞いに、子供たちはいぶかった。 「お・おじさん・・どうかしたの、大丈夫?」 「えっ、あぁ大丈夫だよ・・ところで、この水、とても美味しかったよ。お嬢ちゃん、有り難う・・・お陰で助かった」 女の子は現代でいうと、小学4、5年生ぐらいに見える。気のせいか莉恵の幼い時の顔立ちのような感じがする。 そうだ、天柿は莉恵の事が心配でいた。 水を飲んで一息ついたせいか、疲労も少しとれ落ち着いてきた。 そこで、無理と承知で莉恵の事を尋ねてみた。 「あの〜、みんな・・さっき、この辺で若い娘さんを見かけなかったかな」 子供たちは顔を見合わせてから、一様に首を振った。 「見なかったけど・・その女(ひと)と一緒に旅をしてたの? 「そう、はぐれちゃたんだ」 「じゃぁ、まだこの辺にいるかも知れないから、捜してあげようか」 子供たちは、二グループに分かれ、捜し歩こうとしたとき、天柿は呼び止めた。 「あっ、待って・・この場所にはまだ来てないと思うので、捜さなくていいよ。 有り難う・・おじさん、その気持ちだけでも嬉しいよ」 とりあえず、これからどうしようか考えた。 座り込んでいた所から、ふと見上げると、先に枝のない一本の高い木があるのが目についた。 天柿にはアンテナのように見えた。 そして、それはすぐ思いついた。 「そうだ、リサーチQがあった」 天柿は懐からリサーチQを取り出すと、スイッチをオンに入れてから、メニュー選択盤に触れ、周囲にかざしてみた。 すると南東方向の約5キロ先に、莉恵が携帯しているタイムTからの電波の反応があった。 「そうか、莉恵さんは、この場所にまだ来てないんだ。・・そうすると、やはり盗賊たちに捕まったているのだろうか・・・」 電波の発信先は、逃げて来た距離の間隔とほぼ一致する。 どうやら盗賊のいた小屋の近辺らしい事が分かった。 天柿の行動に不思議そうに見ていた子供たちは、興味ありそうに聞いてきた。 「おじさん、それは何なの?」 子供たちの素朴に思う質問は分かる・・天柿はどう説明すれば、この時代の彼らに理解してもらえるか考えていた。 すると、続けて子供たちが言ってきた。 「それ・・・まるで、未来の機械のようだね・・」 子供たちの言った何気ない言葉が、天柿は答えるヒントになった。 「そうなんだよ、これはその未来の機械なんだ・・」 「じゃぁ、おじさんも未来から来たの?」 天柿は、子供っていうのは本当に無邪気で、何でも興味を持つというのは、いつの時代になっても変わらないのだなと思った。 「おじさんはね・・本当の事を言うと尾張の国からではなく420年後の未来からやって来たんだよ」 「ふ〜ん、じゃ、その420年後ってどういう所なの・・・」 「人が乗って道を走る乗物や、空を飛ぶ大きな乗物もあり、簡単にご飯も炊けて、それから・・声が出て動く絵もあり、夜も電気というものがあり昼間のような明るいし、住むにはこの時代よりはとても便利な所だよ・・・」 天柿の本当の話にも、子供たちは驚くところか、まるでおとぎ話を聞くように目をランランと輝かすのだった。 もっともっと2000年の世界を話してやりたいと思った・・・でも、天柿には時間がない。 一人になった莉恵の事が心配だ。 何とかしなければいけない。 「もっと話してやりたいけど、おじさんは急ぐんだ。いろいろ有り難う」 そう言うと、リュックからチョコクリーム・ビスケット、カッパエビセン、ポテトチップを取り出し、子供たちに渡した。 「これはその420年後の世界のお土産だよ、みんなで仲良く食べてね」 天柿は立ち上がり、リュックを背負うと、今、下って来たばかりの峠に向かい歩き出した。 後、小一時間で日が暮れそうだが、とにかく莉恵を助けに行かねばならないと思った。 「じゃ、元気でね」 天柿は子供たちに手を振り、峠に向かい歩き出した。 「ねえ、どうして来た道を戻るの、その女(ひと)来るまで、ここで待てばいいにに」 「いや、ここに来ないかも知れないんだ・・だから迎えに行くんだよ」 「そう・・今度は一緒にここに来れる?」 「う〜ん、分からないけど、来れたらまた寄るよ」 「そう、じゃぁ、また寄ってね・・きっとだよ」 子供たちは、何か名残押しそうに天柿を見送った。 きっと優しく面白いおじさんだと思われたに違いない。 「じゃぁ、さようなら」 「おじさんも、気をつけてねぇ・・お土産有り難う・・・」 子供たちは、峠に消えて行く天柿の後ろ姿を見て、おとぎ話に思えた420年後からやって来たおじさんは、本当ではないかと信じてきたのであった。 天柿は、一刻も早く莉恵を捜し出さなくてはという一心で、坂道を上っていた。 それには、日没の前に何とか見つけ出さければいけない。 暗くなってからでは移動が困難になる。 心臓の鼓動が激しく高鳴る。 天柿は近道をしようと、曲がりくねった坂から笹ヤブに入った。 息をはずませ懸命に急坂を歩いているのだが、歩けど歩けど来た道に入れない、気がついたらけもの道ような所を歩いていた。 とにかく、急がなければならない。 まず目的地として、あの密集した洞窟のような入り口の道まで出ればいいのだが、歩いていると、そのうち方向感覚が分からなくなり迷ってしまった。 天柿には、周囲が薄暗くなってきて、陽が暮れようとしているのが分かった。 「これはまずい」 と、天柿は焦ってきた。 これからどうすればよいか考えた。 まず、自分が今どの辺にいるのかだ。 それを確かめる手立ては、すぐ思いついた。 天柿はリサーチQを取り出し、金属類を選択して周囲に当てた。 東方向11キロ先にある物体を反応した。 それは、もちろんタイムマシンであり、南東方向に反応するはずの莉恵が持っているタイムTには反応がない。 そのまま、リサーチQを西方向に持って行くと4キロ先に電波が反応した。 これで、自分がだいたいどの辺にいるのかは分かったが、それより、何と莉恵があの子供たちがいた集落近くにいるということだ。 天柿は、ますます焦ってきた。 「そうか、莉恵さんは遅れたけど、ちゃんと私の言ったとおり、京に向かっていたんだ・・・そ・そうなると、早く莉恵さんに追いつかねば」 天柿は西方向に向かって走った。 ときにはふらついて、転んだりしてまでも必死に走った。 だが、いくら走っても街道には出ることができない。 さすがに疲労困憊になった天柿は、今度はよろよろと歩き始めた。 途中、リサーチQで確認するが、歩いている方向は間違いない。 しかし、莉恵との距離が縮まらない。 そうなのだ、天柿はまっすぐ歩いていたつもりだが、木々の障害物を避けて歩いているうちに、方向がずれてしまい、まさしくこの近江峠の原野を迷走している状態だっのた。 やがて、陽が落ち、峠は真っ暗闇になった。 天柿はその場に座り込み、これで万事は尽き果てたかのような気分に陥った。 あの自分が犯したミスさえなければ、こんなことにならずに済んだのに・・と自虐の念さえ覚えるのだった。 「今頃、莉恵さんはどうしているのだろうか、タイムTで連絡してみようか・・・いや待てよ、もしかしたら盗賊たちに捕らえられ、無理矢理どこかへ連れて行かれようとしているのかも・・そうなると連絡するのは危険だし・・」 どうであれ、莉恵は自分とはぐれてしまったことに不安を感じていることは間違いないだろうし、このまま動かずにいる訳にはいかないと思った。 天柿は、リュックから懐中電灯を取りだした。 やはり莉恵のことが心配な天柿は、懐中電灯を照らしながら歩き出した。 現代の世界でも、もし山道なので道に迷ったら、その場にじっとして救助を待っているのが最善の方法と聞く、まして夜間に移動するというのは大変危険を伴う。 天柿もそのことは承知していたが、莉恵の両親との約束で彼女を危険な目に遭わすことはできない。 その事だけが、歩こうとしている気力だった。 天柿は、足元を照らしながら一歩一歩、慎重に歩を進めている。 しかし、いかに懐中電灯を照らしながら歩くといっても、それはまるで手探り状態と同じで先に進むのがやっとなのだ。 天柿は、これでは無理だと感じた。 足、腰あたりの筋肉痛が激しさを増し、自分の体力も限界に近づいてきたのが分かった。 今ここでは、まず自分の安全を考えなければ、元も子もないと思った。 いかに初夏といっても、陽が暮れた山は気温が下がり、肌寒く感じてきている。 天柿は野宿するのに安全な場所を探すことにした。 野宿するには、風の遮られる洞窟のような所が最適なのだが、暗くなっては探すのは無理であり、せめて近くを、土手穴らしき場所がないか探し歩いた。 少し休んでから、寝床を造るため、笹や大きめの葉っぱを周囲からかき集めた。 天柿の寝床には、満天の夜空に光り輝く星々が降り注ぐ。 その星々の一つ一つは、マシンの船内の窓から眺めたのと同じ星であるかも知れない・・・と、天柿はそんなふうに思った。 ほどなく天柿は、疲れからかウトウトしてきたが、寒さが身にしみて、とても眠れるといった状態ではなかった。 やはり、寒さは身体に堪える。 これでは体力も回復できず、消耗するばかりだ。 天柿は、予想していたとはいえ戦国時代で自身に迫る本当の危機が、まさかこの様なサバイバルになるとは思いもしなかった。 天柿は、暖を取ろうと小枝を集めようとして、よろめきながら立ち上がろうとした時だった。 前方下の方から、闇の中にぽっかりと浮かんでいる灯りがあるのを見つけた。 何かと思うまもなく天柿は、もうその灯りを目指して歩いていた。 そして、雑草をかき分け着いた灯りの場所は、一軒の古い家だった。 ロウソクの炎が障子に揺れている。 天柿は盗賊たちがいるのではと思い、息を殺してじっと中の様子に聞き耳を立てた。 すると、年老いた男女と思える話し声だけがする。 ほっとした天柿は声をかけた。 「すみません・・夜分、恐れ入りますが・・道・道に迷ってしまったのですが・・泊めて戴けませんでしょうか・・・」 家の中からは返事がない、やはり警戒してるのだろうか、続けて声をかけみた。 「け・決して怪しい者ではございません。 どうかお願いします」 まだ、無言が続く。 こんな時間に、しかもいきなり泊めてくれなんて、怪しまれるのも当然 、天柿は諦め、迷惑を詫び立ち去るしかないと思った。 「夜分、驚かして申し訳ありませんでした。 失礼します」 また、何処へとあてもなく歩き出そうとした、その時だった。 突然 、ガタガタと家の戸の開く音がした。 「待ちなされ・・・」 天柿は振り返ると、そこには老夫婦が立っているではないか。 「道に迷ったというのか・・」 「は・はい、連れとはぐれてしまい、捜しているうち・・・」 「そうかのう、じゃぁ、入なされ・・狭い所じゃが、一人ぐらいは大丈夫じゃろ」 「えっ、泊めて戴けるのですか、有り難うございます」 老夫婦に手で招かれるように、家の中に入った。 中は4畳半ほどの土間と、真ん中に火鉢がある6畳の部屋、そのふすまの先は、同じ広さの、いわば寝室だろうか。 天柿は、安堵の表情を示し礼を言うと、老婆に火鉢の前に座るよう促された。 「お前さん、何処から来たのじゃ」 今度は老人の方から聞いてきた。 「尾、尾張から来たんです」 「尾張の国からか・・・ここまでは、2、3日はかかったじゃろが」 「えっ・・・は・はい・・そうですね・・」 「それで、はぐれてしまった連れは大丈夫なのかね」 「はい、一緒に京へ向かっていたのですが、途中でトラブルに逢い・・い・いや、私の不注意から、はぐれてしまって・・・」 「う〜ん、京へ行こうとしてたと・・・」 その後、続けてどんな理由ではぐれたのか聞こうとしたのだと思うが、そこで老婆が雑炊を作ってくれたのを天柿に持ってきた。 「さぁ、腹が減っていなさるじゃろが・・どうぞ食べなはれ」 「あっ、これはどうもすみません・・」 天柿にとって、それは有り難かった。 空腹と寒さを我慢しての野宿から一転して、暖かいご飯と、暖かい部屋で寝れることにの幸運に、まだ神から見捨てされてはいなかったと思った。 腕時計を見ると10時近くなっていた。 老夫婦は火鉢のある部屋で、天柿は奥の部屋に寝ることになった。 それは、天柿にゆっくりと休んでもらおうという配慮からだった。 天柿は、こんなに親切にしてもらうなんて考えてもいなかった。 フトンに入ったが、初めは莉恵のことが心配で、しばらくは寝付かれずにいたが、さすがに今日は峠を走り回ったせいで疲れたのであろう、天柿は、いつの間にかぐっすりと寝入ったのである。 遡ること天柿は、集落で子供たちと話していた頃、理恵は天柿に言われたとおり、水を汲むふりをして、盗賊たちから逃げようと街道を目指していたが、実は理恵も迷走して街道に出れないでいたのだ。 そして、ついには追って来た盗賊たちに捕らえられていた。 一度、盗賊たちのいる小屋に戻ってから、リーダーの男とあまり酔っていない男、さらに若い男の二人が、莉恵を囲むようにして、近江の村へと向かっていたのだった。 それは、莉恵を近江の女郎部屋に売り渡すことにより、報酬として米俵を得ようという盗賊たちの狙いだった。 峠を下りきった莉恵と盗賊たちは、あの子供たちのいる集落を通過しようとしている時だった。 子供たちが、天柿から土産としてもらい食べ終えた菓子袋が、風に舞って歩いている莉恵の前まで飛んできた。 何気なくその袋を見た莉恵は、すぐに天柿が子供たちに渡した菓子袋だということが分かった。 「ねえ、僕たち、背中に布袋を背負った人が通らなかった?」 莉恵は菓子袋を拾い上げ、それを子供たちに渡し、尋ねた。 「布袋を背負った・・人?・・・」子供たちには、すぐ分かった。 「あぁ、そのおじさんなら、さっきここで休んでいったよ・・そして、私が裏山の水を汲んで飲ませてあげたよ・・・」 女の子が莉恵に向かって言った。 莉恵は、女の子の言葉に、一瞬、天柿が具合でも悪くしたのかなと思い、心配したように聞いてみた。 「その、おじさん元気だった・・・」 「うん、また元気に歩いて行ったよ」 莉恵はその言葉に安心した。 「そう・・それでいつ頃、そのおじさんが、あっちの方へ行ったかな?」 莉恵は、街道の京の方向へ指差して言った。 すると、子供たちは逆方向へ指差した。 「違うよ、半時(1時間)ぐらい前に来た道を戻って、あっちの方へ行ったよ」 子供たちの言葉に莉恵は驚いた。 やはり遅い自分を心配し、捜しに戻ったのは予想されたが、それなら、なぜ峠の道でかち会うことができなかったか、理解できないでいた。 結果的に、近道をしようと街道からはずれたことも、いわば天柿のミスであったのだ。 子供たちの話しで、莉恵は1時間ほど前に再び峠に向かったという天柿に、見つけられずいる自分を、何とか知らせたいと思っていた。 「あの男、わざわざ、また戻ったとぉ・・・助けに行ったつもりだろうが、そのおなごは、ここにいるのに・・馬鹿な男よ・・これでは、いつまで経っても捜し出せんじゃろが、ワッハハハハ・・・」 盗賊たちは、天柿の行動にあざ笑っていた。 莉恵は、リーダーの男に促され、再び歩き出した。 すると子供たちが後を追うようについて来るではないか。 「お姉さんは、そのおじさんと一緒に旅をしてたの?」女の子が聞いて来た。 「えぇ、そうよ・・・」 「おじさん、はぐれてしまった・・って、言っていたよ」 「そう・・・おじさん、ほかにどんなこと言ってた・・」 「う〜ん、・・お姉さんを迎えに行くって・・・ここで、待っていたらって言ったんだけど・・」 女の子が、莉恵の横に来て歩きながら話しかける。 でも莉恵には、その女の子の話で、だいだいの天柿の行動が分かった。 「ほれ、ついて来ないで、帰りなぁ!」 リーダーの男の冷たい声が、子供たちにかけられた。 「いろいろ有り難うね・・」 莉恵はそう言うと、懐にしまっておいたチョコポッキーを、女の子に渡した。 「あっ、これは420年後の所から持って来たお土産ね」 この女の子の言葉に莉恵は驚いた。 「えっ!なぜそう思うの?・・・」 「だって、おじさんが言っていたよ・・そして、そこは道を走ったり、空を飛ぶ乗物があるとも言ってたよ」 きっと天柿が、話しの流れの中で言ったことだと思っていたが、莉恵はそれが子供たちには本当に理解しているのか半信半疑でいた。 「お名前は何というの?」 「やえ・・・やえと言うんだ・・」 「やえ・・さんね、じゃぁ覚えておくわ・・さようなら・・」 「今度、おじさんと一緒に、また来てねぇ・・さようなら・・・」 莉恵は、子供たちの屈託のない無邪気な姿に、天柿と同じようにいつの時代になっても、夢と好奇心のおう盛さは変わらないものだと感じた。 「お姉さんは、420年後の未来から来たんだよね〜!」 莉恵は女の子から、去って行く自分の背中越しにかけられた叫ぶような声に、一瞬ドキッとしたが、迷わず答えた。 「そうよ・・私は、未来の国から来たのよ!・・・」 盗賊たちも、陽が暮れる前に目的地につかねばと、莉恵に急ぐよう命じた。 彼らは、莉恵と子供たちの会話を聞いていて、やはり不思議と感じていたところがあったようだ。 「親分、このおなご420年先の未来から来たなんて言ってますけど、本当ですかいの・・・」 若い男は、リーダーの男にこっそりと耳打ちした。 「馬鹿野郎、そんな話し嘘に決まってるだろう。 しょがねぇ奴だ・・」 「そ・そうですよねぇ・・未来から来る・・なんてある訳ないっすよねぇ」 「当たり前だ・・・いや、待てよ・・もしかして、このおなご・・頭がおかしいのかもな・・フフフ・・・」 盗賊たちのヒソヒソ話す声は、莉恵には聞こえていたが、あえて無視していた。 しかし、これから何処へ連れて行かれるのか不安でいっぱいだ。 莉恵は、思い切って男に聞いてみることにした。 「あのぅ、これから何処へ行かれようとしているのですか?」 「何処へだと・・フフフ、これから少しお前さんに働いてもらうのじゃよ」 「えっ、働くって・・どういう仕事をですか?・・・」 盗賊たちは、ただ薄気味悪そうに笑うだけで、答えなかった。 仕事といったって、この時代にするのはどんな事なのか、心配になってきた莉恵はさらに男に聞いた。 「仕事の内容だけでも教えてください・・」 うるさい女だと思われたのか、リーダーの男は簡単に説明した。 「ただ、客たちと茶を飲んだりして、話し相手になるだけで・・楽な仕事さ」 莉恵は、男から聞いた仕事の内容に、どんな事かすぐに理解した。 それは、歴史の勉強の中で、江戸時代の遊郭と同じような所に違いないと思った。 この時代の・・・つまり『女郎部屋』に自分が売られると分かった莉恵は絶対に逃げ出さなければと思った。 一度、女郎部屋に売られると、逃げ出すことは困難だということが莉恵にも、それとなく分かる。 だから、何とか逃げ出す機会をうかがっているが、4人の男達たちはスキをみせない。莉恵にとって残された時間はないのだ。 まもなく、近江の集落が近づいてきたときだ。 前方から歩いて来た二人の商人らしき男が、盗賊たちを見てニヤリと笑い、話しかけたではないか。 「いやぁ、これはこれは毒野様、お待ち申しておりましたよ・・」 「阿久津殿、遅くなり申した・・・ちっと手違いがあってな・・」 莉恵には、その商人風の格好した男に売り飛ばされると直感した。 そうなのだ、その阿久津なる男は、表向きは商人を装い、裏では人身売買で暗躍している悪人だったのだ。 実は盗賊たちは、あらかじめこの事を伝えるため、事前にもう一人に使いを走らせていたのだ。 「おう!これはめったに、お目にかかれない上玉のおなごじゃ・・ヒッヒヒ」 女郎部屋の主、阿久津は嫌らしい目つきで、莉恵を見てニヤけた。 他の男たちも、嘲笑しながら歩き疲れたのか草むらに腰を下ろした。 そして、阿久津と盗賊のリーダー毒野が、報酬のことで交渉し始めたとき、莉恵一人と男たちの間が微妙に離れて行った。 その時だった。 理恵は一目散に走り出した。 逃げ出すことに、まったく予想してなかった男たちは慌てた。 すぐ後を追いかけたが、なかなか捕らえきれない。 だが、荒野を駆け回って鍛えられている男たちには、かなわなかった。 逃げ走っている莉恵との距離が縮まってきた。 「こらぁ、待てぃ〜」 必死に逃げる莉恵の背後に、男たちの迫って来る息ずかいまでもが聞こえてきた。 莉恵は、このままでは捕まるのも時間の問題となってきたことを悟った。 しかし、その時、莉恵は走っている苦しみから、徐々に解放されていく不思議な感覚に陥った。 それは、まるで夢遊病者のように草原を駆け回っている感覚だ。 莉恵は2500年の世界で、天柿と出会った時からの出来事を、走馬灯のように頭を駆けめぐった。 なぜ、戦国の世に来てしまったのか・・・その、最初の原因となったのは、時々、戦国時代の夢を見始めたのが最初だったのを思い出した。 そのことに、はっと気づいた莉恵は、これで自分は絶対助かるはずだと感じた。なぜならば、それは今まさしく夢に出てきたと同じ光景なのだ。 そして、このままいくと夢のとおり、自分を救ってくれる武将が必ず現れるはずだと確信するのだった。 陽が落ちようとしていた街道から、西の方向に分かれる一本の道があった。 その夕もや煙る一本の道から、街道に向かってくる数頭の馬に跨った侍たちの姿があった。 その馬に乗って向かって来る侍たちの光景は、まさしく莉恵が確信したとおり、夢の中で起こった出来事と同じであったのだ。 それを視界にとらえた莉恵は、走っている中にも、おぼろげであった意識が戻ると、だんだん近づいて来る馬に乗った侍たちに向かって叫んだ。 「お侍さ〜ん、助けてくださ〜い」 侍たちは何事かと思い、馬の手綱を引いた。 馬のそばまでたどり着いた莉恵は、息を切らせながら、一人の侍に助けを求めた。 「娘よ、どうされたのじゃ」 「は・はい、あの盗賊たちに追われているのです」 莉恵は、追って来る盗賊たちを指さした。 「なに?、盗賊と申したか・・・」 侍は、莉恵の指さす方向を見た。 すると、追って来た盗賊たちは急に立ち止まり、馬廻(ウママワリ・護衛)りの後ろの馬に跨っている武将を見たのだ。 その武将は、深編み笠を頭にかぶり、弓を背中にかけ、悠然と馬に跨っている。そして、武将は威厳漂う鋭い眼光で盗賊たちを睨んだのだ。 盗賊たちには、すぐ誰であるか認識した瞬間だった。 彼らは恐怖におののき、後ずさりをしたかと思うと、一目散に逃げだしたのである。 まさしく盗賊たちが恐れたその武将とは、この波乱渦巻く戦国の世で天下統一の野心を持っていた、安土桃山城の主君、織田信長であったのだ。 莉恵は、信長が家来を引き連れ、鷹狩りから城へ帰るところを、偶然出会ったということだ。 日頃、見ていた夢がまさか、こんなにもはっきりとした正夢で起こり得るとは、莉恵には奇跡以外の何ものでもないと思った。 莉恵は、まず馬廻りの侍に礼をいうと、信長の前にひざまずき丁重にお礼を言うのだった。 莉恵が頭を上げ、そのまま信長を見上げた時だった。 莉恵にとって、それは驚愕する事態になっていたのだ。 「あれ!?・・も・もしや・・・天柿さんではありませんか?・・・」 それは、もう腰を抜かさんばかりの驚きだったのだ。 はぐれて、峠に向かって行ったはずの天柿が馬に乗って、しかも武将の格好までしている現実に訳が分からなくなってきた。 「あ・天柿さん・・・やっぱり天柿さんですよね・・」 恐る恐る尋ねる莉恵に、信長は動じず、ここで初めて彼女を見つめた。 はたして、莉恵がいうとおり、信長の本当の正体は天柿であるのか、もしそれが本当なら信長・・・いや、その天柿と思える武将は莉恵に何と答えるのであろうか・・・。 ・・・つづく |